当主不在の“ブラック宮家” その12~アナウンサーまで左遷させた激怒宮妃

今回は、しばらくお休みしていた「秋篠宮家=パワハラ宮家」シリーズをちょっと復活させたいと思います。
もちろん、紀子妃の親族記事についてもまだ当ブログで書きたいことがありますし、最近めっきり影が薄くなってしまった当主様に関する記事も復活させないといけません(当ブログはあくまでも秋篠宮様を主役にしたいと考えておりますが、奥様があまりにも強烈でそちらの雑誌記事の方が筆が進むというジレンマに陥っています(笑))。秋篠宮ご夫妻が今年9月下旬からまた海外(チリ)に行かれることを契機に、ご夫妻の過去の海外公務のアレコレについても色々取り上げてみたいです。
「記録」することは多いですががんばりたいと思います。

今回ご紹介する記事は、週刊ポスト 2008年10月31日号です。
小室さんとの婚約が決まった眞子様も関係する記事になっています。

紀子妃が激怒!「眞子さまとジャニーズ」TBS舌禍大騒動
「コンサートに行かれた」「誰のファンかわかっている」
宮内庁が異例の抗議。情報番組の“暴走”でプロデューサーと局アナが厳重注意で降板―


平成の天皇家は“開かれた皇室”を体現すべく、日々公務に励まれる。たとえば、秋篠宮家はこの4カ月の間に岩手・宮城内陸地地震の被災地お見舞いをはじめ、1府8件(※文脈から「8県」の誤りでは?)を訪問、国民とのふれあいの時をもっている。その「国民とともにありたい」と願う思いに水を差すような出来事がこの秋、立て続けに起きた。「平成の皇室」を震撼させた事件簿を追った―。

◆小馬鹿にしたような言い回しで進行

昨年4月に学習院女子高等科に進学した眞子さま(16)は、多忙な毎日を過ごす紀子妃にとって、すっかり頼もしい存在になったようだ。
今年からは単独での公務を始め、4月20日には上野動物園で行われた「子ども動物園開園60周年・野間馬贈呈式」に出席。皇族としての自覚を、その成長とともに両親である秋篠宮夫妻から学ぶ日々であろう。
その眞子さまを巡る情報番組の報道に、紀子妃が激怒したという。
問題となったのは、『2時っチャオ!』(TBS系)の9月11日放送分。この日、42回目の誕生日を迎えた紀子妃の「子育て術」を紹介するコーナーが、同番組のなかで大々的に組まれた。巨大なボードを作成し、秋篠宮との馴れ初めからこれまでの歩み、秘話などを、小林豊アナウンサー(43)が軽妙なトークを交え、紹介していくという趣向だ。
例えば、こんな具合。
「(秋篠宮家では)朝起きるとお母様と一緒に『お父様、おはようございます』。まあ、これは普通ですよね。ここから先、続いて『ナマズさん、おはようございます』。もう大変です、動物が多いですから。『カメさん、おはようございます』
「(紀子妃の実家)川嶋家の家訓は“Always Smile”。いいですよね。“Always Smile”。はい、英語です
小林アナの子馬鹿にしたような言い回しに、出演者からは笑いが起きる。
大騒動を巻き起こす発言があったのはコーナーの後半。眞子さま、佳子さま、そして悠仁さまの成長ぶりへと話が向かった時だった。
<眞子さま(16) ジャニーズのファン コンサートにも…>
と書かれたフリップが出され、小林アナがこういったのだ。
「チャオ調べで、(眞子さまは)ジャニーズのファンです。コンサートにも実はいらっしゃったことがあると。これ実際、皇室ジャーナリストの方が行ったよと(話している)」
出演者一同が「へぇ~」と驚くと、さらにこう続けたのだ。
「誰のファンかということもわかっているんですけど、あえていわないほうがいいでしょう、ねっ」

だが、この『チャオ調べ』というのが、実は大きな問題となった。
番組放送から2週間後の9月26日、宮内庁はHPに「TBSテレビ番組『2時っチャオ!』(平成20年9月11日)の放送について」と題して、次のようなコメントを掲載し、広く知れわたることになった。
<眞子内親王殿下がジャニーズのコンサートに行かれた旨の放送がありましたが、このような事実はありませんので、その旨、TBSテレビにお伝えしました。
また、これと同旨の報道が、一昨年の秋にも『週刊新潮』においてなされ、(中略)事実の確認と客観的事実に基づいた記事を掲載されるよう要請しています>
これまで宮内庁がHPの抗議内容を掲載したのは雑誌と書籍に対してのみだった。放送局の番組内容に踏み込むのは今回が初めて。まさに、異例の抗議だった。

◆「野球でいうなら3アウトでチェンジ」

なぜ番組は、こんな騒動を招いたのか。政策サイドの問題点を、ある番組関係者はこう指摘する。
「あのコーナーは少数の若手スタッフが雑誌の過去記事などを漁って作っているものがほとんどで、裏付けを十分に取っているとはいいがたい状況だった。宮内庁から事実誤認の指摘を受け、経緯を確認した番組の上層部は、ショックを受けたそうです。
あの日の放送は偶然、紀子さまご自身がご覧になっていたとか。TBSの宮内庁担当記者に寄せられた宮内庁の怒りは相当なものだったと聞いています
宮内庁関係者によれば、紀子妃が著しく気分を害した理由は次に挙げる2つのことではないかという。ひとつはいうまでもなく、事実関係について。
「たとえばどんなコンサートに行くとしても、必ず警護の者がつく。しかし、高校生というお立場を考えると、あえてそこまでして行くことは考えられない。ましてや、周囲には内緒で友人とこっそり出かけるなどということはまずありえないこと。なぜそういうことを検証もせずに放送するのか、ということです」

そしてもうひとつは、どうやら美智子皇后、雅子妃、紀子妃の思わせぶりな比較の仕方ではないかという。
番組は紀子妃と美智子皇后がそれぞれ23歳、24歳で結婚したのに対し、雅子妃は29歳でしかも就職経験後の結婚だったとわざわざボードを掲げて指摘。
小林アナはこう続けた。
「雅子さまは外務省に就職されていますよね。つまりご就職なく、そのまま皇室に入られたという事情が似てらした部分で、(紀子妃と美智子皇后は)お話が合う部分があったのかも」
結婚については、こういう言い方もしている。
「明治以来、天皇家で、弟が兄より先に結婚するっていうのは初めてのことなんです。皇族には他にもいらっしゃるんですが、天皇家では初めて。明治以来ね」
前出の宮内庁関係者はこう苦言を呈する。
「小林アナの発言には、雅子さまと美智子さまの間に微妙な距離感があるとの含みが感じられた。紀子さまにしてみれば、そうした表現に、心を痛められたのでは。今は皇位継承や雅子さまのご病状などをめぐって、非常にデリケートな時期。そんな時期にいささか配慮に欠けるといわざるを得ないことで、異例の抗議となったのではないか」

この“舌禍騒動”に、TBSは揺れた。それは、人事面からも窺える。宮内庁の抗議から4日後、小林アナと担当プロデューサーが、そろって番組から姿を消したのだ。前出の番組関係者が打ち明ける。
「上層部が番組の責任者を呼んだところ、現場の“暴走”が原因で起こったミスだと判明。そもそもこのコーナーは人の名前や年齢を取り違えるなど間違いが多いことがわかり、厳重注意がなされた。その上で、小林アナとコーナーを担当していた社会部出身のプロデューサーを番組から外すことになったと聞いています。紀子妃の一件の後も、この番組は(存命中の)王監督の母を『享年98』と報じ、57歳で亡くなった妻の恭子さんのことも享年98としてしまった人ですからね」
この一件についてTBSに聞くと、
「10月の改編にともなう番組強化の一環」(広報部)
と、“降板”そのものを否定した。
だが、小林アナは自身のブログに、<2時っチャオ降板(中退)>と明記している。
本人を直撃すると、こう説明した。
「降板は会社の方針ですよ。宮内庁との一件がすべてではありません。決定打ではない。野球でいうならスリーアウトチェンジというか…まぁ、細かいミスが重なってしまった。取材が荒かったんだと思います。
(ブログに)降板とか中退と書いたのは、最後まで番組をアシストできなかったから。残念ですね」
一方、皇室ジャーナリストの神田秀一氏はこう指摘する。
「眞子さまが皇族として独り立ちされようとしている大切な時期だからこそ、心を痛めるようなことがあってはならないと、抗議の意を示されたのでは。この騒動からは、紀子さまの皇族としての強い矜持と愛娘を思いやる親心を感じます」
成長した眞子さまの、今後の公務が注目される。

(記事終わり)

紀子妃のパワハラ体質は、宮内庁職員という「身内」だけにとどまらず、外部の民間のアナウンサーや番組スタッフにまで及んでいたのですね。
結局、「2時っチャオ!」はこの「事件」の翌年2009年3月26日に終了し、小林豊アナは現在はラジオやナレーションで細々と仕事をしているようですが、あまり目立った活躍はできていないように見えます。
確かに、TBSの番組作りにも色々と落ち度があったことは否めないと思います。しかし、だからと言って「皇族」という守られた強い立場の方が民間テレビ局の放送内容に激怒し、果ては番組に関わっていたアナウンサーやスタッフを左遷させる結果を招くのは、絶対におかしいと思うのです。
こんなやり方がまかり通ったら、メディアに携わる人間はみな紀子妃の態度に恐怖を感じ自由な言論の委縮を招くことにならないでしょうか?


そして肝心の放送内容ですが、紀子妃が「激怒」した理由を少し分析してみました。

仮に眞子様がジャニーズファンであること、コンサートに行ったことが「事実でなかった」とすると、「嘘を放送するな」と怒る紀子妃の気持ちも理解する余地はあるでしょう。しかし、宮内庁を通じて反論し、果てはアナウンサーたちを左遷させるほど怒るようなことか?という疑問が拭えません。
「ウチの娘がジャニーズのファンなんて、そんな失礼なウソ言うんじゃないよ!ウチの娘はそんな下世話な子じゃありません!」ということが怒りポイントなら、これはジャニーズタレントやジャニーズファンの人々にも失礼なことになるような気がするのです。
私個人は、「眞子様がジャニーズファンであり、コンサートにお忍びで行ったことは事実だった」という気がしています。しかしそれが世間に暴露されると「皇族の特権を利用してコンサートに行けた」という批判を浴びる可能性が高いので「事実無根」で押し通すことにしたかったように見えるのです。
ポストは触れていませんが、現に小林豊アナに「眞子様はジャニーズファンだ」ということを教えた「皇室ジャーナリスト」がいたようですしね。このジャーナリストの存在をスルーしているのが不思議なくらいです。
あまり詳しくないのですが、ジャニーズのコンサートのチケットは入手が難しく、また転売屋が横行して高額チケットになることもしばしばとか。そのような中で仮に眞子様がチケットを入手することができたのなら「一体どうやって入手したのか?皇族だから特別扱い?」と、ファンの気持ちを逆なでするようなことになると思いました。
番組でジャニーズタレントと絡んだ女性芸能人が一部の過激なジャニーズファンから叩かれるという事態も起きているようです。ここで眞子様の件について否定しておかなければ、どんな攻撃を受けるか分からないという思いもあったかもしれません。

しかしそもそも、眞子様がジャニーズのファンであることの何が問題なのでしょうか?上記ポスト記事の冒頭でも「開かれた皇室」について言及されているのです。眞子様はジャニーズのファンなんですよ、と国民が聞いたところで「ふーん、眞子様も女の子だしジャニーズ好きでも不思議ではないよね、普通の女の子と何ら変わりないね」で済んでしまう話です。

それに、もしかしたら母親の紀子妃が、実はジャニーズ(嵐)のファンである可能性が出てきたのです。
2011年3月に東日本大震災が起きた後、紀子妃は気仙沼に慰問に訪れ、そこでジャニーズの「嵐」の楽曲である「果てない空」の歌詞の一部を抜き出したものを気仙沼市役所に渡し、それが壁に貼られているということが一時期ネットで話題になったことがありました。
これがその画像です。↓
紀子書 果てない空

少し暗くて分かりづらいかもしれませんが、最後に「紀子書」と書かれています。
なぜ紀子妃が「嵐」の楽曲を知っているのか?なぜその歌詞を被災者に贈ろうと思ったのか?というナゾが生まれました。紀子妃自身がこの曲がお好きで、「嵐」に興味がなければ、まずこの歌詞を選んで贈るという選択肢は生まれないと思うのです。
それにこれが一般庶民のどこかの「紀子さん」という女性が贈ったものであれば、苗字まで書くと思うのです。
しかし「紀子書」としか書かれていませんでした。
この頃の紀子妃は、「秋篠宮は苗字ではない」という基本をきちんと理解していたようで面白いと感じます。

ところがこの「紀子書」がネットで有名になってしまった後、「みやぎジョネット(みやぎ女性復興支援ネットワーク)」が、
「 ※本ブログ読者の方から、上の写真は秋篠宮妃殿下紀子様のものではないとのご連絡を頂きました。ありがとうございました。
気仙沼市役所に問い合わせましたら、のりこさんとおっしゃる方から被災後に頂いたのだそうです。
誤解を招く表記でしたことをお詫び致します。 2014年1月24日」
という一文を出して、「これは紀子妃が書いたものではなく“のりこさん”という女性が書いたものだ」と、否定してしまったのです。

下記ブログにその件が掲載されています。
ttp://miyagi-jonet.blogspot.jp/2013/08/blog-post_5043.html

これも「眞子様ジャニーズファン激怒否定」の一件と同じく、謎の否定タレコミがあって「紀子妃が書いたものではない!」という結果になってしまいました。
苗字を省いて「紀子」だけで通用してしまうナゾの女性「のりこさん」、気仙沼ではそんなに有名な女性なのでしょうか?
そんなに母娘でジャニーズファンということを知られるのが嫌なのでしょうか?
ここまで来ると滑稽としか言えませんね。

そして上記ポスト記事は、「雅子様は外務省で勤務経験があってから皇室に入られたが、美智子様と紀子妃は勤務経験がないまま皇室に入られた」という事実の指摘が、なぜか紀子妃の気に障ったということも書かれています。
いくら紀子妃が激怒しても、「社会人(勤務)経験がない」という事実は変えられませんが。
それだけでなく、皇室に入ってから税金でダラダラと大学院に籍を置き続けてきたような方ですよ。
もちろん、お兄様である皇太子殿下よりも先に結婚という異例のことをやってしまったのも消せない「真実」です。
自分の履歴に誇りが持てないのでしょうか?何がそんなに気に入らないのか分かりません。

上記ポスト記事はまるで紀子妃が雅子様のことを慮ってTBSのやり方に激怒したと擁護気味に書いていますが、あの方にそこまでの配慮や思いやりはないでしょう。
雅子様を思いやることのできる人が、民間のアナウンサーらを左遷させて人生を台無しにするようなことをするはずがありませんから。
紀子妃は、宮内庁職員やアナウンサーなど国民(庶民)の人生など何とも思っていないし、雅子様のお気持ちもまったく配慮していないのが実情だと感じます。

単純に「私が社会人経験ないという事実を蒸し返されるのが気にくわない、同じような立場だった皇后陛下と組んで雅子妃をいじめていると思われたらどうするのよ!」ということでお怒りになっただけでしょう。
「人は真実を指摘されるとかえって怒る」ということがよく言われますが、紀子妃はまさに「真実を言われて逆ギレした人」にしか見えないのです。

いずれにしろ、民間人の人生まで左右するような皇族の存在はもっと問題視されていいと思います。これは由々しき問題です。

当主不在の“ブラック宮家” その11~「私は皇后になる人よ!」

今回は「紀子妃の増長ここに極まれり」と言いたくなるような記事をご紹介したいと思います。秋篠宮家のパワハラ・ブラック体質は、すべてこの紀子妃の不遜な態度・増長・おそれを知らなさすぎる図太い神経から来ているものだということがわかる内容になっています。

テーミス 2015年9月号

皇太子家への対抗心か 秋篠宮紀子さま「仰天ご発言」が広げる波紋
悠仁さまへの教育について助言されたとき「私はこれから皇后になる人よ」と


◆皇后陛下に「強いストレス」が

猛暑日が続いていた終戦記念日の8月15日、日本武道館で行われた全国戦没者追悼式は、天皇・皇后両陛下にとっても特別な日になった。
戦後70年に出す「安倍談話」の内容が一時、過去の「村山談話」などを踏襲しない安倍色の強いものになるといわれていたためだが、8月14日に発表された談話にとりあえずは安堵されたといわれる。だが、式典ではハプニングが起きていた。
戦没者追悼式では、正午の時報とともに参列者が1分間の黙祷を捧げ、その後、天皇がお言葉を述べられる。しかし、天皇はその手順を間違われたのだ。黙祷の前にポケットから原稿を取り出され、お言葉を読み始められた。黙祷という司会者の声で、結局は何事もなかったかのように式典は進んだ。美智子さまも天皇の手順間違いに気付かれることはなかった。

実は美智子さまにも、数年前から体調に異変が起きていた。宮内庁が公表する「公表事項」に「皇后陛下のご体調について」という項目が毎回のように登場することになった。
「先月(08年1月)後半にめまいなどのご症状があり、これらをお身体からの『警告』と考えるべきであるとし、定期検査にて精査を行うと公表したところです」(08年2月)
11年には頸椎症性神経根症による痛みや痺れがひどくなり、いくつかの行事をお取り止めになられた。昨年5月も、左肩から左腕にかけての痛みが強くなって、予定されていた行事を中止された。
そして今年は6月末頃から胸痛の症状が見られ、徐々にその頻度が増してこられたため、7月」24日に24時間心電図(ホルスター心電図)検査を受けられた。その後、8月9日に東京大学医学部附属病院で冠動脈造影CT検査を受けられ、「心筋虚血が疑われる」(皇室医務主管)ことがわかった。検査の結果、冠動脈1本に2か所、もう1本に1か所、狭窄が確認されたのだ。
「心身に強いストレスをお与えすることがないような配慮が望まれます」(皇室医務主管)という。
心筋虚血の症状が8月15日の直前に見られたことなどから、天皇・皇后両陛下がなされてきた戦没者慰霊の今後のことや、先の大戦に対する安倍談話の内容などに関連づけて「ストレス」の原因とする週刊誌などの記事が多く見られた。たしかにそういう面があるかもしれないが、美智子さまのご心痛の原因はそれだけではなさそうだ。日本の皇室の将来について、ご自身で確固たる信念を持たれないことからくる恐れではないか。

◆「いまは時代が違いますから」

このところ、秋篠宮紀子さまとその周辺の言動が波紋を広げている。
最近、秋篠宮家関係者が話したとして週刊誌などに盛んに出てくるのが、職員の数や「皇族費」(秋篠宮家などの家計費)の話、「秋篠宮家の活躍ぶりに比して、使えるお金が少なすぎるのではないか」といった指摘である。現在、秋篠宮家の皇族費は年間6710万円(一方、天皇・皇后両陛下と皇太子ご一家5人の「内定費」は3億2400万円)だ。
秋篠宮家には皇位継承順位第2位(秋篠宮殿下)と第3位(悠仁さま)の2人がおられるのに、どうにかならないかというのが、紀子さまの思いといわれる。悠仁さまの教育についても、ご夫妻は東大進学を目指していると報じられたことがあった。
お2人の知人は週刊誌に
「ご夫妻の周囲には東大出身者が多く、紀子さまは大学進学の情報収集にも努めておられる」と語っていた。
それと同時に囁かれているのが、紀子さまのお言葉のキツさである。
紀子さまがある女性職員に「あなた自己中ね!」と説教されたのが話題になったことがあったが、その当時、「そんなのはまだ序の口だ」と秋篠宮家関係者が週刊誌に語っていた。職員が数年前、複数辞めたケースもあった。
しかし、そのキツいお言葉は職員に対してだけではない。相手がどんな立場の人であれ、紀子さまはときどき、にわかには信じられないようなお言葉を吐かれる。
秋篠宮家の次女、佳子さまが学習院大学からICUに移られ、5月、新1年生が参加する一泊二日の合宿にタンクトップにジーンズ姿で現れ、周囲を驚かせた。彼女には“ファン”がついており、お化粧法、髪型、服装などが細かくチェックされる。このときのファッションは、たちまちネットにあふれた。
そのころ、ある会合で美智子さまは紀子さまにこう注意されたという。
「少し控えめに…」
「国民の皆さんに不快な感情を与える恐れのないように」
ところが、紀子さまは
「もう時代が違いますから」
と返されたという。
別の機会に、周囲から悠仁さまの教育について助言されたとき、紀子さまは
「私はこれから皇后になる人です。みなさんにどうこういわれる筋合いはありません」
とピシャリ。
「みなさん、平民に…」
ともいわれたともいう。
皇室ジャーナリストが語る。
「私も聞いて驚いた。権力を持たない天皇・皇后両陛下の地位をまるであるかの如く扱い、しかも一般の人と分けてご自分を特別視されている。このお言葉は他にこう受け取られる恐れがある。皇太子殿下が天皇になられても、皇后の雅子さまには大変かもしれない。そのときは摂政宮を設けて秋篠宮に就いてもらう。要するに皇位継承順位を無視する意図のある発言とも受けとられかねない

◆民間の方が皇室に入ってから

雅子さまがある会合に出られて、久し振りに笑顔を見せられていたとき、紀子さまが雅子さまの前で
「私はご病気ではありませんよ」
といわれたこともあった。ライバル意識といえばそれまでだが、雅子さまからその後、しばらく笑顔が消えた。

紀子さまは以前、周りから指摘されると、「わかりました、そのようにいたします」
と応じておられた。それがこの数年で変わられた。嫌なことをいわれると、すぐ横を向き、「舌打ち」されるようになった。
兄宮をさしおいて礼宮さまが先に結婚されることになったとき、両陛下は相当悩まれ、結論がなかなか出なかった。そのとき、礼宮さまが
「一緒になれないなら皇籍を離れてもいい」
と言い出されたが、結局、両陛下も承諾されたといわれる。

さらに天皇陛下は、美智子さまが皇室に入られて苦労された姿を見られているだけに、紀子さまの苦労を特に心配されていたともいわれる。
天皇陛下は、その紀子さまについては一言もおっしゃっていない。
「それは結局、民間から皇室入りした美智子皇后、皇太子妃雅子さまへの批判に結びつく恐れがあり、ひいてはご自分のことに跳ね返ってくるからだ」(前出、皇室ジャーナリスト)
美智子さまのストレスは、この解決しようのないところから発しているようだ。

(記事終わり)

上記記事はパワハラ・ブラックという視点よりは、美智子様のストレスと体調不良の原因が紀子妃にある、と言いたい記事ですね。しかし私に言わせれば、紀子妃を増長させたのは彼女を調子付かせた両陛下にも責任がおありになるとしか思いません。
両陛下と秋篠宮家は、悠仁様がお生まれになってからしばらくはずっと「蜜月」状態でした。静養もいつも一緒(東宮家は疎外するくせに)、悠仁さまにだけ高価なプレゼントを贈る、悠仁様だけ和舟遊びに参加させる、秋篠宮ご夫妻にばかり公務を割り振るなど、とにかく傍で見ていても両陛下が秋篠宮家ばかりに目をかけた結果が今の惨状だと思うのです。
しかしその蜜月もどういうわけか終焉を迎えつつあり、あれだけ「美智子様がお手本です!」と言い続けてきた紀子妃が美智子様に逆らったり盾突くようになったようですね。その根本原因は一体何なのでしょうか?

それにしても「紀子妃の暴言三連発」

★「私は皇后になる人よ!」
★「あなたたちは平民でしょ?(私はあなたたちとは違うのよ)」
★「私は(雅子様のように)ゴビョーキではありませ~んw」


は下品で偉そうなだけでなく、紀子妃の頭の悪さがにじみ出ているように思えます。それだけでなく、

★「チッ」と舌打ちまでする

恐ろしい不良ズベ公(古い…)宮妃です。本当にどういう育ちをすればこんな女になれるのでしょうね。
上記テーミスの記事は深く検討を加えなくても、上の★4つを羅列するだけですごい破壊力があります。
(「使えるカネが少ない!もっとカネ寄こせ!」アピールも蒸し返されています)

しかしこのまま典範が改正されなければ、秋篠宮様が天皇になり、それと同時に紀子妃が皇后になる余地が残ってしまうのが現状です。国民はそんなこと絶対に認めたくないですが、少なくともごく少数の男系男子支持者と紀子妃ご自身は、すっかり“その気”になっているようです。ここまで思い込みが激しく増長が止まらない宮妃を、一体誰がどうやって制止するのでしょうか。
やはり紀子妃をここまでのさばらせてしまった現両陛下に何とかしていただきたいと思ってしまうのです。
くれぐれも新天皇皇后両陛下にその「後始末」を押し付けるのは絶対にやめてほしいです。

当主不在の“ブラック宮家” その10~おもてなし精神ゼロ宮妃

自分でももうそろそろいい加減にしろと言いたくなるような秋篠宮妃のパワハラ・ブラック体質記事ですが、もうしばらくおつきあいくださいませ。
今回は雅子様と紀子妃を比較した内容の記事ですが、雅子様と敬宮愛子様の素敵エピソードも読める内容となっています。記事の年代が多少前後してしまっておりますがご容赦ください。

週刊文春2011年8月25日号
紀子さまの憂鬱、雅子さまのハツラツ
宮内庁職員が「秋篠宮家には異動したくない」。なぜ境遇に変化が…


「昨夏、週刊誌に悠仁さまのグラビアが掲載された際、紀子さまが皇宮警察に対して、『将来の天皇に何かあったらどうするのですか』と遺憾の意を伝えられ、所轄署も注意を受けました。お茶の水女子大学附属幼稚園の周辺は警備が厳重になり、通りがかりの主婦が遠くから見ているだけでも、両脇に警官が立ち、名前や住所を職務質問するほどです」(警察関係者)

紀子さまを支える側近の筆頭格ともいえる侍女長が退任した一件で、にわかに注目された秋篠宮家(週刊新潮8月11・18日号)。震災の影響で、3月に予定されていた悠仁さまの取材の機会はキャンセルになり、いまだに“皇族の七五三”と言われる「着袴の儀」の予定も決まっていない。
そういった事情もあるのか、宮内庁関係者から「紀子さまが、以前にもまして一つ一つのことに気を揉んでおられる」という声が洩れ聞こえてくる。
かつて秋篠宮付だった元職員はこう証言する。
「秋篠宮両殿下はとても気のつく方々ですから、ご要望も多いのです。例えば、過去の妃殿下は台所に立つということはほとんどなかったのですが、紀子妃殿下は御料牧場などから届けられた肉や卵の鮮度をご確認なさって『お願いしていたものと違います』と仰ったり、ご家族の誕生日の際に、招待する方の順番や、その際の手順に不手際があると後からご意見を述べられる。我々が良かれと思ってやったことが裏目に出てしまい、行き違いが生じることがあるのです
皇宮警察にも戸惑いの色があるという。前出・警察関係者はこう話す。
「(冒頭のように)悠仁さまのご通園時の警備体制については、とくに紀子さまの強いご憂慮が伝わってきます。最近では皇宮警察官が紀子妃殿下にお声をかけていただけず、自分に落ち度があるのではと考えてしまうことがあるそうです
また公務に関するご説明で秋篠宮家にうかがったことがあるという、ある中央省庁官僚は、
われわれ役人が宮邸にうかがうとき、各宮家ではこちらが恐縮してしまうほど丁寧にご対応くださいます。さすが『皇室のおもてなし』というか、たとえば、ご説明など仕事が一段落すると、まるで合図されているかのような絶妙の間でお茶とお菓子が出てくる。日本茶と和菓子だったり、紅茶と洋菓子だったり。ただ、秋篠宮家では、お茶をいただいた記憶がありません。もちろん些細なことなのですが…」

こういったことから垣間見える秋篠宮家のご様子について、皇室ジャーナリストはこう解説する。
問題はスタッフの規模が急激に大きくなり、人員のバランスが崩れていることなのです。侍女長の件もそういった環境の激変のなかで起きている。十年以上務めた調理師も退任しています。悠仁さまがお生まれになってから、看護師を増員するなど、職員が9名から15名に増えていますが、経験の無い新人も配置され、『秋篠宮家に新人を配属して大丈夫なのか』と関係者から声が上がったほどです
この規模拡大は、将来の天皇である悠仁さまのご成育環境を整えるため、一気に進められた。風岡典之宮内庁長官も国会答弁で「保育、看護に全力を挙げて取り組んでいきたい」と述べているが、悠仁さまがお生まれになった後には、秋篠宮家にご不便がないよう、施設の一部も改修されている。
「例えば那須御用邸では、本邸に両陛下、別邸に皇太子殿下というように序列に従い、宿泊する場所が分かれています。秋篠宮家は木造2階建ての供奉員(ぐぶいん)宿泊所にご宿泊ですが、建物も老朽化しているため数年前に改修しました。御料牧場内でも、天皇、皇太子は貴賓館にご宿泊ですが、秋篠宮さまはそこから300メートル先の外交団施設を改修され、ご宿泊されています。外交団接待が目的の場所ですが、宿泊されるのは秋篠宮ご一家だけです」(宮内庁関係者)
東宮には3人の家族に約50人の職員がいるのに対し、秋篠宮家は増えても5人の家族に15人しかおらず、予算や護衛の数にも大きな差がある。両殿下は、その中で皇位継承順位三位の悠仁さまを育てなければならない。

◆安堵を語られた雅子さま

それらの負担が、さらに職員のプレッシャーになってしまっているのか、
「宮内庁職員や皇宮警察の中に、『配属されるなら、秋篠宮家よりも東宮家のほうがいい』と洩らす人間が増えているのも事実です」(別の宮内庁関係者)
この夏、秋篠宮ご一家は両陛下とご静養先の軽井沢で合流されることが検討されている。前出・宮内庁関係者も「少しの間でも、ゆっくりお過ごし頂きたい」と願っているという。
一方、皇太子ご一家は被災地ご訪問が一段落し、愛子さまも夏休みを満喫されている。
「被災地への配慮から、今年は夏祭りの代わりに、お友達を招いて『子ども会』がありました。例年はジンギスカンや焼き鳥などの屋台や、ヨーヨー釣りなどのお楽しみもあるのですが、今年は室内での催しだったので、愛子さまはお友達とリズムに合わせて踊るゲームをなさっていました」(東宮職関係者)
子ども会は午後6時から催され、ケーキや焼きトウモロコシなども振る舞われた。雅子さまもお元気なご様子だったという。
被災地をお見舞いされた際、妃殿下は職員に『私が行って涙を流して喜んで下さる方がいるのですね』と安堵と、喜びを語られたそうです。8月11日、那須ご静養で東京駅を発つ雅子さまのご様子は、被災地をお見舞いされる際と比較して、とてもリラックスされてお元気そうでした」(前出・皇室ジャーナリスト)
元気の源は愛子さまの成績表をご覧になったせいもあるかもしれない。
いくつかの科目では五段階評価で一番良い『5』を取られたそうです。一クラス約30人のうち、相対評価のため各科目で5を取れるのは8人前後。日頃の雅子さまのご教育の成果でしょう」(学習院関係者)
愛子さまは終業式後、週末は2週連続で皇太子お付き添いのもと、ミュージカルやクラシックを鑑賞された。ご静養へ出発される当日の午前中は、学習院女子大学で希望者が参加する「イングリッシュ・セミナー」にご参加されていた。
愛子さまの学年では20人弱しか参加していない、かなり少人数制のセミナーで、おもに雅子さまがご一緒されていました。愛子さまは学習院女子大学のネイティブの先生と日本人の先生に英会話などを習ったそうです」(同前)
東宮ご一家は9月1日まで那須でご静養される。

(記事終わり)

相変わらず秋篠宮家に同情・擁護するようなおかしな箇所もありますが、記事が東宮ご一家の良いお話でしめられていて良いと思いました。夏休み中もお勉強を真面目になさっている努力家の敬宮愛子様、そして敬宮様の学業やご成長に常に寄り添い、被災者からも涙を流すほど歓迎される皇太子妃殿下雅子様。紀子妃のイライラ、ギスギスした日常とは実に対照的で好印象ですね。私はまだ皇太子ご一家に直にお会いできたことはありませんが、もし皇太子ご一家にお会いできたらおそらく私も涙を我慢することができなくなると思います。皇太子ご一家には“癒しのお力”があると感じるのです。

一方、紀子妃は秋篠宮邸に客人があっても、絶対にお茶やお菓子でおもてなしをしないとのこと。これは皇族・妃というより、一人の人間として「今までこの方はどういう生き方をしてきたのか?」と疑いたくなるような問題だと思います。客人をもてなすということは「お金がある・ない」ではなく、人間性に関わることです。
おそらく紀子妃(もちろんこれは当主の秋篠宮様の責任でもある)は、「どうして皇族の私たちがただの民間人(庶民)にお茶なんか出してやらないといけないわけ?皇族なんだから下々の人間なんて適当にあしらってさっさと帰せばいいのよ」と思ってるような感じに見えます。あるいは、川嶋家に客人をもてなすという習慣がまったくなかった可能性もあります。
いずれにせよ、秋篠宮様はどうしてこのような育ちの悪い女性を妃に迎えてしまったのか…と、今でも腹立たしくなります。

そして上記記事には、これまでのブラック宮家記事と多少の齟齬を感じざるをえない内容が書かれています。それは
「悠仁様が生まれてから、秋篠宮家のスタッフの規模が急激に大きくなっている」
「悠仁様が生まれてから、秋篠宮家のために色々な施設が改修されている」

という部分です。
紀子妃は常に東宮家とご自分たちを比較して、予算が足りないだの職員が少ないだの不平不満を述べられていました。ところが実際は2011年の時点(あるいはそれよりもっと前から)で、「悠仁様の存在」を理由にして職員数も大幅に増え、秋篠宮家が利用する施設も色々と改修されていたのです。
ここまで気を遣われていながら、なお紀子妃は飽き足らず「もっと予算を増やせ」「東宮家と同じようにしろ」「新人なんかじゃダメだからベテランのキャリアを派遣しろ」などとゴネてきたということになります。
いくら筆頭とはいえただの宮家がここまで気を遣われた例は過去にないでしょう。

何度も申し上げますが、いくら次代で秋篠宮様を「皇嗣」扱いにして職員を増やしても、秋篠宮家に行きたがる人は誰もいないのです(上記記事にも「東宮家に行きたい、秋篠宮家は嫌だ」と思う職員が多いと書かれています)。
このような状況は宮内庁が一番よくわかっているはずなのに、どうやって職員を増やして秋篠宮家に派遣するつもりでしょうか。
それこそ無理やり、有無を言わさず、一定の期間を設けて交代で「罰ゲーム」を受けにいくような感じで?
一般的な宮内庁職員に行き先の選択の自由がないのは致し方ないことでしょうが、これではパワハラ・ブラック状態は改善されないような気がします。
人数が増えれば、嫌なこと・苦痛なことを大勢でシェアできて一人一人の負担が軽くなるかもしれないと甘く見ているようにも思えます。紀子妃の人間性、当主である秋篠宮様の無責任さに大きな原因がある以上、事はそう単純に運ばないだろうと予想します。

しかし紀子妃がご長男のことを「ショウライノテンノウ」と言い放つところは、何度見ても傲慢過ぎて不愉快になります。
秋篠宮様と悠仁様の皇位継承権はあくまでも暫定のものにすぎず、典範改正があればいつでも、天皇直系で東宮家長子の敬宮愛子様よりも順位が下がることを甘受しなければならない不確定な地位にすぎません。

当主不在の“ブラック宮家” その9~ブラック飲食店も真っ青の秋篠宮家料理人の現状

今回ご紹介する週刊文春2015年7月9日号は、「秋篠宮家=ブラック職場」ということをいっそう強く際立たせることになった、有名な記事です。これほどハッキリと「ブラック」と言及されてしまった皇族(宮家)はほかにいらっしゃいません。

「秋篠宮家の料理番」の告白 「一言で申し上げるならブラックバイト…」
魔の金曜日、椅子だけの待機室、厨房に響く紀子さまの叱責


≪私も仲良く「可」にいたします。いろいろな可能性を秘めている「可」ということで≫
結婚25年を迎えられた紀子さまは妻、親としてご自身をこう評された。このお言葉を、「落第」のレッテルを貼られて去った、宮家の料理番はどう見たのか。宮家の深層リポート!

宮内庁大膳寮の初代司厨長・秋山徳蔵の生涯を描いたドラマ「天皇の料理番」(TBS系)が好評だ。外国の賓客に振る舞われた彼の豪華絢爛な宮中料理は、国の威信を示す重要なものであり、大正天皇、昭和天皇の覚えもめでたかった。“天皇の料理番”は、西洋に追い着いた戦後日本の象徴として料理人以上の栄誉である“称号”となった。
だが、将来の天皇を擁する“秋篠宮家の料理番”の実態はまるで違う。かつて秋篠宮家の料理番として務めた元職員はこう話す。
「私などは、臣下として、『可』さえも頂けなかったと思います」
可とはなにか―。
6月29日、秋篠宮ご夫妻はご成婚から25年の「銀婚」を迎えられた。当日には文書でご感想を発表されたが、事前に内容を見た記者たちは面食らった。
「A49枚綴りで、異例の“対談形式”でまとめられたペーパーが出てきたのです。25年間を振り返り、仲睦まじいご様子のやり取りが続いています。これはお二人が交互にパソコンで文章を打ち込み、“交換日記”のようにまとめられたそうです。秋篠宮さまのご発案と伺っています」(宮内庁担当記者)
可はその最後に出てくる。文書の締め括りに、秋篠宮ご夫妻が、親・夫婦として、お互いの自己評価を述べ合っているのだ。
<文仁 本来であれば、第三者、まったくの第三者というわけにもいかないので、私以外の家族に委ねなくてはいけないのでしょうが、それをするにはまず自らを振り返ることが必要です。とはいうものの、あなたと子どもたちから私の評価を聞くことは、今までの自分の行いを考えると少し怖い気もするので、今回はあくまで自己点検・評価でいきましょう。
きとんとした項目立てをして、優・良・可・不可で客観的に点検および評価をしたわけではありませんが、漠然としたメルクマールからすると、私の場合には限りなくボーダーラインに近い「可」といったところでしょうか
紀子 私も仲良く「可」にいたします。いろいろな可能性を秘めている「可」ということでいかがでしょうか>

前出の秋篠宮家の料理番はこれを読み、自嘲の笑みを浮かべながら話すのだ。
「おそらく私などは『落第』だと思いますよ。ただ、宮仕えを一言で申し上げるなら、ブラックバイトのようなものですよ。口幅ったいことを申し上げるようですが、一流の料理人が務める場所じゃない。厨房に一人きりのことも多く、牛丼屋じゃないが、まさに“ワンオペ”状態なのです。
正直言って、この文書は“オモテの歩み”を書いたに過ぎません。この25年の間、オクでは実に多くの職員が宮家を去りました。単なる人事異動ではなく、心身のバランスを崩すケースも多々あったのです」

秋篠宮家は、職員の間で“ご難場”とも称される過酷な職場だ。宮家の実情をよく知る秋篠宮家関係者はこんな話をする。
「お傍で仕える料理人や侍女に妃殿下から直接お叱りの声が飛ぶのは日常茶飯事です。紀子さまが無言のまま“人差し指一本”で支持されることもある。現在、秋篠宮家の職員の定員は18名、他部署との併任職員が3名いますが、ご一家五人をお世話するには小さな所帯で、一人当たりの負担が大きい上に両殿下と職員の距離が近いのです。皆、ダイレクトな仰せに精神的に参っているのです

◆職員を“強烈な比喩”で叱責

とりわけ料理番は、過酷なポストだと言われている。定年まで勤め上げた料理番が未だかつていないというのが、その証左だという。
「秋篠宮家の料理人は宮内庁大膳課の職員ではなく、宮家の技官として雇われている職員です。大膳課は天皇皇后両陛下や東宮ご一家のお食事、宮殿で行われる晩餐会などの料理を担当します。ある秋篠宮家の料理人から内々に相談を受けたことがありますが、『大膳とは待遇が全く違うんです』と洩らしていました」(宮内庁関係者)
25年前、宮家創設時のスタッフは計10名だったが、料理番の体制は現在でもほとんど変わりがない。あまりに人手が足りず、てんてこ舞いで一週間が過ぎ、“魔の金曜日”が訪れる。
「土日に召し上がる食事の準備をして、侍女らに調理方法など段取りの申し送りをするのです。当日の食事の用意も同時並行。金曜日の厨房は戦場でした」(例の秋篠宮家関係者)
2000年3月、秋篠宮ご一家は新婚当初の旧鷹司邸から、現在の宮邸へと引っ越された。鉄筋コンクリート造り二階建てで、一階には八畳ほどの広さの厨房があり、それと隣接する事務室には侍女長や侍女が詰めていたという。
「仕込みの作業をしていると、隣の事務室から紀子さまが『今後は気をつけてください!』などとお叱りになる声が聞こえてくるんです。『次は自分の番かな』と思うと恐ろしかった。厨房まで紀子さまがいらっしゃることもあるからです。紀子さまに『ちょっと』と声を掛けられると心臓がギューッと締め付けられるようでした。私の目を見て、味付けや私の至らない点を注意されることもありました。タイ料理や韓国料理がお好みで、パクチーやレモングラス、バイマックルーなどを業者に頼んだり、コリアンタウンまで出向いて材料を購入しては見よう見真似で作りました」(前出・元秋篠宮付職員)
厨房を離れて一息いれる場所は、椅子しかない“待機室”だった。
「事務官の作業着などを置くロッカールームですが、パイプ椅子が無造作に何脚かあるだけで、机がないんです。暗くて、冬は寒い。宮様方の昼食を出したら、自分は膝の上に買ってきた軽食を置いて、食べていましたよ。いつ雑用で呼ばれるのか分からないので、休憩と言っても、宮邸の外に出られないのです。庭の手入れから犬の散歩までやりましたね」(同前)
突然休日に呼び出されたこともあったという。
「『こういう献上品があったから、手当てしてくれる?』と自宅に電話がかかってきたことがあります。そういった場合は休みでも急いで駆けつけます。基本的に『あるものでやってください』と言われるので、献上品を生かさなければ回らないのですが、毎回同じものをお出しするわけにもいかないし、限度がありますよ」(同前)

紀子さまが女子職員に「あなた、自己中ね!」と強い口調でお説教されたことが、かつて庁内で話題になったが、
「恐れながら、『自己中』くらいは序の口だと思います。紀子さまは、職員の至らない部分を、強烈な比喩を使ってお叱りになることもある。恐ろしくてとても言えませんよ。ある料理人はショックが大きすぎて、抑鬱状態となり、『宮家を下がりたい』と言い出し、まったく料理とは無関係の部署へ異動しました。その後、庁内の閑職を転々としていましたが、定年前に病気でお亡くなりに…
普段から紀子さまは職員にあだ名を付けられるのですが、そのあだ名は秋篠宮ご一家の間でも呼び交わされています。詳しくは言えませんが、大の大人がモノに喩えられるというのは、決して気分が良いものではないと思いますよ」(前出・秋篠宮家関係者)
近年、秋篠宮家の料理番をもっとも多く務めたのは男性技官のA氏だ。だが、このベテラン職員も2012年4月で退職している。

◆ある技官は本誌取材に顔面蒼白

「料理番が定着せず、内々に『本庁の大膳課から一人回してほしい』という要望もありましたが、大膳課は断った。誰も手を上げなかったのです。民間の調理師会でも“ご難場”の噂は浸透しているため、紹介できる人間がいなかった。そこで、秋篠宮さまと縁の深い沖縄の重鎮を介して、沖縄の調理師学校から送られたのがA氏だった。
A氏は沖縄での仕事を辞めて、家族も一緒に上京してきました。A氏を受け入れる際、宮内庁サイドは『まずは単身赴任から始めては?』と提案したそうですが、『大丈夫です』と張り切っていた。A氏のご両親も空港で見送る際、『宮家に差し上げるつもりです』と言っていたそうです。宮家での勤務に情熱を燃やしていたのだと思います。ところがいつの日からか出勤してこなくなり…。定年までしばらく間がありましたが、最終的に自己都合で退職したのです」(別の宮内庁関係者)
本誌記者はA氏の現在の職場を訪ねた。小柄で細身のA氏は、秋篠宮家の話題を出すなり、ぎょろりと大きな眼を見開いて、「例の件ですか」と怯えるような表情を浮かべた後、こちらを見据えてこう言った。
「もう昔の話なので。何も話すことはありません。思い出すこともありません」
A氏は顔面蒼白である。
そして踵を返し、職場の奥に入っていった。その後も記者は職場前で待っていたが、同僚に聞くと、「あの後、何も言わずに帰っていった」という。

現在はA氏の後任として、女性の技官が秋篠宮家の厨房を切り盛りしている。長年レストランで懐石料理を担当していた人物だという。
悠仁さまを抱く秋篠宮家は、“事実上の内廷皇族”と言える。だが、法律上は一宮家であり、人手不足・予算不足のしわ寄せが職員に及んでいるのだ。
「秋篠宮家に支払われる皇族費は年間6710万円です。この中から食事や掃除洗濯など身の回りのお世話をする私的な職員の人件費、洋服代や教育費のやり繰りをしなければなりません。肉や牛乳など御料牧場の生産品については、両陛下や東宮ご一家は無償ですが、宮家は全額負担でその余剰品を譲り受ける形です。光熱費は半分を負担します。内廷皇族と野実質的な格差は歴然なのです」(皇室ジャーナリスト・山下晋司氏)
秋篠宮家は、職員の増員について、「じぶんたちのことで、なるべく増やしたくない」と固辞されているという。さりとて、実務にあたる職員が悲鳴をあげている現実に、宮内庁は目を向け、充実した組織作りに取り組むことが急務ではないか。

(記事終わり)

例によって山下晋司氏が代り映えのしない秋篠宮家擁護のコメントを出していますが、「もう何度目だ山下」という感じですね。秋篠宮家がどういう待遇であろうと、立場の弱い職員に対しパワハラをしていい理由にはなりません。ましてやそれが皇族なら、下々の職員は本当に逃げ場がなくなってしまいます。

さて、今回の記事も紀子妃の増長した酷い態度のオンパレードですが、同時に紀子妃の下品な人間性というものもあぶり出しています。
特に「強烈な比喩を使って職員を叱責する」とか「大の大人にモノで喩えるあだ名を付けて呼ぶ」とか、具体的にどういうことなのか、想像もできません。詳細を記事にできないとなると、放送禁止用語・差別用語で叱ったりあだ名を付けたりするのか?という予測ができますが…こういうことを平気で口にする皇族っていったい何なのでしょうか。紀子妃の出自が良くないとはいえ、民間人・庶民でも「口にしていいことと悪いこと」の区別は付けます。そういう抑えもきかずに見境なく罵詈雑言を口にしてしまうあたり、紀子妃は育ちが良くないんだなということがわかってしまいます。
それにしても「指一本で無言で指示を出す」紀子妃、考えただけで不気味で怖いものがあります。

また、秋篠宮家は特に食事の支度に関して難しい問題があるとのことですが、まだ幼い悠仁様はともかく、大の大人が4人もいる家庭なのに誰一人自分で料理をしない方たちばかりなんですね…としか思えないですね。新しく秋篠宮邸を作るにあたり、当時としては最新型のシステムキッチンまで作らせたという情報も聞いたことがありますが、宝の持ち腐れですね。東宮御所は美智子様のご希望で当時としてはモダンなミニキッチンを作らせたそうですが、今の時代では当然古く使い勝手の悪いものを、雅子様はリフォームを許されないままそのキッチンで料理をなさっているとのことです。
おそらく秋篠宮家は5人とも行動もスケジュールもバラバラでしょうし、そのような中で5人の行動に合わせてそれぞれ食事の準備をしなければならないのは大変な労力だと思います。「それが料理人の仕事」と言ってしまえばそれまでですが、材料や料理の中身などに細かい注文を付けられ文句も多いだろう状況では、料理人たちの神経はすり減って当然でしょう。
小室さんとの結婚を決めた眞子様が民間人になる準備として料理を作る練習をすれば良い経験になるかもしれません。

三笠宮家などはお子様方が自立される前はもっと大所帯でしたが、それでもここまで職員が疲弊したという話は聞いたことがありません。職員の苦悩・疲弊とご家族の人数は、あまり相関関係はないように思います。よほど秋篠宮家特有のおかしな問題があるのだとしか思えないです。

秋篠宮様が皇嗣とやらの扱いになる場合、料理人の配置は一体どうなるのでしょうか。東宮と同格として扱い、大膳課から派遣されるようになる?しかし上記記事では「大膳課も誰も秋篠宮家に行きたがらなかった(手を挙げなかった)」と書かれてしまっており、要するに秋篠宮様の待遇をいくら東宮と同格にしようと「誰も秋篠宮家には行きたくない」という現実は変えられないように思います。それに大膳課だけでなく、民間の調理師会にも秋篠宮家の酷さが伝わっているのもある意味驚きで、民間から料理人を派遣することも困難になっているという現状もあるようですが、一体どうするというのでしょう。それでも命令・職務で行かなければならないということになるのでしょうか。この辺り、職員がどういう動きを見せるのか、興味があります。

しかし上記文春記事の最後に出てくる「秋篠宮家は職員増員を固辞されている」という箇所ですが、私はこれは真っ赤なウソだと思っています。紀子妃が「どうして私たちにはこんなに予算が少ないのでしょう」と不満を漏らしているということはほかの記事で暴露されていますから、職員が少ないことも当然不満の対象になっているはずです。秋篠宮家(特に紀子妃)は、ご自分たちの予算や規模を東宮家と同等かそれ以上にしてほしいという積年の本音を抱いています。「予算は増やしてほしいが職員はそのままの人数でいい」など思うのは逆に不自然だと感じます。

当主不在の“ブラック宮家” その8~次女を使って反論までさせたのに続々と新ネタが…

秋篠宮家のブラックぶりもそろそろ食傷気味となってきたかもしれませんが、少しずつ内容を変えて多くの記事が出ておりますので、今しばらく同様の記事が続くことを何卒ご容赦いただきたいと思います。
今回は、週刊新潮2015年1月22日号をご紹介したいと思います。前回の新潮記事と部分的に内容がかぶる箇所も多いですが、それでも新ネタが次々と出てくる有様のようです。

特集 東宮家より職員が40人も少ない
「秋篠宮家紀子妃」の鬱憤と溜息


未来のお世継ぎ候補である長男・悠仁さまが健やかに成長され、次女・佳子さまの“お手振りデビュー”を果たされた秋篠宮家。が、話題を一手に集めながらも、実情に見合わぬ「待遇」に紀子妃は嘆息され、いきおい周囲には一層のしわ寄せが来ているというのだ。

「年末に、宮内庁の職員の方たちも参加した会合に出席したのですが…」
とは、秋篠宮家の内情を知る関係者である。
「皆さん異口同音に、“あの家だけは配属されたくない”“勘弁してほしい”などと洩らすのです。実際に現在、官邸に詰めている方もいたのに、“まもなく(千代田の)本庁に戻れそうなのです”と、嬉しそうに口にしていました」
どうやら、きわめて容易ならざる事態が展開しているようなのだ―。
振り返れば12月29日に成年を迎えられた佳子さまは、その2週間後、赤坂御用地の秋篠宮邸で初めての記者会見に臨まれており、途中、質問がご家族のことに及ぶと、
<母は、週刊誌などでは様々な取り上げ方をされているようですが>
そう前置きしながら、
<娘の私から見ると、非常に優しく前向きで明るい人だと感じることが多くございます>
と述べられていたのだった。
さる宮内庁関係者が言う。
「これまで紀子妃殿下については、おもに週刊誌が『人使いが荒い』『人当たりがきつい』あるいは『職員に課す仕事のハードルが高い』といった記事を報じてきました。佳子内親王の言われる“様々な”とは、これらを指していると拝察されます。ですが、お答えの内容は事前にご両親に相談され、妃殿下も了承されている。内親王の会見でこうしたフレーズが出ること自体、妃殿下がいかに日々の報道に気を揉まれているかを如実に物語っていると言えます」
つまりは、紀子妃のご意向が存分に反映された会見でもあったわけだ。実の娘たる佳子さまと周囲の職員とでは、受け止め方が異なるのは言うまでもない。が、その点を差し引いても、
「宮邸での妃殿下は引き続き、これまで報じられてきた通りの“お振舞い”が随所に窺えるのが、偽らざる実態です」(同)
というのだ。

秋篠宮家は、かねてより“慢性的人手不足”に悩まされてきた。皇室ジャーナリストの山下晋司氏が言う。
「東宮家では、本来の職員はおよそ50人。これに加え、定員上は大膳課にカウントされる料理人、車馬課の運転手、そして総務課所属の報道専門官などを含めると、ざっと60人が働いていることになります。対して秋篠宮家は、料理人や運転手を合わせて定員は現在20人。いかに皇位継承者がお二方おられても、そこはやはり宮家という“壁”が厳然と存在するのです」
3人家族で60人のスタッフを擁する東宮家に対し、5人家族の秋篠宮家はそのわずか3分の1。人数にして40人差という圧倒的な小所帯であり、数字を眺めるだけでも、日々のハードワークは想像に難くない。

◆なし崩し的に…

山下氏が続けて、
「1990年の秋篠宮家創設時は、職員は6人からスタートし、お子さま方のご誕生などを経て徐々に増員されていきました。ですが、宮内庁の職員数自体も『行政機関職員定員令』で1002人と定められており、ただ“忙しいから”との理由で一朝一夕に定員を増やすことはできないのです」
そこで“応急処置”が講じられ、
「苦肉の策として、これまで本庁の総務課や宮務課との“兼任”という形で人員が捻出されてきました。また最近では、辞令が出ないまま、急場しのぎの応援で出向く職員も見受けられます。が、庁内随一の“多忙部署”ゆえ、最初は週に1、2日の“お手伝い”という心づもりでも、いつしか日数が増え、気がつけばなし崩し的にほぼ毎日、赤坂の宮邸に缶詰め状態、といったケースもあるのが実情です」(前出・宮内庁関係者)
これに伴い、以下のような“イレギュラー”も生じているというのだ。
「職員は事務方と身の回りのお世話係、いわゆるオモテとオクに大別されます。千代田は言うに及ばず、東宮家でも両テリトリーはしっかり区別されていますが、秋篠宮家では、あまりの多忙さに、その垣根が取り払われてしまうような状況に陥っているのです」(同)
“人手不足”の一言では、片づけられそうにない。
「たとえば妃殿下の地方ご公務に伴う交通機関や宿舎のお手配などはオモテの仕事。そして日程に載らない私的なお出ましは侍女長以下、オクが取り仕切るわけですが、常時てんてこ舞いのため、しばしばそうしたオクの仕事がオモテの職員に舞い込んでくる。“動かせる人はフル活用”という妃殿下のご意向も一因ではあるものの、現行の陣容では仕事をカバーしきれないのは明らかです」(同)
それでも、紀子妃の“徹底主義”は、微塵もぶれることなく、
「あらゆる局面に臨機応変の判断が求められるオクに比べれば、オモテの仕事には曲がりなりにも段取りや手順があります。ところが妃殿下は、庁内の他部署やご家族の関係先、他の宮家などに宛てて事務連絡のメールを1本送るだけでも、“すべては私を通してからにしてください”と強く仰るのです。職員が業務の本分としてこなした作業さえも、時に叱責の対象となってしまうのですから、いささか行き過ぎでは、との感を禁じ得ません」(同)
人員のみならず、紀子妃は常日頃、職員を前に、
<宮家の予算は、なぜこんなに少ないのでしょうか>
そんなお嘆きを隠さないという。
再び山下氏の話。
「両陛下と東宮家あわせて五方には、共用の私的予算として毎年3億2400万円の『内廷費』が支給されています。これに対し、秋篠宮家に14年度に支払われた生活費である『皇族費』は約6300万円。この予算で、ご一家はやりくりされねばならないのです」
いきおい、紀子妃のご不満は募る一方で、
「羽毛田前長官の時代から、秋篠宮両殿下は年に2回ほど、陛下のご相談相手である宮内庁参与と『ご懇談』の場を持たれ、御用掛や長官も同席してきました。これは現在の風岡長官のもとでも続いており、その席で紀子妃殿下は、家屋の修繕などの“陳情”をなさったり、宮邸の職員、はては皇宮警察の担当官についても“お仕事ぶりがよろしくないので、どなたかに代えて頂けませんか”と、単刀直入に仰ることがあります」(さる宮内庁幹部)

そうしたお振舞いは、時に苛烈なトーンを帯びる。
「職員の適性や心構えを見極めるため、こんなこともありました。菊葉文化協会が毎年発行している、皇室ご一家のお写真入りの『皇室カレンダー』が、秋篠宮邸にも掛けられています。妃殿下はそれをご覧になりながら、居合わせた職員に向かって、“こうしたものは、一年が過ぎれば用済みとなってしまうのでしょうか。寂しいですね…”と、あえて独り言を呟くように問いかけられたというのです」(前出・内情を知る関係者)
何気ない雑談などでは決してなく、リアクションを試されているわけで、
「かりに“カレンダーですから翌年は捨てます”などと答えようものなら、直ちに“不可”の烙印を押されてしまいます」(同)
激務に加え、抜き打ちの口頭試問まで課せられるとは、やはり一番の難所だけはある。実際に、
「職員の間では、無事に秋篠宮家での勤務を終えて異動辞令が出された者とは、冗談半分に“ご卒業おめでとうございます”と、意味ありげに笑いながら挨拶を交わすのが習わしとなっているくらいです」(前出・幹部)

◆「発信源」を買って出て

仮借なき紀子妃のまなざしの先には、やはり皇后さまのお姿があるのだという。幹部が続ける。
「90年のご成婚以降、ひたすら皇后さまをお手本とされてきた妃殿下は、時に力みすぎ、皇室への“過剰適応”ぶりが指摘されたこともしばしばでした」
ご公務のなさりようのみならず、子育てにおいても黒田清子さんの足跡を“教科書”とされており、
「清子さんは学習院に入る前、柿ノ木坂幼稚園に1年間通われ、異なる環境を体験されています。また高校生の頃から両陛下に連れられ、同世代の祭典であるインターハイを観戦されるなど、ご公務にも積極的にコミットされてきた。こうした方針は、妃殿下によって悠仁親王、そしてお二人の内親王にも継承されているのです」(同)
そして、さらなる高みを見据えておられるというのだ。
「昨年9月6日の悠仁親王のお誕生日に際し、宮内庁はお二人のお姉さま方とともに、宮邸の畑で栽培しているトマトやナスを収穫なさっている映像を公開しました」(宮務課関係者)
従来見られた、宮邸で団欒される写真とは大いに趣を異にする。
「実は、これを発案されたのが妃殿下でした。世間では好評を得まして、それを耳にされた妃殿下は破顔一笑、“新しい流れをつくりたいですね”と口にされていた。国民へのアピールをさらに増やしていくため、ご自身が皇室における発信源になるという、ご意志の表明だったのです」(同)
果たして大晦日には、留学先の英国から一時帰国中の眞子さまが、女性皇族としては66年ぶりに宮中祭祀「大祓の儀」に参列された。宮内庁は6月に、“参列できる男性皇族が減少している”との理由で、女性の成年皇族に範囲を広げる旨、発表していたところ、
「今回の眞子内親王は、もちろん両陛下も了承なさった上で参列されている。皇后さまに倣い、お子さま方に積極的に仕事にあたらせるという妃殿下のお考えもありますが、同時に、両陛下のご意向でもある懸案事項の『女性宮家創設』に向けた“実績作り”という役割も果たしたことになるのです」(同)
東宮家では依然、雅子妃の療養が続き、愛子さまもすっかり“飛び石登校”が常となってしまった。それを横目に、待遇に歯軋りしながらも深謀遠慮を身に纏われた紀子妃は、着々と地歩を固められているのだ。


(記事終わり)

まず、佳子様の成年会見についてですが、当時この会見の内容を知った私は、「成年の抱負というより、マスコミ報道に関する言い訳や反論ばかりが目立つおかしな会見だな」と感じました。しかしこの会見が佳子様のご意向というよりは、ご両親、特に母親の紀子妃のご意向で行われたのが事実なら、成人したばかりの娘に対して随分酷なことをさせる毒親だな、と正直思いました。成年会見というせっかくの晴れ舞台になるはずだったものを、紀子妃は自分に関する批判的報道の反論・言い訳の場として利用したのです。これが母親のやることでしょうか。まあ、佳子様自身も、自分のICU大入学等に関する言い訳・反論を行っていたので、親子ともども会見を「有効利用」しようとした感は否めませんが…。

そして秋篠宮家にとっては残念なことに、佳子様の成年会見まで使って「報道は事実とは違う!」とせっかく反論したのに週刊誌は手を緩めることはありませんでした(笑)。
基本、山下晋司氏のコメントは深入りする価値のないものですが(「東宮家と宮家では格も身分も違うんです」という一言で片付いてしまうことを懲りずに延々と述べているので)、唯一興味深く感じたのは『行政機関職員定員令』というものの存在がありその中で宮内庁職員の数は厳格に定まっているため一朝一夕には人数を増やすことができない、という箇所でした。
ということは、今上陛下の生前退位が実現し、秋篠宮様が皇嗣とやらの扱いになるに伴い増員する予定の「皇嗣職」のために『行政機関職員定員令』も改正されるということなのでしょうか。そうすると、今まで苦肉の応急処置的に行ってきた「職員の兼任」や「なし崩し的な長時間労働」などが大幅に改善される見込みがあるということでしょうか?
ここは色々な見方ができると思いますが、秋篠宮様を皇嗣扱いとして東宮家並みに職員を増やすという措置は、秋篠宮家(特に紀子妃)の不満を解消する意味もありますが、同時に「これ以上宮内庁職員を壊されないようにするため」という意味もあるのではないかと考えました。
秋篠宮家があまりにも職員を酷使しすぎるので、ほとんど全員が秋篠宮家に行きたがらない。仮に行けば心身ともに破壊されて帰ってくる。ローテーションで職員を秋篠宮家に派遣しても次々に壊されてしまうのであれば、職員の心身を守るためにも負担を減らすしかない。そうすると秋篠宮様を仮に「皇嗣」とやらにして職員を増やす大義を作るしかない―。
生前退位による秋篠宮様「皇嗣」扱いは、紀子妃の不満解消と、職員保護のため、両方の理由があるように思えてきました。
(まあこれも諸刃の剣であり、心身を破壊される職員の数が更に増加するだけという見方もできると思いますが)

「オク」と「オモテ」の垣根がなくなり「使える職員はフル活用する」という紀子妃のやり口を見ていると、職員は少しの休憩も与えられていないように思えます。「一息ついてるヒマがあるならこっちに来て働きなさい!」というなら、そりゃ職員は次々に壊されてしまうでしょうね。日本では過労自殺が大きな社会問題となっていますが、職員の中で秋篠宮家での過労を理由に自殺してしまった人が今まで出てこないことの方が不思議です。

しかし、紀子妃の増長ぶりはとどまることを知らないようですね。ただの一宮家のくせに、なぜか両陛下の相談相手とされる参与や宮内庁長官等が集まる会合にご夫婦で顔を出して「予算が少ない」だの「修繕費を寄こせ」だの「あの職員や皇宮警察をクビにしろ」だの、やりたい放題です。東宮家やほかの宮家がこの会合に出られているというお話は出てきていないので、秋篠宮ご夫妻だけが会合に乗り込んで不満や我儘を言い散らかしているのでしょうか。おそらく、両陛下が秋篠宮家だけの特別参加を認めてしまっているのだと予想します。
秋篠宮家の増長は、明らかに両陛下にも責任の一端があると思われます。
上記新潮記事にもまた「紀子妃は一貫して美智子様をお手本にしている」と書かれていますが、美智子様も昔から増長した態度を取られる傾向にあったからこそ紀子妃も真似していると思われても致し方ないですね。

カレンダー云々の下りやメール送信などの件は、「紀子妃って心底面倒くさい方だなあ」としか思えません。特にカレンダーの箇所は、「古いカレンダーを私の方で持ち帰らせていただいて家宝にさせていただきます!」とでも言わなければいけないのでしょうか(呆)。

そしてこの新潮の記事には、「女性宮家創設は両陛下のご意向」と明確に書かれていますね。そして紀子妃が両陛下の「ご意向」に合わせて眞子様などの存在をアピールするかのような行動をとらせているのは、女性宮家の創設が紀子妃ご自身の「ご希望」でもあるからだと言えるでしょう。「国民へのアピールのために自ら発信源になる!」と張り切っているようですが、国民は誰も紀子妃が発することに興味ないと思います…。
※ちなみに眞子様は小室氏との婚約が決まりましたが、もし眞子様が女性宮家を作らずに降嫁なさるのであれば、両陛下や紀子妃は内心悔しいと感じていらっしゃるかもしれませんね。眞子様は祖父母や母親の勝手な希望などに臆することなく、ご自分の意思を貫いて「小室眞子」さんとして是非幸福になっていただきたいと願います。

しかし、この記事でも相変わらず秋篠宮家当主様は存在感なさすぎですね。前回の新潮記事で「秋篠宮様は妻にやり込められる」「考えの齟齬が生じてご夫妻の間に隙間風が吹いている」と書かれてしまっているくらいですので、当主様も妻には触らないようにしているのでしょうが、当主としての責任放棄とも言え職員が救われることはありません。

当主不在の“ブラック宮家” その7~一体どちらが当主?増長が止まらない空回り宮妃様

今回は、週刊新潮2013年11月7日号の記事を取り上げさせていただきます。
パワハラ・ブラック宮家記事では毎回存在感のなさすぎる当主様ですが、この記事では珍しくちょこっと当主様が登場しています。が、非常に情けない登場の仕方となっており「当主」の影は見るべきもありません…

特集 ご不満「紀子妃」についた不敬なニックネーム
職員数は東宮の3割!予算は東宮の2割!皇宮警察へのお声かけも「雅子妃」以下!


将来のお世継ぎである悠仁さまを擁する秋篠宮家が、不測の事態の只中にある。ご一家を切り盛りされる紀子妃が、殿下や両陛下との間に“すきま風”を生んでいるという。その完璧を期す「お振舞い」に閉口して、あろうことか陰では“愛称”で呼ぶ者も出始めて…。

秋篠宮家が創設されたのは1990年。以来、一貫して皇后さまのなさりようをお手本とし、ともすれば“皇室への過剰適応”と受け取られかねないお振舞いを続けてこられたのが紀子妃であった。宮内庁担当記者が言う。
「紀子さまにとっては06年、お世継ぎとなる悠仁さまのご誕生がやはり大きなターニングポイントでした」
それまではいわば、皇后さまの見よう見まねで事に当たられてきたのだが、
「ご家庭内に皇位継承者をお二人も抱えるという状況に至り、想像を絶するようなプレッシャーがのしかかったことでしょう。同時に、男児を授かったことで、“何としてでも立派に育て上げなければ”という、先々を見据えての『ご覚悟』も生じたわけです」(同)
そうした決意と背中合わせの感情は、本来、胸に秘めておくべきものであろう。が、近年、その“発露”が、とみに目立ってきているというのだ。宮内庁の宮務課関係者が言う。
「ご公務の際などは、にこやかでおっとりしたお話し方でお馴染みですが、実際の妃殿下は正反対です。宮邸に詰める職員に対しては、いつも早口で次々とご用件をまくし立てられ、指示が出される場には張り詰めた空気が漂っています
そうしたお振舞いは、一昨年からエスカレートしていったという。
「ちょうどその頃、“東宮家では、もう新たなご家族の誕生はない”というお話が、巡り巡って妃殿下のお耳に届いたのです」(同)
宮邸の職員からも“未来の天皇が宮家から出るのですよ”と囁かれ、紀子妃の「豹変」に拍車が掛かっていく。
「妃殿下からは、ご不満のお言葉が多く寄せられるようになりました。“宮家に割り当てられた予算が実情に合っていない。こうした現状を、どうにか変えて貰いたい”という内容がもっぱらでした」(同)
宮邸における事務方のトップである宮務官や“オク”を取り仕切る侍女長を通じて繰り返し要望されてきたといい、
「人員の配置についても、折にふれ、幹部職員に“優秀な人材をもっとつけて欲しいのに、なぜできないのでしょうか”といった、およそ一朝一夕には叶いそうにない訴えをなさっていました。ですが、独特のしきたりを有する職場にあって、最初から宮家の仕事を十分にこなせる即戦力を望まれているのならば、それは無理なお話でしょう」(同)

とはいえ、宮家ながら将来のお世継ぎを擁する5人家族の秋篠宮家と東宮家との「格差」は、これまで度々議論されてきた問題である。予算と人員の側面から、あらためて比較をしてみると、
「宮内庁が所管する皇室に関する費用は、職員の事務費や人件費などの『宮内庁費』と『皇室費』に、まず大別されます」
宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司氏はそう前置きしながら、
「後者の皇室費はさらに、両陛下と東宮ご一家の私的予算の『内廷費』、他の皇族方の生活費である『皇族費』、公的活動に使われる『宮廷費』に分かれます。今年度の内廷費は3億2400万円。内訳は不明ですが、陛下と内廷皇族の合計五方で同じ“お財布”で賄うという格好になります」
これに対し皇族費は、
「宮家の当主である秋篠宮殿下に定額の3050万円が支給され、妃殿下はその半額、眞子さまは3割、未成年の佳子さまと悠仁さまはそれぞれ1割と、ご一家で合計6100万円になります。この中から、生活費全般をやりくりしなければならないのです」(同)
お一人当たりの金額を単純に算出すれば、秋篠宮家は東宮家に比して2割しか予算が充てられていないことになる。人員においても、その差は歴然で、
「東宮家は現在およそ50人。このほか、宮内庁管理部に籍を置きながら東宮に専従する車馬課や大膳課の職員もおり、すべて合わせれば60人を超えます。一方の秋篠宮家は、運転手や調理人を含めてもたった19人しかいません」(同)
と、こちらもまた東宮家のわずか3割。
人手を補うべく私的に侍女らを雇うことは可能だが、やはり皇族費で賄わねばならず、そもそも激務ゆえ秋篠宮家の職員が次々と入れ替わり、とりわけ侍女長が体調不良などを理由に目まぐるしく交代してきた経緯については、本誌もかつて報じたところである。
「現行の皇室典範と皇室経済法は1947年から変わっていません。制定当時の理念と現状があまりに乖離しているため、秋篠宮家にしわ寄せが来ているのです」(同)

◆激務にさらされた身内から…

いきおい苛立ちを募らせた紀子妃は、ひたすら“先鋭化”なさっているようで、
「悠仁さまのご誕生前とは打って変わり、ご一家を警護する皇宮警察の担当者らにも、めっきりお声かけをなさらなくなりました。ツンとした感じで、仰ることはご自身のご要望と苦情ばかり。意外なことに、雅子妃の方が、まめにご自身の担当にお言葉をかけ、和やかに懇談されているほどです」(前出・宮務課関係者)
ご家庭においても、
悠仁さまが小学校へ入られた後、妃殿下のお変わりような顕著になりました
そう明かすのは、秋篠宮家の関係者である。
「妃殿下はご家庭で悠仁さまに習い事をさせたいというご意向をお持ちで、そうした方針を巡って殿下とたびたびお話し合いをもたれてきたのです」
この関係者によれば、紀子妃は今やすっかり“教育ママ”と化しておられるという。が、秋篠宮さまは昨年11月のお誕生日に際し、
<(悠仁さまには)今、君はこういう立場なんだよ、というようなことは話しておりません。私はだんだん年を経るにつれて、分かっていくのがいいのではないかと思っております>
と述べられていて、
「殿下は“そこまで詰め込まなくても、子どもはある程度自分で育つのだから”とのお考え。最終的には大体、妃殿下のご意見を受け入れられるのですが、これに対し妃殿下は“もう少しちゃんと考えてください”といったご不満を口にされています」(前出・秋篠宮家関係者)
ご夫妻の間には“すきま風”が吹き始め、最近では、以下のような場面も見受けられるというのだ。さる宮内庁関係者が明かす。
職員らを交えたごく身内の集まりの場で、殿下が仰ったことを、傍らから妃殿下が“それは違うでしょ”などと、ぴしゃりと否定なさることがあります。以前であれば考えられなかった光景なのですが…」
こうしたお振舞いが積み重なり、寄せられるご苦情と相まって、
「疲弊した職員や皇宮警察の一部には、妃殿下のお名前の『紀』を『のり』と読んで、密かに『のりぴい』などというニックネームで呼ぶ者もいるくらいです」(同)
というのだから、不謹慎というほかない。

◆陛下のご懸念は「家庭教育」

ご自身のみならず、周囲にも高い水準の要求をなさるのは、ひとえにお世継ぎを抱えた責任感の賜物であろう。換言すれば、将来の国母というお立場ゆえのお振舞いに相違ないのだが、そうした独自の“帝王教育”も、現状では空回りの感が否めない。それでも、さる皇室ジャーナリストによれば、
「両陛下と紀子さまは変わらず、コミュニケーションを密にとっておられます」
一例として昨年8月、心臓手術を受けて入院されていた三笠宮さまの宮邸を両陛下が訪ね、百合子妃をいたわられた日の「できごと」が挙げられるという。
「その日、両陛下は、同じ敷地内にある秋篠宮邸で、紀子さまらと昼食をともにされている。当日、秋篠宮さまはベトナムご訪問で不在でしたが、悠仁さまと接する機会を大切になさっている陛下を紀子さま自らお招きし、貴重な触れ合いの時間をつくられたわけです」
常日頃から紀子妃は、職員に託し“お近くにお立ち寄りの際はいつでもお訪ねを”とのメッセージを両陛下にお伝えしているという。が、そんな中でも“豹変”は、陛下の知るところとなっていて、さる侍従職関係者によれば、
「悠仁さまの“お世継ぎ”が確実となり、妃殿下のお立場が変わって周囲への対応まで一変してしまったことで、陛下はかつてのお振舞いとのギャップを感じ、行く末を案じておられます。妃殿下がご家庭での教育を、あたかも『帝王教育』であるかのように捉えられて邁進なさり、実際に悠仁さまに施されている状況をご覧になるにつけ、強いご懸念を示されている。帝王学とは、陛下や皇太子殿下のように、実際に学んだ方でなければ伝えられないもの。つまりは、いかに“過剰適応”なさろうとも、カバーしきれない領域なのです
そのことを誰よりもご存知である陛下のまなざしのもと、悠仁さまは放し飼いにされている大型ネズミの仲間・マーラと戯れられる日々だという。

(記事終わり)

上記記事で紀子妃は“過剰適応”と奇妙な言葉で表現されていますが、この言葉は雅子様に表向き下された診断である“適応障害”という病名を意識し揶揄しているように思えてなりません。だから何となくこの言葉に私は良い印象はありません。
紀子妃は結婚当初(一説では結婚前?)から美智子様をお手本にしてきたと言われていますが、そもそもこれが根本的におかしいのです。紀子妃がお手本にすべきは同じ筆頭宮妃であった常陸宮妃殿下(華子様)でなければいけなかったはずです。しかし、紀子妃が華子様をお手本にし敬意を抱いているという話は聞いたことがありません。こんな姿勢を取り続ける紀子妃に対して華子様も良い気持ちはしないでしょうし、美智子様も「貴女が見習うべきは常陸宮妃ですよ」とたしなめなければいけないと思います。美智子様にとってはご自分をリスペクトしお手本にしようとする紀子妃が「可愛い」のかもしれませんが、こういうところで平成皇室の歪みが生じていると感じるのです。
しかし上記記事は「紀子妃は一貫して美智子様をお手本にしている」と言いながら、紀子妃のお振舞いに苦言を呈するようなことも書いています。これは「美智子様も昔からこういう横柄で尊大なところがおありだった」という解釈の余地を与えないのか?と少し心配になりました。「紀子妃がこういう人格に形成されたのは美智子様の真似をし続けていたから」という解釈もできてしまうように思います。

そして私が上記記事で気になった箇所があります。
それは「東宮家にはもう新たなご家族の誕生はない」ということが確定事項として皇室内に広まっていたということです。
これは深く考えてみれば、東宮ご夫妻(特に雅子様)に対して非常に無礼すぎることになりませんか?
「新たなご家族が誕生することはもうない」ということは、年齢を重ねた女性にとって非常にデリケートなお話になります。もし、雅子様が女性特有のデリケートな体調変化で「もう子供は望めないようだ」ということが皇室内で広く知られることになってしまったのだとしたら、そういうことを面白おかしく話題にするような職員がいる宮内庁・皇室とはいったい何なのか?女性のデリケートな問題を何だと思っているのか?と、ふつふつと怒りが湧いてきます。
その上更に「もう東宮家に男子が生まれることはありませんよ!悠仁様の継承権確定ですね!」などと紀子妃の耳元で囁いた人物は一体誰なのか?と怒りと気持ち悪さでいっぱいになりました。おそらくこの職員は、秋篠宮ご夫妻と懇意で、紀子妃のパワハラ被害に遭ったことがないような非常勤のキャリア官僚だと思われますが定かではありません。
当ブログでもご紹介した過去のパワハラ・ブラック宮家記事にも登場したように、秋篠宮家にはご夫妻とタッグを組んでご夫妻に気に入られて過ごせる職員も何人かいるようですからね。

ちなみに、悠仁様はもちろん、秋篠宮様の継承権も「確定」はしていません。あくまでも暫定的に継承順位2位・3位となれているだけであり、今後典範改正で「男子」という縛りがなくなれば、天皇直系である敬宮愛子様の順位の方が上になります。
秋篠宮様は皇嗣扱いされる予定ですが、これは正式に「皇太子」となれたわけではありません。
ですから「秋篠宮様と悠仁様の継承権が“確定した”」というのは全くの誤りです!!

山下晋司氏、この記事でも何か言っていますが深入りする価値はないでしょう。
何度も言うように「東宮家と秋篠宮家はそもそも格が違うしそれが皇室の序列というもの」だからです。
そもそも5人家族で6000万円以上も予算があることのどこが「苦しい」のか?
むしろこの金額をもらえてやり繰りできないという方が問題がありすぎるのではありませんか?

なお、東宮家と両陛下はお財布が同じですが、その内訳は明らかにされていません(正式に公表されているわけではない)。そうすると、予算(内廷費)の大半が両陛下に割り当てられ、東宮家には少ししか与えられていないという可能性も考えられるわけです。もしかしたら東宮家は6000万円も受け取れていないかもしれません。
内廷費の内訳が国民に開示されていない以上、東宮家と秋篠宮家の予算を比較して、どっちが多いの少ないのと議論することは心底無意味なことです。山下氏は元宮内庁職員なのに、そういうカラクリを隠蔽して説明するので、非常に質が悪いです。


そして紀子妃の増長と空回りは、悠仁様が成長されるにつれて酷くなっているようですね。
当主である秋篠宮様にもピシャリと物をおっしゃり、当主を黙らせるまでに至ってしまったようです。
紀子妃に対して毅然とした態度をとれない秋篠宮様もかなり情けないです。当主がこうだから、秋篠宮家のブラック状態も放置されるのだろうし妻のパワハラも改善できず職員が苦労するのでしょうね。
私は、秋篠宮家のブラック問題は紀子妃だけでなく、あまりにも存在感のない当主の秋篠宮様にも大きな責任があると考えます。

紀子妃は当主が留守でもお構いなしに両陛下を宮邸に呼び付けてしまうようですが、妃が自分の一存だけで、当主不在の間にこんな振舞いをすることが果たして許されるのでしょうか?そしてそのお誘いに軽々しく乗ってしまう両陛下もちょっと…と思ってしまうのです。男子である悠仁様を依怙贔屓していると思われても仕方のない行動ですね。

しかし、そんな紀子妃と悠仁様を贔屓にしていらっしゃる両陛下でも、紀子妃が自己流で勝手に「テイオウガクモドキ」を悠仁様に授けようとしていることには顔をしかめているようですが。
上記記事はハッキリと「陛下と皇太子殿下は帝王学を受けている」と書いていますが、秋篠宮様については触れていません。
やはり秋篠宮様が「自分は皇太子になる教育を受けたことはない」とおっしゃっていた通り、宮様は帝王学を受けたことなど一度もないのですよ。このような方を皇嗣扱いすることに本当に問題はないのでしょうか?


あと、紀子妃に陰で付けられた「のりぴい」というニックネームですが、有名な「のりぴー」と言えば薬物で逮捕歴があり、家族の中に●●ザがいるという噂の芸能人の●井法●さんが思い浮かびます。「紀子」は「ノリコ」とも読めますが、どういう理由で●井さんと同じ呼び方をされてしまったのか興味があります。

当主不在の“ブラック宮家” その6~通訳女性まで“犠牲者”に…

ブログ更新が滞ってしまい大変恐縮です。
今回は、週刊文春2013年8月8日号の記事をご紹介したいと思います。多少長めの記事ですがご容赦くださいませ。

秋篠宮紀子さま 「氷の微笑み」の裏側
「日本語にもなっていない!」6月東欧ご訪問の際、厳しい叱責に通訳女性は泣きだしてしまったという。悠仁さまの教育に心を砕く筆頭宮家の緊張と焦燥。


淑やかな所作、一語一語に心を込める喋り方、そして止ん事無い雰囲気を醸し出すあの微笑。だが、一部の職員だけが知り、畏怖するというその素顔からは、将来の“天皇の母堂”としての覚悟が伝わってくる。精力的に公務を続けられる46歳、筆頭宮妃のプリンセスの現在。

青碧に輝く湖に浮かぶ小島。そこには白い塔が印象的な小さな教会がある。その鐘楼にある鐘を鳴らせば、誰でも願い事が叶うという“希望の鐘”。その澄んだ鐘の音に、紀子さまは何を願われたのか―。
ヨーロッパの屋根、アルプス山脈南端を有する人口約二百万人の東欧の小国・スロベニア。その日、秋篠宮ご夫妻は公務のため、彼の国の代表的景勝地ブレッド湖を訪れられていた。山に囲まれた箱庭のような美しい景観の、ハプスブルク家ゆかりのリゾートである。
「6月19日から30日、秋篠宮ご夫妻は中東欧三カ国を公式訪問されました。旧ユーゴスラビアのクロアチアとスロベニア、旧チェコスロバキアから分離したスロバキアは、昨年から今年にかけて日本との国交樹立20周年を迎えます。秋篠宮ご夫妻は12日間で三カ国をめぐるという過密なスケジュールで、記念演奏会や舞踏公演、大統領との晩餐会などに出席されたのです」(宮内庁担当記者)
その現地での最終日、6月29日は秋篠宮ご夫妻にとって、23回目の結婚記念日でもあった。日本では6月9日の皇太子ご夫妻の結婚20周年ばかりが注目されていたが、弟宮ご夫妻は海外公務先でその日を迎えられていたのである。
ブレッド湖の湖面を見下ろしながら、秋篠宮ご夫妻は、お二人だけのランチを楽しまれた。四つ星の「ホテル・トリグラウ・ブレッド」の中にある、「レストラン1906」のフロアマネージャー、ソニア氏が話す。
お店をご一行で貸切りにし、さらにご夫妻のテーブルを間仕切りで囲って、小一時間ほどではありましたが、お二人での時間を過ごしていただきました。日本のプリンスは『ムフロン』という羊の原種にニョッキを添えたもの、プリンセスは『ズラトーチータ』という鱒キャビアを添えたグリルを召し上がりました。全三品のコースでしたが、とても楽しそうにお食事をなさっていましたよ」
中東欧は近年、日本人にも人気の観光地となっている。ユーゴスラビア紛争から十年程が経ち、戦争からの復興も進んでいる。宮崎アニメ『天空の城ラピュタ』のモチーフとも言われている古城など、風光明媚な土地も数多い。
だが、この秋篠宮ご夫妻の海外ご訪問に、宮内記者会常駐の報道14社のうち、1社さえも日本から同行した社はなかった。
「皇太子のスペインご訪問直後であったことや、滞在期間が長く予算がかかるためです。ただ、報道陣が日本から大挙して現地に押し掛けた雅子妃のオランダご訪問に比べると、その注目度は格段に低いと言わざるを得ません」
(前出・宮内庁担当記者)

◆怒気をはらんだご叱声の迫力

また同じころ、日本では雅子さまが山梨ご訪問を前日の夜にキャンセル。小誌でも報じたように、一部のキー局では、雅子さまの久々の国内公務を生中継しようという動きもあり、県庁への取材は殺到したが、結局全てはご破算に。この“ドタキャン騒動”は大きく報じられ、秋篠宮ご夫妻の海外ご訪問はますます目立たなくなってしまった。
中東欧ご訪問に同行した現地関係者が話す。
「ご夫妻はその間も、一日3、4カ所の訪問先を巡り、ほぼ三日に一回は都市を移動されていました。それぞれの土地の気温差が大きいためか、さすがにご滞在の最後はお疲れの様子でした。朝9時前から夜中の23時までスケジュールがぎっしり詰まっている日もあったのです。特に妃殿下は、各国の大統領とお会いになる際は、お着物をお召しになっていましたし、準備にもお時間がかかったことでしょう」
中東欧ご訪問の随員は、わずか十数名。おそらく現在の雅子さまには難しいと思われるハードスケジュールを、秋篠宮ご夫妻は少ないスタッフでこなされた。
だが、のどかな中東欧の景観とは裏腹に、現場は緊迫した空気に包まれることもしばしばだった。紀子さまが随員に対し、苛立ちの感情をお隠しにならず、ときにはそれを周囲にぶつけられる場面も度々あったという。そして、その怒気をはらんだご叱声の迫力に落涙する者もいたというのだ。
それは滞在中盤、6月25日のことだった。
ご夫妻はスロバキアのタトラ国立公園にある植物園を訪問された。3.2ヘクタールの広大な敷地を誇る植物園では、270種以上のタトラ地方固有の植物を観察することができる。
同行した大使館関係者が打ち明ける。
「20度ほどの清々しい高原の空気のなか、植物園のスタッフは両殿下にそれら固有種の説明をしました。一時間ほどの行程も終わり、スロバキア側のスタッフが皆引き上げたあとのことです。紀子さまはとたんに、表情を一変させました。そして通訳の女性に向かって、『あなたが訳した植物の名前って、日本語にもなっていないし、なんだかよく分からない!』。そう語気を荒げ叱責したのです。
思わず耳を疑いました。それまでの穏やかな笑顔からは全く想像できないご表情で。現場は凍りつきました。かわいそうに、通訳の子は外務省の研修を終えたばかりの若い女性だったのですが、涙を流していたそうです」

小誌では駐スロバキア大使館に国際電話をかけ、通訳女性本人に事の顛末を問い質したが、かぼそい声で「そんなことはありません」と繰り返すばかり。秋篠宮ご夫妻はスロバキア側の担当者と直接、英語でやり取りしたと説明した。
だが、要人通訳の経験を持つ元外務省関係者は通訳の心中を察し説明する。
「たとえ担当した要人から叱責を受けたとしても、通訳は口外するわけにはいきません。それが皇族方なら尚のことです。それでなくても、通訳はぞんざいに扱われるのが常。会議の席次表なども『通訳』とだけ書かれ、個人名が記されていないなど日常茶飯事。『オイ』とか『キミ』としか呼ばれず、石ころのように扱う要人だっている。私は何百人と通訳をしてきましたが、お礼を言われたことは皆無でした」

◆「あの微笑みは“仮面”なのです」

ただし、同僚から聞いたある話が忘れられないという。それは欧州某国の大使館に勤務していた、三十代の若い専門職員の話だ。
「あるとき、彼は来日したその国の大統領夫人について、美智子皇后との通訳を務めることになった。しかし、極度の緊張と、知識豊かな二人の多岐にわたる話題に付いていくのが精いっぱいで、ある単語を訳し間違えてしまった。すると、美智子さまはその者だけに聞こえるような小さな声で、そっと訂正されたそうです。そのお優しさと語学力に、その者は驚嘆し、しかもその際に名前で呼びかけてくださったということに、すっかり感激していました」
今回の紀子さまのお振る舞いは、美智子さまとは対照的だったといえるかも知れない。かつて宮家に勤めたある職員が話す。
実はこれまでも度々、紀子さまの外でお見せになるのとは違うお顔を拝見したことがあります。私も初めは驚きました。ご会見などでの優美なお話の仕方や立ち居振る舞いを拝見していて、私もみなさんと同様、紀子さまにはゆったりとした、どこかスローモーな印象を持っていたのです。しかし、あの微笑みはいわば“仮面”なのです。仮面を外した宮家の中での素顔は全く違います。
その昔、『あなた自己中ね!』と女子職員を強い口調で説教されたこともありましたが、そんなのは序の口。具体的にはとても言えませんが、その人の至らない部分を酷い言葉に喩えてお叱りになることもありました。今ではあの冷たい微笑みに畏怖の念を感じます

勤務先としての秋篠宮家は宮内庁職員の間では、“ご難場”と呼ばれ恐れられているが、その理由に挙げられるのが、紀子さまの厳格なご性格だという。
元宮内庁職員も、当時を振り返りこう話す。
「あるとき秋篠宮家の中で、事務職員でない技官のポストに空きが出たことがありました。外部から応募がありましたが、当時私は採用してもよいものか、非常に迷いました。なぜなら、秋篠宮家のご内情について、前任者からよく相談を受けていたからです。
前任者は紀子さまに本来の仕事以外の雑務を頼まれたり、激しく非難されたことで精神的に参っていた。新任の方は地元での商売をたたみ、家族で東京に越してくると言っていたので余計に心配でした。『宮家に勤めれば箔がつくから』とご本人が強くおっしゃるのでお越しいただきましたが、結局その方は定年まで数年を残して宮家から下がってしまわれた

そして、紀子さまの職員へのご対応が一層厳しくなったのは、悠仁さまがお生まれになってからの、この数年だという。
宮内庁関係者が話す。
「秋篠宮家は五つの宮家の筆頭格とはいえ、東宮とは規模にかなりの差があります。それが将来の天皇である悠仁さまがお生まれになっても大して変わっていない。そこに紀子さまは気を揉んでいらっしゃるのでしょう。東宮職には50名の職員がいるのに、秋篠宮家には併任3名を含めて19名しかいません。悠仁さまご誕生の頃と比べても7名しか増えていない。雅子さまがほとんどご公務をなさらない中で、活発にご公務をこなされ、しかもご家族の人数も多いのに、です。将来の天皇である悠仁さまをお育てするのに適した体制とは言えない」
7月22日、英国王室では王位継承順位三位のジョージ王子が誕生したが、
「本来ならウィリアム王子ご一家と秋篠宮ご一家、ともに皇位継承順位二位と三位を抱くご家族に変わりはない。悠仁さまとジョージ王子は7歳差で、同世代でもある。20年、30年先の世界の王室外交を担うという意味においては、共に重要なカウンターパートであることを再認識すべきでしょう」(同前)
しかし実際には、悠仁さまに皇位が継承されるまで、その具体的なシミュレーションがしっかりと定まっているわけでもない。皇位継承問題が叫ばれて久しいにもかかわらず、主導すべき政治家は永田町の論理から脱することができず、議論が進む気配すらない。
例えば、皇太子が即位した場合、秋篠宮や悠仁さまがどうなるのかさえ明確ではないのだ。
京都産業大学の所功名誉教授が解説する。
「現行の皇室典範では、八条に『皇嗣たる皇子を皇太子という』とあるだけなので皇太子が天皇になった場合、皇子でない弟の秋篠宮が皇太子になるか否か、解釈が分かれています。本来なら『皇太弟』という表現を設けて明確にすべきなのです。ただ、その際、長女の愛子さまと甥の悠仁さまの立場はどうなるのか、まだはっきりしません。
仮に秋篠宮が皇太子となれば内廷皇族になり、それまでの本家と分家が一体化するのか、また眞子さま・佳子さまが一般男性と結婚したら秋篠宮は無くなってしまうのか、宮内庁も政府も議論を尽くしていないようです。そもそも今のところ悠仁さまは三代後の天皇になられる可能性が高いのに、筆頭宮家の一親王という扱いのままでいいのか。9月にはもう7歳になられるから、早急に十分な対策をとれるよう、法改正もする必要があります」

◆悠仁さま時代への“地ならし”

最近では、紀子さまのご意向を汲み取ってか、秋篠宮家では一部、宮家の“格”を上回るような好待遇へ舵が切られている。
「昨年8月の私的なベトナムご旅行以降、秋篠宮殿下は三回、海外を訪問されていますが、全てに東大の医師を同行させているのです。これまで、両陛下や東宮のように侍医がいない秋篠宮家では、訪問先の大使館付きの医師が医療を担当するのが原則でした」(ベテラン宮内庁担当記者)
また、公務に同行する宮内庁御用掛や内閣府事務官にはキャリア官僚が多く採用されている。今回の中東欧ご訪問にも同行した、内閣府事務官の谷みどり氏は経産省と併任でアメリカへの留学経験もあり、語学に堪能。御用掛の板倉敏和氏も旧自治省出身で、消防庁長官や長野県副知事などの華々しい経歴を持つ。
「随行医やキャリア官僚といった“ブレーン”を取り揃えるという秋篠宮家の新たな人事の方針は、悠仁さまが今後、成年皇族となられ、公務をなさる時代を見据えての“地ならし”ではないでしょうか。典範改正はすぐには行われないでしょうが、少しでも悠仁さまに資する体制を作ろうと必死なのです。
たしかにこれまでの秋篠宮家には“控えめの論理”が存在しました。特に兄宮である東宮に対し、上回って目立ってはいけない、控えめな存在でいるべきだというのが、行動原理だった。
しかし、雅子さまの公務復帰の見通しが一向に立たない現在、皇太子に準ずるような仕事をするようになってきているのは事実です。08年6月の岩手・宮城内陸地震の際、被災地にいの一番に乗り込んだのは、秋篠宮ご夫妻でした。たまたま秋篠宮殿下に『海フェスタいわて』の記念式典出席の公務があったということもありますが、皇太子ご夫妻は最後まで被災地にいらっしゃらなかった。その頃から従来の宮家とは異なる“第二東宮家”とも言えるお立場を意識していらっしゃるように思える。
それは将来の天皇の母である紀子さまのご自覚の顕れだと拝察します」(同前)

冒頭の6月29日のご結婚記念日、スロベニア料理を召し上がった秋篠宮ご夫妻は、その後、手漕ぎの乗り合いボートに乗って、湖の中ほどに浮かぶ小島(ブレッド島)に向かわれた。
その島のシンボルである8世紀に造られた小さな教会には、尼僧の悲恋の逸話とともに受け継がれた伝説の“希望の鐘”がある。
「両殿下は願いが叶うという鐘の紐をお引きになり、鳴らしておられましたよ。何をお願いされたのでしょうね?1976年、皇太子時代の天皇陛下もいらしたことがありましたが、『もう一人子供が授かりますように』と願いをかけられたそうです」(ホスト役を務めたブレッド市長のヤニス・ファイファー氏)
質素な環境にありながら、ご公務に、子育てにと奔走される紀子さまにとって、つかの間の安らぎの時間だったのかもしれない。

(記事終わり)

正直なところ、長い記事の割にはあまり面白くないといいますか、所々に東宮家(雅子様)に対するチクチクとした嫌味や、唐突な美智子皇后賛美などが挿入されていて、読んでいて不愉快な部分がいくつもあると感じます。
そしてこういう秋篠宮家ブラック実態を暴く記事は、最後はたいてい秋篠宮家(紀子妃)擁護で〆ていることが多いですね。紀子妃の職員いじめとも言うべき態度を「秋篠宮家は皇位継承者が二人もいるのに~」とか、「秋篠宮家は東宮家に比べて~」とか、常にそういう擁護に結論を持っていこうとする記事の姿勢は何とかならないのかと思うのです。

何度も言いますが、たとえ秋篠宮家に男子が生まれようと、皇位継承者が複数いようとも、公務と言われる活動を多くしようとも、秋篠宮家はただの筆頭宮家のままなのです。それが皇室の序列というものです。
職員数が少ないのも、予算が少ないのも、ただの宮家であるため現状では仕方ないのです。
それは東宮家のせいでもなければ職員のせいでもありません。


上記記事、色々とツッコミ所は満載なのですが、まともに解説を入れていくのも馬鹿馬鹿しい気がします。
まず、秋篠宮ご夫妻の海外行きにマスコミが同行しなかったのは、そこまで予算をかけてまで取材する価値がないと単純に思われただけではないでしょうか?文春記事は「東宮家ばかりに注目が集まるのがいけない」のような論調で書かれていますが、それは東宮家のせいでも何でもありません。秋篠宮ご夫妻にマスコミや国民の関心を引き付ける魅力がないのが最大の原因でしょう。それにしても大手マスコミさえも取材同行費用が出せないほど、秋篠宮ご夫妻の海外行きには莫大な税金が使われているのですね。
通訳女性が紀子妃から怒鳴られた理由もあまりにも理不尽といいますか、日本にない外国の植物を「分かりやすい日本語」に直すことは、植物の専門家ではない通訳にとっても難しい課題であったでしょう。通訳女性は自分の出来る範囲で何とか通訳したのでしょうが、無理が生じてしまったのは仕方ないような気がします。
そして通訳一般に関わる問題点を読んで、元外交官で通訳を行ってきた雅子様も、同じような理不尽な目に遭われてきたのだろうかと考えました。

そして上記記事でも「紀子妃はオモテとウラの顔が全然違う」という実態を暴露されています。私は割と早い段階(川嶋紀子さん時代)から紀子妃の本性のようなものを何となく感じ取っていたので(強かそうとか下心がありそう的な)、紀子妃が公の場では笑顔を見せ裏では常にイライラ恫喝するような方だと聞いても、「ああそういう感じがする」という感想であり意外な感じはしませんでした。
それにしても気になるのが、「具体的には言えないが、職員の至らない部分を酷い言葉に喩えて叱ることがある」という部分です。放送禁止用語?差別用語?みたいなものを使って職員を罵倒するということでしょうか。一体どれくらい酷いのか、想像もつきません。これが皇族のやることでしょうか。

そして案の定「悠仁様がいらっしゃるのに」という論調で、秋篠宮家の待遇が良くないことに対する擁護的記事が続いていきます。上記記事では「永田町(国会や政府)が秋篠宮様や悠仁様の待遇について法改正する動きをなかなか見せない」ということが書かれていますが、この当時は政府はまだ何もしようとしてなかったようですね。2013年当時は安倍政権(男系男子固執派)が誕生していましたが、ほかに手をつけるべき事項がたくさんあり典範や皇室に関することは“後回し”になっていたとしても仕方がなかったと思います。

今上陛下の生前退位(譲位)法案は、なぜか国民の深い議論もないままに秋篠宮様の待遇を大幅に改善してしまうという結論が採用されてしまいました(皇嗣扱いと予算激増、職員数大幅増員など)。上記文春記事は、秋篠宮家の待遇を宮家の立場を超えて良くしてしまうということが、この頃から少しずつ行われていたことに触れていますが、それだけでは飽き足らず、今上陛下の生前退位のドサクサに紛れて秋篠宮様の待遇を東宮並みにしてしまおうという横暴な手段に出ました。
手始めに山下晋司氏や所功氏などの子飼いの人物を使って「皇太弟」などという単語をちらつかせながら「秋篠宮家は男子もいるし皇位継承者も複数いるのに、東宮家と比べてこんなに待遇が悪いんですよ」というアピールを何回にも分けて行い、続いてNHKの橋口記者も使って今上陛下の生前退位に関する情報をリークし世間を巻き込み、まんまとご自分たちの待遇改善のための法案を通してしまったという印象しかありません。


ほかにも、上記記事は「秋篠宮家には控えめの論理がある」とか寝言を言っていますが、一体どこが「控えめ」だと言うのでしょうか。本当に控えめな方々は、こんなに頻繁に他人の口を使って「予算増やせ職員増やせ東宮家と同等かそれ以上の待遇にしろ」なんて言いませんよ。私は秋篠宮家に「控えめ」とか「遠慮」などというものを感じたことは一切ありません。逆に、どこら辺が「控えめ」だったのかその具体例を挙げてほしいものです。

また、秋篠宮様に東大の医師が同行するようになったという部分ですが、秋篠宮様ご自身にもしかして何か深刻な病状があるのでは?と思ってしまいました。しかし「東大」の医師だの、「キャリア官僚」だの、そういう形式に秋篠宮家がこだわっていることにどこか滑稽さを覚えました。

そして08年の岩手・宮城地震でまず被災地に行かれたのが秋篠宮ご夫妻であったことを必要以上に褒めていますが、たまたま「海フェスタいわて」という公務に秋篠宮ご夫妻が出席していたからこそ、一番最初に被災地に行けただけのことですよね。これでは東宮ご夫妻よりも先に現地に行けるのは当然ではないですか?
またこの地震で東宮ご夫妻が最後まで被災地に行かれなかったことを上記記事は責めていますが、実は両陛下もこの地震では被災地訪問をなさっていないようです。この時両陛下は全国植樹祭で秋田に行かれていたようですが、その際にスケジュールを一部変更し、陛下がお見舞いのお言葉を述べられ岩手県・宮城県にお見舞金を送ったというお話はありますが、被災地に行かれたという情報はありません。
そもそも、東宮ご夫妻は同じ内廷皇族として天皇家として、両陛下を差し置いて勝手な単独行動をとることができません。両陛下が被災地に行かれなかったのであれば東宮ご夫妻は当然先に被災地に行くことはできません。秋篠宮ご夫妻が被災地に行かれたのは「たまたま公務先で起きた災害だったから」という異例の状態であったからにすぎません。
文春はこういう慣例や事情も知らずに無責任なことを書いているのです。

“カウンターパート”だの“第二東宮家”だの奇妙ワードはもう笑うしかありません。真面目に取り上げなくていいでしょう(笑)。

当主不在の“ブラック宮家” その5~「東宮家と同格」になりたいためだけの職員増員要求?

今回は、週刊文春2012年7月5日号をご紹介したいと思います。

紀子さま ご結婚22周年秋篠宮家「過酷すぎる職場」
10年間で職員10人以上が交代


「あなた、自己中ね!」。宮邸での妃殿下は、優雅な会見からは想像もできないほど厳しいという。退嬰的な宮内庁にあって、なぜ秋篠宮家で次々と人事異動が行われるのか。揺れる平成皇室の中で重責を担う秋篠宮家。そのストレスに悲鳴を上げる職員の声を取材した。

お濠の内、皇居・坂下門を入り、すぐ右手奥に見える三階建ての重厚な建物が宮内庁庁舎である。宮中の伝統と権威の象徴とも言えるこの洋風建築は、昭和10年に建てられ、現在でもその中はまるでタイムスリップしたかのような歴史を感じさせる空間となっている。
「あれほど嫌だって言ったじゃないですか!」
普段から静けさに包まれているこの庁舎の中で、ある職員の怒号が響き渡った。定期異動の直前、昨年春の出来事である。
宮内庁関係者が話す。
「皆が驚くほどの大きな声でしたから噂になりました。この職員は、以前にも秋篠宮家で勤務した経験のある者なのですが、再び秋篠宮家への異動の内示を受けたのです。彼に聞いた職員によれば、『事前に打診があった際にはキッパリと断った』のに、内示を受けて、『話が違う』と上司に食ってかかったそうです。でも結局、内示は覆らなかった。ただ、気持ちはわからないでもありません。過酷だというのは、みんな何となく知っていますから

6月29日、秋篠宮ご夫妻は、22回目の結婚記念日を迎えられる。ご家庭は円満そのものといったご様子で、長女の眞子さまはスコットランドへの短期留学が決まり、来年から佳子さまは大学生に、悠仁さまも小学生になられる。
「悠仁さまは21日、幼稚園の恒例行事である親子でのジャガイモ掘りに、紀子さまとご一緒に参加されました。紀子さまは登山用の大きなリュックを背負われ、ジャガイモをいっぱい持ち帰られたそうです」(皇室担当記者)

◆女子職員を強い口調でお説教

いまだ“途絶状態”の皇太子ご夫妻に比して、秋篠宮ご夫妻は天皇皇后とも非常に密にコミュニケーションを取られている。
「陛下は今月中旬に検査を受けられました。心臓手術の経過が非常に良い、という診断結果に皆ホッとしています。しょっちゅう参内されて両陛下を支えられている秋篠宮ご夫妻は、結婚記念日の直前の週末にも、悠仁さまを連れて参内され、ご昼餐をご一緒されました」(千代田関係者)
だが、順風満帆に見える秋篠宮家にあって“心配のタネ”は、職員の不安定な人事である。
秋篠宮家の職員の定員は、現在16名。それに加えて他部署との兼任職員が3名いるが、この小さな所帯にも拘わらず、10年の間に10人以上の職員が交代しているのである。
かつて宮家に務めたある職員が、当時を振り返る。
「宮内庁の中でも、特に大変な職場だと思います。もう勘弁ですね。半ばノイローゼのようになって退かせて頂いた職員もいましたよ。秋篠宮家では、両殿下と職員の距離が近く、直接お叱りを受けることも多い。以前、妃殿下が女子職員に向かって『あなた、自己中ね!』と強い口調でお説教されたことがあり、庁内でも話題になった。ある人は『ご会見では、あんなに優雅に微笑みを浮かべてゆったり振る舞われているけど、ところがどっこい家の中ではニコニコなんてしない』と洩らしていました」
また、かつて秋篠宮家に事務職として仕えていた職員の一人はこう言う。
「秋篠宮家は職員の間では“ご難場”とも言われています。できることなら避けたい職場だというのが正直なところ。辞める職員が多いのは、仕事量が多くて大変だからでしょう。
同じ宮家でも、例えば陛下の弟君であられる常陸宮家は、お子さまがいらっしゃらないため人数も少なく、両殿下のお人柄も含めて、お務めしやすいと評判です

実は、つい最近も、あるベテラン職員が秋篠宮家を去った。秋篠宮家の事情に詳しい関係者が語る。
「4月末に、秋篠宮家に10年ほど仕えていた料理人が退職してしまったのです。定年までしばらく間があって、中学生ぐらいのお子さんもいらっしゃったはず。もともと殿下のご友人の紹介で、務めるようになったそうですが…」
秋篠宮家の料理人は宮内庁大膳課の職員ではなく、宮家の技官として雇われているスタッフである。
「大膳課は両陛下と皇太子ご夫妻のためのお料理を担当する部署ですが、秋篠宮家の担当の大膳課職員というのはいません」(別の宮内庁関係者)
大膳課は五つに分かれている。一係が和食、二係が洋食、三係が和菓子、四係がパンと洋菓子。ここまでが天皇皇后のお食事を担当し、五係が東宮の担当だ。
「秋篠宮家の場合、一人の料理人が和洋中に限らず、何でもできなければいけないのです」(同前)
かつてはこんな事もあった。子供たちの食事に気を遣う紀子さまは、食材に関しても吟味なさるというが、
「ある日、『(普段の業者から)安くて新鮮な魚が手に入らないのであれば、築地で買えばよいのではないですか』と仰り、実際に当番の料理人が築地市場まで出向いたそうです。こうして毎日、五人家族の三食分を用意するわけですから、かなりのハードワークであったことは想像に難くありません」(同前)
小誌では、退職した料理人に取材を試みたが、頑なに口を閉ざすばかりだった。

庁内でも“過酷すぎる職場”と囁かれる秋篠宮家。
「それは昔からのこと」
だと別の千代田関係者は話す。
「紀子さまは一生懸命になさりすぎ…なんて言ったらいけないが、そういった妃殿下の熱意が、職員にとって負担になっている部分はあるでしょう。紀子さまは『人使いが荒い』という話も聞こえてきます。
ただ、環境が整っていないという側面も大きいのです。例えば、本庁で両陛下のための急な買い物の必要があったら、官車がすぐに手配されて、職員がそれに乗って皇居近くのデパートにサッと行くことができますが、秋篠さまのところは、女性職員が自転車をこいで買い物に行く。紀子さまのご所望ならば、夜の真っ暗な中でも行かなければいけませんが、赤坂御用地の周辺にはちょっとした買い物を済ませられるスーパーもありませんから」

◆「もう精神的に限界だ」

そして、この千代田関係者はこう続けるのだ。
「ただ…紀子さまが少しお厳しいということもあるのでしょうが、飯島さんのこともあった。あっちもこっちもぐちゃぐちゃだった
飯島さんとは、08年頃まで宮家の切り盛りを長いこと任された飯島蘭子元侍女長のこと。
侍女長は“オク”と呼ばれるプライベートを一手に取り仕切る。飯島氏は秋篠宮ご夫妻からの信任も厚く、
「たいへんな貫禄のある女性で、アメリカ初の女性国務長官だったマデレーン・オルブライト氏と雰囲気がそっくり。予算管理が厳しく、職員たちは再三再四、『あるもので済ませて下さい』とお説教されていた」(前出・元宮家職員)
なんでも頭ごなしに命じる飯島氏には、話しかけるのも憚れるよなオーラが漂っていたという、
「本庁の優秀な女性職員が、秋篠宮家に引き抜かれたことがありましたが、周囲はよく分かっているから、『本当に良いのか』と慎重に確認したそうです。それでもご本人が『是非、あの可愛らしい眞子さまと佳子さまのお側でお仕えしたい』という強い意向で、結局、秋篠宮家の侍女長補というポストに収まった。
ただ、宮家では飯島さんにだいぶ厳しくやられたらしい。結局、『もう精神的に限界だ』ということで、辞めてしまわれたそうです。
ところがその後、当の飯島さんも心身のバランスを崩して、10年以上務めた侍女長を辞められたのです」(前出・千代田関係者)

その後の侍女長人事は混迷を極めた。09年に就任した前侍女長は、首相官邸の古川貞二郎官房副長官(当時)のもとで働いた経験もあり、「参事官室に長くいらっしゃり、非常に真面目な方だった」(古川氏)が、体調を崩し就任直後から勤務ができず、秋篠宮家を去った。その後、しばらく侍女長のポストは実質的に空席だったという。
誰もやりたがりませんよ。現在の侍女長の山崎敦子さんも、就任に関しては『2年間なら』と異例の期限付きでの人事だったそうです。今年の年末には約束の2年が経つ。後任の人選は難航するかもしれません」(宮内庁担当記者)

秋篠宮家の不安定な人事について、元宮内庁職員の山下晋司氏が解説する。
「秋篠宮家は、法律上は一宮家ですが、“事実上の内廷皇族”と言えます。三方をお支えする東宮職に50名以上の職員がいるのに対し、ご家族が五方いらっしゃる秋篠宮家に20人弱では、職員一人あたりの仕事が膨大になる。さらに、秋篠宮家に支払われる皇族費は年間6100万円。ここから私的使用人の人件費や食費に加えて、洋服や教育費も捻出されるわけですから、予算的にも厳しい状況にあります」
職員たちが低予算と激務に身を粉にする一方、まったく異なる肩書で宮家に出入りする“キャリア官僚組”もいる。その一人が宮内庁御用掛である近藤茂夫氏だ。
近藤氏は旧建設省出身。国土庁事務次官、初代内閣広報官、フィンランド大使などを歴任し、07年から御用掛に就任している。先日も、秋篠宮ご夫妻のウガンダご訪問(6月11日~17日)に随行した。
「近藤氏は、中曽根康弘政権時代の副総理だった金丸信氏の秘書官。金丸氏の懐刀のような存在でした。
ただ、上司に忠義を尽くし過ぎるきらいがあり、記者連中からは“白ゴマ”というあだ名をつけられています。理由は、白髪で“ゴマすり”がうまいから。内閣広報官当時は森政権の末期で、官邸サイドとメディアの関係が険悪になっていましたが、官房長官の会見場に陣取って、報道陣に『そんな質問はおかしい!』と野次っていたこともあり、啞然としました」(政治部記者)

◆東宮と筆頭宮家の格の違い

また、旧自治省で官僚人生をスタートして、消防庁長官、長野県副知事などの華々しい経歴をもつ板倉敏和氏も昨年末、宮内庁御用掛に就任している。入省同期だった元官僚が語る。
「板倉さんは、もともと福島藩主だった板倉家に婿入りしたんだ。真面目な人ですよ。昨年の暮れあたりから御用掛として秋篠宮家に出入りしていると本人から聞きました」
さらには、小誌が「秋篠宮家に雇われた東大卒経産省スーパーキャリアウーマン」(2月2日号)と報じた谷みどり氏も、経産省に籍を置きながら09年から内閣府事務官(宮務主管付)として、昨年は秋篠宮ご夫妻の被災地訪問に随行し、眞子さまの伊勢神宮参拝の随行員も務めた。
官僚として超一流のキャリアを積んだ彼らが、なぜ揃いも揃って秋篠宮家に集っているのだろうか。
皇室ジャーナリストが解説する。
実務上の必要性というより、両殿下は筆頭宮家としての“格”に見合った陣容を求めておられるのではないでしょうか。
たとえば、秋篠宮家には宮務官と侍女長という二人の特別職の国家公務員が置かれていますが、東宮職には東宮大夫を筆頭に10名以上の特別職がいます。しかも、宮務官が課長補佐から課長クラスであるのに対して、東宮大夫は在外公館の大使経験者などが就く、事務次官に近い役職。どうしても重みが違ってくる」
ただ、そうした優秀な“ブレーン”が多く集まっても、日常の実務を任されるのは宮家の諸君たちである。兼任などの“裏ワザ”で人員を増やすのにも限界がある。将来の天皇である悠仁さまをお育てになる宮家として、相応の組織作りが必要なのではないだろうか。

(記事終わり)

上記記事はかなり詳細で、秋篠宮家に仕えた職員たちの苦悩の悲鳴が聞こえてくる臨場感あふれる内容となっています。
「あなた自己中ね!」という紀子妃の言葉が象徴的ですが、いや、自己中なのは貴女も同じではないですか?と言いたくなるような酷い環境だとつくづく思います。真夜中でも職員を買い物に行かせる、築地まで足を運ばせて新鮮で安い食材を買わせるなど、紀子妃もかなりの「自己中」だとしか思えないのですが。

それに紀子妃は公の場でのにこやかな態度と、職員に接する時の「裏の顔」に違いがあり過ぎるという点も興味深いです。紀子妃ご自身は公のにこやかな顔で周囲をごまかしているつもりかもしれません。しかし、ここ数年の紀子妃の“笑顔”は、笑っているのにどこか怖さを感じさせる不気味なものになっていると感じるようになりました。どれだけ公の場で笑顔を取り繕っても、心の奥底にある不平不満を消すことはできていない印象を受けます。

上記文春記事では、秋篠宮家が創設されるまでは筆頭宮家のお立場だった常陸宮ご夫妻との比較を挙げていますね。
「お子様がいない・ご一家の人数が少ない」という点は置いておくとして、「両殿下(常陸宮ご夫妻)のお人柄も含めて働きやすい環境」と書かれていることが重要です。
どんなに忙しい職場でもやることが多くても、その家の「ご主人(当主)」のお人柄が良くて職員に対する労いがきちんとされている職場なら、職員は「今日も大変だったけど、また明日もがんばろう」という気持ちになれると思うのです。
常陸宮ご夫妻は職員に対するフォローがきちんとなされているのでしょう。

一方で、現筆頭宮家の秋篠宮家にはそういうフォローが全くないことが職員を追い詰め、苦しめていると考えます。

そして上記文春記事は最後の方で重要なことに言及しています。

「実務上の必要性というより、両殿下は筆頭宮家としての“格”に見合った陣容を求めている」

という箇所です。この点は見逃すことができません。

結局、秋篠宮家は実務上でそんなに(優秀な)職員が必要というわけではないのだと思います。
ただ、常に東宮家と張り合い、東宮家と自分たちを比較しては不平不満を抱き、東宮家に並ぶような「形式」を整えてくれということを要求しているにすぎないということです。

「公務が多くて大変だからもっと職員を増やしてもらえると有り難い」という理由ならまだ理解できる面もあります。
しかし本音は「東宮家は職員が多くてズルい!こっちは(山下晋司氏の言葉を借りるなら)“事実上の内廷皇族”だし“将来の天皇である悠仁さま”がいるのだから東宮家レベルに職員を増やして東宮家と同じに扱ってほしい!」ということなのでしょう。
しかし実際、秋篠宮家を東宮家と同格に扱うことなどできるはずがないのです。それが皇室の「序列」というものです。
だからその不平不満を、何も悪くない職員らにぶつけて憂さを晴らしているだけ。
山下晋司氏のような「秋篠宮家擁護発言」は、かえって反発を招くだけのように聞こえます。
まあ、皇族の実態やブラック・パワハラ状態を暴露する記事を書くに当たり、山下氏のような秋篠宮家擁護コメントも入れないと色々とマズいという判断が働いたのかもしれませんが。

そして、秋篠宮家のこういう「不平不満」をある程度受け入れざるを得ない状況になったのか、今上陛下の生前退位にあたり秋篠宮様を皇嗣扱いにすると同時に「皇嗣職」なる東宮職とほぼ同等の新たなポストを設け、秋篠宮家の職員を現在の東宮家並みに大幅に増やすという対策がとられると報じられています。
こうして数年前から週刊誌や懇意の人物(山下氏など)を使って「職員が少ないことへの不平不満」を垂れ流してきた甲斐がありましたね、と皮肉の一つも言いたくなります。


それにしても、紀子妃が悠仁様との遠足で「登山リュックいっぱいのジャガイモを持ち帰られた」というくだりには笑ってしまいました。
普通のリュックではなくて、登山リュックですよ。縦に長くて大きな、あの登山リュックです。
その中に「いっぱい」になるまでジャガイモを詰めて持ち帰るなんて、あまりにも“がっついている”というか、皇族の振る舞いとしてはかなり恥ずかしい話だと感じます。
そんなにたくさんのジャガイモを持ち帰ってどうするというのでしょうか。もし職員らに分け与えたのなら、そういうお話が記事中に出てくるはずです。しかしそういう話が出ていないということは…後はお察しということでしょうか。
職員に対する労いがほとんど聞かれない、むしろ職員を過酷な環境に置いている秋篠宮家にそういう美談を要求することは難しいかもしれません。
遠足でジャガイモをたくさん持ち帰らなければならないほど、秋篠宮家が明日の食材にも困っているという感じには見えないのですが。
こういうエピソード一つで、紀子妃の今までのお育ちの一端が見えてしまいます。

当主不在の“ブラック宮家” その4~いつもイライラ、氷の妃殿下

今回は週刊新潮2011年11月18日号をご紹介したいと思います。普段雑誌を買わない私が当時思わず購入してしまったほど、インパクトのある記事でした。一連の「秋篠宮家のブラックな実態記事」連発のきっかけともなった記事でもあるでしょう。

秋篠宮家「紀子妃殿下」氷のごときミーティング
侍女長がノイローゼで出勤不能


東宮職の侍従や女官の去就については、これまでも度々メディアで報じられてきた。が、お身内に2人の皇位継承者を抱える秋篠宮家でも、「侍女長」の重職にある女性が人知れず去っていた。その背後には、筆頭宮家ゆえ懊悩される紀子妃殿下のお姿が見てとれるのだ。

侍女長とは、宮内庁に設けられた特別職公務員ポストの1つである。
「御所における女官長、あるいは東宮での東宮女官長に相当する役職といえます。お妃のおる各宮家に置かれ、おもに身の回りのお世話を担当します。これとは別に、宮家は私費でで『侍女』を雇うこともできます」(宮内庁担当記者)
秋篠宮家が創設されたのは1990年。以来21年を経て、紀子さまにお仕えする侍女長は6人を数える。が、その職に関して昨年発令された「ある人事異動」を巡り、宮内庁内部では現在、ひそかに波紋が広がっているというのだ。
菊地明子さん(仮名)という60代の女性が、その当事者である。
「09年7月に5人目の秋篠宮付侍女長に任命された彼女は、昨年11月末をもって退任したのですが…」
そう切り出すのは、さる宮内庁関係者である。後任には、予算を取り扱う主計課で管理職を務めるベテラン職員が抜擢されたという。
「不思議なことに、本来は『官報』に掲載されて然るべき人事であるにもかかわらず、今に至るまでこの件の記載が全くなされていないのです」(同)
国の機関紙である官報には、原則として各省庁の課長相当以上の人事異動が掲載される慣わしになっている。特別職の場合もこれに準じ、秋篠宮家をはじめ、侍女長の人事は従来より公表されてきた。
官報を印刷・編さんする独立行政法人国立印刷局に聞くと、
「私どもは各省庁から出稿されたものを正確に刷り上げるだけで、校閲などは行わず、内容までは関知しておりません」(広報室)
続いて宮内庁によれば、
「侍女長は内閣総理大臣による任命であり、官報掲載も内閣府で行っているため、掲載されなかった理由はこちらでは分かりかねます」(総務課報道室)
埒が明かないまま、今度は内閣府に尋ねてみた。すると、
「官報は政府の広報紙という位置づけであり、情報を載せなかったことに対する罰則はありません」(人事課)
そう前置きしながら、意表を突く回答が―。
「今回の人事は、原稿としての情報はあったのですが、おそらく私どもの掲載漏れ、内閣府のミスになるかと思われます」
お役所らしからぬ潔さ。
かくもあっさり非を認めるあたり、却って勘繰りたくもなるのだが、案の定というべきか、「単純ミス」で片付けたがるその裏には、尋常ならざる“事態”が横たわっていたのだ。

内閣府関係者が言う。
「菊地さんは、旧総理府時代からの職員。70年に採用され、内閣官房への出向が長く、総理官邸事務所で歴代内閣の裏方を務めてきた、いわば事務のエキスパートです」
その活躍ぶりは、5人の総理のもとで8年7カ月の長きにわたって内閣官房副長官を務めた古川貞二郎氏の回顧録にも記されているほどである。
「09年3月に定年退職し、40年にわたる役所勤めを終えた菊地さんは、『これまでのキャリアが勿体ない』といった周囲の勧めもあって、秋篠宮付侍女長のポストに推され、同年7月に就任したのです」(同)
が、実務のスぺシャリストである彼女を待ち受けていたのは、想像を絶する世界であった、
「自身が過ごしてきた役所とはまるで異なるしきたりに戸惑い、またイメージと実際の仕事が余りに乖離していたことで神経をすり減らした彼女は、体調を崩してしまいました。結果、ノイローゼのような状態に陥り、着任してわずか1週間余りで出勤できなくなってしまったのです」(同)
一体、宮邸で何があったというのか。

◆朝礼が「反省会」に

秋篠宮家には現在、15人の職員がおり、その内訳は宮務官と侍女長のほか、事務官が7名、運転技官4名に調理師が2名。いずれも国家公務員である。このほか、冒頭で述べたように民間人扱いとなる侍女が数名、お仕えしている。
秋篠宮家の事情に詳しい宮内庁の古参職員が言う。
「通い勤めの職員らが出勤し、3人のお子様方がそれぞれ幼稚園や学校に出かけられたのち、宮邸では仕事についての打ち合わせが行われます」
主だったスタッフを一堂に集め、あるいは職種ごとに個別ミーティングを開くなど、その形式は議題の内容やメンバーによってフレキシブルに変わるという。
それでも大枠では、
両殿下が同席され、その日の予定について職員との間で確認がなされるとともに、一日の仕事のご指示が出されます。いわば『朝礼』のようなものでしょうか。公務については、おもに殿下と宮務官がやり取りされ、私的な生活に関する事項は、妃殿下からご指示が出されるのです」(同)
後者の中心となるのは、やはり侍女長である。
「宮邸は大別して平屋造りの公室棟と2階建ての私室棟に分かれていますが、公室のなかでもご一家が暮らされる私室に近い場所に『女子詰め所』と呼ばれる侍女らのスペースがあります。その統括者たる侍女長は連日、妃殿下にお時間を賜り、その日の仕事のご説明を受けます。ひと口に身の周りのお世話といっても、ご家族は5人ですから、あらゆる作業が生じます。『今日はお庭の掃除をいたしましょう』、あるいは『この部屋のお片づけを』といった風に、妃殿下が公室棟で指示を出されることもあれば、侍女長が私室に呼ばれることもあります」(同)
そうした折、前日までの仕事ぶりについても紀子さまは細やかに、そして時には厳しいご意見を述べられ、いわば“反省会の様相”を呈することもしばしばだという。さきの宮内庁関係者が言うには、
「この流れをみても、秋篠宮家のミーティングが単なる一日のスケジュール確認以上の性格を帯びていることは明白です」
つまりは『ダメ出し』を賜りつつ、新たに細密で高水準のリクエストが出されるという日々なのである。


◆診断書を出した侍女長も

先述した通り、秋篠宮家のスタッフはわずか15名。これに比して東宮には50人が詰めているという。絶対的な人手不足の中で3人のお子さまを育て、さらにご家族内に皇位継承者が2人もおられるとあっては、紀子さまの背負われる重圧は計り知れない。
そんな状況で、筆頭宮家を支えていくという強固な責任感が、スタッフに対するご指示の「ハードル」を自ずと上げていく形になっているのではないか―。
皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏も言う。
「侍女の仕事は微に入り細を穿つ内容です。赤坂御用地内にある宿舎から通うため、24時間勤務のようなもの。基本的には紀子さまの身の回りのお世話が中心ですが、被災地にも随行するなど、両殿下の生活に関わる全てがその対象となります。両陛下とのご関係や他の宮家とのお付き合いもある上、お子さまの教育については前例がほとんどない。両陛下のご意向を伺いながら進めるわけですから、むろん過酷だと思います
その上で、こう指摘する。
「紀子さまはご自分のお考えをはっきりと仰るようですし、何よりお子様も多いですから、宮邸での仕事がきつくなるのは道理です。『こうしてください』というご指示も、細かくならざるを得ないのでしょう」
酷暑の熱気にむせ返った途端、体感温度が一気に零下へ。あたかも氷のごとき峻厳で鋭利なお言葉が、連日発せられるわけである。

菊地さんについて、あらためて宮内庁に問うと、
「体調を崩し就任直後から勤務が出来ませんでしたが、明確な理由については本人から聞いておりません」
ちなみに彼女の前任者もまた、わずか1年と数カ月でその任を退いているのだが、これについては、
「家庭の介護のこともあり、退職を願い出たもの」(同)
という。が、“異変”を訴えた侍女長は、実は菊地さんだけに留まらない。さきの古参職員が明かす。
「かつて11年にわたって秋篠宮付侍女長を務めた方がいたのですが、やはり最後は体をこわし、『仕事は年度末までとするように』と書かれた診断書を提出するまでに至りました。彼女は、傍から見ていても“今にも逃げ出してしまうのではないか”と思えるほどに憔悴しきっていました」
この女性は直後、侍従職へと配置換えされ、ほどなく職を辞していった。


◆警視庁にも「ご懸念」を

紀子さまのお人柄について、宮内庁幹部に聞くと、
「かつては、妃殿下から漢字の読み間違いを指摘された側近もおりました。沖縄の染料にご興味をお持ちの妃殿下の前で、この職員は『紅殻』という字をうっかり誤読してしまった。すると即座に『それはベンガラと読むのですよ』と仰ったのです。言うなれば、男性のネクタイの結び目が曲がっていると気になってしまう、といった類のお話でしょうか。また、現在の宮邸は旧秩父宮邸を増改築されたわけですが、工事が始まった98年頃、備品のことで妃殿下はたびたび用度課の職員をお呼びになり、応接セットの配置やカーテンの色をどうするか、といった内容のご指示を適宜、出されていました
それらもまた、お立場を全うしたいとの使命感からもたらされる行動であることは疑う余地もない。そして、有形無形に発露されるそのご心情は、時に“外部”へと向けられることも。
08年1月26日、ご夫妻がインドネシア外遊を終えて帰国された翌日、悠仁さまが宮邸のお庭で遊ばれている際に転倒、唇を4針縫うというケガを負われたことがあった。この時、
「悠仁さまは愛育病院まで救急搬送されたのですが、およそ2週間後にこの件がTBSのニュースで報じられてしまいました。その直後、妃殿下は警備を担当する、警視庁警備部警衛課の警察官らに対し、『あなた方から情報が漏れてしまったのではありませんか』と、直接に強いご懸念を表されたのです」(前出・古参職員)
言うまでもなく、お子さま方のお世話もまた、侍女長らの大切な職務である。それにしても、菊地さんの体調不良を受け、宮家における重要ポストが実質1年半近く「空位」だったわけである。その後を継いだベテラン職員とて、
「彼女は昭和天皇の侍従職、その後は皇太后職などを歴任してきたプロパー職員。その経験を買われて抜擢されたのですが、異動ポストが比類なき激務であるのは重々承知しており、当初は固辞していました。そこで上司が『2年で戻すから』と必死に説得し、宮邸に入ったのです」(前出・宮内庁関係者)

皇室ジャーナリストの神田秀一氏が指摘する。
「さきの大震災に際して、皇族として最初に動かれたのは秋篠宮家でした。3月末には紀子さま、眞子さまと佳子さまが被災者のために約3400枚のタオルを袋に詰める作業をされ、5月に入ると紀子さまは三沢市や八戸市へ、6月中旬にはいわき市に入られている。それもただの視察ではなく、避難所でお見舞いをされているわけで、男子のお子さまを育てながら次々と公務をこなす紀子さまは、相当なストレスをお感じになっていることと思います」
秋篠宮家にあっては、仕える者もまた「心構え」が必要とされるというのだ。
「侍女というのは宮家の生活に合わせて動く仕事。規則はあっても細則は殆どなく、日々の判断が重要になります。公務員といえども役所の仕事とは180度異なり、『書類に判子がないから動けない』ではつとまらない。どんなに優秀でも、能力を発揮できない方もいるかもしれません」(同)
現在は体調も快復し、新たな仕事に就いている菊地さんを訪ねると、
「こんな季節にわざわざお越し頂いて申し訳ありませんが、今は一市井人ですので、官報のことなど、何も存じ上げないのです」
そう口にすると、足早に立ち去って行った。

(記事終わり)

上記記事は神田氏だの松崎氏だのが出てきて必死に「紀子妃が職員に厳しい態度にならざるをえない理由」を述べて彼女を庇っていますが、私の目からは「職員数の少なさに不満を持ち、常にイライライしていて理不尽な形で職員に八つ当たりをして憂さを晴らしている」ようにしか見えません。記事の受け取り方は人ぞれぞれだと思いますが、私個人はそういう印象です。

被災地訪問や公務云々の件も、国民が「そうしてほしい」とお願いしているわけではないのに一人で張り切っているようにしか見えないのです。それに対してストレスを感じるくらいなら、むしろやっていただかなくて結構ですと言いたい気持ちです。
紀子妃のイラつきが職員にまで悪影響を及ぼしているのは問題があるでしょう。
悠仁様のお怪我の件がすぐに外部に知られてしまった件についても、何の根拠もなく警察官を疑うことなどもってのほかですし、そういう態度を繰り返していたら職員からの信頼を受けられなくて当然ではないでしょうか。
我が子が怪我をした、ということで「親としての責任」を追及されることがそんなに嫌だったのか?としか思えません。

「お子様の人数が多いから」という言い訳も、ほかのお子様の多かった宮家の方々を拝見する限り紀子妃を庇う根拠としては弱すぎますし、ご自分たちが好んで3人もお子様を持たれたのに、そういうことを理由にするのは卑怯だと思います。

神田氏も松崎氏も紀子妃に同情的な姿勢でコメントを寄せていますが、紀子妃の方に非はないとは言い切れないと思います。紀子妃は一般の平民家庭出身なので(この点は婚約会見でも触れられていたし紀子妃ご自身も認めていること)、お手伝いさんがいる世界とは無縁だったとお見受けしますし「人の使い方がわからない方」なんだろうという印象を受けます。「人を褒める・評価する」ということができない方なのかもしれません。
それに「何でもかんでもオールラウンダーとしてできなければならない」ことを職員に要求するのも正しいやり方とは思えません。ある分野でのエキスパートな人を別の分野までできるようにしろ、ということが果たして正しいやり方なのか。
「職員数が少ないんだから仕方ないでしょう!」という紀子妃の言い分もあるかと思いますが、それなら秋篠宮家よりももっと職員数が少なかった宮家(三笠宮家や高円宮家など)では、どうして記事のような問題が起きていないのか?という疑問が湧くのです。

紀子妃をはじめ秋篠宮家“だけ”が一身に公務を背負わされてそれに対する不満を抱いているというならまだ分かりますが、紀子妃は逆に公務が自分たちの所に回ってくることを待っているような発言もしているのです。
高円宮家の次女の典子元女王(現・千家典子さん)がご結婚で降嫁されることが決まった際、紀子妃は典子元女王が受け持っていた公務が秋篠宮家に回ってくると思い込んでいたらしく「これから忙しくなるわ」という発言をなさっていたという記事もありました(その記事も可能であればここでご紹介したいと思います)。
つまり、紀子妃は公務が回ってくることに不満を抱いているどころか、むしろ喜んでいるように見えるのです。
それなのに「公務などでストレスを抱えている、だから職員に厳しくなるのは仕方ない」という論調に違和感を覚えるのです。


秋篠宮家の職員数の少なさについても、これでも以前よりかなり改善されている(増員されている)のです。
東宮家というずっと格上の内廷皇族を基準にするから「少ない!足りない!」となりますが、そもそも東宮家と秋篠宮家は格が全く違うのです。
自分たちを東宮家と同格のように考えるその姿勢こそ「立場をわきまえていない」のではないでしょうか?


しかし、紀子妃が1998年頃(秋篠宮邸の備品等についてのエピソード)からすでに「こういう態度」だったことから、東宮家との比較云々の前から「職員に厳しく口出しの多い方」であったようですね。

それにしても、いくら秋篠宮様が公的な面でしか宮務官とやり取りしないとは言え、あまりにも当主の存在感が無さ過ぎではないでしょうか。もし紀子妃が私的なことで指示を出すことにイラついてストレスをためているようなら、当主がもっと妃をフォローしてもよいのではないかと思ってしまいます。
こういうパワハラ・ブラック記事を挙げる際、どうしても当主の存在感の無さ、フォローの無さが気になってしまいます。

当主不在の“ブラック宮家” その3~次々に去る職員らと、なぜか頼りにされる3人の側近

今回は、週刊文春2011年9月22日号の記事をご紹介いたします。

深層レポート 紀子さま45歳 秋篠宮家をウラで牛耳る「3人の側近」
10人以上の職員が交代!
なぜ職員が体調を崩し次々に去るのか。書かれざる“人間関係”を明らかにする


「我々に人事権はありません。命じられた場所で働くだけ。だから堪えられない人は夜逃げ同然で去る人もいる」。ある関係者はこう話した。普段は退嬰的な宮内庁がなぜこれほど頻繁に人事を行ったのか。知られざる秋篠宮家職員たちの真実を初めてつまびらかにする。

国道246号線。通称・青山通りを東に走り、豊川稲荷の手前を左に折れると、すぐ左側に見えるのが「巽門」。門番である赤坂護衛署第四警備待機所を通過し、緑豊かな敷地を道なりに150メートルほど進むと、秋篠宮邸の重厚な鉄門に行き着く。
今の季節はツクツクボウシの蝉しぐれが響く赤坂御用地のなかで、宮邸は背の高い木立に囲まれ、周囲からは中の様子を窺い知ることはできない。
秋篠宮邸は平屋建ての公室棟と、二階建の私室棟に分かれており、この公室棟の玄関で、今年も紀子さまの誕生日にあたり、祝賀の記帳が受け付けられた。
参列者の一人が話す。
「玄関を入って左手にある記帳台には、和紙でできた帳簿と硯、筆が備え付けられています。参列者は一人ひとり墨を擦り、氏名を揮筆する。帳簿には政府関係者からメーカーやホテルなどの大手企業の名前まで、ずらりと並んでいました
近頃にわかに注目を浴びている秋篠宮ご一家―。9月11日、紀子さま45歳のお誕生日当日、小誌ではある宮内庁関係者を取材した。この人物いわく、かつて宮家職員が打ち明けた一件が「忘れられない」のだという。
「その人は紀子さまに叱責されたことが強烈な記憶として残っているようでした。『ただ正直、何のことで咎められたのか、憶えていない』という。普段のイメージとは違う迫力に、慄然として、頭の中が真っ白になってしまったと語っていました」

秋篠宮家に仕える職員の人事はこの数年、不安定な状況が続いている。
まず事務方トップである宮務官と、オクと呼ばれるプライベートを一手に取り仕切る侍女長が、この一年以内に二人とも交代している。この二つのポストだけでも、この4年で6人が辞め、他のポストも含めれば10年の間に10人以上が交代している。
だが前出の職員は、「お辞めになる方の気持ちはわかる」とも洩らしたという。
「半ば神経症のようになって宮家から下がる職員もいるようですが、『あそこで働いていれば、日々積もりに積もるものがあるのは当然です』というのです」(前出・宮内庁関係者)
悠仁さまがお生まれになる前と比較すると職員数は増えている。現在は侍女長を支える侍女長補と、料理を担当する技官が一人ずつ増えたほか、運転技官も2名増え、4名になった。
だが、今でも本質的な人手不足は解消されていない。本庁や東宮職の経験者が、秋篠宮家に移るとその仕事量の差に驚くという。

◆気配を消して働く職員たち

「16名しかいない秋篠宮家では、職員は何でも出来るオールラウンダーにならなければなりません。不得意な分野を任され、万が一ミスをすれば目立ってしまう。常に仕事を見られているような雰囲気はあります。さらにこれまで女官などの経験がない者がいきなりオクの仕事を任されるのでは、やはり厳しいものです」(別の宮内庁関係者)
張り詰めた空気の中、職員は物音ひとつたてないように働いている。秋篠宮邸は絨毯敷きで、みな靴を履いたまま仕事をするが、
「底の固いパンプスなどでは靴音が響いてしまう。女性はみな絨毯の上でも音がでないようなローヒールの靴を履いています」(同前)
そして地味な色のスーツを着て、気配を消すようにして働くのだという。

「かつては飯島蘭子さんという侍女長が目を光らせていた。08年頃まで宮家の切り盛りを長いこと任されていました」(同前)
飯島氏は現職時代から、職員に相当厳しかったようだ。元宮家職員が話す。
「たいへんな貫禄の女性でした。アメリカ初の女性国務長官だったマデレーン・オルブライトと雰囲気がそっくり。予算管理が厳しく、職員たちは、しょっちゅう『あるもので済ませてください』とお説教されていた。なんでも頭ごなしにおっしゃるので、話しかけるのも憚れるようなオーラがありました」
だが、彼女さえも去り際には心身のバランスを崩してしまったようだ。
「最後はほとんど出勤できなくなっていたらしいですね。忙しさと人手不足、そして何が理由か存じませんが、殿下との関係にも縺れがあったと聞きました。それでも10年間頑張ってこられたのは、お子さんのことがあったからでしょう。女手ひとつで子供を医学部に入れるまで育てたそうですから」(別の宮内庁関係者)
秋篠宮家のスタッフが安定しなくなったのは、たしかに飯島氏がいなくなった頃からだ。
「“重し”が無くなってしまったのでしょう。もちろん、職員の悩みはケースバイケースですが、飯島氏がいなくなった現在の宮家を陰で牛耳っているのは、宮務官でも侍女長でもなく、常勤職員ですらない。“3人の両殿下の側近”なのです。この3人が職場環境に与えている影響は大きい」(前出・宮内庁関係者)

この“3人の側近”とは、一体どんな人物なのか。
「一人は元宮務官・富士亮氏の妻、富士幸子氏。二人目は御用掛で、外務省のフィリピン大使を務めた松田慶文氏。三人目は、飯島氏の前に侍女長を務めていた犬伏紗知子氏。彼女は悠仁さまがお生まれになったこともあって、非常勤扱いで宮家に戻ってきたのです。急場を手伝うために再び呼ばれたのでしょう」(同前)
3人が秋篠宮家と深くかかわるようになった背景はそれぞれだ。
「富士氏の夫・亮氏は、陛下が皇太子の時代から東宮侍従を務めた人物。農学博士で音楽にも造詣が深く、皇太子と同じくビオラが趣味の朗らかな“名物侍従”でした。秋篠宮家が創設されたときには初代宮務官に起用され、朝日新聞にもインタビューが掲載された“明るい秋篠宮家”の象徴のような人でした。ただ数年の勤務の後、食欲がなくなり、物忘れも多くなったそうです。94年には陛下の侍従を最後に退官。06年にはひっそりと亡くなりました。
奥さまは小柄でテキパキと仕事をこなす方。紀子さまと同じように手話がお出来になります」(富士氏知人)
非常勤だった富士氏は今年3月で退職しているが、いまでも両殿下からのご信頼は篤いという。
富士氏と犬伏氏には同窓という接点がある。
お二人はキリスト教に基づいた一貫教育を行う自由学園女子部のご出身です。学年は違いますが、犬伏氏が侍女長になったのも、お二人の繋がりからだと聞いています。人当たりの良い方ですよ」(同校関係者)
松田氏は、秋篠宮家の外国交際などを任されていた。外務省関係者が話す。
「彼は自治省入省組には珍しく、外務省に出向したんです。外務報道官を務めていた時に、宮内庁との関わりができ、秋篠宮両殿下がフィリピンを訪問された際、主席随員を務めています。両殿下、特に殿下と波長があったようですね
現在のように人事が落ち着かない秋篠宮家においては、両殿下のご相談相手が多いことに越したことはないようにも思えるが、小誌でも報じたとおり、最近では「秋篠宮家では働きたくない」と洩らす、宮内庁職員が多いのも事実だ。

◆職員評をお聞きになる両殿下

「船頭多くして、ということがあります。いま両殿下がご信頼を寄せているのはその3人。でも、最終的な責任は宮務官や侍女長が取らなければならない。また、両殿下が3人から『あの方はどうですか』と、職員についての意見を内々に聞くこともあるのだとか。それが伝わりプレッシャーに思う職員もいるのです」(前出・宮内庁関係者)
これらの指摘を本人たちはどう聞くのだろうか。
松田氏本人が語る。
「私の場合は、現在も秋篠宮付の御用掛で、3月までは月に一度、宮邸に上がり国際情勢のご進講をしておりました。国体などの行事には随行し、その際には職員とのやり取りもありましたが、私はほとんど職員の方とは関わりはありません。犬伏さんが職員に指図することもないはずです」
ほかの2人にも話を聞こうとしたが、犬伏氏は拒否。富士氏の自宅を訪れたが不在だった。
この現状を皇室ジャーナリストが解説する。
「そもそも宮内庁の人事が行き届いていないのです。将来、天皇になる可能性が大きい悠仁さまをお育てになる宮家なのですから、様々なご苦労があるのは当然です。人事異動をする前に、どういった人材が必要か、まずは両殿下によくよくご相談するべきなのです」
職員の不和が、秋篠宮ご一家の負担になるようなことがあってはならない。適正な人事体制を整えるのが宮内庁の急務ではないか。

(記事終わり)

「ここ数年における怒涛の秋篠宮家ブラック記事」の第一弾として上記の記事を挙げましたが、「何でこんなに仕事量が多いのか?そしてなぜ職員が次々に秋篠宮家を去っていくのか?単純に仕事量が多くてきつい、というだけではないのではないか?」という疑問がまず頭に浮かびます。
上記記事でも触れている通り、悠仁様がお生まれになったことでちゃんと職員数も増やしてもらえているのです。

「夜逃げ同然で去る職員もいる」
「あそこで働いていれば日々積もりに積もるものがあるのは当然」
「気配を消して仕事している」
「やり手のベテラン職員すら心身のバランスを崩して辞めてしまった」


これらの文章からも分かる通り、物理的な仕事量の多さだけでここまでの事態になるのはかなり異常でしょう。
そういう物理的な忙しさだけでなく、人間関係的な問題、パワハラ的問題が潜んでいることは間違いないと思います。

「叱られた相手が頭の中が真っ白になるくらいの紀子妃の怒りっぷり」
「常に仕事を見張られているような感覚になる」
「ベテラン侍女長は殿下(どっち?)との間に軋轢があった」
「3人のお気に入りの側近から両殿下が他の職員についての意見を聞くこともある」


どうやら、この辺りに職員が居付かない要因があるような気がします。これがパワハラでなくて一体何なのでしょうか。

しかし、上記記事で名前が出ている3人の側近のように、秋篠宮家とウマが合いうまくやっていける人たちも一定数いるのかと少し驚いています。彼らは「常勤職員ですらない」と書かれているため秋篠宮家に常駐しているわけではなく、必要な時にたまに呼ばれてちょっと話を聞くだけのことしかやっていなかったのかもしれませんね。そうだとしたら彼らの心身の負担は少なくて済みますし、常に秋篠宮家に詰めていなければならない職員に比べたら気楽だと思います。だからそこそこうまくやっていけただけではないでしょうか?
このように「たまにしか秋篠宮家と関わらない」ような側近が秋篠宮ご夫妻と結託して、立場の弱い職員たちを見張っているような状況では、辞めたい・逃げたいという気持ちになるのは当然でしょう。

ちなみに上記記事が出た2011年は、東日本大震災があった年でもあります。
紀子妃は、宮内庁HPのスケジュールにわざわざこのようなことを書かせて「自粛アピール」をしていました。↓

http://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201103
平成23年9月11日(日)
文仁親王妃殿下 東日本大震災発生から半年に当たるため,お誕生日のお祝い行事はお控えになりました。

それなのに、お祝いの記帳は止めてなかったんですね。そういうものなのでしょうか?
しかし平民上がりの一宮妃のために、政府関係者や大企業らがこぞってお誕生日お祝いの記帳に駆け付ける様、何とも皮肉めいています。
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