『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 7

江森氏の著書『秋篠宮さま』の宮様の肉声紹介編は、今回が最終回になります。
この後は、肉声以外で気になった江森氏の見解や、以前ご紹介しようと思いできなかった関連雑誌記事のご紹介などを続けさせていただきたいと思います。

第七章 宮内庁への提言・あとがき

<私の小さいころでも、内舎人(うどねり―天皇家の男子皇族の世話をする男性職員)とか侍従の接し方が、必ずしも適切でない場合もあった。本人たちは一生懸命にやっていても、他人の子と接するわけで、どこかに感覚のズレみたいなものが出てくる。ことなかれということも、あったと思う。
もちろん、彼らは私と遊んだり叱ったりはするが、やっぱり親のそれとは大分、違うような感じがした。
体験に基づいた話では、例えば、私が、動物園に行きたいと侍従なりに話すと、彼らは、動物園のような場所をレジャー施設としか考えていないので、動物園になかなか行かせてくれない。そういう年代の人たちだから仕方がないけれど、今は動物園は児童や生徒の学習の場所と認識されている。
あのころに、もう少し頻繁に動物園などに行っていればよかったと思う。当時の侍従や内舎人たちは学校のテキストを見てることだけがお勉強みたいな感じでとらえていた。そういう意味では、もう少し配慮が必要だったと思う> P176~177


上記の発言や、以前にご紹介した家族に関する秋篠宮様の肉声を見てみると、宮様には相当「親に甘えたい」という感情が見え隠れしているように感じてしまいました。昭和帝やダイアナ妃に対する冷淡な感情とは違い、ご両親である天皇皇后両陛下には「ファザコン・マザコン」とも似たような感情があるように思えます。「授業参観は親に来てほしかった」とか、「職員はやはり親とは違う、しょせん自分は彼らにとって他人の子だし」とか、「両親じゃないとイヤだ」という幼い感情がしょっちゅう見えているのが個人的に気になりました。
しかし、本当に親に甘えたくてもできなかったのは、むしろお兄様である皇太子殿下だったのではないでしょうか。それでも皇太子殿下は弟宮のように「父が~母が~」と甘えたことは一切おっしゃらなかったように思うのです。
本当にご両親に甘えられなかった皇太子殿下が黙って耐え、実際は親に甘やかされて好きなことばかりをして育ってきた弟宮が口を開けば「父が~母が~親が~」ばかりというこの現実…秋篠宮様はどちらかというと親子関係も飄々としているというかドライなイメージがあったので、ここまで甘ったれた男性だとは思ってもみませんでした。
それにしても、秋篠宮様が大人になっても「動物園・水族館好き」でいる異様さは、幼少の頃に動物園などに行かせてもらえなかったことへの反動だったのでしょうか。宮様は「僕にとっては動物園などに行くことも“仕事”のようなものですから」と言っていたようですが、幼少時代についても「動物園は“学びの場”なんだよ!」と言っているのですね…私たち国民は動物園・水族館に行くことは単なる“娯楽”としか捉えることができませんが、宮様にとっては“仕事の場・学びの場”になるのですね。プロの研究者でもないのに、こういう考え方は違和感があります。ただ単に「遊びで行く」となると格好がつかないので、仕事や学習だと言い訳をくっつけて出かけたいだけなのでは?としか思えません。
当ブログでも秋篠宮様の過去の公務を検討する場を設けたいと考えていますが、秋篠宮様はこうやって“娯楽”にすぎない動物園・水族館行きを「公務」にしてしまっているケースが非常に多いのです。これで「自分は一生懸命コウムに励んでおります」と言われても困惑するしかありません。

<私は宮内庁が皇族の希望を制限しているとは思わないが、もっと気配りが必要だ。例えば、会社や学校だと顧客らや学生のニーズというものを考えてどうして売り上げを伸ばすのかなどと考える。宮内庁職員も皇族や国民のニーズにどのように応えていくか、そのあたりをもっと考えてもらいたい> P179

この肉声は以前詳細にツッコミを入れたので今回は省略しますが、「皇族のニーズ」に答えろといいながら、秋篠宮様は一度も雅子様をかばわれたことがありませんね。「皇太子妃は元外交官で語学にも堪能だし国際感覚も優れているから、もっと海外に行かせてあげることが皇太子妃と国民のニーズに応えることになる」という発言を聞いたことは一切ありません。しょせん、ご自分のニーズだけしか考えていないということでしょうか。

<しかし、皇室に対して無関心な人に無理に関心を持たせるというのは、私の考えと違います。その時、その世代の人が関心があれば関心があるでいいし、関心がないのなら、私は、それはそれで一つの社会現象ではないかと思います。それを無理やりに関心を持たせるようにするというのは、ちょっと自然体ではないような、パフォーマンス的な感じもします。
九六年に、宮内庁記者団が、国民の皇室への関心ということで質問したことに対し、母は、常に国民の関心の対象となっているというよりも、国の大切な折々にこの国に皇室があってよかったと、国民が心から安堵し喜ぶことの出来る皇室でありたい、と答えています。さらに皇室側からどのような努力が必要だろうか、との問いに対しては、国民の関心の有無ということも決して無視してはならないことだけれど、皇室としての努力は、あくまでも自分たちの日々の在り方や仕事により、国民に信頼される皇室の維持のために払わなくてはならないと考える、という意味のことを答えています。関心を得るために努力するのではないというのですね。父と母はずっとこうしてつとめてきたんだと、改めて思いました。
確かに、宮内庁から国民への情報量は限られていると思います。宮内庁の制度でも、報道室というのはありますけれど、広報室というのはない。報道室というのは、取材などがある時に対処すればよいわけですが広報となると、日ごろから活動しなくてはいけない。
私は宮内庁にホームページを作ってもらいたい。ほとんどの省庁にホームページがあるでしょう。昔から伝わっている雅楽とか、舞楽、馬の話でもいいし、そういう文化的なことをホームページを作って出してもいいと思います。
いろいろな皇族が出かける先に一人くらい宮内庁職員を派遣して、その様子を紹介してみるのもいいと思う。宮内庁もアドレスをつけておけば、いろいろな意見だとかが入ってくるのではないでしょうか> P180~181


「国民に関心を持たせるために皇族がパフォーマンス的なことを行ってはならない」…この言葉、私が一番向けたいお相手は、美智子皇后陛下ですね。美智子様の言動からは少しパフォーマンス的なにおいを感じてしまうことがあるためです。そして美智子様を真似してきたとされる紀子妃も、美智子様ほどではありませんがやはりパフォーマンス的においを感じてしまいます。しかし秋篠宮様は、美智子様はそれとは真逆にいる方だと評価しているようで違和感を覚えます。ここでも「父が~母が~」と言っているのですね。秋篠宮様がここまでご両親をリスペクト(?)してご両親に甘えたいと感じているとは思わず、肉声を拾っていてゲンナリしてきたところではあります。
そして「宮内庁HPを作るべき」と提案したのが実は秋篠宮様であったという意外な事実が…。この提案自体は良いことではあると思いますが、そのせいでしょうか、宮内庁HPは一貫して秋篠宮ご一家に関する情報を手厚く掲載しすぎ、ほかの宮家をないがしろにしたり、雅子様が大活躍していた時代の情報を一切掲載させなかったり、逆に秋篠宮ご夫妻が公務をあまりしなくて暇だった時代の情報が掲載されていなかったりと、かなり偏りや不公平感がある内容になっています。
「宮内庁HPは川嶋家サイドの人物が中心に作っている」という噂もあるようですが、それに関しては確固たる証拠がないので私からは何とも言えません。が、雅子様がお倒れになり公務ができなくなり、秋篠宮ご夫妻が公務を張り切り出した時代の情報から詳細に掲載されていることから、色々見えてくるものがあるでしょう。

<我々が普段、地方などに出かける時にその主催者の方たちや、その関連の方たちと接して話をする機会はある。しかし、地域の方たちとの接触の機会は、非常に少ない。今年用事で、奄美大島の方に参りました。マングローブの自生している地域で車を降りてマングローブを鑑賞した。そこに地元の方たちが100人以上いた。警察の人が押さえている状況でもなく、ごく自然な形でそこにおられた方たちと話をする機会があった。比較的ゆったりとした気分でその地域の方と話をすることができ、ふれあい、交流の場を持つというのは良いことだと思った> P182~183

<よく警備について、過剰ではないかと言われたりします。時々、警察官が人のいない壁に向かって立っている時がありますでしょ、そういう無駄は省くべきだと思います。でも、必要なところは警備がきちんとあったほうがいいと思います。どこから何が飛んでくるか分からない時だってありますから。
この前、家内と娘と一緒に上野動物園に行きました。サル山のところでお猿さんを見ていました。若いカップルが通りすぎてから、男性の方が『紀子さんいるよ、紀子さん』と言っているんです。女性のほうが『違うでしょう。雅子さまでしょう。なに間違えているのよ』って。そうしたら、男性が『あ、そうか。やっぱり間違えていた』と慌てていなくなったりとかね(笑う)。
そうかと思うと、まったく気づかずに通りすぎる人。それから通りすぎてから、オヤッ、と思って振り返る人、いろいろです。驚いたのは、ある時私が知り合いの車に乗って移動していたのですが、すれ違った車に乗っていて私のことを分かった人がいるんです。私は助手席に乗っていました。普通だったら、だれも気がつかないはずですけど、パッとすれ違いざまに手を振った人がいたことです> P183~184


この当時、紀子妃が雅子様と間違われたことがある理由が、何となくわかるような気がします。
確か雅子様が入内されてから、紀子妃は髪形を雅子様そっくりのボブヘアに変えたのです。当時の画像を見ると、あまりにも紀子妃が雅子様の髪形をそっくり真似ているので不気味に感じるくらいです。遠目から見たら確かに雅子様に見間違えるかもしれません。
私は結婚前からの雅子様のボブヘアがお似合いで好きだったので、ボブヘアには雅子様のイメージがあります。そして雅子様は結婚後もしばらく同じボブヘアのままでいらっしゃいました。
もし紀子妃に「ボブヘア=雅子様」のイメージを崩したいという思いがあり、自分が雅子様に成り代わりたくてそっくり同じボブヘアに変えたのだとしたら…そういう怖い話でなければいいのですが。

参考までに:雅子様の髪形を真似た?紀子妃

雅子様の髪形の真似?1
雅子様の髪形の真似?2
雅子様の髪形の真似?3
雅子様の髪形の真似?4
雅子様の髪形の真似?5

(あとがきより)
お子さまのご予定はいかがでしょうか、という江森の質問に対し)
<上にまだ、ひとりいますので(当時、皇太子さまは独身だった)…。一般的には兄は結婚が遅いわけではないのですがね…> P186


まるで、秋篠宮様が「結婚できないお兄様に遠慮して子どもを持つことをためらっている」と言いたげで不愉快です。秋篠宮ご夫妻は東宮ご夫妻に遠慮することなく第三子=男子をもうけていることからも、弟宮ご夫妻の辞書に「遠慮」の二文字はないと思います。

(皇太子さまの結婚が決まった時にコメントを求めた際)
<肉親としてあまりにも近すぎる間柄なので> P187


これも、秋篠宮様の冷淡さがうかがえる肉声ですね。「近すぎるから」なんだと言うのか?単に雅子様という素晴らしい伴侶を得られたお兄様に対するやっかみのような感情があったから素直に祝福できなかったのでは?と思ってしまいます。あれだけ「30歳までに結婚できれば上出来w」と皇太子殿下を小馬鹿にしていたのですからね。
秋篠宮様はご両親には並々ならぬ感情があると感じますが、皇太子殿下にだけはそっけないというか冷淡なところを隠し切れない印象があります。

(江森が社会部の宮内庁担当から離れることになった際)
<これでお会いしやすくなりましたね> P187


これもかなりの問題発言ですね。「これからは皇族と記者という関係性がなくなったので、友人同士として遠慮なく懇意にできる」ということの宣言ですから。元マスコミ関係者と仲良くなることの問題性はないのでしょうか。しかも江森氏は、川嶋家サイドの人物でもあります。
秋篠宮様の交友関係はこういう感じのものばかりです。いつも決まった人々とつるんでいる。
「自分には社交性がない」と評している通り、狭い世界でいつも同じ顔触れとしか交流を図れない秋篠宮様の限界が表れています。

(第七章・秋篠宮様の肉声編 終わり)

当主不在の“ブラック宮家” その7~一体どちらが当主?増長が止まらない空回り宮妃様

今回は、週刊新潮2013年11月7日号の記事を取り上げさせていただきます。
パワハラ・ブラック宮家記事では毎回存在感のなさすぎる当主様ですが、この記事では珍しくちょこっと当主様が登場しています。が、非常に情けない登場の仕方となっており「当主」の影は見るべきもありません…

特集 ご不満「紀子妃」についた不敬なニックネーム
職員数は東宮の3割!予算は東宮の2割!皇宮警察へのお声かけも「雅子妃」以下!


将来のお世継ぎである悠仁さまを擁する秋篠宮家が、不測の事態の只中にある。ご一家を切り盛りされる紀子妃が、殿下や両陛下との間に“すきま風”を生んでいるという。その完璧を期す「お振舞い」に閉口して、あろうことか陰では“愛称”で呼ぶ者も出始めて…。

秋篠宮家が創設されたのは1990年。以来、一貫して皇后さまのなさりようをお手本とし、ともすれば“皇室への過剰適応”と受け取られかねないお振舞いを続けてこられたのが紀子妃であった。宮内庁担当記者が言う。
「紀子さまにとっては06年、お世継ぎとなる悠仁さまのご誕生がやはり大きなターニングポイントでした」
それまではいわば、皇后さまの見よう見まねで事に当たられてきたのだが、
「ご家庭内に皇位継承者をお二人も抱えるという状況に至り、想像を絶するようなプレッシャーがのしかかったことでしょう。同時に、男児を授かったことで、“何としてでも立派に育て上げなければ”という、先々を見据えての『ご覚悟』も生じたわけです」(同)
そうした決意と背中合わせの感情は、本来、胸に秘めておくべきものであろう。が、近年、その“発露”が、とみに目立ってきているというのだ。宮内庁の宮務課関係者が言う。
「ご公務の際などは、にこやかでおっとりしたお話し方でお馴染みですが、実際の妃殿下は正反対です。宮邸に詰める職員に対しては、いつも早口で次々とご用件をまくし立てられ、指示が出される場には張り詰めた空気が漂っています
そうしたお振舞いは、一昨年からエスカレートしていったという。
「ちょうどその頃、“東宮家では、もう新たなご家族の誕生はない”というお話が、巡り巡って妃殿下のお耳に届いたのです」(同)
宮邸の職員からも“未来の天皇が宮家から出るのですよ”と囁かれ、紀子妃の「豹変」に拍車が掛かっていく。
「妃殿下からは、ご不満のお言葉が多く寄せられるようになりました。“宮家に割り当てられた予算が実情に合っていない。こうした現状を、どうにか変えて貰いたい”という内容がもっぱらでした」(同)
宮邸における事務方のトップである宮務官や“オク”を取り仕切る侍女長を通じて繰り返し要望されてきたといい、
「人員の配置についても、折にふれ、幹部職員に“優秀な人材をもっとつけて欲しいのに、なぜできないのでしょうか”といった、およそ一朝一夕には叶いそうにない訴えをなさっていました。ですが、独特のしきたりを有する職場にあって、最初から宮家の仕事を十分にこなせる即戦力を望まれているのならば、それは無理なお話でしょう」(同)

とはいえ、宮家ながら将来のお世継ぎを擁する5人家族の秋篠宮家と東宮家との「格差」は、これまで度々議論されてきた問題である。予算と人員の側面から、あらためて比較をしてみると、
「宮内庁が所管する皇室に関する費用は、職員の事務費や人件費などの『宮内庁費』と『皇室費』に、まず大別されます」
宮内庁OBで皇室ジャーナリストの山下晋司氏はそう前置きしながら、
「後者の皇室費はさらに、両陛下と東宮ご一家の私的予算の『内廷費』、他の皇族方の生活費である『皇族費』、公的活動に使われる『宮廷費』に分かれます。今年度の内廷費は3億2400万円。内訳は不明ですが、陛下と内廷皇族の合計五方で同じ“お財布”で賄うという格好になります」
これに対し皇族費は、
「宮家の当主である秋篠宮殿下に定額の3050万円が支給され、妃殿下はその半額、眞子さまは3割、未成年の佳子さまと悠仁さまはそれぞれ1割と、ご一家で合計6100万円になります。この中から、生活費全般をやりくりしなければならないのです」(同)
お一人当たりの金額を単純に算出すれば、秋篠宮家は東宮家に比して2割しか予算が充てられていないことになる。人員においても、その差は歴然で、
「東宮家は現在およそ50人。このほか、宮内庁管理部に籍を置きながら東宮に専従する車馬課や大膳課の職員もおり、すべて合わせれば60人を超えます。一方の秋篠宮家は、運転手や調理人を含めてもたった19人しかいません」(同)
と、こちらもまた東宮家のわずか3割。
人手を補うべく私的に侍女らを雇うことは可能だが、やはり皇族費で賄わねばならず、そもそも激務ゆえ秋篠宮家の職員が次々と入れ替わり、とりわけ侍女長が体調不良などを理由に目まぐるしく交代してきた経緯については、本誌もかつて報じたところである。
「現行の皇室典範と皇室経済法は1947年から変わっていません。制定当時の理念と現状があまりに乖離しているため、秋篠宮家にしわ寄せが来ているのです」(同)

◆激務にさらされた身内から…

いきおい苛立ちを募らせた紀子妃は、ひたすら“先鋭化”なさっているようで、
「悠仁さまのご誕生前とは打って変わり、ご一家を警護する皇宮警察の担当者らにも、めっきりお声かけをなさらなくなりました。ツンとした感じで、仰ることはご自身のご要望と苦情ばかり。意外なことに、雅子妃の方が、まめにご自身の担当にお言葉をかけ、和やかに懇談されているほどです」(前出・宮務課関係者)
ご家庭においても、
悠仁さまが小学校へ入られた後、妃殿下のお変わりような顕著になりました
そう明かすのは、秋篠宮家の関係者である。
「妃殿下はご家庭で悠仁さまに習い事をさせたいというご意向をお持ちで、そうした方針を巡って殿下とたびたびお話し合いをもたれてきたのです」
この関係者によれば、紀子妃は今やすっかり“教育ママ”と化しておられるという。が、秋篠宮さまは昨年11月のお誕生日に際し、
<(悠仁さまには)今、君はこういう立場なんだよ、というようなことは話しておりません。私はだんだん年を経るにつれて、分かっていくのがいいのではないかと思っております>
と述べられていて、
「殿下は“そこまで詰め込まなくても、子どもはある程度自分で育つのだから”とのお考え。最終的には大体、妃殿下のご意見を受け入れられるのですが、これに対し妃殿下は“もう少しちゃんと考えてください”といったご不満を口にされています」(前出・秋篠宮家関係者)
ご夫妻の間には“すきま風”が吹き始め、最近では、以下のような場面も見受けられるというのだ。さる宮内庁関係者が明かす。
職員らを交えたごく身内の集まりの場で、殿下が仰ったことを、傍らから妃殿下が“それは違うでしょ”などと、ぴしゃりと否定なさることがあります。以前であれば考えられなかった光景なのですが…」
こうしたお振舞いが積み重なり、寄せられるご苦情と相まって、
「疲弊した職員や皇宮警察の一部には、妃殿下のお名前の『紀』を『のり』と読んで、密かに『のりぴい』などというニックネームで呼ぶ者もいるくらいです」(同)
というのだから、不謹慎というほかない。

◆陛下のご懸念は「家庭教育」

ご自身のみならず、周囲にも高い水準の要求をなさるのは、ひとえにお世継ぎを抱えた責任感の賜物であろう。換言すれば、将来の国母というお立場ゆえのお振舞いに相違ないのだが、そうした独自の“帝王教育”も、現状では空回りの感が否めない。それでも、さる皇室ジャーナリストによれば、
「両陛下と紀子さまは変わらず、コミュニケーションを密にとっておられます」
一例として昨年8月、心臓手術を受けて入院されていた三笠宮さまの宮邸を両陛下が訪ね、百合子妃をいたわられた日の「できごと」が挙げられるという。
「その日、両陛下は、同じ敷地内にある秋篠宮邸で、紀子さまらと昼食をともにされている。当日、秋篠宮さまはベトナムご訪問で不在でしたが、悠仁さまと接する機会を大切になさっている陛下を紀子さま自らお招きし、貴重な触れ合いの時間をつくられたわけです」
常日頃から紀子妃は、職員に託し“お近くにお立ち寄りの際はいつでもお訪ねを”とのメッセージを両陛下にお伝えしているという。が、そんな中でも“豹変”は、陛下の知るところとなっていて、さる侍従職関係者によれば、
「悠仁さまの“お世継ぎ”が確実となり、妃殿下のお立場が変わって周囲への対応まで一変してしまったことで、陛下はかつてのお振舞いとのギャップを感じ、行く末を案じておられます。妃殿下がご家庭での教育を、あたかも『帝王教育』であるかのように捉えられて邁進なさり、実際に悠仁さまに施されている状況をご覧になるにつけ、強いご懸念を示されている。帝王学とは、陛下や皇太子殿下のように、実際に学んだ方でなければ伝えられないもの。つまりは、いかに“過剰適応”なさろうとも、カバーしきれない領域なのです
そのことを誰よりもご存知である陛下のまなざしのもと、悠仁さまは放し飼いにされている大型ネズミの仲間・マーラと戯れられる日々だという。

(記事終わり)

上記記事で紀子妃は“過剰適応”と奇妙な言葉で表現されていますが、この言葉は雅子様に表向き下された診断である“適応障害”という病名を意識し揶揄しているように思えてなりません。だから何となくこの言葉に私は良い印象はありません。
紀子妃は結婚当初(一説では結婚前?)から美智子様をお手本にしてきたと言われていますが、そもそもこれが根本的におかしいのです。紀子妃がお手本にすべきは同じ筆頭宮妃であった常陸宮妃殿下(華子様)でなければいけなかったはずです。しかし、紀子妃が華子様をお手本にし敬意を抱いているという話は聞いたことがありません。こんな姿勢を取り続ける紀子妃に対して華子様も良い気持ちはしないでしょうし、美智子様も「貴女が見習うべきは常陸宮妃ですよ」とたしなめなければいけないと思います。美智子様にとってはご自分をリスペクトしお手本にしようとする紀子妃が「可愛い」のかもしれませんが、こういうところで平成皇室の歪みが生じていると感じるのです。
しかし上記記事は「紀子妃は一貫して美智子様をお手本にしている」と言いながら、紀子妃のお振舞いに苦言を呈するようなことも書いています。これは「美智子様も昔からこういう横柄で尊大なところがおありだった」という解釈の余地を与えないのか?と少し心配になりました。「紀子妃がこういう人格に形成されたのは美智子様の真似をし続けていたから」という解釈もできてしまうように思います。

そして私が上記記事で気になった箇所があります。
それは「東宮家にはもう新たなご家族の誕生はない」ということが確定事項として皇室内に広まっていたということです。
これは深く考えてみれば、東宮ご夫妻(特に雅子様)に対して非常に無礼すぎることになりませんか?
「新たなご家族が誕生することはもうない」ということは、年齢を重ねた女性にとって非常にデリケートなお話になります。もし、雅子様が女性特有のデリケートな体調変化で「もう子供は望めないようだ」ということが皇室内で広く知られることになってしまったのだとしたら、そういうことを面白おかしく話題にするような職員がいる宮内庁・皇室とはいったい何なのか?女性のデリケートな問題を何だと思っているのか?と、ふつふつと怒りが湧いてきます。
その上更に「もう東宮家に男子が生まれることはありませんよ!悠仁様の継承権確定ですね!」などと紀子妃の耳元で囁いた人物は一体誰なのか?と怒りと気持ち悪さでいっぱいになりました。おそらくこの職員は、秋篠宮ご夫妻と懇意で、紀子妃のパワハラ被害に遭ったことがないような非常勤のキャリア官僚だと思われますが定かではありません。
当ブログでもご紹介した過去のパワハラ・ブラック宮家記事にも登場したように、秋篠宮家にはご夫妻とタッグを組んでご夫妻に気に入られて過ごせる職員も何人かいるようですからね。

ちなみに、悠仁様はもちろん、秋篠宮様の継承権も「確定」はしていません。あくまでも暫定的に継承順位2位・3位となれているだけであり、今後典範改正で「男子」という縛りがなくなれば、天皇直系である敬宮愛子様の順位の方が上になります。
秋篠宮様は皇嗣扱いされる予定ですが、これは正式に「皇太子」となれたわけではありません。
ですから「秋篠宮様と悠仁様の継承権が“確定した”」というのは全くの誤りです!!

山下晋司氏、この記事でも何か言っていますが深入りする価値はないでしょう。
何度も言うように「東宮家と秋篠宮家はそもそも格が違うしそれが皇室の序列というもの」だからです。
そもそも5人家族で6000万円以上も予算があることのどこが「苦しい」のか?
むしろこの金額をもらえてやり繰りできないという方が問題がありすぎるのではありませんか?

なお、東宮家と両陛下はお財布が同じですが、その内訳は明らかにされていません(正式に公表されているわけではない)。そうすると、予算(内廷費)の大半が両陛下に割り当てられ、東宮家には少ししか与えられていないという可能性も考えられるわけです。もしかしたら東宮家は6000万円も受け取れていないかもしれません。
内廷費の内訳が国民に開示されていない以上、東宮家と秋篠宮家の予算を比較して、どっちが多いの少ないのと議論することは心底無意味なことです。山下氏は元宮内庁職員なのに、そういうカラクリを隠蔽して説明するので、非常に質が悪いです。


そして紀子妃の増長と空回りは、悠仁様が成長されるにつれて酷くなっているようですね。
当主である秋篠宮様にもピシャリと物をおっしゃり、当主を黙らせるまでに至ってしまったようです。
紀子妃に対して毅然とした態度をとれない秋篠宮様もかなり情けないです。当主がこうだから、秋篠宮家のブラック状態も放置されるのだろうし妻のパワハラも改善できず職員が苦労するのでしょうね。
私は、秋篠宮家のブラック問題は紀子妃だけでなく、あまりにも存在感のない当主の秋篠宮様にも大きな責任があると考えます。

紀子妃は当主が留守でもお構いなしに両陛下を宮邸に呼び付けてしまうようですが、妃が自分の一存だけで、当主不在の間にこんな振舞いをすることが果たして許されるのでしょうか?そしてそのお誘いに軽々しく乗ってしまう両陛下もちょっと…と思ってしまうのです。男子である悠仁様を依怙贔屓していると思われても仕方のない行動ですね。

しかし、そんな紀子妃と悠仁様を贔屓にしていらっしゃる両陛下でも、紀子妃が自己流で勝手に「テイオウガクモドキ」を悠仁様に授けようとしていることには顔をしかめているようですが。
上記記事はハッキリと「陛下と皇太子殿下は帝王学を受けている」と書いていますが、秋篠宮様については触れていません。
やはり秋篠宮様が「自分は皇太子になる教育を受けたことはない」とおっしゃっていた通り、宮様は帝王学を受けたことなど一度もないのですよ。このような方を皇嗣扱いすることに本当に問題はないのでしょうか?


あと、紀子妃に陰で付けられた「のりぴい」というニックネームですが、有名な「のりぴー」と言えば薬物で逮捕歴があり、家族の中に●●ザがいるという噂の芸能人の●井法●さんが思い浮かびます。「紀子」は「ノリコ」とも読めますが、どういう理由で●井さんと同じ呼び方をされてしまったのか興味があります。

『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 6

今回は江森氏の『秋篠宮さま』より、第六章に挙げられた宮様の肉声について触れたいと思います。
「火のない所に煙が立った」会見をはじめ、秋篠宮様の“恨み節”とも言える肉声です。

第六章 報道不信

<公務と私用のことについてお話させていただきますと、公用と私用が重なってしまった場合に、どちらを優先させるかといえば、これはもう間違いなく公務を優先させるべきです。ただ、宮中行事など、先日私がアメリカ大統領の時に欠席してタイに行った場合というのは、どうしてそういうことが起こったかといいますと、元々はタイに昨年の四月に行くことを予定しておりました。しかし、昨年は阪神・淡路大震災など大きな被害がりましたので、キャンセルいたしました。そして、本年の四月に行くということをタイの政府に話をしたわけです。ですから、かなり以前に決まっていたわけです。タイ国政府農業・共同組合省の招待で行ったわけです。農業・協同組合省をはじめ、北部タイのチエンラーイという県がありますが、そこの方たち、その他多くの方が半年以上前から準備をしてくださっていたわけです。そういう経緯があって、タイに行ったわけです。父にその旨を話して了解を取りましたし、宮内庁にも打診をいたしました。タイに行くことについての異論は全くありませんでした。
宮中での行事、宮中晩さんとか、園遊会などが比較的ショートノーティスでこちらの方に伝えられてきます。それは全皇族の日程を考慮してその日を決めているわけではないわけです。従って、宮中行事と、それ以外の行事がぶつかるということは、不可避だと私は思っております。昭和の時代からですけれども、そのようなことで欠席をされてる皇族の例というのは少なからずあります。
例えば皇族全体を対象にしたものと特定の皇族に限定した行事がぶつかってしまった場合には、個人的な意見では後者を優先させる方がいいのではないかなと思っております。
私も週刊誌の記事を読みました。私の根も葉もないその女性問題についていろいろ話が広がっていってしまったわけです。そういうことは全くないことですし、火のないところに煙が立ったというか、非常に想像力豊かな人がそういう記事を書いたのだと思いますけれども、完全に事実と異なる報道がなされたということについては、不満をもっています> P156~158


<東京サミットの宮中晩さん会にも皇族はあまり出ていなかった。普段でも欠席が多いのに問題にならず、アメリカ大統領の時に一気に問題になるのはなぜなのか。私が考えるには、言い分はいろいろあると思うが、アメリカというのは大国で、日本にとって大事な国であり、その大統領の歓迎会を欠席するのはどういうことだという話になるのだろう。
ただ、天皇主催の宮中晩さん会というのは、大きい国であっても小さい国であっても、みんな平等に行うべきだ。国賓が来られても、例えばアメリカの大統領や大きい国の大統領だと大きく記事を出すが、小さい国だと小さな記事になる。国賓というのは、大きい国であっても、小さい国であっても、同等にこちらとしても接するべきだと思う> P158~159


当ブログで既に取り上げたことのある内容ですが、今一度ここに再掲させていただきたく思います。
秋篠宮様は「タイの政府の招待を受け、国家レベルでの接待準備も行われている以上、自分のタイ行きはただの私的活動にとどまらないものだ」とおっしゃりたいのかもしれません。しかし、本来は私的活動にすぎないことに、相手国の政府を絡ませて国家レベルの行事にしてしまうことに問題性はないのか?と疑問を感じます。私的なものと公的なものの境目がなくなってしまうというか、どこかで歯止めをもうけないといけないのではないか?というモヤモヤした思いが拭えません。
秋篠宮様は「ほかの皇族は晩餐会に出てせいぜいアメリカとの絆を深める努力をすればいいが、自分はタイの方を大切にする」と考え、ご自分が日本とタイとの懸け橋的役割をしているつもりでありその自負もあるのかもしれません。しかし、秋篠宮様がタイと懇意にすることで、具体的に日本とタイの間にどのような協力関係が生まれ、双方にどのようなメリットが生まれたのか、いまいち見えてこないことも多いです。

そして秋篠宮様は女性関連の噂を「事実ではない」と反論していますが、何度も言うように、宮様は女性問題以外のことについては何も反論できていないのです。過去に社会見学と称してソープランドに顔を出したこと、いつも同じ「お取り巻き」を海外にまで引き連れてボディガード的なことをさせていること、現地で急に予定を変更して大使館員などを慌てさせたこと、珍しい生物を日本に持ち帰りたいと言ってきかないこと、あまり歓迎されていない現地の男性案内人(ソムチャイ氏)をいつも呼び付けていること、などについては一切触れずにスルーしています。週刊誌が取り上げた問題は、なにも女性問題だけではありません。
1996年~1998年当時の秋篠宮様の悪い噂はどうも「女性関連」のことに終始しがちですが、それ以前に「全体的にいつも素行がよろしくない」という観点で広く問題にしなければいけないと考えます。

<宮内庁が発表した内容に『熟慮の末、宮内庁としては不本意ながらうんぬん』というのを出している。しかし、これはおかしい。
私は、事前に宮内庁長官に相談したが、問題なしとの返事だった。私がタイに行くことに対しては異論がなかった。その時、長官に、例えば同じようなケースが今後、起こり得るかもしれないが、その場合に外国とか事前に決まっている日程をやめてまでも、どうしても宮中の行事に出なければいけないのかと尋ねたら、『そんな必要はない』と言われた。
宮内庁はそういう考え方をしているのに、報道発表の時に、変な発表をしてしまった。それが問題が大きくなったきっかけだと思われる> P160

<タイに行くのと、宮中晩さん会がどちらが大事かという議論というのは、新聞や雑誌などで大いにやったほうがいいと思います。ただ、そこから派生して、まったくありもしない女性問題みたいなものを捏造してしまった。しかも、川嶋が御所に行ったというのは、九五年九月以降ない。川嶋も宮内庁長官に手紙を書いて、それを記者会にも見せてもいいということで発表しています。
にもかかわらず、週刊誌の方は自分たちはウラを取っている。絶対に間違いない。有力な情報がある。事実は平行線をたどるから、これ以上はしないという。だけれどもまったくないことを書くというのは、むしろその雑誌の質を落とすことにもなるのではないかな> P163~164


これも何度も言いますが、宮内庁が週刊誌(新潮)に対して初めて重い腰を上げて反論したのは「川嶋辰彦氏の御所訪問後、今上陛下が体調不良でご静養された」という記事を新潮が書いてからです。それまでは、複数の雑誌がどれだけ秋篠宮様の批判記事を書いても、宮内庁は何も行動を起こしていませんでした。それが唯一、川嶋氏のことについて触れた新潮だけが執拗に宮内庁から謝罪と訂正を求める抗議を受けることになってしまったのです。まず最初に川嶋氏に関する記事の訂正要求ありきで、「ついでだからこれまでの秋篠宮様関連の記事についても抗議しておこうか」という感じに見えてしまうのです。
そもそもこの『秋篠宮さま』自体が、川嶋氏の教え子の夫である江森氏によって書かれているのです。
秋篠宮様ご自身も色々反論したいことがあったでしょうが、「本当に反論したかった人物」は一体誰だったのでしょうね。

<付き合いのある方とそうでない方ですと受け止め方がまったく違います。ダイアナさんとお会いしたと申しますか同じ場所にたまたま居合わせたというのは二、三回。お葬儀などの機会です。短いあいさつを交わしたのは八六年にチャールズ皇太子とダイアナさんが来日した際に、当時の東宮御所を訪問された時ですが、お目にかかって言葉を交わしたのはこの時だけです。チャールズ皇太子ご夫妻はもっぱら両親と話しておりましたし、私はそばでそれを聞いておりました。妻はダイアナさんと話したことはないと思います。ですから亡くなったことがテレビで流れたと聞いた時も、お気の毒だとは思いましたが、その事実を確認したということだけでした> P164~165

この発言だけで、秋篠宮様の冷酷さ・無感情さが手に取るようにわかり、ゾッとしてしまいます。
ダイアナ妃の美しさと華やかさと存在感は、ダイアナ妃来日当時子供だった私でもよく覚えています。事故死したと知った時は衝撃が走りました。おそらく世界中の多くの人が同じような思いでいたでしょう。たとえチャールズ王太子がカミラ夫人を後妻に迎えたとしても、私の中では今でもダイアナ妃の存在の方が勝っているくらいです。
ダイアナ妃と当然会ったこともない、話もしたこともない、ただ遠くから見つめることしかできなかった私ですらダイアナ妃の死去はショックが大きかったのに、実際にダイアナ妃と接したことのある秋篠宮様のこの冷淡さは一体何なのか?と不気味に感じます。

上記秋篠宮様の発言に関して、『秋篠宮さま』の中で宮内庁関係者がこう述べています。

「英国の皇太子妃でない方の御葬儀に皇太子ご夫妻が出席されるのはおかしいですし、それと皇太子さまが特別、ダイアナさんと親しかったわけではなかったようです。秋篠宮さまもほとんど付き合いがなかったと聞いております」

いや、この言い分はおかしいでしょう??
「皇太子様だってダイアナ妃と親しいわけではない」と、皇太子殿下を巻き込むこと自体卑怯すぎますし、それで秋篠宮様の冷酷さを擁護しないでほしいと憤りを感じます。
ダイアナ妃と直接会ったことがない人間すら悲しみと衝撃を感じたのに、「親しかったかそうでないか」が関係してくるのですか?
親しくなかったから悲しみを感じなくてよいというのか?
人の死を悼む気持ちは、その人と親しかったかそうでないかで決まるものなのか?

「だってオレダイアナさんと親しくなかったし、亡くなったことは事実として受け止めるだけだわ~」という秋篠宮様の理屈も、
「だって今はダイアナさんは英国の妃じゃないし、葬儀に皇族行かせなくていいでしょ」という宮内庁関係者の理屈も、
どちらも私は理解できません。

ちなみにダイアナ妃の長男のウィリアム王子が2015年に来日した際、ウィリアム王子は両陛下と皇太子ご夫妻とは懇談していますが、秋篠宮ご一家にはまったく接触していませんでした。もし、ウィリアム王子が上記秋篠宮様の肉声を知ってしまったら、どんな気持ちになるでしょうね。「愛する母の死を何とも思わない、お悔やみの一言も言えないような男となんて会いたくない」と思って当然ではないでしょうか。

『秋篠宮さま』において、このダイアナ妃に関する宮様の肉声は「かなりヤバイ部類」に入ると断言します。
秋篠宮様の人間性が疑われるコメントだとつくづく思います。
「報道不信」というより「秋篠宮様不信」ですよ。


(第六章終わり)

当主不在の“ブラック宮家” その6~通訳女性まで“犠牲者”に…

ブログ更新が滞ってしまい大変恐縮です。
今回は、週刊文春2013年8月8日号の記事をご紹介したいと思います。多少長めの記事ですがご容赦くださいませ。

秋篠宮紀子さま 「氷の微笑み」の裏側
「日本語にもなっていない!」6月東欧ご訪問の際、厳しい叱責に通訳女性は泣きだしてしまったという。悠仁さまの教育に心を砕く筆頭宮家の緊張と焦燥。


淑やかな所作、一語一語に心を込める喋り方、そして止ん事無い雰囲気を醸し出すあの微笑。だが、一部の職員だけが知り、畏怖するというその素顔からは、将来の“天皇の母堂”としての覚悟が伝わってくる。精力的に公務を続けられる46歳、筆頭宮妃のプリンセスの現在。

青碧に輝く湖に浮かぶ小島。そこには白い塔が印象的な小さな教会がある。その鐘楼にある鐘を鳴らせば、誰でも願い事が叶うという“希望の鐘”。その澄んだ鐘の音に、紀子さまは何を願われたのか―。
ヨーロッパの屋根、アルプス山脈南端を有する人口約二百万人の東欧の小国・スロベニア。その日、秋篠宮ご夫妻は公務のため、彼の国の代表的景勝地ブレッド湖を訪れられていた。山に囲まれた箱庭のような美しい景観の、ハプスブルク家ゆかりのリゾートである。
「6月19日から30日、秋篠宮ご夫妻は中東欧三カ国を公式訪問されました。旧ユーゴスラビアのクロアチアとスロベニア、旧チェコスロバキアから分離したスロバキアは、昨年から今年にかけて日本との国交樹立20周年を迎えます。秋篠宮ご夫妻は12日間で三カ国をめぐるという過密なスケジュールで、記念演奏会や舞踏公演、大統領との晩餐会などに出席されたのです」(宮内庁担当記者)
その現地での最終日、6月29日は秋篠宮ご夫妻にとって、23回目の結婚記念日でもあった。日本では6月9日の皇太子ご夫妻の結婚20周年ばかりが注目されていたが、弟宮ご夫妻は海外公務先でその日を迎えられていたのである。
ブレッド湖の湖面を見下ろしながら、秋篠宮ご夫妻は、お二人だけのランチを楽しまれた。四つ星の「ホテル・トリグラウ・ブレッド」の中にある、「レストラン1906」のフロアマネージャー、ソニア氏が話す。
お店をご一行で貸切りにし、さらにご夫妻のテーブルを間仕切りで囲って、小一時間ほどではありましたが、お二人での時間を過ごしていただきました。日本のプリンスは『ムフロン』という羊の原種にニョッキを添えたもの、プリンセスは『ズラトーチータ』という鱒キャビアを添えたグリルを召し上がりました。全三品のコースでしたが、とても楽しそうにお食事をなさっていましたよ」
中東欧は近年、日本人にも人気の観光地となっている。ユーゴスラビア紛争から十年程が経ち、戦争からの復興も進んでいる。宮崎アニメ『天空の城ラピュタ』のモチーフとも言われている古城など、風光明媚な土地も数多い。
だが、この秋篠宮ご夫妻の海外ご訪問に、宮内記者会常駐の報道14社のうち、1社さえも日本から同行した社はなかった。
「皇太子のスペインご訪問直後であったことや、滞在期間が長く予算がかかるためです。ただ、報道陣が日本から大挙して現地に押し掛けた雅子妃のオランダご訪問に比べると、その注目度は格段に低いと言わざるを得ません」
(前出・宮内庁担当記者)

◆怒気をはらんだご叱声の迫力

また同じころ、日本では雅子さまが山梨ご訪問を前日の夜にキャンセル。小誌でも報じたように、一部のキー局では、雅子さまの久々の国内公務を生中継しようという動きもあり、県庁への取材は殺到したが、結局全てはご破算に。この“ドタキャン騒動”は大きく報じられ、秋篠宮ご夫妻の海外ご訪問はますます目立たなくなってしまった。
中東欧ご訪問に同行した現地関係者が話す。
「ご夫妻はその間も、一日3、4カ所の訪問先を巡り、ほぼ三日に一回は都市を移動されていました。それぞれの土地の気温差が大きいためか、さすがにご滞在の最後はお疲れの様子でした。朝9時前から夜中の23時までスケジュールがぎっしり詰まっている日もあったのです。特に妃殿下は、各国の大統領とお会いになる際は、お着物をお召しになっていましたし、準備にもお時間がかかったことでしょう」
中東欧ご訪問の随員は、わずか十数名。おそらく現在の雅子さまには難しいと思われるハードスケジュールを、秋篠宮ご夫妻は少ないスタッフでこなされた。
だが、のどかな中東欧の景観とは裏腹に、現場は緊迫した空気に包まれることもしばしばだった。紀子さまが随員に対し、苛立ちの感情をお隠しにならず、ときにはそれを周囲にぶつけられる場面も度々あったという。そして、その怒気をはらんだご叱声の迫力に落涙する者もいたというのだ。
それは滞在中盤、6月25日のことだった。
ご夫妻はスロバキアのタトラ国立公園にある植物園を訪問された。3.2ヘクタールの広大な敷地を誇る植物園では、270種以上のタトラ地方固有の植物を観察することができる。
同行した大使館関係者が打ち明ける。
「20度ほどの清々しい高原の空気のなか、植物園のスタッフは両殿下にそれら固有種の説明をしました。一時間ほどの行程も終わり、スロバキア側のスタッフが皆引き上げたあとのことです。紀子さまはとたんに、表情を一変させました。そして通訳の女性に向かって、『あなたが訳した植物の名前って、日本語にもなっていないし、なんだかよく分からない!』。そう語気を荒げ叱責したのです。
思わず耳を疑いました。それまでの穏やかな笑顔からは全く想像できないご表情で。現場は凍りつきました。かわいそうに、通訳の子は外務省の研修を終えたばかりの若い女性だったのですが、涙を流していたそうです」

小誌では駐スロバキア大使館に国際電話をかけ、通訳女性本人に事の顛末を問い質したが、かぼそい声で「そんなことはありません」と繰り返すばかり。秋篠宮ご夫妻はスロバキア側の担当者と直接、英語でやり取りしたと説明した。
だが、要人通訳の経験を持つ元外務省関係者は通訳の心中を察し説明する。
「たとえ担当した要人から叱責を受けたとしても、通訳は口外するわけにはいきません。それが皇族方なら尚のことです。それでなくても、通訳はぞんざいに扱われるのが常。会議の席次表なども『通訳』とだけ書かれ、個人名が記されていないなど日常茶飯事。『オイ』とか『キミ』としか呼ばれず、石ころのように扱う要人だっている。私は何百人と通訳をしてきましたが、お礼を言われたことは皆無でした」

◆「あの微笑みは“仮面”なのです」

ただし、同僚から聞いたある話が忘れられないという。それは欧州某国の大使館に勤務していた、三十代の若い専門職員の話だ。
「あるとき、彼は来日したその国の大統領夫人について、美智子皇后との通訳を務めることになった。しかし、極度の緊張と、知識豊かな二人の多岐にわたる話題に付いていくのが精いっぱいで、ある単語を訳し間違えてしまった。すると、美智子さまはその者だけに聞こえるような小さな声で、そっと訂正されたそうです。そのお優しさと語学力に、その者は驚嘆し、しかもその際に名前で呼びかけてくださったということに、すっかり感激していました」
今回の紀子さまのお振る舞いは、美智子さまとは対照的だったといえるかも知れない。かつて宮家に勤めたある職員が話す。
実はこれまでも度々、紀子さまの外でお見せになるのとは違うお顔を拝見したことがあります。私も初めは驚きました。ご会見などでの優美なお話の仕方や立ち居振る舞いを拝見していて、私もみなさんと同様、紀子さまにはゆったりとした、どこかスローモーな印象を持っていたのです。しかし、あの微笑みはいわば“仮面”なのです。仮面を外した宮家の中での素顔は全く違います。
その昔、『あなた自己中ね!』と女子職員を強い口調で説教されたこともありましたが、そんなのは序の口。具体的にはとても言えませんが、その人の至らない部分を酷い言葉に喩えてお叱りになることもありました。今ではあの冷たい微笑みに畏怖の念を感じます

勤務先としての秋篠宮家は宮内庁職員の間では、“ご難場”と呼ばれ恐れられているが、その理由に挙げられるのが、紀子さまの厳格なご性格だという。
元宮内庁職員も、当時を振り返りこう話す。
「あるとき秋篠宮家の中で、事務職員でない技官のポストに空きが出たことがありました。外部から応募がありましたが、当時私は採用してもよいものか、非常に迷いました。なぜなら、秋篠宮家のご内情について、前任者からよく相談を受けていたからです。
前任者は紀子さまに本来の仕事以外の雑務を頼まれたり、激しく非難されたことで精神的に参っていた。新任の方は地元での商売をたたみ、家族で東京に越してくると言っていたので余計に心配でした。『宮家に勤めれば箔がつくから』とご本人が強くおっしゃるのでお越しいただきましたが、結局その方は定年まで数年を残して宮家から下がってしまわれた

そして、紀子さまの職員へのご対応が一層厳しくなったのは、悠仁さまがお生まれになってからの、この数年だという。
宮内庁関係者が話す。
「秋篠宮家は五つの宮家の筆頭格とはいえ、東宮とは規模にかなりの差があります。それが将来の天皇である悠仁さまがお生まれになっても大して変わっていない。そこに紀子さまは気を揉んでいらっしゃるのでしょう。東宮職には50名の職員がいるのに、秋篠宮家には併任3名を含めて19名しかいません。悠仁さまご誕生の頃と比べても7名しか増えていない。雅子さまがほとんどご公務をなさらない中で、活発にご公務をこなされ、しかもご家族の人数も多いのに、です。将来の天皇である悠仁さまをお育てするのに適した体制とは言えない」
7月22日、英国王室では王位継承順位三位のジョージ王子が誕生したが、
「本来ならウィリアム王子ご一家と秋篠宮ご一家、ともに皇位継承順位二位と三位を抱くご家族に変わりはない。悠仁さまとジョージ王子は7歳差で、同世代でもある。20年、30年先の世界の王室外交を担うという意味においては、共に重要なカウンターパートであることを再認識すべきでしょう」(同前)
しかし実際には、悠仁さまに皇位が継承されるまで、その具体的なシミュレーションがしっかりと定まっているわけでもない。皇位継承問題が叫ばれて久しいにもかかわらず、主導すべき政治家は永田町の論理から脱することができず、議論が進む気配すらない。
例えば、皇太子が即位した場合、秋篠宮や悠仁さまがどうなるのかさえ明確ではないのだ。
京都産業大学の所功名誉教授が解説する。
「現行の皇室典範では、八条に『皇嗣たる皇子を皇太子という』とあるだけなので皇太子が天皇になった場合、皇子でない弟の秋篠宮が皇太子になるか否か、解釈が分かれています。本来なら『皇太弟』という表現を設けて明確にすべきなのです。ただ、その際、長女の愛子さまと甥の悠仁さまの立場はどうなるのか、まだはっきりしません。
仮に秋篠宮が皇太子となれば内廷皇族になり、それまでの本家と分家が一体化するのか、また眞子さま・佳子さまが一般男性と結婚したら秋篠宮は無くなってしまうのか、宮内庁も政府も議論を尽くしていないようです。そもそも今のところ悠仁さまは三代後の天皇になられる可能性が高いのに、筆頭宮家の一親王という扱いのままでいいのか。9月にはもう7歳になられるから、早急に十分な対策をとれるよう、法改正もする必要があります」

◆悠仁さま時代への“地ならし”

最近では、紀子さまのご意向を汲み取ってか、秋篠宮家では一部、宮家の“格”を上回るような好待遇へ舵が切られている。
「昨年8月の私的なベトナムご旅行以降、秋篠宮殿下は三回、海外を訪問されていますが、全てに東大の医師を同行させているのです。これまで、両陛下や東宮のように侍医がいない秋篠宮家では、訪問先の大使館付きの医師が医療を担当するのが原則でした」(ベテラン宮内庁担当記者)
また、公務に同行する宮内庁御用掛や内閣府事務官にはキャリア官僚が多く採用されている。今回の中東欧ご訪問にも同行した、内閣府事務官の谷みどり氏は経産省と併任でアメリカへの留学経験もあり、語学に堪能。御用掛の板倉敏和氏も旧自治省出身で、消防庁長官や長野県副知事などの華々しい経歴を持つ。
「随行医やキャリア官僚といった“ブレーン”を取り揃えるという秋篠宮家の新たな人事の方針は、悠仁さまが今後、成年皇族となられ、公務をなさる時代を見据えての“地ならし”ではないでしょうか。典範改正はすぐには行われないでしょうが、少しでも悠仁さまに資する体制を作ろうと必死なのです。
たしかにこれまでの秋篠宮家には“控えめの論理”が存在しました。特に兄宮である東宮に対し、上回って目立ってはいけない、控えめな存在でいるべきだというのが、行動原理だった。
しかし、雅子さまの公務復帰の見通しが一向に立たない現在、皇太子に準ずるような仕事をするようになってきているのは事実です。08年6月の岩手・宮城内陸地震の際、被災地にいの一番に乗り込んだのは、秋篠宮ご夫妻でした。たまたま秋篠宮殿下に『海フェスタいわて』の記念式典出席の公務があったということもありますが、皇太子ご夫妻は最後まで被災地にいらっしゃらなかった。その頃から従来の宮家とは異なる“第二東宮家”とも言えるお立場を意識していらっしゃるように思える。
それは将来の天皇の母である紀子さまのご自覚の顕れだと拝察します」(同前)

冒頭の6月29日のご結婚記念日、スロベニア料理を召し上がった秋篠宮ご夫妻は、その後、手漕ぎの乗り合いボートに乗って、湖の中ほどに浮かぶ小島(ブレッド島)に向かわれた。
その島のシンボルである8世紀に造られた小さな教会には、尼僧の悲恋の逸話とともに受け継がれた伝説の“希望の鐘”がある。
「両殿下は願いが叶うという鐘の紐をお引きになり、鳴らしておられましたよ。何をお願いされたのでしょうね?1976年、皇太子時代の天皇陛下もいらしたことがありましたが、『もう一人子供が授かりますように』と願いをかけられたそうです」(ホスト役を務めたブレッド市長のヤニス・ファイファー氏)
質素な環境にありながら、ご公務に、子育てにと奔走される紀子さまにとって、つかの間の安らぎの時間だったのかもしれない。

(記事終わり)

正直なところ、長い記事の割にはあまり面白くないといいますか、所々に東宮家(雅子様)に対するチクチクとした嫌味や、唐突な美智子皇后賛美などが挿入されていて、読んでいて不愉快な部分がいくつもあると感じます。
そしてこういう秋篠宮家ブラック実態を暴く記事は、最後はたいてい秋篠宮家(紀子妃)擁護で〆ていることが多いですね。紀子妃の職員いじめとも言うべき態度を「秋篠宮家は皇位継承者が二人もいるのに~」とか、「秋篠宮家は東宮家に比べて~」とか、常にそういう擁護に結論を持っていこうとする記事の姿勢は何とかならないのかと思うのです。

何度も言いますが、たとえ秋篠宮家に男子が生まれようと、皇位継承者が複数いようとも、公務と言われる活動を多くしようとも、秋篠宮家はただの筆頭宮家のままなのです。それが皇室の序列というものです。
職員数が少ないのも、予算が少ないのも、ただの宮家であるため現状では仕方ないのです。
それは東宮家のせいでもなければ職員のせいでもありません。


上記記事、色々とツッコミ所は満載なのですが、まともに解説を入れていくのも馬鹿馬鹿しい気がします。
まず、秋篠宮ご夫妻の海外行きにマスコミが同行しなかったのは、そこまで予算をかけてまで取材する価値がないと単純に思われただけではないでしょうか?文春記事は「東宮家ばかりに注目が集まるのがいけない」のような論調で書かれていますが、それは東宮家のせいでも何でもありません。秋篠宮ご夫妻にマスコミや国民の関心を引き付ける魅力がないのが最大の原因でしょう。それにしても大手マスコミさえも取材同行費用が出せないほど、秋篠宮ご夫妻の海外行きには莫大な税金が使われているのですね。
通訳女性が紀子妃から怒鳴られた理由もあまりにも理不尽といいますか、日本にない外国の植物を「分かりやすい日本語」に直すことは、植物の専門家ではない通訳にとっても難しい課題であったでしょう。通訳女性は自分の出来る範囲で何とか通訳したのでしょうが、無理が生じてしまったのは仕方ないような気がします。
そして通訳一般に関わる問題点を読んで、元外交官で通訳を行ってきた雅子様も、同じような理不尽な目に遭われてきたのだろうかと考えました。

そして上記記事でも「紀子妃はオモテとウラの顔が全然違う」という実態を暴露されています。私は割と早い段階(川嶋紀子さん時代)から紀子妃の本性のようなものを何となく感じ取っていたので(強かそうとか下心がありそう的な)、紀子妃が公の場では笑顔を見せ裏では常にイライラ恫喝するような方だと聞いても、「ああそういう感じがする」という感想であり意外な感じはしませんでした。
それにしても気になるのが、「具体的には言えないが、職員の至らない部分を酷い言葉に喩えて叱ることがある」という部分です。放送禁止用語?差別用語?みたいなものを使って職員を罵倒するということでしょうか。一体どれくらい酷いのか、想像もつきません。これが皇族のやることでしょうか。

そして案の定「悠仁様がいらっしゃるのに」という論調で、秋篠宮家の待遇が良くないことに対する擁護的記事が続いていきます。上記記事では「永田町(国会や政府)が秋篠宮様や悠仁様の待遇について法改正する動きをなかなか見せない」ということが書かれていますが、この当時は政府はまだ何もしようとしてなかったようですね。2013年当時は安倍政権(男系男子固執派)が誕生していましたが、ほかに手をつけるべき事項がたくさんあり典範や皇室に関することは“後回し”になっていたとしても仕方がなかったと思います。

今上陛下の生前退位(譲位)法案は、なぜか国民の深い議論もないままに秋篠宮様の待遇を大幅に改善してしまうという結論が採用されてしまいました(皇嗣扱いと予算激増、職員数大幅増員など)。上記文春記事は、秋篠宮家の待遇を宮家の立場を超えて良くしてしまうということが、この頃から少しずつ行われていたことに触れていますが、それだけでは飽き足らず、今上陛下の生前退位のドサクサに紛れて秋篠宮様の待遇を東宮並みにしてしまおうという横暴な手段に出ました。
手始めに山下晋司氏や所功氏などの子飼いの人物を使って「皇太弟」などという単語をちらつかせながら「秋篠宮家は男子もいるし皇位継承者も複数いるのに、東宮家と比べてこんなに待遇が悪いんですよ」というアピールを何回にも分けて行い、続いてNHKの橋口記者も使って今上陛下の生前退位に関する情報をリークし世間を巻き込み、まんまとご自分たちの待遇改善のための法案を通してしまったという印象しかありません。


ほかにも、上記記事は「秋篠宮家には控えめの論理がある」とか寝言を言っていますが、一体どこが「控えめ」だと言うのでしょうか。本当に控えめな方々は、こんなに頻繁に他人の口を使って「予算増やせ職員増やせ東宮家と同等かそれ以上の待遇にしろ」なんて言いませんよ。私は秋篠宮家に「控えめ」とか「遠慮」などというものを感じたことは一切ありません。逆に、どこら辺が「控えめ」だったのかその具体例を挙げてほしいものです。

また、秋篠宮様に東大の医師が同行するようになったという部分ですが、秋篠宮様ご自身にもしかして何か深刻な病状があるのでは?と思ってしまいました。しかし「東大」の医師だの、「キャリア官僚」だの、そういう形式に秋篠宮家がこだわっていることにどこか滑稽さを覚えました。

そして08年の岩手・宮城地震でまず被災地に行かれたのが秋篠宮ご夫妻であったことを必要以上に褒めていますが、たまたま「海フェスタいわて」という公務に秋篠宮ご夫妻が出席していたからこそ、一番最初に被災地に行けただけのことですよね。これでは東宮ご夫妻よりも先に現地に行けるのは当然ではないですか?
またこの地震で東宮ご夫妻が最後まで被災地に行かれなかったことを上記記事は責めていますが、実は両陛下もこの地震では被災地訪問をなさっていないようです。この時両陛下は全国植樹祭で秋田に行かれていたようですが、その際にスケジュールを一部変更し、陛下がお見舞いのお言葉を述べられ岩手県・宮城県にお見舞金を送ったというお話はありますが、被災地に行かれたという情報はありません。
そもそも、東宮ご夫妻は同じ内廷皇族として天皇家として、両陛下を差し置いて勝手な単独行動をとることができません。両陛下が被災地に行かれなかったのであれば東宮ご夫妻は当然先に被災地に行くことはできません。秋篠宮ご夫妻が被災地に行かれたのは「たまたま公務先で起きた災害だったから」という異例の状態であったからにすぎません。
文春はこういう慣例や事情も知らずに無責任なことを書いているのです。

“カウンターパート”だの“第二東宮家”だの奇妙ワードはもう笑うしかありません。真面目に取り上げなくていいでしょう(笑)。

『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 5

今回は江森氏の『秋篠宮さま』より、第五章の宮様の肉声をご招待したいと思います。

第五章 外国との交流

<大学の時、私が主宰する形で自然文化研究会というサークルを作りました。顧問には、高校でお世話になった学習院女子大学教授の高橋新太郎さんと原島春雄さん(元学習院大学教授)にお願いしました。それからあと私の個人的に知り合いだった人たちに声をかけてタイに行きました。初めてのタイでした。
昔、王朝のあったスコータイという場所がありますけれども、そこで知事が主催する、遺跡の仲のバンケットがありました。その時、『飲み物は?』と聞かれて、『ウイスキーを下さい』と頼みました。そしたら≪メコン≫(タイのウイスキー)のソーダ割りが出てきました。赤木先生(赤木攻大阪外大教授・自然文化研究会の顧問を務めるなど宮さまと親しい)が『あ、これがメコンや』と言われた。飲んだらとても飲みやすかった。初めは、≪メコン≫というのはまずいお酒だという話しか聞いていませんでした。ところが、飲んだらすごくおいしいので、それでしっかり好きになってしまいました。これが≪メコン≫との出会いです。
自然文化研究会の普段の集まりというのはありません。会員たちの学校がみんなバラバラですから、春と夏に親睦旅行をやるぐらいです。タイを選んだのは、今まで行ったことがなく、また、興味がありましたから。私の希望でした> P127~128


秋篠宮様とタイの初めての関わりについて述べられています。秋篠宮様とタイのつながりは、あの自然文化研究会サークルから始まったようですね。この時から既に、秋篠宮様のお取り巻きの一人である赤木攻教授がしっかり関わっていたとは…。

<アユッタヤーの手前にあるバーンパインという昔の離宮に行きました。そこにはかなり大きなお堀がありまして、魚が泳いでいるのです。よく見ましたらテッポウウオでした。口から水鉄砲のように水を発射して、空中の虫を射落として食べる魚です。
歩いているうちに橋があって、そのそばでパンを売っていました。魚のエサだと言うのですね。三、四斤もある大きな塊です。ちぎってあげようとしたら、そのまま投げ込めと言われた。そこで大きな塊を放り投げたら、下からなにか出てきてひとのみにパクッと食べてしまったんです。東南アジアにはこんなすごい魚がいるのかと感心しました。それからタイに興味を持って仕事をするようになりました> P130


秋篠宮様、またここでも「タイに行くこと」を「仕事」と言い切ってしまっていますね。秋篠宮様の研究旅行はいつも私的旅行扱いであり、「仕事」などという理由で公的扱いされたことなど一度もないはずです。そもそも、秋篠宮様がクリントン大統領の晩餐会よりもタイ行きを優先したことが批判された理由も「晩餐会は一国のVIPをお迎えする公務であるのに対し、タイ行きはあくまでも私的な研究旅行だったから」ということが主でした。しかし、秋篠宮様ご自身の中では、研究は私的活動ではなく「仕事」なのですね。
そういえば秋篠宮様は幼い頃の眞子様や佳子様を連れて動物園に行くことすら「私にとってはある意味では仕事のようなもの」と言ってましたっけ(秋篠宮様の肉声編3をご参照ください)。
秋篠宮様は今も昔も、ご自分の“趣味”の範疇で動いていることを「これは仕事だ」と言って忙しくしているフリをなさるのがポリシーなのでしょうか。今後、秋篠宮様の「公務」を検討していくに辺り、秋篠宮様のこういう考え方(あくまでも「仕事」と言い切る)はかなり参考になると思われます。もちろん、あまり良い意味ではなくて。

(近藤典生博士との思い出について)
<伊豆のシャボテン公園などを作られましたが、普通の方と発想が違います。例えば、ある植物を植えると、同じ生態系の鳥やチョウを一緒に放し飼いにしたりとか、見ていてとても楽しくなります。
先生との一番の思い出は、インドネシアのニワトリ調査のときにコモドオオトカゲに乗ったことです。先生が『大丈夫だから乗りなさい』と言われたから乗りましたが、オオトカゲはとてもやわらない感触でした。でも、このオオトカゲは、私が降りて、また放飼場に放されたとたんにエサのニワトリだったかアヒルをバリバリと食べていました。乗った時に襲われなくて良かったとホッとしました。
先生から教えられたことで思い出すのは、名誉博士号はもらおうと思えばいつでももらえるだろう。やはり自分で論文を仕上げて博士号を取りなさいということ。それから現地に行って自分の目で動物や植物がどのような暮らしをしているのかを確かめなさいといわれたことです> P135~136


近藤典生博士は、財団法人進化生物学研究所理事長・東京農大名誉教授であった人です。タネなしスイカなど品種改良の分野で活躍し、秋篠宮様と一緒になる機会も多かったとのことですが、1997年1月に亡くなられたとのこと。秋篠宮様の例の博士号の授与式会場にも顔を出したようですが、この頃から体調がすぐれず公の場に現れたのはこれが最後であったとのことです。
近藤博士は、上記博士号云々の発言からも推測できる通り、秋篠宮様の博士号論文「ニワトリの起源の分子系統学的解析」の共同研究者の一人として名前を連ねています(当ブログ「ハリボテ博士号その5」をご参照ください)。
その共同研究者の一人が秋篠宮様に「自分で論文を仕上げて博士号を取りなさい」とアドバイスしたとのことですが、彼は共同研究者として秋篠宮様にどれくらいの協力を行ったのでしょうか。
しかしこうして改めて見ると、秋篠宮様の博士号取得にはその道の権威が多くついていたということが分かります。秋篠宮様お一人だけでは決して書くことのできない論文だったのではないでしょうか?
それにしても「オオトカゲがエサのニワトリだったかアヒルをバリバリ食べた」って…仮にもニワトリの専門家(笑)なのに、ニワトリとアヒルの区別もついていないんですか?とちょっと思ってしまいました。まあ、一瞬でエサを食べてしまったので見分けがつかなかったのかもしれないと解釈しておきますか(笑)。

<例えば、ここ(秋篠宮家)にタイのシリキット王妃から電話がかかってくることもあります。また、私からタイに行く前に、分からないことがある時など、逆に王妃にお電話を入れて教えていただくこともあります。王妃からのお電話の場合は、前もって、在日タイ大使館の秘書あたりが、私にこの時間なら自宅にいるかどうかの確認が入ります。
また、私から電話をかける場合は、同様に王妃がおられるかどうかわかりませんので、それでおられるかどうか、ご都合を聞いたうえで電話を入れます> P138


シリキット王妃は、昨年亡くなったプミポン前国王(ラーマ9世)の妃です。秋篠宮様がシリキット王妃と「直電」するような間柄であることは知りませんでした。プミポン前国王と秋篠宮様との間柄はどうだったのかは不明です。

<タイに限らず、外国の王室との今のような素晴らしい関係がずっと続けばいいと思います。次の世代ですが、例えば、ベルギーですと、今のフィリップ皇太子が、兄と同じ年です。オランダの皇太子は、むしろ私に近いです。私より二つぐらいお若いのではないでしょうか。スペインの皇太子も、私よりお若いです。ルクセンブルクは、少し上ですけれど、そんなに、年齢的には違いません。ですから、今後も皇室と外国の王室との良好な関係が続くことを願っています> P141

宮様の上記肉声ですが、一瞬ご自身が世界の王族と懇意にしていると言っているように見えますが、実は「あそこの王族は私と年齢が近い」ということを話してるだけですね。王族の年齢は調べれば分かることですが、ほかに具体的な懇意エピソードはないのか?と思ってしまいます。むしろ年齢しか話すことがない点が、かえって秋篠宮様と世界の王族との関係の希薄さを物語っているように見えてしまうのです。

<私は、公式、非公式の訪問にかかわらずたいていメモ帳をポケットに入れて持ち歩いていて、カッコ悪いとは思いますが、面白いなと思ったり、新しい情報が得られた時とかに取り出してメモすることにしています。もともとは学生のころによく写真を撮っていたので、あとで写真を整理する時に間違えないように、その時の状況などを書き込むために持ち歩くようになったのです。
ニワトリの調査の時などは、大体、夜の間にそれを整理します。夕食でレストランに行く前とか、帰ってきてすぐにします。公式訪問の時は、あまり厚いものは持ち歩けないので、小さいものをポケットにしのばせておいて、部屋に戻ってから別のノートなりパソコンに浄書します。あとで調べ物をする時に楽ですから> P146


まあ、何に関してもメモをとる習慣を付けること自体は良いことだと思います。
秋篠宮様がカメラや写真好きだということは割と良く耳にするエピソードですが、その割には私は秋篠宮様の写真の作品を見たことがないように思います。皇太子殿下は宮内庁の文化祭で風景の写真作品をよく展示されていますが、弟君はそういう話をあまり聞きません。

(第五章終わり)

当主不在の“ブラック宮家” その5~「東宮家と同格」になりたいためだけの職員増員要求?

今回は、週刊文春2012年7月5日号をご紹介したいと思います。

紀子さま ご結婚22周年秋篠宮家「過酷すぎる職場」
10年間で職員10人以上が交代


「あなた、自己中ね!」。宮邸での妃殿下は、優雅な会見からは想像もできないほど厳しいという。退嬰的な宮内庁にあって、なぜ秋篠宮家で次々と人事異動が行われるのか。揺れる平成皇室の中で重責を担う秋篠宮家。そのストレスに悲鳴を上げる職員の声を取材した。

お濠の内、皇居・坂下門を入り、すぐ右手奥に見える三階建ての重厚な建物が宮内庁庁舎である。宮中の伝統と権威の象徴とも言えるこの洋風建築は、昭和10年に建てられ、現在でもその中はまるでタイムスリップしたかのような歴史を感じさせる空間となっている。
「あれほど嫌だって言ったじゃないですか!」
普段から静けさに包まれているこの庁舎の中で、ある職員の怒号が響き渡った。定期異動の直前、昨年春の出来事である。
宮内庁関係者が話す。
「皆が驚くほどの大きな声でしたから噂になりました。この職員は、以前にも秋篠宮家で勤務した経験のある者なのですが、再び秋篠宮家への異動の内示を受けたのです。彼に聞いた職員によれば、『事前に打診があった際にはキッパリと断った』のに、内示を受けて、『話が違う』と上司に食ってかかったそうです。でも結局、内示は覆らなかった。ただ、気持ちはわからないでもありません。過酷だというのは、みんな何となく知っていますから

6月29日、秋篠宮ご夫妻は、22回目の結婚記念日を迎えられる。ご家庭は円満そのものといったご様子で、長女の眞子さまはスコットランドへの短期留学が決まり、来年から佳子さまは大学生に、悠仁さまも小学生になられる。
「悠仁さまは21日、幼稚園の恒例行事である親子でのジャガイモ掘りに、紀子さまとご一緒に参加されました。紀子さまは登山用の大きなリュックを背負われ、ジャガイモをいっぱい持ち帰られたそうです」(皇室担当記者)

◆女子職員を強い口調でお説教

いまだ“途絶状態”の皇太子ご夫妻に比して、秋篠宮ご夫妻は天皇皇后とも非常に密にコミュニケーションを取られている。
「陛下は今月中旬に検査を受けられました。心臓手術の経過が非常に良い、という診断結果に皆ホッとしています。しょっちゅう参内されて両陛下を支えられている秋篠宮ご夫妻は、結婚記念日の直前の週末にも、悠仁さまを連れて参内され、ご昼餐をご一緒されました」(千代田関係者)
だが、順風満帆に見える秋篠宮家にあって“心配のタネ”は、職員の不安定な人事である。
秋篠宮家の職員の定員は、現在16名。それに加えて他部署との兼任職員が3名いるが、この小さな所帯にも拘わらず、10年の間に10人以上の職員が交代しているのである。
かつて宮家に務めたある職員が、当時を振り返る。
「宮内庁の中でも、特に大変な職場だと思います。もう勘弁ですね。半ばノイローゼのようになって退かせて頂いた職員もいましたよ。秋篠宮家では、両殿下と職員の距離が近く、直接お叱りを受けることも多い。以前、妃殿下が女子職員に向かって『あなた、自己中ね!』と強い口調でお説教されたことがあり、庁内でも話題になった。ある人は『ご会見では、あんなに優雅に微笑みを浮かべてゆったり振る舞われているけど、ところがどっこい家の中ではニコニコなんてしない』と洩らしていました」
また、かつて秋篠宮家に事務職として仕えていた職員の一人はこう言う。
「秋篠宮家は職員の間では“ご難場”とも言われています。できることなら避けたい職場だというのが正直なところ。辞める職員が多いのは、仕事量が多くて大変だからでしょう。
同じ宮家でも、例えば陛下の弟君であられる常陸宮家は、お子さまがいらっしゃらないため人数も少なく、両殿下のお人柄も含めて、お務めしやすいと評判です

実は、つい最近も、あるベテラン職員が秋篠宮家を去った。秋篠宮家の事情に詳しい関係者が語る。
「4月末に、秋篠宮家に10年ほど仕えていた料理人が退職してしまったのです。定年までしばらく間があって、中学生ぐらいのお子さんもいらっしゃったはず。もともと殿下のご友人の紹介で、務めるようになったそうですが…」
秋篠宮家の料理人は宮内庁大膳課の職員ではなく、宮家の技官として雇われているスタッフである。
「大膳課は両陛下と皇太子ご夫妻のためのお料理を担当する部署ですが、秋篠宮家の担当の大膳課職員というのはいません」(別の宮内庁関係者)
大膳課は五つに分かれている。一係が和食、二係が洋食、三係が和菓子、四係がパンと洋菓子。ここまでが天皇皇后のお食事を担当し、五係が東宮の担当だ。
「秋篠宮家の場合、一人の料理人が和洋中に限らず、何でもできなければいけないのです」(同前)
かつてはこんな事もあった。子供たちの食事に気を遣う紀子さまは、食材に関しても吟味なさるというが、
「ある日、『(普段の業者から)安くて新鮮な魚が手に入らないのであれば、築地で買えばよいのではないですか』と仰り、実際に当番の料理人が築地市場まで出向いたそうです。こうして毎日、五人家族の三食分を用意するわけですから、かなりのハードワークであったことは想像に難くありません」(同前)
小誌では、退職した料理人に取材を試みたが、頑なに口を閉ざすばかりだった。

庁内でも“過酷すぎる職場”と囁かれる秋篠宮家。
「それは昔からのこと」
だと別の千代田関係者は話す。
「紀子さまは一生懸命になさりすぎ…なんて言ったらいけないが、そういった妃殿下の熱意が、職員にとって負担になっている部分はあるでしょう。紀子さまは『人使いが荒い』という話も聞こえてきます。
ただ、環境が整っていないという側面も大きいのです。例えば、本庁で両陛下のための急な買い物の必要があったら、官車がすぐに手配されて、職員がそれに乗って皇居近くのデパートにサッと行くことができますが、秋篠さまのところは、女性職員が自転車をこいで買い物に行く。紀子さまのご所望ならば、夜の真っ暗な中でも行かなければいけませんが、赤坂御用地の周辺にはちょっとした買い物を済ませられるスーパーもありませんから」

◆「もう精神的に限界だ」

そして、この千代田関係者はこう続けるのだ。
「ただ…紀子さまが少しお厳しいということもあるのでしょうが、飯島さんのこともあった。あっちもこっちもぐちゃぐちゃだった
飯島さんとは、08年頃まで宮家の切り盛りを長いこと任された飯島蘭子元侍女長のこと。
侍女長は“オク”と呼ばれるプライベートを一手に取り仕切る。飯島氏は秋篠宮ご夫妻からの信任も厚く、
「たいへんな貫禄のある女性で、アメリカ初の女性国務長官だったマデレーン・オルブライト氏と雰囲気がそっくり。予算管理が厳しく、職員たちは再三再四、『あるもので済ませて下さい』とお説教されていた」(前出・元宮家職員)
なんでも頭ごなしに命じる飯島氏には、話しかけるのも憚れるよなオーラが漂っていたという、
「本庁の優秀な女性職員が、秋篠宮家に引き抜かれたことがありましたが、周囲はよく分かっているから、『本当に良いのか』と慎重に確認したそうです。それでもご本人が『是非、あの可愛らしい眞子さまと佳子さまのお側でお仕えしたい』という強い意向で、結局、秋篠宮家の侍女長補というポストに収まった。
ただ、宮家では飯島さんにだいぶ厳しくやられたらしい。結局、『もう精神的に限界だ』ということで、辞めてしまわれたそうです。
ところがその後、当の飯島さんも心身のバランスを崩して、10年以上務めた侍女長を辞められたのです」(前出・千代田関係者)

その後の侍女長人事は混迷を極めた。09年に就任した前侍女長は、首相官邸の古川貞二郎官房副長官(当時)のもとで働いた経験もあり、「参事官室に長くいらっしゃり、非常に真面目な方だった」(古川氏)が、体調を崩し就任直後から勤務ができず、秋篠宮家を去った。その後、しばらく侍女長のポストは実質的に空席だったという。
誰もやりたがりませんよ。現在の侍女長の山崎敦子さんも、就任に関しては『2年間なら』と異例の期限付きでの人事だったそうです。今年の年末には約束の2年が経つ。後任の人選は難航するかもしれません」(宮内庁担当記者)

秋篠宮家の不安定な人事について、元宮内庁職員の山下晋司氏が解説する。
「秋篠宮家は、法律上は一宮家ですが、“事実上の内廷皇族”と言えます。三方をお支えする東宮職に50名以上の職員がいるのに対し、ご家族が五方いらっしゃる秋篠宮家に20人弱では、職員一人あたりの仕事が膨大になる。さらに、秋篠宮家に支払われる皇族費は年間6100万円。ここから私的使用人の人件費や食費に加えて、洋服や教育費も捻出されるわけですから、予算的にも厳しい状況にあります」
職員たちが低予算と激務に身を粉にする一方、まったく異なる肩書で宮家に出入りする“キャリア官僚組”もいる。その一人が宮内庁御用掛である近藤茂夫氏だ。
近藤氏は旧建設省出身。国土庁事務次官、初代内閣広報官、フィンランド大使などを歴任し、07年から御用掛に就任している。先日も、秋篠宮ご夫妻のウガンダご訪問(6月11日~17日)に随行した。
「近藤氏は、中曽根康弘政権時代の副総理だった金丸信氏の秘書官。金丸氏の懐刀のような存在でした。
ただ、上司に忠義を尽くし過ぎるきらいがあり、記者連中からは“白ゴマ”というあだ名をつけられています。理由は、白髪で“ゴマすり”がうまいから。内閣広報官当時は森政権の末期で、官邸サイドとメディアの関係が険悪になっていましたが、官房長官の会見場に陣取って、報道陣に『そんな質問はおかしい!』と野次っていたこともあり、啞然としました」(政治部記者)

◆東宮と筆頭宮家の格の違い

また、旧自治省で官僚人生をスタートして、消防庁長官、長野県副知事などの華々しい経歴をもつ板倉敏和氏も昨年末、宮内庁御用掛に就任している。入省同期だった元官僚が語る。
「板倉さんは、もともと福島藩主だった板倉家に婿入りしたんだ。真面目な人ですよ。昨年の暮れあたりから御用掛として秋篠宮家に出入りしていると本人から聞きました」
さらには、小誌が「秋篠宮家に雇われた東大卒経産省スーパーキャリアウーマン」(2月2日号)と報じた谷みどり氏も、経産省に籍を置きながら09年から内閣府事務官(宮務主管付)として、昨年は秋篠宮ご夫妻の被災地訪問に随行し、眞子さまの伊勢神宮参拝の随行員も務めた。
官僚として超一流のキャリアを積んだ彼らが、なぜ揃いも揃って秋篠宮家に集っているのだろうか。
皇室ジャーナリストが解説する。
実務上の必要性というより、両殿下は筆頭宮家としての“格”に見合った陣容を求めておられるのではないでしょうか。
たとえば、秋篠宮家には宮務官と侍女長という二人の特別職の国家公務員が置かれていますが、東宮職には東宮大夫を筆頭に10名以上の特別職がいます。しかも、宮務官が課長補佐から課長クラスであるのに対して、東宮大夫は在外公館の大使経験者などが就く、事務次官に近い役職。どうしても重みが違ってくる」
ただ、そうした優秀な“ブレーン”が多く集まっても、日常の実務を任されるのは宮家の諸君たちである。兼任などの“裏ワザ”で人員を増やすのにも限界がある。将来の天皇である悠仁さまをお育てになる宮家として、相応の組織作りが必要なのではないだろうか。

(記事終わり)

上記記事はかなり詳細で、秋篠宮家に仕えた職員たちの苦悩の悲鳴が聞こえてくる臨場感あふれる内容となっています。
「あなた自己中ね!」という紀子妃の言葉が象徴的ですが、いや、自己中なのは貴女も同じではないですか?と言いたくなるような酷い環境だとつくづく思います。真夜中でも職員を買い物に行かせる、築地まで足を運ばせて新鮮で安い食材を買わせるなど、紀子妃もかなりの「自己中」だとしか思えないのですが。

それに紀子妃は公の場でのにこやかな態度と、職員に接する時の「裏の顔」に違いがあり過ぎるという点も興味深いです。紀子妃ご自身は公のにこやかな顔で周囲をごまかしているつもりかもしれません。しかし、ここ数年の紀子妃の“笑顔”は、笑っているのにどこか怖さを感じさせる不気味なものになっていると感じるようになりました。どれだけ公の場で笑顔を取り繕っても、心の奥底にある不平不満を消すことはできていない印象を受けます。

上記文春記事では、秋篠宮家が創設されるまでは筆頭宮家のお立場だった常陸宮ご夫妻との比較を挙げていますね。
「お子様がいない・ご一家の人数が少ない」という点は置いておくとして、「両殿下(常陸宮ご夫妻)のお人柄も含めて働きやすい環境」と書かれていることが重要です。
どんなに忙しい職場でもやることが多くても、その家の「ご主人(当主)」のお人柄が良くて職員に対する労いがきちんとされている職場なら、職員は「今日も大変だったけど、また明日もがんばろう」という気持ちになれると思うのです。
常陸宮ご夫妻は職員に対するフォローがきちんとなされているのでしょう。

一方で、現筆頭宮家の秋篠宮家にはそういうフォローが全くないことが職員を追い詰め、苦しめていると考えます。

そして上記文春記事は最後の方で重要なことに言及しています。

「実務上の必要性というより、両殿下は筆頭宮家としての“格”に見合った陣容を求めている」

という箇所です。この点は見逃すことができません。

結局、秋篠宮家は実務上でそんなに(優秀な)職員が必要というわけではないのだと思います。
ただ、常に東宮家と張り合い、東宮家と自分たちを比較しては不平不満を抱き、東宮家に並ぶような「形式」を整えてくれということを要求しているにすぎないということです。

「公務が多くて大変だからもっと職員を増やしてもらえると有り難い」という理由ならまだ理解できる面もあります。
しかし本音は「東宮家は職員が多くてズルい!こっちは(山下晋司氏の言葉を借りるなら)“事実上の内廷皇族”だし“将来の天皇である悠仁さま”がいるのだから東宮家レベルに職員を増やして東宮家と同じに扱ってほしい!」ということなのでしょう。
しかし実際、秋篠宮家を東宮家と同格に扱うことなどできるはずがないのです。それが皇室の「序列」というものです。
だからその不平不満を、何も悪くない職員らにぶつけて憂さを晴らしているだけ。
山下晋司氏のような「秋篠宮家擁護発言」は、かえって反発を招くだけのように聞こえます。
まあ、皇族の実態やブラック・パワハラ状態を暴露する記事を書くに当たり、山下氏のような秋篠宮家擁護コメントも入れないと色々とマズいという判断が働いたのかもしれませんが。

そして、秋篠宮家のこういう「不平不満」をある程度受け入れざるを得ない状況になったのか、今上陛下の生前退位にあたり秋篠宮様を皇嗣扱いにすると同時に「皇嗣職」なる東宮職とほぼ同等の新たなポストを設け、秋篠宮家の職員を現在の東宮家並みに大幅に増やすという対策がとられると報じられています。
こうして数年前から週刊誌や懇意の人物(山下氏など)を使って「職員が少ないことへの不平不満」を垂れ流してきた甲斐がありましたね、と皮肉の一つも言いたくなります。


それにしても、紀子妃が悠仁様との遠足で「登山リュックいっぱいのジャガイモを持ち帰られた」というくだりには笑ってしまいました。
普通のリュックではなくて、登山リュックですよ。縦に長くて大きな、あの登山リュックです。
その中に「いっぱい」になるまでジャガイモを詰めて持ち帰るなんて、あまりにも“がっついている”というか、皇族の振る舞いとしてはかなり恥ずかしい話だと感じます。
そんなにたくさんのジャガイモを持ち帰ってどうするというのでしょうか。もし職員らに分け与えたのなら、そういうお話が記事中に出てくるはずです。しかしそういう話が出ていないということは…後はお察しということでしょうか。
職員に対する労いがほとんど聞かれない、むしろ職員を過酷な環境に置いている秋篠宮家にそういう美談を要求することは難しいかもしれません。
遠足でジャガイモをたくさん持ち帰らなければならないほど、秋篠宮家が明日の食材にも困っているという感じには見えないのですが。
こういうエピソード一つで、紀子妃の今までのお育ちの一端が見えてしまいます。

『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 4

今回は江森氏の『秋篠宮さま』第四章から、宮様の肉声を抜粋したいと思います。

第四章 研究生活

<私がどうしてニワトリに興味を持ったかというと、小さいころに読んだ動物図鑑に家畜の出てくる場所がありました。馬とかヤギとか、そこにニワトリも載っていました。その中にコーチンというニワトリを見つけました。名古屋コーチンのもとになった品種ですが、脚のところに羽根がたくさんあるニワトリです。なんだかとても気にいって飼いたくなったことを記憶しています。
でも、その当時は、探したけれどもコーチンは日本にいなかった。本物のコーチンに近いということもあったんでしょうか、いわゆる『名古屋コーチン』を、父に手に入れてもらった。それがニワトリを飼い始めた最初です> P99


秋篠宮様は「小さいころからニワトリには興味があった」と述べられていますが、国民は今でも「秋篠宮様」と聞けば「ナマズ」を連想する人の方が圧倒的に多いのではないかと思います。それがいきなり「ナマズ」でなく「ニワトリ」の研究家になってしまっているのですから「ナマズの存在とは一体何だったのか?」と思わずにはいられません。

<動物に対して怖いとか、抵抗があるということは、小さいころからなかった。例えば、幼稚園のころウォーター・モニター(コモドドラドンに次いで大きくなるトカゲ)という一・五メートルくらい(来た当時)のオオトカゲを両親がおみやげに持って帰ってきてくれて、家族で飼っていたこともある。父はもちろん大丈夫。母もそれほどいやだということはなかったと思う> P101

お土産に生きたオオトカゲ…いや別にいいんですけどね…しかし今上陛下はともかく、美智子様も爬虫類が大丈夫とは意外な感じがします。

<育った環境だと思う。父も魚類だけではなくて、生物全般にすごく興味がある> P102

<小さいころ毎年、浜名湖へ、夏に、湖水浴をしに行っていました。朝に、家族で定置網を見に行くと、いろいろなお魚やカニが捕れます。ある時、その中に、ハモがいて、船のデッキの上をはっていました。口を開けており、鋭い歯がよく見えました。私の兄が火ばしをそのハモの口に入れて遊んでいた。それをまねすればよかったのに、私は自分の指を突っ込んで、そのままかまれてしまった(笑う) >P103

最近は、三年前に道をはっていたアオダイショウを捕まえようと思って、かまれました。手で首のところをパッとおさえようと思ったんです。そうしたら向こうのほうが一枚上で、素早くかんだ。この辺ですね(右手の指を見せる。殿下によると右手で首をおさえ、左手でさらにしっぽをおさえて捕まえるつもりだったという)> P104

<その時は、玄関にヘビを置いておくと、ウチの子供たちが見て興味を持ってくれるかなと思いましたけれど、ヘビに関心を持ったかどうか> P105


秋篠宮様が生き物好きで、落ち着きをなくししょっちゅう噛まれたりするのは別に構いません。が、玄関にヘビが置かれているような家なんて、私なら帰りたくなくなります(笑)。果たして眞子様や佳子様の反応はどうだったのでしょうか。いくら自分がヘビを含めて生き物が好きとは言え、苦手な人の方が圧倒的に多いヘビを子供たちにも見せびらかすような父親なんて嫌です。

<動物というものがあまりにも身近で、今まで意識しないできましたから、動物といるとホッとするということは確かにありますね> P105

<仮設でも予想でもなにかを立てておかないと、ゴールが見えないところを一生懸命、馬を走らせていることと同じになる。最初にある程度ゴールを作っておき、そこに向かって走るほうが効率的だと思う。そのためにはどういうことをしたらいいかを考えて、それで仕事を進めて行く> P109


秋篠宮様、一見すると知的で立派なことを述べられているように見えますが、宮様のおっしゃる「ゴール」というもの、果たしてどなたが作って用意しておくのか…秋篠宮様の論文にはその世界での権威たちが何人か関わっているとのことですが。ほかの人が用意してくれたゴールなら、それに向かって進むのはそれほど困難なことではないかもしれません。

(英国留学について)<昼しか食べないという生活でした。朝は、ジュースかヨーグルトぐらい。お昼になると博物館の研究室を出て自分のアパートまで行くちょうど中間か、それより少しアパート寄りにパブがあり、そこで、食べて一回部屋に戻って、くつろいでから博物館に戻った。
夜は、九時くらいまで、博物館にいた。それで、結局、食事をするのが面倒くさくなってしまった。従って夜は、部屋に帰ってビールを飲んで、いろいろな本を読んだり、残っている仕事をしたりしていた> P113


<私の場合は昭和天皇のご病気の関係で合わせて一年半ぐらいしか留学期間がなかった。一年半の間でできることというのは、かなり限られていた。できるだけ起きている間の時間は自分の仕事のために有効に使おうと思った。それこそ寝る時間が惜しかった。
楽しみはやはり、ニワトリの写真を撮りに行くことだったし、仕事をしていること自体がとても楽しかった> P114~115


秋篠宮様は、ニワトリの研究について「仕事」と言い切ってしまっていますが、これには違和感を覚えました。秋篠宮様はご自分の研究を「私的な活動」でも「趣味の範疇」でもなく、「仕事」と思い込んでいるということが伺えますが、それは違うのでは?と思ってしまうのです。
昭和帝は植物について、今上陛下は魚類について、皇太子殿下は水や運河について、常陸宮殿下はガンについて、三笠宮殿下はオリエント史について、皆様それぞれ研究をなさっていますが、上記の方々はただの一度もご自分たちの研究を「仕事」などと言い表したことはないのではないでしょうか。あくまでも「私的活動の一環」としての位置付けだと思うのです。
それなのに秋篠宮様はニワトリの研究を「仕事」と表現し、ご自分をプロの研究家・専門家と思い違いをしてしまっているように思えます。

当ブログでも既出のように、秋篠宮様はそもそも算数や数学が大の苦手であり、進路先も法学部政治学科であって大学で専門的に生物を学んだわけではありません。ニワトリの博士号も「その世界の権威たち」の多大な協力により得たものにすぎません。
常陸宮殿下は学習院大の理学部化学科を卒業され、また東大大学院で動物学を専攻されたまさに「正統派な理系学歴の方」ですが、それでもご自分の研究を「仕事」だとおっしゃったことは一度もないのではありませんか?
それなのにマスコミは秋篠宮様だけを「動物の専門家」と評価し、常陸宮殿下の研究についてはスルーするという偏りのある報道をしているように感じられます。

秋篠宮様の「自分の研究=仕事」発言を知ってしまうと、宮様は研究で海外に行かれる時も「私的旅行」ではなく「仕事で行く」という認識なのか?と思ってしまいます(宮内庁HPでは「私的旅行」扱いとはなっていますが)。

(第四章終わり)

当主不在の“ブラック宮家” その4~いつもイライラ、氷の妃殿下

今回は週刊新潮2011年11月18日号をご紹介したいと思います。普段雑誌を買わない私が当時思わず購入してしまったほど、インパクトのある記事でした。一連の「秋篠宮家のブラックな実態記事」連発のきっかけともなった記事でもあるでしょう。

秋篠宮家「紀子妃殿下」氷のごときミーティング
侍女長がノイローゼで出勤不能


東宮職の侍従や女官の去就については、これまでも度々メディアで報じられてきた。が、お身内に2人の皇位継承者を抱える秋篠宮家でも、「侍女長」の重職にある女性が人知れず去っていた。その背後には、筆頭宮家ゆえ懊悩される紀子妃殿下のお姿が見てとれるのだ。

侍女長とは、宮内庁に設けられた特別職公務員ポストの1つである。
「御所における女官長、あるいは東宮での東宮女官長に相当する役職といえます。お妃のおる各宮家に置かれ、おもに身の回りのお世話を担当します。これとは別に、宮家は私費でで『侍女』を雇うこともできます」(宮内庁担当記者)
秋篠宮家が創設されたのは1990年。以来21年を経て、紀子さまにお仕えする侍女長は6人を数える。が、その職に関して昨年発令された「ある人事異動」を巡り、宮内庁内部では現在、ひそかに波紋が広がっているというのだ。
菊地明子さん(仮名)という60代の女性が、その当事者である。
「09年7月に5人目の秋篠宮付侍女長に任命された彼女は、昨年11月末をもって退任したのですが…」
そう切り出すのは、さる宮内庁関係者である。後任には、予算を取り扱う主計課で管理職を務めるベテラン職員が抜擢されたという。
「不思議なことに、本来は『官報』に掲載されて然るべき人事であるにもかかわらず、今に至るまでこの件の記載が全くなされていないのです」(同)
国の機関紙である官報には、原則として各省庁の課長相当以上の人事異動が掲載される慣わしになっている。特別職の場合もこれに準じ、秋篠宮家をはじめ、侍女長の人事は従来より公表されてきた。
官報を印刷・編さんする独立行政法人国立印刷局に聞くと、
「私どもは各省庁から出稿されたものを正確に刷り上げるだけで、校閲などは行わず、内容までは関知しておりません」(広報室)
続いて宮内庁によれば、
「侍女長は内閣総理大臣による任命であり、官報掲載も内閣府で行っているため、掲載されなかった理由はこちらでは分かりかねます」(総務課報道室)
埒が明かないまま、今度は内閣府に尋ねてみた。すると、
「官報は政府の広報紙という位置づけであり、情報を載せなかったことに対する罰則はありません」(人事課)
そう前置きしながら、意表を突く回答が―。
「今回の人事は、原稿としての情報はあったのですが、おそらく私どもの掲載漏れ、内閣府のミスになるかと思われます」
お役所らしからぬ潔さ。
かくもあっさり非を認めるあたり、却って勘繰りたくもなるのだが、案の定というべきか、「単純ミス」で片付けたがるその裏には、尋常ならざる“事態”が横たわっていたのだ。

内閣府関係者が言う。
「菊地さんは、旧総理府時代からの職員。70年に採用され、内閣官房への出向が長く、総理官邸事務所で歴代内閣の裏方を務めてきた、いわば事務のエキスパートです」
その活躍ぶりは、5人の総理のもとで8年7カ月の長きにわたって内閣官房副長官を務めた古川貞二郎氏の回顧録にも記されているほどである。
「09年3月に定年退職し、40年にわたる役所勤めを終えた菊地さんは、『これまでのキャリアが勿体ない』といった周囲の勧めもあって、秋篠宮付侍女長のポストに推され、同年7月に就任したのです」(同)
が、実務のスぺシャリストである彼女を待ち受けていたのは、想像を絶する世界であった、
「自身が過ごしてきた役所とはまるで異なるしきたりに戸惑い、またイメージと実際の仕事が余りに乖離していたことで神経をすり減らした彼女は、体調を崩してしまいました。結果、ノイローゼのような状態に陥り、着任してわずか1週間余りで出勤できなくなってしまったのです」(同)
一体、宮邸で何があったというのか。

◆朝礼が「反省会」に

秋篠宮家には現在、15人の職員がおり、その内訳は宮務官と侍女長のほか、事務官が7名、運転技官4名に調理師が2名。いずれも国家公務員である。このほか、冒頭で述べたように民間人扱いとなる侍女が数名、お仕えしている。
秋篠宮家の事情に詳しい宮内庁の古参職員が言う。
「通い勤めの職員らが出勤し、3人のお子様方がそれぞれ幼稚園や学校に出かけられたのち、宮邸では仕事についての打ち合わせが行われます」
主だったスタッフを一堂に集め、あるいは職種ごとに個別ミーティングを開くなど、その形式は議題の内容やメンバーによってフレキシブルに変わるという。
それでも大枠では、
両殿下が同席され、その日の予定について職員との間で確認がなされるとともに、一日の仕事のご指示が出されます。いわば『朝礼』のようなものでしょうか。公務については、おもに殿下と宮務官がやり取りされ、私的な生活に関する事項は、妃殿下からご指示が出されるのです」(同)
後者の中心となるのは、やはり侍女長である。
「宮邸は大別して平屋造りの公室棟と2階建ての私室棟に分かれていますが、公室のなかでもご一家が暮らされる私室に近い場所に『女子詰め所』と呼ばれる侍女らのスペースがあります。その統括者たる侍女長は連日、妃殿下にお時間を賜り、その日の仕事のご説明を受けます。ひと口に身の周りのお世話といっても、ご家族は5人ですから、あらゆる作業が生じます。『今日はお庭の掃除をいたしましょう』、あるいは『この部屋のお片づけを』といった風に、妃殿下が公室棟で指示を出されることもあれば、侍女長が私室に呼ばれることもあります」(同)
そうした折、前日までの仕事ぶりについても紀子さまは細やかに、そして時には厳しいご意見を述べられ、いわば“反省会の様相”を呈することもしばしばだという。さきの宮内庁関係者が言うには、
「この流れをみても、秋篠宮家のミーティングが単なる一日のスケジュール確認以上の性格を帯びていることは明白です」
つまりは『ダメ出し』を賜りつつ、新たに細密で高水準のリクエストが出されるという日々なのである。


◆診断書を出した侍女長も

先述した通り、秋篠宮家のスタッフはわずか15名。これに比して東宮には50人が詰めているという。絶対的な人手不足の中で3人のお子さまを育て、さらにご家族内に皇位継承者が2人もおられるとあっては、紀子さまの背負われる重圧は計り知れない。
そんな状況で、筆頭宮家を支えていくという強固な責任感が、スタッフに対するご指示の「ハードル」を自ずと上げていく形になっているのではないか―。
皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏も言う。
「侍女の仕事は微に入り細を穿つ内容です。赤坂御用地内にある宿舎から通うため、24時間勤務のようなもの。基本的には紀子さまの身の回りのお世話が中心ですが、被災地にも随行するなど、両殿下の生活に関わる全てがその対象となります。両陛下とのご関係や他の宮家とのお付き合いもある上、お子さまの教育については前例がほとんどない。両陛下のご意向を伺いながら進めるわけですから、むろん過酷だと思います
その上で、こう指摘する。
「紀子さまはご自分のお考えをはっきりと仰るようですし、何よりお子様も多いですから、宮邸での仕事がきつくなるのは道理です。『こうしてください』というご指示も、細かくならざるを得ないのでしょう」
酷暑の熱気にむせ返った途端、体感温度が一気に零下へ。あたかも氷のごとき峻厳で鋭利なお言葉が、連日発せられるわけである。

菊地さんについて、あらためて宮内庁に問うと、
「体調を崩し就任直後から勤務が出来ませんでしたが、明確な理由については本人から聞いておりません」
ちなみに彼女の前任者もまた、わずか1年と数カ月でその任を退いているのだが、これについては、
「家庭の介護のこともあり、退職を願い出たもの」(同)
という。が、“異変”を訴えた侍女長は、実は菊地さんだけに留まらない。さきの古参職員が明かす。
「かつて11年にわたって秋篠宮付侍女長を務めた方がいたのですが、やはり最後は体をこわし、『仕事は年度末までとするように』と書かれた診断書を提出するまでに至りました。彼女は、傍から見ていても“今にも逃げ出してしまうのではないか”と思えるほどに憔悴しきっていました」
この女性は直後、侍従職へと配置換えされ、ほどなく職を辞していった。


◆警視庁にも「ご懸念」を

紀子さまのお人柄について、宮内庁幹部に聞くと、
「かつては、妃殿下から漢字の読み間違いを指摘された側近もおりました。沖縄の染料にご興味をお持ちの妃殿下の前で、この職員は『紅殻』という字をうっかり誤読してしまった。すると即座に『それはベンガラと読むのですよ』と仰ったのです。言うなれば、男性のネクタイの結び目が曲がっていると気になってしまう、といった類のお話でしょうか。また、現在の宮邸は旧秩父宮邸を増改築されたわけですが、工事が始まった98年頃、備品のことで妃殿下はたびたび用度課の職員をお呼びになり、応接セットの配置やカーテンの色をどうするか、といった内容のご指示を適宜、出されていました
それらもまた、お立場を全うしたいとの使命感からもたらされる行動であることは疑う余地もない。そして、有形無形に発露されるそのご心情は、時に“外部”へと向けられることも。
08年1月26日、ご夫妻がインドネシア外遊を終えて帰国された翌日、悠仁さまが宮邸のお庭で遊ばれている際に転倒、唇を4針縫うというケガを負われたことがあった。この時、
「悠仁さまは愛育病院まで救急搬送されたのですが、およそ2週間後にこの件がTBSのニュースで報じられてしまいました。その直後、妃殿下は警備を担当する、警視庁警備部警衛課の警察官らに対し、『あなた方から情報が漏れてしまったのではありませんか』と、直接に強いご懸念を表されたのです」(前出・古参職員)
言うまでもなく、お子さま方のお世話もまた、侍女長らの大切な職務である。それにしても、菊地さんの体調不良を受け、宮家における重要ポストが実質1年半近く「空位」だったわけである。その後を継いだベテラン職員とて、
「彼女は昭和天皇の侍従職、その後は皇太后職などを歴任してきたプロパー職員。その経験を買われて抜擢されたのですが、異動ポストが比類なき激務であるのは重々承知しており、当初は固辞していました。そこで上司が『2年で戻すから』と必死に説得し、宮邸に入ったのです」(前出・宮内庁関係者)

皇室ジャーナリストの神田秀一氏が指摘する。
「さきの大震災に際して、皇族として最初に動かれたのは秋篠宮家でした。3月末には紀子さま、眞子さまと佳子さまが被災者のために約3400枚のタオルを袋に詰める作業をされ、5月に入ると紀子さまは三沢市や八戸市へ、6月中旬にはいわき市に入られている。それもただの視察ではなく、避難所でお見舞いをされているわけで、男子のお子さまを育てながら次々と公務をこなす紀子さまは、相当なストレスをお感じになっていることと思います」
秋篠宮家にあっては、仕える者もまた「心構え」が必要とされるというのだ。
「侍女というのは宮家の生活に合わせて動く仕事。規則はあっても細則は殆どなく、日々の判断が重要になります。公務員といえども役所の仕事とは180度異なり、『書類に判子がないから動けない』ではつとまらない。どんなに優秀でも、能力を発揮できない方もいるかもしれません」(同)
現在は体調も快復し、新たな仕事に就いている菊地さんを訪ねると、
「こんな季節にわざわざお越し頂いて申し訳ありませんが、今は一市井人ですので、官報のことなど、何も存じ上げないのです」
そう口にすると、足早に立ち去って行った。

(記事終わり)

上記記事は神田氏だの松崎氏だのが出てきて必死に「紀子妃が職員に厳しい態度にならざるをえない理由」を述べて彼女を庇っていますが、私の目からは「職員数の少なさに不満を持ち、常にイライライしていて理不尽な形で職員に八つ当たりをして憂さを晴らしている」ようにしか見えません。記事の受け取り方は人ぞれぞれだと思いますが、私個人はそういう印象です。

被災地訪問や公務云々の件も、国民が「そうしてほしい」とお願いしているわけではないのに一人で張り切っているようにしか見えないのです。それに対してストレスを感じるくらいなら、むしろやっていただかなくて結構ですと言いたい気持ちです。
紀子妃のイラつきが職員にまで悪影響を及ぼしているのは問題があるでしょう。
悠仁様のお怪我の件がすぐに外部に知られてしまった件についても、何の根拠もなく警察官を疑うことなどもってのほかですし、そういう態度を繰り返していたら職員からの信頼を受けられなくて当然ではないでしょうか。
我が子が怪我をした、ということで「親としての責任」を追及されることがそんなに嫌だったのか?としか思えません。

「お子様の人数が多いから」という言い訳も、ほかのお子様の多かった宮家の方々を拝見する限り紀子妃を庇う根拠としては弱すぎますし、ご自分たちが好んで3人もお子様を持たれたのに、そういうことを理由にするのは卑怯だと思います。

神田氏も松崎氏も紀子妃に同情的な姿勢でコメントを寄せていますが、紀子妃の方に非はないとは言い切れないと思います。紀子妃は一般の平民家庭出身なので(この点は婚約会見でも触れられていたし紀子妃ご自身も認めていること)、お手伝いさんがいる世界とは無縁だったとお見受けしますし「人の使い方がわからない方」なんだろうという印象を受けます。「人を褒める・評価する」ということができない方なのかもしれません。
それに「何でもかんでもオールラウンダーとしてできなければならない」ことを職員に要求するのも正しいやり方とは思えません。ある分野でのエキスパートな人を別の分野までできるようにしろ、ということが果たして正しいやり方なのか。
「職員数が少ないんだから仕方ないでしょう!」という紀子妃の言い分もあるかと思いますが、それなら秋篠宮家よりももっと職員数が少なかった宮家(三笠宮家や高円宮家など)では、どうして記事のような問題が起きていないのか?という疑問が湧くのです。

紀子妃をはじめ秋篠宮家“だけ”が一身に公務を背負わされてそれに対する不満を抱いているというならまだ分かりますが、紀子妃は逆に公務が自分たちの所に回ってくることを待っているような発言もしているのです。
高円宮家の次女の典子元女王(現・千家典子さん)がご結婚で降嫁されることが決まった際、紀子妃は典子元女王が受け持っていた公務が秋篠宮家に回ってくると思い込んでいたらしく「これから忙しくなるわ」という発言をなさっていたという記事もありました(その記事も可能であればここでご紹介したいと思います)。
つまり、紀子妃は公務が回ってくることに不満を抱いているどころか、むしろ喜んでいるように見えるのです。
それなのに「公務などでストレスを抱えている、だから職員に厳しくなるのは仕方ない」という論調に違和感を覚えるのです。


秋篠宮家の職員数の少なさについても、これでも以前よりかなり改善されている(増員されている)のです。
東宮家というずっと格上の内廷皇族を基準にするから「少ない!足りない!」となりますが、そもそも東宮家と秋篠宮家は格が全く違うのです。
自分たちを東宮家と同格のように考えるその姿勢こそ「立場をわきまえていない」のではないでしょうか?


しかし、紀子妃が1998年頃(秋篠宮邸の備品等についてのエピソード)からすでに「こういう態度」だったことから、東宮家との比較云々の前から「職員に厳しく口出しの多い方」であったようですね。

それにしても、いくら秋篠宮様が公的な面でしか宮務官とやり取りしないとは言え、あまりにも当主の存在感が無さ過ぎではないでしょうか。もし紀子妃が私的なことで指示を出すことにイラついてストレスをためているようなら、当主がもっと妃をフォローしてもよいのではないかと思ってしまいます。
こういうパワハラ・ブラック記事を挙げる際、どうしても当主の存在感の無さ、フォローの無さが気になってしまいます。

『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 3

7月8日は本来なら眞子様と小室圭さんの婚約会見が行われる予定でしたが、九州の豪雨被害のために会見を延期することになったとのこと。死傷者や行方不明者も多数出ており賢明な判断をされたと思います。
今日は再び秋篠宮様の肉声を振り返る回となりますが、タイミングよく秋篠宮ご夫妻の結婚あたりの肉声となりました。眞子様の会見が延期されて何ですが、お父上はご自分の結婚について当時何を考えていたのか?ということを振り返ってみたいと思います。

第三章 結婚前夜

<結婚の時、一部のマスコミで家内と結婚させてくれなければ私が皇籍を離脱すると両親に迫ったという報道がありましたが、あれは完全に作った話です。私は、知り合った直後に家内を両親に紹介し、両親は付き合っていることは知っていましたし、結婚するんだろうなということもおそらく分かっていたと思います。また、結婚する相手が彼女だったらいいな、というふうに思っていたと思います> P79


秋篠宮様ご本人はこう主張していますが、それでは「皇族やめてやる」発言も「火のない所に煙が立った」とでも言いたいんでしょうかね?秋篠宮様は以前も皇太子殿下との待遇差に不満を抱いて「皇籍離脱したい」と言ったことがあると記事にされたことがありますね。その時の発言と混同された?という見方もできなくはないですが、美智子皇后陛下と紀子妃で秋篠宮様を説得して「皇籍離脱」の考えを改めさせようとしたというエピソードもあったとか何とか…
それから上記の秋篠宮様の肉声後半部分ですが、あくまでも「両親は~と思っていたと“思います”」という、宮様の主観に過ぎないんですよね。両陛下が本当はどうお考えであったかは断言できないわけです。
しかし、最終的には両陛下がGOサインを出してしまったからこそ、秋篠宮ご夫妻の結婚が許されてしまったわけですが…

<家内からのOKの返事はいつだったのか。はっきりした返事ではありませんでした。自然にそのままというか、私もよく覚えていません> P82

結婚するうえで、例えば相手が旧華族の出身でなければいけないなどの制約や条件は全然なかった> P82

これも後付けな言い訳の感じがします。秋篠宮様も本来は良家のお嬢様とお見合いの予定があったという話も聞いたことがありますし、最初から(一般家庭出身の)川嶋紀子さんでOKという雰囲気だったというのは疑わしいです。
また、もし仮に秋篠宮様の結婚相手に制約が何もなかったのであれば、それはお母様の美智子皇后陛下が民間人出身だったので今更そんな制約を設けても…という理由は確実にあったでしょう。

兄より先に結婚したことが、批判の対象になったりしたが、当時、兄のほうは、まったく先が見えなかったわけです。従ってそのことについては、なんの問題も、宮内庁から困るという話もなかった。家族の中でももちろん問題にはならなかった> P83

これも「全く問題にならなかった」と言い訳するには随分無理があるとしか思えませんね。それではなぜ、お兄様よりも先に結婚したことが当時あれだけ「長幼の序を乱す」と批判されたのか?批判していたのはマスコミや国民だけであり、宮内庁やご一家など「身内」の中では長幼の序を軽んじてもOKという風潮になっていたとでも言いたいのでしょうか。
確かに、今の両陛下は東宮ご一家と秋篠宮家を同列のように扱ったりして、皇室内での序列というものを軽視しているように見えてしまいます。その一方で眞子様を「初孫・孫の中で一番年長者」という理由で可愛がっているようですから、一貫性がないと言われても仕方ない面もあります。
ご自分たちの都合に合わせて序列を軽んじたり重んじたりするご両親(両陛下)を見ていたので、秋篠宮様ご自身の序列への感覚もおかしなものになってしまったのかもしれません。

それにしても「兄貴に相手が見つからないのが悪いんだろ」とでも言いたげな秋篠宮様には腹立たしいですね。皇太子殿下の結婚は皇室の未来にも関わることですから、弟のように軽はずみでできるわけがないのです。皇太子殿下のお立場とお考えを知っていたら「兄貴に相手が見つからないんだからしょうがないじゃん」みたいな発想にはならないはずなんですが。

ここ一、二年、川嶋家の方に問い合わせなどが多くなり、早い時期に公にしたいと判断しました。宮内庁も異議なく、また両陛下からも反対はございませんでした> P84

これは以前に当ブログでもご紹介したように、秋篠宮ご夫妻の当時の婚約会見の宮様の発言の一部です。何度も言いますが「川嶋家への問い合わせが多くなった」理由は、川嶋家が自らマスコミとつながって交際情報をリークしていたからです(朝日新聞がその辺りを詳細に暴露していますから)。「宮内庁や両陛下からも異議はなかった」と言いますが、意義を出せない状況になっていたというのが真相ではないかと思ってしまうのです。

<私は、見ていて口を出すことはありますけれども、自分では料理はしません。やってみたいという気持ちはあり、日曜大工などにも興味はあるのですが…。掃除はやりますけれども。
(『庭いじりとか、それこそ、器用でいらっしゃるから、ご自分で作られて家族の方に食べていただくこともあると思っていましたが』)いや、しません。妹はもちろん料理を作りますが、兄もしないと思います> P87~88


またここでも皇太子殿下を巻き込んで「兄貴もしないしいいじゃん」みたいな感じになっています。
しかし秋篠宮様って「器用」というイメージありますか?正直な所、私はそのイメージはないのですが。

<出るのはまったく問題はないのですが、自分が出無精なもので、外へ行くのが億劫です。ですから、たいていは家にいます。ただ、子供たちを動物園などに連れて行った方がいいので、そういう時は、ウイークデーに、人が少ない時に出掛けます。動物園に行くというのは、私は、ある意味では仕事みたいなものですから(殿下は、日本動物園水族館協会の総裁を務めている)、訪ねる理由もいくらでもつきます> P90

「動物園に行くことが私の仕事」、この部分で笑ってしまいました。「仕事」「公務」を理由にすれば、何でも通ってしまうのですね(笑)。眞子様や佳子様をダシにしていますが、本当はご自分が動物園に行きたいだけなんでしょう。
それに「ウィークデーに動物園に行く」と言っていますが、お子様たちの学校はどうするんでしょう?放課後に行くとか?
なお、上記肉声の補足で「秋篠宮様は日本動物園水族館協会の総裁を務めている」と書かれていますが、秋篠宮様が実は総裁の仕事をまったくしていなかったことがバレてしまった事件がありました。この件も、後ほど秋篠宮様の公務を検証する際に触れたいと思います。

<人によっていろいろと考え方の違いもありますけれど、ある年齢の時に外国に連れて行くのはその子の成長にとってはプラスになるのではないかと思う。国によってさまざまな文化があるし、そういうのは自分で体験するのと本で読むのとでは全然、違うと思う> P93

秋篠宮様は眞子様や佳子様を私的旅行で海外に連れていったことが何度かあります。秋篠宮様が上記のようなお考えを持っているなら、敬宮愛子様が東宮ご夫妻とオランダに行かれたことにも、当然賛成していたはずですね。東宮ご一家がオランダ王室から招待を受けた上でオランダに静養に行かれたことは、当時心ない人々から批判を受けましたが(天皇陛下も苦言を呈するようなことを発言なさっていて悲しくなりました)、秋篠宮様がここで「いや、海外に行くことは子供の成長には良いことです。うちの子たちも海外に連れていったことがありますから」と一言東宮ご一家をかばうような発言をなさっていれば、宮様の株は上がったかもしれませんし東宮ご一家も救われたのではないでしょうか。
しかし、秋篠宮様から東宮ご一家をかばうような発言はありませんでした。


(第三章終わり)

当主不在の“ブラック宮家” その3~次々に去る職員らと、なぜか頼りにされる3人の側近

今回は、週刊文春2011年9月22日号の記事をご紹介いたします。

深層レポート 紀子さま45歳 秋篠宮家をウラで牛耳る「3人の側近」
10人以上の職員が交代!
なぜ職員が体調を崩し次々に去るのか。書かれざる“人間関係”を明らかにする


「我々に人事権はありません。命じられた場所で働くだけ。だから堪えられない人は夜逃げ同然で去る人もいる」。ある関係者はこう話した。普段は退嬰的な宮内庁がなぜこれほど頻繁に人事を行ったのか。知られざる秋篠宮家職員たちの真実を初めてつまびらかにする。

国道246号線。通称・青山通りを東に走り、豊川稲荷の手前を左に折れると、すぐ左側に見えるのが「巽門」。門番である赤坂護衛署第四警備待機所を通過し、緑豊かな敷地を道なりに150メートルほど進むと、秋篠宮邸の重厚な鉄門に行き着く。
今の季節はツクツクボウシの蝉しぐれが響く赤坂御用地のなかで、宮邸は背の高い木立に囲まれ、周囲からは中の様子を窺い知ることはできない。
秋篠宮邸は平屋建ての公室棟と、二階建の私室棟に分かれており、この公室棟の玄関で、今年も紀子さまの誕生日にあたり、祝賀の記帳が受け付けられた。
参列者の一人が話す。
「玄関を入って左手にある記帳台には、和紙でできた帳簿と硯、筆が備え付けられています。参列者は一人ひとり墨を擦り、氏名を揮筆する。帳簿には政府関係者からメーカーやホテルなどの大手企業の名前まで、ずらりと並んでいました
近頃にわかに注目を浴びている秋篠宮ご一家―。9月11日、紀子さま45歳のお誕生日当日、小誌ではある宮内庁関係者を取材した。この人物いわく、かつて宮家職員が打ち明けた一件が「忘れられない」のだという。
「その人は紀子さまに叱責されたことが強烈な記憶として残っているようでした。『ただ正直、何のことで咎められたのか、憶えていない』という。普段のイメージとは違う迫力に、慄然として、頭の中が真っ白になってしまったと語っていました」

秋篠宮家に仕える職員の人事はこの数年、不安定な状況が続いている。
まず事務方トップである宮務官と、オクと呼ばれるプライベートを一手に取り仕切る侍女長が、この一年以内に二人とも交代している。この二つのポストだけでも、この4年で6人が辞め、他のポストも含めれば10年の間に10人以上が交代している。
だが前出の職員は、「お辞めになる方の気持ちはわかる」とも洩らしたという。
「半ば神経症のようになって宮家から下がる職員もいるようですが、『あそこで働いていれば、日々積もりに積もるものがあるのは当然です』というのです」(前出・宮内庁関係者)
悠仁さまがお生まれになる前と比較すると職員数は増えている。現在は侍女長を支える侍女長補と、料理を担当する技官が一人ずつ増えたほか、運転技官も2名増え、4名になった。
だが、今でも本質的な人手不足は解消されていない。本庁や東宮職の経験者が、秋篠宮家に移るとその仕事量の差に驚くという。

◆気配を消して働く職員たち

「16名しかいない秋篠宮家では、職員は何でも出来るオールラウンダーにならなければなりません。不得意な分野を任され、万が一ミスをすれば目立ってしまう。常に仕事を見られているような雰囲気はあります。さらにこれまで女官などの経験がない者がいきなりオクの仕事を任されるのでは、やはり厳しいものです」(別の宮内庁関係者)
張り詰めた空気の中、職員は物音ひとつたてないように働いている。秋篠宮邸は絨毯敷きで、みな靴を履いたまま仕事をするが、
「底の固いパンプスなどでは靴音が響いてしまう。女性はみな絨毯の上でも音がでないようなローヒールの靴を履いています」(同前)
そして地味な色のスーツを着て、気配を消すようにして働くのだという。

「かつては飯島蘭子さんという侍女長が目を光らせていた。08年頃まで宮家の切り盛りを長いこと任されていました」(同前)
飯島氏は現職時代から、職員に相当厳しかったようだ。元宮家職員が話す。
「たいへんな貫禄の女性でした。アメリカ初の女性国務長官だったマデレーン・オルブライトと雰囲気がそっくり。予算管理が厳しく、職員たちは、しょっちゅう『あるもので済ませてください』とお説教されていた。なんでも頭ごなしにおっしゃるので、話しかけるのも憚れるようなオーラがありました」
だが、彼女さえも去り際には心身のバランスを崩してしまったようだ。
「最後はほとんど出勤できなくなっていたらしいですね。忙しさと人手不足、そして何が理由か存じませんが、殿下との関係にも縺れがあったと聞きました。それでも10年間頑張ってこられたのは、お子さんのことがあったからでしょう。女手ひとつで子供を医学部に入れるまで育てたそうですから」(別の宮内庁関係者)
秋篠宮家のスタッフが安定しなくなったのは、たしかに飯島氏がいなくなった頃からだ。
「“重し”が無くなってしまったのでしょう。もちろん、職員の悩みはケースバイケースですが、飯島氏がいなくなった現在の宮家を陰で牛耳っているのは、宮務官でも侍女長でもなく、常勤職員ですらない。“3人の両殿下の側近”なのです。この3人が職場環境に与えている影響は大きい」(前出・宮内庁関係者)

この“3人の側近”とは、一体どんな人物なのか。
「一人は元宮務官・富士亮氏の妻、富士幸子氏。二人目は御用掛で、外務省のフィリピン大使を務めた松田慶文氏。三人目は、飯島氏の前に侍女長を務めていた犬伏紗知子氏。彼女は悠仁さまがお生まれになったこともあって、非常勤扱いで宮家に戻ってきたのです。急場を手伝うために再び呼ばれたのでしょう」(同前)
3人が秋篠宮家と深くかかわるようになった背景はそれぞれだ。
「富士氏の夫・亮氏は、陛下が皇太子の時代から東宮侍従を務めた人物。農学博士で音楽にも造詣が深く、皇太子と同じくビオラが趣味の朗らかな“名物侍従”でした。秋篠宮家が創設されたときには初代宮務官に起用され、朝日新聞にもインタビューが掲載された“明るい秋篠宮家”の象徴のような人でした。ただ数年の勤務の後、食欲がなくなり、物忘れも多くなったそうです。94年には陛下の侍従を最後に退官。06年にはひっそりと亡くなりました。
奥さまは小柄でテキパキと仕事をこなす方。紀子さまと同じように手話がお出来になります」(富士氏知人)
非常勤だった富士氏は今年3月で退職しているが、いまでも両殿下からのご信頼は篤いという。
富士氏と犬伏氏には同窓という接点がある。
お二人はキリスト教に基づいた一貫教育を行う自由学園女子部のご出身です。学年は違いますが、犬伏氏が侍女長になったのも、お二人の繋がりからだと聞いています。人当たりの良い方ですよ」(同校関係者)
松田氏は、秋篠宮家の外国交際などを任されていた。外務省関係者が話す。
「彼は自治省入省組には珍しく、外務省に出向したんです。外務報道官を務めていた時に、宮内庁との関わりができ、秋篠宮両殿下がフィリピンを訪問された際、主席随員を務めています。両殿下、特に殿下と波長があったようですね
現在のように人事が落ち着かない秋篠宮家においては、両殿下のご相談相手が多いことに越したことはないようにも思えるが、小誌でも報じたとおり、最近では「秋篠宮家では働きたくない」と洩らす、宮内庁職員が多いのも事実だ。

◆職員評をお聞きになる両殿下

「船頭多くして、ということがあります。いま両殿下がご信頼を寄せているのはその3人。でも、最終的な責任は宮務官や侍女長が取らなければならない。また、両殿下が3人から『あの方はどうですか』と、職員についての意見を内々に聞くこともあるのだとか。それが伝わりプレッシャーに思う職員もいるのです」(前出・宮内庁関係者)
これらの指摘を本人たちはどう聞くのだろうか。
松田氏本人が語る。
「私の場合は、現在も秋篠宮付の御用掛で、3月までは月に一度、宮邸に上がり国際情勢のご進講をしておりました。国体などの行事には随行し、その際には職員とのやり取りもありましたが、私はほとんど職員の方とは関わりはありません。犬伏さんが職員に指図することもないはずです」
ほかの2人にも話を聞こうとしたが、犬伏氏は拒否。富士氏の自宅を訪れたが不在だった。
この現状を皇室ジャーナリストが解説する。
「そもそも宮内庁の人事が行き届いていないのです。将来、天皇になる可能性が大きい悠仁さまをお育てになる宮家なのですから、様々なご苦労があるのは当然です。人事異動をする前に、どういった人材が必要か、まずは両殿下によくよくご相談するべきなのです」
職員の不和が、秋篠宮ご一家の負担になるようなことがあってはならない。適正な人事体制を整えるのが宮内庁の急務ではないか。

(記事終わり)

「ここ数年における怒涛の秋篠宮家ブラック記事」の第一弾として上記の記事を挙げましたが、「何でこんなに仕事量が多いのか?そしてなぜ職員が次々に秋篠宮家を去っていくのか?単純に仕事量が多くてきつい、というだけではないのではないか?」という疑問がまず頭に浮かびます。
上記記事でも触れている通り、悠仁様がお生まれになったことでちゃんと職員数も増やしてもらえているのです。

「夜逃げ同然で去る職員もいる」
「あそこで働いていれば日々積もりに積もるものがあるのは当然」
「気配を消して仕事している」
「やり手のベテラン職員すら心身のバランスを崩して辞めてしまった」


これらの文章からも分かる通り、物理的な仕事量の多さだけでここまでの事態になるのはかなり異常でしょう。
そういう物理的な忙しさだけでなく、人間関係的な問題、パワハラ的問題が潜んでいることは間違いないと思います。

「叱られた相手が頭の中が真っ白になるくらいの紀子妃の怒りっぷり」
「常に仕事を見張られているような感覚になる」
「ベテラン侍女長は殿下(どっち?)との間に軋轢があった」
「3人のお気に入りの側近から両殿下が他の職員についての意見を聞くこともある」


どうやら、この辺りに職員が居付かない要因があるような気がします。これがパワハラでなくて一体何なのでしょうか。

しかし、上記記事で名前が出ている3人の側近のように、秋篠宮家とウマが合いうまくやっていける人たちも一定数いるのかと少し驚いています。彼らは「常勤職員ですらない」と書かれているため秋篠宮家に常駐しているわけではなく、必要な時にたまに呼ばれてちょっと話を聞くだけのことしかやっていなかったのかもしれませんね。そうだとしたら彼らの心身の負担は少なくて済みますし、常に秋篠宮家に詰めていなければならない職員に比べたら気楽だと思います。だからそこそこうまくやっていけただけではないでしょうか?
このように「たまにしか秋篠宮家と関わらない」ような側近が秋篠宮ご夫妻と結託して、立場の弱い職員たちを見張っているような状況では、辞めたい・逃げたいという気持ちになるのは当然でしょう。

ちなみに上記記事が出た2011年は、東日本大震災があった年でもあります。
紀子妃は、宮内庁HPのスケジュールにわざわざこのようなことを書かせて「自粛アピール」をしていました。↓

http://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/show/3?quarter=201103
平成23年9月11日(日)
文仁親王妃殿下 東日本大震災発生から半年に当たるため,お誕生日のお祝い行事はお控えになりました。

それなのに、お祝いの記帳は止めてなかったんですね。そういうものなのでしょうか?
しかし平民上がりの一宮妃のために、政府関係者や大企業らがこぞってお誕生日お祝いの記帳に駆け付ける様、何とも皮肉めいています。
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