FC2ブログ

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~誕生儀式の準備からバレバレだった「第三子は男児」ということ

今回は、週刊現代2006年6月17日をご紹介したいと思います。
この記事は「皇室にお子様が誕生したときの儀式」という点に着目し、その準備の様子から「秋篠宮ご夫妻の第三子は男児である」ということを導く内容となっています。

インサイドレポート
天皇は知らないが、すでに担当医は確認済み
紀子妃第3子は「男の子」これだけの吉報

4月27日に安産を願う「内着帯式(ないちゃくたいしき)」を済ませた紀子妃。妊娠6カ月に入った今、「第3子の性別は男」、そんな情報が宮内庁や永田町で囁かれ始めた。中断している「皇室典範」改正の動きにも一石を投じ、次世代皇室の左右する第3子の性別は男か、女か―。

◆「100%性別は確認可能」

2月7日に懐妊が明らかになって以来、妊娠6カ月に入った紀子妃(39歳)は順調な経過をたどっている。3月~4月頃にはつわりの症状も出ていたというが、4カ月頃には公務に復帰。5月25日には全国赤十字大会に出席するなど、積極的に職務をこなしている。
そんな中、「秋篠宮家の第3子は男の子である」という情報が宮内庁や皇室関係者、そして永田町で囁かれ始めた。全国紙政治部記者が言う。
「『紀子妃の第3子が男児だ』という話は政界ではずいぶん広まっています。『男の子でよかったねえ』『これで皇室典範を改正しなくてすむ』という話が囁かれ、妙な安心感が漂っています。中には、安倍(晋三官房長官)さんも男の子だと言っている、と話す議員までいます」
さらに、宮内庁でも同じ空気が漂っている。担当デスクが言う。
宮内庁記者クラブでは、男児を確信して動いています。紀子妃はすでに妊娠6カ月。医師団が性別を確認していることは間違いありません。性別をはっきり確認できるこの時期になって、『新宮(新生児のこと)は男児』の声が高まってきていることからも信憑性は高いと思います」
紀子妃は現在、妊娠6カ月。はたして、検診で性別は判明するのだろうか。はらメディカルクリニック院長の原利夫氏はこう言う。
「100%、胎児の性別は確認できます。これは超音波画像を見れば、特に男子の場合にははっきりと性器の存在が確認できるからです。超音波を使って胎児の発育状態を検診する場合、頭の直径と大腿骨の長さを測ります。その大腿骨を測るときに、性器が確認できるのです。画像を写真にする際にも、それが写る可能性がありますね」
紀子妃が検診に訪れる宮内庁病院の分娩室には、雅子妃が愛子内親王を出産する際に設置された、胎児の立体写真が撮れる3Dエコーなど最新鋭の医療機器がそろっている。当時の雅子妃の担当医もこう話す。
「男女の性差がわかるのは、通常だと妊娠5カ月くらいの時期です。超音波を当てて性器の有無をみれば、すぐにわかります。宮内庁病院の施設は全国レベルで見ても、それは充実していますよ」
最新の機器のもとで検診を行う医師なら、すでに性別を確認していることだろう。ところが、秋篠宮夫妻をはじめ、天皇皇后は「性別を事前に知りたくない」と周囲に漏らしているため、医師からその性別が伝えられることはない。元東宮侍従・浜尾実氏はこう話す。
「今回も新宮さまの性別をすでに宮内庁の医師団は知っていると思います。皇太子さまがお生まれになるときもやはり、医師団は事前に性別を知っていましたが、美智子さまご本人や他の皇族には一切伝えませんでした」

そこで本誌は「第3子」の性別を知りうる立場にあり、宮内庁で医療全般のアドバイスや医師の手配などを担当、紀子妃の出産も総轄する皇室医務主管・金澤一郎東大名誉教授に直撃を試みた。「第3子の性別は男とわかったのか」と聞くと金澤氏はこう答えた。
「男の子とわかった、なんてカマをかけているの!?いずれにしろ(性別は)フィフティ・フィフティですよ。そんなに騒ぐことじゃないじゃない!今回は性別を知る人間(医師)を極めて限定しています。私まで報告を上げるな、と言っているくらいで実際知りません。(秋篠宮)ご夫妻は、眞子さま、佳子さまのときも、事前に知りたくないという方針でした。男だの女だの、いま騒ぐ必要はまったくないのです」

実際、天皇皇后が新生児の性別を知るのは出産直後とのこと。出産と性別を報告する特別な役目を負った職員から聞くという。宮内庁職員がこう解説する。
「皇族が出産する場合、宮内庁病院に『御産所参候(ごさんじょさんこう)』という係が待機します。出産の無事と性別を確認し、ただちに天皇皇后や出産を待つ殿下(皇太子や秋篠宮)に報告するのが役目です。
愛子さまがお生まれになった場合は、羽毛田信吾宮内庁次長と角田泰文管理部部長(いずれも当時)が宮内庁病院に待機して、参候者を務めました。参候者が御所に報告をして、そのとき初めて天皇皇后量は以下やその他の皇族の方々が赤ちゃんの性別を知ることになるのです」
首相や官邸も同様だ。宮内庁は組織的にいうと内閣府の外局だが、こと出産など皇族のプライベートに関しては、内閣官房にすらその情報を漏らすことはないという。内閣官房で副長官だった人物が、愛子内親王が誕生したときの様子をこう話す。
「当時、内閣として愛子さま誕生の準備をするというようなことはひとつもありませんでした。慣例に従った産着の用意や行事の段取りは、すべて宮内庁が取り仕切っており、官邸はノータッチです。組織としては内閣府の中に宮内庁があるわけですから、連帯責任のような空気はあります。しかし、昭和天皇のご崩御のような国事行為ではない、新生児や出産の情報などはまったく関りがありません。今回も紀子さまの新生児に関して、いつお生まれになるとか、性別が男かどうかとかそういうことは一切わかりません」

◆男と女で異なる出産後の儀式

天皇皇后ですら出産まで知ることのない「第3子」の性別。しかし、出産前にその情報が外部に漏れる場合もある。
それは、出産後の儀式の準備においてだ。
皇室には独自の儀式や慣習がある。皇室研究家の高橋紘静岡福祉大学教授が出産に伴う儀式についてこう話す。
「皇族にお子さまが生まれる前に行う最初の儀式は妊娠5カ月目に行われる安産を祈願する『内着帯式』です。これは一般で言う帯祝いにあたります。続いて、9カ月目の戌の日に、『着帯の儀』を行います。帯は絹で3.6mもあり、金泥で松鶴が書かれている鳥の子紙に包まれて、蒔絵の箱に収められています」
その間、名前や「お印」(愛子内親王なら「ゴヨウツツジ」。食器などの什器類など持ち物に印としてつける)の候補が決められる。
前出の浜尾氏が言う。
「現段階では、お名前の候補とともに『お印』の候補も国学者や歴史学者によって決められているはずです。お印には男女の区別がありません。植物が選ばれることが多いですね」
これら出産前後の儀式の中でも性別を知る手がかりになるのが、出産後の贈り物の準備だ。
皇族に子どもが誕生すると、天皇から「短刀」が贈られる『御剣を賜うの儀』(賜剣しけんの儀)が行われる。これは、白鞘の守り刀を赤地錦の袋に入れ、新生児の枕元に置く儀式で、女子の場合は、短刀に加え、袴が添えられる。この儀式に備え、宮内庁が袴を用意していれば生まれてくるのは女の子、そうでなければ男の子ということになる。
宮内庁は袴を発注しているのか。眞子内親王(91年)、佳子内親王(94年)、そして愛子内親王(01年)が誕生した際に、袴を調達した老舗呉服屋「高田装束研究所」に真偽を確かめたが、「宮内庁の許可がないとわれわれからお話しすることは一切できないのです」と言う。しかし、呉服屋の関係者に話を聞くことができた。
「『賜剣の儀』で贈られた袴は皇子が数え年5歳になった吉日を選んで行われる『着袴の儀』で初めて身につけるものです。一般でいえば七五三に当たります。その下に着る着物は地色が朱色で『御地赤(おじあか)』といい、総刺繍の豪華なものです。一方、袴も『濃色(のうしょく)』と言う濃い赤色です。赤は女性にとって一番位の高い色であり身を守るという意味もあります。今回も制作するとなれば同じ業者でしょう。しかし、まだ発注があったというお話は聞いていませんが…
紀子妃の出産は9月ごろの予定だから、すでに発注していないと間に合わない。「第3子」には袴を贈らない、つまり男児ということか。
次に短刀はどうだろう。皇室御用達の鞘職人・高山一之氏に取材を申し込んだが、こちらも断られた。しかし関係者はこう証言する。
「愛子さまがお生まれになったとき以外にも、秋篠宮家のお二人のお嬢さま、雅子さまや紀子さまのご成婚の際にも高山氏が『守り刀』の鞘を作っています。
この秋にお生まれになるお子さまの場合は、ご懐妊の発表があってから間もなくして依頼があったそうです。鞘は男女による違いはなく、皇室の伝統にそったデザインで、お印は入りません。毎回、大体4人の職人が数本作り、その中から一番出来のいいものを宮中に納めますので、完成はいつも出産ギリギリです」
刀の発注はもう済んでいるようだ。女児用の袴が発注されていないとなると「第3子」は男児である可能性が高い。

◆頑なに口を閉ざす医師

そしてもう一つ、性別についての情報源となりうるのは担当医たちだ。
実は過去にも3度、眞子内親王、佳子内親王、愛子内親王の出産に際しても性別や出産秘話などが病院から漏洩したといわれる。
雅子さまが流産された際、懐妊をスクープしたのは、朝日新聞でしたが、このときの情報源は医者だと言われています。また、出産直後の眞子さまのスケッチなどがテレビや新聞で公開されたこともありました。分娩室や病院は、厳重警備態勢を敷いていますので、医者、もしくは警備を担当する皇宮警察以外から情報が漏れることはあり得ません」(前出・宮内庁職員)
そこで紀子妃出産を担当する医師たちを直撃した。まず、愛育病院産婦人科部長・安達知子氏に聞いてみた。安達氏は、実際に超音波装置で「第3子」を検診していると思われる担当医であり、性別はすでに把握していると言われている。
―紀子さまのお子さまの発育状態について…。
「何もお話しすることはございません」
―男の子だという噂がありますが?
「今、話せない状況なので」

さらに、眞子、佳子内親王を紀子妃が出産した際の主治医で、今回、陣頭指揮をとる愛育病院のセンター所長、及び日本産婦人科医会会長である坂元正一医師に聞いた。
「性別が男っていう話は…聞いたことがない。いや、嘘じゃなくて、本当に知らないんですよ。知っているけど言えないということじゃなくて。今回、そういう話は一切しないという取り決めがあるんです。通常、性別がわかるのは妊娠5カ月くらいですが、紀子さまは…妊娠5カ月?でも…性別はまだわかってないですよ
医者たちは頑なに口を閉ざしたが、「男児説」を聞いたときの彼らの過剰な反応をどう見るか。羽毛田宮内庁長官はこう話す。
「男子説?聞いたこともないし、知らないですよ。だいたい、そういう話は失礼じゃないですか!非礼ですよ!
ひとつ言えることは男子でも女子でも非常におめでたいということですよ」
出産まで4カ月も前から性別のついての話題が取り沙汰されるのは国民の期待のあらわれ。元気な「第3子」を期待したい。
(記事終わり)


上記現代記事も、紀子妃のお腹の子の性別に関する話に及ぶと、関係者たちが一様にナーバスでイライラ・ピリピリした空気になるリアルな様子について書いていますね。「どうせ第三子は男子なんでしょ?」という国民の白けたムードを何とかごまかしたいという焦りのようなものを周囲の人々からは感じてしまうのです。
特に金澤医師と羽毛田長官の過敏な受け答えは傍から見ると滑稽でしかありません。
「第三子の性別」には本当に触れて欲しくないからこその異様な反応としか言いようがありませんね。


さて、上記現代記事は、皇族のお子さまがお生まれになる際の儀式で用意するものによって男女の違いが分かるという点に着目し、今回の場合は女子に用意する袴がまだ発注されていないので、秋篠宮ご夫妻の第三子は男子であろうという推測をしています。
こういう状況からいくらでも性別を推測できるのに、それでも「お腹の子の性別は知りません、知らないんです、我々が知らないというんだからそれでいいだろう!」という反応を返してくる皇室関係者らの態度は本当に「茶番」の一言しかありません。性別を知らないフリを続けるのもさぞお辛かったでしょうね(棒)。

ところで、私が上記記事で気になった点が一つありました。
それは雅子様の最初のお子が流産という悲しい結果になってしまった一件で、「雅子様ご懐妊のスクープをしたのは朝日新聞だったが、その情報は医師からもたらされた」という箇所です。
確かに、実際に診察する医師が懐妊や性別などの情報を真っ先に知りうるのは当然のことでしょう。しかし、だからといって安易に「懐妊や性別の情報をマスコミにリークしたのは医師である」と断言してしまうのはいかがなものかと思います。
前にも触れましたが、医師には厳しい守秘義務が課せられています。今後の信用問題などに鑑みると、医師が自ら赤ちゃんに関する重要な情報を外部に漏らすとはとても思えません。
雅子様の場合、妊娠4週という紀子妃(妊娠6週)よりも極めて早い段階でご懐妊の情報がリークされてしまい、朝日に記事を抜かれる形となりました。そのために雅子様は精神的にもショックを受けられ、残念な結果になったと言えます。
雅子様の最初のお子さまを死なせた(もっときつく言えば〇した)のは朝日新聞だったと言っても過言ではありません。この時の朝日の行為の罪の重さは、今でも厳しく問われるべきだと思うのです。しかしなぜかこの一件はすぐに鎮静化してしまったような気がしませんか?
雅子様の最初のご懐妊をスクープした岩井克己記者は何の咎めも受ける事なく、長年のうのうと皇室記者をやり続けることができました。
もちろん、宮内庁の誰もこの一件について処分されたという話は聞きません。
雅子様のご懐妊を最初に知り得る医師が咎めを受けたという話ももちろん無し。
重大な問題であったにも関わらず、関係者の誰も責任を負わされて処分を受けた形跡がないのです。
おや?この状況、紀子妃の第三子懐妊リークの時と似通っていませんか?
雅子様のご懐妊を早々にマスコミに洩らして雅子様にショックを与えて誰が一番喜ぶのか?
紀子妃のご懐妊を早々にマスコミに洩らして典範改正議論を潰して誰が一番喜ぶのか?

一国の皇太子妃殿下が待望のお世継ぎをご懐妊された可能性が高い(それこそ男子であったかもしれない)にも関わらず、なぜかこのスクープと流産の結果については非常に大甘な扱いにされているというか、重大視されていないような感じがして不気味なのです。
「早くお世継ぎを産め!海外訪問など後回しだ!皇太子妃の一番大事な仕事は男子を生むことだ!」とさんざん雅子様を追い詰めていたにも拘わらず、いざ雅子様がご懐妊の兆候を見せて流産という結末になっても、誰一人雅子様のことを慮るような行動を見せなかった皇室や宮内庁。何か言葉にできないモヤモヤした気持ち悪さを感じてしまいます。

なお、朝日の岩井記者は後年、このスクープが原因で雅子様が流産されたことについて、「あの件は雅子様もお許しになってくださったと思う」みたいな発言をしていたように記憶していますが、手元に確実な証拠がないため断定はできません。仮にこの発言が真実だとしたら、平成皇室は本当に色々狂っているしおかしなことだらけです。

お話がそれましたが、雅子様(東宮ご夫妻)のお子様を巡る一連の動きに関しては、いつか当ブログでも番外編としてまとめ記事を作りたいような思いでいます。秋篠宮ご一家の過去を検証する当ブログにも決して無関係なことではないと思うためです。
事実を知れば知るほど、平成皇室の暗部を覗き見るような気分になり恐怖を覚えずにはいられません。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~誰もが「紀子妃のお腹の子は男子」と噂していた

これまでは紀子妃の懐妊とリーク、NHK速報の経緯に焦点を当てた記事をご紹介してきましたが、次の段階として、「秋篠宮ご夫妻の第三子は“男子”である」ということが早い段階から知られており、噂になっていたということに焦点を当てた記事を順次ご紹介していきたいと思います。
意外なことに、紀子妃の出産前からかなり多くの雑誌が「第三子は男児だろう」という方向性で記事を書いていました。発行時期が早い順に、その趣旨の記事をご紹介していきます。

まずは「週刊新潮2006年4月11日号」です。

[特集]なぜか囁かれ始めた
紀子さま「男児ご出産」説


紀子さまが「男児」を出産される―。4月下旬、そんな情報が囁かれ始めた。9月に出産予定のお子様の性別が、5カ月検診で判明したというのである。事実ならまことに喜ばしいが、その根拠はいったい何なのか。皇室典範の改正議論を一発で吹き飛ばした紀子さまのご懐妊。なぜこの時期に「男児説」が流布されているのだろうか。

紀子さま(39)が出産されるのは「男児」―。
そんな情報が、4月下旬、永田町を流れ始めた。
紀子さまご懐妊を最初に報じたのは、2月7日、NHKのスクープである。
秋篠宮ご自身が、まだ紀子さまから、“報告”を受けていない段階での報道だった。
直後にご懐妊の兆候があることを認めた宮内庁は2月24日、正式に、
「紀子さまは妊娠3カ月目で経過は順調。出産は9月下旬の予定」
と、発表した。
以来、2カ月。胎児は、すでに5カ月を迎えたことになる。
「紀子さまの主治医は、愛育病院の中林正雄院長です。紀子さまは、次女の佳子さまご出産の際に主治医だった中林医師に、つわりの段階から相談されており、そのまま中林氏が医師団のチーフとなり、ご出産まで担当されることになっています。ご出産は宮内庁病院になりますが、事実上、愛育病院スタッフによるものとなります」(宮内庁関係者)
東京・港区南麻布にある愛育病院は、皇室からの御下賜金をもとにつくられた「恩賜財団母子愛育会」によって運営されている。これまでも皇族のご出産に度々、利用されている歴史と伝統を有する病院である。
紀子さまは、この病院を特に気に入られており、今回もそのスタッフに全幅の信頼を寄せ、出産をお任せになる方針なのである。

だが、ここへ来て永田町や霞が関、そしてマスコミになぜか、
「お子さまはどうやら“男児”らしい」
という情報が流布され、
女性誌がこれを記事にするという話が乱れ飛んだのだ。
皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏も“男児説”を聞いた一人だ。
「紀子さまが男児を出産されるというのは、宮内庁関係者から漏れてきました」
と、こういう。
「ご懐妊の時、羽毛田信吾長官が事前に男女の発表はしない、と言っていましたし、皇室典範の改正問題にかかわってくる問題でもあるし、男女の情報は封印されています。秋篠宮ご夫妻も、“事前に(男女の性別を)知らせる必要はない”とおっしゃっているので、宮内庁は情報漏れにピリピリしている。しかし、さすがに5カ月検診が過ぎ、ご夫妻が知らなくても、医師自身にはわかるわけです。私が、(情報を受けて)宮内庁病院の関係者に“男の子らしいね”と話を振ったら、“それは表には出ない話になっていますけどね”という反応でした。少なくとも、私は男児で間違いない、と思っています」
だが、妊娠5カ月の段階で、果たして男女に性別は本当にわかるものだろうか。
産婦人科医の星合尚氏(星合産婦人科病院院長)によると、
妊娠5か月近くになるとほぼ確実に性別はわかりますよ。超音波検査で胎児の性器を見るやり方が一般的ですが、性器が骨と重なっている場合などの難しいケースもあるものの、熟練の医師ならほぼ間違いなくわかります。腸管の原始的な格好が男女で違っていて、それで見るという方法なら、妊娠3か月段階の超音波検査でわかるという医師もいます。羊水を注射針で抜いて検査する方法もありますが、若干の危険性を伴うので、今回の場合は考えられないと思います」
しかし、ご夫妻が、
「性別は知りたくない」
との希望を持っている
のに、なぜそんな情報が囁かれているのだろうか。

◆忍従の末に…

皇室全般の医事を統括している宮内庁の金澤一郎医務主管は、流布されているこの情報にお怒りだ。
ご両親が(性別を)自分たちには知らせるな、とおっしゃっているのです。それを他人が知ることなど許されないことです」
そう前置きして、こう語るのである。
「私は(担当医に)私にも知らせるな、と言ってあります。両殿下がそうおっしゃっているのですから、私も両殿下と同じ気持ちですよ。性別を知る可能性があるのは、二人か三人のお医者様だけです。その方たちも、知ろうとして知るのではなく、やむを得ず知ってしまう人たちです。誰かが今の段階で男の子か女の子か言っているのだとしたら、それは当てずっぽうで言っているだけのことです。誰が何を言おうとわかるはずがないのです」
だが、紀子さまのご懐妊は、周知のように皇室典範改正という大問題を、一瞬にして鎮静化させた経緯がある。男系で存続してきた“万世一系”の日本の皇室。それが「第一子優先」という女系天皇容認に道を開く皇室典範の改正には、
「2000年つづいた皇室のあり方を、わずか1年の議論で根本から引っくり返すのか」
という非難が巻き起こり賛否両論が入り乱れる中、官邸主導で一気に法案成立が模索されたものである。
お生まれになるのが男児か否かによって、その議論が
再燃する可能性が秘められているのは事実なのである。
「男児ご出産の情報が流れているのは承知していますが、それはまわりの期待の現れに過ぎません」
というのは、ある皇室ジャーナリストである。
「男の子が生まれれば、今ある有識者会議の報告書に基づいた改正案の内容を変える可能性があるわけで、それを期待している人たちがいることも事実ですからね。しかし、天皇皇后両陛下がご心配されているのは、そういう政治的な勢力にご懐妊が利用されることです。ご自分ではお立場上、何も発言できないのに、ご懐妊が都合よく政治に利用されていく。陛下はそのことを懸念されているのです

しかし、一方で、今回のご懐妊は、男の子を産むことが現典範の上で自分たちの義務であるのだとお考えになった「結果」であることは想像に難くない。
秋篠宮殿下は奔放な振る舞いで何かと世間の批判を受ける一方で、兄である皇太子に何かにつけて“遠慮”を余儀なくされてきた経緯があります。結婚に際しても、兄より早いのはいかがなものか、との声もあったし、皇太子が雅子さまとご結婚されて以後は、(眞子さま、佳子さまに続く)男児出産は雅子さまのプレッシャーになるから、という理由で遠慮され、愛子さまが生まれて以降もそれは続きました。親しい友人に“3人目はまだか?”と聞かれ、“止められているんだ”と答えたこともあるほどです。そんな忍従の生活を強いられたご夫妻に対して、平成15年12月に当時の湯浅利夫宮内庁長官が“皇室の繁栄を考えると(秋篠宮ご夫妻には)3人目を強く希望したい”と会見で語りました。以降、秋篠宮殿下は、逆に皇族としての男児を産む義務というものを強く感じられたのだと思います」(宮内庁関係者)
そんな紆余曲折があるだけに「男児出産説」が、余計に期待をもって流布されているわけである。

◆皇太子ご夫妻の「真意」

皇室評論家の河原敏明氏がいう。
「秋篠宮殿下は、皇室の伝統を守っていこうというお気持ちが強いのです。国家のため、またご自身のためにも、男の子が欲しかったのだと思います。民間であれば、養子をとって家を続けていくこともできますが、皇室には養子制度がありません。秋篠宮家を一代で終わらせないためにもなんとしても殿下は男の子が欲しいと思っていたはずです。第三子が男児であるなら、皇室典範改正がない限り、皇位を継承するわけですから、それは国家のためでもある。そういう思いだったのではないでしょうか」
実は政界にも、この“男児説”を歓迎する向きは少なくない。
政治評論家の有馬晴海氏によれば、
「紀子さまが懐妊されなければ、今頃、皇室典範改正で国会が紛糾していたのは確かです。小泉首相は典範改正を“政局”にしたかった。そこであわよくば続投を目論んでいたのです。来年の参院選に勝って、衆院と共に3分の2の議席を確保できれば憲法改正の発議ができ、歴史に名を残せるわけです。小泉首相にとっては、いま逆に“女児確定”となれば、レームダックに陥った政権の求心力を高めるために典範改正を再び持ち出し、“政局”にすることも可能なのです。だからこそ、反対勢力にとっては、“男児説”が流布されなければならないのです」
永田町の思惑からも、男児説でなければならない理由が存在したわけである。
だが、そんな思惑とは関係なく、男児誕生を誰よりも待ち望まれているのは、誰あろう皇太子ご夫妻、という意外な見方がある。
「皇太子ご夫妻は紀子さまご懐妊を喜んでおられます。それは、お二人が愛子さまを天皇にしたいとは思われていないからなのです」
とは、さる宮内庁OBだ。
「平成14年12月、雅子さまは会見で、“母親として愛子には幸せな人生を歩んで欲しいというのが心からの願いです”とおっしゃられた。また皇太子殿下は今年の誕生日の会見で“親として色々な思いがあります”と語られている。自分たちも苦労しているのだから、将来、愛子さまに自由な立場で幸せになって欲しい、というお気持ちが滲み出ていました。愛子さまが生まれて2年後に雅子さまが静養に入られ、その後、人格否定発言、と進んでいく中で、雅子さまは次第に元気をなくされていきました。それが、2月に紀子さまご懐妊が明らかになって以降、雅子さまはお元気を取り戻されてきた。今回、男児出産を何より望まれておられるのは、実は皇太子ご夫妻なのです」
妊娠5カ月段階で期待をもって流布される「男児ご出産説」。その裏には、さまざまな思いが交錯しているのである。
(記事終わり)


一読して私が感じたことは
「これは何だろう?マスコミも政界も皇室関係者も、そして皇族方も、みんな盛大なる茶番でも演じているのか?」
ということでした。

上記新潮記事に登場してコメントを出している人々は「あくまでも第三子の性別は、一部の医師しか知らないはずだ」という前提で話をしています。
しかし、この「前提」自体が私には嘘っぱちにしか思えないのです。

2006年2月に紀子妃が第三子を妊娠したという一報を聞いた時、私はすぐに「ああ、どういう手段を使ったのかは分からないけど、おそらく“男児”が生まれるように仕込んだんだろうな」「ああ、実際にこの方たち、本当に(男児作成を)“やってしまった”んだ…」ということを考えました。同時に、「雅子様がお気の毒だ。雅子様のお気持ちを考えるといたたまれない」とも感じました。
非常に下世話な勘繰りとお𠮟りを受けそうですが、それが当時の私の率直な感想でしたから、そこは正直に申し上げておきます。
といいますか、おそらく私と同じ感想を抱いた国民は少なくなかったのではないでしょうか?

あの当時、小泉総理が典範改正で「直系長子(第一子)が皇位継承者になる」ということを目指していたことは多くの国民が当然のように知っていることでした。
またその前にも、湯浅長官(当時)による「皇室の繁栄のために秋篠宮ご夫妻に第三子をお願いしたい」という国民の前での堂々たるセクハラ会見も知っていましたし、秋篠宮ご夫妻が揃って平成18年の歌会始で「こふのとり」という文言を入れたお歌を詠んでいる(ちなみにこの年の歌会始のお題は「笑み」であって「こふのとり」ではありません)ことからも、多くの国民が「秋篠宮ご夫妻は意図的に“男児”を作ったのではないか」と直感で思ったのではないでしょうか?

そういう状況の中で、マスコミや政治家、皇室関係者が「え?性別?さー詳しいことは分からないけど、もしかしたら男児じゃないのかなー(棒)。でも本当のところは実際に診ている医師しか知りえないよねー(棒)」としらばっくれたり、秋篠宮ご夫妻が「第三子の性別は知りたくありません!知らせないでください!(棒)」と言っている有様を見ていると、「この人たち、とんだ茶番劇を演じてるな。本当は色々と裏にある真実を知っているくせに、本当に白々しい」としか思えないのです。

そして上記新潮記事でも、相変わらず「秋篠宮ご夫妻が東宮ご夫妻に“遠慮”をして第三子を今まで作れなかった」という内容が書かれています。
当ブログでも既に何度もお伝えしていることですが、秋篠宮ご夫妻は佳子様がお生まれになった後くらいから、既に夫婦仲はうまくいっていませんでした。近所に聞こえるくらいの大きな声で夫婦喧嘩をしているとか、秋篠宮ご夫妻がろくに口も利かずにそれぞれ別行動をとっていることなども記事に書かれています。ですから秋篠宮ご夫妻に第三子ができなかったのは「東宮ご夫妻に遠慮していたから」ではなく、「単に夫婦仲が冷え切っていたから」にほかなりません。
秋篠宮様が「兄貴たちに“遠慮”して子ども作れないんだよ~」と言ったということが事実なら、とんでもなく嫌味で性格の悪いお方だな、としか思いません。3人目の子がなかなかできなかったのは単に貴方の不誠実が原因で夫婦仲が冷え切ってたからでしょうが!(しかしそれは隠蔽したいので「東宮ご夫妻に遠慮していた」という“シナリオ”が作られたとしか思えません)
その上、「皇室の未来のために自分は男子を作る覚悟ができている」と言わんばかりの態度。こういう方がなぜ一部からもてはやされるのかが理解できません。
第三子を作れなかった原因まで東宮ご夫妻に押し付け、その上さらに「兄貴たちは男系男子の伝統を守ろうとしなかったけど、自分たちはちゃんとそこまで考えて“覚悟”を決めて第三子を作ったんだぞ!」と言わんばかりの態度に腸が煮えくり返ります。
しかし秋篠宮ご夫妻がこういう態度をあからさまにすることで、こちらも「やっぱり狙って“男子”を作ったんじゃん」という反論もできてしまうわけですが。

また、「秋篠宮ご夫妻に第三子ができて喜んでいるのは意外にも東宮ご夫妻。東宮ご夫妻は愛子様を天皇にしたがっていないから」というのも、とんでもない憶測記事でしかありません。
東宮ご夫妻が大切な我が子である敬宮様の幸せを願うのは、親として当たり前のことだと思うのです。しかしそれを「東宮ご夫妻は愛子様を天皇にする気はない(したくない)」という憶測の言質に利用することは許しがたいことですし、「東宮ご夫妻だってお喜びなのだから、秋篠宮夫妻がとやかく言われる筋合いはない」という言い訳に使われることも腹立たしいです。
東宮ご夫妻は、秋篠宮ご夫妻の第三子に関しては、明確なコメントを何も出されていません。それなのに外野が「ああだろうこうだろう」と勝手に皇太子ご夫妻のお気持ちを推測するのはおかしなことではありませんか。

また、上記記事の

>天皇皇后両陛下がご心配されているのは、そういう政治的な勢力にご懐妊が利用されることです。ご自分ではお立場上、何も発言できないのに、ご懐妊が都合よく政治に利用されていく。陛下はそのことを懸念されているのです

という部分も、何をおっしゃっているんだか!という感じですね。
紀子妃の第三子懐妊までの過程を見て、これは両陛下も一枚噛んだ上で、秋篠宮ご夫妻に「男子=継承者」を作ることを求めていた、ということは分かり切っていることです。ご自分たちが紀子妃の懐妊を政治利用してきたのに、今更「政治利用されるのは心外」とはどの口が言うか、と思うのです。両陛下や秋篠宮ご夫妻は「あくまでも国会が勝手に典範改正審議を止めただけであり、自分たちは何も要求していない」という感じで白を切っているのでしょうが、かなり早い段階での懐妊リークとNHK速報の一連の過程を見て、「自分たちは何も知りません」は通るはずがないのです。

とにかく、紀子妃懐妊までの経緯とリーク・速報、閣僚からの典範改正異議の動きなど、これまでの一連の過程があまりにも怪しすぎ国民からも疑いの目を向けられていたので、「秋篠宮ご夫妻も両陛下も周囲も、第三子の性別を知らないフリをしていないとまずい」という状況だったことだけはヒシヒシと伝わってきますね。本当に噴飯ものの茶番劇です。

ところで上記記事における、「当時の小泉総理が、憲法改正の発議が可能になる議席確保を目指していた」という部分ですが、この姿勢は今の総理である安倍氏に強く当てはまるような気がします。安倍総理は小泉元総理が成し遂げられなかった「憲法改正」を自分が行い、自分こそが「歴史に名を残す総理」になりたいのだと感じます。
しかし、安倍総理は小泉元総理の元で官房長官をしていた当時、紀子妃の第三子妊娠の件を受けてすぐさま典範改正議論を積極的に凍結させたメンバーの一人でもありました。安倍氏の「紀子妃のお腹の中の子の皇位を奪うのか!」はかなり有名なセリフとなりました。そのセリフで誰もが「え?やはり紀子妃のお腹の子は男子なの?何で今の段階でそれが分かるの?」という疑問を抱いたわけです。
(※なお、男女双系承継になれば、紀子妃のお腹の子は男女関係なく継承権を“奪われる”ということにはなりません。ただ、敬宮愛子様より継承順位が下になるというだけです。)

そして今になって、「将来の皇室は悠仁様お一人になってしまう!早急に眞子様と佳子様に女性宮家を作って悠仁様をサポートさせ、皇室の人数を維持しないと!」と大騒ぎしているアホな人たち。
そうなることは悠仁様が生まれる前に早々に典範改正審議をストップさせ、悠仁様ご誕生後も審議を再開させなかった時点で見えていたでしょう?

え?まさか何も考えていなかったとか?

「男系男子による皇位継承こそ伝統!」という嘘っぱちで男児を誕生させたことで、皇室は繁栄するどころか、滅亡の道をたどることになったのですよ。
今になって大騒ぎするのは馬鹿のやることです。
「男系男子でいく」と決めた以上、悠仁様お一人で皇室を支えていけばよろしいのですよ。
そういう末路を男系男子固執派は望んでいたんじゃないんですか?

西部邁氏は秋篠宮ご夫妻の「喪中婚約」に苦言を呈し、女帝・女系天皇にも賛同していた

今日は少し予定を変更して、先日自死を遂げた西部邁氏の過去の発言について取り上げてみたいと思います。
過去の雑誌記事や資料を整理している中でたまたま見つけたものでした。

西部邁氏は保守派の評論家として活躍していた人であり、以前から周囲に「そろそろ死ぬつもりだ」と告げていた上での入水自殺だったので、驚いた人も多いのではないでしょうか。

その西部邁氏ですが、なんと礼宮と川嶋紀子さんの婚約について苦言を呈していた事実がありました。
その内容を抜粋したいと思います。

「The Bigman」 1990年9月号より

あの婚約発表された時は、まだ昭和天皇の喪中でしょう。
今や日本社会のマナーもだいぶ崩れましたが、それでもよほどの事情が無い限りおじいさんの一周忌までは慶事を避けるでしょう。

なんといっても憲法で「象徴」って書かれているわけで、ということは日本の伝統を護る義務があるんだと思うんですね、ロイヤルファミリーは。

それを今度自ら破ったわけです。

(引用ここまで)


「The Bigman」という雑誌は現在はおそらく休刊(廃刊?)になっていると思われますので、詳細は残念ながら不明な点が多いです。
短いコメントではありますが、西部氏は保守の立場から、やはりあの秋篠宮ご夫妻の喪中婚約はひときわ許しがたいと感じたものがあったのでしょう。
西部氏も嘆くように、秋篠宮ご夫妻は日本国民が大切にしてきた「伝統」を自ら壊してしまった張本人たちなのです。それなのに「男系男子の継承という“伝統”を守るのは自分たち!」と言わんばかりに東宮ご夫妻を差し置いてお世継ぎを作ろうとした態度は、誠に何の冗談かと言いたくなります。その上さらに「皇室の伝統」にはないはずの皇嗣待遇だの立皇嗣の礼だのは辞退しないという矛盾。秋篠宮家のように一部の皇族は、「伝統のもの」と「伝統でないもの」を、その時の都合によって使い分けるという狡猾な手段を用いているわけです。

なお西部氏は別の機会に、女性天皇・女系天皇に賛成している内容のコメントも残しています。
弘兼憲史氏との共著である「本日の雑談<9>」からの引用です。

直系で男がいないのなら、端っこの傍系から男を持ってきても、不都合極まるでしょうから、女帝としてもかまわないと思うんです。

それに、その女子がお婿さんを迎えて、そこで生まれた男子でも女子でも、天皇にするというのも一向にかまわない。


僕はこう言いたいです。皇室から「日の丸」に至るまで取り払ったとき、自分たちは何を欲するかということを、深刻な思考実験としてやってみる必要がありはしないか、と。

フランス革命でマリー・アントワネットとルイ16世が殺された夜、パリがシーンと静まりかえったと言うんです。それまではみんな興奮してたわけですけど、王様夫婦の首をギロチンでちょん切ったあとに、自分たちは何をしたのだろうって呆然としてパリが深閑と静まりかえった。日本人はそういうことを経験してない。そろそろ何か深刻なことを経験してみないと、おのれらの罪深さを感じられないのではないか、という気がします。
(引用ここまで)


私は西部氏がここまで明確に女帝にも女系天皇にも賛成していたことをつい最近知り、驚いています。
ご病気を抱えていたとはいえ、まさに新しい次代を迎え、敬宮愛子様と秋篠宮様の皇統問題で揉めている中、もっと意見が聞きたかったように思います。
西部氏の目には、平成皇室のゴタゴタがどのように映っていたのでしょうか。
自ら死を選ばれたことは非常に残念なことでした。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~紀子妃懐妊劇の裏にあった皇太子ご夫妻の苦悩③

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~紀子妃懐妊劇の裏にあった皇太子ご夫妻の苦悩② より続きです)

週刊文春2006年2月23日号より

◆皇太子が夜お一人で秋篠宮邸へ

折しも帯状疱疹でお倒れになったばかりの雅子さまは、この発言に大きなショックを受けられたという。
だが、この「第三子発言」には前段があった。その一年前、雅子さまが宮内庁上層部に危機感を抱かせるようなご発言をなさっていたのだ。2002年12月、ニュージーランド・オーストラリアご訪問直前の記者会見で、雅子さまはこうおっしゃっている。

<やはり国民の皆さんの期待というものが、いろいろな形での期待があって、その中には子供という期待もございましたし、他方、仕事の面で外国訪問なども国際親善ということでの期待というものもございまして、そういう中で、今自分は何に重点を置いてというか、何が一番大事なんだろうかということは、随分考えることが必要だったように思います>

湯浅長官は雅子さまのこのご発言に驚愕したという。
「『何が一番大事なんだろうか』という言葉を聞いて、湯浅長官は『妃殿下はまだおわかりになっていない』と危機感を募らせたのです。お立場上、何よりお世継ぎのことを考えなくてはいけないのに、まだ外国訪問にこだわっていらっしゃる、と真っ青になっていたと聞きました。お世継ぎこそ天皇皇后のご意思であり、外国訪問など二の次だというのが上層部の考え方だったのです」(皇室関係者)

皇太子ご夫妻と天皇ご一家の間には次第に距離ができるようになっていた。皇太子ご夫妻が御所から足が遠のきがちになる一方で、天皇皇后と秋篠宮ご夫妻とのご交流は顕著になる。
元宮内庁関係者がご両家の違いをこう話す。
「秋篠宮さまも紀子さまも御所によくお食事にいらして、何でも両陛下にご相談になります。皇后陛下は大変リーダーシップがおありになる方ですから、ご相談があれば親身になられますし、頼りにされるのがうれしいご様子でした。秋篠宮さまは昔からお話好きで、皇后さまにべったりだったのを心配されたほどでしたから、紀子さまもお話の輪に入りやすかったのでしょう。秋篠宮ご夫妻は両陛下にかわいがられています。
それに対して、皇太子ご夫妻はもともとあまり外出されず、けして社交的なほうではありません。東宮御所でもお籠りがちでお二人でいらっしゃるのがお好き。たいがいのことはお二人で解決なさるご夫妻ですから、御所を訪れる機会も少なくなっていったのです」
皇太子と秋篠宮はもともとは大変仲の良いご兄弟としてよく知られていた。ところが皇太子がご結婚されてから、秋篠宮ご夫妻とお過ごしになる機会がめっきり減ってしまわれたという。
「雅子さまは外国育ちということですが、意外にシャイでどなたとも打ち解けるタイプではありません。秋篠宮さま、それに紀宮さまとはちょっと性格がお合いにならなかったようですね。
皇太子さまはご交流が途絶えがちになってしまった秋篠宮ご夫妻にお気を使われて、夜のお散歩の途中にお一人で秋篠宮邸にお寄りになり、お酒などのお届け物をされたこともあったといいます」(学習院関係者)

昨年から今年にかけて、天皇ご一家の行事で皇太子ご夫妻の“遅刻”や“欠席”が相次いだ。
9月11日、紀子さまのお誕生日の夕食会にご夫妻が45分遅刻。
12月9日、雅子さまご自身のお誕生日の夕食会も突然の中止。
12月23日、天皇のお誕生日の夕食会に雅子さまが2時間47分の中座。
1月5日、天皇皇后との夕食会を雅子さまが欠席。

「両陛下と秋篠宮ご夫妻、黒田夫妻の親密さがどんどん深まるばかりで、皇太子ご夫妻がますます孤立していくように見えるのが心配でした」(皇室関係者)
雅子さまが皇室という環境に適応されていないご様子は、ご欠席が続いている宮中祭祀にも見て取ることができる。ご結婚当初はご熱心に取り組まれていらしたが、いつしか遠のくようになった。雅子さまのご欠席は(綴じ目で不鮮明)気になるずっと前から目立つようになっていました。すでに何年もお休みですから、東宮の女官や女嬬もお式の段取りがわからなくなっているのではないかと、皇后さまもご心配されているそうです」(元東宮職)

ご成婚時、雅子さまは大きな期待を持って迎えられた。その雅子さまがこれほど苦しまれるとは、誰に想像できただろう。
お世継ぎをめぐって、この12年間、天皇ご一家には様々なドラマがあった。紀子さまのご懐妊はこうしたドラマの最終章となるのだろうか。
(記事終わり)


文春記事の最後の部分は、まあいつものように「両陛下と懇意にしている秋篠宮家、両陛下と疎遠になっている東宮家」というワンパターンの対比で占められています。何度もいいますが、私が東宮ご一家のお立場だったら、やはり両陛下とは距離を置きたいと思ってしまうでしょう。そして弟一家があまりにもいつも両陛下にベッタリなので、かえってこちらが遠慮してしまいたくなります。

独立している家庭が、何でもかんでも両親に相談しなければいけないものなのでしょうか。両陛下は自分たちを頼ってくれる秋篠宮家を気に入られ贔屓にしたいのかもしれませんが、大の大人同士が毎度毎度べったりしているというのもかなり違和感があります。むしろ東宮ご夫妻のようになるべくご自分たちで物事を解決し、両陛下(両親)を頼らないようにする、という方が正常だと考えます。
ここまで両陛下と秋篠宮家の「ベッタリ」が行き過ぎると、「意図的に東宮家をハブってるでしょ?」という不愉快さが残るだけです。東宮家への同情が高まるばかりであり、両陛下と秋篠宮家の印象が良くなるということは絶対にありません。

それにしても、秋篠宮様は幼少の頃から少しマザコン傾向があるのですね。美智子様が長期間留守になされば泣きわめき、授業参観にいらっしゃらなければ寂しいと口にし、そして大人になった今でも両親(両陛下)にベッタリ…
こういう所にも、秋篠宮様が帝王学を受けてこなかった弊害が露呈されているような気がします。
皇太子殿下は両陛下に甘えることも許されず、いつも静かにじっと耐えていらっしゃる方でした。
だからこそ余計に「両陛下と疎遠で孤立している東宮家」という論調が腹立たしいのです。

しかも普通は目下の者が目上の方に気を遣うべきなのに、皇太子殿下の方が弟にお気遣いされて、お土産を持たれて秋篠宮邸に行かれるという有様。「兄貴のところとは交流がないんだよね~」とほざいている弟こそが、手土産を持って東宮御所におうかがいすればいいだろうと思うのです。しかしおそらく、秋篠宮ご夫妻の方はそういうことはなさらないのでしょう。
秋篠宮ご夫妻のこういう不遜な態度が本当に不愉快極まりないのです。

上記文春記事は、まるで秋篠宮ご夫妻の方が社交的であり、東宮ご夫妻はあまり社交的でないという偏った報道をしていますが、実際は逆だと断言できます。東宮ご夫妻は両陛下など頼りにしなくても、ご自分たちだけで物事を解決なさる聡明な方々。そして海外ロイヤルとの交流もきちんと持たれており、どちらも昔からご友人がとても多いことはよく知られていることです。
一方秋篠宮ご夫妻は、海外ロイヤルと言えばせいぜいタイ王室としか懇意でなく、欧州王室と仲が良いというお話は一切聞いたことがありません。秋篠宮様のお取り巻きはいつも同じメンツ、秋篠宮ご夫妻をアゲアゲ称賛するのもいつも決まった“自称ジャーナリスト”。両陛下以外の皇族ともほとんど交流がなく、むしろ内弁慶だという印象しかありません。紀子妃に至っては、学生の頃から同性の学友がいたという話は聞いたことがなく、いつも男子学生とばかり一緒にいたというイメージです。
しかしこういう文春のような偏向報道の内容をそのまま信じてしまう人々も少なくないのでしょうか。

湯浅長官の発言については、あまりにも雅子様に失礼すぎ、コメントする気力も起きません。
しかしやはり「お世継ぎ優先のため雅子様を海外には行かせない」というのは、両陛下=宮内庁上層部の考えだったということの確認にはなるでしょう。

そして記事最後の〆の部分に、文春冒頭で触れられていた雅子様の「中座」の件が再び出ていますが…
「2時間47分の中座」!一体なんでそこまで細かく時間を測っていたのでしょうか。
「2時間以上」とか「3時間弱」という表現ならまだ分かるのですが、「2時間47分」という異様に細かい時間、わざわざ誰かが意図的に中座時間を図って記録していた!?としか言いようがないほど、気味悪さを感じてしまいます。
こういう陰湿・陰険なことをやられたら、雅子様でなくても誰でもメンタルを壊されますよ。
こんな気持ち悪いことをされても、なお「両陛下との集まりには出ろ!」と言われるのは辛すぎますね。

なお、雅子様は療養で祭祀をお出来にならなかった時期がありましたが、体調を回復されて久しぶりに祭祀に出られることになった際も、お式の段取りをきちんと完璧に覚えていらして何も心配することはなかったという後日談があります。
こういうことももっと大々的に報じてほしいものです。

次回からは、紀子妃のお腹の「第三子」は“男子”ではないのか?ということが囁かれ始めたという内容の雑誌記事を順次ご紹介していきたいと思います。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~紀子妃懐妊劇の裏にあった皇太子ご夫妻の苦悩②

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~紀子妃懐妊劇の裏にあった皇太子ご夫妻の苦悩① より続きです)

週刊文春2006年2月23日号より

◆天皇のお言葉に雅子さまが…

紀子さまのご懐妊が12年ぶりになったことについては様々な憶測がなされているが、秋篠宮ご夫妻が「遠慮」された背景には、知られざるドラマもあった。
「佳子さまがお生まれになってからご懐妊がなかったのは、おそらくあの“バッシング”の影響でしょう」(学習院関係者)
紀子さまが皇室内で厳しいバッシングに遭われたのは、佳子さまをご懐妊になった直後のことだ。
「紀子さまが佳子さまを身籠られたのは94年。皇太子と雅子様のご成婚の翌年のことでした。世間では皇太子ご夫妻にいつお世継ぎができるかと、たいへん期待のあった頃です。ところが、ご懐妊されたのは紀子さま。その直後から皇室内のどこからともなく、『あちらに遠慮なく二人目をおつくりになるなんて。もし坊ちゃんだったらどうするおつもりかしら』という声が上がったのです。それが秋篠宮家にも伝わり、紀子さまは悩みに悩まれたようです」(同前)
紀子さまは苦しい心の内を美智子さまに打ち明けられ、美智子さまは紀子さまを励まされ、庇い続けられたという。後年、美智子さまは親しい人物にこう打ち明けられている。
「普通は次の子が欲しいだろうに、紀子にはかわいそうなことをしました。でも何とか立ち直ってくれた」
紀子さまを襲ったバッシングはほどなく皇族たちの耳にも入る。一昨年亡くなられた高松宮妃喜久子さまも憂慮されていたお一人だ。
「何を遠慮することがあるのかしら。どんどんおつくりになったらよろしいじゃない」
喜久子さまは秋篠宮にこんなお言葉をかけられてお励ましになったという。
秋篠宮家に親しい関係者はこう話す。
「秋篠宮ご夫妻がお子様を欲しがっていたのは事実です。でもそれは天皇家のお世継ぎということではなく、宮家の存続のためでした。男子がいなければ、秋篠宮家もご自分の代だけで断絶することになりますからね。でも厳しいバッシングがあったので、遠慮されたのでしょう。佳子さまは『私は一番下だから、弟か妹が欲しい』とよくおっしゃっていました。今回のタイミングより早くご懐妊されていたら、やはり『出しゃばりすぎ』と批判されていたのかもしれません」

皇太子ご夫妻のご成婚から12年半。天皇家の「お世継ぎ」問題ほど、天皇皇后と皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻を悩ませ、苦しめ続けた問題はなかった。実はこの「お世継ぎ問題」こそ、雅子さまの「皇室不適応」の核心なのだ。
「お世継ぎ」をめぐって天皇皇后と皇太子ご夫妻の間に見解の相違が存在することが顕在化したのはご成婚から3年目のことだった。
皇太子ご夫妻は94年、中東など歴訪されているが、そのご帰国後の95年、天皇のお言葉に雅子さまが直接異を唱えられたことがあった。
その日、天皇は雅子さまにこう語りかけられたと伝えられている。
「国民みんなが待っているからね」
すると、雅子さまは色をなしてこうご返事をされた。
「私の友達にそんなことを言う人は一人もいません」

あまりのおっしゃりように、周囲は唖然としてしまったという。
当時の事情を知る皇室関係者が振り返る。
「側近たちの間からも、お世継ぎをお待ちしている(綴じ目で文章不鮮明)、という話題が出るようになっていました。
天皇陛下のことですから、もちろん配慮あるおっしゃり方だったはずなのですが、雅子さまは感情的な物言いをされてしまったといいます。陛下は反論された経験などないでしょうから、さぞ驚かれたことでしょう。
この一件があったので、一昨年の皇太子さまの『人格否定発言』にあった『雅子の人格を否定するような動き』とは、天皇陛下のことを指したのではないかと皇居周辺で受け止められたのです
天皇家にとって「お世継ぎ」は最重要の課題であった(綴じ目が不鮮明)天皇とは異なっています。
元宮内庁関係者が明かす。
「天皇皇后が『お世継ぎ』を望まれるご意思は強く、いわば『デューティ(義務)』だとお考えでした。ところが皇太子ご夫妻は『子どものことは自分たちで考える』というお考えだった。
その後も天皇皇后は、皇太子ご夫妻が4年間も子宝に恵まれないことについて何の対策もお取りになっていないことをお知りになって、さすがにご心配が募られたようです。そこで、宮内庁御用掛で皇后さまの掛かりつけ医であった産婦人科医の坂元正一氏にいろいろとご相談されました。しかし坂元さんは皇后のご信頼が厚いため、皇太子ご夫妻から警戒されてしまったそうです。坂元さんは『自分のことを両陛下の側の人間だと思われるらしく、敬遠されてしまう』と嘆いていた。両陛下にご報告するにも、材料がなく困っていたみたいです」
そこで坂元御用掛の代わりに東宮侍医長が皇太子ご夫妻におうかがいを立てることになったのだという。97年頃のことだ。
「東宮侍医長は温厚な人だったので苦慮したようですが、失礼なことは承知の上で『基礎体温表を出していただけないでしょうか』とお願いに上がったのです。それが皇太子ご夫妻のご不興を買ってしまった。『他人が口をはさむものではない』と厳しいご返事をいただいたと聞きました。その後、東宮侍医長は遠ざけられ、雅子さまへのお目通りは一切許されなくなり、連絡はメモのやり取りだけに限定されたそうです。彼はまもなく東宮御所を去ることになりました」(同前)
東宮家の皇子待望は皇族方がご懸念されるところでもあった。秋篠宮を励ました高松宮妃喜久子さまが、皇太子のことを元気づけられる場面もあったという。
「高輪の高松宮邸に皇太子さまをお招きになって、妃殿下らしい率直な物言いでお話をなさったそうです。
『ぐずぐずなさらないで、さっさとお作りになったほうがよろしいですよ』
そうおっしゃって、ご自分がご存知のお医者さんを紹介するからとか、高齢出産は大変だからなどとおっしゃって、専門的な資料をまとめてお見せしたのだそうです」(元宮内庁関係者)

ちょうどその頃、秋篠宮家では別のご心配が持ち上がっていた。
「もし東宮に子どもがお生まれにならなければ、眞子がお世継ぎにならざるをえないのではないか。そうなると紀子がかわいそうだ」
秋篠宮が眞子さまの将来について、こんなご懸念を漏らされたことがあったという。
まだ女帝容認の議論が出る前だったが、もしもの時には眞子さまが皇太子になるという、秋篠宮家にとっては思いも寄らぬ事態になることも予想された。

天皇皇后と皇太子ご夫妻のお世継ぎに対する考え方は「180度違った」(元側近)ままだったが、2001年12月になって、皇太子ご夫妻にようやくご待望のお子さま、愛子さまがお生まれになった。
ご出産から4カ月後の会見で、雅子さまは「生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました」と涙ぐまれながらお話しになられているが、涙の背景には、天皇皇后との間で数年続いた重苦しいほどの葛藤があったのである。
天皇皇后が男子のお世継ぎをお望みであったかどうかはわからない。だが側近たちの中には、天皇皇后のご意向はやはり男子のお世継ぎにあると汲みとる者が後を絶たなかったため、雅子さまの苦悩はその後も続くことになる。
愛子さまがお生まれになってから2年後の2003年12月、宮内庁の湯浅利夫長官(当時)が定例会見で行った「第三子発言」もその一例だと見られている。
「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室に繁栄を考えると、三人目を強く希望したい」
これほど踏み込んだ発言をした長官は過去に例がない。皇室関係者の多くは、
「あれだけの発言を長官一人の判断でできるはずがない。天皇皇后のご意思を受け止めた上でのことにちがいない」と見ていた。

(記事中段部分。残りの記事は次回ご紹介します)

長い記事のため、分断する形でのご紹介になってしまい申し訳ありません。
上記文春記事の引用部分は、両陛下サイドと東宮ご夫妻サイドで、お世継ぎに関してかなり深刻なやり取りがあったことがうかがわれます。
記事ははっきりしたことは書いていませんが、東宮ご夫妻の警戒ぶりを見ると、もしかしたら両陛下は「単なる不妊治療や高齢出産対策」を東宮ご夫妻に勧めたというだけではなく、「男子を作るように」ということを直接的・間接的に東宮ご夫妻に促していたのではないかと推察してしまうのです。
陛下が雅子様に対し「国民みんなが待っているからね」というお言葉をかけられたようですが、雅子様の毅然としたお返事を見るにつけ、「国民は女子ではなく男子を期待しているのだよ」ということを言外に匂わせていたのではないかと思ってしまうのです。しかし、この一件がもしかしたら陛下が雅子様を邪険にするきっかけになった可能性もあります。「陛下は誰からも反論された経験がない」とのことなので、このたった一回のことでも陛下は根に持たれたのかもしれません。
もし、ただの高齢出産への心配や不妊治療の方法だけのアドバイスであれば、東宮ご夫妻は素直に耳を傾けていたのではないかと思うのです。上記記事は高松宮妃喜久子様についても触れていますが、喜久子様のようにざっくばらんに「(男子も女子も関係なく)どんどんお子様をお作りになればよろしいのよ!」という感じで明るく言われたら、むしろ皇太子ご夫妻は安心できたと思うのです。現に、皇太子殿下は喜久子様のアドバイスには警戒なさっていません。
喜久子様は、江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の孫にあたる方であり、非常に“粋”でさっぱりした方であったといいます。喜久子様は敬宮愛子様がお生まれになった時もお喜びになり、「婦人公論平成14年2月号」において「女性天皇の皇位継承も日本の歴史から見て不自然ではない」いう趣旨の手記をお寄せになっています。
喜久子様はこうして「女性天皇でもよろしいじゃないの!」ということもはっきりおっしゃってくださる方だったので、皇太子ご夫妻も警戒などする必要がなかったのだと思われます。

喜久子様は秋篠宮ご夫妻にも「子どもが欲しければ作ればいいじゃないの」という感じでざっくばらんにお声をかけていたようですが、これは秋篠宮ご夫妻に対する純粋な思いやりやお気遣いという解釈もできますし、「東宮ご夫妻に遠慮?そんな白々しい態度はおよしなさいな、悲劇のヒロインぶってないでほしけりゃ第三子でも第四子でもお作りになればいいじゃないの、東宮ご夫妻のせいにするんじゃありませんよ!」ということを匂わせていたとも解釈でき、面白いですね。

上記文春記事も触れているように、秋篠宮ご夫妻は、東宮ご夫妻のご成婚直後に第二子(佳子様)をお作りになっています。この時雅子様は公務先で「皇太子妃殿下がご懐妊された」と勘違いされてしまい、「私ではないのです」と何度も否定するはめになったと聞いたことがあります。秋篠宮ご夫妻が「何でまたこんな時に第二子なんて…」と批判されたのも、雅子様が「自分ではない」ということを否定して回らざるをえなかったお姿をお気の毒に感じた人々が多かったということの表れでしょう。

秋篠宮ご夫妻が、偶然にもこの時にたまたま佳子様を授かってしまっただけなのに、周囲から批判を受けたのであれば多少は気の毒だったと思います。しかしその一方で、周囲からそれだけ批判の的になるほど、秋篠宮ご夫妻の「子作りへの執念」(?)のようなものがかなり強く見えていたということも考えられます。おめでたい話でそこまで批判を受けるとはどういうことなのか?と考えてしまうのです。
いずれにせよ、秋篠宮ご夫妻はこの時の周囲からの批判をかなり根に持っていたのでしょうね。
だから事あるごとに「我々はいつも東宮ご夫妻に遠慮してきた!遠慮!遠慮!」と言い続けているのでしょう。

それにしても…両陛下のご意思はあくまでも「お世継ぎは男系男子に限る」というお考えであることは、これまで当ブログでも検証した通りですが、秋篠宮様が「このまま東宮家に子どもができなければ眞子が天皇になってしまう」と発言されたのは、一体何だったのかという疑問があります。
東宮家に子どもが生まれなければ、両陛下の「初孫」の眞子様が天皇にならざるをえない。
そういう考え方なら、東宮家に待望の内親王殿下=敬宮様がお生まれになったので、敬宮様が天皇になればよい。
秋篠宮的に考えると、それが一番自然になるはずです。
しかしどういうわけか、敬宮様がお生まれになったとたん、「やはり女帝ではだめだ」とは、一体どういうことなのか。
敬宮様ご誕生の前は「眞子様がもしかしたら天皇に?」という「女帝でもOK」という緩い雰囲気があったのに、敬宮様ご誕生の後に、「女帝ではだめだ!男系男子を作れ!」という論調に変わるとは、一貫性がなさすぎやしませんか?

こういう一貫性のなさも、東宮ご夫妻が苦悩された一因になっているように思うのです。

せっかく当時の小泉総理が典範改正をして女帝・女系天皇誕生の道筋をつけてくれるはずだったのに、まさかの皇室=両陛下から「NO!」を突き付けられることになるとは…。
これでは雅子様が長年お心を病まれたのも無理はないと、国民の一人として悲しくなります。

次回は、文春記事の最後の部分をご紹介いたします。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~紀子妃懐妊劇の裏にあった皇太子ご夫妻の苦悩①

今回ご紹介する記事は、週刊文春2006年2月23日号、懐妊速報のあった2月7日当日の両陛下などの具体的なご様子や、紀子妃第三子懐妊の陰でずっと苦しんでおられた東宮ご夫妻のお姿について書かれたものです。
雑誌の綴じ目で文章が判別しない箇所が多々ありますが、何卒ご容赦くださいませ。

総力21ページ大特集 紀子さまご懐妊宮中「奥」全情報
二人のプリンセスお世継ぎをめぐる12年
ご懐妊直前 紀子さまが雅子さまの前で流した涙


■二人目を産んでバッシングを受けた紀子さま
■天皇の「ご期待」に反論された雅子さま
■紀子さまを庇い続けた美智子さま
■ご懐妊は天皇「待ちぼうけ」事件の直後


秋篠宮家が第三子ご出産の計画をスタートされたのは昨年秋だったという。そのとき、第二(綴じ目で不鮮明)初めて明かされる雅子さまと紀子さまの真実。

今回のご懐妊の一報を聞いたある皇室関係者は、紀子さまが昨年末の天皇誕生日に涙をお流しになった一件を思い浮かべたという。
その日、天皇ご一家は「お祝い御前」を中座された雅子さまをお待ちになったまま、緊張した夜をお過ごしになっていた。
「あの日は夕方6時半からご一家と黒田夫妻がお揃いで、天皇陛下の72歳のお誕生日をお祝いするご予定でした。ところが愛子さまがむずがられて、雅子さまが一緒に東宮御所に戻られてしまった。すぐお戻りになる予定だったので、お箸もつけずに待たれていたのですが、東宮御所から何の連絡もないまま時間が過ぎていった。御所から連絡を入れても東宮職の返事が曖昧で、状況がよくわからなかったそうです。結局、雅子さまがご不在のまま御夕餐は始まりました。天皇陛下もさすがにご不快の様子で、せっかくのお祝いのお席も雰囲気がすっかり冷めてしまわれたといいます」(皇室関係者)
御夕餐を終えられた後、雅子さまのご到着をお待ちになっているところへ、ようやくお戻りになると連絡が入ったのだという。
「両陛下はじっとお待ちでしたが、すでに二時間以上が過ぎていました。連絡が入った後、皇后さまは長い御廊下を歩いて玄関までお迎えに出られたそうです。そこで15分ほどお待ちになったのですが、なかなかお車がご到着にならないので、皇后さまは御食道にお戻りになられました。
しかし、ご一家が揃って席についたままお待ちになっていては雅子さまも気まずいだろうと、紀子さまと黒田清子さんがそろって御廊下に出てお迎えすることにしたといいます。御廊下から一緒にお話をしながら入れば、お気楽だろうと気配りされたのです。それなのに、戻られた雅子さまは『どうも』と軽く会釈をされただけで席に着かれてしまわれたといいます。
その場の状況を目の当たりにされて、紀子さまは思わず泣き出されてしまった。この日のお祝い御前はとりわけ重い意味があったからでしょう。天皇陛下がご病気の中でお誕生日をお迎えになる意味は非常に大きいですし、秋篠宮ご夫妻が縁結びをされた黒田夫妻が初めて出席するお祝い御前でもあったからです。紀子さまのお気持ちには格別のものがおありだったと思います」(同前)

紀子さまのご妊娠はそれからまもなくのことだ。
秋篠宮ご夫妻の「第三子」計画がスタートしたのは昨年の秋頃だと言われている。
紀子さまの掛かりつけである愛育病院の関係者がその内幕を明かす。
「『次の子を考えています』と内々にご相談があったのが秋頃でした。ただ、ご相談があったからといって、何か特別なことをしたわけではありません。大事にしましょう、自然なかたちでお生まれになるのを待ちましょうとお話ししました。
佳子さまのご誕生から11年もお子さんがお出来にならなかったのは、きっとご夫妻が我慢されていたからでしょうね。紀子さまの年齢も39歳。次の子をお考えになるならギリギリのところですから、ご夫妻で決断されたのでしょう」

ご夫妻が歌会始に発表されるために「こふのとり」の和歌を宮内庁に提出されたのは12月初旬のこと。すでにご妊娠の計画が始まっていた頃だから、きっと第三子を願うご夫妻のお気持ちが籠められていたにちがいない。
年が明けて、紀子さまが妊娠検査薬で陽性反応を確認されたのが一月下旬。超音波で胎児を確認できるのは妊娠6週目以降のため、約二週間後に宮邸で検査をお受けになることが決まった。
そして2月7日、
超音波検査を担当したのは愛育病院院長の中林正雄氏。検査の結果は中林氏から宮内庁長官の羽毛田信吾氏と皇室医務主管の金澤一郎氏に即刻伝えられ、その内容をNHKがスクープした。
小泉純一郎首相以下、誰もがこのニュースに驚いたが、皇室にご慶事の兆候がなかったわけではなかった。
「葉山のお取り止めは、御所で報告をお待ちになりたいという両陛下のご希望だったのでしょう。長官や皇室医務主管が連絡を受けるということは、両陛下が吉報をお待ちだったということです」(宮内庁関係者)
「葉山」とは2月6日から10日まで予定されていた葉山御用邸での天皇皇后のご静養のことだ。実は、5日日曜日の夕方、マスコミ各社の宮内庁担当記者の元に緊急のファックスが送られていたのである。
「葉山御用邸行幸啓のお取り止めについて」と題された書面には、皇后が、<昨年10月末ごろから時折やや強いめまいをお感じになることがあり、先日の定期検診の結果では大きな問題はなかったが、御案じしつつ御様子をお見守りしてきた>とあり、大事をとって葉山行幸啓の御予定を取り止め、御所で療養されることを伝えていた。
一部の宮内庁関係者はご静養取り止めの一報を聞いて皇后のご病状を案じたが、皇居で過ごされる皇后のご様子は意外にも大変お元気でいらしたという。
報道のあった7日はたまたま黒田清子さんが御所にいらしていました。お昼をご一緒されたあと、天皇がご公務で宮殿に向かわれる際、三人で外出され、その後、皇居の中をゆっくりお二人で散策されたようです。午後3時頃には清子さんとお茶をされています。とてもお元気そうだったと聞きました。火曜日に超音波検査があることは当然、ご存知でしたでしょうから、記者が取材に来る葉山を避けられたのではないでしょうか」(宮内庁担当記者)

(記事前半ここまで。続きは次回以降ご紹介します)



上記文春記事はまず冒頭で、陛下のお誕生日のお祝い御前で雅子様が「中座」した件を書いています。この件に関しては別の雑誌記事が詳細を書いていたと記憶していますが、秋篠宮ご夫妻の行状について検討を加える当ブログの主旨から若干外れるので、今のところその記事をことさら取り上げる予定はありません。
この雅子様の中座の件は、雅子様や皇太子殿下、東宮職などの「東宮家側」の言い分がまったく載せられず、「待ちぼうけを食わされた」と主張している側(両陛下、秋篠宮ご夫妻、黒田夫妻)の一方的な行動や言い分しか書かれていないので公平性が保てず、「これは雅子様の方が悪いよね」とはとても言い切れないものです。
しかも大の大人たちが嫌味たらしくじっと二時間以上も待ち、わざわざ「長い廊下を歩いて雅子様を出迎えようとしたんですよ?!」と書かせ、一見雅子様を気遣っているように見えて、実は何とも言えない意地の悪い雰囲気を醸し出していると感じてしまうのです。雅子様が“どうも”としか言葉を発することができなかったのは、そういう意地悪な雰囲気をビシビシ感じられ、「この方たちは私一人のことで一体何をなさりたいのだろうか」というような気分になってしまわれたのではないかと思うのです。もちろん、雅子様が実際に“どうも”とおっしゃたかどうかも定かでないのですが。

上記文春記事で一番不自然だと感じたのは、皇太子殿下のご様子がまったく書かれていないという点です。雅子様のお戻りを全員で待っている間、皇太子殿下がどのような感じでお過ごしになっていたのか文春は詳細を明らかにしていません。
そして紀子妃がいきなり泣き出したのも、傍から見れば「何であなたが泣くの?」という感じでポカーンとしてしまいます。これ見よがしに「陛下がおかわいそう!」アピールをわざわざしたようにしか見えません。
(そういえばこの件の詳細を報じた別の雑誌記事で、この宴席の後紀子妃が「もう(東宮家に)遠慮はしない」と寝室で一人涙した、と書かれていたと記憶していますが、「その“寝室の一人涙”をどうして記者が知ってるんだよ?」というツッコミが入っていたのが可笑しくて笑ってしまいます。「記者が寝室のベッドの下にでも潜んでいたのかw」とも言われていました

このように、東宮ご夫妻、特に雅子様は何とも形容しがたい「意地の悪い」雰囲気にずっと苦しめられてきたのだと思います。両陛下も秋篠宮ご夫妻も育児の経験があるはずなのに、敬宮様のおむずがりや雅子様の行動に対して何も思いやりがないことに驚いています。「あの年頃の子どもにはよくあることですよ」という雰囲気も感じられない。
これでは雅子様が孤独を感じ、お心を病まれてしまうのも理解できるというものです。

さて、上記文春は紀子妃の懐妊速報があった2月7日の両陛下や清子さんのご様子の詳細について触れています。
その前に、紀子妃がご自身で妊娠検査薬を使って陽性反応を確認したのが、1月下旬であることが判明しました。
すると、前回検討した時系列の通り、やはり紀子妃の陽性反応があってすぐに「典範改正慎重論」が大きくなったという時間の流れは正しいということになります。

1月下旬(24日前後?) 紀子妃、妊娠検査薬を使い陽性反応を確認する→約2週間後の2月7日に検診が決まる
2月3日 閣僚から急に「典範改正慎重論」が噴き出す(谷垣氏も女帝女系賛成という意見を覆すまでになる)
2月7日 紀子妃、検診を受ける→NHKで懐妊速報


これでますます「紀子妃の陽性反応の事実を陰で把握している人は多かった。それでは一体だれがその事実を知らせたのか?」という疑念が深まることになりました。陽性反応を直接、真っ先に確認できる方といえば…もう言うまでもないですね。

2月7日当時、両陛下がいきなり葉山静養を中止にしたこと、静養中止の理由は表向きは美智子様の体調不良だったのにその美智子様がお元気でいらしたということ、そして清子さんがわざわざ御所に遊びにいらしていたということなどから、両陛下が紀子妃の第三子懐妊をことのほか喜び心待ちにしている様子がわかりますね。
眞子様、佳子様、敬宮様の時は両陛下はここまであからさまな行動はとらなかったと思います。
これで「紀子妃が妊娠した第三子は“男子”だったし、両陛下もそれをうすうす知っていた」という疑いが頭をもたげます。

本当は両陛下は紀子妃の「男子懐妊の可能性」を知り、静養を中止してまでウキウキしながら御所で待機していたのに、わざわざ「美智子様の不調により静養を中止」という見え透いた嘘をつくことが許せないのです。
これは氷山の一角で、皇室が本当は「噓つき」であることが、この第三子懐妊・出産の件で分かってしまったのでした。
正直に「実は〇〇でした、だから〇〇しました」と言えばいいのに、「いや違うんです!そうじゃないんです!」という言い訳をしながら嘘をつくのが本当に不愉快で仕方ありません。国民を馬鹿にするなと言いたいです。

次回は、東宮ご夫妻が「お世継ぎ」懐妊を巡って苦悩の中にいらしたということが分かる、記事の後半部分をご紹介したいと思います。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~NHK懐妊速報直前の「改正慎重論」が意味すること

ある東宮応援派の方が、紀子妃の第三子懐妊リーク問題に関して、非常に興味深い新聞記事をご紹介してくださいました。心から御礼を申し上げます。
2月7日のNHK懐妊速報直前の2006年2月3日付毎日新聞の記事です。
一読して、「これは一体何を意味するのだろうか」と訝しく感じ、当ブログでも是非取り上げさせていただきたいと思いました。

<皇室典範改正案>外相と財務相が慎重論 反対派が勢い?

小泉純一郎首相が今国会での成立を目指す皇室典範改正案をめぐり、「ポスト小泉」と目される麻生太郎外相と谷垣禎一財務相ら複数の閣僚が3日午前の記者会見で、相次いで慎重論を唱えた。女性・女系天皇を容認する同案に閣僚から公然と慎重論が出たのは初めてで、自民党内の反対・慎重派が勢いづきそうだ。

麻生氏は「通常国会でしゃにむにやらなければいけない法案だろうか」と指摘。そのうえで「皇太子殿下(が天皇)になられて、皇孫殿下が天皇になられるまで何十年先ではないか。もう少しいろんな方々の意見をまとめ、議論をいろいろすることも必要だ」と述べ、さらに時間をかけて議論すべきだとの考えを表明した。

また、谷垣氏は「天皇の地位というのは日本国民統合の象徴だから、今国会であろうとなかろうと、じっくり議論して、すんなり決まるように運ぶのが望ましい」と述べ、意見対立が残ったままでの改正に慎重な姿勢を示した。谷垣氏は1月17日の会見で「女系天皇を決断すべきではないか」と改正案に賛成の意向を表明しただけに、慎重論に方向転換したとみられる。

さらに、中馬弘毅行革担当相は「まだ雅子さまも、紀子さまだって男の子を懐妊される可能性が十分あるのに、なぜ急ぐんだという慎重論がどの派閥にも出ている」、杉浦正健法相は「(政府の)改正案だと、何代か民間人が入ってくると天皇家の家系から(万世一系が)外れちゃうということもあり得る。検討すべき点は多々あるという印象だ」と慎重論に言及した。

◇議論してから提出…安倍、武部両氏 
閣内から慎重論が相次いだことについて、安倍晋三官房長官は3日の会見で「改正案が持つ重みをそれぞれが十分に認識しているのだろう」としたうえで「慎重な方々も改正案の性格を考え、政局ということで考えている方はいないと思う」と述べた。3月10日の予算非関連法案の提出期限に合わせて提出するかどうかは、「与党での議論を経て了承を得られれば提出したい」と語った。
自民党の武部勤幹事長も会見で「政府としてしっかりした対応をしてほしい。慎重にこの問題について議論が行われることが大事」と述べ、政府内の足並みの乱れに懸念を示した。
(記事終わり)



懐妊リーク問題に関する時系列を改めて整理すると、

1月末~2月初頭 紀子妃、妊娠検査薬の陽性反応を確認する
2月3日 上記毎日新聞記事のような「典範改正慎重派」が急に勢いづき、公然と慎重論が唱えられるようになる
2月7日午前 紀子妃の検診開始、NHKが宮内庁周辺をうろつき紀子妃の検診について探りを入れてくる
2月7日午後2時8分頃 NHKに紀子妃懐妊速報が流れる
2月7日午後2時13分頃 小泉総理が秘書官のメモで紀子妃の懐妊を知り驚愕
2月7日午後5時過ぎ 小泉総理、宮内庁から正式に紀子妃懐妊の報告を受ける
2月7日午後9時頃 宮内庁の羽毛田長官が会見で紀子妃第三子懐妊について発表
2月8日午前 小泉総理、衆院予算委員会で典範改正慎重論に転じ大きくトーンダウン


紀子妃が妊娠検査薬で陽性反応が出た時期とほぼ同じ~直後というこの時期に、なぜ急に「改正慎重論」が勢いづき、相次いでこのような意見が公然と出てくるようになったのでしょうか。私は上記「時系列」が決して偶然のものとは思えないのです。
特に谷垣氏のように元々女帝・女系天皇支持であったのに急に典範改正慎重論に転じた人物もいたという事実から、何やら背後に不穏な空気があったということを匂わせています。

これは私の想像に過ぎませんが…もしかしたら「紀子妃が第三子=男子を懐妊した可能性が高い」という情報は、NHKだけでなく一部の議員たちにも知られていたのではないでしょうか。
特に男系男子維持派(改正慎重派)の議員を中心に「紀子妃が妊娠検査薬で陽性反応が出たらしい」という情報が共有されていたのではないかという気味悪さを感じるのです。中馬弘毅行革担当相の「紀子妃も男子を懐妊される可能性がある」という唐突な意見からもそれがうかがえます。
議員らにこの情報を流したのが、医師団なのか、宮内庁の人間なのか、NHKなのか、紀子妃なのか、それは何とも言えません。しかし、一部議員らが早々に紀子妃の陽性反応を知ったからこそ公然と「改正慎重論」を唱えることができ、また女帝・女系支持から急に改正慎重派に転じた者も出てきたとも考えられます。
以前は漠然と「懐妊リークがあったのは速報が流れた2月7日当日」という見方をしていましたが、当時の記事を検証すればするほど、2月7日以前のもっと早い段階=紀子妃の陽性反応が出た時から既に「リーク」があったのだという疑惑が強まりました。
このネットワークのあり方には何とも言えない気持ち悪さを覚えるのです。一体いつから形成されていたネットワークなのでしょうか…?

当時総理大臣であり典範改正推進派(女帝・女系支持派)であった小泉氏だけが「蚊帳の外」に置かれた感じに見えます。
しかしその小泉氏も、懐妊速報があった日の翌日午前に早々に改正断念を匂わせる態度を見せており、改めてこの懐妊リーク・速報の破壊力のすさまじさを感じてしまいました。

それにしても、上記毎日新聞の谷垣氏の意見である
「天皇の地位というのは日本国民統合の象徴だから、今国会であろうとなかろうと、じっくり議論して、すんなり決まるように運ぶのが望ましい」
という内容と、「意見対立が残ったままでの改正の問題点」は、まさに現在問題になっている「秋篠宮様を皇嗣に(立皇嗣礼もやる方向で)」ということにも当てはまると思うのです。

国民の大半は今でも過半数が「女帝・女系天皇賛成」という考えを持っています(それは各種世論調査でも明らかになっている事実です)。そういう中で現安倍政権は「次の次の天皇は敬宮愛子様か、秋篠宮様か」という議論をまったくすることなく、「秋篠宮様が継承順位1位であることを国内外に広く知らせる必要がある」と述べ、秋篠宮様に「皇嗣」という謎の呼称を授け、更には「立太子の礼」を拡大解釈して「立皇嗣の礼」などという前代未聞の儀式を行おうとしています。
立皇嗣の礼は憲法上の天皇の国事行為である「儀式を行うこと」に含まれるか否か、合憲か違憲か、という議論すらまったく行われていないのに宮内庁と政府だけで勝手にどんどん話を進めてしまい、国民からの反対意見に耳を貸さない現状は本当に危険としか言いようがありません。
まさに「敬宮様と秋篠宮様、どちらが天皇にふさわしいか」「男系男子でいくべきか、女帝女系でいくべきか」という意見対立が残っている状態で生前退位特例法に関する問題点がごり押しされているのに、なぜ異議がほとんど出てこないのか。仮にそういう異議があちこちから出ていたとしても、何らかの圧力があって言論封鎖されているのか。

この問題は、単に「秋篠宮様の人柄が信用できないから天皇にしたくない」という感情だけの問題ではなく、まさに日本国の立憲民主主義の土台が危うくなっているという問題なのです。
この国はもう「議論の余地」というものさえ奪われてしまっているのです。
国民が「おかしい」と思って声を上げても、聞き入れられない。逆に「お前は反日・国賊だ」と非難される。
私たちのような「女帝・女系天皇賛成派」も、同じように過去に何度も「お前らは反日・逆賊だ」と罵られてきました。
日本を愛し、世界に誇れる国にしたいからこそ、敬宮愛子様が天皇に即位して輝かれる日本にしたいだけなのに。
「反日・国賊・逆賊!」と言われるのは心外としか言いようがありません。


真に日本国の民主主義が危機にさらされていることを憂えているのに、批判されてしまうのが今の日本なのです。
むしろ女帝・女系反対の男系男子カルト連中こそが、日本と皇室を危機に陥れているようにしか思えません。
この問題は、日頃皇室に関心のない人々にこそ、外から客観的な目で冷静に見つめてほしいと願っています。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~懐妊リーク騒動、イギリスのThe Timesにも記事にされる

今回は、紀子妃の第三子懐妊リークの件が、イギリスの保守系高級紙「The Times」にも記事にされてしまった件を取り上げたいと思います。
ネット上の有志の人が和訳してくれたものを見つけましたので、ご紹介したいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本の政治と世界最古の王家は、天皇の次男の妻が妊娠6週間というニュースによって、昨日混乱に投げ込まれた。

紀子妃の妊娠の余りに早いリークは、徳仁皇太子の4歳になる娘・愛子内親王が男子後継者不在の中で天皇の座を継げるように皇室典範を変える、という小泉純一郎総理大臣による計画を破滅させる為に描かれたように見えた。

日本は今、紀子妃の赤ん坊が後継者危機を終焉させるであろう男の子かどうか知るまでの数ヶ月、サスペンスを耐えなければならない。

しかし女の子であれば、小泉氏は自分は9月に退任すると言っているので、愛子内親王が18世紀以来日本初の女性天皇になる事を許す為の戦いが、擁護者なくして再開する事となるだろう。

このリークは日本中に驚愕を生じ、この絶妙のタイミングに関しては疑惑がある。
紀子妃の妊娠の噂は彼女の夫・秋篠宮のスタッフから出てきたかもしれない、と多くの人々は考えている。アナリスト達は、この影響は赤ん坊が生まれるまで、皇室典範改正協議全般をしずめる、と語る。

しかし、国営放送局のNHKへのリークは、紀子妃に彼女の夫にこの知らせを確認する電話をするチャンスがある前に起こったかもしれない、とメディアは伝えた。
紀子妃が昨日超音波スキャンを行った東京の病院から出てきた、と示唆しているかもしれない。

どちらにせよ、後継危機への総理大臣の解決策に対して烈火の如く拒否を唱えていた、増大し喧しい政治家と学者のグループにとって、このリークはうまく機能している。

戦いは数年間迫り続けており、紀子妃(39歳)と秋篠宮(40歳)へのプレッシャーは巨大になっただろう。
秋篠宮にとって、未来の天皇の父親となる事は、皇室の執務の急増と態度にも変化の可能性が要求されるだろう。

若い時のロマンスやパーティー疑惑は、依然としてゴシップ雑誌の大好物だ。
この夫婦は5月頃にまだ生まれぬ赤ん坊の性別を知るだろうが、その段階で明かす事は皇室のタブーを破る事になる。
 
徳仁皇太子は男子後継者を作ってはおらず、妻の雅子妃の体調不良は彼がそうする可能性をますます低くしている。

秋篠宮と紀子妃は佳子(11歳)と眞子(14歳)と2人の娘がおり、昨日まで二人の子供を もうける日々はもう終わっている、と考えられていた。

女性の子孫が天皇になる事を禁ずる1947年の皇室典範の、小泉氏の提案している改正の運命は、現在わからなくなっている。

続く世論調査は改正への支持が圧倒的に高い事を示しており、これを押し通す事は最後の遺産になるだろう、と内閣の情報筋は言っている。

しかし紀子妃の妊娠は、この計画を不確かにした。

アナリスト達は、小泉氏が提案している改正案を通すのに成功し、この子供が男の子だと判明すれば、世間は、古い法律の下で正当な後継者か、同国が大変な愛着を持つ子供である愛子内親王か、どちらを選択するかを任される事になる、と述べた。

小泉氏は今国会で自分が法案通過を押し通すのを急いでいる事を弁護した。
これは「自分がいつか天皇の座を継ぐのだ、という認識を以って」愛子皇女が教育される為には必要だ、と彼は語った。

しかし彼の異論を巻き起こす法案は既に閣内でも激しい反感を引き起こしており、外相と蔵相からは人前での批判も引き出した。

伝統主義者達は男児が生まれなかった場合の多くの提案を持ってはいないが、作る時間は幾らかある。中には、とんでもない歴史の再現で、徳仁殿下に妾を紹介して男児が生まれるまで繁殖を奨励する、と提案した者もいる。
・・・
(終わり)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「The Times」は1785年創刊の世界最古の新聞であると言われています。当然世界中に読者が多く、この紀子妃懐妊騒動の一件や皇室が抱える問題について、世界中の多くの人々が知ることになってしまったのです。
残念ながら上記和訳記事の日付や元の原文が手元にないため、上記記事の信憑性を検討することはできません。しかし、私はとりあえずこの記事を和訳しネットに上げてくださった有志の人を信じたいと思います。

驚くことに「The Times」も、NHKがあまりにも早い懐妊速報を流したこと、その裏に誰かしらからの「リーク」があったことを指摘しています。上記記事はリークの犯人が秋篠宮家のスタッフや「東京の病院=愛育病院」である可能性を示唆していますが、やはり「The Times」ですら紀子妃が“犯人”である可能性については書けなかったのか、それとも最初から「懐妊した本人が(流産の可能性もあるのに)自らリークするわけない」「皇族ともあろう方がテレビ局と通じてるなんてあり得ない」とでも思ったのか、踏み込んだ内容は期待できませんでした。

しかしそれでも「The Times」のような海外高級紙が、
●「あまりにも早く絶妙なタイミング」と揶揄された速報の一件、
●その速報を行ったのが“国営(公共)放送”であるNHKであったということ、
●このリークが典範改正審議を鎮め、改正反対派の人々にとってはうまく機能しているという点、
●日本の国民の大半は女帝支持であり敬宮愛子様への愛着も大きいということ、
●当時の小泉首相が敬宮様への教育(帝王学)の必要性について言及している点、
●男系男子派が「徳仁皇太子殿下に側室を」という話もした、という恥ずかしいことまで、

淡々と、そしてコンパクトに記事にした影響は、小さくなかったのではないかと考えます。

そして見逃せないのが、上記記事がサラッと書いている一文
「若い時のロマンスやパーティー疑惑」
という箇所です。
これは文脈から秋篠宮(ご夫妻)のことを書いていると思われます。

上記「The Times」の和訳をしてくださった人の補足によると、
>〇リフ〇ナパーティとの指摘あり。
>「馬鹿子息、令嬢の集まりに警察が踏み込んだら、煙モクモクのパーティ中。秋篠宮(礼宮)様と当時まだガールフレンドだった〇子さんもいて、逮捕することもできず拘留したら、すぐに宮内庁のおえらいさんが引き取りにきて事件をもみ消したらしい。
>そこには秋篠宮様の学友の〇〇氏も参加していた?という噂あり」

とのこと。

結婚前の秋篠宮ご夫妻の〇リフ〇ナパーティの件についてはチラッとしか噂を聞いたことがないので確証は持てませんし、日本で行われたのかイギリス(海外)で行われたのかも不明ですが、もしこれが事実だとしたらどこまで腐ったバカップルなんだろう、こんなバカップルに皇統がいくなんて絶対に許せないという感情がますます湧き起こります。
このパーティの一件だけでなく、もし秋篠宮ご夫妻が昔も今も皇族という地位をいいことに、国内外のあちこちで色々な失態をしでかしもみ消しを繰り返していたと想像すると、日本の国益を損ねているとしか思えないのです。
こういう情報は海外王室の方々も当然把握しているだろうし、仮に秋篠宮様が皇嗣という呼称を得たとしてもその評価は一朝一夕で変わるものではないでしょう。

とにかく紀子妃の不自然な懐妊とリーク・速報のタイミングの件は、海外からも疑惑の目で見られていたということです。
そして実際に誕生したのが男子(悠仁様)であれば、その疑惑は確信へと繋がらざるを得ないでしょう。

次回は、ある東宮応援派の方が教えてくださった日本の新聞記事を元に、更に懐妊リークの疑惑に迫りたいと思います。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~「懐妊リーク・NHK速報」の謎②

今回は、前回の週刊現代2006年2月25日号の記事後半をご紹介させていただきます。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~「懐妊リーク・NHK速報」の謎①はコチラ

(記事続き)
◆孤立する皇太子一家

ところで紀子妃の懐妊→出産は秋篠宮家にとって実に11年ぶりのこと。しかし秋篠宮夫妻は以前から第三子を望む発言を公にしていた。
02年11月に行われた誕生日会見で秋篠宮は、こんな発言をしている。
「子どもたちが妹なり、弟なり何かその世話をしてあげたいという気持ちがあるような印象があります」
さらに、03年12月の湯浅長官の発言の後、04年11月に行われた誕生日会見でも、それを肯定する発言をしている。
湯浅長官の発言についての感想を求められた秋篠宮は、
「(02年11月の会見を受けて)長官へその気持ち、つまり秋篠宮の気持ちに変わりはないかという質問だったと私は解釈しております」
つまり、湯浅氏の「第3子発言」は、秋篠宮が子どもを希望する気持ちを汲んだうえでの発言だったという。
しかし、秋篠宮夫妻は、ある理由からその希望を叶えずにきた。
朝日新聞は2月8日の朝刊で、紀子妃懐妊の舞台裏について、
<東宮さま(皇太子)のほうに遠慮していたが、『もうそろそろいいよ』とのお許しがあったので…>
と、秋篠宮が親しい人にもらしたと書いている。
「そもそも秋篠宮さまはお二人の内親王を授かった後も、さらに子どもを欲しがっていた。しかし皇太子ご夫妻を気遣い、第三子の出産を遠慮していたと聞いています。
『お許し』とは、天皇・皇后の意向を汲んだという湯浅元長官の『第3子発言』だったのです」
(前出・宮内庁関係者)
この「第3子発言」をきっかけにして皇太子家と、天皇・皇后、秋篠宮家との関係が以前より疎遠になっていったことは宮内庁関係者の間では否定しがたいことだ。
「雅子妃は03年の湯浅長官の発言の直後から体調を崩し、現在に至るまで長期にわたる療養を続けています。雅子妃は男児誕生を望む声にプレッシャーを感じていたとも言われ、『第3子発言』は雅子妃の体調不良のきっかけであったことは間違いないでしょう」(宮内庁担当記者)
皇族関係者からは、こんな秘話が漏れ伝わってきた。
「病気のこともあり、皇太子さまも雅子さまもほとんど御所には顔を出しません。そのため、両陛下が愛子さまに会う機会は本当に乏しい。現状では愛子さまはどう見ても(※雑誌の綴じ目で文章判読できず)皇室担当記者が両陛下に愛子さまの様子を尋ねても、『会っていないのでわかりません』とお答えになるそうです
天皇・皇后と皇太子一家、秋篠宮一家の距離感の違いには、雅子妃と紀子妃の人柄や経歴も影響している。
「外務省のキャリアウーマンから皇室入りした雅子妃と、大学を卒業してすぐに皇室に入った紀子妃とでは、ライフスタイルからしてまるで違います。雅子妃は以前の会見で『皇室に慣れるということが難しかった』と口にしているが、紀子妃は『皆様のおかげさまで慣れることができた』とかわしている。紀子妃は頻繁に御所へ行き、皇后や紀宮とお菓子作りなどをしていたが、雅子妃はそういった付き合いが苦手。それがストレスとなってしまったのです」(皇室ジャーナリスト)
逆に秋篠宮一家は、公務や行事など精力的に活動し天皇・皇后と関係を深め、その存在感を増してきた。
例えば、紀宮(現在は黒田清子さん)と東京都職員・黒田慶樹氏の間をとりもった。さらに紀宮の無二の親友と皇后の甥との結婚のキューピッド役まで務めている。04年11月の誕生日の記者会見では、「本来の公務はすべて受け身である」という趣旨の発言をしたことで、宮内庁関係者などから「すばらしいご意見だ」と支持されたこともあった。「秋篠宮さまご一家は、頻繁に御所の両陛下を訪ねています。眞子さま、佳子さまもご一緒です。両陛下から食事の誘いなどがあればすぐに行くし、(皇后の)蚕の桑取りや世話にも度々訪れている。御所で両陛下が行う稗や粟、米の収穫のお手伝いにも行っています。両陛下はお知り合いの方との会合でも皇太子ご一家の話はほとんどされませんが、秋篠宮ご一家についてはよくお話しされるようです」(前出・宮内庁幹部)

◆「愛子天皇誕生せず」の可能性

さらに、東宮職と宮内庁という構造も皇太子一家が孤立する原因の一つだ。
「皇太子さまは公務に加え、東宮としての責務、そして雅子さまのご病気を抱え、ご自分のことで手一杯。だから、両陛下ですら気を遣って連絡をとることを控えていったようです。
さらに東宮職というのは、もともと御所と一線を画した独立機関として機能しています。将来天皇となる際は、職員もそのまま御所を引き継ぐからです。そのため両陛下や御所の侍従長なども皇太子の独立性に任せている部分があります。特に愛子さまの教育方針などは、皇太子ご夫妻の意見を聞きながら、東宮職が独自に決定しているんです」
皇室ではこの慶事をきっかけにして、皇太子一家と秋篠宮一家の対峙がさらに浮き彫りになるのではないか、との声が上がっている。皇室典範改正次第で、皇位継承順位が変動するからだ。
現在、改正案の骨子となっているのは、「女性・女系天皇容認、長子優先」である。改正されれば、愛子内親王の皇位継承順位は皇太子に続き2位となり、秋篠宮は3位。紀子妃が男児を出産したとしても眞子内親王、佳子内親王に次いで第6位にしかならない。
しかし、男子が生まれた場合、皇室典範改正自体が見送られる可能性が出てくる。その場合、皇太子、秋篠宮の順番は変わらないが、3位に秋篠宮の第3子が入る。愛子内親王に継承資格は移行せず、愛子女帝誕生の可能性はなくなるのだ。
「皇太子さまや雅子さまが愛子さまを天皇にしたいという強いお気持ちがあるわけではないと思います。しかし、ずっと皇太子一家に遠慮して第3子を作ってこなかった秋篠宮夫妻がなぜ今、ご懐妊したのかという空気がご兄弟の中に流れる可能性はあります。お子さまの性別が分かってからも継承順位が決定するまでは、ご兄弟の間がギクシャクしたものになるかもしれません」(前出・宮内庁職員)
今回、紀子妃が懐妊して、女系天皇容認や男系天皇支持などのイデオロギーについての議論ではなく、政治家たちの政争の具として皇室典範改正の議論が行われるのは火を見るより明らかである。そのために、皇太子一家と天皇・皇后、秋篠宮一家の間に亀裂が走るようなことはあってはならない。
学習院時代からの天皇の学友として知られる橋本明氏も、こう心配する。
「紀子さまご懐妊が雅子さまにどんな影響を与えるのか。皇室典範改正がストップすると、再び雅子さまは男子を生まなければならないプレッシャーを抱えてしまうかもしれない。このことで皇太子さまと秋篠宮さまの兄弟仲が悪くなったなどと噂されてしまったら…。陛下は大変お悲しみになると思います」

紀子妃の懐妊で自分の発言が現実のものとなった今、湯浅氏はどう思うのか。宮内庁参与として天皇・皇后の相談役を務める湯浅氏を、8日に改めて直撃すると、こんな回答が返ってきた。
「皇室関係の事柄でこうやって(マスコミ取材に)対応する立場にないんです。03年12月の発言についても同様で、宮内庁に問い合わせてみてください。だって、羽毛田長官が(紀子妃の懐妊について)会見してるんでしょ?してるよね?会見してるんだったら、それで…。皇室典範について?話せる立場にない。それじゃあ、このへんで失礼します」
宮内庁の職員は、皇室の現状についてこう話す。
「紀子さまのご懐妊は喜ばしいことですが、正直、宮内庁内は祝福ムード一色とはいえません。ご懐妊は皇室の繁栄につながり、とても喜ばしいことです。その一方で、皇室典範の改正が必要か否かの議論に巻き込まれて、天皇陛下ご一家がバラバラになってしまうのではないか。そんな気がしてならないのです」
出産予定は9月。それまで皇室、永田町の動きから目が離せない。
(記事終わり)



現代記事後半部分は、以前ご紹介したアエラ記事と重複する部分が多く、改めて内容を検証する必要はないかもしれません。しかし、何度見ても「秋篠宮ご夫妻は東宮ご夫妻に遠慮して第三子を作らなかった」アピールには腹が立ちます。ご自分たちの夫婦仲がうまくいっていなかったことが一番の原因なのに他人のせいにして良い子ぶる人はあまりにも感じ悪いです。

また、上記記事は「秋篠宮ご一家は頻繁に御所に足を運び両陛下と交流しているが、東宮ご一家は没交渉」ということも書いていますが、傍から見れば「むしろ東宮ご一家の方が秋篠宮ご一家に遠慮していたのでは?」としか思いません。秋篠宮ご一家がいつも両陛下にベッタリでは、東宮ご一家のお立場から考えたら「弟一家がいるなら邪魔してしまうし、自分たちはまた今度にしよう」と思いたくもなりませんか?また紀子妃が雅子様をハブるようにしてこれ見よがしに美智子様・清子さんとお菓子作りをしていたという事実もありますし(おそらく雅子様には声すらかけていないように思います)、私の目からは「秋篠宮ご夫妻、特に紀子妃がいつも先回りして両陛下に媚びを売り、皇太子ご一家(雅子様)がその中に入る余地を奪っている」としか見えないのです。雅子様の体調を気遣って、手作りのお菓子を雅子様の元に持っていったという“美談”も出ませんしね。

「御所(皇居)参内」について改めて言わせていただくと、目下の皇族が目上の皇族にお会いするには、まず目上の方々の「お許し」は必要なのが大前提であります。目上の方々のスケジュールを無視してズカズカと無遠慮に参内することなどできるわけがありません。一般庶民のように「近所に寄ったから来ちゃった」みたいな気軽な身内訪問などあり得ません。
ですからいくら「東宮ご一家の皇居への参内が少ない」という印象を世間に与えてみても、両陛下が「来ていいよ」と言わない限りは、東宮ご一家は参内することができません。つまり、東宮ご一家がどれだけ「そちらにおうかがいしたいです」と申し出ても両陛下が「今は来ないで」とおっしゃれば、東宮ご一家は参内が許されません。
東宮ご一家が両陛下と交流できないのは両陛下の責任であり、東宮ご一家のせいではありません。そこは宮内庁やマスコミが明らかにすべきことだと感じます。
更に言えば、以前ご紹介した「両陛下は女帝を望まれていない」というテーミス記事にも書かれていた通り、両陛下は雅子様と敬宮愛子様の参内の約束を一方的に反故にしたという事実があります。それなのに両陛下が「東宮ご一家は全然こちらに来ない!」とか「愛子に会わせてもらえない!」と被害者ぶるのは明らかにおかしいし憤りを感じざるをえません。

そして、ほかにも気になった箇所があります。
上記現代記事も前回ご紹介したアエラ記事も、「雅子様が長期療養生活に入られた原因は、湯浅長官の『秋篠宮ご夫妻に第三子を強く希望する』コメントである」という論調ですが、「両陛下は女帝を望まれていない」というテーミス記事によれば、雅子様が明らかに明確な体調不良に陥った原因は「両陛下による参内の約束反故」にあります。雅子様は両陛下の約束反故の翌日(12月2日)に帯状疱疹になり、12月4日から数日間入院されているのです。時系列は下のようになります。

2003年11月28日 宮内庁より、雅子様と敬宮様が両陛下を訪問されるというアナウンスがあった(マスコミも把握)
2003年12月1日 雅子様と敬宮様、両陛下の元を訪れるも両陛下が約束を反故にし会うこと叶わず
2003年12月2日 雅子様、帯状疱疹と診断される
2003年12月4日~8日 雅子様ご入院
2003年12月11日 湯浅長官による「秋篠宮ご夫妻に第三子を」発言


こうして見ると「一番の原因は両陛下であり、湯浅長官の発言で更に追い打ちをかけた」というのが事実でしょう。

「両陛下が敬宮様に会えない(会わせてもらえない)」のではなくて、「敬宮様が両陛下に会えない(会わせてもらえない)」というのが正しいのです。

最後に、陛下のご学友であり今は亡き橋本明氏のコメントにある「皇室典範改正がストップすると、再び雅子さまは男子を生まなければならないプレッシャーを抱えてしまう」という考え方には一理あると思いました。その後に続く「(紀子妃の第三子懐妊について)正直、宮内庁内は祝福ムード一色とはいえない」という部分にヒントがあり、実はこの当時は宮内庁・皇室内外でも「次男嫁の紀子妃が男子を生んでも意味がない。やはり雅子様が男子を生んでこそ意味がある」とか「秋篠宮ご夫妻が余計なことをしてくれた」という考えを持つ人々もいたという証左になると思うのです。
「皇太子妃でない紀子妃が男子を生んでも仕方ない、やはり皇太子妃雅子様に男子をお産みいただかなくては」という方向で、雅子様にも男子生めプレッシャーがかかってしまうことに変わりはない。
秋篠宮ご夫妻が今になって第三子をお作りになったことで皇室の中に混乱が起きてしまう。
そういう見方もできると思わされました。
だからただの一宮妃にすぎない紀子妃が第三子を懐妊しても、皇室典範改正議論はそのまま継続するべきだったのです。
この改正審議をストップさせてしまったことはあまりにも重大な判断ミスだったと断言できます。

湯浅元長官の「逃げ」の態度については呆れて言及するのも嫌になります。

次回は、「紀子妃懐妊リーク」について言及した海外紙などをご紹介したいと思います。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~「懐妊リーク・NHK速報」の謎①

今回2回に分けてご紹介する記事は、週刊現代2006年2月25日号です。
この記事の前半は、安定期にも入っていないわずか妊娠6週前後で懐妊がリークされ、NHK速報が流れた「謎」について疑問を呈する内容になっています。

「揺れる天皇家と小泉」全10P大特集
皇太子(愛子内親王)VS秋篠宮(第3子) 「皇位継承で対峙する」
天皇&皇后はなぜ「紀子妃懐妊」にGOサインを出したのか!?政界も真っ二つの内幕明かす


紀子妃、第3子懐妊。皇室に久しぶりの明るいニュースが舞い込んだ。国民が祝福ムードで盛り上がる中、渦中の皇室、宮内庁の様子がおかしい。皇室典範の改正という政治的な動きも加わり、皇室に何が起こっているのか。

◆「紀子妃懐妊」を誰が流したのか

「(懐妊についても)知らない、そんなニュースやっていない」
紀子妃の懐妊が明らかになった7日、インターフォンごしに家族を通じて、こんなそっけない様子で取材を受けるのは宮内庁前長官の湯浅利夫氏だ。8日になって一変した湯浅氏のコメントは後述するが、実はこの湯浅氏、今回の紀子妃懐妊劇の舞台裏をよく知る人物なのである。
「皇室の繁栄を考えると、(秋篠宮ご夫妻に)3人目を強く希望したい」
03年12月、宮内庁の湯浅利夫長官(当時)は記者会見で大胆な発言をした。雅子妃に男児出産の可能性が難しいともとれる発言は、雅子妃に対しあまりに非礼だとの批判が上がり、大いに物議を醸すこととなった。
しかし、この発言は現実のものとなった。約2年後の今年、紀子妃が第三子を懐妊したのである。
「当時、湯浅長官は世間から『何様のつもりか』と批判の集中砲火を浴びました。しかし、宮内庁長官といえども、個人の判断で皇族に子作りを期待する発言はできるわけがない。宮内庁職員の間では、湯浅長官の発言は、天皇陛下のご意向を汲んだものだと言われていたんです。
そして、皇室典範改正議論が盛り上がり、『女性・女系天皇』が容認されようとするこのタイミングで紀子さまが第3子を懐妊した。なぜ今なのか。庁内は騒然となっています」(宮内庁幹部)

2月7日に明らかになった紀子妃の懐妊は、皇室典範改正にも影響を与えている。懐妊が判明した当日の小泉純一郎首相の言動の変節ぶりからもその衝撃度がわかる。
午後2時13分頃、衆議院予算委員会に出席中の小泉首相に秘書官がメモを手渡した。メモに目をやった小泉首相は「秋篠宮さま?」とつぶやき、一瞬「えっ」という驚きの表情を浮かべた。うわの空となった首相は、予算委員長から「総理、総理」と二度、三度呼びかけられて、ようやく我に返ったほどだった。
小泉首相にもたらされたメモには、5分前にNHKがスクープとして流したばかりの「秋篠宮妃の紀子さま ご懐妊 宮内庁発表へ」のニュースが記されていたのである。
紀子さまは数日前に、妊娠検査薬を使ってご自身で確認を行っていました。そこで眞子さま、佳子さまのご懐妊のときにも診断した愛育病院に連絡をとり、7日の午前中に秋篠宮邸で拝診を受けたのです」(宮内庁職員)
この動きを、NHKはどこよりも早く報道した。全国紙宮内庁担当デスクが語る。
「NHKは7日の午前中には情報を掴み、宮内庁関係者に確認を始めました。知っていたのは宮内庁でもごく一部だったため、NHKからの問い合わせを受けて庁内は大騒ぎになった。そしてすぐにニュース速報が出たんです」
この時点で紀子妃はまだ、秋篠宮に対し懐妊の報告をしていない。秋篠宮は千葉にある山階鳥類研究所に会議のため出かけていた。もちろん、天皇・皇后、皇太子も同様だ。午後9時頃、羽毛田信吾宮内庁長官は会見で「思いがけない」NHKの報道についてこう語っている。
「妃殿下が秋篠宮殿下に拝診の結果をご報告になる時間さえない時点で(報道が)行われたもので、妃殿下にお与えした動揺や負担を考えると、極めて残念に思わざるをえません」
これほど性急な懐妊情報を一体誰が漏らしたのか。懐妊を知りうるのは宮内庁でもほんの一握りの職員だけのはずで、何らかの意図を持ったリークとも思える。
紀子妃は「妊娠6週目」と発表されたが、九段クリニックの阿部博之医師がこう話す。
99年に雅子さまが稽留流産されたときは、妊娠4週目という異常に早い段階で第一報が流れました。今回の紀子さまも妊娠6週目だから、発表には早すぎます。一般的には妊娠2カ月以降に報告するのが普通です
秋篠宮家の眞子内親王、佳子内親王のご懐妊のときの発表は妊娠2か月目で行われている。それと比べると、確かに6週目での発表は早すぎる。
皇室典範改正議論を鎮静化させる意図があったとも考えられるのです。懐妊となれば男児が生まれる可能性もあり、今国会での改正案上程は難しくなる。宮内庁は女系天皇容認の改正案に熱心に動いてきたように報じられているが、職員全員が同じ考えではありません。小泉首相の打ち出す改正案に反対の人間も少なからずいるのです」(別の宮内庁職員)
実際、小泉首相の「女性・女系天皇容認」の目論見は大きく狂った。国会での質疑が終わった後の動揺ぶりが如実に物語っている。
「午後5時5分に官邸に戻った小泉首相は、事務担当の二橋正弘官房副長官に、再度『本当なの?』とたずねている。まだ半信半疑だったのでしょう。その後、宮内庁から正式に『懐妊の兆候がある』という報告が届いた。それで安倍晋三官房長官と協議し、安倍氏の慎重論に押される形で、今国会での法案提出・成立を後退させることに決めたのです」(全国紙政治部デスク)
翌8日午前の衆院予算委員会で小泉首相は、「政争の具にならないよう慎重に取り計らいたい」
と、大きくトーンダウンしてしまった。麻生太郎外相をはじめ閣僚までが慎重論を唱え、政界を真っ二つに分けた皇室典範改正議論は一気に鎮静化したのだ。
(続きます)


ひとまず、記事前半部分について引用させていただきました。

上記現代記事はあのNHK速報の異様な速さに疑問を呈し、一体誰が、どういうルートでリークしたのか?という核心に迫ろうという一応の努力はしていると思います。しかし、個人的な感想としては、「核心にはまだ迫り切れていない」という印象です。あるいは「リークした張本人は誰だか分かってるし言いたいのだけど、言えない」という感じにも見えました。

まずこの一連の問題で最初に確認しておきたいのは、「紀子妃がまずご自分で妊娠検査薬を使い、陽性反応を確認している(1月末~2月初頭?)」という事実です。この陽性反応があったからこそ、数日後の2月7日午前中の秋篠宮邸における検診へとつながったのです。
そして上記現代記事は、「NHKは7日の午前中には情報を掴み、宮内庁関係者に確認を始め」たと書いています。まさに7日午前中は検診が行われている真っ只中なのに、なぜかNHKはほぼ同時進行でその情報を掴んでいたというのです。
紀子妃が1月末~2月初頭?に妊娠検査薬で陽性反応を確認し、7日に改めて検診を行うと決まった際、「その陽性反応」と「その後のスケジュール」を前もって知ることができたのは、常識の範囲内では“紀子妃ご本人・紀子妃を実際に診ている医師団・医師団の来訪を迎え入れるごく限られた人数の秋篠宮家の職員”だけと考えられます。
あくまでも常識の範囲内で考えれば、ここに“NHK記者”が入ると考える方がおかしいですね。

しかし、秋篠宮家の出来事にはしばしば「常識の範囲内」では収まらない、奇妙なことが起きるのです。
この懐妊リークはまさにその典型例であり、「NHK記者もなぜか前もって7日午前の検診とその結果について知ることができる状態にあった」としか考えられないのです。
NHKは、7日当日ではなく、それ以前から紀子妃の懐妊を(陽性反応の時点で)知っていたのでしょう。


さて、それでは一体誰が2月7日より前にNHKに「リーク」したのか?

医師団は厳重な守秘義務を課されるので、医師団が真っ先にNHKにリークすることは考えにくいです。皇族の懐妊・出産に携わるからといっても民間の医師であることに変わりはないので、今後の医師としての信用問題を考えると、守秘義務違反の危険を冒してまでリークすることはまずありえないと考えます。

次に、ごく限られた人数と思われる秋篠宮家の職員はどうでしょうか。
おそらく一番疑いが向けられるのがこの職員たちだと思われますが、もし仮に秋篠宮家の職員が「犯人」だとすると、誰がリークしたのかの特定は比較的容易に行え、この職員を処分することも早々にできたはずだと考えます。しかしこのリークの一件で、秋篠宮家の職員の誰かが処分されたという話は聞いたことがありませんし、処分されていたら官報にも掲載されるだろうし、ニュースにもなるのではないかと思うのです。ところがそういう話はついぞ聞いたことがありません。

そこで目を向けるべきなのが、妊娠検査薬による陽性反応を誰よりも最初に確認しうる立場にあった、紀子妃ご本人です。
ここからは私の推測ですが、大まかな流れはこうだと考えています。

紀子妃は1月末~2月初頭?に妊娠検査薬で陽性反応を一番最初に確認した後、まず愛育病院にそのことを連絡し、愛育側から「それでは2月7日に秋篠宮邸にお伺いして検診いたしましょう」という返答をもらった。
次に紀子妃はご自分で直接NHKに連絡し、「検査薬で陽性反応が出て、2月7日に検診を受けることが決まった」旨を伝える。
NHKはそれを受けて、「もしかしたら待望の第三子懐妊か?」という思いで、7日に備えて準備万端にしておく。
そして7日当日、NHKは前もって紀子妃から当日の検診のことを聞いていたので、宮内庁周辺を嗅ぎまわった。
検診で第三子の懐妊が明らかになった直後、紀子妃が直接NHKに連絡を入れたのか、それとも秋篠宮邸に張り付いていたNHK記者がいたのかは定かでないが、すぐさまNHKで懐妊の速報が流れた。


…という感じなのではないかと。

NHKリークの一件で一番怪しまれるべきなのは、懐妊したご本人である紀子妃だと思うのです。
しかし上記現代記事もほかの記事も、その「核心」にまで踏み込むことはできずに終わりました。


この速報の後、宮内庁やマスコミ側は「よりによって当主の秋篠宮様が知る前にNHKが速報を流してしまったことは誠に遺憾、そしてこのことは紀子妃にもショックを与えた」という論調でしたが、「紀子妃自身がリーク主なら、ショックを受けるはずがないだろう」としか思えないのです。
おそらく、ご自分に疑いの目が向けられると察知した紀子妃が「どうしてこんなことに~?」みたいに演技をしたのかもしれませんね。こちらでは確認ができませんでしたが、「紀子妃が“盗聴器がしかけられているかもしれない!”と秋篠宮邸を探し回った」という記事がどこかに出たという話も聞いたことがあります。

妊娠6週という安定期にも入っていない段階での懐妊リークはリスクが大きすぎ、そんなことを妊娠した本人である紀子妃がするはずないだろうという見方もできるかと思います。
私もこの一件では、「もし流産という結果になったらどうするつもりだったんだろう?」という疑問がなくはないです。
しかし、この懐妊では「安定期に入ったか否か」ということよりも、「まず典範改正議論をつぶすこと」の方が重要だったのです。上記現代記事も「典範改正の鎮静化の意図があった」と言及しています。
とにかく「妊娠した」という事実を利用することを一番重視したということですね。

たとえこの後この第三子を流産することになったら、今度はその流産を利用して「こんな悲しい出来事があったのに、紀子妃が多大な犠牲を払ったというのに、そんな早々に典範改正議論を再開させるのか!紀子妃のお気持ちを考えろ!」と政権を脅すつもりでいたのかもしれません。そして可能な限り典範改正を遅らせる道を探ったのではないかと。まあこれはあくまでも私の推測ですが…。

そして紀子妃がNHKを選んだ理由は、「政府も含めていち早く国民に公共放送から速報を流してほしかったから」だと思います。紀子妃が結婚前からマスコミと深い関係にあったという事実は当ブログでも検証いたしましたが、紀子妃は結婚後もマスコミとコネクションを保ちご自分の利益のために利用していたと考えられます。
ちなみに上記現代記事は雅子様の流産のことにも少し触れていますが、この早すぎるリークは、紀子妃と懇意の朝日新聞の岩井克己記者によってなされています。この件も後ほど短い記事をご紹介させていただきます。

この紀子妃の第三子懐妊当時、私は自分の仕事や資格の件で思い悩んでいた時期でもあり、このニュースについてそこまで詳しく知ったり深入りしたりする余裕がありませんでした。しかしあれから約12年、改めて当時のことを振り返ると、そのあまりの常識外れな出来事にただただびっくりするばかりです。
当時ツイッターなどのSNSがあったら、どれだけの驚愕・疑問ツイートで埋まっていたでしょうか。

次回は上記現代記事の後半をご紹介したいと思います。
sidetitleプロフィールsidetitle

キリアキ管理人

Author:キリアキ管理人
今上陛下の生前退位に伴い、国民の理解や同意が得られないまま「秋篠宮様を“皇嗣”(継承順位1位の皇族)として皇太子に準じる扱いにし、支給される皇族費もこれまでの3倍に増やす」ということも一緒に勝手に決められてしまいました。
この問題に危機感を持ち「あらゆる方面から見ても秋篠宮様は皇嗣にふさわしくない方である」ということを、過去の雑誌記事の引用(原則全文)により検証することを目的としたブログです。2020年に予定されている「秋篠宮立皇嗣の礼」に一石を投じたいです。

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR