物議かもす秋篠宮の「告白」―いなくなったお目付役―(月刊誌『選択』より)

今回は、月刊誌『選択』1998年9月号から、江森氏の『秋篠宮さま』に関する記事をご紹介したいと思います。

この「選択」という月刊誌は現在でも販売されていますが、書店では入手できず郵送方式をとっているらしく、経済、政治、国際、社会・文化という4つのジャンルの記事を掲載しており「マスコミ界を横断する組織によって作られている」とのこと。
詳細は公式HPで確認できます。
https://www.sentaku.co.jp/

その「選択」ですが、『秋篠宮さま』に関してはちょっと辛辣な内容の記事を書いています。
秋篠宮様の言動に限らず、平成皇室の現状にも深く関わる問題点を提起しています。

物議かもす秋篠宮の「告白」―いなくなったお目付役―

毎日新聞の元宮内庁担当記者が書いた『秋篠宮さま』という本が売れている。宮と友人関係にある記者が、彼の素顔を多くの人に知ってもらいたいと、思い立ったという。しかし、手法はこれまでの「皇室もの」と同工異曲であり、週刊誌などで報道された“秋篠宮バッシング”への反論と思われる部分もある。私たちは秋篠宮も含めた皇族が、何を考え、どのように行動し、社会にどう貢献しているのかをあまり知らない。この本からも、それはあまり浮かんでこないが、国民と皇族の理想的な関係はどうあるべきか、考えてみる必要はある。
著者の江森啓治氏は京都支局などを経て、3年間本社社会部で宮内庁を担当、現在企画事業部副部長。妻が学習院女子高等科在学中から秋篠宮妃の友人で、16年間、親しくしているという。筆者は妻と京都で初めて宮夫妻に会い、個人的な交遊を重ねている。本は6月の発売以来、毎日新聞の出版物としては、近来にないベストセラーになっている。
執筆の動機について江森氏は、1996年春、タイに秋篠宮の愛人がいるという根も葉もない記事が週刊誌に出た、その年の夏、自分の方から「殿下の本当の姿を本に書かせて下さい、そのためには殿下の肉声を引用させていただくことが、ぜひとも必要です、とお願いした」という。そして宮から「江森さんの考え通りに進めて下さい」と了解を得た。
「こちらからお願いしたのであって、殿下に頼まれて書いた、と一部でいわれているようなことは、全くの誤りです」

(中略―主に秋篠宮様のこれまでの半生と博士号取得の件など客観的事実について)

こういう立派な業績があるにはあるのだが、秋篠宮といえば、ヒゲやブレスレット、サングラスなど皇族らしからぬスタイルなどで目立つ存在である。特に近年、昭和天皇の喪中に婚約を発表したり、タイに愛人がいるなどと週刊誌を賑わした。江森氏が「頼まれて書いたのではない」と強調するのも、こうしたことが背景にあるからだ。本の内容を少し紹介しよう。

(中略―過去にご紹介した肉声など)

宮から受ける印象は、自由奔放で、活発、やんちゃというのが普通だ。卓球やテニスが上手で、特に中等科時代には東京都の中学生で、テニスランキング10位に入った。しかし本当はシャイで、引っ込み思案。両親からはもう少し社交的になった方がいいと注意されているという。
その両親、天皇夫妻だが、公務の傍ら教育熱心であるなどと書かれている。

(中略―過去にご紹介した肉声など)

普通の家庭でもよくある、デキの悪い子供を持った親の悪戦苦闘ぶりがうかがえる。

(中略―昭和帝に関する記述)

秋篠宮の婚約発表は唐突だった。昭和天皇の喪中であり、本人は留学中、つまり学生の身分で、兄の皇太子もまだ結婚していないのに、急がなくてもよい―などの批判があり、両親を強引に口解き落とした、などといわれた。しかし実は「両親が温かく見守り」、服喪中の9月12日の皇室会議で婚約は正式に整った。批判に対し本書では、高円宮も兄の桂宮より先に結婚したし、貞明皇后崩御から2カ月足らずで昭和天皇の四女順宮(よりのみや=池田厚子)の婚約が発表されたこともある、と説明している。

(中略―過去にご紹介した宮様の言い訳や肉声など)

◆皇室本と同工異曲の「弁明の書」か

(中略―クリントン大統領晩餐会欠席、愛人疑惑の報道、タイ行きに異論はなかったという反論、火のない所に煙が立った会見など、一連の事実の流れについて)

秋篠宮報道について、本書は「弁明の書」ととってほしくないというのが、江森氏の一貫した態度である。
「私はいわゆるお学友のような、ベタベタの取り巻きではない。取り巻きの末席程度だ」と本人の弁。妃が妻との知り合いといっても、あくまで自分は新聞記者であり、ありのままの姿を書きたく、“よいしょ”する考えはなかった、と語る。
確かにベタベタ感はない。しかし江森氏は殿下の「肉声」については、書いた私より書かれた殿下(皇室)への影響が計り知れない。だから殿下に念入りに見ていただいた、と言っている。さらに「最終的に殿下のご判断にお任せしたところもある、影響力の大きさを考えれば殿下のご了解を得ず、私の独断で書き飛ばすことはできなかった」と語る。
「夫婦仲の問題にしろ、紀子さまのご実家の川嶋家から、仲が悪いという話は結婚以来、一度も聞こえてこない」とあるが、95年の記者会見で、結婚して5年になるが、夫婦げんかはしますか、という質問が出た。本書にはないので紹介しよう。

秋篠宮 ないといったらウソになるというのではなくて、本当によくあることなんですが…。どうなんでしょうね。
妃 意見交換ということでは大切に。
宮 私もかなり自分勝手なあれとか、その時の気分で怒ってみたりすることがよくある人ですね。それで、さて、その後はどうなるんでしょうか。ですけれども、あなた謝りますね(笑)。
妃 基本的にはやはり間違った考えを持っている方とか…
宮 私、謝らないことが多いから。
妃 人間ですので感情的なこともございますのでしょうが…。

◆皇族が汗して働く姿が見えない

私たちの多くは、秋篠宮も含めて皇族がどんなことをしているか、ほとんど知らない。男性週刊誌では皇族のゴシップ、先年批判された競輪や競艇の宮杯への謝礼金問題などが取り上げられ、テレビや女性週刊誌での話題は、育児や出産、妃のファッション…。
皇后が結婚して“ミッチーブーム”がおきたとき、社会学者は「大衆天皇制」の時代になった、と評した。現在、女性誌などでの皇族の扱いは、大型タレントといったところだ。“秋篠宮本”は同工異曲と書いたが、私たちは宮の日常や研究、親子関係、さらに「弁明」とも取られるような話ではなく、国民とともに汗して働いている姿を読みたいのである。
例えば大地震など大規模災害があったとき、天皇、皇后や皇太子が慰問する前に、若い皇族が長靴にジャンパー姿で救援に駆け付けるとか、干潟やゴミ焼却場で環境問題に関心を寄せたり、植樹祭や育樹祭ばかりでなく山林の下草を若者と一緒に刈るなど、もっとドロ臭い、汗の匂いのするような行動を期待したいのである。海外青年協力隊とともに外国で途上国に貢献するようなことは、不可能なのだろうか。
宮内記者会には、各皇族の「週間御動予定表」というのが配られる。スポーツ大会や福祉施設の視察、開会式でのお言葉、各種大会、コンサートから美術展まで、それに外国訪問もときには入る。しかし、共通しているのは、いずれも整備され、間違いのないようにセットされた式典や施設見学が多い。
こうしたケースで本当の国民の訴えや悩みに共感を覚えることができるのだろうか。これらの出席の諾否は、皇族がどの程度関与できるのか、選択の余地はあるのか。

各皇族はいろんな団体の名誉総裁を引き受けている。「日本ビリヤード協会」(寛仁親王)の総裁などもあるが、これなどどういう社会的意義があるのだろうか。総裁就任に当たって基準はあるのだろうか。限られた範囲の名誉職ばかりに就いていることが、皇族の姿を見えにくくしているのではないか。
こうした問題は、皇族自身で解決できることばかりでもあるまい。また、古くて新しいテーマという気がする。

戦前の皇族は一定の年齢に達すると、軍務が待っていた。「皇族身位令」(1910年)第一七条には、皇太子、皇太孫は「満十年」、親王、王は「満十八年」に達したとき「陸軍及海軍ノ武官ニ任ス」と規定があった。高松宮は海軍に入ったが、自分では戦闘にしたかった。1937(昭和12)年8月22日の「日記」の上覧に、次のような書き込みがある。
「赤子国民ヲ死地ニオキ、国民ノ危険ヲ坐視スルハ皇族トシテ、皇軍ナル如何ナル見地ヨリモ不可」
さらに9月26日、軍令部長伏見宮博恭王の長男博義王が「迫撃砲にて微傷をうけらる。結構な出来事なり。午後、陸上にて(王は駆逐艦勤務だった)弾片を局部麻酔にて取出されたる由…これで皇族も戦死傷者の中に算へられる帖面ヅラとなり、よろし」とある。皇族も積極的に危険な前線に出て行きたいという気持が綴られている。しかし、宮内省や軍部と意見の相違があって皇族が危険な勤務につくことは、中々実現しなかった。
現在の皇族も積極的に社会に出たい、とする気持はあるのであろう。若いころの寛仁親王は、服装や発言などからひんしゅくをかったが、現在は愛知や宮城の福祉事業などでは、大きな力になっている。そうした例はあるにせよ、官僚機構のしがらみなどから、高松宮の軍務のように皇族の活動が制限されているとしたら、由々しき問題である。
かつては天皇や皇族に対し、出すぎたことがあったときなど、意見を言う重臣や内大臣がいた。牧野伸顕は1921(大正10)年宮内大臣、25年から10年間、内大臣として昭和天皇に仕えたが、当時いわれていたのが天皇と母君(貞明皇后)の関係が、常にぎくしゃくしていたことだった。
牧野は意見に違いがあるのは仕方のないことだ、「新古を調和し秩序的に進歩するこそ適当の筋道なり」、と天皇に語り、皇室内部で新旧両世代がバラバラでは「御徳に影響する」と諭した。天皇はよく分かった、と「首肯」された(『牧野伸顕日記』)。

◆宮内庁長官は「下僕」ではない

皇族を監督する制度もあった。1910年、宮内省官制が改正され、宗秩(そうちつ)寮は「皇族ニ関スル事項」も掌することになった。総裁は歴代大物が起用されている。昭和に入ってからは内大臣を務めた木戸幸一、宮内次官白根松介、外交官武者小路公共、宮内大臣松平慶民、式部官長松平康昌が、前任は宗秩寮総裁を務めた。
旧福井藩主松平春嶽の五男慶民は、学習院からオックスフォードに留学、帰国後すぐ宮内省に入ったが、貞明皇后の反対を押し切って昭和天皇の欧州巡遊(1921年)推進のために、元老の間を走り回り、実現にこぎつけた。皇族の目に余る言動については、口頭や手紙で遠慮なく諫めた。
戦後天皇制の確立に大きな役割を果たした元宮内庁長官宇佐美毅は、陛下もいろいろなことをおっしゃるが、私もどんどん申し上げるんだ、とよく漏らしていたという。侍従長入江相政も、言うべきことは言ったようだ。
もし、皇族が宮内庁の意向を無視したような言動があった場合、宮内庁長官はどの程度まで意見するのだろうか。牧野や木戸などのように皇室の将来を見据えて天皇や皇族に皇室の在るべき姿を説いた「忠臣」のいない現在、宮内庁長官の責任は大きい。決して長官は天皇や皇族の「下僕」ではないのだから。

昭和天皇は寛仁親王が皇族離脱発言をしたとき、皇族の在り方を次のように述べている。
「皇室の伝統としては、国民とともに歩むということですから、皇族としても立派に国民の皇室に対する期待を、どんなものであるか十分把握して国民の期待に沿うよう努力してほしい」
旧皇室典範三十五条には、「皇族ハ天皇之ヲ監督ス」とあるが、それを踏まえた発言だったのだろうか。いずれにしても皇位継承第二位の皇族が、週刊誌の話題になるのは好ましいことではない。(敬語敬称略)

(記事終わり)

江森氏は一貫して『秋篠宮さま』は弁明の書ではない、と主張しているとのことです。しかし、江森氏がそういう言い訳に終始しなければならなかったほど、読者や国民は「これは宮様の弁明の書にすぎない」という解釈をしたのではないかと思われます。江森氏は「これは自分から宮様に持ちかけた話」であり宮様はそれに承諾しただけとも言っていますが、そもそも秋篠宮様がご自分に関する報道に不満を持ちいつか釈明したいと考えていらしたこともいくつかの雑誌記事に書かれています。宮様の不満をそばで見ていた「お取り巻き」の一人であった江森氏が「じゃあこういう本を出しましょうよ」と言い、宮様が「ああそうしてくれ」という判断を下したのであれば、江森氏が宮様を思って一方的にやったこととは言えないように思います。秋篠宮様が「いや、そういうことは皇族として恥ずかしいことだからやめてほしい」と言えば、江森氏もさすがに引っ込んだはずですから。
江森氏は「宮様や皇室への影響を考えると私の独断で書くことはできなかった、だから最終的には秋篠宮様の判断にお任せした」とも言っていますが、「書かない」という選択肢はなかったのか?とも思ってしまいます。そんなに皇室や宮様への影響を心配するなら、最初からこんな本書かなければいいと思うのです。
江森氏は、一見秋篠宮様のことを心配し思いやりながらも、自分に責任がかかることからは避けたがっているように見えてしまいます。「宮様に頼まれて書いたわけではない」と言いながら「最終的な判断は宮様にお任せした」という部分にそれを感じます。

そして、江森氏と秋篠宮様、互いのコネを利用して一冊の弁明書を出版したはいいものの、『選択』からは「これでは皇族の本当の姿が見えてこない」とズバッと切られてしまっています。
秋篠宮様ご自身は泥や汗にまみれて一生懸命研究やってるよ!と主張できていると思ったのでしょうが、実際はそのような「生身の一生懸命な皇族(宮様)の姿は捉えることができなかった、ということですね。
『選択』の上記主張は、平成皇室の現状にも大いに当てはまると私は思うのです。
秋篠宮ご夫妻や両陛下は、「我々は公務を一生懸命やっています、国民と変わらないのです」ということを必死に訴えようとしていますが、それが国民に伝わっているとは言い難いのではないでしょうか?
『選択』も述べている通り、皇族は「整備され、間違いのないようにセットされた」場所にしか行くことはありませんし、一般国民のように平日毎日勤務して満員電車に揺られ、低賃金に喘ぎ、残業や長時間労働に苦しみ、ヘトヘトになって帰宅する…という日常を送るわけではありません。いつもきれいな服を着て、いつも車で楽に移動し、わずかな時間その場にいて適当に相槌を打ちコメントを述べただけで謝礼金をたっぷりもらえ、嫌な上司に叱られることもなくいつも頭を下げられる側であるのです。
秋篠宮ご一家は「我々も国民と同じように働いている(公務している)」というアピールが鼻につきますが、上記に挙げた点だけで既に「国民とは全然違う」のです。彼らに一般国民の労働の苦しみがわかるはずがありません。
『選択』の皮肉がこもった記事は、現在の皇族のそういう「偽善アピール」にもつながることだと思います。

更に『選択』は、「昔の皇室にはきちんと意見を言えるお目付け役がいたが、平成の皇室からはそういう存在がいなくなった」ということも嘆いています。
一説では、今の天皇皇后両陛下が、ご自分たちの「イエスマン」しか周囲に置かなくなり、ご自分たちに意見を呈しよう者がいれば(それがきわめてまっとうな意見であっても)容赦なく切り捨ててきた…というお話もあるそうですが、ここでは詳細は省きます。
仮にそういう「お目付け役の切り捨て」「イエスマンで周囲を固める」ことが平成になって常態化しているのだとしたら、皇族の独善化が止まらないのは当然かもしれません。
秋篠宮様は江森氏の本を読んでもわかる通り、いつも「父が~母が~両陛下が~」を繰り返しており「親にべったり」な印象を受けます。紀子妃も昔から今までずっと美智子様をお手本にしてきたと言われています。
そういう方々が、ご自分たちに意見しようとする職員に聞く耳を持つとは思えません。おそらく両陛下を真似て、ご自分たちも周囲をイエスマンで固めたいと思っているのではないでしょうか。
イエスマンたちが両陛下や秋篠宮家にヘコヘコしてうまく立ち回っている一方で、秋篠宮家のやり方についていけないような職員は当ブログの「当主不在のブラック宮家」シリーズでもご紹介の通り、パワハラに遭って夜逃げ同然で逃げるか、心身を病むまで働かされてボロボロにされるか―になっていくのでしょう。実に恐ろしいことです。
平成の宮内庁も秋篠宮様には不満を抱いていても、両陛下がバックにいるので強く出られない。それでますます秋篠宮ご夫妻が調子に乗る…という悪循環が、現在でもまさに続いているのではないかと予想します。

余談ですが、江森氏は秋篠宮ご夫妻の婚約について「高円宮殿下だって兄の桂宮殿下よりも先に結婚したし、池田厚子さんも貞明皇后崩御から2カ月で婚約しているではないか」と反論しているようですね。
桂宮殿下は「自分は結婚はしない」という強いお考えを持っており(ご自分の皇族としての地位や障害のある身体なので妃となる女性に迷惑をかけたくないという切ない思いから)、この件は弟君の高円宮殿下も承知していて兄弟間で納得の上でそういうことになったのであろうし、池田厚子さんの場合は「皇后」の崩御でありまた結婚により皇室を出てしまわれる方だったので、一概に秋篠宮様と比較することはできないように思います。秋篠宮様は昭和帝の孫であり、今上陛下の次男でした。そしてご自分は池田厚子さんのように皇室を出ていく身ではなく、逆に皇室に残れて新しく妃を迎えることのできる立場の方。そして皇太子殿下はそのお立場上、桂宮殿下のように「私は結婚しません」という選択肢が許されない方でした。
高円宮殿下、池田厚子さん、秋篠宮様、このお三方を比較して一番非難されるべきは、やはり「天皇」崩御の喪中に婚約をした秋篠宮様であることに変わりはないとしか言いようがありません。
こういう「言い訳」を書き連ねていてもなお江森氏と宮様は「これは弁明の書ではない!」と言うのでしょうか。呆れますね。


江森氏の『秋篠宮さま』については、次回、宮様の肉声以外の文章に取り上げる価値が見つかれば少し触れる予定ですが、それを区切りとしてひとまずシリーズを終了させたいと思います。
次回以降は秋篠宮家のパワハラ・ブラック記事をもうしばらく続けるとともに、9月3日の眞子様・小室圭さんの婚約会見を踏まえて、眞子様のお母様の親族についての記事をいくつかご紹介させていただく予定でおります。
現在、小室さんの出自や親族について批判が多く挙がっているようですが、眞子様のお母様も負けてはいません(笑)。

女性のデリケートな問題に土足で踏み込んだ秋篠宮様

今回は、以前ご紹介しようと思いできなかった記事である週刊文春1998年7月16日号をご紹介したいと思います。
これまで何回かに分けて江森氏の『秋篠宮さま』における宮様の肉声を取り上げてきましたが、それに対して“意外な方”が少し苦言を呈するような態度をとられたとのことです。
その“意外な方”とは…。

紀宮が秋篠宮の“肉声本”に「お言葉がすぎるのでは」 

発売から10日、広がる波紋・・・

秋篠宮殿下の“本音”が満載されていると話題の新刊本『秋篠宮さま』(江森敬治著・毎日新聞社刊)。知られざるエピソードが数多く紹介されているが、それだけに反響も大きい。なかでも、自分の結婚問題に触れられた紀宮さまが、首を傾げているというのである…。

温厚な紀宮さまが、その本に目を通した途端に、ムッとした顔をされたそうです。あまりの内容に驚いて、複雑なお気持ちになったのでしょう」(皇室関係者)
“サーヤ”の愛称で親しまれているプリンセス、あの紀宮さまが眉をひそめた?

コトの発端となったのは、六月二十九日に毎日新聞社から発売された『秋篠宮さま』。殿下の「生の声」をまとめた新刊本である。
これまで皇族本といえば、三笠宮寛仁殿下は別として、具体的な親子関係や日常生活に触れたものは、まったくなかった。その新鮮さが受け、初版五万部は完売。発売当日に二万部の増刷を決定した。二十代後半から三十代前半の女性たちの圧倒的な支持を受けているという。
著者の江森敬治氏(41)は、毎日新聞社企画事業部の副部長。京都支局などを経て、東京社会部で宮内庁の取材を担当した。
だが、皇室記者としてはそれほど知られた存在ではなく、「秋篠宮さまの単独インタビューができるなんてどういう人物なんだろうと、記者の間でも話題になりました」(宮内庁担当記者)

江森氏と秋篠宮殿下の出会いは、江森氏の妻が、秋篠宮妃・紀子さまの父親、川嶋辰彦教授の研究室にいたことから始まった。
「先生と教え子という関係で、奥さんが昔から川嶋家に出入りしていたんです。だから、紀子さまとも顔見知りだった。江森氏も川嶋家に出入りするようになり、秋篠宮さまとも家族ぐるみでお付き合いするようになったんです。江森氏はプライベートで外国旅行にも同行して話を聞いていました
(毎日新聞関係者)

本の内容は、殿下の生い立ちから家族の思い出、結婚前後、研究生活まで、エピソードが満載されている。
例えば、秋篠宮殿下はご自身のことをこう語る。
<週刊誌などで私は自由奔放だとか書かれていますけれども、小さいころから兄妹の中ではむしろ静かなほうでした。たとえば私の兄は、学校から帰ってくると、すぐ野球をやったりとか、妹はだれか空いている職員をつかまえてきてドッジボールをやるなど、かなり活動的でした。私は学校から帰ってきても部屋の中にいて、無理やり引っ張り出されないと、外でなにかをするということはなかった。
外で遊ぶときは、大体、ひとり、もしくは妹と一緒に虫を捕ったりヘビを捕まえたりして楽しんでいることが多かったです。
『自由奔放』に見えるのでしょうけれども、そのようなことは、週刊誌あたりが作り上げてきたイメージじゃないかと思います。長男は物静かで、落ち着いている。それに比べて次男は自由で活動的だというイメージは根強いと思います。私は、すごい出不精ですし、シャイなのだと思います>
これまで伝えられてきた秋篠宮殿下のイメージとは、まったくちがう。自分の性格についても、次のように分析している。
<両親からの具体的な影響というものは私を形成しているエレメント(要素)の中に現れているのではないでしょうか。両親のどちらが好きということではありませんが、性格的に私は、パターナル・インヘリタンス(父系遺伝)です。あとの二人はどちらかというとマターナル・インヘリタンス(母系遺伝)ではないでしょうか。なにかのはずみの言動とかが父に似ているところがあります。 だから、父も、私のやりそうなことがなんとなく分かるようです>
江森氏は、この発言を聞いて驚いたという。
<皇太子さまの持つ長男としての堂々とした態度は、まさに陛下の持つ性格そのものであり、長身でスリム、そしてどことなく繊細な宮さまの性格というのは皇后美智子さまから受け継いだとの印象を受けていたからだ>
まさに“意外な事実”のオン・パレード。読むほどに、素顔の天皇家が見えてくる。

だが同時に、大きな波紋も広がった。というのも、微妙な問題にまで殿下が言及しているからだ。
その最たるものが、紀宮さまの結婚について。殿下がどう語ったかというと…。
妹は、少なくとも、上の兄二人よりもしっかりしている。両親も妹が結婚したら、困るのではないかと思います。両方の気持ちが両親にはあるのではないでしょうか。手元に置いておきたいという気持ちと、早く結婚させたい気持ちと
いうまでもなく、紀宮さまは“お年頃”を迎えている。四月十八日に29歳となり、女性誌が結婚報道を繰り広げている。お相手は表千家の若宗匠、千芳紀氏(28)か、旧伯爵家の血を引く坊城俊成氏(36)か、と…。

◆“サーヤ”ならではの優しさ

そのためか、本を読んだ紀宮さまが、少々ムッとされたというのである。
紀宮さまの知人が語る。
「ミーヤ(知人はサーヤとは呼ばない)は、『そんなに急いで結婚しなくてもいいやという気持ちと、このまま私が両親のもとにいると、結局は両親を悲しませることになってしまうという気持ちと、どちらも正直なもの。複雑よね』というようなことも話していました。
天皇皇后両陛下に、あらたまって自分が結婚したほうがいいかと聞くのも照れてしまうし、また、それを聞くのも怖いのでしょう。そんな揺れる気持ちでいたときに、宮さまが天皇皇后両陛下のお気持ちを活字にされたので、ちょっと驚かれたのではないでしょうか
もちろん、秋篠宮殿下と紀宮さまの仲が悪いというわけではない。むしろ、紀宮さまは紀子さまととても仲がいいため、結婚されてからのほうが兄妹の距離が狭まった感があるという。
しかし、自分の結婚問題を、ズバリ突かれると動揺してしまう。それが女心というもの。兄妹といえども、触れてほしくないはずである。

だからというわけではないだろうが、紀宮さまは秋篠宮殿下の「本音」にも首を傾げたという。それは皇族の生活についてのくだりである。
<どこへ行くにも、下見をしたりとか必ず何人かついてきたりとか、それはやはり窮屈に思ったこともあります。そういう生活を、あなたやってごらんなさいと言われたら、十人中十人が窮屈だと思うでしょう。私も同じ人間ですから、そういうふうに思ったこともあります>
<今度、生まれてくるとしたらなにに生まれたいか、ですか? 生まれてくるとしたら、動物がいいな。人間ではなくて・・・。例えば?ヒツジがいいかもしれない。ヒツジになってひねもすのんびりと草をはんで。ヒツジに生まれてきたら、なんとなく楽しいのではないかという気がいたします>

皇室関係者によれば、紀宮さまはあくまで笑いながら、「ちょっとお言葉がすぎるのでは」と漏らしたという。
「言葉は聴く人によって受け取り方がちがうものです。秋篠宮さまが生活を窮屈に思ったこともあると語ったり、ユーモアでヒツジがいいかもしれないと言ったりしたことが、大袈裟にとられても困ってしまいますよね」
紀宮さまとすれば、兄の思い切った発言を心配したのであろう。動物をこよなく愛する“サーヤ”ならではの優しさである。

もっとも、秋篠宮殿下がこれほど踏み込んだ発言をしたのには理由がある。殿下はこの本を通じて、ある事実を伝えたかったというのだ。
秋篠宮殿下が訴えたい思い…ズバリそれは、宮内庁に対する批判である。
宮内庁関係者が証言する。
「もともと、秋篠宮さまは、昭和天皇の喪中に婚約されたり、ご結婚相手も旧華族などという肩書きだけにとらわれなかったり、自由な言動が多かった。それを許す空気が藤森昭一長官時代の宮内庁にはあった。つまり、開かれた皇室にしていこうと。
ところが、九六年一月に現在の鎌倉節長官になってから、それが一変してしまったんです。昔の閉じた皇室に逆戻りしてしまった。体面を気にして、何をするにも『陛下のため』という大義名分を持ち出し、マスコミに批判されると『どうせ宮内庁が悪者になればすむ』と、いじける。秋篠宮さまは、それでいいのだろうかという思いを抱いているんです」

◆宮内庁はもっと気配りが必要

秋篠宮殿下と宮内庁の間に亀裂が生じたのは、九六年四月のことだった。殿下のタイでのナマズ調査旅行の日程と、クリントン大統領の宮中晩餐会の日程が重なった。秋篠宮殿下は晩餐会を欠席。これが批判を受けた。
しかも、その理由について、「タイの親しい女性に会いにいくのでは」と、一部マスコミに書き立てられた。
だが、欠席にはある事情があった。一度は阪神・淡路大震災でキャンセルしたタイ訪問だっただけに、予定は変更できなかった。宮内庁はそうした敬意を知っていたにもかかわらず、「日程の変更は影響も大きく、意思を尊重し、熟慮の上、不本意ながら決めた」とだけ説明した。
秋篠宮殿下は、「これは、おかしい。事前に宮内庁長官に相談したが、問題なしとの返事だった」と、怒り心頭に発したという。
だからこそ、殿下は本の中でこう指摘する。
<私は宮内庁が皇族の希望を制限しているとは思わないが、もっと気配りが必要だ。例えば、会社や学校だと顧客らや学生のニーズというものを考えてどうして売り上げを伸ばすのかなどと考える。宮内庁職員も皇族や国民のニーズにどのように応えていくか、そのあたりをもっと考えてもらいたい>

秋篠宮殿下の思いに対して、宮内庁はどう考えているのか。小誌の取材に、鎌倉長官はこう答えた。
「本は読ませていただきました。宮様のお考えについては、私どもが日ごろお仕えして感じている以外のことを知るよすがとなりました。参考にさせていただきたいと考えております。
時代の流れとともに国民の意識も、皇族の皆さまの意識もお変わりになります。また、お年の方とお若い方とでは考え方も違うこともありましょう。皇族と宮内庁といえども、時代を越えて不動なものなどありません。いろいろな意見をくみ上げながら努力していきたいと思います」
紀宮さまも心配した秋篠宮殿下“肉声本”の波紋は、どう広がっていくのだろうか。

(記事終わり)

これまでご紹介した宮様の肉声と重複する箇所も多く恐縮です。上記記事自体も、内容はそれほど面白いものではないと思います。
ただ、サーヤという意外な方の視点から取り上げているので少々新鮮には感じます。
いくら妹とはいえ、微妙なお年頃になっていたサーヤの結婚問題について軽々しく意見を言った秋篠宮様は、やはり兄としても一人の人間としても男性としても、あまりにもデリカシーが無さすぎると呆れました。そしてそれを活字にした江森氏も、秋篠宮様と同類のように思えます。秋篠宮様ご自身は20台前半という若さで庶民の女性(=紀子妃)とサッサと結婚したがために、「皇太子」や「天皇家の内親王」というお立場上、なかなか容易に結婚を実現できなかったお兄様(徳仁様)や妹(サーヤ)のお気持ちにはとにかく無頓着であったように見えてしまいます。
秋篠宮様のように早い段階で容易に結婚に踏み切れた人は、往々にして結婚しない・できない、色々と慎重になってしまう人々に対して上から目線になりがちです。
サーヤが黒田さんと結婚するまで世間から「結婚はまだか?相手がいるのかいないのか?」のような感じでずっと見られていたことは同じ女性として気の毒な一面があったと思います。晩婚が珍しくなくなった時代とはいえ、精神的になかなかきついものがあったと想像します。こういう気持ちは、早々に結婚した秋篠宮様には理解できないのではないでしょうか。

サーヤが黒田さんと結婚する頃、東宮ご夫妻にだけ今までの御礼を言わずに冷淡な態度をとっていたことに憤る人々も多いでしょうし、私もあのサーヤの態度は心底残念だと感じています。また、サーヤが降嫁後も頻繁に御所に足を運び、黒田家よりも実家との交流を優先させているように見える所も好意的には見られません(両陛下とサーヤがお互いに「親離れ・子離れ」できていないように見えてしまいます)。しかし、すでに降嫁して民間人となった女性に関して、ここで必要以上に叩くことは本筋から外れると思うのでこの辺りで止めておきます。

鎌倉長官の箇所についてですが、私はどのみちこの人には全く良い印象を抱いていないため(雅子様を海外に行かせなかった元凶のような人だった)、長官も秋篠宮様もどっちもどっち、目●鼻●としか思えないですね。

ところで『秋篠宮さま』は当時の若い女性に比較的支持された本と文春は書いていますが、私はこの本について全く記憶がありませんし、どこでそんなに話題になっていたのか想像もつきません。この本は当時本当にそこまで人気があり話題になったのでしょうか?瞬間最大風速がすごかっただけで、人気も話題も大して持続せずにすぐに尻すぼみとなって消えていった本というイメージなら湧いてくるのですが…。

『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 7

江森氏の著書『秋篠宮さま』の宮様の肉声紹介編は、今回が最終回になります。
この後は、肉声以外で気になった江森氏の見解や、以前ご紹介しようと思いできなかった関連雑誌記事のご紹介などを続けさせていただきたいと思います。

第七章 宮内庁への提言・あとがき

<私の小さいころでも、内舎人(うどねり―天皇家の男子皇族の世話をする男性職員)とか侍従の接し方が、必ずしも適切でない場合もあった。本人たちは一生懸命にやっていても、他人の子と接するわけで、どこかに感覚のズレみたいなものが出てくる。ことなかれということも、あったと思う。
もちろん、彼らは私と遊んだり叱ったりはするが、やっぱり親のそれとは大分、違うような感じがした。
体験に基づいた話では、例えば、私が、動物園に行きたいと侍従なりに話すと、彼らは、動物園のような場所をレジャー施設としか考えていないので、動物園になかなか行かせてくれない。そういう年代の人たちだから仕方がないけれど、今は動物園は児童や生徒の学習の場所と認識されている。
あのころに、もう少し頻繁に動物園などに行っていればよかったと思う。当時の侍従や内舎人たちは学校のテキストを見てることだけがお勉強みたいな感じでとらえていた。そういう意味では、もう少し配慮が必要だったと思う> P176~177


上記の発言や、以前にご紹介した家族に関する秋篠宮様の肉声を見てみると、宮様には相当「親に甘えたい」という感情が見え隠れしているように感じてしまいました。昭和帝やダイアナ妃に対する冷淡な感情とは違い、ご両親である天皇皇后両陛下には「ファザコン・マザコン」とも似たような感情があるように思えます。「授業参観は親に来てほしかった」とか、「職員はやはり親とは違う、しょせん自分は彼らにとって他人の子だし」とか、「両親じゃないとイヤだ」という幼い感情がしょっちゅう見えているのが個人的に気になりました。
しかし、本当に親に甘えたくてもできなかったのは、むしろお兄様である皇太子殿下だったのではないでしょうか。それでも皇太子殿下は弟宮のように「父が~母が~」と甘えたことは一切おっしゃらなかったように思うのです。
本当にご両親に甘えられなかった皇太子殿下が黙って耐え、実際は親に甘やかされて好きなことばかりをして育ってきた弟宮が口を開けば「父が~母が~親が~」ばかりというこの現実…秋篠宮様はどちらかというと親子関係も飄々としているというかドライなイメージがあったので、ここまで甘ったれた男性だとは思ってもみませんでした。
それにしても、秋篠宮様が大人になっても「動物園・水族館好き」でいる異様さは、幼少の頃に動物園などに行かせてもらえなかったことへの反動だったのでしょうか。宮様は「僕にとっては動物園などに行くことも“仕事”のようなものですから」と言っていたようですが、幼少時代についても「動物園は“学びの場”なんだよ!」と言っているのですね…私たち国民は動物園・水族館に行くことは単なる“娯楽”としか捉えることができませんが、宮様にとっては“仕事の場・学びの場”になるのですね。プロの研究者でもないのに、こういう考え方は違和感があります。ただ単に「遊びで行く」となると格好がつかないので、仕事や学習だと言い訳をくっつけて出かけたいだけなのでは?としか思えません。
当ブログでも秋篠宮様の過去の公務を検討する場を設けたいと考えていますが、秋篠宮様はこうやって“娯楽”にすぎない動物園・水族館行きを「公務」にしてしまっているケースが非常に多いのです。これで「自分は一生懸命コウムに励んでおります」と言われても困惑するしかありません。

<私は宮内庁が皇族の希望を制限しているとは思わないが、もっと気配りが必要だ。例えば、会社や学校だと顧客らや学生のニーズというものを考えてどうして売り上げを伸ばすのかなどと考える。宮内庁職員も皇族や国民のニーズにどのように応えていくか、そのあたりをもっと考えてもらいたい> P179

この肉声は以前詳細にツッコミを入れたので今回は省略しますが、「皇族のニーズ」に答えろといいながら、秋篠宮様は一度も雅子様をかばわれたことがありませんね。「皇太子妃は元外交官で語学にも堪能だし国際感覚も優れているから、もっと海外に行かせてあげることが皇太子妃と国民のニーズに応えることになる」という発言を聞いたことは一切ありません。しょせん、ご自分のニーズだけしか考えていないということでしょうか。

<しかし、皇室に対して無関心な人に無理に関心を持たせるというのは、私の考えと違います。その時、その世代の人が関心があれば関心があるでいいし、関心がないのなら、私は、それはそれで一つの社会現象ではないかと思います。それを無理やりに関心を持たせるようにするというのは、ちょっと自然体ではないような、パフォーマンス的な感じもします。
九六年に、宮内庁記者団が、国民の皇室への関心ということで質問したことに対し、母は、常に国民の関心の対象となっているというよりも、国の大切な折々にこの国に皇室があってよかったと、国民が心から安堵し喜ぶことの出来る皇室でありたい、と答えています。さらに皇室側からどのような努力が必要だろうか、との問いに対しては、国民の関心の有無ということも決して無視してはならないことだけれど、皇室としての努力は、あくまでも自分たちの日々の在り方や仕事により、国民に信頼される皇室の維持のために払わなくてはならないと考える、という意味のことを答えています。関心を得るために努力するのではないというのですね。父と母はずっとこうしてつとめてきたんだと、改めて思いました。
確かに、宮内庁から国民への情報量は限られていると思います。宮内庁の制度でも、報道室というのはありますけれど、広報室というのはない。報道室というのは、取材などがある時に対処すればよいわけですが広報となると、日ごろから活動しなくてはいけない。
私は宮内庁にホームページを作ってもらいたい。ほとんどの省庁にホームページがあるでしょう。昔から伝わっている雅楽とか、舞楽、馬の話でもいいし、そういう文化的なことをホームページを作って出してもいいと思います。
いろいろな皇族が出かける先に一人くらい宮内庁職員を派遣して、その様子を紹介してみるのもいいと思う。宮内庁もアドレスをつけておけば、いろいろな意見だとかが入ってくるのではないでしょうか> P180~181


「国民に関心を持たせるために皇族がパフォーマンス的なことを行ってはならない」…この言葉、私が一番向けたいお相手は、美智子皇后陛下ですね。美智子様の言動からは少しパフォーマンス的なにおいを感じてしまうことがあるためです。そして美智子様を真似してきたとされる紀子妃も、美智子様ほどではありませんがやはりパフォーマンス的においを感じてしまいます。しかし秋篠宮様は、美智子様はそれとは真逆にいる方だと評価しているようで違和感を覚えます。ここでも「父が~母が~」と言っているのですね。秋篠宮様がここまでご両親をリスペクト(?)してご両親に甘えたいと感じているとは思わず、肉声を拾っていてゲンナリしてきたところではあります。
そして「宮内庁HPを作るべき」と提案したのが実は秋篠宮様であったという意外な事実が…。この提案自体は良いことではあると思いますが、そのせいでしょうか、宮内庁HPは一貫して秋篠宮ご一家に関する情報を手厚く掲載しすぎ、ほかの宮家をないがしろにしたり、雅子様が大活躍していた時代の情報を一切掲載させなかったり、逆に秋篠宮ご夫妻が公務をあまりしなくて暇だった時代の情報が掲載されていなかったりと、かなり偏りや不公平感がある内容になっています。
「宮内庁HPは川嶋家サイドの人物が中心に作っている」という噂もあるようですが、それに関しては確固たる証拠がないので私からは何とも言えません。が、雅子様がお倒れになり公務ができなくなり、秋篠宮ご夫妻が公務を張り切り出した時代の情報から詳細に掲載されていることから、色々見えてくるものがあるでしょう。

<我々が普段、地方などに出かける時にその主催者の方たちや、その関連の方たちと接して話をする機会はある。しかし、地域の方たちとの接触の機会は、非常に少ない。今年用事で、奄美大島の方に参りました。マングローブの自生している地域で車を降りてマングローブを鑑賞した。そこに地元の方たちが100人以上いた。警察の人が押さえている状況でもなく、ごく自然な形でそこにおられた方たちと話をする機会があった。比較的ゆったりとした気分でその地域の方と話をすることができ、ふれあい、交流の場を持つというのは良いことだと思った> P182~183

<よく警備について、過剰ではないかと言われたりします。時々、警察官が人のいない壁に向かって立っている時がありますでしょ、そういう無駄は省くべきだと思います。でも、必要なところは警備がきちんとあったほうがいいと思います。どこから何が飛んでくるか分からない時だってありますから。
この前、家内と娘と一緒に上野動物園に行きました。サル山のところでお猿さんを見ていました。若いカップルが通りすぎてから、男性の方が『紀子さんいるよ、紀子さん』と言っているんです。女性のほうが『違うでしょう。雅子さまでしょう。なに間違えているのよ』って。そうしたら、男性が『あ、そうか。やっぱり間違えていた』と慌てていなくなったりとかね(笑う)。
そうかと思うと、まったく気づかずに通りすぎる人。それから通りすぎてから、オヤッ、と思って振り返る人、いろいろです。驚いたのは、ある時私が知り合いの車に乗って移動していたのですが、すれ違った車に乗っていて私のことを分かった人がいるんです。私は助手席に乗っていました。普通だったら、だれも気がつかないはずですけど、パッとすれ違いざまに手を振った人がいたことです> P183~184


この当時、紀子妃が雅子様と間違われたことがある理由が、何となくわかるような気がします。
確か雅子様が入内されてから、紀子妃は髪形を雅子様そっくりのボブヘアに変えたのです。当時の画像を見ると、あまりにも紀子妃が雅子様の髪形をそっくり真似ているので不気味に感じるくらいです。遠目から見たら確かに雅子様に見間違えるかもしれません。
私は結婚前からの雅子様のボブヘアがお似合いで好きだったので、ボブヘアには雅子様のイメージがあります。そして雅子様は結婚後もしばらく同じボブヘアのままでいらっしゃいました。
もし紀子妃に「ボブヘア=雅子様」のイメージを崩したいという思いがあり、自分が雅子様に成り代わりたくてそっくり同じボブヘアに変えたのだとしたら…そういう怖い話でなければいいのですが。

参考までに:雅子様の髪形を真似た?紀子妃

雅子様の髪形の真似?1
雅子様の髪形の真似?2
雅子様の髪形の真似?3
雅子様の髪形の真似?4
雅子様の髪形の真似?5

(あとがきより)
お子さまのご予定はいかがでしょうか、という江森の質問に対し)
<上にまだ、ひとりいますので(当時、皇太子さまは独身だった)…。一般的には兄は結婚が遅いわけではないのですがね…> P186


まるで、秋篠宮様が「結婚できないお兄様に遠慮して子どもを持つことをためらっている」と言いたげで不愉快です。秋篠宮ご夫妻は東宮ご夫妻に遠慮することなく第三子=男子をもうけていることからも、弟宮ご夫妻の辞書に「遠慮」の二文字はないと思います。

(皇太子さまの結婚が決まった時にコメントを求めた際)
<肉親としてあまりにも近すぎる間柄なので> P187


これも、秋篠宮様の冷淡さがうかがえる肉声ですね。「近すぎるから」なんだと言うのか?単に雅子様という素晴らしい伴侶を得られたお兄様に対するやっかみのような感情があったから素直に祝福できなかったのでは?と思ってしまいます。あれだけ「30歳までに結婚できれば上出来w」と皇太子殿下を小馬鹿にしていたのですからね。
秋篠宮様はご両親には並々ならぬ感情があると感じますが、皇太子殿下にだけはそっけないというか冷淡なところを隠し切れない印象があります。

(江森が社会部の宮内庁担当から離れることになった際)
<これでお会いしやすくなりましたね> P187


これもかなりの問題発言ですね。「これからは皇族と記者という関係性がなくなったので、友人同士として遠慮なく懇意にできる」ということの宣言ですから。元マスコミ関係者と仲良くなることの問題性はないのでしょうか。しかも江森氏は、川嶋家サイドの人物でもあります。
秋篠宮様の交友関係はこういう感じのものばかりです。いつも決まった人々とつるんでいる。
「自分には社交性がない」と評している通り、狭い世界でいつも同じ顔触れとしか交流を図れない秋篠宮様の限界が表れています。

(第七章・秋篠宮様の肉声編 終わり)

『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 6

今回は江森氏の『秋篠宮さま』より、第六章に挙げられた宮様の肉声について触れたいと思います。
「火のない所に煙が立った」会見をはじめ、秋篠宮様の“恨み節”とも言える肉声です。

第六章 報道不信

<公務と私用のことについてお話させていただきますと、公用と私用が重なってしまった場合に、どちらを優先させるかといえば、これはもう間違いなく公務を優先させるべきです。ただ、宮中行事など、先日私がアメリカ大統領の時に欠席してタイに行った場合というのは、どうしてそういうことが起こったかといいますと、元々はタイに昨年の四月に行くことを予定しておりました。しかし、昨年は阪神・淡路大震災など大きな被害がりましたので、キャンセルいたしました。そして、本年の四月に行くということをタイの政府に話をしたわけです。ですから、かなり以前に決まっていたわけです。タイ国政府農業・共同組合省の招待で行ったわけです。農業・協同組合省をはじめ、北部タイのチエンラーイという県がありますが、そこの方たち、その他多くの方が半年以上前から準備をしてくださっていたわけです。そういう経緯があって、タイに行ったわけです。父にその旨を話して了解を取りましたし、宮内庁にも打診をいたしました。タイに行くことについての異論は全くありませんでした。
宮中での行事、宮中晩さんとか、園遊会などが比較的ショートノーティスでこちらの方に伝えられてきます。それは全皇族の日程を考慮してその日を決めているわけではないわけです。従って、宮中行事と、それ以外の行事がぶつかるということは、不可避だと私は思っております。昭和の時代からですけれども、そのようなことで欠席をされてる皇族の例というのは少なからずあります。
例えば皇族全体を対象にしたものと特定の皇族に限定した行事がぶつかってしまった場合には、個人的な意見では後者を優先させる方がいいのではないかなと思っております。
私も週刊誌の記事を読みました。私の根も葉もないその女性問題についていろいろ話が広がっていってしまったわけです。そういうことは全くないことですし、火のないところに煙が立ったというか、非常に想像力豊かな人がそういう記事を書いたのだと思いますけれども、完全に事実と異なる報道がなされたということについては、不満をもっています> P156~158


<東京サミットの宮中晩さん会にも皇族はあまり出ていなかった。普段でも欠席が多いのに問題にならず、アメリカ大統領の時に一気に問題になるのはなぜなのか。私が考えるには、言い分はいろいろあると思うが、アメリカというのは大国で、日本にとって大事な国であり、その大統領の歓迎会を欠席するのはどういうことだという話になるのだろう。
ただ、天皇主催の宮中晩さん会というのは、大きい国であっても小さい国であっても、みんな平等に行うべきだ。国賓が来られても、例えばアメリカの大統領や大きい国の大統領だと大きく記事を出すが、小さい国だと小さな記事になる。国賓というのは、大きい国であっても、小さい国であっても、同等にこちらとしても接するべきだと思う> P158~159


当ブログで既に取り上げたことのある内容ですが、今一度ここに再掲させていただきたく思います。
秋篠宮様は「タイの政府の招待を受け、国家レベルでの接待準備も行われている以上、自分のタイ行きはただの私的活動にとどまらないものだ」とおっしゃりたいのかもしれません。しかし、本来は私的活動にすぎないことに、相手国の政府を絡ませて国家レベルの行事にしてしまうことに問題性はないのか?と疑問を感じます。私的なものと公的なものの境目がなくなってしまうというか、どこかで歯止めをもうけないといけないのではないか?というモヤモヤした思いが拭えません。
秋篠宮様は「ほかの皇族は晩餐会に出てせいぜいアメリカとの絆を深める努力をすればいいが、自分はタイの方を大切にする」と考え、ご自分が日本とタイとの懸け橋的役割をしているつもりでありその自負もあるのかもしれません。しかし、秋篠宮様がタイと懇意にすることで、具体的に日本とタイの間にどのような協力関係が生まれ、双方にどのようなメリットが生まれたのか、いまいち見えてこないことも多いです。

そして秋篠宮様は女性関連の噂を「事実ではない」と反論していますが、何度も言うように、宮様は女性問題以外のことについては何も反論できていないのです。過去に社会見学と称してソープランドに顔を出したこと、いつも同じ「お取り巻き」を海外にまで引き連れてボディガード的なことをさせていること、現地で急に予定を変更して大使館員などを慌てさせたこと、珍しい生物を日本に持ち帰りたいと言ってきかないこと、あまり歓迎されていない現地の男性案内人(ソムチャイ氏)をいつも呼び付けていること、などについては一切触れずにスルーしています。週刊誌が取り上げた問題は、なにも女性問題だけではありません。
1996年~1998年当時の秋篠宮様の悪い噂はどうも「女性関連」のことに終始しがちですが、それ以前に「全体的にいつも素行がよろしくない」という観点で広く問題にしなければいけないと考えます。

<宮内庁が発表した内容に『熟慮の末、宮内庁としては不本意ながらうんぬん』というのを出している。しかし、これはおかしい。
私は、事前に宮内庁長官に相談したが、問題なしとの返事だった。私がタイに行くことに対しては異論がなかった。その時、長官に、例えば同じようなケースが今後、起こり得るかもしれないが、その場合に外国とか事前に決まっている日程をやめてまでも、どうしても宮中の行事に出なければいけないのかと尋ねたら、『そんな必要はない』と言われた。
宮内庁はそういう考え方をしているのに、報道発表の時に、変な発表をしてしまった。それが問題が大きくなったきっかけだと思われる> P160

<タイに行くのと、宮中晩さん会がどちらが大事かという議論というのは、新聞や雑誌などで大いにやったほうがいいと思います。ただ、そこから派生して、まったくありもしない女性問題みたいなものを捏造してしまった。しかも、川嶋が御所に行ったというのは、九五年九月以降ない。川嶋も宮内庁長官に手紙を書いて、それを記者会にも見せてもいいということで発表しています。
にもかかわらず、週刊誌の方は自分たちはウラを取っている。絶対に間違いない。有力な情報がある。事実は平行線をたどるから、これ以上はしないという。だけれどもまったくないことを書くというのは、むしろその雑誌の質を落とすことにもなるのではないかな> P163~164


これも何度も言いますが、宮内庁が週刊誌(新潮)に対して初めて重い腰を上げて反論したのは「川嶋辰彦氏の御所訪問後、今上陛下が体調不良でご静養された」という記事を新潮が書いてからです。それまでは、複数の雑誌がどれだけ秋篠宮様の批判記事を書いても、宮内庁は何も行動を起こしていませんでした。それが唯一、川嶋氏のことについて触れた新潮だけが執拗に宮内庁から謝罪と訂正を求める抗議を受けることになってしまったのです。まず最初に川嶋氏に関する記事の訂正要求ありきで、「ついでだからこれまでの秋篠宮様関連の記事についても抗議しておこうか」という感じに見えてしまうのです。
そもそもこの『秋篠宮さま』自体が、川嶋氏の教え子の夫である江森氏によって書かれているのです。
秋篠宮様ご自身も色々反論したいことがあったでしょうが、「本当に反論したかった人物」は一体誰だったのでしょうね。

<付き合いのある方とそうでない方ですと受け止め方がまったく違います。ダイアナさんとお会いしたと申しますか同じ場所にたまたま居合わせたというのは二、三回。お葬儀などの機会です。短いあいさつを交わしたのは八六年にチャールズ皇太子とダイアナさんが来日した際に、当時の東宮御所を訪問された時ですが、お目にかかって言葉を交わしたのはこの時だけです。チャールズ皇太子ご夫妻はもっぱら両親と話しておりましたし、私はそばでそれを聞いておりました。妻はダイアナさんと話したことはないと思います。ですから亡くなったことがテレビで流れたと聞いた時も、お気の毒だとは思いましたが、その事実を確認したということだけでした> P164~165

この発言だけで、秋篠宮様の冷酷さ・無感情さが手に取るようにわかり、ゾッとしてしまいます。
ダイアナ妃の美しさと華やかさと存在感は、ダイアナ妃来日当時子供だった私でもよく覚えています。事故死したと知った時は衝撃が走りました。おそらく世界中の多くの人が同じような思いでいたでしょう。たとえチャールズ王太子がカミラ夫人を後妻に迎えたとしても、私の中では今でもダイアナ妃の存在の方が勝っているくらいです。
ダイアナ妃と当然会ったこともない、話もしたこともない、ただ遠くから見つめることしかできなかった私ですらダイアナ妃の死去はショックが大きかったのに、実際にダイアナ妃と接したことのある秋篠宮様のこの冷淡さは一体何なのか?と不気味に感じます。

上記秋篠宮様の発言に関して、『秋篠宮さま』の中で宮内庁関係者がこう述べています。

「英国の皇太子妃でない方の御葬儀に皇太子ご夫妻が出席されるのはおかしいですし、それと皇太子さまが特別、ダイアナさんと親しかったわけではなかったようです。秋篠宮さまもほとんど付き合いがなかったと聞いております」

いや、この言い分はおかしいでしょう??
「皇太子様だってダイアナ妃と親しいわけではない」と、皇太子殿下を巻き込むこと自体卑怯すぎますし、それで秋篠宮様の冷酷さを擁護しないでほしいと憤りを感じます。
ダイアナ妃と直接会ったことがない人間すら悲しみと衝撃を感じたのに、「親しかったかそうでないか」が関係してくるのですか?
親しくなかったから悲しみを感じなくてよいというのか?
人の死を悼む気持ちは、その人と親しかったかそうでないかで決まるものなのか?

「だってオレダイアナさんと親しくなかったし、亡くなったことは事実として受け止めるだけだわ~」という秋篠宮様の理屈も、
「だって今はダイアナさんは英国の妃じゃないし、葬儀に皇族行かせなくていいでしょ」という宮内庁関係者の理屈も、
どちらも私は理解できません。

ちなみにダイアナ妃の長男のウィリアム王子が2015年に来日した際、ウィリアム王子は両陛下と皇太子ご夫妻とは懇談していますが、秋篠宮ご一家にはまったく接触していませんでした。もし、ウィリアム王子が上記秋篠宮様の肉声を知ってしまったら、どんな気持ちになるでしょうね。「愛する母の死を何とも思わない、お悔やみの一言も言えないような男となんて会いたくない」と思って当然ではないでしょうか。

『秋篠宮さま』において、このダイアナ妃に関する宮様の肉声は「かなりヤバイ部類」に入ると断言します。
秋篠宮様の人間性が疑われるコメントだとつくづく思います。
「報道不信」というより「秋篠宮様不信」ですよ。


(第六章終わり)

『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 5

今回は江森氏の『秋篠宮さま』より、第五章の宮様の肉声をご招待したいと思います。

第五章 外国との交流

<大学の時、私が主宰する形で自然文化研究会というサークルを作りました。顧問には、高校でお世話になった学習院女子大学教授の高橋新太郎さんと原島春雄さん(元学習院大学教授)にお願いしました。それからあと私の個人的に知り合いだった人たちに声をかけてタイに行きました。初めてのタイでした。
昔、王朝のあったスコータイという場所がありますけれども、そこで知事が主催する、遺跡の仲のバンケットがありました。その時、『飲み物は?』と聞かれて、『ウイスキーを下さい』と頼みました。そしたら≪メコン≫(タイのウイスキー)のソーダ割りが出てきました。赤木先生(赤木攻大阪外大教授・自然文化研究会の顧問を務めるなど宮さまと親しい)が『あ、これがメコンや』と言われた。飲んだらとても飲みやすかった。初めは、≪メコン≫というのはまずいお酒だという話しか聞いていませんでした。ところが、飲んだらすごくおいしいので、それでしっかり好きになってしまいました。これが≪メコン≫との出会いです。
自然文化研究会の普段の集まりというのはありません。会員たちの学校がみんなバラバラですから、春と夏に親睦旅行をやるぐらいです。タイを選んだのは、今まで行ったことがなく、また、興味がありましたから。私の希望でした> P127~128


秋篠宮様とタイの初めての関わりについて述べられています。秋篠宮様とタイのつながりは、あの自然文化研究会サークルから始まったようですね。この時から既に、秋篠宮様のお取り巻きの一人である赤木攻教授がしっかり関わっていたとは…。

<アユッタヤーの手前にあるバーンパインという昔の離宮に行きました。そこにはかなり大きなお堀がありまして、魚が泳いでいるのです。よく見ましたらテッポウウオでした。口から水鉄砲のように水を発射して、空中の虫を射落として食べる魚です。
歩いているうちに橋があって、そのそばでパンを売っていました。魚のエサだと言うのですね。三、四斤もある大きな塊です。ちぎってあげようとしたら、そのまま投げ込めと言われた。そこで大きな塊を放り投げたら、下からなにか出てきてひとのみにパクッと食べてしまったんです。東南アジアにはこんなすごい魚がいるのかと感心しました。それからタイに興味を持って仕事をするようになりました> P130


秋篠宮様、またここでも「タイに行くこと」を「仕事」と言い切ってしまっていますね。秋篠宮様の研究旅行はいつも私的旅行扱いであり、「仕事」などという理由で公的扱いされたことなど一度もないはずです。そもそも、秋篠宮様がクリントン大統領の晩餐会よりもタイ行きを優先したことが批判された理由も「晩餐会は一国のVIPをお迎えする公務であるのに対し、タイ行きはあくまでも私的な研究旅行だったから」ということが主でした。しかし、秋篠宮様ご自身の中では、研究は私的活動ではなく「仕事」なのですね。
そういえば秋篠宮様は幼い頃の眞子様や佳子様を連れて動物園に行くことすら「私にとってはある意味では仕事のようなもの」と言ってましたっけ(秋篠宮様の肉声編3をご参照ください)。
秋篠宮様は今も昔も、ご自分の“趣味”の範疇で動いていることを「これは仕事だ」と言って忙しくしているフリをなさるのがポリシーなのでしょうか。今後、秋篠宮様の「公務」を検討していくに辺り、秋篠宮様のこういう考え方(あくまでも「仕事」と言い切る)はかなり参考になると思われます。もちろん、あまり良い意味ではなくて。

(近藤典生博士との思い出について)
<伊豆のシャボテン公園などを作られましたが、普通の方と発想が違います。例えば、ある植物を植えると、同じ生態系の鳥やチョウを一緒に放し飼いにしたりとか、見ていてとても楽しくなります。
先生との一番の思い出は、インドネシアのニワトリ調査のときにコモドオオトカゲに乗ったことです。先生が『大丈夫だから乗りなさい』と言われたから乗りましたが、オオトカゲはとてもやわらない感触でした。でも、このオオトカゲは、私が降りて、また放飼場に放されたとたんにエサのニワトリだったかアヒルをバリバリと食べていました。乗った時に襲われなくて良かったとホッとしました。
先生から教えられたことで思い出すのは、名誉博士号はもらおうと思えばいつでももらえるだろう。やはり自分で論文を仕上げて博士号を取りなさいということ。それから現地に行って自分の目で動物や植物がどのような暮らしをしているのかを確かめなさいといわれたことです> P135~136


近藤典生博士は、財団法人進化生物学研究所理事長・東京農大名誉教授であった人です。タネなしスイカなど品種改良の分野で活躍し、秋篠宮様と一緒になる機会も多かったとのことですが、1997年1月に亡くなられたとのこと。秋篠宮様の例の博士号の授与式会場にも顔を出したようですが、この頃から体調がすぐれず公の場に現れたのはこれが最後であったとのことです。
近藤博士は、上記博士号云々の発言からも推測できる通り、秋篠宮様の博士号論文「ニワトリの起源の分子系統学的解析」の共同研究者の一人として名前を連ねています(当ブログ「ハリボテ博士号その5」をご参照ください)。
その共同研究者の一人が秋篠宮様に「自分で論文を仕上げて博士号を取りなさい」とアドバイスしたとのことですが、彼は共同研究者として秋篠宮様にどれくらいの協力を行ったのでしょうか。
しかしこうして改めて見ると、秋篠宮様の博士号取得にはその道の権威が多くついていたということが分かります。秋篠宮様お一人だけでは決して書くことのできない論文だったのではないでしょうか?
それにしても「オオトカゲがエサのニワトリだったかアヒルをバリバリ食べた」って…仮にもニワトリの専門家(笑)なのに、ニワトリとアヒルの区別もついていないんですか?とちょっと思ってしまいました。まあ、一瞬でエサを食べてしまったので見分けがつかなかったのかもしれないと解釈しておきますか(笑)。

<例えば、ここ(秋篠宮家)にタイのシリキット王妃から電話がかかってくることもあります。また、私からタイに行く前に、分からないことがある時など、逆に王妃にお電話を入れて教えていただくこともあります。王妃からのお電話の場合は、前もって、在日タイ大使館の秘書あたりが、私にこの時間なら自宅にいるかどうかの確認が入ります。
また、私から電話をかける場合は、同様に王妃がおられるかどうかわかりませんので、それでおられるかどうか、ご都合を聞いたうえで電話を入れます> P138


シリキット王妃は、昨年亡くなったプミポン前国王(ラーマ9世)の妃です。秋篠宮様がシリキット王妃と「直電」するような間柄であることは知りませんでした。プミポン前国王と秋篠宮様との間柄はどうだったのかは不明です。

<タイに限らず、外国の王室との今のような素晴らしい関係がずっと続けばいいと思います。次の世代ですが、例えば、ベルギーですと、今のフィリップ皇太子が、兄と同じ年です。オランダの皇太子は、むしろ私に近いです。私より二つぐらいお若いのではないでしょうか。スペインの皇太子も、私よりお若いです。ルクセンブルクは、少し上ですけれど、そんなに、年齢的には違いません。ですから、今後も皇室と外国の王室との良好な関係が続くことを願っています> P141

宮様の上記肉声ですが、一瞬ご自身が世界の王族と懇意にしていると言っているように見えますが、実は「あそこの王族は私と年齢が近い」ということを話してるだけですね。王族の年齢は調べれば分かることですが、ほかに具体的な懇意エピソードはないのか?と思ってしまいます。むしろ年齢しか話すことがない点が、かえって秋篠宮様と世界の王族との関係の希薄さを物語っているように見えてしまうのです。

<私は、公式、非公式の訪問にかかわらずたいていメモ帳をポケットに入れて持ち歩いていて、カッコ悪いとは思いますが、面白いなと思ったり、新しい情報が得られた時とかに取り出してメモすることにしています。もともとは学生のころによく写真を撮っていたので、あとで写真を整理する時に間違えないように、その時の状況などを書き込むために持ち歩くようになったのです。
ニワトリの調査の時などは、大体、夜の間にそれを整理します。夕食でレストランに行く前とか、帰ってきてすぐにします。公式訪問の時は、あまり厚いものは持ち歩けないので、小さいものをポケットにしのばせておいて、部屋に戻ってから別のノートなりパソコンに浄書します。あとで調べ物をする時に楽ですから> P146


まあ、何に関してもメモをとる習慣を付けること自体は良いことだと思います。
秋篠宮様がカメラや写真好きだということは割と良く耳にするエピソードですが、その割には私は秋篠宮様の写真の作品を見たことがないように思います。皇太子殿下は宮内庁の文化祭で風景の写真作品をよく展示されていますが、弟君はそういう話をあまり聞きません。

(第五章終わり)

『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 4

今回は江森氏の『秋篠宮さま』第四章から、宮様の肉声を抜粋したいと思います。

第四章 研究生活

<私がどうしてニワトリに興味を持ったかというと、小さいころに読んだ動物図鑑に家畜の出てくる場所がありました。馬とかヤギとか、そこにニワトリも載っていました。その中にコーチンというニワトリを見つけました。名古屋コーチンのもとになった品種ですが、脚のところに羽根がたくさんあるニワトリです。なんだかとても気にいって飼いたくなったことを記憶しています。
でも、その当時は、探したけれどもコーチンは日本にいなかった。本物のコーチンに近いということもあったんでしょうか、いわゆる『名古屋コーチン』を、父に手に入れてもらった。それがニワトリを飼い始めた最初です> P99


秋篠宮様は「小さいころからニワトリには興味があった」と述べられていますが、国民は今でも「秋篠宮様」と聞けば「ナマズ」を連想する人の方が圧倒的に多いのではないかと思います。それがいきなり「ナマズ」でなく「ニワトリ」の研究家になってしまっているのですから「ナマズの存在とは一体何だったのか?」と思わずにはいられません。

<動物に対して怖いとか、抵抗があるということは、小さいころからなかった。例えば、幼稚園のころウォーター・モニター(コモドドラドンに次いで大きくなるトカゲ)という一・五メートルくらい(来た当時)のオオトカゲを両親がおみやげに持って帰ってきてくれて、家族で飼っていたこともある。父はもちろん大丈夫。母もそれほどいやだということはなかったと思う> P101

お土産に生きたオオトカゲ…いや別にいいんですけどね…しかし今上陛下はともかく、美智子様も爬虫類が大丈夫とは意外な感じがします。

<育った環境だと思う。父も魚類だけではなくて、生物全般にすごく興味がある> P102

<小さいころ毎年、浜名湖へ、夏に、湖水浴をしに行っていました。朝に、家族で定置網を見に行くと、いろいろなお魚やカニが捕れます。ある時、その中に、ハモがいて、船のデッキの上をはっていました。口を開けており、鋭い歯がよく見えました。私の兄が火ばしをそのハモの口に入れて遊んでいた。それをまねすればよかったのに、私は自分の指を突っ込んで、そのままかまれてしまった(笑う) >P103

最近は、三年前に道をはっていたアオダイショウを捕まえようと思って、かまれました。手で首のところをパッとおさえようと思ったんです。そうしたら向こうのほうが一枚上で、素早くかんだ。この辺ですね(右手の指を見せる。殿下によると右手で首をおさえ、左手でさらにしっぽをおさえて捕まえるつもりだったという)> P104

<その時は、玄関にヘビを置いておくと、ウチの子供たちが見て興味を持ってくれるかなと思いましたけれど、ヘビに関心を持ったかどうか> P105


秋篠宮様が生き物好きで、落ち着きをなくししょっちゅう噛まれたりするのは別に構いません。が、玄関にヘビが置かれているような家なんて、私なら帰りたくなくなります(笑)。果たして眞子様や佳子様の反応はどうだったのでしょうか。いくら自分がヘビを含めて生き物が好きとは言え、苦手な人の方が圧倒的に多いヘビを子供たちにも見せびらかすような父親なんて嫌です。

<動物というものがあまりにも身近で、今まで意識しないできましたから、動物といるとホッとするということは確かにありますね> P105

<仮設でも予想でもなにかを立てておかないと、ゴールが見えないところを一生懸命、馬を走らせていることと同じになる。最初にある程度ゴールを作っておき、そこに向かって走るほうが効率的だと思う。そのためにはどういうことをしたらいいかを考えて、それで仕事を進めて行く> P109


秋篠宮様、一見すると知的で立派なことを述べられているように見えますが、宮様のおっしゃる「ゴール」というもの、果たしてどなたが作って用意しておくのか…秋篠宮様の論文にはその世界での権威たちが何人か関わっているとのことですが。ほかの人が用意してくれたゴールなら、それに向かって進むのはそれほど困難なことではないかもしれません。

(英国留学について)<昼しか食べないという生活でした。朝は、ジュースかヨーグルトぐらい。お昼になると博物館の研究室を出て自分のアパートまで行くちょうど中間か、それより少しアパート寄りにパブがあり、そこで、食べて一回部屋に戻って、くつろいでから博物館に戻った。
夜は、九時くらいまで、博物館にいた。それで、結局、食事をするのが面倒くさくなってしまった。従って夜は、部屋に帰ってビールを飲んで、いろいろな本を読んだり、残っている仕事をしたりしていた> P113


<私の場合は昭和天皇のご病気の関係で合わせて一年半ぐらいしか留学期間がなかった。一年半の間でできることというのは、かなり限られていた。できるだけ起きている間の時間は自分の仕事のために有効に使おうと思った。それこそ寝る時間が惜しかった。
楽しみはやはり、ニワトリの写真を撮りに行くことだったし、仕事をしていること自体がとても楽しかった> P114~115


秋篠宮様は、ニワトリの研究について「仕事」と言い切ってしまっていますが、これには違和感を覚えました。秋篠宮様はご自分の研究を「私的な活動」でも「趣味の範疇」でもなく、「仕事」と思い込んでいるということが伺えますが、それは違うのでは?と思ってしまうのです。
昭和帝は植物について、今上陛下は魚類について、皇太子殿下は水や運河について、常陸宮殿下はガンについて、三笠宮殿下はオリエント史について、皆様それぞれ研究をなさっていますが、上記の方々はただの一度もご自分たちの研究を「仕事」などと言い表したことはないのではないでしょうか。あくまでも「私的活動の一環」としての位置付けだと思うのです。
それなのに秋篠宮様はニワトリの研究を「仕事」と表現し、ご自分をプロの研究家・専門家と思い違いをしてしまっているように思えます。

当ブログでも既出のように、秋篠宮様はそもそも算数や数学が大の苦手であり、進路先も法学部政治学科であって大学で専門的に生物を学んだわけではありません。ニワトリの博士号も「その世界の権威たち」の多大な協力により得たものにすぎません。
常陸宮殿下は学習院大の理学部化学科を卒業され、また東大大学院で動物学を専攻されたまさに「正統派な理系学歴の方」ですが、それでもご自分の研究を「仕事」だとおっしゃったことは一度もないのではありませんか?
それなのにマスコミは秋篠宮様だけを「動物の専門家」と評価し、常陸宮殿下の研究についてはスルーするという偏りのある報道をしているように感じられます。

秋篠宮様の「自分の研究=仕事」発言を知ってしまうと、宮様は研究で海外に行かれる時も「私的旅行」ではなく「仕事で行く」という認識なのか?と思ってしまいます(宮内庁HPでは「私的旅行」扱いとはなっていますが)。

(第四章終わり)

『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 3

7月8日は本来なら眞子様と小室圭さんの婚約会見が行われる予定でしたが、九州の豪雨被害のために会見を延期することになったとのこと。死傷者や行方不明者も多数出ており賢明な判断をされたと思います。
今日は再び秋篠宮様の肉声を振り返る回となりますが、タイミングよく秋篠宮ご夫妻の結婚あたりの肉声となりました。眞子様の会見が延期されて何ですが、お父上はご自分の結婚について当時何を考えていたのか?ということを振り返ってみたいと思います。

第三章 結婚前夜

<結婚の時、一部のマスコミで家内と結婚させてくれなければ私が皇籍を離脱すると両親に迫ったという報道がありましたが、あれは完全に作った話です。私は、知り合った直後に家内を両親に紹介し、両親は付き合っていることは知っていましたし、結婚するんだろうなということもおそらく分かっていたと思います。また、結婚する相手が彼女だったらいいな、というふうに思っていたと思います> P79


秋篠宮様ご本人はこう主張していますが、それでは「皇族やめてやる」発言も「火のない所に煙が立った」とでも言いたいんでしょうかね?秋篠宮様は以前も皇太子殿下との待遇差に不満を抱いて「皇籍離脱したい」と言ったことがあると記事にされたことがありますね。その時の発言と混同された?という見方もできなくはないですが、美智子皇后陛下と紀子妃で秋篠宮様を説得して「皇籍離脱」の考えを改めさせようとしたというエピソードもあったとか何とか…
それから上記の秋篠宮様の肉声後半部分ですが、あくまでも「両親は~と思っていたと“思います”」という、宮様の主観に過ぎないんですよね。両陛下が本当はどうお考えであったかは断言できないわけです。
しかし、最終的には両陛下がGOサインを出してしまったからこそ、秋篠宮ご夫妻の結婚が許されてしまったわけですが…

<家内からのOKの返事はいつだったのか。はっきりした返事ではありませんでした。自然にそのままというか、私もよく覚えていません> P82

結婚するうえで、例えば相手が旧華族の出身でなければいけないなどの制約や条件は全然なかった> P82

これも後付けな言い訳の感じがします。秋篠宮様も本来は良家のお嬢様とお見合いの予定があったという話も聞いたことがありますし、最初から(一般家庭出身の)川嶋紀子さんでOKという雰囲気だったというのは疑わしいです。
また、もし仮に秋篠宮様の結婚相手に制約が何もなかったのであれば、それはお母様の美智子皇后陛下が民間人出身だったので今更そんな制約を設けても…という理由は確実にあったでしょう。

兄より先に結婚したことが、批判の対象になったりしたが、当時、兄のほうは、まったく先が見えなかったわけです。従ってそのことについては、なんの問題も、宮内庁から困るという話もなかった。家族の中でももちろん問題にはならなかった> P83

これも「全く問題にならなかった」と言い訳するには随分無理があるとしか思えませんね。それではなぜ、お兄様よりも先に結婚したことが当時あれだけ「長幼の序を乱す」と批判されたのか?批判していたのはマスコミや国民だけであり、宮内庁やご一家など「身内」の中では長幼の序を軽んじてもOKという風潮になっていたとでも言いたいのでしょうか。
確かに、今の両陛下は東宮ご一家と秋篠宮家を同列のように扱ったりして、皇室内での序列というものを軽視しているように見えてしまいます。その一方で眞子様を「初孫・孫の中で一番年長者」という理由で可愛がっているようですから、一貫性がないと言われても仕方ない面もあります。
ご自分たちの都合に合わせて序列を軽んじたり重んじたりするご両親(両陛下)を見ていたので、秋篠宮様ご自身の序列への感覚もおかしなものになってしまったのかもしれません。

それにしても「兄貴に相手が見つからないのが悪いんだろ」とでも言いたげな秋篠宮様には腹立たしいですね。皇太子殿下の結婚は皇室の未来にも関わることですから、弟のように軽はずみでできるわけがないのです。皇太子殿下のお立場とお考えを知っていたら「兄貴に相手が見つからないんだからしょうがないじゃん」みたいな発想にはならないはずなんですが。

ここ一、二年、川嶋家の方に問い合わせなどが多くなり、早い時期に公にしたいと判断しました。宮内庁も異議なく、また両陛下からも反対はございませんでした> P84

これは以前に当ブログでもご紹介したように、秋篠宮ご夫妻の当時の婚約会見の宮様の発言の一部です。何度も言いますが「川嶋家への問い合わせが多くなった」理由は、川嶋家が自らマスコミとつながって交際情報をリークしていたからです(朝日新聞がその辺りを詳細に暴露していますから)。「宮内庁や両陛下からも異議はなかった」と言いますが、意義を出せない状況になっていたというのが真相ではないかと思ってしまうのです。

<私は、見ていて口を出すことはありますけれども、自分では料理はしません。やってみたいという気持ちはあり、日曜大工などにも興味はあるのですが…。掃除はやりますけれども。
(『庭いじりとか、それこそ、器用でいらっしゃるから、ご自分で作られて家族の方に食べていただくこともあると思っていましたが』)いや、しません。妹はもちろん料理を作りますが、兄もしないと思います> P87~88


またここでも皇太子殿下を巻き込んで「兄貴もしないしいいじゃん」みたいな感じになっています。
しかし秋篠宮様って「器用」というイメージありますか?正直な所、私はそのイメージはないのですが。

<出るのはまったく問題はないのですが、自分が出無精なもので、外へ行くのが億劫です。ですから、たいていは家にいます。ただ、子供たちを動物園などに連れて行った方がいいので、そういう時は、ウイークデーに、人が少ない時に出掛けます。動物園に行くというのは、私は、ある意味では仕事みたいなものですから(殿下は、日本動物園水族館協会の総裁を務めている)、訪ねる理由もいくらでもつきます> P90

「動物園に行くことが私の仕事」、この部分で笑ってしまいました。「仕事」「公務」を理由にすれば、何でも通ってしまうのですね(笑)。眞子様や佳子様をダシにしていますが、本当はご自分が動物園に行きたいだけなんでしょう。
それに「ウィークデーに動物園に行く」と言っていますが、お子様たちの学校はどうするんでしょう?放課後に行くとか?
なお、上記肉声の補足で「秋篠宮様は日本動物園水族館協会の総裁を務めている」と書かれていますが、秋篠宮様が実は総裁の仕事をまったくしていなかったことがバレてしまった事件がありました。この件も、後ほど秋篠宮様の公務を検証する際に触れたいと思います。

<人によっていろいろと考え方の違いもありますけれど、ある年齢の時に外国に連れて行くのはその子の成長にとってはプラスになるのではないかと思う。国によってさまざまな文化があるし、そういうのは自分で体験するのと本で読むのとでは全然、違うと思う> P93

秋篠宮様は眞子様や佳子様を私的旅行で海外に連れていったことが何度かあります。秋篠宮様が上記のようなお考えを持っているなら、敬宮愛子様が東宮ご夫妻とオランダに行かれたことにも、当然賛成していたはずですね。東宮ご一家がオランダ王室から招待を受けた上でオランダに静養に行かれたことは、当時心ない人々から批判を受けましたが(天皇陛下も苦言を呈するようなことを発言なさっていて悲しくなりました)、秋篠宮様がここで「いや、海外に行くことは子供の成長には良いことです。うちの子たちも海外に連れていったことがありますから」と一言東宮ご一家をかばうような発言をなさっていれば、宮様の株は上がったかもしれませんし東宮ご一家も救われたのではないでしょうか。
しかし、秋篠宮様から東宮ご一家をかばうような発言はありませんでした。


(第三章終わり)

『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 2

今回は江森氏著『秋篠宮さま』の第二章より、宮様の肉声を拾い上げていきたいと思います。

第二章 家族の思い出

<三歳くらいの時、両親が公務で出掛け、寂しくて泣いた思い出があります。
両親が留守の時は、侍従とかが世話をしてくれましたが、やはり肉親とはいろいろな点で違いました。学校の父兄参観日には母が都合がよくて来られる時は、必ず参観に来てくれました。都合が悪い場合は、侍従なり内舎人(うどねり:天皇家の男子皇族の世話をする男性職員)が学校に来ましたが、やはり母が来てくれたらと思いました。でも、しようがないとあきらめていました> P39

授業参観は「親に来てほしい」派の子供と「親に来てもらわなくてもよい」派の子供がいると思いますが、秋篠宮様は前者のタイプの子だったのですね。皇太子殿下はこういう時も「寂しい」とはおっしゃらなかったんだろうなと想像します。「親に来てほしかった」という甘えたことが言えるのも、帝王教育を受けなかった次男坊の“特権”であったかもしれません。

(博士号をとったときにこの話を公表しなかった件で)<これはまったく私的なことだから、分かったら分かった時でよい> P45

秋篠宮様がニワトリの研究で博士号を取得したことは当ブログでもご紹介しておりますが、皇族の立場を利用してその世界の第一人者たちを呼び、彼らの多大なる協力を得て論文を書いた(ことにした)ことを、単に大っぴらにできなかっただけの話では?と思ってしまいます。

<小学校高学年ぐらいになった時に、中学だったかもしれないが、数学で分からない問題を、父が一緒に解いてくれたこともあった。私はある時期、数学は全然できなかったから、そうすると父がやって来て、『この問題を解きなさい』と。『じゃあ、これは』と、随分、熱心に教えてくれた。兄や妹はそういうことはなかったのではないか。私がいちばん、デキが悪かったからでしょう。また、母も算数などを私に教える時に必ず図を書きながら説明してくれたことが今も印象に残っている。また、母とはよく音読も一緒にした。短い詩や和歌、平家物語などもずいぶん読んだ。意味とか解釈とかはほとんどせず、ただ読むだけなのでとても楽しかった> P51

「自分はデキが悪かった」ということを自覚していただけマシだったとも言えます。が、そのような「算数・数学苦手」な人が、自然科学分野で博士号を取得できてしまうものなんですね(笑)。不思議ですね。

<学生時代に両親から『勉強しなさい』とよくいわれましたけれど…(笑う)。勉強が大嫌いでしたから。結局、上から押し付けられて何かやることが、例えば、先生から宿題をやってきなさいとか、試験をするからしっかりと勉強をしなさいとか言われることがいやだったのでしょう。もっとも中国語で『勉強』と書けば無理強いするという意味ですから、勉強が嫌いというのは当然ともいえますね> P54

「他人から何か言われることが嫌い」「上から押し付けられるのが嫌い」という秋篠宮様の態度は、勉強に限らずあらゆる場面で出てくるのだろうと想像できます。だから皇太子になる教育も受けられなかったし、今でも誰かの言うことを素直に聞くことができない方なのでしょう。こんな方が、自分より身分の低い下々の民間人の言うことに耳を傾けるはずがありません。

<いちばん成績が悪かったのは中学生くらいだった> P56

<まあー、要領がよかったんでしょうね(笑う)。私は、試験の前でもほとんど勉強しないですから> P56

江森氏によると、秋篠宮様は普段は大体成績は下の方だったが、進学するときなど大切な時だけ成績が良くなる特徴があったとのことです。学習院高等科から学習院大学に内部推薦で進む際も、推薦試験の時だけ急に成績がよくなったとか…。江森氏は「秋篠宮様は集中的に勉強する生徒だった」と評価していますが、宮様ご自身が「試験の前でも勉強しなかった」と言っているのです。節目節目の時だけ成績が良くなるって何か怪しくありませんか?「秋篠宮様は学生時代の成績が最下位に近かったので、秋篠宮様と同学年の生徒からは一人も落第者を出せなかった」という逸話も聞いたことがありますが、真相やいかに…

<高校生のころ、翌日の英語の試験の前にこういうことがありました。日本文を英文に直す和文英訳というのがありますね。私は字があまりうまくないものですから、和文があって英文をその下に書くと読めなくなります。そこでタイプを覚えようと思い立ちました。これがグッドアイデアだと。そうしたら、タイプの方に凝ってしまった。一時間もガチャガチャとたたくとキーを覚えてしまった。そうなると楽しくなってしまって試験勉強は二の次になってしまいました> P57

はい、ここでも秋篠宮様は「試験勉強は二の次になった」と述べています。タイプに限らず、この方は一つのことに熱中しやすいが、同時に冷めやすい一面もありそうだなという印象です。

<私の両親は、孫たちに会うことを本当に楽しみにしており、また子供たちも、私の両親に会うことをとても楽しみにしています。ですから、もっと両親と私の子供たちが会う機会を多くしたいと思います。九七年も私たちがネパール、ブータンを外遊した際に、二回くらい、子供たちが御所に行って遊びました。御所に行くことをとても楽しみにしていて、玄関を入ると、いつも二人で駆け出して行きます。そして母や妹と、時がたつのを忘れるかのように遊んでいます> P59

眞子様や佳子様は、幼い頃両陛下(とサーヤ)のいる御所によく遊びに行かれていたようですね。97年頃というと、雅子様がお世継ぎご懐妊のことでかなり苦悩されていた時期だったはずです。そのような時に、兄を差し置いて先に結婚してしまった次男夫婦の間に生まれた子供たちが頻繁に祖父母のいる御所に遊びに行く様子を見て、雅子様はどのようなお気持ちになられたでしょうか。懐妊・出産のプレッシャーは、次男夫婦と東宮ご夫妻では重みが違うのです。

<両親に感謝することは、私の好きなことをずっとやらせてくれたということです。子供が何かをやりたいと言っても、それを否定する親もいると思う。
両親はそういうことはなく、とにかく、私の好きな分野をずっと歩かせてくれた。そのことに大変、感謝している> P60


このように秋篠宮様は、幼い頃から「好きなことを十分にやらせてもらえた」環境にいたのです。だから我慢とか忍耐とかそういうものとは縁がない方なのだと思います。50年以上、自由に好きなことをやれてきた方が、次代で簡単に皇嗣扱いになるなんて国民を随分馬鹿にした話ではありませんか。
秋篠宮様が好きなことをずっとやれてきた環境にいる間、皇太子殿下は己を律して生きてこられたのです。


<『ヒオウギアヤメ』という家内の印をなんで印としたのかというと、昭和天皇が、どういう関係にあるのか、『ナスヒオウギアヤメ』の由来や起源を知りたいという話を、家族で会食している時に食卓でされました。
昭和天皇が、なにかよい方法はないかと、私に聞かれた。それでは、私が進化生物学研究所の近藤典生理事長(故人)に相談してみましょうということで、そのプロジェクトが始まりました。
中間報告が進化研からくると、そのたびに私が昭和天皇に報告していました。私がイギリスに行っている間は、私の父がかわりに報告していたと思います。八七年の終わりか八八年の初めから、昭和天皇の具合が悪化するまでずっと続けられました。でも、最終結論は出てなかったと思います。
私もその『ヒオウギアヤメ』のことをよく知らなかったのですけれど、そういうことで昭和天皇が最後に興味を持たれたことの手伝いをした。それでやっぱり自分にとって大変な記念でしたから、家内の印が『ヒオウギアヤメ』になったのです。これは、私が両親と話をしたことによるものです(印は天皇陛下が決めて、お与えになる)> P61~62


紀子妃のお印を決めるにあたり昭和帝と秋篠宮様のエピソードが絡んでいたと知り、秋篠宮ご夫妻のあまりの厚顔無恥さに驚愕しました。秋篠宮ご夫妻が昭和帝の喪中に婚約会見を行い、喪中にも関わらずニタニタと下品な笑みを浮かべていたことを少なくない国民がはっきりと覚えています。昭和帝を一番愚弄していたのは秋篠宮ご夫妻だと思うのに、よく「自分にとって大変な記念でしたから、家内の印が『ヒオウギアヤメ』になった」なんてことが言えるものだと憤慨しています。私の中では、この肉声は『秋篠宮さま』の中ではワーストを争うほど不愉快な内容のものだと感じております。

<昭和天皇からの影響は、生物のことに関してはまったくないと思う。皇族のあり方とか、皇室の伝統とかの話も、あまりしたことがない。大分、前のことなのでよく覚えていないが、私たちが学校の話をしたりとか、普段の生活の話をしたりということが多かったように思う。どちらかというと昭和天皇は聞き役だった。
ご自分の学校時代の話をされることも、たまにはあったように記憶している。それと、印象に残っていることとして、吹上御所から、帰る前に、昭和天皇が、『ヒガンバナがきれに咲いているから、それを見に行こうか』というので、昭和天皇もこちらの帰る道筋の途中まで行かれて、一緒にヒガンバナを見たこと、そして吹上御所の庭を散歩中に、シメジが生えているからというので案内して下さったことがあった。
昭和天皇は、私たちにはとてもやさしかった。兄妹の中で、だれがいちばんかわいがられたというのは、わからないが、私は怒られたということは一度もなかった> P63~64


昭和帝が全てのお孫様に対してお優しい方だったということは事実だと思います。秋篠宮シンパは「昭和帝に一番可愛がられていたのは秋篠宮様だ!」と主張しているようですが、当の秋篠宮様ご自身が「誰が一番かわいがられたというのはわからない」と言っているようなのですが…

<いちばん印象に残っているのは、ピーッと鳴った時でした(心臓が停止された時)。最後にお話をしたのは、八八年の十一月でしょうか。十二月の時にはもう話ができなかったですから。あいさつをして『いかがですか』みたいなことをたずねました。日によってはご容体に違いがあったような記憶もあるのです。
結局、私にとっては祖父に当たるわけですよね。ただ、私は昭和天皇というのが、別の世界にいる人のようなとらえ方をしておりました。自分でそうしていたのかもしれないですけれども同じ家族という感じでは、接してなかったです。これは皇居という掘に囲まれた地理的要因が大きかったかもしれない> P64~65

「これは皇居という掘に囲まれた地理的要因が大きかったかもしれない」?え、そういうことではないような気がするのですが…

(戦前・戦中・戦後を経験された昭和帝のご苦労等について聞かれて)<とにかく私なんか、幸せな時代に育っていますから、随分、違うと思います。
ご苦労話を、昭和天皇から直接、聞くという機会はなかったです。そういう話をあえて昭和天皇はされなかったのかもしれません。こちらから聞けばなにかあったかもしれないですが、むしろ、私は父からそういう話を聞いたことがありました> P66

昭和帝は、戦争中の日本の国家元首・統帥として、真の意味で苦しい時代を生き抜かれた方だと思います。だからこそ、戦争に関しては逆に口が重くなったという事情が考えられると思います。それだけ重い事柄を背負われてきた方なので、孫にも容易にお話することができなかったのではないでしょうか。
一方で今上陛下は、まるで「自分の父(昭和帝)がやってきたこと、本当に申し訳ありません、息子の私が代わって皆さんに頭を下げます、平和こそ第一です」のような態度で「祈り・巡礼」を強調してきています。が、今上陛下はお立場上、戦争中でもかなり恵まれた生活を送られていたというお話も聞きますけど。

<どういう皇族を目指すかというのは、記者会見の時も、よく出てくる質問だと思いますが、皇族の一番上は、天皇です。皇族には天皇をサポートするという役目が不可欠で、それがかなり大きい位置を占めてくると思います。それプラス、いろいろな依頼事とかがあり、それらの仕事をする。皇族の立場としていえば、今はそういうことだという気がします。
もう32(歳)なのですけれど、例えば、これから十年ぐらいたってくると、また違う視野が出てくるのではないかと思います。自分の役目として、あるサブジェクト(題目)みたいなものが出てくるかもしれない。それはそれでまたいいのではないかと思います。自分なりの特色というものを出せたらいいな、と思います。
ただ、もうすこし時間がたってからの方がいいでしょう。今はまだ時期が早すぎますよ。あと十年、もう少しでしょうか。それと、いろいろな機会を通じて自分の意見なり、考えを率直に述べていこうかと思っています。これは大事なことではないでしょうか> P67~68


皆様、秋篠宮様の上記の肉声をよーーーーーーーく覚えておいた方がいいと思います。宮様ご自身が「天皇をサポートする」とおっしゃっているのです。果たして、このお言葉を次代でもきちんと心に留めたお振る舞いをなさるのか、お兄様が次期天皇陛下になられた時も臣下として新天皇をサポートしていく気概があるのか、国民としてよく見ておきましょう!
そして秋篠宮様は、皇族として言いたいことを率直に述べていくつもりであるともおっしゃっています。宮様は、今では何を言っても誰からも咎められることのない存在になってしまいましたが、けっこうとんでもないことを繰り返し述べています。宮様のご発言のこともいつか当ブログで検証したいと考えています。

現に日本に皇室というものが存在しているということは、やはり日本国民の支持があるからこそ続いているのだと思われます。そのようなことから考えますと日本国国民が皇室に対してどのようなことを考えているか、また、どのような皇室というものを期待しているのか、ということをやはり常に念頭に置いて、そして私たちの役割、仕事、務め、いろいろな言い方があるでしょうが、それを果たしていく必要があるのではないかと思います。やはり時代というのは少しずつでも変わっていっているわけですね。その中における皇室はその時代に即した姿というものが必要なのではないかと思っています> P69

はい、上記肉声もよーーーーーく覚えておきましょう。次代の新天皇陛下の、時代に即した新しいなさり方を秋篠宮様が臣下としてきちんとサポートするのか否か、よく見ておいた方がいいでしょう。
それにしても秋篠宮様の口から「皇室は国民の支持があるからこそ続いている」という発言が出ていたとは驚きました。果たして宮様は、平成皇室のやり方が日本国民の支持を得ていると本気で思っているのでしょうか?

<宮中祭祀を大切にしていきたいと思っている。拝礼の時も心の持ち方が大事であると考える。私はいつもご先祖に話し掛けるつもりでお辞儀をしている> P71

秋篠宮様が祭祀を大切にしているなどということは初めて聞きました。ちなみに秋篠宮様はただの一宮家当主にすぎないため、内廷皇族(天皇皇后+東宮家)のような厳格な祭祀は行いません。次代でも内廷皇族とはならないようなので、継承権1位をキープし莫大な予算を組んでもらいながら、厳格な祭祀は行わなくてよいし、祭祀にかかる経費も負担しなくてよいという歪みが生じるおそれがあります。

<どこへ行くにも、下見をしたりとか必ず何人かついてきたりとか、それはやはり窮屈に思ったこともあります。そういう生活を、あなたやってごらんなさいと言われたら、十人中十人が窮屈だと思うでしょう。私も同じ人間ですから、そういうふうに思ったこともあります。
ただ、今はそんなには感じなくなりました。というのは、私自身が出無精で、外に行くタイプではないので、その問題はかなり解消されます。
今度、生まれてくるとしたらなにに生まれたいか、ですか?生まれてくるとしたら、動物がいいな。人間でなくて…例えば?ヒツジがいいかもしれない。ヒツジになってひねもすのんびりと草をはんで。ヒツジに生まれてきたら、なんとなく楽しいのではないかという気がいたします。自分を動物に例えてみたら、なりたいのはヒツジですが。やっぱり巳年ですから、毒ヘビあたりかもしれないですね> P72~73

この箇所は、当ブログでもご紹介した週刊現代1998年7月18日号の冒頭にも引用されていました。とにかく「窮屈が嫌、不自由が嫌、もっと自由気ままにのんびりさせてくれ」という秋篠宮様の我儘がよく分かる肉声だと感じます。

(第二章終わり)

『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 1

前回お知らせした通り、しばらくは「秋篠宮家のパワハラ・ブラック問題」と、江森敬治氏の『秋篠宮さま』の中身の検証(?)をなるべく交互に行っていきたいと考えております。
まず『秋篠宮さま』の第一章目から順に、宮様の肉声を拾っていきたいと思います。

第一章 生い立ち

●<週刊誌などで私は自由奔放だとか書かれていますけれども、小さいころから兄妹の中ではむしろ静かなほうでした。たとえば私の兄は、学校から帰ってくると、すぐ野球をやったりとか、妹はだれか空いている職員をつかまえてきてドッジボールをやるなど、かなり活動的でした。私は学校から帰ってきても部屋の中にいて、無理やり引っ張り出されないと、外でなにかをするということはなかった。
外で遊ぶときは、大体、ひとり、もしくは妹と一緒に虫を捕ったりヘビを捕まえたりして楽しんでいることが多かったです。
『自由奔放』に見えるのでしょうけれども、そのようなことは、週刊誌あたりが作り上げてきたイメージじゃないかと思います。長男は物静かで、落ち着いている。それに比べて次男は自由で活動的だというイメージは根強いと思います。私は、すごい出不精ですし、シャイなのだと思います> P13


うーん…秋篠宮様はご自身をこう評していますが、テーブルの下にもぐって床に転がったり、目を見開いたりして「道化」っぽい行動が多かった宮様の幼い頃の写真を見ると、シャイとか物静かというイメージはやはり湧きにくいですね(笑)。しかし、出無精・インドア派というのは実はそうかもしれないという感じが何となくわかります。が、生き物が絡むと途端にアクティブになるということでしょうか。

幼い頃の皇太子殿下(左)と秋篠宮様(右)
秋篠宮様の幼いころ(右)。皇太子殿下の凛々しさと比べると…

お行儀の悪い秋篠宮様
テーブルの下にもぐって床に転がるお行儀の悪い秋篠宮様

ベロ出しアキシノ
まあ、幼い頃はこれはこれでかわいい(?)一面かもしれませんが…


●<パティ・ページや江利チエミの音楽をよく聴き、周囲から『おじん臭い』と言われます> P14

●<自分の性格ですか?自分で説明するのは難しいです。両親には、もう少し社交的になったほうがいいと言われます。私が、いちばん、得意でないのが社交でしょう。いわゆるバンケットやパーティみたいなものです。初対面の方といきなりパッと会話が始まるほうではないですから、先方からしゃべってくれるほうが有り難いです> P17~18

秋篠宮様は実は社交が苦手、ということは、宮様の様子を見ていると何となく伝わってきます。しかし、今後は「皇嗣」扱いとなる予定であり、皇太子殿下と同等の社交の機会を持つつもりであれば、いつまでも「社交が苦手・向こうから声をかけてくれないと困る」で押し通すのは、やはりおかしいのではないでしょうか。今までは「ただの宮家当主」としてそこまで積極的にならなくても甘く見てもらえたかもしれませんが、「継承権1位」や「皇嗣扱い」という立場を譲らない気であれば、ご自分の苦手なことにも積極的になってもらわないと国内外要人とのコミュニケーションが成立しません。この辺りの姿勢で、秋篠宮様が真に「皇嗣」としてふさわしいかどうか見えてくるかもしれませんが、厳しいようですが人間の性質はそう簡単に変わるものではありません。

●<本当に高いところがダメなのです。兄や妹は、平気です。特に兄は高いところが好きで、江森さんが、お分かりになるかどうか、いまの東宮御所の前の駐車場(その前は天皇陛下のご一家が暮らしていたが、宮内記者が御所を訪ねる時は、必ずここに車を止めた)、ちょうどその真正面ぐらいに煙突があるのをお分かりになりますか?あれの上まで登りました。確か、兄が小学校のころだったと思いますけれど…。そういうのが好きですね、兄は。山にも登りますでしょう> P18

秋篠宮様の運動神経についてですが、イメージほど「良い」というわけではなさそうですね。その点、皇太子殿下は優しく穏やかなお人柄をお持ちでありながら、実は運動神経は良いですし、体を動かすこともお好きですね。

●<本当に、イギリスにいた時は、窮屈な感じがしましたね> P20

●(警察官に)<別のテーブルで食べてください> P20

江森氏によると、秋篠宮様がイギリス留学の最中、常に一人の警官が宮様のそばにピタッと張り付いていたとのこと。食事の時も同じテーブルに警官が座ったため、別の席に移動するようにお願いしたのだとか。「人にいつも見られることをあまり好まない」と秋篠宮様はお考えだそうで…。
皇太子殿下もイギリス留学されていましたが、警備に対してご不満を述べたことなど一度もなかったと思います。「真の意味の皇嗣として育てられた本物のクラウンプリンスはやはりお覚悟が違う」と感じるのです。

●(英国の感想)<食べ物とかも良い印象はうすい。冬場だと、朝から雲がどんよりと垂れこめていて、地面はいつもジトジトしていました。良い印象といえば、私は、博物館に所属していましたので、朝から晩まで仕事ができましたから、その意味では本当に良かったと思います> P20~21

全体的に、イギリス留学にはあまり良い思い出がなかったようですね、秋篠宮様…。

●<妹が小さいころ、兄と二人で、泣かせたことがあります。ちっちゃい子って、本当に泣くとかわいいのですよ。妹を泣かせておいて、ごめん、ごめんというと『よろしいのよ』と妹が答える。一つ覚えみたいなところがあって、それを聞きたいがために兄と一緒に妹にいたずらをしました。ほんとうに悪いお兄さんでした。
なにかをとったこともあったかもしれない。おもちゃかどうか覚えていないけれども。
赤坂御用地の中で、一緒に虫捕りに出かけたりもしました。この前、妹と話したのですが、妹にいわせると、私と一緒に虫捕りに行くのは、恐怖だったといっていました。どうしてかというと、虫を捕り損なうと私にたたかれる(笑う)。それで怖かったみたいです> P21~22

秋篠宮様がずるいというか卑怯だと感じるのは、「妹(サーヤ)を泣かせたりいじめたりしたのは自分だけじゃないぞ、兄貴もやってたんだぞ」と、わざわざ皇太子殿下を巻き添えにしようとするこういう言動です。それに、虫が捕れないとサーヤをたたいて憂さを晴らすって、怖くありませんか?秋篠宮様は生き物関係となると、色々な意味で言動がアグレッシブになることがちょっと不気味というか、少し尋常ではないものを感じてしまうのです。

●<妹は、少なくとも、上の兄二人よりもしっかりしている。両親も妹が結婚したら、困るのではないかと思います。両方の気持ちが両親にはあるのではないでしょうか。手元に置いておきたいという気持ちと、早く結婚させたい気持ちと> P23

また皇太子殿下を巻き添えにしていますね。皇太子殿下は十分しっかりなさってます。

●<父は、夏、海に行った時に、とにかく泳げるようにだけはしておきなさいといっていろいろと教えてくれた。川や海に遊びに行って落ちた時などに、泳げないと生命が危ない。それで浜名湖や自宅のプールで泳ぎの練習をした。かなり徹底していて、それに比べると私は、自分の子供たちにそのようなことをしておらず反省している> P25

この時代の東宮御所は、きちんとプールが使えたんですよね。だから皇太子殿下も秋篠宮様もサーヤも、自宅=東宮御所で泳ぎの練習ができました。しかし、現在は東宮御所のプールは使えない状態のままになっていると聞きました。だから敬宮愛子様は、自宅のプールで泳ぎの練習がしたくてもできず、昭和の皇太子ご一家に比べると随分冷遇されていてお気の毒になります。プール改修に費用がかかるので皇太子ご夫妻が相当遠慮なさっていると思うのです(東宮御所のミニキッチンすら美智子皇后の反対にあってリフォームが許されないとのこと、プールなら尚更でしょう)。しかし、敬宮愛子様はそのような冷遇にもめげずに遠泳などもきちんとこなしてきました。

●(鶴見良行氏の件)<がんの手術をされて、そのあと、一時、回復されていたようですけれども、急に亡くなられたので驚きました。『ナマコの眼』のほかは、私の好きなのは『アジアの歩きかた』。あの方は、自分で歩いて確かめられたことをお書きになりました。それを、さらにすごい量の本、文献、資料を調べられ補われました。そういう姿勢が、私はとても好きでした> P29

●<ある仕事をするという時に、生物学的にだけ、それを調べる人もいれば、それの文化というか、民俗学的なことばかり調べる人もいる。私が思うにそのどちらかひとつというのは少し偏りがあり、両方の接点というものが、今から考えるとなにかを理解する上で非常に大事なのだ、ということを鶴見さんは言いたかったのではないだろうか> P32

●<鶴見良行さんと私が知り合いだと聞いて、びっくりされる人もいると聞きます。ただ、良行さんは、付き合う時にご自身の思想とか自分の皇室に対する考えをひとまず置いて個人としての私と話をしてくださいました。そして私と共通するアジアのことや仕事の進め方などを話されました。皇族と距離を置くということは全然、感じられなかった。それこそ私の周囲の研究者にしても、皆同じような考えだと思います> P34

鶴見氏の考えは分かりませんが(そこまで秋篠宮様を取り巻いていたという印象もないですし)、秋篠宮様のほかの「お取り巻き」たちは、皇族と距離を置くどころか、むしろ積極的に近づいて宮様と親しくなって、おいしい思いをしたいという人たちばかりに見えてしまいます。多紀保彦氏しかり、赤木攻氏しかり、そしてこの本を書いている江森敬治氏しかり。
純粋に秋篠宮様のお人柄に惹かれて親しくしているならいいですが、常に海外行きなどに同行して常に一緒にいる様子を見てしまうと、何かほかに目的があるのでは?と勘繰りたくなるのです。

(第一章終わり)

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その12~噂の真相によるより詳細な記事③

本日は「噂の真相」 1998年9月号『秋篠宮告白本でわかった皇室と宮内庁“暗闘の構図” 』の最終部分を引用させていただきます。

(記事続き)
今回の単行本の中で秋篠宮はタイ愛人問題を<捏造>と完全否定しているが、実をいうとこれもけっして無根拠な噂ではない。
前出の宮内庁OBがこう話す。
「本の中で、夜は研究仲間とホテルで懇談しているだけでそんな時間はないとあったが、この『研究仲間』というのが問題なんです。秋篠宮殿下はタイに行く際、ナマズ研究の師である多紀保彦・東京水産大学教授、タイ政治の専門家である赤木攻・大阪外大教授、それから今回の本の著者である江森氏ら個人的な取り巻きを必ずといっていいほど連れて行くんだが、朝から晩まで彼らが殿下を囲い込んで、大使館や宮内庁関係者から遠ざけてしまうんです。彼らが協力すれば、ホテルに女性を連れ込むことなど いとも簡単ですよ

しかも、秋篠宮はもうひとり、宮内庁にとって招かれざる人物をタイ旅行に必ず同行させている。
その人物とは、ソムチャイ・コシタポンというタイ人男性。
「コシタポン氏は殿下がはじめてタイを訪れて以来、ずっと現地ガイドとしてすべてのタイ旅行に同行しています。もちろん宮内庁やタイ政府が雇っているわけではなく、むしろ宮内庁は彼の存在に困っているんですが、殿下が勝手に呼んでしまうんです。殿下のプライベートでのスケジュールはすべて彼が仕切っていて、お忍びで色々な所に連れていったり、色々な人間に会わせているらしい。彼はタイの警察にも顔が利く地元ではかなりのヤリ手ですから・・・」(前出・宮内庁OB)
実際、89年の訪問で秋篠宮が一時的に行方不明になるという騒ぎがあったが、これもコシタポンが地元の警察に警備を依頼して、いわゆる「売春窟」に案内していたという事実が判明している。

▼引き払われていた隠しマンション

実は秋篠宮が紀子妃と結婚してから2、3年後、タイの女性が日本にやってきて、隠しマンションで密会しているという噂が流れたことがあった。しかも取材してみると、秋篠宮の姿が頻繁に目撃されているマンションがあったのだ。
この部屋は、渋谷区東1丁目にあるバブル絶頂期に建てられた「P」というマンションの1511号室。部屋の前には「アジア魚類研究会」という小さな表札がかかっていたが、いついっても人気はない。
だが、住民に 聞いてみるとこんな答えが帰ってきた。
「秋篠宮様の姿はたまにお見かけしますよ。それに秋篠宮様が来ると、SPの人が廊下に立っているのですぐわかります」
そしてこの部屋の借り主を調べてみると、なんと秋篠宮の側近であり、パノム博士の恩師でもある多紀教授だったのである。
しかも不可解なことに、本誌がこの事実を96年7月号で報じた少し後、この部屋は跡形もなく引き払われてしまっていた。

(記事終わり)

上記記事では詳細な実名や肩書まで出ていて、秋篠宮様がいつもだいたい同じ「お取り巻き」や「お仲間」を引き連れて好き勝手に行動している様子が改めてよく分かるというものです。例のソムチャイ氏も再登場ですが、この人物は宮内庁などからは良く思われていなかったとも書かれていますね。まあ、彼が一人で勝手に秋篠宮様のスケジュールを管理してしまうので当然ですが。

しかし、秋篠宮様は色々とフリーダムな方なのでそれにつけ入れられ「秋篠宮様は腐っても皇族だし、仲間に入れば色々とおこぼれに預かれそうだ」と民間人に利用されているだけにしか見えませんね。秋篠宮様ご本人は「自分は頼れるアニキ分」を気取っているつもりでも、取り巻き連中はそうは思っていないでしょう。
仮に秋篠宮様が皇族をやめた(皇籍離脱した)場合、ただの一般人となった“文仁さん”にどれくらいのお取り巻き連中が付いてくるでしょうか。

そして驚いたのが「噂の真相1996年号」で取り沙汰されていた「例のマンション」が、あの記事が出た後に引き払われていたこと。そして今回の記事ではそのマンションの名義が「多紀保彦教授」であることが暴露されています(前回の記事では名前は伏せられていた)。
「ここは秋篠宮様が愛人と密会しているマンションではないか?」という疑惑が出た途端に引き払うとは、分かりやすすぎではありませんか。本当に「アジア魚類研究会」のための部屋なら引き払う必要などないはずですし、堂々と「魚類研究」を続ければ良かったではありませんか。
この部屋で秋篠宮様と会っていた女性は、果たして誰だったのでしょうね。
タイの研究員か、それとも例の王女か、それともまだ表に出ていない別の第三者か…

秋篠宮様とタイの関係性ですが、平成28年8月にもテロが無ければタイに私的旅行(目的は明らかにされていません)に行く予定であったことを考えると、秋篠宮様とタイの関係はまだ続いているようです。表向きは「研究」となっていますが、それなら堂々と渡航目的を「研究」と言えばいいはず。なぜ目的を伏せる必要があるのでしょうか。

自分に都合の良いことを語りたい時は饒舌になるくせに、不都合なことには沈黙を決めたりごまかしたり、そこに触れるなといわんばかりの態度になる。秋篠宮ご一家にはそういう印象しかありません。

なお、1996年当時に生じた「秋篠宮様愛人疑惑」を2年後に蒸し返した形になるこの「噂の真相」記事ですが、この記事について宮内庁が抗議したという形跡はないような気がします。
新潮にはあれだけ執拗に謝罪と訂正を求めた宮内庁だったのに。
「川嶋教授の件に触れていなければ別に抗議しないよ」というのが、やはり宮内庁の本音だったということでしょうか?
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