「頭文字G」のあのイキモノが大事!

9月25日、秋篠宮ご夫妻がチリに旅立ちましたが、ご夫妻は過去の海外行きについても色々と妙な話題や問題を振りまいていました。
ここ最近のブログのテーマはずっと紀子妃がメインになってしまいましたが、今回は久しぶりに秋篠宮家当主様が主役として登場です。これまた久しぶりに「タイ行き」が内容となっています。

週刊新潮 2007年4月19日号

「タイ」を14回も訪問されている「秋篠宮殿下」


日本とタイは1887年に国交を樹立して以来、今年で120周年を迎える。もともと日本の皇室とタイ王室とは関係が深いが、もっぱら両国の友好関係に貢献しているのが秋篠宮殿下である。なにしろ近年では1年おきに現地を訪問し、この3月にも、2人の内親王の卒業式を欠席してまでお出かけになったのだ。これまでタイを訪問された回数は、14回!

3月18日の日曜日、学習院初等科の卒業式が行われ、秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまが同校を卒業された。
初等科は1クラス42~43人で、東、中、西の3クラス。佳子さまは中組である。
その日、父兄が見守る中、講堂に卒業生が入場。君が代、校歌を斉唱した後、院長の祝辞があり、東組から順に卒業証書の授与が行われた。
父兄のひとりは話す。
「佳子さまは、中組女子のトップバッターです。“秋篠宮佳子内親王”と呼ばれると、“はい”と元気に返事をして卒業証書を受け取っていらっしゃいました。その様子を、紀子さまは微笑んで眺めておいででした。皇族だからといって特別扱いはされません。紀子さまも、一般の父兄に交じって講堂後ろの椅子に座っていらっしゃいました」
ところが、式には卒業生の両親が揃って出席する姿が目立っていたが、何故か秋篠宮殿下は欠席だった。
22日の木曜日、学習院女子中等科の卒業式が行われ、長女の眞子さまが卒業されたが、この日も出席されたのは紀子さまだけで、殿下の姿はなかった。
振り返ると、眞子さまの学習院初等科の卒業式にはご夫妻揃って出席されたし、佳子さまの学習院幼稚園の卒園式でもご夫妻が揃っていた。異例といえば異例の事態―。

その頃、殿下は単身、タイを訪問中だったのだ。
3月14日には成田を出発して、23日に帰国。どういう目的だったのか。
宮内庁宮務課によれば、
「今回のご旅行の目的は、HCMR秋篠宮研究プロジェクトの調査研究に係る会議へのご出席と現地調査、さらにキングモンクット工科大学名誉教授学位授与式へのご出席があり、またタイ国王、王妃両陛下にもご挨拶になっています」
HCMR秋篠宮研究プロジェクトとは、殿下が提案し、03年に発足した日タイ共同研究で、正式名称は「人と鶏の多面的関係研究プロジェクト」。平たく言えば、どのようにして野生の鶏が家禽になったのかを主要なテーマにして、民族生物学的見地から研究を進めている。同プロジェクトには、日タイ両国の10以上の大学や研究機関が参加し、タイのシリントーン王女が名誉総裁に、殿下が総裁に就任している。
内親王の卒業式を欠席し、タイ訪問を優先したのは、プロジェクトの会議の日程(3月16、17日)や関係者の都合を調整した結果であるという。
さて、どういう旅だったのか。今回のタイ訪問でも、殿下はバンコク市内にある常宿のナイラート・パーク・バンコク(旧ヒルトン・インターナショナル)に7泊した。
殿下が泊まられたのは、最上階の5階にある「プレジデンシャルスイート」(206平方㍍、2ベッドルーム、3バスルーム)。1泊最低でも1000㌦以上するが、警備の関係で4階も一般客は立ち入り禁止になっていた。

◆大好物は「リポ割り」

ホテルスタッフの話。
「殿下は今回、研究目的でいらしてたようで、ホテルにはほとんどいらっしゃいませんでした。朝早くから夜遅くまで、ずっと研究をなさっていたようです。私たちもほとんど顔を合わせることがなかったのですが、とても素敵な方で、フロントなどでお会いしたときにはニッコリと優しく微笑んでくださった。Tシャツにゆったりとしたパンツを穿かれて、とてもリラックスした雰囲気でしたよ」
ホテル内で食事したのは一度きりであったという。
「お食事はほとんど、外でなさっていたようです。一度だけ『ノーブルハウス』というホテル内の中華料理レストランで召し上がっていました。料理はカントン・キュイジーヌ、つまり、前衛的な広東料理というところでしょうか。予算は大体ひとり40㌦から50㌦。殿下は個室で数名の方とお食事をなさっていました」(同)
3月18日から19日には、バンコクから東へ約75㌔を車で移動し、チャチュンサオ県にある野生動物保護区内のゲストハウスに泊まって野外調査を行った。
「とにかく一日中研究に没頭されていたらしい。朝からジャングルに入り、翌日の朝まで、鳥の鳴き声に耳をすませていたとか。訪問中、遊びらしい遊びはされなかったと聞いています」(関係者)
3月20日には、バンコクから北西へ約100㌔にあるパンブリー県で野外調査の後、現地のホテルに宿泊し、翌日は、その100㌔南西のカーンチャナブリー県の農村を調査してからバンコク市内に戻った。移動は車で、かなりの強行軍だったようである。最終日の22日にキングモンクット工科大学ラークラバン校で名誉博士号を授与された。
タイでは、殿下は研究者としても著名だ。
「殿下は、幾度となくタイへ魚類や家禽類の調査で訪問され、その成果をいくつかの学術論文として発表されています。それらのことから、タイにおける水産振興や家禽学への貢献に対し、今回の授与を含め、7つの名誉博士号をお受けになっています」(宮内庁)
で、22日の深夜の便で機中泊し、翌早朝に帰国と相成ったわけなのだ。

それにしても殿下はタイ贔屓である。
03年には、紀子さまと2人の内親王を連れて観光地めぐりの家族旅行。05年には単身で、前出のプロジェクトに関連して鶏の現地調査のために訪問された。
殿下は、タイ産の「メコン・ウイスキー」が大好物である。先の関係者の話。
「殿下が来られたときには、大使公邸で食事会が開かれます。その際、殿下の前には現地で言う『リポ割り』が必ず置かれます。それは、メコン・ウイスキーをリポビタンDで割って飲むというもの。名前こそウイスキーですが、実際は米で作った焼酎みたいなもの。臭いがキツくて日本人には飲みにくいシロモノですが、殿下は若いときに屋台で飲み、“こんなにうまいものはない”とハマったそうです」

◆ナマズから鶏の研究へ

そもそもタイを最初に訪問されたのは85年、学習院大学2年のときで、地誌研究会の調査旅行だった。それ以来、タイの虜になったようである。
翌年に魚類研究のため友人と2人で再訪し、87年にもタイ産ナマズの研究でバンコクを訪れ、英国留学中の89年にはナマズ類の採取と標本作りが目的でタイ国内を旅行された。元々、殿下はナマズの研究で学位を取得しているが、タイに通ううちに鶏にも興味を持たれるようになった。タイ国内には、いまだに野生の鶏が生息しており、研究にはうってつけであるという。
「秋篠宮が鶏を本格的に研究するようになったのは、ご成婚前後の頃です」
と皇室記者は言うが、殿下が紀子さまと結婚されたのは90年6月。それ以後、今回まで夫婦で7回、単身で3回、タイを訪問されている。学生時代から数えると実に14回に及ぶのだ。
特定の国を訪問された回数では、皇族の中でも際立っている。天皇陛下を例に取ると、皇太子時代に23回の海外渡航で37カ国を訪問し、即位以後、06年のシンガポール、マレーシア、タイ訪問までの間に12回、20カ国を訪問されているが、おおむね欧米諸国を満遍なく回られているケースが多い。最多は米国と英国で4回。皇太子殿下も、74年の豪州旅行から06年の雅子妃とのオランダ静養までの間で26回、38カ国を訪問しているが、偏りがあるわけではない。最多はベルギーとスペインで4回。
秋篠宮殿下の場合は、これまで38回渡航し、38カ国を訪問。アジア諸国が多いのが特徴で、インドネシア、マレーシア、シンガポール、インド、スリランカ、モンゴルなど。38回の渡航のうちタイが14回というのは突出しているのである。ちなみに2番目に多いのがオランダで4回。

皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏は話す。
宮家を含め、皇族がひとつの国に通うというのは特異な例ではあります。が、研究対象であるナマズも鶏も、タイに生息している。タイに出向いて研究するしかないということが回数の多い理由だと思いますよ」
天皇陛下はハゼ類を、皇太子殿下は海上交通を研究されていたが、そのために外国訪問するケースは少ない。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏は言う。
天皇は公務があるので、私的な研究目的で海外に行くのが難しい。また、天皇が公務で海外に出ているときは、今度は皇太子が代わりを務めることになります。その点、秋篠宮は、皇太子に比べて、より多く研究に時間を取ることができるといえるでしょう」
とはいえ物議を醸したタイ訪問もあった。
96年4月17日から23日にかけての単独訪問で、折しも来日していたクリントン米大統領夫妻を歓迎する宮中晩餐会を欠席。ナマズの研究のためとはいえ、公務よりも私的旅行を優先したことに批判が出たのである。同時に、度重なるタイ訪問に、殿下には懇意にしている現地の女性がいるというゴシップも流れた。当時、本誌はそのことを報じ、宮内庁から「事実無根」と抗議を受けた。
03年の家族旅行の際には、マスコミの取材に顔をしかめられたこともある。現地事情通の話。
「ご家族揃って初めてのタイ訪問ということで、ワイドショーをはじめ、メディアが追っかけ取材をしていました。お土産屋に寄ると、何を買ったかと取材をしたりして、殿下は“こういうのは本当に嫌だ”と物凄く嫌がり、“税金で買っていると言われるので買い物ができない”“ワイドショーがいないところで買い物がしたい”と嘆かれていました

◆ペットボトルのゴキブリ

このときの旅行では、珍騒動もあった。
「殿下のホテルのお部屋に、カサカサ動くゴキブリの入ったペットボトルがありました。こちらのゴキブリは日本のよりもふた回りほど大きい。色は黒で、10㌢ぐらいあります。どこかで捕まえたのではないでしょうかねえ。それを殿下は大事そうにして、周りに“すごいでしょ”と見せびらかしていました。このゴキブリ入りのペットボトルをある日、ルームキーパーが、掃除の際に捨ててしまったのです。まさか、そんなものをわざわざ飼っているなんて思いませんからね。で、大騒ぎでゴミを漁って、結局は、なんとか出てきたのですが。その時は、殿下本人よりも周りが大騒ぎしていました」(先の事情通)
ナマズに鶏―。ユーモラスな生き物に惹かれる殿下の人柄を表すエピソードといえようか。

そんな殿下の人気は、タイでは絶大である。
前出の松崎氏はこう語る。
「タイの土産物屋や露店では、チャールズ皇太子らと一緒に秋篠宮のブロマイドが販売されているほど、日本の皇室の中でも最もポピュラーな存在が秋篠宮です。さらに秋篠宮の結婚式にシリントーン王女が参列するなどタイ王室とも親しい間柄で、日タイ両国の友好に秋篠宮は大きく貢献しています。秋篠宮自身も、自分の皇室外交での役割を自覚して、積極的に取り組んでいるのでしょう」
それだけに、勢いタイ訪問の回数が多くなるというわけか。宮内庁記者は言う。
「秋篠宮のタイ訪問には、日本から報道陣が同行することはなく、現地のマスコミ取材で付いて歩くということもありません。それだけ秋篠宮も一目を気にせず、のびのびとできるのです。タイ訪問は、学問上の目的もありますが、息抜きの意味合いもあるのではないでしょうか」
いずれにせよ、兄の皇太子殿下には許されない「渡航記録」ではあった。


(記事終わり)

上記記事は全体的にあまり中身はないような気がしますが、秋篠宮様の異例ともいえる度重なるタイ訪問や、天皇陛下や皇太子殿下と比べると秋篠宮様は自由気ままに過ごせますよ、という点を再び取り上げている点が重要でしょう。何回も述べますが、このように若い頃から自由に好きに行動できていた秋篠宮様が、「皇嗣」扱いを受けて自由を制限されるような生活に、果たして我慢ができるのか?それとも「皇嗣待遇」とやらは皇位継承権や予算増額などでしっかりキープするが、皇太子殿下に課せられていたような制約の多い生活は一切しないでこれまで通り自由を満喫するつもりなのか?という大いなる疑問が残ります。
「皇嗣」と「ただの一宮家当主」の良い所どりの生活を狙っているならあまりにも国民を馬鹿にした話ではありませんか。

上記記事では、二人の娘たちの晴れ姿を見ることなくタイ行きを優先させたことも書かれています。
秋篠宮様ご本人としては「自分はタイに“仕事”に行くのだ。研究は“仕事”なのだ。世間一般の普通の父親たちだって仕事で海外に出かけることがあり、わが子の晴れ舞台を見られないケースは少なくない。自分もそのような“働く父”なのだ。だから娘たちもきっとわかってくれるだろう」という手前勝手な思い込みをしているかもしれません。現に秋篠宮様は過去に何度も「研究=仕事」という発言を残しています。
しかし、秋篠宮様がいくらご自分の研究を“仕事”と言い張っても、皇族の研究はあくまでも“私的活動の一環”にすぎず、研究を生業としている世間一般の父親(母親)たちとは明らかに異なります。ただの私的活動・趣味が高じているだけなのに、「父ちゃんは仕事で海外に行くんだぞ」という態度を取られても…と困惑してしまいます。

ところで、上記新潮記事で一番目を引くのは、やはり最後のゴキブリ部分でしょう。
大きなゴキブリをペットボトルに入れて大事に保管し、周囲に見せびらかしていた秋篠宮様はハッキリ言って「キモイ」です。
このペットボトルをうっかり処分してしまったルームキーパーの判断は別に間違っていなかったと思います。
これを後になって必死に探させたのは、おそらく秋篠宮様が「あのゴキブリが入ったペットボトル、どこ行ったんだよー!」と大騒ぎしたのが原因だったのではないでしょうか。もし秋篠宮様がまともな方なら、「ああ、あれ捨ててしまったの。いいよ、ゴキブリなんかゴミと間違えられても仕方ないものね」と言って済ませるように思うのです。しかし実際はわざわざゴミを漁らせて、見つけさせた。秋篠宮様が「探してくれ」と大騒ぎしたからにほかならないでしょう。
記事には「殿下本人よりも周りが大騒ぎしていました」と書かれていますが、宮様自らゴミを漁るとは思えず、周囲に探させてご自分は何もしないで誰かがペットボトルを見つけてくれるのを待っていただけだからそう見えただけでは?と感じます。

結局、秋篠宮様はこのゴキブリを日本に持ち帰ったのでしょうか。ゴキブリみたいな害虫、ましてや外国の害虫を、むやみに日本に持ち込んでいいはずがありません。
しかしこういうことも「皇族特権」とやらでパスできてしまうのでしょうか。本当に気持ち悪いです。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その7~あくまでも抗った新潮、宮内庁サイドに迎合した文春④

今回も引き続き、
1996年12月12日号 週刊文春 「紀子さま同席で語られた秋篠宮『タイの愛人』問題」 前代未聞「火のない所に煙」会見
の後半部分を引用させていただきます。

◆お心を痛められた紀子さま

宮内庁は半年の間、執拗に訂正を求め続けた。しかもその働きかけは、最初が総務課長と報道室長から編集長へ、二度目が次長から副社長へ、さらに長官から常務へ、と次第にレベルを上げているのだ。しかし新潮社側は一貫して、「訂正はしない」。
誕生日会見が行われたのは、そんなやり取りの直後だったのである。
「殿下には、記者クラブから事前に提出される質問のどれに答え、どれに答えないかという最終決定権があります。女性問題については、この機会に自らの言葉で話しておきたいというお気持ちが強かったのでしょう。皇族方がご自分のお言葉で話される機会はお誕生日会見しかないので、記事が出てから半年後になってしまったのは仕方ないこと。
一方、宮内庁には、自らの抗議ではラチが明かないため、殿下のお言葉を借りようという狙いがあった。
日頃、“宮内庁の広報”とまで揶揄される記者クラブにも、『この件だけは聞いておかなければ、どう批判されるかわからない』というプライドが働いた。
三者の思惑がうまく噛みあって、あのやり取りが実現したのだと思います」(元宮内庁担当記者)

今回、宮内庁記者クラブから出された質問は、四つあった。
まず、今年一年で印象に残ったことは何か。
二番目は、眞子さま佳子さまお二人の内親王の教育について。この問いには主に、紀子さまがお答えになった。
四番目は、国立総合研究大学院大学から博士号を受けられたことについて。
問題の質問は、三番目である。晩餐会欠席に批判が出たこと、宮内庁が抗議している一部週刊誌の報道や、今後の公務と私用の兼ね合いをどう考えるか、お尋ねしたものだった。
殿下はまず、晩餐会欠席の件について、説明された。天皇陛下や宮内庁の了解をとっていたこと。一年延期した上、タイ政府を始め、多くの人たちが半年以上前から準備していたという事情があったこと。公務と私用の兼ね合いについては、
「公務を優先させるべき」
とした上で、
「宮中行事は、全皇族の日程を考慮して決められてはいません。皇族全体を対象としたものと、特定の皇族に限定して行われる行事がぶつかった場合、後者を優先させるほうがいいのではないかと思います」
とお答えになった。そのあとで『週刊新潮』の記事に触れ、
「宮中晩餐を欠席してタイに行ったことの是非についての記事であれば、議論は大切だと思います」
と述べられて、
「女性問題は根も葉もないこと」
と続けられたのだ。紀子さまはその間、お隣で小さく頷いておられた。
「一連の報道でお心を痛められたのは、むしろ紀子さまではないでしょうか。不仲とまで書かれたわけですから。会見のお姿も、少し窶(やつ)れられたような印象を受けました」
と、川嶋家の知人は言う。
ご会見の様子がテレビや新聞で報じられた11月30日の夜、御所では殿下の誕生日を祝う食事会が開かれた。
「秋篠宮ご夫妻に眞子さま、佳子さまを囲んで、天皇陛下と皇太子殿下のご夫妻、紀宮さま、加えて川嶋教授ご夫妻。記者会見のことなど話題にのぼらず、お子さまの成長ぶりなどに遅くまで話が弾んだようです」(宮内庁関係者)

◆愛人と目された女性も困惑

とはいえ、問題の女性が実在するのかしないのか、やはり気になるところではある。『週刊新潮』側はもちろん、
「報じた内容は間違いない」(松田編集長)
という立場。
これに対し多紀名誉教授(前出)は「ありえない」と断言する。
「お相手と目されている女性は、半分は私の教え子のような研究者です。夫のある身ですし、彼女もとても困っているんです」
4月のタイ行きに同行した、別の研究者の証言。
「あのころ宮さまと、『きちんと文書で反論しようか』と話し合いもしました。しかしそれをやれば、かえって騒ぎが大きくなると考えて、やめたんです。
結果として、今回ご自分の言葉で話されたことは正解でしたね」
会見の評判は概ね良好だ。
宮内庁関係者の話。
「20分の予定の会見が、40分に延びました。和やかな雰囲気でしたが、あそこまで踏み込んでしっかりしたお答えがあるとは、記者たちも考えていなかったようですよ」
皇室評論家の岸田英夫氏は、こう感想を述べる。
「美智子皇后や雅子妃のように記者の質問に文書で答えるのではなく、記者たちを前にご自分の考えを述べられたのはとてもよかった。出版社に対しての直接の抗議であり、しっかり対応できない宮内庁への批判にもなっていました」
当の『週刊新潮』松田編集長も、殿下がご自分の言葉でお話になった点には意義を認める。
「ほとんどの役所が情報公開を進めている中、宮内庁だけが時代の流れに逆らっている。殿下ご本人があのようにお話になるのはこれまでんかったことで、国民の知る権利を満たすし、歓迎すべきことです」
紆余曲折あるにせよ、今度の騒ぎが「開かれた皇室」に向かう動きのひとつだとすれば、国民にとっては喜ぶべき傾向に違いない。
来たる9日は、皇太子妃・雅子さまのお誕生日。こうした流れを受けてかどうか、どうやらご成婚以来初めての単独会見が実現しそうな運びとなった。皇室の歴史からいえば、これまた異例中の異例だそうである。


(記事終わり)

文春の記事全体を一読してみると、自分たちの記事にプライドを持って最後まで抵抗していた新潮に比べると、宮内庁にはチクリと言えても、秋篠宮様・川嶋家サイドには完全に迎合した印象が拭えません。あの「火のない所に煙」会見を「好評だった」と称してしまう辺り、文春は詰めが甘いと言わざるをえません。

文春はせめて「秋篠宮様単独の愛人疑惑報道がなされた時」ではなく、「川嶋教授の御所訪問が取り上げられた途端」になぜか抗議行動に移った宮内庁の不自然な態度に疑問を呈することくらいはしてもよかったと思います。どう考えても、川嶋教授の件が出てきた途端に半年にわたって担当者のクラス(レベル)を上げながら執拗に抗議と訂正要求を続けた宮内庁の態度は、おかしすぎますから。これは宮内庁が誰か(どこか)から執拗にけしかけられて、新潮が謝罪・訂正をするまで抗議を続けるように命令されたからとしか思えないのです。まるで宮内庁の背後に圧力団体がいるような印象を受けてしまいます。

秋篠宮様ご本人も「前から機会があれば自分の言葉で反論したい」と述べていらっしゃったようなので、お誕生日会見を使ってご自分の言いたいことを通すことができて、さぞご満足だったのではないでしょうか。そして前から薄々分かってはいましたが、皇族のお誕生日会見では「記者クラブから事前に提出される質問のどれに答え、どれに答えないかという最終的な決定権がある」とのこと。昨年の秋篠宮様のお誕生日会見で紀子妃と悠仁様の乗られた車が追突事故を起こした件について完全にスルーされていたことは記憶に新しいですが、「あの事故のことは一切しゃべらないし質問もさせない」という決定権を秋篠宮様(と紀子妃)がお持ちでいらっしゃったということですね。自分たちの方が加害者側になったということを蒸し返されるのがそんなに不都合だったというのでしょうか。どうせなら紀子妃自らが夫の誕生日会見で「私たちにもっと警備がついていれば、あの追突事故は防げたと思います。私たちにもっと警備を増やしていただけると有り難いのですが」と正直に話せばよかったのに、と思います。でもそれは国民からの反発が予想されるからできなかったんですね。

話はそれましたが、秋篠宮様は「愛人」の件については事実無根だと反論しています。しかし、そのほかの批判要素については、自分に不都合なことなのかスルーしたままというのが気になります。
秋篠宮様が批判されていたことは、何も愛人疑惑のことだけではありません。

大使館員を煙に巻いて、スケジュールを突然変更して勝手に気ままに行動してしまうこと。
社会見学と称してソープランドに行ってしまったこと。
珍しいナマズなどの生き物を持ち帰ると言ってきかないこと。
タイにはいつもお気に入りの取り巻き連中(民間人)を引き連れていること。


これらも秋篠宮様を批判する要素として雑誌に挙げられていましたが、これらについては秋篠宮様も記者もスルーなのは卑怯という感じがします。

それに、愛人として噂された相手は、文春が挙げていた女性(同じ研究所の既婚女性)だけではありません。秋篠宮様や文春が明確に否定しているのはその研究者の女性についてだけですが、「ほかにも噂になっている女性は複数いた」という証言が挙がっていることについては、秋篠宮様はうまくスルーしているように見えてしまうのです。

当ブログでも以前取り上げさせていただいた「噂の真相 1996年7月号」は、3人の女性を挙げていました。
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-4.html

一人目:タイ外務省の東アジア課につとめる女性
二人目:タイ前国王(プミポン)の末娘であるチュラポン王女
三人目:カセサート大学付属水産研究所の女性研究員


秋篠宮様や文春が否定している女性研究員と、噂の真相が挙げていた三人目の女性研究員が同一人物であるかどうかは定かではありませんが、秋篠宮様は一人目と二人目の噂についてはスルーしているように思うのです。
噂の真相は特に二人目の王女の一件を問題視し、「これが事実であるなら外交問題に発展しかねないような大スキャンダル」「チュラポン王女は秋篠宮ご夫妻の結婚式にも強引に出席を要求してきた」と書いています。
皇族の結婚式には海外からの来賓は呼ばないという方針であったにもかかわらず、チュラポン王女が秋篠宮ご夫妻の結婚式のために来日をごり押しし、式にも無理やり出席したという一件は事実のようですが「なぜそこまでのことが例外的に許されたのか」ということの理由は、未だに判明していません。

しかし残念なことに秋篠宮様ご本人が愛人の一件を会見で否定・反論したことが転機となり、「秋篠宮様の愛人疑惑の件はこれ以上取り上げることができなくなった」という風潮がマスコミに漂うことになったのでしょう。
後で当ブログでも取り上げる予定ですが、宝島本社と文藝春秋社長宅に銃弾が撃ち込まれた事件(1993年)のようなことを再びされては困る、という恐怖もあったでしょうね。

そして秋篠宮様の逆襲は、この会見だけにとどまることはありませんでした。
その後(1998年)、秋篠宮様の肉声を詰め込んだ『秋篠宮さま』(毎日新聞社)という一冊の本が出版されることになりました。

次回以降、この『秋篠宮さま』の件を取り上げていきたいと思います。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その6~あくまでも抗った新潮、宮内庁サイドに迎合した文春③

1996年当時はジャーナリズム精神にのっとり立派な一般論を述べていた新潮に対し、ライバルである文春はどういう態度に出たのでしょうか。文春は同年12月に秋篠宮様に関する記事を出しています。

実は新潮記事と文春記事の間(11月30日)に、秋篠宮様のお誕生日記者会見が行われていました。有名な「火のない所に煙が立った」会見です。
文春はこの「火のない所に…」会見を受けて記事を書いています。今回はその記事を2回くらいに分けて引用させていただきたいと思います。

1996年12月12日 週刊文春
「紀子さま同席で語られた秋篠宮『タイの愛人』問題」
前代未聞「火のない所に煙」会見


誕生日記者会見の内容が明らかになったとき、誰もが驚きを禁じえなかった。国民のほとんどが忘れかけていた「女性問題」報道について、秋篠宮殿下が自ら言及されたからである。旧弊にとらわれぬ殿下とはいえ、異例のご発言をされるまでに一体、何があったのか。

何しろ異例の出来事なのだという。秋篠宮文仁殿下(31)が誕生日に際しての記者会見で、自らの「女性問題」を報じた記事に直接反論されたことが、である。会見の席上、殿下はこうおっしゃった。
「私も週刊誌を読みましたが、根も葉もない女性問題について(笑)、いろいろ話が広がっていってしまったわけですね。
そういうことはまったくないことですし、火のない所に煙が立ったというか、非常に想像力豊かな人がそういう記事を書いたんだと思いますけれども、完全に事実と異なる報道がなされたということについては…」

ここでしばし間を置き、語気を強めて、
「不満をもっています」
と語られたのである。
殿下が問題にされているのは、『週刊新潮』の記事。今年4月と6月に同誌が報じた内容について、わざわざ「事実無根」とおっしゃったのだ。
しかし、記事が出てから半年以上も過ぎた年の瀬、“そういえば今年、そんな話もあったな”という程度が世間の感触だろう。いまごろ何故、ご自分から蒸し返すようなお話をされたのだろうか。

コトの発端は、今年4月17日、殿下がクリントン・アメリカ大統領の歓迎宮中晩餐会を欠席し、私的にタイへ旅行されたことにある。タイ訪問の目的は、おなじみナマズの調査。タイ北部の村で、メコンオオナマズの捕獲儀式を見学することになっていた。
そもそも昨年4月に行く予定だったが、阪神淡路大震災で今年に延期されたもの。そこへ、二転三転したクリントン大統領の訪日が、あとから重なるという事情があった。関西空港からバンコクへ、17日午前に出発する予定でいたところ、この日の夜に晩餐会が組み込まれてしまったのである。その経緯については、小誌も『晩餐会欠席の理由はナマズ見物』と報じたのだが…。
「クリントンをとるかナマズ見物をとるか、という論調からして間違っている。アメリカかタイか、なんです」
と語るのは、このご旅行に同行した東京水産大学の多紀保彦名誉教授
「訪問は非公式でも、受け入れるタイ側の歓迎は公式行事です。2年続けてキャンセルできないし、こちらが先約だったわけですから」
殿下はこのときの調査を元に、文化人類学、民族学の見地からメコンオオナマズ捕獲儀式についての論文を書かれたという。それは国立民族学博物館が出している研究報告の次号に載る予定だ。
だが『週刊新潮』4月18日号は、『秋篠宮殿下度重なる「タイ訪問」に流言蜚語』と題した記事の中で、こう書いた。
「殿下には結婚前から親しくしているタイ人女性がいて、その女性に会うためにタイに行くのではないか」
お相手の女性については、「学習院の同窓で、陛下と親しい会社役員」のコメントとして、こう述べている。
「ナマズの研究所のスタッフかアシスタントと聞いています。身分の高い女性で、エキゾチックなタイ美人だそうです」
続いて、こんな匿名コメントまで載っている。
「殿下の女好きは何とかならないかとずっと思っていたんです。今回の旅行だってタイ女性とプライベートビーチに行くんだと聞きましたよ」
記事の内容はかように、何ともショッキングだったのだ。
タイへのご出発は、この記事が出て6日後。当然のように、女性週刊誌やワイドショーが行く先々で待ち受け、物々しい旅となった。

◆帝国ホテルにいた川嶋教授

その騒ぎは、一週間後のご帰国と共にひとまず落ちついたのだが、『週刊新潮』は6月20日号で追い打ちをかけた。『天皇陛下突如御静養の背景に秋篠宮殿下』がその記事。今度の内容は、以下の如くであった―。
6月7日以来、天皇陛下が体調を崩され、静養されることになった。『前庭神経炎』という病名で、原因は不明。ストレスが誘因ではないかという仮定のもと、記事はこう進む。
陛下にとって頭痛の種といえば、皇太子ご夫妻のお世継ぎ問題に、紀宮さまの結婚問題。しかし一番心を痛めているのは、秋篠宮殿下の一件である、と。
記事の核心は、紀子さまの父親である学習院大学の川嶋辰彦教授が、殿下の女性問題を問い質すために御所へ怒鳴り込み、天皇陛下に苦言を呈したというくだり。それは21日午後3時のことだった、と日付・時刻まで特定してみせたのだ。
前回の記事には無反応だった宮内庁だが、ここからの対応は素早く、積極的だった。発売当日の6月13日、鎌倉節長官が定例記者会見の席で、
「事実無根の記事。訂正を求めたい」
と語る。

総務課長と報道室長が新潮社を訪れ、松田宏編集長に面会したのは、その翌日。抗議は、4月18日号の記事にも及んだ。
『週刊新潮』側は翌週、反論記事も掲載した。タイトルはそのものズバリ、『「秋篠宮殿下」記事への宮内庁抗議に答える』。内容は、
「重要な公務を放り出して、私的なナマズ見物など言語道断」
と一刀両断のもと、宮内庁関係者や殿下の知人のコメントで、女性問題の存在、殿下ご夫妻の仲がギクシャクしていることなどを改めて強調した。
しかし、川嶋教授が御所を訪問した日付については、
「4月21日と特定することはできなかった」
とトーンダウン。
宮内庁が納得するはずはない。再び発売の翌日、今度は森幸男次長が新潮社を訪れて副社長に会い、再度の抗議。このとき、川嶋教授が鎌倉長官宛てに送った手紙のコピーも手渡している。手紙のポイントは、三点あった。
まず、4月21日に御所を訪れた事実はないこと。この日午後は帝国ホテルで知人の結婚披露宴に出席していた。
次に、陛下に対し、宮さまの女性問題で苦言を呈したという事実はなく、そのような気持ちを抱いたこともないこと。
第三に、これまでも事実と食い違う報道はあったが、原則としてそのままにしてきた。なぜなら、ひとつの事柄を否定すれば、気づかずにいるほかの事柄を肯定していると受け取られる可能性があるからである。
手紙は、川嶋教授の思慮深さを窺わせる言葉で綴ってあった。
教授の親しい知人も、
「川嶋さんは、『事実でないということは、いつか相手にもわかるはずです』と穏やかに語っておられた。御所へ怒鳴り込むなど、まったくありえないことです」
と証言する。
それでも新潮社から、訂正するとの答えは得られなかった。宮内庁側はその後、7月11日にも回答を求めたが、やはりナシのつぶて。
それから4カ月たった11月18日、『週刊新潮』はようやく、鎌倉長官に宛てて文書を出す。内容は「訂正には応じない」という従来通りのものだが。
「鎌倉長官と新潮社の常務が顔を合わせた際、改めて文書を出すようにとの要請を受け、承諾したため」(松田編集長)という。

(記事ここまで)

文春の記事でもハッキリと「それまで無反応だった宮内庁が、川嶋教授の件が記事に書かれたとたん素早く積極的に抗議に動いた」と書かれていますね。
宮内庁は「秋篠宮様のため」というよりは、「川嶋教授の(名誉の)ため」に動いていると思われても仕方ない対応方法だと思います。
それでも新潮が「訂正には応じない」という姿勢を貫き続けると、何度も何度も抗議を寄こす宮内庁の対応には異様さを感じるのです。
当ブログでも以前ご紹介したように、1996年当時は秋篠宮様の行状に関する記事があちこちの出版社からたくさん出されていました。
しかしここまで執拗に抗議を受け訂正を求められたのは、新潮の記事だけでした。
新潮だけが川嶋教授の件について記事を書いていたためではないでしょうか。


文春は早々に宮内庁=秋篠宮様・川嶋家サイドにつき、川嶋教授のアリバイ(?)を持ってきたり、川嶋教授の人柄を殊更に持ち上げたりと、傍から見てゴマをすっているというかみっともない態度に終始しているように見えてしまいます。
陛下が御所で川嶋教授の怒鳴り込みを受けたとされる日、教授は帝国ホテルにいたという証言(?)が出てきたようですが、そうすると川嶋教授が御所を訪れたという証言をした宮内庁職員が嘘をついたということになってしまいますが、果たして「嘘」と断定していいものかどうか。
そもそも川嶋教授は、自分の娘(=紀子妃)と秋篠宮様の交際の件で御所に文句を言いに乗り込んだこともあるという逸話も聞いています(その時の服装もポロシャツという軽装で、とても陛下にお会いするのにふさわしい服装ではなかったという具体的な証言もあったように記憶しています)。
「川嶋教授」というと「御所怒鳴り込み」というイメージが湧くほど、この逸話は多くの国民が聞いたことがある話だと思います。

だから川嶋教授がいくら「自分は御所に行ってないし陛下にも会っていない」と言い訳しても、信じがたいというのが本音ですね。

何よりも宮内庁が、肝心の秋篠宮様よりも川嶋教授のために懸命に抗議に動いていること自体、不自然でおかしな話ではありませんか。まるで宮内庁が何かに怯えているように見えてしまうのです。

その点、雅子様のお父上である小和田氏は、テレビや週刊誌、ネットであれだけ悪し様に根も葉もないことを言われても、一切反論を行っていません。川嶋教授のように宮内庁長官に抗議の手紙を渡すこともしなければ、親しい人を使って言い訳することも一切ありません。小和田氏こそ本当につらく厳しい環境に立たされているのに、彼はマスメディアの前には出てきません。ただ黙って現状に堪えています。

「弱い犬ほどよく吠える」―川嶋教授を見ているとこの諺が思い浮かびます。

ところで、秋篠宮様のタイ訪問について「非公式と言っても歓迎行事は公式なんだ」とか「こちらが先約だったんだ」とか「これはアメリカかタイか、という問題だ」という発言をしている多紀保彦名誉教授は、秋篠宮様のお取り巻きの一人として名前がよく挙がる人ですね。要するに秋篠宮様のタイ訪問は「実質上(笑)の公式訪問」であり「日本とタイの架け橋を担う重要な実質的(笑)公務」である、と言いたいのでしょう。
ただの趣味の延長のナマズ捕獲なのに随分壮大なものを思い描いているのですね(笑)。だいたい、仮に愛人の件がなくても、研究者気取りで趣味のものに没頭しているだけの行為を美化しすぎなんですよ。秋篠宮様がタイで羽根を伸ばしすぎて大使館も行動を把握できなくて困っている現状を見ても「このタイ訪問は大事なものなのだ!」なんて言い訳すること自体、噴飯ものです。さすが、ソープランド見学をも「社会勉強のため」と言ってしまうだけのことはありますね。

次回、記事の後半を引用させていただきたいと思います。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その5~あくまでも抗った新潮、宮内庁サイドに迎合した文春②

今回も引き続き、週刊新潮1996年11月18日号『「秋篠宮殿下」記事への宮内庁抗議に答える』の記事(後半部分)を引用させていただきます。

(記事続き)

◆宮内庁の“広報官”

ところが、宮内庁側がこの話を否定し続けるのはともかく、宮内記者会に所属する新聞記者の中にも、宮内庁の発表をそのままタレ流すムキもいるようだ。
6月16日付朝刊の産経新聞社会面に掲載された囲み記事など、まさにその典型で噴飯ものであった。「一方的報道は不公正」と称して、本誌記事を批判したもので、
<皇族が立場上、発言・反論されないのを承知の上での報道に“不公正”のにおいがする>と書き出し、
<原則として皇族が直接、反論されることはない。必要があれば記者会見がセットされる。それが現在の皇室取材の暗黙の了解だ>とした上で、
<反論しない存在に向かって事実を確かめずに一方的な批判を行うのでは、ジャーナリズムとはいえないと思うのだが>
と結論づけるのだが、そもそも「暗黙の了解」などというものが、皇室取材にあると断じていることからして、自らの報道にブレーキをかけているようなものだ。その「暗黙の了解」とやらが宮内庁と宮内記者会との間にあるというのなら、そんな“了解”に基づいた報道こそ、もはやジャーナリズムと呼ぶには値しまい。
そもそも、この記者氏、皇族には反論権がないと信じておられるようだが、何か勘違いされているのではないか。皇族だって書面なり、記者会見なりで反論することは、いくらでも可能なはずではないか。それどころか名誉棄損で刑事告訴することも可能なのだ。刑法232条の2項では、告訴をする者が天皇、皇后、太皇太后、皇太后、皇嗣の時は、内閣総理大臣が代わって告訴を行うと定められている。

「基本的に理解しておかないといけないのは、宮内記者会というのは、宮内庁が伝えたいことを発表する“広告官”だということです」
と語るのは、記者クラブの実態を追及しているフリージャーナリストの岩瀬達哉氏である。
「彼らは、基本的に皇室の裏事情とか背景について取材できないんですよ。では何をやっているかといえば、皇族のスケジュールと行動を掴むことに重点を置いているわけです。産経の記者が雑誌ジャーナリズムを批判するのなら、じゃあ、あなたはいったい何を書いたんですか、国民の知りたいことを書いているんですかと聞きたいですね。秋篠宮殿下が本当に巷間いわれているように女遊びがひどいのか、事実は違うのか、そういうことをなぜ書けないのか。宮内記者会は皇室と国民との懸橋になるなどと言いますが、それならもっと突っ込んで取材して書くべきなんです。今の皇室のあり方を議論するためにも、知っていることを洗いざらい書いて、材料を提供することが重要なのに、結局できないのでは、宮内庁の番犬としか言いようがありませんよ

◆敬愛される皇室のために

さて、それにしても、やはり問題は宮内庁のあり方に戻らざるを得まい。秋篠宮殿下が、コトの起りとなったクリントン大統領の歓迎晩餐会を欠席すると言いだした時に、それを直接諌める職員が一人でもいたのだろうか。
「陛下はご承知の上」
というコメントを出すだけで、済むことではない。
結局、宮内庁の幹部職員というのは事なかれ主義で、身を挺して進言することもない。出来るだけ不都合なことは、隠そうとする体質を持っているんです。そのために、皇室内にはほんとんど波風が立っていないように見えるが、直接、両陛下などに接する奥向きの人たちの受取り方は、また別のものなんです
と語るのは、あるベテランの皇室ジャーナリスト。
だから、何事もないかのように振る舞おうとする幹部職員に反発して奥向きから様々な声が聞えてくるのだろう。

断るまでもなく、本誌としては、秋篠宮殿下の問題を芸能人と同じように単なるスキャンダルとして取り上げているわけではない。むしろ、国民からも敬愛される皇室のあり方を考えた時に、陛下を支えるべき秋篠宮殿下の行動が国民に誤解を与えるようなことがあってはならないと危惧するものである。
本来ならば、それを押し止めるはずの宮内庁がその役割を果たしていないし、宮内記者会に所属する新聞ジャーナリズムも、報道機関として機能していない。

「皇族の取材というのは、確かに一社単独で記者会見というのも難しいので、共同会見の形を取るのは仕方がないと思います。ただ、だからといって記者会見以外のところから得た情報を記事として書いてはいけないというのも、おかしな話です。また、逆に、記者会見というのは、直接皇族から話を聞くことのできる唯一のチャンスなのだから、なるたけそういう機会を増やすべく努力をするのが、記者会の人間のつとめですよ。それが、最近では、雅子妃の誕生日の会見も文書回答になるなど、努力が足りない気がします。今度の秋篠宮の件にしても、宮内記者会でご本人に語ってもらうよう記者会見を申し込んだらいいじゃないですか」(元宮内庁担当記者の話)
ところが、一社だけ抜け駆けをしようものなら、記者会から除名になったりするのだから、体質は一向に改まらないわけだ。
皇室を取り巻く状況を憂える者として、本誌はやはりこうした問題を、報道せざるを得なかったのである。

(記事終わり)

上記新潮の記事は、一般論としてはなかなか鋭く良いことを言っていると思います。
皇室報道の問題に関しては1996年当時よりもむしろ今の方が悪い方向に進んでいると言え、深刻さは一層増していると言えるかもしれません。1996年当時は立派なジャーナリズム魂を見せていた新潮も、今では残念ながら偏った皇室報道に加担している場面が少なくないと感じます。
1996年当時は秋篠宮様の行状を批判できるような空気がきちんとありましたし、それ以前もたとえば礼宮様と川嶋紀子さんの婚約の経緯に関する異常さや問題点等も多くの雑誌で記事化されていました(お二人が結婚されたことでそういう否定的な記事はどんどん減っていきましたが…)。

今の皇室報道はどうでしょうか。
雑誌記事に対して反論できる皇族は限られ(美智子皇后陛下が一番多く反論なさっている傾向にありますが、その一方で東宮ご一家はどんな捏造やデマ情報を流されても反論なさらない、反論する機会を与えられない)、両陛下や秋篠宮ご一家に関する称賛報道ばかりに偏り、一方で東宮ご一家は些細なことを取り上げられネガティブな印象を与える報道ばかりになり、秋篠宮家以外の宮家に関しては不自然なほど報道が少ないという異様な現象が見られます。

両陛下と秋篠宮ご一家に関しては、過去にあった問題点や行状も悉く「無かったこと」にされつつあることが本当に恐ろしいと感じています。このブログを立ち上げた理由は、そういう過去の問題を「無かったこと」にされて「秋篠宮様はご立派!次の次の天皇にふさわしい方!」という一方的な称賛報道ばかりが残されることに我慢がならなかったためです。闇に葬り去られつつある秋篠宮様(とご家族)の過去の問題点をネットに残し後世に伝えていきたいという思いに駆られてこのブログを始めました。
そのような趣旨から当時の雑誌記事を、引用元を明記しながらなるべく省略することなく掲載させていただいております。


そして、皇位継承順位第3位と盛んに言われている秋篠宮家の長男・悠仁様に関する報道も異常に少なく、ジャーナリストの上杉隆氏によれば悠仁様には報道規制がかけられ、この報道ルールに反するメディアには罰則が設けられ、メディアもそれに逆らうことなく宮内庁の指示に黙って従っているという情報もあります(この一件も番外編としていつかブログ記事にしたいと思っています)。

国民の中には稀にこういう偏った報道を鵜呑みにして「両陛下と秋篠宮ご一家は素晴らしいが、東宮ご一家は駄目、ほかの宮家に関しては関心すらない」という人々もいるでしょうが、大半の国民は「今の皇室報道、何かおかしくないか?」と気付いているのではないかと思うのです。
特にここ一年くらいの、陛下の生前退位(譲位)特例法案、秋篠宮様の唐突な待遇アップ、眞子様の不自然な婚約、加計学園の件等にまつわる一連の報道を見て違和感を覚えた人も多いのではないでしょうか。

マスコミは10年以上にもわたり東宮ご一家の印象を下げ秋篠宮ご一家の印象を上げるような報道ばかりを立て続けに行ってきましたが、東宮ご一家の人気は衰えるどころかますます高まっていっていると私個人は感じるのです。
宮内庁と結託し、一部の皇族は持ち上げ、一部の皇族は悪し様に書く…そのような不公正な報道をメディアが続けても、それに騙される国民は多くないということが分かっただけでも、私はこの国はまだまだ捨てたものじゃない、皆さんの判断は素晴らしい!と誇りに思えるのです。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その4~あくまでも抗った新潮、宮内庁サイドに迎合した文春①

さて、当ブログでは以前、下記の2つの記事を挙げさせていただきました。

●秋篠宮様とタイの怪しい関係 その1 (05/07)―週刊新潮1996年4月18日号 『秋篠宮殿下 度重なる「タイ訪問」に流言蜚語』
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-3.html

●番外編:川嶋辰彦教授の御所怒鳴り込み (05/07)―週刊新潮1996年6月20日号 『天皇陛下突如の御静養の背景に秋篠宮殿下』
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-6.html


新潮は2回にわたり、秋篠宮のタイ訪問の怪しい理由と、その後の陛下の突如の静養、陛下静養の前に川嶋辰彦氏の御所怒鳴り込みがあった件を記事にしていました。
この記事の件で、宮内庁が新潮に「事実誤認であるので訂正を求める」と抗議をしたようなのですが、新潮は断固拒否したとのことです。

その顛末について新潮が記事にしていますので、引用させていただきます。

週刊新潮 1996年11月18日号

「秋篠宮殿下」記事への宮内庁抗議に答える


本誌6月20日号掲載の特集記事「天皇陛下突如御静養の背景に秋篠宮殿下」について、宮内庁から抗議を頂戴した。「事実無根で、訂正を求める」とおっしゃるが、それにお答え申し上げたい。宮内庁は問題の発端が、秋篠宮殿下のタイ訪問にあることをお忘れではないか。クリントン大統領の宮中晩餐会を欠席してナマズの研究に行かれた殿下の行状を巡っては、実はこんな証言があったのである。

宮内庁の鎌倉節長官が定例会見の席上、本誌に厳重抗議する旨を表明したのは、6月13日のことである。
そして翌14日、村上徳光総務課長と伊本直報道室長が小社を訪れ、口頭による抗議を申し入れた。
本日は『週刊新潮』6月20日号の記事について抗議に参りました。この記事は事実無根であり、訂正を出していただきたいというのが、こちらの要望です」
と、切り出した村上総務課長の抗議内容はといえば、
「まず、4月21日に川嶋辰彦教授が陛下とお会いになるため、御所に伺ったということはございません。これは宮内庁としても関係各方面に確認した結果、申し上げることで、自信を持って、そうした事実はない、といえます。川嶋先生は、今年1月以降は御所に上っていないということです。次に、川嶋先生が秋篠宮ご夫妻のことを心配されて、陛下にいわば“苦言を呈した”という点ですが、川嶋先生は初めからそうしたお気持ちは持っておられません。夫婦のことは本人に任せて、親が口を出すべきではないというお考えで、これも事実に反することです」

この二点について指摘した上で、「本日はせっかくの機会でもございますので、以上の二点に加えて、4月18日号の記事についても抗議させていただきたい
として、さらに四つの点に話は及んだ。4月18日号の記事というのは、「秋篠宮殿下度重なる『タイ訪問』に流言蜚語」と題したものだが、
まず第一に、秋篠宮殿下には、いわゆる男女関係を含めた“女性問題”というものはございません。
第二に、秋篠宮殿下が以前、皇籍離脱発言をされたといわれておりますが、これも事実ではない。
第三に、秋篠宮ご夫妻の関係がギクシャクしているということはなく、お二人は大変に夫婦仲がよろしくていらっしゃいます。
最後に、陛下が秋篠宮殿下のタイ訪問にお心を痛めていらっしゃるというのも間違いであり、前回、クリントン大統領の歓迎晩餐会を欠席された件も、陛下はご承知の上でのことです

以上、計六点について事実に反しており、訂正を要求するというのである。

さて、これに答える前に、まず、記事の大前提となっている趣旨について確認しておく必要があるだろう。すなわち、本誌としては、
「天皇陛下が“前庭神経炎”という聞き慣れない病気で突如、ご静養されることになったことを心配し、それについての国民の関心に応えるために記事を掲載した」
ということである。
幸い大事には至らなかったものの、元々この病気は原因不明で、安静にすること以外には特別な治療法はないという。それだけに、周囲が気を揉まずにいられないのは当然であり、「かなりストレスがたまっておられたのではないか」
という声が、関係者の間から上ることとなった。そして、陛下が一番心を痛めておられたであろう問題として、秋篠宮殿下の一件に思い至らざるを得なかったのである。


◆陛下を三度訪ねた川嶋氏

秋篠宮殿下が、4月に来日したクリントン大統領の歓迎晩餐会に欠席して、タイを訪問したことについて、
「陛下はご承知の上」
と、宮内庁はいう。だが、重要なのは陛下が秋篠宮殿下のタイ訪問を承知していたかどうかではなく、秋篠宮殿下がそれを強行した結果、一般からも厳しい批判の声が上ったことだろう。
重要な公務を放り出して、私的なナマズ見物など言語道断。そもそも、この一件を発端に、秋篠宮殿下を巡る様々な話が一気に噴き出すことになったのだ。本誌が4月18日号で報じた“タイに親しい女性がいる”という話も、そうした中で出てきた情報に他ならないのである。これまでの経緯を知っている宮内庁関係者が、こう打ち明ける。
「実は、私が秋篠宮殿下の女性問題を知ったのは、去年の暮のことでした。私にその話をしてくれたのは、ある宮家に仕える奥向きの職員です。二人も子供がいらっしゃるのに、秋篠宮には別に女性がいる。それも外国人の女性でタイ美人だというのです。しかも、一人ではなく複数の女性と付き合っているということでした。初めは“まさか”と思ったのですが、やがて、そのために紀子さまとも夫婦喧嘩が絶えず、紀子さまが、“もういい加減になさい”とやり返す場面もあったという話も聞こえてきて、“ああ、やはり”と思ったのです」
秋篠宮殿下の知人の一人も、引き取っていう。
「確かに、秋篠宮ご夫妻を見ていると、何となくギクシャクしているところがありますね。夏に軽井沢に行かれた時に、お二人で散歩に出掛けられたのですが、殿下が突然、“先に帰る”と帰ってしまわれたことがあった。何か気に入らないことがあり、先に戻って本を読んでいたらしいのです。普通、二人でお出かけになったら、一緒にお帰りになるものでしょう。殿下が急に帰ってしまったので、周りにいた人は驚いていましたが、こうしたことが度々あるのです。それに、殿下が紀子さまのご両親に対して気を遣わないことを心配している取巻きもいます。学究肌の川嶋教授を殿下が敬遠されているようなのです」

で、問題は、その川嶋教授が天皇陛下を御所に訪ねて、苦言を呈した事実があったのかそうかという点だが、先の宮内庁関係者によれば、
「川嶋教授が、4月に秋篠宮の女性問題が報じられた後、陛下に会っているのは間違いない。宮内庁では、年初の挨拶以来、一度も会っていないといっているようですが、陛下がプライベートな時間に誰とお会いになっていたかは、奥向きの話であって、表にいる宮内庁の職員は把握していない事柄なんです。かねてから、川嶋教授は何かあれば御所にいらっしゃいましたが、去年から今年にかけては以前より頻繁になっているということは、ハッキリ聞いています。川嶋教授は去年以来、御所に三度いらしているということです。特に、一回目と三回目はシリアスな内容だったようで、その三回目というのが4月21日に当る。まさに、怒鳴り込んできたという感じで、川嶋教授とお会いになられた後、陛下のご機嫌があまりよろしくなかったそうです。陛下がプライベートに人と会われるのは、土曜か日曜の午後が多く、その時に川嶋教授とお会いになっているということです」

以上のような情報を得た結果、本誌は前号のような記事を掲載したのである。そしてその後、さらに取材を重ねた結果、4月21日と特定することはできなかったが、複数の女官や職員からも、
「ともかく、4月中に川嶋教授が陛下を訪ねているのは間違いない」
という証言を得るに至っている。


(記事前半ここまで)

さて私が上記新潮記事を読んでまず覚えた違和感は、「宮内庁はなぜ最初に秋篠宮様の行状記事ではなく、川嶋教授の行動(御所怒鳴り込み)記事について先に抗議したのだろうか?」ということでした。
宮内庁が皇族を守るために「皇族に関するいい加減な記事は書かないでもらいたい」と抗議をするのは、ある意味正しい行為というか、職務を全うしていると見えなくもないです。
しかし宮内庁がまず新潮に抗議したのは「川嶋教授は御所に怒鳴り込んでなどいません!」という点であって、秋篠宮様のタイでの行状や夫婦仲が良くないという件については「ついでに抗議しておこう」という感じに見えてしまったのです。


1996年といえば、秋篠宮様への批判記事が大量に出された年でもありました。改めてその雑誌記事タイトル一覧をご紹介させていただきます。

●週刊文春1996年4月18日号 秋篠宮殿下「クリントン大統領歓迎晩餐会」欠席の理由は「ナマズ見物」
●週刊女性1996年4月30日号 紀子さまを悩ませる「秋篠宮さま、タイ美人と」報道
●女性自身1996年4月30日号 紀子さま「殿下とタイ美人」報道に、ご心痛
●女性セブン1996年5月2日号 天皇家激震!「秋篠宮さまに親しいタイ美人」報道
●女性自身1996年6月4日号 本誌記者タイ現地取材 秋篠宮殿下の噂のタイ美人を徹底追跡!
●噂の真相1996年7月号 『秋篠宮タイ不倫報道の“真相”と保守化強める宮内庁』
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-4.html
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-5.html
●週刊現代1996年8月24・31日合併号 特別レポート 「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-31.html
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-32.html
●女性セブン1996年9月3日号 紀子さまショック! 秋篠宮殿下、「ソープ見学」が発覚!
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-33.html
●週刊新潮1996年10月17日号 『秋篠宮に博士号をおくった変な大学』
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-14.html
●週刊文春1996年10月17日号 『秋篠宮ニワトリ研究博士論文の「水準」』
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-15.html

…など。当ブログでも全て紹介しきれないほど、当時はこれだけの秋篠宮様批判記事が世間を騒がせていたのです。

しかしおそらく、川嶋教授の御所怒鳴り込みを記事にしたのは新潮だけだったのではないでしょうか。
新潮の記事の前後にもこれだけ多く秋篠宮様の「タイ愛人関連記事」が出されていたのに、宮内庁がほかの出版社にも会見で抗議を行ったという話は出てきていません(例の銃弾事件は脇に置いておくとして)。
しかし川嶋教授の件が記事にされて初めて、「事実無根」と新潮に抗議した。
新潮も宮内庁からの抗議に合わせて、川嶋教授の件を中心に反論せざるをえなかった。

…というように見えてしまうのです。

宮内庁は一体、誰のために動いているのだろうか?という疑問が湧いてしまいました。

新潮社は宮内庁からの抗議に対しあくまでも毅然とした態度を貫いたようです。
次回、新潮の反論記事の後半をご紹介させていただきます。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その3~別の雑誌でもソープランド記事が…

秋篠宮様がお若い頃にタイのソープランドを「社会見学」していたのは週刊現代が明らかにしてくれましたが、その事実は女性誌にも飛び火していたようです。今回はそちらの記事を引用させていただきます。

女性セブン 1996年9月3日号
紀子さまショック! 秋篠宮殿下、「ソープ見学」が発覚!


ささやかな軽井沢の休日。だが帰京後の秋篠宮家に思わぬ騒ぎが待っていた。秋篠宮さまがタイ訪問の折、ソープランドを“社会見学”したという“冒険”談がある男性週刊誌に報道されたのだ。
学習院大学の学生時代から何回もタイを訪問されている秋篠宮さま。この“冒険”は89年、23才のときのことだという。場所はタイ北部の町ピサヌローク。秋篠宮さまはここで『行方不明』になったが、行った先がソープランドだったことが発覚したというのだ。

◆ミラー越しに女性をご覧に

タイのソープランドは通称“熱帯魚の水槽”。マジックミラーの向こうにヒナ段になった大部屋があり、胸に番号札をつけたソープ嬢がズラリと並んで座っている。
客からは見えるが、彼女たちには客は見えない。客は好みの女性を選んで番号で指名し、店内の個室かホテルの自室で、即席の恋愛をする。
話の出所は、秋篠宮さまの通訳でもあり友人でもあるバンコク在住のソムチャイ・コシタポン氏だという。
同氏は日本の上智大学を卒業したタイのエリート。
秋篠宮さまの初めての訪タイ(85年)にガイドを務めて以来宮さまの信頼を得て、訪タイのときは必ず行動を共にしている。
「ソープランドのことは“殿下が羽を伸ばせるのは、宿泊ホテルの中くらいしかない”という例として、オフレコで話したことなんです。が、記事になってしまって困っています」
と当惑しながら、実態をくわしく話してくれた。
「室内に落ち着かれて、備えつけの館内案内のパンフを殿下と見ておりましたら、地下1階にディスコとソープランドがあることを知りました。殿下もまだお若いときですし、私が“ディスコやソープランドがありますね、社会勉強にごらんになりますか?”とおたずねすると、“ああ、見てみたいね”と気軽におっしゃって・・・」

この話を聞いて、驚きの表情を見せたのは、元東宮侍従の浜尾実さん。
「とても信じられないことです。かつて皇族の方がそういう所へいらっしゃったという話は聞いたことがありません。たとえ社会見学でも、そんなところへいらっしゃる必要があるのでしょうか」
皇室ジャーナリストの大久保利美さんも、
「次男坊殿下として自由奔放なところがあるので注目されているし、とかく誤解されやすい。たとえ社会見学といっても、ソープランドの見学はやはり軽率だったのではないですか」
と批判的。
淡水魚の研究で秋篠宮さまと研究仲間である某氏はこんな見解を寄せた。
「これは殿下の昔の“武勇伝”として、研究仲間はみんな知ってることなんですがね。農民が農業の合間に淡水魚を捕っているんですが生活は貧しい。都会の歓楽街のソープランドで働く女性たちの多くは、地方の娘たちなんです。“両親に家を建ててやりたい”などの動機で、性風俗店で働く女性たちの姿を見ることは、滅び行く大ナマズのバックボーンを知るうえで、いいことかもしれません」
しかし女性の立場から見ると、この行動は果たしてどうだろうか。
89年というのは、秋篠宮さまと紀子さまの婚約発表の年だった。婚約者が“社会見学”と称して“性”を金で売るソープランドの店内へ。これがショックでないはずはない。
秋篠宮さまもすでに30才。いままでのことはともかくも、もうそろそろ“武勇伝”はご卒業を。

(記事終わり)

改めて、秋篠宮様の浅薄さというか、あまり物事を深く考えずに軽率に行動してしまうお人柄がよく分かりますね。
「タイの貧しい家庭は農業の合い間に淡水魚をとる仕事もしているが、それでも貧しさが改善されないので、娘たちが性風俗で働くしかない現状がある」ということが事実だとしても、それを「社会見学のために性風俗に行く」という理由にするにはかなり無理があるのではないでしょうか?
秋篠宮様はご自分がナマズなどの淡水魚の捕獲に関わっていたからといっても、秋篠宮様は昭和帝の孫であり今上陛下の次男坊であり何ら生活に関する心配がないご身分。タイの農民は生活のために淡水魚を捕っているが、秋篠宮様はあくまでも「趣味の延長にすぎないなんちゃって研究モドキ」でナマズを嬉々として捕まえているだけ。今更、「タイの貧しい家庭の若い娘らがどういう場所で働いて生計を立てているのか」ということを知りたいとしても、それは恵まれたプリンスの偽善行為にしか見えないし、そこから何かを改善しようと働きかけたわけでもない。ただご自分がタイの性風俗に興味津々だっただけ。

「若い男性なら、たとえプリンスという立場であってもそういう風俗に関心を示す気持ちは分かる」と擁護する人もいるかもしれませんが、それなら正直に「性風俗に興味があってちょっと行ってみたいと思ってしまった。でももう二度としません」と言った方が潔さを感じられたでしょう。それを「いやただの社会見学だし!短時間で出てきたし!貧しい娘たちの生活の実態を知りたかっただけだし!」という言い訳をするからみっともないし腹が立つのです。

上記記事には皇太子殿下に帝王学を授けた濱尾氏が登場していますが、皇太子殿下とその弟のあまりの「出来の違い」に改めて驚愕していたのではないでしょうか。

そしてタイの案内役であるソムチャイ・コシタポン氏が週刊現代に続いて再び登場ですが、やはりこの男は「曲者」だなという印象です。「オフレコだったはずなのに」「記事にされて困っている」と言いながら、より詳しい情報をマスコミにペラペラ喋って秋篠宮様を追い込んでいるような(笑)。随分とおしゃべりな男なのに、秋篠宮様から信頼されているということも解せません。しかしこの後、秋篠宮様とソムチャイ氏の仲がどうなったのかは少し興味があります。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その2~秋篠宮ご夫妻の不仲レポート②

昨日に引き続き、週刊現代1996年8月24・31日号
特別レポート 「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」
の記事の後半を引用させていただきます。

◆時には激しい夫婦喧嘩も

ところが、こうして熱心に打ち込んでいるナマズ研究にも、日本の外務省はじめ政府関係者のなかには眉をひそめる者もいる。
気に入ったナマズを見つけると、すぐに持って帰るといってきかない。研究熱心なのは結構だが、あれほど自分を通されては、周囲は振り回されるばかりだ。また、殿下は私的な調査旅行のつもりでも、タイ国では『国賓』としてもてなされるし、ナマズ調査も外交の一環としてみなされるんです。タイに恋人がいるという噂が流れるのも、殿下の振る舞いを快く思っていない人もいるからでしょうし、自重していただかないと困るのです」(前出・元重要閣僚)

いっぽう、紀子様は、どんな気持ちで殿下の「奔放な行動」を見つめているのか。
殿下と紀子様の関係を語る際にしばしば引き合いに出されるのは、宮内庁担当記者の複数が打ち明ける、次のような有名な「伝説」である。
「92年の夏、赤坂御用地内のグラウンドで宮内庁職員と天皇家とで親善ソフトボール大会が開かれたが、秋篠宮殿下は、ゲームに参加せずに、応援席で昼間からビールを次々に空けていた。酔っぱらって、女性職員をからかう秋篠宮殿下を見て美智子皇后が一度たしなめたが、殿下はやめない。皇太子殿下がみるに見かねて注意したら、秋篠宮殿下が、『そんなに堅いことばっかりいって』と、皇太子殿下に言い返したというんです」(全国紙元宮内庁担当記者)
温厚な皇太子殿下の顔色がサッと変わり、その表情の険しさに周りは息を呑んだ、という。
すかさず紀宮様が「(お兄さん)やめなさいよ」と割って入り、なんとか収まった。
ところが、紀子様はすぐ横にいたにもかかわらず、秋篠宮殿下をたしなめるでもなく、見ているだけだった、という。

また、現在は会社員の学習院時代のご学友は、学生時代の縁戚での次のようなエピソードを打ち明ける。
「殿下を囲んで友人同士の飲み会があり、そこで友人のひとりが酔って殿下に絡んだんですよ。その男は、紀子さんに横恋慕していて、当時すでに紀子さんと付き合っていた殿下の前で不愉快なことを並べたてた。そうしたら、殿下はいきなりその男につかみかかって、平手打ちを食らわせたんです。みんな目を丸くしたんですが、同時に、ああ、紀子さんのことが本当に好きなんだなと感じました」

「不仲報道」のひとつの根拠とされているのは、秋篠宮家でしばしば激しい夫婦喧嘩があるというものである。もっとも、夫婦であるからには、夫婦喧嘩をするのは自然のことだが…。
「紀子様は子供を厳格に育てようとしているが、殿下が可愛がってすぐに子供を甘やかしてしまう。子供の教育方針の違いが夫婦喧嘩の大きな要因になっている。二人は育った環境が違いすぎますから、子育て一つにしても、意見はまったく違う。紀子様はああ見えても、いいたいことはきちんという性格。とくに子供を産んでからは、自信もついて自分の主張もハッキリするようになっています」(皇室ジャーナリスト)

こうした秋篠宮家のエピソードは、皇室関係者や宮内庁記者の間ではよく知られた話ばかりだ。これまでは特に問題視されず、大きな話題にはなっていなかった。それがここにきて急に秋篠宮バッシングの様相を呈してきて、殿下に批判が集中し始めているのである。
それはなぜなのか。
ある宮内庁関係者は、
「秋篠宮家の夫婦仲が悪いという話は、どうも宮家の関係者から流れている。秋篠宮家に関する噂が噴出している背景には、常陸宮家、三笠宮家、高円宮家など、各宮家と天皇家との仲がギクシャクしている。いまや各宮家は公務以外では天皇家と顔を合わせてないほど疎遠な仲になっていますしね。このほうが問題は深刻です
と指摘している。
「秋篠宮家がある赤坂御用地内には、各宮家の家もあります。その宮家の関係者たちは、秋篠宮家の様子なども、日常的に近くで見聞きすることができますし、宮家の職員などは情報交換に熱心で噂話も好きですから、『あの(秋篠宮)夫妻は大きな声で夫婦喧嘩している』『しょっちゅう子供の泣き声がしている』などという話を仕入れては、周辺に流しているふしもあります」(宮内庁関係者)
また別の皇室評論家はこう語る。
秋篠宮家のバッシングの背景には、天皇家と宮家との確執がある。秋篠宮殿下を批判することは、そのまま美智子皇后批判へとつながるんです。つまり、秋篠宮バッシングと、ひところ起こった皇后バッシングは根がつながっている。可哀相なのは紀子様ですよ。殿下は自分のやりたいように振る舞っているが、他の宮家との付き合いはもっぱら紀子様の役割ですからね。どうしても紀子様は天皇家と各宮家との板ばさみになりがちです」

◆「自分で噂を晴らしたい」と

秋篠宮殿下の奔放な性格や振る舞いが招いた部分もあるが、これほど自らへの批判が高まったことには、殿下自身も相当戸惑いがあるようだ。不倫疑惑が報道された直後、殿下自身は駐タイ日本大使館幹部にこう語っている。
「タイに恋人がいるなどという報道には本当に困惑しています。いつか自分自身の口から噂を晴らしたいと考えています
いっぽう、紀子様との不仲説が流れるなかで、紀子様の父親である学習院大学教授・川嶋辰彦氏は、どんな気持ちでこうした噂を耳にしているのか。
本誌は再三、川嶋教授に取材を申し入れたが、答えてもらえなかった。
ただ、川嶋教授は最近、周囲にこう漏らしている。
「紀子と殿下が不仲だと、おもしろおかしくいうのはまったく不愉快なことだ。いまでも二人は、書斎で机を向かい合わせに並べて、紀子は心理学、殿下は淡水魚の研究を仲良くしている。そしてコンピューターのデータベースの作り方をアドバイスし合ったりしている。私は若い二人に会ったときには、そんな研究を通じたやりとりを聞くのを、本当に楽しみにしているのだが…」
二人を思う父親の気持ちが殿下に届けば、われわれが心配することはないのだが。

(記事終わり)

この記事で「ん?」と思う部分は、「秋篠宮様バッシングの背景に天皇家と各宮家との軋轢がある」という趣旨の箇所です。
確かに秋篠宮家以外の宮家の方々は、現在でも両陛下や秋篠宮家とは交流がないように見えます。しかし、秋篠宮様の行状や秋篠宮ご夫妻の仲が良くないという話は、別に宮家に仕える人々の口からでなくても情報を得ることができたはずであり、宮家(に仕える人々)が原因で悪い噂が広まっているわけではないでしょう。それこそ、官邸や大使館、公務・静養先経由でも色々な悪い情報が集められていたはずです。

実は「天皇家と宮家の確執」については、別の雑誌も同時期に記事にしています。以下、引用します。

週刊文春 1996年9月5日号
平成皇室の「聖域」 天皇家と宮家の確執


(前略)
一方、皇族の中から天皇に対する反撥もある。
例えば89年8月、天皇が秋篠宮の婚約を、昭和天皇の喪中でありながら認めたことに対してである。
兄宮皇太子の結婚が暗中模索の段階なのに、なぜ弟宮が急がなければならないのか。ご本人は英国オックスフォード大学留学中と、いわば学生の身分だ。宮家を立てるといっても、住む家のアテもないのに、というものだった。
秋篠宮の婚約は、これまでの皇室の常識では考えられないことばかりだった。何か、裏に結婚を認めなければならないような火急の事態があったのだろうか。
ある皇室評論家は、「推定の域を出ないが」と前置きして、こう語る。
「この年の四月ごろ、一部週刊誌に秋篠宮が、皇籍離脱宣言をした、という記事が出た。いつの間にか騒ぎは収まったが、今から思えば紀子さんとの婚約を両陛下に申し出、許されないので離脱をほのめかした。宮さまの性格からみてこうも読めるのですが・・・」
そのころ宮家から「新陛下は甘い。3LDKの学習院官舎で育ったプリンセスなんて聞いたこともない」という、冷ややかな反応が漏れてきた。

(記事ここまで)

上記文春の記事を見ると、やはり秋篠宮ご夫妻の「異例中の異例の結婚」が全て尾を引いているように思えるのです。
秋篠宮以外の宮家に入られたお妃たちは、皆様由緒ある家柄の深窓のご令嬢です。マスコミと懇意になって世論を誘導しようなどという嫌らしい考えを持った方々では当然ありません。そういうきちんとした血筋のお妃を迎え入れた他の宮家にとっては、アパート出身で嫁入り支度の資金をほぼ全て天皇家に負担させ、しかも思想に偏りがありマスコミとも懇意にしてきた教授の娘の急な皇室入り(しかも婚約会見は昭和帝の喪中)など、到底認められなかったし納得できなくても当然だと思います。
そしてそういう異様な結婚を認めてしまった現両陛下の判断にも疑問が湧いても不思議ではないでしょう。
こうなると文春記事が触れる「火急の事態」が一体何であったのか、その真相を知りたいものです。
「秋篠宮様が皇籍離脱宣言をした」とか「川嶋家への問い合わせが多くなってきた」というのは理由としてはまだぬるい方で、それ以上にこの結婚に反対できなかった深刻な事態が何かあったのではないかと疑いたくなるのです。

秋篠宮ご夫妻は周囲を振り回してご自分たちの結婚を優先させたのですから、結婚生活を厳しい目で見られるのはやむをえませんし、批判されるのが嫌であれば相当の努力をしなければならなかったはずです。
しかし彼らは「筆頭宮家」という立場に甘んじて、自分たちに厳しくしてこなかったのでしょう。何かあれば両陛下に泣きつけばいいくらいの意識でいたのかもしれません。現に両陛下は、他の宮家との交流よりも秋篠宮家を可愛がる道を選ばれたようですから、これでは他の宮家との確執が消えないのは当然と言えますね。

さて、秋篠宮様は「いつか自分で噂を晴らしたい(反論したい)」とおっしゃったとのことですが、それについても追々まとめていきたいと思います。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その1~秋篠宮ご夫妻の不仲レポート①

秋篠宮ご夫妻は、「身分の差や周囲の反対を乗り越えて皇族男性と庶民の女性が大恋愛の末に結ばれた」という見方もできるでしょう。しかし、ご夫妻の仲睦まじさは長く続いたわけではありませんでした。当ブログの最初の方の記事で「秋篠宮様とタイの愛人疑惑」について取り上げた通り、秋篠宮様と紀子妃の夫婦仲が悪くなった要因はこの辺りにあると思います。

96年~98年頃は、まさに秋篠宮様、宮内庁、数々の雑誌がそれぞれ秋篠宮様の行状について攻防を続けていた時代でもありました。
以下、なるべく順を追うような形で、秋篠宮様、宮内庁、雑誌の動きを見ていきたいと思います。

まず、週刊現代1996年8月24・31日合併号に掲載された記事を2~3回に分けて取り上げたいと思います。

特別レポート 
「タイ不倫疑惑」「不仲説」揺れる秋篠宮家「夫婦の実像」


春以来、秋篠宮家は、殿下の女性関係や夫婦仲を取り沙汰する「噂」の的になり続けている。国民が求める「模範的な家族像」と本当の夫婦像との「落差」が大きくなりすぎて、それが批判や噂の背景になっているのか。秋篠宮ご夫妻を、「等身大の若き夫婦」として見つめ直すときがきているのではないか。

◆軽井沢で目撃された「異変」

8月4日午後3時半ごろ、旧軽井沢にある「軽井沢会テニスコート」でのこと。
観覧席の最上階で、友人数名と地元のテニス大会を観戦していた秋篠宮文仁殿下(30歳)は、ふいに席を立ち、ひとりでコートに出て、宿泊先の万平ホテルに歩いて帰り始めた。
同じテニスコート敷地内の、すぐ目の前のクラブハウスでは、紀子様(29歳) が一生懸命にふたりの子供の面倒を見ている、通常の仲の良い夫婦であれば、帰りしなに子育てに忙しい妻に、ひと声いたわりの言葉をかけてもよいところだろう。だが、殿下は紀子様や愛娘の様子を見ようともせず、声もかけなかった。
紀子様もまた、殿下のほうを見ようとしない。
残された紀子様と子供たちがホテルへ引き上げたのは、それから小1時間も経ってからのことだった―。
8月2日から7日まで、秋篠宮家が静養に訪れた軽井沢では、ご夫妻が一緒にいるところはほとんど見られず、別行動をとる光景ばかりがあちこちで目撃されている。

「秋篠宮殿下と紀子様の仲がしっくりいかなくなっている」
こうした情報が盛んに流れたのは、すでに4ヶ月も前のこと。4月に、秋篠宮殿下がクリントン大統領歓迎の宮中晩餐会を欠席し、タイに私的なナマズ研究旅行に出掛けたのが発端だった。
「タイに行くのは親しい女性に会うためだ」と、秋篠宮殿下の不倫疑惑を取り沙汰する噂がさかんに流れた。噂のなかには、相手の女性について、「タイ人でナマズ研究のアシスタント」「タイ政府の高官の娘で通訳を務めている女性」などと、具体的に名指しで語られたものもある。
少なくとも戦後日本で、これほど皇族が明白な批判に晒され、さらに女性問題の噂が露骨に報道されるのは前代未聞であろう。噂は、皇室、および宮内庁を震撼させ、いまもくすぶっている状態なのである。

「このままでは、殿下にまつわるスキャンダルがどんどん噴出して収拾がつかなくなる」
こう危惧するのは、自民党の元重要閣僚である。
首相官邸には、殿下の女性に関する情報は途切れることなく入ってきていた。官邸では、殿下はご結婚が早すぎたのではないか、との危惧の声まであがっている。殿下は普通の男なら遊びたい盛りに、紀子様とご結婚して2児の父になり、いまや皇室の幸せな『親子像』を象徴する役割を一手に担うようになった。もともと奔放な性格の殿下だけに、そうした役割が重荷になっているのではないか
理想の夫婦、理想の家族を象徴していたはずの秋篠宮家が、まさにグラグラと揺れているというのである。

それにしても、秋篠宮殿下の訪タイは、学習院大学の学生時代の85年8月に初めて訪れて以来、実に9回に及ぶ。しかも、本誌の取材では、これ以外に数回の隠密旅行があるとの証言すらある。訪タイのなかには、新婚旅行を含めて紀子様同伴のこともあるが、多くは単身での訪問。89年には1ヶ月滞在したほか、過去1年間では3度もタイを訪れている。
なぜ、秋篠宮殿下は、繰り返し、繰り返し、タイに出かけるのか。
宮内庁を通じて示される訪タイの理由は、その都度、「私的なナマズ研究旅行」というもの。タイを訪れた秋篠宮殿下は、首都バンコクにある淡水魚の研究機関・国立内水面研究所でっ研究にいそしむのだが、逆に、同じ研究所にあまりに通いつめるが故に、同研究所内に「親しい女性」がいるのではないかとの噂につながっていく。

本誌は1カ月にわたるタイ現地取材を敢行したが、その「親しい女性」と名指しされた女性は、困惑した表情で次のように語った。
「殿下は気さくな方で、とても尊敬しています。しかし、私にも夫がいますし、殿下の恋人などというのはとんでもないお話です」(ナマズ研究のアシスタントを務めていたパノム・ソスク博士=38歳)
タイ人ガイドで、殿下のタイ旅行には必ず案内役として付き添うというソムチャイ・コシタポン氏も、「タイに愛人がいるなど、根も葉もない話だ」と憤りを隠さない。
ソムチャイ氏は、殿下が初めて訪タイした85年にガイドを務めて以来、タイでは必ず行動を共にする。紀子様との結婚式にも招待されたほど、殿下の信頼が厚い人物である。
「タイに繰り返し来るからといって、なぜすぐに『恋人』がいるという話になるのか。殿下はとにかくナマズの研究に熱心で、女性と付き合っている時間などはない。行く先々で歓迎レセプションもあるし、とにかく分刻みのスケジュールで、端から女性と接するような時間などない」(ソムチャイ氏)


◆ホテルを脱出してソープランドを視察

しかし、タイで殿下の警護にあたる駐タイ日本大使館関係者から聞こえてくるのは、思いきり羽根を伸ばす殿下の行動に対する不満だ。
「殿下のタイでの行動には、警護の者は困惑することが多いようです。スケジュールを突然、変更したいといったり、とにかく行動が突発的で予想が付かないため、大変だとボヤいていましたよ」(全国紙バンコク特派員)
タイの日本大使館関係者から不満が上がるのは、殿下のスケジュール管理をタイ政府が仕切り、日本側の裁量が及ばないからである。
また、殿下のタイご訪問には、毎回必ず日本から殿下と親しい学者たちがピッタリと寄り添って同行する。そして、彼ら同行学者たちは、まるで殿下を囲い込むかのように常に行動を共にする。特に殿下に近しいのは、魚類の系統分類の権威である東京水産大学元教授・多紀保彦氏、タイの政治事情に詳しい大阪外国語大学教授・赤木攻氏
「多紀さん、赤木さんは、ホテルで宿泊するときも殿下のすぐ隣の部屋を占め、しばしば殿下の部屋に行って、深夜までお酒を飲んだりしている。そうした場でどんなお話をしているのか、殿下がどんな振る舞いをしているのか、日本大使館員にはわからないんです」(前出・特派員)

こうした、日本大使館の目が届かないなかで、89年には秋篠宮殿下はタイ北部の町・ピサヌロークで、短時間とはいえ「行方不明」になり、大使館員たちがパニックに陥ったこともあった。
この殿下の行方不明事件は、表向きはホテル内のディスコを見学にいった、ということにされている。が、一種の社会見学として実際に殿下が出かけていたのは、同町にある「ソープランド」だった。
前出のソムチャイ氏も前もって地元警察に警備を依頼。店に連絡して貸し切り状態にして店内を見せて回ったのだが、日本大使館員たちは、突然、殿下を見失い、大騒ぎになっていた。
タイのソープランドでは、ガラス張りの大部屋の中に雛壇があり、女性が数十人ズラリと並ぶ。通常、客は雛壇の女性を選んで指名し、店内の個室に連れて入るか、ホテルに女性を連れ帰る。
「殿下はガラス越しに雛壇を見て回り、説明を聞き終わった後、ポツリと『わかった。もう帰ろう』といって、つかつかと店を出ていった。ただ社会勉強のためにシステムを説明しただけで、断じてそれ以上はなかった。とにかく私は、行動が自由にならない殿下に、システムだけでも教えてあげたかっただけなんです」(ソムチャイ氏)

もちろん、肝心のナマズ研究には熱心に打ち込んでいることは事実である。現在の研究テーマは、ナマズの系統分類である。殿下は学習院幼稚園時代から生物に興味を持ち、ピラニアや青大将を飼育していた経験もある。タイでは生き生きと、ナマズの捕獲・研究に打ち込む。
殿下の研究に打ち込む姿を見て、かつてアシスタントをつとめたことがある人物は、次のように評している。
「あれほど熱心にナマズの捕獲に打ち込むとは驚きでした。童心にかえったかのように、自分で川のなかに入っていって、首まで泥水に浸かって熱心にナマズを取っている。ナマズの捕獲がうまくいったならば、無邪気にはしゃいだり、うまくいかないと落胆したり…とにかくナマズ研究をしているときの殿下は、喜々となさっている」

(引用ここまで)

上記記事は、秋篠宮様のタイでのお振る舞いについてかなり具体的に書いています。
秋篠宮様のタイの案内役である「ソムチャイ・コシタポン氏」、かなり曲者といった印象があります。おそらく宮様からの信頼が厚いのは、秋篠宮様への便宜を図りつつ、宮様に不都合になることを決して言わない男だからなんでしょうね。
「宮様は確かにソープランドには行ったが、見学しただけですぐに店を出た」なんて言い草、まるで芸能人カップルが「ホテルには行ったけど二人で台本を読んでいただけ」みたいな言い訳とよく似ています。
そもそも、皇族がなぜソープランドなどを「社会見学」する必要などあるのでしょうか。しかも既婚者のくせに。
そして秋篠宮様の取り巻き連中である多紀保彦氏、赤木攻氏らも相当の強かさです。宮様の「ボディーガード」気取りでいながら、宮様にくっついておいしい思いを一緒にしようという辺り嫌らしい人たちだなという印象ですね。

しかし、秋篠宮様のタイでの行動をタイ側が全て取り仕切り、日本大使館側の裁量が及ばないというのはかなりの問題があるのではないでしょうか。ほかの外国の場合はどうなのか、なぜタイにこのような強い権限を認めてしまうのか、仕組みがよく分からない部分があります。
仮に秋篠宮様がタイでフッといなくなってもしものことがあったら、一体誰(どこ)がどのように責任をとるのでしょう。「日本大使館の裁量が及ばない」からといって日本の責任がなくなるとはとても思えません。日本は秋篠宮様のスケジュールを把握できないのに、秋篠宮様に万一のことがあったら日本も責任を負わないといけない、というのは理不尽だと思います。

秋篠宮様のこのような振る舞いや性格は、ちょっとやそっとで良い方向に変化するとはとても思えません。
(後で取り上げる予定ですが、秋篠宮ご夫妻はつい最近の外遊でも周囲を振り回すような行いばかりしています)

行く先々でこのような自分勝手な行動をし周囲に迷惑ばかりかけているような方が、次代では皇嗣扱いとなり予算も大幅に増やしてもらえるのです。秋篠宮様はそうされるだけの価値や意味がある方なのでしょうか?単に男系男子に生まれたという理由だけで、東宮家の敬宮愛子内親王殿下よりもずっとずっと自由奔放な生活が許されていながら皇位継承権をしっかり保持できるポジションにいられるのです、秋篠宮様は!

ページを改めて、記事の続きを引用させていただきます。

秋篠宮様とタイの怪しい関係 その3~関係はまだ終わっていない?

平成以降の秋篠宮様のタイ渡航歴は下記のようになっています。

秋篠宮様Wikipediaより。なぜか平成19年までの情報しか掲載されていませんでした。

1989年(平成元年)7月16日 - 8月18日(イギリス・オックスフォード大学留学中)
魚類の調査研究のため。

1992年(平成4年)9月13日 - 9月28日
魚類の調査研究のため。

1992年(平成4年)11月5日 - 11月24日(同妃紀子同行)
タイからの同国シリキット王妃の還暦祝賀式典への招待による。

1995年(平成7年)9月16日 - 9月22日(同妃紀子同行)
カセートサート大学名誉学位授与式、ブーラパー大学名誉学位授与式出席のため。

1996年(平成8年)3月9日 - 3月11日(同妃紀子同行)
前年7月18日に死去したタイ国王ラーマ9世生母シーナカリンの葬儀参列のため。

1996年(平成8年)4月17日 - 4月23日
魚類の調査研究のため。

1999年(平成11年)6月27日 - 7月8日(同妃紀子同行)
秋篠宮および同妃への招待による。

2001年(平成13年)8月2日 - 8月5日(同妃紀子同行)
シーナカリンウイロート大学名誉学位授与式、チュラーロンコーン大学名誉学位授与式出席のため。

2003年(平成15年)8月7日 - 8月21日(同妃紀子同行)
眞子内親王、佳子内親王同行。同国シリキット王妃が72歳を迎えるに際しての祝意表明、並びにウボンラーチャタニー大学名誉学位授与式出席、家禽類に関する共同研究のため。

2005年(平成17年)8月17日 - 8月24日
家禽類に関する日タイ共同調査研究のため。

2007年(平成19年)3月14日 - 3月23日
私的訪問。タイ同国と共同で進めている鶏の研究に関する会議に出席、野生の鶏について現地調査・並びに同国のスラユット首相が理事長を務めるキングモンクット工科大学名誉学位授与式出席のため。

2007年(平成19年)8月13日 - 8月25日: マダガスカル(タイ立ち寄り)
私的訪問。眞子内親王同行。家畜や絶滅鳥の研究のほか、大統領や首相への表敬訪問、宮殿視察。眞子内親王の同行は国際的視野を広めるため。
(Wikipediaはここまで)


宮内庁HPには、秋篠宮家のご活動についてはなぜか平成16年7月以降のものしか掲載されていません。

平成17年8月17日(水) ~ 平成17年8月24日(水)
タイご旅行(家禽類に関する日タイ共同調査研究)

平成19年3月14日(水) ~ 平成19年3月23日(金)
タイご旅行

平成19年8月13日(月) ~ 平成19年8月25日(土)
マダガスカルご旅行(眞子内親王殿下ご同伴)
>東京御発(バンコク経由)
>アンタナナリボ御発(バンコク経由)

平成23年3月8日(火) ~ 平成23年3月11日(金)
タイご旅行

平成24年11月27日(火) ~ 平成24年11月29日(木)
タイご旅行

(宮内庁HPはここまで)


補足1:2003年(平成15年)の旅行は未成年だった眞子様と佳子様もお連れしています。ほとんど私的旅行と判断してよいものでしょう。

補足2:2007年(平成19年)は秋篠宮様と眞子様がマダガスカルに私的旅行に行く際に、行きと帰りにそれぞれタイを経由しています。

補足3秋篠宮様は平成28年8月18日からもタイに私的旅行する予定だったようですが、テロの脅威があるということで渡航を中止にしています。

こうして見ると、やはり他国に比べて秋篠宮様のタイ行きは多いと言えるでしょう。ほぼ2~3年に一回、同じ年に二回も行かれているケースもあります。
紀子妃同伴のものもありますが、「研究」や「調査」という名目で秋篠宮様単独で行かれているパターンが特に怪しいと思います。
平成19年、23年、24年にも秋篠宮様はお一人でタイに行かれていますが、普段は文字数をなるべく多くして秋篠宮家が公務をたくさんしているように見せかけている宮内庁HPが、このタイ行きだけ「ご旅行」と文字数少なく投げやり(?)に書かれているのが不自然だと思いました。公務でなく私的旅行なので大っぴらに宣伝できないという雰囲気が漂っています。

こうして見ると、昔に比べて頻度は減ったもののつい最近まで秋篠宮様はタイへ私的に行かれていたことが分かります。タイとの関係性は終わっていないと思われます。
(平成28年もテロがなければ行かれていたと思うので)
前述したように平成19・23・24年のタイ行きに至っては「○○のため」という名目すら書かれておらず「詳細を明かせない」という感じで怪しさ倍増となっています。

ここにひとつの逸話があります。

2008年(平成20年)9月11日(紀子妃のお誕生日ですね)、映画監督のW氏が、自作映画である『天皇伝説』の宣伝ポスターを無許可で掲示したとして、警視庁公安部に軽犯罪法違反で逮捕されています。W氏は「反天皇制を掲げる活動を続けている」という理由で公安の尾行対象となっていたそうです。ポスター掲示の件では不起訴になったようですが。

この事件のニュースのテレビ映像があるのですが、そこには「7月30日(木)豊島公会堂」(映画上映のお知らせか)という文字のほかに

「秋篠宮のタイの女性問題に皇室が三億支払う」

という文字の貼り紙が見えるのです。

天皇伝説
(2008年9月11日 TBS系ニュースより)

まあこの貼り紙の内容の真偽はわかりませんが、「ありそう…」と思えてしまうのが何とも。

『天皇伝説』のポスターはこれ以外にも色々あるようですが、内容的に「これはちょっと…」というような過激な貼り紙や、信憑性の薄い都市伝説的内容の貼り紙も見受けられるので「あくまでも一つのネタ」として捉えた方がいいかもしれません。

秋篠宮様とタイの怪しい関係 その2~愛人問題詳細と銃弾事件

1996年当時、秋篠宮様とタイの関係性を批判した記事は、一つだけではありませんでした。
以下、「噂の真相 1996年7月号」も同様の記事を書いています。
更に一歩踏み込んだ、驚くべきことにも触れています。
(前ブログ内容の新潮記事と重複する箇所は省きます)

『秋篠宮タイ不倫報道の“真相”と保守化強める宮内庁』

(前略)
>宮内庁担当記者が語る。
>「秋篠宮殿下がクリントンの歓迎宮中晩餐会を欠席してタイに出掛けることは、
>閣議報告の前日の4月4日に発表されたんですが、途端に記者の間から疑問の声があがりましたね。 
>大谷茂宮務課長は(タイ訪問が)あらかじめ決まっていたため日程は動かせなかった等、
>理由にならない理由を強弁していましたが、報道陣は納得せず、
>一時、会見が紛糾したほど。実際は、宮内庁も秋篠宮の行動に困惑している様子がありありでしたよ」

当時の秋篠宮様の行動は、マスコミからも相当の怒りと顰蹙を買ったことが見てとれます。
このマスコミの怒りや疑問は「雅子様に処方されている薬の詳細を明かせ!」と理不尽なことを迫るような記者とは違い、
マスコミ以外の国民とも共有しうる正当なものだったと言えるでしょう。

以下、「噂の真相」独自の内容を順次引用していきます。

>実をいうと今回、タイ愛人報道が出た際の宮内庁周辺の反応は「まさか」「信じられない」といったものではなく、
「やっぱり」「殿下なら十分ありえる」といった声が大勢を占めていたのである。

(中略)

>中でも象徴的なのが、学習院大学時代のエピソードだろう。当時、秋篠宮は「パレスヒルズテニスクラブ」 という
>サークルを主宰しており、キャンパスで気に入った女子学生を見付けたら、
>必ず学友に命じてこのサークルに勧誘させていたのだ。
そして、その勧誘された女性の一人が紀子妃だった。

>当時の同級生がこう話す。
「この 『 パレスヒルズテニスクラブ 』 というのは、殿下の恋人選びのために作られたクラブだったんですよ。
>紀子様以前にも、複数の女性を勧誘してアプローチしていましたし、
>紀子様が入ってからも、同時進行していた女性がいたんじゃないかな。
>お二人が婚約した際、宮内庁は『自然文化研究会』というサークルで顔を合わせているうちに
>親しくなったと発表していましたけど、おそらく体裁が悪いので嘘をついたんでしょう。
>『自然文化研究会』 なんてお二人が付き合いはじめた後に作ったサークルですからね」

>秋篠宮のこうした女性関係の噂は紀子妃と結婚した後も、なくなることはなかった。
>「もうひとりの学習院出身の女性がいて密かに付き合っていた」
>「一時期タカラジェンヌに夢中になり、深夜まで戻ってこず、警護官が大慌てした」などだ。


紀子妃との馴れ初めについては諸説ありますが、
「紀子妃が学習院の売店でアルバイトをしている姿を、礼宮(秋篠宮)様が見染めて交際が始まった」
ということが一番流布されている“説”だと思います。
しかしこの「噂の真相」記事には、全く違う馴れ初め理由が書かれてありました。
「自然文化研究会」以外にもこのような出会い系組織を作っていただなんて衝撃です。
現代では大学の「ヤ○サー」による女子学生への深刻な暴行事件が後を絶たず事件化してるケースもありますが
秋篠宮様はそこまで下劣でなくても、「ヤ○サー」のハシリを行っていたと言えるのではないでしょうか。

そして秋篠宮様の女性関係の記事を巡り、事態は深刻な方向へ行くことになりました。
以下その部分を引用します。

>実は3年前、ある週刊誌が秋篠宮のこうした浮気問題を記事化しようと動いたことがある。
>その週刊誌とは他でもない、当時、美智子皇后バッシングの中心的役割を果たしていた『 週刊文春 』 だ。
>「編集部は、当時、美智子皇后批判キャンペーンをやっていたんですが、それが一段落したら
次は秋篠宮の浮気の噂を追い掛けるつもりだったんですよ。
ところが、宮内庁からの抗議、さらには社長宅に銃弾が撃ち込まれるという事件があって、
皇室批判そのものができなくなって頓挫してしまったんです」 (元 『週刊文春』 関係者)

「銃弾撃ち込まれ事件」は、何となく聞いたことがある国民も多いのではないでしょうか。
この引用箇所からも分かるように、秋篠宮様に対する批判記事はこの銃弾事件によって筆を折ることを余儀なくされ、
現代でも秋篠宮様(と美智子様)に関してはその脅迫状態が続いている、というのが実情だと思われます。


しかしここで一つの疑問が湧きあがります。
この銃弾事件を契機に「皇室批判そのものができなくなって頓挫してしまった」と上記記事は書いていますが、
東宮ご一家に対するバッシング記事は10年以上も放置され、この件で出版社や記者が脅されたという話は
まったく聞いたことがないという点です。

東宮ご一家に対する悪意に満ちた記事はもう数えきれないほど出ているのに、なぜどこからも抗議がこないのか?
東宮ご一家バッシング記事についてはなぜどこからも銃弾が飛んでこないのか?
この銃弾による言論統制事件を起こした連中は一体誰なのか?
皇室や皇族を敬愛する純粋右翼や保守だったら、東宮ご一家へのバッシング記事についても何らかの抗議運動を起こしていてもおかしくないはずです。しかし実際に右翼や保守が動いたという話は聞いたことがありません。

この銃弾事件を起こした連中は、ただの保守や右翼ではないと考えられます。

「噂の真相」記事はその後もタイの愛人の件で話が続いていき、具体的な身元まで取り沙汰されています。

★一人目の噂:タイ外務省の東アジア課につとめる女性

>「彼女は日本の皇室関係者が来ると、必ずといっていいほど通訳をつとめている外務省きっての日本通。
>逆に王族が日本に出かける際に同行したこともありますし、日本の大学に留学した経験もある。
>もちろん、秋篠宮とは以前から面識はありますよ。
>今回、マスコミの前では親しげな素振りはなかったということですが、
>マスコミは24時間、すべての行動を把握しているわけではありません。
>一行はバンコク入りした後、北部のチェンライという都市に移動。
>ズシタニホテルという一流ホテルに滞在していたんですが、ホテルの中での行動まではまったくわかりませんから」

★二人目の噂:タイの前国王・プミポンの末娘であるチュラポン王女

>もしこれが事実なら、外交問題に発展しかねないような大スキャンダルである。
>しかも、チュラポン王女といえば、秋篠宮が結婚した際、宮内庁が結婚の儀に
>海外からの来賓は呼ばないという方針で臨んでいたにもかかわらず、強引に出席を要求。
>とうとうごり押しして来日してしまうという一件もあった。
>もしかすると、これも秋篠宮との特別の関係が原因なのだろうか。


★三人目の噂:カセサート大学付属水産研究所の20代後半(当時)の女性研究員。
「王族ではないが、名字にタイ特有の王族を示す称号が入っており、王室とは縁戚関係にある」とのこと。



>バンコク・ドンムアン国際空港近くにある国立カセサート大学。
>秋篠宮が本格的にナマズ研究に夢中になり始めたのは、学習院時代、ここを訪れたのがキッカケだった。
>以来、秋篠宮はタイ訪問の際、必ずといっていいほど、ここに立ち寄り、昨年は同大学から名誉博士号を貰っている。
(中略)
>同大学関係者が話す。
>「彼女は数年前、プリンス・アキシノがナマズ研究のためにバンコクに1ヵ月滞在した時、
>ずっとアシスタントをつとめていた女性です。 以来、二人は親しくなり、
>彼女はプリンス・アキシノが来るたびにアシスタントに指名され、世話をつとめてきたようです。
>出会った当時は学生だった彼女は現在、研究所の正式研究員になっていますが、
>学内でもプリンス・アキシノのガールフレンドということで、かなり有名です」

>今回のタイ訪問でも、マスコミレベルでは二人が会ったことは確認されていないが、
>秋篠宮は同大学付属水産研究所に立ち寄っており、密かに会っていた可能性は十分ある。

>いや、二人が会っているのは、何もタイでだけではないようだ。
>実をいうと、彼女は頻繁に日本にきて、秋篠宮と会っているという噂も流れている。
>「彼女が日本にくると、秋篠宮は知人の持っているマンションに宿泊させ、そこに通うという形をとるらしい。
>最近はあまり聞かないが、一時、そういう噂でもちきりになった時期がありました」(宮内庁関係者)


3人も違う女性が出てくることに驚きですが、どの女性も知性があり身分も高い、という共通点が面白いと感じました。
しかし愛人の一人と言われている女性が来日まで果たしているというのはかなり大胆ですね。
秋篠宮様は「自由に行動できなくなるから重い警備はいらない」とつい最近も言っていたようですが、
こういう自由な私的行動に支障が出るから警備など不要と考えているのでしょうか。
逆に紀子妃は「東宮家並みの警備を付けてほしい」と望まれてるようですが…

記事は更に「愛人との愛の巣」について言及していきます。

>実は、本誌はまさにその2年前、ある奇妙な情報をキャッチしていた。
>東横線沿いにあるバブル絶頂期に建てられた超高級マンション。
その最上階にある一室に出入りする秋篠宮の姿がかなり頻繁に目撃されているという話だ。

>「秋篠宮様がくると、SPの人が廊下に立っているのですぐわかります。
>ええ、住人の間では、宮さまの借りている部屋として有名ですよ」 (マンションの住人)

>しかも取材を進めていくと、このマンションを借りているのは、思わぬ人物だった。
>その人物とは、秋篠宮のナマズ研究の師で、
>今回も含めたタイ旅行には必ずといっていいほど同行している某国立大学教授。
>だが、この教授は自宅は別に持っており、普段、この部屋にはまったく人気がない。
>それより何より、この部屋はワンルームとはいえ、専有面積が50平米近くもある超豪華マンション。
>家賃は30万円は下らないといわれ、どう考えても一介の国立大学教授が
>セカンドハウスとして借りられるような部屋ではないのだ。

>もしかしたら、このマンションは秋篠宮とタイ人女性との密会のために、その教授がダミーとなって借りているのではないか。
>そして、カセサート大学にいるという女性との密会の手引きもこの教授がやっているのではないのか・・・
>そんな疑惑さえ浮かんでくるのである。


かなり攻めますね、噂の真相。
今ではこのマンションはどうなっているのか定かでありません。
しかし、この高級マンションの家賃、もしかしたら国民の血税から出ている可能性もあるんですよね。
もしこれと同様のことが今でも続いているのだとしたら、秋篠宮が皇嗣と呼ばれるようになったあかつきに
今の3倍にまで増加される皇族費も、こういうふざけた案件に使われる可能性があるんですよ。

あまりにも国民を馬鹿にした酷い話です。
こういうことが過去にあったから、秋篠宮に支給される予算の使途を明らかにしてほしいと国民は思うわけです。

マンションを借りる際の名義で使われた「某国立大学教授」、思い当たる名前はいくつかあるのですがここでは触れないことにします。

「噂の真相」記事はまだ続くのですが、ページを変えてそこで改めて検証することにします。
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