番外編:加計学園問題と皇室の闇

礼宮様と川嶋紀子さんの婚約関連ネタはまだあるのですが、今回は一時中断して世間を騒がせている加計学園問題で「皇室に関連すること」を一度記録してまとめておきたいと思いました。

加計学園と森友問題の詳細については、詳しく解説してくれている良いサイトがたくさんあると思いますのでそちらに譲りたいと思います。当ブログでは皇室に関する部分のみを取り上げ、記録しておきます。

当初、加計学園の一件は森友学園と同様の(それ以上に深刻な)問題点を孕んでいると言われていたにも関わらず報道が少なく多くの国民から不審に思われていましたが、その後朝日新聞がスクープしたことを契機に、徐々に報道量も増えていきました。

しかし、加計学園のニュースは相変わらず重要なことをまだ伏せたままです。

その「重要なこと」とは、加計学園の件は美智子皇后陛下の親戚筋の人と、秋篠宮様が関わっているという問題です。


まず加計学園は当初、「大原謙一郎」氏という人物が理事として名前を連ねていました。
「赤木靖春」氏と「越宗孝昌」氏の間に名前がきちんと入っています。
加計学園理事に名を連ねていた大原謙一郎氏

しかし現在、加計学園の「役員一覧」を見ても大原氏の名前は見当たりません。
ttp://www.kake.ac.jp/disclosure/trustee.html

それではこの「大原謙一郎」氏とは一体どういう人物なのか?
美智子皇后陛下には、正田修氏という実弟がいます。
そして正田修氏は、大原謙一郎氏の実妹と結婚しています。
つまり大原謙一郎氏は、正田修氏の義兄に当たる人ということになります。


そして大原謙一郎氏は、岡山県倉敷市にある大原美術館の理事長を務めていた人でもあります。
2015年(平成27年)2月28日から3月1日にかけて、秋篠宮様と次女の佳子様が「公務」として同美術館及び大原家本邸・大原美術館工芸等を訪れています。

この時にお二人をご案内した白髪の男性が大原謙一郎氏です。
大原謙一郎氏と秋篠宮様、佳子様
(朝日ニュースより)

右の杖をついている長身の男性が、正田修氏のようです。
正田修夫妻と思われる人物
(朝日ニュースより)

※この時期は丁度英国のウィリアム王子が来日している最中でしたが、なぜか秋篠宮様と佳子様にはわざわざこの倉敷公務が割り当てられ(大原美術館側の招待ではなく、宮内庁サイドから秋篠宮様らをそちらに行かせてほしいと依頼したという説も)、秋篠宮様らはウィリアム王子には一度も会えていないようなのです。両陛下と東宮ご一家は2月27日にウィリアム王子と接見しています。なお秋篠宮ご夫妻は2月26~27日は結核予防全国大会で福岡県に行かれており、どのみちウィリアム王子には会えていません。

秋篠宮様は同じ平成27年の6月11日から「全日本愛瓢会総会・展示会」臨席のため「公務」として再び岡山入りしていますが、その瓢箪の作品を展示していた会場が加計学園の国際交流会館だったのです。この時に秋篠宮様は岡山理科大学にも行かれ、加計学園の概要を聴取しています(岡山理科大学は加計学園グループです)。
秋篠宮様加計学園訪問
(宮内庁HPより)

秋篠宮様 加計学園 瓢箪1
秋篠宮様 加計学園 瓢箪2
(NHKニュースより)

秋篠宮様は全日本愛瓢会の名誉総裁を務めている関係で以前から何度も瓢箪公務に出ていらしたので、今回の加計学園視察は「たまたま」だったという見方もできるかもしれません。しかしこの当時は間違いなく大原謙一郎氏が加計学園の理事に名を連ねており、大原氏と会ったわずか3か月後に再び岡山入りして大原氏が理事を務める加計学園の概要まで聞くことを「たまたま」と考えることができるでしょうか?

加計学園の件が取り沙汰された後、大原謙一郎氏の名前がHPの役員一覧から速攻で削除されてしまったことは一体何を表しているのでしょうか。

ちなみに加計学園は獣医学部新設のための土地の無償譲渡が問題となっていますが、紀子妃の実弟である川嶋舟氏は麻布大学獣医学部卒業で獣医師免許を持っています。
これもただの偶然とは思えないものを感じます。

ネットでは加計学園と秋篠宮様の関連がかなり周知されてきていると思いますが、加計学園の理事であった大原氏が美智子皇后陛下の親戚筋であるという点はまだそこまで広く知られているとは言えないと感じています。

テレビでは到底取り上げられることのない、ひとつの「闇」がそこにあります。

礼宮様と川嶋紀子さんの婚約 その6~百聞は一見にしかず、不謹慎な笑顔会見

礼宮様と川嶋紀子さんが「昭和帝の喪中なのに婚約を決めてしまった」ということを礼宮様ご自身が会見で認めていたことは事実でしたが(当然この会見も喪中なのに行われた)、この会見の最中、礼宮様と紀子さんは不謹慎なことに何度も笑顔を見せています。

百聞は一見にしかず、その当時の会見画像を見ていただければお分かりになるでしょう。

よみうり写真館喪中婚約1
よみうり写真館喪中婚約2

↑「よみうり写真館」より。「昭和天皇の喪中で」という文言もハッキリと書かれています。

喪中婚約会見1
喪中婚約会見2

↑当時のテレビ映像より。

喪中なのに不謹慎笑顔

喪中婚約なのに大笑いの紀子さん。あまりにも不謹慎で昭和帝に対する畏敬の念が全く感じられません。


「ご自分たちの婚約会見なのだから嬉しくて笑顔になるのは仕方ないのでは」という見方をする人たちもいるでしょう。
しかし、それならわざわざ昭和帝の喪中なのに婚約を強行することも、会見を開くこともしなければよかっただけの話です。

私は当時10代前半でしたが、昭和帝のご病状が悪化した頃から崩御されるまでは、日本中が自粛ムードになっていたことはハッキリと覚えています。井上陽水さんの「みなさーんお元気ですかー?」というCMの言葉もカットされ、年末の紅白歌合戦も華美な服装を止める歌手が何人もいましたし、お正月の飾り付けもしないのが当然のような感じになっていました。そういう自粛ムードを重く実感していた当時の日本人からすれば、まさか昭和帝の孫が率先して自らの喜び事を強行させるなどということは、夢にも思わなかったのではないでしょうか。
秋篠宮ご夫妻のイメージがあまり良くないのは、この喪中婚約記者会見があったことが大きいと思うのです。

元総理大臣の海部俊樹氏からも、このような辛辣な言葉が残されています。

>秋篠宮殿下結婚の儀にあたっては、誠に僭越で畏れ多いことながら、悩んだ末に、私なりの考えを藤森昭一長官に伝えた。
>秋篠宮殿下は、紀子様と一刻も早く結ばれることを願っていらした。
>私は真実、国のためを考え、内閣からの助言として、「先帝陛下の喪が明けるまではお待ち願いたい。
日本には、一般の家庭にも公序良俗があります。ましてや、天皇家におかれましては」と、申し上げた。
>秋篠宮殿下結婚の儀は、昭和天皇の喪が明けた1990年6月29日につつがなく執り行われた。

(「政治とカネ―海部俊樹回顧録―」より)


「結婚自体は喪明けだから許される」という問題ではないように思います。

ちなみに紀子さんが会見で着ていたワンピースは黒に見えますが、実際は濃紺だったようです。
「昭和帝の喪中であるので喪服っぽいものを敢えて選んだ」という見方をしている人もいるようですが、何度も言いますが、結局は
「昭和帝の喪中にわざわざ婚約会見などするな!」という怒りに行き着いてしまうのです。

礼宮様と川嶋紀子さんの婚約 その5~“渦中の女”と呼ばれても皇室に入りたい!

川嶋紀子さんの存在については、当時複数の雑誌が記事にしています。
その中でこれから引用する「フォーカス 1989年5月5日号」の記事は、紀子さんを「渦中の女」と言い放ちまるでスキャンダルの最中にいる芸能人のような扱いをしています。
フォーカスは元々写真中心の雑誌でしたが、この記事もデカデカと川嶋紀子さんの写真が使われていました。

(引用開始)
フォーカス 渦中の女 1989年5月5日号

礼宮さま「皇籍離脱発言」の陰の「恋人」

金のブレスレットをしたり口髭を生やしたり、常に自由奔放ぶりが話題になって来た礼宮さま(23)。最近は、なんと「皇籍離脱」まで口にされたと伝えられているが、実はその裏で、若々しい恋愛が進行中らしいのである。

お相手は、川嶋紀子さん(22)。学習院大学経済学部教授・川嶋辰彦氏の長女で、今春、学習院大学文学部を卒業。現在は大学院に進み、心理学を専攻しているお嬢さんである。
「礼宮さまの反攻の原因は、兄との待遇の違いといわれるが、それは当然のこととして育ってきたはず。真相は結婚問題です。川嶋さんは父親が教授とはいえ、教職員宿舎住まいであまりに身分が違う。周囲の反対に、“それなら平民になればいいんだろう”とでも仰言ったんでしょう。ロンドンに留学されたのも、彼女から離すためと聞いています」(皇室ジャーナリスト・河原敏明氏)

紀子さんは大学時代、礼宮さまが会長を務めていた自然文化研究会に所属し、毎年3~4回ある研修旅行にも必ず参加。殿下も彼女のことが気に入り、“キコちゃん”と呼んでいた。
2年ほど前から、彼女はよくひとりで東宮御所に遊びに行くようになった。礼宮さまの運転するオレンジ色のワーゲンで御所内をドライブしたりしてデートを重ねていました。礼宮さまの部屋で二人きりで2~3時間すごし、侍従が慌てるということも何度かあった」(皇室担当記者)

昨秋、昭和天皇のお見舞いのために礼宮さまがイギリスから帰国した折も、紀子さんは東宮を訪れたようだ。またこの3月、彼女は大学の卒業式にも出席せずイギリスに渡ったとの報道もある。
一方、ロンドンの礼宮さまも親しい人間に「この夏にも婚約したい」と語ったと伝えられる。直接、紀子さんにお尋ねしてみると、「そのことについてはお答えできません」と微妙な“お答え”。
もっとも、ある皇室関係者は「婚約などありえない」と言下に否定なさる。
「独身の兄を差置いてそんなことはできない。それに今は喪中です」

浩宮妃候補の名前はいろいろと取沙汰されて来たが「決定版」はなかなか出ない。かつて「30歳までは」と仰言られた浩宮さまも、来年2月で30歳である。
「来年1月、喪が明けた直後に皇太子妃を発表すると思う。5月頃に結婚。すると秋の新天皇の即位の大礼、大嘗祭に夫妻で御出席になれる」(河原氏)
もしそうなれば、次には礼宮さまの婚約も現実的な問題となろう。
学習院の恩師のひとりは「周囲に結婚を反対されても礼宮さまはやるでしょう。それが彼なんです」という。

果たして、結婚でも型破りなところを見せて下さるか…。礼宮殿下、青春まっただなかである。


(記事終わり)

この記事の懸念通り、礼宮様は結婚でも「型破り」な行動を実際にとってしまったということになりますね。

上記記事自体は長くはないですが、礼宮様と紀子さんの交際と結婚がなぜ問題視されているのかコンパクトによくまとまっていると思います。
形式的な理由としては、昭和帝の喪中であったということと、兄上である皇太子殿下よりも弟が先に婚約してしまうという「長幼の序」を乱すようなことはいかがなものかという懸念。
実質的な理由としては、川嶋家があまりにも皇族と身分が違い過ぎるという問題と、何より川嶋紀子さんという女性の人となりに眉をひそめる人たちが少なくなかったということ。

いくら交際相手が皇族だからといって、紀子さん一人でノコノコ東宮御所まで押しかけ、侍従が慌てるほど礼宮様と二人だけで過ごしていたという辺りで、このお二人が周囲の目から見ても清らかな交際をしていなかったということが分かってしまうのです。

上記記事で興味深いのは
「昭和帝の喪が明けてすぐに皇太子殿下が婚約を発表し初夏に結婚なされば、秋の新天皇陛下の即位の大礼・大嘗祭に東宮ご夫妻で出席することができる」
という点に触れている箇所です。
しかし実際に上記のことを実行したのは東宮ご夫妻でなく、弟ご夫妻の方であったと。

紀子さんはこのフォーカスの記事を見たか、あるいは最初から「自分も妃として皇族として、新天皇陛下の即位の礼と大嘗祭に絶対に出たい!」と心に決めていたのか、本来は新しく迎える東宮妃に期待されていたはずのことをまんまとご自分がなさってしまったということです。

紀子妃はこの後も「本来なら東宮妃に期待したいこと」を、お呼びでないのに「私がやります!」といった感じでお振る舞いになるパターンが非常に多いと感じてしまいます。
「誰も貴女にそのようなことは頼んでいないし、期待もしていないのに…」と言いたくなる場面で、いつも紀子妃が前へ前へと出てくるように感じられます。

ただの一宮家の妃は絶対に東宮妃の代わりになどなれないし、なってほしいなどと誰も思わないのに。

渦中の女
1989年5月5日号 フォーカス “渦中の女”川嶋紀子さん

秋篠宮様のご希望を「忖度」した?生前退位法案

しばらくの間、礼宮様と川嶋紀子さんの婚約問題について記事を書いていく予定でしたが、本日は臨時記事として、23日付の毎日新聞の記事を取り上げさせていただきたいと思います。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170523-00000013-mai-soci

<退位>「皇太子」称号に難色 秋篠宮さま意向で見送り
5/23(火) 8:00配信

天皇陛下の退位が実現し、皇太子さまが即位された場合に皇位継承順位1位となる秋篠宮さまについて「皇太子」の称号が見送られた背景に、秋篠宮さまの意向があったことが明らかになった。
退位を巡る政府の有識者会議は、4月21日に首相に最終報告書を提出した。報告は秋篠宮さまを現在の皇太子さま並みの待遇とし、「皇嗣殿下」などの称号を提案した。

政府関係者によると、有識者会議では、当初は秋篠宮さまの称号を皇太子とする案が有力だった。3月のヒアリングでは専門家から「皇室典範を改正しなくても、秋篠宮さまを皇太子とすることが可能だ」との発言があった。4月4日の会議では委員から「歴史上は次期皇位継承者は兄弟でも皇太子と称されることが大半だった」との意見が出た。

しかし、報告をとりまとめる前の4月に官邸幹部から有識者会議の関係者に対し、秋篠宮さまの称号を「皇嗣殿下」などとする案が示された。政府関係者によると、秋篠宮さまは周囲に、自身が皇太子として育てられていないことを理由に、皇太子の称号に難色を示したという。

(記事ここまで)

生前退位法案の中で秋篠宮様が「皇太子」でもなく「皇太弟」でもなく「皇嗣殿下」でもなく、呼称は「秋篠宮」のままで予算や職員の面で「皇嗣」扱いとされるという方向に内容が決まったことは報道済みでしたが、まさか秋篠宮様ご自身が「皇太子」等の称号に難色を示していたことはこのニュースで初めて知りました。

「自身が皇太子として育てられていないことを理由」に秋篠宮様がご自身の称号が変わることに難色を示したという部分は、一見すると「秋篠宮様はご自分のお立場をわきまえている・謙虚な判断をされた」と錯覚してしまいそうです。

しかし一方でこの報道は、有識者会議や政府が秋篠宮様のご意向を「忖度」したということの表れでもあります。

秋篠宮様が難色を示したのは、あくまでも「皇太子」という呼称になることだけ。皇位継承権1位を保持すること、予算や職員が大幅に増えることについては難色を示さなかったということでしょうか。この点についてはどんなに国民からの批判があっても、ついに覆ることはありませんでしたから。

「皇太子」という称号には難色を示したのに「皇嗣」と呼ばれることについては何も言わない、というのも、秋篠宮様のお考えに一貫したものは感じられません。

秋篠宮様は「自分は皇太子でないので祭祀など心身の負担が大きい重責は担わないけど、皇位継承順位1位だからそれなりの待遇はほしい。だから予算や職員が増えることには反対しない。秋篠宮という呼称のままでいられれば、一宮家として従来通り自由気ままなお気楽生活が送れる」とお考えになっている?という見方もできてしまいますね。

礼宮様と川嶋紀子さんの婚約 その4~朝日記者に手紙まで書き、その手紙の公開まで許した紀子さん

前回のブログ記事で、川嶋親子と朝日がズブズブの関係だということがバレてしまいましたが、紀子さんは礼宮様との婚約が決まった後も、律儀(?)に朝日記者に現在の心境を綴る手紙を送っていることも判明しています。
以下、その手紙全文を引用いたします。

(引用開始)

朝日新聞 1990年(平成2年)6月29日
紀子さん胸のうちをつづる  取材続けた本誌記者へ
 

二十九日に礼宮さま(二四)との結婚を控えた川嶋紀子さん(二三)から、最近の思いをつづった手紙が、お二人の交際が始まってから四年余り川嶋家を取材してきた朝日新聞の内藤修平記者(現西部本社社会部次長)に寄せられた。

「楽しみ」と「迷い」に揺れた心、礼宮さまへの思い、父親への気遣い。
さまざまな思いをにじませた便りは「さわやかな大空のもとで、礼宮さまと仲良く過ごしていきたい」との決意で結ばれている。

紀子さんの了解を得て、手紙の全文を紹介する。


>婚約が内定致しました頃、澄み渡った空のもとで涼風が吹き始めておりました。あれから九カ月余りが過ぎました。

>時の流れと共に学習院構内では銀杏の葉が次第に色付き、色とりどりの秋桜が揺れ動いておりました。気候が一段と冷え込みます時期には、水仙や葉牡丹の姿が見られ再び暖かな春を迎えますと、並木道は梅や桜の花で覆われました。
>日差しが眩しく輝きはじめました今、研究室近くで咲く梔子の香りが、明るく漂って参ります。
>このような日々、結婚式の修礼を厳粛な雰囲気の中で重ねて参りますにつれ、結婚への思いが心静かに膨らんで参ります。
>同時に、皇族となる自覚とその責務に対する認識に、身のひきしまる思いが致します。

>最近まで私は、大学院に週二、三回通い、修士論文のテーマを徐々に絞って参りました。 今考えられます道は、主として二つあるように存じます。

>ひとつは、卒業論文「認知地図の成立に関する規定要因」を土台に据えて、新たな視点をその上に構築する方法でございます。
>もうひとつは、学部時代からの関心課題「家庭における老人と子供との相互関係」を取りあげる方法でございます。
>「何れの選択に到達するにせよ、研究論文の種が結実するために必要な時間を一とすると、文献渉猟、実験調査にはそのうちの三分の一をあて、残りの三分の二は試行錯誤的な考察に向けるように」 と、私の指導教授はおっしゃいます。

>論文を完成させていく作業は、一方で好奇心、探究心などを満足させてくれる楽しみが ございます。その一方で、迷いや焦燥感にとらわれ、そこでは、忍耐力が求められます。
>論文作成に限らず、ひとつひとつのことを一歩一歩仕上げて参りますには、常にこれと よく似たことが言えるかと存じます。光と影とが重なり合い、まとまりある結果へと導いているのではないでしょうか。

>英国では禮宮様が、オックスフォード大学の博物館内の一室を中心に、日々御研究をお進めになっていらっしゃいました。
>熱中されるあまり、お食事時間を忘れられましたこともしばしば、と伺いました。あまり御無理遊ばされませぬようにと心配でございました。
>先週、英国での御成果を携えられて、お元気に御帰国遊ばされました。

>二年間を懐かしく振り返りながら、文字やパピルスを発明した古代人、そして科学者ベル……英国と日本との距離を縮めました温かな歴史……に感謝する気持ちが、ふとおどり出て参りました。

>父は、その日が近づいて参りますに従い、自分の感情を懸命にコントロールしているようにも見受けられます。
>新しい人生に旅立つ娘を祝福したい気持ちと、少しでも一緒に過ごせる時間を大切にしたいとの思いが交錯しているようでございます。五月の連休に家族揃って出掛けることのできました栂池での山歩きを喜んでおりました。
>母も、弟の舟も、父と共に数日後、新たな生活が始まります。

>天皇陛下、皇后陛下をお助け申し上げ、自らに課せられます公の責任を果たし、家庭ではさわやかな大空のもとで禮宮様と仲良く過ごして参りたいと存じます。

>長い間、いろいろとお世話になりまして、有難う存じました。どうぞお元気でお過ごし遊ばされますように。  
>ごきげんよう。

平成二年六月二十六日   川嶋 紀子


(引用終わり)

はあすごいですね、特定メディアの記者に手紙まで書いて、その公開まで了承するなんて!皇族となろう人が特定メディアと懇意であるということすら重大視されるべき問題なのに、その関係性を自ら「公表してもいいわよ」と言わんばかりの態度でいるとは…本当に川嶋紀子さんの考えていることは理解不能です。
「皇族となる自覚とその責務に対する認識に、身のひきしまる思い」でいるはずの人が、こんなことをしていては駄目ではないでしょうか。
今の時代でもこのような行いは眉をひそめられても仕方ないのでは?と思います。

そして紀子さんが研究テーマにしたいという「家庭における老人と子供との相互関係」…。なるほどもしかして、紀子妃はこのテーマに基づいて両陛下と眞子様・佳子様・悠仁様を上手に近づけさせたということでしょうかね。

それにしても「礼宮様」を「禮宮様」と書いた人、私はほかに知りません。わざわざ旧字体を当てる必要性がどこにあったというのでしょうか。こういう点も気持ち悪いです。

川嶋一家が連休中に出かけたという「栂池」ですが、栂は秋篠宮様のお印でもあります。それを知っててわざわざ栂池を選んだのであればやはりこの一家は強かですね。
ちなみに栂は、昔は罪人を磔にするための植物だったということです。「栂=ツガ」と読みますが「ツガ=トガ=咎=罪」という説もあるようですね。
なぜこのような植物が秋篠宮様のお印に選ばれたのかは分かりませんが。

礼宮様と川嶋紀子さんの婚約 その3~川嶋家自らが朝日に交際情報を流していた!

「礼宮様と紀子さんがなぜ昭和帝の喪中にも関わらず急いで婚約発表することになったのか」という問題を検証するにあたっては、まず紀子さん(川嶋家)自身が、礼宮様との交際情報を自らマスコミに流していたという事実を直視する必要があります。
以下、朝日の記者が「川嶋紀子さんと自分たちとのズブズブの関係」を暴露したに等しい記事をご紹介します。


川嶋家を見つめて 内藤修平記者 斎藤智子記者
朝日新聞 1989.09.12

初めて川嶋紀子さんに会ったのは、昭和61年5月の雨の日だった。待ち合わせた東京・目白の学習院大学近くの喫茶店に時間通りに現れた彼女は、横の窓からちらっと中をのぞいてから、入って来た。
>まだ少女の面影の残る、学習院大学の2年生だった。紺のヘアピンを飾っているだけで、化粧はせず、服装も清そだった。ふっくらした顔立ちと、言葉を選びながらのゆっくりした話しぶりが、テレビ画面で見たことのある美智子さま(皇后)の婚約発表時の顔と二重写しになった。そのことを伝えると「ありがとうございます」と紀子さんが答えたように記憶している。
英国のダイアナ妃が来日した直後で、「ああいった方にあこがれますか」と水をむけると、しばらく考えてから「すてきな方だと思います」とうつむいた。いま考えると、あるいは、その時、将来の自分の姿を思い描いていたのかもしれない。

父親の辰彦さんとは、それより前の2月に会っていた。60年暮れ、紀子さんが礼宮さまと三浦海岸でデートをされたという話を聞き、周辺の取材を続けた末のことだった。「私がお話しして予断を与えてはいけないので、本人から直接聞くのが一番いいと思います」。辰彦さんのこの言葉が3カ月後に実った。
>川嶋さん家族との私たちの交際は、こうして始まった。


礼宮さまは学生時代、「兄より先に結婚したい」という強い希望をごく親しい人に漏らしていた。浩宮妃が決定したあとに「さぁ、次は」とマスコミの標的にされたらかなわない、というのも1つの理由だったらしい。だから紀子さんのことも、正式に婚約がととのうまでは、そっとしておいてあげたい、というのが、取材に当たった私たちの考えだった。
ところが、お2人は、学習院大学の演劇サークルの公演を見に豊島公会堂にそろって出かけ、一緒の車で帰る。紀子さんは頻繁に東宮御所に出向き、テニスをしたり、車を運転したり。むしろ2人の仲をオープンにして既成事実をつくろうとしているのではないか、と思えるほどだった。

>それまでは「サークルの先輩と後輩の関係です」と笑いながらはぐらかしてきた紀子さんが、初めて結婚を意識した話をしてくれたのは、昨年の9月だった。昭和天皇のご病状が悪化した1週間ほど前である。
>「自分の努力で克服できるものと、そうでないものがあります。宝くじに当たらないとダメだったり、タイムマシンに乗って過去にさかのぼって改めたりすることの出来ない問題もあります」。そして「立場も違いますし、育った環境も違った2人が一緒に生活していくことは大変なことだと思います」と続けた。心の中で揺れ動きながら結婚を真剣に考えていることが、ひしひしと伝わってきた。
>「結婚されても、これまで通り会っていただけますか」と聞いてみたら、「それは、難しいと思います。ひとり(の記者)にお会いしたら、ほかの方にも同じようにお会いしなければならなくなります」という答えが返ってきた。
>既に2人の間では結婚の約束が出来ていたのではないか。そのとき、こんな確信を持った。
>「ご結婚の時期はいつなのですか」と、追い打ちをかけると、「ハレーすい星がくるころかしら」と笑顔ではぐらかす余裕を取り戻していた。

>2人の「価値観」に紀子さんが初めて触れたのは、今年に入ってからである。
>「社会的肩書とか家柄で人を判断するのではなく、ひとりの人間として見ようとする姿勢がある方です」。そして「私自身、国籍や肩書で人を判断しないように、と育てられてきましたし……。もっとも私の場合は家柄とかがないせいですが」とほほ笑んだ。
>「礼宮さまが英国でデート」と一部の週刊誌が報じた今年4月、インドネシアを旅行中の紀子さんから英文のはがきが届いた。帰国後、電話ではがきの礼を述べると、こう話した。
>「旅先で、東京の報道を知り、心配していると思って。私は英国には行っておりません」

>婚約が内定した後、久しぶりに、お祝いを言うために自宅を訪れた。「おめでとうございます」と言うと
>「ありがとうございます。でも、まだ正式に決まったわけではございませんので」と、晴れやかな笑顔を見せた。
>何がきっかけで親しくなったのか、と聞いたら「本当に、自然な形で」と、はっきりとした答えだった。
>「お付き合いする中で、折に触れ、(礼宮さまの)行動を見、意見を伺うとき、『そうか、こういう考え方もあるのだわ。私はしたことがないけれども、それもいいなぁ、私もしてみようかしら』というようなことが、何回か重なったのです……」


(記事終わり)


「川嶋紀子さんと朝日記者が始めて会ったのは昭和61年5月」とのことですが、驚くべきことに昭和61年2月に先に朝日記者と会っていたのは父親の川嶋辰彦氏であったとのこと。まだ昭和帝がご健在であった頃から、川嶋親子と朝日は関わりを持っていたのです。

普通の親であれば「その件は私どもには分かりませんし何より礼宮様にも娘にも迷惑がかかるので止めてください」という感じで、マスコミの取材から逃げたくなるものだと思います。しかし辰彦氏は自ら「娘の紀子に直接会って話を聞いてみたらどうだ」と、平気でマスコミと娘が近づくことを容認することを言っているのです。父親としてこれはどうなのでしょう。
そして紀子さん自身も、朝日記者と会うことを断るどころかちゃっかり取材を受けてベラベラ喋っているというしたたかさ。
朝日記者からも「二人の仲を敢えてオープンにして既成事実を作ろうとしているように見える」と言われる始末。
小和田雅子さんがマスコミから逃れ、時には毅然とした態度でマスコミに立ち向かったことを考えると、川嶋親子の態度は解せないことだらけです。

もし当時にネットが発達していたら、川嶋一家のこのような「マスコミを使った外堀埋め行為」は大バッシングを受けていたのではないでしょうか。芸能界でもこのような「外堀埋め」「既成事実作り」が横行することがありますが、やはり良い印象は持たれていませんね。
そして紀子さんは今の時代だったら容赦なく「皇族狙いのプロ彼女、しかも親子ぐるみで!」と批判を浴びていたでしょう。
現在ではこういう事実がほとんど語られなくなり「無かったこと」にされつつあるのは、非常に危険なことだと思います。

そして当時はただの民間の女子大生にすぎなかった紀子さんが朝日などという大手マスコミと懇意になれたのも、父親の辰彦氏の「入れ知恵」があったからですね。「辰彦氏の方が娘より先に朝日とコンタクトをとっていた」という事実からもわかります。

そして川嶋家と朝日との関係は、昭和帝のご体調が悪化し、崩御された後もずっと継続していたことが伺えますね。
礼宮様が婚約会見で「川嶋家への問い合わせが多くなり…」と言っていたのも、辰彦氏・紀子さん親子が結託してマスコミにわざと礼宮様との情報を流しマスコミが騒ぐように仕向けたからでしょう。そして礼宮様に責任を感じさせるように仕向けたという見方ができます。芸能人もビックリの既成事実作りですね。

川嶋辰彦氏については今ではほとんどマスコミの報道がありませんが、この人物は相当危険だと思います。

礼宮様と川嶋紀子さんの婚約 その2~「喪中婚約」記者会見の全内容

1989年8月26日、礼宮(秋篠宮)様と川嶋紀子さんの「婚約内定」が報道され、同年9月12日、皇室会議でお二人の婚姻が可決・内定され、その後礼宮(秋篠宮)様と川嶋紀子さんの婚約記者会見が行われました。

以下がその婚約記者会見の一問一答です(読売新聞1989年9月13日記事より)。

●礼宮さま・紀子さんの記者会見での一問一答●

礼宮さまと川嶋紀子さんの記者会見は、12日午後3時から25分間、赤坂御所の「桧の間」で行われた。一問一答は次の通り。

−−このたびは、ご婚約決定、おめでとうございます。

礼宮さま「どうも、ありがとうございます」

−−質問に移らせていただきます。お2人は皇室会議で正式にご婚約決定となりましたが、現在のご心境をお聞きしたいと思います。

礼宮さま「皇室会議で承認していただきまして、いま、ホッとしているというか、そういう気持ちです」
紀子さん「私も、礼宮さまと同じく、私どもの結婚に皆さまのお認めをいただき、まことにうれしく存じます」

◆ひかれた点 プロポーズ
−−お互い、どんな点にひかれたのでしょうか。

礼宮さま「以前にもお話ししたことがございましたが、話をしていて楽しい人。また、どことなく愛きょうがあるというか……」
紀子さん「生物、例えば御所内で飼ってらっしゃるナマズやアヒルなどをかわいがっておられるお姿や、熱心に魚類を研究しているお姿に強くひかれました。タイのお酒、メコンに誘われるまま、先生やお友達と語り合い、またギターを弾かれたりするご様子、そんなところにひかれました」
礼宮さま「付け加えると、(紀子さんは)非常に話題が豊富な方じゃないかと思っております」

−−ご結婚を決意されたのは、いつごろでしたか。礼宮さまからのプロポーズのお言葉と、紀子さんのご返事は。

礼宮さま「決意は、だんだん、徐々に、そういう方向に固まっていったというところでしょうか」
紀子さん「私も礼宮さまと同じく、徐々に気持ちを整理して参りました」
礼宮さま「プロポーズは……そうですね、確か昭和61年の6月26日だったと思いますけれども、『私と一緒になってくれませんか』と話した記憶があります」
紀子さん「私は『よく考えさせていただけませんか』と申し上げました」

−−先ほど、お2人は両陛下のところにごあいさつされたと思います。その時、両陛下はどんなことをおっしゃいましたでしょうか。

礼宮さま「このたびの婚約をうれしく思います。いままで2人が培ってきたものをさらに伸ばし、また、お互いに補いあい、よい家庭といいますか、よき宮家を築いていくことを期待しているとのお言葉でございました」
紀子さん「同じようなお言葉をたまわりました」

−−現在、(昭和天皇の)喪中で、ご自身も留学中のお立場ですが、そういう時のご婚約決定をどうお考えになりますか。両陛下から反対はございませんでしたか。

礼宮さま「現在、留学中、喪中ということでもありますが、ここ一、2年の間に川嶋家の方にいろいろ問い合わせ等が多くなって、私としても責任のあることですので、早い時期に公にしたいと判断いたしました。そうなりますためには、本日もございました皇室会議を経なければいけないわけですが、それにつきましては宮内庁としても特に異議はありませんでしたし、両陛下から反対もありませんでした」

◆結婚の抱負 新家庭像は
−−ご結婚の儀式はいつごろと考えていらっしゃいますか。新婚旅行のご希望は。

礼宮さま「現在は喪中ですので、明年1月の喪明けを待ち、それから考えていきたいと思っています。新婚旅行などは、今のところまだ考えておりません。結婚の後は、伊勢神宮とか神武天皇陵などの参拝もございます。また、昭和天皇のご生前にお耳に入れることができませんでしたので、武蔵野陵に参り、ご報告したいと思っています」

−−ご結婚されると、独立され、宮家を営まれるわけですが、今後のご自身のあり方、抱負というものがございましたら、うかがいたいと思います。

礼宮さま「新しい経験となるわけですけれども、いろいろな方からお導きいただきながら、2人でいい家庭を築けたら幸いと思っております。皇族としての抱負といたしましては、天皇をお助けする立場でございますし、与えられた皇族としての仕事をひとつひとつ、大切に果たしていくつもりでおります」

−−皇太子さまより先に結婚が決まりましたが、ご感想は。宮内庁は皇太子さまのご結婚をできるだけ早くと考えているようですが、お近くにいてどのような雰囲気でしょうか。

礼宮さま「兄の皇太子が早く決まればそれに越したことはなかったわけですし、私もそのことを強く望んでいましたが、先ほども申したような事情もございまして、私の方が先になってしまったということでございます。雰囲気? 以前に30歳までにできれば上出来というふうに申しましたけれども、やはり30歳までにできれば上出来なのではないかと私は思っております

−−暗い見通しですね。

礼宮さま「暗いと言いますか……。私もわかりませんけれども」

−−紀子さんは一般の家庭から皇室に嫁ぐことになりますが、これから皇族の一員になられるお気持ちは。

紀子さん「私は礼宮さまと4年にわたり親しくさせていただき、礼宮さまのお人柄、お考えから多くのことを学ばせていただきました。また両陛下、東宮殿下、それから紀宮さまが、明るい中にも責任あるお立場をご自覚になり、ご生活なさっているお姿を拝見させていただきました。ありがたく、まことに心強いことでございました。皆さまのお教えを賜りながら一つ一つ学んでいきたいと思っております」

−−紀子さんにお尋ねいたします。ご結婚されたら、どんな家庭を築いてゆきたいとお考えでしょうか。また、お子さまは何人ぐらい、お望みでしょうか。

紀子さん「礼宮さまとご一緒にのんびりと明るく、和やかな家庭を築けたらと思っております。後の質問についてでございますが、それについても、これからゆっくりと考えていきたいと思っています」

−−初めて結婚の話が出た時、(紀子さんの)ご両親は何とおっしゃっていましたか。

紀子さん「父は『自分の人生は自分の責任や判断で決めることが望ましい。よく考え、よく悩んだ上で、結論を大切にしなさい』と申しておりました。また、母は『紀子ちゃん、よく考えてみましょうね』と申しまして、そのあとで『はたち前半のころは豊かな経験をすると同時に、よく勉強し、ライフワークの基礎を作る重要な時期ですよ』と申しておりました」

◆勉学の見通し 今後の計画

−−これから結婚の日まで、学業など日々の生活についてどのように考えていらっしゃいますか。

紀子さん「私は現在、大学院生でございますが、礼宮さまは大変ご理解があるようで、そのご理解のもとに、時間の許す限り勉強を続けたいと思っております
礼宮さま「私も、まだイギリスの方でやりたい仕事、研究と申しますか、たくさんありますので、このことが一段落つきましたら、できるだけ早い機会にイギリスへ参りまして、前と同じような研究生活に戻れればと考えております」

−−(11日の)誕生日に礼宮さまから何かプレゼントがあったとうかがっておりますが。

礼宮さま「私からお答えさせていただきますと、何というか、写真立てみたいなものなんですね。ちょうど2人の人が入るような、そんなものをプレゼントいたしました」

−−中に写真は入っていたのでしょうか。

紀子さん「これから思い出深い写真を入れて、飾っておきたいと思います」

−−どこで求められたものなんですか。

礼宮さま「日本で」

−−紀子さんはご結婚後、大学院での勉強をどうなさいますか。

紀子さん「今後どんな生活を送るか、ちょっと分かりませんけれども、時間が許す限り勉強はずっと……一生続けたいと思っております

−−失礼な質問ですが、お2人は長い交際を続けていらっしゃいますが、けんかなどというのはなさったことはございますか。

礼宮さま「けんかの度合いにもよりますが、双方、からかったり、そんなことはいたしましたけれども」

−−涙を流したようなことはございましたか。

紀子さん「みなさん、ご存じだと思いますが、(礼宮さまが)英国にいらっしゃった日でございます」

−−プロポーズの場所はどこだったのでしょうか。

礼宮さま「場所は目白近辺。夕方、集まりがありまして、私が(紀子さんを)送って帰る途中、ちょうど横断歩道のところで信号待ちをしている間に、ついつい長話になって、その時に」

−−結婚までにお2人でタイへ出かけるとか、イギリスへお連れになるというお考えは。

礼宮さま「まだ、そういうことにつきましては全然考えておりません」

−−先ほどのプロポーズの話ですが、紀子さんは「よく考えさせていただきます」と答えられ、そのあとはどんな展開だったのでしょうか。

紀子さん「先ほど申しあげたように、徐々に気持ちを確かめあいながら、きょうになりました」

−−紀子さんは礼宮さまが初恋の人ですか。

紀子さん「そうでございます

−−(学習院大構内の)本屋で最初の出会いがあったとお聞きしていますが、その時の第一印象は。

礼宮さま「こちらのお父さまを前から存じ上げていたんですが、非常にお父さまの話し方と似ているなと思いました」
紀子さん「私はお友達と話してらっしゃるお姿を拝見して、思ったより気さくな方という印象を受けました」

−−ご婚約に至るまでに障害のようなものは感じられませんでしたか。

礼宮さま「私といたしましては、ほかからの反対は一切なかったと思っております」

−−皇太子さまの方から祝福のようなお言葉はございましたでしょうか。

礼宮さま「おめでとうということですね」

−−前回、イギリスに礼宮さまが行かれた時、涙を流されたということですが、また礼宮さまはイギリスに戻られます。ご婚約が決まられたことで気持ちはだいぶ楽になりますか。

紀子さん「これからは以前よりも親しくさせていただくことができるとうれしく思っておりますが、やはり、心に通じ合うものがございましても、距離が離れますと寂しいものでございます。おたちになる日はしんみりと涙を流すことになるのではないかと思いながらも、笑顔でご出発を送りたいと思っておりますが」

−−きょうはありがとうございました。お幸せに。

(記事終わり)


この婚約会見が行われた当時、私はまだ10代前半の子どもでした。しかし、この会見の紀子さんを見て私は一瞬で「ああ、この人ブリッコしてるな」とピンときました。一見おっとりしているように感じるのですが、少し上目使い気味のニタニタした笑顔からは「強かさ」や「下心」を感じてしまったのです。
我が家は親がほとんど週刊誌を読まなかったので、雑誌に掲載された紀子さんに関する記事なども当時はまったく目にしたことがありませんでした。それにも関わらず私は紀子さんを一目で「何か怪しい感じの人…」と思ってしまいました。
当時はまだ世間知らずの子どもだったにも関わらず、この時の「カン」は正しかったと今になって思うのです。

さて、婚約会見の中身ですが…お二人が述べている馴れ初めやプロポーズの経緯などは、100%信じて良い内容ではないと思います。公の会見に向けて多少の修正はしていると思って読んだ方がいいでしょう。

しかし動かしようがない事実なのは

●お二人の婚約会見が行われたのは「昭和帝の喪中であった」ということ。

●川嶋紀子さんが礼宮様と交際している件がだいぶ前からマスコミに漏れていたこと。

●兄上の皇太子殿下を差し置いて、先に弟の礼宮様が婚約してしまったこと。

●礼宮様も紀子さんもまだ学生の身分であったということ(紀子さんは一度も就職経験がないまま嫁いだ)、そして紀子さんは結婚後も国民の血税を使って大学院に数年も在籍し続けたということ。

●紀子さんは「一般家庭の出身」であること。

の5点です。

ページを改めて、お二人の婚約問題についてしばらく記事を書いていきたいと思います。

礼宮様と川嶋紀子さんの婚約 その1~眞子様の婚約報道を受けて

眞子様とK氏の唐突な婚約発表を見て、眞子様のご両親である秋篠宮ご夫妻の婚約のことを思い出した人々も多いと思われます。
当ブログは基本的にあくまでも「秋篠宮様」の件を中心に記事を書こうというスタンスですが、秋篠宮様を語る上でどうしても妻の紀子妃の存在をスルーするわけにはいきません。いつの日か必ず秋篠宮ご夫妻の結婚の経緯を記事にしたいと考えておりましたが、しばらくは別の記事を書く予定をたてて記事の下書きを準備しておりました。

しかし、眞子様の婚約発表報道を受けて、「秋篠宮ご夫妻の婚約問題は今記事にしておいた方がいい」という判断に至り、多少予定を変更して秋篠宮ご夫妻の婚約に関する記事をまず書くことにいたしました。

眞子様の婚約の件で、ご両親の婚約も改めてクローズアップされることを願います。

秋篠宮家に関する様々な「異例」は、まさにこの婚約から始まったと言っても過言ではありません。

秋篠宮ご夫妻の婚約に関する記事は秋篠宮様よりも紀子妃に関するものが若干多めになると思いますが、避けて通れない問題ですので何卒よろしくお願い申し上げます。

いつの間に生物「博士」に??-秋篠宮様のハリボテ学歴 その5~利権関係はこうして生まれる?

先日、「旅先でも気まぐれ、自由気ままに (05/14)」という当ブログの記事で「秋篠宮様は湧永製薬と遺伝子研究で関わりを持っている」ということに少し触れましたが、秋篠宮様がニワトリなどの家禽類で疑惑の博士号を取得する前後から湧永製薬が絡んでいたことが判明しました。
そして秋篠宮様が総裁を務める山階鳥類研究所も予想通り名前を連ねていました。

下記はその博士号論文の概要です。

(6) ニワトリの起源の分子系統学的解析:秋篠宮文仁1,三宅哲雄2,高田 勝3,新宮良介4,遠藤俊徳,五條堀 孝,近藤典生3,大野 乾5(1山階鳥類研究所,2湧永製薬,3進化生物学研究所,4大阪大学第二内科,5Beckman Research Institute of the City of Hope, USA)
ミトコンドリアDNAを用いた分子系統学的解析により,ニワトリの起源を調べた.とくに,キジ科に属する30種以上の個体から血液サンプルを抽出し,ミトコンドリアDNAのD-loop領域のDNA配列を決定した.また,現在家禽として飼育されているニワトリの多数の品種からもミトコンドリアDNAも抽出してDNA配列を決定した.決定されたDNA配列は,multiple alignmentを行って,各種間における塩基置換数を推定した.推定された塩基置換数に基づいて,分子系統樹を作成した.その結果,調査されたすべてのニワトリは,インドシナ半島に住んでいた赤色ヤケイを単一の起源としており,ニワトリ起源の単系統説を裏付けるものであった.この成果は Proc. Natl. Acad. Sci., 93, 6792-6795に発表した.


内容的にどう見ても、元政治学科という文系人間で勉強をほとんどしてこなかった秋篠宮様がメインで書けるような論文ではないことがわかります。

湧永製薬と博士論文のつながりの概要を説明すると下記のような感じです。

●湧永は世界にはバイオの湧永として有名である。
●昭和55年にはレベル3(万一遺伝子組み換え微生物が漏れても外部には室内の空気が漏れないようになる)の研究棟を建て、最先端のバイオ研究で有名なアメリカのシティオブホープ研究所(秋篠宮様の共同研究者(?)の一人である大野乾氏が所属している機関)に研究員を派遣してきた (日本から他ではサントリーだけ)。
●湧永の遺伝子工学技術が評価され、秋篠宮様のご研究「鶏の家禽化」における遺伝子解析統計的分類法に大きく貢献した。
●1992年から1999年まで、計10回、秋篠宮様が湧永バイオ研究所にご来所され、研究を進められてきた。
(なお拡大する需要に対応するため広島県に新工場を建設したのが、秋篠宮様と研究を始めた1992年とのこと)
●その成果は、権威あるアメリカの科学アカデミーの紀要(PNAS:Proceedings of National Academy of Science)の1994年12月号に発表され、ニューヨークタイム紙などにも大きく取り上げられた。
●秋篠宮様様は1996年9月に国立総合研究大学院大学で理学博士の学位を取得された。

ちなみに湧永製薬はHPで下記のような紹介分を掲げています。

ttp://www.wakunaga.co.jp/study/bio/index.html

>ワクナガのバイオは、1970年代末にバイオテクノロジー研究に着手したことから始まりました。
>日本初の遺伝子工学によるセクレチン産生、世界初であった EGF(上皮細胞成長因子)の微生物による大量生産の成功を経て、1990年代からは、遺伝子解析技術とモノクローナル抗体技術をコアテクノロジーとして、種々の研究用試薬および診断薬(体外診断用医薬品)を開発しています。
>また、遺伝子のわずかな違いを検出するために開発したPCR-PHFA法は、1996年からガン遺伝子K-rasの変異検出試薬などに用いられています。
>さらに2003年に、多検体処理に適した検査技術であるxMAPR Technology(蛍光ビーズ法)を米国Luminex社から導入しました。
>当社はこの技術を遺伝子解析に応用し、『WAKFlowR HLAタイピング試薬』シリーズを完成させ、2005年から従来の試薬に代わり骨髄バンクのドナー登録検査用の試薬として供給しております。

はい、このような内容に関しての研究を秋篠宮様がメインで行えるとはどうしても思えません(笑)。しかも秋篠宮様が湧永製薬に訪れたのは7年間でたったの10回!

しかしこの博士論文をきっかけに、様々な利権関係が生まれたのは確実だと思われます。

●国立総合研究大学院大学→秋篠宮様への博士号授与の後キャンパスの施設をどんどん拡大していった
●五條堀孝氏、大野乾氏→ともに今上陛下とのハゼの共同研究も許されている
●湧永製薬→「バイオのワクナガ」という世界的地位を更に強固なものにした
●山階鳥類研究所→秋篠宮様と更に強固な関係になり現在でも秋篠宮様の「公務」に多大な影響を与えている

眞子様の婚約発表

本日、眞子様の婚約ニュースが流れました。まずはおめでとうございます。
せっかくおめでたいお話なのに「女性宮家がー!皇族減少がー!」としか言えない議員たち、そういうこと言うのやめませんか?黒田清子さんから色々とお話を聞いた上で眞子様はご決断されたとのことですから、降嫁して民間人になる覚悟を決められたことをまずは評価しませんか。
それに相手の男性(Kさん)もいきなり女性宮家の話をされても困惑するだけでしょう。「もしかしたら自分も皇族になってしまうのか?」なんてかえって彼の不安を煽るだけではないでしょうか。

しかし解せないのは、宮内庁が正式に発表するよりも前になぜかNHKがこの一件を先に報じたらしいこと。
陛下の生前退位の一件も秋篠宮様とNHKのH記者が関係していましたし、秋篠宮家とNHKの親密さ(?)はどう解釈すればよろしいのでしょう?
公共放送が特定皇族とつながりが深いのは問題ではないでしょうか。


さて、眞子様の婚約をお祝いしておいて何ですが、残念ながらこの秋篠宮様ブログは中止する予定はございません。
眞子様の婚約と、秋篠宮様が皇嗣扱いとなり莫大な予算をもらえることになる件は、あくまで別物ですから。
眞子様は皇室を離れて民間人となっても、秋篠宮様はこれからも永久に皇族のままなのです。
プロフィール

キリアキ管理人

Author:キリアキ管理人
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR