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陛下・皇太子殿下・秋篠宮 三者会談の目的は何か? 12~真相はいかに?官邸・宮内庁を巻き込んだ新潮記事の重大性⑨官邸と宮内庁、狸と狐の化かし合い?

何やらまた小室圭氏に動きがあったようですが、もはや何とコメントしていいのか分からないほど呆れ返っています(ニュースを引用するのも億劫です…)。
高円宮家の絢子様の、順序を踏んだまっとうなご婚約があったばかりなのに一体秋篠宮家と小室家は何を国民にアピールしたいのか。あれで国民の理解や共感を得られると本気で思っているとしたらただのアホです。

さて新潮によると、皇位継承を巡る問題で宮内庁と官邸が何やら「談合」をしたことになっているようですが、どちらも「曲者」同士である宮内庁と官邸の関係性についても触れています。今回はその記事をご紹介したいと思います。


週刊新潮 2013年6月27日号

特集 「雅子妃」不適格は暗黙の了解 「千代田」の迷宮

□侍従長に問題官僚で揉める官邸と宮内庁の軋轢の根本


皇后陛下の皇太子ご夫妻へのメッセージは、安倍内閣への切実な訴えでもあるという。両陛下のご意向として「女性宮家」創設が要請されたが、霧消したまま、現政権下では議論再開の見通しさえ立っていないからだ。両陛下が安倍内閣との距離を感じられるのも無理からぬ中、さらに官邸と宮内庁の軋轢を想起せしめる事態が起こった。「千代田」を巡る人事である。

<政府は14日、外務省の河相周夫事務次官(60)の後任に斎木昭隆外務審議官(60)を起用する方針を固めた。河相氏は川島裕侍従長(71)の後任候補とする>(6月15日付、産経新聞)
大手紙が伝えた人事情報。これが関係者の間で大きな波紋を広げている。
「河相さんは、民主党政権時代の昨年9月に外務省のトップに就いた人です。それだけでも、安倍総理から疎まれていたが、TPPの日米事前協議でもうまく話が進められず、逆鱗に触れました。3月に官邸に呼ばれた際には、総理から“一体、あなたは何をやっているんだ”と凄い剣幕で怒鳴りつけられる一幕もあった。以来、安倍さんは事あるごとに“早く次官を代えろ”と怒りを露わにしてきた」
とはさる官邸関係者だ。外務省幹部もこう明かす。
「河相さんは、その腹黒さから“外務省のレッサーパンダ”という異名を取っていました。鈴木宗男元代議士が外務省に影響力を持っていた時には、“宗男先生”と擦り寄り、その失脚後は中川昭一元財務相に鞍替えして、“しょーちゃん”と接近していった。しかし政権が民主党に移ると、今度は外務省出身で後輩の山口壮元外務副大臣を伝手に、野田総理に食い込み、時間の椅子を手に入れた。『義理・人情・恥』を欠く“三欠く官僚”とも呼ばれています。安倍さんは、なりふりかまわぬ猟官活動で出世した河相さんを嫌悪し、早く外交の場から厄介払いしたかった。普通、外務次官は2年務めますから、これは明らかに更迭です」
問題官僚の悪評はむろん、宮内庁にも届いている。
“安倍総理は、なんで、こんな人物を、陛下の最側近である侍従長として押し付けてくるのか”と、宮内庁では幹部たちが当惑しています。まだ調整段階とも聞きますので、できれば拒絶したいのですが、最終的に総理が強硬にこの人事を進めれば、受け容れざるを得ない」(宮内庁関係者)

◆「悲劇的な状況」

宮内庁軽視とも受け取られかねない人事というのが衆目の一致するところだ。官邸と宮内庁の不協和音が聞こえてきそうだが、その根本には、安倍総理の宮内庁不信があるという。
「2008年の麻生政権時代に、麻生さんが“皇族の減少”問題に対応するため、戦後、皇籍を離脱した旧宮家の皇籍復帰を官邸内で検討させたことがあります。すると、この動きを察知した宮内庁から外部に“麻生総理が陛下への内奏の際、旧宮家の復帰を提案したところ、陛下は良い返事をされなかった”という情報が流れた。これが安倍さんの耳に入り、私も聞かされましたが、本当かどうか信じられなかった」
こう語るのは、皇室問題に通暁した、さる有識者だ。
「そこで“ヒゲの殿下”の呼称で親しまれた故・寛仁親王殿下に“陛下のご真意を確かめていただけませんか”とお願いにあがった。1週間後、宮務官から答えが来ました。内容は、“そもそも、その時期に麻生総理の陛下に対する内奏は行われていない”というもの。つまり、話が全て嘘だということが分かったんです。宮内庁は、旧皇族の復帰を望まないのでしょう。これを安倍さんに報告すると驚かれていました。それを機に安倍さんの中では“宮内庁は信用できない”という不信感が構成された」

これに対し、宮内庁は、「そのような事実は一切ない」と否定するが、
「これは私が経験した話だから、間違いない。この頃、虚偽情報の発信が他にもいくつかあった」
(先の有識者)
2月1日、風岡典之宮内庁長官が官邸の安倍総理を訪ね、「女性宮家」の創設が両陛下のご意向であることを説明。さらに同日夜、両陛下が皇居に総理夫妻を招かれ、その晩餐の席でも皇統の安定的継承の問題が話題に上ったことは先週号でもお伝えした。
「それにもかかわらず、この1週間後に、安倍総理は、テレビ番組で、“女性宮家は、皇統の安定的な継承においては、役割を得ない”とまで言って、切り捨てています。それだけ女系天皇容認につながる危険を秘めた女性宮家に反対ということ。皇室への崇敬の念が人一倍強い安倍総理が強硬姿勢を崩さない根底には、やはり宮内庁への警戒心がある」(宮内庁担当記者)
もっとも、皇統の危機を憂慮されている両陛下にすれば、問題解決に向けた動きが何ら見られない現状はもどかしいかぎりだろう。
御所の関係者が嘆く。
「安倍内閣と皇室の間で広がる距離に、陛下は不安を覚えられています。お側に仕える幹部は“悲劇的な状況だ”と呻いていました」
(終わり)


正直、宮内庁も官邸も「どっちもどっち」としか言えませんね。両方とも信用できないし、狸と狐が化かし合っているようにしか見えない。
そして一番疑問に感じるのが、新潮は今回の記事で「官邸は宮内庁に不信感を持ち、宮内庁も官邸に反発している」という両者の仲違いを書いておきながら、皇位継承問題については「皇太子殿下を早期に退位させて悠仁様を早々に即位させる」という点では談合して意見が一致しているのか??という点です。
新潮は前号の内容については「自信を持っている→だから誤りを認めないし訂正もしない」と突っぱねています。宮内庁と官邸は仲が悪いはずなのに、皇位継承問題でこっそり談合していたというのは何か矛盾を感じるように思えます。

しかし、実は矛盾でも何でもないんですよね。

安倍総理を中心とする官邸は、とにかく女帝誕生を心底嫌がっている。
だから少しでも女性皇族の皇位継承につながりかねない女性宮家にも大反対。
皇族の減少については「旧皇族」とやらの復活で何とかなるだろうと目論んでいる。
男系男子での皇位継承を維持できることだけが重要で、実は皇族にそこまでの敬意は持っていない。
東宮家を大事にすると、いつかは敬宮様のお血筋で「女系」天皇にも道を開きかねない。
だから東宮家を軽んじて秋篠宮家に皇統が移っても男系男子が続きさえすれば別にどうでもいい。


両陛下の意向を受けている宮内庁も、とにかく絶対に敬宮様を女帝にはしたくない。
何とかして秋篠宮系統に皇統を移し、悠仁様の即位までは決定事項にしたい。
しかし、両陛下が贔屓している眞子様と佳子様には、女性宮家創設で皇室に残ってもらいたい。
そして眞子様と佳子様(とその子孫)にも、皇位継承の可能性を残しておきたい。
自分たちと懇意でない三笠宮家と高円宮家の女王方は降嫁してくれて構わない。
敬宮様はどちらでもいいが、眞子佳子様よりも身分を下にして、女帝になる芽をとにかく摘んでおきたい。
自分たちに近い血筋の可愛い身内だけが皇室に残れればよいので、今更懇意ではない旧皇族たちを復帰させることには反対。



このように、官邸と宮内庁は

「敬宮愛子様を絶対に天皇にはしたくない」

というメインの点では一致しているんですよ。


この部分では強固につながっているから、一件仲違いしているように見えても、それは「女性宮家創設」か「旧皇族の復帰」かのサイドメニューで意見が一致していないだけのことなのです。

官邸も宮内庁も、両者ともに勝手な言い分をぶつけ合っているだけで、敬宮様を天皇にしたいと願う国民の気持ちは置いてけぼりです。
こんな両者がやれ人事だのアポイントだのでいがみ合っているように見せかけていることは実にくだらないし腹立たしい。
単に官邸は「宮内庁が政治に口出しするな!政治に関してはウチが主導だ!」という思いだし、宮内庁も「こっちには両陛下がいるんだぞ!両陛下のご意向に従え!」という、互いの立場と権威の見せつけ合いでしかありません。

よく「両陛下が女性宮家をお望みなのは、敬宮様に皇位を継がせたいからだ。両陛下は女帝賛成派だ」
という盛大な誤解をしている人が多いですが、両陛下が望まれている女性宮家は、あくまでも「可愛い初孫様」である眞子様をメインに考えているのであって、敬宮様はほとんど眼中にありません。

実際、女性宮家に関する過去の報道や記事を見ても、敬宮様よりも眞子様の存在をクローズアップしている内容のものばかりです。東宮家の中堅職員が「女性宮家はうちには関係ない話だよ」とぼやいたということも記事になっています。
そして両陛下の前提は「悠仁様までは皇位継承が決まっている」ということであり、仮に悠仁様に万一のことがあってもその後は眞子様か佳子様の系統で、というその場しのぎのお考えなのであり、やはりそこに敬宮様が入る隙はないのです。

こういった大いなる誤解を抱いたまま「早急に女性宮家を!」と叫ぶ人々には、立ち止まって思考していただきたいものです。
だって本当に敬宮様が女帝になるべきと思うのなら、わざわざ女性宮家など作らなくても、先に敬宮様を皇太子にして東宮とすればいい話です。でもそういう話は一切出てこない点でおかしいと思いませんか?
まさか「敬宮家」というものを作らなければいけないと誤解している人が多いのでしょうか?
皇太子殿下が「浩宮家」というものを作らずに「皇太子=東宮」となられたことを考えればお分かりになるでしょう。
敬宮様を本当に天皇にする気があるなら、「皇太子=東宮」となれば済むことです。
でも一向に「敬宮様を皇太子にすべき」という話は出てきませんね。

現状では残念ながら、安倍総理がいる官邸と、両陛下のご意向しか聞かない宮内庁がいる限り、「敬宮様を皇太子・天皇にすべき」という声は抑えられたままでしょう。どちらも国民の方なんて向いていないんですから。

陛下・皇太子殿下・秋篠宮 三者会談の目的は何か? 11~真相はいかに?官邸・宮内庁を巻き込んだ新潮記事の重大性⑧美智子様と雅子様の公務欠席に関する新潮の一貫性のなさ

官邸と宮内庁から連名で抗議があったにも関わらず、新潮が「記事には自信がある(から謝罪も訂正もしない)」という姿勢を貫き、更に雅子様を侮辱するような記事を書き続けたという件につき、順を追ってその新しい記事の内容をご紹介させていただきます。
まず最初に雅子様と美智子様の公務欠席について比較するような記事をご紹介しますが、どうも内容に一貫性がないと感じられて仕方ありません。


週刊新潮 2013年6月27日号

特集 「雅子妃」不適格は暗黙の了解 「千代田」の迷宮


「皇太子妃の長期療養」と「皇族の減少」問題に揺れる皇室。「女性宮家」創設も潰え、両陛下のご心痛は増すばかりだ。あまつさえ安倍内閣では、皇室問題は置き去りにされがちな現状も憂慮されているという。「雅子妃・皇后不適格」が影を落とす「千代田」の迷宮―。

□「雅子さま」想定内のキャンセルに10秒絶句「陛下」の胸中

短くて長い10秒が流れた。その間、皇居でさえずる小鳥たちでさえ、息を潜めているようだった。皇太子ご夫妻の公務ドタキャンは、いつものことで想定内だったが、これを伝え聞いた天皇陛下のご反応は、居合わせた者にとってまったく想定外だった。あろうことか、思わず、絶句されたというのだから―。

6月上旬のある日、天皇陛下は侍従のひとりから、次のような報告を受けられていた。
「雅子妃殿下のご体調がすぐれません。東宮ご夫妻は、6月18日に予定されております被災地、宮城県への訪問延期を希望されております」
これは、5月上旬に福島県を訪問なさった秋篠宮ご夫妻、7月上・下旬に岩手・福島両県をご訪問予定の天皇皇后両陛下と、足並みを揃えたご公務である。それゆえ、非常に重要なものだった。
また皇太子ご夫妻は、ご成婚20年を迎え、9日に発表された「感想」のなかで、
<東日本大震災を始めとする様々な災害による被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思っております>
と綴られており、被災地訪問は、おふたりたっての希望と受け止められていたのだが…。
そんな矢先の延期報告に、陛下は絶句されたのだ。そして10秒後に陛下は、
「そうですか」
とだけ、お答えになったという。

「皇太子ご夫妻の被災地訪問が延期されたのは、4、5月に続き、これで3度目なのです」
と解説するのは、さる警察庁関係者である。
「東宮家が新幹線で移動する場合、グリーン車を1両借り切ります。キャンセルともなれば、一般乗客に少なからず影響があるでしょう。また、地元自治体や県警は受け入れ、警備体制を再調整しなければならない。復興途上にある被災地の苦悩を思えば、度重なる延期などできるはずないのですが…」

◆「お元気ではないか」

<宮内庁では目下、(中略)現行の皇室典範を改正し、天皇の退位すなわち譲位を可能とする。さらには皇位継承権のある皇族が即位を辞退することも認める。そんな案が動いています>
具体的に目指すところは、
<次代はいったん皇太子さまに託し、ある時点でご退位頂き、その後すみやかに皇位を秋篠宮家に継承する。それも弟宮ではなく悠仁さまに継いで頂く、という心積もりなのです>
小誌は先週号で、宮内庁が官邸に要請した皇位継承を巡る「極秘プラン」を報じた。その根本にあるのは、両陛下が「雅子妃は皇后に不適格」と断を下されたという現実だ。さる宮内庁関係者は眉を顰める。
「16日、スペインから帰国された皇太子さまを、雅子さまは東宮御所玄関でお出迎えになりました。これがテレビのニュース番組で報じられたのです」
確かにこの日のストレート・ニュースは、雅子妃の満面の笑みを、お茶の間に届けていた。
「あの映像を見れば、雅子妃はお元気ではないかと誰もが感じるでしょう。それなのに被災地訪問は延期された。かの地に思いを致すことが少しでもできるなら、また国民にどう受け止められるかお考えになれば、お出ましを慎まれるはずなのに…。そういったメンタリティを見るにつけ、『雅子妃にはやはり皇后は無理』と、陛下は改めて確信されたことでしょう」(同)
それにしても、陛下が絶句された真意は何なのか。先の警察庁関係者は、こんな“分析”をする。
「陛下は“喜怒哀楽”のなかで、怒りの感情だけは一切お出しになりません。それは、受けてこられた帝王教育ゆえのことです」
沈黙の10秒は、あるいは陛下が湧きあがる怒気と諦念の感情を打ち消されるのに必要な時間だったのかもしれない。


□体調不良を訴えた「美智子皇后」の送ったメッセージ

かねて持病に苛まれながらも、日頃はその素振りすら見せなかった皇后さまが、6月10日「体力低下」を理由に急きょ一部のご公務を取り止められた。実は、堪えきれず口にされた痛みとは、進捗しない「2つの状況」へ向けた“メッセージ”だったというのだ。

皇后さまは2005年から頚椎症を患われ、11年7月には「頸椎症性神経根症」と診断された。さる4月にも首から左肩や上腕にかけ、数日間にわたって激しい痛みに襲われ、今回も症状が再発。さらには腰痛も併発されたため、
「11日から予定されていた葉山でのご静養を見合わせ、御所で休まれることになりました。その後は16日、『香淳皇后例祭の儀』に陛下とともにお出ましになり、翌日は皇居外でのご公務を2件こなされるなど、ご体調は快復されつつあります」(宮内庁担当記者)
宮内庁の山本信一郎次長も17日の会見で、
<腰の変形による脚の筋力低下がみられる>
そう明かしたものの、
<大きくご予定の変更をお願いする状況ではない>
それは取りも直さず、皇后さまの強いご意向でもあるのだが、
「お痛みが激しい日と、お感じにならない日の落差が極めて大きいのが現状です」
とは、侍従職関係者だ。

「そうした中でご公務や、肉体的負担の大きい宮中祭祀をこなされれば、それだけ症状が悪化するという、まさに悪循環に陥っているわけです」
皇室ジャーナリストの山下晋司氏も、さきの「例祭の儀」について、
「このご体調でお出になられたと聞いて驚きました」
というのだ。
洋装で椅子に座り、拝礼して退出すればよい他の宮家皇族とは違い、皇后陛下は殿上で十二単をお召になり、御髪は大垂髪にせねばなりません。頸椎や腰への負担は相当なものだったでしょう。いかに祭祀に重きを置かれているかが、よく窺えるのです」

◆東宮と官邸へ

振り返れば、皇后さまにとって雅子妃が皇室に入られてからの20年は、そのまま“ご体調との戦い”の日々だったといえよう。
その始まりは1993年10月。ちょうど59歳のお誕生日を迎えられた朝、宮中で突然倒れられ、ストレスが原因の「失声症」と診断される。その後は帯状疱疹や腸壁からの出血、下腿筋膜炎などに悩まされ、また09年2月にはテニスの最中に転倒され、左膝の後十字靭帯を損傷。正座をされる宮中祭祀は困難なため、一時は参列を控えられてきた。
「最近では、真横から話しかけられれば問題ないのですが、正面からの声が聞き取りづらくなっていらっしゃいます。頭痛やめまいを覚えられる時もあり、しばしばお薬をのんで休まれていることがあります」(前出・侍従職関係者)
まさに満身創痍の20年だったのだ。
「御所で階段の上り下りをなさる時、手すりに摑まらないと歩行が難しく、陛下がお傍にいらっしゃる時は、手を差し出されたり、肩をお貸しになっています。ですが、頸椎が痛んでも、公の場ではよほど激しい時以外は痛み止めの注射で堪えていらっしゃいます。皇后陛下は一貫して、ご体調を崩された状態は人に見せないようになさっています。でなければ、国民に迷惑を掛けてしまうというお考えなのです」(同)
今回の病状発表は、耐えに耐えた上でのやむなき措置だったに違いないのだが、
「こうしたご不調の“発信”こそが、結果として皇太子ご夫妻、ならびに女性宮家問題への取り組みを示さない現政権へのメッセージとなっているのです」
と見るのは、宮内庁幹部である。
「陛下のみならず、皇后さまもまた、永遠に健康は続かない。そんな示唆とともに、次世代を担われるご夫妻になお一層のご自覚を促すことになります。同時に、『皇室の先細り』という懸念が一向に解消されない中、“残された時間は限られている。一刻も早く道筋を”という、官邸へ向けた強い訴えでもあるわけです」
ただお苦しみになるだけでなく、皇后さまは絶えず複眼的なアプローチをなさっているというのである。
(終わり)



新潮はまず雅子様の被災地訪問中止を「ドタキャン」という侮辱した言葉で責め、それについて美智子様のみならず陛下も「絶句」して怒りを示した、という趣旨の記事を書いた後で、まるで比較するように美智子様の公務に対する姿勢を評価するような趣旨の記事を続けています。しかし、そこに一貫性を感じることはできませんでした。

雅子様が、予定していた被災地訪問をキャンセルされたのに皇太子殿下へのお出迎えは「元気そう」に「笑顔」でなされた…という点がいけないように書かれていますが、雅子様のご体調にはそれこそ波があると言われています。丹念に準備してから行われ、様々な人々と多く接することが必要になり精神的・体力的に負担が大きくなる被災地訪問と、お身内である皇太子殿下を短時間だけお迎出えになることを同じように考えるのがおかしいと思いませんか。雅子様が被災地訪問を何度も延期されているのも、体調が悪化したり戻らなかったりという波があったと考えるのが自然でしょう。

それに陛下が「10秒絶句」(これも誰かが時間をわざわざ測っていたんでしょうか?と思わざるを得ない気持ち悪い書き方ですね)されたのも、陛下の真意が分からない限り何とも言えませんよね。新潮の言う通り雅子様に「怒り」を感じたのか、それとも「そこまで症状が悪いのか」と心配されて言葉が出なかったのか、様々な可能性があると思うのです。
ただ、陛下が「帝王学の賜物で怒りなどの感情を表には出されない」という部分は、真実ではないと思います。国民からは穏やかな好々爺というイメージがあるかもしれませんが、陛下は意外と短気ですぐに感情を表に出される方だという証言も側近から多く出されています。

一方新潮は、美智子様のご病気・ケガや公務欠席には随分寛容ですね。
上記新潮記事が出された2013年は、皇太子ご夫妻のご成婚20周年記念の年でもありました。今年2018年6月9日には皇太子ご夫妻は銀婚式を迎えられていますが、今から5年前の皇太子ご夫妻のご成婚20周年記念日の翌日に美智子様は体調を崩され公務を欠席されているとのこと。新潮はその件については一切叩いていませんね。
美智子様だって体調が悪ければ公務を休まれているのです。雅子様が体調不良で公務を休まれることの何がいけないのでしょうか。
新潮は「美智子様の体の痛みは激しい日とそうでない日で落差がある」と書いていますが、まさに同じことが雅子様にも言えるのではありませんか?雅子様も体調に波があり落差が激しいため、当初予定されていた公務に出られなくなる時もあれば、お元気な時は少しだけ行動される時もあるというだけにすぎません。
「体の痛みがよほど激しくなければ動けるが、耐えられない時はさすがに休まれる」という美智子様と同じではありませんか。


それに新潮は「美智子様はまさに満身創痍の20年だった」と言いますが、その原因はもちろん皇太子ご夫妻にあるはずもなく、記事の中にはしっかりと「テニスで遊んでいたら転んで膝をケガした」と書かれていますね。
公務中に転んでケガをされたならともかく、テニスで転んだなら完全に自業自得ではないでしょうか。
まさに「自己責任」でケガをしただけなのに、それすらも「公務を休まない」という美談に使うとは呆れ返りますね。


また美智子様は「国民を心配させないために体調不良を人前で出すことはない」とも書かれていますが、後になって「実は〇〇という病気になっていました」とか「〇〇のような症状が出ている」というニュースをわざわざ流している辺りで病気を伏せているとは思えないのですが…。
それに、「体調不良を国民に見せたくない、心配かけたくない」という気持ちはまさに雅子様の方に強くおありで、だからこそ周囲に迷惑をかけないために無理に公務に出られることをやめているのではないか?と感じます。
本当に周囲に心配かけさせたくないなら「満身創痍なんです!だけど公務に出ているんです!」という態度をとるのはおかしいでしょう。冷たいようですが、「具合悪いなら休んでいてください」と一言で済んでしまう話なのに、美智子様がご自分の希望で出かけたいと思っていらっしゃるなら、周囲はもうどうしようもないですよね。

おまけにそういう「満身創痍に耐えての公務」を、東宮ご夫妻の自覚を促すためとか、政府に遠回しにご希望を要求するためとか、そういう目的を隠してこれ見よがしに行うことは「鬱陶しい」の一言しかありません。

前号の「美智子様は雅子様に皇后失格の烙印を押した」という内容の記事といい、新潮は美智子様を国民にどう思わせたくて、上記のような記事を書いているのか疑問ですね。
少なくとも私の中では美智子様に対するイメージが良くなることはありません。

陛下・皇太子殿下・秋篠宮 三者会談の目的は何か? 10~真相はいかに?官邸・宮内庁を巻き込んだ新潮記事の重大性⑦官邸・宮内庁からの抗議をスルー?して新たな火種を投下した新潮

週刊新潮・2013年6月20日号特集
「雅子妃」不適格で「悠仁親王」即位への道


上記記事に対し「事実無根」と揃って抗議文を出した官邸と宮内庁でしたが、その後新潮はいかなる態度をとったのでしょうか。

驚くことに、新潮は記事の内容について謝罪も訂正もせず、次の週には「続報」とも言えるような新たなシリーズ記事を出してきたのです。
それが下記の記事です(今回はタイトル部分だけご紹介します)。

週刊新潮 2013年6月27日号

特集 「雅子妃」不適格は暗黙の了解 「千代田」の迷宮

「皇太子妃の長期療養」と「皇族の減少」問題に揺れる皇室。「女性宮家」創設も潰え、両陛下のご心痛は増すばかりだ。あまつさえ安倍内閣では、皇室問題は置き去りにされがちな現状も憂慮されているという。「雅子妃・皇后不適格」が影を落とす「千代田」の迷宮―。

□「雅子さま」想定内のキャンセルに10秒絶句「陛下」の胸中
□体調不良を訴えた「美智子皇后」の送ったメッセージ
□侍従長に問題官僚で揉める官邸と宮内庁の軋轢の根本
□見えてきた「悠仁親王」即位で「紀子さま」国母への気負い
□国民が同情する寂しき皇太子の「雅子が来たら」
□「雅子さま」ご関心は臨海学校 「愛子さま水着」を撮らせない!


まあ、タイトルからして何かくだらなそうな臭いが漂ってきていますが、当ブログでも取り上げないわけにはいかなくなりました。

ちなみに新潮は、官邸と宮内庁からの抗議についてはスルーしており誌面では何も答えていないようです。
しかし、同時期に発売になった週刊文春において、新潮が“不遜な態度”をとっていることが暴露されていたようです。


この辺りの顛末については、「敬宮愛子様を女性天皇にすべき」という考え方の第一人者である、皇學館大学名誉教授の田中卓氏が簡潔にまとめています。
そのまとめ文章を抜粋させていただきます。

『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか 女性皇太子の誕生』
(幻冬舎新書)より

第9章 『週刊新潮』の怪スクープ事件

◆週刊新潮の虚偽の誤報に抗議した宮内庁

公私の所用に忙殺されていた矢先、『週刊新潮』(平成25年6月20日号、6月13日発売)に驚くべき記事が出た。「『雅子妃』不適格で『悠仁親王』即位への道」と題し、巻頭7ページの特報である。
論旨の詳細はすでに大方の読者、周知の通りと思われるので繰り返さないが、主旨は以下の如くである。
(1) 宮内庁で皇室典範改正に向けた具体的な検討が進んでいる。
(2) その背景には雅子妃殿下の御病気によって、将来、皇太子殿下が御即位された場合、天皇・皇后としての公務を行われることが可能なのかという懸念がある。
(3) その場合に備えて、宮内庁では以下の改正案を考えている。
(イ) 天皇の退位、譲位を可能にする。
(ロ) 皇位継承者が、それを辞退することを可能にする。
(4) 以上二点を骨子にして、宮内庁では、風岡長官が密使として今年2月1日に首相官邸を訪れ、その旨を伝え、双方でそれぞれの事務方が研究・検討に入っている。

かように国体・皇室の重大事が、密かに宮内庁・内閣官房で研究・検討に入っているということ自体、重大問題であるが、さらに同誌によれば、具体的には、「天皇陛下には最後まで天皇としての重責を全うしていただく」。後継の「皇太子さまには比較的早い段階で退位し、皇位を次の方に譲っていただく」「譲位のお相手は(中略)秋篠宮さまではなく、そのご長男の悠仁親王だというのです」と、「警察庁幹部」が声を潜めて明かしたと記す。
そしてこの「シナリオは一見、余りに突飛だ。しかし、今上陛下、皇太子、秋篠宮両殿下の三者の間では、すでにこの件は了承済みなのだという」とまで明記している。
このように見てくれば、前述の皇室典範の改正案(3)が、それを可能ならしめるための方策であることがよく判る。要するに、妃殿下の御体調不良を理由として皇太子殿下を退け、早期に男子の悠仁親王に皇統を移す手の込んだ継統策である。これが事実ならば、週刊誌としては超スクープだ。先般の女性宮家創設案が不成立に終わった以上、政府として、それに代わる皇統継承の安定策を急務としていることは当然理解されるから、何らかの種々の試案が検討されていたとしても、そのこと自体を責めるつもりはない。
しかし、現行の皇室典範は、“皇室の家法”として枢密院で秘かに審議された旧典範と異なり、今は一法律とされているのであるから、改正に際してもその手続きを経るのが当然である。それ故、小泉内閣の際にも「有識者会議」を設けて、審議内容が公表され、野田内閣の場合でも、有識者12名の公開ヒアリングが行われたのであった。
ところが今回の場合は、政府内部の試案検討中に、スクープの形で国民に公表され、しかもこの試案が今上陛下、皇太子・秋篠宮両殿下の三者の間ではすでに了解済みということまで報道されていることに、私どもは先ず驚いたのである。
それだけではない。この報道に対して、新聞記者からの質問をうけた政府は、即日(6月13日)、「内閣官房」と「宮内庁」でそれぞれ記者会見を行うとともに、連名で、抗議文を、「『週刊新潮』編集部編集長酒井逸史殿」宛に、すでに申し入れているという事実を発表した。文面は以下の通りである。

この記事では、「風岡宮内庁長官が安倍総理に対し、『天皇の生前退位及び譲位』並びに『皇位継承の辞退容認』を可能とするような皇室典範改正の要請を行い、それを受けて内閣官房で秘かに検討が進められている」旨の記述が見られ、また、「そうした宮内庁の要請内容については、天皇・皇后両陛下と皇太子・秋篠宮両殿下の間にでは、すでに納得されている」旨の記述が見られるが、このような事実は一切なく、この記事はまったくの事実無根である。
貴編集部の事前の取材に対して、当該事実は一切ないことを文書にて明確に回答していたにもかかわらず、このような記事がそのまま公表されたことに強く抗議する。
皇室制度や皇位継承のあり方という極めて重要な事柄について、このように憶測等に基づく、まったく事実と異なる記事を記載することは、国民に重大な誤解を与えかねないものであり、大変遺憾である。
以上、厳重に抗議をするとともに、速やかに訂正記事を掲載することにより、記載のような事実がなかったことを明らかにするよう求める。

そして宮内庁は「週刊新潮記事(平成25年6月20日号)への宮内庁の見解と対応」の一文までを同日付のホームページに掲載しているが、内容は抗議文とほぼ同じである。つまり、『週刊新潮』のスクープの内容は「事実無根である」から「速やかに訂正記事を掲載」せよ、という抗議である。しかもこれを「内閣官房」と「宮内庁」が連名で公表したのであるから、前代未聞の珍事といわざるを得ない。これには二度吃驚である。
「事実無根」となれば一部の記事の誤報ではすまない。全面的な虚偽ということになる。
『週刊新潮』は、果たしてどのように答えるか。私どもは固唾をのんで見守った。ところが結果は意外な展開となった。(6月22日)

◆二度も虚仮にされた宮内庁はこのまま黙しているのか

次回の『週刊新潮』(6月27日号)は6月20日発売された。ところが、問題の記事は「『雅子妃』不適格は暗黙の了解『千代田』の迷宮」と題して、7ページに及ぶ「特集」で、
(略)
以上の六項目の柱をたてて、徹底徹尾「雅子妃殿下」を中心とする批難悪口である。
そして、前述の宮内庁の抗議文については一言もふれることなく、完全に無視している。
同日発売の『週刊文春』(6月27日号)は、「雅子さまもお見舞い 美智子様がお心を痛めた『中傷記事』」と題して1ページだけの報告記事を載せているが、その末尾部分に以下の文章を掲げているから、参考としよう。

週刊新潮編集部は本件について、「『記事は機密性の高い水面下の動きに言及』したものです。内容には自信を持っております。」とコメント。訂正要求には応じない構えだ。


何という無礼不遜な態度であろうか。内閣官房・宮内庁連名の公式抗議文には、一言の釈明も回答もなく、他誌の質問にはコメントを発して、政府の訂正要求には応ぜずして徹底抗戦する姿勢である。・・・
(抜粋ここまで)


新潮は昔から「記事の内容には(絶対の)自信を持っている(だから訂正しない)」という言い回しが好きで、今回も同じような態度で臨んだというわけですね。
私はいつも「この新潮の絶対的自信はどこから来るんだろうか?」と疑問に感じていましたが、新潮は皇室に関するスクープを独自に入手できる特別なルートやコネが何かしらあるのではなかろうか、と思ってしまうのです。
「内容が100%事実無根というわけではないから、謝罪もしないし訂正もしないんだよ」という新潮のポリシー(?)が見えてくるのです。

次回以降、何回かに分けて、新潮の新シリーズ(?)記事の内容についてご紹介したいと思います。

陛下・皇太子殿下・秋篠宮 三者会談の目的は何か? 9~真相はいかに?官邸・宮内庁を巻き込んだ新潮記事の重大性⑥官邸・宮内庁からの新潮に対する抗議文

週刊新潮・2013年6月20日号特集
「雅子妃」不適格で「悠仁親王」即位への道
の記事については、さすがに官邸と宮内庁も黙っていられなかったのか、両者とも「抗議文」を出すに至りました。

宮内庁HPでは、今でもこの抗議文を読むことができます。

「週刊新潮」(平成25年6月20日号)の記事について
平成25年6月14日

「週刊新潮」(平成25年6月20日号)に掲載された「『雅子妃』不適格で『悠仁親王』即位への道」と題する特集記事に関し,内閣官房と宮内庁の連名で,「週刊新潮」編集部編集長に対して,厳重に抗議をするとともに,速やかに訂正記事を掲載することにより,記載のような事実がなかったことを明らかにするよう求めました。

内閣官房長官記者会見要旨(関係箇所)
平成25年6月13日(木)

(記 者)
週刊誌の報道でお伺いしたいんですが,今日発売の週刊新潮でですね,宮内庁の長官が総理と面会,これは首相動静で残っている今年の2月1日なんですが,そこでですね,皇室典範の皇位継承を巡る制度の改正を長官は求めたと,宮内庁の長官ですね,この事実関係について,お伺いします。
(内閣官房長官)
あの,所管しているのは私(官房長官)でありますから,私自身のところにはまったくそういったことは一切ありません。ですから事実無根であるということをはっきり申し上げたいというふうに思います。
また,事前の取材に当たってもですね,そのような事実は一切ない,その旨を事務方から週刊新潮編集部に対して,文書で明確に,これ,回答をいたしております。
そうしたことがあったにもかかわらずですね,このような事実無根の記事が掲載されたことはですね,皇位の継承という極めて重要な事柄であって,国民の皆さんに重大な誤解を与える,そういうおそれのありますんで,極めて遺憾であって厳重に抗議したいと,こう考えています。
あの,具体的には内閣官房と宮内庁連名で新潮社に対して厳重抗議と同時に訂正記事の掲載を求めていく,こう思っています。


宮内庁長官記者会見要旨(関係箇所)
平成25年6月13日(木)

(宮内庁長官)
本日発売の週刊新潮に,「『雅子妃』不適格で『悠仁親王』即位への道」との記事が掲載されておりますことについて,一言申し上げたいと思います。
この記事では,私(宮内庁長官)から安倍総理及び菅官房長官に対し,「天皇の生前退位及び譲位」並びに「皇位継承の辞退容認」を可能とするような皇室典範改正の要請を行ったこと,また,そうした宮内庁の要請内容については,天皇・皇后両陛下と皇太子・秋篠宮両殿下の間では,既に納得されていること,などが記述されておりますが,このような事実は一切なく,この記事は全くの事実無根であります。
そもそもこの記事については,週刊新潮編集部より事前(6月10日付)に文書にて取材申請があり,当該事実は一切ないことを文書にて明確に回答していたにも関わらず,その回答には全く触れることもなく,このような記事がそのまま公表されたことに,強い憤りを感じます。

少しその内容について個別に申し上げますと,最初に「ついに『雅子妃に皇后は無理』の断を下した美智子さまの憂慮」との見出しで,「皇后陛下はすでに,周囲には『皇太子妃には将来,皇后の仕事はつとまらないでしょう』と漏らされています」との記述が「さる宮内庁幹部」のコメントとして記載されておりますが,皇后陛下はお誕生日会見などでもかねてより,「妃は皇太子にとり,また,私ども家族にとり,大切な人であり,妃の快復を祈り,見守り,支えていきたい」と仰ってこられたところであり,そのようなご発言をされることなど,全く考えられません。
また,「さる宮内庁幹部」とありますが,私は宮内庁幹部の一人として,もちろんそのようなご発言を耳にしたことはございません。
さらに,「皇后陛下は,『もし仮に,陛下がおられなくなって,私が一人残されたとします。その時のことを考えると,とても不安を覚えます』と近しい人に打ち明けられている。ご公務の引継ぎなどはもちろんのこと,はたして皇太子ご夫妻が,ご自身を適切に遇してくれるのだろうか…その点を気に病んでおられるのです。」との記述もありますが,常に周囲をお気遣いになっている皇后陛下のお立場を鑑みるに,そのようなご発言をされることなど,到底考えられません。
この記事の内容を皇后陛下はまだご存じないものと思いますが,仮にこの記事を実際ご覧になられれば,大変お心をお痛めになるのではないかと思われ,とりわけ現在ご体調を崩されているところでもありますので,非常に心配をしております。

また,次に「『皇太子即位の後の退位』で皇室典範改正を打診した宮内庁」との見出しで,私が安倍総理及び菅官房長官に皇室典範の改正を提案したとの記述がありますが,そもそも宮内庁は,皇室典範等が定める皇室の制度を前提に天皇皇后両陛下及び皇族方にご奉仕申し上げるのが務めであり,制度の在り方を宮内庁から提案することなどあり得ません。
さらにこの記事の中では,その背景などについても記述されておりますが,改めまして,全くの事実無根,荒唐無稽な話であると申し上げておきます。

次に,「『秋篠宮は即位すら辞退』が頂上会談で了解された深い事情」との見出しで,こうした宮内庁から官邸への提案が,「すべて天皇・皇后両陛下の思し召し」であり,「すでに天皇・皇太子・秋篠宮の三者による頂上会談でも話し合われ,納得されている」との記述がされております。
私(宮内庁長官)は,今上陛下,皇太子殿下,秋篠宮殿下のお三方によるお話し合いの場には常時同席させていただいております。そこでのお話し合いの内容については,本来私から申し上げることは控えるべきことと思っておりますが,この件に関してのみは,そのような内容のお話し合いはこれまで一度も行われたことはなく,全くの事実無根であるということを申し上げておきたいと思いますし,そもそもそのようなことを仰られること自体,あり得ないことと考えております。

以上申し上げたようなこの記事の内容について,両陛下は未だご存じないものと思いますが,ご覧になられれば大変悲しまれるのではないかと非常に憂慮しております。
また,皇室制度や皇位継承のあり方という極めて重要な事柄について,このように憶測等に基づく,全く事実と異なる記事を掲載することは,国民に重大な誤解を与えかねないものであり,大変遺憾に思っております。
このため,この週刊新潮の記事に対しては,内閣官房と宮内庁の連名により,文書にて厳重に抗議するとともに,速やかに訂正記事を掲載することにより,記載のような事実がなかったことを明らかにするよう求めることとしているところであります。


官邸と宮内庁の連名抗議文

今一度改めて官邸と宮内庁の抗議文に目を通すと、まあどちらも「これは事実無根」「国民に重大な誤解を与える」という点では一致していますね。とにかく内容は事実と異なる、国民に間違った認識を与える…という点を気にしていることは伝わってきます。

官邸の反論はシンプルでしたが、問題は宮内庁の文章の方です。
改めて読んでみると、まあ案の定ここでも「美智子様が~!両陛下が~!」のオンパレード。新潮記事で最も傷付いているのは「公務ができないなら皇后失格!」と言われた雅子様であり、「雅子様と一緒に公務ができないなら天皇の地位を早々に退け!」と言われた皇太子殿下のお二人ではないのでしょうか??
しかし宮内庁は、「このような記事は東宮ご夫妻が傷付かれます」という反論は一切せず、ひたすら「美智子様が傷付く!両陛下がショックを受けられる!」ということばかりを強調しており、改めて「宮内庁は両陛下のためにしか動かない」「宮内庁が代弁するのはいつも両陛下のお気持ちだけ」ということが浮き彫りになってしまっています。

官邸はただシンプルに「事実無根だ」と言い、誰々が傷付いたから~とかそういう観点からは言い訳をしていません。
しかし宮内庁は同じように「事実無根」と言いつつも、雅子様を皇后失格と決め付け、皇太子殿下を天皇の地位から早々に退けさせるという話し合いが行われたことは事実でないということよりも、両陛下(特に美智子様)がショックを受けないか否かということに重点を置いて言い訳・反論していることが見えてしまうのです。

こういう点から、官邸はともかく、宮内庁は三者会談の内容の真偽そのものを否定することにそこまで熱意を持っていない?ように映るのです。
両陛下、特に美智子様の件に関して異様に神経質に言い訳・反論している点からしても、むしろ三者会談の内容は本当は真実なのではなかろうか?と疑う余地が出てしまうように感じます。
要するに、重要なのは三者会談の真偽よりも、両陛下の“名誉”。
この展開、何となくベン・ヒルズ氏のプリマサ本や、皇太子殿下の人格否定発言を巡る宮内庁の言い訳・反論と、似ていませんか。
一番傷付きショックを受けているはずの雅子様や皇太子殿下でなく、両陛下の名誉にばかり気を取られている。
そして宮内庁の反論はいつも「両陛下がー!美智子様がー!」という回答の仕方になる。
これで国民に不自然に思われていないと高をくくっているのでしょうか。

それにしても、宮内庁の抗議文の中にある
「(雅子)妃は皇太子にとり,また,私ども家族にとり,大切な人」
という美智子様の言い回しは、改めて酷いものだなと感じずにはいられません。
どうして「(雅子)妃は私どもにとって大切な家族」
という言い方ができなかったのでしょうか。

これでは、「雅子妃は大切な人かもしれないけど、でも“家族”じゃないのよ」「そりゃ雅子妃は皇太子にとっては大事な人でしょうが…」
と匂わせているように読めてしまうのです。
あれだけ言葉の言い回しに神経を遣う方が、どうしてこんな冷酷な表現をしたのか…わざとだとしたらゾッとしますし、雅子様も色々言葉の意味を考えてしまってかえって傷付かれるのではないかと心配になるくらいです。
こんなふうにチクチクと精神攻撃してくるような方が、どうして長年「慈愛の方」「お優しい方」と多くの国民から思われているのか、理解に苦しみます。

最後にもう一点。
宮内庁は抗議文の中で、「6月10日付の文書で、新潮側からの取材申請で当該事実はないことをはっきりと回答したのに、その回答には触れられず記事がそのまま公表された」と述べています。
これはどういうことか。
まず新潮が、ある筋から美智子様の発言、皇太子殿下の早期退位、秋篠宮様の即位辞退、悠仁様即位の画策などの一連の話し合いが陛下・皇太子殿下・秋篠宮様の三者でなされたことを掴んだ

この三者会談の内容や美智子様の発言は本当か?と新潮が宮内庁に取材要請する

宮内庁の言い分では6月10日付文書で明確に否定したはず

それなのに新潮はその回答を無視して三者会談の内容について「事実無根」のことを記事にしてしまった

と言うことだと思いますが。それなら新潮は、まずその三者会談の内容を「どの筋」から最初に聞いたのでしょうね。火のない所に煙は立たない、と言いますが…。

さて、官邸と宮内庁双方からの抗議を受けて、肝心の新潮はどういう態度をとったのでしょうか。
それはまた次回以降にご紹介したいと思います。

「知事のつきまとい・政治利用」が許しがたいので「画像削除」?秋篠宮ご夫妻(宮内庁)の行き過ぎた態度をいかに考えるか

今回は、三者会談に関する考察を一時お休みして、先日行われた秋篠宮ご夫妻の公務と、それに関して起こった問題についてご紹介したいと思います。

今年5月24日から25日にかけて、秋篠宮ご夫妻は鹿児島を訪問されています。

秋篠宮ご夫妻 21年ぶり訪鹿 きょう明治150年式典に
2018年5月25日

秋篠宮ご夫妻が明治150年記念式典に出席するため24日、鹿児島市に入られた。2人そろっての鹿児島訪問は1997年以来21年ぶり。同日は国内外の若手経営者らと交流された。25日は式典でお言葉を述べられる。

ご夫妻は正午ごろ、鹿児島空港に到着された。秋篠宮さまは濃紺のスーツ、紀子さまは白っぽいツーピース姿。訪問先で県民の歓迎を受けると、にこやかに手を振られた。
鹿児島市のホテルで三反園訓知事や国際青年会議所の役員らと懇談。県歴史資料センター黎明館にも足を運び、鹿児島城(鶴丸城)跡の出土品を手に取って熱心に見られていた。

午後6時すぎには、国際青年会議所アジア太平洋地域会議(ASPAC)の開会式に臨まれた。秋篠宮さまは「若い経営者が一堂に会し、意見を交わすことは意義深い。この会議が世界の懸け橋として発展することを願う」とあいさつされた。
国際会議は27日まで開かれ、44カ国・地域の約8千人が集まる。大島紬を着た奄美大島青年会議所の徳田太一理事長は「奄美を代表する気持ちで仲間と参加した。身の引き締まる思いがわいてくる」と話した。

明治150年記念式典は県総合体育館であり、約3千人が出席する。ご夫妻は式典に臨席した後、東京に戻られる。



秋篠宮ご夫妻、明治150年式典に=鹿児島

秋篠宮ご夫妻は25日午前、鹿児島市の鹿児島県総合体育センター体育館で開かれた「明治150年記念式典」に出席された。
式典で秋篠宮さまは「先人たちの偉業を含めた薩摩の風土の特質を後世に伝えていくべく、気持ちも新たに本式典を開催されることは、これからのわが国を背負っていく人々にとって、大きな励みになるものと考えます」とあいさつした。
ご夫妻は同日午前の民間機で鹿児島を後にした。(2018/05/25-12:10)


ところがこの時の公務を巡り、「鹿児島県知事の三反園訓氏が秋篠宮ご夫妻につきまといを行い、皇室を政治利用しようとしている!」という苦情が宮内庁等から起きたことがニュースになっていました。


三反園鹿児島県知事の皇室利用に宮内庁が激怒
秋篠宮ご夫妻とのスリーショット狙い“つきまとい”

2018年6月 4日 09:20

先月、鹿児島市で開催された国際青年会議所アジア太平洋地域会議「ASPAC」(アスパック=Asia Pacific Area Conference)鹿児島大会で、鹿児島県の三反園訓知事(写真)が臨席されていた秋篠宮ご夫妻につきまとい、大きな問題となっていることが分かった。
秋篠宮ご夫妻へのつきまといは、報道陣のカメラに映り込むことが目的。関係者やSPの制止も無視したとされ、露骨な皇室の政治利用に激怒した宮内庁の関係者からは「三反園氏の知事在職中は、鹿児島県に協力することはできない」という声さえ出ている。

◆制止を無視して秋篠宮ご夫妻に“つきまとい”

秋篠宮ご夫妻は、ASPAC側の招きに応じる形で24日から鹿児島県を訪ねられ、25日に行われた鹿児島県主催の「明治150周年記念式典」にも出席されていた。“事件”が起こったのは、24日に城山ホテルで開かれたASPAC関係者などとのご懇談(茶話会)の時。三反園氏は、必ずテレビカメラに映り込むようなポジションに付く形で終始ご夫妻につきまとい、笑顔を振りまいていた。
あまりの無礼に、主催者や県議会議長らが注意したが知事は意に介さず“つきまとい”を続行。見かねたSPも警告したが知事はこれも無視し、秋篠宮ご夫妻から離れようとしなかったという。たしかに、ネット上に残った複数の画像には、背後霊のごとく秋篠宮ご夫妻の傍らに立つ三反園氏の姿が残されている。

大会関係者の話。
「皇室が来県された場合、知事がおそばで説明などにあたるのはよくあること。最初は、『ああ、知事がいるな』という程度で、気にも留めなかったが、とにかく秋篠宮ご夫妻から離れようとしない。しかも、ちょろちょろと場所を移動するから目立つ。ご夫妻とカメラに映ることが目的なんだと、すぐに分かった。会場にいたほとんどの人が、気付いていたんじゃないか。『なんだ、あれは』と顔をしかめる人は少なくなかった。関係者が何度も注意したが、三反園さんは聞き入れなかった。自分の人気取りに皇室を利用する知事など、聞いたことがない」

◆異例の画像削除要請 関係者から怒りの声

想像以上に酷い状況だったのは確か。波紋は広がり、「明治150周年記念式典」にまで影響が及んでいた。“つきまとい事件”から4日後の5月28日には、議会事務局からすべての県議会議員に対し、下のFAXが送付されている。

みたぞの知事に関するファックス

式典会場は撮影禁止だったとして、残された映像等の削除を要請するもの。秋篠宮ご夫妻のお姿を対象にしていることは明らかだ。FAXを受け取った県議らは、当初「意味が分からんかった」と言い、“知事のつきまとい”を知ってから、ようやく合点がいったとしてこう話す。
異例の通知ですね。県費で開催した祝典の画像を消せなんて聞いたことがない。知事が秋篠宮ご夫妻につきまとったという話を聞いて、そういうことかと……。改めて関係者から状況を聞きましたが、知事の常識を疑ってしまいました。三反園さんは、鹿児島県の歴史に汚点を残した。昔なら、不敬罪で捕まってたところ。辞任に値する」
別の県議会関係者は、前代未聞の出来事に憤りを隠そうとしない。
「県政トップが皇室を政治利用したことは確か。鹿児島県の恥だ。秋篠宮ご夫妻には、申し訳ない思いでいっぱいだ。知事の暴挙には、JCの関係者も怒っている。もともと、秋篠宮ご夫妻の来県を実現させたのは、鹿児島JC関係者の尽力によるもの。たまたま、明治150年記念式典に重なっただけで、知事がご夫妻を本県にお呼びしたわけではない。宮内庁も激怒していると聞いている。不敬。大問題だ」
日ごろは冷静な宮内庁の関係者も、三反園氏を厳しく批判している。
「なんなんですか、あの人は。周りの注意を無視して、秋篠宮ご夫妻につきまとうなど、もってのほか。無礼にもほどがある。皇室の政治利用は、絶対に許されることではない。知事ともあろう者が、そんなことも分からないとは、呆れてものが言えない。あの知事の在職中は、鹿児島県の協力要請を断るべきという声もある。なんであんな人が県知事をやっているのか……」
(ニュース記事ここまで)


このニュースを見た少なくない人が、「つきまとい」を行った三反園知事を批判しているようです。
しかし私はそこに違和感を覚えました。
知事が賓客・要人等に対して接遇を行うために傍らにいることはよく見られる光景です。知事である以上、賓客に粗相がないようにそばにはべっていること自体は、何も批判される謂れはないと思うのです。ただ映像を見た人々からすれば、「三反園知事はその範疇を超えて常に秋篠宮ご夫妻の背後に張り付き、止めろと言われてもつきまとっていた」と映ったようです。
しかし、このような三反園知事の行動を「皇室・皇族を政治利用しようとした」と決め付けることはいささか行き過ぎではないかと感じました。それにとどまらず、撮影されていた画像や動画も削除を要請されたとのこと、果たしてここまでする必要があったのでしょうか?

「動画・画像削除要請ファックス」には、こう書かれてあります。
「お世話になります。
5月25日の記念式典参加お疲れ様でした。
さて、明治維新150周年推進室から周知依頼がありましたので、お知らせいたします。
式典会場において撮影は、禁止となっていたとのことです。
つきましては、映像等を保存・利用されている場合には、速やかに削除されるなど、適切にお取り扱いくださるようお願いします。」


ちなみにこのファックスは「鹿児島県議会事務局総務課」から「式典出席議員各位」に宛てられたものであり、マスコミに対する削除要請ではありません。
しかも上記ファックスには三反園知事のミの字も秋篠宮ご夫妻のアの字も出さず、ただ「撮影禁止になっていたらしいから削除しておいてね」という、何とも手短で軽い内容。こんな内容で納得できるものなのでしょうか?

私がこの一件に関してどうしても疑問をぬぐえないのは、SNSである人の書き込みを目にしたためです。
その方は一般人で鹿児島に来た秋篠宮ご夫妻を見かけたようなのですが、そばにいた警官らしき人から「ご夫妻に近づくな、撮影もするな」とお達しがあり、遠くからコソコソ隠れるようにご夫妻を見なければいけなかったと暴露していたのです。
三反園知事云々に関係なく、秋篠宮ご夫妻は最初から鹿児島公務の撮影を「禁止」していたと言えませんか。
しかもこの鹿児島公務にとどまらず、秋篠宮家はかなり前から「一般人による撮影禁止」というお達しを行っていた可能性が出てきました。
過去のSNSを見ると、秋篠宮ご一家を見かけた人の中には「撮影禁止(NG)だったので」という一言を添えて目撃情報をネットに上げている人が多かったのです。

両陛下や東宮ご夫妻などは、ここまで厳格に一般人による撮影禁止をしたことはないと思われます。
東宮ご夫妻に関してはSNSでも多くの動画・画像がアップされており、東宮ご夫妻を目撃した人々の熱気や喜びがこちらにも伝わってきます。
それに比べて秋篠宮ご夫妻の画像ってほとんど上がっていないなー…と感じたのは気のせいでも何でもなく、最初から「撮影禁止」としていれば、動画や画像がアップされないのは当然ですね。
なぜ秋篠宮ご夫妻(ご一家)だけ、ここまで厳格に撮影禁止とされているのでしょうか。

鹿児島の三反園知事の一件に戻ります。知事を批判している主体は「宮内庁」や「大会主催者」「県議会議長」などとありますが、実際に苦情を申し入れたのは、秋篠宮ご夫妻ご自身ではなかったのか?という疑問も湧いてきます。何らかの理由で秋篠宮ご夫妻が神経質になりすぎた、というのが実情ではないのでしょうか。
仮に三反園知事の行動が何らかの形で秋篠宮ご夫妻に不快感を与えたとしても、それを直ちに「お前、皇室を政治利用してるだろ!」と決め付けるのはあまりにも乱暴ではありませんか?三反園知事本人は何もコメントしていないようですが、皇族が絡んでいることに反論はしにくいだろうと感じます。
そしてこういうことは、今後、別の公務で秋篠宮ご夫妻を迎えることになる人々にも、かなりの影響を与えかねないと危惧します。
迎える当人たちにはそんな気が全くなくても、少しでも秋篠宮ご夫妻の近くにいすぎるようならすべて「政治利用・つきまとい」として理不尽な批判を受け、動画も写真もすべて廃棄されることになるでしょう。その辺りの難しい判断や匙加減を、秋篠宮ご夫妻を迎える側がやらなければいけないということにもなりかねません。
こうなると最終的には「ここまで秋篠宮ご夫妻に対して神経質にならなければいけないなら、じゃあご夫妻をお呼びするのは止めておこう」という判断に落ち着いてしまうのでは?とも思います。私はそれでも一向にかまわないのではないかと思いますが。秋篠宮ご夫妻をお呼びするくらいなら、東宮ご夫妻やほかの皇族方をお呼びした方が全然良いと思います。


当ブログでも秋篠宮家のパワハラ・ブラックぶり、特に紀子妃のエキセントリックな態度を問題視してご紹介しておりますが、秋篠宮家は職員だけでなく一般人にも威圧的に接し、自分たちが気に入らないことはすべて排除し、相手方が一方的に悪いという論調で終わらせようというパターンが非常に多いと思います。
東宮ご一家や秋篠宮家職員は別として、これまで秋篠宮家のパワハラ・威圧・圧力によって一方的に「悪者」にされた例は三反園知事だけではありません。小室圭さんもそうですし、学習院、某民放アナウンサー、愛育病院の医師、お茶の水附属小、某皇室記者、外務省の通訳女性、元議員などなど…。すべて秋篠宮家サイドから一方的に「悪者」にされてきました。あるいは相手方に多少の非があった場合は、相手側が社会的に抹殺される勢いで、徹底的にそこを突かれてしまうイメージです。
秋篠宮家よりも身分が上の東宮ご一家でさえ秋篠宮家の悪意に苦しめられてきたのですから、皇族でない立場の弱いそのほかの人々はひとたまりもありませんね。反論する機会すら与えられず、一方的に反省させられて引っ込むしかないのですから。恐ろしいことです。


ところが、「秋篠宮家は皇族という立場をいいことにあまりにもやり過ぎ・行き過ぎ」という批判よりも、「秋篠宮家をこんな目に遭わせやがって許せない!」と相手方に怒りを感じる人々の方が少なくないことに失望を感じています。

マスコミからしょっちゅうつきまとわれて盗撮までされている東宮ご一家は、ここまで誰かからかばってもらったことはありません。宮内庁も何もしてくれませんでした。それでも東宮ご一家は、一般人の撮影を最初から排除するなど暴挙に出ることはありませんでした。
それに比べて秋篠宮家は本当に何様のつもりでしょうね。格上の東宮ご一家よりも偉そうな態度で国民を威嚇する。そしてすべては相手方の方が悪かったから~で済ませようとする。撮影された動画や写真は、許しを得たマスコミが発表したもの(大本営発表)だけに限る…。
こんな皇族が、次代皇嗣一家なんで冗談じゃありません。
もう、公務に呼ばなくてもいいのではありませんか?こんな方たち。
誰もが三反園知事のような目に遭わないとも限りませんから、最初から公務にお呼びするのは止めましょう。それが一番無難で安全な方法だと思いますよ?

最後にもう一つ。
紀子妃のご先祖には「会津藩士」(池上氏)がいると、たびたび話題にされています。
しかしそれが本当なら、なぜ紀子妃は官軍側の鹿児島の「明治150年記念式典」などに出席されたのでしょうか?
薩長(鹿児島・山口)が明治150年記念で浮かれている一方で、会津の人達はこれを「戊辰戦争150年」と言い換えています。
会津藩と言えば賊軍の代表的な立場ですね。紀子妃にそんなご先祖がいることを秋篠宮家シンパは誇らしげに語っているようですが、今回の紀子妃の行動はちょっと考え無しのように見えてしまうのです。「お呼びがかかれば何でもいい」のでしょうか?
それとももう官軍とか賊軍とかそういうこだわりもとっくに無くなっているのでしょうか。秋篠宮家シンパや会津の人々がそれに納得しているなら別に構いませんが。
そういえば、この「明治150年」は日本会議や安倍政権が力を入れているといいますね。安倍総理は長州(山口)の人間ですから、官軍側の人です。そして日本会議は、明治以降の近代日本だけが日本の正しい歴史であって、あの時代に回帰すべきだという危険な思想を持っています。
秋篠宮一家はこの日本会議に猛プッシュされているという話もありますが、秋篠宮ご夫妻はもはや日本会議との関係性を隠す気もないという見方もできますが、この件と動画・写真削除要請は、何か関係があるのでしょうか?
まあここではあまり深入りしないでおきます。

陛下・皇太子殿下・秋篠宮 三者会談の目的は何か? 8~真相はいかに?官邸・宮内庁を巻き込んだ新潮記事の重大性⑤あまりにも存在感のない悠仁様

今回は、新潮シリーズ記事の最後の項目となる、悠仁様関連記事をご紹介させていただきます。
この記事は国会図書館で直接検索にかかることはないのですが、前回ご紹介した秋篠宮様関連記事の閲覧・コピーを請求すると同時に読めるようになっています。
内容的にはあまり大したものではありませんが、シリーズの最終章として念のためこちらで取り上げさせていただきます。

週刊新潮2013年6月20日号

特集 「雅子妃」不適格で「悠仁親王」即位への道

■「悠仁さま」電車通学を提案した「秋篠宮殿下」の未来図


昨秋、お誕生日会見で悠仁さまの教育について尋ねられた秋篠宮さまは「今、君はこういう立場なんだよ、という話はしておりません」と答えられていた。それでも、今や悠揚迫らずでは“その日”に間に合うまい。それは無論、ご自身も熟知されているようで…。

秋篠宮さまが「自主自律」を掲げるその校風をお気に召され、陛下のご意向も踏まえた上で悠仁さまの進学先をお茶の水女子大附属小学校になさったことは、先週号の本誌でも報じた通りだ。
「何しろ悠仁さまには、通常よりも短時間でさまざまな帝王学を詰め込まねばなりません。それもあって秋篠宮殿下は、皇室を受け入れるノウハウに溢れ、ご学友もいわばふるいにかけられた子女ばかりの学習院ではなく、世間一般の感覚を幼いうちから教え込むためにお茶の水を選ばれたのです」(皇室担当記者)
その“感覚”は例えば、さる5月25日に催された運動会にも表れていたという。
警備はやはり厳重でしたが、保護者の服装はカジュアルで、運動会でもみなスーツで来る学習院とは大違い。いつもはフォーマルな印象の紀子さまも、水色のシャツに黒いパンツ姿で、ママたちの中に溶け込んでいました。貴賓席なども特になく、他の保護者と同じようにシートを校庭に敷いていらっしゃいましたね」(皇室ウォッチャー)
“来るべき日”に備え、秋篠宮さまはどのような指針で臨まれるのかといえば、
「殿下は、悠仁さまの教育については独自のお考えをお持ちなのです」
そう明かすのは、さる宮内庁関係者である。
「とにかく『厳しくしつけたい』とのことで、しばしば昭和天皇の同じ頃を引き合いに出されます。ですが、世は大正時代。『あまりにも時代が違います』とは申し上げているのですが、つまりはお定まりの“学習院風”にはしたくないご意向なのです」

◆丸ノ内線ご利用か

秋篠宮家でお手本とされる、昭和天皇が施された「教育」について、皇室ジャーナリストの神田秀一氏が言う。
「生前の昭和天皇から直接伺った話です。学習院初等科時代のある雨の日、陛下は東宮職のお付きの人に傘を差して貰い、乗り物で学校まで行きました。すると、当時の乃木希典院長に『雨の日でも、車に乗らず歩いて一人で来なさい』と、こっぴどく叱られたというのです。以降、どんな悪天候でもお一人で通われたといい、『80歳の今でも、あの時の情景は忘れられない』と振り返られていました」
昭和天皇は1901年のお生まれ。ほぼ100年を経て、まさに故事に倣うかのような計画が進行中なのである。先の関係者の話。
「悠仁さまは現在、専用のお車で赤坂御所地から通われていますが、殿下はほかの児童と同じく、できるだけ早く電車で通学させたいご意向なのです」
学校の最寄り駅は東京メトロ茗荷谷駅。お住まいからほど近い四ツ谷駅からなら、皇居を左周りしてやや遠回りながら、丸ノ内線で乗り換えずに一本、20分少々である。とはいえ、お車に比べ、地下鉄となれば警備も手数が必要であろう。果たして可能なのか。
「お姉さまの佳子さまも学習院女子中・高等科時代は、四ツ谷駅から丸ノ内線で新宿三丁目、そこで副都心線に乗り換えて西早稲田というルートで通われており、愛子さまも毎回、学習院女子大で英語セミナーのある時は同じルートを使われていました」
とは、先の皇室ウォッチャー。
即位への道は、まず地下鉄から始まるようなのだ。
(終わり)


この一連の新潮シリーズ記事は、
1 まず美智子様が「雅子様は次期皇后として不適格」とお嘆きになったという内容から始まり、
2 次に誰かによってよほど不都合な内容だったのか、宮内庁=両陛下と官邸サイドが「雅子様が皇后としての務めを果たせない以上、皇太子殿下を皇位から(すぐに)外そう」という誠に理不尽で勝手な話し合いがなされたという内容に続き、
3 更に「秋篠宮様は即位しない方向で」と続き、
4 最終的には「(早い段階で)悠仁様を皇位につけたい」という、国民置いてけぼりの画策が行われていた…という順序で書かれていました。

こう見るとこの新潮シリーズ記事は、本来なら悠仁様が主役にならなければおかしいはずのものでした。
皇太子殿下や父親の秋篠宮様の即位を阻止してまで「悠仁様を即位させるべき」という流れで来ているため、「そこまで言うなら悠仁様はさぞかしご立派にお育ちなのだろう」という内容に続かなければ読者が納得しないと思うのです。
ところが新潮は、なぜか悠仁様に関しては「電車通学」というどうでもいいことでお茶を濁し、帝王学に関しても抽象的な内容にとどまり具体的にどういう教育がなされているのかも不明、単に「父親の秋篠宮様はこういうことを望んでいる」というだけにとどまり、詳細に書かれていることはなぜか昭和帝の過去のエピソード…読者は「え?たったこれだけ?」と思いたくもなるのではないでしょうか。
「皇太子殿下や秋篠宮様を差し置いてまで即位させたい方である」ということが、まったく伝わってこない内容なのです。


この新潮記事に限らず、悠仁様は日に日に存在感が薄くなっているようにしか思えません。
当ブログはあくまでも秋篠宮様(と紀子妃)がメインであるため、まだ未成年である悠仁様に関しては基本的に取り上げない方向でいく予定ではありますが、今は少しその予定を変えるべきかどうか考え中です。
ブログ記事を書きたくても、あまりにも悠仁様の記事や報道が少なすぎるという事実もあります。

悠仁様に関しては思いつく限りでは、

●ジャーナリストの上杉隆氏によって「悠仁様に対する報道規制がかけられている」ことが発覚
●運動会観戦や報道に厳格な規制が設けられていたり、通学の様子も撮影されない(警備が異様に厳しい)
●紀子妃と悠仁様の乗られた車(お忍びの外出)が衝突事故を起こした
●進学を巡り様々な学校や保護者たちと軋轢を起こしている
●日頃から報道が少なく、敬宮愛子様のように具体的な学校での活動の様子や成果が見えてこない


など、あまりポジティブなものはないですね。
ただこれらは悠仁様個人の責任よりも、ご両親である秋篠宮ご夫妻や祖父母である両陛下の責任が大きいと感じています。

このように最後はどうでもいい内容で締められてしまった新潮シリーズ記事でしたが、この一連の記事に対して、官邸と宮内庁双方が「反論」を行っています。
次回はその反論内容を検証しつつ、この三者会談が持つ意味と目的を改めて考えてみたいと思います。

陛下・皇太子殿下・秋篠宮 三者会談の目的は何か? 7~真相はいかに?官邸・宮内庁を巻き込んだ新潮記事の重大性④秋篠宮様の「即位辞退」に関する大いなる疑問

前回よりかなり間が空いてしまい、大変恐縮です。少し体調を悪くしておりましたが、少しずつ回復に向かっております。
さて前回は、国会図書館から“消えて”しまった記事のご紹介をさせていただきました。その「消された」記事に続く文章が、今回ご紹介させていただく記事になります。
このブログの主役でもある秋篠宮様の「将来の取り扱い」に関する話し合いもされたということですが、いまいちどう解釈してよいのか分からない部分も多いです。
今回ご紹介の記事は国会図書館でも検索・閲覧できるようになっています。

週刊新潮 2013年6月20日号

「雅子妃」不適格で「悠仁新王」即位への道

■「秋篠宮は即位すら辞退」が頂上会談で了解された深い事情


皇太子殿下が生前退位しても、秋篠宮は天皇に即位しない―。宮内庁が思い描くシナリオは一見、あまりに突飛だ。しかし今上陛下、皇太子、秋篠宮両殿下の三者の間では、すでにこの件は了解済みなのだという。なにゆえ「兄宮から弟宮への皇位継承」は否定されたのか。その背景にあるのは、太古から続く天皇家の暗闘の歴史だった。

天皇陛下と皇太子殿下、秋篠宮殿から3人の会談が御所で行われるようになったのは、一昨年半ば頃のことである。
これは病気療養中の雅子妃のことを心配されるあまり、皇太子さまが国民の期待に充分応えられていないのではないかと懸念された陛下が、招集したものです。実は本来の意味は、もしもの時には、秋篠宮さまにも皇位継承があるやも知れぬとお考えになった陛下が、自らの経験を語り、帝王学を授けようというものでした。しかし、秋篠宮さまだけを呼ぶと、変に勘繰られるので、皇太子さまにも同席いただくことにしたそうです」(宮内庁担当記者)
ところが現在では、宮内庁が秋篠宮の即位を想定していないのは、前述の通り。
「むろん、皇太子さまの生前退位や悠仁さまへの譲位は、宮内庁が勝手に判断して、官邸に相談できる案件ではありません。すべて天皇・皇后両陛下の思し召し。すでに天皇・皇太子・秋篠宮の三者による頂上会談でも話し合われ、納得されている話なのです」
と解説するのは、さる宮内庁の幹部だ。
「皇太子さまは、天皇の重責を担い続けることより、雅子妃や愛子さまのことを慮り、一宮家として3人で平穏な生活を送りたいというご意向をお持ちです」
雅子妃のご病状を考えれば、これもやむを得ない選択なのかもしれない。しかし弟宮が後を継がないのはどうした訳か。

◆兄弟騒乱の凄惨な歴史

宮内庁が官邸に説明した理由は、イメージの問題でした。兄が健在なのに、弟が継承すると、兄宮がダメを出された観が強い。しかも、弟宮が皇位を簒奪したような負のイメージがつきまとい、生々しすぎる。過去に皇位継承をめぐって兄弟が争った暗闘の歴史が思い返されるので、それは避けたいとのことでした」(警察庁関係者)
それをよく理解されているので、秋篠宮も身を退くお考えなのだという。確かに古来より続く皇室の歴史を繙けば、兄弟間での抗争はいくつか伝わる。古くは5世紀頃、暗殺された安康天皇の後継をめぐり、雄略天皇が兄を含め皇族を殺害したという。また直接的な兄弟間の戦いではないが、天智天皇の後継争いも有名だ。病床の天智天皇から後継指名を受けていた弟・大海人皇子は、「兄が自分の野心を疑っている」と、これを辞退。一旦は仏門に入ったが、兄が崩御し、その皇子が即位するや、挙兵してこれを自害に追い込み、自身が天武天皇となった、とされる「壬申の乱」である。平安時代に入ると、天皇が譲位して上皇となり、院政を敷くことが、一族間で争いや悲劇を生み出す元ともなった。
そこで、明治時代に、譲位による問題が起こらないようにするため、これを縛る旧皇室典範が作られた。その思想が戦後、一般法令となった現行の典範にも受け継がれたのです」(前出・山下晋司氏)
それを今度は、兄弟間の諍いのイメージを払拭するために、改正しようというのだから、皮肉としか言いようがない。当事者は皆、忸怩たる思いがあろうが、こうするよりほか、雅子妃の長期療養問題を解決する術はないということか。
(終わり)


私は上記記事を目にした時、あの秋篠宮様がそんな簡単に「天皇即位辞退」を了承するとは思えませんでした。
秋篠宮様が昔から兄上である皇太子殿下に嫉妬のような思いを抱き、事あるごとに皇太子殿下に突っかかるような態度を取り続けてきたことは、昭和から現在にかけての皇室を見つめてきた国民なら誰でも知っていることだからです。今まで一度も皇太子殿下に対して敬意を払ってこなかった弟が、あっさりと「じゃあ自分は即位しなくてもいいよ」なんて言うはずないとどうしても思ってしまうのです。

しかし頭がよろしくない秋篠宮様でも、「皇太子殿下を排除して自分が天皇の地位につく」ことの問題性には気付いているということでしょうか。しかしそうであるならもっと早い段階で皇太子殿下を気遣う姿勢を見せるべきではなかったでしょうか。
「皇太子殿下、ご退位なさいませ」とか「秋篠宮が天皇になる日」という不敬論文が次々に出されていた時点で、自分の誕生日記者会見などの場を借りて「ああいう記事はいただけません」と毅然と仰ってくれれば、秋篠宮様は国民から見直されたかもしれないのです。いやそれよりももっと前から「自分は臣下として兄君をずっとお支えしていく」という意思表明をしていればよかった。それらを一切することなく、両陛下に取り入り、皇太子ご一家をハブるような態度を積極的に見せ、皇太子ご一家を庇うどころか「あっちのことは立場が違うんでよく分からない」という趣旨のことを平然と言い放つような弟です。
拙ブログでも後でご紹介するかもしれませんが、「兄弟間の諍い」「平成の壬申の乱か?」というような兄弟間対立を煽る類の記事が、実にたくさん出されていたのは事実です。秋篠宮様も当然これらの記事の存在を知っていたはずです。
「弟の秋篠宮様が兄君である皇太子殿下を追い落として皇位を狙っている」というイメージは、とっくに国民の中に根付いています。
こんな弟が、今更イメージだの反響だのを気にして「即位辞退」に了承などするのだろうか?という疑問が残るのです。


それにしても、こういう皇位継承の争いを未然に防ぐために「生前譲位」というものを明治以降で禁止したはずなのに、今上陛下は皇太子殿下を皇位継承から排除して秋篠宮家に皇統を移したいがために、平成の世で生前退位を復活させてしまったのです。今上陛下が最後まで「生前退位の恒久法化」を望まれ、「退位」ではなく「譲位」と呼んでほしいと仰ったのも「自分が良いと思った相手に自由に皇位を手渡せるということをアピールしたい」という一心だったのではないでしょうか。
しかしそれではあまりにも皇位継承が不安定になり危険だということで、政府は一代限りの特例法にしたのですが。
この辺りの危険性をよく知りもしないで、「陛下が恒久法にしろと仰っているのならそうしろ!」「退位じゃなく譲位と言え!」と叫ぶ連中は一体何なのでしょうか?

「秋篠宮様の即位辞退」の一件の信憑性は何とも言えませんが、今更こんな姑息なことをしても「秋篠宮様は皇統を狙う野心を持っている」というイメージは今更覆りませんし、手遅れだと思います。

次回は、新潮の一連記事のシリーズの最後である、悠仁様に関する文章をご紹介します(あまり大した内容ではないと思いますが)。
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キリアキ管理人

Author:キリアキ管理人
今上陛下の生前退位に伴い、国民の理解や同意が得られないまま「秋篠宮様を“皇嗣”(継承順位1位の皇族)として皇太子に準じる扱いにし、支給される皇族費もこれまでの3倍に増やす」ということも一緒に勝手に決められてしまいました。
この問題に危機感を持ち「あらゆる方面から見ても秋篠宮様は皇嗣にふさわしくない方である」ということを、過去の雑誌記事の引用(原則全文)により検証することを目的としたブログです。2020年に予定されている「秋篠宮立皇嗣の礼」に一石を投じたいです。

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