当主不在の“ブラック宮家” その6~通訳女性まで“犠牲者”に…

ブログ更新が滞ってしまい大変恐縮です。
今回は、週刊文春2013年8月8日号の記事をご紹介したいと思います。多少長めの記事ですがご容赦くださいませ。

秋篠宮紀子さま 「氷の微笑み」の裏側
「日本語にもなっていない!」6月東欧ご訪問の際、厳しい叱責に通訳女性は泣きだしてしまったという。悠仁さまの教育に心を砕く筆頭宮家の緊張と焦燥。


淑やかな所作、一語一語に心を込める喋り方、そして止ん事無い雰囲気を醸し出すあの微笑。だが、一部の職員だけが知り、畏怖するというその素顔からは、将来の“天皇の母堂”としての覚悟が伝わってくる。精力的に公務を続けられる46歳、筆頭宮妃のプリンセスの現在。

青碧に輝く湖に浮かぶ小島。そこには白い塔が印象的な小さな教会がある。その鐘楼にある鐘を鳴らせば、誰でも願い事が叶うという“希望の鐘”。その澄んだ鐘の音に、紀子さまは何を願われたのか―。
ヨーロッパの屋根、アルプス山脈南端を有する人口約二百万人の東欧の小国・スロベニア。その日、秋篠宮ご夫妻は公務のため、彼の国の代表的景勝地ブレッド湖を訪れられていた。山に囲まれた箱庭のような美しい景観の、ハプスブルク家ゆかりのリゾートである。
「6月19日から30日、秋篠宮ご夫妻は中東欧三カ国を公式訪問されました。旧ユーゴスラビアのクロアチアとスロベニア、旧チェコスロバキアから分離したスロバキアは、昨年から今年にかけて日本との国交樹立20周年を迎えます。秋篠宮ご夫妻は12日間で三カ国をめぐるという過密なスケジュールで、記念演奏会や舞踏公演、大統領との晩餐会などに出席されたのです」(宮内庁担当記者)
その現地での最終日、6月29日は秋篠宮ご夫妻にとって、23回目の結婚記念日でもあった。日本では6月9日の皇太子ご夫妻の結婚20周年ばかりが注目されていたが、弟宮ご夫妻は海外公務先でその日を迎えられていたのである。
ブレッド湖の湖面を見下ろしながら、秋篠宮ご夫妻は、お二人だけのランチを楽しまれた。四つ星の「ホテル・トリグラウ・ブレッド」の中にある、「レストラン1906」のフロアマネージャー、ソニア氏が話す。
お店をご一行で貸切りにし、さらにご夫妻のテーブルを間仕切りで囲って、小一時間ほどではありましたが、お二人での時間を過ごしていただきました。日本のプリンスは『ムフロン』という羊の原種にニョッキを添えたもの、プリンセスは『ズラトーチータ』という鱒キャビアを添えたグリルを召し上がりました。全三品のコースでしたが、とても楽しそうにお食事をなさっていましたよ」
中東欧は近年、日本人にも人気の観光地となっている。ユーゴスラビア紛争から十年程が経ち、戦争からの復興も進んでいる。宮崎アニメ『天空の城ラピュタ』のモチーフとも言われている古城など、風光明媚な土地も数多い。
だが、この秋篠宮ご夫妻の海外ご訪問に、宮内記者会常駐の報道14社のうち、1社さえも日本から同行した社はなかった。
「皇太子のスペインご訪問直後であったことや、滞在期間が長く予算がかかるためです。ただ、報道陣が日本から大挙して現地に押し掛けた雅子妃のオランダご訪問に比べると、その注目度は格段に低いと言わざるを得ません」
(前出・宮内庁担当記者)

◆怒気をはらんだご叱声の迫力

また同じころ、日本では雅子さまが山梨ご訪問を前日の夜にキャンセル。小誌でも報じたように、一部のキー局では、雅子さまの久々の国内公務を生中継しようという動きもあり、県庁への取材は殺到したが、結局全てはご破算に。この“ドタキャン騒動”は大きく報じられ、秋篠宮ご夫妻の海外ご訪問はますます目立たなくなってしまった。
中東欧ご訪問に同行した現地関係者が話す。
「ご夫妻はその間も、一日3、4カ所の訪問先を巡り、ほぼ三日に一回は都市を移動されていました。それぞれの土地の気温差が大きいためか、さすがにご滞在の最後はお疲れの様子でした。朝9時前から夜中の23時までスケジュールがぎっしり詰まっている日もあったのです。特に妃殿下は、各国の大統領とお会いになる際は、お着物をお召しになっていましたし、準備にもお時間がかかったことでしょう」
中東欧ご訪問の随員は、わずか十数名。おそらく現在の雅子さまには難しいと思われるハードスケジュールを、秋篠宮ご夫妻は少ないスタッフでこなされた。
だが、のどかな中東欧の景観とは裏腹に、現場は緊迫した空気に包まれることもしばしばだった。紀子さまが随員に対し、苛立ちの感情をお隠しにならず、ときにはそれを周囲にぶつけられる場面も度々あったという。そして、その怒気をはらんだご叱声の迫力に落涙する者もいたというのだ。
それは滞在中盤、6月25日のことだった。
ご夫妻はスロバキアのタトラ国立公園にある植物園を訪問された。3.2ヘクタールの広大な敷地を誇る植物園では、270種以上のタトラ地方固有の植物を観察することができる。
同行した大使館関係者が打ち明ける。
「20度ほどの清々しい高原の空気のなか、植物園のスタッフは両殿下にそれら固有種の説明をしました。一時間ほどの行程も終わり、スロバキア側のスタッフが皆引き上げたあとのことです。紀子さまはとたんに、表情を一変させました。そして通訳の女性に向かって、『あなたが訳した植物の名前って、日本語にもなっていないし、なんだかよく分からない!』。そう語気を荒げ叱責したのです。
思わず耳を疑いました。それまでの穏やかな笑顔からは全く想像できないご表情で。現場は凍りつきました。かわいそうに、通訳の子は外務省の研修を終えたばかりの若い女性だったのですが、涙を流していたそうです」

小誌では駐スロバキア大使館に国際電話をかけ、通訳女性本人に事の顛末を問い質したが、かぼそい声で「そんなことはありません」と繰り返すばかり。秋篠宮ご夫妻はスロバキア側の担当者と直接、英語でやり取りしたと説明した。
だが、要人通訳の経験を持つ元外務省関係者は通訳の心中を察し説明する。
「たとえ担当した要人から叱責を受けたとしても、通訳は口外するわけにはいきません。それが皇族方なら尚のことです。それでなくても、通訳はぞんざいに扱われるのが常。会議の席次表なども『通訳』とだけ書かれ、個人名が記されていないなど日常茶飯事。『オイ』とか『キミ』としか呼ばれず、石ころのように扱う要人だっている。私は何百人と通訳をしてきましたが、お礼を言われたことは皆無でした」

◆「あの微笑みは“仮面”なのです」

ただし、同僚から聞いたある話が忘れられないという。それは欧州某国の大使館に勤務していた、三十代の若い専門職員の話だ。
「あるとき、彼は来日したその国の大統領夫人について、美智子皇后との通訳を務めることになった。しかし、極度の緊張と、知識豊かな二人の多岐にわたる話題に付いていくのが精いっぱいで、ある単語を訳し間違えてしまった。すると、美智子さまはその者だけに聞こえるような小さな声で、そっと訂正されたそうです。そのお優しさと語学力に、その者は驚嘆し、しかもその際に名前で呼びかけてくださったということに、すっかり感激していました」
今回の紀子さまのお振る舞いは、美智子さまとは対照的だったといえるかも知れない。かつて宮家に勤めたある職員が話す。
実はこれまでも度々、紀子さまの外でお見せになるのとは違うお顔を拝見したことがあります。私も初めは驚きました。ご会見などでの優美なお話の仕方や立ち居振る舞いを拝見していて、私もみなさんと同様、紀子さまにはゆったりとした、どこかスローモーな印象を持っていたのです。しかし、あの微笑みはいわば“仮面”なのです。仮面を外した宮家の中での素顔は全く違います。
その昔、『あなた自己中ね!』と女子職員を強い口調で説教されたこともありましたが、そんなのは序の口。具体的にはとても言えませんが、その人の至らない部分を酷い言葉に喩えてお叱りになることもありました。今ではあの冷たい微笑みに畏怖の念を感じます

勤務先としての秋篠宮家は宮内庁職員の間では、“ご難場”と呼ばれ恐れられているが、その理由に挙げられるのが、紀子さまの厳格なご性格だという。
元宮内庁職員も、当時を振り返りこう話す。
「あるとき秋篠宮家の中で、事務職員でない技官のポストに空きが出たことがありました。外部から応募がありましたが、当時私は採用してもよいものか、非常に迷いました。なぜなら、秋篠宮家のご内情について、前任者からよく相談を受けていたからです。
前任者は紀子さまに本来の仕事以外の雑務を頼まれたり、激しく非難されたことで精神的に参っていた。新任の方は地元での商売をたたみ、家族で東京に越してくると言っていたので余計に心配でした。『宮家に勤めれば箔がつくから』とご本人が強くおっしゃるのでお越しいただきましたが、結局その方は定年まで数年を残して宮家から下がってしまわれた

そして、紀子さまの職員へのご対応が一層厳しくなったのは、悠仁さまがお生まれになってからの、この数年だという。
宮内庁関係者が話す。
「秋篠宮家は五つの宮家の筆頭格とはいえ、東宮とは規模にかなりの差があります。それが将来の天皇である悠仁さまがお生まれになっても大して変わっていない。そこに紀子さまは気を揉んでいらっしゃるのでしょう。東宮職には50名の職員がいるのに、秋篠宮家には併任3名を含めて19名しかいません。悠仁さまご誕生の頃と比べても7名しか増えていない。雅子さまがほとんどご公務をなさらない中で、活発にご公務をこなされ、しかもご家族の人数も多いのに、です。将来の天皇である悠仁さまをお育てするのに適した体制とは言えない」
7月22日、英国王室では王位継承順位三位のジョージ王子が誕生したが、
「本来ならウィリアム王子ご一家と秋篠宮ご一家、ともに皇位継承順位二位と三位を抱くご家族に変わりはない。悠仁さまとジョージ王子は7歳差で、同世代でもある。20年、30年先の世界の王室外交を担うという意味においては、共に重要なカウンターパートであることを再認識すべきでしょう」(同前)
しかし実際には、悠仁さまに皇位が継承されるまで、その具体的なシミュレーションがしっかりと定まっているわけでもない。皇位継承問題が叫ばれて久しいにもかかわらず、主導すべき政治家は永田町の論理から脱することができず、議論が進む気配すらない。
例えば、皇太子が即位した場合、秋篠宮や悠仁さまがどうなるのかさえ明確ではないのだ。
京都産業大学の所功名誉教授が解説する。
「現行の皇室典範では、八条に『皇嗣たる皇子を皇太子という』とあるだけなので皇太子が天皇になった場合、皇子でない弟の秋篠宮が皇太子になるか否か、解釈が分かれています。本来なら『皇太弟』という表現を設けて明確にすべきなのです。ただ、その際、長女の愛子さまと甥の悠仁さまの立場はどうなるのか、まだはっきりしません。
仮に秋篠宮が皇太子となれば内廷皇族になり、それまでの本家と分家が一体化するのか、また眞子さま・佳子さまが一般男性と結婚したら秋篠宮は無くなってしまうのか、宮内庁も政府も議論を尽くしていないようです。そもそも今のところ悠仁さまは三代後の天皇になられる可能性が高いのに、筆頭宮家の一親王という扱いのままでいいのか。9月にはもう7歳になられるから、早急に十分な対策をとれるよう、法改正もする必要があります」

◆悠仁さま時代への“地ならし”

最近では、紀子さまのご意向を汲み取ってか、秋篠宮家では一部、宮家の“格”を上回るような好待遇へ舵が切られている。
「昨年8月の私的なベトナムご旅行以降、秋篠宮殿下は三回、海外を訪問されていますが、全てに東大の医師を同行させているのです。これまで、両陛下や東宮のように侍医がいない秋篠宮家では、訪問先の大使館付きの医師が医療を担当するのが原則でした」(ベテラン宮内庁担当記者)
また、公務に同行する宮内庁御用掛や内閣府事務官にはキャリア官僚が多く採用されている。今回の中東欧ご訪問にも同行した、内閣府事務官の谷みどり氏は経産省と併任でアメリカへの留学経験もあり、語学に堪能。御用掛の板倉敏和氏も旧自治省出身で、消防庁長官や長野県副知事などの華々しい経歴を持つ。
「随行医やキャリア官僚といった“ブレーン”を取り揃えるという秋篠宮家の新たな人事の方針は、悠仁さまが今後、成年皇族となられ、公務をなさる時代を見据えての“地ならし”ではないでしょうか。典範改正はすぐには行われないでしょうが、少しでも悠仁さまに資する体制を作ろうと必死なのです。
たしかにこれまでの秋篠宮家には“控えめの論理”が存在しました。特に兄宮である東宮に対し、上回って目立ってはいけない、控えめな存在でいるべきだというのが、行動原理だった。
しかし、雅子さまの公務復帰の見通しが一向に立たない現在、皇太子に準ずるような仕事をするようになってきているのは事実です。08年6月の岩手・宮城内陸地震の際、被災地にいの一番に乗り込んだのは、秋篠宮ご夫妻でした。たまたま秋篠宮殿下に『海フェスタいわて』の記念式典出席の公務があったということもありますが、皇太子ご夫妻は最後まで被災地にいらっしゃらなかった。その頃から従来の宮家とは異なる“第二東宮家”とも言えるお立場を意識していらっしゃるように思える。
それは将来の天皇の母である紀子さまのご自覚の顕れだと拝察します」(同前)

冒頭の6月29日のご結婚記念日、スロベニア料理を召し上がった秋篠宮ご夫妻は、その後、手漕ぎの乗り合いボートに乗って、湖の中ほどに浮かぶ小島(ブレッド島)に向かわれた。
その島のシンボルである8世紀に造られた小さな教会には、尼僧の悲恋の逸話とともに受け継がれた伝説の“希望の鐘”がある。
「両殿下は願いが叶うという鐘の紐をお引きになり、鳴らしておられましたよ。何をお願いされたのでしょうね?1976年、皇太子時代の天皇陛下もいらしたことがありましたが、『もう一人子供が授かりますように』と願いをかけられたそうです」(ホスト役を務めたブレッド市長のヤニス・ファイファー氏)
質素な環境にありながら、ご公務に、子育てにと奔走される紀子さまにとって、つかの間の安らぎの時間だったのかもしれない。

(記事終わり)

正直なところ、長い記事の割にはあまり面白くないといいますか、所々に東宮家(雅子様)に対するチクチクとした嫌味や、唐突な美智子皇后賛美などが挿入されていて、読んでいて不愉快な部分がいくつもあると感じます。
そしてこういう秋篠宮家ブラック実態を暴く記事は、最後はたいてい秋篠宮家(紀子妃)擁護で〆ていることが多いですね。紀子妃の職員いじめとも言うべき態度を「秋篠宮家は皇位継承者が二人もいるのに~」とか、「秋篠宮家は東宮家に比べて~」とか、常にそういう擁護に結論を持っていこうとする記事の姿勢は何とかならないのかと思うのです。

何度も言いますが、たとえ秋篠宮家に男子が生まれようと、皇位継承者が複数いようとも、公務と言われる活動を多くしようとも、秋篠宮家はただの筆頭宮家のままなのです。それが皇室の序列というものです。
職員数が少ないのも、予算が少ないのも、ただの宮家であるため現状では仕方ないのです。
それは東宮家のせいでもなければ職員のせいでもありません。


上記記事、色々とツッコミ所は満載なのですが、まともに解説を入れていくのも馬鹿馬鹿しい気がします。
まず、秋篠宮ご夫妻の海外行きにマスコミが同行しなかったのは、そこまで予算をかけてまで取材する価値がないと単純に思われただけではないでしょうか?文春記事は「東宮家ばかりに注目が集まるのがいけない」のような論調で書かれていますが、それは東宮家のせいでも何でもありません。秋篠宮ご夫妻にマスコミや国民の関心を引き付ける魅力がないのが最大の原因でしょう。それにしても大手マスコミさえも取材同行費用が出せないほど、秋篠宮ご夫妻の海外行きには莫大な税金が使われているのですね。
通訳女性が紀子妃から怒鳴られた理由もあまりにも理不尽といいますか、日本にない外国の植物を「分かりやすい日本語」に直すことは、植物の専門家ではない通訳にとっても難しい課題であったでしょう。通訳女性は自分の出来る範囲で何とか通訳したのでしょうが、無理が生じてしまったのは仕方ないような気がします。
そして通訳一般に関わる問題点を読んで、元外交官で通訳を行ってきた雅子様も、同じような理不尽な目に遭われてきたのだろうかと考えました。

そして上記記事でも「紀子妃はオモテとウラの顔が全然違う」という実態を暴露されています。私は割と早い段階(川嶋紀子さん時代)から紀子妃の本性のようなものを何となく感じ取っていたので(強かそうとか下心がありそう的な)、紀子妃が公の場では笑顔を見せ裏では常にイライラ恫喝するような方だと聞いても、「ああそういう感じがする」という感想であり意外な感じはしませんでした。
それにしても気になるのが、「具体的には言えないが、職員の至らない部分を酷い言葉に喩えて叱ることがある」という部分です。放送禁止用語?差別用語?みたいなものを使って職員を罵倒するということでしょうか。一体どれくらい酷いのか、想像もつきません。これが皇族のやることでしょうか。

そして案の定「悠仁様がいらっしゃるのに」という論調で、秋篠宮家の待遇が良くないことに対する擁護的記事が続いていきます。上記記事では「永田町(国会や政府)が秋篠宮様や悠仁様の待遇について法改正する動きをなかなか見せない」ということが書かれていますが、この当時は政府はまだ何もしようとしてなかったようですね。2013年当時は安倍政権(男系男子固執派)が誕生していましたが、ほかに手をつけるべき事項がたくさんあり典範や皇室に関することは“後回し”になっていたとしても仕方がなかったと思います。

今上陛下の生前退位(譲位)法案は、なぜか国民の深い議論もないままに秋篠宮様の待遇を大幅に改善してしまうという結論が採用されてしまいました(皇嗣扱いと予算激増、職員数大幅増員など)。上記文春記事は、秋篠宮家の待遇を宮家の立場を超えて良くしてしまうということが、この頃から少しずつ行われていたことに触れていますが、それだけでは飽き足らず、今上陛下の生前退位のドサクサに紛れて秋篠宮様の待遇を東宮並みにしてしまおうという横暴な手段に出ました。
手始めに山下晋司氏や所功氏などの子飼いの人物を使って「皇太弟」などという単語をちらつかせながら「秋篠宮家は男子もいるし皇位継承者も複数いるのに、東宮家と比べてこんなに待遇が悪いんですよ」というアピールを何回にも分けて行い、続いてNHKの橋口記者も使って今上陛下の生前退位に関する情報をリークし世間を巻き込み、まんまとご自分たちの待遇改善のための法案を通してしまったという印象しかありません。


ほかにも、上記記事は「秋篠宮家には控えめの論理がある」とか寝言を言っていますが、一体どこが「控えめ」だと言うのでしょうか。本当に控えめな方々は、こんなに頻繁に他人の口を使って「予算増やせ職員増やせ東宮家と同等かそれ以上の待遇にしろ」なんて言いませんよ。私は秋篠宮家に「控えめ」とか「遠慮」などというものを感じたことは一切ありません。逆に、どこら辺が「控えめ」だったのかその具体例を挙げてほしいものです。

また、秋篠宮様に東大の医師が同行するようになったという部分ですが、秋篠宮様ご自身にもしかして何か深刻な病状があるのでは?と思ってしまいました。しかし「東大」の医師だの、「キャリア官僚」だの、そういう形式に秋篠宮家がこだわっていることにどこか滑稽さを覚えました。

そして08年の岩手・宮城地震でまず被災地に行かれたのが秋篠宮ご夫妻であったことを必要以上に褒めていますが、たまたま「海フェスタいわて」という公務に秋篠宮ご夫妻が出席していたからこそ、一番最初に被災地に行けただけのことですよね。これでは東宮ご夫妻よりも先に現地に行けるのは当然ではないですか?
またこの地震で東宮ご夫妻が最後まで被災地に行かれなかったことを上記記事は責めていますが、実は両陛下もこの地震では被災地訪問をなさっていないようです。この時両陛下は全国植樹祭で秋田に行かれていたようですが、その際にスケジュールを一部変更し、陛下がお見舞いのお言葉を述べられ岩手県・宮城県にお見舞金を送ったというお話はありますが、被災地に行かれたという情報はありません。
そもそも、東宮ご夫妻は同じ内廷皇族として天皇家として、両陛下を差し置いて勝手な単独行動をとることができません。両陛下が被災地に行かれなかったのであれば東宮ご夫妻は当然先に被災地に行くことはできません。秋篠宮ご夫妻が被災地に行かれたのは「たまたま公務先で起きた災害だったから」という異例の状態であったからにすぎません。
文春はこういう慣例や事情も知らずに無責任なことを書いているのです。

“カウンターパート”だの“第二東宮家”だの奇妙ワードはもう笑うしかありません。真面目に取り上げなくていいでしょう(笑)。

当主不在の“ブラック宮家” その5~「東宮家と同格」になりたいためだけの職員増員要求?

今回は、週刊文春2012年7月5日号をご紹介したいと思います。

紀子さま ご結婚22周年秋篠宮家「過酷すぎる職場」
10年間で職員10人以上が交代


「あなた、自己中ね!」。宮邸での妃殿下は、優雅な会見からは想像もできないほど厳しいという。退嬰的な宮内庁にあって、なぜ秋篠宮家で次々と人事異動が行われるのか。揺れる平成皇室の中で重責を担う秋篠宮家。そのストレスに悲鳴を上げる職員の声を取材した。

お濠の内、皇居・坂下門を入り、すぐ右手奥に見える三階建ての重厚な建物が宮内庁庁舎である。宮中の伝統と権威の象徴とも言えるこの洋風建築は、昭和10年に建てられ、現在でもその中はまるでタイムスリップしたかのような歴史を感じさせる空間となっている。
「あれほど嫌だって言ったじゃないですか!」
普段から静けさに包まれているこの庁舎の中で、ある職員の怒号が響き渡った。定期異動の直前、昨年春の出来事である。
宮内庁関係者が話す。
「皆が驚くほどの大きな声でしたから噂になりました。この職員は、以前にも秋篠宮家で勤務した経験のある者なのですが、再び秋篠宮家への異動の内示を受けたのです。彼に聞いた職員によれば、『事前に打診があった際にはキッパリと断った』のに、内示を受けて、『話が違う』と上司に食ってかかったそうです。でも結局、内示は覆らなかった。ただ、気持ちはわからないでもありません。過酷だというのは、みんな何となく知っていますから

6月29日、秋篠宮ご夫妻は、22回目の結婚記念日を迎えられる。ご家庭は円満そのものといったご様子で、長女の眞子さまはスコットランドへの短期留学が決まり、来年から佳子さまは大学生に、悠仁さまも小学生になられる。
「悠仁さまは21日、幼稚園の恒例行事である親子でのジャガイモ掘りに、紀子さまとご一緒に参加されました。紀子さまは登山用の大きなリュックを背負われ、ジャガイモをいっぱい持ち帰られたそうです」(皇室担当記者)

◆女子職員を強い口調でお説教

いまだ“途絶状態”の皇太子ご夫妻に比して、秋篠宮ご夫妻は天皇皇后とも非常に密にコミュニケーションを取られている。
「陛下は今月中旬に検査を受けられました。心臓手術の経過が非常に良い、という診断結果に皆ホッとしています。しょっちゅう参内されて両陛下を支えられている秋篠宮ご夫妻は、結婚記念日の直前の週末にも、悠仁さまを連れて参内され、ご昼餐をご一緒されました」(千代田関係者)
だが、順風満帆に見える秋篠宮家にあって“心配のタネ”は、職員の不安定な人事である。
秋篠宮家の職員の定員は、現在16名。それに加えて他部署との兼任職員が3名いるが、この小さな所帯にも拘わらず、10年の間に10人以上の職員が交代しているのである。
かつて宮家に務めたある職員が、当時を振り返る。
「宮内庁の中でも、特に大変な職場だと思います。もう勘弁ですね。半ばノイローゼのようになって退かせて頂いた職員もいましたよ。秋篠宮家では、両殿下と職員の距離が近く、直接お叱りを受けることも多い。以前、妃殿下が女子職員に向かって『あなた、自己中ね!』と強い口調でお説教されたことがあり、庁内でも話題になった。ある人は『ご会見では、あんなに優雅に微笑みを浮かべてゆったり振る舞われているけど、ところがどっこい家の中ではニコニコなんてしない』と洩らしていました」
また、かつて秋篠宮家に事務職として仕えていた職員の一人はこう言う。
「秋篠宮家は職員の間では“ご難場”とも言われています。できることなら避けたい職場だというのが正直なところ。辞める職員が多いのは、仕事量が多くて大変だからでしょう。
同じ宮家でも、例えば陛下の弟君であられる常陸宮家は、お子さまがいらっしゃらないため人数も少なく、両殿下のお人柄も含めて、お務めしやすいと評判です

実は、つい最近も、あるベテラン職員が秋篠宮家を去った。秋篠宮家の事情に詳しい関係者が語る。
「4月末に、秋篠宮家に10年ほど仕えていた料理人が退職してしまったのです。定年までしばらく間があって、中学生ぐらいのお子さんもいらっしゃったはず。もともと殿下のご友人の紹介で、務めるようになったそうですが…」
秋篠宮家の料理人は宮内庁大膳課の職員ではなく、宮家の技官として雇われているスタッフである。
「大膳課は両陛下と皇太子ご夫妻のためのお料理を担当する部署ですが、秋篠宮家の担当の大膳課職員というのはいません」(別の宮内庁関係者)
大膳課は五つに分かれている。一係が和食、二係が洋食、三係が和菓子、四係がパンと洋菓子。ここまでが天皇皇后のお食事を担当し、五係が東宮の担当だ。
「秋篠宮家の場合、一人の料理人が和洋中に限らず、何でもできなければいけないのです」(同前)
かつてはこんな事もあった。子供たちの食事に気を遣う紀子さまは、食材に関しても吟味なさるというが、
「ある日、『(普段の業者から)安くて新鮮な魚が手に入らないのであれば、築地で買えばよいのではないですか』と仰り、実際に当番の料理人が築地市場まで出向いたそうです。こうして毎日、五人家族の三食分を用意するわけですから、かなりのハードワークであったことは想像に難くありません」(同前)
小誌では、退職した料理人に取材を試みたが、頑なに口を閉ざすばかりだった。

庁内でも“過酷すぎる職場”と囁かれる秋篠宮家。
「それは昔からのこと」
だと別の千代田関係者は話す。
「紀子さまは一生懸命になさりすぎ…なんて言ったらいけないが、そういった妃殿下の熱意が、職員にとって負担になっている部分はあるでしょう。紀子さまは『人使いが荒い』という話も聞こえてきます。
ただ、環境が整っていないという側面も大きいのです。例えば、本庁で両陛下のための急な買い物の必要があったら、官車がすぐに手配されて、職員がそれに乗って皇居近くのデパートにサッと行くことができますが、秋篠さまのところは、女性職員が自転車をこいで買い物に行く。紀子さまのご所望ならば、夜の真っ暗な中でも行かなければいけませんが、赤坂御用地の周辺にはちょっとした買い物を済ませられるスーパーもありませんから」

◆「もう精神的に限界だ」

そして、この千代田関係者はこう続けるのだ。
「ただ…紀子さまが少しお厳しいということもあるのでしょうが、飯島さんのこともあった。あっちもこっちもぐちゃぐちゃだった
飯島さんとは、08年頃まで宮家の切り盛りを長いこと任された飯島蘭子元侍女長のこと。
侍女長は“オク”と呼ばれるプライベートを一手に取り仕切る。飯島氏は秋篠宮ご夫妻からの信任も厚く、
「たいへんな貫禄のある女性で、アメリカ初の女性国務長官だったマデレーン・オルブライト氏と雰囲気がそっくり。予算管理が厳しく、職員たちは再三再四、『あるもので済ませて下さい』とお説教されていた」(前出・元宮家職員)
なんでも頭ごなしに命じる飯島氏には、話しかけるのも憚れるよなオーラが漂っていたという、
「本庁の優秀な女性職員が、秋篠宮家に引き抜かれたことがありましたが、周囲はよく分かっているから、『本当に良いのか』と慎重に確認したそうです。それでもご本人が『是非、あの可愛らしい眞子さまと佳子さまのお側でお仕えしたい』という強い意向で、結局、秋篠宮家の侍女長補というポストに収まった。
ただ、宮家では飯島さんにだいぶ厳しくやられたらしい。結局、『もう精神的に限界だ』ということで、辞めてしまわれたそうです。
ところがその後、当の飯島さんも心身のバランスを崩して、10年以上務めた侍女長を辞められたのです」(前出・千代田関係者)

その後の侍女長人事は混迷を極めた。09年に就任した前侍女長は、首相官邸の古川貞二郎官房副長官(当時)のもとで働いた経験もあり、「参事官室に長くいらっしゃり、非常に真面目な方だった」(古川氏)が、体調を崩し就任直後から勤務ができず、秋篠宮家を去った。その後、しばらく侍女長のポストは実質的に空席だったという。
誰もやりたがりませんよ。現在の侍女長の山崎敦子さんも、就任に関しては『2年間なら』と異例の期限付きでの人事だったそうです。今年の年末には約束の2年が経つ。後任の人選は難航するかもしれません」(宮内庁担当記者)

秋篠宮家の不安定な人事について、元宮内庁職員の山下晋司氏が解説する。
「秋篠宮家は、法律上は一宮家ですが、“事実上の内廷皇族”と言えます。三方をお支えする東宮職に50名以上の職員がいるのに対し、ご家族が五方いらっしゃる秋篠宮家に20人弱では、職員一人あたりの仕事が膨大になる。さらに、秋篠宮家に支払われる皇族費は年間6100万円。ここから私的使用人の人件費や食費に加えて、洋服や教育費も捻出されるわけですから、予算的にも厳しい状況にあります」
職員たちが低予算と激務に身を粉にする一方、まったく異なる肩書で宮家に出入りする“キャリア官僚組”もいる。その一人が宮内庁御用掛である近藤茂夫氏だ。
近藤氏は旧建設省出身。国土庁事務次官、初代内閣広報官、フィンランド大使などを歴任し、07年から御用掛に就任している。先日も、秋篠宮ご夫妻のウガンダご訪問(6月11日~17日)に随行した。
「近藤氏は、中曽根康弘政権時代の副総理だった金丸信氏の秘書官。金丸氏の懐刀のような存在でした。
ただ、上司に忠義を尽くし過ぎるきらいがあり、記者連中からは“白ゴマ”というあだ名をつけられています。理由は、白髪で“ゴマすり”がうまいから。内閣広報官当時は森政権の末期で、官邸サイドとメディアの関係が険悪になっていましたが、官房長官の会見場に陣取って、報道陣に『そんな質問はおかしい!』と野次っていたこともあり、啞然としました」(政治部記者)

◆東宮と筆頭宮家の格の違い

また、旧自治省で官僚人生をスタートして、消防庁長官、長野県副知事などの華々しい経歴をもつ板倉敏和氏も昨年末、宮内庁御用掛に就任している。入省同期だった元官僚が語る。
「板倉さんは、もともと福島藩主だった板倉家に婿入りしたんだ。真面目な人ですよ。昨年の暮れあたりから御用掛として秋篠宮家に出入りしていると本人から聞きました」
さらには、小誌が「秋篠宮家に雇われた東大卒経産省スーパーキャリアウーマン」(2月2日号)と報じた谷みどり氏も、経産省に籍を置きながら09年から内閣府事務官(宮務主管付)として、昨年は秋篠宮ご夫妻の被災地訪問に随行し、眞子さまの伊勢神宮参拝の随行員も務めた。
官僚として超一流のキャリアを積んだ彼らが、なぜ揃いも揃って秋篠宮家に集っているのだろうか。
皇室ジャーナリストが解説する。
実務上の必要性というより、両殿下は筆頭宮家としての“格”に見合った陣容を求めておられるのではないでしょうか。
たとえば、秋篠宮家には宮務官と侍女長という二人の特別職の国家公務員が置かれていますが、東宮職には東宮大夫を筆頭に10名以上の特別職がいます。しかも、宮務官が課長補佐から課長クラスであるのに対して、東宮大夫は在外公館の大使経験者などが就く、事務次官に近い役職。どうしても重みが違ってくる」
ただ、そうした優秀な“ブレーン”が多く集まっても、日常の実務を任されるのは宮家の諸君たちである。兼任などの“裏ワザ”で人員を増やすのにも限界がある。将来の天皇である悠仁さまをお育てになる宮家として、相応の組織作りが必要なのではないだろうか。

(記事終わり)

上記記事はかなり詳細で、秋篠宮家に仕えた職員たちの苦悩の悲鳴が聞こえてくる臨場感あふれる内容となっています。
「あなた自己中ね!」という紀子妃の言葉が象徴的ですが、いや、自己中なのは貴女も同じではないですか?と言いたくなるような酷い環境だとつくづく思います。真夜中でも職員を買い物に行かせる、築地まで足を運ばせて新鮮で安い食材を買わせるなど、紀子妃もかなりの「自己中」だとしか思えないのですが。

それに紀子妃は公の場でのにこやかな態度と、職員に接する時の「裏の顔」に違いがあり過ぎるという点も興味深いです。紀子妃ご自身は公のにこやかな顔で周囲をごまかしているつもりかもしれません。しかし、ここ数年の紀子妃の“笑顔”は、笑っているのにどこか怖さを感じさせる不気味なものになっていると感じるようになりました。どれだけ公の場で笑顔を取り繕っても、心の奥底にある不平不満を消すことはできていない印象を受けます。

上記文春記事では、秋篠宮家が創設されるまでは筆頭宮家のお立場だった常陸宮ご夫妻との比較を挙げていますね。
「お子様がいない・ご一家の人数が少ない」という点は置いておくとして、「両殿下(常陸宮ご夫妻)のお人柄も含めて働きやすい環境」と書かれていることが重要です。
どんなに忙しい職場でもやることが多くても、その家の「ご主人(当主)」のお人柄が良くて職員に対する労いがきちんとされている職場なら、職員は「今日も大変だったけど、また明日もがんばろう」という気持ちになれると思うのです。
常陸宮ご夫妻は職員に対するフォローがきちんとなされているのでしょう。

一方で、現筆頭宮家の秋篠宮家にはそういうフォローが全くないことが職員を追い詰め、苦しめていると考えます。

そして上記文春記事は最後の方で重要なことに言及しています。

「実務上の必要性というより、両殿下は筆頭宮家としての“格”に見合った陣容を求めている」

という箇所です。この点は見逃すことができません。

結局、秋篠宮家は実務上でそんなに(優秀な)職員が必要というわけではないのだと思います。
ただ、常に東宮家と張り合い、東宮家と自分たちを比較しては不平不満を抱き、東宮家に並ぶような「形式」を整えてくれということを要求しているにすぎないということです。

「公務が多くて大変だからもっと職員を増やしてもらえると有り難い」という理由ならまだ理解できる面もあります。
しかし本音は「東宮家は職員が多くてズルい!こっちは(山下晋司氏の言葉を借りるなら)“事実上の内廷皇族”だし“将来の天皇である悠仁さま”がいるのだから東宮家レベルに職員を増やして東宮家と同じに扱ってほしい!」ということなのでしょう。
しかし実際、秋篠宮家を東宮家と同格に扱うことなどできるはずがないのです。それが皇室の「序列」というものです。
だからその不平不満を、何も悪くない職員らにぶつけて憂さを晴らしているだけ。
山下晋司氏のような「秋篠宮家擁護発言」は、かえって反発を招くだけのように聞こえます。
まあ、皇族の実態やブラック・パワハラ状態を暴露する記事を書くに当たり、山下氏のような秋篠宮家擁護コメントも入れないと色々とマズいという判断が働いたのかもしれませんが。

そして、秋篠宮家のこういう「不平不満」をある程度受け入れざるを得ない状況になったのか、今上陛下の生前退位にあたり秋篠宮様を皇嗣扱いにすると同時に「皇嗣職」なる東宮職とほぼ同等の新たなポストを設け、秋篠宮家の職員を現在の東宮家並みに大幅に増やすという対策がとられると報じられています。
こうして数年前から週刊誌や懇意の人物(山下氏など)を使って「職員が少ないことへの不平不満」を垂れ流してきた甲斐がありましたね、と皮肉の一つも言いたくなります。


それにしても、紀子妃が悠仁様との遠足で「登山リュックいっぱいのジャガイモを持ち帰られた」というくだりには笑ってしまいました。
普通のリュックではなくて、登山リュックですよ。縦に長くて大きな、あの登山リュックです。
その中に「いっぱい」になるまでジャガイモを詰めて持ち帰るなんて、あまりにも“がっついている”というか、皇族の振る舞いとしてはかなり恥ずかしい話だと感じます。
そんなにたくさんのジャガイモを持ち帰ってどうするというのでしょうか。もし職員らに分け与えたのなら、そういうお話が記事中に出てくるはずです。しかしそういう話が出ていないということは…後はお察しということでしょうか。
職員に対する労いがほとんど聞かれない、むしろ職員を過酷な環境に置いている秋篠宮家にそういう美談を要求することは難しいかもしれません。
遠足でジャガイモをたくさん持ち帰らなければならないほど、秋篠宮家が明日の食材にも困っているという感じには見えないのですが。
こういうエピソード一つで、紀子妃の今までのお育ちの一端が見えてしまいます。

当主不在の“ブラック宮家” その4~いつもイライラ、氷の妃殿下

今回は週刊新潮2011年11月18日号をご紹介したいと思います。普段雑誌を買わない私が当時思わず購入してしまったほど、インパクトのある記事でした。一連の「秋篠宮家のブラックな実態記事」連発のきっかけともなった記事でもあるでしょう。

秋篠宮家「紀子妃殿下」氷のごときミーティング
侍女長がノイローゼで出勤不能


東宮職の侍従や女官の去就については、これまでも度々メディアで報じられてきた。が、お身内に2人の皇位継承者を抱える秋篠宮家でも、「侍女長」の重職にある女性が人知れず去っていた。その背後には、筆頭宮家ゆえ懊悩される紀子妃殿下のお姿が見てとれるのだ。

侍女長とは、宮内庁に設けられた特別職公務員ポストの1つである。
「御所における女官長、あるいは東宮での東宮女官長に相当する役職といえます。お妃のおる各宮家に置かれ、おもに身の回りのお世話を担当します。これとは別に、宮家は私費でで『侍女』を雇うこともできます」(宮内庁担当記者)
秋篠宮家が創設されたのは1990年。以来21年を経て、紀子さまにお仕えする侍女長は6人を数える。が、その職に関して昨年発令された「ある人事異動」を巡り、宮内庁内部では現在、ひそかに波紋が広がっているというのだ。
菊地明子さん(仮名)という60代の女性が、その当事者である。
「09年7月に5人目の秋篠宮付侍女長に任命された彼女は、昨年11月末をもって退任したのですが…」
そう切り出すのは、さる宮内庁関係者である。後任には、予算を取り扱う主計課で管理職を務めるベテラン職員が抜擢されたという。
「不思議なことに、本来は『官報』に掲載されて然るべき人事であるにもかかわらず、今に至るまでこの件の記載が全くなされていないのです」(同)
国の機関紙である官報には、原則として各省庁の課長相当以上の人事異動が掲載される慣わしになっている。特別職の場合もこれに準じ、秋篠宮家をはじめ、侍女長の人事は従来より公表されてきた。
官報を印刷・編さんする独立行政法人国立印刷局に聞くと、
「私どもは各省庁から出稿されたものを正確に刷り上げるだけで、校閲などは行わず、内容までは関知しておりません」(広報室)
続いて宮内庁によれば、
「侍女長は内閣総理大臣による任命であり、官報掲載も内閣府で行っているため、掲載されなかった理由はこちらでは分かりかねます」(総務課報道室)
埒が明かないまま、今度は内閣府に尋ねてみた。すると、
「官報は政府の広報紙という位置づけであり、情報を載せなかったことに対する罰則はありません」(人事課)
そう前置きしながら、意表を突く回答が―。
「今回の人事は、原稿としての情報はあったのですが、おそらく私どもの掲載漏れ、内閣府のミスになるかと思われます」
お役所らしからぬ潔さ。
かくもあっさり非を認めるあたり、却って勘繰りたくもなるのだが、案の定というべきか、「単純ミス」で片付けたがるその裏には、尋常ならざる“事態”が横たわっていたのだ。

内閣府関係者が言う。
「菊地さんは、旧総理府時代からの職員。70年に採用され、内閣官房への出向が長く、総理官邸事務所で歴代内閣の裏方を務めてきた、いわば事務のエキスパートです」
その活躍ぶりは、5人の総理のもとで8年7カ月の長きにわたって内閣官房副長官を務めた古川貞二郎氏の回顧録にも記されているほどである。
「09年3月に定年退職し、40年にわたる役所勤めを終えた菊地さんは、『これまでのキャリアが勿体ない』といった周囲の勧めもあって、秋篠宮付侍女長のポストに推され、同年7月に就任したのです」(同)
が、実務のスぺシャリストである彼女を待ち受けていたのは、想像を絶する世界であった、
「自身が過ごしてきた役所とはまるで異なるしきたりに戸惑い、またイメージと実際の仕事が余りに乖離していたことで神経をすり減らした彼女は、体調を崩してしまいました。結果、ノイローゼのような状態に陥り、着任してわずか1週間余りで出勤できなくなってしまったのです」(同)
一体、宮邸で何があったというのか。

◆朝礼が「反省会」に

秋篠宮家には現在、15人の職員がおり、その内訳は宮務官と侍女長のほか、事務官が7名、運転技官4名に調理師が2名。いずれも国家公務員である。このほか、冒頭で述べたように民間人扱いとなる侍女が数名、お仕えしている。
秋篠宮家の事情に詳しい宮内庁の古参職員が言う。
「通い勤めの職員らが出勤し、3人のお子様方がそれぞれ幼稚園や学校に出かけられたのち、宮邸では仕事についての打ち合わせが行われます」
主だったスタッフを一堂に集め、あるいは職種ごとに個別ミーティングを開くなど、その形式は議題の内容やメンバーによってフレキシブルに変わるという。
それでも大枠では、
両殿下が同席され、その日の予定について職員との間で確認がなされるとともに、一日の仕事のご指示が出されます。いわば『朝礼』のようなものでしょうか。公務については、おもに殿下と宮務官がやり取りされ、私的な生活に関する事項は、妃殿下からご指示が出されるのです」(同)
後者の中心となるのは、やはり侍女長である。
「宮邸は大別して平屋造りの公室棟と2階建ての私室棟に分かれていますが、公室のなかでもご一家が暮らされる私室に近い場所に『女子詰め所』と呼ばれる侍女らのスペースがあります。その統括者たる侍女長は連日、妃殿下にお時間を賜り、その日の仕事のご説明を受けます。ひと口に身の周りのお世話といっても、ご家族は5人ですから、あらゆる作業が生じます。『今日はお庭の掃除をいたしましょう』、あるいは『この部屋のお片づけを』といった風に、妃殿下が公室棟で指示を出されることもあれば、侍女長が私室に呼ばれることもあります」(同)
そうした折、前日までの仕事ぶりについても紀子さまは細やかに、そして時には厳しいご意見を述べられ、いわば“反省会の様相”を呈することもしばしばだという。さきの宮内庁関係者が言うには、
「この流れをみても、秋篠宮家のミーティングが単なる一日のスケジュール確認以上の性格を帯びていることは明白です」
つまりは『ダメ出し』を賜りつつ、新たに細密で高水準のリクエストが出されるという日々なのである。


◆診断書を出した侍女長も

先述した通り、秋篠宮家のスタッフはわずか15名。これに比して東宮には50人が詰めているという。絶対的な人手不足の中で3人のお子さまを育て、さらにご家族内に皇位継承者が2人もおられるとあっては、紀子さまの背負われる重圧は計り知れない。
そんな状況で、筆頭宮家を支えていくという強固な責任感が、スタッフに対するご指示の「ハードル」を自ずと上げていく形になっているのではないか―。
皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏も言う。
「侍女の仕事は微に入り細を穿つ内容です。赤坂御用地内にある宿舎から通うため、24時間勤務のようなもの。基本的には紀子さまの身の回りのお世話が中心ですが、被災地にも随行するなど、両殿下の生活に関わる全てがその対象となります。両陛下とのご関係や他の宮家とのお付き合いもある上、お子さまの教育については前例がほとんどない。両陛下のご意向を伺いながら進めるわけですから、むろん過酷だと思います
その上で、こう指摘する。
「紀子さまはご自分のお考えをはっきりと仰るようですし、何よりお子様も多いですから、宮邸での仕事がきつくなるのは道理です。『こうしてください』というご指示も、細かくならざるを得ないのでしょう」
酷暑の熱気にむせ返った途端、体感温度が一気に零下へ。あたかも氷のごとき峻厳で鋭利なお言葉が、連日発せられるわけである。

菊地さんについて、あらためて宮内庁に問うと、
「体調を崩し就任直後から勤務が出来ませんでしたが、明確な理由については本人から聞いておりません」
ちなみに彼女の前任者もまた、わずか1年と数カ月でその任を退いているのだが、これについては、
「家庭の介護のこともあり、退職を願い出たもの」(同)
という。が、“異変”を訴えた侍女長は、実は菊地さんだけに留まらない。さきの古参職員が明かす。
「かつて11年にわたって秋篠宮付侍女長を務めた方がいたのですが、やはり最後は体をこわし、『仕事は年度末までとするように』と書かれた診断書を提出するまでに至りました。彼女は、傍から見ていても“今にも逃げ出してしまうのではないか”と思えるほどに憔悴しきっていました」
この女性は直後、侍従職へと配置換えされ、ほどなく職を辞していった。


◆警視庁にも「ご懸念」を

紀子さまのお人柄について、宮内庁幹部に聞くと、
「かつては、妃殿下から漢字の読み間違いを指摘された側近もおりました。沖縄の染料にご興味をお持ちの妃殿下の前で、この職員は『紅殻』という字をうっかり誤読してしまった。すると即座に『それはベンガラと読むのですよ』と仰ったのです。言うなれば、男性のネクタイの結び目が曲がっていると気になってしまう、といった類のお話でしょうか。また、現在の宮邸は旧秩父宮邸を増改築されたわけですが、工事が始まった98年頃、備品のことで妃殿下はたびたび用度課の職員をお呼びになり、応接セットの配置やカーテンの色をどうするか、といった内容のご指示を適宜、出されていました
それらもまた、お立場を全うしたいとの使命感からもたらされる行動であることは疑う余地もない。そして、有形無形に発露されるそのご心情は、時に“外部”へと向けられることも。
08年1月26日、ご夫妻がインドネシア外遊を終えて帰国された翌日、悠仁さまが宮邸のお庭で遊ばれている際に転倒、唇を4針縫うというケガを負われたことがあった。この時、
「悠仁さまは愛育病院まで救急搬送されたのですが、およそ2週間後にこの件がTBSのニュースで報じられてしまいました。その直後、妃殿下は警備を担当する、警視庁警備部警衛課の警察官らに対し、『あなた方から情報が漏れてしまったのではありませんか』と、直接に強いご懸念を表されたのです」(前出・古参職員)
言うまでもなく、お子さま方のお世話もまた、侍女長らの大切な職務である。それにしても、菊地さんの体調不良を受け、宮家における重要ポストが実質1年半近く「空位」だったわけである。その後を継いだベテラン職員とて、
「彼女は昭和天皇の侍従職、その後は皇太后職などを歴任してきたプロパー職員。その経験を買われて抜擢されたのですが、異動ポストが比類なき激務であるのは重々承知しており、当初は固辞していました。そこで上司が『2年で戻すから』と必死に説得し、宮邸に入ったのです」(前出・宮内庁関係者)

皇室ジャーナリストの神田秀一氏が指摘する。
「さきの大震災に際して、皇族として最初に動かれたのは秋篠宮家でした。3月末には紀子さま、眞子さまと佳子さまが被災者のために約3400枚のタオルを袋に詰める作業をされ、5月に入ると紀子さまは三沢市や八戸市へ、6月中旬にはいわき市に入られている。それもただの視察ではなく、避難所でお見舞いをされているわけで、男子のお子さまを育てながら次々と公務をこなす紀子さまは、相当なストレスをお感じになっていることと思います」
秋篠宮家にあっては、仕える者もまた「心構え」が必要とされるというのだ。
「侍女というのは宮家の生活に合わせて動く仕事。規則はあっても細則は殆どなく、日々の判断が重要になります。公務員といえども役所の仕事とは180度異なり、『書類に判子がないから動けない』ではつとまらない。どんなに優秀でも、能力を発揮できない方もいるかもしれません」(同)
現在は体調も快復し、新たな仕事に就いている菊地さんを訪ねると、
「こんな季節にわざわざお越し頂いて申し訳ありませんが、今は一市井人ですので、官報のことなど、何も存じ上げないのです」
そう口にすると、足早に立ち去って行った。

(記事終わり)

上記記事は神田氏だの松崎氏だのが出てきて必死に「紀子妃が職員に厳しい態度にならざるをえない理由」を述べて彼女を庇っていますが、私の目からは「職員数の少なさに不満を持ち、常にイライライしていて理不尽な形で職員に八つ当たりをして憂さを晴らしている」ようにしか見えません。記事の受け取り方は人ぞれぞれだと思いますが、私個人はそういう印象です。

被災地訪問や公務云々の件も、国民が「そうしてほしい」とお願いしているわけではないのに一人で張り切っているようにしか見えないのです。それに対してストレスを感じるくらいなら、むしろやっていただかなくて結構ですと言いたい気持ちです。
紀子妃のイラつきが職員にまで悪影響を及ぼしているのは問題があるでしょう。
悠仁様のお怪我の件がすぐに外部に知られてしまった件についても、何の根拠もなく警察官を疑うことなどもってのほかですし、そういう態度を繰り返していたら職員からの信頼を受けられなくて当然ではないでしょうか。
我が子が怪我をした、ということで「親としての責任」を追及されることがそんなに嫌だったのか?としか思えません。

「お子様の人数が多いから」という言い訳も、ほかのお子様の多かった宮家の方々を拝見する限り紀子妃を庇う根拠としては弱すぎますし、ご自分たちが好んで3人もお子様を持たれたのに、そういうことを理由にするのは卑怯だと思います。

神田氏も松崎氏も紀子妃に同情的な姿勢でコメントを寄せていますが、紀子妃の方に非はないとは言い切れないと思います。紀子妃は一般の平民家庭出身なので(この点は婚約会見でも触れられていたし紀子妃ご自身も認めていること)、お手伝いさんがいる世界とは無縁だったとお見受けしますし「人の使い方がわからない方」なんだろうという印象を受けます。「人を褒める・評価する」ということができない方なのかもしれません。
それに「何でもかんでもオールラウンダーとしてできなければならない」ことを職員に要求するのも正しいやり方とは思えません。ある分野でのエキスパートな人を別の分野までできるようにしろ、ということが果たして正しいやり方なのか。
「職員数が少ないんだから仕方ないでしょう!」という紀子妃の言い分もあるかと思いますが、それなら秋篠宮家よりももっと職員数が少なかった宮家(三笠宮家や高円宮家など)では、どうして記事のような問題が起きていないのか?という疑問が湧くのです。

紀子妃をはじめ秋篠宮家“だけ”が一身に公務を背負わされてそれに対する不満を抱いているというならまだ分かりますが、紀子妃は逆に公務が自分たちの所に回ってくることを待っているような発言もしているのです。
高円宮家の次女の典子元女王(現・千家典子さん)がご結婚で降嫁されることが決まった際、紀子妃は典子元女王が受け持っていた公務が秋篠宮家に回ってくると思い込んでいたらしく「これから忙しくなるわ」という発言をなさっていたという記事もありました(その記事も可能であればここでご紹介したいと思います)。
つまり、紀子妃は公務が回ってくることに不満を抱いているどころか、むしろ喜んでいるように見えるのです。
それなのに「公務などでストレスを抱えている、だから職員に厳しくなるのは仕方ない」という論調に違和感を覚えるのです。


秋篠宮家の職員数の少なさについても、これでも以前よりかなり改善されている(増員されている)のです。
東宮家というずっと格上の内廷皇族を基準にするから「少ない!足りない!」となりますが、そもそも東宮家と秋篠宮家は格が全く違うのです。
自分たちを東宮家と同格のように考えるその姿勢こそ「立場をわきまえていない」のではないでしょうか?


しかし、紀子妃が1998年頃(秋篠宮邸の備品等についてのエピソード)からすでに「こういう態度」だったことから、東宮家との比較云々の前から「職員に厳しく口出しの多い方」であったようですね。

それにしても、いくら秋篠宮様が公的な面でしか宮務官とやり取りしないとは言え、あまりにも当主の存在感が無さ過ぎではないでしょうか。もし紀子妃が私的なことで指示を出すことにイラついてストレスをためているようなら、当主がもっと妃をフォローしてもよいのではないかと思ってしまいます。
こういうパワハラ・ブラック記事を挙げる際、どうしても当主の存在感の無さ、フォローの無さが気になってしまいます。

当主不在の“ブラック宮家” その3~次々に去る職員らと、なぜか頼りにされる3人の側近

今回は、週刊文春2011年9月22日号の記事をご紹介いたします。

深層レポート 紀子さま45歳 秋篠宮家をウラで牛耳る「3人の側近」
10人以上の職員が交代!
なぜ職員が体調を崩し次々に去るのか。書かれざる“人間関係”を明らかにする


「我々に人事権はありません。命じられた場所で働くだけ。だから堪えられない人は夜逃げ同然で去る人もいる」。ある関係者はこう話した。普段は退嬰的な宮内庁がなぜこれほど頻繁に人事を行ったのか。知られざる秋篠宮家職員たちの真実を初めてつまびらかにする。

国道246号線。通称・青山通りを東に走り、豊川稲荷の手前を左に折れると、すぐ左側に見えるのが「巽門」。門番である赤坂護衛署第四警備待機所を通過し、緑豊かな敷地を道なりに150メートルほど進むと、秋篠宮邸の重厚な鉄門に行き着く。
今の季節はツクツクボウシの蝉しぐれが響く赤坂御用地のなかで、宮邸は背の高い木立に囲まれ、周囲からは中の様子を窺い知ることはできない。
秋篠宮邸は平屋建ての公室棟と、二階建の私室棟に分かれており、この公室棟の玄関で、今年も紀子さまの誕生日にあたり、祝賀の記帳が受け付けられた。
参列者の一人が話す。
「玄関を入って左手にある記帳台には、和紙でできた帳簿と硯、筆が備え付けられています。参列者は一人ひとり墨を擦り、氏名を揮筆する。帳簿には政府関係者からメーカーやホテルなどの大手企業の名前まで、ずらりと並んでいました
近頃にわかに注目を浴びている秋篠宮ご一家―。9月11日、紀子さま45歳のお誕生日当日、小誌ではある宮内庁関係者を取材した。この人物いわく、かつて宮家職員が打ち明けた一件が「忘れられない」のだという。
「その人は紀子さまに叱責されたことが強烈な記憶として残っているようでした。『ただ正直、何のことで咎められたのか、憶えていない』という。普段のイメージとは違う迫力に、慄然として、頭の中が真っ白になってしまったと語っていました」

秋篠宮家に仕える職員の人事はこの数年、不安定な状況が続いている。
まず事務方トップである宮務官と、オクと呼ばれるプライベートを一手に取り仕切る侍女長が、この一年以内に二人とも交代している。この二つのポストだけでも、この4年で6人が辞め、他のポストも含めれば10年の間に10人以上が交代している。
だが前出の職員は、「お辞めになる方の気持ちはわかる」とも洩らしたという。
「半ば神経症のようになって宮家から下がる職員もいるようですが、『あそこで働いていれば、日々積もりに積もるものがあるのは当然です』というのです」(前出・宮内庁関係者)
悠仁さまがお生まれになる前と比較すると職員数は増えている。現在は侍女長を支える侍女長補と、料理を担当する技官が一人ずつ増えたほか、運転技官も2名増え、4名になった。
だが、今でも本質的な人手不足は解消されていない。本庁や東宮職の経験者が、秋篠宮家に移るとその仕事量の差に驚くという。

◆気配を消して働く職員たち

「16名しかいない秋篠宮家では、職員は何でも出来るオールラウンダーにならなければなりません。不得意な分野を任され、万が一ミスをすれば目立ってしまう。常に仕事を見られているような雰囲気はあります。さらにこれまで女官などの経験がない者がいきなりオクの仕事を任されるのでは、やはり厳しいものです」(別の宮内庁関係者)
張り詰めた空気の中、職員は物音ひとつたてないように働いている。秋篠宮邸は絨毯敷きで、みな靴を履いたまま仕事をするが、
「底の固いパンプスなどでは靴音が響いてしまう。女性はみな絨毯の上でも音がでないようなローヒールの靴を履いています」(同前)
そして地味な色のスーツを着て、気配を消すようにして働くのだという。

「かつては飯島蘭子さんという侍女長が目を光らせていた。08年頃まで宮家の切り盛りを長いこと任されていました」(同前)
飯島氏は現職時代から、職員に相当厳しかったようだ。元宮家職員が話す。
「たいへんな貫禄の女性でした。アメリカ初の女性国務長官だったマデレーン・オルブライトと雰囲気がそっくり。予算管理が厳しく、職員たちは、しょっちゅう『あるもので済ませてください』とお説教されていた。なんでも頭ごなしにおっしゃるので、話しかけるのも憚れるようなオーラがありました」
だが、彼女さえも去り際には心身のバランスを崩してしまったようだ。
「最後はほとんど出勤できなくなっていたらしいですね。忙しさと人手不足、そして何が理由か存じませんが、殿下との関係にも縺れがあったと聞きました。それでも10年間頑張ってこられたのは、お子さんのことがあったからでしょう。女手ひとつで子供を医学部に入れるまで育てたそうですから」(別の宮内庁関係者)
秋篠宮家のスタッフが安定しなくなったのは、たしかに飯島氏がいなくなった頃からだ。
「“重し”が無くなってしまったのでしょう。もちろん、職員の悩みはケースバイケースですが、飯島氏がいなくなった現在の宮家を陰で牛耳っているのは、宮務官でも侍女長でもなく、常勤職員ですらない。“3人の両殿下の側近”なのです。この3人が職場環境に与えている影響は大きい」(前出・宮内庁関係者)

この“3人の側近”とは、一体どんな人物なのか。
「一人は元宮務官・富士亮氏の妻、富士幸子氏。二人目は御用掛で、外務省のフィリピン大使を務めた松田慶文氏。三人目は、飯島氏の前に侍女長を務めていた犬伏紗知子氏。彼女は悠仁さまがお生まれになったこともあって、非常勤扱いで宮家に戻ってきたのです。急場を手伝うために再び呼ばれたのでしょう」(同前)
3人が秋篠宮家と深くかかわるようになった背景はそれぞれだ。
「富士氏の夫・亮氏は、陛下が皇太子の時代から東宮侍従を務めた人物。農学博士で音楽にも造詣が深く、皇太子と同じくビオラが趣味の朗らかな“名物侍従”でした。秋篠宮家が創設されたときには初代宮務官に起用され、朝日新聞にもインタビューが掲載された“明るい秋篠宮家”の象徴のような人でした。ただ数年の勤務の後、食欲がなくなり、物忘れも多くなったそうです。94年には陛下の侍従を最後に退官。06年にはひっそりと亡くなりました。
奥さまは小柄でテキパキと仕事をこなす方。紀子さまと同じように手話がお出来になります」(富士氏知人)
非常勤だった富士氏は今年3月で退職しているが、いまでも両殿下からのご信頼は篤いという。
富士氏と犬伏氏には同窓という接点がある。
お二人はキリスト教に基づいた一貫教育を行う自由学園女子部のご出身です。学年は違いますが、犬伏氏が侍女長になったのも、お二人の繋がりからだと聞いています。人当たりの良い方ですよ」(同校関係者)
松田氏は、秋篠宮家の外国交際などを任されていた。外務省関係者が話す。
「彼は自治省入省組には珍しく、外務省に出向したんです。外務報道官を務めていた時に、宮内庁との関わりができ、秋篠宮両殿下がフィリピンを訪問された際、主席随員を務めています。両殿下、特に殿下と波長があったようですね
現在のように人事が落ち着かない秋篠宮家においては、両殿下のご相談相手が多いことに越したことはないようにも思えるが、小誌でも報じたとおり、最近では「秋篠宮家では働きたくない」と洩らす、宮内庁職員が多いのも事実だ。

◆職員評をお聞きになる両殿下

「船頭多くして、ということがあります。いま両殿下がご信頼を寄せているのはその3人。でも、最終的な責任は宮務官や侍女長が取らなければならない。また、両殿下が3人から『あの方はどうですか』と、職員についての意見を内々に聞くこともあるのだとか。それが伝わりプレッシャーに思う職員もいるのです」(前出・宮内庁関係者)
これらの指摘を本人たちはどう聞くのだろうか。
松田氏本人が語る。
「私の場合は、現在も秋篠宮付の御用掛で、3月までは月に一度、宮邸に上がり国際情勢のご進講をしておりました。国体などの行事には随行し、その際には職員とのやり取りもありましたが、私はほとんど職員の方とは関わりはありません。犬伏さんが職員に指図することもないはずです」
ほかの2人にも話を聞こうとしたが、犬伏氏は拒否。富士氏の自宅を訪れたが不在だった。
この現状を皇室ジャーナリストが解説する。
「そもそも宮内庁の人事が行き届いていないのです。将来、天皇になる可能性が大きい悠仁さまをお育てになる宮家なのですから、様々なご苦労があるのは当然です。人事異動をする前に、どういった人材が必要か、まずは両殿下によくよくご相談するべきなのです」
職員の不和が、秋篠宮ご一家の負担になるようなことがあってはならない。適正な人事体制を整えるのが宮内庁の急務ではないか。

(記事終わり)

「ここ数年における怒涛の秋篠宮家ブラック記事」の第一弾として上記の記事を挙げましたが、「何でこんなに仕事量が多いのか?そしてなぜ職員が次々に秋篠宮家を去っていくのか?単純に仕事量が多くてきつい、というだけではないのではないか?」という疑問がまず頭に浮かびます。
上記記事でも触れている通り、悠仁様がお生まれになったことでちゃんと職員数も増やしてもらえているのです。

「夜逃げ同然で去る職員もいる」
「あそこで働いていれば日々積もりに積もるものがあるのは当然」
「気配を消して仕事している」
「やり手のベテラン職員すら心身のバランスを崩して辞めてしまった」


これらの文章からも分かる通り、物理的な仕事量の多さだけでここまでの事態になるのはかなり異常でしょう。
そういう物理的な忙しさだけでなく、人間関係的な問題、パワハラ的問題が潜んでいることは間違いないと思います。

「叱られた相手が頭の中が真っ白になるくらいの紀子妃の怒りっぷり」
「常に仕事を見張られているような感覚になる」
「ベテラン侍女長は殿下(どっち?)との間に軋轢があった」
「3人のお気に入りの側近から両殿下が他の職員についての意見を聞くこともある」


どうやら、この辺りに職員が居付かない要因があるような気がします。これがパワハラでなくて一体何なのでしょうか。

しかし、上記記事で名前が出ている3人の側近のように、秋篠宮家とウマが合いうまくやっていける人たちも一定数いるのかと少し驚いています。彼らは「常勤職員ですらない」と書かれているため秋篠宮家に常駐しているわけではなく、必要な時にたまに呼ばれてちょっと話を聞くだけのことしかやっていなかったのかもしれませんね。そうだとしたら彼らの心身の負担は少なくて済みますし、常に秋篠宮家に詰めていなければならない職員に比べたら気楽だと思います。だからそこそこうまくやっていけただけではないでしょうか?
このように「たまにしか秋篠宮家と関わらない」ような側近が秋篠宮ご夫妻と結託して、立場の弱い職員たちを見張っているような状況では、辞めたい・逃げたいという気持ちになるのは当然でしょう。

ちなみに上記記事が出た2011年は、東日本大震災があった年でもあります。
紀子妃は、宮内庁HPのスケジュールにわざわざこのようなことを書かせて「自粛アピール」をしていました。↓

http://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201103
平成23年9月11日(日)
文仁親王妃殿下 東日本大震災発生から半年に当たるため,お誕生日のお祝い行事はお控えになりました。

それなのに、お祝いの記帳は止めてなかったんですね。そういうものなのでしょうか?
しかし平民上がりの一宮妃のために、政府関係者や大企業らがこぞってお誕生日お祝いの記帳に駆け付ける様、何とも皮肉めいています。

当主不在の“ブラック宮家” その2~女官に続いて料理人まで…

今日は「パワハラ・ブラック宮家」編として、週刊現代2007年10月20日号の記事を抜粋してご紹介いたします。
当該記事は、雅楽で有名な東儀家の13代目雅季氏の夫人、真由美氏が2007年9月に詐欺容疑で逮捕されたことに関する記事です。罪の詳細は省きますが、東儀夫人は“現代のお公家さま”という感じで金銭感覚が極めてルーズであり、あちこちから借金しては踏み倒しているということを繰り返していたようです。詐欺罪もそのルーズな金銭感覚の一環として行われたもののようです。
この東儀真由美氏の口から語られたエピソードの中に秋篠宮家に関する興味深い内容が含まれていたので、該当部分のみ抜粋いたします。

「詐欺で逮捕」宮内庁楽部・名家13代目夫人が漏らしていた「天皇家の秘密」

(引用開始)
カネにだらしない夫人は口元の締まりも悪いようで、“最高機密”のはずの天皇家の内情を、惜しげもなく話しまくるという。夫人が周囲に漏らしていたエピソードを集約すると、
「天皇陛下が亡くなる瞬間って、楽部はつきっきりで演奏しなければいけなかったの。大喪の礼の前(昭和天皇の崩御までの数カ月間)、ウチの旦那は何日もつきっきりで大変だったんだから。そもそも、ウチの旦那のお父さんは、昭和天皇に楽器を教えたくらいの人だしね。
秋篠宮殿下ってホント、お酒が好き。天皇ご一家はみなさん召し上がるけど、あの人は特別ね。それと、紀子さま。あの人、自分が好きな料理を作らなかったっていう程度の理由で料理人をクビにしたの。あの人の子どもに近所の犬が寄っていったことがあったけど、そのとき子どもが 『 イヤだ 』 って言ったら、その犬、いつのまにか“消えた”のよ。本当にワガママな人だけど、男の子も産んで公務もちゃんとこなすから、美智子さまも邪険に出来ないだけよ。雅子さまの子どもじゃなく、紀子さまの男の子が(皇位を)継ぐなんて“ガセ”よ。だって宮内庁は女帝を推してるんだから」

(引用ここまで)

「宮内庁が女帝推し」ということの真偽はともかく(もしこれが事実なら敬宮愛子内親王殿下はもっと大事にされているはずなのにそうではないので、真由美氏の言うことは信じがたいですが)、秋篠宮家に関する発言は「さもありなん」という感じです。
紀子妃が皇室に入ったばかりの頃、紀子妃を気遣ってサーヤ(黒田清子さん)の気心が知れた女官をわざわざ紀子妃付きの女官にしたのに、紀子妃がその女官とウマが合わず結局女官が辞めることになり、サーヤがショックを受けたというエピソードも過去に残されているくらいですから(詳細は当ブログの下記記事をご参照ください)、「料理人クビ」ということもありうると思ってしまいます。

参考までに:
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-30.html
礼宮様と川嶋紀子さんの婚約 その9~よくこんな女性が皇室に入れたものですね


この数年後、2011年くらいからしばらくの間、秋篠宮家から次々に職員が離れていくという深刻な事態についての雑誌記事が大量に出てくることになりました。詐欺罪をはたらいた東儀真由美氏の言うことに信憑性はないというご意見も当然あるかと思いますがこうも立て続けに職員が離れていくことが続くと、やはり秋篠宮家には「職員が居づらくなる要因」が何かしらあるという疑惑が出てくるのです。

そして秋篠宮家の子どもたちが嫌がった犬が「消えた」というのも、怖い話ですね。問答無用で処分されてしまったということであれば酷い話だと思います。秋篠宮家は「一家揃って動物好き」をアピールすることが多いですが、本当に動物を可愛がっているとは思えない話も多いのです。

次回からは、怒涛のようなブラック宮家の実態記事が続きます。
主に紀子妃中心の内容になると思いますが、「当主の秋篠宮様はどこ行った?」と思いながらお読みください。
1996年頃は色々な意味で話題になっていたのに、現在は当主のくせに存在感皆無になってしまった秋篠宮様です。

当主不在の“ブラック宮家” その1~秋篠宮家担当の皇宮警察の相次ぐ自死

秋篠宮家のパワハラ問題について、まずは週刊新潮2005月8月11・18日合併号の記事からご紹介したいと思います。
いきなり重いタイトルのもので恐縮ですが、なるべく時系列に沿って記事をご紹介した方が、秋篠宮家に潜む問題がずっと以前から続いているということがお分かりになるかと思いました。

「皇宮警察」また出た自殺者は「秋篠宮」担当

皇室の守護を目的とする皇宮警察。その本部に所属していた警視(58)が7月15日、自ら命を絶った。実はこの人、秋篠宮家の護衛を担当する侍衛官だったという。
昨年夏にも自殺者か出たというが、一体、皇宮警察で何か起きているのか。
亡くなったのは、護衛部の侍衛官、加藤達夫氏(仮名)だ。侍衛官とは、護衛部長の直轄で皇室警護の現地指揮をとるのが主な仕事。皇宮警察本部にはたった3人しかいない。天皇皇后両陛下、皇太子ご一家、秋篠宮家の下に各一人ずつ配置され、加藤氏は秋篠宮家を担当していた。お出かけの際には必ず身辺の警護にあたっていたというから、秋篠宮ご夫妻もさぞやお心を痛めていらっしゃるに違いない。
むろん、スキャンダルを極度に嫌う皇宮警察だけに、内部でも厳しい箝口令が敷かれているという。
皇宮警察の広報も、「自宅近くに車を止め、その中で縊死していました。原因については、全くわかりません」と言うだけだ。だが、
「昨年8月にも加藤の後輩が、首を吊って自殺しているんです」
と明かすのは、皇宮警察関係者のA氏だ。
「加藤氏と一緒に秋篠宮家の護衛にあたるのが、護衛部の護衛3課。自殺したのは、3課の高山弘(当時47)=仮名=という側衛官です。高山は、眞子さまや佳子さまをよく学習院に送り迎えしており、紀子さまの大のお気に入りだった。加藤は高山を直接の部下のように面倒を見ていました
もっとも、高山氏は私生活ではかなりいい加減だったという。
「大の女好きで、生活がハデでね。一千万単位の借金を作り、それか原因で白殺したんです。高山は私に“加藤さんに借金の保証人になってもらっている”と言っていた。もしかすると加藤は、高山の残した借金の返済を迫られていたのかもしれません」(同)
秋篠宮家担当の護衛官がたて続けに自殺するとは、尋常ではない。

皇宮警察関係者のB氏はこんな話をする。
「加藤さんを含め、護衛3課の3~4人が監察から調べられていました。少なくとも、加藤さんは7月11日に監察に呼ぱれています。
その直後、加藤さんは樵悴しきっていたといいますからね、金に関することで何らかの不正があったのではないでしようか」
やはり、監察に呼ばれたことと自殺には、何らかの因果関係がありそうだ。
そこで、皇宮警察の広報(前出)に間くと、
「11日に加藤氏は監察に呼ばれていません。監察としては、随時、様々な案件について調査を行っております。調査の過程で何らかのコメントをするのは、適当でないと考えます」と、微妙な言い方をする。

しかし、B氏はさらにこう話した。
「加藤さんが亡くなった前後に、護衛3課で監察に調べられていた警視が辞意を伝えています。表に出せないようなヤバイ話があるのは確実ですよ。これじゃ、秋篠宮家担当の護衛体制はガタガタじゃないですか。関いたロが塞がらない」
最後に、残された加藤氏の妻は涙ながらに語った。
「何故、こんなことになってしまったのか。理由もさっぱりわからず、それだけに残念でなりません。主人が監察に呼ぱれたことは聞いていましたが、内容については知りません。でも、そんなに弱い人ではないと思っていたのですが……」
皇宮警察がこんな体たらくでは、皇室も心もとない限りだろう。

(記事終わり)

上記記事は、あくまでも二人の皇宮警察は借金問題が原因で自殺をした、という方向で書かれてはいます。しかしその一方で、「表に出せないようなヤバイ話もある」という感じで、記事に書けないような恐ろしい噂もあるということも匂わせています。
遺族は「自殺の理由はさっぱり分からない」と答えており、遺族にも知らされていないような闇があるのではないかと思われます。
遺書はなかったのか、遺書は見つかったがその内容が明らかにされていないだけなのか、分からないこともあります。
ここまでくると「死人に口なし」で、本当は借金以外の理由があったのではないかと?という見方もできます。
そもそも警察の先輩後輩同士で、借金の保証人になるということがありうるのでしょうか?
仮にそういうことがあったとしても、なぜ二人とも死を選ぶしかなかったのか?


秋篠宮家担当になっていた皇宮警察が立て続けに二人も自殺を選ぶということ自体、非常に怖いものを感じます。
秋篠宮家という存在自体、何か関係しているのか、それともただの偶然か…
もちろん、上記記事だけでは「パワハラが関係している」と決め付けることはできませんが、言葉にできない不気味さを感じます。

皇室の中にあるパワハラ問題

豊田真由子議員の、秘書に対する暴言・脅迫問題が報じられましたが、豊田議員は以前から態度が尊大で言動も常軌を逸しており、秘書が次々に交代してきた(5年で100人!)という事情もあったようですね。そして豊田議員をかばうつもりだったのか、河村建夫元官房長官が「あんな男の議員はいっぱいいる」という失言をしてしまったとか。もしそれが事実なら、そのパワハラ議員の名前を全員出すべきだと思うのです。そして議員につく秘書など立場の弱い人々はボイスレコーダー必須という時代になるのでしょうか。自分の身は自分で守らなければならない厳しい世界、豊田議員の秘書の行動は勇気があり間違ったことはしていないと思うのです。

議員のパワハラ・暴言事件を耳にして、こういうブログを書いている立場として、私はまず秋篠宮家におけるパワハラ問題を思い出してしまいました。
特に紀子妃の態度に問題が多いのだとか。それに関する雑誌記事も多く、パワハラ内容も記事によって微妙な違いがあり、興味深く感じたものです。
「秋篠宮家に潜むパワハラ問題」についても、秋篠宮家の問題をあぶり出すためにいつかは当ブログでも記事を書いていく予定でおりましたが、豊田議員の件を踏まえて若干予定を前倒しにし、秋篠宮家のブラック体質をつまびらかにしていきたいと考えております。

江森氏の『秋篠宮さま』に関する内容と同時並行で(交互に記事を書いて)進めていく予定を考えています。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
プロフィール

キリアキ管理人

Author:キリアキ管理人
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR