FC2ブログ

「小室圭騒動」に私が関心を持てない理由―それでも少しこの問題を考察してみることにしました。

皆様、大変ご無沙汰しております。相変わらず更新の遅いブログで申し訳ありません。

ここ最近は新天皇皇后両陛下の即位と立后、即位お祝い一般参賀、トランプ大統領夫妻の来日、植樹祭(即位後初の地方公務)など、両陛下のご活躍に心を奪われ、秋篠宮家など眼中になかった状態でした。ようやくお人柄や能力などが正当に評価されるようになった両陛下を拝見すると、秋篠宮家が今までどれだけ無理やり持ち上げられ擁護されてきたのかが分かり、「偽物」など目に入れたくないしこんなくだらない方々を相手にする時間ももったいないという思いが強くなってしまいました。ここ一カ月は私も「新帝ご一家フィーバー」状態であり、当ブログの主役ご一家については「あ、いたの?」という感じでしたw

ここ最近は敬宮愛子様を天皇にしたいという意見も国民から多く上がり世論の盛り上がりに期待したい所ですが、そうは言ってもおそらく今の政権は国民の声など無視してこのまま「秋篠宮立皇嗣礼」を強行するつもりでしょうし、相変わらずメディアは「将来の天皇である継承順位2位の悠仁様」という報道を繰り返し、「この状態は変えられないんだよ?愛子天皇なんて無理なんだよ!」という「刷り込み」を国民に行い諦めの境地に持っていきたいように見え、危機感は変わらないと思います。

さて、当ブログでは今まで秋篠宮様に関する過去記事をご紹介するという形をとってきましたが、今回は趣を変えて、小室圭問題についての私自身の考えを述べさせていただきたいと思います。
秋篠宮様のことをブログに書く以上は「小室圭問題」に触れないわけにはいかないのだろうか、とずっと考えてきたのですが、結論から言いますと、私はどうも「小室圭問題には関心も興味も湧かない」というのが正直な気持ちです。
それにはいくつかの理由があります。


■そもそも小室圭が出現する前から秋篠宮家には問題がありすぎた

当ブログを始めたのは小室圭が出現する前でしたが、当ブログよりももっと早い段階から秋篠宮家の実態を検証する良ブログはたくさんありました。私を含め多くの新帝応援派は、かなり以前から秋篠宮家に多くの問題を感じ取っており、あの家はとても皇位継承するのにふさわしい家とは言えないという共通の怒りを抱いてきました。
だから今更小室圭のような男が出現したところで、「ああ、眞子様にふさわしい相手ですね」としか思えないのです。婚約会見に至る過程やその後の騒動を見ても、「秋篠宮家らしいわ。こういう家だからトラブルばかり起こすんだろう」という冷めた視線でした。

この点で、「小室圭が出現した後に秋篠宮家の実態に気付いてアンチになった」という人々とは温度差があるなあと感じることが多いのが正直な所です。

小室圭が出てくる前から、秋篠宮家についてはおかしなことが沢山ありました。

まずは秋篠宮ご夫妻のスキャンダラスな交際報道や喪中の婚約会見。
秋篠宮様のタイ愛人疑惑やタイへの渡航回数の異様な多さ、素行の悪さなど。
ハリボテとしか言いようがない秋篠宮ご夫妻の博士号取得問題。
まだお元気な頃の高円宮殿下に公務を多くやらせて全く出番の無かった秋篠宮様。
東宮ご夫妻(当時)が理不尽なバッシングを受けていた時の秋篠宮ご夫妻の冷徹な会見。
その後隠さなくなった「第三子作成への野心」(こうのとりの歌など)。
実際に悠仁様という男子を作られた事実、それにより頓挫した典範改正。
東宮ご一家(当時)をハブにして平成の両陛下と度重なる静養でゴマすり。
雅子様がご病気になられた途端いきなりドヤ顔で公務に張り切り出す秋篠宮ご夫妻。
そしてそれに伴い予算や職員を増やせと度々要求するようになった秋篠宮家。
誕生日会見における秋篠宮様の度重なる政治的発言(天皇定年制、皇族の人数など)。
日本動物園水族館協会総裁にも関わらずイルカ漁問題に毅然と向き合わなかった秋篠宮様。
眞子様と佳子様の疑惑のICU進学(佳子様は学習院大中退という曰く付き)。
悠仁様のお茶の水幼稚園・小学校入学の不自然さ。
紀子妃による度重なるパワハラと多くの職員の退職。
秋篠宮様と加計グループとの怪しいつながり。
紀子妃ご実家(川嶋家)の諸問題(水平思想、池口恵観、建築詐欺など)。
皇太子殿下(当時)の廃嫡を呼びかける署名運動を行っていたデヴィ夫人と秋篠宮ご夫妻との関係性。
前天皇陛下の退位でNHK橋口記者と秋篠宮様との関係性も明らかになった。
東宮家(当時)をバッシングする朝日の岩井克己は秋篠宮家と長年懇意だった。

これ全部、小室圭が現れる前の出来事ですよ。


こういう過去の問題を知っている者からすれば、小室圭一人の出現で何を騒いでいるのか?と思うわけです。小室圭より前に秋篠宮家について騒がなければならない問題はたくさんあったにも関わらず。
上記問題の時にもっと国民が大騒ぎしていれば…という残念な思いが私の中にあるのです。
でもあちこちのマスコミ関係者と親しくしている秋篠宮家が報道をコントロールしている現状から、正確な情報を知ることが難しいケースもあったでしょう。
「マスコミの報道を深く考えず鵜呑みにしていた」か、「報道に疑問を持って自分から情報を探しに行った」か、そこで判断が分かれたと言えるかもしれません。
あるいは、以前から秋篠宮家には反感を持っていたが、相手が皇族である以上声を上げにくかったという事実も否めないでしょう(そういう中でも果敢に声を上げてきた勇気ある先人の皆様のお陰で私達も真実を知ることができたのですが)。
更に言えば、「秋篠宮家自身が国民から興味も関心も持たれない、つまらない方々」であったという可能性もありますね。一言で言えば「魅力のない」方々ですから。元々興味を持てない方々なので、どう生きようとどう行動しようとどうでもいいですよ、という感じだったのかもしれませんね。

そういう経緯の中で出現した小室圭が次々に「秋篠宮家アンチ」を増やしていった経緯を目の当たりにすると、小室圭が我々の目の前に現れたことには大きな意味があったとしか言いようがないです。もちろん彼自身にも彼の母親にも問題は多くありますが、それを凌駕するような問題を多く抱えてきた皇族一家(と妃の実家)が既にいたのですから小室家など驚くに値しません。「眞子様と小室氏は本当にお似合いの、よく釣り合ったカップルですね」としか思えないのですよ。


■秋篠宮ご夫妻が破談にしない(できない)理由

さて、秋篠宮家ほどではないにしてももちろん小室親子にもたくさんの問題があります。私も小室圭が皇族になるのだったら二人の結婚には当然反対です。しかし、眞子様が女性宮家を諦めておとなしく民間に降りてくれるのであれば、勝手にどうぞ結婚してくださいという心境です。新帝御一家やほかのまともな皇族の皆様に一切ご迷惑をかけなければ。

しかし、おそらく秋篠宮家も小室親子も、大人しく民間に降りる形の結婚など望んではいないでしょう。何だかんだ理由をくっつけてはいますが「女性宮家狙い」で時間稼ぎをしていることは確実と断言できます(当ブログでも「女性宮家は平成の両陛下と秋篠宮家の悲願である」という過去記事を何度かご紹介させていただきました)。
秋篠宮ご夫妻が二人の婚約を破棄しないのは「政府による女性宮家創設決定」待ちだからというのが一番の理由だと私は考えますが、それ以外にも、おそらく秋篠宮家は小室親子に色々と弱みを握られているのだろう、仮に秋篠宮家の方から婚約破棄を申し出れば、その時は小室親子は秋篠宮家に不都合な真実を暴露する算段なのだろうと個人的に考えています。
自分たちの保身をまず第一に考えるであろう秋篠宮家ですから、小室圭を「野放し」にして色々と不都合なことを暴露されて窮地に陥るよりは、女性宮家創設を待って眞子様と結婚させ、皇室の中で小室圭をある意味「飼って」情報流出を止めたいという思惑があるのかもしれません。

あるいは、小室母の過去の行状(家族や関係者が次々に謎の死を遂げている?)に恐れをなして、眞子様の身を守るために降嫁はさせられない、皇室の中から出したくないという一種の親心(?)もあるかもしれません。
しかし今更そんなこと言っても、「じゃあどうして小室家の身辺調査をきちんとしなかったんだ!」という批判をこちらは繰り返すしかないわけです。ここは完全に秋篠宮家の自業自得としか言いようがありません。
今の所、現政権は女性宮家創設には難色を示していると思いますが、いつその方針が覆るか分からない不信感があります。なぜか与党も野党も秋篠宮家には大甘ですからね。極右も左翼も両方手なずけているのが秋篠宮家のようですから。


■眞子様や佳子様が両親に反発する気持ちも分かる…が、虫が良い面もある

次に、眞子様や佳子様の「言い分」にスポットを当ててみたいと思います。
眞子様と小室圭の結婚に反対する意見の中には、「将来の天皇になる悠仁様の義兄として小室圭は相応しくない」というものをよく見かけます。しかし、この主張は私は的外れだと考えます。
眞子様と佳子様の立場になって考えると、「え?何?結局は弟の悠仁の立場が守られることだけが重要なの?私たちは弟のために色々我慢しなければいけないの?弟のことを常に第一に考えて行動しろとそう言いたいの?」と反発したくなるかもしれません。

今の時代でも地域によっては男尊女卑思想が激しく、「兄や弟ばかりが優遇されて姉や妹の人生が大幅に制限されてきた」という事例が一般家庭でも少なくないようで驚いています。兄や弟の進学や就職などが優先され、姉や妹はあれこれ制約や我慢の多い人生を歩まざるを得ない…そんな現状をまさに象徴の一部を担う皇族ご一家が率先して行ってしまっているのです。秋篠宮家は正に「悪い部分の象徴」に成り下がってしまっているのです。

「将来の天皇になる悠仁様の義兄として~」という主張をしている人は、ナチュラルに眞子様や佳子様を女性として見下し、継承権のある男子の悠仁様だけが守られることが優先と考えているように思えてなりません。
確実に天皇になれるかどうかわからない悠仁様の未来よりも、今上陛下の置かれた環境にまず目を向けてもらいたいです、今上陛下は義理の家族どころか、実の弟や甥・姪があんな状態です。そして義妹の紀子妃は言わずもがな。既に今上陛下はご家族に苦悩されているのです。「将来の天皇になる悠仁様の義兄」を気にかけるなら、今上陛下の弟ご一家全員を追い出す方が先ですよね。私はこちらを優先してほしいです。

また、眞子様と佳子様のご両親は、皇族としてはあり得ないほどの自由恋愛で騒動を起こしながら結婚したという経緯があります。二人の娘からすれば「ウチの親だって好き勝手に結婚したくせに、どうして私達にはあれこれ偉そうに指図するの?」という思いがあると感じます。二人の娘に厳しく指導できるような立派な人生を、あのご両親は歩んでこなかった。この現実が今になって重く秋篠宮ご一家全体にのしかかっているように見えます。

そういう理由で私は眞子様と佳子様の心情には多少理解できる部分があります。しかし、だからと言って「一個人としての自由を完全に認めて好きな人と結婚させろ」というのも虫が良すぎるように思います。しかもそこに「民間に降りるのは嫌なので女性宮家を認めろ」という願望が入ってくれば「何を言ってるんだ図々しい」と思ってしまいます。
眞子様と佳子様が民間人になる覚悟を十分持った上で「好きな人と一緒になりたい」と望むなら、私は応援します。しかし、「好きな人と結婚させろ、女性宮家も認めて一生皇族でいさせろ」とまで要求しているのであれば話は別です。「甘ったれてんじゃないよ!」と一喝します。


もちろん、眞子様自身が小室家に徐々に不安を抱き、「圭くんと結婚するのはヤバイ」ということに気付いて自ら破談を申し入れることはOKだと思います。でも今の所は眞子様自身にそのような考えが全くないようですね。小室圭にそんなに惹かれる理由は何なのでしょうか。まあ蓼食う虫も好き好きと言いますし…。


■小室圭の目から秋篠宮家はどう映っているのか

小室親子は明らかに秋篠宮家や皇室の権威狙いだと思います。私はそこは否定しません。もし仮に眞子様が「私は家を出て圭くんと駆け落ちしたい、民間人として一緒に生きたい」と言おうものなら、おそらく小室圭は態度を豹変させて眞子様を捨てることになるかもしれません。眞子様も薄々それを予想しているので、自分が民間人になってまで小室圭との愛を貫く意思を持てないのでしょう。だからといって「好きな人も女性宮家も両方ほしい」というのは、あまりにも虫が良すぎやしませんか。

小室圭の母親の佳代さんは、紀子妃と同じ年であるという情報もあります。そうであるなら佳代さんは紀子妃と秋篠宮様の結婚の経緯を同年代としてリアルに見つめてきたはずです。そしてただの平民がどうやって皇族に近付き、どうやって口説き落としたかをよく知っていたと思います。佳代さんはおそらく自分の息子を「秋篠宮ご夫妻の逆バージョン」のように使い、皇族女性である眞子様と同じ大学に通わせ(ICUは9月入学もあるので小室圭は眞子様よりも半年遅れで入学したようです)、同じように甘い言葉と態度で近付かせ、何らかの弱みも握り、眞子様が息子から離れられないように仕向けた…と考えてしまうのです。

それにしても、小室親子が握っている「秋篠宮家の弱み」とは一体何なのか。これはもう推測の域を出ませんが、秋篠宮家が国民の血税で贅沢三昧の生活を送り、“平民”に対して尊大な態度を取り、川嶋家が準皇族のような顔をしてあちこちと利権関係を結んでいるような事実を間近で見てきたことでしょう。下世話な話に行くと、リベンジポルノのネタになるような写真なんかを撮られている可能性もありますね。
(※なお、川嶋辰彦氏の怪しい交友関係については新潮で最新記事が出ています。そちらも近日中にご紹介したいと思います)

そして、これも私の個人的な推測ですが、小室親子は悠仁様の本当の成長具合を知っているのではないかと思うのです。これも後ほどブログ記事にできたらよいと思いますが、悠仁様はかなり以前から「報道規制」を敷かれており、国民にその成長ぶりが詳しく伝わっていません。悠仁様の本当の成長具合を知っている小室圭を野放しにすれば、「秋篠宮家最大の秘密」が外部に漏れるかもしれない。そういう理由もあって秋篠宮ご夫妻は娘たちの婚約を破棄できないのではないかと考えます。
「悠仁様の成長ぶり」は、秋篠宮家のみならず、おそらく我が国最大級のトップシークレットではないでしょうか。本当のことが知られたら男系男子継承維持などできなくなる不都合があるため、誰も真実が言えない。悠仁様のクラスメートやその保護者たちも最大級の圧力を受けて口止めされているように見えます。
悠仁様の秘密が外部に漏れるくらいなら、小室圭を皇室の中に引き入れてその中で「飼う」ことにした方が自分たちの身が守られる…秋篠宮ご夫妻からはどうしてもそういう卑怯な考えが透けて見えます。ただ残念ながらこれは憶測の域を出ません。


■「二人の結婚に賛成」と言う国民はどこまで「賛成」しているのか?女性宮家は?

さて、眞子様と小室圭の結婚については度々世論調査(アンケート)が行われていますが、二人の結婚を認めるべきという考えの国民も多いようですね。
ただこの手のアンケートは「女性宮家が出来ても賛成できるのかどうか」という突っ込んだ質問を入れていないので、回答に困ってしまいます。
「女性宮家云々関係なく、とにかく小室圭が不愉快なので結婚など認められない」という考えの人は一刻も早い破談を望むでしょう。この意見は小室圭という危険な男を遠ざけることには成功するかもしれませんが、おそらく秋篠宮家は無傷では済まされないと思います。そして眞子様がその後新しく現れた別の男性と結婚すれば、今度は高確率で女性宮家当主として皇室に残留できることになります。それでもいいのでしょうか。
一方で「眞子様が民間に降りてくれて皇室との縁を完全に切ってくれるなら結婚すれば?」という考えの人もいます(私はこれに近いです)。私は小室圭云々よりも、「眞子様に皇室に留まってほしくない」という思いが強いです。小室圭と別れた後、別の男性の出現と女性宮家創設の双方をダラダラと待って皇室に居残られたら迷惑だからです。
では、「眞子様には女性宮家も小室圭との結婚も両方認めてあげればいい」という奇特な考えの人は果たしてどれくらいいるのでしょうか。私が知りたいのはそこです。でもアンケートはそこまで突っ込んだ内容まで聞けていないように感じます。
国民はそこまでお人好しではないし、国民の善意に甘えるな!と言いたいです。


■前天皇陛下の「裁可」の効力は?その「範囲」は?

そもそも眞子様と小室圭が婚約会見を開けたのは、前天皇陛下が裁可を下したためです。この裁可があったから二人は国民に向けて「結婚します」と宣言することができました。
しかし、この裁可の効力がどこまで及ぶのか、その範囲は何なのか、曖昧な点も多いです。
私はあくまでも「前陛下はまだ女性宮家が創設されていない時に婚約を許したので、眞子様と小室圭の結婚には女性宮家創設までは認められず原則通り“降嫁”一択しかありえないし、前陛下が下した裁可について今上陛下が別の判断を差し挟むこともできない(それは二重権威になる)」という見方をしています。
だからいくら秋篠宮家と小室家が女性宮家創設を待ってダラダラと時間延ばししても、前陛下の裁可は女性宮家創設までゴーサインを出したわけではないし許されないのではないかと考えています。たとえ政府が女性宮家創設を決めたとしても、眞子様は当初の予定通り民間人として生きるべきでしょう。
そもそも前陛下がご自分の裁可について何も対処しないまま退位した点を考えますと、前陛下は眞子様と小室圭の結婚には反対していないという見方もできます。
「綸言汗の如し」という、「皇帝が一旦発した言葉(綸言)は取り消したり訂正することができない」という中国の格言があります。前陛下の裁可も正にこれに該当するのではないでしょうか。いくら可愛い初孫の結婚とは言え、秋篠宮家を過信しすぎましたね。秋篠宮家だけを贔屓にし盲目的に甘やかしてきたツケがこういう形で出たとしか言いようがありません。


■令和の両陛下に責任を押し付けるようなことは絶対に起きてはならない

以上、小室問題にあまり興味のない私自身の個人的な見解を述べてきましたが、一番懸念しているのは「今上両陛下に小室問題の責任をかぶせる動きが起きること」です。

言うまでもなく小室問題は、秋篠宮家と前天皇陛下の無責任さが招いた結果起きたことであり、令和の現両陛下は全く関係ありません。しかし秋篠宮家と前陛下が何もしないままダラダラと無策に過ごしたためこの問題は令和に持ちこされてしまいました。
小室問題はどのような着地点になっても、全ての国民を納得させることは難しいと思います。そしてその不満を、今度は現両陛下にぶつける人々が出てくるのではないかという不安があります。「皇室の家長」としての責任を今上陛下に求める動きです。

しかし、冷静に考えてみてください。
前天皇陛下が「家長」として責任を取られたことって何かありましたか?
眞子様と小室圭の婚約会見の裁可も放置して平成を終わらせた方ですよ?
平成皇室も色々と問題が多かったですが、前陛下が家長として国民に謝罪し、責任もって問題を解決しようなどという動きは一切ありませんでした。
それどころか最後まで「平成は戦争が起きなくてよかった」「国民に支持されてここまでやってこれた」と自画自賛するようなおことばに終始していました。
もちろん、識者もマスコミも「家長としての責任」を求める意見を述べたことは一切ありませんでした。
だから現陛下だけにその責任を求めることはおかしいと断言します。
私が一番言いたいのはこれですね。


以上、小室問題にあまり興味が湧かない人間の個人的な見解ですので、多少の齟齬や認識のズレはご容赦願いたいと思います。

同じ「天皇の弟」なのに大違いの常陸宮殿下と秋篠宮様-ご即位一般参賀において考えさせられた場面

5月4日に天皇陛下ご即位の一般参賀が行われました。実は私も参賀に行って参りましたが、すごい熱気でした!大本営発表では14万人と報道されていましたが、本当はもっといたのではないかと思われます。

4日の一般参賀のニュースを帰宅後に色々見ていきましたが、その中で、少し考えさせられる画像を見つけました。
毎日新聞のサイトの画像です。

常陸宮様

上記画像は、両陛下の両隣に秋篠宮様と常陸宮殿下がいらっしゃる第一回目の参賀の場面です。

このお二人に共通なのは「天皇の弟」というお立場である(あった)ことです。

しかし、このお二人は同じ「天皇の弟」のはずなのに、態度も姿勢もマスコミの扱いも全然異なっていました。


常陸宮殿下は引退された前天皇(明仁)陛下の弟君ですが、昔から本当に控えめに生きてこられ兄上に相当遠慮をなさってきた人生だったと思います。「天皇の弟」というお立場をわきまえて決して前に出られない方でした。学習院大理学部と東大大学院に進まれ地道にがん研究を続けてこられた方ですが、明仁陛下に比べるとその業績がマスコミに報じられることは多くありませんでした。

一方で秋篠宮様は現天皇陛下の弟君であり、その点で前時代の常陸宮殿下とお立場は一緒のはずですが、兄上に遠慮したこともなければ謙虚さもゼロ、いつも「俺が俺が」という感じで前に出しゃばってきて兄上を悩ませてこられたであろう方です。しかしマスコミはなぜかこの宮様がお好きなようで、いつも肩を持ったり庇ったりする形でマスコミ露出を増やしていきました。大学からきちんと理系の道に進まれた常陸宮殿下と違い、政治学科からの「なんちゃって生物学者」なのにマスコミから「生き物と言えば秋篠宮様!」のように宣伝されてきました。

常陸宮殿下と秋篠宮様が「天皇の弟」なのにここまで印象が異なるのは、常陸宮殿下の謙虚なお人柄とマスコミにご活躍を報じられない弊害、そして秋篠宮様の皇族らしからぬ破天荒な態度と大袈裟な振舞い、マスコミと仲が良く自分を良く見せる手段としてマスコミを存分に活用してきたという違いが大きいでしょう。

そしてもう一つの大きな違いは、常陸宮殿下にはお子様がいなかったのに対し、秋篠宮様は3人のお子がいてそのうちの一人があの悠仁様という「男系男子カルトの希望の星」が存在することでしょう。この「希望の星」がいたことによって秋篠宮様は更に増長していくことになりました。

このように、同じ「天皇の弟」なのに大きく異なる人生を歩まれることになった常陸宮殿下と秋篠宮様ですが、そのお二人が奇しくも一般参賀で両陛下のお隣にお並びになりました。私はこの場面を目にした時、お二人の違いに思いを馳せてしまい複雑な気持ちになりました。
しかし、第一回目の参賀だけとは言え、常陸宮殿下が雅子皇后陛下のお隣にいらしてくれたことは心強く感じました。
常陸宮殿下は(現天皇陛下を除けば)男系男子の最後の良心のような方だと思うためです。

しかしマスコミはこの穏やかで勤勉な方をずっとスルーし、男系男子カルトもほぼ無視し続けてきました。
私はそれが許せないです。


最近は車椅子をお使いになられることが多くお身体が心配ですが、いつまでもお元気でいらしていただきたいと強く願いました。

なんちゃって公共放送のNHK、真実を葬ろうとしないで!~雅子様のお誕生日報道に思う

本日は雅子様のお誕生日です!心よりお祝いを申し上げます。雅子様の清らかで謙虚で本当の慈愛に満ちたメッセージと、年齢を重ねるごとに深みのある美しさが増す次代皇后陛下のお姿に泣けてきます…。

さて、宮内庁や各メディアが日付が変わってすぐに雅子様の近影とおことば全文を報道する中、NHKは下記のような報道をしていました。

雅子さま 55歳の誕生日「国民の幸せのため力尽くす」 2018年12月9日 0時05分

皇太子妃の雅子さまは9日、55歳の誕生日を迎えられました。

雅子さまは誕生日にあたって文書で感想を寄せられました。
雅子さまは冒頭で「平成5年に皇室に上がりましてから26回目となる今年の誕生日を、平成最後の誕生日として、深い感慨とともに、ある種の寂しさを感じながら迎えようとしています。25年余りの日々を振り返りつつ、両陛下が、大きな責任を担われながら、どれ程深く国民の幸せや国の安寧を願われ、お力を尽くしていらっしゃったかということを改めて思い、敬意と感謝の気持ちで一杯になります」と述べられました。
そのうえで「この先の日々に思いを馳せますと、私がどれ程のお役に立てますのか心許ない気持ちも致しますが、これまで両陛下のなさりようをお側で拝見させていただくことができました幸せを心の糧としながら、これからも両陛下のお導きを仰ぎつつ、少しでも皇太子殿下のお力になれますよう、そして国民の幸せのために力を尽くしていくことができますよう、研鑽を積みながら努めてまいりたいと思っています」と続けられました。
続いてことし1年を振り返り、人々が元気づけられた出来事としてピョンチャンオリンピック・パラリンピックでの日本人選手の活躍などを挙げる一方で「大変残念なことに、今年も多くの自然災害に見舞われた年でした」と述べ「東日本大震災を含め、各地の被災地域の復興に、殿下とご一緒に永く心を寄せていきたいと思います」と記されました。
また子どもの虐待や子どもの貧困、内戦や紛争に伴う難民の問題、地球温暖化や環境汚染を国際社会の課題として取り上げ、「社会的に弱い立場にある人々を含め、全ての人が安心して暮らすことのできる社会を実現していくことや、このかけがえのない地球を健全な形で将来の世代に引き継いでいくために、私たちが何をすべきなのか、それぞれが真剣に考えていくことが必要な時代になっているのではないかと感じます」とつづられました。
雅子さまは最後に、ことし6月、結婚から25年の「銀婚」を迎えたことに触れ、「本当にたくさんの方に助け、支えていただいてまいりましたことを改めて思い返し、感謝の気持ちを新たにしています」と記し、「引き続き体調の快復に努めながら、できる限りの公務に力を尽くすことができますよう、努力を続けてまいりたいと思っています」と述べられました。

雅子さま これまでの歩み

雅子さまは平成5年6月9日、皇太子さまと結婚されました。
アメリカのハーバード大学を卒業し、外交官として活躍されていた雅子さま。
皇太子さまとの恋は、当時、大きな注目を集めました。
皇居で行われた「結婚の儀」に続いて、お住まいのある赤坂御用地までオープンカーでパレードされ、沿道には20万人近くが詰めかけました。

1か月後の宮中晩さん会で、雅子さまは皇太子妃として国際舞台にデビューし、元外交官のキャリアを生かして外国の首脳と懇談されました。
翌年、雅子さまは皇太子さまとともに初めての外国公式訪問に臨み、中東4か国を回って国際親善に努められました。
平成7年に阪神・淡路大震災が発生した際には、外国訪問の日程を繰り上げて帰国し、初めて被災地を見舞われました。
雅子さまは記者会見の場などで「難しい境遇に置かれている人々や、さまざまな困難に直面している子どもたちに、常に心を寄せていきたい」と述べられてきました。
東京都内の児童養護施設や乳児院を視察したほか、女性の留学生を支援する団体の式典にお一人で出席しておことばを述べられたこともありました。

結婚から8年がたった平成13年12月、待望のお子さま、長女の愛子さまを出産されました。
しかしその2年後、雅子さまは体調を崩し療養生活に入られました。
慣れない環境と大きなプレッシャーの中で、公務と子育てによる心身の疲れをためられていたのです。
宮内庁は「適応障害」という診断結果を公表。
皇太子さまは記者会見で、雅子さまに寄り添い支え続ける決意を述べられました。
皇太子さまお一人での公務が日常化する中、平成17年に愛知県で開かれた「愛・地球博」では、雅子さまも会場を視察し、1年8か月ぶりに地方での公務に臨まれました。
一方で雅子さまは、母親として愛子さまの成長を支え続けられました。
愛子さまが通学に不安感を抱かれていた頃には、連日学校に付き添うなど対応に尽くされました。

雅子さまは体調に波があり、公務を重ねられるのが難しい状況が続きますが、平成23年に東日本大震災が発生すると、ご夫妻で大きな被害を受けた東北3県を相次いで訪れ、避難生活を続ける被災者を励まされました。
そして平成25年4月、雅子さまにとって11年ぶりの外国公式訪問となったオランダへの訪問が実現し、回復に向けた大きな一歩を踏み出されました。

ことし、結婚から25年の「銀婚」を迎えられた雅子さま。
体調を崩して以来初めて全国赤十字大会に出席し、秋の園遊会でも最後まで行事に臨まれました。
皇太子さまに温かく見守られながら、努力と工夫を重ねて体調を整え少しずつ活動の幅を広げられています。

医師団「依然として快復の途上」

宮内庁は、体調を崩されてから15年になる雅子さまについて、治療にあたっている医師団の見解を公表しました。
医師団は、雅子さまがことし4度の地方訪問を務めたことや、15年ぶりに全国赤十字大会に出席されたことなどを挙げ、「活動を一つ一つ着実に積み重ねていらっしゃることが妃殿下の自信となり、結果として活動の幅の広がりにつながってきていることは望ましいことと考えております」と説明しています。
その一方で「依然として快復の途上にいらっしゃって、体調には波がおありです」とし、「来年は重要な一連の行事もおありで忙しくなられますが、無理をされず、周囲の方々の理解と支援をお受けになりながら、これまで同様治療を続けていただくことが大切です」と記し、引き続き温かく見守ってほしいという考えを示しています。(ニュースここまで)


まず最初に疑問に感じたのが、ほかのメディアが宮内庁提供の雅子様(と皇太子殿下)の近影を使用しているのに対し、NHKだけがなぜか宮内庁提供の画像を使用していない点。そして秋篠宮家関連動画はすぐにアップするくせに、雅子様については動画すら用いていない点。

次に疑問に感じたのが、雅子様の歩みを振り返る中で、雅子様のご病気について国民に真実を伝えず、違った方向に解釈を誘導しようとしている点です。

雅子様がご病気になられた本当の理由は、当ブログでも

雅子様に対する人格否定を巡る一連の動き

というブログカテゴリーの中で検証を加えてきました。

NHKは、雅子様が適応障害になられた理由を

●慣れない環境
●大きなプレッシャー
●公務と子育てによる心身の疲れがたまった


と書いていますが、これはあまりにも雅子様が置かれていた環境を知らなさすぎだと思います。
雅子様がご病気になられた原因を矮小化しようという意図が見えてしまうのです。
かろうじて「大きなプレッシャー」というワードを出していますが、これでは曖昧・漠然とし過ぎて視聴者に詳細が伝わりませんね。


雅子様がご病気になられた本当の理由は

●男子を生めという圧力を雅子様にかけていた中心人物が両陛下だった(歴代長官らを焚きつけていた)。
●おそらく倫理違反的な男子製造を何度か打診されていたのではないか(これは憶測の域を出ませんが)。
●お世継ぎ優先という大義名分で海外には行かせなかったのに、国内公務は山のように詰め込まれた。
●ようやくお生まれになった敬宮愛子様を可愛がってもらえず、邪険にされた。その中心人物が両陛下だった。
●東宮ご一家が信頼を寄せていた高円宮殿下が不可解な状況で薨去された。
●両陛下から「皇居への参内の予定反故」という形で敬宮様をないがしろにされ雅子様が倒れた直後、長官を使って両陛下が「秋篠宮ご夫妻に第3子を」を国民に伝えた。
●秋篠宮ご夫妻もお兄様ご夫婦を支えるどころか公の場で批判を始めた。
●マスコミがこれら平成皇室の真実を誰も伝えようとせず、逆に被害者の雅子様たちを追い詰める報道しかしなかった。

という一連の出来事が積み重なったせいなのです。

それをNHKは、「環境に慣れないせいで~」「お世継ぎがなかなかできなくて~」「敬宮様の育児と公務の両立が大変で~」と、まるで雅子様が環境に順応できないせいでこうなられた、とミスリードしているように読めてしまうのです。
そのすぐ後にも「皇太子殿下のお一人公務が“日常化”して~」と、何となく悪意のある書き方をしていますね。天皇陛下や皇太子殿下がお一人で公務に行かれることはそんなにおかしなことですか?昭和時代は珍しくもありませんでしたが。

NHKしか見ない高齢者などは真実を知らないままかもしれませんね。
さすが、秋篠宮家と懇意の記者(橋口和人氏)を抱えているNHKだけあります。呆れますよ。

NHKはもはや公共性を失っていると言えるので、「見たい人からだけ受信料を取り、見たくない人にはNHKを見られない代わりに受信料は徴収しない」という方式に変えてもらえませんかね。

秋篠宮ご夫妻「第三子」懐妊直後に出された画期的な記事 3~橋本治氏「男子をお産みになろうと危機は続く」

今回は、前回ご紹介した橋本治氏の論文の「後編」をご紹介したいと思います。
明治以降の因習を礼賛し男系男子カルト勢力が異様に幅を利かせ、男尊女卑思想やセクハラを全く悪びれない者たちが跋扈する現在、いっそう多くの方に目を通してもらいたいと願います。

婦人公論2006年4月7日号

緊急連載 紀子さまご懐妊と皇室典範の行方<後編>

男子をお産みになろうと、危機は続く
橋本 治


前号で「皇位継承は男系」という伝統は「幻」だと証明した。では、女性・女系天皇を認めれば問題は解決するのか?本当に「伝統を守る」こととは何かを論じ、現在の皇室に内在する危機の本質を明らかにする

◆皇室を長続きさせた女帝の「自信」

前号では、飛鳥~奈良時代の皇室と女帝(女性天皇)のあり方を詳しく見て、「皇位継承は男系男子が原則」というのは近代の思いこみであり、古代ではもっと実際的だったということを述べました。最大の原則は「天皇がトップに立つ」ということで、天皇が女性か男性かは問題にならなかった。
すなわち、古代日本の男性は、有能な女帝や皇后と、一緒に政治を進めていくことができた。いまの日本のトップにある男性はそれができない。女相手にまともな話ができるわけがないと思っていて、使える女性なら部下にしてやってもいい、という程度の認識かもしれません。
古代には、男女差別はなかったんです。60代の斉明天皇が軍隊を率いて九州まで行ってしまう。50代半ばの持統上皇は、大宝律令が制定されてから亡くなるまでの間、全国を巡幸して律令制度が隅々まで浸透しているかどうかを確かめている。どちらも女性で、当時としては大変な高齢なんだけど、これだけの行動力を示せたわけなんです。『日本書紀』や『続日本紀』のどこにも、「やはり女性はだめだ」なんて文章は一行だってありません。そもそも年若い天皇の指導者として「上皇(太上天皇)」のあり方を規定したのは持統上皇です。

ではなぜ称徳天皇以降、すなわち平安時代以降、長く女帝が出なかったのか。平安末期、鳥羽上皇が娘の八条女院を女帝にしようとした例もあり、少なくとも皇室には「女性天皇はだめ」という考えはなかった。それは、当時栄華を極めた藤原氏の都合だったと考えたほうがいいですね。藤原氏のやり方は、身分は低いが財産のある受領(地方官)層の娘を嫁にもらい、生まれた娘を天皇に贈って外戚となり、権勢を振るうというものでした。藤原氏にとって、天皇は男でなければだめだったわけです。
天皇は、藤原氏の婿になるような形で天皇として奉られる。だから、天皇を退位して上皇になる。そのことで藤原氏の牛耳る朝廷から独立し、別の権力を作ろうとしたのが、11~12世紀の院政時代です。
この院政の時代に源氏や平家といった武家勢力が台頭します。上皇のいる院の御所と、天皇を頂点とする朝廷と、命令系統が二つあるから、どっちがえらいのかが不明瞭な、多重権力の構図ができる。平家が栄えたと思ったら滅び、東国では鎌倉幕府が成立し、朝廷では天皇がいて、別に上皇がいて、どれが正統の主権者なのかは、そのときの力関係次第、というぐちゃぐちゃな状態になっていく。
この構図は江戸時代にまで持ちこされます。武士の家系は男系男子の継承を基本とするので、徳川将軍家もそうなります。でも、大奥では「将軍のご生母様」がデンと構えていて、老中より権力を持っていたりしたわけです。
それが19世紀になって黒船が来航し、幕末の動乱を経て成立した明治政府は、「近代」という外圧のなか、「自分たちなりの近代日本の形を作らなければならない」と考えて、男性の「戸主」を中心とする家長制度を作ります。皇室も、現行の「皇室典範」で男系男子への継承しか認めなくなった。
それは、ある時代の一つのあり方だったんじゃないか、と私は思います。「男系男子に限り」という原則を立てるなら、そのためには、母親候補の複数の女性を存在させることが必要なんです。幸い、代々の皇后に男子のご出産はあって、「男系男子が生まれてこなかったらどうする?」という疑問は必要なかった。でも、現実にそれを考える必要は生まれてしまった。日本の皇室がこれだけ長く続いてきたのは、変な原則に拘泥せず、フレキシブルにやってきたからだということを、もう一度考え直すべきだと思います。

源平合戦の時代、追いつめられた平家は、幼い安徳天皇と三種の神器を持って西海に逃げます。在位の天皇が都からいなくなったその時、後白河法皇は「かまわん、ほっとけ」とばかり、さっさと孫の後鳥羽天皇を三種の神器なしで即位させてしまう。
さらに鎌倉時代になり、上皇が武力で幕府を倒そうという動きを見せると、幕府側は「主上御謀反」と言った。治天の君である上皇が、新興勢力の武家に「御謀反」をする。「謀反」に敬語がつくという、常識では考えられない発想を平然と口にする日本人の政治に対する思考の柔軟さは、天才的です。「御謀反」を起こした上皇様が敗れて流罪になっても、天皇制そのものは残るわけです。
「天皇以外に政治の補佐役は必要だ」というのは、持統天皇以来の伝統です。持統天皇が孫の文武天皇に譲位した後も同格の上皇として国政に関わって以来、天皇と、天皇経験者である上皇とのツートップで支配する形が当たり前とされた。別に持統天皇は、未来に続くルールとして決めたわけではありません。「私が孫を守る!」という思いと、「私は国政を担当する!」という自信が、後に続く二重構造を作った。結果として、そういう持統天皇の「自信」が、日本という国のなかで、皇室を延命させてきた。日本とは、まず目の前の現実があって、理屈は後からついてくる国だったのです。

◆敷居が高すぎる現在の皇室

現代の最大の問題は、皇室という特殊な環境に生まれた方々が、男女を問わず、配偶者が簡単に見つかる状況がないということです。結局、そこに行き着きます。
現在の皇室は妙に敷居が高すぎる気がします。1950年代、今の陛下の弟君である常陸宮殿下は、「火星ちゃん」という愛称を付けられ、そんなタイトルの漫画まであった。そのくらい親しみがあった。そんななか、『ローマの休日』(53年)が公開された。オードリー・ヘップバーン扮する王女が民間の世界に飛び出していく映画です。その数年後の美智子さまご成婚は、民間人(私たち)の代表が、王子さまお姫さまのいらっしゃる世界に入っていった。逆のパターンだけれど、『ローマの休日』のロマンチックな物語が身近に起こったので、いわゆる「ミッチー・ブーム」が起きたんですね。
美智子さまは「耶蘇の娘」などと非難されたり、苦労もなさったらしけど、昔の方だから、まず嫁ぎ先に慣れなければという覚悟を自然にお持ちになったと思います。実際、一度もお里帰りをされていない。一方、雅子さまは「働く女性」だった。しかも外務省北米二課という超エリート。「働く女性」が当たり前になって、もう一度、女性が自然に活動していた古代のあり方が見直されるのです。
8世紀の光明皇后は、民間出身であっても、聖武天皇の補佐役として十分な存在理由を示していた。いまの皇室に光明皇后みたいな方が入っても、「そんなことはなさらないで」と周囲から行動力を制限され、神経が参ってしまうかもしれない。それって、ノーマルな状態なんでしょうか?
「皇位継承は男系なのが伝統だ!」と、歴史の事実からかけ離れた観念だけが声高に叫ばれると、皇室そのものが現実から遊離しかねない。
皇室とは一つの「家」です。天皇は「天皇家」の長で、それが長く続いてきた「万世一系」というあり方の根本です。人間は結婚して「家」を作る。結婚だけならば、男と女という二人の問題なのだけれど、「家」とは本来は、子供を作り、後世に伝えていくというものだった。大阪・船場の繊維問屋は、山崎豊子の小説『女系家族』の舞台ですが、甘やかされて育った男子ではなく、優秀な番頭を入り婿に迎えて家を継いでいくわけです。すなわち、ここでいう「家」は法人に近い。
会社のような法人組織を維持する上で、ある程度、私的な感情を抑えるのは当たり前ですが、かつては「家」もまた、絶やしてはいけないものとされていた。しかし現在の「家」は、愛情などの私的な感情で結びついているものとされていて、その結果、むき出しの個人感情がぶつかりあう場になりがちで、そのなかで「家」という社会単位の意味が薄らぎ、同時に人間の社会性も薄らいでいる。

◆内親王をデートに誘えますか?

現在の皇室の問題は、このような社会的風潮のなかで「どうやって皇室という家を維持していくか」です。お妃や内親王の結婚相手を民間に求めるのなら、まず、社会全体の問題として、「家」とはなんなのか、そこから考えてみないことには、解決はつかないはずです。
日本の皇室だけではありません。英国の王室には「王族としか結婚できない」という内規があったんですが、第一次世界大戦が始まり、ヨーロッパの他の国の王室から配偶者を迎えられず、英国王室が絶えてしまうかもしれないというので、民間人との結婚を許可した。それを認めなかったオーストリアのハプスブルク家は消えてしまった。ダイアナ元皇太子妃がチャールズ皇太子と結婚した結末は、ご存じのとおりだけれども、「特殊な世界に嫁(婿)に行くということのプレッシャーに耐えるのは嫌だ」という風潮はもはや世界的で、「王室」というものが存続しにくい時代になっている。
一般国民だって、ナンパと合コンと出会い系サイトなしに、パートナーとなりうる異性に巡りあう機会は限られてしまうでしょう。まして皇室となると…。黒田清子さんも、お相手が兄である秋篠宮殿下の同級生という縁があったからこそ結婚が成り立った部分があるはずです。内親王に気楽に電話して、デートにお誘いできますか?無理でしょ。
たとえ、いまご懐妊の紀子さまが男子をお産みになっても、皇太子妃のなり手が見つからなければどうします?皇室典範を改正して愛子さまが皇太子になっても、すんなりお婿さんが決まるかどうかは分からない。皇室のあり方を考えないと、「お世継ぎ問題」はいつでも起こりうるんです。結婚は両性の合意に基づくというのが現在の常識です。そこで、皇室に「自由恋愛」はありうるのかという問題だって起こりかねないんです。
天皇というものは、公的な存在です。でも、人間である以上、私的な部分だってある。周囲の思いこみによって、皇族には私的な感情が許されないままでは、今後も同じ危機は繰り返されるばかりです。古代の女帝の行動や発言は、現在の皇族の方々よりもはるかに人間的でしょ。そういう実際性があって、皇室は連綿として続いてきた。近代以後の浅い「伝統」でがんじがらめにせず、もう少し人間的な環境にしたほうが、皇統の維持のためにもいいのではないでしょうか。
たとえば英国の王室は、日本の皇室と同じく公的な性格が強い。だからこそ、スキャンダルが続いている。一方、オランダや北欧の、王室の方でも気楽にデパートに行ける国では、かえて問題が起こっていない。カートを押してお買い物もし、公的行事になれば正装して宮殿で手を振るというふうに、パブリックとプライベートの使い分けができている。
公私が一体化した状況に押し込められた方の言動が、「人格を否定されて、かわいそう」なのか、それとも「皇室の一員であるという自覚に欠けて、わがまま」なのか、線引きすることすら難しい。そんな状況で、皇族はどうあるべきかなんて、論じるだけ無駄というものです。

◆もっと素直にフレキシブルに考えよう

見方を変えれば、なぜ、そこまでして皇室を残さなければならないの?という疑問も出てくるかもしれませんが、私は「そこにあるものは、必要だから、ある」と考えます。「そこにあるものは、あってはならないものだから、なくしてしまえ」となると、ロシア革命後のソ連じゃないけれど、大きな問題が起こる。「そこにあるもの」が存在意義をなくすには、長い時間がかかるものなんです。
繰り返しますが、今回の議論の多くは、明治時代にはじまった近代天皇制を、古代から連綿と続く揺るぎないルールであるかのように錯覚しているのです。
かつての天皇のほうが、もっと人間的な環境に置かれていた。女系か男系かという区別はなくフレキシブルな継承が行われていた。女性でも、しかるべき人なら天皇になれたし、天皇になってしまえば、文句なく「優れた天皇」になったのです。そういう時代があったことを認め、その上で今後のあり方も考えるべきです。しかし、どうも日本の政治家は、そのあたり素直になりにくい人たちが揃っているような気がします。

今回の皇位継承問題は、論理に縛られず、今ある皇室の現実、社会の現実を認め、とりあえずいちばんいい方法をフレキシブルに考え、女性・女系天皇を認めるなら認め、それでトラブルが起こったら、他の解決方法を考える、という当たり前の発想に戻って議論されるべきだと思います。
(記事終わり)


上記橋本氏の論文は一部認識の誤りはあるものの(美智子様が一度もお里帰りをされていないというのは誤りで、実際は美智子様は結婚後早々にお里帰りを許され、その後も雅子様よりも多く実家との交流を継続されていました)、おおむね内容には賛同します。
面白いのは「内親王をデートに誘えますか?」の箇所で、小室圭さんを連想せざるをえないことですね。彼は果敢にも(?)内親王である眞子様に声をかけ、デートを重ねてきたツワモノでした(笑)。これは小室さんの肝っ玉の太さもありますが、眞子様が内親王の割には庶民的で敷居の高さを感じない方であったという要因も大きいと思います。ただ、橋本氏は現在の眞子様・小室さん問題までは予想していなかったでしょうし、橋本氏が指摘している「皇室における家と個人の問題」についても考えさせられる状況が生まれています。眞子様個人の思いを優先させるなら結婚を認めてあげるのが筋だと思うし、「家」というものを重視して個人の感情だけではどうにもできないと考える人は、眞子様の希望など後回しにするでしょう。

「皇位継承や皇室のあり方をもっとフレキシブルに考えるべき」という点は重要だと思います。実際、美智子様は皇后という立場にありながら、今上陛下よりも話題になったり目立ったりすることが多い方です。ご本人もそれをよく分かっておいでの上で行動されているように見えてしまいます。一時、美智子様は「女帝」とか「女社長」と揶揄されたこともありましたが、それだけ美智子様の積極的な行動が放置されてきたのだと思うのです。
美智子様のご活動はここまで黙認されていながら、なぜ雅子様や敬宮愛子様にはそれが許されないのでしょうか。橋本氏の指摘するように、皇后や皇太子妃をはじめ、女性皇族の活躍をもっとフレキシブルに認めるべきであるなら、それを全ての女性皇族に開放するべきなのです。現在は美智子様のご活躍だけが異様に絶賛される一方で、雅子様は結婚当初から籠の鳥にされて海外で活躍させず、敬宮様は女帝に即位することが許されていません。マスコミが取り上げるのは秋篠宮家の女性皇族の活躍ばかりで、ほかの宮家の活動は大々的に報道しません。こういう偏りが、平成皇室に対する偏見を招いていると思います。
橋本氏が「今の皇室は本当に国民に開かれているのか?敷居が高すぎないか?」と指摘しているのも、一部の女性皇族だけの活躍のみ許容され、皇室報道に偏りが生じていることも大きな原因でしょう。

「フレキシブルな皇室」という面で、例えばこのまま男系男子カルトの主張だけが通ってしまい、秋篠宮様の立皇嗣により無理やり秋篠宮系統に皇統が移ってしまい、秋篠宮様と悠仁様が「男系男子」ということだけを笠に着て好き勝手なお振舞いをしたら…そして国内外で皇室や日本国に対する敬意も何も失われてしまったら…その時、日本国民や海外の熱烈な希望によりふがいない秋篠宮様と悠仁様を排除し、正統な直系のお血筋である敬宮様を「元の正しい場所」にお戻しし、玉座に座っていただく…ということもあって良いと思うのです。
既に民間人として生きている旧皇族とやらの人々を皇族復帰させるなんていう考えをしている連中もいるわけですから、いったんは皇統から外れたように見える敬宮様を「本来の正しい場所=玉座」にお戻しすることが、当然あってもいいはずでしょう?

明治以降の因習にとらわれ、柔軟な考え方ができなくなっている勢力が跋扈している今の日本こそ、12年前の笠原英彦氏や橋本氏の論文に価値が出てくると言えるでしょう。

秋篠宮ご夫妻「第三子」懐妊直後に出された画期的な記事 2~橋本治氏「男系継承の伝統は幻である」

今回は、以前ご紹介した拙ブログ記事
秋篠宮ご夫妻「第三子」懐妊直後に出された画期的な記事 1~笠原英彦教授「典範改正議論はやはり必要」
の姉妹編として、橋本治氏が書いた女帝賛成論文をご紹介したいと思います。
時期的に、紀子妃の第三子妊娠が発覚した時に出されたものとなっています。

婦人公論2006年3月22日号

緊急連載 紀子さまご懐妊と皇室典範の行方<前編>

「男系継承の伝統」は幻である
橋本 治


「有識者会議」の「女性・女系天皇」を認めようとの提案に、「皇位継承は男系が原則」と保守派は反対する。だが、本当にそうなのか?
緊急連載第一回は、古代の女帝のあり方を論じ、皇室典範論の虚偽を粉砕する

◆「皇位は伝統的に男系承継」という原則は本当か

昨年11月、「皇室典範に関する有識者会議」が、「女性・女系天皇」を容認する報告書を発表し、それ以来、侃々諤々の議論が続いています。
そもそも、この「有識者会議」が結成されたのは、皇室が断絶の危機にあるからです。皇位継承権を持つ宮様方の家には女子しか生まれていない。明治22(1889)年に制定された「皇室典範」では、天皇に即位できるのは「男系男子(父が皇族の男子)」に限るとされていて、(懐妊中の紀子さまが男子をお産みになれば別ですが)皇位継承者がいなくなってしまう。だから「女性・女系天皇」を認め、皇太子殿下の長女・愛子内親王に皇位を継承させ、そのお子様が後を継げるようにしよう、というわけです。

これに対して保守派から、古来、皇室は「男系」で継承されてきた。過去には女性天皇が存在したが、男系継承を守るための、やむをえない“中継ぎ”だった。男系継承の伝統を維持するため、別の策を考えるべきだ、と反対の声が出た。
問題は、「女性・女系天皇」容認派は「伝統に拘ってる場合じゃない」と言ってるだけで、「皇室は男系継承が伝統的なあり方」という点で反対派と一致していることです。
日本史上、女性天皇(女帝)は、古代に8代6人(うち2人は2度、即位)、江戸時代に2代2人いますが、ここでは古代に話を絞ります。史上最初の女帝・推古天皇から称徳天皇までを歴史事典に載っている系図で見ると、確かに女帝の次は途切れている。古代は、政治的経験を積んでそれなりの年齢に達していなければ天皇になれないという不文律があり、血筋的には天皇になるべき皇子がまだ幼い場合にのみ、女帝がリリーフとして起用され、その皇子が成人になるのを待って譲位した、と説明されていますが、果たしてそうか。
図1の系図には「后(皇后)」が書かれていないでしょう。この時代は一夫多妻制ですが、「后」は皇族女性に限られ、それ以外は「妃(みめ)」として区別されていた。この「后」が重要なポイントなんです。

20180326_222509.jpg
(図1)

◆「皇后」は天皇を代行する能力を求められていた

図2-1、図2-2の、「后」や「妃」を含めた系図は私が作ったものです。この系図と見比べながらお付き合いください。まず、右上のほうにある継体天皇(450?~531)のあたりにご注目。

20180326_222516.jpg
(図2-1)

20180326_222532.jpg
(図2-2)

継体天皇が即位する前に、皇統はいったん断絶しています。前代の武烈天皇は子供を作らないまま崩御し、皇位を継ぐべき男子がいなくなった。そこで実力者の大伴金村が、越前(福井県)にいた遠縁の皇族を連れてきた。現在、「女系天皇」反対派が、戦後、皇室から離れた旧宮家を復活させ、そのなかから男子を後継者に選ぶという方法も検討せよ、と主張していますが、ちょっと似てますね。
ところが当時の大和朝廷の豪族たちは、一斉に反対した。結局、武烈天皇の父・仁賢天皇の娘である手白香皇女を皇后として迎え、そこで生まれた皇子を皇位継承者とするという妥協案が出て、やっと認められ、継体天皇になるわけです。
継体天皇の崩御後、後継者争いが起こります。継体天皇が地方豪族の娘に生ませた長男の安閑天皇と、手白香皇女に生ませた欽明天皇(509~571)が同時に即位し、対立する事態になった。面白いのは安閑天皇が、仁賢天皇のもう一人の皇女で、手白香皇女の異母妹の春日山田皇女と結婚していることです。安閑天皇は即位して2年目に崩御、弟の宣化天皇が後を継ぎますが、やはり仁賢天皇の皇女・橘仲皇女を皇后に迎えた。
宣化天皇も4年目に崩御、欽明天皇は30余年という長い安定した治世をまっとうします。武烈天皇の死に始まった皇統の危機が、手白香皇女という「后」を経由し、仁賢―手白香―欽明という女系で皇室継承が保たれたわけで、継体・安閑・宣化は入り婿、“中継ぎ”なんです。
現代に当てはめますと、(紀子さまが男子をお産みにならなかった場合ですが)旧宮家を復活させてしかるべき男子を選んだとして、国民感情として納得できるだろうか。でも、愛子内親王と結婚させ、生まれた子を皇太子とすれば、現在の陛下へ受け継がれてきた血筋は守れるから、受け入れられやすいのではないか、という話です(愛子内親王のご承諾という高そうなハードルがありますが)。

ところで欽明天皇は即位した際、「私は未熟なので、亡き安閑天皇の皇后だった春日山田皇后(皇太后)に政権を担当してもらいたい」と申し出てます。欽明天皇は31歳(数え、以下同)でしたが、春日山田皇后のほうが「百揆に閑いたまえり」、政治的経験を積んでいて統治者としてふさわしいと述べたのです。
現代の日本人は「国家を統治するのは男性であり、女性がその地位につくのは特別な理由があるからだ」と思いこんでいて、「女帝中継ぎ論」が出てくるわけですが、古代人は「女性ではいけない」という考え方はしていなかったんですよ。(おそらく妊娠出産等の生理的な理由から)天皇は男性のほうがいい、という実務的な考えはあったでしょうが、皇后もまた、天皇を代行しうる能力が求められたのです。
実際、史上初めて女帝となった推古天皇は、欽明天皇の後を継いだ敏達天皇の皇后でした。敏達の後を継ぐべき押坂彦人大兄皇子は早世したらしく、その後、朝廷内で精力を伸ばした蘇我氏の血を引く用明天皇、崇峻天皇と、異母弟たちが即位しますが、用明天皇は即位2年目で亡くなり、崇峻天皇は暗殺される。天皇にふさわしい年齢の皇子がいなくなった。
そこで推古天皇(554~628)が群臣に推されて即位する。遠縁の「男系男子」より、「正統なる先帝の后」のほうが適任とされたわけです。実際、推古天皇は36年の安定した治世をまっとうします。
推古天皇崩御後、押坂彦人大兄皇子の子の舒明天皇が即位し、皇位は手白香皇女の血を引く、欽明―敏達―(押坂彦人)と続く正統の皇族に戻りますが、13年の治世を経て崩御すると、その皇后が、二人目の女帝・皇極天皇として即位します。

◆二人目の女帝・皇極天皇は「女」をバネに突っ走った

この皇極天皇の御代に、有名な大化改新(645年)が起こりました。皇極天皇の両親は茅渟王と吉備姫王、皇子や皇女と呼ばれる方々よりランクの落ちる皇族です。蘇我氏は、格下王族出身の「先代の未亡人」を立てておいて、専横を極めた。これに対し、先代の子である中大兄皇子が叛乱を起こし、自ら皇極天皇の御前で蘇我入鹿を斬殺する。わが子が手を血で汚すのを眼のあたりにした皇極天皇は、弟に位を譲ってしまう。
皇極天皇は推古天皇と同様、「しっかり者の未亡人」的存在でした。ところが、いざ弟に譲位してから豹変します。
それまでの天皇は、神社のように質素な板葺の宮に住んでいた。しかし、姉から譲位された孝徳天皇は、格式を破って、都を飛鳥から難波(大阪)に移し、大阪湾を見霽かす、豪華な宮殿を建てた。孝徳天皇は外国かぶれで、壮麗な宮殿を建てて贅を尽くす中国皇帝を真似したんでしょう。先の皇極天皇は、長男の中大兄皇子、次男の大海人皇子、さらには孝徳天皇の皇后になっていた娘の間人皇女まで引き連れて飛鳥に帰ることになる。「自分は知らなかったけど、天皇にはこれだけの力があったのか」と気づいたんでしょう。
孝徳天皇がその直後に亡くなると、彼女は重祚(2度目の即位)して斉明天皇となり、弟に張り合って大土木工事を始めます。近年、飛鳥でその跡が発掘されて、彼女の宮殿周辺は、水路が張り巡らされ、石造りのモニュメントが並ぶ壮麗な都だったことが実証されました。
さらに、朝鮮半島で日本と同盟関係にあった百済が、唐と新羅の連合軍に攻められ、救済要請が来ると、60代半ばの女帝は「私が行きます!」と軍船に乗り、九州の前線基地まで行ってしまう。
斉明天皇は傀儡で、実質的に仕切っていたのは後に天智天皇となる中大兄皇子だったと言われていますが、50歳をすぎて天皇であることの凄さを実感した女帝が、前向きに突っ走ったと考えるほうが自然です。斉明女帝のあり方は、現代の中高年女性のあり方とそっくりです。
斉明天皇が九州でほどなく崩御し、朝鮮半島に攻め入った日本軍が白村江で大敗北を喫すると、中大兄皇子は内政に転じ、都を奥地である近江(滋賀県)に遷す。むしろ、母親と比較して、後ろ向きで慎重な息子なんです。

◆持統・元明・元正 女帝たちの「女のエゴ」

斉明天皇の後を継いだ天智天皇が亡くなると、その子の大友皇子と、弟の大海人皇子との間に後継者争いが起こり、いわゆる壬申の乱が勃発します。大海人皇子が勝利し、即位して天武天皇となる。
興味深いのは、天武天皇の御代に「宮廷に出仕したい者は、男女を問わず申し出よ。女性の場合、夫の有無や年齢を問わず、採用基準は男性と同じにする」という、男女共同社会参画法案みたいな命令が出されていることです。天武の皇后である鸕野讃良皇女は、『日本書紀』に「天皇を佐けまつりて天下を定めたまう」とあり、実際、おおいに手腕を発揮していますが、彼女のための女官を募集したのでしょう。
その鸕野讃良皇女にはひとつだけ煩悩があった。我が子である草壁皇子を天皇にしたかったんです。天武天皇は多くの妃を持ち、子供もたくさん産ませています。いわば彼女は、姉や他の妃たちとの寵愛争いのまっただ中にいた。『大奥』みたいな話ですが、天武天皇崩御の直後、彼女は後継者争いのライバルになりそうな姉の腹の大津皇子を、謀反の疑いをかけて処刑した。ところが、そこまでして皇位につけたかった草壁皇子がほどなく急死してしまう。
そこで鸕野讃良皇女は自ら即位して持統天皇になり、飛鳥浄御原令施行、戸籍制定(庚寅年籍)、藤原京造営と八面六臂の大活躍をした後、草壁皇子の忘れ形見である15歳の珂瑠皇子に譲位、その後も「太上天皇(上皇)」として、即位した文武天皇を補佐し、702年、大宝律令を公布し、律令国家の体制を整えた。史上初の「院政」を行ったわけです。その年、持統天皇は亡くなります。
ところが、その5年後、文武天皇が25歳の若さで崩御します。その子の首皇子はまだ7歳。そこで即位したのは元明天皇、文武天皇の母で、亡き草壁皇子の妃だった人です。8年後、彼女は55歳で譲位しますが、15歳になった首皇子は人見知りが激しく、まだ表舞台には出せないからと、元明天皇の娘である36歳の元正天皇が即位します。9年の治世を経て、やっと首皇子が即位し、奈良の大仏で有名な聖武天皇となった。
形だけみると、持統、元明、元正の三女帝は、珂瑠皇子や首皇子が成人するまでの“中継ぎ”に見えなくもない。しかし、他に男系の皇子として天武天皇の長男の高市皇子や、その子の長屋王などがいた。2人とも朝廷を代表する実力者で、男系継承が本来のルールだったならば、彼らが天皇になってもおかしくない。何故、持統、元明、元正と3人の女帝が立ったのか。ヒントは元明天皇が即位したときの詔にあります。
「持統天皇は文武天皇に皇位を譲り、二人並んで天下を治めてこられた。これは天智天皇が定められた永遠に変わることのない不改常典に基づくものである」
この不改常典とは何か。具体的には、「皇位は親から子へと受け継がれるのが、わが国古来の法である」というものです。しかし、そんな法が本当に存在していたのなら、天智天皇の崩御後、その長男を死に追いやって即位した、弟の天武天皇はなんだったてことになる。これが「天武天皇の定めた」なら分かりますが、なぜ、「天智が定めた」とされたのか?
図2-2の系図を見てください。持統天皇も元明天皇も、実は天智天皇の娘ということで共通しているんです。そして、元明天皇の子である文武天皇や元正天皇は、“女系”で天智天皇と繋がっている。つまり元明天皇は、「天智の娘である私は、天智が定められた法に則って、私の娘に譲位する」と宣言した。すなわち「天智の血を引く私たち以外に皇位は渡さない!」というわけです。そこにあるのは「男系」か「女系」かといった原理原則ではないんですよ。

◆光明皇后と孝謙女帝 現代的すぎる母娘関係

聖武天皇の後継とされたのは、光明皇后との間に生まれた皇女、阿倍内親王、日本史上唯一の女性皇太子です。
光明皇后は、この頃台頭してきた藤原氏の出身、初の民間出身皇后で、「悲田院」「施薬院」
といった福祉施設を建設するなど、実力ある女性です。聖武天皇には他にも子供がいたけれど、藤原氏は皇位継承者にも、同族の血を引く阿倍内親王を押し込んだわけです。
ただ、これまでの女帝の多くは「先帝の后」でした。例外は元正天皇で、病弱で婚期を逃したらしく生涯独身なんです。即ち「既婚者の女帝」はいても「女帝が結婚する」という前例はなかった。そういうわけで、阿倍内親王は一生独身で通すことを暗黙の前提にして皇太子になる。
彼女には、当時第一級のインテリである吉備真備が家庭教師につけられ、優秀な母親の期待を一身に背負ってエリート教育を受けています。32歳で即位して孝謙天皇になり、9年後に淳仁天皇に譲位しますが、理由として「お母様に孝養を尽くす時間がないから」と述べるほど母親孝行な娘でした。
ところが譲位して4年後、母親が亡くなって2年後、突飛な行動に出ます。「淳仁天皇は私をちっとも敬わない。今後、小さな案件は天皇に任せるが、国家の大事は上皇である私がやる!」と宣言。さらに天皇の腹心・藤原仲麻呂を謀反人として追討、淳仁天皇を廃し、重祚して称徳天皇となり、病に倒れたとき加持祈祷をしてくれた縁で恋に落ちた道鏡という僧侶を取り立てる。
孝謙天皇が即位した後も、母の光明皇后は、皇后を補佐する紫微中台の長官となった藤原仲麻呂とともに、持統天皇が孫を後見したように国政に関与していた(父の聖武天皇は怨霊をおそれて遷都を繰り返すなど、精神不安定で、譲位後は存在感を示していません)。野心家の仲麻呂は、皇后のご威光を楯に権力を拡大しますが、孝謙天皇は「お母様は仲麻呂とともに、私を支えてくださってる」とありがたがっていた。
だが、譲位してみると、誰も彼女に敬意を払わない。淳仁天皇は、仲麻呂の死んだ息子の妻をめとり、仲麻呂の邸に住んでいました。いわば仲麻呂は、もはや皇位にはない孝謙を無視し、“子飼い”の淳仁天皇と好き勝手をしている。彼女の気持ちを忖度するとこうです。「私はお母様に言われたとおり学問に励み、皇太子になり、独身を貫いてきた。挙げ句、世継ぎがないという理由で譲位させられ、蔑ろにされる。私はお母様と仲麻呂に利用されただけ?」
かくしてエリート女性の逆襲が始まります。重祚して2年目の秋(765年)、道鏡を太政大臣禅師に任命し、年号を天平神護から神護景雲と改元します。光明皇后が立后した年に年号が天平となって以来、天平勝宝、天平宝字と一貫して元号には「天平」がついていました。その「天平」を外すことで、母親の呪縛を断ち切ったのです。48歳にして。
なんだか現代的すぎる母娘関係ですよね。彼女と道鏡の関係は、古代史上のスキャンダルですが、更年期間近になった女性が、「私だって子供を産んで、後継ぎを作る可能性がある」と考えての行動だと思います。結局、子供に恵まれることなく53歳で死去し、その後長く、女帝は絶えることになります。

◆古代のほうが現代より男女平等だった

お気づきかと思いますが、この時代には、女性をワンランク落ちるものだという思いこみが、まったくなかったんです。有能な女性は有能な者として遇され、国政を仕切った。男性であっても無能なら崇峻天皇のように平気で暗殺された。
では何故、女帝が絶えたのかは次回述べますが、少なくとも、たかだかできて100年の「皇位継承は男系男子に限る」というルールを皇室の伝統と思いこみ、歴史上の女帝を“中継ぎ”という例外として片付けてしまうのは、近代の幻想に縛られた発想なんです。
(つづく)


軽やかな口調で書かれた文章ですが、男系男子固執派には耳の痛い話が次々と繰り広げられ、古代の女帝たちの強さやたくましさと相まって爽快な気分にさせてくれる内容となっています。古代天皇の歴史がコンパクトにまとまっており、一読するだけで大まかな内容を掴むことが可能となっています。
古代は「男子だから~女子だから~」といった偏見も差別もなく、実力、能力、行動力があれば女性の活躍を認めてきた歴史があり、男子でも能力がなければ淘汰される時代でもあったわけです。そして橋本氏も指摘している通り、「男系男子継承の歴史」などたかが100年ちょい程度のものでしかないのです。

新天皇陛下の即位儀式の一部である「剣璽等承継の儀」に女性皇族が一切参加できないというニュースは「あまりにも時代錯誤」「新天皇陛下の一人娘である敬宮愛子様も参加できないのはあまりにもおかしい」という意見が噴出しました。
また、相撲の土俵の女人禁制問題にしても「伝統」だと言われていたものが実は明治以降の悪しき因習でしかなかったことが明らかとなりましたし、この国で頑なに「伝統」と言われていたはずの制度が、実は単に歴史の浅い男尊女卑制度にすぎないという実態が徐々に明るみになりつつあります。
それのみならず、音声記録まで残されている財務事務次官のセクハラ発言問題も起き、この国の女性蔑視の病理は予想以上に深刻な段階にあるということを改めて思い知りました。あまりにも醜悪で言葉がありません。

明治以降の男尊女卑主義をベースにした思想にとらわれている安倍政権の下で「秋篠宮立皇嗣」が一方的に短期間で決められてしまいましたが、そのような中で次々と上記のようなニュースが明るみに出てきたことに、何か大きな意義を感じてしまうのです。
代替わりを目前に控えた平成末期、「秋篠宮を立皇嗣させてはいけない、敬宮愛子様の即位を念頭に入れた典範改正議論をきちんとしなさい」ということを我々に促しているような、そんな大きな時代のうねりを感じるのです。

次回は、橋本氏の論文の後編をご紹介したいと思います。

秋篠宮ご夫妻「第三子」懐妊直後に出された画期的な記事 1~笠原英彦教授「典範改正議論はやはり必要」

今回は少し予定を変更して、秋篠宮ご夫妻の第三子懐妊後に、笠原英彦教授が書かれた画期的な記事をご紹介したいと思います。

前回の拙ブログで「第三子が男子でも手放しではとても喜べないよ」という複数の意見をご紹介させていただきましたが、それに引き続く形で「第三子=男子の可能性があってもやはり典範改正議論はしなければならない」という笠原教授の主張をご覧いただきたいと思います。今でも通用する、重要な提言がなされています。

中央公論2006年4月号

皇室典範改正はやはり必要だ
紀子さまご懐妊で、対局を見失うな


仮に男子がお生まれになっても、根本の問題は解決しない。皇位継承者を「男系男子」の身とする限り、ここ20年以内に本当の危機が訪れると、私は危惧する

笠原英彦(慶應義塾大学法学部教授)

◆勢いづく「男系男子」論

秋篠宮妃紀子さまの「ご懐妊の兆候」が発表されて以来、皇室典範改正論議の風向きが大きく変わってしまった。「皇室典範に関する有識者会議」(首相の私的諮問機関、以下「有識者会議」)の答申を受けて、通常国会への改正法案提出に意欲を見せていた小泉首相だったが、ご懐妊の報を受け、断念を表明。他方、現行の「男系男子」による皇位継承を支持する改正反対派は、息を吹き返した恰好だ。
しかし、である。紀子さまに男のお子様が誕生し、男子による皇位継承が可能になったとして、それで問題はすべて解決されるのだろうか?仮に女のお子様だったら、そのことを確認してから再び改正に向けた準備を開始するのだろうか・
私は、皇室典範の改正を、そうした短期的、付け焼き刃的な位置づけで論じるべきではないと考える。

今、天皇家は皇統の危機に瀕している。この深刻さを改めて認識すべきである。現皇室は、秋篠宮以降、実に40年にわたり男子に恵まれていない。そして今後も、継続的に皇位継承可能な男子が誕生するという保証はどこにもない。いたずらに時間を空費すれば、早晩、「有資格者」が空席になる可能性がある。
もし、秋にご誕生する紀子さまのお子様が男子であったとしても、残念ながらこの構造的な危機を脱したことにはならない。将来にわたって“綱渡り”の続く状況が、根本的に変わるものではないからである。皇位継承者を「男系男子」のみとする限り、ここ20年以内に本当の危機が訪れると、私は危惧する。
秋篠宮紀子妃にめでたく男子が誕生したとしても、他の宮家を見回せばわかるとおり、実在するのは内親王、女王ら女性皇族ばかりである。時間の経過とともに皇籍離脱制度により、彼女らが民間に嫁いでゆくといずれ宮家は消滅することになる。たとえ直系皇族が残ったとしても、宮家が縮小してゆくと、皇位継承資格者のプールという点で大きな不安材料が残る。

神武天皇から今上天皇まで一二五代の皇統がすべて「男系」で承継されてきたという伝統は、確かに重い。だが、現代社会において、その伝統を守ることは極めて困難であることに、思いを馳せるべきである。例えば、かつてのような側室制度は存在しない。天皇家といえども、少子化という時代環境の埒外に置かれるはずもない。加えて皇室であるがゆえの、ご結婚に際しての困難も、現実問題として存在する。
危機を打開する道はただひとつ。現実に合わない皇室典範を改め、「女性天皇、女系天皇」を認めることである。その意味で、先般の有識者会議の答申は、現実を踏まえた、理にかなったものだったと思う。小泉内閣のもと、その答申に基づく改正案をぜひとも通常国会で議論、可決してもらいたかった。改革のチャンスを逸したことは、残念でならない。

◆とにかく時間がない

有識者会議については、紀子さまご懐妊発表以前から、「十人、十カ月での結論は拙速だ」といった批判が聞かれた。しかし、やがて今日の状況を生むであろう構造的な欠陥が推測できたはずの皇室典範を、半世紀以上も放置してきた政治の責任はどうなるのだろうか。拙速と言われようが、速やかに結論を出さざるをえないところまで、事態は深刻化してしまったのである。
皇室典範改正に批判的な論者からは、「有識者会議のメンバーに、天皇制の専門家がいない」といい批判も出た。だが、その道の専門家ではなく、「国民代表」の有識者に判断を委ねたのは、むしろ評価すべきことだと私は思う。「国民の総意に基づく」(憲法第一条)存在である天皇家の将来を論議するのだから、より国民感情に近いメンタリティを持った人たちによってなされるのが望ましいと考えるからである。

改めて、答申の中身を振り返ってみよう。基本的な視点として示されたのは、①国民の理解と支持が得られる制度であること、②伝統を踏まえたものであること、③制度として安定していること―の三点。③に基づいて、皇位継承順位は男女に限らず「天皇直系の長子(第一子)」を優先、「女性天皇、女系天皇」を認めるとした。
私は継承順位については、「直系の兄弟姉妹間の男子」という選択肢もあると感じる。実際の宮中祭祀などを執り行ううえで、女性には肉体的精神的負担が大きくなる局面も予想されるからである。だがそれは、女性の天皇を否定する理由にはなりえない。「女性、女系」に道を開いた結論は、高く評価していいだろう。
「女性宮家の創設」に触れているのも大変重要だ。現行皇室典範には、「年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意志に基づき、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」(第11条)という規定がある。これを改めて、「新宮家」を認めない限り、結婚適齢期の女性が次々に皇籍を離脱する事態を生みかねない。「男系天皇」云々以前に、天皇家そのものが規模を縮小させていくことになってしまうからである。
こうした方向での皇室典範の改正は、もはや「妥当」の域を超え「必然」である。皇統の存続を危うくしてまで「男系男子」にこだわる理由が、私には理解できない。

もっとも、今回皇室典範の改正に反対している議員などの中には、旧宮家の皇籍復帰を主張する人々もいる。旧宮家11家は、終戦直後の1947年、GHQの指令のもと皇籍を離れた。彼らの子孫から男子を養子に取り、皇位を継承させようという考え方だ。
しかし、これはあまりにも非現実的である。そもそも旧宮家は、伏見宮の系統に属し、現皇室の系統と分かれてから600年の歳月が流れている。皇籍離脱からでさえ、すでに60年近くが経過した。現皇室を“天皇家ファミリー”と認識する国民が、わざわざ「外部」から養子をいただいてまで「男子天皇」の伝統を墨守しようとすることを、是とはしまい。「国民の総意」の形成とは困難だというのが、私の意見でもある。もしそれでも強行すれば、“国民の皇室離れ”という別の危機を招来することが、想像に難くない。余談かもしれないが、強硬な皇室典範改正反対論を掲げる人たちの言葉の端々に、現憲法下の象徴天皇とは違う、戦前回帰のアナクロニズムのにおいを感じるのは、私だけではないだろう。多くの国民にとって受け入れ難いであろう、そうした考え方が、永田町では一定の影響力を持っている。
改正を掲げた小泉首相に対し、閣僚などからも批判の声が相次いだ。超党派の「日本会議国会議員懇談会」が取り組んだ反対署名には、国会議員の3分の1を超える人々が同意している。「時期尚早」という慎重派が多く含まれているとは推測されるものの、政治家には常に国民の真意はどこにあるのかを心に留めていただきたいと思う。

『毎日新聞』が2月10、11日に行った世論調査では、紀子さまご懐妊発表後であるにもかかわらず、女性天皇には78パーセント、女系天皇についても65パーセントが容認、という結果が出た。国民の側には、すでに「天皇が女性でも構わない」というコンセンサスができあがっていることを示す数字だ。
一方、同じ調査で紀子さま出産前の改正案提出の是非を聞いたところ、これは反対が賛成を上回った。首相の改正案提出断念といった、空気の変化を反映したものだろう。「政治」が別の選択を行い、世論に対してきちんと訴えかけたなら、結果はどうだっただろうか。いずれにせよ、皇室典範改正の千載一遇のチャンスを逃した代償は、あまりにも大きい。「紀子さまのお子様の誕生を待って」などと悠長なことを言っている余裕はない。とにかく、時間がないのである。

結果的に、あのタイミングで「女性、女系天皇」を容認する典範改正が行われ、皇太子殿下の第一子・愛子内親王が皇位継承順位第一位になったとしよう。彼女は将来、天皇として国事行為をこなし、宮中祭祀を執り行うことになるのだが、そのためにも「帝王教育」は欠かすことができない。愛子さまは4歳になられている。帝王学をお学びになるとすれば、その準備に入らねばならない年齢に達しつつあるという現実を直視すべきであろう。「時間がない」と述べる最大の理由がこれだ。
「女性天皇」を前提としたさまざまな環境整備も必要であるし、一朝一夕でできるものではない。「評価に値する」と述べた有識者会議の答申だが、そこで触れられなかった重要なテーマがある。「女性天皇」が即位した場合の「皇婿」の問題である。配偶者をどの範囲からどのように選び、どう処理するのか。これは、結構、悩ましい問題である。私見を述べさせていただけば、その処遇などについては法で定める必要があるのかもしれないが、選定に関しては一切の法的規制を設けるべきではない。婿選びはご本人の意思が最大限尊重される、というのが大原則となろう。
いずれにしても、細部まで詰めるためには難解な問題を一つひとつクリアしていく必要がある。にもかかわらず、“男子待望論”の台頭によって、こうした「『女性天皇』の即位が認められた場合の諸問題」は、さらに後景に追いやられてしまったのである。

◆政治の責任は重大である

かねがね主張してきたことではあるが、私は皇室典範の改正議論が、皇室そのものの改革にもつながるものだと期待しているし、そうあらねばならないと思っている。仮に改正が実現し、めでたく「女性天皇」が認められたとしよう。だが、それで天皇家の差し迫った危機が回避されたと、手放しで喜ぶわけにはいかない。皇婿選び、あるいはお妃選びがすんなりいくとは限らない現実があるからだ。何人かのお妃候補が現れては消えた、皇太子殿下の例を引くまでもあるまい。皇室に入るには、やはりそれなりの勇気と覚悟が必要なのである。
同時に行うべきは、天皇家を「日本国民統合の象徴」(憲法第1条)として、国民が真に親しみを持って接することのできる存在にする、地道な努力である。皇室が、国民に向かってより開かれたものとなり、かつ国民に近い存在になることこそが、安定的な皇位継承の前提条件であることに疑いはない。反対に、「伝統」を重んじるあまり、庶民感覚とずれた対応を繰り返せば、国民との乖離は進むばかりである。
皇室典範改正は、皇室改革の入り口である。だからこそ、急ぐ必要がある。民意でもある「女性天皇、女系天皇」を一日も早く現実のものとするために、大局的な視点を持ち、議論を継続しなければならない。政治の責任は、まことに重大である。
(記事終わり)


非常に鋭く的確な論文であり、大きく頷ける重要な内容を多く語っていますね。

大事なのは専門家の意見よりも、普通の国民の率直な感性。「男系男子」という伝統(?)に固執するあまり対局を見失って国民の皇室離れを招くのは本末転倒である。「女帝・女系支持」という民意を反映させる典範改正が、真の意味での皇室改革の第一歩となる―生前退位や立皇嗣などが問題視されている現在だからこそ、重く響く内容です。

私が色々解説を加えるまでもないのですが、敢えて一つだけ取り上げるとすれば、

>同じ調査で紀子さま出産前の改正案提出の是非を聞いたところ、これは反対が賛成を上回った。首相の改正案提出断念といった、空気の変化を反映したものだろう。「政治」が別の選択を行い、世論に対してきちんと訴えかけたなら、結果はどうだっただろうか

という箇所です。
頭では女帝・女系天皇賛成と考えている国民も、「政府の判断がそうなら、そうした方がいいのかも…」と及び腰になってしまったという事実は、非常に深刻だと感じました。「皇族のお子さま懐妊というおめでたいことがある中で、無理やり改正案を通してもねえ…」という遠慮をした国民も少なくなかったのでしょう。
これはほかの皇室問題にも関係することであり、「政府がそう決めたのなら、そうしていい」という国民の判断が、時の政府や一部の皇族によっていいように利用されてしまう危険性があると感じます。
現に今上陛下の生前退位も「国民の総意」ということをうまく利用されてしまいましたし、退位の礼や立皇嗣の礼に関しても同じように「政府がそう決めたなら」とか「国民の総意だから」という一言でいいようにされてしまう危険性をはらんでいます。


笠原教授が指摘しているように、本当の「国民の総意」とはそういうものではないのです。
だからたとえ小さな声でも、「おかしいものはおかしい」と言う意見をたくさん集めることが重要になってくるのではないかと考えました。

次回は、上記笠原教授の論文とほぼ同時期に出た「男系継承など幻にすぎない」という記事をご紹介したいと思います。

皇太子殿下のお誕生日に改めて考える、生前退位と立皇嗣問題~秋篠宮様のリーク関与

皇太子殿下、お誕生日おめでとうございます!お誕生日会見やご一家との映像・お写真を通じて、次代の新天皇陛下の素晴らしさを、若い世代をはじめ多くの人々に改めて知ってもらいたいと思いました。

お誕生日会見でも陛下の生前退位の件や二重権威の件などについて記者から質問が出たようですが、殿下はお言葉を選びながら政治的なことには言及しないよう、賢明な回答をされていました。陛下とのお話し合いの場に秋篠宮様も参加されていたという点にも触れていらっしゃいましたが、やはりただの外廷皇族にすぎない一宮家当主が、当たり前のような顔で陛下と皇太子殿下の会合に参加していることの違和感はぬぐえません。

皇太子殿下は国民に対する御礼のお言葉を何度も仰ってくださり、東宮ご一家と国民との間にある「本物の信頼関係」というものを改めて感じることができ、嬉しいです。そして常に両陛下をお手本とし、感謝を述べられる会見…。「殿下、そんなに両陛下にお気を遣われなくてもよろしいのですよ!」と仰りたいところですが、後々のことを考えると、あそこまで両陛下に言及しなければならない状況なんだろうか…と、心配になりました。

一方、秋篠宮様は過去の会見で「両陛下は好きなことを存分にやらせてくれた、ダメということは言われなかった、そこは有難いと思っている」という趣旨のことをお話したことがあります。ここだけで、秋篠宮様が今まで自由気ままに生き、好きなことばかりでき、自分を律して生きるのとは程遠い生活をされていたことがよく分かります。両陛下がかなり甘やかしたのでしょう。そんな方が、皇太子とほぼ同待遇を受けることになる理不尽さ。皇太子殿下の我慢の連続だった人生は一体なんだったのかと悲しくなりますね。
そして私は、秋篠宮様や紀子妃が国民に対して「感謝」した場面を見たり聞いたりしたことがありません。また、国民の方が秋篠宮ご一家を応援しているという具体的な話も聞いたことがありません。この一点においても、秋篠宮家と国民の間には隔たりがあり、信頼関係も最初からないのだろうと感じるのです。

さて、今回は改めて、陛下の生前退位によって一番“得”をする結果となった秋篠宮様の動きについて、過去記事に触れたいと思います。
陛下の生前退位報道については「秋篠宮サイドからのリークがあった」と言われていますが、その内容について述べられた記事が見つかりました。週刊新潮 2016年10月13日号です。

ワイド特集 男の顔は履歴書 女の顔は請求書
NHKの「生前退位」スクープ 手引きの宮内庁幹部を安倍官邸が更迭


〈不幸な時代の重荷は我々が負わねばならぬ〉とは、「リア王」終幕でのセリフである。天皇陛下が「生前退位」のご意向をお持ちだとNHKがスクープしたのは7月。が、その裏で繰り広げられていた暗闘によって、一人の宮内庁幹部が更迭される破目になったのだ。

10月1日付の宮内庁人事で、宮家のお世話をする責任者である西ヶ廣渉・宮務主管(66)が退任した。宮内庁担当記者が言う。
「我々に内容が知らされたのは9月29日でしたが、記者会では“やはりあの一件か……”と、憶測を呼んでいました」
外務省出身の西ヶ廣氏は、リビア大使やルクセンブルク大使を経て、2014年4月から現職にあった。
「内閣府に任命権のある特別職であり、定年はありません。前任者も退任の目安となっている70歳まで10年務めてきました。それが、わずか2年半での交代ですから、異例と言わざるを得ません」(同)

加えて、前述した“一件”が大きかったというのは、さる政府関係者である。
「NHKがあのニュースを最初に報じた7月13日の直後から、官邸では、誰がどうスクープを仕掛けて記者に伝えたのかという“犯人探し”が始まりました」
その早い段階で、西ヶ廣氏の名が浮上したという。
陛下のお気持ちを受け止められた秋篠宮殿下の意を受け、宮務主管がNHKの記者を殿下に引き合わせる役割を担ったと分かりました。殿下を通じて“お気持ち”を内々に聞かされた記者は、ここからスクープに向け準備を始めたのです」(同)
情報源としては、これ以上のお墨付きはあるまい。

◆度々さや当てを

一方の官邸は、
「かねてより陛下がそうした“ご意向”をお持ちだと知りながら、8月8日にお言葉が発せられるまで、まったく重い腰を上げようとはしなかった。ご意向に添って動き出せば、『陛下の政治的行為』を容認したとも受け取られかねなかったからですが、そんな中でのスクープによって、政権は大変な難題を突き付けられてしまいました」(同)
官邸からすれば、腹立たしいことこの上なく、
とはいえ、陛下や皇族方にこうした憤懣をぶつけられるはずもない。かくなる上は、スクープを手引きした者に詰め腹を切らせよう、となったのです」(同)

安倍政権と宮内庁とは、これまでも度々さや当てを繰り返してきた。官邸から煙たがられていた風岡長官が70歳の誕生日を迎えた途端、退任に追い込まれたことは10月6日号の本誌(「週刊新潮」)でも報じた通りだが、
「宮内庁は今後一層、政権がグリップしやすい布陣で固められることになるでしょう」(同)
そうした“流れ”の中でパージされていった格好の西ヶ廣氏に尋ねると、
「一連の動きには、私は一切関与していません」
あくまで否定しつつ、自身の退任については、
「変革の時期を迎え、新たな体制によってこれを乗り切っていくことになったためだと理解しています」

国民統合の象徴である陛下が切なる思いを抱かれながらも、周囲の不作為でことが進まず、見かねて「お言葉」に至ったのだとすれば、望ましき世とは言い難い。去りゆく幹部の胸中にも、あるいは冒頭のフレーズが去来したかもしれない。
(記事ここまで)



はい、上記記事は、「陛下の生前退位リークには秋篠宮様が関わっている」と明確に述べています。皇室に関するすべてのNHK速報のウラには秋篠宮家が潜んでいる、という事実が隠しようがないほど目の前に横たわっています。

「秋篠宮様の立皇嗣礼を2020年に国事行為として執り行う」ことが決定されたというニュースが報じられたばかりですが、眞子様のグダグダ・ドタバタ婚約騒動がまだ解決されずに国民からの冷たい視線が続いている状況にも関わらず、そのような中で国民の十分な議論が行われないまま、秋篠宮様の未来の地位だけサッサと勝手に決められてしまったという重大な瑕疵。本当に、なぜここまで強行突破するのか、なぜ国民の意見を聞こうとしないのか。言うまでもないですが、やはり敬宮愛子様のご存在が脅威になる前に(成年を迎えられて公務で国民の前に出られる機会が多くならないうちに)、秋篠宮様が次の次の皇位継承者です!というアピールを無理やりしなければならないという危機感が向こうにもあるのでしょう。しかし、そんなこと国民が納得するはずがないのです。

陛下の生前退位によって結局何が決まったか。それは、

●秋篠宮様を皇嗣待遇にして立皇嗣礼まで行い、国内外にその地位を広める
●秋篠宮様に支給される皇族費が今の3倍に増やされる
●しかし皇太子殿下のなさってきた公務をすべて引き継げるかどうか分からないという始末
●新たに設けられる皇嗣職によって秋篠宮家に仕える職員が大幅に増える
●皇嗣職が置かれている間は、東宮職は置くことができなくなる
●皇太子と同待遇になるので、皇籍離脱もできなくなる(仮に不祥事を起こしても皇室を追い出されることがない)

という、実に「秋篠宮だけ得をするプラン」だったのです。

そしてこの件については今上陛下も“グル”だということです。
「自分が生前退位すれば秋篠宮の将来の地位が安定したものとなる、そして敬宮のことを皇位継承者から排除できる」
そうお考えになった陛下と、自分だけメリットを享受できる秋篠宮様がタッグを組んで、陛下の“お気持ち”を西ヶ廣宮務主管を通じてNHKの橋口和人記者にリークさせた。そしてそれを受けて橋口記者=NHKが速報を流した。

もう、この事実は動かしようがないのではありませんか?

皇族無謬派・皇族性善説に立つ人は、これでもまだ「NHKが一方的に情報を流した!非国民!」とでも言うのでしょうか。

結局、天皇や皇族を“左遷・更迭”することなど不可能なので、西ヶ廣宮務主管一人が犠牲になったということです。
西ヶ廣氏が現在どこで何をしているか存じませんが、宮内庁を辞めさせられる代わりに、それに代わる十分な立場や地位を保証されたのでは?という気がしてなりません。

なお西ヶ廣氏のWikipediaにも次のように書かれています。

>2014年4月から宮内庁宮務主管を務め、2016年には秋篠宮文仁親王の意向を受け、「NHKによる天皇陛下『生前退位』の意向のスクープ」(日本新聞協会賞受賞)のため、NHK記者を同親王と面会させたとされる。同年10月宮務主管を退任した。

陛下と秋篠宮様がタッグを組んで実現させた、ご自分たちだけ得をするプランの生前退位騒動が「日本新聞協会賞受賞」ですよ。
もう言葉がありませんね。

西部邁氏は秋篠宮ご夫妻の「喪中婚約」に苦言を呈し、女帝・女系天皇にも賛同していた

今日は少し予定を変更して、先日自死を遂げた西部邁氏の過去の発言について取り上げてみたいと思います。
過去の雑誌記事や資料を整理している中でたまたま見つけたものでした。

西部邁氏は保守派の評論家として活躍していた人であり、以前から周囲に「そろそろ死ぬつもりだ」と告げていた上での入水自殺だったので、驚いた人も多いのではないでしょうか。

その西部邁氏ですが、なんと礼宮と川嶋紀子さんの婚約について苦言を呈していた事実がありました。
その内容を抜粋したいと思います。

「The Bigman」 1990年9月号より

あの婚約発表された時は、まだ昭和天皇の喪中でしょう。
今や日本社会のマナーもだいぶ崩れましたが、それでもよほどの事情が無い限りおじいさんの一周忌までは慶事を避けるでしょう。

なんといっても憲法で「象徴」って書かれているわけで、ということは日本の伝統を護る義務があるんだと思うんですね、ロイヤルファミリーは。

それを今度自ら破ったわけです。

(引用ここまで)


「The Bigman」という雑誌は現在はおそらく休刊(廃刊?)になっていると思われますので、詳細は残念ながら不明な点が多いです。
短いコメントではありますが、西部氏は保守の立場から、やはりあの秋篠宮ご夫妻の喪中婚約はひときわ許しがたいと感じたものがあったのでしょう。
西部氏も嘆くように、秋篠宮ご夫妻は日本国民が大切にしてきた「伝統」を自ら壊してしまった張本人たちなのです。それなのに「男系男子の継承という“伝統”を守るのは自分たち!」と言わんばかりに東宮ご夫妻を差し置いてお世継ぎを作ろうとした態度は、誠に何の冗談かと言いたくなります。その上さらに「皇室の伝統」にはないはずの皇嗣待遇だの立皇嗣の礼だのは辞退しないという矛盾。秋篠宮家のように一部の皇族は、「伝統のもの」と「伝統でないもの」を、その時の都合によって使い分けるという狡猾な手段を用いているわけです。

なお西部氏は別の機会に、女性天皇・女系天皇に賛成している内容のコメントも残しています。
弘兼憲史氏との共著である「本日の雑談<9>」からの引用です。

直系で男がいないのなら、端っこの傍系から男を持ってきても、不都合極まるでしょうから、女帝としてもかまわないと思うんです。

それに、その女子がお婿さんを迎えて、そこで生まれた男子でも女子でも、天皇にするというのも一向にかまわない。


僕はこう言いたいです。皇室から「日の丸」に至るまで取り払ったとき、自分たちは何を欲するかということを、深刻な思考実験としてやってみる必要がありはしないか、と。

フランス革命でマリー・アントワネットとルイ16世が殺された夜、パリがシーンと静まりかえったと言うんです。それまではみんな興奮してたわけですけど、王様夫婦の首をギロチンでちょん切ったあとに、自分たちは何をしたのだろうって呆然としてパリが深閑と静まりかえった。日本人はそういうことを経験してない。そろそろ何か深刻なことを経験してみないと、おのれらの罪深さを感じられないのではないか、という気がします。
(引用ここまで)


私は西部氏がここまで明確に女帝にも女系天皇にも賛成していたことをつい最近知り、驚いています。
ご病気を抱えていたとはいえ、まさに新しい次代を迎え、敬宮愛子様と秋篠宮様の皇統問題で揉めている中、もっと意見が聞きたかったように思います。
西部氏の目には、平成皇室のゴタゴタがどのように映っていたのでしょうか。
自ら死を選ばれたことは非常に残念なことでした。

雅子様のお誕生日文章で感じたこと―眞子様は雅子様のお優しさに感謝してください。

雅子様、お誕生日おめでとうございます!東宮御所でのワインカラーのお洋服の時も、そして皇居にご挨拶に向かわれる時も、雅子様の笑顔が輝いていてとても嬉しい気持ちで一杯でした。10年以上前、雅子様はお心を痛められて本当にお辛そうでしたが、あの頃よりも表情が生き生きしていて、ああ着実にご快復されているのだな…と感慨深くなりました。

今年の雅子様のお誕生日文章の中には、小室さんと婚約した眞子様へのお祝いのお言葉も入っていました。
私はこの時、雅子様のお優しさにホロリとするとともに、皇太子ご夫妻の行啓にご自分の婚約会見をぶつけてきた眞子様への怒りが少し再燃してしまいました。あれは今でも東宮ご夫妻に失礼極まりない行動だったと個人的には思います。
眞子様は果たしてあの後、小室さんと二人できちんと東宮御所に訪れて婚約したことを東宮ご一家にご報告したのでしょうか?したのであれば良いのですが、眞子様と小室さんが二人だけで東宮御所を訪問される様子がいまいち想像できないのです。

それでも雅子様はきちんと眞子様へのお祝いを述べられましたね。雅子様の器の大きさと懐の深さを改めて尊敬いたします。
両陛下や秋篠宮ご一家や清子さんのように、あからさまに会見や文章で「自分は不愉快に感じています」という態度を示す皇族の方に問題があるんですけどね…
雅子様はご自分の行啓に姪が婚約会見をぶつけてきたこと自体を気になさってはいないのかもしれませんが、眞子様は雅子様のお優しさに感謝すべきだと思いますし、今後は是非とも失礼な態度をとらないように心がけていただきたいと願います。


話題は変わりますが、富岡八幡宮の事件は本当に驚愕しました。あれも「本音では男子しか宮司にしたくない・女子の宮司など認めない」という神社本庁と富岡八幡宮の確執がまずありました。そして今までさんざん放蕩で自堕落な生活を送ってきたにも関わらず、正式に宮司になった姉を逆恨みして犯行に及んだ弟の姿に「男だから」というまさにその一点だけで自分の地位が守られると思うことの愚かさをしみじみ感じます。皇室もまさに「男だから」という理由だけで、直系長子の東宮家の姫君を差し置いて守られようとしている方々がいらっしゃいますからね…。

現在、雑誌記事などの整理に手間取り、なかなか新規にブログ記載に取り掛かれずに大変恐縮です。書きたい記事は色々とあるので近日中に再開できればと思っております。

敬宮愛子様のお誕生日ニュースを拝見して改めて考えたこと

敬宮愛子内親王殿下、お誕生日おめでとうございます!はにかむような笑顔が可愛らしく、明るく輝いていてこちらも嬉しい気持ちになりました。
敬宮様のお誕生日ニュースでは、「英語で海外の王族と歓談されたこともある」と報じられていました。そしてスポーツや音楽、勉強などに一生懸命に気高く取り組まれる過去の映像も同時に出され、改めて「やはり敬宮様こそが未来の皇太子、女性天皇になるべき方ではないか」という思いを強くしました。

昨日の秋篠宮様のお誕生日会見については、また当ブログでも取り上げて検討する予定でおります。ニュースの一部を見た限りでは、また政治的なことに踏み込んだ発言や不遜な意見などがあったとか…。
誕生日会見は秋篠宮様の人となりが如実に表れる貴重(?)な場面だと思いますが、「この方を皇嗣扱いするのは本当に納得いかないし不安が大きすぎる」というのが正直な感想です。

今日は敬宮様のお誕生日と同時に今上陛下の生前退位日と新天皇陛下即位の日について決める皇室会議もありました。秋篠宮様のお誕生日、そして敬宮様のお誕生日と続きこの会議が行われたわけですが、ほとんどの国民が「何で秋篠宮様が皇嗣になるんだろう、敬宮様の方が立派なのに「女子」という理由だけで皇位を継げないなんて…」と感じたのではないでしょうか。

「秋篠宮様が皇嗣になることはもう決定事項だから」といわんばかりな報道に嫌気がさしていますが、秋篠宮様は皇太子になれるわけではないですし、確定的皇位継承者と決まったわけでもありません。だから望みはまだ捨てることなくいきたいと思います。
sidetitleプロフィールsidetitle

キリアキ管理人

Author:キリアキ管理人
今上陛下の生前退位に伴い、国民の理解や同意が得られないまま「秋篠宮様を“皇嗣”(継承順位1位の皇族)として皇太子に準じる扱いにし、支給される皇族費もこれまでの3倍に増やす」ということも一緒に勝手に決められてしまいました。
この問題に危機感を持ち「あらゆる方面から見ても秋篠宮様は皇嗣にふさわしくない方である」ということを、過去の雑誌記事の引用(原則全文)により検証することを目的としたブログです。2020年に予定されている「秋篠宮立皇嗣の礼」に一石を投じたいです。

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR