当主不在の“ブラック宮家” その9~ブラック飲食店も真っ青の秋篠宮家料理人の現状

今回ご紹介する週刊文春2015年7月9日号は、「秋篠宮家=ブラック職場」ということをいっそう強く際立たせることになった、有名な記事です。これほどハッキリと「ブラック」と言及されてしまった皇族(宮家)はほかにいらっしゃいません。

「秋篠宮家の料理番」の告白 「一言で申し上げるならブラックバイト…」
魔の金曜日、椅子だけの待機室、厨房に響く紀子さまの叱責


≪私も仲良く「可」にいたします。いろいろな可能性を秘めている「可」ということで≫
結婚25年を迎えられた紀子さまは妻、親としてご自身をこう評された。このお言葉を、「落第」のレッテルを貼られて去った、宮家の料理番はどう見たのか。宮家の深層リポート!

宮内庁大膳寮の初代司厨長・秋山徳蔵の生涯を描いたドラマ「天皇の料理番」(TBS系)が好評だ。外国の賓客に振る舞われた彼の豪華絢爛な宮中料理は、国の威信を示す重要なものであり、大正天皇、昭和天皇の覚えもめでたかった。“天皇の料理番”は、西洋に追い着いた戦後日本の象徴として料理人以上の栄誉である“称号”となった。
だが、将来の天皇を擁する“秋篠宮家の料理番”の実態はまるで違う。かつて秋篠宮家の料理番として務めた元職員はこう話す。
「私などは、臣下として、『可』さえも頂けなかったと思います」
可とはなにか―。
6月29日、秋篠宮ご夫妻はご成婚から25年の「銀婚」を迎えられた。当日には文書でご感想を発表されたが、事前に内容を見た記者たちは面食らった。
「A49枚綴りで、異例の“対談形式”でまとめられたペーパーが出てきたのです。25年間を振り返り、仲睦まじいご様子のやり取りが続いています。これはお二人が交互にパソコンで文章を打ち込み、“交換日記”のようにまとめられたそうです。秋篠宮さまのご発案と伺っています」(宮内庁担当記者)
可はその最後に出てくる。文書の締め括りに、秋篠宮ご夫妻が、親・夫婦として、お互いの自己評価を述べ合っているのだ。
<文仁 本来であれば、第三者、まったくの第三者というわけにもいかないので、私以外の家族に委ねなくてはいけないのでしょうが、それをするにはまず自らを振り返ることが必要です。とはいうものの、あなたと子どもたちから私の評価を聞くことは、今までの自分の行いを考えると少し怖い気もするので、今回はあくまで自己点検・評価でいきましょう。
きとんとした項目立てをして、優・良・可・不可で客観的に点検および評価をしたわけではありませんが、漠然としたメルクマールからすると、私の場合には限りなくボーダーラインに近い「可」といったところでしょうか
紀子 私も仲良く「可」にいたします。いろいろな可能性を秘めている「可」ということでいかがでしょうか>

前出の秋篠宮家の料理番はこれを読み、自嘲の笑みを浮かべながら話すのだ。
「おそらく私などは『落第』だと思いますよ。ただ、宮仕えを一言で申し上げるなら、ブラックバイトのようなものですよ。口幅ったいことを申し上げるようですが、一流の料理人が務める場所じゃない。厨房に一人きりのことも多く、牛丼屋じゃないが、まさに“ワンオペ”状態なのです。
正直言って、この文書は“オモテの歩み”を書いたに過ぎません。この25年の間、オクでは実に多くの職員が宮家を去りました。単なる人事異動ではなく、心身のバランスを崩すケースも多々あったのです」

秋篠宮家は、職員の間で“ご難場”とも称される過酷な職場だ。宮家の実情をよく知る秋篠宮家関係者はこんな話をする。
「お傍で仕える料理人や侍女に妃殿下から直接お叱りの声が飛ぶのは日常茶飯事です。紀子さまが無言のまま“人差し指一本”で支持されることもある。現在、秋篠宮家の職員の定員は18名、他部署との併任職員が3名いますが、ご一家五人をお世話するには小さな所帯で、一人当たりの負担が大きい上に両殿下と職員の距離が近いのです。皆、ダイレクトな仰せに精神的に参っているのです

◆職員を“強烈な比喩”で叱責

とりわけ料理番は、過酷なポストだと言われている。定年まで勤め上げた料理番が未だかつていないというのが、その証左だという。
「秋篠宮家の料理人は宮内庁大膳課の職員ではなく、宮家の技官として雇われている職員です。大膳課は天皇皇后両陛下や東宮ご一家のお食事、宮殿で行われる晩餐会などの料理を担当します。ある秋篠宮家の料理人から内々に相談を受けたことがありますが、『大膳とは待遇が全く違うんです』と洩らしていました」(宮内庁関係者)
25年前、宮家創設時のスタッフは計10名だったが、料理番の体制は現在でもほとんど変わりがない。あまりに人手が足りず、てんてこ舞いで一週間が過ぎ、“魔の金曜日”が訪れる。
「土日に召し上がる食事の準備をして、侍女らに調理方法など段取りの申し送りをするのです。当日の食事の用意も同時並行。金曜日の厨房は戦場でした」(例の秋篠宮家関係者)
2000年3月、秋篠宮ご一家は新婚当初の旧鷹司邸から、現在の宮邸へと引っ越された。鉄筋コンクリート造り二階建てで、一階には八畳ほどの広さの厨房があり、それと隣接する事務室には侍女長や侍女が詰めていたという。
「仕込みの作業をしていると、隣の事務室から紀子さまが『今後は気をつけてください!』などとお叱りになる声が聞こえてくるんです。『次は自分の番かな』と思うと恐ろしかった。厨房まで紀子さまがいらっしゃることもあるからです。紀子さまに『ちょっと』と声を掛けられると心臓がギューッと締め付けられるようでした。私の目を見て、味付けや私の至らない点を注意されることもありました。タイ料理や韓国料理がお好みで、パクチーやレモングラス、バイマックルーなどを業者に頼んだり、コリアンタウンまで出向いて材料を購入しては見よう見真似で作りました」(前出・元秋篠宮付職員)
厨房を離れて一息いれる場所は、椅子しかない“待機室”だった。
「事務官の作業着などを置くロッカールームですが、パイプ椅子が無造作に何脚かあるだけで、机がないんです。暗くて、冬は寒い。宮様方の昼食を出したら、自分は膝の上に買ってきた軽食を置いて、食べていましたよ。いつ雑用で呼ばれるのか分からないので、休憩と言っても、宮邸の外に出られないのです。庭の手入れから犬の散歩までやりましたね」(同前)
突然休日に呼び出されたこともあったという。
「『こういう献上品があったから、手当てしてくれる?』と自宅に電話がかかってきたことがあります。そういった場合は休みでも急いで駆けつけます。基本的に『あるものでやってください』と言われるので、献上品を生かさなければ回らないのですが、毎回同じものをお出しするわけにもいかないし、限度がありますよ」(同前)

紀子さまが女子職員に「あなた、自己中ね!」と強い口調でお説教されたことが、かつて庁内で話題になったが、
「恐れながら、『自己中』くらいは序の口だと思います。紀子さまは、職員の至らない部分を、強烈な比喩を使ってお叱りになることもある。恐ろしくてとても言えませんよ。ある料理人はショックが大きすぎて、抑鬱状態となり、『宮家を下がりたい』と言い出し、まったく料理とは無関係の部署へ異動しました。その後、庁内の閑職を転々としていましたが、定年前に病気でお亡くなりに…
普段から紀子さまは職員にあだ名を付けられるのですが、そのあだ名は秋篠宮ご一家の間でも呼び交わされています。詳しくは言えませんが、大の大人がモノに喩えられるというのは、決して気分が良いものではないと思いますよ」(前出・秋篠宮家関係者)
近年、秋篠宮家の料理番をもっとも多く務めたのは男性技官のA氏だ。だが、このベテラン職員も2012年4月で退職している。

◆ある技官は本誌取材に顔面蒼白

「料理番が定着せず、内々に『本庁の大膳課から一人回してほしい』という要望もありましたが、大膳課は断った。誰も手を上げなかったのです。民間の調理師会でも“ご難場”の噂は浸透しているため、紹介できる人間がいなかった。そこで、秋篠宮さまと縁の深い沖縄の重鎮を介して、沖縄の調理師学校から送られたのがA氏だった。
A氏は沖縄での仕事を辞めて、家族も一緒に上京してきました。A氏を受け入れる際、宮内庁サイドは『まずは単身赴任から始めては?』と提案したそうですが、『大丈夫です』と張り切っていた。A氏のご両親も空港で見送る際、『宮家に差し上げるつもりです』と言っていたそうです。宮家での勤務に情熱を燃やしていたのだと思います。ところがいつの日からか出勤してこなくなり…。定年までしばらく間がありましたが、最終的に自己都合で退職したのです」(別の宮内庁関係者)
本誌記者はA氏の現在の職場を訪ねた。小柄で細身のA氏は、秋篠宮家の話題を出すなり、ぎょろりと大きな眼を見開いて、「例の件ですか」と怯えるような表情を浮かべた後、こちらを見据えてこう言った。
「もう昔の話なので。何も話すことはありません。思い出すこともありません」
A氏は顔面蒼白である。
そして踵を返し、職場の奥に入っていった。その後も記者は職場前で待っていたが、同僚に聞くと、「あの後、何も言わずに帰っていった」という。

現在はA氏の後任として、女性の技官が秋篠宮家の厨房を切り盛りしている。長年レストランで懐石料理を担当していた人物だという。
悠仁さまを抱く秋篠宮家は、“事実上の内廷皇族”と言える。だが、法律上は一宮家であり、人手不足・予算不足のしわ寄せが職員に及んでいるのだ。
「秋篠宮家に支払われる皇族費は年間6710万円です。この中から食事や掃除洗濯など身の回りのお世話をする私的な職員の人件費、洋服代や教育費のやり繰りをしなければなりません。肉や牛乳など御料牧場の生産品については、両陛下や東宮ご一家は無償ですが、宮家は全額負担でその余剰品を譲り受ける形です。光熱費は半分を負担します。内廷皇族と野実質的な格差は歴然なのです」(皇室ジャーナリスト・山下晋司氏)
秋篠宮家は、職員の増員について、「じぶんたちのことで、なるべく増やしたくない」と固辞されているという。さりとて、実務にあたる職員が悲鳴をあげている現実に、宮内庁は目を向け、充実した組織作りに取り組むことが急務ではないか。

(記事終わり)

例によって山下晋司氏が代り映えのしない秋篠宮家擁護のコメントを出していますが、「もう何度目だ山下」という感じですね。秋篠宮家がどういう待遇であろうと、立場の弱い職員に対しパワハラをしていい理由にはなりません。ましてやそれが皇族なら、下々の職員は本当に逃げ場がなくなってしまいます。

さて、今回の記事も紀子妃の増長した酷い態度のオンパレードですが、同時に紀子妃の下品な人間性というものもあぶり出しています。
特に「強烈な比喩を使って職員を叱責する」とか「大の大人にモノで喩えるあだ名を付けて呼ぶ」とか、具体的にどういうことなのか、想像もできません。詳細を記事にできないとなると、放送禁止用語・差別用語で叱ったりあだ名を付けたりするのか?という予測ができますが…こういうことを平気で口にする皇族っていったい何なのでしょうか。紀子妃の出自が良くないとはいえ、民間人・庶民でも「口にしていいことと悪いこと」の区別は付けます。そういう抑えもきかずに見境なく罵詈雑言を口にしてしまうあたり、紀子妃は育ちが良くないんだなということがわかってしまいます。
それにしても「指一本で無言で指示を出す」紀子妃、考えただけで不気味で怖いものがあります。

また、秋篠宮家は特に食事の支度に関して難しい問題があるとのことですが、まだ幼い悠仁様はともかく、大の大人が4人もいる家庭なのに誰一人自分で料理をしない方たちばかりなんですね…としか思えないですね。新しく秋篠宮邸を作るにあたり、当時としては最新型のシステムキッチンまで作らせたという情報も聞いたことがありますが、宝の持ち腐れですね。東宮御所は美智子様のご希望で当時としてはモダンなミニキッチンを作らせたそうですが、今の時代では当然古く使い勝手の悪いものを、雅子様はリフォームを許されないままそのキッチンで料理をなさっているとのことです。
おそらく秋篠宮家は5人とも行動もスケジュールもバラバラでしょうし、そのような中で5人の行動に合わせてそれぞれ食事の準備をしなければならないのは大変な労力だと思います。「それが料理人の仕事」と言ってしまえばそれまでですが、材料や料理の中身などに細かい注文を付けられ文句も多いだろう状況では、料理人たちの神経はすり減って当然でしょう。
小室さんとの結婚を決めた眞子様が民間人になる準備として料理を作る練習をすれば良い経験になるかもしれません。

三笠宮家などはお子様方が自立される前はもっと大所帯でしたが、それでもここまで職員が疲弊したという話は聞いたことがありません。職員の苦悩・疲弊とご家族の人数は、あまり相関関係はないように思います。よほど秋篠宮家特有のおかしな問題があるのだとしか思えないです。

秋篠宮様が皇嗣とやらの扱いになる場合、料理人の配置は一体どうなるのでしょうか。東宮と同格として扱い、大膳課から派遣されるようになる?しかし上記記事では「大膳課も誰も秋篠宮家に行きたがらなかった(手を挙げなかった)」と書かれてしまっており、要するに秋篠宮様の待遇をいくら東宮と同格にしようと「誰も秋篠宮家には行きたくない」という現実は変えられないように思います。それに大膳課だけでなく、民間の調理師会にも秋篠宮家の酷さが伝わっているのもある意味驚きで、民間から料理人を派遣することも困難になっているという現状もあるようですが、一体どうするというのでしょう。それでも命令・職務で行かなければならないということになるのでしょうか。この辺り、職員がどういう動きを見せるのか、興味があります。

しかし上記文春記事の最後に出てくる「秋篠宮家は職員増員を固辞されている」という箇所ですが、私はこれは真っ赤なウソだと思っています。紀子妃が「どうして私たちにはこんなに予算が少ないのでしょう」と不満を漏らしているということはほかの記事で暴露されていますから、職員が少ないことも当然不満の対象になっているはずです。秋篠宮家(特に紀子妃)は、ご自分たちの予算や規模を東宮家と同等かそれ以上にしてほしいという積年の本音を抱いています。「予算は増やしてほしいが職員はそのままの人数でいい」など思うのは逆に不自然だと感じます。

女性のデリケートな問題に土足で踏み込んだ秋篠宮様

今回は、以前ご紹介しようと思いできなかった記事である週刊文春1998年7月16日号をご紹介したいと思います。
これまで何回かに分けて江森氏の『秋篠宮さま』における宮様の肉声を取り上げてきましたが、それに対して“意外な方”が少し苦言を呈するような態度をとられたとのことです。
その“意外な方”とは…。

紀宮が秋篠宮の“肉声本”に「お言葉がすぎるのでは」 

発売から10日、広がる波紋・・・

秋篠宮殿下の“本音”が満載されていると話題の新刊本『秋篠宮さま』(江森敬治著・毎日新聞社刊)。知られざるエピソードが数多く紹介されているが、それだけに反響も大きい。なかでも、自分の結婚問題に触れられた紀宮さまが、首を傾げているというのである…。

温厚な紀宮さまが、その本に目を通した途端に、ムッとした顔をされたそうです。あまりの内容に驚いて、複雑なお気持ちになったのでしょう」(皇室関係者)
“サーヤ”の愛称で親しまれているプリンセス、あの紀宮さまが眉をひそめた?

コトの発端となったのは、六月二十九日に毎日新聞社から発売された『秋篠宮さま』。殿下の「生の声」をまとめた新刊本である。
これまで皇族本といえば、三笠宮寛仁殿下は別として、具体的な親子関係や日常生活に触れたものは、まったくなかった。その新鮮さが受け、初版五万部は完売。発売当日に二万部の増刷を決定した。二十代後半から三十代前半の女性たちの圧倒的な支持を受けているという。
著者の江森敬治氏(41)は、毎日新聞社企画事業部の副部長。京都支局などを経て、東京社会部で宮内庁の取材を担当した。
だが、皇室記者としてはそれほど知られた存在ではなく、「秋篠宮さまの単独インタビューができるなんてどういう人物なんだろうと、記者の間でも話題になりました」(宮内庁担当記者)

江森氏と秋篠宮殿下の出会いは、江森氏の妻が、秋篠宮妃・紀子さまの父親、川嶋辰彦教授の研究室にいたことから始まった。
「先生と教え子という関係で、奥さんが昔から川嶋家に出入りしていたんです。だから、紀子さまとも顔見知りだった。江森氏も川嶋家に出入りするようになり、秋篠宮さまとも家族ぐるみでお付き合いするようになったんです。江森氏はプライベートで外国旅行にも同行して話を聞いていました
(毎日新聞関係者)

本の内容は、殿下の生い立ちから家族の思い出、結婚前後、研究生活まで、エピソードが満載されている。
例えば、秋篠宮殿下はご自身のことをこう語る。
<週刊誌などで私は自由奔放だとか書かれていますけれども、小さいころから兄妹の中ではむしろ静かなほうでした。たとえば私の兄は、学校から帰ってくると、すぐ野球をやったりとか、妹はだれか空いている職員をつかまえてきてドッジボールをやるなど、かなり活動的でした。私は学校から帰ってきても部屋の中にいて、無理やり引っ張り出されないと、外でなにかをするということはなかった。
外で遊ぶときは、大体、ひとり、もしくは妹と一緒に虫を捕ったりヘビを捕まえたりして楽しんでいることが多かったです。
『自由奔放』に見えるのでしょうけれども、そのようなことは、週刊誌あたりが作り上げてきたイメージじゃないかと思います。長男は物静かで、落ち着いている。それに比べて次男は自由で活動的だというイメージは根強いと思います。私は、すごい出不精ですし、シャイなのだと思います>
これまで伝えられてきた秋篠宮殿下のイメージとは、まったくちがう。自分の性格についても、次のように分析している。
<両親からの具体的な影響というものは私を形成しているエレメント(要素)の中に現れているのではないでしょうか。両親のどちらが好きということではありませんが、性格的に私は、パターナル・インヘリタンス(父系遺伝)です。あとの二人はどちらかというとマターナル・インヘリタンス(母系遺伝)ではないでしょうか。なにかのはずみの言動とかが父に似ているところがあります。 だから、父も、私のやりそうなことがなんとなく分かるようです>
江森氏は、この発言を聞いて驚いたという。
<皇太子さまの持つ長男としての堂々とした態度は、まさに陛下の持つ性格そのものであり、長身でスリム、そしてどことなく繊細な宮さまの性格というのは皇后美智子さまから受け継いだとの印象を受けていたからだ>
まさに“意外な事実”のオン・パレード。読むほどに、素顔の天皇家が見えてくる。

だが同時に、大きな波紋も広がった。というのも、微妙な問題にまで殿下が言及しているからだ。
その最たるものが、紀宮さまの結婚について。殿下がどう語ったかというと…。
妹は、少なくとも、上の兄二人よりもしっかりしている。両親も妹が結婚したら、困るのではないかと思います。両方の気持ちが両親にはあるのではないでしょうか。手元に置いておきたいという気持ちと、早く結婚させたい気持ちと
いうまでもなく、紀宮さまは“お年頃”を迎えている。四月十八日に29歳となり、女性誌が結婚報道を繰り広げている。お相手は表千家の若宗匠、千芳紀氏(28)か、旧伯爵家の血を引く坊城俊成氏(36)か、と…。

◆“サーヤ”ならではの優しさ

そのためか、本を読んだ紀宮さまが、少々ムッとされたというのである。
紀宮さまの知人が語る。
「ミーヤ(知人はサーヤとは呼ばない)は、『そんなに急いで結婚しなくてもいいやという気持ちと、このまま私が両親のもとにいると、結局は両親を悲しませることになってしまうという気持ちと、どちらも正直なもの。複雑よね』というようなことも話していました。
天皇皇后両陛下に、あらたまって自分が結婚したほうがいいかと聞くのも照れてしまうし、また、それを聞くのも怖いのでしょう。そんな揺れる気持ちでいたときに、宮さまが天皇皇后両陛下のお気持ちを活字にされたので、ちょっと驚かれたのではないでしょうか
もちろん、秋篠宮殿下と紀宮さまの仲が悪いというわけではない。むしろ、紀宮さまは紀子さまととても仲がいいため、結婚されてからのほうが兄妹の距離が狭まった感があるという。
しかし、自分の結婚問題を、ズバリ突かれると動揺してしまう。それが女心というもの。兄妹といえども、触れてほしくないはずである。

だからというわけではないだろうが、紀宮さまは秋篠宮殿下の「本音」にも首を傾げたという。それは皇族の生活についてのくだりである。
<どこへ行くにも、下見をしたりとか必ず何人かついてきたりとか、それはやはり窮屈に思ったこともあります。そういう生活を、あなたやってごらんなさいと言われたら、十人中十人が窮屈だと思うでしょう。私も同じ人間ですから、そういうふうに思ったこともあります>
<今度、生まれてくるとしたらなにに生まれたいか、ですか? 生まれてくるとしたら、動物がいいな。人間ではなくて・・・。例えば?ヒツジがいいかもしれない。ヒツジになってひねもすのんびりと草をはんで。ヒツジに生まれてきたら、なんとなく楽しいのではないかという気がいたします>

皇室関係者によれば、紀宮さまはあくまで笑いながら、「ちょっとお言葉がすぎるのでは」と漏らしたという。
「言葉は聴く人によって受け取り方がちがうものです。秋篠宮さまが生活を窮屈に思ったこともあると語ったり、ユーモアでヒツジがいいかもしれないと言ったりしたことが、大袈裟にとられても困ってしまいますよね」
紀宮さまとすれば、兄の思い切った発言を心配したのであろう。動物をこよなく愛する“サーヤ”ならではの優しさである。

もっとも、秋篠宮殿下がこれほど踏み込んだ発言をしたのには理由がある。殿下はこの本を通じて、ある事実を伝えたかったというのだ。
秋篠宮殿下が訴えたい思い…ズバリそれは、宮内庁に対する批判である。
宮内庁関係者が証言する。
「もともと、秋篠宮さまは、昭和天皇の喪中に婚約されたり、ご結婚相手も旧華族などという肩書きだけにとらわれなかったり、自由な言動が多かった。それを許す空気が藤森昭一長官時代の宮内庁にはあった。つまり、開かれた皇室にしていこうと。
ところが、九六年一月に現在の鎌倉節長官になってから、それが一変してしまったんです。昔の閉じた皇室に逆戻りしてしまった。体面を気にして、何をするにも『陛下のため』という大義名分を持ち出し、マスコミに批判されると『どうせ宮内庁が悪者になればすむ』と、いじける。秋篠宮さまは、それでいいのだろうかという思いを抱いているんです」

◆宮内庁はもっと気配りが必要

秋篠宮殿下と宮内庁の間に亀裂が生じたのは、九六年四月のことだった。殿下のタイでのナマズ調査旅行の日程と、クリントン大統領の宮中晩餐会の日程が重なった。秋篠宮殿下は晩餐会を欠席。これが批判を受けた。
しかも、その理由について、「タイの親しい女性に会いにいくのでは」と、一部マスコミに書き立てられた。
だが、欠席にはある事情があった。一度は阪神・淡路大震災でキャンセルしたタイ訪問だっただけに、予定は変更できなかった。宮内庁はそうした敬意を知っていたにもかかわらず、「日程の変更は影響も大きく、意思を尊重し、熟慮の上、不本意ながら決めた」とだけ説明した。
秋篠宮殿下は、「これは、おかしい。事前に宮内庁長官に相談したが、問題なしとの返事だった」と、怒り心頭に発したという。
だからこそ、殿下は本の中でこう指摘する。
<私は宮内庁が皇族の希望を制限しているとは思わないが、もっと気配りが必要だ。例えば、会社や学校だと顧客らや学生のニーズというものを考えてどうして売り上げを伸ばすのかなどと考える。宮内庁職員も皇族や国民のニーズにどのように応えていくか、そのあたりをもっと考えてもらいたい>

秋篠宮殿下の思いに対して、宮内庁はどう考えているのか。小誌の取材に、鎌倉長官はこう答えた。
「本は読ませていただきました。宮様のお考えについては、私どもが日ごろお仕えして感じている以外のことを知るよすがとなりました。参考にさせていただきたいと考えております。
時代の流れとともに国民の意識も、皇族の皆さまの意識もお変わりになります。また、お年の方とお若い方とでは考え方も違うこともありましょう。皇族と宮内庁といえども、時代を越えて不動なものなどありません。いろいろな意見をくみ上げながら努力していきたいと思います」
紀宮さまも心配した秋篠宮殿下“肉声本”の波紋は、どう広がっていくのだろうか。

(記事終わり)

これまでご紹介した宮様の肉声と重複する箇所も多く恐縮です。上記記事自体も、内容はそれほど面白いものではないと思います。
ただ、サーヤという意外な方の視点から取り上げているので少々新鮮には感じます。
いくら妹とはいえ、微妙なお年頃になっていたサーヤの結婚問題について軽々しく意見を言った秋篠宮様は、やはり兄としても一人の人間としても男性としても、あまりにもデリカシーが無さすぎると呆れました。そしてそれを活字にした江森氏も、秋篠宮様と同類のように思えます。秋篠宮様ご自身は20台前半という若さで庶民の女性(=紀子妃)とサッサと結婚したがために、「皇太子」や「天皇家の内親王」というお立場上、なかなか容易に結婚を実現できなかったお兄様(徳仁様)や妹(サーヤ)のお気持ちにはとにかく無頓着であったように見えてしまいます。
秋篠宮様のように早い段階で容易に結婚に踏み切れた人は、往々にして結婚しない・できない、色々と慎重になってしまう人々に対して上から目線になりがちです。
サーヤが黒田さんと結婚するまで世間から「結婚はまだか?相手がいるのかいないのか?」のような感じでずっと見られていたことは同じ女性として気の毒な一面があったと思います。晩婚が珍しくなくなった時代とはいえ、精神的になかなかきついものがあったと想像します。こういう気持ちは、早々に結婚した秋篠宮様には理解できないのではないでしょうか。

サーヤが黒田さんと結婚する頃、東宮ご夫妻にだけ今までの御礼を言わずに冷淡な態度をとっていたことに憤る人々も多いでしょうし、私もあのサーヤの態度は心底残念だと感じています。また、サーヤが降嫁後も頻繁に御所に足を運び、黒田家よりも実家との交流を優先させているように見える所も好意的には見られません(両陛下とサーヤがお互いに「親離れ・子離れ」できていないように見えてしまいます)。しかし、すでに降嫁して民間人となった女性に関して、ここで必要以上に叩くことは本筋から外れると思うのでこの辺りで止めておきます。

鎌倉長官の箇所についてですが、私はどのみちこの人には全く良い印象を抱いていないため(雅子様を海外に行かせなかった元凶のような人だった)、長官も秋篠宮様もどっちもどっち、目●鼻●としか思えないですね。

ところで『秋篠宮さま』は当時の若い女性に比較的支持された本と文春は書いていますが、私はこの本について全く記憶がありませんし、どこでそんなに話題になっていたのか想像もつきません。この本は当時本当にそこまで人気があり話題になったのでしょうか?瞬間最大風速がすごかっただけで、人気も話題も大して持続せずにすぐに尻すぼみとなって消えていった本というイメージなら湧いてくるのですが…。

当主不在の“ブラック宮家” その8~次女を使って反論までさせたのに続々と新ネタが…

秋篠宮家のブラックぶりもそろそろ食傷気味となってきたかもしれませんが、少しずつ内容を変えて多くの記事が出ておりますので、今しばらく同様の記事が続くことを何卒ご容赦いただきたいと思います。
今回は、週刊新潮2015年1月22日号をご紹介したいと思います。前回の新潮記事と部分的に内容がかぶる箇所も多いですが、それでも新ネタが次々と出てくる有様のようです。

特集 東宮家より職員が40人も少ない
「秋篠宮家紀子妃」の鬱憤と溜息


未来のお世継ぎ候補である長男・悠仁さまが健やかに成長され、次女・佳子さまの“お手振りデビュー”を果たされた秋篠宮家。が、話題を一手に集めながらも、実情に見合わぬ「待遇」に紀子妃は嘆息され、いきおい周囲には一層のしわ寄せが来ているというのだ。

「年末に、宮内庁の職員の方たちも参加した会合に出席したのですが…」
とは、秋篠宮家の内情を知る関係者である。
「皆さん異口同音に、“あの家だけは配属されたくない”“勘弁してほしい”などと洩らすのです。実際に現在、官邸に詰めている方もいたのに、“まもなく(千代田の)本庁に戻れそうなのです”と、嬉しそうに口にしていました」
どうやら、きわめて容易ならざる事態が展開しているようなのだ―。
振り返れば12月29日に成年を迎えられた佳子さまは、その2週間後、赤坂御用地の秋篠宮邸で初めての記者会見に臨まれており、途中、質問がご家族のことに及ぶと、
<母は、週刊誌などでは様々な取り上げ方をされているようですが>
そう前置きしながら、
<娘の私から見ると、非常に優しく前向きで明るい人だと感じることが多くございます>
と述べられていたのだった。
さる宮内庁関係者が言う。
「これまで紀子妃殿下については、おもに週刊誌が『人使いが荒い』『人当たりがきつい』あるいは『職員に課す仕事のハードルが高い』といった記事を報じてきました。佳子内親王の言われる“様々な”とは、これらを指していると拝察されます。ですが、お答えの内容は事前にご両親に相談され、妃殿下も了承されている。内親王の会見でこうしたフレーズが出ること自体、妃殿下がいかに日々の報道に気を揉まれているかを如実に物語っていると言えます」
つまりは、紀子妃のご意向が存分に反映された会見でもあったわけだ。実の娘たる佳子さまと周囲の職員とでは、受け止め方が異なるのは言うまでもない。が、その点を差し引いても、
「宮邸での妃殿下は引き続き、これまで報じられてきた通りの“お振舞い”が随所に窺えるのが、偽らざる実態です」(同)
というのだ。

秋篠宮家は、かねてより“慢性的人手不足”に悩まされてきた。皇室ジャーナリストの山下晋司氏が言う。
「東宮家では、本来の職員はおよそ50人。これに加え、定員上は大膳課にカウントされる料理人、車馬課の運転手、そして総務課所属の報道専門官などを含めると、ざっと60人が働いていることになります。対して秋篠宮家は、料理人や運転手を合わせて定員は現在20人。いかに皇位継承者がお二方おられても、そこはやはり宮家という“壁”が厳然と存在するのです」
3人家族で60人のスタッフを擁する東宮家に対し、5人家族の秋篠宮家はそのわずか3分の1。人数にして40人差という圧倒的な小所帯であり、数字を眺めるだけでも、日々のハードワークは想像に難くない。

◆なし崩し的に…

山下氏が続けて、
「1990年の秋篠宮家創設時は、職員は6人からスタートし、お子さま方のご誕生などを経て徐々に増員されていきました。ですが、宮内庁の職員数自体も『行政機関職員定員令』で1002人と定められており、ただ“忙しいから”との理由で一朝一夕に定員を増やすことはできないのです」
そこで“応急処置”が講じられ、
「苦肉の策として、これまで本庁の総務課や宮務課との“兼任”という形で人員が捻出されてきました。また最近では、辞令が出ないまま、急場しのぎの応援で出向く職員も見受けられます。が、庁内随一の“多忙部署”ゆえ、最初は週に1、2日の“お手伝い”という心づもりでも、いつしか日数が増え、気がつけばなし崩し的にほぼ毎日、赤坂の宮邸に缶詰め状態、といったケースもあるのが実情です」(前出・宮内庁関係者)
これに伴い、以下のような“イレギュラー”も生じているというのだ。
「職員は事務方と身の回りのお世話係、いわゆるオモテとオクに大別されます。千代田は言うに及ばず、東宮家でも両テリトリーはしっかり区別されていますが、秋篠宮家では、あまりの多忙さに、その垣根が取り払われてしまうような状況に陥っているのです」(同)
“人手不足”の一言では、片づけられそうにない。
「たとえば妃殿下の地方ご公務に伴う交通機関や宿舎のお手配などはオモテの仕事。そして日程に載らない私的なお出ましは侍女長以下、オクが取り仕切るわけですが、常時てんてこ舞いのため、しばしばそうしたオクの仕事がオモテの職員に舞い込んでくる。“動かせる人はフル活用”という妃殿下のご意向も一因ではあるものの、現行の陣容では仕事をカバーしきれないのは明らかです」(同)
それでも、紀子妃の“徹底主義”は、微塵もぶれることなく、
「あらゆる局面に臨機応変の判断が求められるオクに比べれば、オモテの仕事には曲がりなりにも段取りや手順があります。ところが妃殿下は、庁内の他部署やご家族の関係先、他の宮家などに宛てて事務連絡のメールを1本送るだけでも、“すべては私を通してからにしてください”と強く仰るのです。職員が業務の本分としてこなした作業さえも、時に叱責の対象となってしまうのですから、いささか行き過ぎでは、との感を禁じ得ません」(同)
人員のみならず、紀子妃は常日頃、職員を前に、
<宮家の予算は、なぜこんなに少ないのでしょうか>
そんなお嘆きを隠さないという。
再び山下氏の話。
「両陛下と東宮家あわせて五方には、共用の私的予算として毎年3億2400万円の『内廷費』が支給されています。これに対し、秋篠宮家に14年度に支払われた生活費である『皇族費』は約6300万円。この予算で、ご一家はやりくりされねばならないのです」
いきおい、紀子妃のご不満は募る一方で、
「羽毛田前長官の時代から、秋篠宮両殿下は年に2回ほど、陛下のご相談相手である宮内庁参与と『ご懇談』の場を持たれ、御用掛や長官も同席してきました。これは現在の風岡長官のもとでも続いており、その席で紀子妃殿下は、家屋の修繕などの“陳情”をなさったり、宮邸の職員、はては皇宮警察の担当官についても“お仕事ぶりがよろしくないので、どなたかに代えて頂けませんか”と、単刀直入に仰ることがあります」(さる宮内庁幹部)

そうしたお振舞いは、時に苛烈なトーンを帯びる。
「職員の適性や心構えを見極めるため、こんなこともありました。菊葉文化協会が毎年発行している、皇室ご一家のお写真入りの『皇室カレンダー』が、秋篠宮邸にも掛けられています。妃殿下はそれをご覧になりながら、居合わせた職員に向かって、“こうしたものは、一年が過ぎれば用済みとなってしまうのでしょうか。寂しいですね…”と、あえて独り言を呟くように問いかけられたというのです」(前出・内情を知る関係者)
何気ない雑談などでは決してなく、リアクションを試されているわけで、
「かりに“カレンダーですから翌年は捨てます”などと答えようものなら、直ちに“不可”の烙印を押されてしまいます」(同)
激務に加え、抜き打ちの口頭試問まで課せられるとは、やはり一番の難所だけはある。実際に、
「職員の間では、無事に秋篠宮家での勤務を終えて異動辞令が出された者とは、冗談半分に“ご卒業おめでとうございます”と、意味ありげに笑いながら挨拶を交わすのが習わしとなっているくらいです」(前出・幹部)

◆「発信源」を買って出て

仮借なき紀子妃のまなざしの先には、やはり皇后さまのお姿があるのだという。幹部が続ける。
「90年のご成婚以降、ひたすら皇后さまをお手本とされてきた妃殿下は、時に力みすぎ、皇室への“過剰適応”ぶりが指摘されたこともしばしばでした」
ご公務のなさりようのみならず、子育てにおいても黒田清子さんの足跡を“教科書”とされており、
「清子さんは学習院に入る前、柿ノ木坂幼稚園に1年間通われ、異なる環境を体験されています。また高校生の頃から両陛下に連れられ、同世代の祭典であるインターハイを観戦されるなど、ご公務にも積極的にコミットされてきた。こうした方針は、妃殿下によって悠仁親王、そしてお二人の内親王にも継承されているのです」(同)
そして、さらなる高みを見据えておられるというのだ。
「昨年9月6日の悠仁親王のお誕生日に際し、宮内庁はお二人のお姉さま方とともに、宮邸の畑で栽培しているトマトやナスを収穫なさっている映像を公開しました」(宮務課関係者)
従来見られた、宮邸で団欒される写真とは大いに趣を異にする。
「実は、これを発案されたのが妃殿下でした。世間では好評を得まして、それを耳にされた妃殿下は破顔一笑、“新しい流れをつくりたいですね”と口にされていた。国民へのアピールをさらに増やしていくため、ご自身が皇室における発信源になるという、ご意志の表明だったのです」(同)
果たして大晦日には、留学先の英国から一時帰国中の眞子さまが、女性皇族としては66年ぶりに宮中祭祀「大祓の儀」に参列された。宮内庁は6月に、“参列できる男性皇族が減少している”との理由で、女性の成年皇族に範囲を広げる旨、発表していたところ、
「今回の眞子内親王は、もちろん両陛下も了承なさった上で参列されている。皇后さまに倣い、お子さま方に積極的に仕事にあたらせるという妃殿下のお考えもありますが、同時に、両陛下のご意向でもある懸案事項の『女性宮家創設』に向けた“実績作り”という役割も果たしたことになるのです」(同)
東宮家では依然、雅子妃の療養が続き、愛子さまもすっかり“飛び石登校”が常となってしまった。それを横目に、待遇に歯軋りしながらも深謀遠慮を身に纏われた紀子妃は、着々と地歩を固められているのだ。


(記事終わり)

まず、佳子様の成年会見についてですが、当時この会見の内容を知った私は、「成年の抱負というより、マスコミ報道に関する言い訳や反論ばかりが目立つおかしな会見だな」と感じました。しかしこの会見が佳子様のご意向というよりは、ご両親、特に母親の紀子妃のご意向で行われたのが事実なら、成人したばかりの娘に対して随分酷なことをさせる毒親だな、と正直思いました。成年会見というせっかくの晴れ舞台になるはずだったものを、紀子妃は自分に関する批判的報道の反論・言い訳の場として利用したのです。これが母親のやることでしょうか。まあ、佳子様自身も、自分のICU大入学等に関する言い訳・反論を行っていたので、親子ともども会見を「有効利用」しようとした感は否めませんが…。

そして秋篠宮家にとっては残念なことに、佳子様の成年会見まで使って「報道は事実とは違う!」とせっかく反論したのに週刊誌は手を緩めることはありませんでした(笑)。
基本、山下晋司氏のコメントは深入りする価値のないものですが(「東宮家と宮家では格も身分も違うんです」という一言で片付いてしまうことを懲りずに延々と述べているので)、唯一興味深く感じたのは『行政機関職員定員令』というものの存在がありその中で宮内庁職員の数は厳格に定まっているため一朝一夕には人数を増やすことができない、という箇所でした。
ということは、今上陛下の生前退位が実現し、秋篠宮様が皇嗣とやらの扱いになるに伴い増員する予定の「皇嗣職」のために『行政機関職員定員令』も改正されるということなのでしょうか。そうすると、今まで苦肉の応急処置的に行ってきた「職員の兼任」や「なし崩し的な長時間労働」などが大幅に改善される見込みがあるということでしょうか?
ここは色々な見方ができると思いますが、秋篠宮様を皇嗣扱いとして東宮家並みに職員を増やすという措置は、秋篠宮家(特に紀子妃)の不満を解消する意味もありますが、同時に「これ以上宮内庁職員を壊されないようにするため」という意味もあるのではないかと考えました。
秋篠宮家があまりにも職員を酷使しすぎるので、ほとんど全員が秋篠宮家に行きたがらない。仮に行けば心身ともに破壊されて帰ってくる。ローテーションで職員を秋篠宮家に派遣しても次々に壊されてしまうのであれば、職員の心身を守るためにも負担を減らすしかない。そうすると秋篠宮様を仮に「皇嗣」とやらにして職員を増やす大義を作るしかない―。
生前退位による秋篠宮様「皇嗣」扱いは、紀子妃の不満解消と、職員保護のため、両方の理由があるように思えてきました。
(まあこれも諸刃の剣であり、心身を破壊される職員の数が更に増加するだけという見方もできると思いますが)

「オク」と「オモテ」の垣根がなくなり「使える職員はフル活用する」という紀子妃のやり口を見ていると、職員は少しの休憩も与えられていないように思えます。「一息ついてるヒマがあるならこっちに来て働きなさい!」というなら、そりゃ職員は次々に壊されてしまうでしょうね。日本では過労自殺が大きな社会問題となっていますが、職員の中で秋篠宮家での過労を理由に自殺してしまった人が今まで出てこないことの方が不思議です。

しかし、紀子妃の増長ぶりはとどまることを知らないようですね。ただの一宮家のくせに、なぜか両陛下の相談相手とされる参与や宮内庁長官等が集まる会合にご夫婦で顔を出して「予算が少ない」だの「修繕費を寄こせ」だの「あの職員や皇宮警察をクビにしろ」だの、やりたい放題です。東宮家やほかの宮家がこの会合に出られているというお話は出てきていないので、秋篠宮ご夫妻だけが会合に乗り込んで不満や我儘を言い散らかしているのでしょうか。おそらく、両陛下が秋篠宮家だけの特別参加を認めてしまっているのだと予想します。
秋篠宮家の増長は、明らかに両陛下にも責任の一端があると思われます。
上記新潮記事にもまた「紀子妃は一貫して美智子様をお手本にしている」と書かれていますが、美智子様も昔から増長した態度を取られる傾向にあったからこそ紀子妃も真似していると思われても致し方ないですね。

カレンダー云々の下りやメール送信などの件は、「紀子妃って心底面倒くさい方だなあ」としか思えません。特にカレンダーの箇所は、「古いカレンダーを私の方で持ち帰らせていただいて家宝にさせていただきます!」とでも言わなければいけないのでしょうか(呆)。

そしてこの新潮の記事には、「女性宮家創設は両陛下のご意向」と明確に書かれていますね。そして紀子妃が両陛下の「ご意向」に合わせて眞子様などの存在をアピールするかのような行動をとらせているのは、女性宮家の創設が紀子妃ご自身の「ご希望」でもあるからだと言えるでしょう。「国民へのアピールのために自ら発信源になる!」と張り切っているようですが、国民は誰も紀子妃が発することに興味ないと思います…。
※ちなみに眞子様は小室氏との婚約が決まりましたが、もし眞子様が女性宮家を作らずに降嫁なさるのであれば、両陛下や紀子妃は内心悔しいと感じていらっしゃるかもしれませんね。眞子様は祖父母や母親の勝手な希望などに臆することなく、ご自分の意思を貫いて「小室眞子」さんとして是非幸福になっていただきたいと願います。

しかし、この記事でも相変わらず秋篠宮家当主様は存在感なさすぎですね。前回の新潮記事で「秋篠宮様は妻にやり込められる」「考えの齟齬が生じてご夫妻の間に隙間風が吹いている」と書かれてしまっているくらいですので、当主様も妻には触らないようにしているのでしょうが、当主としての責任放棄とも言え職員が救われることはありません。
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