陛下・皇太子殿下・秋篠宮 三者会談の目的は何か? 6~真相はいかに?官邸・宮内庁を巻き込んだ新潮記事の重大性③生前退位の真の目的は、皇太子殿下を玉座から引きずり下ろすことにあった!?

今回ご紹介する記事が、国会図書館で検索・閲覧不可能となっていたものです。
この記事のどこかに、どうしても存在自体を闇に葬って「なかったことにしたい」原因が隠されているのだと思います。
おそらく「今上陛下の生前退位」に関する核心が書かれているのでしょう。

週刊新潮2013年6月20日号

特集 「雅子妃」不適格で「悠仁親王」即位への道

■「皇太子即位の後の退位」で皇室典範改正を打診した宮内庁


雅子妃の長期療養がもたらした御所と東宮の深い溝。次第に数を減らす一方の皇族方。暗雲が垂れ込める皇室で、かつてこれほど皇統断絶の危機が叫ばれたことはあるまい。そこで前章でも触れた通り、現下、宮内庁は当面の問題を解決するため、ウルトラCの方策を企図。密使が安倍内閣へ伝えた腹案の詳細とは―。

女性宮家の創設は両陛下の強いご意向でした。これも叶わぬ今、当庁としては妃殿下のご苦悩を取り除くことを優先したい。皇室制度のあり方を変えなければ、この問題は解決できないというのが我々の立場です」
今年2月1日。悲壮な決意を秘めた宮内庁の密使が総理官邸を訪れたのは、薄暮が迫る午後4時50分頃のことだった。安倍晋三総理に対し、概ねこう述べた密使は、次のように言葉を継いだという。
「今晩の両陛下とのご夕食会でもこの話が出るものと思います。くれぐれも熟慮のほど、よろしくお願い致します」
安倍総理に、宮内庁が抱える問題を説明したこの密使とは、元国交省事務次官で、現在の宮内庁トップ、風岡典之長官、その人である。この日の夜、皇居で、天皇・皇后両陛下は、安倍総理とファーストレディの昭恵夫人を夕餉に招くことになっていた。その2時間ほど前に、風岡長官は、前もって懸案事項を総理に伝える、露払い役を果していたわけだ。


「実は、この安倍さんとの会談に先立つ1月半ばにも、風岡さんは菅義偉・官房長官と面談し、宮内庁の課題を説明しています」
と語るのは、官邸関係者。
「当初は1時間の予定でしたが、アルジェリアで人質事件が発生し、菅さんはその対応に追われていたため、会談時間は半分ほどに短縮されました。それでも両陛下の健康状態や公務軽減の問題など当面の課題が説明されたうえ、“女性宮家創設”についても、両陛下のご意向だった旨が伝えられたと言います。そして最後に雅子さまの諸問題を解決する手立てとして、皇位継承をめぐる皇室典範の一部改正が提案されました」

その詳細をお伝えする前に、皇統の安定的な継承を実現するために行われてきた、政府の過去の取り組みを振り返っておきたい。
皇太子ご夫妻の間に第2子誕生の兆しが見えなかった2004年末。小泉政権下で、女性の皇位継承を探るための「皇室典範に関する有識者会議」が設置され、女性・女系天皇の是非をめぐる議論がスタートした。しかし、その最中に秋篠宮紀子妃がご懐妊。悠仁さまご誕生の僥倖に恵まれたため、この論議が雲散霧消したことはご承知の通りだ。
もっとも皇室に男系男子は少なく、皇統の危機が去ったわけではない。悠仁さま即位の頃には、公務を分担する皇族はほとんどいなくなる状況が予想された。
そこで民主党政権時代の一昨年秋、当時の羽毛田信吾・宮内庁長官が野田佳彦総理に皇室典範改正による「女性宮家創設」を要請。しかし、「女系天皇への道を開く危険性がある」という批判が識者の間に根強くあり、民主党内にも反対論者が多かった。
「国民からの意見公募も行い、二十数万もの意見が寄せられましたが、そこでも圧倒的に反対が賛成を上回った。これでは国民の理解も得られないと野田内閣は恐れをなし、断念に追い込まれた経緯があります」(政治部デスク)
危機を前に揺らぐ皇室。追い込まれた宮内庁は、間近に差し迫った問題から優先して対処することに。それが風岡長官による、安倍内閣への“皇位継承をめぐる制度の改正”の要請なのだ。警察庁幹部が声を潜めて明かす。
「具体的には『天皇が自らの意思で生前に退位し、譲位することができる』ならびに『皇位継承を辞退できる』ことを可能とする条文を皇室典範に付記するというものです。風岡さんは、総理らに大方針を伝えた後、官邸に詰める政府高官らに詳細を説明し、以後は必要に応じて、電話等でやりとりしていると言います

◆「王冠を賭けた恋」の先例も

現行制度では、天皇は終身在位で、崩御されるまでお務めいただくことになっているが…。宮内庁が官邸に示した考えはこうだ。
「まず今上陛下には最後まで天皇としての重責を全うしていただく。そして将来、身罷られた後は、皇位継承順位1位の皇太子さまが天皇に即位する。ここまでは、これまで通り。しかし、皇太子さまには比較的早い段階で退位し、皇位を次の方に譲っていただく。譲位のお相手は、現在、継承順位第2位の秋篠宮さまではなく、そのご長男の悠仁親王だというのです」
(同)
そのため、秋篠宮にも皇位を辞退する権利を認めるという。俄かには信じ難い話だが、先の官邸関係者もこう言う。
「宮内庁側は“皇太子殿下が即位しないとハレーションが大きいので、天皇にはなっていただくが、未だご病気の完治しない雅子さまには皇后の重責は果たせない”と考えています。このままではご公務が“片肺飛行”になってしまうので、なるべく早く譲位していただくということです」
これについて、識者は、
秋篠宮さまを皇位継承から外すのは非民主的で理解できません。ただ宮内庁が、皇室の繁栄を考え、生前退位や継承辞退の典範改正を考えるのは自然なことで、研究を続けてきたのかもしれませんね」(皇室ジャーナリストの神田秀一氏)
元宮内庁職員で、皇室ジャーナリストの山下晋司氏も、
「明治以前は、皇位継承について明文化されたルールはなく、天皇の生前譲位や辞退が行われていました。また海外に目を転じれば、皇太子同妃両殿下が参列されたオランダの国王即位式は、まさにベアトリックス女王が、公務の継続が難しくなり、退位したから行われたものです。個人的には違和感を覚えますが、譲位や辞退はありえない話ではない。世論が支持するなら、国民の負託を受けた国会議員が是非を判断すれば良い
確かに、歴史を振り返れば、日本の皇室と馴染みの深い英国王室でも、1930年代にエドワード8世が、離婚歴のある米国人の人妻との愛に溺れ、結婚の道を選択して、王位を捨てた先例がある。世に言う「王冠を賭けた恋」である。
「“女性宮家創設”は、安倍総理が反対論者だし、“女系天皇誕生への道を開く”とあちこちから大ブーイングを受け、潰されるのは必至。しかし、今回の案なら、“男系による万世一系”は侵されない。さほど反対は起こらず、国会への法案提出へのハードルは低いという計算が宮内庁にはある」(前出・警察庁幹部)
内閣官房ではこの典範改正が実現可能か、密かに検討が進められているという。
(終わり)


さて、皆様は、上記記事のどこがどのように問題になって、国会図書館から“消された”とお感じになったでしょうか。
上記記事は、宮内庁と官邸が実際どの時期に会い、どのように会談したのか、何を話し合ったのか、かなり詳細な内容が書かれています。
後ほどこのブログでも触れますが、官邸と宮内庁はどちらも上記記事に「反論」を行っています。
しかし、上記記事をまったくのガセ・デマと片づけてしまうのには、あまりにも内容が具体的すぎるのです。
実際、典範改正とまではいきませんでしたが、今上陛下の生前退位が実現の運びになるのは確実となりましたし、今上陛下の生前退位を受けて(たとえ恒久法でなくても)それを“前例”として、新天皇陛下となられる皇太子殿下にも早期の退位を迫りたい勢力がつけあがる余地を作ってしまったのは事実でしょう。

週刊誌レベルで終わった話なら我々も笑って過ごせますが、現実に今上陛下の生前退位特例法が作られ、「崩御以外の天皇の退位」という道を開いてしまった現実がある以上、私は上記新潮記事がガセ・デマだったと思うことはできません。
むしろ、皇室は新潮記事の書く内容の通りに動きつつあると感じてしまいます。

また、上記記事はあくまでも話し合いの主体を「官邸」と「宮内庁」と書いていますが、何度も言う通り、宮内庁が独断で勝手に動けるはずがないのです。女性宮家の件でも分かる通り、宮内庁は「両陛下」のご意向を受けて政府側と接触しています。
そうであるならこの「皇太子殿下早期退位論」も「悠仁様へ皇位を移す」ことも、両陛下のご希望だと考えるのが自然だと思います。
そして安倍政権はこれまでの思想を見ていると、男系男子維持に固執しています。
皇太子殿下(男系)→敬宮愛子様(男系)→女系のお子様、という皇統になるよりは、
秋篠宮様(男系)→悠仁様(男系)→男系(男子)、という皇統になることを安易に望んでいるのかもしれません。

もし仮に両陛下=宮内庁と時の政府(官邸)が国民の知らぬところで勝手に密談し、勝手に「皇太子殿下をさっさと退位させて、場合によっては秋篠宮様もすっ飛ばして、悠仁様(まだ未成年のうちに?)に皇位を移そうぜ!」という取り決めをしていたことが事実ならどうなるか。それはもう、宮内庁も政府も「不敬」「民主主義の破壊」どころではない激しい批判を受けることは免れないことになりますね。
国民の大半は東宮ご一家を応援し同情し、天皇直系のお血筋である敬宮愛子様に天皇になっていただきたいと願っています。男とか女とか関係なく、直系長子のお子様が皇位を継ぐのが一番良いと考える国民は思いのほか多いのです(それは過去の世論調査を見れば分かります)。
しかしそんな国民の願いを完全に無視して、勝手に皇太子殿下を排除、敬宮様よりも秋篠宮様のことを優先、さらに悠仁様まで一気に皇位を移すとなれば、国民の反発は想像を絶するものになるでしょう。
民意を無視した密談を勝手に行ったことは、当然官邸にとっても宮内庁にとってもまずい話になります。

それでは、国会図書館から上記記事が「消えた」理由は何なのか。
ここで検討すべき項目としては以下のようなことが挙げられます。

●上記新潮記事はガセ・デマであるため、嘘記事を後世に残すことは好ましくないので削除する方向になった。
●上記新潮記事はほぼ事実であるため、真実を後世に残すことはまずいと判断し、“闇に葬る”ことに決めた。

●上記記事を国会図書館で検索・閲覧できないようにさせたのは新潮社である。
●上記記事を国会図書館で検索・閲覧できないようにさせたのは宮内庁=両陛下である。
●上記記事を国会図書館で検索・閲覧できないようにさせたのは現政権(官邸)である。
●上記記事を国会図書館で検索・閲覧できないようにさせたのは国会図書館である(独自の判断で忖度したということ)。


上2つの項目と、下4つの項目で、8通りの組み合わせが可能となります。

後で上記記事に対し反論することになった官邸と宮内庁としては、
●上記新潮記事はガセ・デマであるため、嘘記事を後世に残すことは好ましくないので削除する方向になった。
ということを強調したいところでしょう。
しかし、宮内庁と官邸の密談の内容がかなり具体的であることや、現実に今上陛下の生前退位が決定してしまい、今後の皇太子殿下のお立場もどうなるか分からないという余地が作られてしまった事実に鑑みると、どうしても
●上記新潮記事はほぼ事実であるため、真実を後世に残すことはまずいと判断し、“闇に葬る”ことに決めた。
という疑いが晴れることはないと思います。

もちろん、上記新潮記事の内容にもいくつか疑問がないわけではありません。
上記記事では官邸サイドも皇太子殿下のお立場を軽んじ、早期に退位させればいいと考えているように読めてしまいます。
しかし、生前退位法案を「恒久法」にしてほしいと強く願ったのはあくまでも今上陛下であり、官邸(政府)は「それでは生前退位を際限なく繰り返して皇位継承を不安定にさせる」という危惧から、「特例法」留まりとした経緯があります。また政府は今上陛下の生前退位自体が違憲の疑いがあるという理由で反対し、皇太子殿下を摂政にすればよいではないかという意見も出ていたといいます。今上陛下が生前退位を希望されているという第一報が出た当時、記者の囲み取材を終えた安倍総理が不機嫌そうな態度でその場を後にしたシーンを私はよく覚えています。
この点を見れば、官邸(政府)は今上陛下のご意向を快く思っていなかった?と見ることもできます。

2013年当時に宮内庁と官邸の密談があったことは事実だが、実は官邸サイドは宮内庁が提示した案には賛成していなかった?
あるいは、当時は賛成していたが、密談の内容が世間にバレてまずい立場になったので翻意することにした?
ということも考えられます。
そうすると、2013年当時とほとんど考えを変えていないのは、宮内庁=(両)陛下ということになりますね。
とにかく今上陛下が「生前退位は後世の天皇にも法的効力をもたらす恒久法としてほしい」というご希望を持っていたことは事実のようです。
そうすれば皇太子殿下、秋篠宮様もその法に縛られて、生前退位が容易に実現することにつながります。


ほかにも、上記新潮記事にいくつかツッコミを。

●「皇太子殿下を早期に退位させ、秋篠宮家に皇統を移す」という案を、さもご病気の雅子様のことも考えてひねり出した苦肉の策のような言い分にしているが、皇太子殿下のお立場をないがしろにすることがなぜ「雅子様の苦悩を取り除くことにもなる」という発想になるのか理解不能。かえって雅子様を更に追い詰め、苦しめることになると考えるのが自然。「私のせいで殿下は天皇になれなかった」という負い目を雅子様に負わせることにならないか。
●「公務は夫婦一緒でないといけない」ということをなぜここまで重視しているのかも理解不能。「片肺飛行」とか意味の分からないことを言い、オランダ前女王の件について触れているのに、その前女王の亡き夫も精神的病で公務に出られなかったことがあるという事実は完全にスルーしているのも納得いかない。そもそも前女王が退位したのは「公務の継続が難しくなったから」ではなく「年齢が若いうちに次の国王となる息子に地位を譲り、王室の未来を託したかった(息子を信頼していた)」からという前向きで明るい理由である。あまりにもオランダ王室事情について無知であるし、何も知らない読者を騙していることにもなる。前女王は今でも一王女の立場に降りて地道に公務をなさっている。
「夫婦一緒の公務」に異様にこだわっている割には、まだ未成年で当然伴侶もいない悠仁様に執拗に皇位を渡そうとしていることは明らかな矛盾ではないのか。幼い悠仁様を早期に即位させたがっているのにはほかに重大な理由があるからではないのか。
●「皇太子殿下を露骨に即位させないと国民からのハレーションが大きくなる」ということを十分に分かっているのに「それでも早期に退位させる」ということに固執する神経も理解不能。
皇太子殿下には早期退位を迫るくせに「秋篠宮様を皇位から外すことは非民主的で理解できない」という言い分にも矛盾がある。「皇太子殿下の早期退位も非民主的だ」となぜ誰も言わないのか。
皇太子殿下や敬宮様を露骨に排除することがどうして「皇室の繁栄」につながるのかも理解不能。
●なお、女性宮家案が国民から大反発を受けたのは、男系男子カルト連中からの組織的攻撃があったからという説と、「秋篠宮家だけがメリットを受ける(眞子様佳子様が皇室に残れ秋篠宮家だけが一人勝ち状態になる)女性宮家など到底受け入れられない」というまっとうな感覚をもった国民の反対が多かったから、という説がある。

あまりにもツッコミ所が多くて馬鹿馬鹿しいのですが、それでも上記記事が「消された」という事実は重く見なければいけません。憲法で保障された「国民の知る権利」を侵害していると言えるからです。

上記記事が闇に葬られた理由。一人でも多くの方に、考えていただければと思います。

陛下・皇太子殿下・秋篠宮 三者会談の目的は何か? 5~真相はいかに?官邸・宮内庁を巻き込んだ新潮記事の重大性②美智子様の「慈愛」はまやかしにすぎない

「一部の記事が国会図書館で閲覧不可能になっている」ことが明らかになった新潮記事。
今回は4つの見出しの中の最初に出てくる、美智子様関連の記事をご紹介したいと思います。
この記事は国会図書館でも閲覧・取り寄せ可能でしたが、内容的には「美智子様の慈愛」の化けの皮がはがれるようなものになっており、なぜこの記事は闇に葬られなかったのか?と逆に考えてしまいました。

週刊新潮2013年6月20日号

特集 「雅子妃」不適格で「悠仁親王」即位への道


皇太子ご夫妻のご成婚20周年で世は祝賀ムードに包まれた。だが、雅子妃の長期療養や皇族方現象の問題は未解決のまま。「女性宮家創設」も霧消した今、宮内庁は驚愕の方策を安倍内閣に提示しているという。「雅子妃・皇后不適格」の断で早まる「悠仁天皇誕生」への道。

■ついに「雅子妃に皇后は無理」の断を下した美智子さまの憂慮

皇太子ご夫妻のお振舞いは、かねてより天皇、皇后両陛下のご心痛の種となってきた。とりわけ雅子妃が療養生活に入られた10年ほど前からは、絶えずお二人を苛んできたと言えよう。が、今般ついに、両陛下はあるご意向を示された。そして、その背景には皇后さまの強い「ご憂慮」があった―。

さる9日、ご成婚20周年を迎えた皇太子ご夫妻は、宮内庁に寄せられた「ご感想」の中で、
<今後とも国民の幸せを願い、夫婦で協力しながら務めを果たしていくことができればと願っております>
述べられていた。が、
「せっかくのご決意ではありますが、もはや遅きに失した感があります」
とは、さる政府関係者である。それというのも、
「宮内庁では目下、ある遠大な『プラン』が極秘裏に進められています。それは、現行の皇室典範を改正し、天皇の退位すなわち譲位を可能とする。さらには皇位継承権のある皇族が即位を辞退することも認める。そんな案が動いています」
いかに皇室の危機とはいえ、ドラスティックに過ぎて耳を疑うような話だ。それでも、目指すとことは、
「次代はいったん皇太子さまに託し、ある時点でご退位頂き、その後すみやかに皇位を秋篠宮家に継承する。それも弟宮ではなく悠仁さまに継いで頂く、という心積もりなのです」(同)
肝心の“進捗状況”については次章に譲るとして、こうしたシナリオは、皇太子ご夫妻のお振舞いと無縁ではあるまい。何しろ、
<一生、全力でお守りします>
という皇太子さまのプロポーズが実ってからちょうど20年。お世継ぎを望む周囲のプレッシャーに晒される中、1995年には、
<国民はみなあなたたちの子に期待していますよ>
と、労いの声をかけられた陛下に雅子妃は、
<私の友人に、そんなことを言う人はいません>
そう返されている。

99年冬には「ご懐妊の兆候」と報じられたが、年末には稽留流産と診断。このあたりから、目に見える形で雅子妃には異変が生じていく。2000年夏には、香淳皇后の葬儀を欠席されてしまうのだ。宮内庁担当記者の話。
「01年に愛子さまがお生まれになると、ご一家はもっぱら“公より私”というスタイルに傾斜していかれます。03年暮れには帯状疱疹を発症して長期療養を余儀なくされ、翌年は皇太子さまのいわゆる『人格否定発言』の後、7月には宮内庁が病名を『適応障害』と発表。継続的なご公務は困難であり、すべてはその日のご体調次第、となってしまったのです」
ご予定が行き当たりばったりになるのも道理で、
「05年2月には、長野県で開催されたスペシャルオリンピックスの観戦を、雅子さまは当日の出発1時間前に取り止め、宮内庁長官が東宮大夫に注意する事態に発展しました。この頃はまた、両陛下を交えたお身内での会食などでも、遅刻や欠席などがありました」(同)
そのまま今に至り、ごく直近でも、人知れず以下のようなきわめて深刻な状況を引き起こしている。
さる皇宮警察関係者が打ち明ける。
「ご夫妻で6月18日に予定されていた宮城県ご訪問が、内々に無期限延期という扱いになっているのです」
被災地ご訪問には、雅子妃も強い意欲を示されていながら、当初の5月28日から繰り延べされていた。それが今、実現すら危ぶまれているというのだ。現地で警備を担当するはずだった宮城県警関係者も、
「こちらには6月7日、宮内庁から警察庁を通じて連絡が入りました。我々はすでに3月から『警護警備対策室』を立ち上げてお出ましに備えていたのですが、妃殿下のご体調が相当思わしくないとのことで、1週間前に予定されていた早朝の警備訓練も中止となってしまいました」

◆「私が残されたとして…」

この一件、これまで散々繰り返されて来た直前キャンセルとは意味合いが大いに異なるのは言うまでもない。
「住み慣れた家と家族、そして思い出を失った人々が今も仮の住まいで肩を寄せ合っている。その現場に、日程を変えてもなお赴けないとなれば、オランダ外遊との“整合性”が蒸し返され、被災地では東宮家に対してのネガティブな感情が芽生えるばかりです」
とは、さる宮内庁幹部である。さらに、こうした“十年一日”のごとき現状をご覧になるにつけ、
「皇后陛下はすでに、周囲には『皇太子妃には将来、皇后の仕事はつとまらないでしょう』と漏らされています」(同)
何と、すでに皇后さまは“諦観”の境地におありだというのだ。
「現状に鑑みれば、そうしたお気持ちを抱かれるのも無理からぬことです。ご公務の分量は措くとして、もとより皇太子妃と皇后とでは、責務の重さの点で、比較になりません」(同)
現在、両陛下はつねにペアでのご公務をモットーとされており、その点でも「継承」は困難であるところ、
「昨年は御所や宮殿で、拝謁や外国要人とのご会見、両陛下が主催される茶会や晩餐、そしてご接見などがおよそ230件行われています。加えて毎年、全国戦没者追悼式を始め、都内へのお出ましも多数。皇后さまは日本赤十字の名誉総裁でもあり、全国大会ではスピーチもなさっている。また例年お揃いで『全国植樹祭』『国民体育大会』『全国豊かな海づくり大会』の三大行幸啓にお出ましになり、その折に毎回、福祉施設などを訪問されるのが慣わしです」(前出記者)
これでは、雅子妃をなぞらえるべくもなかろう。
皇后さまは先ごろ、体力低下により持病の頚椎症もあって公務を取り止めたばかりだが、なおも憂慮は尽きぬようだ。
「皇后陛下は最近、皇太子殿下のイメージダウンを、とりわけ懸念なさっています」(侍従職関係者)
というのも、
「演奏会や観劇に殿下がお出ましになっても、会場に居合わせた一般客からの拍手はまばらで、時には途中退席する光景すら見受けられます。そうした実情を、職員や皇宮警察から逐一お聞きになり、『このままでいいのでしょうか』と、大層嘆かれています。皇后陛下であれば、入退場の際には割れんばかりの拍手が沸き起こり、席を立つ人などまず見当たらない。その“落差”から、直感的に危うさを感じ取っておられるのです」
また、お身内においても、ことのほか案じておられる件があるという。
「そもそもは、陛下の思し召しを正確に咀嚼され、行動に移されるのが、かつての皇太子殿下でした。が、ご成婚の後、そうしたお姿は徐々に変容を遂げられます。妃殿下にご家庭でのイニシアチブを握られ、いわば引きずられる格好で、御所のご意向とは相反するお振舞いや、時には“応答なし”といったご姿勢も、今では散見されるくらいです(前出幹部)
そうした現状をご覧になって、
「皇后陛下は『もし仮に、陛下がおられなくなって、私が一人残されたとします。その時のことを考えると、とても不安になります』と、近しい人に打ち明けられている。ご公務の引継ぎなどはもちろんのこと、はたして皇太子ご夫妻が、ご自身を適切に遇してくれるのだろうか…その点を気に病んでおられるのです」
東宮家との亀裂は、ことほどさように根深い。まことにおいたわしい限りである。
(終わり)


いかがでしょうか。上記記事を読んで、「美智子様お可哀相!」となる国民が一体どれくらいいるというのでしょうか。
むしろ「皇太子ご夫妻、相変わらず置かれている環境がクソすぎておいたわしすぎる…」という感情になりませんか?
新潮が一体どういう目的で上記記事を書いたのかは分かりませんが、これを読んで国民が美智子様側につき、東宮ご夫妻を敵視するようになることを期待していたのだとしたら、もはや付ける薬がないとしか言いようがありません。

さて、上記記事は冒頭から、非常に不敬で不穏なことを書いています。

●典範改正をして天皇の生前退位(譲位)を可能とする。
●皇位継承権のある皇族が継承権を辞退できる条文も盛り込む。
●皇太子殿下にはいったん即位していただくが、早期に退位させる。
●そしてその皇位を悠仁様に譲渡できるようにする。

という、かなり具体的な内容となっております。
今上陛下の生前退位は2019年4月末日と決まりましたが、驚くべきことに、5年も前の2013年の時点で、陛下の生前退位のプランが具体的に検討されていたということがお分かりになるでしょうか。

今上陛下は生前退位法案について、「恒久法」として後に続く天皇も生前退位ができるようにしてほしいというご意向を示していました。
しかしそれでは皇位継承の安定性が保たれないという危険性から、保守派が中心となって恒久法にすることは見送り、今上陛下に限って生前退位できるという「特例法」の形に落ち着きました。
仮に今上陛下のご希望通りに「恒久法」となっていたら、上記新潮記事のプランの通り、現皇太子殿下は天皇即位後に何らかの理由を付けられて早期退位を迫られ、秋篠宮様か悠仁様に無理やり皇位が行くように仕向けられていた恐れが強いのです。
生前退位の恒久法化は危ういところで押し留めることができましたが、今上陛下は最後まで恒久法になることを願っていたということです。
今上陛下は決してご自分の高齢や体力が原因で、生前退位をお望みになったわけではありません。
「皇太子殿下を皇位継承から早期に外して、秋篠宮家に皇統を移したい」ために、高齢や体力を理由として国民をうまく騙して、生前退位を可能とする法律を国会に作らせたにすぎないのです。
多くの国民に、今上陛下の願いはかなり恐ろしい話だったということに気付いていただきたいです。


さて上記新潮記事に戻りますが、雅子様が今上陛下から「セクハラ」を受けていた疑惑は晴れていません。「世継ぎの誕生を皆が待っている」だけでなく、生理周期のことまで聞いてきたという噂もあるくらいです。それ以外にも、男子を生め生めプレッシャーに、「女子などいらん」とばかりに敬宮愛子様に対する酷い冷遇…そんな環境で雅子様が病まないはずがありません。尊敬すべき対象の天皇陛下が、よりによって世間のそこら辺のオッサンと変わらないセクハラ・パワハラを平然としてきたのですから。そしてこれまた「慈愛の方」と信じてきた美智子様も味方になってくださらなかった、ということも、大きな原因だったと思うのです。
雅子様は毅然と「私の周りでそのような(セクハラ的な)ことを言う人はいません」という反論をしたことは今上陛下をかなり驚かせたということですが、同時に「朕に口答えしやがって」というお気持ちが陛下の中に芽生え、それ以来雅子様を逆恨みするようになったというのが実情のような気がしてなりません。陛下の雅子様に対する冷たい態度は、一国民が傍から見ていてもすぐに気づいてしまうくらいのものでしたから。
しかしそのような悪辣な環境の中で雅子様が病まれて公務に出られなったり思うように体が動かなくなっても、それについて周囲が理解を示すことなく、一方的に「サボリ!遅刻!務めを果たせ!休むな!ドタキャンやめろ!」とは、何とも酷い話です。皇太子殿下がそのような雅子様を最も大切に思い目をかけても、それすらも「家庭の方ばかり見て国民の方を見ていない!」と批判される。皇太子ご夫妻はまさに八方塞がりの状況にいらっしゃいました。
一体どこのブラック企業なんでしょうか、と言いたくなります。


そして問題の美智子様の言動。上記新潮記事も触れている通り、美智子様だって「体力低下と持病の頚椎症」で公務を休まれているのです。ご自分も休まれることがあるのに、なぜ雅子様のことを責める資格があるのでしょうか。
お二人とも「ご病気・体力の問題」で公務を休まれていることに変わりはないのに。ただそれが一時的なものか、長期のものかの違いに過ぎません。


また美智子様は観劇の場面云々で「皇太子は人気がないのね…どうしましょう…」と心配しているということですが、あまりにも馬鹿馬鹿しくて呆れるほかありません。
皇太子ご夫妻は観劇(鑑賞)の際は、ほかの一般観客の邪魔にならないように入退場をなさるといいます。
一方で両陛下は、演奏の途中でもお構いなしに、好きな時に入退場をなさるという話を聞いたことがあります。

こういう状況に鑑みても、皇太子ご夫妻はあくまでもひっそりと邪魔にならないように気を遣われているから拍手なども要求しないし、一方で両陛下は途中であっても拍手を求めながら入退場をするので、まったく比較になりませんね。
そういうくだらないことを「人気ありなしのバロメーター」に使うとは何とも滑稽であり、やんごとなき方がすることではありません。

そしてその後に続く「私が一人残されたら、皇太子夫妻は私を適切に扱ってくれるのかしら…」という悩みも、本当にくだらないの一言です。どこまでも皇太子ご夫妻に失礼だし、ご自分に色々と過去の疚しい点があるから、ご自分が冷遇されるのではないか?という、ある種の「心当たり」があるとしか思えませんね。
皇太子ご夫妻はそんな冷酷な方々ではありませんよ。過去にたくさん理不尽な扱いを受けてきても、皇太子ご夫妻が両陛下に対する感謝のお気持ちを忘れたことなど、ただの一度もないのではありませんか?それはお二人のお誕生日文章を拝見してもよく分かります。常に「両陛下への感謝」の一文を入れています。
好き嫌いの私的な感情をすぐ表に出す方とはまったく風格が違います。
ちなみに美智子様は昭和帝崩御後、一人残された香淳皇后陛下を車椅子に乗せてカメラの前に出てきたことがありますが、その時香淳皇后陛下は高齢者特有の症状を隠し切れない状態でした。そのような方をわざわざ車椅子に乗せて人目に曝したのが、美智子様なのです。美智子様は「あれだけ自分に意地悪をした姑を気遣う優しいお嫁さん」を印象付けるために、状況がほとんど分からなくなっている香淳様を「利用」したも同然なのです(なお香淳様は美智子様に意地悪などしていませんし、むしろ美智子様によく気を遣われていました)。
ご自分はそのような鬼のようなことをなさっているのに「私が一人残された時冷遇されたらどうしましょう?」なんて、よくぞ言えたものだと怖くなりました。

身も蓋もない言い方をすれば、上記記事から受ける美智子様の印象は「自己愛が強く、意地悪で嫌な姑」でしかありません。
国会図書館もなぜこの記事は閲覧可能のままにしたのか謎ですね(笑)。
最近こそ「美智子様が雅子様に養蚕の方法をお伝えした」とか「日本赤十字全国大会で美智子様が雅子様をお披露目するような行動に出られた」など、美智子様が雅子様を次期皇后陛下として認めるような記事が色々と出ていますが、私はそれらをどうしても100%信じることができずにいます。
過去に折に触れて「雅子妃に皇后の地位は務まらない、この方はもうよろしいのでは?」というような態度を見せてきた美智子様の本心がどこにあるのか、いまいち信用できないためです。
それでも心のどこかではやはり、美智子様が改心して雅子様を支えてくださるようになった…と思いたい自分がいます。
もう少し様子を見たいです。

さて次回は、国会図書館から消されたいわくつきの記事である、「皇太子様早期退位論」についての記事を挙げさせていただきます。そして皆様と一緒に、記事が図書館から消された理由を考えていきたいと思います。

陛下・皇太子殿下・秋篠宮 三者会談の目的は何か? 4~真相はいかに?官邸・宮内庁を巻き込んだ新潮記事の重大性①国会図書館から抹消された記事

拙ブログではこれまでいくつかの雑誌の「三者会談」の内容について触れた記事をご紹介させていただきましたが、三者会談において最も物議を醸したと言える重大性をはらんだのは、週刊新潮2013年6月20日号でしょう。
後ほど触れますが、上記新潮記事は、官邸や宮内庁をも巻き込んで大きく問題視されました。
またそれだけでなく、当該記事を探す上で驚くべき事実にぶち当たることにもなりました。

週刊新潮2013年6月20日号は、
「特集 「雅子妃」不適格で「悠仁親王」即位への道」

という大見出しが付いた上で、さらに4つの見出しに分かれて記事が書かれています。

■ついに「雅子妃に皇后は無理」の断を下した美智子さまの憂慮
■「皇太子即位の後の退位」で皇室典範改正を打診した宮内庁
■「秋篠宮は即位すら辞退」が頂上会談で了解された深い事情
■「悠仁さま」電車通学を提案した「秋篠宮殿下」の未来図


これから順に4つの見出しの内容を追っていきたいと思いますが、4つの中の2番目に当たる
■「皇太子即位の後の退位」で皇室典範改正を打診した宮内庁
の見出しの記事が、どういうわけか国会図書館サイトで検索をかけてもヒットしなかったのです。
さらに言えば4番目の
■「悠仁さま」電車通学を提案した「秋篠宮殿下」の未来図
の記事も検索でヒットしなかったのですが、こちらは3番目の記事を取り寄せれば同時に読むことができたので(ページが一部重なっているため)、まだ許容できる状態でありました。
しかし、2番目の皇太子殿下に関する記事だけが、国会図書館でも「無かったこと」にされてしまっており、もしかしたら一種の検閲が行われ、記事自体抹消扱いとされたのか?という疑惑が沸き上がっています。

ちなみに私は上記新潮記事を国会図書館から取り寄せる際、まず3番目の秋篠宮様に関する記事を請求し、先にこちらが手元に届きました。すると同時に4番目の悠仁様関連の記事もページの関係から一緒に読める状態となっていました。
しかし、3番目の秋篠宮様関連の記事の前にも文章が書かれていることに気付き、この記事が4つの見出しでシリーズとなっていることに後で気が付いたため、ほかの見出しの記事も取り寄せる必要があると考え、後から「前の文章」の請求を国会図書館にかけました。
ところが、手元に届いた記事(1番目の美智子様関連のもの)はきちんと完結しており、どう見ても先に入手した秋篠宮様関連記事の前に書かれた文章とつながらない。さらに言えば1番目の見出しの美智子様関連記事の隣のページが、ご丁寧に空白になっている。
不審に思い調べてみると、この空白になっている部分に、本来なら掲載されていたはずの、2番目の見出しの皇太子様関連記事が存在していたのだということを知りました。

文では分かりづらいと思いますので、どういう状態で手元に届いたか、その画像をアップさせていただきます。

20180509_232804.jpg

先に手元に届いたのは下の2枚の記事コピーで、後から届いたものが上2枚の記事コピーです。
ご覧の通り、
■「皇太子即位の後の退位」で皇室典範改正を打診した宮内庁
の見出し記事の前半部分が白紙にされ、「存在しないもの」扱いになっていることがお分かりいただけるかと思います。


私はこの事実に驚き、なぜこの記事だけ国会図書館の検索にもかからないようにされ、まるで最初から存在しないようにされたのかを考えてしまいました。
幸い、「東宮ご一家を応援したい」という志を同じくする方(S様)から当時の週刊新潮の現物記事を頂き、何とか全文を揃えることができましたが(S様、その節は本当にありがとうございました!)、広く国民の閲覧の用に供するはずの国会図書館から、特定の記事だけ「抹消」されたことの不気味さは消えておりません。
そういえば以前も、川嶋家と池口恵観阿闍梨との関係について触れた文春記事が、国会図書館で検索しても見つからないことがありました。一体、どういう基準で、どういう記事を見られなくしているのでしょうか。


「この記事はなぜ闇に葬られたか」

その答えは、後ほどこちらのブログで記事を取り上げる際に、皆様と一緒に考えていけたらと思っております。

陛下・皇太子殿下・秋篠宮 三者会談の目的は何か? 3~やはりツッコミ所満載のテーミス記事

今上陛下・皇太子殿下・秋篠宮様の三者会談につき、前回の新潮記事に続いて、テーミスも噴飯ものの記事を出しています。
やはり東宮ご夫妻を無理やり悪し様に言いたいだけの内容となっています。

テーミス 2013年4月号

皇太子殿下の譲位論まで出る中
天皇陛下&皇太子殿下・秋篠宮殿下 会談で何が話されたか

秋篠宮さまが取り持つ形での会談へ憶測も飛ぶ中で皇太子ご夫妻はオランダ訪問か?!


◆「臨時代行」を理解していない

「年月の経つのは早いもので、結婚してからもう20年経つのかと思うと、とても感慨深いものがあります。雅子にはこの間、苦労も多かったと思いますが、様々なことで私を助けてくれ、力になってもらっていること、また、母親として様々な気配りをしながら、愛子の成長を見守り、支えてくれていることに心から感謝しています。今後とも夫婦で協力しながら、また、愛子も共に、公私にわたり活動していくことができればと思います」
2月23日、53歳の誕生日を迎えられた皇太子さまは、今年6月に結婚20年になることでご感想を述べられた。だが、雅子さまが療養に入られて10年ともなる。雅子さまの公務復帰への見通しを記者団から聞かれた皇太子さまは、こう語った。
「雅子は確かに快方に向かっておりますが、さらに療養が必要です。雅子には、健康の回復を最優先にし、お医者様からご助言いただいているように、体調を整えながら、焦らずに少しずつ活動の幅を広げていってほしいと思います」
東宮御所で行われた記者会見では、5つの質問に皇太子さまが答える形になったが、需要なのはその後に出た「関連質問」である。
宮内庁担当記者がいう。
「皇太子さまは陛下とのコミュニケーションに関して、ご自分と秋篠宮さまを含め、3人で次世代皇室のあり方について話し合いの機会を設けられていることを明かされた。このことは宮内庁関係者の間では噂されていたが、皇太子さま自らが認めたのは、サプライズだった」
ただし、宮内庁関係者たちの間では、このことを皇太子さまの“前向きなスタンス”として捉える向きは少ない。というのも、もうひとつ雅子さまの治療について「関連質問」がなされたが、皇太子さまは「東宮医師団の治療を私も非常に深く多としておりますので、いまのところ、セカンドオピニオンという考え方はとくにございません」と述べられたからである。
皇太子さまを知る関係者がいう。
「天皇陛下の公務に対する思いや象徴天皇に関するお考えを、皇太子さまは十分、受け止めていると思う。しかし、『臨時代行』を託されているという真の意味を完全には理解されていないのではないか。本来なら、“帝王教育”は陛下と皇太子さまのお2人の間でなされるべきこと。それを秋篠宮さまが取り持つ形で話し合いがなされること自体、きわめて異常な事態といってよい」

◆オリンピックの「接見」もなし

ここへ来て皇太子さまの「退位論」が飛び交う背景も、この流れと無関係ではない。発端は宗教学者の山折哲雄氏が書いた「皇太子殿下、ご退位なさいませ」という論文だという指摘もあるが、そうではない。
皇室関係者が指摘する。
「山折氏は皇太子さまが“公”よりも“私”を重視されている現実を踏まえ、『象徴天皇制』に異変が生じていると指摘しているが、まさにこうした思いは皇室関係者や宮内庁関係者から洩れていた声でもあった。つまり、皇太子さまに“将来の天皇”としてのご自覚があるかどうかが問われる大問題だ。最近の元宮内庁長官や元侍従長の発言を見ればわかるように、陛下はあくまでも国民の目線に立って寄り添ったり、祈ったりすることを実践されている。次世代天皇もそれを受け継ぐかどうか。それは陛下の皇太子さまに対する間接的なメッセージと見ていい」
一方で、まず家族を大事にしながらも、公務にも携わっていく選択もないわけではない。しかし、そのとき、国民が変わらず皇室に対する“尊崇の念”を持ち続けられるかどうかわからない。
本誌が前号で指摘した通り、皇太子さまが秋篠宮さまに“譲位”して、将来は秋篠宮さまが天皇陛下になる可能性も出てきたといえる。
3月4日、皇太子さまは東宮御所でIOC(国際オリンピック委員会)評価委員会メンバーと接見された。だが、東宮御所にお住いの雅子さまは、この接見の席にお出ましにならなかった。
「オリンピックは国を挙げて承知するもの。皇太子さまが接見されるとなれば、本来、雅子さまもご一緒に出られてもいい場面だった。しかし、離任して帰国する外国の大使にも滅多にお会いにならない雅子さまがIOC委員会の接見には出るというのは“国際親善”をえり好みしているような印象になってしまい、悩ましい。ご体調もいまひとつすぐれなかったようです」(宮内庁関係者)
翌5日、皇太子さまはニューヨーク国連本部で開かれる「水と災害に関する特別会合」で基調講演を行うため、おひとりで米国へ出発された。

◆皇室で初の海外静養した場所

皇室関係者が証言する。
雅子さまは2月27日、東宮御所で国連大学学長夫妻を約1時間、お茶を飲みながらもてなされている。このときは皇太子さまはインフルエンザで公務を休まれていた。どうも雅子さまの国際関係のご活動は『国連』と『ハーバード大』がキーワードになっている。2月の訪問には皇太子さまから1時間以上遅れて国連大学に出掛けられ、環境に関する国際委会議に出席した。また、昨年10月には青山学院に出向かれて、ハーバード大時代の恩師で国際政治学者のアダム・ロバーツ卿の講演会を熱心に聴講された。不思議なのはどちらのお出かけも“私的なお出掛け”という扱いだったことだ
ここへ来てオランダの新国王即位を伴う式典に「皇太子ご夫妻が出席されるのではないか」との情報が飛び交っている。オランダといえば、06年8月、雅子さまはベアトリクス女王の招待を受けて、皇太子さま、愛子さまと共に皇室にとって前代未聞の「海外でのご静養」をされた場所である。
このとき、オランダに居を移していた雅子さまの両親、小和田恒・優美子夫妻やスイスにいた妹の渋谷節子さんとも再会された。森林をドライブするなど、リラックスした2週間を過ごされている。
東宮関係者が語る。
「雅子さまが海外を訪問された場合の発言が関係者の間で心配されている。02年12月、ニュージーランド・オーストラリアご訪問の際、雅子さまは『育ってきた過程、結婚前の生活でも外国に行くことが頻繁だったが、6年間外国訪問ができず、その状況になかなか対応できなかった』とホンネを洩らされた。皇太子さまも04年、欧州ご訪問の際、あの“人格否定発言”をされている。オランダ訪問を関係者が心配するのは、そういうことも背景にある」
皇太子ご夫妻の間には微妙なすきま風が吹いているとの東宮職関係者の声もあり、何が起こるかわからない状況になってきた。
(終わり)


…本当にどっからどう突っ込めばいいやら…。
東宮ご夫妻を悪い印象で書きたいがために、矛盾にも論理破綻にも気付かず違和感しかない記事を書く雑誌記者ら。
一体読者に何を感じてほしいのか?
上記テーミス記事は大雑把に言うと新潮と内容は似ていますが、下手するとそれ以上にメチャクチャな内容です。

まず、浩宮様時代から国事行為の臨時代行をしてきた皇太子殿下が「臨時代行の意味をわかってない」はずがありません!
(昭和帝がご病気の時、皇太子ご夫妻だった当時の両陛下は海外行きを優先してしまい、代わりに日本に残られた浩宮様が昭和帝の代行をなさったということです。つまり昭和の皇太子ご夫妻は、憲法に規定されている国事行為よりも、国事行為でないただの公的活動である海外行きを選んだということです)
その一方で秋篠宮様はこれまで一度も天皇の臨時代行はしたことがありません。
(今上陛下の心臓手術の時に秋篠宮様が行ったことはあくまでも「皇太子殿下の代理行為」であって、「天皇陛下の代行」ではありません。これを「陛下の代行」と勘違いしている人が少なくないようですが。)
浩宮様時代から昭和帝の国事行為代行をなさってきた皇太子殿下に「天皇になる資格がない」と言う前に、これまで一度も国事行為代行をしたことがない秋篠宮様に「皇嗣になる資格がない」という声をもっと上げるべきでしょう。

次に、雅子様に対し「〇〇の場に出てこない!」と言いながら、いざ表の場に出てくると「えり好みしていると言われるのでは」というイチャモン、一体雅子様はどうすればよいというのでしょうか。
皇太子殿下がインフルエンザで公務に出られない時は、雅子様がお一人できちんと対応しています。
また、国連やハーバードに関するお出ましを私的活動扱いにしているのは、皇太子殿下や雅子様が公私の区別をしっかり付けられている証左にほかなりません。何でもかんでも「公務」扱いにして際限なく国の予算(宮廷費)が使われることになることを避けていらっしゃるのです(私的活動の場合、私費である内廷費=毎年支給額が決まっているお手元金から費用をやり繰りすることになります)。
同様に、皇太子殿下の水の研究も私的活動としてけじめをつけられているため、皇太子殿下は毎年お一人で海外に行かれています。雅子様が同伴されないことにはきちんとした理由があります。
こういう点をまったく考慮せずに「夫婦同伴じゃない!」だの「何で私的扱いなのか?」だの、言いがかりもいい加減にしろ!と言いたいです。記事を書く前にちょっと調べれば済む話ではありませんか。

また、相手国の女王の招待があった静養について「前代未聞」という言い方は相手国にも失礼すぎます。相手国のオランダが、それだけ雅子様に同情していたということの証にほかなりません。
このオランダ静養についても、海外報道では「たとえプリンセスマサコがオランダでつかの間の息抜きをしたとしても、日本に帰ればまた元の(籠の鳥にされいじめられる)生活が待っている。こんなに短い静養では本当に良くなるとは思えない。大丈夫なのか」と同情するような内容のものがありました。
ちなみに、昭和の皇太子ご夫妻(現両陛下)が軽井沢の民間ホテルで一カ月以上ものんびり静養していました。それはそれは優雅な静養でありました。この昭和の東宮ご夫妻の優雅な長期静養についてはスルーするくせに、東宮ご夫妻の2週間程度の海外静養ばかりがやり玉に挙げられ叩かれるのはフェアではないですよね?
そもそも、元外交官として皇室外交を期待されていた雅子様を、なぜ6年も海外に行かせなかったのか、なぜ皇太子殿下が「人格否定発言」をせざるをえなかったのか、そういう根本的な肝心な疑問からは目をそらして「東宮ご夫妻に非がある」ありきの記事を書くこと自体がフェアではないのです。しかしこういう記事が、もう10年以上も垂れ流されてきたのです。

記事の〆である「東宮ご夫妻の間にすきま風」という唐突な一文に至ってはもはや整合性がないし、何が言いたいのか分かりません。皇太子殿下がインフルエンザで休養している時は雅子様がお一人できちんと対応されていたという「連携プレー」にまで触れていながら、何がすきま風なのか意味不明すぎて頭が痛くなります。

そもそも「皇室関係者」「宮内庁関係者」「東宮職関係者」とは誰なんですかね。
こういう記事を書くときは匿名でなくてきちんと実名を出しなさいよ!卑怯者!

次回以降は、新潮2013年6月20号の記事を、何度かにわたってご紹介したいと思います。
この新潮記事こそ、三者会談の怪しさ・危うさと、皇太子殿下のお立場をないがしろにする決定的な証拠になりうることが書かれています。この記事を探すにあたり、驚くような事実にも遭遇してしまいました(それも次回以降お知らせしたいと思います)。

陛下・皇太子殿下・秋篠宮 三者会談の目的は何か? 2~「皇太子殿下退位論」と三者会談の関係性

今回ご紹介する新潮記事は、読んでいてあまりにも腹立たしくて血圧が上がりそうになりました。
内容的に不快な事柄が多いですが、「皇太子殿下に対する異常なまでの不敬報道」と「秋篠宮様アゲ」、そして「今上陛下の生前退位に隠された真意」の証拠を残す意味でも避けて通れないものと言えます。

週刊新潮 2013年3月7日号

「皇太子退位論」の折も折 53歳「皇太子さま」が明かした
帝王教育の現場に「秋篠宮殿下」の同席


2月23日に53歳になられた皇太子さま。折しも、宗教学者の山折哲雄氏による論文「皇太子殿下、ご退位なさいませ」(『新潮45』3月号)が、反響を呼んでいる。現在、天皇陛下から「帝王教育」を受けられている殿下だが、そこには秋篠宮さまも同席されているというのだ。

山折氏は、『新潮45』誌上で、次のように述べている。
<皇太子さまと雅子さまは愛子さまとともに、いわば第二の人生を選ばれてもいい時期に際会しているのではないだろうか。
皇太子さまによる「退位宣言」である>

さらには、秋篠宮さまへの「譲位」にも言及しているのだ。雅子妃のみならず、時に皇太子さまのお振る舞いについても「公より私を優先なさっているのでは」といった批判は繰り返されてきたが、当の山折氏は、
「この論文は、象徴家族と近代家族との狭間で、非常につらい立場にいらっしゃる殿下に、より人間的な生き方もあるのですということをお伝え申し上げたかったのです」
そうした提言と軌を一にするかのように、先ごろ行われたお誕生日会見では、現在の皇室で着々と進んでいる思いがけない「事態」について、皇太子さま自ら明かされている。宮内庁担当記者が振り返る。
「お誕生日に先立ち、21日の17日から東宮御所で行われた会見では、事前に記者会からお渡ししていた5つの質問に皇太子さまがお答えになりました」
続いて、その場で受け付ける「関連質問」が3つ出され、皇太子さまはその都度“アドリブ”の形でご回答なさったのだが、
「その中に、現在の状況を端的に物語っている、きわめて示唆に富んだお言葉があったのです」(同)
というのだ。
「それは、陛下とのコミュニケーションについて尋ねられた時でした。殿下は『私と秋篠宮が折に触れ、陛下のご意見を伺い、また意見交換をするなど、大変有意義な一時をすごしています』と、陛下による事実上の“帝王教育”の実態に言及されたのです」(同)

図らずも、皇太子さま直々に明かされた「三者会談」の存在―。
さる皇室ジャーナリストが言う。
「現在は、お三方のご予定をすり合わせた上で、宮内庁の風岡典之長官も同席し、ほぼ月1回のペースで会合が開かれています
そもそもは、昨年6月に退官した羽毛田信吾長官の、いわば「置き土産」だったという。
「陛下はかねてより、秋篠宮さまに比べて皇太子さまとのコミュニケーションが少ない点を憂慮されていました。それでも、療養中の雅子さまを伴って両陛下にお会いになるのは容易ではなく、皇太子さま自身もまた、お一人で参内することがかえって妃殿下のストレスになるのでは、と案じておられました」
結果、御所とは“距離”が生じてしまった。が、一昨年の夏、
「折から陵墓の問題や女性宮家構想が浮上していたこともあり、陛下の強いご意向を受けた羽毛田さんが、深謀遠慮をめぐらして最初の会合をセッティングしたのが始まりでした。庁内の一部ではこうした経緯は知られていましたが、今回は、他ならぬ当事者である皇太子さま自ら公にされたことが、極めて異例だといえます」
とはいえ、巷は「山折論文」で持ち切り。弟宮の同席をお認めになった皇太子さま、さらには、陛下の思し召しや如何に…。

◆「ペア」が可能な秋篠宮さま

先の記者が続ける。
「会見で皇太子さまはさらに、こうした会合での話題について『象徴天皇のあり方について、陛下の思われていること、あるいは体験されてきたことなどをお話しくださっています』とも述べられました」
そこからは、次世代の皇室のありようを見据えた陛下の強いご意志が窺えるのだが、この場に秋篠宮さまが同席なさることには、さまざまな意味合いが含まれていると指摘するのは、ある宮内庁関係者である。
「秋篠宮殿下は、あくまで次々代の天皇である悠仁親王の『ご名代』という位置づけで同席なさっていますが、実はもうひとつ重要な側面があるのです」
それは取りも直さず、陛下の“後任”だというのだ。
陛下はこれまで、皇后陛下とともにご夫妻でご公務にあたる新たなスタイルを築き上げてきました。昨年の福島での除染作業のご視察など、どんなに厳しい日程でも、必ずお揃いで臨まれていたのです。こうした伝統を、妃殿下が同行できない現状では皇太子殿下に引き継ぐのはやはり難しい。また、海外の賓客の接遇などでも、カウンターパートとなる妃の同席が望まれ、ペアでご公務ができる秋篠宮殿下のお立場がますます重要になっているのです
一方、さながら“ブレーキ”と化している雅子妃のお過ごしようについては、
<結婚してから20年、雅子はこの間、苦労も多かったと思いますが、様々なことで私を助けてくれ、また母親としても愛子を支えてくれていることに心から感謝します>
皇太子さまはそのように言及され、10年にわたる療養生活を振り返りながら、
<体調の波がある中で公私にわたってできる限りの活動をしてきました。引き続き、長い目で温かく見守っていただければ>と呼びかけられたのだが、ここでもまた、刮目すべきやり取りがあった。
「会見の終了間際、ベテラン記者から雅子さまの治療について関連質問がなされたのです。『療養が10年目となった今、東宮職医師団以外の医師のセカンドオピニオンを用いるお考えはありませんか』という、核心を衝いたものでした」(前出記者)
これに対し皇太子さまは、
<東宮医師団の治療を深く多としておりますので、今のところ考えておりません>
落ち着き払って、こう口にされたのであった。


◆陛下のモットーとは相容れず

「適応障害」と診断された雅子妃の主治医は、大野裕医師。これまで一貫して具体的なご病状の説明を避けており、治療の成果が見られないとの批判は依然として渦巻いている。
「今回、殿下がはっきり仰ったことで大野先生はわが意を得たり、でしょうけれど、周囲は今後、提案が何もできなくなりますね」
そう話すのは、皇室評論家の渡辺みどり・文化学園大学客員教授である。
「何より雅子さまが『このままでいい』とお望みなのでしょうし、20年前に『一生お守りします』と宣言された殿下ですから、そのお考えを尊重されるわけです。ただ、将来雅子さまが皇后になられる時、依然快復されていなかったらどうなさるのか、という問題は生じてきます」
先の宮内庁関係者も、
「プライバシーの問題はあるにせよ、お体のどの部位がどんな状況下でお痛みになるのか、せめて身体症状をつまびらかにしてくれればよいのですが、大野先生は妃殿下のご説明だけに耳を傾け、ご病状を“秘匿”してしまい、一切の説明を拒んでしまったのです」
としながら、以下の懸念を示すのだ。
「最大の問題は、こうした姿勢が『あらゆる場面において国民をミスリードしない』という、陛下が最も大切になさっているモットーと、全く相容れない点なのです」
陛下ご自身が、そうしたご意思を明確に示されたケースがある。
03年1月に前立腺がんの全摘手術を執刀した、北村唯一・東大名誉教授が言う。
「陛下のがんは最初初期段階ではなく、少しステージが進んだ状態でした。当初、術後の会見で医師や侍従らは、進行度合いの公表を控えようとしていましたが、陛下は自ら『包み隠さず話してほしい』と仰って、会見の発表原稿に急きょ項目を増やされたのです」
国民に対しては嘘偽りなくすべてを明かすという、揺るぎないお考えの一端が如実に窺えたというのだ。
患者からの“お墨付き”を得た格好の大野医師は、
「そう言われましても、ご夫妻のお考えですから、私があれこれ申し上げることではありません」
と言うのみ。が、精神科医で京大非常勤講師の片田珠美氏は、こう疑問を呈す。
「一般の患者さんとは同列に論じられないにしても、『適応障害』であれば、ストレス因子が除去されれば6カ月以内に快復するはずで、療養が10年に及ぶというのは、この因子の見極めを誤っているか、或いはそもそも治療法自体が間違っているおそれがあります。セカンドオピニオンは、雅子さまのご快復に資するだけでなく、ご夫妻で病気と向き合っているというお姿が国民に伝わり、ひいては皇太子さまのためでもあると思うのですが…」
冒頭の山折氏は件の論文で、皇太子ご一家の「第二の人生」の場として「天皇家のまさに父祖の地であった」京都が相応しいと記している。
<その地に居を移すだけで、雅子さまのご病状もゆっくりと回復にむかうであろう。豊かな自然の環境に包まれ、自然な歩みのなかで快癒の実りを手にされるはずである>
現状のままでは、隘路は切り開けそうにない。
(終わり)


いかがですか?東宮家を応援している方々はもちろんのこと、皇室に関心があまりない方々でも、一読してこれほど不愉快になる記事はないとお思いになりませんか。

そもそも、次代天皇陛下になられる方=皇太子殿下に対して「退位しろ」と言い放つことのあまりの不敬ぶりを誰も咎めないという異常ぶり。山折氏の不敬記事が出た時点で、各界の有識者からもっともっと「山折論文」の異常性について指摘する意見が出てもよかったのに、当時の記憶ではそういうものはほとんど出てきませんでした。まるで「皇太子殿下はあそこまで言われても仕方ない」という考えの方がマジョリティであるかのような、不気味な沈黙・放置がなされていました。
今になって考えると、「皇太子ご夫妻を排除したい」と考える、やんごとなき方々への「忖度」だったのかとしか思えないのですが。

そもそもなぜ、「皇太子妃殿下のご病気」で「皇太子殿下」が退位をしなければならないのか。皇太子殿下ご自身にご病気などの問題があるならまだしも、全くそうではないのに「妻の皇太子妃の病気が治らないから夫である皇太子がその地位を退け!」とは、一体どういう根拠があるのか。
雅子様が公務をできない時でも、皇太子殿下はお一人で精力的に数多くの公務をなされていました(雅子様を理由に公務を休まれたことは一度たりともありません!)。
上記のように「妻の病気が夫の地位にも影響を及ぼす」というおかしな理屈がまかり通るのなら、もし仮にほかの妃や皇后が病気や障害で寝たきりになるなど動けなくなった場合には、天皇や親王もその時点で地位を捨てなければならないということになりませんか?あるいは妃の方が先に亡くなられる場合もありうるでしょう。
仮に、美智子様や紀子妃などがそうなった場合、天皇陛下や秋篠宮様にもその地位を捨てろと迫ることになりませんか?それとも上記のようなおかしな理屈は、東宮ご夫妻限定でしか当てはまらないとでも言いたいのでしょうか?こんなおかしな話はないでしょう。


改めて確認しますが、典範の皇位継承の不適格条項に、妻である妃の病気など含まれていません。

皇室典範
第三条 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。

皇嗣=皇位継承(確定)者ご自身の問題だけが規定されており、どこにも「妃の問題」など書かれておりません。

山折氏は一体、何の法律の何条を根拠にして「皇太子妃が病気だから皇太子はその地位を退け」と言っているのか、意味不明です。もしかしたら法の根拠もなくいい加減なことを言っているのかもしれませんし、法律を知らない国民ならコロッと騙されてしまうのかもしれませんが。日本は法治国家である以上、法の根拠もなく勝手にルールを変えることなどできるはずがありません。

何度も言いますが、皇太子殿下は私事を優先して公務を休まれたことなど一度もありません(むしろ公務は秋篠宮様よりも多いです)。上記新潮記事も触れていますが、アドリブで記者の質問に答えられる皇太子殿下の臨機応変さは一朝一夕でできるものではありません。一方秋篠宮様は事前に用意された質問しか答えないということは、過去の記事でも明らかになっています。

また、皇太子殿下が記者らに対して「温かく見守ってほしい」とおっしゃるそばから、「セカンドオピニオンしろ」という記者の恫喝も本当にあり得ないことです。雅子様の主治医である大野医師との信頼関係を壊そうという不気味さを感じ、結果的に雅子様の回復をますます遅らせることを目的にしているかのようです。一体誰の差し金なのか?
上記記事の最後の方に出てきている、精神科医を自称している片田珠美氏ですが、この人は「患者をろくに見ないで勝手に病名を付ける」医師として、マスコミに重宝(?)されているようですね。こんな自称精神科医の戯言など聞くに値しません。本当に精神科医なのか?と疑いたくなるほど、医師としての姿勢がお粗末すぎます。「セカンドオピニオンを自分に聞いてくれ」アピールと取られても仕方ないように見えます。

そして、陛下・皇太子殿下・秋篠宮様の三者会談ですが、陛下の強いご意向を受けて羽毛田氏がセッティングしたとのこと。この羽毛田氏は両陛下に媚びへつらい、宮内庁長官を辞した後も「参与」という地位を得て、両陛下のそばに残ることを許されています。
やはりこの三者会談は、今上陛下のご意向で始まったものであることが分かりました。

この三者会談にはなぜか秋篠宮様もちゃっかり参加しているようですが、その理由が実に噴飯もの。
「夫婦一緒に公務に出られる秋篠宮ご夫妻の存在は重要」とは、非常に馬鹿げた話ではないですか。
平成は皇后陛下(美智子様)を伴う公務が目立っておりそれがまるで「伝統」のように言いふらされていますが、「后同伴の公務」などは伝統でも何でもないのです(「伝統」という単語を安易に用いすぎる最近の傾向、何とかなりませんかね?)
上記新潮記事も(后同伴の公務は)「新たなスタイル」と言いつつ「伝統」と言うのは矛盾ではないのか?と問い詰めたい気分です。記事を書いている記者もおかしいと気付かないのでしょうか。
「美智子様のやり方こそが皇室の伝統になるべき」という威圧感を感じて仕方ありません。昭和の時代は皇后陛下が必ずしも常に公務に同伴する形をとっていなかったのですから。

そしてこの三者会談ですが、これを今更「帝王教育」と考えるのは無理があるでしょう。そもそも皇太子殿下はお小さい頃から故・浜尾侍従から十分に帝王学を受けています。そしてこの三者会談に参加している筈の秋篠宮様ご自身が、「自分は帝王学を受けたことがない」と言ったということも報じられていますし、秋篠宮様が自らこのようなことを言うまでもなく、秋篠宮様に対する帝王教育は「匙が投げられて断念せざるをえなかった」ほど、ご本人にその適性がなかったということは少なくない国民が知っていることです。

そして改めて不愉快に思うのは、両陛下も秋篠宮ご夫妻も宮内庁もマスコミも、雅子様のご病気に対する理解がまったくないことです。雅子様の療養が長引いているのはまさにそういう「理解のない」環境が一向に改善されず、雅子様をご病気にして追いつめている当人たちにその自覚が全くないからにほかなりません。
むしろ大野医師はそういう悪環境の中でよく治療に当たっていると思うのです。そのような努力している主治医を、「セカンドオピニオンを聞け!」という圧力で雅子様から引き離そうという動きは、本当に不気味の一言しかありません。

上記記事の「陛下のミスリード云々」の下りは滑稽としか言いようがないですね。今まで皇室のミスリードを積極的に行ってきたのがほかならぬ両陛下であるのに。
「東宮家に常に非がある」
「第三子=親王誕生に尽力してくれた秋篠宮夫妻は偉い」
「自分たちの考え・行動こそ常に正しい、自分たちのしてきたことこそ皇室の「伝統」であり「正義」だ」
というミスリードをなさってきたのはほかならぬ今上陛下と美智子様ではありませんか。

陛下が病気を包み隠さず話すように、と仰ったのは、単に国民に同情してほしかったからではないのか?ということを率直に感じました。
そもそも、天皇陛下と皇太子妃殿下のご病気公表を同列に論じることこそおかしいのではありませんか?「陛下だって包み隠さず公表したのなら皇太子妃も同様にやれ!」と言うのは、間違っていると思うのです。
逆に言えば、雅子様の存在を天皇並みに重いものとして捉えていると考えることもできますが。

結論として、山折氏の論文から、「とにかく皇太子ご一家を皇位継承の枠組みから排除したい」勢力がいることが確実になったと言えます。そしてこの勢力は今でも継続して「機会」を狙っているように思えてなりません。
京都に行かれたらいかがか、という山折氏の言葉も、単に東宮ご夫妻を遠ざけたいだけのように見えます。

ちなみに山折氏は、創価学会をべた褒めし公明党の存在に意義があると述べていた過去があります。
そんな人物に皇室についてとやかく言われたくないと思いませんか?

※山折氏の「皇太子殿下、ご退位なさいませ」論文は、今のところ拙ブログで全文をご紹介する予定はございませんので、興味のある方は『新潮45』3月号をご覧いただければと思います。

陛下・皇太子殿下・秋篠宮 三者会談の目的は何か? 1~2011年時点でそれは既に始まっていた

今年初め、下記のようなニュースがありました。

陛下と皇太子さま秋篠宮さま 意見交換
2018/01/15 14:07

http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00381947.html

皇太子さまと秋篠宮さまは15日午前、2019年4月末の退位が決まった天皇陛下との意見交換のため、皇居・御所を訪問された。
皇太子さまと秋篠宮さまは、15日午前11時前、皇居・半蔵門から、両陛下のお住まいの御所へ向かわれた。
陛下とお2人は、皇室の今後などについて、月に一度のペースで定期的に話し合いの場を持たれていて、2018年に入ってからは、初めてとなる。
陛下は、退位後、象徴として続けてきた全ての公務を新天皇に譲る意向を示されていて、皇太子さまや、皇嗣(こうし)となる秋篠宮さまの公務の分担などについて、意見を交わされたとみられる。
(ニュースここまで)

上記ニュースを見る限り、陛下・皇太子殿下・秋篠宮様は「月に一度のペースで話し合いをされている」ということです。

この「三者会談」がいつ頃から始まり、どういう目的で行われるようになったのか。会談の内容については全てが公開されているわけではありませんし、国民の大半がその内容の詳細を知らされることもないでしょう。
しかし、いくつかの雑誌が、この謎の「三者会談」について記事にしています。
まず、週刊ポストが2011年の時点で記事にしているのが確認できました。今回はその記事をご紹介したいと思います。

週刊ポスト 2011年3月18日号

特別寄稿 天皇、皇太子、秋篠宮が男だけで話し合われたこと

富岡幸一郎(文芸評論家)


昨年末、喜寿を迎えられた天皇陛下は今なお精力的に公務や宮中祭祀に励まれている。そのお姿に、2人の息子―皇太子と秋篠宮は何を想われているだろうか。皇太子のいわゆる「人格否定発言」や天皇陛下の「愛子と会う機会が少ない」というご指摘をきっかけに、父子のコミュニケーションが十分でないことが広く知られるまでに至った天皇家。しかし今、ふたたびの対話を始めているという―。

◆天皇陛下としてなさるべきこと

今年に入ってから天皇陛下と皇太子、そして秋篠宮の三人が集って話をする機会が増えているという。2月中旬に天皇が東大病院で検査入院をされ、冠動脈狭窄症との病名が伝えられたが、退院の翌日には国立国会図書館に行幸されるなど公務を休まれることはなく、宮中祭祀をことのほか大切にされるその姿勢にも変化はないご様子である。
昭和天皇の時代は、毎週水曜日に皇太子一家を招いて食事をしていたが、平成に入って秋篠宮、皇太子の順で結婚されてからは昭和時代のような毎週の夕食会はなくなったという。
とすれば、家族が一緒に会うのではなく、天皇と皇太子、秋篠宮という父と息子が会うというのは、特別の意味を持っていると言えるだろう。その男だけの会話の内容はもちろん分からないが、公務に関する事とともに、将来の皇室についての重大な決意を天皇が語られたとしても不思議ではない。
2月21日の誕生日記者会見における皇太子の次のような発言は、皇位継承という大きな責務を意識してのことはあきらかだ。

<五十代最初の年となった昨年のこの場において、私は天皇陛下のお言葉を引用しつつ、過去の天皇が歩んでこられた道と、そしてまた、天皇は日本国、そして国民統合の象徴であるとの日本国憲法の規定に思いをいたして、国民と苦楽をともにしながら、国民の幸せを願い、象徴とはどうあるべきか、その望ましいありかたを求め続けたいとお話しをいたしました。いまだ、道半ばであり、両陛下のなさりようを拝見しつつ、引き続き研鑽を積んで参りたいと思います>

天皇の公務については、かねてよりその多忙が指摘され、高齢でしかも病気も伝えられているのであれば、その見直しは当然であり、皇太子が代行をすることも考えられよう。現に皇太子自身も先の会見でこうも述べられている。

<皇太子として両陛下をお助けしなければならないと考えておりますが、両陛下のご公務のあり方については、宮内庁内部でも検討がなされているように、ご公務の内容を考慮することによって、両陛下に過度の負担がかからないようにとの配慮が重要であると思います。しかし同時に、このことは、天皇陛下として、なさるべきことを心から大切にお考えになっていらっしゃる陛下のお気持ちに沿って、進めるべきであると考えます>

皇太子は時代の変化と社会の要請に応えるかたちで「公務」に積極的に取り組むことの大切さを語っているが、「天皇陛下として、なさるべきこと」という言葉には、もうひとつ、より重要なものとして、歴代天皇が行ってきた「宮中祭祀」としての神事が含まれているものと思われる。
実は昭和天皇の時代、昭和40年代以降に新嘗祭(11月23日)などの祭祀が簡略化されていったが、昭和天皇自身は神事優先の伝統を重んじていたという。天皇は国と民が平安であるようにと祈る、そこにこそ皇室の意義と皇統の維持がある。昭和天皇のこの思いは、今上陛下に受け継がれ、天皇に即位された最初の新嘗祭としての大嘗祭のために、公務の合間を縫って6回の習礼(祭祀の所作についての練習)をされたという。
時代と共に伝統も変化していくものだろう。しかし、天皇として真摯に受け継がれなければならないものは何か。何を大切に考え行うべきなのか。皇室という家族のなかで、今、父と息子があらためて語り合う。「家長」という言葉は現代の世相からすれば遠い過去のものとなった感がある。それでも皇居に集い、女性や子供らの皇族は別にして男同士が語り合うなかに、この国の歴史と伝統の深い意義がよみがえる。

◆伝えるべき大切なものは何か

昭和天皇もまた天皇として、そして一人の家長として息子に語りかけた。昭和50年代のはじめ頃より、皇太子と浩宮は、昭和天皇の所へ月一回訪れて話を聞くようになったという。戦争と敗戦というこの国の未曽有の歴史を天皇として生きた先帝は、昭和史の最大の証言者であり、何よりもそれを父として息子たちに語らねばならないとの思いがあったのだろう。
保阪正康氏は『明仁天皇と裕仁天皇』のなかで、それは「口伝」であると言っている。

<昭和天皇は、自分が生きてきた時代はどんな時代だったかという話をし、あるいは臣下の者で信用できるのはどういう人間か、どういう人間が信用できないかというようなことも密かに語った節があった。いわばそれは口伝である。(中略)これは推測になるが、昭和天皇は、昭和の戦争の話になったときは、皇太子や浩宮との会話のなかでも涙を流したことがあったのではないだろうか>

師が弟子に奥義などを口づたえに授けることを口伝と言うが、天皇家においてはそれは父から子への帝王学の伝授でもある。そのとき皇太子にとって天皇は、まさに日本の歴史を貫く「天皇」という存在であり、同時に最も身近な肉親としての「父」でもある。

昭和61年、天皇皇后が昭和20年終戦の年に、日光に疎開していた皇太子に宛てた手紙を書き写したものが、元宮内官の手元に40年間にわたって保管されていたことがあきらかにされた。戦火が激しくなるなかで、宮内官は両陛下に託された手紙が届けるときに焼失する場合を考え、ひそかに書き写し保管していたのである。その手紙には、子としての皇太子にたいするこまやかな愛情が読み取れるが、終戦後の9月の手紙には「我が国人が、あまりに皇国を信じ過ぎて、英米をあなどったこと」「我が軍人は、精神に重きをおきすぎて、科学を忘れたこと」などと敗戦の原因を分析し、戦争の継続は「三種神器を守ることも出来ず、国民をも殺さなければならなくなったので、涙をのんで、国民の種をのこすべくつとめた」とも記されている。天皇制の存続も不安な時勢のなかで、若い皇太子の気持ちを慮りながら、天皇としての歴史の決断をわかりやすい文面に置き換えて伝えようとの意志がよくあらわれている。

◆父性的な権威が喪失した戦後日本

戦前の日本人は、「国民」というよりは「臣民」であった。天皇の赤子(せきし)とも呼ばれた。天皇の肉声を聴くことなどなかったが(終戦の詔勅をラジオで聴くまでは)、庶民の家には皇室の写真が飾ってあり身近であった。西洋の君主制では、通常、戦争を主導し敗北を招いた王は、その国民によって糾弾され責任をとらされるが、日本の天皇は戦後に左翼勢力などによって戦争責任を追及されることはあっても、国民の大多数は、なお国家の人格的体現者としての天皇への一体感があった。8月15日の玉音放送への国民の反応は、むしろ国の家父長としての天子様とともに敗戦の衝撃と悲哀を深くするものであった。
もちろん、戦後、天皇の地位は現人神の存在から、象徴として憲法によって規定され、民法の改正によって「家父長」制度も改められた。個人の自由と政治の民主主義が、新しい戦後体制の基本となった。近代化と産業化の社会がそれに加えて、旧い「家」のイメージを解体させていった。それは必然的に父性的な権威の喪失をもたらした。皇室もまたそうした日本社会の流れのなかで存続させてきたのは言うまでもない。
しかし、今日、しばしば問題とされるのは、家族やコミュニティの崩壊が進み、共同体の意識の溶解が、バラバラになった個人の精神的孤独を強くもたらしている現実である。親と子の断絶である。父から子へ、子から孫へといった世代の連続性が見えなくなり、身近な者とのコミュニケーションすらも途絶えつつある。特別な歴史的存在であるとは言え、天皇家も例外ではないはずである。そのようなときに、皇位の継承というこの国の根幹をなす事柄に関して、父と子の間でどのような会話がなされているのか、その中味を憶測するよりも、その対話のなかで皇室という日本文化の古くかつ新しい源泉が保持されていくことを願わずにはいられない。

◆変化するものと不変なもの

天皇の病状を誰よりも心配されておられるのが皇后であろう。今上天皇を支えてこられ、戦後の新しい皇室と国民との一体感をもたらされたのは美智子皇后である。
昭和54年、妃殿下であった皇后が詠まれたお歌がある。

新嘗のみ祭果てて還ります
君のみ衣夜気冷えびえし

ご成婚前に天皇は「皇太子という立場で、公務は一切の私事に優先する」と美智子様に語られたという。この歌は、宮中祭祀の大切さ、貴さを、皇太子妃として歌いつつ、夫としての「君」の「み衣」が夜気に冷く濡れているのを気づかう妻としての心の思いが表現されている。それは妻であり、また母である女性の豊かな情感であり、天皇と共に皇統の歴史を意味深きものとされる、この国の「母」としての責務と自覚である。
今上天皇は昭和天皇から、父親としての愛情を受け、そして昭和という激動の時代に皇位につかれた天皇として、国家の「父」としての歴史の証言を伝えられた。昭和天皇が敗戦直後の昭和21年に詠まれた、

ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ
松ぞををしき人もかくあれ

との歌は、国民への励ましと国家の再生を期した御製であったが、それはまさに次の世代へ、希望と期待と忍耐を継承せよとのメッセージであった。平成の皇室が、今国民に伝えようとしているものは何なのだろうか。皇室についてのTVなどの報道は、戦後の「開かれた皇室」ゆえもあって、時に芸能人のスキャンダルめいた興味本位のものになりがちである。しかし、天皇の公務の意味や宮中祭祀の大切さに、むしろこの国の民として思いをはせることの方が本質であり、さらに言えば喫緊の課題ではないか。

日本文化の国民的特色を、作家の三島由紀夫は「一つの形(フォルム)」であると言った。それは様々な芸術作品だけではなく、行動をも含む動的なダイナミックなものである、と。そして、その全ての日本文化の活動を包括的に映し出しているのが、まさに鏡としての天皇という存在なのだ。TPP問題などで、国内の農業のことがしきりに議論されているが、今上天皇が昭和天皇のあとをつがれて、自らお田植えをされ、この情報化と物質化の社会のなかで「稲」を守られていることを忘れるべきではない。ダイナミックな変化と発展のなかで、この国の文化の神髄としての不変性、一貫性が今日ほど問われているときはないだろう。だからこそ、皇室の行方から目を離せないのである。
(終わり)


富岡幸一郎氏が書いた上記記事は、会談の内容が公表されていないことを踏まえ、あくまでも「会談の内容は分からない」という姿勢をとりつつも「おそらくこのようなことを話し合われたのだろう」という推測に留めています。
2011年に入ってからこの「三者会談」が行われるようになったとのことですが、上記記事は秋篠宮様の存在にはほとんど触れず、今上陛下と皇太子殿下、そして昭和時代のことを中心に述べています。
そして、昭和帝が息子であり次の継承者であった今上陛下にお話しされたようなことを、今上陛下も皇太子殿下に同じようにお伝えしたいのだろうという予想をしています。
皇太子殿下は浩宮の時代から、昭和帝の薫陶を受けてきたことにもきちんと触れられていますね。このようなことからも、皇太子殿下は昭和帝から目をかけられ、話し合いの場に同席することを許されていたことが分かるのです。同時に、昭和帝はあくまでも「直系」の血筋を重んじ、弟君である常陸宮殿下や、浩宮様の弟である礼宮様の同席は許さなかったという“けじめ”を付けられていたということも窺えます。

一方、平成の会談はどうでしょうか。上記記事は秋篠宮様の存在にはほとんど触れられていませんが、今上陛下が会談の場に秋篠宮様を呼んでいることは事実であり、「直系の血筋」を重んじた昭和帝とは異なる姿勢を見せていらっしゃいます。
今上陛下がこのようなことをなさるから秋篠宮様が冗長するということは否めないでしょうし、「皇位継承権を持つ男性皇族」という基準で会談を開いているなら、常陸宮殿下をお呼びしてもいいのではないかと思ってしまうのです(2011年の時点では、三笠宮殿下も寛仁殿下も桂宮殿下もまだご存命でした)。

そして上記記事で気になったこと。「男だけでの話し合い」をメインに論じている割には、わざわざ美智子様の存在について触れている点。「男だけの重要な会談」を論じているなら、美智子様の下りは本来は不要だったはずです。
「家父長制」などについて触れている割には美智子様の存在だけを「特別視」していることに違和感を覚えました。出版界やテレビ業界には、どうしても美智子様を誉めそやす一文を入れなければならない決まりでもあるのでしょうか。

上記記事は「三者会談の序章」的位置づけの内容ですが、次回以降、三者会談の本当の目的について徐々にあぶり出す記事が続いていきます。
そしてこの会談こそ、現在問題になっている「生前退位」や「秋篠宮立皇嗣」へとつながっていることが分かります。

今後のブログ記事予定について

ここ最近、現政権とそのサポーター達のあまりの女性蔑視ぶりにうんざりし、どんなに秋篠宮様の人となりに問題があって皇嗣待遇にふさわしくないとここで述べたところで、現政権やその支持者は聞く耳を持たないだろうし(秋篠宮様が「男」であるならそれでいいのだ、彼の人格や人柄や素行などどうでもいいのだ、という思考停止を感じてしまうのです)、現政権の元では事態は良い方向には動かないのだろうか…と少し意気消沈しておりました。
数々のセクハラ・パワハラ事件を見ていても、加害者側の男性たちの人格や行いの酷さよりも、被害者側の女性たちに落ち度があると言いたげな主張が後を絶たないことにも失望しており、この国は予想以上に腐敗が進んでいたのだという事実を思い知りました。

拙ブログの今後の予定についてもどうすべきか色々考えましたが、「今上陛下の生前退位のドサクサ紛れでいつの間にか決まってしまった秋篠宮様の皇嗣待遇への疑問」という原点に立ち返り、「皇太子殿下や敬宮愛子様を差し置いて、秋篠宮様や悠仁様に皇統を移そうという謀反計画は既に数年前から始まっていたことだった」という問題を改めて取り上げることが必要だということを感じました。

皇太子殿下に退位や譲位を促す不敬な主張の跋扈、秋篠宮様を天皇にしたがっている勢力の存在、その先の悠仁様への皇位継承を確定させたがっている企み、平成皇室が陥っている危機など、数年前からの不敬で不穏な空気を雑誌記事は捉えていました。

まず手始めに、今上陛下・皇太子殿下・秋篠宮様が数年前から行われているとされる「三者会談」について書かれた記事をいくつかご紹介し、その会談の真の目的は何か、一体何が話し合われているのか等を改めて検証したいと考えております。
この三者会談こそが「曲者」だったと思わざるをえないからです。
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