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保阪論文「秋篠宮が天皇になる日」をバッサリ切り捨ててくれた田中卓先生

今月24日、尊皇派で女帝・女系天皇支持者であった田中卓先生が亡くなられたと報じられました。

田中卓氏死去(皇学館大名誉教授、同大元学長・日本古代史)
(2018/11/25-11:56)

田中 卓氏(たなか・たかし=皇学館大名誉教授、同大元学長・日本古代史)24日午前2時10分、慢性腎不全のため三重県伊勢市の自宅で死去、94歳。大阪市出身。葬儀は28日午後1時から伊勢市岡本1の17の9の祖霊社で。喪主は妻華子(はなこ)さん。
皇室関係にも詳しく、皇位継承問題については、皇室典範を改正し、皇太子ご夫妻の長女愛子さまの即位に道を開く必要があると主張。昨年3月には、時事通信社の取材に「皇統は直系で継ぐべきだ」と話していた。
(ニュースここまで)

ご高齢に加えて数年前からあまり体調が思わしくなかったようであり心配しておりましたが、次代天皇陛下の即位を見届けること叶わず逝去されたことが本当に残念でなりません。改めてお悔やみ申し上げます。

東宮応援派の我々にもよく知られていた田中先生ですが、例の保阪氏の「秋篠宮が天皇になる日」について、手厳しい批判文を書かれていたこともありました。今回は田中先生への哀悼の意を込めて、その文章を重要箇所の抜粋という形でご紹介したいと思います。

愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか 女性皇太子の誕生より

第四章 皇位継承の危機

>平成21年正月10日の新聞朝刊を見て、私はわが眼を疑った。
『文藝春秋』2月特別号の大広告に、「秋篠宮が天皇になる日」とあるではないか。
近頃は、皇室記事を売り物にして販売部数の増加を図る週刊誌・月刊誌が少なくないから、大抵の広告の見出しには驚かなくなっている私も、これには肝を冷やした。『文藝春秋』は並のオピニオン雑誌としては違って、伝統と権威をもつ文芸・評論誌の王者である。それが「秋篠宮が天皇になる日」と題する論文名を右端巻頭に掲げ、「異例の誕生日会見中止。天皇の体調悪化と怒りの真相は?/家族の悲劇と浮上する皇位継承ナンバー2―」という副題を、二行に割って大々的な広告を打っているのであるから、必ずや皇室内に何らかの大変化が起こり、それをスクープしたのではないか、と憂慮したのは当然であろう。

実はこの執筆者の名前を見直して、“待てよ、慌てることはない”と、やや落ち着きを取りもどした。「保阪正康」とあったからだ。
なぜなら、この人物は、最近では論壇の雄の一人として、マスメディアにもてはやされ、現に『文藝春秋』でも「ノンフィクション作家」の肩書きで読者勧誘の花形として持ち上げられている。しかし私は、もともとこの「ノンフィクション作家」を信用していないのである。
ノンフィクションという英語の日本人の使い方を確かめるため、手近な辞書を引いてみると、「虚構を用いずに事実をもとにして書いた文芸作品、たとえば伝記、紀行、史実などの記録文学」ということだが、この人物の書いた文章の「虚構を用いた作品」にあきれた経験があるからだ。

>かつて半藤一利氏に、『日本のいちばん長い日』という書名の作品があり、これは過去の終戦の日をめぐる24時間を書いたものだから、書名の意味はよく判る。
しかし、「秋篠宮が天皇になる日」というのは何のことか。意味不明で言葉の足りない表現である。例えば「秋篠宮が天皇になる日」『は来ないであろう』とか、逆に『近づいている』とかいうのであれば、日本語として意味が通るが、「天皇になる日」だけで打ち切っては皆目意味が判らない。
この“意味の判らない”というのが曲者で、かえって引きつける所以であることは、文筆関係者などには見え見えであるが、いやしくも皇室記事に関しては、このような手練手管は使うべきではない。むしろ雑誌・筆者の品格を疑わしめるであろう。
元来、「なる」という言葉は“ものが新たに現れる”とか“前の状態から別の状態に移る”という場合に使う自動詞だが、今の場合は、新たに現れる以前の状態として、現在、第一に今上天皇陛下が、御高齢とは申せ御在位されているのである。そのような現状の中で、「秋篠宮が天皇になる日」といえば、今上天皇陛下の御退位を仮想し、さらには皇太子徳仁親王殿下の御存在をも慮外においた書法ではないか。皇太子殿下が、何時の日か、今上天皇陛下の次に即位されることは、現行の『皇室典範』(第2条)によって明確である。それにもかかわらず、「皇位継承の順序を変える」というのであれば、「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるとき」(第3条)に限られている。そしてその何れも、現在の皇太子殿下には、当てはまらない。
つまり、現実とはかけ離れて、皇太子殿下の御存在を無視するか、不慮の事故でも予想しなければ、「秋篠宮が天皇になる日」などという無礼―古風にいえば不敬―な発想は、出てこないはずの文言である。仮に百歩を譲って、皇太子殿下も人間でいらっしゃるから、突発的な「重患」や「事故」に見舞われることがあるかも知れず、ないとは断言できないから、その場合のことを案じて、仮に「秋篠宮が天皇になる日」を予想したのだと弁解するとしても、そのような予想ならば、皇太子殿下に対してだけでなく、秋篠宮文仁親王殿下、悠仁殿下についてもいえることではないか。

>「とある宮内庁関係者」の「いま秋篠宮は両陛下と最も近く意見を交わす存在」という無責任な発言を利用するが、それぞれの御立場からいって、公的な皇太子殿下よりも、御次男で自由な秋篠宮殿下が気楽に振る舞われても、それは当たり前のことである。

「『公務軽減』をめぐって」では、(中略)「皇嗣」に当たられる皇太子殿下が、父天皇の御体調について、十分な配慮をして記者に語られるのは当然ではないか。

「存在感」などという言葉は、基準を異にすれば、まったく個人的判断で客観性はない。(中略)他方、こと皇室情報に関しては、少なくとも保阪氏よりは詳しいと思われる斎藤吉久氏が、自らのメールマガジン「誤解だらけの天皇・皇室」の中で、「皇室祭祀の伝統」に関してではあるが、「高まる皇太子の存在感」を主張している(平成21年正月13日発行)。

>公平に見て、メディアの中に、雅子妃殿下のキャリアや人格を否定するようなスキャンダルまがいの記事があったことは事実で、それに対して皇太子殿下が問題提起をされたことは、むしろ勇気ある発言である。

>また、もし皇太子殿下が事前にその発言内容を天皇陛下に御相談しておられれば、保阪氏は、おそらく「優等生的な回答」で「具体的なことは何も言っていない」「無機質な感」を与えるだけだ、と酷評するにちがいない。いや、それだけではない。その発言内容から派生する責任は、陛下にも波及する恐れがある。皇太子殿下が、御体調の悪い妃殿下を案じ、御自分の責任と判断で発言されたのは、不惑を越えた夫として、当然のことではないか。

皇嗣とは申せ、夫婦間のプライベートな問題で、いつまでも親に寄りかかり、責任を分かち合うのは潔しとしないであろう。記者会見は皇室の公務でも義務でもない。皇室と民間との精神的交流の場にすぎない。むしろ問題があるとすれば、その御発言に対して、その場で、メディアには“妃殿下の人格否定”につながるようなスキャンダル記事を流す不埒な者はおりません、と断言し、反論するだけの自信と気骨のある記者が一人でもいたのかどうか、という点である。私はそれを、保阪氏に尋ねてみたい。

実名を挙げず、「皇室関係者」「宮内庁関係者」「宮内庁担当記者」を持ち出すなら、何とでもいえる。そのような発言をいくら乱発されても、私ども歴史家は、誰も信用しない。いやしくも“ノンフィクション”を名乗る評論家ならば、自分の足で公平に現状を調べあげ、責任を明確にした実証的な記事を提供してもらいたい。

>もともと皇太子御一家は、同年8月10日から22日まで那須御用邸の附属邸に御滞在される予定で、皇太子殿下だけは先に那須を出発して8月17日に東京の東宮御所にお帰りになっている。一週間足らずの御静養の間に、妃殿下とテニスをされ、愛子内親王様と花火を楽しまれたとしても、何が悪いのだ。

>問題は、その間にある「8月15日」に、戦没者の冥福を祈り、平和を守る意味の“黙禱”をされたかどうか、ということだが、それを“されなかった”という確証があるのか。“8月15日”といっても、ふつうは、一日中“黙禱”をし続けているわけではない。当日の正午、日本武道館で天皇陛下がささげられる“黙禱”に合わせて行うのであるから、その他の時間帯に、テニスや花火見学をされたとしても、少しも差し支えないはずだ。

先ず保阪氏のなすべきことは、当日の皇太子御一家の時系列を追った御行動を、自分で詳細に調査することだ。そのことなしに、このような対比の文章を故意に掲げるのは、非常識というものだ。

皇太子殿下は優れた歴史学者であられるから、戦争の評価は後世の歴史家に委ねてよい、ということで、この場では、昭和天皇の御苦労を偲ぶお気持ちを述べるだけで終わられたのであろう。

保阪氏は、皇太子殿下が学習院大学から同大学院に進学して、史学、特に中世の交通・流通史を専攻され、さらにオックスフォード大学のマートン・カレッジに留学して、テムズ川の水運について研究され、水運に関する皇族学者として世界に著名なことを知らないらしい。

※八木秀次氏の発言:「タイトルを見て、皇太子さまの廃嫡や皇位継承順位の変更、または秋篠宮さまが次期天皇に向けて強い決意をなさっているとの逸話などが書かれているのかと期待したのに、中身は“皇太子よりも秋篠宮のほうがいい”という議論ばかり。先日、文春の役員とも話をしたのですが、彼も渋い顔で“羊頭狗肉だ”と評していました」 (週刊新潮 2009年1月29日号より)

(上記八木氏の発言についても鋭い指摘)
この八木氏の発言を引き出したのは、さすがに『週刊新潮』の腕前といってよい。
>ここで私は同誌の編集者が八木秀次氏の発言を引き出したことを“さすがに”と評価しておいたが、これには深い意味がある。
八木氏は、もともと皇太子妃雅子殿下に対して、病身を理由に宮中祭祀に不熱心であるとか、現『皇室典範』にいう「男系の男子」生誕の可能性が乏しいので、将来の皇位継承を考えると皇后の資格を欠く等という理由で、批判的な言辞を弄していたが、秋篠宮妃殿下の御懐妊が報ぜられると、逸早く次のような談話を発表した(朝日新聞『アエラ』平成18年2月20日号)。

「最近、尊皇心の強い人に出会うと、皇太子ご一家3人がそろって皇籍を離脱したらいいという意見を聞く。彼らの言い分では、この際、東宮そのものをなくして、皇位継承の中心的存在を秋篠宮家にした上で、旧宮家の皇籍を復活させ、縁談を進めればいい、という考えだ。今回のご懐妊でも秋篠宮殿下の強い責任感を感じる。
このような考えを皇室に抱くことは本来、望ましいことではないと思う。しかし、いまの東宮はそんなことも考えたくなるほどの状態であるのも確かだ。
やはり、雅子さまを皇位継承とは無関係の立場にしたらいい。他の宮家が皇位継承を担い、雅子さまにはご自身のキャリアを生かした活動を存分にしてもらう。」


文中では「尊皇心の強い人」とか「彼ら」の「意見」とあるが、それが八木氏自身の、あるいは彼を含む一派の考え方であることは明らかだ。
この当時の批判は、東宮でも雅子妃殿下に標的がしぼられていたが、その後、「男子」の悠仁親王殿下が御生誕になると、発言はますます過激となり、皇太子殿下の廃嫡を意味するような論調にまで展開する(『正論』平成20年4月号等)。そこへ、平成21年1月の『文藝春秋』の保阪論文の大広告が出たものだから、彼は有頂天になって(中略)「タイトルを見て、皇太子さまの廃嫡や皇位継承順位の変更、…などが書かれているのかと期待したのに…」という言葉を思わず口走ることになったのであろう。さらには、“期待はずれ”の憂さ晴らしのため、「文春の役員」の放言“羊頭狗肉”の内輪話まで誌上で暴露してしまった。『文藝春秋』の失態と困惑は言うまでもないが、この一件は、かえって言論人としての八木氏の信用を失う自縄自縛になること疑いあるまい。

※保阪氏のコメント:「今回の記事の趣旨は簡単で、決して秋篠宮に天皇を譲るべきだとか、そうしたことを主張するものではありません。ちょうど「大正天皇の次男で、昭和天皇の弟にあたる」秩父宮の伝記を書いているところだったので、文春のデスクに“皇太子の弟”論をやりたいと持ちかけましてね。それって面白いんじゃないのということで、記事にすることになった。だから、あくまで“次男の物語”を書いたつもりなんですよ」
「前々から予定していた原稿ですので、(年末に公にされた)天皇のご病気とは関係がありませんし、何か宮内庁で具体的な動きがあるから、というものではないのです。メディアや一般読者の方からも問い合わせがあって、“どんな背景があって書いたのか。これは皇太子への批判なのか”と聞かれましたけれど、まさかそのようなことを申し上げる立場ではない。私の“次男論”に編集部が追加取材をしたまで。渡辺さんにも編集部が取材してくれました。あのタイトルもつけてもらったものなんです」(週刊新潮 2009年1月29日号より)


(上記保阪氏のコメントについても辛辣な意見)
>あれだけの皇太子殿下批判の刺激的な長論文を書きながら、何ともアッケラカンとした返事だ。要するに彼は、原稿売りこみが得意で、皇家の“次男の物語”で世間を騒がせた、罪深い人物にすぎない。皇室問題を憂い、国家の大事を真剣に論ずるような品格とは縁遠い作家というべきだろう。


(田中先生の悲痛な意見)
>この西尾・保阪論に対して、旧皇族を自称する竹田恒泰氏は別として、現在の論壇はほとんど黙して語らずで、資料を挙げての本格的な反論もなく、事勿れの姿勢に終始しているように思われる。
この姿は、情けないというより、むしろ恐ろしい事態ではあるまいか。半ば病床にある私が、微力を傾けて拙文を綴るのは、この現状を見るに見かねてのことである。
>今は、嘘も百回繰り返せば事実と思われる情報氾濫の世の中だ。主要な論壇が、西尾・保阪・八木氏等の論調によって支配され、皇室に対する一方的な批判を大声で唱えても戒める者もなく、誤った歴史観と皇室を売りものにするメジャーが一世を風靡すれば、皇統の護持、必ずしも安泰とはいい得ない。まさに変―革命―の至るや知るべからず、である。


(抜粋以上)

もはや私からの補足など必要ないでしょう。このように古代史・尊皇派の権威である田中先生から、保阪氏や八木氏(や西尾氏)に対して手厳しいまっとうな批判がなされたことは重要であったと思います。
田中先生の指摘で特に重要なのは、最後の悲痛な叫びの部分です。
八木・保阪・西尾などに代表されるおかしな言論人たちが皇太子ご夫妻を口汚く罵っても、それをきちんと戒めたり反論したりする人物が誰も出てこない現状に対する嘆き、違和感、恐怖。田中先生のみならず、まともな国民は、十数年にわたる理不尽な東宮ご一家バッシングがずっと放置され、反論も諫めもされない状況に恐ろしさを感じてきました。今ではその背景が見えてきましたが、当初は私もこの状況を非常に不気味に感じたものです。
田中先生はその現状を看過できず、体調がすぐれない中、筆をとってこうして一冊の御本を出してくださったのです。


『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか 女性皇太子の誕生より』は、本当に一人でも多くの人々に是非読んでほしい本の一つです。田中先生の鋭い指摘が冴えていてとても読みやすい一冊となっています。今回は部分的な抜粋に留めましたが、是非一冊全文をお読みいただきたいです。

東宮ご一家バッシングが起きてもう十数年経過しますが、この間、バッシングに関与してきた人々が次々に鬼籍に入りました。
三宅久之氏、津川雅彦氏、武藤まき子氏、金澤一郎医務主管、橋本明氏、松崎敏弥氏、佐々淳行氏、そして勝谷誠彦氏。男系男子派の渡部昇一氏も。
既にこの世にいない彼らには今更何か言うつもりはありません。
一方、尊皇派の立場から東宮ご一家を積極的に守ってくれた田中先生のような方も天に召されたことは非常に悲しいです。

明日は当ブログの主人公様のお誕生日ですが、どうせ当たり障りのない内容に終始するつまらない会見になりそうですね。

保阪氏「秋篠宮が天皇になる日」の仕掛け人?強いて言えば…あの方々?

前回は保阪氏の無駄に長い「秋天」論文を抜粋する形でご紹介させていただきましたが、この論文を巡って新潮が関連記事を出しています。今回はその記事をご紹介したいと思います。皇太子ご夫妻を取り巻く環境の酷さに改めて気付かされます。

週刊新潮 2009年1月29日号

[特集]皇太子を追い詰める「秋篠宮天皇」記事の「仕掛け人」


昨年来の宮内庁高官による相次ぐ「苦言」で、天皇陛下との“深い溝”が取沙汰される皇太子殿下を、新年早々、さらに追い詰める記事が出た。それはナンと「秋篠宮天皇」をタイトルに冠したものだったが、囁かれるのは背後にいるという「仕掛け人」の存在…。

1月2日に行われた新年恒例の一般参賀。昨年来、体調を崩されている陛下のご負担を考慮し、今年は皇族のお出ましが例年の7回から5回に減ったが、雅子妃は6年ぶりに、そのすべてに参加。7万6000人の参賀者に明るい笑顔で手を振られた。
続く7日には、皇居での「昭和天皇二十年式年祭の儀・皇霊殿の儀」に皇太子ご夫妻で揃って参加、拝礼され、雅子妃は5年4カ月ぶりの宮中祭祀を無事、お務めになっている。
「体を清めた後、古装束をお召しになり、髪をおすべらかしに結っての、寒い場所での長時間にわたる儀式。大任を立派に果たされたと思います」(宮内庁記者)

かくて東宮関係者がホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、問題のその記事は世に出たのである。
月刊『文藝春秋』2月特別号(1月10日発売)、総力取材と銘打った全17ページの目玉特集は、題して、
<秋篠宮が天皇になる日>
実に“刺激的”なのだ。
なぜなら、皇位継承権2位の秋篠宮が即位するのは、今上天皇のご在位を経て、次代を継ぐ皇太子もお亡くなりになった時の、遥か先の話。このタイトルが、そうした2代にわたる天皇の「崩御を織り込んだ」挙に出たものでないとするならば、次のようにしか読めないからである。
「解釈できる意味は“次は皇太子さまではなく、秋篠宮さまが天皇になる”。それが普通の人の読み方だと思います」(皇位継承問題に関する著作の多い八木秀次・高崎経済大学教授)


さて、ノンフィクション作家、保阪正康氏の筆になるその論の内容はといえば、ざっと以下の通りだ。
昨年2月、羽毛田信吾・宮内庁長官は、皇太子一家が天皇・皇后のもとへ参内する回数が増えていない、と記者会見で苦言を呈したが、背後に天皇の強い不満があることは明らかである。
秋篠宮は11月の誕生日会見で、羽毛田長官のその発言に触れ、
「(皇太子が)自分の発言したことを大切にしてほしいということ、それが一番の趣旨だったと私は理解しております」
と述べられた。そこには、天皇の意思が強く反映されているとの宮内庁関係者の指摘があるように、皇室内での秋篠宮の存在は大きくなっている。
かねて問題となっている天皇の公務軽減についても、秋篠宮は平成18年の誕生日会見でいち早く言及したが、皇太子は昨年2月の誕生日会見でようやく、
「周囲が考える必要があると思います」
と語ったのみ。いかにも優等生的な発言だが、具体的なことは何も言っていない。参内問題などについて「プライベートだからコメントしない」で押し通す姿勢も疑問で、そこからは何の展望もうかがえない。
戦争をテーマにした近年の秋篠宮の活動にも、天皇・皇后の志を継承しようとする姿勢が見て取れる一方、皇太子の言からは、明治より平成にいたる時間の流れに自らも連なるという感覚が伝わってこない。
渡辺允・前侍従長(現・侍従職御用掛)が言うように「秋篠宮殿下は大きく成長」し、「思慮深く」「視野が広く」なった。両陛下と皇太子夫妻の間に深刻なコミュニケーション不全がある中、その役割はますます重要なものになっている。
だが、これを読んで、前出の八木教授は肩透かしを食わされた思いになったというのである。

◆両陛下側近らの焦り

「タイトルを見て、皇太子さまの廃嫡や皇位継承順位の変更、または秋篠宮さまが次期天皇に向けて強い決意をなさっているとの逸話などが書かれているのかと期待したのに、中身は“皇太子よりも秋篠宮のほうがいい”という議論ばかり。先日、文春の役員とも話をしたのですが、彼も渋い顔で“羊頭狗肉だ”と評していました」(八木教授)
確かに、秋篠宮が天皇になる日、と謳ったタイトルと記事内容が、大きく乖離している感は否めないのだ。

しかし、どうして今、このような「秋篠宮のほうがいい」といった「皇太子批判」の論文が登場するにいたったのか。
背景には、両陛下の側近らが抱く、強い焦りがあるという。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が解説する。
「癌を患われた天皇陛下は昨年、体調不良を訴えられました。皇后陛下もご心労から一昨年、腸壁から出血し、短期の静養をとられています。さらに皇太子殿下も腸にポリープが見つかるなど健康に不安が残り、悠仁さまのご誕生で皇室典範の改正議論が下火になったせいもあて、皇室の将来が見通せる状態にありません。両陛下は、次の世代の皇室がどうなるのか、皇統の問題に心を砕いておられる。ご心痛は強まるばかりだと思われるのです」
そうした両陛下の「心の痛み」を日ごろ、傍で感じ取っている側近たち。
「彼らこそ記事の仕掛け人だと言われています」
と指摘するのは、さる宮内庁関係者だ。

現実に、両陛下に仕える宮内庁高官から、昨年、陛下の胸中を代弁する言葉が相次いで飛び出した。それらはいずれも、今回の記事と符合するような、皇太子に向けられた苦言と受け止められている。まずは昨年12月9日、金澤一郎・皇室医務主管が、不整脈の落ち着いた天皇陛下の胃や十二指腸に炎症が見つかったことを発表した際、こう語って記者団を驚かせた。
「おそらく私の立場で初めて口にするのだと思いますが、陛下はご心労、ご心痛をじっと耐えていらっしゃるというのが私の印象です。陛下のご公務が忙しいから、日程が詰まっているからという理由でこんなことになるんだとは、単純に考えないで欲しい」
さらに、その2日後、今度は羽毛田長官が、
「天皇陛下はここ何年か、常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめ、皇室にかかわるもろもろの問題をご憂慮なさっているご様子です」
と述べ、千代田(皇居)と赤坂(東宮)との間の深い溝が露呈した、いや、両者の戦争勃発だ、などと書き立てられたのである。
「天皇のこうしたご憂慮は、他の幹部らにも広く共有されています」
とは、宮内庁記者。
「例えば、雅子妃のご病気の治療に東宮侍医でも東宮職御用掛でもない大野裕・慶応大学教授があたっているという問題があります。そのせいで皇室医務主管が雅子妃の健康管理にタッチできず、ひいては皇太子の定期検診にも関与できないという事態をも招いてしまった。羽毛田長官は会見で、両陛下がそのことを非常に心配している旨、明らかにしましたが、文藝春秋の記事にコメントを寄せている渡辺前侍従長もまた、その点に強い憂慮の念を抱いている1人なのです」

◆厳しい意見は「当然」

宮内庁関係者が話を引き取って、こう続ける。
「天皇陛下のお心の内を代弁する金澤さんや渡辺さんのシンパは、宮内庁詰めのベテラン記者の中にもいます。その方は、誕生日の会見で東宮さまが雅子さまや愛子さまのことばかり語られることに“これで次の天皇として大丈夫だろうか”とハッキリ疑問を投げかけるなどしています」
宮内庁の最高幹部から、果てはベテラン記者までもが「皇太子批判派」であるという現実。
それを考えるならば、両陛下の側近たちが「秋篠宮天皇」記事の仕掛け人としてその背後に控え、皇太子を追い詰める役割を演じたとしても決して不思議ではない。

ところで、当の文藝春秋の記事は、昨年9月頃から取材がスタートしたという。
執筆者の保阪正康氏はこう語る。
「今回の記事の趣旨は簡単で、決して秋篠宮に天皇を譲るべきだとか、そうしたことを主張するものではありません。ちょうど「大正天皇の次男で、昭和天皇の弟にあたる」秩父宮の伝記を書いているところだったので、文春のデスクに“皇太子の弟”論をやりたいと持ちかけましてね。それって面白いんじゃないのということで、記事にすることになった。だから、あくまで“次男の物語”を書いたつもりなんですよ」
さらには、
「前々から予定していた原稿ですので、(年末に公にされた)天皇のご病気とは関係がありませんし、何か宮内庁で具体的な動きがあるから、というものではないのです。メディアや一般読者の方からも問い合わせがあって、“どんな背景があって書いたのか。これは皇太子への批判なのか”と聞かれましたけれど、まさかそのようなことを申し上げる立場ではない。私の“次男論”に編集部が追加取材をしたまで。渡辺さんにも編集部が取材してくれました。あのタイトルもつけてもらったものなんです」
保阪氏は、とりたてて背景めいたものなどない、と説明するのだ。
そこで、皇太子に批判的だという、記事の仕掛け人と名指しされている人たちに質してみた。
すると、皇室の医務に携わる、さる幹部は、
「誌面で僕は一切コメントしていないでしょう。全然関係などありませんよ」
と、記事との関りを否定しながらも、皇太子に対する厳しい意見がその中で展開されていることについては、
「当然のことでしょう」
と言い切った。

また、別の宮内庁幹部の反応は、
「私が何かアドバイスしたとか、そんな事実はないですよ。ただ、タイトルを見て“おっ”とは思いました。あれは読者にしてみると、刺激的かも知れない。けれど、秋篠宮さまが天皇になるというのは、皇位継承順位から言ってあり得ること。ある意味、間違っているわけじゃないですからね」

いずれもご覧の通り、記事のタイトルや内容については、肯定的な立場であることを隠さないのだった。

◆「王冠を捨てた恋」

年明け早々、月刊誌を飾った、皇太子との比較における「秋篠宮礼賛」原稿。そして、両陛下の側近たちさえもがそれを支持し、皇太子への批判を是認するという現状。
これはは果たして、今の東宮家に、どのように映っているのだろうか。
「千代田が赤坂に対して向けられる厳しい言葉に、とりわけ雅子さまは敏感です。それらがすべて自分に向けられたものだとお考えになる。でも、反論はできない立場だ、とも思い悩んでしまわれるのです。かつて、皇太子さまの“雅子の人格を否定する動きがあった”との発言が物議を醸したことがあり、あれ以来、雅子さまは、皇太子さまの“積極的な発言”をお望みではないようなのです。皇太子さまは常に雅子さまを尊重なさる方ですから、ご夫妻ともに、あえて“貝になる”道を選択なさるのではないでしょうか」(東宮関係者)
皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏も、まったくこれと同意見だ。
「皇太子さまは、これまで宮内庁幹部の会見で自らへの厳しい意見が述べられてきたにもかかわらず、何も反応を示されてこなかった。今回も“ここまで容赦ない視線を向けられているのか”との危機感は抱かれるでしょうが、あくまで沈黙を保たれるのではないかと思います
しかし、と続けて、
「その結果、東宮の孤立化がさらに進み、皇居との断絶が決定的になってしまう可能性も十分にあります。そのことをまさに、両陛下は最も危惧なさっているのです」
もちろん、皇太子がどのような姿勢をとられようとも、皇位継承権1位の御身であり、「今上天皇から帝王教育を受けている、ただ一人の方」(高橋紘・静岡福祉大学教授)であることに変わりはない。
だから、「次の天皇は皇太子でなく秋篠宮」などという事態は起こりようがないわけだ
が、
「孤立感を深めた皇太子さまが“雅子のために”と皇籍からの離脱を望まれたらどうするのか。皇室典範では皇太子は皇籍離脱できないため、典範の改正が必要です。が、もし離脱などという話になれば、それこそ民間の女性と結ばれるために王位を捨てたエリザベス女王の伯父、故エドワード8世の“王冠を捨てた恋”と同じことになってしまいます」(前出・松崎氏)
追い詰められているのは、皇太子ばかりではない。
「秋篠宮さまが次の天皇になるなどという議論は、かえって秋篠宮さまにプレッシャーにならないかと危惧しています」(皇室レポーターの高清水有子さん)
そして…、
「秋篠宮殿下の性格からして“兄に申し訳ない”ともお感じになるはず。ご兄弟の対比と、それが招く状況がまた、天皇のさらなるご心痛の種となってしまう」(元宮内庁職員で『皇室手帖』編集長の山下晋司氏)
皇室の懊悩。それは、かくも深いという以外ない。
(終わり)


上記記事に関しては色々な登場人物が出てきますが、基本的に両陛下や秋篠宮家と懇意にしているメンバーばかりであり(高橋紘氏ですら過去に東宮ご夫妻について若干厳しいことを言っていたことがあります)、東宮ご夫妻に味方する人が一人も出てこないことに不自然さを感じざるを得ません。さすがに「皇太子ご夫妻に味方する人や同情する人は皆無だから」という言い訳は通用しないでしょう。こういったところからも皇室報道の偏りや歪みが感じられますよね。

さて、上記記事でまず注目すべきは、「秋天」論文を書いた保阪氏自身が「あれはただの“次男坊・弟物語”にすぎないのであって、秋篠宮様に皇位を譲るように皇太子殿下に促したり、皇太子殿下を批判したりする要素はない」と言い切っていることです。
保阪氏自身も言い訳している通り、あの論文を巡ってかなりの数の抗議や疑問が彼の元に行ったのではないかと推測します。だから慌てて「いや、そんな意図じゃなかったんだけど;;;;;」と必死に取り繕っているように見えなくもありません。

また、東宮ご夫妻に批判的なメンバー(故金澤医師、羽毛田元長官、渡辺允氏、その他宮内庁関係者)も、自分たちはあの記事に一枚噛んでいるわけではないと言いつつ、皇太子ご夫妻に批判的になるのは「当然」としています。

わたしは保阪氏の「秋天」記事が、何の意図を持たずにただの「次男坊・弟物語」としてだけの意味で世の中に送り出されたとは、どうしても思えないのです。百歩譲って「秋篠宮様に皇位を譲るべきだ」という意味はなかったと捉えても、全体的に皇太子殿下サゲ、秋篠宮様アゲの内容だった点を考えると、やはり「皇太子殿下はやはり駄目だな、秋篠宮様に期待したい」という世論が湧き起こるのを狙ったとしか考えられません。ただの「物語」にしては方向性が一つに定まりすぎていると思うのです。
しかし、保阪氏や両陛下・秋篠宮家シンパたちの企みとは真逆に、世間からは「あの論文は何だ、皇太子殿下に失礼だろう!」という批判が湧き起こる結果となったのでしょう。だからこそ保阪氏は弱気になり、両陛下や秋篠宮様の側近(お取り巻き)たちも逃げるように「自分は関わっていない」と言いつつ、「でも東宮ご夫妻には批判が起きて当然だ!」という捨て台詞を吐かなければ気が済まなかったのだと予想します。

特に今は亡き金澤医師ですが、雅子様の主治医である大野医師に対して一番不満を抱いていたのが、この人だと思います。皇室医務主管という立場にありながら東宮家に信用されず(金澤氏の自業自得ですが)、外部から主治医を連れてきていることに対する不満です。
皇室医務主管として自分が雅子様のご病気を診ることができれば、金澤氏は病状を両陛下に報告しようと企んだのかもしれません。何回も言及しますが、今の宮内庁職員は、両陛下の指示により動き、両陛下のお気持ちを代弁しています。恐ろしいことですが、両陛下は宮内庁職員を手足のように使い、まるでスパイのような行動をさせているように見えるのです。
だからこそ東宮ご夫妻は非常に警戒し、それにより孤独や孤絶感をいっそう強めざるを得ない状況に陥っているのだと言えます。

上記記事も触れていますが、皇太子殿下は「人格否定発言」により、両陛下、秋篠宮ご夫妻、宮内庁職員、マスコミなど、あらゆる界隈から大きな批判を受けました。保阪氏は「皇太子殿下は平板で無機質な発言が多くてね~」と言いますが、「人格否定発言」のような踏み込んだ深いご発言をなさっても皇太子殿下は批判を受けたのです。あのたった一度のご発言だけでここまで言われてしまうのだから、皇太子殿下が慎重になってしまうのは致し方ないでしょう。
ご自分の言葉で深い発言をしても「あの真意は何だ!」と叩かれ、言葉に気をつけても「無機質でつまらん!」と言われる。
皇太子殿下は一体どういうお言葉を述べればいいのでしょうか。
まるで●クザのイチャモンレベルですよ。

ところで、上記記事はある意味非常に「面白い」コメントを引き出しています。
八木秀次氏のコメントに注目してください。

>解釈できる意味は“次は皇太子さまではなく、秋篠宮さまが天皇になる”。それが普通の人の読み方だと思います

>タイトルを見て、皇太子さまの廃嫡や皇位継承順位の変更、または秋篠宮さまが次期天皇に向けて強い決意をなさっているとの逸話などが書かれているのかと期待したのに、中身は“皇太子よりも秋篠宮のほうがいい”という議論ばかり。先日、文春の役員とも話をしたのですが、彼も渋い顔で“羊頭狗肉だ”と評していました

これは八木氏はとんでもない問題発言をしていると解釈してよいでしょう。
皇太子殿下の廃嫡を希望し、秋篠宮様に皇位を移すべきだという、謀反と捉えられても仕方ない発言内容なのですから。

八木氏は「男系男子カルト」の急先鋒みたいな立場の人です。それなのに、「まごうことなき男系男子で皇位継承が確定している」皇太子殿下を全く敬わずに、正統性のない弟宮を担ぎ上げようとしているのです。これは明らかにおかしいと思いませんか?
日本会議系を始めとする男系男子カルト連中は、こうして正当なお世継ぎである皇太子殿下を貶め、秋篠宮様と悠仁様を持ち上げるということを何回も繰り返してきました。もはや「男系男子維持」などどこに行ったやら、そこにあるのはただの「秋篠宮家バンザイ主義」でしかありません。
たとえ皇太子殿下に男子のお子様がいなくても、まずは正当な皇位継承者である皇太子殿下に敬意を払わなければ筋が通りません。しかし「男系男子カルト」たちは、男系男子である皇太子殿下をこうやって批判しており、廃嫡まで願う始末なのです。彼らのこういう一貫しない言動を見て、男系男子派のいうことなど信用できますか?
八木氏をはじめ「一貫性のない男系男子カルト」たちの発言には、もっと別の裏の意図があることを肝に銘じるべきなのです。


あと、秋篠宮家のお抱えレポーターである高清水有子氏や山下晋司氏も何か言っていますが、あの秋篠宮様が皇太子殿下に「申し訳ない」なんて感じることはありえないでしょう。昔から「兄貴ばっかりズルイ!」という妬み・僻み・嫉みだけで生きてきた弟ですよ。「これで兄貴を出し抜いてやったぜ」という認識はあっても、「兄貴に申し訳ない」なんて思う心は持ち合わせていないでしょう。「兄貴の大嘗祭に公金なんか使うなよ」と言ったり、東宮ご一家がお留守の間に勝手に東宮御所の正門を使うような人ですし。

あとどうでもいいことですが、マスコミ(特に新潮)は東宮ご夫妻の深い絆と愛情を「王冠を賭けた恋」のあの話とつなげることがよほど好きみたいですねえ…正式なご夫婦である東宮ご夫妻と、王位継承者と人妻のスキャンダルだったあの話を一緒くたにしたがる理由は何なのでしょうか?

結論から言えば、「秋天」論文の仕掛け人は、敢えて言えば「(秋篠宮様が可愛い)両陛下」だろうと思います。
側近やマスコミの口を利用してここまで東宮ご夫妻に対する不満を口にする両陛下が、ご自分たちだけ知らんぷりすることなどもはや通用しないですよ。それとも最後まで側近やマスコミにすべての責任を負わせて、ご自分たちだけ聖人面して逃げるつもりですか?

次回は、保阪氏の「秋天」論文について、鋭い批判を行ってくれた田中卓氏の著作をご紹介したいと思います。
気持ち良いくらいに保阪氏をメッタ切りにしてくれていますよ。

「秋篠宮が天皇になる日」というくだらない「次男坊物語」

今回は、東宮ご一家バッシング&秋篠宮家アゲアゲキャンペーンの一環として書かれたであろう、保阪正康氏の「秋篠宮が天皇になる日」という記事をご紹介したいと思います。

この記事の紹介方法については、少し悩みました。なぜかというと
▼無駄に長い。
▼「秋篠宮様アゲ、皇太子殿下サゲ」の内容なので全文手入力する気力が起きなかった。
▼全文引用したところでこの記事の真の目的が何なのかいまいち掴めなかった(秋篠宮家支持派からも不満が出たくらい)。

などの理由から、この「秋篠宮が天皇になる日」に限り、当ブログが目的とする「全文引用」という形をとらず、必要だと思われる箇所を抜粋するという形式を取らせていただきました。
部分抜粋でもそれなりの分量になりましたし、当該記事が「秋篠宮様をアゲたい、皇太子殿下をサゲたい」という趣旨なのは十分お分かりいただけるかと思います。

文芸春秋 2009年2月号

総力取材 秋篠宮が天皇になる日

異例の誕生日会見中止。天皇の心痛と怒りの核心は?
未曾有の危機に浮上する皇位継承ナンバー2―

保阪正康(ノンフィクション作家)


ちなみに小見出しは下記のようになっています↓
◆秋篠宮会見の意味
◆「公務軽減」をめぐって
◆「傷ついた」の応酬
◆弟宮の宿命
◆「人格否定発言」で一変
◆「戦争」をどう継承するか
◆学問と王の孤独
◆「天皇」の父として



以下、皇太子殿下に対するネガティブ文章、秋篠宮様に対するアゲ文章を抜粋しつつ、検証を加えていきたいと思います。

>記者から寄せられた質問の中に、皇太子の参内問題に関するものがあった。そしてこの問題こそ、ここ数年の天皇と皇太子の間の深い亀裂を象徴するものだったのである。

>昨年の2月、羽毛田長官は、皇太子一家が天皇・皇后のもとへ参内する回数が増えていない、と記者会見で苦言を呈し、世間を驚かせた。宮内庁長官が独断で皇太子を批判することは考えられない。その背後に、天皇の強い不満があることは明らかだった。

宮内庁(長官)が独断で勝手に皇族批判など行えるわけがない。羽毛田長官は明らかに天皇陛下(両陛下)のご意思を受けて、陛下になり代わって公の場で堂々と皇太子殿下に苦言を呈したのです。なぜ直接皇太子殿下に「もっと参内してよ」と言えないのでしょうか。長官の口を借りなければ苦言を言えない陛下にウンザリするのです。

>会見で秋篠宮は、参内について「必要なことについて話をして、その事柄についてみんなで意見交換を行ったり、話合いをしたりする場所」と述べているが、まさにこれこそが、天皇と皇太子の間に欠けているものだといっていい。

秋篠宮様は次男坊ですから、お気楽なお立場で色々言えますよね。こうやって自分の立場のお気楽さを棚に上げて、「もっと参内しなきゃダメじゃーん」と言える弟様のマウント取りは心底不愉快です。

皇太子は「御所に参内する頻度についてもできる限り心掛けてまいりたいと思っております。家族のプライベートな事柄ですので、これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと思います」と答えるばかりだった。こうした皇太子の態度に、天皇は強い怒りを抱いているとも考えられる。

皇太子殿下は「身内で起きていることを世間に詳しく説明するまでもない」という姿勢でいらっしゃるだけです。そういう姿勢に対して怒る陛下の方がおかしいのではありませんか?そんなに身内のもめ事を表に晒したいのでしょうか?それで恥をかくのは陛下かもしれないのに。

>ある宮内庁関係者は指摘する。「いま秋篠宮は両陛下と最も近く意見を交わす存在。天皇は、秋篠宮に誕生日会見で参内問題について、皇太子に対し踏み込んだ発言をして欲しい、と求めたといいます。しかし秋篠宮は、そこまで言うべきではない、として、参内問題に言及はしたものの、羽毛田発言をなぞるにとどめた。
>皇太子の参内問題への思いを、自分の失敗譚にうまくすり替えているところに、秋篠宮の配慮がうかがえます・・・


※秋篠宮様の会見部分抜粋

>「羽毛田長官が今年(2008年)のはじめに発言したことは、参内の回数ということも言っていましたけれども、自分の発言したことを大切にしてほしいということ、それが一番の趣旨だったと私は理解しております。そのことから言うと、私も小さいことも含めて、あまりこれは言いたくないのですけれども、いろいろと頼まれて…
>「安易に引き受けて、その後、間に合わなくて周りの人に迷惑をかけていることが、多々あるわけではありませんけれども、ときとしてあります。そのような自分自身のことを考えますと、自分が言った言葉を大切にするということは、私自身も心しておかなければいけないなというように思います。・・・


秋篠宮様は「陛下にこう言うように色々頼まれた」と答えてしまっています。陛下は長官のみならず、次男坊の口まで借りて公の場で皇太子殿下を批判したかったということになりますね。陛下は本当に帝王学を受けられたのでしょうか?あまりにも信じ難い態度ですよね。

>こうして一連の経緯を見てくると、皇室内での秋篠宮の存在が大きくなっているといえる。それが最もあらわれているのは、公務に関する問題だ。

>天皇の公務の軽減について、いち早く言及したのは秋篠宮だった。平成18年の誕生日会見で・・・

>それに対して、本来、天皇のつとめを継ぐ者として、この問題に最も意識的であっていいはずの皇太子は、昨年(平成20年)2月の誕生日会見で次のように発言している。・・・いかにも皇太子らしい優等生的な回答だが、具体的なことは何も言っていない。


>また、皇太子自らの公務についても、「新しい公務のあり方」という問題提起を行いながら、やはり具体的なかたちがいつまで経っても示されていない。会見全体をみても具体的なのは、愛子内親王や雅子妃の様子など家族に関するくだりばかりで、皇太子が目指す皇室のあり方がまるで国民に伝わってこないのだ。

>皇太子の会見を見ていると、言葉は滑らかに出てくるが、それぞれ表現が均一で無機質な感を受ける。内容も同様で、対話のとっかかりが摑めない、という印象が強い。


皇太子殿下は次代天皇陛下というそのお立場と、陛下よりも出すぎた真似はしてはいけないという自重から、お言葉を選んで深く突っ込んだことを敢えてお話にならないのです。ところが保阪氏はそれを「優等生的で具体性がない」「考えが国民に伝わってこない」「表現が均一で無機質」「とっかかりが摑めない」と切り捨てている。これはあまりにも殿下がお気の毒であり、また、保阪氏が皇太子殿下のお立場に全く思いを馳せられないことに怒りを禁じ得ません。

>一方、秋篠宮は、昨年11月には、公務の内容面にも言及した。(中略)両陛下の公務の数を減らさずに、負担を減らす方法を提言している。これは公務に対して誠実な天皇・皇后の意向にも沿う、現実的な提言といっていいだろう。こう見ていくと、秋篠宮は立場の違いはあるが、皇太子と比較しても、いまの皇室にあって貴重なコミュニケーター役を果しているともいえる。

何度も言うようですが、秋篠宮様は「弟」「次男」というお気楽な立場で50年以上生きてきました。皇太子殿下よりも多少突っ込んだ発言をしても咎められることがないだけなのに、単純に殿下と秋篠宮様を比較して「秋篠宮様の方が優れている」と言い切れる神経が理解できません。

>一度は自ら、雅子妃の人格が否定されていると発言しながら、参内問題などに対して、すべて「プライベートだからコメントしない」で押し通す皇太子の姿勢にも、疑問を感じずにはいられない。そこからは何の展望もうかがえないからだ。

これも同じく、「何も展望が窺えない」と簡単に切り捨てられる保阪氏がおかしいのです。皇太子殿下の御立場の苦しさを何も分かっていない。

>12月12日には野村一成東宮大夫が定例会見を開いた。羽毛田長官の「『皇室そのものが妃殿下に対するストレス』などの論に両陛下は深く傷つかれました」という発言に、「それは皇太子妃殿下ご自身が深く傷つかれている点」と述べた。しかし、こうした「傷ついた」の応酬のどこにも、「国民に説明する」「国民のための皇室」という視点がないように思える。東宮側は「傷ついた」ことばかりをアピールするが、公務を休んで愛子内親王の運動会を応援したり、乗馬や高級レストランで食事をすることに対する、国民への納得のいく説明はなされていない。

敬宮愛子様が「野村のおじちゃま」と呼んで慕っていた野村一成東宮大夫は、東宮ご一家が最も苦しかった時にご一家を必死に支えてきた東宮職の一人でありました。彼なりの方法で雅子様(東宮家)を守っただけなのにこの保阪氏の言い方。もし「傷ついた」という応酬が気に入らないなら、最初に長官や次男の口を借りて皇太子殿下を批判させた陛下にまずは文句を言ってください。
あと東宮ご一家の運動会、食事、乗馬の何が悪いのでしょうか?雅子様のご病気に対する無知を晒して、恥ずかしくないのですか?今こんなこと言ったら全国のメンタルの病を抱えた患者や家族から総スカン食らいますよ。


>この八方ふさがりの状況下にあって、比較的自分の言葉で説明しようとしている点でも、結果として秋篠宮の存在感が増していると感じるのは私だけだろうか。


「秋篠宮様の存在感が増している」というワード、あちこちのメディアがこぞって使っていましたねー。「このワードを使え」とどこからかお達しがあったの?と思いたくなるくらいに。秋篠宮様は確かに「鬱陶しい」「ウザイ」という方向では、存在感が目障りになってきているのは事実かもしれませんね。

>幼稚園、初等科などでも、浩宮はなかなか友だちの集団に入っていかず、慎重に見守っている。しかしひとたび中に入れば「やさしさと思いやり」で誰からも好かれる存在になる。逆に礼宮は、物おじするところがなく、すぐに仲間に入っていって、誰とでも相撲をとったりという性格だったというのだ。浩宮は、幼年期に「アーヤ(礼宮)は泣いてもいいんだよネ」との言を洩らした、と浜尾は証言しているが、これはきわめて早い時期から浩宮が自分の宿命を感じ取っていたことをあらわしているのかもしれない。

>品行方正な兄、やんちゃで奔放な弟、というイメージはこのころから定着しつつあった。


こういう過去をちゃんと知っているなら皇太子殿下のお立場の難しさにもっと思いを馳せてください、保阪さん。

>皇太子の高校時代の担任であった小坂部元秀は『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)で、美智子妃との父母面談について記している。浩宮の作文が、喜怒哀楽の感情表現に乏しく、当人の気持ちが伝わってこない、という担任の指摘に、<美智子妃からは「(略)浩宮は長男ということで、私もいろいろと細かい点まで注意するようにしたため、のびのびしたところが多少不足するようになったかもしれません。兄と比べて礼宮は次男ということで、逆にたづなをゆるめたようなところがあって、のびのびしすぎたようですけれど…」と、頸をやや傾げながら慎重な言いまわしだった>現在、皇太子の会見から感じる平板さ、無機質な印象がすでにあらわれているとみることができる。

「喜怒哀楽の感情表現に乏しい」…これは皇太子殿下が帝王学の結果、「自分の感情を出し過ぎてはいけない」と自重されたからにほかならないでしょう。保阪氏はこれをまた「無機質」「平板」とこき下ろしていますがそれが帝王学の賜物ではないのですか?むしろ陛下のように些細なことで怒って、他人の口を借りて批判させるような方が天皇でいてほしくありませんね。
これに対して美智子様は「浩宮の方には厳しくし、礼宮は緩やかにのびのびさせてしまった」と認めていらっしゃいます。保阪氏は、「美智子様の教育の仕方が間違っていた」とでも言いたいのでしょうか。


>一方、礼宮はどんな高校生だったのか。当時の同級生がこう証言する。「基本的に、宮様はすごくざっくばらんな性格なんです。リーダーシップもある。もっと正確に言えば、最初はリーダーっぽくみんなを率いていって、軌道に乗ると、途中からみんなに任せるという感じ。プロレスが好きで、当時、人気があったスタン・ハンセンの真似は大得意でした。教室でプロレスごっこをすると、宮様は『ウィーッ!』と言いながら右手を挙げるんです。先生の真似もうまかった。口を曲げて怒ったりする先生がいて、その真似をすると、みんなかなり盛り上がりました(笑)。大学に入ると、宮様の家でみんなでお酒を飲んだりもしました。夜中の2時くらいに酔っぱらって、宮様が友だちの家に『今から来いよ』って電話をかけたり」やんちゃというよりは、我々の周りでもよくみるようなありふれた若者像が浮かんでくる。

保阪氏はこれを「ありふれた若者像」とアゲていますが、何か秋篠宮様の幼さ、気ままさ、お気楽さしか伝わってきません。皇太子殿下のお立場なら先生をからかう真似などできないだろうし、一緒になって笑うこともできないかもしれませんね。また、夜中に酒を飲んで呼び出すなんてことも不可能でしょう。殿下は行動が厳しく制限されていますから。そういうお立場の違いをとことん無視するのが「保阪流」なのでしょうかね。

>弟は5歳違いの兄をよく観察していた。こんな証言もある。「まだ秋篠宮が10代のとき、浩宮がイギリスに留学すると聞いて、『イギリス?心配だなあ。兄は変わって来ちゃうんじゃないか。兄には5人くらい男の子を作ってもらわないと心配だ』と言っていたそうです。その後、浩宮の結婚が遅れたことを考えると、いわば予言が当たったわけで、端倪すべからざる人間洞察です」(宮内庁担当記者)若き秋篠宮が皇統の運命を心配し、「弟宮」としてのプレッシャーを十分に感じていたことは間違いないようだ。


ただの兄宮に対する悪口・軽口を「皇統の運命を心配した鋭い発言!」とアゲアゲする保阪氏…。皇太子殿下のご結婚についてあまりにも失礼極まりないです。「自分は早く結婚できた」ことだけが自慢の秋篠宮様の目には、慎重にお相手を選んで雅子様という素晴らしい女性を選ばれた皇太子殿下がどう映ったのでしょうか。本音では悔しかったのではないかと予想します。

>「かつては、浩宮といえば『真面目で山登りやテニスを愛する好青年』、一方、礼宮は『やんちゃで、サングラスに口髭、腕にはブレスレットをじゃらじゃらさせた遊び人』といった、どちらかというと自由過ぎるイメージでした。そのイメージが一変したのが、皇太子の『人格否定発言』でした」青年期から二人を見てきた皇室関係者は、こう認めている。

秋篠宮様のイメージは昔も今も別に変わっていませんけど。

>『秋篠宮は大人になった、皇室の一員としての自覚が表に出てきた』と評価がぐっと上がりました。
皇統継承という皇室最大の問題を解決したのですから、秋篠宮殿下の存在感は否応なしに大きくなった。両陛下も、皇太子殿下との亀裂が大きくなるのと反比例するように、秋篠宮殿下をいっそう頼りにするようになったのです」(皇室関係者)


悠仁様という男子が出来てすっかり増長してしまっただけだし、東宮ご一家に対しマウントを取っているだけにしか見えませんがね。こういう方を頼りにしなければいけないほど、皇室も宮内庁も落ちぶれたのだなと感じます。

>前侍従長でもある渡辺允・宮内庁侍従職御用掛は、「私が宮内庁に来てから13年ちょっとですが、明らかに秋篠宮殿下は大きく成長されました。若い頃に比べて思慮深くなられたし、視野が広くなられた。・・・


本当に思慮深くなったのならあの時期に東宮ご一家を批判したり、わざわざ男子を作ったりなどしないと思いますが。

>ある宮内庁関係者は、秋篠宮の細やかな心配りを紹介してくれた。「ふだん世話になっている宮務官や女官などを招いて、ねぎらう会があるのですが、秋篠宮殿下は40年前に辞めた元女官まで声をかける。同窓会のようなもので、OB、OGたちは楽しみにしているそうです。一方、東宮ではこうした話は聞いたことがありませんね。職員数も違うし、皇太子という立場もある、加えて雅子妃のお身体のこともありますから、むずかしいでしょうが」


一方で「秋篠宮家は職員を全く大事にしないパワハラ・ブラック宮家だ」という証言が複数挙がっているのは何故なんでしょうね?秋篠宮家と職員の間に本当の信頼関係などあるのでしょうか。ねぎらいの会に来るのは、今の皇室事情を知らない、旧き良き時代の皇室しか知らない人だけだったりしないのでしょうか。

>興味深いのは、近年の秋篠宮の活動をみていくと、天皇・皇后の志を継承しようとする姿勢が見て取れることだ。その最大のテーマが「戦争」である。

>当日は、沖縄学の第一人者、外間守善法政大名誉教授が出席していた。紀子妃は学習院大時代、外間教授のゼミに特に志願して加わったこともあり、再会を喜んだという。「外間先生の妹さんは対馬丸の犠牲者なので、紀子妃には格別の思いがあったのではないでしょうか」(対馬丸記念会の高良政勝氏)

この保阪氏の記事には、いつも同じ顔触れの「秋篠宮家のお取り巻き」が何人か出てきています。まず、この外間教授がそうです。江森氏が記した『秋篠宮さま』にも登場しています。

>皇太子夫妻は8月15日に静養中の那須でテニスや花火を楽しんだことが報じられ、さまざまな波紋を呼んだ。

皇太子ご一家が静養先で黙祷を捧げていなかったという証拠はないですし、静養の合間にご家族で戦争と平和のお話をしたかもしれませんよね。それに花火は元々死者の鎮魂の意味もあったはずです。まるで皇太子ご一家が何も考えていないと決めつけるようなことは許し難いです。

>赤木攻氏は、「この四つの日(広島の原爆の日、長崎の原爆の日、終戦の日、沖縄戦が終結した日)には、(秋篠宮)殿下はたとえ海外にいても必ず黙とうを行っています。一昨年、殿下と眞子さんが一緒にマダガスカルに行かれたのも8月でした。このことでは同行している私も、いつも頭が下がる思いがする」と証言する。

はい、また秋篠宮様のお取り巻きの一人である赤木氏が出てきました。私的海外旅行のマダガスカルで黙祷を捧げたことがOKなら、東宮ご一家も同じことを行っているかもしれませんね。というか、「四つの日」に国内で静養をするのはNGで、海外に私的旅行に出るのはいいんですかね?保阪氏の基準ですと。

>平成16年、皇太子の44歳の誕生日会見で、戦争と関連した質問がなされた。昭和天皇が終戦の御前会議を開いたのが44歳だったが、皇太子自身が同じ年齢になったことについての感慨を、と問われたのである。それに対する皇太子の答えは、「昭和天皇は本当にいろいろご苦労もおありだったと思いますし、本当にその激動の時代を生きられたと思います。(略)その当時の世界の情勢、そして日本の情勢というものを考えますと、今私が置かれている状況とは本当に比べものにならない。ある意味で今そういう時代ではないことが一つ幸せなことであるわけですけれども、そういう意味で本当に昭和天皇がご苦労されたということを私もよく身にしみて感じますし、今改めてこの44歳でそういうことをなさっておられたという事実にやはり深い感慨を覚えます」というものだった。あたりさわりのない言葉だが、私には皇太子の言からは明治―大正―昭和―平成という時間の流れに自らも連なるという感覚が伝わってこないように思える。

だから皇太子殿下のお立場からはあまり深く突っ込んだ発言はできないと何度言わせれば…・もし仮に皇太子殿下が昭和帝のことを饒舌にお話になったら、それはそれで「殿下に昭和帝のご苦労の何が分かるというのだ」と批判されたかもしれません。もう、殿下を批判できれば理由は何でもいいんですよ、こういう連中は。

>秋篠宮には幾つかの肩書があるが、その一つが「御寺泉涌寺を護る会総裁」だ。(中略)三笠宮のあとを受けて、秋篠宮が総裁に就任したのは平成8年だった。(中略)数年前には秋篠宮ご夫妻とともに、眞子さま、佳子さまもご報告にお見えになりました。このとき殿下はお二人をご案内されていました。御座所の庭には普段、管理の都合上、立ち入り禁止の札が立っています。うっかりそのままにしていた立て札を、殿下は茶目っ気たっぷりにパタンと倒してお庭へ降りて、陵墓に向かって眞子さま、佳子さまに熱心にご説明されておりました。・・・


三笠宮様のお立場を引き継いだだけですね。それにしても「立ち入り禁止」の札を嫌味ったらしく倒す秋篠宮様は、やはり幼いというか何というか…。

>「ナマズの殿下」の愛称で知られる秋篠宮だが、現在の主な研究課題は、家禽の起源、すなわちニワトリがいつから野生から人間と共生するようになったかというルーツを探っているのだという。この研究により、平成8年には、国立総合研究大学院大学から理学博士号が授与された。「国立総合研究大学院大学の論文審査は非常に厳しく、レベルが高い。宮様だから、ということではなく、研究者としての実力を評価されたわけです」(生物学研究者)


この博士号の怪しさは既に当ブログでも検証済みです。当時のマスコミも「怪しい」「ヘン」という評価でした。

>秋篠宮にナマズの研究を指導し、共同研究も発表している多紀保彦・自然環境ケンキュウセンター理事長は、「学会やシンポジウムなどでも、視野は広いし、アイデアも豊富。殿下のリーダーシップに負うところは非常に大きい」と語る。

はい、3人目の「秋篠宮様のお取り巻き」である多紀氏の登場です。

>前出の赤木攻・大阪外大元学長は昭和60(1985)年に秋篠宮が学友とともにタイを訪れたとき、大使館から案内役を任じられた。「最初に出会った頃は、ごく普通の大学生という印象でした。それが、結婚されて、父となってという、この15年ほどで非常に大きく成長された。そこには、研究者として自立できるだけの能力を備えた、ということが大変にプラスに働いていると思います。責任ある仕事もこなし、自信もついて、地に足の着いたバランスのいい判断ができるようになった」

お取り巻きの赤木氏、再び登場です。

>立場上、孤独であることを強いられる天皇にとって、学問の世界は知的な興味の追求にとどまらず、深いところで孤独への慰めであり救いになっていたのではないだろうか。その点、皇太子にそうした場所が見当たらないことが気にかかる。登山やマラソン(赤坂御用地の中を一カ月に100キロ以上も走ったと自ら会見で述べている)では孤独は深まるばかりだろう。もっともそうした孤独を愛する、孤独に強くなることが、皇太子の性格というべきかもしれない。あるいは、皇太子は自らの天皇像をその点に求めているとも考えられる。

保阪氏は、皇太子殿下が水(運河)の研究を長年続けられて、世界的にも評価されている事実を知らないのでしょうか?自分の無知を棚に上げて「殿下にはそういう居場所がない」とは何たる恥ずかしさ。こういう「知ってて当たり前」のことすら知らずに偉そうに評論するのが秋篠宮派の特徴でもありますね。

>かつて秋篠宮は一部の週刊誌に「タイに愛人がいる」と報じられたことがある。当時、タイへの研究に同行していた前出の多紀氏は、「全くの事実無根ですよ。だいたい報道された女性は、タイの水産局につとめていた私の教え子です」と一笑にふした。

>そのパノム・ソスクさんに、秋篠宮の思い出を聞いた。「当時、秋篠宮殿下はまだ20代、真面目でおとなしく、魚類に興味を持ち始めた学生のようでした。(中略)研究所での殿下は、本当に若い普通の男性という印象でした。休憩時間にはコーヒーを飲んだりたばこを吸ったりしてリラックスし、日本語でジョークを言っては多紀先生など周りの方々を笑わせていました。私は日本語がわからないので、内容まではわかりませんでしたが。・・・」


秋篠宮様の愛人疑惑ですが、この女性以外にも別の女性があと2人ほど“候補”に挙がっていました。それも当ブログで過去に検証しております。あくまでも否定されているのはこの女性一人だけですね。

>タイに訪問するたびに秋篠宮が必ず尋ねるのは、プミポン国王である。(中略)「日程では拝謁の時間が、10分とか15分となっているのですが、殿下はなかなか戻ってこない。タイ王室の担当者に様子を尋ねると、『国王が人払いをして、殿下と二人だけでお話をしているのでわかりません』というのです。こんなことはきわめて異例だと。一時間以上になることもあります」(前出・赤木氏)

この一件を「秋篠宮様はタイ前国王から可愛がられていた」と捉える人もいるかもしれませんが、通常、15分程度しかかけない拝謁を、秋篠宮様の時だけ人払いして一時間以上も話し込むということは、秋篠宮様が何か前国王に無茶を要求していたからでは?という捉え方もできるかと思います。前国王が喜んで秋篠宮様を迎えていたという証拠にはならず、むしろ秋篠宮様の方が前国王の都合も考えずいつまでも居座って迷惑をかけていたと見ることも可能です。現に、秋篠宮ご夫妻はタイ前国王の葬儀の参列で、あまり良い席を与えられていませんでした(ご夫妻の目の前に衝立のようなものが置かれて祭壇が見えにくい感じにされていた)。

>現在、秋篠宮は依然として皇位継承順位第2位の存在である。秩父宮、高松宮と決定的に違うのは、兄である皇太子に男子がいないということだ。皇太子が即位すれば、次の天皇候補として備えなければならない。と同時に、その下の世代で唯一、皇位継承権を有する悠仁親王の父親でもある。悠仁親王は、近代皇室ではじめて皇太子を父に持たない天皇ということになる。

この箇所が、当該記事のタイトルである「秋篠宮が天皇になる日」につながると言えるでしょうか。しかし、たとえ男子が生まれようがなんだろうが、秋篠宮様の立場が秩父宮様や高松宮様と大きく異なるとは思えません。この保阪氏の考え方はおかしいです。

>「現在、秋篠宮家には悠仁さまに3人つける形で人員を増やしていますが、秋篠宮家は宮家のなかで飛びぬけて活動量が多い。それを事務官2人で回すのは無理だと思います。一方、東宮派愛子さまに養育係が3、4人もついている。これは浩宮、礼宮、紀宮のご兄妹のときよりも多い。また学習院の先生を養育係にした。いわば先生を使用人にしてしまったのです。また小学校に上がった今でも、幼稚園教育のエキスパートがそのままついている。これも変則的です。秋篠宮家には養育係などいません。紀子妃がGパンで悠仁さまを追っかけまわしています」(宮内庁関係者)

だからこれも東宮家と秋篠宮家のお立場や格の違いから来るものなので当然のことでしょう。敬宮様の養育係にケチを付けていますが、悠仁様にも人員が増えているのは事実ですし、また、本来は皇族をお守りしなければならない立場の学習院職員の娘が、よりによって皇族に近づいて結婚を迫ることの方がよほどおかしいのではないですか?あ、川島辰彦教授とその娘の紀子妃のことですよ。

>秋篠宮自身の公務などからも、天皇・皇后にならうという姿勢が強く感じられる、と指摘するむきもある。「たとえば昨年9月には、警察庁刑事局長からのご進講がありました。天皇の場合、警察庁長官が治安問題などについてご進講することもありますが、秋篠宮に、というのは異例のことです。・・・」(皇室担当記者)

>ほかに、平成19~20年で秋篠宮が受けたご進講から、目立ったところを挙げてみると、財務省主計局長、総務省自治行政局長、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長、文部科学省初等中等教育局長・高等教育局長、農林水産省農村振興局長、資源エネルギー庁長官などといった要職が並んでいる。

私はこの箇所に少し怖さを感じました。秋篠宮ご夫妻はこうやってキャリア官僚を次々に呼び出して、一体何をしようと企んでいるのでしょうか?まるで政治(行政)に首を突っ込みたがって何かをコントロールしようとしているように見えます。どこかの雑誌記事で「秋篠宮ご夫妻は霞が関の人事にも詳しい」と書かれたこともあるようですが(これはまだソースを用意できておりません)、皇族が官僚に何の用事があると言うのでしょうか。これは見過ごせないことですね。

>平成19年に紀子妃が動物の絵本『ちきゅうの なかまたち』を翻訳したのも、「万事、皇后をお手本にしている紀子妃らしい」(宮内庁担当記者)と評する声も聞かれる。


「紀子妃が手本にすべきは華子様であって美智子様ではない」と、誰か注意してください。おかしいでしょうこんなの。

>昨年12月の会見で、羽毛田長官は天皇の「ご憂慮」の筆頭として、「ここ何年かにわたり、ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題」を挙げた。この皇室最大の問題について、渡辺前侍従長は次のように天皇の心中を推測する。「皇統にかんして、その時々で形こそ変わりますが、この十数年間、陛下はずっとわれわれの想像を絶するほどに悩んでこられました。愛子内親王が生まれられるまでは、次の次の世代の継承者がおられないという悩みがありました。そして愛子さまがお生まれになりましたが、現在の皇室典範では、やはり継承者不在の状況は変わらなかった。そこで小泉内閣が典範の改正を検討すると、非常に強い反対が出て、国内で議論が激しく分かれてしまったのです。国民統合の象徴である陛下にとってみれば、皇室をめぐり、国論が激しく分かれることは深いご心痛のもととなりました。そこへ悠仁親王がお生まれになった。大変結構なことでしたが、悠仁さまの代になると、皇族が他にいなくなってしまうといい問題が依然として残っているのです。秋篠宮家の眞子さま、佳子さま、そして愛子さま、あと三笠宮家の女王さまなど、いまの法律では結婚されると皇室を離れてしまう。とても陛下が皇統の将来に安心される状況にはなっていないのです」


私に言わせれば、陛下のご心痛とやらは「自業自得」としか言いようがありませんね。自ら愛子様の女帝案を潰して、次男坊一家に男子を作らせておきながら今になって「皇族が少なくなってしまう」なんて、そんなこと知るか!!と言いたい気持ちです。悠仁様で行くと決めた以上、男系男子承継で行くと決めた以上、心痛なんておっしゃってないで皇室が消える覚悟を決めてください。呆れて物が言えませんよ。あと、国民の意見が二分されている状況は全く変わっていません!むしろ悠仁様が誕生してから、国民の意見の分断は余計にひどくなったとしか思えませんよ。あのまま「愛子天皇」で行った方がずっとずっと良かったのに。

>冒頭でもみてきたように、現在、天皇・皇后と皇太子・雅子妃の間には、深刻なコミュニケーション不全があり、もはや隠しようもない状態にまで立ち至っている。そのなかで、二男である秋篠宮の役割はますます重要なものになっている。

まあ、保阪氏が「秋篠宮様の役割は重要になる!」と思っているのなら別にいいんじゃありませんか?秋篠宮家のゴタゴタが表に出てきた今も同じことが果たして言えますか?

>私には、天皇・皇后が皇太子・雅子妃に求めていることは、まさに秋篠宮が実践しているようなコミュニケーションの回路を開くことではないか、と思われる。(中略)そうしなければ、誤解・曲解がメディアの力も借りて急速に肥大し、手がつけられないものになってしまう危険性がある。秋篠宮の近年の言動はそれを防止するために、兄宮にメッセージを発していると、私には思える。

「曲解・誤解するのはメディアが悪いんじゃない、皇室(東宮家)が悪いんだ!」ですか。まあ、これが大半の思い上がったマスコミの言い分なのかもしれませんね。「自分たちは悪くない!」と。国民はそういうメディアはバッサリ切り捨てるだけですよ。また、秋篠宮様の思い上がった勝手な言動が皇室の混乱を招いているのではありませんか!

>秋篠宮には天皇となる可能性があり、息子である悠仁親王を次代の天皇として育てなければならないという重大な役割を担っている


自分で好きで男子(悠仁様)を作ったのだから、そりゃ一人の子どもを育てる責任が親の秋篠宮ご夫妻にあるのは当たり前ですよね。そんなことで同情を求めないでいただきたい。
(以上)

次回以降は、この保阪氏の論文に関する記事をもう少しご紹介したいと思います。

「秋篠宮摂政論」に対する、高森明勅氏の反論

10月29日・30日は、絢子様と守谷慧氏の素晴らしい結婚式がありました。お二人には心からおめでとうございますと申し上げたいです。そして同時に、お二人の完璧な結婚をそばで見ることになった眞子様や秋篠宮ご夫妻の心境やいかに…?と意地悪な目線になってしまうのです。

さて眞子様の件はひとまず置いておくとして、当ブログでは「皇太子殿下は早期退位して悠仁様に皇位を譲れ」、「秋篠宮摂政論」というふざけた思考が跋扈していた時期があったことをご紹介させていただきましたが、それに対して高森明勅氏が真っ向から反論してくれました。当該記事は、陛下の生前退位が実現される運びとなってしまった現在においても一読する価値があると思われます。今回はその記事をご紹介したいと思います。

Will 2013年9月号

「秋篠宮摂政論」を駁す 雅子妃「不適格」報道の不敬


高森明勅(神道学者)

◆次代の皇室を巡る暴論

近頃、次代の皇室のあり方をめぐって、不敬な暴論がにわかに浮かび上がっている。皇太子妃雅子殿下のご療養が長期化していることを理由として、皇室典範で定められている皇太子殿下の即位を事実上、阻止しようとするものだ。
その嚆矢は、おそらく宗教学者、山折哲雄氏の「皇太子殿下、ご退位なさいませ」(『新潮45』3月号)だろう。
その趣旨は、当人が別の雑誌で、次のように語っている。「雅子妃がご病気になり、十年治療しても治らない。宮中祭祀も含めて、公の職務を果たすこともままならない。…こうした状況の中、このまま皇太子が天皇に即位することは、ご本人のためにもならないし、国のためにもならないのではないか。そこで、『ご家族三人京都で過ごすという人生もありますよ』という選択肢を提示した」と(『文藝春秋』6月号)。
この論は当然、大きな反響を呼んだ。普通に考えても、皇太子殿下はご公務に精励され、皇室の祭祀については皇族方のなかでも最もご熱心にお取り組みになっておられる。それなのに、妃殿下のご療養を理由に即位を阻もうなどとは、言語道断の本末転倒ぶりだ。しかも、妃殿下のご快癒があり得ないものと、頭から決めつけているのもどうかしている。
だが、山折氏の論は所詮、歴史上の見通しも国家的な大局観もなく、制度論の詰めも一切欠いた、一個人の「感想」を述べたに過ぎない。聞き捨てならないが、私人の無責任な放言の域を出ていない。だから私は、それほど目くじらを立てるつもりはなかった。

ところが『週刊新潮』6月20日号に、山折論の方向性をさらに徹底させた「選択肢」が、天皇陛下や皇族方のご同意も得て現実化しつつあるかのような記事が載った。
「『雅子妃』不適格で『悠仁親王』即位への道」との記事
だが、このタイトルからして異常だ。いやしくも現にご療養中の皇太子妃たる方に対し、「不適格」呼ばわりとは。しかも、仮に万々が一「不適格」であっても、それは尊厳なる皇位の継承順位とは何のかかわりもないし、またかかわりがあってはならないことだ。
この記事の問題点は、皇位の継承という国家の一大事に関し、あろうことか、天皇陛下や皇族方も巻き込む形で、荒唐無稽の大嘘が平然と並べられていることだ。すでに内閣官房と宮内庁が連名で「まったくの事実無根」として文書で抗議し、訂正を求めるという異例の措置をとっている。
しかし、『週刊新潮』サイドはいまのところ、訂正に応じる気配はない。それどころか、次の6月27日号で再び「『雅子妃』不適格云々」の記事を掲載。宮内庁から再度、文書による抗議を受けている。
さらに時を同じくして『週刊ポスト』6月28日号でも、皇太子殿下の即位を形骸化させる「秋篠宮摂政」論を紹介する記事が掲載された。
こうなると、もはやこれらの暴論を黙って見過ごすわけにはいかない。それらの問題点とデタラメぶりを以下、摘発しよう。

◆曲芸のようなプラン

まず、『週刊新潮』6月20日号の問題記事の主な情報提供者はすべて匿名で、「官邸関係者」「警察庁幹部」「宮内庁幹部」の三者。注目すべきは、官邸と宮内庁の「極秘裏」のやり取りとされるものを、なぜか「警察庁幹部」が詳細に把握している話になっていること。
これは、官邸でも宮内庁でも警察庁出身者がしかるべきポストについている事実と無関係だろうか。もしその線で繋がっているとすれば、「官邸関係者」や「宮内庁幹部」を特定することは、さほど困難ではあるまい。
だがそれはともかく、これら三者のなかでも「宮内庁幹部」の発言はとりわけ酷い。彼は雅子妃殿下のご療養が長引いていることに関し、こんなヨタ話を披露している。
「皇后陛下はすでに、周囲には『皇太子妃には将来、皇后の仕事はつとまらないでしょう』と漏らされています」と。
そのほか、皇后陛下をダシにして皇太子妃殿下を攻撃するような卑劣な発言を繰り返している。
話はすべて「周囲には」「近しい人に」などとなっているので、この人物が直接、知り得た情報ではない。どこかで小耳に挟んだ真偽不明の噂話を、皇室をお支えすべき宮内庁の幹部たる者が週刊誌の記者を前にして、匿名でとくとくと語る心根の卑しさはどうだ。唾棄すべき下劣さではないか。
しかも、それらがすべて真っ赤な嘘だったことが判明した。それも、宮内庁の風岡典之長官が皇后陛下ご本人のお言葉をほぼそのままご紹介するに近い形での、異例の極めて厳格な否定によってである。
「皇后陛下は、皇太子妃殿下が傷ついておられるのではないかと大変心配なさっている。記事にあるようなことはなかったことを、必要であればお伝えしたいというご意向をお持ちだとうかがっている」と。
皇后陛下に「大変心配」をおかけし、皇太子妃殿下を「傷つ」ける、許し難い振る舞いだ。このような人物を税金で、しかも宮内庁の幹部としていつまでも養い続ける必要があるのか。
だが同記事中、最も問題とすべきなのは、「官邸関係者」「警察庁幹部」「宮内庁幹部」の三者揃い踏みで語っている「極秘」のある「遠大な『プラン』」だ。これこそ、山折論の“究極版”とも評し得るものだろう。即ち―
「現行の皇室典範を改正し、天皇の退位すなわち譲位を可能とする。さらには皇位継承権のある皇族が即位を辞退することも認める。そんな案が動いています」(さる政府関係者)
「(宮内庁が官邸に示したプランは―引用者)…皇太子さまには比較的早い段階で退位し、皇位を次の方に譲っていただく。譲位のお相手は、現在、継承順位第二位の秋篠宮さまではなく、そのご長男の悠仁新王だというのです」(警察庁幹部)
「(秋篠宮殿下に即位を辞退していただくのは―引用者)兄が健在なのに、弟が継承すると、兄宮がダメを出された観が強い。しかも、弟宮が皇位を簒奪したような負のイメージがつきまとい、生々しすぎる。…それは避けたいとのことでした」(警察庁幹部)
「(このプランは―引用者)宮内庁が勝手に判断して、官邸に相談できる案件ではありません。すべて天皇・皇后両陛下の思し召し。すでに天皇・皇太子・秋篠宮の三者による頂上会談でも話し合われ、納得されている話なのです」(宮内庁幹部)―と。
何ともアクロバットのような皇位継承ではないか。それが「頂上会談でも話し合われ、納得されている」だと。馬鹿も休み休み言え。まったくあり得ないことだ。内閣官房と宮内庁が揃って否定するのも当然で、それは次のような事情があるからだ。

◆世襲と自由意志は調和せず

この「極秘」プランなるものは、皇位の継承に“退位”とか“即位辞退”などの「自由意思」を認めるのが基本方針となっている。だがそれは、皇位継承の根拠をもっぱら血縁のみに限定する皇室典範の大原則を、根本から覆すことを意味する。もし、皇位の継承に自由意思の介在を認めたらどうなるか。じつは現行典範の制定にあたり、すでにこの点は十分、議論されている。
典範の準備にあたった政府の臨時法制調査会第一部会では、何人かのメンバーから自由意思による「退位」を制度として認める意見が出された(法制局A事務官、宮沢俊義氏、杉村章三郎氏ら)。しかし、それらはすべて否定し去られている。この間の事情については、宮内省文書課長で法制局参事官と臨時法制調査会第一部会幹事も兼任した高尾亮一氏がまとめた「皇室典範の制定経過」という報告書に、以下のように書かれている。
「仮りに退位の自由をいかなる形式にせよ認めることとすれば、相対的に不就任の自由も認めなければ首尾一貫したものと言い難い。…血統による継承において不就任の自由を規定したならば、その確認のために空位又は不安定なる摂位(代理による即位―引用者)という事実の起るのを防止できず、万一継承者のすべてが就位を拒否するという事態に至るならば、天皇という制度は存立の基礎を揺り動かされることになるのである。世襲による就位は自由意思の介入と調和しがたいものなのであろう」と。
こうした事情を、当事者である天皇陛下はじめ皇族方がご存知でないはずがない。だから「さる宮内庁の幹部」が語る「思し召し」も「頂上会談」でのご「納得」も、100%嘘と断定できる。この点が嘘なら、「宮内庁が勝手に判断して、官邸に相談できる案件ではありません」と言うとおり、プランの存在そのものが雲散霧消するほかない。
そもそも皇位継承に自由意思の介在を認めるなら、悠仁新王殿下ご自身が即位を辞退されることも当然、自由ということになる。
「遠大な『プラン』」を触れて回る官邸―警察―宮内庁関係者は、その点も考慮しているのか。あるいは、退位された皇太子殿下が天皇としての責任を解除される一方、太上天皇として大きな影響力は保持されることになる―という可能性も織り込んだプランなのか、どうか。

児戯に類する話をこれら三者が大真面目に語り、それを記者が真剣にメモしている場面を想像すると、思わず吹き出したくなる。だが、こうしたヨタ話を流布させて、本当は何を目論んでいるのか。そちらのほうが気になる。
と言うのは、同じタイミングで『週刊ポスト』に「秋篠宮摂政」論なる暴論が掲げられたからだ。皇位継承のラインから事実上、皇太子殿下を外そうとしているという点では、先の『主週刊新潮』の記事とも奇妙に一致する。記事のタイトルは、「宮内庁内でも議論噴出!『秋篠宮を摂政に』は是か非か」。一見、両論併記的なスタンスに見える。しかし実際は、摂政の設置がいかに重大事であるかをまったく弁えない、極めて悪質な記事だ。

◆摂政設置「二つの要件」

この記事でも、匿名の「宮内庁関係者」が登場。この人物はこんなことを語る。
「実は宮内庁内部や一部の宮家関係者などの間で、将来、両殿下が天皇皇后になられた際、雅子妃の公務負担を軽減するため、秋篠宮殿下に摂政に就任していただくべきだとする意見が出ているのです」と。
この人物は、自分が何を喋っているのか分かっているのだろうか。「雅子妃の公務負担を軽減する」ことと「秋篠宮殿下に摂政に就任していただく」こととの間には、直接に何の関係もない。言うまでもなく、摂政は天皇の「代行」者。だから、天皇は一切の「公務負担」を免除されることになる。だが、皇后はもちろん皇后のままだ。よって、その「公務負担」に大きな変化はない。
むしろ、ご病弱な大正天皇に摂政が立てられた時(皇太子・裕仁親王が摂政に就任)などは、貞明皇后のご負担はより増大したと見るべきだ。しかも、場合によっては皇后ご自身が摂政に就任する可能性もゼロではない(皇室典範第十七条)ことを、この「宮内庁関係者」は知らないのか。

この「宮内庁関係者」に限らず、この記事全体を通して、キーワードである「摂政」の何たるかが分からないで、議論が空転している気配が濃厚だ。念のため、あらかじめ「摂政」の概念規定について簡単に説明しておく。
まず、歴史上の概念としては「天皇にかわり万機を統摂する職で…文字通り天皇を代行」する立場だ(森田悌氏「摂関政治」『日本古代史研究事典』)。近代においては、大日本帝国憲法第十七条第二項に「摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ」と規定。より詳しくは、「摂政ハ…大政及ビ皇室ノ内事皆天皇ニ代リ之ヲ総攬ス」(『皇室典範義解』)とされた。
現在の憲法ではどうか。第五条に「…摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ」とある。憲法上、天皇は「国事に関する行為のみを行」う(第四条第一項)とされているのだから、摂政はそれを丸ごと代行することになる。
このように、摂政が立てられるということは、そのまま天皇に天皇としての当事者能力がないことを意味するにほとんど等しい。だから皇室典範では、摂政設置に僅かでも恣意的な判断や政治的意図が混入しないように、厳格な基準を設けている。第十六条の規定がそれだ。
「1 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。
2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室典範の議により、摂政を置く」
摂政が天皇のほぼ100%の「代行」者である以上、右の条件を逸脱した摂政の設置を画策することは、皇族であれ国民であれ、事実上、皇位の簒奪を図る行為として断じて誤りないであろう。つまり、「謀反」を企てるに等しい。
以上のことを前提として、『週刊ポスト』の記事を点検してみよう。

◆「摂政」論の愚劣さ

記事中、皇室典範の設置要件から逸脱した摂政の設置を、公然と唱えている人物がいる。その代表的存在が、「皇室に詳しい」とされる高崎経済大学教授の八木秀次氏だ。彼は「秋篠宮摂政」論に対し、「いま考えられる最も現実的な選択肢だ」と、もろ手を挙げて賛成している。そのうえで、こんなことを述べる。
「雅子妃が療養を続けたまま皇太子殿下が天皇に即位された時、ご夫妻が十分に天皇皇后としてお務めできるだろうか、という懸念が国民から出てくるのは当然です。そのとき、秋篠宮殿下が摂政としてサポートできれば、状況はずいぶん改善されるのではないか」と。
不思議な発言である。摂政はもちろん皇后の「代行」者ではなく、「サポート」役でもない。それで一体、何がどう「改善される」のだろうか。
一方、もし摂政が立てば、天皇ご本人にはなずべき「お務め」はなくなってしまう。ご健康でご公務への意欲に富む天皇に何もすべきことがなくなって「状況はずいぶん改善される」とは、どういうことなのか。
それに加えて、「ご夫妻が十分に天皇皇后としてお務めできるだろうか」というのも、皇太子・同妃両殿下に対し、“上から目線”で勤務評定しているかのような、ずいぶん不遜な言い方ではあるまいか。
八木氏はさらに、外国へのご訪問について、こんな発言もしている。
「(天皇の―引用者)代わりに秋篠宮ご夫妻がご訪問したとしても、一宮家の立場だと格が下がってしまう。しかし、摂政宮とその妃という立場なら重みが生まれ、相手国の受け止め方も変わってくるはずです」と。
ひょっとして、八木氏は本当に摂政の何たるかを知らないのか。それとも、わざと知らないフリをしているのか。いずれにしても、摂政というのは、外国をご訪問される皇族の「格」を上げるために軽々しく設けてよいものではもちろんない。「重み」をつけたいなら、天皇。皇后両陛下の「ご名代」としてお出ましになればよいだけの話だ。
逆に、ご健康な天皇がおられるのに摂政が訪れたたら、迎えたほうは日本でクーデターでも起こったのかと疑いかねないだろう。それに何より、皇太子殿下が即位された暁には、秋篠宮殿下は、いまの皇室典範の規定のままなら皇位継承順位は第一位に繰り上がり、歴史上の用語で言えば「皇太弟」として、皇太子に匹敵する「重み」をすでに帯びておられるはずだ。
記事のなかには、匿名の「外務省関係者」の発言も出てくる。「昨年8月のロンドン五輪の時のように、被災地への慰問と海外訪問が重なるような時に、もし摂政がいれば、公務を国事行為として代行できる。…現実的に天皇をサポートしやすくなる」と。
この人物も、摂政を「サポート」役と勘違いしている。しかも、「被災地への慰問」も「海外訪問」も公的行為とされるもので、決して憲法に定める国事行為ではない。そのことは、摂政を設置しても何の変更もあろうはずがない。にもかかわらず、「もし摂政がいれば、公務を国事行為として代行できる」とは何のことか。どうやらこの「外務省関係者」は、憲法を読んだことがないらしい。
記事中、「秋篠宮摂政」論に反対しているのは、皇室ジャーナリストの山下晋司氏と國學院大學大学院名誉教授の大原康男氏。山下氏は、「摂政を置く事由という皇室典範の中でも非常に重要な規定を簡単に変えていいものか大いに疑問です」と述べる。大原氏も、「そもそも天皇に心身の故障がないのに、摂政を置くのは制度上の目的に反します」と一蹴した。どちらも正論だ。

◆極めて重いテーマ

摂政の設置の意味をストレートに示すのは、皇室典範の条文に「皇室会議の議により、摂政を置く」とあることだ。これは、天皇になり代わって天皇の「お務め」を丸ごと代行する摂政は、天皇ご自身のご意思に一切かかわりなく、もっぱら「皇室会議の議」のみによって設置されるとの規定だ。
天皇が海外にお出ましになる時などの国事行為の「委任」については、憲法に「天皇は…委任することができる」(第4条第2項)とあって、内閣の助言と承認を必要としながらも、あくまで「天皇の意思によって委任される」(昭和39年4月23日、参議院内閣委員会での宇佐美毅宮内庁長官の答弁)建前であるのとはまったく異なる。これはなぜか。
それは、「天皇に意思、能力が…ない場合に」摂政が置かれるからである(前出宇佐美答弁)。「摂政が置かれる場合は、天皇の意思能力にかかわりのあるような事態、天皇が委任されるというようなことの発意といいますか、そういう意思がない場合」。つまり、「天皇に意思能力があう場合の代行」が「国事行為の臨時代行に関する法律」にもとづく国事行為の「委任」であるのに対し、摂政の設置というのは、天皇ご本人に「意思能力が欠ける場合の代行」なのだ(昭和39年3月19日、衆議院内閣委員会での高辻正巳内閣法制局次長の答弁)。したがって、「皇室会議の議」によるほかないのは当然であろう。
それだけに、摂政の設置は慎重のうえにも慎重を期さなければならないし、設置の要件をいささかでも緩和することがあってはならない。
摂政の設置についていまの典範は、明治の典範の規定をほぼそのまま踏襲している。その意味で、典範下で摂政を立てた唯一の前例として、畏れ多いことながら大正天皇のケースを振り返っておくことも無意味ではなかろう。
大正天皇のご病状は、何らかの原因により脳細胞の崩壊が進行する変成疾患と考えられている(篠田達郎氏『歴代天皇のカルテ』)。原因については、「幼時の脳膜炎と天皇就任後の心労」とされる(古川隆久氏『大正天皇』)。
大正天皇は大正7年の年末頃から体調の悪化が始まり、同9年7月には、首相の原敬が自分の日記に「御病気ニ付テハ拝謁ノ度ゴト只々感泣ノ外ナク」(同月24日)と書くまでに悪化していた。
ついに同10年11月25日、皇族会議と枢密院で皇太子・裕仁親王(のちの昭和天皇)の摂政就任が議決される。摂政設置の詔書の天皇のご署名は裕仁親王が代筆し、摂政としての親王ご自身の署名も付された。
これに先立って、松方正義内大臣と牧野伸顕宮内大臣が天皇に面会し、摂政の設置の必要性と手続きについて説明した時、ただ「アーアー」とお答えになるばかりで、「恐れながら両人より言上の意味は御会得遊ばされざりし」有り様だったという(『牧野伸顕日記』)。
それでも、摂政の設置に伴って正親町実正侍従長が天皇の印判を持ち去ろうとすると、「一度は之を拒ませられ」、その後に拝謁した内山小二郎侍従武官長に「先程侍従長は此処に在りし印を持ち去れり」と訴えられたようだ」(『侍従武官日記』)。
まことに痛ましい限りだ。だが我々が直視すべきは、摂政の設置というのは、こうした局面に立ち至って初めて検討課題とすることが許される極めて重いテーマだということである。「秋篠宮摂政」論など、率直に申し上げて烏滸の沙汰と言うべきだろう。

◆ご病気の原因

以上、どのような意図や背景があるのか十分、見極めることはできないが、皇太子殿下の即位を事実上、阻もうとしているとしか考えにくい二つの「暴論」の問題点を明らかにした。
これらに共通した“根っこ”の部分に、皇太子妃雅子殿下のご療養の長期化という事実があることはもちろんだ。両陛下のご心配はもとより、国民の心にもそれが暗い影を投げかけていることは否定できない。しかし、その長期化の大きな原因の一つは、週刊誌などによる根も葉もない誹謗中傷報道だろう。
いちいち紹介する余白はないが、たとえば平成16年には敬宮殿下が自閉症ではないかと騒がれたことがある。もちろん、まったく事実無根だったが、当時、『週刊新潮』は「雅子さまだけではない『愛子さまも危ない!』という閉ざされた宮内庁への『危惧』」(6月24日号)という記事を載せた。
また同18年には、雅子妃殿下の「離婚」説が取り沙汰されている。その発端となったのは『週刊新潮』(1月5・12日号)のデタラメ記事だった。こうした悪意あるバッシング報道が波状的に襲いかかってくれば、メンタル面のご病気によい影響を与えるわけがないだろう。
おそらく妃殿下のご病気は、(1)側室不在の条件下で皇統を継ぐ男児出産への重圧、(2)「宮内庁関係者」による不確かな情報のリーク、(3)メディアによる悪意ある報道の繰り返し、などが複合してご発病になり、ご快癒が遅れているのであろう。
5年あまりにわたって東宮大夫を務めた野村一成氏は「身近にお仕え申し上げた者として」、妃殿下が国民からのご公務の依頼に対し「何とかお受けできないかと前向きな形でご検討が進められ」ながら、医師のご助言などによって「多くの場合、お受けできないということになりますが、そのこと自体を一番残念に思っていらっしゃるのは妃殿下ご自身だと思う」と述べている(6月9日のNHK「ご成婚20年 皇太子さま雅子さま」)。
よく批判される「ドタキャン」にしても、端っからお断りになれば済むのに、国民からの依頼に「何とか」応えようとしてギリギリまで努力された結果、という側面にも公平に目を注ぐ必要がある。いずれにせよ、「雅子妃の生涯が『不幸』で終われば(今後、男性皇族の―引用者)配偶者を見つけるのはラクダが針の穴を通るより難しくなる」(鳴門真彦氏)んpはたしかだろう。
だがそれはともあれ、皇位の継承という一大事は、国家の理義において、雅子妃のご療養とは何のかかわりもない遥かに高次の問題である。そこを混同したところから、本稿で取り上げた暴論が生まれている。この点は、くれぐれも感情的に混同してはならない。

◆高貴なる自己犠牲

かつて昭和から平成に移る頃、今上陛下と先帝を並べて、“頼りない”とか“威厳が足りない”などと勝手な不平を並べ立てる国民が一部にいた。いまから顧みると、何と愚かなことかと誰しも思うはずだ。その、人々に今上陛下の真価がまだよく見えていなかったご即位直後の頃に、こんな文章を書いた人がいた。
「新帝(今上陛下―引用者)は先帝陛下(昭和天皇―引用者)の御心をよくご理解なさつてゐるやうに思はれる。一部の者には新帝に不満をもつ者もをるやうだが、それならもし新帝が無限の責任を負ふやうな立場につくのは嫌だとおほせられたらどうするのか。
新帝は学習院に育ち、自由というものについても、陣営の楽しみがどのやうなものかも知つていらつしやる。それなのに自分のたつた一度の生涯を犠牲にして、最も不自由な地位である皇位に就いて下さつた。自分は公の為に生まれたのだといふことをお認めいただけたのだ。それだけでもう涙が出るほど有難いことではないか。爾余は問ふに足りぬ事である」(葦津珍彦氏「悲史の帝」『文藝春秋臨時増刊号「大いなる昭和」』平成3年)
皇位の継承について「制度」上、自由意思の介在を認めることはできない。しかし「事実」のレベルでは、即位の辞退を押し留めることは誰にもできない。天皇陛下ははっきりと「公の為に」とのご覚悟をもって、「無限の責任を負ふ」「最も不自由な」第125代の皇位にお即きになった。そのことは、陛下の次のお言葉(平成6年6月4日の文書回答))に鮮明に表現されている。
「日本国憲法には、皇位は世襲のものであり、また、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であると定められています。私は、この運命を受け入れ、象徴としての望ましい在り方を常に求めていくよう努めています。したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由は望んでいません」
かくも高貴かつ峻厳なる自己犠牲の精神によってこそ、わが国の公共の秩序を根底で支える皇位の盤石さは、見事に保たれ得るのである。まさに、「涙が出るほど有難いことではないか」。
省みると、我々は皇室に「求める」気持ちばかり強く、その恩恵に「報いる」という発想がほとんどないのではあるまいか。妃殿下のご快癒の一日も早からんことを祈り上げるとともに、皇室の弥栄を支える国民の覚悟をしっかりと固めたい。
(終わり)


上記記事に関しては私の方で改めて検証を加えるまでもないと思いますが、高森氏が基本的に「皇族無謬派」に立っていることは多少留意しなければならないでしょう。つまり、一連の「皇太子殿下排除論」の背後には両陛下と秋篠宮ご夫妻自身がいらっしゃる…という可能性については敢えて考えない・触れないという姿勢であるという意味です。
その点で、高森氏と我々の考え方には多少の齟齬が生じているとは思いますが、あまりにも馬鹿げた「秋篠宮摂政論」などに対して反論してくれた言論人がいるという点は、記録に残しておいて良いと思います。

高森氏は、陛下の生前退位ご希望報道の後、下記のような良記事を書いています。

気品あふれる「愛子さま」天皇になれば日本が救われる(週刊FLASH 2016年9月26日号)
社会・政治 2016.10.04


(以下、高森氏の意見部分を抜粋)
天皇直系である愛子さまが皇太子になるのが本来の姿と指摘するのは、皇室研究者の高森明勅氏だ。

「誰それが(天皇に)ふさわしいというような属人的な議論をしているわけではない」と前置きしたうえで、こう語る。

「天皇の次はもちろん皇太子。皇太子の子をお世継ぎにするのが、神武天皇以来の直系優先の伝統です。愛子さまが天皇になられるのが、日本の伝統にのっとり、安定した皇位継承を確保するための、唯一の正解なんです」

そもそも、天皇家の長い歴史には10代8人の女性天皇が存在した。

「しかも、すべてが男系ではありません。第43代元明天皇から第44代元正天皇への継承は『母から娘』へ皇位が移っており、当時の律令の規定に照らして『女系継承』※といえるのです。
もともと、日本では男系・女系の両方が機能する『双系』がベースにあるんです」(高森氏)

(中略)
高森氏は菅官房長官の発言にこそ注目すべきだという。

「菅さんは同時に『安定的な皇位継承の維持も考えていく必要がある』として、じつは明確には女性天皇を否定していないのです。二階さんは老練な政治家ですから、観測気球を上げて、安倍さんが傷つかないようにしながら、瀬踏みしたのではないでしょうか」


愛子さまには、愛される天皇の素質が間違いなくある。

※元正天皇は父方を通じて男系の皇統にもつながっているが、「当時の律令では、『女帝の子』は男系ではなく女系で位置づけるべきと明文化していたことから、この場合は女系天皇と理解する」というのが高森氏の主張です。

(以上)

しかし一方で、高森氏は最初にご紹介したWillの記事の中では、

>秋篠宮殿下は、いまの皇室典範の規定のままなら皇位継承順位は第一位に繰り上がり、歴史上の用語で言えば「皇太弟」として、皇太子に匹敵する「重み」をすでに帯びておられるはずだ

とも述べており、あくまでも典範改正がなされないままなら秋篠宮様が皇太子に準じる立場になることは否定できない、といった考えのようです。

高森氏のWill記事は、天皇の生前(自由)退位の危険性などにも言及していますが、まさに今、この危険性が現実味を帯びることになってしまったわけです。だからこそ、高森氏が指摘している問題は現時点でも注視すべきことと思うのです。

それにしても、こんなに皇太子殿下のお立場をないがしろにし、秋篠宮様を摂政にすべきというおかしな議論が展開されてきた後に、まさか陛下ご自身に対し「生前退位よりも皇太子殿下に摂政になっていただいてはいかがか?」という案が保守層から出されてしまったことは、皮肉としか言いようがありませんね。皇太子殿下が摂政になることを陛下があれだけ拒絶し、あくまでも生前退位(両陛下の言によれば“譲位”)にこだわりを見せられたのは、この辺りにも理由がありそうだと個人的には思います。

執拗に繰り返し主張されていた「秋篠宮摂政論」3

今回は引き続き、「秋篠宮様を摂政に!」という内容の記事をご紹介させていただきます。
いったん論破されて“立ち消え”になったはずの摂政論が、再び息を吹き返したという異常事態がお分かりいただけるかと思います。そして、今回ご紹介する記事が、今現在問題視されている「秋篠宮立皇嗣」による好待遇にも密接に関連してくることが見えてくるのです。

週刊ポスト 2013年6月28日号

[皇室レポート]八木秀次氏「一番現実的な選択肢」大原康男氏「皇室典範の目的に反する」
宮内庁内でも議論噴出!「秋篠宮を摂政に」は是か非か
-これは天皇、皇太子、秋篠宮、そして悠仁親王の将来を考える上で重大な提案である


皇統の安定的な継承に関する議論は一向に進まず、各方面から不安の声があがっている。将来の皇室は、どうあるべきなのだろうか。―宮内庁内部からは皇室のあり方を大きく変え得る、大胆な提案が浮上してきた。

◆国事行為の代行が容易に

去る6月9日、皇太子殿下と雅子妃が成婚20年を迎えた際、両殿下は文書で発表した「ご感想」の中で次のように述べた。
「雅子につきましては、療養が長くなり、ご心配をいただいていることと思いますが、お陰様で、依然と比べ大分元気になったように思います」
当日のテレビ報道の多くは、雅子妃が11年振りの海外公式訪問となるオランダ訪問(新国王即位式への参列)を果したことなどを取り上げ、回復ぶりを強調した。
だが、宮内庁周辺にはその祝賀ムードとは裏腹の動きがあると、宮内庁関係者が明かす。
「実は宮内庁内部や一部の宮家関係者などの間で、将来、両殿下が天皇皇后になられた際、雅子妃の公務負担を軽減するため、秋篠宮殿下に摂政に就任していただくべきだとする意見が出ているのです」

皇室に詳しいジャーナリストは、その背景をこう説明する。
「オランダから帰国後、期待された雅子妃の公務による外出がただ一度に限られ(故寛仁親王喪儀墓所一周年祭の儀に参列)、被災地訪問の計画も先行き不透明な状況から、やはりご病状の回復はなかなか難しいという認識がある。その一方、精力的に公務に励まれる秋篠宮ご夫妻の存在感が、必然的に高まっている」
そうした現状を背景に浮上したのが「秋篠宮摂政論」である。皇室制度に関する有識者ヒアリングに出席するなど、皇室に詳しい八木秀次・高崎経済大学教授は、「いま考えられる最も現実的な選択肢だ」と評価する。
「宮内庁内で検討課題になっていなければおかしい話ですが、これまでは選択肢の一つとして話すこと自体、タブーとされてきました。しかし、いまやこれに関する議論を避けてはいけない。
歴史上、天皇皇后両陛下が一緒に行動することは必須ではありませんでしたが、その当時の皇后のお務めを果たしていた。たとえば香淳皇后も、昭和天皇の巡幸や外国からの国賓を招いた晩餐会のときには同席されることがほとんどでした。
まして平成においては皇后陛下の存在感は増し、被災地などへ両陛下揃ってのご公務というスタイルが定着し、国民から支持されています。だとすれば、雅子妃が療養を続けたまま皇太子殿下が天皇に即位された時、ご夫妻が十分に天皇皇后としてお務めできるだろうか、という懸念が国民から出てくるのは当然です。そのとき、秋篠宮殿下が摂政としてサポートできれば、状況はずいぶん改善されるのではないか
例えば、ある国にはご夫妻で訪問するのに、別の国ではおひとりで訪問するとなれば、相手国から見れば不公平との憶測も呼びかねない。実際、皇太子夫妻でのオランダ訪問後、皇太子の単独訪問となったスペインのメディアは、「皇太子はまた一人になった」「雅子妃は再び檻に戻り悲しんでいる」(エルパイス紙)などと書き連ねた。
代わりに秋篠宮ご夫妻が訪問したとしても、一宮家の立場だと格が下がってしまう。しかし、摂政宮とその妃という立場ならば重みが生まれ、相手国の受け止め方も変わってくるはずです」(前出・八木氏)
また近年、皇室外交の重要性が高まるなか、国内公務との兼ね合いにも有効だと語るのは外務省関係者だ。
「昨年8月のロンドン五輪の時のように、被災地への慰問と海外訪問が重なるような時期に、もし摂政がいれば、公務を国事行為として代行できる。現在、法律的には皇太子が行う“国事行為臨時代行”は、あくまで天皇陛下が委任し、内閣の助言を必要とするものですが、摂政は天皇が国事行為を行うことが出来ない場合の法定代理機関として位置づけられ、代行しやすい。現実的に天皇をサポートしやすくなる」

もちろん、摂政論が浮上する背景はそれだけではない。もうひとつの事情は、皇位継承順位3位にあり、将来、天皇に即位する可能性が極めて高い悠仁親王の待遇にある。
悠仁親王に帝王学を授ける際、秋篠宮家が一宮家にすぎないと、かけられる予算に限りがあります」(宮内庁関係者)
皇室経済法に基づき、天皇及び内廷にある皇族が使う日常の費用やその他の内廷諸費(内廷職員の給与など)にあてる「内廷費」は、今年度で3億2400万円。これを天皇皇后、皇太子一家の5人で使う。一方、各宮家にある皇族が品位保持のために使うのが「皇族費」で、一家5人の秋篠宮家の場合、今年度で6100万円にすぎない。摂政になった場合の皇族費がどうなるのかは、「家庭の話については、回答を差し控えさせていただく」(宮内庁総務課報道室)というが、賛成派は摂政になることで待遇が改善されることを期待している。
さらに、摂政論には宮中祭祀も大きく関係する。前出・八木氏が続ける。
「天皇の最大の役割は国家と国民のために祈ること、すなわち宮中祭祀にあります。そのやり方は一子相伝で父から子へと伝えられてきました。現状のままでは、次男である秋篠宮殿下は一子相伝に与らず、したがって悠仁親王に伝承することが難しい。しかしこれも、秋篠宮殿下が摂政に就任すれば、いま以上に宮中祭祀に深く関わることができ、悠仁親王への伝承がしやすくなる可能性もある
宮内庁総務課報道室は摂政論について、「そのような検討は一切しておりません」と答えるが、内外で議論が噴出しているのは間違いない。

◆兄弟関係悪化の懸念

だが、現実に秋篠宮が摂政に就任するには高いハードルがある。
ひとつは皇室典範の規定だ。皇室典範はその第3章第17条で摂政に就任する順序を「1、皇太子又は皇太孫 2、親王及び王 3、皇后 4、皇太后 5、太皇太后 6、内親王及び女王」と定めている。皇太子が天皇に即位した後であれば、「2、親王及び王」にあたる秋篠宮が順序第1位となるので、その点では問題がない。しかし、そもそも第16条により、摂政を置くのは、「天皇が成年に達しないとき」と、「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」に限られている。現在、皇太子はそのいずれにもあたらず、天皇に即位するであろう将来も同様である。
「雅子妃殿下が公務を十分に果たせないことを理由に、秋篠宮殿下が摂政に就任するには、皇室典範を改正する必要があります。しかし、摂政を置く事由という皇室典範の中でも非常に重要な規定を簡単に変えていいものか大いに疑問です」
と、皇室ジャーナリストの山下晋司氏は話す。
さらに、「秋篠宮殿下の摂政就任は根本的な問題を孕む」と指摘するのは、國學院大學大学院名誉教授の大原康男氏だ。
「現行の皇室典範は、皇位継承順位を明確に定め、摂政を置く事由も極めて限定し、摂政に就任する順序を明確に規定しています。そして、皇位継承が行われるのは天皇が崩御された時に限定する、つまり、生前退位を認めていません。それらはすべて、皇位継承を巡って皇族間の争いが起こった過去の悲史を繰り返さないためです。明治憲法下の旧皇室典範で初めて明文化された。そもそも天皇に心身の故障がないのに、摂政を置くのは制度の目的に反します」
たしかに、天皇家における兄弟は常にデリケートな関係を孕んできた。古くは672年の「壬申の乱」で、天智天皇の太子・大友皇子に対し、弟宮である大海人皇子(後の天武天皇)が反旗を翻した古代日本最大の内乱が起きている。
昭和天皇の時代も、弟宮の秩父宮は陸軍の幹部と交流をもったことから、陸軍将校がクーデターを企てた2・26事件(1936年)に巻き込まれ、同じく弟宮の高松宮とともに、すぐ天皇のもとに直接、詫びに行っている。この当時は元老・西園寺公望が「軍部に利用された弟宮が皇位を簒奪するのでは」と危惧するほどだった。
それほど微妙な関係にある天皇家の兄弟が、天皇と摂政という地位を分け合うことになれば、どうなるか。
摂政論を置く賛成派にも、皇太子家と秋篠宮家の関係悪化を危惧する声はある
」(宮内庁関係者)という。

◆「いますぐ秋篠宮を摂政に」

それでもいま「秋篠宮摂政論」が論議される背景には、「天皇皇后の健康問題」という避けては通れない事情がある。
昨年2月に心臓の冠動脈バイパス手術を受けた天皇は「手術前より元気になられた」という見方もあるが、79歳という高齢である。さらに最近、78歳になった皇后が公務を休まれるという異例の事態もあった。
「皇后陛下は大変我慢強く、極めて責任感の強いお方です。その皇后陛下が公務をお休みになる、しかも当日になって発表されるのはよほどお辛かったからではないでしょうか」(宮内庁関係者)
その状況下で、一部ではさらに踏み込んだ意見も飛び出している。「今すぐ、秋篠宮殿下を摂政に」と唱えるのは、元内閣総理大臣官房・内閣安全保障室長で、昭和天皇の大喪の礼の警備担当実行委員も務めた佐々淳行氏である。
「本来、両陛下に代わって公務を行うべきは皇太子ご夫妻ですが、残念ながら雅子妃はご病気のために十分な役割を果たせず、皇太子殿下も雅子妃のご病気のことで目一杯になられている。ならば、雅子妃には今は徹底して療養していただき、皇太子殿下もそれに専念なさるほうがいいのではないでしょうか。その間、秋篠宮殿下に摂政をお任せしてはいかがでしょうか」
確かに天皇皇后の公務削減は喫緊の課題であるが、東日本大震災の被災地・被災者お見舞いをとってみても、皇太子夫妻がこれまで5日(皇太子単独が2日)に対し、秋篠宮夫妻は13日と、秋篠宮夫妻の公務への取り組みが目立っている。
だが、今すぐ-すなわち今上夫妻から皇太子へ皇位継承が行われる前に、秋篠宮が摂政に就任するには、就任の事由に加え、本来摂政になるべき順位にある皇太子との間で、就任順位まで変える必要が生じるなど、さらにハードルは高まり、現実的には難しく、かつ反発も強い。
しかし、「秋篠宮摂政論」の是非や実現性はともかく、皇室の将来が皇室内外で真剣な議論を呼んでいる現実がある。
宮内庁担当記者が明かす。
実は、昨年2月に天皇陛下が手術を受けて以降、月1回のペースで、皇居内で天皇陛下、皇太子殿下、秋篠宮殿下の御三方に宮内庁長官を加えた会合が行われている。そこで話し合われているのは、被災地のお見舞いスケジュールだけではないはずです。皇太子殿下が天皇に即位した場合、雅子妃は皇后としてどれだけの活動ができるのか、あるいは秋篠宮殿下が天皇となった皇太子殿下をどう支えていくのか、さらに今後の皇位継承や皇室の在り方をどうしていくか、といった重大なテーマについても、話し合われているのではないでしょうか」
秋篠宮はあくまで兄である皇太子を陰から支える姿勢を一切崩していない。それでも周囲が摂政になるのを期待してしまうのは、現在の皇室が近代では極めて異例の状態にあるからだ。
前出・八木氏が話す。
「将来の皇位継承者が悠仁親王しかいない以上、これまでの皇室制度とは違った前提の議論を展開する必要があるはずです。江戸時代の光格天皇(在位1780年~1817年)以降、父から子への皇位の直系継承が続いており、兄から弟の系統に皇位が移るような傍系への皇位継承は、数百年ぶりになる。現状の皇室典範も皇室のあり方も、父子間の継承しか想定されていない。議論の前提が変わったことを認識した上で、さまざまな選択肢を検討する必要があるのではないか」
皇室が歴史的な転換点に立っていることは間違いない。今、皇室の将来について国民も真剣に考えるべき時がきている。
(終わり)


さて、先日亡くなった佐々氏が最初に「秋篠宮摂政論」をぶち上げたのは、週刊ポスト2011年12月9日号でした(当ブログでもご紹介済みです)。しかしその説はあまりにも無理がありすぎ、悉く論破され「実現はまず不可能・無理」という結論が出たものとばかり思っていました。
ところが2年後、同じ週刊ポストで、今度は男系男子カルトの八木氏まで登場して、性懲りもなく再び同じ説が持ち上がることになったのです。論破されても無理を押し通すようなこの感じ、本当にしつこくて執念深いと感じませんか?
しかも2013年当時に唱えられた「摂政論」によってもたらされる「秋篠宮様に対する待遇」が、現在問題になっている「秋篠宮皇嗣問題」と密接に結び付いていることがお分かりいただけるでしょうか。
予算の拡充はもちろんのこと、外国に行く際の「格付け」「身位」、悠仁様にスムーズに皇統教育を授けるための道筋付けなど、現在、秋篠宮家が喉から欲しがっているものと深く関連しているのです。

「摂政」という呼称を得なくても、摂政基準の予算3倍化計画などは、まさにこの2011~2013年の「摂政論」からヒントを得たものだと言えると思います。

上記ポスト記事も触れている通り、両陛下が高齢・病気となり、寿命のリミットが近づき、「お取り巻き」の連中が慌てていることが一因なのは確実でしょう。秋篠宮家押しの両陛下がご存命のうちに、秋篠宮様に「しかるべき地位」を与えたい―これこそが一連の「東宮ご一家外し・秋篠宮家優遇キャンペーン」の目的だということが、よくお分かりになるでしょう。

上記記事も男系男子派の八木氏が出しゃばってきてトンチンカンなことを言っていますが(ちなみに摂政についてまともな説明をしている大原氏も一応男系男子派だと思われます)、こうやって男系男子固執派の人物ばかりがメディアに登場し、女帝・女系天皇支持派がほとんど表に出てこないことはあまりにも不自然です。「愛子天皇論」が絶対に出てこないのは明らかな意図があるからでしょう。「箝口令」「タブー」とし、それを口にした者は様々な脅しをかけられるのではないかと想像してしまうのです。それくらい「愛子女帝論」が出てこない状況は異常すぎます。まさに言論統制!
メディアは頻繁に雅子様のご病気や公務欠席をバッシングしてきましたが、大切な一人子の敬宮愛子様がここまで存在を無視されないがしろにされれば、母親なら病んでしまうのは致し方ないことです。しかし「一人子を思う母の気持ち」すら、雅子様の場合は酷いバッシングを受けてきました。もはや倫理も道徳も消え去った状況でした。

まず一番最初に議論しなければいけないのは「愛子天皇に賛同するか否か」しかないのにそれが完全に無視され、「敬宮様と秋篠宮様(悠仁様)のどちらが天皇にふさわしいか」というアンケート(しかるべき組織が主催したもの)すら一回も行われたことがありません。それも「タブーな質問」なのでしょうね。


ところで、上記記事ではスペイン紙が
>「皇太子はまた一人になった」「雅子妃は再び檻に戻り悲しんでいる」
と報じたことが書かれています。これは海外こそ、雅子様が置かれている厳しい状況に思いを馳せ、深く理解していることの表れだと思います。上記ポスト記事は「行ける国と行けない国が出るのは外国にとって不公平」と見当違いなことが書かれていますが、スペインは「雅子様はなぜ我が国に来てくれないんだ!オランダには行けたのに不公平ではないか!」という意図など、まったく持ち合わせていません。むしろ「雅子様はオランダから帰国後、再び海外に行けない不自由な身に戻されてしまった」と、深く同情していることが読み取れます。ポストが本気で「海外は不公平だと怒っているだろう」と感じているなら、あまりにも頭が悪すぎますね。

繰り返しますが、2011年~2013年に登場したこの「秋篠宮摂政論」が、現在の「秋篠宮立皇嗣」につながっていることは確実であると言えます。上記記事で大原氏が「天皇の生前退位は問題が大きい」と警鐘を鳴らしていますが(彼は今上陛下の生前退位に関する有識者会議でも反対の意思を示しています)、まさに大原氏の懸念通りのことが、今、起きようとしているのです。

法解釈や法の運用に無理があろうと何だろうと、それを捻じ曲げてまで秋篠宮家を好待遇にすべきという一連の動きを見ると、「無理が通れば道理引っ込む」とはまさにこのこと、もはや民主主義も法治国家もどこへ行ったやら…という印象です。両陛下・一部の皇族・ある種の思想に染まっている首相や政治家など、この国はもはや一部の支配層による人治国家に成り下がったのかもしれません。

しかし、佐々氏や八木氏の言う「無理やり摂政論」に対し、反論文が出ているのも事実です。
次回以降、大原氏・高森明勅氏などによる反論記事をご紹介したいと思います。

執拗に繰り返し主張されていた「秋篠宮摂政論」2

本日、非常に腹立たしいニュースが飛び込んできました。

「立皇嗣の礼」は再来年4月に
2018年10月10日 4時30分


天皇陛下の退位と皇太子さまの即位に伴って、秋篠宮さまが、皇位継承順位1位を意味する「皇嗣」になられることを広く国民に明らかにする「立皇嗣の礼」について、再来年4月に行われる方向で調整が進められていることがわかりました。

来年春の天皇陛下の退位と皇太子さまの即位に向けて、政府は、ことし4月、一連の退位や即位の儀式に加え、秋篠宮さまが皇位継承順位1位を意味する「皇嗣」になられることを広く国民に明らかにする「立皇嗣の礼」を、憲法で定める国事行為として行うことを決めています。

関係者によりますと、「立皇嗣の礼」の時期などについて、内閣官房や儀式の事務を担う宮内庁などで検討した結果、来年10月に皇太子さまが即位を内外に宣明する「即位礼正殿の儀」に臨まれてからおよそ半年後の再来年4月、皇居・宮殿の「松の間」などで行う方向となり、調整が進められているということです。

退位や即位に伴う式典を円滑に実施するため、政府は、12日にも総理大臣を委員長とする「式典委員会」の初会合を開く見通しで、宮内庁も「大礼委員会」を設けて検討を進め、「立皇嗣の礼」の期日や次第についても決められていくことになります。
(ニュースここまで)


そもそも秋篠宮様の「立皇嗣」など、国民の大半は誰も賛成していません。陛下の生前退位のドサクサに紛れていつの間にか議題にないことが有識者会議で話し合われ、国民の議論を全く経ないまま、一部の方々だけで勝手に決められてしまったことです。国民の声を無視して、それでもこのようなものを国事行為として強行するというのでしょうか。どうしても東京五輪の前に立皇嗣礼をやってしまいたい、秋篠宮様の立場を確定してしまいたいという執拗な意思を感じます。

しかし上記ニュースはよく読むと、
●「皇位継承順位1位」としか書かれておらず、「確定的な皇位継承者」とは違うニュアンスであること(「1位」=確定、ではない)
●「国内外に宣明」する「即位の礼」と異なり、「国民に知らせる」程度のものであるという感じで書かれていること

に気付きます。
そうなんですよ。「皇嗣」は皇太子と違って、継承権が「確定」したものとしては扱えないのです。どんなに「順位1位」と言い張っても、典範改正されて女子も皇位を継げるようになれば、敬宮愛子様が1位で皇太子となり「確定的皇位継承者」となり秋篠宮様の順位は下がります。敬宮様がいらっしゃる以上、秋篠宮様の順位は確定できない性質のものなのです。
そしてこんな男尊女卑の儀式など、世界にアピールしていいものではありません。日本の恥になります。だから「国民に広く知らせる」としか言えないのでしょうね。
ここまで秋篠宮様優遇のニュースが報じられていながら、秋篠宮家シンパや男系男子カルト連中が一向に“勝利”の雄叫びを上げないのはどうしてだかわかりますか?彼らも内心では分かっているのですよ。秋篠宮様が正式な確定的皇位継承者とは異なる、あやふやで微妙な立場だということを。彼らもまだまだ不安なのです。だから「我々は勝った!」と言えないのですよ。

しかしだからと言って、こんな日本の暗部を晒すような儀式を認めるわけにはいきませんし、必ず阻止しないと駄目です。
秋篠宮家サイドは「皇嗣待遇」「立皇嗣礼」を盾に、絶対に様々なことを要求してくるはずですから。

上記ニュースと関連して、今回も「東宮家を排除して秋篠宮に皇統を移そうキャンペーン」の一環としての記事を引き続きご紹介したいと思います。「秋篠宮摂政論」関連などです。

テーミス 2012年1月号

宮内庁&東宮職の責任は重い
皇太子「廃嫡」&秋篠宮「摂政」の波紋広がる
天皇陛下の深刻な病状や女性宮家創設の動きの裏で皇室解体を目論む勢力も出てきた


◆「定年制」発言が波紋を呼んで

気管支炎による天皇陛下の入院を契機に、「女性宮家」創設に向けた皇室典範改正の検討が民主党政権で始まったが、次世代の皇室はどうなるのか。秋篠宮さまの動きが今後、注目されていきそうだ。

秋篠宮さまのお誕生日会見(11月30日)は、両陛下への肉親の情に満ち溢れたお言葉が目立った。象徴的だったのは、関連質問の中で「天皇陛下の定年制」について問われたときのご発言だった。
「私は『定年』という制度はやっぱり、必要になってくると思います。ある一定の年齢を過ぎれば、人間はだんだん年をとって、いろんなことをすることが難しくなってきます」
天皇は明治時代以降、亡くなるまで退位も譲位もできない“終身制”だ。今後の皇室の在り方に大きく踏み込んだこのご発言について、宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司氏は、次のように語る。
「秋篠宮殿下のご真意は図りかねますが、例えば国事行為だけは天皇が行い、その他の公務は皇太子が常に名代を務めるという方法も考えられます。名代はその都度任命されるものですが、それを恒常的にするということです。ご健康とご公務はバランスの問題ですが、定年制も課題の一つになるでしょう。ただ、陛下はご自分からはおっしゃらないでしょうから、身近で接している秋篠宮殿下は心配なのでしょう」
一方、皇太子さまとの関係には微妙な距離感をうかがわせた。
「今後の皇室の在り方というものを考えるときには、その過程で、私、もしくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあってよいというふうに思っております」
宮内庁関係者が解説する。
「秋篠宮殿下は原稿を読み上げるのではなく、ご自分のお言葉で発言された。皇太子殿下とはあまり交流がないことが下地にあり、暗に『皇太子殿下の考えは知らないから私の意見を述べさせていただきたい』ということが、無意識に出ていた」
陛下が東大病院から退院された翌日の11月25日、読売新聞が「『女性宮家』の創設検討」と一面で報じ、平成皇室の根本的かつ喫緊の課題「安定的な皇位継承」の問題が再びクローズアップされた。皇位は皇太子さま→秋篠宮さま→悠仁さまと継承されていく。それでも皇室の安泰にはほど遠い。女性皇族が民間に降嫁されたら、悠仁さまが即位される頃、天皇を支える宮家が極端に少なくなる可能性が高いからだ。

◆「秋篠宮系の宮家創設」が狙い

前出の山下氏が指摘する。
「たとえば、天皇皇后両陛下で外国ご訪問の際に国事行為の臨時代行を務める皇族がいないとか、さまざまな団体の名誉総裁を務める皇族がいないなど、皇室のご活動の幅が非常に狭くなることが考えられます」
12月8日、羽毛田信吾宮内庁長官は記者会見で「眞子さまは20歳になられた。皇室の運営の話としていえば、眞子さまと佳子さまの間で(制度改正することが)難しいとすれば眞子さまのご結婚ということをシンボリックににらむ、ということはある」
と述べた。眞子さまはもうお年頃だから、女性宮家創設に間に合うかどうかわからないが、あえてこのタイミングで出てきたことで、「眞子さま、佳子さま、秋篠宮系の宮家創設を念頭に置いていることは間違いない」(皇室関係者)という。
だが、女性宮家の当主である女性皇族の配偶者を旧皇族の血を引く男性に限定しなければ、生まれた子どもは女系の皇族となる。もし、その子が皇位継承を得たならば、女系天皇の誕生につながってしまうから、旧皇族の復帰論も再燃してくる。
元共同通信記者で天皇陛下のご学友である橋本明氏は、こう語る。
おそらく陛下の心の中に、旧皇族、旧華族というイメージは一切ないと思います。あくまでも新しい日本の象徴天皇の在り方として、門地門閥にとらわれることはないということが陛下のお心に太い柱となって貫かれていると思います。本家本元の悠仁さまのところで、万世一系が継承されていけばいいのではないか

国費負担の増加も気になる問題だ。
前出の山下氏は、愛子さまと秋篠宮眞子さま、佳子さまが女性宮家を創設することを前提に国費について試算した。3人の内親王が30歳で結婚し、32歳、35歳、38歳で出産すると仮定した場合の皇族費、内廷費の合計金額だ。
「宮家が三つ創設されても逆になくなっていく宮家もありますので、今後40年くらい、皇族費はだんだん下がっていくはずです。内親王お三方がお子さんを3人ずつ授かると9人になりますが、この9人の方々が独立し始めると増加に転じます。その時期は40年以上先でしょう。ですから当面の国費負担増はありません。いまは皇族減少という課題を解決するための議論を最優先とし、皇位継承の問題は悠仁親王殿下のご結婚くらいまでに結論を出せばいいと思います」(山下氏)

◆皇太子「廃嫡」の署名運動まで

それにしても天皇陛下退院の微妙なタイミングを機に、読売新聞が女性宮家構想をスクープ扱いで報道したことが憶測を呼んでいる。
ある宮内庁関係者は「読売新聞は皇室担当の編集者が交代したばかりで、『女性宮家構想』のスクープは絶妙なタイミングだった。背後では外務省出身の渡邉允前侍従長らが動いたのではないかといわれる。一方で、いままで宮内庁に食い込んでみた朝日新聞に新鮮な情報が入ってきていない。それに加えて、皇太子派VS秋篠宮派の情報リーク合戦も熾烈をきわめている」という。
天皇陛下が女性宮家創設を望まれていることは間違いなさそうだが、一方でそれを利用しようとする勢力もおり、注意が必要だ。

皇室の将来にとってきわめて危険な事態にもかかわらず、皇太子ご一家は依然としてマイペースだ。
雅子さまがお誕生日に出された“ご感想”は相変わらず言い訳ばかりだし、同時に出された東宮職医師団による“見解”では、最近の週刊誌報道を挙げたうえで「悪意ともとれる誤った情報に基づく報道がなされている」と、メディアを攻撃。責任を転嫁して“逆ギレ”した。2週間以上入院された陛下のお見舞いに行けなかったことや、さまざまな公務を欠席されていることに対しても説明は、まったくなしなのだ。
そんななか、デヴィ夫人らを中心に「現皇太子を廃嫡。『皇太子位を秋篠宮文仁殿下へ移譲』」に関する署名運動まで広がってきた。天皇陛下から秋篠宮につなぐ「秋篠宮摂政論」も出てきている。こんなさまざまな動きにも、ある東宮職は「女性宮家なんて私たちには関係ありません」と本誌にいい放つ始末なのだ。

少なくとも皇室の本質を理解していない野田政権に、皇室典範改正を任せてはいけない!
(終わり)


さて、上記記事は秋篠宮様の「天皇の定年制」発言と「私もしくは皇太子」という不遜発言、女性宮家検討スクープ、秋篠宮摂政論にデヴィ夫人による廃太子署名運動、東宮ご一家への罵詈雑言など、色々不愉快な要素が詰まっています。
秋篠宮様のお誕生日会見での政治的発言はこれまで何度か当ブログでも取り上げていますが、秋篠宮様に誰一人苦言を呈しないというメディアの異常ぶりがやはり際立っています。

また、女性宮家は改めて「陛下のご希望」であると書かれ、上記記事でも「眞子佳子様を中心とした秋篠宮系の宮家創設が狙い」とハッキリ書かれています。これも過去に何度も取沙汰された問題です。
山下晋司氏は、「継承の問題は悠仁様が成人して結婚を考える時になったらでいい」と、結局皇室の重大案件を次世代以降に先送りしようとしています。事の本質がまったく見えていないことが明白です。
橋本氏も山下氏も、皇室の未来を長期的に見据えるというよりは、非常に短期的目線で、秋篠宮家だけ安泰であれば未来は先送りでいいといういい加減さを感じるのです。これも陛下のご意向なのでしょうか?

また上記記事は、東宮ご一家が「マイペース」だと理不尽なバッシングをしていますが、東宮ご一家ご自身がマスコミのくだらない報道合戦に一切関与していないことの表れではないでしょうか。こういう時にオロオロしたり言い訳したりする皇族の方がみっともないと思うのです。東宮ご一家は常に泰然自若とし、マスコミを使って自分たちの「ご意向・ご希望」を押し通す誰かさんたちとは次元が違うのですよ。
雅子様のお誕生日コメントへのケチつけ、マスコミの報道がクズなのを棚に上げて逆ギレしているテーミスの態度はもはや呆れて言葉になりませんね。
東宮職が「女性宮家はうちには関係ない」と発言したのも、眞子佳子様だけを想定したものだということを東宮サイドは分かっているからにほかなりません。
過去、当ブログでご紹介した記事(週刊文春2011年12月8日号)でも、女性宮家創設について

>一方の東宮側には、まだ当事者意識が感じられないという。たしかにある中堅の東宮職職員は、女性宮家問題について、記者の一人にこう語るのみだった。
「東宮職には関係ないよ」


と書かれていました。

両陛下と秋篠宮家が狙う女性宮家は、敬宮様のことなど念頭にないことが分かっています。
現にテーミス自身がそういう文章を少し前に書いている(「秋篠宮系の宮家創設」が狙い、「眞子さま、佳子さま、秋篠宮系の宮家創設を念頭に置いていることは間違いない」)ではないですか!
それで「東宮家も当事者意識を持て!」とは何たる暴言なんでしょうか。最初から東宮家(敬宮様)を念頭に入れていない女性宮家案など、東宮サイドが冷めた目で見るのは当たり前ですよ!


記事の〆の野田政権に対するブチ切れも意味不明で、これまでの文章と内容がつながっていないように感じます。
せめて野田政権が両陛下に擦り寄って「御用聞き」のようになっていることに触れなければ意味が通じないですね。
野田元総理が皇室のことを分かっていないという見方には賛成しますが、いくら字数が決められている原稿に色々詰め込まなければいけないと言っても、上記テーミス記事のレベルの低さはお粗末すぎると思います。
かつてテーミスは、「両陛下は女帝を望んでいない」「雅子様と敬宮様いじめの首謀者は両陛下」ということを暴露したことがありました。その記事も当ブログでご紹介したことがあります。

両陛下は女性天皇誕生など望まれていません 前編~宮内庁は両陛下のご意向でしか動かない
両陛下は女性天皇誕生など望まれていません 後編~改めて「両陛下の仕打ち」を振り返る

かつての良記事が信じ難いほど、テーミスの質は落ちまくっていますね。まあ、皇室報道に関しては、テーミスに限らずすべての媒体のレベル低下が著しくなっているのですが。

ところで本日、もう一つニュースがありました。
それは「秋篠宮摂政論」を最初に唱えたとされる佐々淳行氏が亡くなったというニュースです。
東宮ご一家を貶め秋篠宮家をやたらと称賛していた人々が次々に鬼籍に入るニュースを聞く度に、時の流れを感じます。

執拗に繰り返し主張されていた「秋篠宮摂政論」1

前回は、2005年の時点、まだ秋篠宮ご夫妻に第3子ができたという報道がされる前から、東宮ご一家を排除することが主目的?の今上陛下の「生前退位」が秘かに検討されていたという記事をご紹介させていただきました。そして2006年に秋篠宮ご夫妻に第3子=男子の悠仁様がお生まれになったわけですが、その後もなぜか非常に焦った感じで「東宮ご一家を意図的に排除し、早急に秋篠宮家に皇統を移そう!」という動きが執拗に繰り返されることになりました。

今回はその「動き」の一つとして、「すぐに皇太子ににはなれない秋篠宮様のジレンマ」について書かれた記事と、「秋篠宮様を摂政待遇に!」という内容の記事の2つをご紹介したいと思います。

読売ウィークリー 2006年9月24日号

すぐ皇太子になれない?秋篠宮家のジレンマ


皇室の41年ぶりとなる男子誕生は、まさに念願の慶事だ。しかし、手放しでは喜べない事情もある。現在の皇室典範では、お子さまが、すぐ皇太子になるわけではないというのだ。
皇室ジャーナリストの神田秀一さんが説明する。
「皇室典範では、皇太子は、天皇の長男がなると定められています。今の皇太子さまが天皇に即位されると、皇太子は不在となります。お子さまが皇太子となるのは、皇位継承順位が2位の秋篠宮さまが、天皇になられた場合なのです」
今の皇太子さまが、秋篠宮さまよりも、ご長命だった場合、お子さまは皇太子とならないままの即位もあり得るというのだ。

◆新宮さまには年305万

一口に皇族といっても、皇后さまや皇太子ご一家、つまり天皇家は「内廷皇族」と呼ばれ、そのほかの「宮家皇族」とは一線を画する。天皇陛下の二男である秋篠宮さまは、結婚される前は、内廷皇族だったが、今は独立され、宮家皇族となっている。この両者の“境遇”は、大きく異なるのだ。
「天皇家は、日本国の象徴であるとともに、宮中祭祀をつかさどる役割を担っており、起床から就寝まで、厳然とした生活を送ることが求められます。一方で、宮家はどちらかと言えば国民に近く、たとえば、徹夜で仕事をするなどしても原則的には構わないのです
と話すのは、「天皇家の財布」(新潮新書)の著者、森暢平さんだ。
こうした立場の違いから、国から拠出される“生活費”にも差が生じる。天皇家の「内廷費」は、年額3億2400万円なのに対し、秋篠宮家に支払われる「皇族費」は、お子さまの分を含めても5490万円にとどまる。
ちなみに、その内訳は、当主の秋篠宮さまに3050万円、紀子さまは半額の1525万円、3にんのお子さまは1人当たり10分の1の305万円となる。
皇室には、内廷費や皇族費だけでなく、約62億5400万円(2006年度予算)に上る宮廷費が用意されている。お子さまは有力な皇位継承者なので、学校に通われるときの授業料などは、宮廷費から拠出される可能性が高い。
しかし、懸念がないわけではない。森さんは指摘する。
「今の皇太子さまが即位されれば、皇太子の役割は、秋篠宮家が担うことになるはず。しかし、皇太子ご一家の住む東宮御所のスタッフが60人以上なのに対し、秋篠宮家は10人弱。現状のままでは、財政面でも、人員的にも運営していくのは大変になってくるでしょう」
このへんが、今後議論されるかもしれない。
(終わり)


まず、「秋篠宮家の予算とスタッフが少なすぎる、もっと増やせ」という論調が、ここ数年で始まったことではなく、悠仁様が生まれた直後からこういう記事が出ていたことに驚きました。しかも当時は山下晋司氏ではなく、どちらかというと平成皇室を冷静な目で見つめていたはずの森暢平氏であることにも驚いています。彼のこの発言が後々に大きなヒントを与えてしまい、秋篠宮家が増長した原因の一つとなってはいないでしょうか。
短い記事ですが、この頃から秋篠宮様の「待遇」や秋篠宮家の予算・人員をどうすべきかという議論が起きていたのは事実のようですね。
しかし、たとえ男子が生まれようが何だろうが、天皇家から独立して内廷皇族でなくなった秋篠宮家が、ただの一宮家である事実に変化はないのです。それは三笠宮家を見れば分かります。2016年に100歳で薨去された三笠宮殿下には3人の親王がいらっしゃいましたが、三笠宮家は一度も「皇位継承者たる男子が4人もいるのだから予算と職員増やせ!」などとおっしゃったことなどありませんし、マスコミもそんな報道は一切しませんでしたよ。秋篠宮家や彼らを取り巻くメディアがおかしいのです。

そして悠仁様が生まれてから数年後、「秋篠宮様を摂政にしよう!」という奇妙な記事が執拗に出されることになりました。次にその記事をご紹介したいと思います。


週刊ポスト 2011年12月9日号

大論争!「皇太子は、まず雅子妃の病気療養に専念されたらいかがか」(佐々淳行氏)
「秋篠宮を摂政に」は暴論か


11月24日、天皇陛下が東京大学附属病院を退位され、18日ぶりに御所に戻られた。皇居までの道すがら、人々へ手を振られる姿は、非常にお元気そうに見えたが、その陛下も12月23日で78歳を迎えられる。今後は回復の状況を見ながら、再びご公務に当たられるとの強いご意向を示されているが、ご高齢、ご体調が優れないなか、新たな議論が起こっている-。

◆「速やかに皇室典範の改正を」

天皇陛下のご退院で国民の間には、安堵の声が広がった。しかし、ご入院が18日の長期にわたるなか、皇室のあり方をめぐる議論も、これまでとは異なる展開を示し始めている。
本誌11月25日号では摂政設置についての議論を取り上げたが、さらに一歩踏み込み、「秋篠宮を摂政に」と問題提起する人がいる。
元内閣総理大臣官房・内閣安全保障室長で、昭和天皇の大喪の礼の警備担当実行委員も務めた佐々淳行氏がいう。
「両陛下には十分休養をとられ、いつまでもお元気でいて頂きたい。そのためには摂政宮の設置が急務です。
しかし、皇太子殿下は今、雅子妃のご病気のことで目一杯になられている。大震災に際しても、ご高齢で病気でも苦しまれている両陛下が被災地へのお見舞いに何度も行かれているのに、皇太子殿下、そして雅子妃のお見舞いの回数は少なかった。
まず雅子妃に本格的に療養して頂き、皇太子殿下も雅子妃の治療に専念されてはどうか。摂政を秋篠宮殿下にお任せし、雅子妃が回復されてから、再びご公務に戻られればいいでしょう
摂政とは、日本の歴史においては、天皇の勅命を受け、天皇に代わって政務を執る職をさす。現在その資格者については皇室典範で定められており、順位は①皇太子、②親王および王、③皇后、④皇太后、⑤太皇太后、⑥内親王および女王、と決まっている。
皇室典範の第18条で「摂政又は摂政となる順位にあたる者に、精神若しくは身体の重患があり、又は重大な事故があるとき」は、皇室会議の議によって「摂政又は摂政となる順序を変えることができる」とも規定されているが、現状では秋篠宮が摂政に就任することはできない。
そこで佐々氏は、秋篠宮が摂政に就任できるように皇室典範を改正すべきだとも主張する。
そして弟君の秋篠宮文仁親王を『摂政宮』とし、秋篠宮妃紀子殿下を『摂政宮妃』とする。悠仁親王には当代最高の傅役(かしずきやく)をつけ、幼いうちから帝王学をお教えすべきです。男系の将来の天皇を傅育(ふいく)しなければなりません」
天皇家で唯一の男系男子の孫として、将来の皇位継承が確実な悠仁親王には、早いうちから帝王学をお教えする必要がある。そのためにも秋篠宮殿下が摂政宮となり、紀子妃殿下も摂政宮妃として皇后学を学んでおくべきというのである。
佐々氏はこの持論を講演でも話し、雑誌にも寄稿している。

◆「憲法の原則にも反する」

佐々氏が秋篠宮摂政論を考えるようになったのは、75年に起きた「ひめゆりの塔事件」での経験が原点だった。
当時まだ皇太子夫妻だった天皇陛下と美智子皇后が、沖縄海洋博開会式に際し、昭和天皇のご名代として皇族として戦後初めて沖縄を行啓された時のこと。ひめゆりの塔を訪れた際に、過激派が火炎ビンを投げつけた。この時、警備責任者を務めていたのが佐々氏だったのである。
「爆発した火炎ビンの炎は数㍍のところまで近づきましたが、その時の両殿下のお振る舞いは忘れられません。事件の現場にはひめゆりの生き残りの女性もいたのですが、陛下は警備の者を振り払ってその女性の元に戻り、『ご無事でしたか?』と心配して声をおかけになったんです。また妃殿下もご立派で、何事もなかったかのような表情で行事を続けられた。
現在の状況では、こうした両陛下の御気持ちを継ぎ、国民の支えとなれるのは秋篠宮殿下です。そして国母たる皇后の任に耐えるのは紀子様ではないでしょうか」(佐々氏)
佐々氏だけではない。秋篠宮摂政論に連なる論争も起こっている。
11月15日、デヴィ夫人が自らのブログに、<現皇太子を廃嫡『皇太子位を秋篠宮文仁殿下へ移譲』署名運動>等と題した記事を掲載すると、元皇族竹田宮の孫にあたる、作家で慶応義塾大学講師(憲法学)の竹田恒泰氏が猛反発。
「廃嫡、廃妃となると、これまでの皇太子妃殿下批判とは次元が違う。署名活動までするとなると、放置できません」
と批判したところ、デヴィ夫人が「脅迫された」とブログに綴り、思わぬ事態にまで発展しているのだ。

改めて竹田氏に、秋篠宮摂政論について話を聞くと、摂政は恣意的に選ぶものではないとの立場からこう論じた。
「たくさんの皇族のなかで、この方は人格が素晴らしい、この方は人格がゆがんでいるなど議論できるとすれば、これは皇室の政治利用に繋がる恐れがあります。例えばある親王を持ち上げて摂政に擁立し、政治的に重要なポストを得る。そうしたことがアラブなどでは現にありますからね。だからこそ皇室典範で継承順位が厳格に決められているのです。
憲法第2条には、皇位は世襲であることが書かれていますが、世襲とは兄弟のなかで誰がふさわしいかを議論するという話ではなく、長男が受け継いでいくということです。これは皇室典範にも書かれています。したがって、秋篠宮殿下を摂政にしようという考えは、法的にも全く不可能で、皇室を政治利用させないという憲法の原則にも反します」

◆「昭和天皇は単独の公務もあった」

佐々氏を始め、「秋篠宮を摂政に」と主張する人々が口にする雅子様のご病気への気遣い。竹田氏はそれに対して、こう語る。
「ご公務をお休みになっているのは、好き嫌いではなく、ご病気だからです。皇太子妃殿下のご公務のことを云々仰る方たちは、適応障害という病気についてどれだけ知っているのでしょうか。本当に苦しく、そう簡単に治る病気ではないと知っているのであれば、妃殿下にプレッシャーを与えるようなことは仰らないはずです。もし知らないで仰っているのであれば、最低限の知識はお持ちになったほうがいいですね」
03年12月に、適応障害による休養に入られてから丸8年。昨年3月に愛子様に対する“いじめ事件”が発生してからは、ご公務よりも愛子様の同伴登校を優先されているように報じられる。
いつまでも同伴登校を続けたり、校外合宿授業に同行したことに対しては、批判も高まっている。だが、この点についても竹田氏はこういうのだ。
「妃殿下のご病気にとって、愛子様と接する時間はプラスに働いている。もし妃殿下の行動が誤解を招いているとしたら、それはご病気をきちんと説明できていない宮内庁の責任でしょう。
それに昭和天皇は、単独でご公務に励まれることもありましたが、“皇后が欠席するとは何事か”という批判はなかった。戦後の全国巡幸も、昭和天皇はおひとりで行かれることが多かったんです」

◆「一見消極的なのも立場のせい」

京都産業大学法学部教授の所功氏は、すでに皇太子が立太子礼を執り行っているから、秋篠宮摂政論が浮上すること自体「不適切」と指摘する。
「皇室のご公務は、両陛下や両殿下がご夫妻でないと十分ではないような錯覚が広がっています。しかし、憲法に書いてあるのは天皇のみの行為です。もちろん、必要に応じて皇后陛下なり皇太子妃なりがお出になれば、それに越したことはないということです。現在、皇太子殿下は心身とともにご健康で立派に職責を果たしておられるのですから、妃殿下が当面お出になられなくても問題になりません」(所氏)
さらに、皇室典範が摂政を置く条件として「天皇が成年に達しないとき」「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないとき」としていることを挙げ、こうもいう。
「このままでは天皇陛下のご高齢を理由に摂政が置けないので、皇太子殿下も摂政に就かれることはできません。摂政論を唱える人たちは、摂政というものを軽く考えすぎているのではないでしょうか」(同前)
昭和天皇は晩年、大量の吐血をされて集中治療室におかれても、摂政を置くことはなかった。そこには、父・大正天皇の時代に、自らが摂政を務めたご経験が影響しているのではないかと、所氏は分析する。
「大正天皇はご病状が上向かれたとき、役割を外されてしまったことに寂しい思いをされたとも伝えられます。そうした大正天皇の思いを背中に感じながら摂政を務められた昭和天皇には、忸怩たる思いがおありになったのではないか」
病床にあっても、「自分と同じ思いを皇太子にさせたくない」と、摂政設置を拒否されたとも伝わる。
「そして何より大事なことは、皇太子殿下が小さい頃から将来に備えて着実に修行を積まれ、立派に行動しておられること。皇太子殿下は立場をわきまえて、陛下がおられる限り公務に関して目立つことはされない。他の皇族のように自由な発言や行動をされない奥ゆかしさも理解する必要がある」(所氏)

一方、今上天皇のご学友で元共同通信記者の橋本明氏は佐々氏とは違う視点から、皇室典範改正の必要性を唱える。
「皇室典範は現実に合っておらず、機能していません。小泉政権下でできた皇室典範改正に関する有識者会議も中途半端に終わってしまいました。私は皇室典範に『譲位』の規定を盛り込むことを提案します。また、現行では皇位継承順位を議する皇室会議の場に天皇が外れている。天皇がご意思をお伝えできる皇族会議というものを、皇室会議の前に設けるよう皇室典範を改正することも提案したい
我々国民がこの問題について真剣に考えるべき時が来ていることは間違いない。
(終わり)


「秋篠宮様を摂政に、そして紀子妃を「摂政妃」(なんだそれ)に!」ということを最初に提唱したのは佐々氏のようですね。私はこの発言を聞いてから、佐々氏のことを内心で「化学ぞうきん」と呼ぶようになってしまいました。
そんなことはどうでもいいのですが、上記ポスト記事では、あの竹田氏と所氏が非常にまともなコメントを出しています。何かと物議を醸すことの多い二人ですが、摂政に関しては正しいことを述べていると評価できるでしょう。

実はポストは上記記事をネットにも上げていた時期がありましたが、佐々氏の言い分しか掲載しておらず、竹田氏と所氏の反論は掲載していなかったと記憶しています。
これではネットしか見ない、法の知識もない層は簡単に佐々氏の言い分に騙されてしまう余地があるのではないかと思います。
週刊ポストと女性セブンは「ポストセブン」というサイトで自社の記事を上げているのですが、前半部分しか載せていないことも多いようですね。

むしろ上記ポスト記事で問題にすべきは、陛下のご学友としてしょっちゅうメディアに登場していた橋本明氏の意見でしょう。
陛下に近い「ご学友」が2011年の時点で、「天皇の意見を聞く会議を設けるべき」と主張しているのです。
そして2005年に既に検討していたとされる「生前退位・譲位」についても典範で明文化しろと言っている。
この橋本氏の意見は、そのまま今上陛下のご意向と解釈して差し支えないのではありませんか?

今は亡き橋本氏は、前回ご紹介した「2005年生前退位議論」の記事では、「生前退位は皇族の恣意が入るので基本的にやってはいけない」と述べていました。ところが今回の記事では一転して賛成派に回ったかのような意見。これは明らかに、「ご学友」たる陛下の強いご希望に押されたのではないかと見ています。

今上陛下は公務や慰問をなさる際、「強いご希望で」と報じられることが多いですね。
おそらく「自分の意見や考えを聞いてほしい」という願望が今の陛下は非常に強く、時に我を出し過ぎて周囲がそれに振り回されることも非常に多いのではないかと予想します。生前退位特例法などはまさにそんな感じでした。
「自分の意見を言える会議を別に設けてほしい」とか「譲位できるように典範改正してほしい」とかも陛下ご自身の願望だったのでしょう。
そして陛下がこのように皇室制度を変えるようなご意見を出す時は、ご自分の健康や体調、年齢に強い不安を覚えた時であるということも見えてきました。
前回ご紹介した2005年時点の「生前退位」議論も陛下の健康・体力が取沙汰されていた時期でしたし、秋篠宮様の摂政論が出た時も陛下が入院されていた時期でした。
つまり、「今上陛下に万一のことがあったら…」ということに非常に不安を覚え、「そうなったら自分たちの待遇や身分はどうなるのか」ということに気を揉んでいる方々・人々が大勢いるということの証ではないかと考えました。

陛下ご自身が心配されているというよりは、陛下の周囲にいる方々・人々が、「自分はどうなるんだ!」という焦りから不穏な動きをしている感じでしょうか。私はこういう点で、今上陛下もお気の毒だなという目で見ています。もちろん、そういう人々しか周囲に残していない陛下ご自身に自業自得な面があることも否定できませんし、そういう人々を厚遇しようとする陛下にも非があると言えます。

それにしても、廃太子署名運動をやっていたデヴィと竹田氏がバトルを繰り広げていたことは初めて知りました。
今回は竹田氏の方がまともですが、いわゆる男系男子カルトの「極右」とか「ネトウヨ」と呼ばれる連中も一枚岩ではないのだなと思いましたね。
こういう組織は何かきっかけがあれば容易に崩壊する要素を持っていると感じます。

このように、「秋篠宮様を摂政に」という奇妙な意見はことごとく論破できてしまうので早くに沈没するかと思いきや、2012~2013年にかけて何度も執拗にゾンビのように蘇っていました。
次回以降はその執拗な動きを検証していきたいと思います。

天皇陛下の「生前退位」は2005年時点で検討されていた?~この時から「皇太子ご一家外し」の企みが存在していたという疑惑

再び大きな台風が来ておりますが、平成は本当に災害続きで恐ろしくなります。
さて、今回の拙ブログでは、悠仁様が生まれる前の2005年時点で、今上陛下の生前退位が秘かに検討されていた?という驚きの内容を伝えた記事をご紹介したいと思います。
内容を見ると、単に陛下のご病気や高齢だけを理由にした生前退位議論ではなさそうなことが読み取れます。


週刊現代 2005年5月21日号

京都迎賓館完成で囁かれる極秘プロジェクト
宮内庁「天皇生前退位」“計画”の背景

平成の皇室が抱える問題は女帝論だけではなかった。戦後の皇室典範改正の際に入れられなかった条項に「天皇の生前退位」がある。宮内庁の一部に、生前退位の可能性を探る動きがある。それは天皇家のどんな事情を反映しているのだろうか。

◆京都迎賓館を仮住まいに

6月27日から2日間、天皇皇后がサイパン諸島を訪問することが閣議決定した。相手国からの招待なしの初めての外国訪問。天皇の希望もあって、日本兵や多くの民間人が身を投げた「バンザイクリフ」などへの訪問が検討されている。
1泊2日の強行軍。熱帯の高温のなか、71歳の体力で日帰りに近い日程をこなすにはかなりの負担がかかる。
そんななか、宮内庁の職員の口から衝動的な証言が飛び出した。
「宮内庁内では、陛下のお身体を心配する声がかなり大きくなっています。現状では実現不可能ですが、『生前退位』をされてはどうか、とまで検討する動きが出ています」

天皇の生前退位-。現在の皇室典範にはそれについての条項はなく、摂政の設置が定められているだけだ。
昭和天皇は大正天皇の病気で摂政を務め、崩御後に天皇に即位したが、あくまで摂政の設置であって天皇の『退位』ではない。
「ところが、いまタイミングよく皇室典範改正の論議が行われ、有識者会議が開かれています。そこで宮内庁の内部に、『即位』とともに『退位』の条項を詳しく明記して、生前退位も可能にすべきではないか、という声が出始めているのです」(宮内庁職員)
しかも、すでに退位後の天皇の住む場所についても検討され始めているという。
「いまの御所(皇居)は天皇陛下のお住まいになる日本で唯一の場所。退位されたら皇太子殿下が天皇に即位するわけで、そこに一緒に住むわけにはいきません。そこで京都に住んではどうか、という具体的な意見も出ています。京都御所もありますが、観光客が訪れる場所を占拠しては陛下も忍びないだろうから、最近完成した『京都迎賓館』を仮住まいにされたらどうか、という案も浮上しているのです」(前出・宮内庁職員)
京都迎賓館とは、京都御所(京都市上京区)内に造られた、海外の賓客を迎えるための和風迎賓施設。敷地面積は約2万㎡、地上1階・地下1階の数寄屋造りの純和風建築だ。総工費約260億円をかけて、4月17日に披露式典が行われた。この式典で小泉首相は、
「国賓とか、公賓とか、あまり基準にかたくなにとらわれないで、柔軟に、大いに利用してもらいたい」
と挨拶した。宮内庁内には、これらの発言は、退位後の天皇の京都移住を意識したものではないか、という見方も出ているという。

この「生前退位」という「極秘プロジェクト」の背景には、天皇の健康問題がある。03年1月に前立腺ガンの手術を受けたが、昨年5月、皇太子のいわゆる『人格否定発言』があった頃に腫瘍マーカーの数値が上昇した。
「昨年7月からホルモン治療が始まったのですが、どうしても筋力が弱くなるという副作用がある。筋力維持のため、卓球やテニスなど運動をされていますが、72歳を迎えようという陛下に今さら筋力をつけていただくというのも限界があるでしょう。とにかく『生前退位』計画は、陛下のお身体を心配する気持ちから出てきたものなのです」(前出・宮内庁職員)
もっとも、天皇の生前退位の議論はなにも今回が初めてではない。第二次大戦直後には昭和天皇の退位が、実現に向けてかなり進んでいた。学習院時代の天皇の「ご学友」・橋本明氏が言う。
「昭和天皇が、戦犯としての訴追を免れるために退位するかもしれないという情報が流れて、タイム誌から『次の天皇』ということで皇太子(今上陛下)に取材の申し込みが何度となくありました。昭和天皇自身も世界に謝罪しなければという思いから、本気で退位を考えていたようです」
皇室評論家で静岡福祉大学教授の高橋紘氏は、「皇室典範には継承だけでなく退位の規定も入れるべきだ」と主張する。
「私の以前からの考えです。いまの典範には象徴天皇の定年が定められていないため、いくら高齢になられても退位できない。昭和天皇は87歳で崩御されて、今上天皇は55歳で即位された。まさに高齢化社会の象徴ですが、このままいけば100歳の天皇、70歳の皇太子という状況も十分にあり得ます。新天皇が即位しても、それが70歳、80歳では国民に元気が出ないでしょう。今上天皇が生前退位するとは考えられませんが、将来的には『天皇の退位』についても考えるべきでしょう」

もっとも、いますぐに皇室典範に生前退位条項を盛りこむことは、大きな問題を引き起こす可能性があるようだ。
前出・橋本氏は、「皇族の恣意性の発生」という危険性を指摘する。
「生前退位というのは生前譲位を認めるということですから、生前譲位が許されるのなら、即位したくない自由も考えられる。つまり、皇族の恣意性を認めることにつながる。退位する天皇の側にも、皇太子が意に沿わないから皇位を譲りたくない、という我がままが出てくる可能性だってあるわけです。
あくまで仮定の話ですが、雅子妃殿下を皇后にしたくない。秋篠宮殿下に譲位したいなどとなったら、困るじゃないですか。だから、生前退位は基本的にやってはいけないのです。
象徴天皇は特別な存在として、死ぬまで在位するしかないでしょう」
今上天皇は、公務を何よりも大切にして、私心のない生き方を貫いてきたから、天皇自身が「生前退位したい」という希望を持っているとは思えない。ただ、宮内庁職員たちの、天皇の激務と健康問題を案じる気持ちに偽りはないだろう。しかし、
「生前退位計画が議論されて、それがマスコミに漏れてくる背景には、宮内庁や皇室関係者の間に鬱積する、雅子妃に対する“悪意”が潜んでいるのではないでしょうか。つまり、天皇が生前退位すれば、現在の皇室典範では女帝が認められていないので、皇位継承権第1位の皇太子は、秋篠宮になります。その秋篠宮に男子が生まれれば、男系男子の皇位継承が可能になるわけです。
湯浅利夫宮内庁長官は、かつて『秋篠宮に第3子を期待したい』と発言しましたが、秋篠宮は軽く受け流していました。しかし、自分が皇太子になれば、気分が変わるかもしれません。
現在、有識者会議で議論されている皇室典範改正は、愛子内親王が『女帝』になることを念頭においたものです。
雅子妃に批判的な勢力は、雅子妃が皇后になることは認めても、皇太子の母となることはどうしても嫌だ、という気分もあるようです。
つまり、『生前退位論』は、ようやく国民的に理解され始めた女帝論に冷水を浴びせる意図が感じられるのです」
(全国紙宮内庁担当記者)

◆「気ままな雅子妃」に不満の声

それかあらぬか最近、宮内庁から雅子妃に対するネガティブな情報がさかんにリークされている。皇室事情に詳しい人物は、こう証言する。
「お付きの女官たちの話では『最近の雅子妃は自由すぎる振る舞いが目立ってきた』ということですよ。これからは自分の好きなようにやる、といった開き直りともとれる態度に出てきたというのです。雅子妃は、公務復帰についても周囲の声には耳を貸さず、自分だけの判断で決める、と決断したのでしょう。宮内庁職員たちの雅子妃に対する視線は極めて冷ややかです」
一部マスコミは、雅子妃が自らハンドルを握って夜の都内をドライブしたり、妹夫婦の家に愛子さまを連れて遊びに行って、午前0時近くに東宮御所に帰ってきたというエピソードを伝えている。
4月17日には雅子妃が以前からファンだというオペラ歌手、サラ・ブライトマンのコンサートに行く予定が入っていた。結局、体調不良のために直前にキャンセルされたが、東宮職内には、
「雅子妃は、宮内庁前長官(湯浅氏)の退任挨拶にも出てこず、新長官(羽毛田信吾氏)の就任挨拶も『賓客の対応が忙しい』という理由で未だ受けていません(4月27日現在)。それなのに、私的なお出かけが過ぎるのではないか」
という声もあがっている。

そんななか、4月25日に「皇室典範に関する有識者会議」が開かれた。
有識者会議は天皇の生前退位をどう考えているのだろうか。本誌が会議のメンバーの一人、久保正彰東大名誉教授を直撃すると、こんな対応が返ってきた。
「生前退位の議論?そんな(話を)ほじくり回してもしょうがないでしょ。まったくいい加減。全部いい加減!ねッ、こんな話は止めましょう。分かった?分かりましたか?わかったでしょ!分かったと言いなさい!ねッ、はい。さよなら」
一方、旧皇族の一人は、この「天皇生前退位」についてこんな感想を語った。
「昭和天皇もご高齢の身体をおして訪問していらっしゃいましたが、ご高齢になった天皇陛下が公務を続けるのは大変お気の毒だと思います。皇室典範改正において、最も重要なことは万世一系を守ることですが、譲位(退位)についても柔軟な対応ができるようになることはよいことだと思います。
歴史を振り返ってみても、現行法で天皇の譲位を否定したのは、GHQの、天皇家の権限を制限したいという思想を反映してのことだったのです。終戦当時GHQは、天皇が恣意的に譲位して、その後国会議員に立候補して、再び国政に携わることを警戒したようです」
天皇家の歴史は長い。皇室典範の改正は、その歴史の重さに耐えられるものでなくてはいけない。一部の人間の悪意や思惑に左右されるとしたら、将来に大きな禍根を残すことになる。
(終わり)



上記記事は、実際に制定されてしまった「生前退位特例法」の背景に、重要なヒントを与えうる内容であると感じました。

まず、2005年当時の「生前退位」の議論の背景には、今上陛下の高齢やご病気があったという分析が行われています。この点、今上陛下自らが「自分が生前退位できる道を考えてもらいたい」とおっしゃったのかどうかまでは分かりません。陛下のご様子を見て、宮内庁職員(側近)らが「忖度」したということも考えられます。
一方で陛下が実際に高齢となり、ご自分の健康にリアルな不安を覚えるようになり、ご自分が元気なうちに「(自分が理想とする)皇室の未来」への先鞭を付けたかったというお考えが強く湧き上がってきた可能性も十分に考えられます。

上記記事を読む限りでは、単純に「今上陛下の高齢・ご病気」だけを心配し、陛下を楽にするために考えられた案ではないということがひしひしと伝わってきます。

「天皇(皇族)の恣意を許すことになる」
「皇太子殿下が意に沿わないから譲位したくない」
「雅子様を皇后にしたくないから秋篠宮に譲位したい」
「雅子様が女帝の母になられるのは嫌だ」
「2005年当時に行われていた有識者会議=女帝容認議論に冷や水を浴びせる」


このような印象的なフレーズが随所に見られる記事となっています。

2005年当時はまだ悠仁様はお生まれになっていませんが、既に同時期から「秋篠宮家第3子計画」が同時進行で行われていたのは確実でしょう。当時から既に、秋篠宮家の第3子計画と陛下の生前退位を利用して「東宮ご一家外し」の企みが秘かに行われていたという、重要な証左になると思いませんか?

秋篠宮ご夫妻の「第3子計画」で秋篠宮家に男児を!というプロジェクトが行われていたものの、それもいつ成功するか分からない。
もしかしたら男子懐妊が判明する前に典範改正が行われ、敬宮愛子様が女帝になる道が開かれるかもしれない。
そうなった場合に備えて、保険的・予備的に「陛下の生前退位の可能性」を探り、陛下が皇太子殿下でなくお気に入りの秋篠宮様に皇位を譲り、秋篠宮家に皇統を移すという道も模索していたのではないでしょうか(あくまでも秋篠宮家に皇統が移るということが大事であって、秋篠宮家に皇統が移った後またゆっくりと男子作成計画を続けるか、仮に男子誕生が成功しなくてもその時は眞子様が女帝になることを許していたのではないかと思ってしまうのです)。
「陛下の高齢・ご病気」など本当は建前で、真の目的は「皇太子ご夫妻下ろし・敬宮様女帝即位の道阻止」だったのだと思わざるをえません。

そして結局、典範改正前の2006年に「男子作成」に成功したため、女帝議論とともに陛下の生前退位議論も同時に立ち消えになり、「なかったこと」にされた…というのが真相のような気がします。
秋篠宮家に男子さえできれば、元から予備的・保険的に議論されていた陛下の生前退位など検討する必要がなくなるからです。

ところが。
悠仁様が誕生されて約10年後、再び陛下が生前退位を希望し、陛下の“我儘”を受けて実際に「生前退位特例法」が制定されてしまうに至ったのです。これは一体どういうことでしょうか。


原因は色々考えられます。
敬宮様が順調に成長され、国民からも絶大な人気を誇り、何回世論調査を行っても「女帝待望論」が消えることはなかった。このままでは、現皇太子殿下が天皇陛下に即位された後、再び「敬宮様を女帝にしよう」という声が上がる可能性がかなり高い。
その一方で、男子の悠仁様は国民の前にあまり姿を見せず、どのような発育状況なのかも国民にほとんど伝わってこない。あまりにも影が薄すぎ、国民の中には秋篠宮家に生まれた男子を忘れている人も少なくなさそうである。様々な要因で、すんなりと悠仁様を天皇にできるような状況ではなくなってしまった…。
という現実を新たに突き付けられ、焦った方々がいらしたのではないでしょうか。


だから陛下は自分がご存命のうちに、秋篠宮家に皇統を移すために再び生前退位希望を出され、同時に秋篠宮が皇嗣になれるように仕組んだのではないか。というのが、私の個人的な見解です。
2005年に企まれたことが、10年以上の時を経て、現実となってしまったのです。


「今上陛下の高齢・ご病気問題」と「女帝容認議論」が同時に起こり、このままでは敬宮様が女帝になってしまう。そして東宮ご夫妻も順風満帆に新天皇皇后として国民から手放しで喜んで迎えられる…という道を阻止するために、まず優先して考えられたのが、「秋篠宮家に第3子=男子」計画、次に予備的・保険的に考えられたのが「陛下の恣意的な生前譲位」ではないでしょうか。
そしてそれだけでは不安なので、更に雅子様や敬宮様へのバッシング、果ては皇太子殿下にも悪意を向けるということも同時並行的に行われてきたのです。
ここ十数年、平成皇室で行われてきたことは全て繋がっているとしか言いようがありません。


ちなみに、上記現代記事の中に出てくる「天皇の退位・譲位に賛同している旧皇族」は、竹田恒泰氏ではないと思います。
彼は陛下の生前退位については一貫して「違憲の疑いあり」と言っているためです。この「旧皇族」が誰なのか少し気になります。
また、当時の有識者会議のメンバーであった久保正彰氏の異様な反応は、どう説明すればいいのか分かりません。「陛下の生前退位を利用して東宮ご一家を排斥しよう」という動きが実際に起きていることを彼が知っていて、それをごまかすために挙動不審になったのかもしれませんが、真意は謎です。

秋篠宮家の第3子計画、そして同時期に検討された陛下の生前退位。
これは皇統を秋篠宮家に移すための不穏な動きでありましたが、悠仁様誕生後、事態はどんどん不快な方向に進んでいくことになります。
次回以降、更に「あの手この手で秋篠宮家に皇統を早期に移すべき」キャンペーンが強烈に張られてきたという事実について記録していきたいと思います。
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キリアキ管理人

Author:キリアキ管理人
今上陛下の生前退位に伴い、国民の理解や同意が得られないまま「秋篠宮様を“皇嗣”(継承順位1位の皇族)として皇太子に準じる扱いにし、支給される皇族費もこれまでの3倍に増やす」ということも一緒に勝手に決められてしまいました。
この問題に危機感を持ち「あらゆる方面から見ても秋篠宮様は皇嗣にふさわしくない方である」ということを、過去の雑誌記事の引用(原則全文)により検証することを目的としたブログです。2020年に予定されている「秋篠宮立皇嗣の礼」に一石を投じたいです。

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