FC2ブログ

2006年当時は骨があった(?)共産党系雑誌の辛辣な意見(悠仁様ご誕生について)

今回は、共産党の月刊誌である「前衛」の記事をご紹介させていただきます。
悠仁様誕生について大騒ぎする日本のメディアに対して辛辣な視線を投げかけており、前回ご紹介した乙武氏ブログ炎上の一件とも密接な関連性のある内容となっています。

前衛 2006年11月号

メディア時評 テレビ
「秋篠宮妃男児出産」報道への違和感


沢木 啓三(ジャーナリスト)

◆大々的報道へのひっかかり

さる9月6日、前々から予想はついていたとはいえ、テレビが朝から夜まで「秋篠宮妃男児出産」で一色に染められたのには、ちょっと驚きだった。帝王切開の手術が始まったのが午前8時ごろ、民放は朝のワイドショーを特別編成にして放送枠を拡大したり、特別番組を編成するなどして、早朝から宮内庁や愛育病院などの拠点に中継車を出して速報態勢を組んだ。なかには、夜のゴールデンタイムに改めて特別番組を放送した局もあった(視聴率は惨憺たるものだったようだが)。

子どもが生まれたことを祝福することに異議を唱えるつもりはない。現行の皇室典範が女性の皇族に皇位継承権を与えていない以上、男児が生まれるかどうかは天皇制そのものの存亡にかかわるというのもわかる。しかし、今回生まれたのが「男の子」で、そのことが特別に重要な意味をもつからと、各局が大々的な報道を展開したということに、少しひっかかるものがある。これはテレビばかりではなく、新聞が号外を街頭で配布したことも同様だ。
テレビ各局の大掛かりな準備からすると、生まれるのは男の子であることは、事前に確度の高い情報があったのかと勘ぐりたくなる。それ以前に、女性天皇・女系天皇を認める方向での皇室典範改正のために、小泉首相の肝いりで設置された有識者による懇談会で素早く結論まで出しながら、秋篠宮妃の妊娠の一報が飛び込んで以降は皇室典範改正議論が沙汰やみになってしまったという経緯にしても、何か隠されているのではないかと疑問に思ってしまうのは私だけではあるまい。この間、まるで政府や皇室関係者が“ぐるみ”で国民に隠しごとをしていたようで、何か釈然としないものを感じるのは筆者だけだろうか。新聞やテレビの対応は、読者や視聴者に不信感を抱かせる要因になってはいないだろうか。

◆「おめでとう一色」でいいのか

「41年ぶりに皇族に男児が誕生した=天皇家の後継ぎが生まれた」ということは、天皇制存続を切望する人々からすれば、喜ばしいことであろうことは理解できる。そのこと自体をここで批判しようとは思わない。しかし、マスメディアが「まことにめでたい」という意見しか取り上げないことは、別の問題をはらんでいる。
出産の日、テレビは各方面からの「お祝いコメント」や、ゆかりのある地域の人々などがお祝いの言葉を述べているようすをこれでもか、とばかりにどっと放送した。ここまでマスメディアがおおげさに「慶祝ムード」をあおる必要は、はたしてあるのだろうか。いま心配なのは、「この慶事をお祝いしないようなやつは“非国民”だ」という雰囲気をマスメディアが醸成してしまうことにある。

小泉首相の靖国神社参拝に批判的な意見を述べた自民党の加藤紘一衆院銀に対して、山形にある彼の実家を放火し、自分もそこで自決しようとした右翼団体所属の男がいた。幸い人的被害はなかったが、さらに、この事件について「いい気味だ」などとする書き込みが、インターネット上の巨大掲示板「2ちゃんねる」にいくつも見られたことが報じられている。このように、言論に対して暴力をもって報復すること、そうした行動を容認する意見が堂々と開陳されていることに、筆者は心の底で戦慄を覚える。批判的な意見が存在することを認め、それを尊重しながら議論するという民主主義社会のルールを守れない人は、社会人として失格だといわざるを得ない。
言論に対する実力行使が容認されるような社会になると、あらぬ被害を受けたくないことから自由な意見の表明が控えられるようになり、結果として少数意見は息をひそめ、結局、権力者の言いなりに社会が動いていくことになる。これが破滅に向かう道であることは、日本の歴史が示すとおりだろう。お祝いごとにケチをつける意図はないつもりだが、マスメディアが「おめでとう一色」になってしまうことが、破滅への道に足を踏み入れることになりかねないということについて、メディア自身がもっと自覚的になってほしいと、切実に思う。

◆同じ観点からの議論だけでいいのか

メディアにおける皇室典範の改正議論についてもふれておきたい。「出産特番」のなかで、皇室典範改正の是非をめぐる議論を展開したものがいくつかあったが、そこでの議題設定は、先述したような「女性・女系天皇を認めるか否か」というものに終始していた。制作者の意図としては「女性天皇に賛成か反対かという両論を扱っているからバランスはとれている」というものだろうが、そこには少し違和感を覚える。
政府がおこなった皇室典範委関する有識者会議は、きわめて短期間の審議で報告書を提出したが、その会議でさえ、「世襲の象徴天皇制度というものが憲法の基本的原理からすると逸脱している、あるいは憲法原理とは矛盾している」という立場の憲法学者(これは憲法学会の通説だが)を登場させていた。これに対し、たとえば、女性天皇容認派のA大学教授と、認めないB大学教授をスタジオに招いて議論したワイドショー番組があったが、このA・B両教授は二人とも、首相の靖国神社公式参拝については強力な賛成・推進派として知られる論客だった。ということは、皇室典範をめぐる議題設定には、これ以外の観点からの意見も考慮に入れる必要があるのではないか。

このことは、自民党総裁となった安倍晋三氏が、政権構想の中で重点として掲げている「憲法改正」をめぐる議論についても言える。「改正」の焦点はもっぱら9条の戦争放棄条項を見直すかどうかにあるようだが、そこまで言うならこの際、あらゆる角度から現行憲法を点検する姿勢があってもおかしくない。そして、もし議論するなら、憲法における天皇制の存続そのものについても俎上に上げるべきだろう。少数意見を含めて天皇制をめぐるあらゆる意見を検討の場に出すことは、天皇家の存続が危ぶまれているこの機会にこそ、メディアが意識的にやらなければならないことだと思う。
現在の天皇制および天皇家の存在が多くの国民の支持を得ていることは各種の世論調査から明らかだが、だからこそ、「天皇制廃止」のような、ちょっと人前では言うことをはばかられるような意見でも、メディアはその存在を国民に知らしめるような工夫をすべきだ。その場合、そうした意見を述べることが本人の不利益にならないよう、メディアが最大限の配慮をすることも必要条件だろう。
皇室典範や天皇制そのものは明らかに男性優位の思想に基づいていて、憲法が定める男女平等の原則から言っても本質的な問題をはらんでいるようと思う。そういう意味で天皇制は、制度の一部を変更する程度ではすまないような、現代社会と相いれない要素を持っているとも言えよう。


◆敬語の使い方に行き過ぎはないか

もうひとつ、「出産特番」を視聴していて気になった点を挙げる。皇室関係の報道では毎回指摘されていることだが、皇室に対する敬語の使い方だ。スタジオの司会者や記者による中継リポートでは、報道ガイドラインに「コメントは過剰敬語や二重敬語にならないように注意する」を明記している局もあるのに、二重敬語(「紀子様ご出産」のような)を連発していた。スタジオでのやり取りを聞いていると、生まれたばかりの赤ちゃんを「お子様」を呼ばなければならない窮屈さもあいまって、いったいこれはいつの時代なのか、と頭がくらくらしてくるほどだ。
今から50年近く前、現天皇の結婚当時は、放送でも「皇太子さん、美智子さん」という呼称で通っていた。また、現皇太子の幼少時には愛称からとった「ナルちゃん憲法」という言葉もブームを呼んだ。とにかく「さま」や「陛下」「殿下」と呼ばなければならないという堅苦しい敬語で固めた現在の皇室報道は、この50年でマスメディアが表現の自由を自ら狭めてきたことの証左ではないだろうか。
もっとも、慣れない敬語を使いながら必死に中継レポートしているテレビ局の若い記者たちの姿を見ていたら、「もしこれで天皇制がなくなったら、日本の敬語文化はこれまで以上に衰退するだろうな」という、妙な感慨も覚えたしだいだ。
(記事終わり)


「前衛」はあくまでも共産党系の雑誌なので、上記のように天皇制に対して辛辣な意見が出るのも当然といえるかもしれません。この時代の共産党は骨があって(?)、独自のポリシーに基づく意見もきちんと言えたのだなあと改めて思います。

共産党系の雑誌という偏見を除いても、上記記事は割とまっとうなことも述べていると言えるのではないでしょうか。乙武氏ブログ炎上事件といい、メディアが横並びで「男子誕生」をことさらお祝いするだけの番組作りしかしないことといい、世論を同一の方向に向けさせ、それに反したり疑問を呈したりする意見を悉く潰してしまうことは恐ろしいですし、もはや民主主義の国がやることではないでしょう。
しかし、「男子誕生」に異様に盛り上がっていたのは実はマスコミと一部の男系男子支持者だけであり、国民の大半は白けていたというのが事実のような気もします。上記記事も「悠仁様誕生特番の視聴率は惨憺たるものだった」と正直に書いているくらいです(笑)。

そして上記記事は天皇制全体を今一度見直すためにも、憲法改正についても様々な方向性から議論するべきだと述べていますが、この提言が12年後の現在でも有効であるということに驚かされます。現在、窮地に立たされている安倍政権は、憲法改正についていまだに強引さを見せているようですが、12年前から言われていたことが現在もまだ継続しているというということは考えさせられます。

ところで、今の共産党は、12年前と同じような骨太さを持っていると言えるでしょうか?
今上陛下の生前退位についても、天皇を男系男子に限定している点も、秋篠宮様の立皇嗣を強引に推し進めようとしていることについても、今の共産党は矜持を持ってきちんと独自の意見を見せてくれているでしょうか?私にはとてもそうは見えません。


先日、共産党の志位委員長が、下記のようなコメントを出したとニュースになりました。

天皇の即位儀式、共産「見直しを」 国民主権に沿わず
毎日新聞2018年3月23日

共産党の志位和夫委員長は22日の記者会見で、天皇陛下の退位に伴う新天皇即位の儀式について、憲法の国民主権と政教分離の原則に沿って見直すべきだと表明した。国会の全党派で議論する場を設けることも提案。同党は政府と衆参両院議長に文書で提出した。
政府は前回の儀式を基本的に踏襲する方針だ。志位氏は、皇室に伝わる剣などを引き継ぐ「剣璽(けんじ)等承継の儀」▽新天皇が三権の長らにおことばを述べる「即位後朝見の儀」▽内外に即位を宣言する「即位礼正殿の儀」--が憲法で定めた国事行為にふさわしくないと指摘した。

志位委員長はあくまでも「即位の礼」だけの意見に留まり、今上陛下の退位希望や退位の礼の違憲性、秋篠宮様の皇嗣待遇や立皇嗣礼については何も意見を述べていません。新天皇陛下の即位の礼には触れるのに、今上陛下と秋篠宮様の一件には何も苦言を呈さないのもどうなのか?と疑問に感じます。
このように、今上陛下と秋篠宮家に対しては、どういうわけか左翼の共産党すら「何も言わない・言えない」という異常な状態が続いていると言えます。「予算を減らせ(簡素化しろ)」とか「違憲のものとして見直しを行え」と言われるのはいつも新天皇陛下の即位の礼ばかりというのは、納得いきません。「即位の礼」は平成の前例に倣うということができますが、「退位の礼」と「立皇嗣の礼」は前例のないものを国民の議論がないまま推し進めようとしている点で、即位の礼よりも許容できる余地がないと言えるからです。

悠仁様ご誕生に対する「言論弾圧」の恐怖~乙武氏・きっこ氏ブログの炎上

今回は、悠仁様ご誕生後に起きた“ある炎上事件”について触れたいと思います。
一歩間違えると、すべての物事において「言論統制」が起きかねないことに警鐘を鳴らす記事内容となっています。

週刊現代2006年9月30日号

あの乙武クンも標的にされブログ炎上
親王誕生で“言葉狩り”された人々


「非国民」「あんた何様だ?」「偽善者来たー!」「乙武洋匡は愛国心が無いんだな」

9月6日の秋篠宮家新王誕生後の慶祝ムードの陰で、あの乙武洋匡氏(30歳)のブログ「乙武洋匡オフィシャルサイト OtoZone」が“炎上”し、注目を集めている。標的とされたのは、「紀子さま出産」と題した翌7日付のこんな文章だ。
「世間は昨日から『めでたい、めでたい』と騒いでるけど…ひとつの命が誕生したことがめでたいのか?それとも誕生した命が『男児だったから』めでたいの?」(以下略)
この短文はすぐにネットの巨大掲示板「2ちゃんねる」に取り上げられ、ブログへ批判・中傷コメントが雪崩を打つように書き込まれた(こうしたブログ執筆者の発言に批判的コメントが集中する状態を“炎上”という)。同日のうちに乙武氏は「深くお詫びします」との題で謝罪文を掲載したが、これが火に油を注ぎ、明けた8日には900件近いコメントが押し寄せ、13日現在ではすでに総数は5000件以上にも及んでいる。
この現象を『大正天皇』の著書がある明治学院大学教授の原武史氏はこう見る。
「乙武さんのこの醒めた見方は特別なことではない。皇太子夫妻にまったくスポットが当たらず、秋篠宮家ばかりが注目を浴びる状況に、国民は政治的なにおいを感じとり、割り切れなさを感じている。その手放しで喜べない微妙な気持ちを乙武さんが代弁した、という見方もできます」

この件に関する本誌の取材に対して、当の乙武氏はかたくなに口を閉ざしたままだが、親王誕生にからんで、「言論封殺」や「言葉狩り」を彷彿とさせるネット騒動はまだあった。
耐震データ偽造事件の特ダネで注目を集めるなど、辛辣な時評で知られる人気ブログ「きっこの日記」が、6日付で「見て見ぬフリの国民性」と題する文章をアップしたが、すぐに削除していたのだ。内容は、紀子妃の出産を「茶番劇」と評し、親王誕生で沸く皇室報道を含めた日本人の国民性を批判したもの。ブログの主は「公開の順番を間違えて」しまったと理由を追記したが、13日現在この内容の原稿が再アップされた様子はなく、削除の経緯に疑問の声も上がっている。
市民記者によるニュースサイト「オーマイニュース」の編集長・鳥越俊太郎氏は、
「“炎上”は、ある種の言論暴力。こうした言葉の暴力が横行する原因は、ネットの匿名性にあるのではないか。匿名で他人を誹謗中傷するような場をつくった『2ちゃんねる』は、日本人の恥部を見るような気がして恥ずかしい」
と、「2ちゃんねる」への批判発言で炎上しかけた自身の体験からこう語った。
個人ブログへの攻撃的な書き込みは「2ちゃんねる」を経由することが多い。この巨大なネット掲示板をめぐって名誉棄損や脅迫などのトラブルが後を絶たないのは事実だ。“ひろゆき”こと、管理人の西村博之氏にコメントを求めたが、締切日までに返答はなかった。
前出の原氏が語る。
「ネットで目立った意見に反応して面白半分に陰湿に叩くというのは、自閉的な日本の社会を象徴している。タブーの多い皇室という存在が、もしもそういう陰湿さを助長しているようであれば、これは問題。私には差別の構造の頂点に皇室が位置しているという持論があるが、日本の皇室は今、もっと外に開かれるべき時を迎えているのではないか」
(記事終わり)


乙武氏の率直な一言で彼のブログが大炎上を起こした一件は、ご存じの方々も多いと思われます。私も当時この一件を知った時は、乙武氏を攻撃した側に疑問を抱きました。
皇室に“男子”が生まれ、そのことを祝福することに対して、何らかの複雑な感情を抱いた国民も少なくないと思われます。しかし相手が皇族だったので、はっきりと異議を唱えられない国民もきっと多かったはずです。しかしそのような中、乙武氏というそこそこ知名度のある人が、実に率直な感想をブログに挙げてくれました。彼の意見に内心では同調した人もいたはずです。「自分が言いたくても言えないことをよくぞ言ってくれた」と感じた国民もいたのではないでしょうか?

ところが、乙武氏のこの一言を弾圧しようとした連中がいたということですよね。確かに皇室にお子様が生まれたことはおめでたいのかもしれません(いや皇室に限らず、新しい命の誕生はすべておめでたいと言えるのかもしれませんが)。そういう“おめでたい”ことに水をさすな!ケチをつけるな!と言いたい人の気持ちも分からなくはありません。
ですが、一つの物事について様々な感想が出ることは言論の自由が保障されているはずの我が国では自然で健全なことです。それを組織立った圧力・弾圧でひとつの意見だけを抑え込み、自由な感想や意見を持つことを封じ込めるやり方は実に卑怯であるし、恐ろしいことでもあります。しかも弾圧した側はほぼ全員「匿名」という点も卑怯ですね。乙武氏が実名を出して自分のブログで堂々と意見を述べたことに比べると、弾圧した側の行動は褒められたものではありません。

また、きっこ氏も同様の弾圧を受けてブログ記事を削除した経緯があるとのこと、私はこちらの一件は当時は知りませんでしたが、このようなことが度々起これば、悠仁様=男子が皇室に生まれたことについては、もう「お祝い・称賛一辺倒」しかできなくなってしまいます。この2件のブログ炎上事件がきっかけで、悠仁様=男子誕生については否定的な意見は一切言えない空気になりました。

原武史氏が「皇太子夫妻にまったくスポットが当たらず、秋篠宮家ばかりが注目を浴びる状況に、国民は政治的なにおいを感じとり、割り切れなさを感じている」というコメントを述べていますが、これは乙武氏ブログ炎上から12年たった今でもまさに言えることであり、東宮ご一家をスルーして秋篠宮家ばかりクローズアップするテレビや書籍が多いという現実はまだ現在進行形で続いています(特に公共放送であるはずのNHKがひどすぎます)。

それにしても、乙武氏のブログを炎上させた人々の正体は一体何なのでしょうか?
東宮ご一家をバッシングする勢力すべてに言えることですが、あまりにも組織立っており、同じような批判内容を壊れたレコードのように繰り返すため、かなり早い段階から「個々人ではなく特定の意図を持った集団が行っている」という見方がされていました。
この“組織”についてはここでは深入りしないことにしますが、あまりにも不気味なカルト的組織が行っている…というにおいを感じています。
乙武氏に向けられた批判の中に「非国民」「愛国心がない」というものがあったようですが、こうやって「お前は日本を愛していない」「反日・非国民」という方向性で相手を罵倒するやり口が好きな団体がいますよね。

また乙武氏には「偽善者」という批判も向けられたようですが…むしろ皇室に男子が生まれたことについて手放しで盲目的に喜ぶ人たちこそ「偽善者」ではないかと思うのですが。乙武氏は偽りを述べない、正直者としか感じません。

秋篠宮家を支えている集団は、こういう組織なんですよね。悠仁様ご誕生から12年たった今、いっそうそれを強く感じています。

しかし12年前、個々人が気軽に自由に自説を述べることができるツイッターなどのSNSがあったら、悠仁様=男子誕生の一件について、国内外でどのような意見のやり取りが繰り広げられていたのか…とつい想像してしまいます。

やはり「典範改正先送り」をした自民政権の判断は間違いだったのではないか

サンデー毎日は秋篠宮ご夫妻の第三子(悠仁様)誕生直前に下記のような記事を出し、たとえ第三子が男子であった場合でも「手放しでは喜べませんよ?」というまっとうなことを述べていました(拙ブログでもご紹介済みです)。

サンデー毎日2006年9月10日 紀子さま41年ぶり男子皇族誕生でも「手放しで喜べないこれだけの理由」

サンデー毎日はその後、第三子=悠仁様という男子が生まれた後も、典範改正を棚上げしてしまった自民政権の判断に苦言を呈するような記事を書いています。今回はその記事をご紹介します。

サンデー毎日2006年9月24日号

ご出産ワイド

「お世継ぎご誕生」のビッグニュースが流れた9月6日以降、列島各地の熱気は冷める気配がない。慶事を機に出産ブームの兆しが見え始め、経済効果をはじく面々も。一方、皇室典範改正問題は一気にトーンダウン―。悲喜こもごものドラマが生まれているのだ。

◆「安倍新官邸」が先送り 「皇室典範改正」の迷走

今や、はるか昔の話のような気もするが、皇室典範改正をめぐって政争になりかけたのは今年初めてのことだった。
小泉純一郎首相は、女性・女系天皇を認める典範改正案を1月開会の通常国会に提出しようとしていた。
これに対し、自民党を中心に保守議員らが「男系男子」の維持を主張して巻き返しを図ったため、小泉首相が提出を強行した場合、「郵政」並みの大波乱が起きる、とも観測されていた。
それが2月7日の「紀子さまご懐妊」発表で「水を打ったように静まり返った」(宮内庁関係者)。
そして男児が誕生。
「(改正は)少なくとも40年ぐらい先の話でしょ」(麻生太郎外相)などという発言が飛び出すほど、永田町は「先送りモード」だ。
一方で男系維持派は勢いづいている。
下村博文衆議院議員(自民)は9月6日、新しい超党派の議連を結成し、旧宮家の男系男子を皇族に復帰させる典範改正案の検討を明らかにした。「今の皇室典範は危機を迎えることは確か」とも語った。方向は違うが、現状認識は小泉首相と同じなのだ。

では、「安倍新官邸」は、どうするのか。政治評論家の浅川博忠氏が言う。
「触らないでしょうね。小泉さんが改正で突っ走って政権の危機になりかけたのを、官房長官として隣で見てるわけですから。安倍氏の急務は来年の参院選に勝つこと。ここで変に意思表示をして党内に不協和音をもたらすのは得策ではないという判断がある」
改正案提出は先送りし、男系維持派とされる自らの意思表明も封じるのではないかと、というのだ。

だが、前出の宮内庁関係者は「典範改正はいずれ必要。有識者会意義の指摘した皇族的問題は解決されていません」と話す。「皇室典範に関する有識者会議」が昨年11月に出した報告書には、こうある。
「これ(男子による継承)が維持されてきた背景としては、まず、非嫡出子による皇位継承が広く認められていたことが挙げられる」
つまり、側室制度があったがゆえ、というのだ。
また、結婚年齢が若く、子どもの数も多かったことも支えの一つだったという。
側室制度の廃止、そして働く女性の増加と高学歴化、晩婚と少子化―皇室も時代を反映して変化してきた。それを無視したままの「先送り」では、改正議論は迷走するばかりだろう。
(記事終わり)


短い記事ですが、サンデー毎日が危惧することは間違いではないと言い切れると思います。麻生氏に代表されるような「悠仁様が生まれたのだからあと数十年は安泰でしょ?」という、未来を見据えようとしない愚かな発想が明らかに皇室の末永い繁栄と安泰を危ういものにしていると言えます。「悠仁様お一人になってしまわないように女性宮家を作って云々」という意見が代表的ですが、その場しのぎの安易な考えしかできない人たちに皇室の未来を託すことが本当に不安で仕方ありません。
ここで抜本的に「天皇直系の血を引く、東宮家の長子の敬宮愛子様を皇位継承者にすべき」という発想転換ができないまま、「とりあえず悠仁様という男系男子がいるからそこまではギリギリいけるけど、その後は無理だから女帝女系はそこから考えればよい」という考え方自体が腹立たしいですし、結局最終的に女帝女系に方針転換するつもりなら、じゃあなぜ“今、現在”敬宮様が女帝になってはいけないのか?と思うわけです。

当時、典範改正を先送りにした張本人とも言える安倍氏ですが、現在渦中の中にいますね。しかし安倍氏が総理を辞めたところで、後任と目される人々が同じような「敬宮様軽視派」だったら、問題は解決に至りません。そこが何とも歯がゆいです。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~悠仁様誕生当日も続いた「茶番」

「あまりにも白々しい『秋篠宮ご夫妻第3子』をめぐる茶番劇」シリーズも記事数が増えていきましたが、第三子=悠仁様ご誕生の当日もその茶番は続いていました。

今回は、第三子=悠仁様が誕生された2006年9月6日当日の秋篠宮様のご様子を報じ、同時に、典範改正を見送ったことに対して苦言を呈する内容となっている記事をご紹介したいと思います。

週刊朝日 2006年9月22日号

祝!男児ご誕生 ご祝賀ワイド おぎゃー!


親王さまの第一声は「おぎゃー」だったと、金澤一郎・皇室医務主管が発表した。まことにおめでたい「おぎゃー」にまつわるあれこれ。

◆秋篠宮さまはそのとき「純情きらり」を凝視したワケ

新しい親王が愛育病院の手術室で産声を上げた9月6日午前8時27分。その瞬間、手術室と廊下を隔てた向かい側の部屋に待機していた秋篠宮さまは、テレビドラマを見ていたという。
皇室に41年ぶりの男児誕生か、と民放各局が軒並み特別編成を組んでいたこの時間帯に放映されていたドラマとは、NHK朝の連続テレビ小説「純情きらり」である。
「平静心を失わない方だな、とちょっと驚いた次第です」

金澤一郎・皇室医務主管は、「親王さまです」と伝えたときの秋篠宮さまの淡々とした様子を会見でこう述べた。日本中が今か今かと誕生を待ちわびているとき、渦中の当人が騒ぎをよそに、食い入るようにドラマを見ていたのには、ある理由があった。
皇室関係者は、こう解説する。
「NHKにまた情報が漏れていないか、チェックしていたんですよ」
事の発端は今年2月のご懐妊報道にある。秋篠宮さまに紀子さま懐妊の報が届く前に、NHKが第3子ご懐妊を発表した。
紀子さまは、ご自分の口から秋篠宮さまや両陛下に朗報を伝えられなかったことに強いショックを受け、涙を流された。秋篠宮さまはそのことに心を痛め、激しくお怒りでした」(皇室関係者)
自分に知らせが入る前にまた速報が流れやしないか、画面を凝視していたのだ。
今度こそ自分の口で直接、伝えたい。秋篠宮さまの動きは速かった。男児の姿を見届けると、誕生から6分後の8時33分ごろ、札幌に滞在する両陛下にまず電話を入れ、続いて皇太子さまにも直接、電話で報告した。男児誕生の第一報は、日本テレビが8時46分に伝えた。そのころには、秋篠宮さまはすでに受話器を置いていたはずだ。

◆ご夫妻は「どんな子でも」と言ったが 医師団が男児と知った時期

「医師団はだれも正確な情報はありませんでした。2分の1の確率だったということですね。私も知りませんでした」
紀子さまの主治医で帝王切開をした愛育病院の中林正雄院長は、術後の記者会見で、新宮の性別についてこう語った。
男の子か、女の子か。皇室典範改正問題ともからんで、ご懐妊直後からさまざまに憶測を呼んできた性別を、はたして医師団はいつ知ったのか。
金澤一郎皇室医務主管は、「どんな状態の子どもであっても受け入れたい」という秋篠宮ご夫妻の「大変感銘深いお言葉」を披露。ご夫妻の意向を尊重した結果であると強調した。

だが、だれも知らなかったという医師団の説明を額面どおりに受け取る人は少ないだろう。「男の子」説は永田町や宮内庁、マスコミ関係者の間で半ば既成事実としてささやかれていた。
最近では「週刊文春」9月7日号が「秋篠宮が友人に洩らした『第三子は男の子』」と題した記事を掲載した。3カ月ほど前、ごく親しい友人に「次は男の子でしょうか」と問われた秋篠宮さまが、
「ええ、そのようです」
と答えたとする内容だ。

超音波診断では、出産前には9割方、男女の見当がつくといわれる。
日赤医療センター産科の杉本充弘部長はいう。
「まれにまぎらわしい場合もありますが、超音波の診断をすれば性別はおおよそわかります。まして今回、紀子さまを担当した上妻さん(志郎・東大助教授)は超音波のスペシャリスト。診断の精度は高いはずです」
紀子さまの出産を支えたのは、主治医の中林院長や同病院産婦人科の安達知子部長ら。坂元正一・母子愛育会総合母子保健センター長が顧問役を務めた。
このうち、最も性別情報を知りうる立場にあるのは、超音波を担当する上妻氏だろう。ただし、皇室関係者によれば、上妻氏は、性別が判別できるような診断画面は見ない、といった話が医師団と宮内庁との間であったという。
医療チームの一人を直撃すると、こんな答えが返ってきた。
「会見で中林さんが言ったとおりです。診断しているうちに男か女か見えちゃったなんてアマチュアのやることで、見えないように診断しようとすればできるのがプロ。本当にだれも知らなかったんだよ。過去の週刊誌の報道もウソです」

◆皇室典範改正議論は先送り 安倍晋三氏が見せた“弱腰”

次期首相にいちばん近い男、安倍晋三官房長官は、男子皇族の誕生に胸をなで下ろしたに違いない。
「冷静に慎重に、しっかりと落ち着いた議論を行っていくことが必要ではないか」
皇室典範改正について、安倍氏は6日午前、記者団にそう語った。政府も早々と、次期通常国会での改正見送りを決めた。ある永田町関係者が解説する。
「安倍氏の判断は、皇室典範改正を当分の間、『塩漬け』にするということです。安倍政権で新しい有識者会議をつくって報告書を上書きするという選択肢もあったのだが、(改正に前向きだった)小泉首相との関係もある。今回は波風の立たない『塩漬け』を選択したということでしょう」
「闘う政治家」を標榜する安倍氏らしからぬ判断だが、実は皇室典範改正問題は、安倍氏にとって火傷をしかねない「政変の火種」であった。
そもそもの発端は小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が昨年11月に提出した報告書だ。女性天皇や女系天皇を認め、皇位継承順位は男女を問わない「第一子優先」というもの。小泉首相は今年1月の施政方針演説で、「有識者会議の報告に沿って改正案を提出する」と成立に強い意欲を示し、保守系議員らが猛反発した。その紛糾ぶりは、「無理に進めれば血を見ることになる」(中堅議員)と心配する声があがるほどだった。
だが、「紀子さまご懐妊」が助け舟となった。小泉首相は2月のご懐妊発表を機に改正案提出を見送った。
今回の新宮が女子であれば、安倍政権の下でも再び自民党を二分する激しい論争は避けられなかっただけに、男子誕生で党内には安堵の空気が漂う。

しかし、政治評論家の森田実氏はこう指摘する。
「改正が棚上げになったことで、戦後、男女平等をうたう憲法に沿ったはずの皇室典範で、女性天皇を禁止した問題が棚上げになってしまった」

小泉首相も6日夕、こう語った。
「今の時代において常に男子がお生まれになるとは限りませんから、将来女系の天皇陛下も認めないと、皇位継承というのはなかなか難しくなるのではないか」

保守系議員の中には、旧宮家の皇族復帰で、男系男子による皇位継承を安定させようという動きもある。
それでも、安倍政権では改正議論は先送りされる雲行きだ。その先にあるのは、親王の将来のお妃がさらされる「男児を産まなくてはならない」という重圧なのである。
(記事ここまで)


悠仁様ご誕生時に秋篠宮様が当時のNHK朝ドラ「純情きらり」を見ていたことですが、もしかしたら秋篠宮様が普段から朝ドラの視聴を習慣にしていただけかもしれないですし、たまたま好きな役者さんがそのドラマに出ていたのかもしれないですし、本当のところはよくわからないというのが正直な所ではないでしょうか。たまたま朝ドラを見ていただけなのに、「またNHKで速報が流れるのではないか」という疑いを秋篠宮様は抱いていた…と考えるのは憶測にすぎないかもしれません。

しかし、第三子懐妊リークと速報の経緯の明らかな不自然さから、「あの一件は自分の妻が関与していたのではないか?」という疑惑を、夫である秋篠宮様は果たして1ミリも持っていなかったのでしょうか?冷静に考えれば「あの一件はもしかしたら自分の妻が…」という考えが浮かんでも良さそうなものなのに、秋篠宮様は最後まで「別の誰か」がリークし速報を流させた、と考えていたのでしょうか。
しかし、自分の妻以外に心当たりのある人物がいたとすれば、とっくの昔にその人物を自分たちから遠ざけることも可能だったはずです。ところが秋篠宮ご夫妻がそういうことを行った形跡はありませんでした。
あるいは案外と秋篠宮様は自分の妻の関与を何となく疑っていて、「今回ももしかしたらNHKで?」と思いつつ朝ドラを見ていたのかもしれません。
いずれにせよ、秋篠宮様はとっくに「第三子は男子」ということが分かっていたのだろうと感じます。「平静心を失わない人」とか「淡々としていた」という様子からもそれが分かります。

結局、悠仁様ご誕生の一報を最初に流したのはなぜか日テレだったようですね。NHKが「選ばれなかった」のは、懐妊リークの一件があってNHK周辺に疑いの目が向けられていたので、今回は「遠ざけた」ということなのでしょうか。よく分かりません。
悠仁様が生まれたのが6日の午前8時27分、秋篠宮様が誕生を知ってまず両陛下に電話でお話したのが8時33分頃、そして日テレが誕生の一報を報じたのが8時46分頃。
日テレはまるで秋篠宮様の「行動」が終わるのを見届けてから速報を流したようにも見えます。

さて、秋篠宮ご夫妻が第三子懐妊の際「どんな子でも受け入れる」とおっしゃった逸話は割とよく知られていますが、この言葉の意味は決して「男子でも女子でも関係なく」ということではないと私は思いました。
性別選択・受精卵選別で無理やり“男子”を作ることになるリスクやデメリットについて、秋篠宮ご夫妻は当然医師から話を聞いていらしたと思います。“男子”を選ぶことによって具体的にどのようなリスクが生じる可能性があるか…その医師からの忠告を聞いた後、秋篠宮ご夫妻は第三子の無事な着床を確信した上で、「リスクを抱えた子など生まれるわけがない、我々なら最高の医師団がついてるし大丈夫だ」という自信を持った上で「どんな(リスクを背負った)子でも受け入れます~」と、しおらしく言ってみせただけではないでしょうか。
そして現在、悠仁様は11歳となられましたが、報道規制を敷かれて意図的に「隠された」お子であるとか、進学問題で周囲と軋轢を起こしているとか、不穏なお話ばかりが漏れ聞こえてきます。
果たして秋篠宮ご夫妻は、ありのままの悠仁様をきちんと「受け入れて」いると言えるのでしょうか?過去の自分たちの発言に、嘘や偽りはないと胸を張って言えるのでしょうか?


そして上記記事の最後は、小泉政権から安倍政権へのバトンタッチとともに典範改正議論が凍結されてしまったことに苦言を呈する形で締めくくられています。
男女平等をうたった憲法と抵触する問題、皇室の存続と繁栄を怪しくする問題、そして今後「男子生めプレッシャー」の継続からまともな女性が誰も皇室に嫁いでこなくなるという懸念、これらは当然今もまったく解決されていないことばかりです。
むしろ悠仁様ご誕生で事態はどんどん悪化していきました。


それにしても「女帝・女系天皇」を推し進めるだけで「血を見ることになる」とは、一体どういうことなのか。
天皇制の維持というお話で、なぜそのような物騒なヤク〇の世界のような怖い話が出てくるのか。

男系男子固執派のバックにはどういうカルト集団や圧力団体が控えているのか…と考えてしまいます。
表によく出てくるのは日本会〇ですが、それ以外にももっと闇に隠れた組織が背後にいるのだと感じるのです。

女性宮家は両陛下と秋篠宮家の“悲願”5~女性宮家案に手を付けない安倍政権に“恨み骨髄”な両陛下

今回は女性宮家問題記事のひとつの区切りとして、タイトルからして強烈な印象を与えるものをご紹介いたします。

週刊新潮 2017年12月14日号

特集「皇室会議は茶番! 女性宮家も泡と消えた!!
安倍官邸に御恨み骨髄 天皇陛下が「心残りは韓国……」


31年4月30日。あくまでも儀礼的で、いわば茶番の皇室会議を経て、平成の終焉日が決まった。天皇陛下が望まれてきた女性宮家創設は泡と消え、それを打ち砕いた安倍官邸に御恨み骨髄だという。更に、心残りとして「韓国」の2文字をあげていらっしゃるのだ。
(※「週刊新潮」2017年12月14日号が掲載した本記事について、12月14日に宮内庁から抗議がありました。週刊新潮編集部の見解は文末に掲載します)

去る12月1日、9時45分から宮内庁3階の特別会議室で開かれた皇室会議において、平成が「31年4月30日」で終わることが固まった。
「衆院副議長の赤松(広隆)さんが“退位は3月末がいい”と意見具申した以外は事前報道の通り、『4月30日退位、5月1日新天皇即位』という日程に異論は出なかったようです。あくまでも“儀式”ですからね」
と、政治部デスク。
年初に産経が「元日即位」と報じれば、今年10月に朝日が「4月1日即位」と1面トップで書いたように、退位日についてメディアを巻き込む恰好で、官邸と宮内庁の綱引きが浮かび上がっていた。ともあれ、陛下が昨年8月、映像に「おことば」を託されてから宙ぶらりんだった、退位問題に決着がついたわけだ。

もっとも、この1年4カ月のあいだにも、そしてそれ以前にも、天皇陛下と安倍首相との相克は尽きないのである。そして、侍従職関係者はこんなふうに打ち明ける。
「陛下は、“心残りがあるとしたら……”という言葉を口にされています。具体的には、女性宮家を創設できなかったこと、そしてアジアで訪問していない国があること、ですね」

◆「忖度決議案」

まず、女性宮家から触れることにしよう。
「野田政権時代にうまく行きそうだったのに、2012年12月に安倍政権が発足してダメになったという意識をかなりお持ちになってこられました。女性宮家が固まれば、小泉政権下の05年時点の世論調査で80%が“支持する”と答えていた女性天皇の議論も深まっていくかもしれない。陛下は喜怒哀楽の感情を表に出すことを決してされないのですが、それでも安倍さんには御恨み骨髄、という表現がぴったりくるのではないでしょうか。これだけ陛下の思いを蔑ろにした首相は前代未聞だと言えます」(同)
野田前首相が消費増税や衆院定数の削減に傾倒しなければ、“近いうち”と表明した解散を回避して政権交代をもう少し先延ばしできていれば……。いたずら好きの神様は確かにいて、皇室の命運と安倍官邸とは密接不可分だったことがわかる。

そして「皇室典範のあり方」について長らくかかわってきた人物は踏み込んで、
「女性宮家の問題が“困難”と判断された結果、退位へぐっと舵を切っていかれたように感じています。つまり、頓挫したことにがっかりされたのではないでしょうか。それでも陛下は“一矢報い”ようとなさった。それが、『付帯決議案』に現れています」
先の通常国会で、天皇陛下の退位を実現する特例法案が可決。その中に、安定的な皇位継承策として「女性宮家」創設の検討などを盛り込んだ付帯決議案も議決されていることを指す。
この付帯決議を盛り込むように国会で動いたのは野田前首相ですが、そういう流れができないかと、側近を通じて陛下は意思表示されています。それくらい女性宮家への思い入れが強かったのです。次代の皇太子さまには愛子さましかいらっしゃらず、仮に女性宮家の議論を喚起しようとしても当事者となってしまうから適当ではない。したがって、この議論は終了したと陛下はもちろん理解されているわけですが、それでも“最後の抵抗”をされたのでしょう」(同)

そして、“昔からある皇室をそのままの形で続けるべし”と考える保守系の人たちに対して、こんな感想を漏らす。
「男系男子にこだわり続けている彼らは、悠仁さまに皇室の未来のほとんどを賭けるようなスタンスを採っています。しかし、それは現実的には難しい。ならば女性天皇や女性宮家などといった対応策を考えるほかないというのは極めて合理的だと思います」(同)
陛下の思いの根底には、そういった“時代のリアリティ”があったと斟酌するのだった。

◆“首相と話してみるかな”

“時代のリアリティ”については、例えば、秋篠宮さまの誕生日会見にも現れている。記者が「皇位継承のあり方という問題について議論がほとんど進んでいない現実」について伺うと、秋篠宮さまは、
<(略)議論が進んでいない、確かに進んでいないのですけれども、そのこともやはりこれはある意味で政治との関係にもなってくるわけですね(略)>
と回答なさっている。
「普通なら“そうですか”で終わることなのに、そのような答え方をされたというのは非常に意味ありげですね。陛下を含め皇族方のお考えとしても受け止められると思います」(先の皇室典範にかかわる人物)

陛下とは学習院初等科から高等科まで「ご学友」だった榮木和男さんは、
「去年クラス会をやった際に陛下にお会いしましたが、譲位については何もおっしゃらなかったです。200年もなかったことですから、簡単に口に出すわけにもいかないということでしょう」
とし、こう“合理性”を口にする。
「昭和天皇崩御の時は大変でしたよね。あの前後には国の色んなことが事実上ストップしてしまったでしょう。香淳皇后も亡くなられるまでずいぶん臥せっておられた。今回の生前退位に関しては、おふたりを見送られたご経験から、合理的に考えて決断されたのだと思います。ただ、すべてが思い描いた通りになったわけではないでしょう。安倍政権になってから色々なことが進まなくなったという状況があって、陛下が焦りのようなものを感じておられたのは当然そうだと思います。自分たちが言い出さないと、誰も何もしてくれないということがだんだんわかってこられた。それで、異例かもしれませんが、ああいう形の『お気持ち表明』になったんじゃないでしょうか」

他方、安倍首相のブレーンで“保守系の人たち”にあたる八木秀次麗澤大教授は、「女系女性容認」で固まっていた小泉内閣時代の話を披露する。
「安倍さんが官房長官に就任(05年10月)した際に、女性宮家の問題点について私が安倍さんに説明をさせていただいた経緯があります。“首相が決断している以上、政治家としては反対できない”と安倍さんは当初渋るような態度もありましたが、最後には“よくわかった。首相と話してみるかな”と。それから安倍さんは、女性宮家が女系天皇容認に繋がることもよくわかっておられます。だからこそ、“男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みなどを踏まえつつ”(17年1月26日衆議院予算委員会)と発言しているわけです」

◆官邸の“気苦労”

なるほど、もともと安倍首相は、女性宮家や女性天皇に否定的だったわけではない。逆に、明治生まれの祖父以降養ってきた「皇統に対する考え方」を平成の時代に花開かせた、ということでも全くない。八木教授の“説明”に従った結果が、現在の安倍首相の姿勢に繋がっているということになる。
続いて、陛下の「おことば」について、八木教授の話を通じ、安倍首相の心のうちを覗いてみよう。
憲法は第4条第1項に、天皇は国政に関する権能を有しないと定めています。つまり、天皇は政治的な言動をしてはならない。また、政府としても、天皇の発言を受けて動いてはいけませんし、国会も天皇の発言を受けて法律を制定するようなことがあってはいけないというのが憲法の趣旨です。また、皇室典範も終身在位制をとっており、天皇が生前退位することを想定していません。しかし、事実としては天皇陛下のご発言があって政府が動き、有識者会議が設置され、さらに国会はそのご発言を受けて特例法を制定しました。しかも、内々に陛下のご意思が政府に伝えられたわけではありませんよね

そして、官邸の重ねている“気苦労”を代弁するのだった。
政府、内閣法制局はいかに憲法に抵触しない形で特例法を成立させるのかに苦慮していました。だから、(先述の特例法の)〈趣旨〉の第1条に“国民は、(中略)この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること”など、特例を認める説明をしているわけです。また今回の皇室会議において、即位の日付が5月1日で決まったことについても、“平成30年まで”という陛下のご意向を尊重し、官邸は元日で進めようとしていました。しかし、陛下が1月7日予定の『昭和天皇三十年式年祭』をご自身で執り行なわれたい旨が伝えられてきた。その結果、今の日付に落ちついたということなのです」(同)

◆「韓国訪問」をご相談

さて、陛下の心残りのもうひとつ、「アジアで訪問していない国」とは、他ならぬ韓国を指すのだという。
「陛下は皇太子時代から現在に至るまで、一度も訪韓されていません。中国へはちょうど四半世紀前に訪問されているのですが……」
と、宮内庁担当記者。先の侍従職関係者も、
「陛下は韓国には一番行きたかったんじゃないでしょうか。それを迎えてくれるような状態だったら良かったんですけど。李王朝に嫁いだ方もいますし、そういう意味で特別な思いがあったでしょう」

とはいえ、12年8月には当時の李明博大統領が「天皇による謝罪要求」をぶちあげている。
ここ1年に限っても、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」を確認した日韓合意を反故にした。挙句、11月にトランプ米大統領が訪韓した際には、晩餐会に元慰安婦を出席させ、「独島エビ」が供されたりした。
さすがに真冬のソウルよりも冷え込んだ両国関係にあって訪韓はなかろうというのが衆目の一致するところだが、前出の八木教授は、
「陛下は実際に『韓国訪問』の可能性についてお考えになっていた形跡があります。というのも、陛下よりその件で相談を受けたという方に、ひとり挟む形ですが、実際に聞いているからです。もちろん、ご在位中に訪問されたいという内容でした」
と証言するくらいだから、かなり前向きな姿勢であったと推察されるのだ。

最後に、政府は目下、即位の礼を国事行為として位置づけ、その中に譲位の儀式を入れることにしようか、など議論を進めている。そんな中で、ある官邸関係者はこんな打ち明け話をする。
「最近耳にしたのが、陛下が華やいだ雰囲気で皇居を去りたいお気持ちを持っていらっしゃるということ。具体的には、一般参賀のような形で国民に対してメッセージを発し、そのうえでパレードをしたいと考えておられるようです。その一方で官邸は、粛々と外国の賓客も招かずに静かにやりたいという考えがあって、そこで宮内庁とせめぎ合いをしていると聞いています」

 ***

【抗議に対する週刊新潮編集部の見解】
本記事のテーマとなっている内容につきましては、官邸関係者や宮内庁関係者、そして霞が関関係者などに対して長期綿密に取材を行なってきました。記事はそのなかで得られた情報を基に構成されたものです。摘示した事実はとりわけ機微に触れる内容であり、むろん情報源について明かすことはできませんが、その中身については真実であると確信しています。

(記事終わり)



上記新潮記事は、女性宮家が両陛下の強いご希望であり、その希望を潰した安倍政権にかなりの“恨み”を持っていること、そして政治的権能を有してはいけないはずの陛下の言動によって官邸(政府)が相当苦慮し続けたこと、を改めて国民の目の前に突き付けてくれています。

私は基本的に安倍政権は評価できないと感じていますし、男系男子固執派である八木秀次氏の考え方もまったく評価しておりません。しかし皮肉なことに、天皇の生前退位の一件に関しては、安倍政権や八木氏の捉え方の方が正しいと言わざるを得ない一面があるのです。
天皇は政治的発言を行ってはいけないし、政府もそれを受けて行動してはならない。それなのに平成の天皇陛下は、それを行ってしまった。だから官邸(政府)が頭を悩ませ、苦労を強いられた。この事実は忘れてはならないと思うのです。

よく天皇万歳の保守派などが、「安倍政権は陛下のおっしゃることをすべて聞け!陛下のご希望に添えない政府は非国民!」と、的外れなことを言っています。しかし、彼らは憲法の天皇に関する条文を知らないのだろうか?という疑問しか湧きません。国民が常に天皇のご希望を100%全力で受け入れていたら、もはやこの国は民主国家ではなくなりますし、主権者は国民であるという前提も崩壊してしまいます。

ところで、上記新潮記事は、女性宮家についてちょっと誤解しているのではないか?と思えました。
上記記事は「両陛下が女性宮家を熱望するのは、女性天皇・女系天皇につなげたいためである」と考えているフシがありますが、これは新潮の勘違いと思われます。
何度も指摘するように、両陛下は女性天皇など望まれていませんし、敬宮愛子様が天皇になることにも反対していました。ですから秋篠宮ご夫妻に第三子=悠仁様を作ることをお許しになったのです。
当然、女性宮家案も小泉総理時代の案ではなく、野田総理時代の「一代限りの継承権を持たない、公務要員としての女性宮家」案です。新潮記事は敬宮様が皇太子になる可能性や女帝になる可能性についても触れていますが、両陛下はまずそのようなことは考えていないはずです。両陛下はあくまでも「悠仁天皇を支える補助機能としての女性宮家」しか望んでいないのです。
この辺りに両陛下のお考えと新潮の見方にズレがあると思いました。


しかし安倍政権はあくまでも「そんなこと言っても女性宮家は女性皇族の継承権(女帝・女系)につながりかねない」という危惧を持っていたのでしょう。だから女性宮家案を白紙に戻しました。
そして安倍政権が行ったことと言えば、生前退位法案のドサクサに紛れて、同時に秋篠宮様を皇嗣という奇妙な地位に引き上げてしまったという愚策。
もし両陛下が本当に敬宮様を女帝にしたいために女性宮家を望んでいるのなら、「秋篠宮皇嗣案」など話が違うと思われるはずです。ところが両陛下はむしろこの「秋篠宮皇嗣案」をスンナリ受け入れ、この件については安倍政権に不満を漏らしたことがないのです。むしろ両陛下は「秋篠宮皇嗣案」は、敬宮様の立太子の道を阻止するために歓迎しているように思われます。

八木氏や安倍政権は、陛下の生前退位に関しては納得のいく説明をしていました。
しかしこの「秋篠宮皇嗣案」ですべてが台無しになりました。
結局、「敬宮様を女帝にしたくない」という両陛下の思いと、「女帝女系天皇など許さない、男系男子継承を維持すべし」と考える安倍政権の考えが見事に一致した結果が、この「秋篠宮皇嗣案」だったのです。
実の祖父母である両陛下と、時の政府双方から「貴女は皇位継承者の中に入れてないし、眼中にないから」と言われてしまったも同然の敬宮愛子様のお気持ちを考えると本当においたわしいです。あまりにも一人の皇族に対して失礼ではないのでしょうか。しかも敬宮様は東宮家の唯一の内親王であり、天皇直系のお子様なのにです。

韓国訪問希望に関しては、「絶対に行ってはいけない」の一言に尽きます。
複雑で長期にわたる政治的紛争を抱えている国への訪問は議員や官僚でも慎重になるべきであり、天皇や皇族が安易に行ってよい場所ではありません。
両陛下は韓国に行って、何をしたいのでしょうか?謝罪?土下座?半永久的に賠償金を払い続けるという約束?
いや、そんなこと、絶対に天皇や皇族がしていいはずがありません。
何度も言うように天皇や皇族は政治的責任を一切負わないからです。
無責任に韓国訪問して無責任な行動をとられても、天皇や皇族は一切政治的責任を負うことがありません。
そのツケは結局国民が負うことになってしまうのです。
仮に両陛下が「もし自分たちが行けないなら、新天皇皇后が代わりに韓国に行ってほしい」と言い出したら、それも全力で阻止しなければいけません。何かあった時に責めを負うのは新両陛下になることが目に見えてしまいますが、それはあまりにも理不尽です。もちろん、ほかの皇族にも韓国訪問を望んではいけないことです。
(高円宮ご夫妻は皇族として初めて公式に韓国訪問されていますが、それはあくまでも日韓ワールドカップ関連で、サッカー協会名誉総裁として行かざるをえなかっただけであり謝罪行脚などとは同一視してはいけません)。

生前退位といい秋篠宮皇嗣といい、女性宮家といい、韓国訪問希望といい、両陛下は後々まで禍根を残すような言動を繰り返されてきました。
この一連の言動は、決して許されることではなかったと思いますし、「賢帝」がすることではなかったと断言できます。


最後に、上記新潮記事の終わりの箇所(退位の礼に関する部分)について宮内庁は「陛下はそんなこと思っていない」と反論してきましたが、新潮はあくまでも記事の内容には自信を持っていると再反論しています。
私はどちらかというと、新潮の言い分の方が合っているような気がします。
両陛下のこれまでの言動を見る限りでは、大人しく質素に地味に退位できる方々ではないと思われるからです。
「新天皇陛下の即位の礼を簡素化する」というニュースが出たのに退位の礼を華やかにすることが難しくなったので、仕方なく「そんなことは思っていない」と反論せざるをえなかっただけだと思います。

ちなみに宮内庁の反論は下記HPから見ることができます。
「週刊新潮」(平成29年12月14日号)の記事について
反論している箇所が最後の退位礼に関してだけであり、そのほかのことについては反論を行っていないということで色々察することができますね。

今回の記事で「女性宮家悲願シリーズ」はいったん打ち止めにしますが、現在もまだ小室親子に関する記事が雑誌を賑わせており、眞子様問題が収拾する気配はありませんね…。

秋篠宮ご夫妻「第三子」懐妊直後に出された画期的な記事 1~笠原英彦教授「典範改正議論はやはり必要」

今回は少し予定を変更して、秋篠宮ご夫妻の第三子懐妊後に、笠原英彦教授が書かれた画期的な記事をご紹介したいと思います。

前回の拙ブログで「第三子が男子でも手放しではとても喜べないよ」という複数の意見をご紹介させていただきましたが、それに引き続く形で「第三子=男子の可能性があってもやはり典範改正議論はしなければならない」という笠原教授の主張をご覧いただきたいと思います。今でも通用する、重要な提言がなされています。

中央公論2006年4月号

皇室典範改正はやはり必要だ
紀子さまご懐妊で、対局を見失うな


仮に男子がお生まれになっても、根本の問題は解決しない。皇位継承者を「男系男子」の身とする限り、ここ20年以内に本当の危機が訪れると、私は危惧する

笠原英彦(慶應義塾大学法学部教授)

◆勢いづく「男系男子」論

秋篠宮妃紀子さまの「ご懐妊の兆候」が発表されて以来、皇室典範改正論議の風向きが大きく変わってしまった。「皇室典範に関する有識者会議」(首相の私的諮問機関、以下「有識者会議」)の答申を受けて、通常国会への改正法案提出に意欲を見せていた小泉首相だったが、ご懐妊の報を受け、断念を表明。他方、現行の「男系男子」による皇位継承を支持する改正反対派は、息を吹き返した恰好だ。
しかし、である。紀子さまに男のお子様が誕生し、男子による皇位継承が可能になったとして、それで問題はすべて解決されるのだろうか?仮に女のお子様だったら、そのことを確認してから再び改正に向けた準備を開始するのだろうか・
私は、皇室典範の改正を、そうした短期的、付け焼き刃的な位置づけで論じるべきではないと考える。

今、天皇家は皇統の危機に瀕している。この深刻さを改めて認識すべきである。現皇室は、秋篠宮以降、実に40年にわたり男子に恵まれていない。そして今後も、継続的に皇位継承可能な男子が誕生するという保証はどこにもない。いたずらに時間を空費すれば、早晩、「有資格者」が空席になる可能性がある。
もし、秋にご誕生する紀子さまのお子様が男子であったとしても、残念ながらこの構造的な危機を脱したことにはならない。将来にわたって“綱渡り”の続く状況が、根本的に変わるものではないからである。皇位継承者を「男系男子」のみとする限り、ここ20年以内に本当の危機が訪れると、私は危惧する。
秋篠宮紀子妃にめでたく男子が誕生したとしても、他の宮家を見回せばわかるとおり、実在するのは内親王、女王ら女性皇族ばかりである。時間の経過とともに皇籍離脱制度により、彼女らが民間に嫁いでゆくといずれ宮家は消滅することになる。たとえ直系皇族が残ったとしても、宮家が縮小してゆくと、皇位継承資格者のプールという点で大きな不安材料が残る。

神武天皇から今上天皇まで一二五代の皇統がすべて「男系」で承継されてきたという伝統は、確かに重い。だが、現代社会において、その伝統を守ることは極めて困難であることに、思いを馳せるべきである。例えば、かつてのような側室制度は存在しない。天皇家といえども、少子化という時代環境の埒外に置かれるはずもない。加えて皇室であるがゆえの、ご結婚に際しての困難も、現実問題として存在する。
危機を打開する道はただひとつ。現実に合わない皇室典範を改め、「女性天皇、女系天皇」を認めることである。その意味で、先般の有識者会議の答申は、現実を踏まえた、理にかなったものだったと思う。小泉内閣のもと、その答申に基づく改正案をぜひとも通常国会で議論、可決してもらいたかった。改革のチャンスを逸したことは、残念でならない。

◆とにかく時間がない

有識者会議については、紀子さまご懐妊発表以前から、「十人、十カ月での結論は拙速だ」といった批判が聞かれた。しかし、やがて今日の状況を生むであろう構造的な欠陥が推測できたはずの皇室典範を、半世紀以上も放置してきた政治の責任はどうなるのだろうか。拙速と言われようが、速やかに結論を出さざるをえないところまで、事態は深刻化してしまったのである。
皇室典範改正に批判的な論者からは、「有識者会議のメンバーに、天皇制の専門家がいない」といい批判も出た。だが、その道の専門家ではなく、「国民代表」の有識者に判断を委ねたのは、むしろ評価すべきことだと私は思う。「国民の総意に基づく」(憲法第一条)存在である天皇家の将来を論議するのだから、より国民感情に近いメンタリティを持った人たちによってなされるのが望ましいと考えるからである。

改めて、答申の中身を振り返ってみよう。基本的な視点として示されたのは、①国民の理解と支持が得られる制度であること、②伝統を踏まえたものであること、③制度として安定していること―の三点。③に基づいて、皇位継承順位は男女に限らず「天皇直系の長子(第一子)」を優先、「女性天皇、女系天皇」を認めるとした。
私は継承順位については、「直系の兄弟姉妹間の男子」という選択肢もあると感じる。実際の宮中祭祀などを執り行ううえで、女性には肉体的精神的負担が大きくなる局面も予想されるからである。だがそれは、女性の天皇を否定する理由にはなりえない。「女性、女系」に道を開いた結論は、高く評価していいだろう。
「女性宮家の創設」に触れているのも大変重要だ。現行皇室典範には、「年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意志に基づき、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」(第11条)という規定がある。これを改めて、「新宮家」を認めない限り、結婚適齢期の女性が次々に皇籍を離脱する事態を生みかねない。「男系天皇」云々以前に、天皇家そのものが規模を縮小させていくことになってしまうからである。
こうした方向での皇室典範の改正は、もはや「妥当」の域を超え「必然」である。皇統の存続を危うくしてまで「男系男子」にこだわる理由が、私には理解できない。

もっとも、今回皇室典範の改正に反対している議員などの中には、旧宮家の皇籍復帰を主張する人々もいる。旧宮家11家は、終戦直後の1947年、GHQの指令のもと皇籍を離れた。彼らの子孫から男子を養子に取り、皇位を継承させようという考え方だ。
しかし、これはあまりにも非現実的である。そもそも旧宮家は、伏見宮の系統に属し、現皇室の系統と分かれてから600年の歳月が流れている。皇籍離脱からでさえ、すでに60年近くが経過した。現皇室を“天皇家ファミリー”と認識する国民が、わざわざ「外部」から養子をいただいてまで「男子天皇」の伝統を墨守しようとすることを、是とはしまい。「国民の総意」の形成とは困難だというのが、私の意見でもある。もしそれでも強行すれば、“国民の皇室離れ”という別の危機を招来することが、想像に難くない。余談かもしれないが、強硬な皇室典範改正反対論を掲げる人たちの言葉の端々に、現憲法下の象徴天皇とは違う、戦前回帰のアナクロニズムのにおいを感じるのは、私だけではないだろう。多くの国民にとって受け入れ難いであろう、そうした考え方が、永田町では一定の影響力を持っている。
改正を掲げた小泉首相に対し、閣僚などからも批判の声が相次いだ。超党派の「日本会議国会議員懇談会」が取り組んだ反対署名には、国会議員の3分の1を超える人々が同意している。「時期尚早」という慎重派が多く含まれているとは推測されるものの、政治家には常に国民の真意はどこにあるのかを心に留めていただきたいと思う。

『毎日新聞』が2月10、11日に行った世論調査では、紀子さまご懐妊発表後であるにもかかわらず、女性天皇には78パーセント、女系天皇についても65パーセントが容認、という結果が出た。国民の側には、すでに「天皇が女性でも構わない」というコンセンサスができあがっていることを示す数字だ。
一方、同じ調査で紀子さま出産前の改正案提出の是非を聞いたところ、これは反対が賛成を上回った。首相の改正案提出断念といった、空気の変化を反映したものだろう。「政治」が別の選択を行い、世論に対してきちんと訴えかけたなら、結果はどうだっただろうか。いずれにせよ、皇室典範改正の千載一遇のチャンスを逃した代償は、あまりにも大きい。「紀子さまのお子様の誕生を待って」などと悠長なことを言っている余裕はない。とにかく、時間がないのである。

結果的に、あのタイミングで「女性、女系天皇」を容認する典範改正が行われ、皇太子殿下の第一子・愛子内親王が皇位継承順位第一位になったとしよう。彼女は将来、天皇として国事行為をこなし、宮中祭祀を執り行うことになるのだが、そのためにも「帝王教育」は欠かすことができない。愛子さまは4歳になられている。帝王学をお学びになるとすれば、その準備に入らねばならない年齢に達しつつあるという現実を直視すべきであろう。「時間がない」と述べる最大の理由がこれだ。
「女性天皇」を前提としたさまざまな環境整備も必要であるし、一朝一夕でできるものではない。「評価に値する」と述べた有識者会議の答申だが、そこで触れられなかった重要なテーマがある。「女性天皇」が即位した場合の「皇婿」の問題である。配偶者をどの範囲からどのように選び、どう処理するのか。これは、結構、悩ましい問題である。私見を述べさせていただけば、その処遇などについては法で定める必要があるのかもしれないが、選定に関しては一切の法的規制を設けるべきではない。婿選びはご本人の意思が最大限尊重される、というのが大原則となろう。
いずれにしても、細部まで詰めるためには難解な問題を一つひとつクリアしていく必要がある。にもかかわらず、“男子待望論”の台頭によって、こうした「『女性天皇』の即位が認められた場合の諸問題」は、さらに後景に追いやられてしまったのである。

◆政治の責任は重大である

かねがね主張してきたことではあるが、私は皇室典範の改正議論が、皇室そのものの改革にもつながるものだと期待しているし、そうあらねばならないと思っている。仮に改正が実現し、めでたく「女性天皇」が認められたとしよう。だが、それで天皇家の差し迫った危機が回避されたと、手放しで喜ぶわけにはいかない。皇婿選び、あるいはお妃選びがすんなりいくとは限らない現実があるからだ。何人かのお妃候補が現れては消えた、皇太子殿下の例を引くまでもあるまい。皇室に入るには、やはりそれなりの勇気と覚悟が必要なのである。
同時に行うべきは、天皇家を「日本国民統合の象徴」(憲法第1条)として、国民が真に親しみを持って接することのできる存在にする、地道な努力である。皇室が、国民に向かってより開かれたものとなり、かつ国民に近い存在になることこそが、安定的な皇位継承の前提条件であることに疑いはない。反対に、「伝統」を重んじるあまり、庶民感覚とずれた対応を繰り返せば、国民との乖離は進むばかりである。
皇室典範改正は、皇室改革の入り口である。だからこそ、急ぐ必要がある。民意でもある「女性天皇、女系天皇」を一日も早く現実のものとするために、大局的な視点を持ち、議論を継続しなければならない。政治の責任は、まことに重大である。
(記事終わり)


非常に鋭く的確な論文であり、大きく頷ける重要な内容を多く語っていますね。

大事なのは専門家の意見よりも、普通の国民の率直な感性。「男系男子」という伝統(?)に固執するあまり対局を見失って国民の皇室離れを招くのは本末転倒である。「女帝・女系支持」という民意を反映させる典範改正が、真の意味での皇室改革の第一歩となる―生前退位や立皇嗣などが問題視されている現在だからこそ、重く響く内容です。

私が色々解説を加えるまでもないのですが、敢えて一つだけ取り上げるとすれば、

>同じ調査で紀子さま出産前の改正案提出の是非を聞いたところ、これは反対が賛成を上回った。首相の改正案提出断念といった、空気の変化を反映したものだろう。「政治」が別の選択を行い、世論に対してきちんと訴えかけたなら、結果はどうだっただろうか

という箇所です。
頭では女帝・女系天皇賛成と考えている国民も、「政府の判断がそうなら、そうした方がいいのかも…」と及び腰になってしまったという事実は、非常に深刻だと感じました。「皇族のお子さま懐妊というおめでたいことがある中で、無理やり改正案を通してもねえ…」という遠慮をした国民も少なくなかったのでしょう。
これはほかの皇室問題にも関係することであり、「政府がそう決めたのなら、そうしていい」という国民の判断が、時の政府や一部の皇族によっていいように利用されてしまう危険性があると感じます。
現に今上陛下の生前退位も「国民の総意」ということをうまく利用されてしまいましたし、退位の礼や立皇嗣の礼に関しても同じように「政府がそう決めたなら」とか「国民の総意だから」という一言でいいようにされてしまう危険性をはらんでいます。


笠原教授が指摘しているように、本当の「国民の総意」とはそういうものではないのです。
だからたとえ小さな声でも、「おかしいものはおかしい」と言う意見をたくさん集めることが重要になってくるのではないかと考えました。

次回は、上記笠原教授の論文とほぼ同時期に出た「男系継承など幻にすぎない」という記事をご紹介したいと思います。
sidetitleプロフィールsidetitle

キリアキ管理人

Author:キリアキ管理人
今上陛下の生前退位に伴い、国民の理解や同意が得られないまま「秋篠宮様を“皇嗣”(継承順位1位の皇族)として皇太子に準じる扱いにし、支給される皇族費もこれまでの3倍に増やす」ということも一緒に勝手に決められてしまいました。
この問題に危機感を持ち「あらゆる方面から見ても秋篠宮様は皇嗣にふさわしくない方である」ということを、過去の雑誌記事の引用(原則全文)により検証することを目的としたブログです。2020年に予定されている「秋篠宮立皇嗣の礼」に一石を投じたいです。

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR