当主不在の“ブラック宮家” その2~女官に続いて料理人まで…

今日は「パワハラ・ブラック宮家」編として、週刊現代2007年10月20日号の記事を抜粋してご紹介いたします。
当該記事は、雅楽で有名な東儀家の13代目雅季氏の夫人、真由美氏が2007年9月に詐欺容疑で逮捕されたことに関する記事です。罪の詳細は省きますが、東儀夫人は“現代のお公家さま”という感じで金銭感覚が極めてルーズであり、あちこちから借金しては踏み倒しているということを繰り返していたようです。詐欺罪もそのルーズな金銭感覚の一環として行われたもののようです。
この東儀真由美氏の口から語られたエピソードの中に秋篠宮家に関する興味深い内容が含まれていたので、該当部分のみ抜粋いたします。

「詐欺で逮捕」宮内庁楽部・名家13代目夫人が漏らしていた「天皇家の秘密」

(引用開始)
カネにだらしない夫人は口元の締まりも悪いようで、“最高機密”のはずの天皇家の内情を、惜しげもなく話しまくるという。夫人が周囲に漏らしていたエピソードを集約すると、
「天皇陛下が亡くなる瞬間って、楽部はつきっきりで演奏しなければいけなかったの。大喪の礼の前(昭和天皇の崩御までの数カ月間)、ウチの旦那は何日もつきっきりで大変だったんだから。そもそも、ウチの旦那のお父さんは、昭和天皇に楽器を教えたくらいの人だしね。
秋篠宮殿下ってホント、お酒が好き。天皇ご一家はみなさん召し上がるけど、あの人は特別ね。それと、紀子さま。あの人、自分が好きな料理を作らなかったっていう程度の理由で料理人をクビにしたの。あの人の子どもに近所の犬が寄っていったことがあったけど、そのとき子どもが 『 イヤだ 』 って言ったら、その犬、いつのまにか“消えた”のよ。本当にワガママな人だけど、男の子も産んで公務もちゃんとこなすから、美智子さまも邪険に出来ないだけよ。雅子さまの子どもじゃなく、紀子さまの男の子が(皇位を)継ぐなんて“ガセ”よ。だって宮内庁は女帝を推してるんだから」

(引用ここまで)

「宮内庁が女帝推し」ということの真偽はともかく(もしこれが事実なら敬宮愛子内親王殿下はもっと大事にされているはずなのにそうではないので、真由美氏の言うことは信じがたいですが)、秋篠宮家に関する発言は「さもありなん」という感じです。
紀子妃が皇室に入ったばかりの頃、紀子妃を気遣ってサーヤ(黒田清子さん)の気心が知れた女官をわざわざ紀子妃付きの女官にしたのに、紀子妃がその女官とウマが合わず結局女官が辞めることになり、サーヤがショックを受けたというエピソードも過去に残されているくらいですから(詳細は当ブログの下記記事をご参照ください)、「料理人クビ」ということもありうると思ってしまいます。

参考までに:
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-30.html
礼宮様と川嶋紀子さんの婚約 その9~よくこんな女性が皇室に入れたものですね


この数年後、2011年くらいからしばらくの間、秋篠宮家から次々に職員が離れていくという深刻な事態についての雑誌記事が大量に出てくることになりました。詐欺罪をはたらいた東儀真由美氏の言うことに信憑性はないというご意見も当然あるかと思いますがこうも立て続けに職員が離れていくことが続くと、やはり秋篠宮家には「職員が居づらくなる要因」が何かしらあるという疑惑が出てくるのです。

そして秋篠宮家の子どもたちが嫌がった犬が「消えた」というのも、怖い話ですね。問答無用で処分されてしまったということであれば酷い話だと思います。秋篠宮家は「一家揃って動物好き」をアピールすることが多いですが、本当に動物を可愛がっているとは思えない話も多いのです。

次回からは、怒涛のようなブラック宮家の実態記事が続きます。
主に紀子妃中心の内容になると思いますが、「当主の秋篠宮様はどこ行った?」と思いながらお読みください。
1996年頃は色々な意味で話題になっていたのに、現在は当主のくせに存在感皆無になってしまった秋篠宮様です。

『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 1

前回お知らせした通り、しばらくは「秋篠宮家のパワハラ・ブラック問題」と、江森敬治氏の『秋篠宮さま』の中身の検証(?)をなるべく交互に行っていきたいと考えております。
まず『秋篠宮さま』の第一章目から順に、宮様の肉声を拾っていきたいと思います。

第一章 生い立ち

●<週刊誌などで私は自由奔放だとか書かれていますけれども、小さいころから兄妹の中ではむしろ静かなほうでした。たとえば私の兄は、学校から帰ってくると、すぐ野球をやったりとか、妹はだれか空いている職員をつかまえてきてドッジボールをやるなど、かなり活動的でした。私は学校から帰ってきても部屋の中にいて、無理やり引っ張り出されないと、外でなにかをするということはなかった。
外で遊ぶときは、大体、ひとり、もしくは妹と一緒に虫を捕ったりヘビを捕まえたりして楽しんでいることが多かったです。
『自由奔放』に見えるのでしょうけれども、そのようなことは、週刊誌あたりが作り上げてきたイメージじゃないかと思います。長男は物静かで、落ち着いている。それに比べて次男は自由で活動的だというイメージは根強いと思います。私は、すごい出不精ですし、シャイなのだと思います> P13


うーん…秋篠宮様はご自身をこう評していますが、テーブルの下にもぐって床に転がったり、目を見開いたりして「道化」っぽい行動が多かった宮様の幼い頃の写真を見ると、シャイとか物静かというイメージはやはり湧きにくいですね(笑)。しかし、出無精・インドア派というのは実はそうかもしれないという感じが何となくわかります。が、生き物が絡むと途端にアクティブになるということでしょうか。

幼い頃の皇太子殿下(左)と秋篠宮様(右)
秋篠宮様の幼いころ(右)。皇太子殿下の凛々しさと比べると…

お行儀の悪い秋篠宮様
テーブルの下にもぐって床に転がるお行儀の悪い秋篠宮様

ベロ出しアキシノ
まあ、幼い頃はこれはこれでかわいい(?)一面かもしれませんが…


●<パティ・ページや江利チエミの音楽をよく聴き、周囲から『おじん臭い』と言われます> P14

●<自分の性格ですか?自分で説明するのは難しいです。両親には、もう少し社交的になったほうがいいと言われます。私が、いちばん、得意でないのが社交でしょう。いわゆるバンケットやパーティみたいなものです。初対面の方といきなりパッと会話が始まるほうではないですから、先方からしゃべってくれるほうが有り難いです> P17~18

秋篠宮様は実は社交が苦手、ということは、宮様の様子を見ていると何となく伝わってきます。しかし、今後は「皇嗣」扱いとなる予定であり、皇太子殿下と同等の社交の機会を持つつもりであれば、いつまでも「社交が苦手・向こうから声をかけてくれないと困る」で押し通すのは、やはりおかしいのではないでしょうか。今までは「ただの宮家当主」としてそこまで積極的にならなくても甘く見てもらえたかもしれませんが、「継承権1位」や「皇嗣扱い」という立場を譲らない気であれば、ご自分の苦手なことにも積極的になってもらわないと国内外要人とのコミュニケーションが成立しません。この辺りの姿勢で、秋篠宮様が真に「皇嗣」としてふさわしいかどうか見えてくるかもしれませんが、厳しいようですが人間の性質はそう簡単に変わるものではありません。

●<本当に高いところがダメなのです。兄や妹は、平気です。特に兄は高いところが好きで、江森さんが、お分かりになるかどうか、いまの東宮御所の前の駐車場(その前は天皇陛下のご一家が暮らしていたが、宮内記者が御所を訪ねる時は、必ずここに車を止めた)、ちょうどその真正面ぐらいに煙突があるのをお分かりになりますか?あれの上まで登りました。確か、兄が小学校のころだったと思いますけれど…。そういうのが好きですね、兄は。山にも登りますでしょう> P18

秋篠宮様の運動神経についてですが、イメージほど「良い」というわけではなさそうですね。その点、皇太子殿下は優しく穏やかなお人柄をお持ちでありながら、実は運動神経は良いですし、体を動かすこともお好きですね。

●<本当に、イギリスにいた時は、窮屈な感じがしましたね> P20

●(警察官に)<別のテーブルで食べてください> P20

江森氏によると、秋篠宮様がイギリス留学の最中、常に一人の警官が宮様のそばにピタッと張り付いていたとのこと。食事の時も同じテーブルに警官が座ったため、別の席に移動するようにお願いしたのだとか。「人にいつも見られることをあまり好まない」と秋篠宮様はお考えだそうで…。
皇太子殿下もイギリス留学されていましたが、警備に対してご不満を述べたことなど一度もなかったと思います。「真の意味の皇嗣として育てられた本物のクラウンプリンスはやはりお覚悟が違う」と感じるのです。

●(英国の感想)<食べ物とかも良い印象はうすい。冬場だと、朝から雲がどんよりと垂れこめていて、地面はいつもジトジトしていました。良い印象といえば、私は、博物館に所属していましたので、朝から晩まで仕事ができましたから、その意味では本当に良かったと思います> P20~21

全体的に、イギリス留学にはあまり良い思い出がなかったようですね、秋篠宮様…。

●<妹が小さいころ、兄と二人で、泣かせたことがあります。ちっちゃい子って、本当に泣くとかわいいのですよ。妹を泣かせておいて、ごめん、ごめんというと『よろしいのよ』と妹が答える。一つ覚えみたいなところがあって、それを聞きたいがために兄と一緒に妹にいたずらをしました。ほんとうに悪いお兄さんでした。
なにかをとったこともあったかもしれない。おもちゃかどうか覚えていないけれども。
赤坂御用地の中で、一緒に虫捕りに出かけたりもしました。この前、妹と話したのですが、妹にいわせると、私と一緒に虫捕りに行くのは、恐怖だったといっていました。どうしてかというと、虫を捕り損なうと私にたたかれる(笑う)。それで怖かったみたいです> P21~22

秋篠宮様がずるいというか卑怯だと感じるのは、「妹(サーヤ)を泣かせたりいじめたりしたのは自分だけじゃないぞ、兄貴もやってたんだぞ」と、わざわざ皇太子殿下を巻き添えにしようとするこういう言動です。それに、虫が捕れないとサーヤをたたいて憂さを晴らすって、怖くありませんか?秋篠宮様は生き物関係となると、色々な意味で言動がアグレッシブになることがちょっと不気味というか、少し尋常ではないものを感じてしまうのです。

●<妹は、少なくとも、上の兄二人よりもしっかりしている。両親も妹が結婚したら、困るのではないかと思います。両方の気持ちが両親にはあるのではないでしょうか。手元に置いておきたいという気持ちと、早く結婚させたい気持ちと> P23

また皇太子殿下を巻き添えにしていますね。皇太子殿下は十分しっかりなさってます。

●<父は、夏、海に行った時に、とにかく泳げるようにだけはしておきなさいといっていろいろと教えてくれた。川や海に遊びに行って落ちた時などに、泳げないと生命が危ない。それで浜名湖や自宅のプールで泳ぎの練習をした。かなり徹底していて、それに比べると私は、自分の子供たちにそのようなことをしておらず反省している> P25

この時代の東宮御所は、きちんとプールが使えたんですよね。だから皇太子殿下も秋篠宮様もサーヤも、自宅=東宮御所で泳ぎの練習ができました。しかし、現在は東宮御所のプールは使えない状態のままになっていると聞きました。だから敬宮愛子様は、自宅のプールで泳ぎの練習がしたくてもできず、昭和の皇太子ご一家に比べると随分冷遇されていてお気の毒になります。プール改修に費用がかかるので皇太子ご夫妻が相当遠慮なさっていると思うのです(東宮御所のミニキッチンすら美智子皇后の反対にあってリフォームが許されないとのこと、プールなら尚更でしょう)。しかし、敬宮愛子様はそのような冷遇にもめげずに遠泳などもきちんとこなしてきました。

●(鶴見良行氏の件)<がんの手術をされて、そのあと、一時、回復されていたようですけれども、急に亡くなられたので驚きました。『ナマコの眼』のほかは、私の好きなのは『アジアの歩きかた』。あの方は、自分で歩いて確かめられたことをお書きになりました。それを、さらにすごい量の本、文献、資料を調べられ補われました。そういう姿勢が、私はとても好きでした> P29

●<ある仕事をするという時に、生物学的にだけ、それを調べる人もいれば、それの文化というか、民俗学的なことばかり調べる人もいる。私が思うにそのどちらかひとつというのは少し偏りがあり、両方の接点というものが、今から考えるとなにかを理解する上で非常に大事なのだ、ということを鶴見さんは言いたかったのではないだろうか> P32

●<鶴見良行さんと私が知り合いだと聞いて、びっくりされる人もいると聞きます。ただ、良行さんは、付き合う時にご自身の思想とか自分の皇室に対する考えをひとまず置いて個人としての私と話をしてくださいました。そして私と共通するアジアのことや仕事の進め方などを話されました。皇族と距離を置くということは全然、感じられなかった。それこそ私の周囲の研究者にしても、皆同じような考えだと思います> P34

鶴見氏の考えは分かりませんが(そこまで秋篠宮様を取り巻いていたという印象もないですし)、秋篠宮様のほかの「お取り巻き」たちは、皇族と距離を置くどころか、むしろ積極的に近づいて宮様と親しくなって、おいしい思いをしたいという人たちばかりに見えてしまいます。多紀保彦氏しかり、赤木攻氏しかり、そしてこの本を書いている江森敬治氏しかり。
純粋に秋篠宮様のお人柄に惹かれて親しくしているならいいですが、常に海外行きなどに同行して常に一緒にいる様子を見てしまうと、何かほかに目的があるのでは?と勘繰りたくなるのです。

(第一章終わり)

当主不在の“ブラック宮家” その1~秋篠宮家担当の皇宮警察の相次ぐ自死

秋篠宮家のパワハラ問題について、まずは週刊新潮2005月8月11・18日合併号の記事からご紹介したいと思います。
いきなり重いタイトルのもので恐縮ですが、なるべく時系列に沿って記事をご紹介した方が、秋篠宮家に潜む問題がずっと以前から続いているということがお分かりになるかと思いました。

「皇宮警察」また出た自殺者は「秋篠宮」担当

皇室の守護を目的とする皇宮警察。その本部に所属していた警視(58)が7月15日、自ら命を絶った。実はこの人、秋篠宮家の護衛を担当する侍衛官だったという。
昨年夏にも自殺者か出たというが、一体、皇宮警察で何か起きているのか。
亡くなったのは、護衛部の侍衛官、加藤達夫氏(仮名)だ。侍衛官とは、護衛部長の直轄で皇室警護の現地指揮をとるのが主な仕事。皇宮警察本部にはたった3人しかいない。天皇皇后両陛下、皇太子ご一家、秋篠宮家の下に各一人ずつ配置され、加藤氏は秋篠宮家を担当していた。お出かけの際には必ず身辺の警護にあたっていたというから、秋篠宮ご夫妻もさぞやお心を痛めていらっしゃるに違いない。
むろん、スキャンダルを極度に嫌う皇宮警察だけに、内部でも厳しい箝口令が敷かれているという。
皇宮警察の広報も、「自宅近くに車を止め、その中で縊死していました。原因については、全くわかりません」と言うだけだ。だが、
「昨年8月にも加藤の後輩が、首を吊って自殺しているんです」
と明かすのは、皇宮警察関係者のA氏だ。
「加藤氏と一緒に秋篠宮家の護衛にあたるのが、護衛部の護衛3課。自殺したのは、3課の高山弘(当時47)=仮名=という側衛官です。高山は、眞子さまや佳子さまをよく学習院に送り迎えしており、紀子さまの大のお気に入りだった。加藤は高山を直接の部下のように面倒を見ていました
もっとも、高山氏は私生活ではかなりいい加減だったという。
「大の女好きで、生活がハデでね。一千万単位の借金を作り、それか原因で白殺したんです。高山は私に“加藤さんに借金の保証人になってもらっている”と言っていた。もしかすると加藤は、高山の残した借金の返済を迫られていたのかもしれません」(同)
秋篠宮家担当の護衛官がたて続けに自殺するとは、尋常ではない。

皇宮警察関係者のB氏はこんな話をする。
「加藤さんを含め、護衛3課の3~4人が監察から調べられていました。少なくとも、加藤さんは7月11日に監察に呼ぱれています。
その直後、加藤さんは樵悴しきっていたといいますからね、金に関することで何らかの不正があったのではないでしようか」
やはり、監察に呼ばれたことと自殺には、何らかの因果関係がありそうだ。
そこで、皇宮警察の広報(前出)に間くと、
「11日に加藤氏は監察に呼ばれていません。監察としては、随時、様々な案件について調査を行っております。調査の過程で何らかのコメントをするのは、適当でないと考えます」と、微妙な言い方をする。

しかし、B氏はさらにこう話した。
「加藤さんが亡くなった前後に、護衛3課で監察に調べられていた警視が辞意を伝えています。表に出せないようなヤバイ話があるのは確実ですよ。これじゃ、秋篠宮家担当の護衛体制はガタガタじゃないですか。関いたロが塞がらない」
最後に、残された加藤氏の妻は涙ながらに語った。
「何故、こんなことになってしまったのか。理由もさっぱりわからず、それだけに残念でなりません。主人が監察に呼ぱれたことは聞いていましたが、内容については知りません。でも、そんなに弱い人ではないと思っていたのですが……」
皇宮警察がこんな体たらくでは、皇室も心もとない限りだろう。

(記事終わり)

上記記事は、あくまでも二人の皇宮警察は借金問題が原因で自殺をした、という方向で書かれてはいます。しかしその一方で、「表に出せないようなヤバイ話もある」という感じで、記事に書けないような恐ろしい噂もあるということも匂わせています。
遺族は「自殺の理由はさっぱり分からない」と答えており、遺族にも知らされていないような闇があるのではないかと思われます。
遺書はなかったのか、遺書は見つかったがその内容が明らかにされていないだけなのか、分からないこともあります。
ここまでくると「死人に口なし」で、本当は借金以外の理由があったのではないかと?という見方もできます。
そもそも警察の先輩後輩同士で、借金の保証人になるということがありうるのでしょうか?
仮にそういうことがあったとしても、なぜ二人とも死を選ぶしかなかったのか?


秋篠宮家担当になっていた皇宮警察が立て続けに二人も自殺を選ぶということ自体、非常に怖いものを感じます。
秋篠宮家という存在自体、何か関係しているのか、それともただの偶然か…
もちろん、上記記事だけでは「パワハラが関係している」と決め付けることはできませんが、言葉にできない不気味さを感じます。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その12~噂の真相によるより詳細な記事③

本日は「噂の真相」 1998年9月号『秋篠宮告白本でわかった皇室と宮内庁“暗闘の構図” 』の最終部分を引用させていただきます。

(記事続き)
今回の単行本の中で秋篠宮はタイ愛人問題を<捏造>と完全否定しているが、実をいうとこれもけっして無根拠な噂ではない。
前出の宮内庁OBがこう話す。
「本の中で、夜は研究仲間とホテルで懇談しているだけでそんな時間はないとあったが、この『研究仲間』というのが問題なんです。秋篠宮殿下はタイに行く際、ナマズ研究の師である多紀保彦・東京水産大学教授、タイ政治の専門家である赤木攻・大阪外大教授、それから今回の本の著者である江森氏ら個人的な取り巻きを必ずといっていいほど連れて行くんだが、朝から晩まで彼らが殿下を囲い込んで、大使館や宮内庁関係者から遠ざけてしまうんです。彼らが協力すれば、ホテルに女性を連れ込むことなど いとも簡単ですよ

しかも、秋篠宮はもうひとり、宮内庁にとって招かれざる人物をタイ旅行に必ず同行させている。
その人物とは、ソムチャイ・コシタポンというタイ人男性。
「コシタポン氏は殿下がはじめてタイを訪れて以来、ずっと現地ガイドとしてすべてのタイ旅行に同行しています。もちろん宮内庁やタイ政府が雇っているわけではなく、むしろ宮内庁は彼の存在に困っているんですが、殿下が勝手に呼んでしまうんです。殿下のプライベートでのスケジュールはすべて彼が仕切っていて、お忍びで色々な所に連れていったり、色々な人間に会わせているらしい。彼はタイの警察にも顔が利く地元ではかなりのヤリ手ですから・・・」(前出・宮内庁OB)
実際、89年の訪問で秋篠宮が一時的に行方不明になるという騒ぎがあったが、これもコシタポンが地元の警察に警備を依頼して、いわゆる「売春窟」に案内していたという事実が判明している。

▼引き払われていた隠しマンション

実は秋篠宮が紀子妃と結婚してから2、3年後、タイの女性が日本にやってきて、隠しマンションで密会しているという噂が流れたことがあった。しかも取材してみると、秋篠宮の姿が頻繁に目撃されているマンションがあったのだ。
この部屋は、渋谷区東1丁目にあるバブル絶頂期に建てられた「P」というマンションの1511号室。部屋の前には「アジア魚類研究会」という小さな表札がかかっていたが、いついっても人気はない。
だが、住民に 聞いてみるとこんな答えが帰ってきた。
「秋篠宮様の姿はたまにお見かけしますよ。それに秋篠宮様が来ると、SPの人が廊下に立っているのですぐわかります」
そしてこの部屋の借り主を調べてみると、なんと秋篠宮の側近であり、パノム博士の恩師でもある多紀教授だったのである。
しかも不可解なことに、本誌がこの事実を96年7月号で報じた少し後、この部屋は跡形もなく引き払われてしまっていた。

(記事終わり)

上記記事では詳細な実名や肩書まで出ていて、秋篠宮様がいつもだいたい同じ「お取り巻き」や「お仲間」を引き連れて好き勝手に行動している様子が改めてよく分かるというものです。例のソムチャイ氏も再登場ですが、この人物は宮内庁などからは良く思われていなかったとも書かれていますね。まあ、彼が一人で勝手に秋篠宮様のスケジュールを管理してしまうので当然ですが。

しかし、秋篠宮様は色々とフリーダムな方なのでそれにつけ入れられ「秋篠宮様は腐っても皇族だし、仲間に入れば色々とおこぼれに預かれそうだ」と民間人に利用されているだけにしか見えませんね。秋篠宮様ご本人は「自分は頼れるアニキ分」を気取っているつもりでも、取り巻き連中はそうは思っていないでしょう。
仮に秋篠宮様が皇族をやめた(皇籍離脱した)場合、ただの一般人となった“文仁さん”にどれくらいのお取り巻き連中が付いてくるでしょうか。

そして驚いたのが「噂の真相1996年号」で取り沙汰されていた「例のマンション」が、あの記事が出た後に引き払われていたこと。そして今回の記事ではそのマンションの名義が「多紀保彦教授」であることが暴露されています(前回の記事では名前は伏せられていた)。
「ここは秋篠宮様が愛人と密会しているマンションではないか?」という疑惑が出た途端に引き払うとは、分かりやすすぎではありませんか。本当に「アジア魚類研究会」のための部屋なら引き払う必要などないはずですし、堂々と「魚類研究」を続ければ良かったではありませんか。
この部屋で秋篠宮様と会っていた女性は、果たして誰だったのでしょうね。
タイの研究員か、それとも例の王女か、それともまだ表に出ていない別の第三者か…

秋篠宮様とタイの関係性ですが、平成28年8月にもテロが無ければタイに私的旅行(目的は明らかにされていません)に行く予定であったことを考えると、秋篠宮様とタイの関係はまだ続いているようです。表向きは「研究」となっていますが、それなら堂々と渡航目的を「研究」と言えばいいはず。なぜ目的を伏せる必要があるのでしょうか。

自分に都合の良いことを語りたい時は饒舌になるくせに、不都合なことには沈黙を決めたりごまかしたり、そこに触れるなといわんばかりの態度になる。秋篠宮ご一家にはそういう印象しかありません。

なお、1996年当時に生じた「秋篠宮様愛人疑惑」を2年後に蒸し返した形になるこの「噂の真相」記事ですが、この記事について宮内庁が抗議したという形跡はないような気がします。
新潮にはあれだけ執拗に謝罪と訂正を求めた宮内庁だったのに。
「川嶋教授の件に触れていなければ別に抗議しないよ」というのが、やはり宮内庁の本音だったということでしょうか?

皇室の中にあるパワハラ問題

豊田真由子議員の、秘書に対する暴言・脅迫問題が報じられましたが、豊田議員は以前から態度が尊大で言動も常軌を逸しており、秘書が次々に交代してきた(5年で100人!)という事情もあったようですね。そして豊田議員をかばうつもりだったのか、河村建夫元官房長官が「あんな男の議員はいっぱいいる」という失言をしてしまったとか。もしそれが事実なら、そのパワハラ議員の名前を全員出すべきだと思うのです。そして議員につく秘書など立場の弱い人々はボイスレコーダー必須という時代になるのでしょうか。自分の身は自分で守らなければならない厳しい世界、豊田議員の秘書の行動は勇気があり間違ったことはしていないと思うのです。

議員のパワハラ・暴言事件を耳にして、こういうブログを書いている立場として、私はまず秋篠宮家におけるパワハラ問題を思い出してしまいました。
特に紀子妃の態度に問題が多いのだとか。それに関する雑誌記事も多く、パワハラ内容も記事によって微妙な違いがあり、興味深く感じたものです。
「秋篠宮家に潜むパワハラ問題」についても、秋篠宮家の問題をあぶり出すためにいつかは当ブログでも記事を書いていく予定でおりましたが、豊田議員の件を踏まえて若干予定を前倒しにし、秋篠宮家のブラック体質をつまびらかにしていきたいと考えております。

江森氏の『秋篠宮さま』に関する内容と同時並行で(交互に記事を書いて)進めていく予定を考えています。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その11~噂の真相によるより詳細な記事②

引き続き、「噂の真相」 1998年9月号の 『秋篠宮告白本でわかった皇室と宮内庁“暗闘の構図” 』を引用させていただきます。

(記事続き)
実をいうと、このタイ愛人報道の情報源は他でもない、宮内庁内部だったのである。前出の宮内庁関係者が語る。
「今だから明かせるんですが、宮内庁の複数の職員が『週刊新潮』に情報を流していたんです。彼らはオクではなくオモテの人物で、宮内庁内部では具体的な名前も判明しています。名前はいえませんが、課長補佐クラスの人物も含まれています。『週刊新潮』に殿下と紀子妃が近所に聞こえるような声で大喧嘩をしていたというクダリがありましたが、あれだって、秋篠宮邸に隣接して宮内庁の職員住宅があるからわかることなんです」

そういえば、一連の報道に対する宮内庁の対応は不可解きわまりないものだった。まず騒動のキッカケとなった宮中晩餐会の件。秋篠宮欠席の理由をマスコミに追及された際、宮内庁は「意思を尊重し、熟慮の上、不本意ながら決めた」と暗に秋篠宮のわがままであることをほのめかす発表をしている。
愛人問題でも同様だ。『週刊新潮』がはじめてタイの愛人の存在を書いたのは96年4月だが、宮内庁はその後、2ヶ月もの間、何の抗議もしていないのだ。
こうして見ると、一連の秋篠宮批判報道に何らかの形で宮内庁の意思が働いていたのは間違いないだろう。そして、秋篠宮はこうした宮内庁の不可解な動きを知って、今回の単行本出版を決意した、そういうことのようだ。実際、秋篠宮は同書の中でもタイ愛人問題に触れ、こう断じている。

<(宮内庁が)報道発表の時に、変な発表をしてしまった。それが問題が大きくなったきっかけだと思われる>
 
前出の宮内庁関係者もこう語る。
「愛人報道の直後、秋篠宮殿下は江森さんら取り巻きの方々に宮内庁に反論したいと相談され、最初、『週刊ポスト』に『匿名の側近が代弁する秋篠宮の肉声反論』という記事を掲載したんです。その流れの中で、単行本も作ろうということになった。最初はもっと早く出す予定が慎重に表現をチェックしたりしているうちに、ここまでずれこんだということのようです」

ある宮内庁OBは苦り切った表情でこういう。
「宮内庁は秋篠宮殿下にはずっと手を焼いてきましたからね。とにかくわがままで、皇族としての自覚がまったくない。宮内庁の困りものなんですよ、殿下は」
たしかに秋篠宮のこれまでの行状は、皇族というイメージからは程遠いものだった。
学生時代はまったく勉強せず、成績はほとんど最下位。若いときから髭をたくわえ、ブランドものを身につけ、外車を乗り回す。一方、皇族の責務といわれる宮中儀式などはおざなりで、ブレスレットをつけて儀式に出席し、顰蹙を買ったこともある。

きわめつきは、紀子妃との結婚をめぐる経緯だろう。兄の皇太子がまだ 結婚していなかったこと、昭和天皇の喪が明けていない事情もあって、周囲から猛反対を受けるのだが、秋篠宮は「結婚を認めてくれないなら、皇族をやめる」とダダをこねて強行してしまったのである。
また「女好き」「プレイボーイ」を物語るエピソードにも事欠かない。
「独身時代、学友に『恋人は7人いる』と豪語した」「テニスサークルを作って、お気にいりの女子学生を次々に入れさせていた」「結婚後も学習院出身の女性と付き合っていた」等々・・・。

 (引用ここまで)

やはり予想通り、宮内庁は宮内庁で秋篠宮様の行状に長年手を焼いており、不満をため込みウンザリした気持ちでいたということが見えてきました。
もちろん、本来は自分らが守るべき皇族について、宮内庁職員がマスコミにあれこれ情報を流すことは正しいこととは思えません。今の時代でも、東宮ご一家が宮内庁からの悪意のリークによって理不尽に苦しめられてきていることを思うと、宮内庁のやり方が良いと言うことはできません。
本来であれば年配のベテランの側近が一言、「宮様、それはやってはなりませんよ」と毅然と注意するのが一番良いのでしょうが、秋篠宮様が素直に言うことを聞かないか、あるいは秋篠宮様とそこまで信頼関係を結んでいる職員が皆無だったのかもしれません。
そして上記記事でも述べられている通り、宮内庁は最初は「秋篠宮様批判記事」を完全にスルーしていたのです。しかし、例の「川嶋辰彦教授が御所に怒鳴り込みに訪れた」という新潮記事が出てようやく宮内庁は重い腰を上げて、新潮社に抗議をしました。宮内庁は秋篠宮様のためには動く気はなかったけれども、なぜか川嶋家のためには動いたのです。
しかし、この「宮内庁は川嶋教授の記事が出て初めて執拗な抗議行動に出た」という理由を、詳細に検討したメディアは見当たりませんでした。

一方、秋篠宮様は秋篠宮様で、江森氏の本の中でさんざん宮内庁に対する不満を述べているにもかかわらず「自分のバッシング記事の時には全然動いてくれなかったくせに、なぜ川嶋教授の記事が出て初めて抗議に出たんだよ」という肝心の部分での不満は一切述べていないようなのです。

この辺りは本当に不自然で謎が多いとしか言いようがないのですが、この頃から秋篠宮様は、川嶋辰彦氏を疎ましく思うよりは自分の味方に付けた方が何かと便宜があるという判断をしたような印象を受けるのです。
川嶋辰彦氏のツテをたどって江森氏に本を書かせたことに始まり、あらゆる場面で川嶋氏とタッグを組んでいこうという考えになっていったように見えてしまうのです。
川嶋氏も川嶋氏で、娘の紀子妃の今後の皇室内での立場を考えると、皇族である娘婿を敵視するよりは自分の都合の良いように“利用”していくことが得策だと考えたのではないでしょうか。

例の「火のない所に煙が立った」会見の後、秋篠宮様はお身内とお誕生日祝いをしたそうですが、そのお祝いの席にちゃっかり川嶋夫妻も参加していたということは以前ご紹介した文春記事に掲載されていました。↓

(1996年12月12日号文春記事より)
>ご会見の様子がテレビや新聞で報じられた11月30日の夜、御所では殿下の誕生日を祝う食事会が開かれた。
「秋篠宮ご夫妻に眞子さま、佳子さまを囲んで、天皇陛下と皇太子殿下のご夫妻、紀宮さま、加えて川嶋教授ご夫妻。記者会見のことなど話題にのぼらず、お子さまの成長ぶりなどに遅くまで話が弾んだようです」(宮内庁関係者)


おそらくこの「火のない所~」会見にも川嶋教授の思惑が絡んでいたのではないでしょうか。
「まあ、愛人疑惑の件はこれでさっぱり忘れて、
今 後 も 一 つ よ ろ し く 頼 み ま す よ 」

という川嶋教授の声が聞こえてきそうな感じがしませんか。そして秋篠宮様も、川嶋氏の持つ色々な「コネクション」を利用していこうという思惑が生まれ、それによって宮内庁も黙らせ、この辺りから秋篠宮家と川嶋家は一蓮托生になったように思うのです。

次回、「噂の真相」の記事の最終部分をご紹介いたします。
以前にご紹介したウワシン記事の「後日談」とも言うべき、興味深い内容が掲載されています。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その10~噂の真相によるより詳細な記事①

『秋篠宮さま』という宮様の肉声本について、あの「噂の真相」も記事にしていました。前回ご紹介した週刊現代に比べて長めの内容となっております。この「噂の真相」の記事を何回かに分けてご紹介させていただきたいと思います。

※今回、本当は違う雑誌記事をご紹介する予定でしたが、その雑誌記事の一部が欠けていたため、多少順序を変えて違う雑誌記事をご紹介することになりました。
今回掲載できなかった記事については、完全版を準備でき次第当ブログでご紹介したいと思います。何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。


噂の真相 1998年9月号
『秋篠宮告白本でわかった皇室と宮内庁“暗闘の構図” 』


▼宮内庁も寝耳に水の秋篠宮告白本

雅子妃懐妊の兆しもなければ、紀宮の結婚話も具体化しない。もはや、女性週刊誌に話題を提供する力さえなくしてしまったかに見える最近の皇室。だが、この「殿下」だけは例外のようだ。

2年前、タイ愛人問題で世間を騒がせたばかりの秋篠宮が、今度は単行本出版で話題を集めている。
6月29日、毎日新聞社から出版された『秋篠宮さま』は発売以降、増刷に増刷を重ね、1週間で10万部を突破。週刊誌やテレビもこぞってこの話題を取り上げた。
それも当然だろう。この単行本、表向きは同社の元宮内庁担当記者・江森敬治による秋篠宮論という体裁をとっているが、実際は秋篠宮自身の肉声が満載されている一種の「告白本」というべき内容なのである。

<私は昭和天皇というのが、別の世界にいる人のようなとらえ方をして おりました。自分でそうしていたのかもしれないですけれども同じ家族という感じでは、接してなかったです>

<学生時代に両親から『勉強しなさい』とよくいわれましたけど・・・ (笑う)。勉強が大嫌いでしたから>

<結婚してから何人かの友人に、ビヘービア(行動)が少しよくなった と言われます。 お行儀というか、主にアルコールの話です。家内は、 私の酒とたばこを大変、心配しております>

他にも小さい頃、現天皇に怒られて池に放り込まれた体験、紀宮をいじめていたという話、さらには学生時代、ベ平連のイデオローグだった故・ 鶴見良行教授と親交があったなど、興味深いエピソードが秋篠宮の口から 直接、次々と語られているのだ。そして皇族という自分自身の立場については、こんな感想まで登場するのだ。

<どこへ行くにも、下見をしたりとか必ず何人かついてきたりとか、それはやはり窮屈に思ったこともあります。そういう生活を、あなたやってごらんなさいと言われたら、十人中十人が窮屈だと思うでしょう>

しかし、この単行本がマスコミを仰天させたのはこうした微笑ましいエピソードや心境の吐露ということだけが理由ではなかった。同書の後半、秋篠宮はこんな発言をしていたのである。

<私の小さいころでも、内舎人とか侍従の接し方が、必ずしも適切ではない場合もあった。本人たちは一生懸命にやっていても、他人の子と接するわけで、どこかに感覚のズレみたいなものが出てくる。ことなかれということも、あったと思う>

<私は宮内庁が皇族の希望を制限しているとは思わないが、もっと気配りが必要だ。例えば、会社や学校だと顧客らや学生のニーズというものを考えてどうして売り上げを伸ばすのかなどと考える。宮内庁職員も皇族や国民のニーズにどのように答えていくか、そのあたりをもっと考えてもらいたい>

天皇家の一員がここまで露骨に、身内であるはずの宮内庁に不満をぶつけたというのは前代未聞ではないだろうか。
もちろん、秋篠宮は新聞記者の誘導尋問に乗せられてこんな勇ましい発言をしたわけではない。
版元の毎日新聞関係者が語る。
「著者の江森はたしかに宮内庁を担当していたことがありますが、スクープを狙うようなやり手記者ではないし、今は社会部からもはずされている存在。秋篠宮とは個人的な友人なんです。なんでも夫人が紀子妃の父親である川嶋(辰彦)教授の教え子だった縁で、秋篠宮と家族ぐるみの付き合いをしているらしい。今回の出版ももともとは秋篠宮自身が言い出したことであり、江森は秋篠宮に頼まれて書いたというのが真相です

(記事引用ここまで)

『秋篠宮様』を書いた江森敬治氏ですが、改めて申し上げる通り、紀子妃の実父である川嶋辰彦氏の教え子の夫ということで完全に秋篠宮ご夫妻寄りの人物です。上記記事では「秋篠宮様から出版を言い出した」とまで言及しており、秋篠宮様としては、ご自分の素行の件について雑誌に色々と書かれてしまったことがとにかく悔しかったのでしょう。懇意の人物を使ってご自分擁護のような本を出版させたということがますますハッキリしてきました。

昭和帝を「別の世界の人」とか「同じ家族という感じではなかった」と発言されたこと自体は、それだけ昭和帝が偉大で畏怖すべきご存在だったという解釈もできるように思います。しかし、秋篠宮家支持派が盛んに言っている「秋篠宮様は皇太子殿下より昭和帝に可愛がられていた!」という主張も、説得力がなくなりますね。秋篠宮様が本当に昭和帝から可愛がられていたら、祖父である昭和帝との距離もそこまで離れていると感じたこともなかったはずです。

「勉強が嫌いだった」という発言、週刊現代も取り上げていましたが、この辺は正直でいいのではないでしょうか。ただ、このように「勉強嫌い」と自らおっしゃっていた方が、ご自分をまるで研究者のように見せ、ハリボテ博士号を取得するために色々な手を使ったというのはどういう意図があるのでしょうか。「自分は勉強や学問に向いていないので学位など不要です」という態度の方がよほど好感度が上がったのに、この方はこういうズレた一貫性のない行動をとるのでどうしても不信感が拭えないのです。

「ベ平連のイデオローグだった故・ 鶴見良行教授と親交があった」とありますが、この点について『秋篠宮さま』から少し補足をさせていただきたいと思います。

>『水滸伝』がお好きだった宮さまだが、最近は、鶴見良行さんの本が好きなのだそうだ。『ナマコの眼』の著者の鶴見さんだ。
>鶴見さんについて、若干説明を加えておきたい。鶴見さんはベトナム反戦運動「ベ平連」活動に従事。アジア太平洋資料センターの設立と運営などに尽力した。特に、フィールドに密着してアジア、日本をとらえなおす研究に功績を残した。『ナマコの眼』や『バナナと日本人』などの著作で知られ、一九九四年十二月に死去した。
>宮さまは鶴見さんのアジアの大地を駆け巡る行動力と事実に即し民衆の視点から歴史や社会現象をとらえなおす学問の姿勢に魅了されたらしい。
>鶴見さんとの出会いは、一九八八年。当時、非常勤で学習院大学で中国語を教えていた原島春雄さん(故人)に宮さまが「鶴見さんにお会いしたい」と頼まれたという。原島さんは直接、鶴見さんとは面識がなかったようだが、なんとか連絡をつけてくれた。それで目白の飲み屋で一緒に酒を飲みながらいろいろな話をしたという。
>その時には、学習院女子短大教授(現、学習院女子大学教授)の高橋新太郎さんや東京水産大学教授(現、同大学名誉教授)の多紀保彦さんらも一緒だったという。
同じころ紀子さまも上智大学で鶴見さんの講義を数回、受けられたという。

秋篠宮様がどういう交友関係を持とうと、当時は「陛下の次男坊だし…」ということであまり関心は持たれていなかったかもしれません。秋篠宮様は、アジアなどを自分の足で歩き、自分の目で色々なものに接して確かめていく鶴見氏のライフワークのあり方が羨ましかったのかもしれません。秋篠宮様は皇族の中でもかなり自由気ままに過ごされているように見えますが、それでもまだご自分の置かれた環境に不満で「鶴見氏のようにもっと自由にあちこち動き回れたら…」という憧れがあったのでしょうか。
この方は、やはり皇籍離脱して民間人となった方が向いていたのでは?と思わずにはいられません。
秋篠宮様から何度も「皇族やめてやる」「皇籍離脱したい」という発言があった時、周囲は反対せずに「どうぞどうぞ」と背中を押して上げた方が良かったと改めて思うのです。
しかし、多紀保彦氏はここにも名前が出てきていますね。さすがお取り巻きという感じです。
紀子妃が上智大学で鶴見氏の講義を受けたことがあるという件ですが、まあ他大学の人が聴講生として講義を聞くことは別に構わないと思いますが、こういう情報を目にしてしまうと、鶴見氏のこともどうやら紀子妃の方が先に知っており秋篠宮様に「こんな人がいる」と紹介した?と思いたくなりますね。秋篠宮様は何だかんだいって、紀子妃や川嶋家の影響を色濃く受けていると思わずにはいられません。

しかし、鶴見氏の生き方に憧れたり、窮屈な生活を嫌がったり、秋篠宮様は本当に過剰警備というものがお嫌いな方なのでしょうね。次代「皇嗣」などという扱いになって警備が厚くなることは、秋篠宮様は本音では嫌がっていると想像します(警備を厚くしてもらいたいと思っているのはおそらく紀子妃の方)。

そして週刊現代でも触れた通り、秋篠宮様による宮内庁批判ともとれる件について「噂の真相」も触れています。
次回ページを改めて引用させて頂きたいと思います。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その9~ご自分のことは棚に上げて…

秋篠宮様が妻の紀子妃のツテを利用して書かせた本『秋篠宮さま』。その著書についての雑誌記事として、まず週刊現代1998年7月18日号を取り上げさせていただきます。

大反響!秋篠宮が“肉声本”で「宮内庁批判」

<どこへ行くにも、下見をしたりとか必ず何人かついてきたりとか、それはやはり窮屈に思ったこともあります。そういう生活を、あなたやってごらんなさいと言われたら、十人中十人が窮屈だと思うでしょう>
<今度、生まれてくるとしたらなにに生まれたいか、ですか?生まれてくるとしたら、動物がいいな。人間でなくて…例えば?ヒツジがいいかもしれない。ヒツジになってひねもすのんびりと草をはんで>

こんな秋篠宮の肉声が満載された本が、大反響を呼んでいる。6月29日に出版された『秋篠宮さま』(毎日新聞社刊)がそれだ。初版5万部を刷ったがまたたく間に2万部の増刷を決定したというから、ベストセラーになる勢いだ。
皇族のなかでも“異端児”といわれた三笠宮寛仁殿下は別格として、皇族でこれほど自分で思ったままをさらけ出したケースはない。
この注目の本を書いたのは、毎日新聞社の企画事業部副部長・江森敬治氏(42歳)。早稲田大学を卒業して、80年に毎日新聞に入社。京都支局などを経て、91年から3年間、宮内庁取材を担当した。
「江森氏の奥さんは秋篠宮妃・紀子様の父親である学習院大の川嶋辰彦教授の教え子なんですよ。奥さんは川嶋家に頻繁に出入りして、紀子様とも非常に仲がよかった。江森氏も川嶋家とは家族ぐるみのつき合いをするようになった。他の宮内庁記者では単独に秋篠宮にインタビューなどできません。江森氏は、殿下の海外旅行に同行したりして、折に触れて話を聞いています」(ある宮内庁記者)

生々しいエピソードが随所に盛りこまれた秋篠宮の肉声を紹介しよう。たとえば、殿下が小学校低学年の頃の父・天皇との思い出だ。
<冬、私がペットにしていたテンジクネズミを、私が池で泳ぐかと思って泳がしました。そうしたら心臓マヒを起こして死んでしまいました。ちょうどその時に父が、そこを通りかかりました。「何をしているんだ」と。「泳がしたら死んじゃった」と私が言ったのです。そうしたら次の瞬間、私は池の中にほうりこまれていました>
どうも勉強は、好きでなかったと殿下は告白する。
<学生時代に両親から『勉強しなさい』とよくいわれましたけれど…(笑う)。勉強が大嫌いでしたから>
89年1月7日の、昭和天皇の崩御にも触れられている。
<いちばん印象に残っているのは、ピーッと鳴った時でした(心臓が停止された時)。最後にお話をしたのは、八八年の十一月でしょうか。十二月の時にはもう話ができなかったですから>
紀子様との結婚生活についても、<家内は、私の酒とたばこを大変、心配しております。アルコールのほうも、今はそんなに、飲まなくなりました>とか、
<料理はしません。(中略)掃除はやりますけれども>と、あっけらかんと語っているのである。

◆鎌倉長官に対する強い不満が長々と

宮内庁関係者が驚いたのは、この本に出てくる、秋篠宮の宮内庁に対するストレートな批判である。96年4月、秋篠宮のタイでのナマズの調査旅行の日程と、クリントン米大統領の宮中晩餐会のスケジュールが重なった。その結果、秋篠宮は晩餐会を欠席。マスコミに「重要な公務を欠席した」といった論調で報道されたのは、記憶に新しい。
この点について江森氏は、宮内庁がマスコミに対して、調査旅行の意義などを十分に説明しなかったのが問題だったのではないかと指摘。秋篠宮が、二人の知人に語ったという言葉を紹介している。
<宮内庁が発表した内容に『熟慮の末、宮内庁としては不本意ながらうんぬん』というのを出している。しかし、これはおかしい。
私は、事前に宮内庁長官に相談したが、問題なしとの返事だった。私がタイに行くことに対して異論はなかった。その時、長官に、例えば同じようなケースが今後、起こり得るかもしれないが、その場合に外国とか事前に決まっている日程をやめてまでも、どうしても宮中の行事に出なければいけないのかと尋ねたら、『そんな必要はない』と言われた>
この宮内庁長官とは、元警視総監の鎌倉節氏である。96年1月に前任者の藤森昭一氏からバトンタッチして長官に就任したのだが、鎌倉長官になってから皇族の情報が表に出てこなくなり、宮内庁記者たちの評判は芳しくないのだ。
また、秋篠宮は宮内庁の職員への不信感も隠さない。
<私の小さいころでも、内舎人(天皇家の男子皇族の世話をする男性職員)とか侍従の接し方が、必ずしも適切でない場合もあった>
江森氏によれば、宮内庁の職員は何をするにも、「殿下のため」という大義名分をもちだすという。そして、秋篠宮のこんな思い切ったコメントを紹介している。
<私は宮内庁が皇族の希望を制限しているとは思わないが、もっと気配りが必要だ。例えば、会社や学校だと顧客らや学生のニーズを考えてどうして売り上げを伸ばすのかなどと考える。宮内庁職員も皇族や国民のニーズにどのように応えていくか、そのあたりをもっと考えてもらいたい>

◆宮内庁サイドはどう答える

さて、では、これほど明確に批判されている宮内庁は、この本の出版にクレームはつけなかったのだろうか。
江森氏に代わって、毎日新聞社・第一図書編集部の北村肇部長が「まったくクレームも削除もなかった」とこう説明する。
「6月22日に見本刷りを持って行くまでは、宮内庁は本の中身について知らなかったはずです。宮様が宮内庁批判をしていると取られかねない箇所がありますが、それについても、表向きは宮内庁からのクレームはありませんでした」
宮内庁が、時代錯誤ともいえる秘密主義に陥っているという批判は、宮内庁詰めの記者からも噴出している。
「宮内庁サイドは、雅子妃に気を遣い過ぎているという声がある。雅子妃の“ご懐妊はいつか”などという記事が女性誌などで頻繁に取り上げられていましたが、宮内庁は報道に過剰反応している。今年、秋篠宮の長女が学習院の初等科に入学して、両親揃って入学式にお出になった。最近の皇室では唯一おめでたい話なのに、雅子妃に遠慮してか、入学式にまつわるエピソードなどの情報はほとんど出されていない」(前出・宮内庁記者)

では、この本について当の宮内庁はどう考えているのか。以下、宮内庁報道室との一問一答である。
―「事前にゲラのチェックをしたのでは?
宮様から事前に、本についての相談はありませんでした。ゲラのチェックとかいうことはまったくありません」
―本の中に宮内庁批判と取れる箇所があるが、宮内庁はどう受け止めるのか。
「ああ、158~159ページ(前出・タイ旅行へのマスコミへの説明付則に関する部分)ですね。行事の日程は、宮様のご都合もあることなので、なるべく早い時点でご連絡申し上げています」
―宮内庁批判のことを聞いているんです。
「もう一度、聞いてきます」(と言い、10分もたってやっと回答してきた)
「まだ全部を通して読んでいない段階なので、ご指摘の箇所について宮内庁批判なのかそうでないのか、今の段階では何とも答えられません」
こんな調子だから、秋篠宮に批判されるのだ。そのことに、宮内庁は早く気づくべきだろう。

(記事終わり)

秋篠宮様は当時、宮内庁に相当の不満をお持ちでいたようですね。そして、どこへ行くにも職員やSPがついてくる生活が窮屈で、嫌になるとも。そして生まれ変わるなら「一日のんびり草をはむヒツジ」になりたいと。
私は上記記事を読んで「ふざけるな!!」と叫びたい気持ちになりましたよ。

確かに宮内庁にも旧態依然とした点や融通が利かない側面はあるでしょう。お役所仕事しかできない宮内庁に非がないとは言いません。
※上記記事で名前が出ている鎌倉長官(当時)は、「まず子作りを優先させるべき」という方針で、雅子様が海外に行かれることを阻止した(雅子様宛てに来ていた海外からの招待状を取り上げてほかの皇族を海外に行かせた)という事実もある人物であり、到底擁護することはできません。

しかし、宮内庁サイドにも落ち度があるのは事実だとしても、ご自分の自由気ままで好き勝手な振る舞いを棚に上げて一方的に宮内庁に不満をタラタラ述べる秋篠宮様の態度にはムカッときました。
職員やSPが鬱陶しいから急にスケジュールを変更して勝手に振る舞って周囲を慌てさせても許してくれと?
今上陛下の次男坊という立場で、皇太子殿下に比べてはるかにお気楽な立場なのに「ヒツジになってひねもすのんびりしたいな~」ですと?
皇族というある意味特権階級にいて、周囲が「宮様、宮様」と気遣いしてくれる環境なのに、「宮内庁はもっと皇族であるオレに気遣え、オレのニーズに応えろ」だって?
そしてそういう不満をわざわざ本にして出版してもらうために、妻の紀子妃の実家である川嶋家と懇意にしていた人物に白羽の矢を立ててご自分の肉声をタンマリ国民に聞かせようとしたと?

私は思いました。
「秋篠宮様、本当に皇籍離脱して一般人になればよかったのに」と。

皇太子殿下は、職員やSPが始終ついてくる窮屈な生活にも、全く不満をおっしゃったことなどありません。
弟の秋篠宮様よりもずっと自由が少ない、制約の多い生活をなさってきたにもかかわらず、
「私はイギリスでの留学期間に十分に自由を味わいました」と穏やかにおっしゃっていました。
宮内庁の対応に不平不満を漏らしたことなどもちろんありません。
ご自分や雅子様のご実家のツテを頼って、ご自分の肉声を詰めた本を出版させるようなことも当然なさらない。
常にご自分の言動に慎重に気を配られ、周囲に影響を及ぼすようなことは一切避けていらっしゃる。

秋篠宮様は、愛人の噂を流されたことや、タイへ私的に出かけたことを咎められたことに「どうしてオレばっかり」という感じでたいそう不満を抱いていたようですが、要するに日頃の行いが悪すぎて、周囲から信用されていなかった証拠だとしか思えませんね。
我儘でお気楽で自由気ままで奔放で忍耐力がなくてないものねだりで。
宮内庁やSPだって、いくら職務といえどもこんな方を皇族として守り、気遣い、何をされてもじっと我慢しなければならないのですから、相当ストレスがたまっていたことでしょう。彼らは彼らで、秋篠宮様に相当の不満があったと思います。

秋篠宮様が宮内庁に不満を抱いていた一方で、宮内庁もまた秋篠宮様に不満を抱いていたのは確実だと思われます。

本来なら、立場が上である皇族の方が下々の人間に配慮し労いの言葉をかけたりしてもよいところを、秋篠宮様はそういう気が全くなかったということでしょうか。
オレは窮屈だ、オレにもっと気を遣え、オレのニーズを聞け、では、下々の人間は誰も付いて行きたくなくなります。

そして私が上記雑誌記事で更にカチンときたのは、
「宮内庁が雅子様に気を遣いすぎる」
「眞子様の初等科入学があったのに雅子様に遠慮して情報をあまり出せなかった」

と書かれた部分です。

この頃から、秋篠宮ご夫妻は雅子様に対しても不満を抱いていたということでしょうか。
そしてお得意の「私たちは遠慮している!」アピール。

仮にそういう遠慮をしていたとしても、それをアピールせずに黙っていればよいものを。
まあ私自身は、眞子様の初等科入学が話題にならなかったのは、秋篠宮ご一家に対する国民の関心が薄れていたせいにすぎないと思っていますが。
それを雅子様のせいにしようとする思考が本当に許し難いのです。
「宮内庁は皇族のニーズに応えるべき」と言うなら、ご懐妊の期待によるプレッシャーにさらされていた皇太子妃に対する気遣いこそ、第一にしなければいけないはずではないでしょうか?
秋篠宮ご一家など後回しでよろしいですよ。


しかし、秋篠宮様が肉声本を出したことに対し、意外な方が快く思っていなかったというお話も出ていたようです。
次回はその記事をご紹介したいと思います。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その8~川嶋家のツテを利用して“称賛本”を執筆してもらった秋篠宮様

1998年6月、毎日新聞社から一冊の本が出版されました。
江森敬治氏が執筆した『秋篠宮さま』という本です。
後でまた改めて取り上げますが、江森氏は川嶋辰彦教授の教え子であった女性の夫という立場の人です。

この本は、以下の目次で構成され、内容は全体的に「秋篠宮様称賛」という形をとっています。

はじめに
第一章 生い立ち
第二章 家族の思い出
第三章 結婚前夜
第四章 研究生活
第五章 外国との交流
第六章 報道不信
第七章 宮内庁への提言
あとがき 秋篠宮さまと私


1996年は「秋篠宮様批判」が吹き荒れていた時期でありましたが、同年の会見を経て秋篠宮様に関する報道は影をひそめたように思えます。1997年以降は雅子様のご活躍やご懐妊の可能性の件などの方が話題になっており、秋篠宮ご夫妻の存在感がかなり薄くなっていた時代でもあったと思います。その前に眞子様・佳子様のご誕生などもありましたが、そこまで国民の関心を引きつけるような大きな話題にはなりませんでした。

この本は当時そこそこ売れたという情報もありますが、当時学生だった私はこの本についてはほとんど記憶がありませんし、この本によって国民からの秋篠宮様への評価がどう変わったのか(あるいは変わらなかったのか)もまったく分かりません。
そもそも、なぜ「火のない所に煙」会見から2年もたってこのような本を出したのか、その意図も色々勘繰ってしまうのです。「ご懐妊の期待報道に悩んでいた皇太子妃をマスコミから守るためにマスコミの矛先を自分たちの方に向けるように仕向けた」という美談があるなら少しは見直すのですが、現在における東宮ご一家と秋篠宮ご一家の関係性を見ると、おそらくそういう殊勝な理由ではないと思いますね。
むしろ逆に世間が雅子様の話題ばかりになったことが面白くないので国民の視線をご自分たちの方に向けさせようとした?という印象です。執筆者にわざわざ川嶋家の関係者を選んでいる辺り後者の意図がうかがえ、そして妻の紀子妃の意向も存分に入っているだろうということもうかがえます。

1998年当時、いくつかの雑誌が『秋篠宮さま』に関する記事を出しているので、次回以降雑誌記事を引用させて頂くとともに、雑誌に取り上げられなかった秋篠宮様の「肉声」で興味深いものがあれば順次取り上げていきたいと思います。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その7~あくまでも抗った新潮、宮内庁サイドに迎合した文春④

今回も引き続き、
1996年12月12日号 週刊文春 「紀子さま同席で語られた秋篠宮『タイの愛人』問題」 前代未聞「火のない所に煙」会見
の後半部分を引用させていただきます。

◆お心を痛められた紀子さま

宮内庁は半年の間、執拗に訂正を求め続けた。しかもその働きかけは、最初が総務課長と報道室長から編集長へ、二度目が次長から副社長へ、さらに長官から常務へ、と次第にレベルを上げているのだ。しかし新潮社側は一貫して、「訂正はしない」。
誕生日会見が行われたのは、そんなやり取りの直後だったのである。
「殿下には、記者クラブから事前に提出される質問のどれに答え、どれに答えないかという最終決定権があります。女性問題については、この機会に自らの言葉で話しておきたいというお気持ちが強かったのでしょう。皇族方がご自分のお言葉で話される機会はお誕生日会見しかないので、記事が出てから半年後になってしまったのは仕方ないこと。
一方、宮内庁には、自らの抗議ではラチが明かないため、殿下のお言葉を借りようという狙いがあった。
日頃、“宮内庁の広報”とまで揶揄される記者クラブにも、『この件だけは聞いておかなければ、どう批判されるかわからない』というプライドが働いた。
三者の思惑がうまく噛みあって、あのやり取りが実現したのだと思います」(元宮内庁担当記者)

今回、宮内庁記者クラブから出された質問は、四つあった。
まず、今年一年で印象に残ったことは何か。
二番目は、眞子さま佳子さまお二人の内親王の教育について。この問いには主に、紀子さまがお答えになった。
四番目は、国立総合研究大学院大学から博士号を受けられたことについて。
問題の質問は、三番目である。晩餐会欠席に批判が出たこと、宮内庁が抗議している一部週刊誌の報道や、今後の公務と私用の兼ね合いをどう考えるか、お尋ねしたものだった。
殿下はまず、晩餐会欠席の件について、説明された。天皇陛下や宮内庁の了解をとっていたこと。一年延期した上、タイ政府を始め、多くの人たちが半年以上前から準備していたという事情があったこと。公務と私用の兼ね合いについては、
「公務を優先させるべき」
とした上で、
「宮中行事は、全皇族の日程を考慮して決められてはいません。皇族全体を対象としたものと、特定の皇族に限定して行われる行事がぶつかった場合、後者を優先させるほうがいいのではないかと思います」
とお答えになった。そのあとで『週刊新潮』の記事に触れ、
「宮中晩餐を欠席してタイに行ったことの是非についての記事であれば、議論は大切だと思います」
と述べられて、
「女性問題は根も葉もないこと」
と続けられたのだ。紀子さまはその間、お隣で小さく頷いておられた。
「一連の報道でお心を痛められたのは、むしろ紀子さまではないでしょうか。不仲とまで書かれたわけですから。会見のお姿も、少し窶(やつ)れられたような印象を受けました」
と、川嶋家の知人は言う。
ご会見の様子がテレビや新聞で報じられた11月30日の夜、御所では殿下の誕生日を祝う食事会が開かれた。
「秋篠宮ご夫妻に眞子さま、佳子さまを囲んで、天皇陛下と皇太子殿下のご夫妻、紀宮さま、加えて川嶋教授ご夫妻。記者会見のことなど話題にのぼらず、お子さまの成長ぶりなどに遅くまで話が弾んだようです」(宮内庁関係者)

◆愛人と目された女性も困惑

とはいえ、問題の女性が実在するのかしないのか、やはり気になるところではある。『週刊新潮』側はもちろん、
「報じた内容は間違いない」(松田編集長)
という立場。
これに対し多紀名誉教授(前出)は「ありえない」と断言する。
「お相手と目されている女性は、半分は私の教え子のような研究者です。夫のある身ですし、彼女もとても困っているんです」
4月のタイ行きに同行した、別の研究者の証言。
「あのころ宮さまと、『きちんと文書で反論しようか』と話し合いもしました。しかしそれをやれば、かえって騒ぎが大きくなると考えて、やめたんです。
結果として、今回ご自分の言葉で話されたことは正解でしたね」
会見の評判は概ね良好だ。
宮内庁関係者の話。
「20分の予定の会見が、40分に延びました。和やかな雰囲気でしたが、あそこまで踏み込んでしっかりしたお答えがあるとは、記者たちも考えていなかったようですよ」
皇室評論家の岸田英夫氏は、こう感想を述べる。
「美智子皇后や雅子妃のように記者の質問に文書で答えるのではなく、記者たちを前にご自分の考えを述べられたのはとてもよかった。出版社に対しての直接の抗議であり、しっかり対応できない宮内庁への批判にもなっていました」
当の『週刊新潮』松田編集長も、殿下がご自分の言葉でお話になった点には意義を認める。
「ほとんどの役所が情報公開を進めている中、宮内庁だけが時代の流れに逆らっている。殿下ご本人があのようにお話になるのはこれまでんかったことで、国民の知る権利を満たすし、歓迎すべきことです」
紆余曲折あるにせよ、今度の騒ぎが「開かれた皇室」に向かう動きのひとつだとすれば、国民にとっては喜ぶべき傾向に違いない。
来たる9日は、皇太子妃・雅子さまのお誕生日。こうした流れを受けてかどうか、どうやらご成婚以来初めての単独会見が実現しそうな運びとなった。皇室の歴史からいえば、これまた異例中の異例だそうである。


(記事終わり)

文春の記事全体を一読してみると、自分たちの記事にプライドを持って最後まで抵抗していた新潮に比べると、宮内庁にはチクリと言えても、秋篠宮様・川嶋家サイドには完全に迎合した印象が拭えません。あの「火のない所に煙」会見を「好評だった」と称してしまう辺り、文春は詰めが甘いと言わざるをえません。

文春はせめて「秋篠宮様単独の愛人疑惑報道がなされた時」ではなく、「川嶋教授の御所訪問が取り上げられた途端」になぜか抗議行動に移った宮内庁の不自然な態度に疑問を呈することくらいはしてもよかったと思います。どう考えても、川嶋教授の件が出てきた途端に半年にわたって担当者のクラス(レベル)を上げながら執拗に抗議と訂正要求を続けた宮内庁の態度は、おかしすぎますから。これは宮内庁が誰か(どこか)から執拗にけしかけられて、新潮が謝罪・訂正をするまで抗議を続けるように命令されたからとしか思えないのです。まるで宮内庁の背後に圧力団体がいるような印象を受けてしまいます。

秋篠宮様ご本人も「前から機会があれば自分の言葉で反論したい」と述べていらっしゃったようなので、お誕生日会見を使ってご自分の言いたいことを通すことができて、さぞご満足だったのではないでしょうか。そして前から薄々分かってはいましたが、皇族のお誕生日会見では「記者クラブから事前に提出される質問のどれに答え、どれに答えないかという最終的な決定権がある」とのこと。昨年の秋篠宮様のお誕生日会見で紀子妃と悠仁様の乗られた車が追突事故を起こした件について完全にスルーされていたことは記憶に新しいですが、「あの事故のことは一切しゃべらないし質問もさせない」という決定権を秋篠宮様(と紀子妃)がお持ちでいらっしゃったということですね。自分たちの方が加害者側になったということを蒸し返されるのがそんなに不都合だったというのでしょうか。どうせなら紀子妃自らが夫の誕生日会見で「私たちにもっと警備がついていれば、あの追突事故は防げたと思います。私たちにもっと警備を増やしていただけると有り難いのですが」と正直に話せばよかったのに、と思います。でもそれは国民からの反発が予想されるからできなかったんですね。

話はそれましたが、秋篠宮様は「愛人」の件については事実無根だと反論しています。しかし、そのほかの批判要素については、自分に不都合なことなのかスルーしたままというのが気になります。
秋篠宮様が批判されていたことは、何も愛人疑惑のことだけではありません。

大使館員を煙に巻いて、スケジュールを突然変更して勝手に気ままに行動してしまうこと。
社会見学と称してソープランドに行ってしまったこと。
珍しいナマズなどの生き物を持ち帰ると言ってきかないこと。
タイにはいつもお気に入りの取り巻き連中(民間人)を引き連れていること。


これらも秋篠宮様を批判する要素として雑誌に挙げられていましたが、これらについては秋篠宮様も記者もスルーなのは卑怯という感じがします。

それに、愛人として噂された相手は、文春が挙げていた女性(同じ研究所の既婚女性)だけではありません。秋篠宮様や文春が明確に否定しているのはその研究者の女性についてだけですが、「ほかにも噂になっている女性は複数いた」という証言が挙がっていることについては、秋篠宮様はうまくスルーしているように見えてしまうのです。

当ブログでも以前取り上げさせていただいた「噂の真相 1996年7月号」は、3人の女性を挙げていました。
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-4.html

一人目:タイ外務省の東アジア課につとめる女性
二人目:タイ前国王(プミポン)の末娘であるチュラポン王女
三人目:カセサート大学付属水産研究所の女性研究員


秋篠宮様や文春が否定している女性研究員と、噂の真相が挙げていた三人目の女性研究員が同一人物であるかどうかは定かではありませんが、秋篠宮様は一人目と二人目の噂についてはスルーしているように思うのです。
噂の真相は特に二人目の王女の一件を問題視し、「これが事実であるなら外交問題に発展しかねないような大スキャンダル」「チュラポン王女は秋篠宮ご夫妻の結婚式にも強引に出席を要求してきた」と書いています。
皇族の結婚式には海外からの来賓は呼ばないという方針であったにもかかわらず、チュラポン王女が秋篠宮ご夫妻の結婚式のために来日をごり押しし、式にも無理やり出席したという一件は事実のようですが「なぜそこまでのことが例外的に許されたのか」ということの理由は、未だに判明していません。

しかし残念なことに秋篠宮様ご本人が愛人の一件を会見で否定・反論したことが転機となり、「秋篠宮様の愛人疑惑の件はこれ以上取り上げることができなくなった」という風潮がマスコミに漂うことになったのでしょう。
後で当ブログでも取り上げる予定ですが、宝島本社と文藝春秋社長宅に銃弾が撃ち込まれた事件(1993年)のようなことを再びされては困る、という恐怖もあったでしょうね。

そして秋篠宮様の逆襲は、この会見だけにとどまることはありませんでした。
その後(1998年)、秋篠宮様の肉声を詰め込んだ『秋篠宮さま』(毎日新聞社)という一冊の本が出版されることになりました。

次回以降、この『秋篠宮さま』の件を取り上げていきたいと思います。
プロフィール

キリアキ管理人

Author:キリアキ管理人
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR