秋篠宮ご夫妻「第三子」懐妊直後に出された画期的な記事 3~橋本治氏「男子をお産みになろうと危機は続く」

今回は、前回ご紹介した橋本治氏の論文の「後編」をご紹介したいと思います。
明治以降の因習を礼賛し男系男子カルト勢力が異様に幅を利かせ、男尊女卑思想やセクハラを全く悪びれない者たちが跋扈する現在、いっそう多くの方に目を通してもらいたいと願います。

婦人公論2006年4月7日号

緊急連載 紀子さまご懐妊と皇室典範の行方<後編>

男子をお産みになろうと、危機は続く
橋本 治


前号で「皇位継承は男系」という伝統は「幻」だと証明した。では、女性・女系天皇を認めれば問題は解決するのか?本当に「伝統を守る」こととは何かを論じ、現在の皇室に内在する危機の本質を明らかにする

◆皇室を長続きさせた女帝の「自信」

前号では、飛鳥~奈良時代の皇室と女帝(女性天皇)のあり方を詳しく見て、「皇位継承は男系男子が原則」というのは近代の思いこみであり、古代ではもっと実際的だったということを述べました。最大の原則は「天皇がトップに立つ」ということで、天皇が女性か男性かは問題にならなかった。
すなわち、古代日本の男性は、有能な女帝や皇后と、一緒に政治を進めていくことができた。いまの日本のトップにある男性はそれができない。女相手にまともな話ができるわけがないと思っていて、使える女性なら部下にしてやってもいい、という程度の認識かもしれません。
古代には、男女差別はなかったんです。60代の斉明天皇が軍隊を率いて九州まで行ってしまう。50代半ばの持統上皇は、大宝律令が制定されてから亡くなるまでの間、全国を巡幸して律令制度が隅々まで浸透しているかどうかを確かめている。どちらも女性で、当時としては大変な高齢なんだけど、これだけの行動力を示せたわけなんです。『日本書紀』や『続日本紀』のどこにも、「やはり女性はだめだ」なんて文章は一行だってありません。そもそも年若い天皇の指導者として「上皇(太上天皇)」のあり方を規定したのは持統上皇です。

ではなぜ称徳天皇以降、すなわち平安時代以降、長く女帝が出なかったのか。平安末期、鳥羽上皇が娘の八条女院を女帝にしようとした例もあり、少なくとも皇室には「女性天皇はだめ」という考えはなかった。それは、当時栄華を極めた藤原氏の都合だったと考えたほうがいいですね。藤原氏のやり方は、身分は低いが財産のある受領(地方官)層の娘を嫁にもらい、生まれた娘を天皇に贈って外戚となり、権勢を振るうというものでした。藤原氏にとって、天皇は男でなければだめだったわけです。
天皇は、藤原氏の婿になるような形で天皇として奉られる。だから、天皇を退位して上皇になる。そのことで藤原氏の牛耳る朝廷から独立し、別の権力を作ろうとしたのが、11~12世紀の院政時代です。
この院政の時代に源氏や平家といった武家勢力が台頭します。上皇のいる院の御所と、天皇を頂点とする朝廷と、命令系統が二つあるから、どっちがえらいのかが不明瞭な、多重権力の構図ができる。平家が栄えたと思ったら滅び、東国では鎌倉幕府が成立し、朝廷では天皇がいて、別に上皇がいて、どれが正統の主権者なのかは、そのときの力関係次第、というぐちゃぐちゃな状態になっていく。
この構図は江戸時代にまで持ちこされます。武士の家系は男系男子の継承を基本とするので、徳川将軍家もそうなります。でも、大奥では「将軍のご生母様」がデンと構えていて、老中より権力を持っていたりしたわけです。
それが19世紀になって黒船が来航し、幕末の動乱を経て成立した明治政府は、「近代」という外圧のなか、「自分たちなりの近代日本の形を作らなければならない」と考えて、男性の「戸主」を中心とする家長制度を作ります。皇室も、現行の「皇室典範」で男系男子への継承しか認めなくなった。
それは、ある時代の一つのあり方だったんじゃないか、と私は思います。「男系男子に限り」という原則を立てるなら、そのためには、母親候補の複数の女性を存在させることが必要なんです。幸い、代々の皇后に男子のご出産はあって、「男系男子が生まれてこなかったらどうする?」という疑問は必要なかった。でも、現実にそれを考える必要は生まれてしまった。日本の皇室がこれだけ長く続いてきたのは、変な原則に拘泥せず、フレキシブルにやってきたからだということを、もう一度考え直すべきだと思います。

源平合戦の時代、追いつめられた平家は、幼い安徳天皇と三種の神器を持って西海に逃げます。在位の天皇が都からいなくなったその時、後白河法皇は「かまわん、ほっとけ」とばかり、さっさと孫の後鳥羽天皇を三種の神器なしで即位させてしまう。
さらに鎌倉時代になり、上皇が武力で幕府を倒そうという動きを見せると、幕府側は「主上御謀反」と言った。治天の君である上皇が、新興勢力の武家に「御謀反」をする。「謀反」に敬語がつくという、常識では考えられない発想を平然と口にする日本人の政治に対する思考の柔軟さは、天才的です。「御謀反」を起こした上皇様が敗れて流罪になっても、天皇制そのものは残るわけです。
「天皇以外に政治の補佐役は必要だ」というのは、持統天皇以来の伝統です。持統天皇が孫の文武天皇に譲位した後も同格の上皇として国政に関わって以来、天皇と、天皇経験者である上皇とのツートップで支配する形が当たり前とされた。別に持統天皇は、未来に続くルールとして決めたわけではありません。「私が孫を守る!」という思いと、「私は国政を担当する!」という自信が、後に続く二重構造を作った。結果として、そういう持統天皇の「自信」が、日本という国のなかで、皇室を延命させてきた。日本とは、まず目の前の現実があって、理屈は後からついてくる国だったのです。

◆敷居が高すぎる現在の皇室

現代の最大の問題は、皇室という特殊な環境に生まれた方々が、男女を問わず、配偶者が簡単に見つかる状況がないということです。結局、そこに行き着きます。
現在の皇室は妙に敷居が高すぎる気がします。1950年代、今の陛下の弟君である常陸宮殿下は、「火星ちゃん」という愛称を付けられ、そんなタイトルの漫画まであった。そのくらい親しみがあった。そんななか、『ローマの休日』(53年)が公開された。オードリー・ヘップバーン扮する王女が民間の世界に飛び出していく映画です。その数年後の美智子さまご成婚は、民間人(私たち)の代表が、王子さまお姫さまのいらっしゃる世界に入っていった。逆のパターンだけれど、『ローマの休日』のロマンチックな物語が身近に起こったので、いわゆる「ミッチー・ブーム」が起きたんですね。
美智子さまは「耶蘇の娘」などと非難されたり、苦労もなさったらしけど、昔の方だから、まず嫁ぎ先に慣れなければという覚悟を自然にお持ちになったと思います。実際、一度もお里帰りをされていない。一方、雅子さまは「働く女性」だった。しかも外務省北米二課という超エリート。「働く女性」が当たり前になって、もう一度、女性が自然に活動していた古代のあり方が見直されるのです。
8世紀の光明皇后は、民間出身であっても、聖武天皇の補佐役として十分な存在理由を示していた。いまの皇室に光明皇后みたいな方が入っても、「そんなことはなさらないで」と周囲から行動力を制限され、神経が参ってしまうかもしれない。それって、ノーマルな状態なんでしょうか?
「皇位継承は男系なのが伝統だ!」と、歴史の事実からかけ離れた観念だけが声高に叫ばれると、皇室そのものが現実から遊離しかねない。
皇室とは一つの「家」です。天皇は「天皇家」の長で、それが長く続いてきた「万世一系」というあり方の根本です。人間は結婚して「家」を作る。結婚だけならば、男と女という二人の問題なのだけれど、「家」とは本来は、子供を作り、後世に伝えていくというものだった。大阪・船場の繊維問屋は、山崎豊子の小説『女系家族』の舞台ですが、甘やかされて育った男子ではなく、優秀な番頭を入り婿に迎えて家を継いでいくわけです。すなわち、ここでいう「家」は法人に近い。
会社のような法人組織を維持する上で、ある程度、私的な感情を抑えるのは当たり前ですが、かつては「家」もまた、絶やしてはいけないものとされていた。しかし現在の「家」は、愛情などの私的な感情で結びついているものとされていて、その結果、むき出しの個人感情がぶつかりあう場になりがちで、そのなかで「家」という社会単位の意味が薄らぎ、同時に人間の社会性も薄らいでいる。

◆内親王をデートに誘えますか?

現在の皇室の問題は、このような社会的風潮のなかで「どうやって皇室という家を維持していくか」です。お妃や内親王の結婚相手を民間に求めるのなら、まず、社会全体の問題として、「家」とはなんなのか、そこから考えてみないことには、解決はつかないはずです。
日本の皇室だけではありません。英国の王室には「王族としか結婚できない」という内規があったんですが、第一次世界大戦が始まり、ヨーロッパの他の国の王室から配偶者を迎えられず、英国王室が絶えてしまうかもしれないというので、民間人との結婚を許可した。それを認めなかったオーストリアのハプスブルク家は消えてしまった。ダイアナ元皇太子妃がチャールズ皇太子と結婚した結末は、ご存じのとおりだけれども、「特殊な世界に嫁(婿)に行くということのプレッシャーに耐えるのは嫌だ」という風潮はもはや世界的で、「王室」というものが存続しにくい時代になっている。
一般国民だって、ナンパと合コンと出会い系サイトなしに、パートナーとなりうる異性に巡りあう機会は限られてしまうでしょう。まして皇室となると…。黒田清子さんも、お相手が兄である秋篠宮殿下の同級生という縁があったからこそ結婚が成り立った部分があるはずです。内親王に気楽に電話して、デートにお誘いできますか?無理でしょ。
たとえ、いまご懐妊の紀子さまが男子をお産みになっても、皇太子妃のなり手が見つからなければどうします?皇室典範を改正して愛子さまが皇太子になっても、すんなりお婿さんが決まるかどうかは分からない。皇室のあり方を考えないと、「お世継ぎ問題」はいつでも起こりうるんです。結婚は両性の合意に基づくというのが現在の常識です。そこで、皇室に「自由恋愛」はありうるのかという問題だって起こりかねないんです。
天皇というものは、公的な存在です。でも、人間である以上、私的な部分だってある。周囲の思いこみによって、皇族には私的な感情が許されないままでは、今後も同じ危機は繰り返されるばかりです。古代の女帝の行動や発言は、現在の皇族の方々よりもはるかに人間的でしょ。そういう実際性があって、皇室は連綿として続いてきた。近代以後の浅い「伝統」でがんじがらめにせず、もう少し人間的な環境にしたほうが、皇統の維持のためにもいいのではないでしょうか。
たとえば英国の王室は、日本の皇室と同じく公的な性格が強い。だからこそ、スキャンダルが続いている。一方、オランダや北欧の、王室の方でも気楽にデパートに行ける国では、かえて問題が起こっていない。カートを押してお買い物もし、公的行事になれば正装して宮殿で手を振るというふうに、パブリックとプライベートの使い分けができている。
公私が一体化した状況に押し込められた方の言動が、「人格を否定されて、かわいそう」なのか、それとも「皇室の一員であるという自覚に欠けて、わがまま」なのか、線引きすることすら難しい。そんな状況で、皇族はどうあるべきかなんて、論じるだけ無駄というものです。

◆もっと素直にフレキシブルに考えよう

見方を変えれば、なぜ、そこまでして皇室を残さなければならないの?という疑問も出てくるかもしれませんが、私は「そこにあるものは、必要だから、ある」と考えます。「そこにあるものは、あってはならないものだから、なくしてしまえ」となると、ロシア革命後のソ連じゃないけれど、大きな問題が起こる。「そこにあるもの」が存在意義をなくすには、長い時間がかかるものなんです。
繰り返しますが、今回の議論の多くは、明治時代にはじまった近代天皇制を、古代から連綿と続く揺るぎないルールであるかのように錯覚しているのです。
かつての天皇のほうが、もっと人間的な環境に置かれていた。女系か男系かという区別はなくフレキシブルな継承が行われていた。女性でも、しかるべき人なら天皇になれたし、天皇になってしまえば、文句なく「優れた天皇」になったのです。そういう時代があったことを認め、その上で今後のあり方も考えるべきです。しかし、どうも日本の政治家は、そのあたり素直になりにくい人たちが揃っているような気がします。

今回の皇位継承問題は、論理に縛られず、今ある皇室の現実、社会の現実を認め、とりあえずいちばんいい方法をフレキシブルに考え、女性・女系天皇を認めるなら認め、それでトラブルが起こったら、他の解決方法を考える、という当たり前の発想に戻って議論されるべきだと思います。
(記事終わり)


上記橋本氏の論文は一部認識の誤りはあるものの(美智子様が一度もお里帰りをされていないというのは誤りで、実際は美智子様は結婚後早々にお里帰りを許され、その後も雅子様よりも多く実家との交流を継続されていました)、おおむね内容には賛同します。
面白いのは「内親王をデートに誘えますか?」の箇所で、小室圭さんを連想せざるをえないことですね。彼は果敢にも(?)内親王である眞子様に声をかけ、デートを重ねてきたツワモノでした(笑)。これは小室さんの肝っ玉の太さもありますが、眞子様が内親王の割には庶民的で敷居の高さを感じない方であったという要因も大きいと思います。ただ、橋本氏は現在の眞子様・小室さん問題までは予想していなかったでしょうし、橋本氏が指摘している「皇室における家と個人の問題」についても考えさせられる状況が生まれています。眞子様個人の思いを優先させるなら結婚を認めてあげるのが筋だと思うし、「家」というものを重視して個人の感情だけではどうにもできないと考える人は、眞子様の希望など後回しにするでしょう。

「皇位継承や皇室のあり方をもっとフレキシブルに考えるべき」という点は重要だと思います。実際、美智子様は皇后という立場にありながら、今上陛下よりも話題になったり目立ったりすることが多い方です。ご本人もそれをよく分かっておいでの上で行動されているように見えてしまいます。一時、美智子様は「女帝」とか「女社長」と揶揄されたこともありましたが、それだけ美智子様の積極的な行動が放置されてきたのだと思うのです。
美智子様のご活動はここまで黙認されていながら、なぜ雅子様や敬宮愛子様にはそれが許されないのでしょうか。橋本氏の指摘するように、皇后や皇太子妃をはじめ、女性皇族の活躍をもっとフレキシブルに認めるべきであるなら、それを全ての女性皇族に開放するべきなのです。現在は美智子様のご活躍だけが異様に絶賛される一方で、雅子様は結婚当初から籠の鳥にされて海外で活躍させず、敬宮様は女帝に即位することが許されていません。マスコミが取り上げるのは秋篠宮家の女性皇族の活躍ばかりで、ほかの宮家の活動は大々的に報道しません。こういう偏りが、平成皇室に対する偏見を招いていると思います。
橋本氏が「今の皇室は本当に国民に開かれているのか?敷居が高すぎないか?」と指摘しているのも、一部の女性皇族だけの活躍のみ許容され、皇室報道に偏りが生じていることも大きな原因でしょう。

「フレキシブルな皇室」という面で、例えばこのまま男系男子カルトの主張だけが通ってしまい、秋篠宮様の立皇嗣により無理やり秋篠宮系統に皇統が移ってしまい、秋篠宮様と悠仁様が「男系男子」ということだけを笠に着て好き勝手なお振舞いをしたら…そして国内外で皇室や日本国に対する敬意も何も失われてしまったら…その時、日本国民や海外の熱烈な希望によりふがいない秋篠宮様と悠仁様を排除し、正統な直系のお血筋である敬宮様を「元の正しい場所」にお戻しし、玉座に座っていただく…ということもあって良いと思うのです。
既に民間人として生きている旧皇族とやらの人々を皇族復帰させるなんていう考えをしている連中もいるわけですから、いったんは皇統から外れたように見える敬宮様を「本来の正しい場所=玉座」にお戻しすることが、当然あってもいいはずでしょう?

明治以降の因習にとらわれ、柔軟な考え方ができなくなっている勢力が跋扈している今の日本こそ、12年前の笠原英彦氏や橋本氏の論文に価値が出てくると言えるでしょう。

秋篠宮ご夫妻「第三子」懐妊直後に出された画期的な記事 2~橋本治氏「男系継承の伝統は幻である」

今回は、以前ご紹介した拙ブログ記事
秋篠宮ご夫妻「第三子」懐妊直後に出された画期的な記事 1~笠原英彦教授「典範改正議論はやはり必要」
の姉妹編として、橋本治氏が書いた女帝賛成論文をご紹介したいと思います。
時期的に、紀子妃の第三子妊娠が発覚した時に出されたものとなっています。

婦人公論2006年3月22日号

緊急連載 紀子さまご懐妊と皇室典範の行方<前編>

「男系継承の伝統」は幻である
橋本 治


「有識者会議」の「女性・女系天皇」を認めようとの提案に、「皇位継承は男系が原則」と保守派は反対する。だが、本当にそうなのか?
緊急連載第一回は、古代の女帝のあり方を論じ、皇室典範論の虚偽を粉砕する

◆「皇位は伝統的に男系承継」という原則は本当か

昨年11月、「皇室典範に関する有識者会議」が、「女性・女系天皇」を容認する報告書を発表し、それ以来、侃々諤々の議論が続いています。
そもそも、この「有識者会議」が結成されたのは、皇室が断絶の危機にあるからです。皇位継承権を持つ宮様方の家には女子しか生まれていない。明治22(1889)年に制定された「皇室典範」では、天皇に即位できるのは「男系男子(父が皇族の男子)」に限るとされていて、(懐妊中の紀子さまが男子をお産みになれば別ですが)皇位継承者がいなくなってしまう。だから「女性・女系天皇」を認め、皇太子殿下の長女・愛子内親王に皇位を継承させ、そのお子様が後を継げるようにしよう、というわけです。

これに対して保守派から、古来、皇室は「男系」で継承されてきた。過去には女性天皇が存在したが、男系継承を守るための、やむをえない“中継ぎ”だった。男系継承の伝統を維持するため、別の策を考えるべきだ、と反対の声が出た。
問題は、「女性・女系天皇」容認派は「伝統に拘ってる場合じゃない」と言ってるだけで、「皇室は男系継承が伝統的なあり方」という点で反対派と一致していることです。
日本史上、女性天皇(女帝)は、古代に8代6人(うち2人は2度、即位)、江戸時代に2代2人いますが、ここでは古代に話を絞ります。史上最初の女帝・推古天皇から称徳天皇までを歴史事典に載っている系図で見ると、確かに女帝の次は途切れている。古代は、政治的経験を積んでそれなりの年齢に達していなければ天皇になれないという不文律があり、血筋的には天皇になるべき皇子がまだ幼い場合にのみ、女帝がリリーフとして起用され、その皇子が成人になるのを待って譲位した、と説明されていますが、果たしてそうか。
図1の系図には「后(皇后)」が書かれていないでしょう。この時代は一夫多妻制ですが、「后」は皇族女性に限られ、それ以外は「妃(みめ)」として区別されていた。この「后」が重要なポイントなんです。

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(図1)

◆「皇后」は天皇を代行する能力を求められていた

図2-1、図2-2の、「后」や「妃」を含めた系図は私が作ったものです。この系図と見比べながらお付き合いください。まず、右上のほうにある継体天皇(450?~531)のあたりにご注目。

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(図2-1)

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(図2-2)

継体天皇が即位する前に、皇統はいったん断絶しています。前代の武烈天皇は子供を作らないまま崩御し、皇位を継ぐべき男子がいなくなった。そこで実力者の大伴金村が、越前(福井県)にいた遠縁の皇族を連れてきた。現在、「女系天皇」反対派が、戦後、皇室から離れた旧宮家を復活させ、そのなかから男子を後継者に選ぶという方法も検討せよ、と主張していますが、ちょっと似てますね。
ところが当時の大和朝廷の豪族たちは、一斉に反対した。結局、武烈天皇の父・仁賢天皇の娘である手白香皇女を皇后として迎え、そこで生まれた皇子を皇位継承者とするという妥協案が出て、やっと認められ、継体天皇になるわけです。
継体天皇の崩御後、後継者争いが起こります。継体天皇が地方豪族の娘に生ませた長男の安閑天皇と、手白香皇女に生ませた欽明天皇(509~571)が同時に即位し、対立する事態になった。面白いのは安閑天皇が、仁賢天皇のもう一人の皇女で、手白香皇女の異母妹の春日山田皇女と結婚していることです。安閑天皇は即位して2年目に崩御、弟の宣化天皇が後を継ぎますが、やはり仁賢天皇の皇女・橘仲皇女を皇后に迎えた。
宣化天皇も4年目に崩御、欽明天皇は30余年という長い安定した治世をまっとうします。武烈天皇の死に始まった皇統の危機が、手白香皇女という「后」を経由し、仁賢―手白香―欽明という女系で皇室継承が保たれたわけで、継体・安閑・宣化は入り婿、“中継ぎ”なんです。
現代に当てはめますと、(紀子さまが男子をお産みにならなかった場合ですが)旧宮家を復活させてしかるべき男子を選んだとして、国民感情として納得できるだろうか。でも、愛子内親王と結婚させ、生まれた子を皇太子とすれば、現在の陛下へ受け継がれてきた血筋は守れるから、受け入れられやすいのではないか、という話です(愛子内親王のご承諾という高そうなハードルがありますが)。

ところで欽明天皇は即位した際、「私は未熟なので、亡き安閑天皇の皇后だった春日山田皇后(皇太后)に政権を担当してもらいたい」と申し出てます。欽明天皇は31歳(数え、以下同)でしたが、春日山田皇后のほうが「百揆に閑いたまえり」、政治的経験を積んでいて統治者としてふさわしいと述べたのです。
現代の日本人は「国家を統治するのは男性であり、女性がその地位につくのは特別な理由があるからだ」と思いこんでいて、「女帝中継ぎ論」が出てくるわけですが、古代人は「女性ではいけない」という考え方はしていなかったんですよ。(おそらく妊娠出産等の生理的な理由から)天皇は男性のほうがいい、という実務的な考えはあったでしょうが、皇后もまた、天皇を代行しうる能力が求められたのです。
実際、史上初めて女帝となった推古天皇は、欽明天皇の後を継いだ敏達天皇の皇后でした。敏達の後を継ぐべき押坂彦人大兄皇子は早世したらしく、その後、朝廷内で精力を伸ばした蘇我氏の血を引く用明天皇、崇峻天皇と、異母弟たちが即位しますが、用明天皇は即位2年目で亡くなり、崇峻天皇は暗殺される。天皇にふさわしい年齢の皇子がいなくなった。
そこで推古天皇(554~628)が群臣に推されて即位する。遠縁の「男系男子」より、「正統なる先帝の后」のほうが適任とされたわけです。実際、推古天皇は36年の安定した治世をまっとうします。
推古天皇崩御後、押坂彦人大兄皇子の子の舒明天皇が即位し、皇位は手白香皇女の血を引く、欽明―敏達―(押坂彦人)と続く正統の皇族に戻りますが、13年の治世を経て崩御すると、その皇后が、二人目の女帝・皇極天皇として即位します。

◆二人目の女帝・皇極天皇は「女」をバネに突っ走った

この皇極天皇の御代に、有名な大化改新(645年)が起こりました。皇極天皇の両親は茅渟王と吉備姫王、皇子や皇女と呼ばれる方々よりランクの落ちる皇族です。蘇我氏は、格下王族出身の「先代の未亡人」を立てておいて、専横を極めた。これに対し、先代の子である中大兄皇子が叛乱を起こし、自ら皇極天皇の御前で蘇我入鹿を斬殺する。わが子が手を血で汚すのを眼のあたりにした皇極天皇は、弟に位を譲ってしまう。
皇極天皇は推古天皇と同様、「しっかり者の未亡人」的存在でした。ところが、いざ弟に譲位してから豹変します。
それまでの天皇は、神社のように質素な板葺の宮に住んでいた。しかし、姉から譲位された孝徳天皇は、格式を破って、都を飛鳥から難波(大阪)に移し、大阪湾を見霽かす、豪華な宮殿を建てた。孝徳天皇は外国かぶれで、壮麗な宮殿を建てて贅を尽くす中国皇帝を真似したんでしょう。先の皇極天皇は、長男の中大兄皇子、次男の大海人皇子、さらには孝徳天皇の皇后になっていた娘の間人皇女まで引き連れて飛鳥に帰ることになる。「自分は知らなかったけど、天皇にはこれだけの力があったのか」と気づいたんでしょう。
孝徳天皇がその直後に亡くなると、彼女は重祚(2度目の即位)して斉明天皇となり、弟に張り合って大土木工事を始めます。近年、飛鳥でその跡が発掘されて、彼女の宮殿周辺は、水路が張り巡らされ、石造りのモニュメントが並ぶ壮麗な都だったことが実証されました。
さらに、朝鮮半島で日本と同盟関係にあった百済が、唐と新羅の連合軍に攻められ、救済要請が来ると、60代半ばの女帝は「私が行きます!」と軍船に乗り、九州の前線基地まで行ってしまう。
斉明天皇は傀儡で、実質的に仕切っていたのは後に天智天皇となる中大兄皇子だったと言われていますが、50歳をすぎて天皇であることの凄さを実感した女帝が、前向きに突っ走ったと考えるほうが自然です。斉明女帝のあり方は、現代の中高年女性のあり方とそっくりです。
斉明天皇が九州でほどなく崩御し、朝鮮半島に攻め入った日本軍が白村江で大敗北を喫すると、中大兄皇子は内政に転じ、都を奥地である近江(滋賀県)に遷す。むしろ、母親と比較して、後ろ向きで慎重な息子なんです。

◆持統・元明・元正 女帝たちの「女のエゴ」

斉明天皇の後を継いだ天智天皇が亡くなると、その子の大友皇子と、弟の大海人皇子との間に後継者争いが起こり、いわゆる壬申の乱が勃発します。大海人皇子が勝利し、即位して天武天皇となる。
興味深いのは、天武天皇の御代に「宮廷に出仕したい者は、男女を問わず申し出よ。女性の場合、夫の有無や年齢を問わず、採用基準は男性と同じにする」という、男女共同社会参画法案みたいな命令が出されていることです。天武の皇后である鸕野讃良皇女は、『日本書紀』に「天皇を佐けまつりて天下を定めたまう」とあり、実際、おおいに手腕を発揮していますが、彼女のための女官を募集したのでしょう。
その鸕野讃良皇女にはひとつだけ煩悩があった。我が子である草壁皇子を天皇にしたかったんです。天武天皇は多くの妃を持ち、子供もたくさん産ませています。いわば彼女は、姉や他の妃たちとの寵愛争いのまっただ中にいた。『大奥』みたいな話ですが、天武天皇崩御の直後、彼女は後継者争いのライバルになりそうな姉の腹の大津皇子を、謀反の疑いをかけて処刑した。ところが、そこまでして皇位につけたかった草壁皇子がほどなく急死してしまう。
そこで鸕野讃良皇女は自ら即位して持統天皇になり、飛鳥浄御原令施行、戸籍制定(庚寅年籍)、藤原京造営と八面六臂の大活躍をした後、草壁皇子の忘れ形見である15歳の珂瑠皇子に譲位、その後も「太上天皇(上皇)」として、即位した文武天皇を補佐し、702年、大宝律令を公布し、律令国家の体制を整えた。史上初の「院政」を行ったわけです。その年、持統天皇は亡くなります。
ところが、その5年後、文武天皇が25歳の若さで崩御します。その子の首皇子はまだ7歳。そこで即位したのは元明天皇、文武天皇の母で、亡き草壁皇子の妃だった人です。8年後、彼女は55歳で譲位しますが、15歳になった首皇子は人見知りが激しく、まだ表舞台には出せないからと、元明天皇の娘である36歳の元正天皇が即位します。9年の治世を経て、やっと首皇子が即位し、奈良の大仏で有名な聖武天皇となった。
形だけみると、持統、元明、元正の三女帝は、珂瑠皇子や首皇子が成人するまでの“中継ぎ”に見えなくもない。しかし、他に男系の皇子として天武天皇の長男の高市皇子や、その子の長屋王などがいた。2人とも朝廷を代表する実力者で、男系継承が本来のルールだったならば、彼らが天皇になってもおかしくない。何故、持統、元明、元正と3人の女帝が立ったのか。ヒントは元明天皇が即位したときの詔にあります。
「持統天皇は文武天皇に皇位を譲り、二人並んで天下を治めてこられた。これは天智天皇が定められた永遠に変わることのない不改常典に基づくものである」
この不改常典とは何か。具体的には、「皇位は親から子へと受け継がれるのが、わが国古来の法である」というものです。しかし、そんな法が本当に存在していたのなら、天智天皇の崩御後、その長男を死に追いやって即位した、弟の天武天皇はなんだったてことになる。これが「天武天皇の定めた」なら分かりますが、なぜ、「天智が定めた」とされたのか?
図2-2の系図を見てください。持統天皇も元明天皇も、実は天智天皇の娘ということで共通しているんです。そして、元明天皇の子である文武天皇や元正天皇は、“女系”で天智天皇と繋がっている。つまり元明天皇は、「天智の娘である私は、天智が定められた法に則って、私の娘に譲位する」と宣言した。すなわち「天智の血を引く私たち以外に皇位は渡さない!」というわけです。そこにあるのは「男系」か「女系」かといった原理原則ではないんですよ。

◆光明皇后と孝謙女帝 現代的すぎる母娘関係

聖武天皇の後継とされたのは、光明皇后との間に生まれた皇女、阿倍内親王、日本史上唯一の女性皇太子です。
光明皇后は、この頃台頭してきた藤原氏の出身、初の民間出身皇后で、「悲田院」「施薬院」
といった福祉施設を建設するなど、実力ある女性です。聖武天皇には他にも子供がいたけれど、藤原氏は皇位継承者にも、同族の血を引く阿倍内親王を押し込んだわけです。
ただ、これまでの女帝の多くは「先帝の后」でした。例外は元正天皇で、病弱で婚期を逃したらしく生涯独身なんです。即ち「既婚者の女帝」はいても「女帝が結婚する」という前例はなかった。そういうわけで、阿倍内親王は一生独身で通すことを暗黙の前提にして皇太子になる。
彼女には、当時第一級のインテリである吉備真備が家庭教師につけられ、優秀な母親の期待を一身に背負ってエリート教育を受けています。32歳で即位して孝謙天皇になり、9年後に淳仁天皇に譲位しますが、理由として「お母様に孝養を尽くす時間がないから」と述べるほど母親孝行な娘でした。
ところが譲位して4年後、母親が亡くなって2年後、突飛な行動に出ます。「淳仁天皇は私をちっとも敬わない。今後、小さな案件は天皇に任せるが、国家の大事は上皇である私がやる!」と宣言。さらに天皇の腹心・藤原仲麻呂を謀反人として追討、淳仁天皇を廃し、重祚して称徳天皇となり、病に倒れたとき加持祈祷をしてくれた縁で恋に落ちた道鏡という僧侶を取り立てる。
孝謙天皇が即位した後も、母の光明皇后は、皇后を補佐する紫微中台の長官となった藤原仲麻呂とともに、持統天皇が孫を後見したように国政に関与していた(父の聖武天皇は怨霊をおそれて遷都を繰り返すなど、精神不安定で、譲位後は存在感を示していません)。野心家の仲麻呂は、皇后のご威光を楯に権力を拡大しますが、孝謙天皇は「お母様は仲麻呂とともに、私を支えてくださってる」とありがたがっていた。
だが、譲位してみると、誰も彼女に敬意を払わない。淳仁天皇は、仲麻呂の死んだ息子の妻をめとり、仲麻呂の邸に住んでいました。いわば仲麻呂は、もはや皇位にはない孝謙を無視し、“子飼い”の淳仁天皇と好き勝手をしている。彼女の気持ちを忖度するとこうです。「私はお母様に言われたとおり学問に励み、皇太子になり、独身を貫いてきた。挙げ句、世継ぎがないという理由で譲位させられ、蔑ろにされる。私はお母様と仲麻呂に利用されただけ?」
かくしてエリート女性の逆襲が始まります。重祚して2年目の秋(765年)、道鏡を太政大臣禅師に任命し、年号を天平神護から神護景雲と改元します。光明皇后が立后した年に年号が天平となって以来、天平勝宝、天平宝字と一貫して元号には「天平」がついていました。その「天平」を外すことで、母親の呪縛を断ち切ったのです。48歳にして。
なんだか現代的すぎる母娘関係ですよね。彼女と道鏡の関係は、古代史上のスキャンダルですが、更年期間近になった女性が、「私だって子供を産んで、後継ぎを作る可能性がある」と考えての行動だと思います。結局、子供に恵まれることなく53歳で死去し、その後長く、女帝は絶えることになります。

◆古代のほうが現代より男女平等だった

お気づきかと思いますが、この時代には、女性をワンランク落ちるものだという思いこみが、まったくなかったんです。有能な女性は有能な者として遇され、国政を仕切った。男性であっても無能なら崇峻天皇のように平気で暗殺された。
では何故、女帝が絶えたのかは次回述べますが、少なくとも、たかだかできて100年の「皇位継承は男系男子に限る」というルールを皇室の伝統と思いこみ、歴史上の女帝を“中継ぎ”という例外として片付けてしまうのは、近代の幻想に縛られた発想なんです。
(つづく)


軽やかな口調で書かれた文章ですが、男系男子固執派には耳の痛い話が次々と繰り広げられ、古代の女帝たちの強さやたくましさと相まって爽快な気分にさせてくれる内容となっています。古代天皇の歴史がコンパクトにまとまっており、一読するだけで大まかな内容を掴むことが可能となっています。
古代は「男子だから~女子だから~」といった偏見も差別もなく、実力、能力、行動力があれば女性の活躍を認めてきた歴史があり、男子でも能力がなければ淘汰される時代でもあったわけです。そして橋本氏も指摘している通り、「男系男子継承の歴史」などたかが100年ちょい程度のものでしかないのです。

新天皇陛下の即位儀式の一部である「剣璽等承継の儀」に女性皇族が一切参加できないというニュースは「あまりにも時代錯誤」「新天皇陛下の一人娘である敬宮愛子様も参加できないのはあまりにもおかしい」という意見が噴出しました。
また、相撲の土俵の女人禁制問題にしても「伝統」だと言われていたものが実は明治以降の悪しき因習でしかなかったことが明らかとなりましたし、この国で頑なに「伝統」と言われていたはずの制度が、実は単に歴史の浅い男尊女卑制度にすぎないという実態が徐々に明るみになりつつあります。
それのみならず、音声記録まで残されている財務事務次官のセクハラ発言問題も起き、この国の女性蔑視の病理は予想以上に深刻な段階にあるということを改めて思い知りました。あまりにも醜悪で言葉がありません。

明治以降の男尊女卑主義をベースにした思想にとらわれている安倍政権の下で「秋篠宮立皇嗣」が一方的に短期間で決められてしまいましたが、そのような中で次々と上記のようなニュースが明るみに出てきたことに、何か大きな意義を感じてしまうのです。
代替わりを目前に控えた平成末期、「秋篠宮を立皇嗣させてはいけない、敬宮愛子様の即位を念頭に入れた典範改正議論をきちんとしなさい」ということを我々に促しているような、そんな大きな時代のうねりを感じるのです。

次回は、橋本氏の論文の後編をご紹介したいと思います。

秋篠宮ご夫妻「第三子」懐妊直後に出された画期的な記事 1~笠原英彦教授「典範改正議論はやはり必要」

今回は少し予定を変更して、秋篠宮ご夫妻の第三子懐妊後に、笠原英彦教授が書かれた画期的な記事をご紹介したいと思います。

前回の拙ブログで「第三子が男子でも手放しではとても喜べないよ」という複数の意見をご紹介させていただきましたが、それに引き続く形で「第三子=男子の可能性があってもやはり典範改正議論はしなければならない」という笠原教授の主張をご覧いただきたいと思います。今でも通用する、重要な提言がなされています。

中央公論2006年4月号

皇室典範改正はやはり必要だ
紀子さまご懐妊で、対局を見失うな


仮に男子がお生まれになっても、根本の問題は解決しない。皇位継承者を「男系男子」の身とする限り、ここ20年以内に本当の危機が訪れると、私は危惧する

笠原英彦(慶應義塾大学法学部教授)

◆勢いづく「男系男子」論

秋篠宮妃紀子さまの「ご懐妊の兆候」が発表されて以来、皇室典範改正論議の風向きが大きく変わってしまった。「皇室典範に関する有識者会議」(首相の私的諮問機関、以下「有識者会議」)の答申を受けて、通常国会への改正法案提出に意欲を見せていた小泉首相だったが、ご懐妊の報を受け、断念を表明。他方、現行の「男系男子」による皇位継承を支持する改正反対派は、息を吹き返した恰好だ。
しかし、である。紀子さまに男のお子様が誕生し、男子による皇位継承が可能になったとして、それで問題はすべて解決されるのだろうか?仮に女のお子様だったら、そのことを確認してから再び改正に向けた準備を開始するのだろうか・
私は、皇室典範の改正を、そうした短期的、付け焼き刃的な位置づけで論じるべきではないと考える。

今、天皇家は皇統の危機に瀕している。この深刻さを改めて認識すべきである。現皇室は、秋篠宮以降、実に40年にわたり男子に恵まれていない。そして今後も、継続的に皇位継承可能な男子が誕生するという保証はどこにもない。いたずらに時間を空費すれば、早晩、「有資格者」が空席になる可能性がある。
もし、秋にご誕生する紀子さまのお子様が男子であったとしても、残念ながらこの構造的な危機を脱したことにはならない。将来にわたって“綱渡り”の続く状況が、根本的に変わるものではないからである。皇位継承者を「男系男子」のみとする限り、ここ20年以内に本当の危機が訪れると、私は危惧する。
秋篠宮紀子妃にめでたく男子が誕生したとしても、他の宮家を見回せばわかるとおり、実在するのは内親王、女王ら女性皇族ばかりである。時間の経過とともに皇籍離脱制度により、彼女らが民間に嫁いでゆくといずれ宮家は消滅することになる。たとえ直系皇族が残ったとしても、宮家が縮小してゆくと、皇位継承資格者のプールという点で大きな不安材料が残る。

神武天皇から今上天皇まで一二五代の皇統がすべて「男系」で承継されてきたという伝統は、確かに重い。だが、現代社会において、その伝統を守ることは極めて困難であることに、思いを馳せるべきである。例えば、かつてのような側室制度は存在しない。天皇家といえども、少子化という時代環境の埒外に置かれるはずもない。加えて皇室であるがゆえの、ご結婚に際しての困難も、現実問題として存在する。
危機を打開する道はただひとつ。現実に合わない皇室典範を改め、「女性天皇、女系天皇」を認めることである。その意味で、先般の有識者会議の答申は、現実を踏まえた、理にかなったものだったと思う。小泉内閣のもと、その答申に基づく改正案をぜひとも通常国会で議論、可決してもらいたかった。改革のチャンスを逸したことは、残念でならない。

◆とにかく時間がない

有識者会議については、紀子さまご懐妊発表以前から、「十人、十カ月での結論は拙速だ」といった批判が聞かれた。しかし、やがて今日の状況を生むであろう構造的な欠陥が推測できたはずの皇室典範を、半世紀以上も放置してきた政治の責任はどうなるのだろうか。拙速と言われようが、速やかに結論を出さざるをえないところまで、事態は深刻化してしまったのである。
皇室典範改正に批判的な論者からは、「有識者会議のメンバーに、天皇制の専門家がいない」といい批判も出た。だが、その道の専門家ではなく、「国民代表」の有識者に判断を委ねたのは、むしろ評価すべきことだと私は思う。「国民の総意に基づく」(憲法第一条)存在である天皇家の将来を論議するのだから、より国民感情に近いメンタリティを持った人たちによってなされるのが望ましいと考えるからである。

改めて、答申の中身を振り返ってみよう。基本的な視点として示されたのは、①国民の理解と支持が得られる制度であること、②伝統を踏まえたものであること、③制度として安定していること―の三点。③に基づいて、皇位継承順位は男女に限らず「天皇直系の長子(第一子)」を優先、「女性天皇、女系天皇」を認めるとした。
私は継承順位については、「直系の兄弟姉妹間の男子」という選択肢もあると感じる。実際の宮中祭祀などを執り行ううえで、女性には肉体的精神的負担が大きくなる局面も予想されるからである。だがそれは、女性の天皇を否定する理由にはなりえない。「女性、女系」に道を開いた結論は、高く評価していいだろう。
「女性宮家の創設」に触れているのも大変重要だ。現行皇室典範には、「年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意志に基づき、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」(第11条)という規定がある。これを改めて、「新宮家」を認めない限り、結婚適齢期の女性が次々に皇籍を離脱する事態を生みかねない。「男系天皇」云々以前に、天皇家そのものが規模を縮小させていくことになってしまうからである。
こうした方向での皇室典範の改正は、もはや「妥当」の域を超え「必然」である。皇統の存続を危うくしてまで「男系男子」にこだわる理由が、私には理解できない。

もっとも、今回皇室典範の改正に反対している議員などの中には、旧宮家の皇籍復帰を主張する人々もいる。旧宮家11家は、終戦直後の1947年、GHQの指令のもと皇籍を離れた。彼らの子孫から男子を養子に取り、皇位を継承させようという考え方だ。
しかし、これはあまりにも非現実的である。そもそも旧宮家は、伏見宮の系統に属し、現皇室の系統と分かれてから600年の歳月が流れている。皇籍離脱からでさえ、すでに60年近くが経過した。現皇室を“天皇家ファミリー”と認識する国民が、わざわざ「外部」から養子をいただいてまで「男子天皇」の伝統を墨守しようとすることを、是とはしまい。「国民の総意」の形成とは困難だというのが、私の意見でもある。もしそれでも強行すれば、“国民の皇室離れ”という別の危機を招来することが、想像に難くない。余談かもしれないが、強硬な皇室典範改正反対論を掲げる人たちの言葉の端々に、現憲法下の象徴天皇とは違う、戦前回帰のアナクロニズムのにおいを感じるのは、私だけではないだろう。多くの国民にとって受け入れ難いであろう、そうした考え方が、永田町では一定の影響力を持っている。
改正を掲げた小泉首相に対し、閣僚などからも批判の声が相次いだ。超党派の「日本会議国会議員懇談会」が取り組んだ反対署名には、国会議員の3分の1を超える人々が同意している。「時期尚早」という慎重派が多く含まれているとは推測されるものの、政治家には常に国民の真意はどこにあるのかを心に留めていただきたいと思う。

『毎日新聞』が2月10、11日に行った世論調査では、紀子さまご懐妊発表後であるにもかかわらず、女性天皇には78パーセント、女系天皇についても65パーセントが容認、という結果が出た。国民の側には、すでに「天皇が女性でも構わない」というコンセンサスができあがっていることを示す数字だ。
一方、同じ調査で紀子さま出産前の改正案提出の是非を聞いたところ、これは反対が賛成を上回った。首相の改正案提出断念といった、空気の変化を反映したものだろう。「政治」が別の選択を行い、世論に対してきちんと訴えかけたなら、結果はどうだっただろうか。いずれにせよ、皇室典範改正の千載一遇のチャンスを逃した代償は、あまりにも大きい。「紀子さまのお子様の誕生を待って」などと悠長なことを言っている余裕はない。とにかく、時間がないのである。

結果的に、あのタイミングで「女性、女系天皇」を容認する典範改正が行われ、皇太子殿下の第一子・愛子内親王が皇位継承順位第一位になったとしよう。彼女は将来、天皇として国事行為をこなし、宮中祭祀を執り行うことになるのだが、そのためにも「帝王教育」は欠かすことができない。愛子さまは4歳になられている。帝王学をお学びになるとすれば、その準備に入らねばならない年齢に達しつつあるという現実を直視すべきであろう。「時間がない」と述べる最大の理由がこれだ。
「女性天皇」を前提としたさまざまな環境整備も必要であるし、一朝一夕でできるものではない。「評価に値する」と述べた有識者会議の答申だが、そこで触れられなかった重要なテーマがある。「女性天皇」が即位した場合の「皇婿」の問題である。配偶者をどの範囲からどのように選び、どう処理するのか。これは、結構、悩ましい問題である。私見を述べさせていただけば、その処遇などについては法で定める必要があるのかもしれないが、選定に関しては一切の法的規制を設けるべきではない。婿選びはご本人の意思が最大限尊重される、というのが大原則となろう。
いずれにしても、細部まで詰めるためには難解な問題を一つひとつクリアしていく必要がある。にもかかわらず、“男子待望論”の台頭によって、こうした「『女性天皇』の即位が認められた場合の諸問題」は、さらに後景に追いやられてしまったのである。

◆政治の責任は重大である

かねがね主張してきたことではあるが、私は皇室典範の改正議論が、皇室そのものの改革にもつながるものだと期待しているし、そうあらねばならないと思っている。仮に改正が実現し、めでたく「女性天皇」が認められたとしよう。だが、それで天皇家の差し迫った危機が回避されたと、手放しで喜ぶわけにはいかない。皇婿選び、あるいはお妃選びがすんなりいくとは限らない現実があるからだ。何人かのお妃候補が現れては消えた、皇太子殿下の例を引くまでもあるまい。皇室に入るには、やはりそれなりの勇気と覚悟が必要なのである。
同時に行うべきは、天皇家を「日本国民統合の象徴」(憲法第1条)として、国民が真に親しみを持って接することのできる存在にする、地道な努力である。皇室が、国民に向かってより開かれたものとなり、かつ国民に近い存在になることこそが、安定的な皇位継承の前提条件であることに疑いはない。反対に、「伝統」を重んじるあまり、庶民感覚とずれた対応を繰り返せば、国民との乖離は進むばかりである。
皇室典範改正は、皇室改革の入り口である。だからこそ、急ぐ必要がある。民意でもある「女性天皇、女系天皇」を一日も早く現実のものとするために、大局的な視点を持ち、議論を継続しなければならない。政治の責任は、まことに重大である。
(記事終わり)


非常に鋭く的確な論文であり、大きく頷ける重要な内容を多く語っていますね。

大事なのは専門家の意見よりも、普通の国民の率直な感性。「男系男子」という伝統(?)に固執するあまり対局を見失って国民の皇室離れを招くのは本末転倒である。「女帝・女系支持」という民意を反映させる典範改正が、真の意味での皇室改革の第一歩となる―生前退位や立皇嗣などが問題視されている現在だからこそ、重く響く内容です。

私が色々解説を加えるまでもないのですが、敢えて一つだけ取り上げるとすれば、

>同じ調査で紀子さま出産前の改正案提出の是非を聞いたところ、これは反対が賛成を上回った。首相の改正案提出断念といった、空気の変化を反映したものだろう。「政治」が別の選択を行い、世論に対してきちんと訴えかけたなら、結果はどうだっただろうか

という箇所です。
頭では女帝・女系天皇賛成と考えている国民も、「政府の判断がそうなら、そうした方がいいのかも…」と及び腰になってしまったという事実は、非常に深刻だと感じました。「皇族のお子さま懐妊というおめでたいことがある中で、無理やり改正案を通してもねえ…」という遠慮をした国民も少なくなかったのでしょう。
これはほかの皇室問題にも関係することであり、「政府がそう決めたのなら、そうしていい」という国民の判断が、時の政府や一部の皇族によっていいように利用されてしまう危険性があると感じます。
現に今上陛下の生前退位も「国民の総意」ということをうまく利用されてしまいましたし、退位の礼や立皇嗣の礼に関しても同じように「政府がそう決めたなら」とか「国民の総意だから」という一言でいいようにされてしまう危険性をはらんでいます。


笠原教授が指摘しているように、本当の「国民の総意」とはそういうものではないのです。
だからたとえ小さな声でも、「おかしいものはおかしい」と言う意見をたくさん集めることが重要になってくるのではないかと考えました。

次回は、上記笠原教授の論文とほぼ同時期に出た「男系継承など幻にすぎない」という記事をご紹介したいと思います。

皇太子殿下のお誕生日に改めて考える、生前退位と立皇嗣問題~秋篠宮様のリーク関与

皇太子殿下、お誕生日おめでとうございます!お誕生日会見やご一家との映像・お写真を通じて、次代の新天皇陛下の素晴らしさを、若い世代をはじめ多くの人々に改めて知ってもらいたいと思いました。

お誕生日会見でも陛下の生前退位の件や二重権威の件などについて記者から質問が出たようですが、殿下はお言葉を選びながら政治的なことには言及しないよう、賢明な回答をされていました。陛下とのお話し合いの場に秋篠宮様も参加されていたという点にも触れていらっしゃいましたが、やはりただの外廷皇族にすぎない一宮家当主が、当たり前のような顔で陛下と皇太子殿下の会合に参加していることの違和感はぬぐえません。

皇太子殿下は国民に対する御礼のお言葉を何度も仰ってくださり、東宮ご一家と国民との間にある「本物の信頼関係」というものを改めて感じることができ、嬉しいです。そして常に両陛下をお手本とし、感謝を述べられる会見…。「殿下、そんなに両陛下にお気を遣われなくてもよろしいのですよ!」と仰りたいところですが、後々のことを考えると、あそこまで両陛下に言及しなければならない状況なんだろうか…と、心配になりました。

一方、秋篠宮様は過去の会見で「両陛下は好きなことを存分にやらせてくれた、ダメということは言われなかった、そこは有難いと思っている」という趣旨のことをお話したことがあります。ここだけで、秋篠宮様が今まで自由気ままに生き、好きなことばかりでき、自分を律して生きるのとは程遠い生活をされていたことがよく分かります。両陛下がかなり甘やかしたのでしょう。そんな方が、皇太子とほぼ同待遇を受けることになる理不尽さ。皇太子殿下の我慢の連続だった人生は一体なんだったのかと悲しくなりますね。
そして私は、秋篠宮様や紀子妃が国民に対して「感謝」した場面を見たり聞いたりしたことがありません。また、国民の方が秋篠宮ご一家を応援しているという具体的な話も聞いたことがありません。この一点においても、秋篠宮家と国民の間には隔たりがあり、信頼関係も最初からないのだろうと感じるのです。

さて、今回は改めて、陛下の生前退位によって一番“得”をする結果となった秋篠宮様の動きについて、過去記事に触れたいと思います。
陛下の生前退位報道については「秋篠宮サイドからのリークがあった」と言われていますが、その内容について述べられた記事が見つかりました。週刊新潮 2016年10月13日号です。

ワイド特集 男の顔は履歴書 女の顔は請求書
NHKの「生前退位」スクープ 手引きの宮内庁幹部を安倍官邸が更迭


〈不幸な時代の重荷は我々が負わねばならぬ〉とは、「リア王」終幕でのセリフである。天皇陛下が「生前退位」のご意向をお持ちだとNHKがスクープしたのは7月。が、その裏で繰り広げられていた暗闘によって、一人の宮内庁幹部が更迭される破目になったのだ。

10月1日付の宮内庁人事で、宮家のお世話をする責任者である西ヶ廣渉・宮務主管(66)が退任した。宮内庁担当記者が言う。
「我々に内容が知らされたのは9月29日でしたが、記者会では“やはりあの一件か……”と、憶測を呼んでいました」
外務省出身の西ヶ廣氏は、リビア大使やルクセンブルク大使を経て、2014年4月から現職にあった。
「内閣府に任命権のある特別職であり、定年はありません。前任者も退任の目安となっている70歳まで10年務めてきました。それが、わずか2年半での交代ですから、異例と言わざるを得ません」(同)

加えて、前述した“一件”が大きかったというのは、さる政府関係者である。
「NHKがあのニュースを最初に報じた7月13日の直後から、官邸では、誰がどうスクープを仕掛けて記者に伝えたのかという“犯人探し”が始まりました」
その早い段階で、西ヶ廣氏の名が浮上したという。
陛下のお気持ちを受け止められた秋篠宮殿下の意を受け、宮務主管がNHKの記者を殿下に引き合わせる役割を担ったと分かりました。殿下を通じて“お気持ち”を内々に聞かされた記者は、ここからスクープに向け準備を始めたのです」(同)
情報源としては、これ以上のお墨付きはあるまい。

◆度々さや当てを

一方の官邸は、
「かねてより陛下がそうした“ご意向”をお持ちだと知りながら、8月8日にお言葉が発せられるまで、まったく重い腰を上げようとはしなかった。ご意向に添って動き出せば、『陛下の政治的行為』を容認したとも受け取られかねなかったからですが、そんな中でのスクープによって、政権は大変な難題を突き付けられてしまいました」(同)
官邸からすれば、腹立たしいことこの上なく、
とはいえ、陛下や皇族方にこうした憤懣をぶつけられるはずもない。かくなる上は、スクープを手引きした者に詰め腹を切らせよう、となったのです」(同)

安倍政権と宮内庁とは、これまでも度々さや当てを繰り返してきた。官邸から煙たがられていた風岡長官が70歳の誕生日を迎えた途端、退任に追い込まれたことは10月6日号の本誌(「週刊新潮」)でも報じた通りだが、
「宮内庁は今後一層、政権がグリップしやすい布陣で固められることになるでしょう」(同)
そうした“流れ”の中でパージされていった格好の西ヶ廣氏に尋ねると、
「一連の動きには、私は一切関与していません」
あくまで否定しつつ、自身の退任については、
「変革の時期を迎え、新たな体制によってこれを乗り切っていくことになったためだと理解しています」

国民統合の象徴である陛下が切なる思いを抱かれながらも、周囲の不作為でことが進まず、見かねて「お言葉」に至ったのだとすれば、望ましき世とは言い難い。去りゆく幹部の胸中にも、あるいは冒頭のフレーズが去来したかもしれない。
(記事ここまで)



はい、上記記事は、「陛下の生前退位リークには秋篠宮様が関わっている」と明確に述べています。皇室に関するすべてのNHK速報のウラには秋篠宮家が潜んでいる、という事実が隠しようがないほど目の前に横たわっています。

「秋篠宮様の立皇嗣礼を2020年に国事行為として執り行う」ことが決定されたというニュースが報じられたばかりですが、眞子様のグダグダ・ドタバタ婚約騒動がまだ解決されずに国民からの冷たい視線が続いている状況にも関わらず、そのような中で国民の十分な議論が行われないまま、秋篠宮様の未来の地位だけサッサと勝手に決められてしまったという重大な瑕疵。本当に、なぜここまで強行突破するのか、なぜ国民の意見を聞こうとしないのか。言うまでもないですが、やはり敬宮愛子様のご存在が脅威になる前に(成年を迎えられて公務で国民の前に出られる機会が多くならないうちに)、秋篠宮様が次の次の皇位継承者です!というアピールを無理やりしなければならないという危機感が向こうにもあるのでしょう。しかし、そんなこと国民が納得するはずがないのです。

陛下の生前退位によって結局何が決まったか。それは、

●秋篠宮様を皇嗣待遇にして立皇嗣礼まで行い、国内外にその地位を広める
●秋篠宮様に支給される皇族費が今の3倍に増やされる
●しかし皇太子殿下のなさってきた公務をすべて引き継げるかどうか分からないという始末
●新たに設けられる皇嗣職によって秋篠宮家に仕える職員が大幅に増える
●皇嗣職が置かれている間は、東宮職は置くことができなくなる
●皇太子と同待遇になるので、皇籍離脱もできなくなる(仮に不祥事を起こしても皇室を追い出されることがない)

という、実に「秋篠宮だけ得をするプラン」だったのです。

そしてこの件については今上陛下も“グル”だということです。
「自分が生前退位すれば秋篠宮の将来の地位が安定したものとなる、そして敬宮のことを皇位継承者から排除できる」
そうお考えになった陛下と、自分だけメリットを享受できる秋篠宮様がタッグを組んで、陛下の“お気持ち”を西ヶ廣宮務主管を通じてNHKの橋口和人記者にリークさせた。そしてそれを受けて橋口記者=NHKが速報を流した。

もう、この事実は動かしようがないのではありませんか?

皇族無謬派・皇族性善説に立つ人は、これでもまだ「NHKが一方的に情報を流した!非国民!」とでも言うのでしょうか。

結局、天皇や皇族を“左遷・更迭”することなど不可能なので、西ヶ廣宮務主管一人が犠牲になったということです。
西ヶ廣氏が現在どこで何をしているか存じませんが、宮内庁を辞めさせられる代わりに、それに代わる十分な立場や地位を保証されたのでは?という気がしてなりません。

なお西ヶ廣氏のWikipediaにも次のように書かれています。

>2014年4月から宮内庁宮務主管を務め、2016年には秋篠宮文仁親王の意向を受け、「NHKによる天皇陛下『生前退位』の意向のスクープ」(日本新聞協会賞受賞)のため、NHK記者を同親王と面会させたとされる。同年10月宮務主管を退任した。

陛下と秋篠宮様がタッグを組んで実現させた、ご自分たちだけ得をするプランの生前退位騒動が「日本新聞協会賞受賞」ですよ。
もう言葉がありませんね。

眞子様の結婚延期は「女性宮家創設待ち」 のためか?これまでの経緯を振り返る

昨日は紀子妃の第三子懐妊をめぐる一連の記事の続きを挙げるつもりでおりましたが、突然の「眞子様と小室さん結婚延期」の速報が。ブログ更新をいったん保留にせざるをえなくなりました。

そして今日、ほかの重要なニュースを差し置いて、一日中眞子様小室さん関連のニュースばかりという感じになったようですね。すべてのニュースや雑誌記事を追いかけることができず、どこから手を付けたらよいやらと正直な所、困惑中です。

眞子様と小室さんの出会い・婚約・結婚延期までの流れを整理したり、過去の雑誌記事を探したりと地道な作業を続けてはいますが、結局のところ「やはり眞子様のための女性宮家創設を狙っての行動だったのか…」という結論に至ってしまい、暗澹たる気持ちになりました。

この眞子様の婚約に関する一連の騒動も「あまりにも白々しいシリーズ」として拙ブログでも記録に残した方がいいような気がしていますが、どこまで掘り下げることができるかは未知数です。

ひとまず、眞子様と小室さんの出会いから結婚延期、そしてそれに関連する出来事などを時系列にまとめてみました。

2010年(平成22年)、眞子様小室さん、ICUに入学

(眞子様、一時期同級生のY守氏と交際していた?ようだが別れた?彼と一緒にいる写真が多数流出済み。)

2011年12月1日、野田総理(当時)、「女性宮家創設は緊急性の高い案件」と突然言い出す

2012年春~夏頃?眞子様小室さん、ICUの「意見交換会」で出会い、その一カ月後からデートし交際開始か?
※小室さんも「交換留学前からお付き合いを始めた」と会見で述べている

2012年9月、眞子様はイギリスへ、小室さんはアメリカへ留学

2012年10月、民進党の野田総理が内親王限定の女性宮家などに関する論点を公表する

2012年12月、総選挙で民進党敗北、自民党勝利、26日安倍政権誕生となり女性宮家案は白紙に戻される

2013年12月、婚約会見によればこの時に小室さんからプロポーズ、眞子さまも了承(ただし具体的な結婚時期は未定)

2014年6月7日、ポストセブンで「美智子様、首相が女性宮家創設を白紙に戻したことを憂慮」という記事が出る

週刊新潮2014年6月12日号で、紀子妃が女性宮家創設の進捗状況を気にしているという記事が出る
※拙ブログでも記事をご紹介しています。詳細はこちら

2016年7月、陛下の生前退位ご希望が報じられ、同年8月8日、象徴としてのおつとめについて陛下の会見が行われる

2016年10月、眞子様と小室さんの電車内での2ショット画像が女性誌に掲載される

2016~2017年にかけて生前退位法案の検討開始(秋篠宮様を「皇嗣」待遇などというおかしな事項も勝手に話し合われる)

2017年5月頃より、野田元総理、「女性宮家を急げ」と度々主張する

2017年、安倍政権、加計問題や共謀罪法案の件で色々窮地に立たされる

2017年5月16日、眞子様小室さん婚約発表(NHK速報)

ビジネスジャーナル2017年5月18日号で、婚約速報は皇室側からのリークか?という記事が出る

ポストセブン2017年5月22日号でも秋篠宮家に深く入り込んでいるNHKの橋口和人記者に関する記事が掲載される

2017年5月29日、陛下の生前退位法案の付帯決議事項で「女性宮家に関しては法施行後速やかに検討」という方向になる
※「法施行後」とは今上陛下退位、新陛下即位後の2019年5月1日以降になるということ。
(眞子様宮家の可能性は本来ならここで事実上なくなったはずだったが…)


2017年6月9日、生前退位法案成立、6月16日公布

2017年7月8日に行われる予定だった婚約会見を豪雨被害のため自粛・延期に

2017年9月3日、眞子様と小室さんの婚約が正式に内定、会見を行う
※納采の儀は2018年3月4日、披露宴は同年11月4日という発表もあり。この時点で「結婚の時期が遅すぎでは」という意見が相次ぐ

眞子様のために女性宮家を早く作れと言う声がある一方、国民の大半はまったく盛り上がらず降嫁前提で話が進んでいく
(眞子様皇族として最後の〇〇、のような報道の仕方をされる)

週刊新潮2017年12月14日号で、女性宮家案を潰した安倍政権に対し両陛下が「恨み骨髄」でいるという記事が出る

2017年年末~2018年にかけて複数の雑誌が小室家のカネ問題について相次いで報じる

2018年2月5日、希望の党の津村議員から女性宮家に関する答弁が出るも、安倍総理関心を示さず

翌日2月6日、眞子様小室さん「結婚延期」へ、なぜか時期は新陛下即位後の再来年2020年まで異様に引き延ばされる

現時点で出ている情報など
●「婚約は早すぎた」「準備できていない」と眞子さま小室さん謎の言い訳
●今になって「陛下の退位や新陛下の即位関連行事があるから~」ということを言い訳にしている
●まだ結婚の準備が整わないと言いながら、ブータンや南米など海外公務に出る余裕はあるという矛盾
●「NHKに婚約のことを勝手にリークされた」とNHKが一方的に悪いという批判が起きている模様
(このリークは秋篠宮家サイド自らが行ったという記事がいくつも出ているのに)
●小室さんは秋篠宮家に「母親の借金のことは知らなかった」と嘘をついていた?
(雑誌記事では小室さん本人も母親の借金の件を把握していたと書かれている)
●婚約内定会見までしたのに結婚の準備をしている様子がなかったという複数の証言あり?
●小室さん側の使者もまだ決まっていなかった?
●警察は小室家のスキャンダルについて以前から把握していたし雑誌に載ることも知っていた?
●宮内庁はあくまでも「結婚延期と小室家に関する雑誌報道は無関係」と主張
●秋篠宮ご夫妻、眞子様の件があったのに公務先で妙に晴れやかな笑顔でいらした
●眞子様お可哀相、という意見が目立ち女性宮家賛成派が勢いづいている模様


今後の予想:
●新天皇陛下即位後の女性宮家創設案に賭ける?
●相手は小室さんでも別の男性でも、新陛下即位後にとにかく眞子様が皇室に残っていればいいと考えている?
●今年9月に自民党総裁選があり、ポスト安倍と言われている岸田氏や石破氏が当選になるか?という声も聞こえている。石破氏は女性宮家賛成派であり、眞子様が結婚を異様なまでに先延ばしにしたのは、石破氏など女性宮家賛成派の議員が自民党総裁になる可能性があるのでそれを待っていたという見方もある。
●「眞子様と小室さんのトラブルは出来レース、何らかの理由で二人の結婚を可能な限り先延ばし先延ばしにして、カネの問題が片付いたら晴れて二人の結婚を認めて女性宮家を作ってもらおうという魂胆か?」という意見も…。
●眞子様と小室さんの関係が自然消滅することを狙っている?という見方も多い
●眞子様を「秋篠宮皇嗣殿下()」の長女という立場で箔付けして結婚させたい意向もあるか?


何もかも、両陛下と秋篠宮家の思惑通りに事が進んでいて気持ち悪いの一言に尽きます。

西部邁氏は秋篠宮ご夫妻の「喪中婚約」に苦言を呈し、女帝・女系天皇にも賛同していた

今日は少し予定を変更して、先日自死を遂げた西部邁氏の過去の発言について取り上げてみたいと思います。
過去の雑誌記事や資料を整理している中でたまたま見つけたものでした。

西部邁氏は保守派の評論家として活躍していた人であり、以前から周囲に「そろそろ死ぬつもりだ」と告げていた上での入水自殺だったので、驚いた人も多いのではないでしょうか。

その西部邁氏ですが、なんと礼宮と川嶋紀子さんの婚約について苦言を呈していた事実がありました。
その内容を抜粋したいと思います。

「The Bigman」 1990年9月号より

あの婚約発表された時は、まだ昭和天皇の喪中でしょう。
今や日本社会のマナーもだいぶ崩れましたが、それでもよほどの事情が無い限りおじいさんの一周忌までは慶事を避けるでしょう。

なんといっても憲法で「象徴」って書かれているわけで、ということは日本の伝統を護る義務があるんだと思うんですね、ロイヤルファミリーは。

それを今度自ら破ったわけです。

(引用ここまで)


「The Bigman」という雑誌は現在はおそらく休刊(廃刊?)になっていると思われますので、詳細は残念ながら不明な点が多いです。
短いコメントではありますが、西部氏は保守の立場から、やはりあの秋篠宮ご夫妻の喪中婚約はひときわ許しがたいと感じたものがあったのでしょう。
西部氏も嘆くように、秋篠宮ご夫妻は日本国民が大切にしてきた「伝統」を自ら壊してしまった張本人たちなのです。それなのに「男系男子の継承という“伝統”を守るのは自分たち!」と言わんばかりに東宮ご夫妻を差し置いてお世継ぎを作ろうとした態度は、誠に何の冗談かと言いたくなります。その上さらに「皇室の伝統」にはないはずの皇嗣待遇だの立皇嗣の礼だのは辞退しないという矛盾。秋篠宮家のように一部の皇族は、「伝統のもの」と「伝統でないもの」を、その時の都合によって使い分けるという狡猾な手段を用いているわけです。

なお西部氏は別の機会に、女性天皇・女系天皇に賛成している内容のコメントも残しています。
弘兼憲史氏との共著である「本日の雑談<9>」からの引用です。

直系で男がいないのなら、端っこの傍系から男を持ってきても、不都合極まるでしょうから、女帝としてもかまわないと思うんです。

それに、その女子がお婿さんを迎えて、そこで生まれた男子でも女子でも、天皇にするというのも一向にかまわない。


僕はこう言いたいです。皇室から「日の丸」に至るまで取り払ったとき、自分たちは何を欲するかということを、深刻な思考実験としてやってみる必要がありはしないか、と。

フランス革命でマリー・アントワネットとルイ16世が殺された夜、パリがシーンと静まりかえったと言うんです。それまではみんな興奮してたわけですけど、王様夫婦の首をギロチンでちょん切ったあとに、自分たちは何をしたのだろうって呆然としてパリが深閑と静まりかえった。日本人はそういうことを経験してない。そろそろ何か深刻なことを経験してみないと、おのれらの罪深さを感じられないのではないか、という気がします。
(引用ここまで)


私は西部氏がここまで明確に女帝にも女系天皇にも賛成していたことをつい最近知り、驚いています。
ご病気を抱えていたとはいえ、まさに新しい次代を迎え、敬宮愛子様と秋篠宮様の皇統問題で揉めている中、もっと意見が聞きたかったように思います。
西部氏の目には、平成皇室のゴタゴタがどのように映っていたのでしょうか。
自ら死を選ばれたことは非常に残念なことでした。

「公務による謝礼」と「仕事しているフリ」が欲しいだけ?秋篠宮家が公務をしたがるワケとは

ここ最近、出雲大社に嫁がれた典子元女王を巡る記事が出たようですね。私はまだ目を通していませんが、内容はほぼ根拠のない噴飯ものの記事であったとか。高円宮家の皆様に関しては、以前から意図的に貶めるようなバッシング記事が書かれることが多いため、今回も何か意図があってわざわざ書かれたものであるのでしょう。高円宮家は東宮ご一家と非常に親しい間柄であるので、どうしても貶めたいと思う連中がいるとしか思えません。
典子元女王はあの若さで千家家に嫁ぐことを早くから決意していたと聞きますし、お父様(高円宮殿下)を失うという悲しみを乗り越えて、優雅に笑って島根に行かれた方ですから、ちょっとやそっとのことで夫婦仲がこじれることはないのではないでしょうか。千家夫妻を貶める記事は書かせた人間の「願望」でしかないと感じます。

また一方で、眞子様の婚約者である小室圭さんの母親の借金を巡る記事も出たようですね。

秋篠宮家はご存知か! 眞子さまの婚約者・小室圭さん母「400万円」借金トラブル

こちらもざっと目を通しただけですが、小室さんの母親の阿漕な態度にびっくりするとともに「秋篠宮家にはどうしてもこういう金銭トラブルの話がついて回る運命なのか…」と考えてしまいました。

そもそも秋篠宮家自体が皇族としての品格や矜持を持ち合わせているとは言えない状況です。
山下晋司氏などを使っていつも声高に「金がない、職員が少ない」と喚き、
その甲斐あって(?)、秋篠宮家は次代で「皇嗣待遇」として破格の皇族費支給と職員配置が行われる結果となりました。
小室家だけを悪く言うのは簡単ですが、そもそも眞子様の母親の紀子妃の出自も良いとは言えず、何度も言うようですが結局は「歴史は繰り返す」のだという思いを新たにした次第です。

眞子様ご自身は本当に小室さんを好きになって結婚したいと思ったのでしょうし、二人で力を合わせて民間人として生きるのであれば外野がとやかく言うことはないと思います。ただ、女性宮家を狙っているとか、小室さん親子が今後も何らかの形で皇室に集ろうという気持ちでいるようであればそれは許されないことです。

さて、典子元女王の結婚、女性宮家、そして秋篠宮家の「公務したがり」の3つが関連している過去記事を見つけました。今回はその記事を番外編としてご紹介したいと思います。

週刊新潮 2014年6月12日

特集「典子女王」婚約で「忙しくなるわ」と洩らした「紀子さま」
「女性皇族」結婚ラッシュの近未来


適齢期を迎えられた女性皇族の“結婚ラッシュ”という近未来を予感させるかのようだった。2005年当時の紀宮さま(黒田清子さん)以来、皇室へ9年ぶりに舞い込んだ高円宮典子さまご婚約という慶事の報。これに接して、紀子さまが洩らしたお言葉の真意とは。

<ミシンは正直である。機会の癖に、ミシンを掛ける女よりも素直に女の気持ちをしゃべってしまう>
向田邦子『隣りの女』における冒頭のフレーズは、何気ない女性の所作のなかに、図らずも真情が露呈されることがあるのを、巧みに言い当てている。
先月27日午後、東京都港区元赤坂にある赤坂御用地内の秋篠宮邸。延べ床面積1800平方㍍を誇るこのお住まいで、職員に見せた紀子さまのお振る舞いは、この一節を思い出させるのに十分だった。
ちょうどこの日午前、高円宮家の次女・典子さま(25)と、出雲大社宮司を代々務める千家家の長男で同神社禰宜の国麿さん(40)のご婚約が発表されていた。そして、その知らせを伝え聞いた紀子さまは、
「これから忙しくなるわ。眞子にも頑張ってもらわなければ…」
と洩らしたのだ。その際、溢れる喜びを隠し切れないご様子だったという。

「この3月、国際基督教大を卒業された眞子さまは、お勉強のできる優秀な方。その後は大学院に進まれるものと思っていましたら、公務専念を選ばれた。これは立派なことですが、その頑張りをもってしても皇族の絶対数が足りないから、忙しくなるのは当然のこと」
と文化学園大学客員教授の渡辺みどり氏が指摘するように、未婚の女性皇族は目下8名。典子さまが結婚される秋以降、公務に専念なさる女性皇族は、眞子さまだけとなるのだ。
眞子さまはすでに単独公務もこなされており、
「先月26日には、千鳥ヶ淵の戦没者拝礼式に皇族代表として出席されています。さらに今年9月から、岐阜で行われる『国際陶磁器フェスティバル美濃』の名誉総裁をお務めになることも決まっている。眞子さまには、ご両親と重ならない形で、公務のフィールドを開拓されている様子が窺えますね」(宮内庁関係者)
この関係者は、紀子さまの“真情”を忖度し、こう続ける。
「ただでさえ少ない未婚の女性皇族が1人減ることで、公務中心に活動される眞子さまへ期待が集まることは必至。いきおい、宮家の存在感を高めることができる。紀子さまが、殊の外お喜びになったのは、そんなお考えがあってのことなのでしょう

ともあれ、女性皇族はあげて、結婚にふさわしいお年頃となっている。ゆえに、ある皇室担当記者は、近い将来の「結婚ラッシュ」を予想するのだ。
「今年の4月から、京都市立芸大・芸術資源研究センターの特別招聘研究員に転じられた寛仁親王の長女・彬子女王はすでに32歳。長らく交際中の方とのご結婚をほのめかされたことが、幾度となくありましたから、要注目です。また、次女・瑤子女王も三十路。勤めていた日本赤十字社をお辞めになり、この1月からは友愛十字会の総裁につかれた。父の寛仁さまが生前、その任におありでしたが、お相手を探すには時間的に余裕のあるポスト。また、典子さまの姉の承子女王は28歳。かねてより活動的な方で、ご結婚もそう遠くないと言われています」
煎じ詰めれば、僅々数年の内に、典子さまを含めて4人の女性皇族が結婚され、皇室から離れられる可能性がある。これに伴って、皇位継承資格者2人を抱える秋篠宮家の注目度は、いや増しに高まっていくわけだ。
そのうえ年末には、眞子さまの妹・佳子さまも成年を迎えられる。
佳子さまは今年の一般参賀を、一般客に扮してお忍びで見学なさっています。これは、様々な公務にお出ましになる前に、声の強弱や目線などを事細かにリハーサルされる紀子妃のご指導の賜物でしょう」(同)
来る新年2日の一般参賀では、成年皇族となった佳子さまが晴れてお披露目となる予定で、皇室関連の話題を秋篠宮家が独占しそうな勢いなのだ。

◆“昼夜逆転”の雅子さま

もうひとつ、紀子さまを喜ばせた出来事にも触れておこう。悠仁さまが通われてるお茶の水女子大附属小学校で、運動会が開催された先月24日のこと。ある皇室ジャーナリストによれば、
「この運動会では、宮家としては初めて取材が設定されました。東宮家では当たり前でも、宮家ではそんなことは前代未聞。運動会という、いわば私的な空間を公開することで、秋篠宮家と東宮家がほぼ同格であると“アピール”できたことに、紀子さまは安堵されたといいます
大いに面目を施した恰好の紀子さまだが、学校側の手際よい取材対応にも、頬を緩ませていらっしゃったのだとか。
「運動会前日に、取材陣を呼んで撮影の予行演習をするなど、下準備も万全だった。何か遺漏があれば、秋篠宮家に批判の矢が飛んできかねない。そういった重要な局面をうまくクリアできたことで、紀子さまはご機嫌だったのでしょう」(同)

かように気力、体力ともに充実なさっている紀子さま。となれば、おのずと思い出されるのが、兄嫁の動静である。療養が10年を超えた雅子さまのご体調は依然、はかばかしくないようで、
「皇太子さまが今月17日~23日の日程で、スイスを公式訪問されることになりましたが、これに雅子さまは同行されません」(前出の記者)
雅子さまは、昨年4月末にオランダを訪問してこちら、前向きに公務へ参加される姿が見られた。8月から11月にかけて、被災地の東北各県をまわられ、病からの快復傾向が取り沙汰されたのだが…。その後はほとんど公務をこなすことはなく、訪蘭前に見られた、昼夜逆転の生活に戻られてしまったという。
「現在、未明になって床につかれ、正午近くにお目覚めになる毎日です。他の人とはかなりずれていますが、雅子さまにとってはこの生活リズムが非常に楽だということ。そんな状況ではむろん、スイス訪問など叶いません。もっともオランダについては、先方から請われてのものだったので、2つの行事にお出ましになるだけで済んだのですが、今度のスイスはそうは行かない。日本との国交樹立150周年といった記念すべき行事が、待ち構えていますからね」(同)
精神科医で京都大学非常勤講師の片田珠美氏が、雅子さまの病状を分析する。
「一度快復の傾向が見られてもまた落ち込んだり、あるいは元の良くない状態に戻ってしまうのは、適応障害の患者さんにありがちなことです。雅子さまは今、『睡眠相後退症候群』ではないでしょうか。これが、社会的に望ましい時刻に眠りにつき、目を覚ますことが慢性的に困難な状態を指します。東宮内で、雅子さまが起きてこられなくても問題ない状況があり、それが昼夜逆転生活を助長していると言えます」
さらに片田氏は、紀子さまの存在そのものが、雅子さまの体調に大きな影響を及ぼしていると断じる。
「雅子さまは男子を授かっていないということに、心残りがおありになるのではないでしょうか。何かと比較されてしまう紀子さまに対して、複雑なお気持ちを抱いていらっしゃるかもしれません」
病の元が拭い去れない性質のものである以上、病状は停滞しかねないのではないか―。片田氏は心配を募らせるのだ。

◆生じかねぬ“身分の差”

さりとて、万事快調に見える秋篠宮家にも、くすぶった燠(おき)のように、悩みの種子がないわけではない。
「紀子さまは『女性宮家』創設問題にかなり注目されていて、職員にその進捗ぶりをしばしばお尋ねになる。このテーマは天皇陛下のご意向そのものでもあり、その委曲を質されるのは異例のこと」
こう話すのは、ある皇宮警察関係者。加えて、そういった紀子さまの行状の背景について、
「眞子さまと佳子さまに、“身分の差”が生じかねないことへの憂慮がある」
と打ち明けるのだ。
現状の皇室典範では、女性皇族が一般男性と結婚した場合、一般国民となると定められている。
「皇室典範が改正されることなく眞子さまが結婚されれば、皇籍を離脱する。その後に女性宮家が創設され、それから佳子さまが結婚されれば、佳子さまは皇族のままでいることになる。つまり、姉妹に身分の差が生じる可能性があり、秋篠宮家は好ましからざることと捉えていらっしゃるのです」(同)

皇室制度に詳しい、京都産業大の所功・名誉教授が、こう苦言を呈す。
「法律というものは、来歴をふまえながら現実と乖離しないように、微調整していくのが常識です。三代先に天皇となられるであろう悠仁さまの近くに、身内の方が皇族としておられることが望ましい。具体的には、少なくとも姉の眞子さまと佳子さま、および従姉の愛子さまが皇室に留まり、女性皇族として公務を分担できるようにしておく必要がありますね」
そうは言っても、眞子さま、佳子さま、そして愛子さまと結婚した男性は皇族になるのか否か、生まれた子供も含めた生活費や身辺警護はどうなるのか、といった問題は尽きない。
茫然とした皇室の近未来。「忙しくなるわ」発言に込められた真意とは裏腹な紀子さまのご懸念は、そう簡単に払拭されるものではないのだ。
(記事終わり)



一読して、紀子妃の「いやらしさ・したたかさ」全開という感じの記事だなと思いました。
紀子妃は、典子元女王が皇室を離れることで、その分の空いた公務が自分たちの家(秋篠宮家)に回ってくるものと思い込んでいたのでしょう。
しかし現状を見ると、典子元女王の公務は、秋篠宮家には回ってきていないように見えてしまいます。秋篠宮家があれから更に多忙を極めるようになったという印象はないですし、典子元女王の公務は姉妹である承子様や絢子様、あるいは従姉妹である彬子様や瑤子様に譲られたと見る方が自然だと思います。紀子妃がなぜ「うちの眞子に公務が回ってくるはず」と考えたのかは分かりませんが、その根拠のない自信が滑稽でもあります。
それどころか眞子様は最近の雑誌記事で「公務も大して多くない、ICUの大学院も“幽霊学生”の状態」で、「実はかなりヒマ」「サボリ」という実態がバラされていたと思います。

紀子妃に限らず、秋篠宮家の方々は決して「仕事がお好き」というわけではないと思います。むしろその逆で、「いかに少ない仕事で多額の謝礼を得るか」「いかに趣味を“仕事”と見せかけて忙しいフリをするか」ということばかりに情熱を注いでいるようにしか見えないのです。特に紀子妃は「公務とは楽して多額の謝礼を得られるものであり、東宮家よりも優位になっているように“見せかける”ためのツール」としか考えていないでしょう。
そもそも紀子妃は、社会人経験がないまま(社会で働いてお金を稼ぐ大変さを経験しないまま)皇室に嫁いできてしまった方です。仕事をする大変さも充実も知らずにここまで来てしまい、金銭感覚も経済感覚もおかしい所があるのは否定できません。

また、秋篠宮様ご自身も、先日のお誕生日会見で「皇太子殿下の公務がいずれ自分に譲られることになる」と自信満々に述べていましたが、このご一家は「ほかの皇族の公務が自分たちの所に来る」ということに過剰な期待を寄せすぎ、それを利用して自分たちの皇室内での地位が更に上がることばかりに鼻息を荒くしている点が非常に不愉快なのです。
公務の質など考慮せず、ただ量が増えて「謝礼が多く入る」「忙しいフリができればよい」「それによってほかの皇族よりも仕事していると見せかけることができる」という意図が透けて見える所に、このご一家のいやらしさが感じ取れます。


女性宮家の件も上記記事で触れていますが、この記事では「女性宮家を切望しているのは陛下と紀子妃」ということが明確に書かれています。そしてただ女性宮家を望むだけでなく、「姉妹で身分が違ってしまったら不都合でしょ?だから眞子も佳子も二人とも皇室に残すことが大事なのよ」という図々しい野望を隠そうともしていません。

東宮アンチ連中が「女性宮家は雅子様が欲しがっている!」というデマを流したこともありますが、雅子様は女性宮家については過去に一度も意見をおっしゃったことはありませんし、噂レベルでも「こうお考えになっている(だろう)」という記事も出てきたことがありません。東宮ご一家は常に沈黙を守っていらっしゃり、決してご自分たちの願いを口にされたりはしないのです。逆に、東宮家の中堅職員が「女性宮家はうちには関係ない話」と話したことがあるという記事が出たくらいですから、女性宮家はあくまでも「眞子様・佳子様」ありきのものであって、敬宮愛子様や女王さま方のお名前はほとんど出てきたことがありません。
女性宮家案は、秋篠宮家だけが勝手に希望し、秋篠宮家の都合だけを考えて捻じ曲げられようとしているのです。

上記記事が出たのは約3年前ですが、小室圭さんという物議を醸す人物が眞子様と国民の前に現れたため、秋篠宮家が当初野望として考えていた女性宮家案は国民からの支持を失いつつあるように思います。小室家に関するきな臭い記事が次々と出すぎてしまい、「小室さんみたいな親子を皇室に関わらせては危険だ」という認識を持った国民は着実に増えていると思われます。今まで秋篠宮家を応援していた人々まで小室さんをボロクソに言って秋篠宮家に反旗を翻しているようですから、その破壊力はすさまじいものがあります(笑)。

しかし、小室さん親子は「川嶋紀子」さんの血が引き寄せた人たち、とどうしても感じてしまうのです。
「類は友を呼ぶ」とでも言うのでしょうか。
私の目には、「秋篠宮家=川嶋家」と「小室家」は、ある意味釣り合った家庭同士としか見えませんね。

雅子様のお誕生日文章で感じたこと―眞子様は雅子様のお優しさに感謝してください。

雅子様、お誕生日おめでとうございます!東宮御所でのワインカラーのお洋服の時も、そして皇居にご挨拶に向かわれる時も、雅子様の笑顔が輝いていてとても嬉しい気持ちで一杯でした。10年以上前、雅子様はお心を痛められて本当にお辛そうでしたが、あの頃よりも表情が生き生きしていて、ああ着実にご快復されているのだな…と感慨深くなりました。

今年の雅子様のお誕生日文章の中には、小室さんと婚約した眞子様へのお祝いのお言葉も入っていました。
私はこの時、雅子様のお優しさにホロリとするとともに、皇太子ご夫妻の行啓にご自分の婚約会見をぶつけてきた眞子様への怒りが少し再燃してしまいました。あれは今でも東宮ご夫妻に失礼極まりない行動だったと個人的には思います。
眞子様は果たしてあの後、小室さんと二人できちんと東宮御所に訪れて婚約したことを東宮ご一家にご報告したのでしょうか?したのであれば良いのですが、眞子様と小室さんが二人だけで東宮御所を訪問される様子がいまいち想像できないのです。

それでも雅子様はきちんと眞子様へのお祝いを述べられましたね。雅子様の器の大きさと懐の深さを改めて尊敬いたします。
両陛下や秋篠宮ご一家や清子さんのように、あからさまに会見や文章で「自分は不愉快に感じています」という態度を示す皇族の方に問題があるんですけどね…
雅子様はご自分の行啓に姪が婚約会見をぶつけてきたこと自体を気になさってはいないのかもしれませんが、眞子様は雅子様のお優しさに感謝すべきだと思いますし、今後は是非とも失礼な態度をとらないように心がけていただきたいと願います。


話題は変わりますが、富岡八幡宮の事件は本当に驚愕しました。あれも「本音では男子しか宮司にしたくない・女子の宮司など認めない」という神社本庁と富岡八幡宮の確執がまずありました。そして今までさんざん放蕩で自堕落な生活を送ってきたにも関わらず、正式に宮司になった姉を逆恨みして犯行に及んだ弟の姿に「男だから」というまさにその一点だけで自分の地位が守られると思うことの愚かさをしみじみ感じます。皇室もまさに「男だから」という理由だけで、直系長子の東宮家の姫君を差し置いて守られようとしている方々がいらっしゃいますからね…。

現在、雑誌記事などの整理に手間取り、なかなか新規にブログ記載に取り掛かれずに大変恐縮です。書きたい記事は色々とあるので近日中に再開できればと思っております。

敬宮愛子様のお誕生日ニュースを拝見して改めて考えたこと

敬宮愛子内親王殿下、お誕生日おめでとうございます!はにかむような笑顔が可愛らしく、明るく輝いていてこちらも嬉しい気持ちになりました。
敬宮様のお誕生日ニュースでは、「英語で海外の王族と歓談されたこともある」と報じられていました。そしてスポーツや音楽、勉強などに一生懸命に気高く取り組まれる過去の映像も同時に出され、改めて「やはり敬宮様こそが未来の皇太子、女性天皇になるべき方ではないか」という思いを強くしました。

昨日の秋篠宮様のお誕生日会見については、また当ブログでも取り上げて検討する予定でおります。ニュースの一部を見た限りでは、また政治的なことに踏み込んだ発言や不遜な意見などがあったとか…。
誕生日会見は秋篠宮様の人となりが如実に表れる貴重(?)な場面だと思いますが、「この方を皇嗣扱いするのは本当に納得いかないし不安が大きすぎる」というのが正直な感想です。

今日は敬宮様のお誕生日と同時に今上陛下の生前退位日と新天皇陛下即位の日について決める皇室会議もありました。秋篠宮様のお誕生日、そして敬宮様のお誕生日と続きこの会議が行われたわけですが、ほとんどの国民が「何で秋篠宮様が皇嗣になるんだろう、敬宮様の方が立派なのに「女子」という理由だけで皇位を継げないなんて…」と感じたのではないでしょうか。

「秋篠宮様が皇嗣になることはもう決定事項だから」といわんばかりな報道に嫌気がさしていますが、秋篠宮様は皇太子になれるわけではないですし、確定的皇位継承者と決まったわけでもありません。だから望みはまだ捨てることなくいきたいと思います。

今でもまだ通用する2004年当時の「敬宮様女帝」記事

数回にわたり2004年当時の皇族方の会見と雑誌記事を振り返ってきましたが、そこで最初にご紹介した雑誌である2004年12月18日号の週刊現代に、秋篠宮様の会見記事と同時に「愛子様天皇即位の可能性」について触れていた記事も掲載されていました。
もう13年も前の記事ではあるものの、今でもまだ十分に通用し、多くの国民が切望する内容が含まれていると思われます。今回はその記事を「番外編」としてご紹介させていただきたいと思います。

政府が「女帝」の検討を開始
愛子内親王は天皇になれるか


12月1日の毎日新聞のスクープ、「『女性天皇』政府内で検討」報道が波紋を呼んでいる。
現行の皇室制度について定めた『皇室典範』は、皇位継承者を「男系の男子」として女帝を認めていないが、憲法では男女の別は定めていない。そこで、憲法を改正せずとも、典範の改正案が国会で過半数の賛成を得られれば女帝は可能との立場で、政府は数年後をめどに国会に改正案を提出する方針だというのだ。
こうした動きの背景には、秋篠宮誕生以降約40年間、皇族の男子が生まれておらず、天皇家の存続が困難になるという危機感がある。女子しかいない宮家も同様で、結婚して民間人になれば、そう遠くない将来、宮家もすべて廃絶となるのである。

それを踏まえた上での改正案のポイントは2点。まず第一は、「男系の男子」のみの継承を定めた皇室典範1条を改正して女性皇族の皇位継承を認めること。第二は、女性皇族が民間の男性と結婚した場合は皇籍を離れて民間人になるという12条を改正し、結婚しても皇室に残り宮家を設立できるようにすることだ。
細田官房長官は、「目下のところそういう方針はない」とこの報道を否定している。
しかし、ある自民党代議士は、「皇太子ご夫妻が男子を、という期待から受ける重圧は想像以上のものがあるでしょう」
と、皇太子夫妻のためにも改正の必要があると語る。

改正の動きは実際に起こっていると話すのは、宮内庁職員だ。
「自民党内では愛子様が皇位を継承できるような法改正案が煮詰められていて、小泉政権のうちに行うつもりだと聞いています」

そこで問題となりうるのが、改正にまつわる諸問題だ。
女帝を認めると、まず愛子内親王の天皇即位が可能になるが、仮に愛子内親王の子が皇位を継承した場合、その子が男子であれ女子であれ「男系男子の継承」という天皇家の伝統が途切れる。「男系男子の継承」とは、皇位継承者の父の父、ないしは父の父の父が天皇と、あくまで「父の血筋」でつながっていることを意味する。しかし、愛子内親王の子が天皇になればそれは、母が天皇である、「女系」皇族が初めて皇位を継承することになる。
旧宮家の一人はこう話す。
「男女同権とか、女性差別とかいった議論とまるで次元が違う。『女系天皇』の誕生は天皇家の『血の取り決め』を破壊することになるんです」
湯浅利夫宮内庁長官の「秋篠宮に第3子を」という発言からもわかるように、宮内庁では、男性天皇を望む声が依然として強い。改正のタイミング次第では黒田慶樹氏と婚約した紀宮にも皇籍に留まることが可能になり、男児が生まれた場合、その子が皇位を継承できる可能性も出てくる。そのため、紀宮の結婚前に法改正を、という声も宮内庁や旧宮家の間で出始めている。

ただ一方でこんな意見も聞かれる。『フォーブス』のアジア太平洋支局長、ベンジャミン・フルフォード氏は、「まったくの時代遅れな発想だ」とこう語った。
「現行の皇室典範にこだわるのは、世界の流れに逆行して、国際常識からかけ離れたことだと思う。これでは国民の心はどんどん皇室から離れていきますよ。海外のメディアは、雅子様は伝統やしきたりにしばられているのではないか、気の毒だ、という目で見ている。ある程度、自分の好きなことができるような環境をつくることは新しい皇室、皇族のスタイルとして必要だと思いますよ」
これからの本格的な議論が求められている。

(記事終わり)
「改正されれば雅子妃の負担も減るのか」というキャプションあり)

上記記事の通り、小泉政権では、きちんと敬宮愛子様が皇位を継げ、そして女性皇族方も宮家を創設して皇室に残れるようにするという典範改正案が議論されてきました。しかし、秋篠宮ご夫妻に「第三子=悠仁様」ができたことを受けてこの議論は凍結されてしまいました(正しく言えば当時の安倍官房長官に改正案を握りつぶされました)。

現在でも「女性宮家案」が議論に出てくることはありますが、「内親王限定」であり女王方は視野に入っていない点、そしてまったく皇位継承に関わることのない、単なる「公務要員」としてしか考えられていないという点で、2004年当時の考え方とは大幅に異なってしまっています。
一番ひどいのは、今では「敬宮愛子様を女性天皇に」という声がほとんどかき消されてしまい議論の俎上にすら上げられる機会が奪われてしまった点でしょう。
小泉政権時代に典範改正案が無事に成立していれば、敬宮様が天皇になられ、ほかの女性皇族たちも問題なく皇室に残ることができたのです。それなのに愚かな人物たちがこの案を叩き潰し、今頃になって「悠仁様お一人になってしまったら皇室が成り立たなくなる、どうしよう」と大騒ぎしているのです。あまりにもアホ過ぎて笑いも起きません。
そこで「内親王限定の女性宮家を!」という声が出てきたのですが、これがまた見事に「秋篠宮家しか有利にならない案」であることが露骨であり、どなたがこの「虫が良すぎる案」を支持しているのかが丸わかりです。

●皇位はあくまでも男系男子である悠仁様へ
●内親王である眞子様と佳子様には女性宮家を!
●女王方は無関係なので降嫁してください
●敬宮様も内親王なので女性宮家を認めるけど、皇位継承はできません(公務だけ負担してください)
●仮に内親王方が皇室に残っても、悠仁様が天皇になったら、従姉妹にあたる敬宮様よりも、実姉である眞子様佳子様の方が身分が上になってしまう可能性がある(敬宮様の地位を秋篠宮家より下げることが狙い)


という案で一番得をするご家庭はどこでしょうか?なんて、問うまでもないでしょう。
眞子様は小室圭さんと結婚して民間に下ることを決意したかのように見えますが、正直言うと「油断は禁物」ですね。結婚時期までまだかなり間がありますし、今でも女性宮家創設を狙って皇室に残れる道を必死に探っているかもしれませんので。

現在「女性宮家を支持します」「女性宮家賛成」と言う人々が、一体どういう姿勢で「支持・賛成」と言っているのかは厳しく吟味する必要があると思います。「女帝」「女性天皇」「女性皇太子」という文言は消えかかっているのに、やたらと「女性宮家」という文言だけが独り歩きしている現状は憂うべきものです。事の本質を分かっていない人たちも多いと思われます。

ところで、上記週刊現代記事の中で、引っかかる箇所がありました。それは、

>愛子内親王の子が天皇になればそれは、母が天皇である、「女系」皇族が初めて皇位を継承することになる。
>旧宮家の一人はこう話す。
>「男女同権とか、女性差別とかいった議論とまるで次元が違う。『女系天皇』の誕生は天皇家の『血の取り決め』を破壊することになるんです

>改正のタイミング次第では黒田慶樹氏と婚約した紀宮にも皇籍に留まることが可能になり、男児が生まれた場合、その子が皇位を継承できる可能性も出てくる。そのため、紀宮の結婚前に法改正を、という声も宮内庁や旧宮家の間で出始めている。

という部分です。

「旧宮家の一人」はおそらく「明治天皇の玄孫連呼の皇室芸人・竹田恒泰氏」である可能性が高いですが、要するに「女系天皇」の是非についても週刊現代は踏み込んでいます。
竹田恒泰と思われる人物の「女系絶対反対=敬宮様のお子様が天皇になることには反対」というネガティブな意見を掲載している一方で、
「黒田氏と清子さんの間に男子が生まれた場合、その子が皇位を継承できる可能性がある」と(旧宮家の者が)述べていることは、明らかにおかしいと思いませんか?

敬宮様がお生みになるお子は「女系」となり、それは男子であっても女子であっても変わりません(女系男子・女系女子になる)。
このことは清子さんも同じな筈で、清子さんに男子が生まれようが女子が生まれようが、その子も「女系」になるので、この子が皇位継承者になると考えるのはおかしなことではないでしょうか。黒田慶樹さんは旧皇族という身分ではないので、生まれた子が男系になるわけでもありません。
「敬宮様のお子は女系になるのでこの子に皇位を継がせるのはちょっと…」のようなニュアンスを出しておきながら、「清子さんが皇室にとどまって男子を生めばその子が皇位継承する可能性が出てくる」という話になるのはおかしいと思います。
この記事を書いた人がその点の違和感に気付かなかったのだとしたら深刻ですし、もしかしたら「女系」「男系」の意味を本当に理解していない可能性もあります。

今でも「眞子様に女性宮家を作って男子を生んでもらえば…」のような話をする人をチラホラ見かけますが、眞子様の生んだ子も当然「女系」の血筋になるので、そういう話になること自体がおかしいのです。
なぜ、敬宮様の生んだお子は「女系になるからダメ!」とばかり言われるのに、清子さんや眞子様の生んだ子は「男子ならOK」という方向に話が行くのでしょうか?
上記週刊現代の記事でどうしてもこの箇所が納得できませんでした。

しかし、それ以外は現在でも通用する内容になっていると感じます。
悠仁様がお生まれになったからといって、敬宮様の皇位継承の可能性が完全になくなったと断言することはできません。
なぜなら、典範改正して女子でも皇位を継げるようになれば、東宮家の内親王殿下である敬宮様の地位の方が勝るのですから。
悠仁様も継承の可能性を失うわけではありませんが、順位は確実に下がります。
そのことをどうしても受け入れられない「ご一家」がいらっしゃるんでしょうね。
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キリアキ管理人

Author:キリアキ管理人
今上陛下の生前退位に伴い、国民の理解や同意が得られないまま「秋篠宮様を“皇嗣”(継承順位1位の皇族)として皇太子に準じる扱いにし、支給される皇族費もこれまでの3倍に増やす」ということも一緒に勝手に決められてしまいました。
この問題に危機感を持ち「あらゆる方面から見ても秋篠宮様は皇嗣にふさわしくない方である」ということを、過去の雑誌記事の引用(原則全文)により検証することを目的としたブログです。2020年に予定されている「秋篠宮立皇嗣の礼」に一石を投じたいです。

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