FC2ブログ

保阪論文「秋篠宮が天皇になる日」をバッサリ切り捨ててくれた田中卓先生

今月24日、尊皇派で女帝・女系天皇支持者であった田中卓先生が亡くなられたと報じられました。

田中卓氏死去(皇学館大名誉教授、同大元学長・日本古代史)
(2018/11/25-11:56)

田中 卓氏(たなか・たかし=皇学館大名誉教授、同大元学長・日本古代史)24日午前2時10分、慢性腎不全のため三重県伊勢市の自宅で死去、94歳。大阪市出身。葬儀は28日午後1時から伊勢市岡本1の17の9の祖霊社で。喪主は妻華子(はなこ)さん。
皇室関係にも詳しく、皇位継承問題については、皇室典範を改正し、皇太子ご夫妻の長女愛子さまの即位に道を開く必要があると主張。昨年3月には、時事通信社の取材に「皇統は直系で継ぐべきだ」と話していた。
(ニュースここまで)

ご高齢に加えて数年前からあまり体調が思わしくなかったようであり心配しておりましたが、次代天皇陛下の即位を見届けること叶わず逝去されたことが本当に残念でなりません。改めてお悔やみ申し上げます。

東宮応援派の我々にもよく知られていた田中先生ですが、例の保阪氏の「秋篠宮が天皇になる日」について、手厳しい批判文を書かれていたこともありました。今回は田中先生への哀悼の意を込めて、その文章を重要箇所の抜粋という形でご紹介したいと思います。

愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか 女性皇太子の誕生より

第四章 皇位継承の危機

>平成21年正月10日の新聞朝刊を見て、私はわが眼を疑った。
『文藝春秋』2月特別号の大広告に、「秋篠宮が天皇になる日」とあるではないか。
近頃は、皇室記事を売り物にして販売部数の増加を図る週刊誌・月刊誌が少なくないから、大抵の広告の見出しには驚かなくなっている私も、これには肝を冷やした。『文藝春秋』は並のオピニオン雑誌としては違って、伝統と権威をもつ文芸・評論誌の王者である。それが「秋篠宮が天皇になる日」と題する論文名を右端巻頭に掲げ、「異例の誕生日会見中止。天皇の体調悪化と怒りの真相は?/家族の悲劇と浮上する皇位継承ナンバー2―」という副題を、二行に割って大々的な広告を打っているのであるから、必ずや皇室内に何らかの大変化が起こり、それをスクープしたのではないか、と憂慮したのは当然であろう。

実はこの執筆者の名前を見直して、“待てよ、慌てることはない”と、やや落ち着きを取りもどした。「保阪正康」とあったからだ。
なぜなら、この人物は、最近では論壇の雄の一人として、マスメディアにもてはやされ、現に『文藝春秋』でも「ノンフィクション作家」の肩書きで読者勧誘の花形として持ち上げられている。しかし私は、もともとこの「ノンフィクション作家」を信用していないのである。
ノンフィクションという英語の日本人の使い方を確かめるため、手近な辞書を引いてみると、「虚構を用いずに事実をもとにして書いた文芸作品、たとえば伝記、紀行、史実などの記録文学」ということだが、この人物の書いた文章の「虚構を用いた作品」にあきれた経験があるからだ。

>かつて半藤一利氏に、『日本のいちばん長い日』という書名の作品があり、これは過去の終戦の日をめぐる24時間を書いたものだから、書名の意味はよく判る。
しかし、「秋篠宮が天皇になる日」というのは何のことか。意味不明で言葉の足りない表現である。例えば「秋篠宮が天皇になる日」『は来ないであろう』とか、逆に『近づいている』とかいうのであれば、日本語として意味が通るが、「天皇になる日」だけで打ち切っては皆目意味が判らない。
この“意味の判らない”というのが曲者で、かえって引きつける所以であることは、文筆関係者などには見え見えであるが、いやしくも皇室記事に関しては、このような手練手管は使うべきではない。むしろ雑誌・筆者の品格を疑わしめるであろう。
元来、「なる」という言葉は“ものが新たに現れる”とか“前の状態から別の状態に移る”という場合に使う自動詞だが、今の場合は、新たに現れる以前の状態として、現在、第一に今上天皇陛下が、御高齢とは申せ御在位されているのである。そのような現状の中で、「秋篠宮が天皇になる日」といえば、今上天皇陛下の御退位を仮想し、さらには皇太子徳仁親王殿下の御存在をも慮外においた書法ではないか。皇太子殿下が、何時の日か、今上天皇陛下の次に即位されることは、現行の『皇室典範』(第2条)によって明確である。それにもかかわらず、「皇位継承の順序を変える」というのであれば、「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるとき」(第3条)に限られている。そしてその何れも、現在の皇太子殿下には、当てはまらない。
つまり、現実とはかけ離れて、皇太子殿下の御存在を無視するか、不慮の事故でも予想しなければ、「秋篠宮が天皇になる日」などという無礼―古風にいえば不敬―な発想は、出てこないはずの文言である。仮に百歩を譲って、皇太子殿下も人間でいらっしゃるから、突発的な「重患」や「事故」に見舞われることがあるかも知れず、ないとは断言できないから、その場合のことを案じて、仮に「秋篠宮が天皇になる日」を予想したのだと弁解するとしても、そのような予想ならば、皇太子殿下に対してだけでなく、秋篠宮文仁親王殿下、悠仁殿下についてもいえることではないか。

>「とある宮内庁関係者」の「いま秋篠宮は両陛下と最も近く意見を交わす存在」という無責任な発言を利用するが、それぞれの御立場からいって、公的な皇太子殿下よりも、御次男で自由な秋篠宮殿下が気楽に振る舞われても、それは当たり前のことである。

「『公務軽減』をめぐって」では、(中略)「皇嗣」に当たられる皇太子殿下が、父天皇の御体調について、十分な配慮をして記者に語られるのは当然ではないか。

「存在感」などという言葉は、基準を異にすれば、まったく個人的判断で客観性はない。(中略)他方、こと皇室情報に関しては、少なくとも保阪氏よりは詳しいと思われる斎藤吉久氏が、自らのメールマガジン「誤解だらけの天皇・皇室」の中で、「皇室祭祀の伝統」に関してではあるが、「高まる皇太子の存在感」を主張している(平成21年正月13日発行)。

>公平に見て、メディアの中に、雅子妃殿下のキャリアや人格を否定するようなスキャンダルまがいの記事があったことは事実で、それに対して皇太子殿下が問題提起をされたことは、むしろ勇気ある発言である。

>また、もし皇太子殿下が事前にその発言内容を天皇陛下に御相談しておられれば、保阪氏は、おそらく「優等生的な回答」で「具体的なことは何も言っていない」「無機質な感」を与えるだけだ、と酷評するにちがいない。いや、それだけではない。その発言内容から派生する責任は、陛下にも波及する恐れがある。皇太子殿下が、御体調の悪い妃殿下を案じ、御自分の責任と判断で発言されたのは、不惑を越えた夫として、当然のことではないか。

皇嗣とは申せ、夫婦間のプライベートな問題で、いつまでも親に寄りかかり、責任を分かち合うのは潔しとしないであろう。記者会見は皇室の公務でも義務でもない。皇室と民間との精神的交流の場にすぎない。むしろ問題があるとすれば、その御発言に対して、その場で、メディアには“妃殿下の人格否定”につながるようなスキャンダル記事を流す不埒な者はおりません、と断言し、反論するだけの自信と気骨のある記者が一人でもいたのかどうか、という点である。私はそれを、保阪氏に尋ねてみたい。

実名を挙げず、「皇室関係者」「宮内庁関係者」「宮内庁担当記者」を持ち出すなら、何とでもいえる。そのような発言をいくら乱発されても、私ども歴史家は、誰も信用しない。いやしくも“ノンフィクション”を名乗る評論家ならば、自分の足で公平に現状を調べあげ、責任を明確にした実証的な記事を提供してもらいたい。

>もともと皇太子御一家は、同年8月10日から22日まで那須御用邸の附属邸に御滞在される予定で、皇太子殿下だけは先に那須を出発して8月17日に東京の東宮御所にお帰りになっている。一週間足らずの御静養の間に、妃殿下とテニスをされ、愛子内親王様と花火を楽しまれたとしても、何が悪いのだ。

>問題は、その間にある「8月15日」に、戦没者の冥福を祈り、平和を守る意味の“黙禱”をされたかどうか、ということだが、それを“されなかった”という確証があるのか。“8月15日”といっても、ふつうは、一日中“黙禱”をし続けているわけではない。当日の正午、日本武道館で天皇陛下がささげられる“黙禱”に合わせて行うのであるから、その他の時間帯に、テニスや花火見学をされたとしても、少しも差し支えないはずだ。

先ず保阪氏のなすべきことは、当日の皇太子御一家の時系列を追った御行動を、自分で詳細に調査することだ。そのことなしに、このような対比の文章を故意に掲げるのは、非常識というものだ。

皇太子殿下は優れた歴史学者であられるから、戦争の評価は後世の歴史家に委ねてよい、ということで、この場では、昭和天皇の御苦労を偲ぶお気持ちを述べるだけで終わられたのであろう。

保阪氏は、皇太子殿下が学習院大学から同大学院に進学して、史学、特に中世の交通・流通史を専攻され、さらにオックスフォード大学のマートン・カレッジに留学して、テムズ川の水運について研究され、水運に関する皇族学者として世界に著名なことを知らないらしい。

※八木秀次氏の発言:「タイトルを見て、皇太子さまの廃嫡や皇位継承順位の変更、または秋篠宮さまが次期天皇に向けて強い決意をなさっているとの逸話などが書かれているのかと期待したのに、中身は“皇太子よりも秋篠宮のほうがいい”という議論ばかり。先日、文春の役員とも話をしたのですが、彼も渋い顔で“羊頭狗肉だ”と評していました」 (週刊新潮 2009年1月29日号より)

(上記八木氏の発言についても鋭い指摘)
この八木氏の発言を引き出したのは、さすがに『週刊新潮』の腕前といってよい。
>ここで私は同誌の編集者が八木秀次氏の発言を引き出したことを“さすがに”と評価しておいたが、これには深い意味がある。
八木氏は、もともと皇太子妃雅子殿下に対して、病身を理由に宮中祭祀に不熱心であるとか、現『皇室典範』にいう「男系の男子」生誕の可能性が乏しいので、将来の皇位継承を考えると皇后の資格を欠く等という理由で、批判的な言辞を弄していたが、秋篠宮妃殿下の御懐妊が報ぜられると、逸早く次のような談話を発表した(朝日新聞『アエラ』平成18年2月20日号)。

「最近、尊皇心の強い人に出会うと、皇太子ご一家3人がそろって皇籍を離脱したらいいという意見を聞く。彼らの言い分では、この際、東宮そのものをなくして、皇位継承の中心的存在を秋篠宮家にした上で、旧宮家の皇籍を復活させ、縁談を進めればいい、という考えだ。今回のご懐妊でも秋篠宮殿下の強い責任感を感じる。
このような考えを皇室に抱くことは本来、望ましいことではないと思う。しかし、いまの東宮はそんなことも考えたくなるほどの状態であるのも確かだ。
やはり、雅子さまを皇位継承とは無関係の立場にしたらいい。他の宮家が皇位継承を担い、雅子さまにはご自身のキャリアを生かした活動を存分にしてもらう。」


文中では「尊皇心の強い人」とか「彼ら」の「意見」とあるが、それが八木氏自身の、あるいは彼を含む一派の考え方であることは明らかだ。
この当時の批判は、東宮でも雅子妃殿下に標的がしぼられていたが、その後、「男子」の悠仁親王殿下が御生誕になると、発言はますます過激となり、皇太子殿下の廃嫡を意味するような論調にまで展開する(『正論』平成20年4月号等)。そこへ、平成21年1月の『文藝春秋』の保阪論文の大広告が出たものだから、彼は有頂天になって(中略)「タイトルを見て、皇太子さまの廃嫡や皇位継承順位の変更、…などが書かれているのかと期待したのに…」という言葉を思わず口走ることになったのであろう。さらには、“期待はずれ”の憂さ晴らしのため、「文春の役員」の放言“羊頭狗肉”の内輪話まで誌上で暴露してしまった。『文藝春秋』の失態と困惑は言うまでもないが、この一件は、かえって言論人としての八木氏の信用を失う自縄自縛になること疑いあるまい。

※保阪氏のコメント:「今回の記事の趣旨は簡単で、決して秋篠宮に天皇を譲るべきだとか、そうしたことを主張するものではありません。ちょうど「大正天皇の次男で、昭和天皇の弟にあたる」秩父宮の伝記を書いているところだったので、文春のデスクに“皇太子の弟”論をやりたいと持ちかけましてね。それって面白いんじゃないのということで、記事にすることになった。だから、あくまで“次男の物語”を書いたつもりなんですよ」
「前々から予定していた原稿ですので、(年末に公にされた)天皇のご病気とは関係がありませんし、何か宮内庁で具体的な動きがあるから、というものではないのです。メディアや一般読者の方からも問い合わせがあって、“どんな背景があって書いたのか。これは皇太子への批判なのか”と聞かれましたけれど、まさかそのようなことを申し上げる立場ではない。私の“次男論”に編集部が追加取材をしたまで。渡辺さんにも編集部が取材してくれました。あのタイトルもつけてもらったものなんです」(週刊新潮 2009年1月29日号より)


(上記保阪氏のコメントについても辛辣な意見)
>あれだけの皇太子殿下批判の刺激的な長論文を書きながら、何ともアッケラカンとした返事だ。要するに彼は、原稿売りこみが得意で、皇家の“次男の物語”で世間を騒がせた、罪深い人物にすぎない。皇室問題を憂い、国家の大事を真剣に論ずるような品格とは縁遠い作家というべきだろう。


(田中先生の悲痛な意見)
>この西尾・保阪論に対して、旧皇族を自称する竹田恒泰氏は別として、現在の論壇はほとんど黙して語らずで、資料を挙げての本格的な反論もなく、事勿れの姿勢に終始しているように思われる。
この姿は、情けないというより、むしろ恐ろしい事態ではあるまいか。半ば病床にある私が、微力を傾けて拙文を綴るのは、この現状を見るに見かねてのことである。
>今は、嘘も百回繰り返せば事実と思われる情報氾濫の世の中だ。主要な論壇が、西尾・保阪・八木氏等の論調によって支配され、皇室に対する一方的な批判を大声で唱えても戒める者もなく、誤った歴史観と皇室を売りものにするメジャーが一世を風靡すれば、皇統の護持、必ずしも安泰とはいい得ない。まさに変―革命―の至るや知るべからず、である。


(抜粋以上)

もはや私からの補足など必要ないでしょう。このように古代史・尊皇派の権威である田中先生から、保阪氏や八木氏(や西尾氏)に対して手厳しいまっとうな批判がなされたことは重要であったと思います。
田中先生の指摘で特に重要なのは、最後の悲痛な叫びの部分です。
八木・保阪・西尾などに代表されるおかしな言論人たちが皇太子ご夫妻を口汚く罵っても、それをきちんと戒めたり反論したりする人物が誰も出てこない現状に対する嘆き、違和感、恐怖。田中先生のみならず、まともな国民は、十数年にわたる理不尽な東宮ご一家バッシングがずっと放置され、反論も諫めもされない状況に恐ろしさを感じてきました。今ではその背景が見えてきましたが、当初は私もこの状況を非常に不気味に感じたものです。
田中先生はその現状を看過できず、体調がすぐれない中、筆をとってこうして一冊の御本を出してくださったのです。


『愛子さまが将来の天皇陛下ではいけませんか 女性皇太子の誕生より』は、本当に一人でも多くの人々に是非読んでほしい本の一つです。田中先生の鋭い指摘が冴えていてとても読みやすい一冊となっています。今回は部分的な抜粋に留めましたが、是非一冊全文をお読みいただきたいです。

東宮ご一家バッシングが起きてもう十数年経過しますが、この間、バッシングに関与してきた人々が次々に鬼籍に入りました。
三宅久之氏、津川雅彦氏、武藤まき子氏、金澤一郎医務主管、橋本明氏、松崎敏弥氏、佐々淳行氏、そして勝谷誠彦氏。男系男子派の渡部昇一氏も。
既にこの世にいない彼らには今更何か言うつもりはありません。
一方、尊皇派の立場から東宮ご一家を積極的に守ってくれた田中先生のような方も天に召されたことは非常に悲しいです。

明日は当ブログの主人公様のお誕生日ですが、どうせ当たり障りのない内容に終始するつまらない会見になりそうですね。

「皇太子殿下の公務全部引き継ぎませんwwでもカネはもらいますww」秋篠宮様は“皇嗣詐欺”だ!

※長らく当記事を中途半端にしてしまい大変申し訳ありませんでした。ようやく再開の運びとなりました。

次代以降の公務分担について、何とも腹立たしく納得いかないニュースが報じられました。

公務を秋篠宮さまら分担、継承へ
11/21(水) 17:19配信 共同通信


皇太子さまが、毎年恒例で取り組んできた七つの重要地方公務のうち、代替わり後は、高校総体を皇位継承順1位の「皇嗣」となる秋篠宮さまが、全国農業担い手サミットを寛仁親王妃信子さまがそれぞれ分担して継承される方向で調整が進められていることが21日、政府関係者への取材で分かった。残りの一部は新天皇となった皇太子さまが引き続き担う。
皇族が減少する中、天皇代替わり後、皇太子さまが臨んできた公務をどう分担するかが課題となっており、その一端が初めて明らかになった。
皇太子さまは即位後、天皇陛下が皇后さまと共に毎年恒例で臨んできた活動を引き継ぐことが決まっている。
(記事ここまで)

新天皇、四大地方行事に出席…宮内庁調整
11/23(金) 12:23配信 読売新聞


宮内庁は、来年5月の天皇の代替わり後、新天皇、新皇后となる皇太子ご夫妻が毎年出席される地方公務について、現行の三大行事から一つ増やして「四大地方行事」とする方向で検討に入った。皇太子として臨んできた「国民文化祭」に引き続き出席されることで調整を進めている。
今の天皇、皇后両陛下は毎年、「全国植樹祭」「国民体育大会」「全国豊かな海づくり大会」に出席されてきた。いずれも新天皇、新皇后が引き継ぐことが決まっている。一方、皇太子ご夫妻には国民文化祭を含む七つの恒例地方行事があるが、皇位継承順位1位の皇嗣(こうし)となる秋篠宮さまも多くの総裁職についており、すべてを引き継がれるのは難しい状況だ。
国民文化祭は、皇太子さまが浩宮時代の1986年の第1回大会からほぼ毎年出席されてきた「思い入れの深い行事」(宮内庁幹部)。三大行事は国土緑化、スポーツ振興、水産資源保護が目的で、文化を振興する国民文化祭を加えてもバランスは取れると判断したとみられる。ただ、雅子さまは療養中であり、同庁は負担なども考慮して最終調整を進めている。新天皇の公務を巡っては、現在の陛下も皇太子時代に始めた海づくり大会への出席を続けられた例がある。
(記事ここまで)

上記ニュースに関しては、多くの国民から批判の声が上がっているようですが、それには理由があります。

そもそも秋篠宮様は、「次代では皇位継承権1位になり皇太子と同待遇になり、そのために“皇嗣”という(意味不明の新設)呼称を得て、しかも皇族費も今の3倍になり、宮邸も今後33億円かけて大規模増改築し、皇嗣職という職員の人数も増やす」という厚遇を受けた上で、次代引き継ぐことになるであろう皇太子殿下の公務を遂行するための体制を整える…という趣旨であったはずです。皇太子殿下の公務を引き継ぐならその分秋篠宮様も当然多忙になるので、そういう体制を作る意味があるのだと、我々国民はそう思わされてきた節がありました。

ところが蓋を開けてみれば、秋篠宮様は皇太子殿下の公務のたった一部(今の所一つだけ?)しか引き継がないとのことです。これは一体どういうことなのでしょうか?!

実は上記報道以前から、「秋篠宮様は皇太子殿下の公務を全部引き継げないかもしれない」という伏線的なニュースが報じられていました。以下、その一部をご紹介します。

退位後の公務分担に課題、秋篠宮さまに集中
2017/12/1 17:22 日本経済新聞

退位後の天皇陛下は皇后さまと共に公務から退き、私的な活動が中心となる。国事行為を含む象徴天皇の活動は新天皇の皇太子さまが担い、皇太子としての活動は皇位継承順位1位の「皇嗣」となる秋篠宮さまが引き継ぐ見通しだ。秋篠宮さまに公務が集中することになり、どのように分担するのかが課題となる。

「物理的にどこまで可能なのか、よく考えていかないといけない」
秋篠宮さまは52歳の誕生日を迎えた11月の記者会見で、皇嗣となってからの公務のあり方について、皇太子さまと相談していく考えを示された。
秋篠宮さまは全国高校総合文化祭や全国都市緑化祭など毎年開かれる行事に出席。このほか、亡くなった皇族からの引き継ぎを含め、日本動物園水族館協会や日蘭協会など12団体の総裁や名誉総裁にも就かれている。

一方、皇太子さまも全国育樹祭、全国障害者スポーツ大会など毎年恒例の7つの行事に出席するため全国各地を訪問。東宮御所で外国に赴任する日本大使夫妻や離任する駐日大使夫妻らと面会する公務もある。
即位後の皇太子さまは、今の陛下の象徴天皇としての活動を引き継ぐ。秋篠宮さまは誕生日会見で、現在の皇太子さまの公務について「できる限り私の方で引き受けたい」と述べられた。

だが、秋篠宮さまも「今の公務で忙しい日々を送られている」(宮内庁関係者)のが実情。皇太子さまの公務の大半を引き継ぐと負担が大きく、活動できない公務が生じる恐れがある。

公務を分担する対応が考えられるが、秋篠宮さまは会見で「私がしているものを今度は譲る先がないという事情もある」と言及された。

秋篠宮家の長女、眞子さま(26)は秋篠宮さまから日本テニス協会名誉総裁を引き継いだが、2018年11月の結婚後に皇室典範の規定によって皇族の身分を離れられる。国際基督教大(ICU)に在学中の次女の佳子さま(22)を含め、残る30代以下の成年皇族は5人全員が女性。結婚すれば皇籍を離脱される。皇族減少の問題が公務の分担を難しくしている。
(記事ここまで)

【譲位まで1年】皇太子さまの一部ご公務、天皇即位後も継続 宮内庁検討
2018.4.30 08:00 産経新聞

来年5月1日に即位を控えた皇太子さまが担う公務の一部について、即位後も継続される方向で調整が進められていることが29日、宮内庁関係者への取材で分かった。皇嗣となられる秋篠宮さまの負担増を背景に、皇太子さまにゆかりの深いご公務を「新天皇」として持ち上がる形となる。30日で天皇陛下の譲位まであと1年。宮内庁は行事臨席の意義などを踏まえた公務の整理・統合も視野に入れ、5月の大型連休以降、皇室が担う公務全体の在り方の検討を本格化させる。

宮内庁によると陛下は譲位後、象徴としてのすべての公務を皇太子さまに引き継ぐ意向を示されている。皇太子さまは即位後にこれらの公務を、皇位継承順位1位の皇嗣となる秋篠宮さまが皇太子さまの公務を、それぞれ受け継がれるが、秋篠宮さまが現在、担っている公務の譲り先が限定されることから具体的な分担方法が課題となっている。

皇太子さまの公務は現在、「献血運動推進全国大会」や「全国障害者スポーツ大会」など「7大行啓」と呼ばれる行事へのご出席を中心に多岐にわたる。宮内庁関係者によると、このうち「全国農業担い手サミット」や「国民文化祭」など、皇太子さまが深く関わる公務は継続してのご臨席を検討している。
皇太子ご夫妻のご結婚を記念し、平成6年から始まった「国際青年交流会議」など、ゆかりのある行事も含まれる。陛下が皇太子時代、前身の行事から参加されてきた「全国豊かな海づくり大会」を即位後も持ち上がる形としたことも参考にする。

一方、すでに年間300以上の公務をこなしている秋篠宮さまの一部公務は、秋篠宮妃紀子さまをはじめとするご家族に引き継がれる見通しだが、「他の宮家へ分担することは難しく、限界がある」(宮内庁関係者)とされる。

このため宮内庁では、現在、皇室が担っている趣旨が似た複数行事への臨席を、一定数に絞る方向で調整する。具体的には緑化に関係した行事などが俎上(そじょう)に載る見通し。
宮内庁は代替わりを機に、両陛下のほか、皇族方が臨席される各行事について(1)式典でのお言葉をなくす(2)毎年、臨席している行事を、節目の年に限定する(3)臨席時間を短縮する-ことなども合わせ、皇室全体の負担軽減を模索する方向だ。
宮内庁関係者は「公平性、各行事への皇族方ご臨席の役割、行われる時期などを踏まえた整理が必要」としており、今後、宮内庁が大枠を定めたうえで、陛下、皇太子さま、秋篠宮さまのご意見を聞きながら詳細を詰める。

※上記記事の中で、「皇太子殿下と関りが深い公務」として、全国農業担い手サミット・みどりの愛護のつどい・国民文化祭・日本スカウトジャンボリー・富士スカウト章・国際青年交流会議・赤ひげ大賞・世界青年の船、の8つを掲載。
(記事ここまで)


陛下退位日決定 公務担い手どう確保 皇太子さま→秋篠宮さま→引き継ぎ先は?
2017年12月9日 東京新聞 朝刊


天皇陛下が二〇一九年四月末に退位された後、陛下の公務は新天皇に即位する皇太子さまが引き継ぎ、皇太子の役割は「皇嗣(こうし)」となる秋篠宮さまが担う。皇族の減少と高齢化が進む中、皇族の数をどう維持して公務の「担い手」を確保するかは、大きな懸案として残っている。 (小松田健一、清水俊介)

天皇の公務は、法律の公布など憲法に基づく「国事行為」と、地方訪問など象徴天皇としての「公的行為」に分かれる。宮内庁の山本信一郎長官は「陛下が象徴として今なされていることは、全て新しい天皇へお譲りになる考えだ」との見解を示している。
代替わり後、順送りで秋篠宮さまが皇太子さまの公務をすべて担うかというと、そう簡単ではない。秋篠宮さまは十三団体の名誉職を務め、関連行事への出席や地方訪問も多い。十月も海外はチリやタイ、国内は秋田、愛媛など三県へ足を運ぶ過密ぶりだった。宮内庁幹部は「全てを引き継ぐのは難しい」と語る。

その秋篠宮さまも、先の記者会見で「私が今しているものを、今度は譲る先がないという事情もある」と明かした。現在十八人いる皇族は、既に多くの公務を担っているからだ。
しかも、秋篠宮家の長女眞子さま(26)は来年十一月に結婚して皇室を離れる。眞子さま以外に独身の女性皇族が六人おり、陛下の孫世代の男性皇族は秋篠宮家の長男悠仁(ひさひと)さま(11)だけ。今年六月に成立した退位特例法の国会付帯決議は、皇族数確保と皇室維持のため、女性皇族が結婚後も皇室にとどまる「女性宮家」創設などの検討を政府に求めた。

皇族減少への問題意識は過去の政権にもあった。
小泉政権は〇五年、首相の私的諮問機関を設け、女性・女系天皇、女性宮家を容認する報告書をまとめた。野田政権も一二年、女性宮家創設を柱に検討するとした論点整理を公表したが、どちらも立ち消えた。

いずれも後継の首相は安倍晋三首相。首相は今年十一月二十八日の衆院予算委員会で「男系継承が古来、例外なく維持されてきたことの重み」を強調した。首相は皇族減少対策として、戦後に皇族の身分を離れた旧宮家の復帰を選択肢に挙げたことはあるが、国民に慎重論が根強いとされる。
菅義偉(すがよしひで)官房長官は今月八日の記者会見で「国会の付帯決議を尊重して対応したい」と説明したが、有効策は見いだせない。宮内庁関係者は「担い手が減り続ける以上、公務の大幅見直しは避けられない」と話す。

◆皇室公務、一元管理を
<長野県短大の瀬畑源(せばたはじめ)准教授(日本現代史)の話> 宮内庁による皇室の公務日程管理が天皇家、皇太子家、各宮家によってばらばらで一元的に管理する組織が必要。皇族が出席する行事や式典の歴史的経緯と社会的使命を勘案し、内閣の責任で判断するべきだ。(以下略)
(記事ここまで)

…と、このように、過去の報道で何度も「秋篠宮様はご自分の公務を既に多く抱えているために、皇太子殿下の公務を全て引き継ぐことは難しい」と報じさせていたことがお分かりになるかと思います。秋篠宮様自身も自分のお誕生日会見で、「できる限り皇太子殿下の公務を引き受けるつもりだが、私自身の公務を譲る先がない」と仰っています。
秋篠宮様のお誕生日会見の詳細については下記宮内庁HPから見ることができます。

文仁親王殿下お誕生日に際し(平成29年)

問2 殿下にお伺いします。皇太子さまが即位されると,殿下は皇位継承順位第1位の皇嗣となられますが,抱負をお聞かせください。今後,皇太子さまの公務を引き継ぐことが想定されます。ご一家を支える皇嗣職の在り方とともに,これまで務めてこられたご活動の分担についてもお考えをお聞かせください。

殿下 これは今までに例が見られないことでもあり,なかなか抱負といっても,まだ想像がつかないところもかなり多くあります。実際にそういう形になって,そしてそれが始動していく中で様々に試行錯誤をしていくことになるのではないかなと思います。また,皇嗣職の在り方についてですが,これも始まってみないと分からないところがあると思います。その職という一つの組織の在り方ですので,当然そのハードな面とソフトな面とあると思いますけれども,実際にはその規模であったりとか,人員配置であったりとか,そういうことは役所の方ほうもいろいろ考えていることと思います。また,その職の内容については,先ほど言いましたように,どういう職の在り方がふさわしいかというのを追い追い考えていく必要があるとともに,ある程度前もって方針を考えておく必要があるように考えます。
(記者に質問を確認されて)もう一つは分担?

記者 活動の。

殿下 活動の分担ですね。これは,皇太子殿下とも話合いをしながら進めていかなければいけないと思います。ただ,そういう代替わりがあって,恐らく皇太子殿下の方から私の方へ,譲るというものがかなりあるのではないかと思います。それらのものについては,できる限り私の方で引き受けたいと思っております。一方,私が以前から行っているもの,そしてまた,団体の総裁であったり,名誉総裁をしているものもあります。実際に全体としてその物理的にどこまで可能なのか,このこともよく考えていかないといけないなと思っています。そして,もう一つは私が今しているものを今度は譲る先がないという事情もあります。その辺りも含めて,追い追い皇太子殿下ともご相談をしていきたいと考えております。・・・


上記会見文だけ読むと、秋篠宮様の言うことにはまあ一理あると言えなくもないです。そしてこの時点では、秋篠宮様自身に一応「皇太子殿下の公務を出来る限り引き受ける」という意思が多少はあったということもうかがえます。

しかし、今になって皇太子殿下の公務をたった一つしか引き継がないことが改めて判明し、「いくら自分の公務が既にあるからと言って、わずか一つだけというのはさすがに酷くないか?これしか公務を引き継がないのに、皇族費3倍とか皇嗣職増員とか秋篠宮邸に33億円かけるとか、あまりにも見合わなくないか?」という批判が湧き起こっているわけです。これは当たり前の怒りだと思います。「公務」という皇族のお務めと、「予算・宮邸・職員数」という好待遇のバランスがあまりにも悪すぎ、これでは秋篠宮様一人だけが厚遇だけを享受するという不公平が起こっているのです。
例えば、全国農業担い手サミットに関しては寛仁親王妃信子様が引き継ぐという具体的な報道がされましたが、信子様の予算や職員数が増えるという情報はなく、信子様はこれまでと同じ規模の予算と職員数で、皇太子殿下の公務を担われることになります。秋篠宮様も信子様も「一つずつ分担」なのに、両者の待遇は天と地ほどの差が生じてしまいます。いくら「秋篠宮様には皇位継承権があり、信子様にはない」と考えても、ここまで待遇に差が出ていいものなのか?と言いたくなります。そもそも皇太子殿下は確定的皇位継承者であるのに、秋篠宮様の皇嗣待遇ほどの厚遇は受けられていないのですから。

また、秋篠宮様ご自身もニュースや新聞の報道も懸命に「秋篠宮様は既に自分の公務をたくさん担っているから多忙だ!」という言い訳をしていますが、本当にそうでしょうか。
あるテレビ報道(おそらくミヤネ屋)によれば、昨年の公開された公務数について、

今上陛下は279日、皇太子殿下は262日、秋篠宮様は218日

だと紹介していたとのこと。ちなみにサラリーマンの平均出勤日数は251日とも。


上記情報が事実とすれば、秋篠宮様は世の中のサラリーマンよりも「ヒマ」ということになりますね。一体これのどこが多忙なのでしょうか。これだけ余裕があるなら、皇太子殿下の公務をもっと引き継げるはずだと思いませんか?
しかも秋篠宮様が元々担う公務は、(陛下や皇太子殿下という内廷皇族とは異なり)謝礼が出るものなのです。陛下や皇太子殿下には謝礼など出ません。これは、宮家皇族は一般国民と同じ立場に近く、皇室の「外」にいる方々として捉えられ、基本的には「自分で稼いで生活すること」を求められたという戦後の経緯があるからと言われています。この辺りについては森暢平氏が詳細に記事を書いているので、また時を改めてその記事をご紹介していきたいと思います。

大本営発表の新聞・ニュース報道では書かれていませんが、おそらく秋篠宮様は自分の「謝礼が出る」公務を手放したくないことが大きいように思います。一回の公務で何十万、何百万レベルの謝礼が出るという話もありますから、そりゃこんな「美味しい」公務は手放したくないですよね。謝礼が出る自分の公務を減らし、その分謝礼など一切出ない皇太子殿下の公務に替えるなんて、秋篠宮様としてはやりたくないのだと予想します。

そしてまたこれも予想の範囲にすぎないのですが、もしかしたら秋篠宮様が皇太子殿下の公務を引き継ぐことに難色を示している主催者が多いのかな?という気もしています。皇太子殿下の公務は長い年月をかけて主催者側との信頼関係を築いてきたものと思われます。相手方としては「皇太子殿下だからいらしていただきたい」という思いであり、これが秋篠宮様に代わるとなると「話が違う」という方向になっているのかもしれません。皇族だからどなたでもいいわけではなく、皇太子殿下だから良いのであって、秋篠宮様とは信頼関係もないしいきなり引き継ぐと言われても困りますよ…という感じなのではないでしょうか。もちろん、こういうことも大々的にマスコミは報道できないかもしれませんが。
前述のように信子様が引き継ぐ公務もありますが、これも「秋篠宮様に引き継がれるよりは別の皇族の方がいい」という打診があり、信子様にお話が行った可能性もあります。

そして更に言えば、敬宮愛子様がいずれ成人として公務ができるようになるまでは皇太子殿下が従来通り公務を続けられ、敬宮様が成人になられたあかつきには皇太子殿下から敬宮様へ公務を譲られるのではないか、という予想も成り立ちますね。

しかしいずれにしろ、秋篠宮様が莫大な予算・職員・増改築費を認められているのは、いずれは皇太子と同待遇として公務と責任を担われ多忙になるから…という当初の“言い分”は成立しなくなったことに変わりはありません。皇太子殿下並みの多忙さも責任も引き受けないくせに予算などのメリットだけは享受して絶対に手放さない、そして自分の謝礼付公務も手放さない…となれば、それはまさに「皇嗣詐欺」として国民から血税をだまし取っていることになりませんか?
そして更に言わせてもらえば、秋篠宮家の“信者”はこれまで「秋篠宮ご夫妻は皇太子ご夫妻の公務を肩代わりしており皇太子ご夫妻よりも多忙だ!」ということを心の拠り所(笑)としていたはずなのに、その前提さえも崩壊したということになりますね。今までの「秋篠宮ご夫妻は公務を懸命に行っているから何をしても許される!」という信者たちの主張が音を立てて崩れ、もはや秋篠宮ご夫妻を持ち上げる理由も要素も何もなくなってしまったわけです。


これまでの報道をまとめると、秋篠宮様は以下のような何とも不公平で理不尽な立場となられるのです。

●皇族費(予算)はこれまでの3倍に増え秋篠宮家全体で1億2260万円になる。
●皇嗣職という新設ポストが作られ職員数も20人→50人ほどに増加する。
●3年ほどかけて秋篠宮邸を33億円かけて増改築する。
●秋篠宮様がこれまで担っていた謝礼付公務も従来通り続けられる。
●しかし皇太子殿下の謝礼の出ない公務は今のところ一つしか引き継がない。
●皇太子殿下と同等の責任を負わないのに立皇嗣礼を公金で執り行い「継承順位1位」を変わらずキープできる。
●内廷皇族の顔をして従来通り皇室カレンダーにも出しゃばっている。

と、秋篠宮様は自分の都合に合わせて「内廷皇族」と「外廷皇族」の良い所どりの待遇を受けることになるのです。

これは狡猾すぎると思いませんか。おかしいと感じませんか。

もうすぐ秋篠宮様のお誕生日会見報道があると思われますが(11月30日)、秋篠宮家はここ最近小室圭氏絡みの件でも非常に多くの問題を抱えています。しかし一部マスコミ(宮内記者会)と結託して、不都合なことは何も質問を受けず何も答えず、忖度だらけの会見に終始する恐れも非常に強いです。
このように責任からは一切逃れ、楽しいこと、メリットになることしか享受しようとしない秋篠宮様の態度を、皆様は許せますか?
私は絶対に許しません。こんな方は皇位継承権1位どころか、ただの皇族としても一人の人間としても恥ずかしいですよ!


お話しは変わりますが、敬宮愛子様を皇太子・女性天皇にすべきという主張を続けてくださった皇學館大學の田中卓先生が、11月24日に亡くなられたというショッキングなニュースが報じられました。心からお悔やみ申し上げます。田中先生にはもっとお元気でいらしていただきたかったし、「愛子天皇」を願う我々の心の師のような存在でした。この一件でかなりガックリきています。
次回は田中先生に哀悼の意を込めて、例の「秋篠宮が天皇になる日」についての先生の論評をご紹介させていただきたいと思います。

「小室氏東宮御所正門通過事件」の後日談記事~親子で責任の擦り付け合い?そして皇室の伝統も一家で軽視する秋篠宮家

今回は予定を変更し、小室氏が東宮御所の正門を通過した例の事件についての「後日談」とも言うべき記事を3つご紹介したいと思います。
親子でみっともなく責任の擦り付け合いを行うだけでなく、小室氏を巡る騒動で、ほかの皇室の伝統行事を軽視した秋篠宮家の酷さがいっそう浮き彫りになっていることが分かります。

まずは週刊文春、次に女性セブンの記事2つを順にご紹介させていただきます。
文春につきましては重要箇所だけ抜粋させていただきます(時間が許せば折を見て全文掲載したいと思います)。

週刊文春 2018年8月30日号

小室さんNY満喫 秋篠宮さまは最終決断 傷心の眞子さまは親友の結婚式をご欠席

(略)
そんな小室さんとは対照的に、秋篠宮家には、以前にも増して重苦しい雰囲気が漂っているという。
宮内庁関係者が語る。
「これまでの秋篠宮さまは眞子さまの結婚に対して、『娘の意志に任せる』と干渉しないお立場でした。しかし、小室さんの母親の借金トラブルや、突然の米国留学などの問題により、秋篠宮さまも『(小室さんに)娘を任せられない』と思われるようになった。来年の御代替わりの前までに決着をつけると“最終決断”に向けてご意志を固めつつあるようなのです」
秋篠宮さまの“最終決断”を示唆する二つの出来事があった。一つは8月4日、小室さんが、渡米前に眞子さまと会うために、赤坂御用地の秋篠宮邸を訪れた時のことだ。
「小室さんは、本来なら秋篠宮邸から最も近い距離にある巽門から入るかと思われ、マスコミ各社も待ち構えていました。しかし、予想外のことに東宮御所正門から入った。本来は皇太子ご一家や天皇皇后両陛下、東宮御所の来賓が通る門であって、東宮と関係のない小室さんが秋篠宮邸を訪れるために使うなど、異例のことです」(同前)
この日、皇太子ご夫妻は全国高校野球の開会式のために兵庫をご訪問され、愛子さまも英国に短期留学中と、ご不在だった。
「マスコミのいない東宮御所正門から入らせると決めたのは、秋篠宮さまだったようで、しかも、皇太子さまには無断でお決めになったようでした。秋篠宮さまとしては、『秋篠宮家と関係を持つ小室さんの姿を、これ以上マスコミに撮らせたくない』という想いをお持ちだったのではないでしょうか。それは、突然留学を決めた小室さんに対して強い不信感を持たれていることの現れです」(同前)

もう一つ、“最終決断”を窺わせるのは、朝日新聞報道だ。8月8日の朝刊一面に、「『納采の儀 現状では行えない』秋篠宮ご夫妻 小室さんに」との記事を掲載したのだ。
「週刊誌報道が先行する中で、これまで小室さん騒動にはほとんど触れてこなかった新聞が、一面に掲載した衝撃は大きかった」
こう語るのはある皇室ジャーナリストだ。
翌9日に行われた宮内庁長官の定例会見では各社から質問が殺到したが、山本信一郎長官は、「事実関係を承知していない」とかわすばかりで朝日記事の内容を否定せず、「必要なお支えをしていく」と言うに留めた。
「記事は無署名でしたが、秋篠宮家と近いとされる、宮内庁担当キャップの島康彦記者が書いたとの推測がもっぱらです。秋篠宮さまに『納采の儀を行わない』、つまりは破談にする、というご意向があり、その話を聞いていた朝日は、小室氏渡米の翌日というタイミングで報じたのでしょう」(同前)
(中略)

一方で、孫娘を思う美智子さまにとっては、秋篠宮さまの“最終決断”は遅すぎるくらいかもしれない。
別の宮内庁関係者が語る。
「美智子さまは、小室さんの件で紀子さまに対して折に触れて『もっと秋篠宮が積極的に行動してくれたらよいのだけれど』とお伝えになっているようです。しかし、いくら紀子さまといえども、秋篠宮さまの行動に意見するのは憚られるようです」
ここまで美智子さまが心配されるのには理由がある。それは、秋篠宮家がこれまでにない非常事態の兆候を示しているからだ。
「どうやら秋篠宮家は、月次和歌を送られていないようなのです」
深刻な表情でこう語るのは、ある千代田関係者だ。
月次和歌とは、平安時代から脈々と続く皇室の伝統文化だ。元宮内庁和歌御用掛の岡野弘彦氏が解説する。
「天皇陛下が月ごとのお題を決められて、皇族の方々は、それに合った和歌を詠み、短冊にしたためるのです。それが陛下のもとに届けられて、ご覧になる。私のような和歌御用掛は皇族の方の和歌を拝見して、より良くなるよう助言をしたり、時にはご自宅まで伺ってご進講をすることもありました」
月次和歌のお題は『本』、『光』など名詞の時もあれば、『重なる』『動く』など動詞のこともある。平成に入ってからの一覧表があり、同じものは二度と選ばれない。毎月、和かを提出するので“月次”と言い、顔を合わせるわけではないが、その催しは月次歌会と称されている。
この月次和歌を秋篠宮家は、最近、提出されていないという。これは大変深刻な事態です。皇族の方々は、普段から簡単に両陛下にお会いすることもできなければ、かといって侍従を介して考えをお伝えするにも限界がある。そんな中、皇族は思いを込めて月次和歌をご詠進し、両陛下は届いた和歌を通じて、その人の気持ちをお知りになる。重要なコミュニケーションツールなのです。秋篠宮家はそれを途絶させてしまっており、皇后さまはそうした状況を大変心配されています」(前出・千代田関係者)
秋篠宮家が月次和歌を提出していないとは本当なのか。和歌御用掛に聞いた。
「秋篠宮家は、ここのところ月次和歌は出されていません。秋篠宮家はやはり色々、皇室の問題があるから…。眞子さまも私的なことでお忙しくて、月次和歌を出されていないのは事実です。私は今年5月から(この職に)就きましたが、今月に至るまで作品を見ていません」
(以下略)

女性セブン2018年11月29日・12月6日号

●眞子さま 小室圭さんと最後にお会いになった時の行為が波紋


婚約が延期となっている秋篠宮家の長女・眞子さま(27才)と小室圭さん(27才)。現在、小室さんはアメリカ・ニューヨークのフォーダム大学ロースクールに留学中だ。
日本とアメリカで離れ離れに暮らすふたり。最後に顔を合わせたのは、8月上旬、小室さんが渡米する直前のことだった。3年間という長い時間を遠距離恋愛で過ごすには、ふたりは若すぎる。お互いの気持ちを確認し合うような最後の挨拶だったのだろう。

実は、そのときに起きたことが、後々、皇室の中で大きな波紋を呼ぶことになったのは、知られていない。
「その夜、小室さんが秋篠宮邸のある赤坂御用地を訪れるという情報は、マスコミ各社も掴んでいました。あるテレビ局は秋篠宮家が小室さんを迎えるために手配した黒いワンボックスカーが、御用地近くの地下鉄の駅の出口で小室さんを拾うところも撮影していました」(皇室記者)
ところが、車でほんの数分の距離なのに、赤坂御用地の「巽門」で待ち構えるメディアの前に、小室さんを乗せた車がなかなか姿を見せない。巽門とは、6つある御用地の門のうち秋篠宮邸に最も近い通用門のことで、宮邸の訪問者のほとんどがこの門を通る。
「皇室記者たちが気づいたときには、すでに小室さんは秋篠宮邸に入っていました。驚いたことに、小室さんの乗った車は『東宮御所正門』から赤坂御用地に入ったのです。その門は、皇太子ご一家が暮らす東宮御所近くにある門で、天皇皇后両陛下や東宮御所の来賓など、ごく限られた人だけが使うことができます。赤坂御用地の中でも最も格式の高い門で、秋篠宮ご夫妻であっても、よほどの理由がない限り、この正門を使うことはないそうです」(皇室ジャーナリスト)
その日、皇太子ご夫妻は夏の甲子園の開会式に出席されるために兵庫県に出かけられており、愛子さまもイギリスに短期留学中。天皇皇后両陛下も公務のために北海道を訪れられていた。

そんな“主人不在”の御用地の正門を、小室さんは誰の許可で通ったのか。
「当初は、マスコミの目を避けるために秋篠宮さまが判断されたものと思われていました。ところが実際は、眞子さまが自ら警備に頼み、正門を通らせたそうです」
(前出・皇室ジャーナリスト)
それを知った秋篠宮ご夫妻は大きな衝撃を受けられたという。しかし、娘を刺激したくないご夫妻はその件について沈黙を守り、また、事情を知った皇太子さまも静観されていたそうだ。
宮内庁関係者の一部でも、“眞子さまのお立場で、いくらフィアンセのためとはいえ、そこまでしていいのか”という声が聞かれました。眞子さまにそのことをはっきりと注意されたのは、美智子さまだったそうです。
両陛下、皇太子ご一家がご不在のときに、お立場にふさわしくない門を使って、人目を忍んで招き入れるようなことは、どのようなときも堂々とされてきた美智子さまにとって、心を痛められた出来事だったのでしょう」(別の宮内庁関係者)
恋に浮かされることは、誰しもが経験する。ただ、“われを忘れる”のは危険なことでもある。自分のことを思い、指摘してくれる人がいることは、幸せなことだろう。
(終わり)

●美智子さま 眞子さまに優しく諭すような言葉で「厳重警告」

小室圭さん(27才)との婚約が延期となっている秋篠宮家の長女・眞子さま(27才)。小室さんは現在、アメリカ・ニューヨークのフォーダム大学ロースクールに留学中で、ふたりは日本とアメリカで離れ離れに暮らしている。

そんな眞子さまに対し、美智子さまは従来、“静かな環境で結婚について考えてほしい”と直接、結婚の話をされなかった。しかし、来春の天皇譲位にともない、秋篠宮家が皇太子家と同待遇の「皇嗣家」になり、眞子さまがその皇嗣家の長女となることを、重く受け止められておられるという。
「皇嗣となる秋篠宮さまには、兄の新天皇をしっかり支えることを望まれ、皇嗣家にも、担い手の減る公務にこれまで以上に熱心に取り組むことを期待されています」(宮内庁関係者)
だからこそ、小室さんを正門から招き入れた“事件”についても直接、注意をされたようだ。この件は、今年8月、小室さんと眞子さまが最後にお会いするにあたり、マスコミを避けるためか、赤坂御用池で最も格式高い『東宮御所正門』を使用し小室さんを赤坂御用地に入れるよう眞子さまが警備担当に依頼したのだ。この門は秋篠宮ご夫妻であっても、よほどの理由がない限り、この正門を使うことはないのだという。
「10月23日、眞子さまの誕生日に御所で昼食を共にされた際も、“物事には一つひとつ手続きがあって、その一つひとつを丁寧にこなしていくことが大事”といったお話をされたそうです。おそらく、眞子さまが人の話に耳を傾ける余裕を持ちはじめたという判断もされたのでしょう。眞子さまを諭すように優しくお話されたようですが、周囲からすれば、それは“厳重警告”に他なりません。眞子さまももう一度、皇嗣家の長女としてのご自身の立場を見つめ直してくださるとよいのですが…」(前出・宮内庁関係者)
秋篠宮ご夫妻は、結婚の決断について、眞子さま本人の意思を尊重する考えに変わりはないようだ。そんな中での美智子さまの言葉は、眞子さまにとって何よりも重く感じられたことだろう。

11月12日、「ホテルニューオータニ」(東京・千代田区)の宴会場「鳳凰の間」で、先日結婚した高円宮家の三女・絢子さんと守谷慧さんのお祝いのお茶会が開かれた。招待客は約400人。石原伸晃衆院議員が乾杯の発声を務め、外国大使らが出席し、会の最後は守谷さんの父親の挨拶で締めくくられた。
「内親王の眞子さまは、絢子さんよりも皇室内の序列では格が上です。眞子さまの結婚行事は、さらに盛大に、かつ格式が上がります。(借金問題などを抱える)小室さんの母・佳代さんがそうした舞台で挨拶をすることが、想像できるでしょうか。皇室中枢のかたがたの中では、眞子さまの結婚の趨勢は、ほぼ決まっているように感じます」(皇室ジャーナリスト)
眞子さまの強いお気持ちが、揺らぐことはないのだろうか。来る11月30日は、秋篠宮さまの53才の誕生日だ。
「誕生日の会見で、秋篠宮さまは事前に宮内庁記者クラブが提出した5つの質問に答えられます。そのうちの1つが、眞子さまに関することだそうです。今年はどのように答えられるのか、注目が集まっています」
(皇室記者)
結婚を巡っての騒動は、秋晴れが続くニューヨークにも、伝わっているのだろうか。
(終わり)

さて、小室氏の東宮御所正門通過事件については、当ブログでも過去に書かせていただいたことがありました。

東宮ご一家が全員ご不在の間に小室圭氏が東宮御所正門を通って秋篠宮家へ行っていた!秋篠宮家と小室氏の序列破り・しきたり無視に怒り心頭です!そして東宮ご一家の安全は…

詳細は上記記事をお読み頂けると幸いですが、この当時は「小室氏に東宮御所の正門通過を許したのは秋篠宮ご夫妻」と書かれていました。
そしてその次に出た上記文春記事でも、「小室氏を通したのは秋篠宮様だった」と書かれています。
ところが、最近出たセブンの記事では、「あれは秋篠宮ご夫妻(秋篠宮様)ではなく、眞子様が勝手に判断したことだ」という内容に変えられていました。

私はこの部分に違和感や不自然さを覚えました。
そもそも、たとえ「秋篠宮ご夫妻(もしくは秋篠宮様単独)が勝手に東宮御所正門通過を小室氏に許した」ということが誤報だったとして、「実は眞子様が勝手に小室氏を通してしまった」ということが事実だとしても、それでも秋篠宮ご夫妻の責任がなくなることは絶対にありえないでしょう。セブン記事にも「眞子様を刺激しないために静観してしまった」と書かれているわけですから。
そして秋篠宮一家はこのような重大問題を起こしたにも関わらず、眞子様が美智子様から“お叱り”を受けただけで終わり、その後、秋篠宮一家が東宮ご一家に直接謝罪に出向いたなどの続報がまったく聞かれません。もしそういうことがきちんとあったのなら、そのことも記事に書かれるはずです。しかしそれが書かれていないということは、秋篠宮家は東宮家にはまったく謝罪をしていないのだと思われます。「美智子様に叱られたからまあいっか」で終わらせてよい問題ではありません。
秋篠宮家が行ったことは明らかな序列破壊であり、次代天皇家に対する謀反と考えてもいい案件です。
美智子様が眞子様を叱ったから~とか、皇太子殿下も見逃してくださったから~では済まされない問題です。


そして私には、上記小室氏通過問題が、どうも秋篠宮家の親子間での責任の擦り付け合いにしか見えないのです。
当初は「秋篠宮ご夫妻」あるいは「秋篠宮様(単独)」の独断で東宮御所の正門が開けられたと記事にされています。秋篠宮家に関するニュースはたいてい後からコロコロ内容が変わり、不都合なことは当初の報道内容と違う形で報じ直されることが非常に多いと感じます。この案件も一緒で、私は最初に報じられた「秋篠宮ご夫妻(あるいは秋篠宮様単独)」の判断だった」という内容こそが正しいのではないかと感じています。
次代で「皇嗣」とやらになる秋篠宮様に、これ以上“序列破壊”の“汚点”を残すわけにはいかない、それならここは小室氏を諦められない眞子様ご自身に責任を負ってもらいましょう…ということで話の内容を「変えられた」ような気がしてなりません。要するに次代「皇嗣」とやらになる秋篠宮様の立場を守り、小室氏に現を抜かして両親や両陛下とギクシャクしている眞子様を切り捨てるという判断が働いているように思えてなりません。
あるいは、仮に本当に眞子様の勝手な判断で門を開けさせたことが真実だったとしても、秋篠宮ご夫妻は娘を庇うよりも、娘を「差し出す」ことを選んだと言えます。当初の「秋篠宮ご夫妻(あるいは秋篠宮様単独)の判断」という報道内容のまま、「悪いのは我々でした」と親として娘を守る態度を貫かず、「あれは娘が勝手に…でも我々は娘を刺激したくなくて静観してしまって…」という言い訳を始めた、と。
いずれにせよ、東宮御所正門を勝手に開けさせたことについて秋篠宮ご夫妻の責任がなくなるなんてことはあり得ませんし、最後まで娘を守らず「実は悪いのは娘でした~」と態度を翻した秋篠宮ご夫妻は、最低最悪の親だと思います。

この件に関しては秋篠宮家は一刻も早く、東宮家に直接謝罪に出向くべきです。たとえ美智子様が「私が眞子に注意するからそれで勘弁してあげてちょうだい」と仰っても、それとこれとは話は別です。むしろ、美智子様、あるいは陛下の方から「後で東宮家に謝罪に行きなさい。それがけじめです」と言うべき案件です。

ところで、上記文春記事は、非常に興味深いことを書いています。それは、朝日新聞の島康彦記者が、秋篠宮家と近しい間柄であることを暴露し、秋篠宮家が島記者を通じて報道をコントロールしていることを示唆している箇所です。
秋篠宮家がNHKや朝日などマスコミとズブズブの関係にあるのは言うまでもありませんが、こうして明確に「島康彦」と個人名が書かれることは重要なのではないでしょうか。NHKに関しても「橋口和人」記者という具体的な名前が挙がったことがありますが、秋篠宮家はこうしてマスコミと懇意の人間を作って報道を操っているという事実が改めて明らかにされました。

そして文春は更に、秋篠宮家が自分たちのゴタゴタのせいで「月次和歌」という皇室に伝わる伝統文化すら疎かにしているという事実も突き付けています。この一件からも、秋篠宮家が皇室の伝統や文化などまったく大事にしない方々であることが分かってしまうというものです。
雅子様のご病気が重かった頃、東宮家がこの「月次和歌」の伝統を疎かにしたという記事は出てこなかったように思います。仮に雅子様が和歌を提出できない時も、皇太子殿下だけでも必ず和歌を提出するようになさっていたのでしょう。あるいは雅子様はご病気でも、「月次和歌」だけは毎月きちんとお出しになっていたと考えられます。
いずれにせよ東宮ご夫妻は、たとえ厳しく苦しい状況においても、この文化を疎かにしたことは一度もなかったのだと言えます。

一方秋篠宮家は、騒動の最中にある眞子様本人だけでなく、両親の秋篠宮ご夫妻や無関係の佳子様ですら、和歌の提出を「サボって」いるようですね。これは明らかにご一家全員おかしいですよ。眞子様は出せなくても、秋篠宮様、紀子妃、佳子様の誰かは出せるはずでしょう。それなのに全員和歌を提出していないとはどこまで厚顔なのでしょうか。
この件では陛下が厳しくお叱りにならなければおかしいですし、宮内庁関係者や皇室ジャーナリストからも「秋篠宮家は皇室の伝統文化を軽んじている!」という批判が起きなければおかしいです。
東宮ご夫妻にはあれだけ「皇室の伝統が~文化が~」と口うるさく言っていたのですから、秋篠宮家に対しても同じことをしてくださいよ。

また、セブン記事は最後に秋篠宮様の11月30日のお誕生日会見についても触れていますが、最初から質問事項が5つに絞られているという何たる茶番っぷり。これでは当日いきなり秋篠宮様に厳しい質問をぶつけることなど難しくなりますし、国民が知りたいと思うこともほとんどスルーされてしまう恐れがあります。
こんな最初からデキレースと分かっている会見をやる意味がどこにありますか?

秋篠宮様に厳しく凸できる気骨のある記者はいないのですか?

結論として、秋篠宮一家の酷さがますます明らかになっただけですね。
もう何をやってもこの一家が浮上できることなどないのではありませんか?

保阪氏「秋篠宮が天皇になる日」の仕掛け人?強いて言えば…あの方々?

前回は保阪氏の無駄に長い「秋天」論文を抜粋する形でご紹介させていただきましたが、この論文を巡って新潮が関連記事を出しています。今回はその記事をご紹介したいと思います。皇太子ご夫妻を取り巻く環境の酷さに改めて気付かされます。

週刊新潮 2009年1月29日号

[特集]皇太子を追い詰める「秋篠宮天皇」記事の「仕掛け人」


昨年来の宮内庁高官による相次ぐ「苦言」で、天皇陛下との“深い溝”が取沙汰される皇太子殿下を、新年早々、さらに追い詰める記事が出た。それはナンと「秋篠宮天皇」をタイトルに冠したものだったが、囁かれるのは背後にいるという「仕掛け人」の存在…。

1月2日に行われた新年恒例の一般参賀。昨年来、体調を崩されている陛下のご負担を考慮し、今年は皇族のお出ましが例年の7回から5回に減ったが、雅子妃は6年ぶりに、そのすべてに参加。7万6000人の参賀者に明るい笑顔で手を振られた。
続く7日には、皇居での「昭和天皇二十年式年祭の儀・皇霊殿の儀」に皇太子ご夫妻で揃って参加、拝礼され、雅子妃は5年4カ月ぶりの宮中祭祀を無事、お務めになっている。
「体を清めた後、古装束をお召しになり、髪をおすべらかしに結っての、寒い場所での長時間にわたる儀式。大任を立派に果たされたと思います」(宮内庁記者)

かくて東宮関係者がホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、問題のその記事は世に出たのである。
月刊『文藝春秋』2月特別号(1月10日発売)、総力取材と銘打った全17ページの目玉特集は、題して、
<秋篠宮が天皇になる日>
実に“刺激的”なのだ。
なぜなら、皇位継承権2位の秋篠宮が即位するのは、今上天皇のご在位を経て、次代を継ぐ皇太子もお亡くなりになった時の、遥か先の話。このタイトルが、そうした2代にわたる天皇の「崩御を織り込んだ」挙に出たものでないとするならば、次のようにしか読めないからである。
「解釈できる意味は“次は皇太子さまではなく、秋篠宮さまが天皇になる”。それが普通の人の読み方だと思います」(皇位継承問題に関する著作の多い八木秀次・高崎経済大学教授)


さて、ノンフィクション作家、保阪正康氏の筆になるその論の内容はといえば、ざっと以下の通りだ。
昨年2月、羽毛田信吾・宮内庁長官は、皇太子一家が天皇・皇后のもとへ参内する回数が増えていない、と記者会見で苦言を呈したが、背後に天皇の強い不満があることは明らかである。
秋篠宮は11月の誕生日会見で、羽毛田長官のその発言に触れ、
「(皇太子が)自分の発言したことを大切にしてほしいということ、それが一番の趣旨だったと私は理解しております」
と述べられた。そこには、天皇の意思が強く反映されているとの宮内庁関係者の指摘があるように、皇室内での秋篠宮の存在は大きくなっている。
かねて問題となっている天皇の公務軽減についても、秋篠宮は平成18年の誕生日会見でいち早く言及したが、皇太子は昨年2月の誕生日会見でようやく、
「周囲が考える必要があると思います」
と語ったのみ。いかにも優等生的な発言だが、具体的なことは何も言っていない。参内問題などについて「プライベートだからコメントしない」で押し通す姿勢も疑問で、そこからは何の展望もうかがえない。
戦争をテーマにした近年の秋篠宮の活動にも、天皇・皇后の志を継承しようとする姿勢が見て取れる一方、皇太子の言からは、明治より平成にいたる時間の流れに自らも連なるという感覚が伝わってこない。
渡辺允・前侍従長(現・侍従職御用掛)が言うように「秋篠宮殿下は大きく成長」し、「思慮深く」「視野が広く」なった。両陛下と皇太子夫妻の間に深刻なコミュニケーション不全がある中、その役割はますます重要なものになっている。
だが、これを読んで、前出の八木教授は肩透かしを食わされた思いになったというのである。

◆両陛下側近らの焦り

「タイトルを見て、皇太子さまの廃嫡や皇位継承順位の変更、または秋篠宮さまが次期天皇に向けて強い決意をなさっているとの逸話などが書かれているのかと期待したのに、中身は“皇太子よりも秋篠宮のほうがいい”という議論ばかり。先日、文春の役員とも話をしたのですが、彼も渋い顔で“羊頭狗肉だ”と評していました」(八木教授)
確かに、秋篠宮が天皇になる日、と謳ったタイトルと記事内容が、大きく乖離している感は否めないのだ。

しかし、どうして今、このような「秋篠宮のほうがいい」といった「皇太子批判」の論文が登場するにいたったのか。
背景には、両陛下の側近らが抱く、強い焦りがあるという。
皇室ジャーナリストの神田秀一氏が解説する。
「癌を患われた天皇陛下は昨年、体調不良を訴えられました。皇后陛下もご心労から一昨年、腸壁から出血し、短期の静養をとられています。さらに皇太子殿下も腸にポリープが見つかるなど健康に不安が残り、悠仁さまのご誕生で皇室典範の改正議論が下火になったせいもあて、皇室の将来が見通せる状態にありません。両陛下は、次の世代の皇室がどうなるのか、皇統の問題に心を砕いておられる。ご心痛は強まるばかりだと思われるのです」
そうした両陛下の「心の痛み」を日ごろ、傍で感じ取っている側近たち。
「彼らこそ記事の仕掛け人だと言われています」
と指摘するのは、さる宮内庁関係者だ。

現実に、両陛下に仕える宮内庁高官から、昨年、陛下の胸中を代弁する言葉が相次いで飛び出した。それらはいずれも、今回の記事と符合するような、皇太子に向けられた苦言と受け止められている。まずは昨年12月9日、金澤一郎・皇室医務主管が、不整脈の落ち着いた天皇陛下の胃や十二指腸に炎症が見つかったことを発表した際、こう語って記者団を驚かせた。
「おそらく私の立場で初めて口にするのだと思いますが、陛下はご心労、ご心痛をじっと耐えていらっしゃるというのが私の印象です。陛下のご公務が忙しいから、日程が詰まっているからという理由でこんなことになるんだとは、単純に考えないで欲しい」
さらに、その2日後、今度は羽毛田長官が、
「天皇陛下はここ何年か、常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題をはじめ、皇室にかかわるもろもろの問題をご憂慮なさっているご様子です」
と述べ、千代田(皇居)と赤坂(東宮)との間の深い溝が露呈した、いや、両者の戦争勃発だ、などと書き立てられたのである。
「天皇のこうしたご憂慮は、他の幹部らにも広く共有されています」
とは、宮内庁記者。
「例えば、雅子妃のご病気の治療に東宮侍医でも東宮職御用掛でもない大野裕・慶応大学教授があたっているという問題があります。そのせいで皇室医務主管が雅子妃の健康管理にタッチできず、ひいては皇太子の定期検診にも関与できないという事態をも招いてしまった。羽毛田長官は会見で、両陛下がそのことを非常に心配している旨、明らかにしましたが、文藝春秋の記事にコメントを寄せている渡辺前侍従長もまた、その点に強い憂慮の念を抱いている1人なのです」

◆厳しい意見は「当然」

宮内庁関係者が話を引き取って、こう続ける。
「天皇陛下のお心の内を代弁する金澤さんや渡辺さんのシンパは、宮内庁詰めのベテラン記者の中にもいます。その方は、誕生日の会見で東宮さまが雅子さまや愛子さまのことばかり語られることに“これで次の天皇として大丈夫だろうか”とハッキリ疑問を投げかけるなどしています」
宮内庁の最高幹部から、果てはベテラン記者までもが「皇太子批判派」であるという現実。
それを考えるならば、両陛下の側近たちが「秋篠宮天皇」記事の仕掛け人としてその背後に控え、皇太子を追い詰める役割を演じたとしても決して不思議ではない。

ところで、当の文藝春秋の記事は、昨年9月頃から取材がスタートしたという。
執筆者の保阪正康氏はこう語る。
「今回の記事の趣旨は簡単で、決して秋篠宮に天皇を譲るべきだとか、そうしたことを主張するものではありません。ちょうど「大正天皇の次男で、昭和天皇の弟にあたる」秩父宮の伝記を書いているところだったので、文春のデスクに“皇太子の弟”論をやりたいと持ちかけましてね。それって面白いんじゃないのということで、記事にすることになった。だから、あくまで“次男の物語”を書いたつもりなんですよ」
さらには、
「前々から予定していた原稿ですので、(年末に公にされた)天皇のご病気とは関係がありませんし、何か宮内庁で具体的な動きがあるから、というものではないのです。メディアや一般読者の方からも問い合わせがあって、“どんな背景があって書いたのか。これは皇太子への批判なのか”と聞かれましたけれど、まさかそのようなことを申し上げる立場ではない。私の“次男論”に編集部が追加取材をしたまで。渡辺さんにも編集部が取材してくれました。あのタイトルもつけてもらったものなんです」
保阪氏は、とりたてて背景めいたものなどない、と説明するのだ。
そこで、皇太子に批判的だという、記事の仕掛け人と名指しされている人たちに質してみた。
すると、皇室の医務に携わる、さる幹部は、
「誌面で僕は一切コメントしていないでしょう。全然関係などありませんよ」
と、記事との関りを否定しながらも、皇太子に対する厳しい意見がその中で展開されていることについては、
「当然のことでしょう」
と言い切った。

また、別の宮内庁幹部の反応は、
「私が何かアドバイスしたとか、そんな事実はないですよ。ただ、タイトルを見て“おっ”とは思いました。あれは読者にしてみると、刺激的かも知れない。けれど、秋篠宮さまが天皇になるというのは、皇位継承順位から言ってあり得ること。ある意味、間違っているわけじゃないですからね」

いずれもご覧の通り、記事のタイトルや内容については、肯定的な立場であることを隠さないのだった。

◆「王冠を捨てた恋」

年明け早々、月刊誌を飾った、皇太子との比較における「秋篠宮礼賛」原稿。そして、両陛下の側近たちさえもがそれを支持し、皇太子への批判を是認するという現状。
これはは果たして、今の東宮家に、どのように映っているのだろうか。
「千代田が赤坂に対して向けられる厳しい言葉に、とりわけ雅子さまは敏感です。それらがすべて自分に向けられたものだとお考えになる。でも、反論はできない立場だ、とも思い悩んでしまわれるのです。かつて、皇太子さまの“雅子の人格を否定する動きがあった”との発言が物議を醸したことがあり、あれ以来、雅子さまは、皇太子さまの“積極的な発言”をお望みではないようなのです。皇太子さまは常に雅子さまを尊重なさる方ですから、ご夫妻ともに、あえて“貝になる”道を選択なさるのではないでしょうか」(東宮関係者)
皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏も、まったくこれと同意見だ。
「皇太子さまは、これまで宮内庁幹部の会見で自らへの厳しい意見が述べられてきたにもかかわらず、何も反応を示されてこなかった。今回も“ここまで容赦ない視線を向けられているのか”との危機感は抱かれるでしょうが、あくまで沈黙を保たれるのではないかと思います
しかし、と続けて、
「その結果、東宮の孤立化がさらに進み、皇居との断絶が決定的になってしまう可能性も十分にあります。そのことをまさに、両陛下は最も危惧なさっているのです」
もちろん、皇太子がどのような姿勢をとられようとも、皇位継承権1位の御身であり、「今上天皇から帝王教育を受けている、ただ一人の方」(高橋紘・静岡福祉大学教授)であることに変わりはない。
だから、「次の天皇は皇太子でなく秋篠宮」などという事態は起こりようがないわけだ
が、
「孤立感を深めた皇太子さまが“雅子のために”と皇籍からの離脱を望まれたらどうするのか。皇室典範では皇太子は皇籍離脱できないため、典範の改正が必要です。が、もし離脱などという話になれば、それこそ民間の女性と結ばれるために王位を捨てたエリザベス女王の伯父、故エドワード8世の“王冠を捨てた恋”と同じことになってしまいます」(前出・松崎氏)
追い詰められているのは、皇太子ばかりではない。
「秋篠宮さまが次の天皇になるなどという議論は、かえって秋篠宮さまにプレッシャーにならないかと危惧しています」(皇室レポーターの高清水有子さん)
そして…、
「秋篠宮殿下の性格からして“兄に申し訳ない”ともお感じになるはず。ご兄弟の対比と、それが招く状況がまた、天皇のさらなるご心痛の種となってしまう」(元宮内庁職員で『皇室手帖』編集長の山下晋司氏)
皇室の懊悩。それは、かくも深いという以外ない。
(終わり)


上記記事に関しては色々な登場人物が出てきますが、基本的に両陛下や秋篠宮家と懇意にしているメンバーばかりであり(高橋紘氏ですら過去に東宮ご夫妻について若干厳しいことを言っていたことがあります)、東宮ご夫妻に味方する人が一人も出てこないことに不自然さを感じざるを得ません。さすがに「皇太子ご夫妻に味方する人や同情する人は皆無だから」という言い訳は通用しないでしょう。こういったところからも皇室報道の偏りや歪みが感じられますよね。

さて、上記記事でまず注目すべきは、「秋天」論文を書いた保阪氏自身が「あれはただの“次男坊・弟物語”にすぎないのであって、秋篠宮様に皇位を譲るように皇太子殿下に促したり、皇太子殿下を批判したりする要素はない」と言い切っていることです。
保阪氏自身も言い訳している通り、あの論文を巡ってかなりの数の抗議や疑問が彼の元に行ったのではないかと推測します。だから慌てて「いや、そんな意図じゃなかったんだけど;;;;;」と必死に取り繕っているように見えなくもありません。

また、東宮ご夫妻に批判的なメンバー(故金澤医師、羽毛田元長官、渡辺允氏、その他宮内庁関係者)も、自分たちはあの記事に一枚噛んでいるわけではないと言いつつ、皇太子ご夫妻に批判的になるのは「当然」としています。

わたしは保阪氏の「秋天」記事が、何の意図を持たずにただの「次男坊・弟物語」としてだけの意味で世の中に送り出されたとは、どうしても思えないのです。百歩譲って「秋篠宮様に皇位を譲るべきだ」という意味はなかったと捉えても、全体的に皇太子殿下サゲ、秋篠宮様アゲの内容だった点を考えると、やはり「皇太子殿下はやはり駄目だな、秋篠宮様に期待したい」という世論が湧き起こるのを狙ったとしか考えられません。ただの「物語」にしては方向性が一つに定まりすぎていると思うのです。
しかし、保阪氏や両陛下・秋篠宮家シンパたちの企みとは真逆に、世間からは「あの論文は何だ、皇太子殿下に失礼だろう!」という批判が湧き起こる結果となったのでしょう。だからこそ保阪氏は弱気になり、両陛下や秋篠宮様の側近(お取り巻き)たちも逃げるように「自分は関わっていない」と言いつつ、「でも東宮ご夫妻には批判が起きて当然だ!」という捨て台詞を吐かなければ気が済まなかったのだと予想します。

特に今は亡き金澤医師ですが、雅子様の主治医である大野医師に対して一番不満を抱いていたのが、この人だと思います。皇室医務主管という立場にありながら東宮家に信用されず(金澤氏の自業自得ですが)、外部から主治医を連れてきていることに対する不満です。
皇室医務主管として自分が雅子様のご病気を診ることができれば、金澤氏は病状を両陛下に報告しようと企んだのかもしれません。何回も言及しますが、今の宮内庁職員は、両陛下の指示により動き、両陛下のお気持ちを代弁しています。恐ろしいことですが、両陛下は宮内庁職員を手足のように使い、まるでスパイのような行動をさせているように見えるのです。
だからこそ東宮ご夫妻は非常に警戒し、それにより孤独や孤絶感をいっそう強めざるを得ない状況に陥っているのだと言えます。

上記記事も触れていますが、皇太子殿下は「人格否定発言」により、両陛下、秋篠宮ご夫妻、宮内庁職員、マスコミなど、あらゆる界隈から大きな批判を受けました。保阪氏は「皇太子殿下は平板で無機質な発言が多くてね~」と言いますが、「人格否定発言」のような踏み込んだ深いご発言をなさっても皇太子殿下は批判を受けたのです。あのたった一度のご発言だけでここまで言われてしまうのだから、皇太子殿下が慎重になってしまうのは致し方ないでしょう。
ご自分の言葉で深い発言をしても「あの真意は何だ!」と叩かれ、言葉に気をつけても「無機質でつまらん!」と言われる。
皇太子殿下は一体どういうお言葉を述べればいいのでしょうか。
まるで●クザのイチャモンレベルですよ。

ところで、上記記事はある意味非常に「面白い」コメントを引き出しています。
八木秀次氏のコメントに注目してください。

>解釈できる意味は“次は皇太子さまではなく、秋篠宮さまが天皇になる”。それが普通の人の読み方だと思います

>タイトルを見て、皇太子さまの廃嫡や皇位継承順位の変更、または秋篠宮さまが次期天皇に向けて強い決意をなさっているとの逸話などが書かれているのかと期待したのに、中身は“皇太子よりも秋篠宮のほうがいい”という議論ばかり。先日、文春の役員とも話をしたのですが、彼も渋い顔で“羊頭狗肉だ”と評していました

これは八木氏はとんでもない問題発言をしていると解釈してよいでしょう。
皇太子殿下の廃嫡を希望し、秋篠宮様に皇位を移すべきだという、謀反と捉えられても仕方ない発言内容なのですから。

八木氏は「男系男子カルト」の急先鋒みたいな立場の人です。それなのに、「まごうことなき男系男子で皇位継承が確定している」皇太子殿下を全く敬わずに、正統性のない弟宮を担ぎ上げようとしているのです。これは明らかにおかしいと思いませんか?
日本会議系を始めとする男系男子カルト連中は、こうして正当なお世継ぎである皇太子殿下を貶め、秋篠宮様と悠仁様を持ち上げるということを何回も繰り返してきました。もはや「男系男子維持」などどこに行ったやら、そこにあるのはただの「秋篠宮家バンザイ主義」でしかありません。
たとえ皇太子殿下に男子のお子様がいなくても、まずは正当な皇位継承者である皇太子殿下に敬意を払わなければ筋が通りません。しかし「男系男子カルト」たちは、男系男子である皇太子殿下をこうやって批判しており、廃嫡まで願う始末なのです。彼らのこういう一貫しない言動を見て、男系男子派のいうことなど信用できますか?
八木氏をはじめ「一貫性のない男系男子カルト」たちの発言には、もっと別の裏の意図があることを肝に銘じるべきなのです。


あと、秋篠宮家のお抱えレポーターである高清水有子氏や山下晋司氏も何か言っていますが、あの秋篠宮様が皇太子殿下に「申し訳ない」なんて感じることはありえないでしょう。昔から「兄貴ばっかりズルイ!」という妬み・僻み・嫉みだけで生きてきた弟ですよ。「これで兄貴を出し抜いてやったぜ」という認識はあっても、「兄貴に申し訳ない」なんて思う心は持ち合わせていないでしょう。「兄貴の大嘗祭に公金なんか使うなよ」と言ったり、東宮ご一家がお留守の間に勝手に東宮御所の正門を使うような人ですし。

あとどうでもいいことですが、マスコミ(特に新潮)は東宮ご夫妻の深い絆と愛情を「王冠を賭けた恋」のあの話とつなげることがよほど好きみたいですねえ…正式なご夫婦である東宮ご夫妻と、王位継承者と人妻のスキャンダルだったあの話を一緒くたにしたがる理由は何なのでしょうか?

結論から言えば、「秋天」論文の仕掛け人は、敢えて言えば「(秋篠宮様が可愛い)両陛下」だろうと思います。
側近やマスコミの口を利用してここまで東宮ご夫妻に対する不満を口にする両陛下が、ご自分たちだけ知らんぷりすることなどもはや通用しないですよ。それとも最後まで側近やマスコミにすべての責任を負わせて、ご自分たちだけ聖人面して逃げるつもりですか?

次回は、保阪氏の「秋天」論文について、鋭い批判を行ってくれた田中卓氏の著作をご紹介したいと思います。
気持ち良いくらいに保阪氏をメッタ切りにしてくれていますよ。

Twitterを始めてみました…

告知が遅れてしまい誠に恐縮ですが、Twitterを始めてみることにいたしました。
今年6月にアカウントだけ作ってはみたもののその後長らく放置してしまい、10月下旬からようやく過去記事のご紹介を行う運びとなりました。
何となく気恥ずかしくて「告知どうしよう…?」としばらく考えてしまいました;
既に多くの方々がフォローしてくださり、嬉しい限りです。大変ありがとうございます。
ブログの更新が滞りがちで誠に申し訳ありませんが、少し急ぐように頑張りたいです。

秋篠宮家の実態をもっと多くの方々に知っていただければ…と思います。
今後も何卒宜しくお願い申し上げます。

「秋篠宮が天皇になる日」というくだらない「次男坊物語」

今回は、東宮ご一家バッシング&秋篠宮家アゲアゲキャンペーンの一環として書かれたであろう、保阪正康氏の「秋篠宮が天皇になる日」という記事をご紹介したいと思います。

この記事の紹介方法については、少し悩みました。なぜかというと
▼無駄に長い。
▼「秋篠宮様アゲ、皇太子殿下サゲ」の内容なので全文手入力する気力が起きなかった。
▼全文引用したところでこの記事の真の目的が何なのかいまいち掴めなかった(秋篠宮家支持派からも不満が出たくらい)。

などの理由から、この「秋篠宮が天皇になる日」に限り、当ブログが目的とする「全文引用」という形をとらず、必要だと思われる箇所を抜粋するという形式を取らせていただきました。
部分抜粋でもそれなりの分量になりましたし、当該記事が「秋篠宮様をアゲたい、皇太子殿下をサゲたい」という趣旨なのは十分お分かりいただけるかと思います。

文芸春秋 2009年2月号

総力取材 秋篠宮が天皇になる日

異例の誕生日会見中止。天皇の心痛と怒りの核心は?
未曾有の危機に浮上する皇位継承ナンバー2―

保阪正康(ノンフィクション作家)


ちなみに小見出しは下記のようになっています↓
◆秋篠宮会見の意味
◆「公務軽減」をめぐって
◆「傷ついた」の応酬
◆弟宮の宿命
◆「人格否定発言」で一変
◆「戦争」をどう継承するか
◆学問と王の孤独
◆「天皇」の父として



以下、皇太子殿下に対するネガティブ文章、秋篠宮様に対するアゲ文章を抜粋しつつ、検証を加えていきたいと思います。

>記者から寄せられた質問の中に、皇太子の参内問題に関するものがあった。そしてこの問題こそ、ここ数年の天皇と皇太子の間の深い亀裂を象徴するものだったのである。

>昨年の2月、羽毛田長官は、皇太子一家が天皇・皇后のもとへ参内する回数が増えていない、と記者会見で苦言を呈し、世間を驚かせた。宮内庁長官が独断で皇太子を批判することは考えられない。その背後に、天皇の強い不満があることは明らかだった。

宮内庁(長官)が独断で勝手に皇族批判など行えるわけがない。羽毛田長官は明らかに天皇陛下(両陛下)のご意思を受けて、陛下になり代わって公の場で堂々と皇太子殿下に苦言を呈したのです。なぜ直接皇太子殿下に「もっと参内してよ」と言えないのでしょうか。長官の口を借りなければ苦言を言えない陛下にウンザリするのです。

>会見で秋篠宮は、参内について「必要なことについて話をして、その事柄についてみんなで意見交換を行ったり、話合いをしたりする場所」と述べているが、まさにこれこそが、天皇と皇太子の間に欠けているものだといっていい。

秋篠宮様は次男坊ですから、お気楽なお立場で色々言えますよね。こうやって自分の立場のお気楽さを棚に上げて、「もっと参内しなきゃダメじゃーん」と言える弟様のマウント取りは心底不愉快です。

皇太子は「御所に参内する頻度についてもできる限り心掛けてまいりたいと思っております。家族のプライベートな事柄ですので、これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと思います」と答えるばかりだった。こうした皇太子の態度に、天皇は強い怒りを抱いているとも考えられる。

皇太子殿下は「身内で起きていることを世間に詳しく説明するまでもない」という姿勢でいらっしゃるだけです。そういう姿勢に対して怒る陛下の方がおかしいのではありませんか?そんなに身内のもめ事を表に晒したいのでしょうか?それで恥をかくのは陛下かもしれないのに。

>ある宮内庁関係者は指摘する。「いま秋篠宮は両陛下と最も近く意見を交わす存在。天皇は、秋篠宮に誕生日会見で参内問題について、皇太子に対し踏み込んだ発言をして欲しい、と求めたといいます。しかし秋篠宮は、そこまで言うべきではない、として、参内問題に言及はしたものの、羽毛田発言をなぞるにとどめた。
>皇太子の参内問題への思いを、自分の失敗譚にうまくすり替えているところに、秋篠宮の配慮がうかがえます・・・


※秋篠宮様の会見部分抜粋

>「羽毛田長官が今年(2008年)のはじめに発言したことは、参内の回数ということも言っていましたけれども、自分の発言したことを大切にしてほしいということ、それが一番の趣旨だったと私は理解しております。そのことから言うと、私も小さいことも含めて、あまりこれは言いたくないのですけれども、いろいろと頼まれて…
>「安易に引き受けて、その後、間に合わなくて周りの人に迷惑をかけていることが、多々あるわけではありませんけれども、ときとしてあります。そのような自分自身のことを考えますと、自分が言った言葉を大切にするということは、私自身も心しておかなければいけないなというように思います。・・・


秋篠宮様は「陛下にこう言うように色々頼まれた」と答えてしまっています。陛下は長官のみならず、次男坊の口まで借りて公の場で皇太子殿下を批判したかったということになりますね。陛下は本当に帝王学を受けられたのでしょうか?あまりにも信じ難い態度ですよね。

>こうして一連の経緯を見てくると、皇室内での秋篠宮の存在が大きくなっているといえる。それが最もあらわれているのは、公務に関する問題だ。

>天皇の公務の軽減について、いち早く言及したのは秋篠宮だった。平成18年の誕生日会見で・・・

>それに対して、本来、天皇のつとめを継ぐ者として、この問題に最も意識的であっていいはずの皇太子は、昨年(平成20年)2月の誕生日会見で次のように発言している。・・・いかにも皇太子らしい優等生的な回答だが、具体的なことは何も言っていない。


>また、皇太子自らの公務についても、「新しい公務のあり方」という問題提起を行いながら、やはり具体的なかたちがいつまで経っても示されていない。会見全体をみても具体的なのは、愛子内親王や雅子妃の様子など家族に関するくだりばかりで、皇太子が目指す皇室のあり方がまるで国民に伝わってこないのだ。

>皇太子の会見を見ていると、言葉は滑らかに出てくるが、それぞれ表現が均一で無機質な感を受ける。内容も同様で、対話のとっかかりが摑めない、という印象が強い。


皇太子殿下は次代天皇陛下というそのお立場と、陛下よりも出すぎた真似はしてはいけないという自重から、お言葉を選んで深く突っ込んだことを敢えてお話にならないのです。ところが保阪氏はそれを「優等生的で具体性がない」「考えが国民に伝わってこない」「表現が均一で無機質」「とっかかりが摑めない」と切り捨てている。これはあまりにも殿下がお気の毒であり、また、保阪氏が皇太子殿下のお立場に全く思いを馳せられないことに怒りを禁じ得ません。

>一方、秋篠宮は、昨年11月には、公務の内容面にも言及した。(中略)両陛下の公務の数を減らさずに、負担を減らす方法を提言している。これは公務に対して誠実な天皇・皇后の意向にも沿う、現実的な提言といっていいだろう。こう見ていくと、秋篠宮は立場の違いはあるが、皇太子と比較しても、いまの皇室にあって貴重なコミュニケーター役を果しているともいえる。

何度も言うようですが、秋篠宮様は「弟」「次男」というお気楽な立場で50年以上生きてきました。皇太子殿下よりも多少突っ込んだ発言をしても咎められることがないだけなのに、単純に殿下と秋篠宮様を比較して「秋篠宮様の方が優れている」と言い切れる神経が理解できません。

>一度は自ら、雅子妃の人格が否定されていると発言しながら、参内問題などに対して、すべて「プライベートだからコメントしない」で押し通す皇太子の姿勢にも、疑問を感じずにはいられない。そこからは何の展望もうかがえないからだ。

これも同じく、「何も展望が窺えない」と簡単に切り捨てられる保阪氏がおかしいのです。皇太子殿下の御立場の苦しさを何も分かっていない。

>12月12日には野村一成東宮大夫が定例会見を開いた。羽毛田長官の「『皇室そのものが妃殿下に対するストレス』などの論に両陛下は深く傷つかれました」という発言に、「それは皇太子妃殿下ご自身が深く傷つかれている点」と述べた。しかし、こうした「傷ついた」の応酬のどこにも、「国民に説明する」「国民のための皇室」という視点がないように思える。東宮側は「傷ついた」ことばかりをアピールするが、公務を休んで愛子内親王の運動会を応援したり、乗馬や高級レストランで食事をすることに対する、国民への納得のいく説明はなされていない。

敬宮愛子様が「野村のおじちゃま」と呼んで慕っていた野村一成東宮大夫は、東宮ご一家が最も苦しかった時にご一家を必死に支えてきた東宮職の一人でありました。彼なりの方法で雅子様(東宮家)を守っただけなのにこの保阪氏の言い方。もし「傷ついた」という応酬が気に入らないなら、最初に長官や次男の口を借りて皇太子殿下を批判させた陛下にまずは文句を言ってください。
あと東宮ご一家の運動会、食事、乗馬の何が悪いのでしょうか?雅子様のご病気に対する無知を晒して、恥ずかしくないのですか?今こんなこと言ったら全国のメンタルの病を抱えた患者や家族から総スカン食らいますよ。


>この八方ふさがりの状況下にあって、比較的自分の言葉で説明しようとしている点でも、結果として秋篠宮の存在感が増していると感じるのは私だけだろうか。


「秋篠宮様の存在感が増している」というワード、あちこちのメディアがこぞって使っていましたねー。「このワードを使え」とどこからかお達しがあったの?と思いたくなるくらいに。秋篠宮様は確かに「鬱陶しい」「ウザイ」という方向では、存在感が目障りになってきているのは事実かもしれませんね。

>幼稚園、初等科などでも、浩宮はなかなか友だちの集団に入っていかず、慎重に見守っている。しかしひとたび中に入れば「やさしさと思いやり」で誰からも好かれる存在になる。逆に礼宮は、物おじするところがなく、すぐに仲間に入っていって、誰とでも相撲をとったりという性格だったというのだ。浩宮は、幼年期に「アーヤ(礼宮)は泣いてもいいんだよネ」との言を洩らした、と浜尾は証言しているが、これはきわめて早い時期から浩宮が自分の宿命を感じ取っていたことをあらわしているのかもしれない。

>品行方正な兄、やんちゃで奔放な弟、というイメージはこのころから定着しつつあった。


こういう過去をちゃんと知っているなら皇太子殿下のお立場の難しさにもっと思いを馳せてください、保阪さん。

>皇太子の高校時代の担任であった小坂部元秀は『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)で、美智子妃との父母面談について記している。浩宮の作文が、喜怒哀楽の感情表現に乏しく、当人の気持ちが伝わってこない、という担任の指摘に、<美智子妃からは「(略)浩宮は長男ということで、私もいろいろと細かい点まで注意するようにしたため、のびのびしたところが多少不足するようになったかもしれません。兄と比べて礼宮は次男ということで、逆にたづなをゆるめたようなところがあって、のびのびしすぎたようですけれど…」と、頸をやや傾げながら慎重な言いまわしだった>現在、皇太子の会見から感じる平板さ、無機質な印象がすでにあらわれているとみることができる。

「喜怒哀楽の感情表現に乏しい」…これは皇太子殿下が帝王学の結果、「自分の感情を出し過ぎてはいけない」と自重されたからにほかならないでしょう。保阪氏はこれをまた「無機質」「平板」とこき下ろしていますがそれが帝王学の賜物ではないのですか?むしろ陛下のように些細なことで怒って、他人の口を借りて批判させるような方が天皇でいてほしくありませんね。
これに対して美智子様は「浩宮の方には厳しくし、礼宮は緩やかにのびのびさせてしまった」と認めていらっしゃいます。保阪氏は、「美智子様の教育の仕方が間違っていた」とでも言いたいのでしょうか。


>一方、礼宮はどんな高校生だったのか。当時の同級生がこう証言する。「基本的に、宮様はすごくざっくばらんな性格なんです。リーダーシップもある。もっと正確に言えば、最初はリーダーっぽくみんなを率いていって、軌道に乗ると、途中からみんなに任せるという感じ。プロレスが好きで、当時、人気があったスタン・ハンセンの真似は大得意でした。教室でプロレスごっこをすると、宮様は『ウィーッ!』と言いながら右手を挙げるんです。先生の真似もうまかった。口を曲げて怒ったりする先生がいて、その真似をすると、みんなかなり盛り上がりました(笑)。大学に入ると、宮様の家でみんなでお酒を飲んだりもしました。夜中の2時くらいに酔っぱらって、宮様が友だちの家に『今から来いよ』って電話をかけたり」やんちゃというよりは、我々の周りでもよくみるようなありふれた若者像が浮かんでくる。

保阪氏はこれを「ありふれた若者像」とアゲていますが、何か秋篠宮様の幼さ、気ままさ、お気楽さしか伝わってきません。皇太子殿下のお立場なら先生をからかう真似などできないだろうし、一緒になって笑うこともできないかもしれませんね。また、夜中に酒を飲んで呼び出すなんてことも不可能でしょう。殿下は行動が厳しく制限されていますから。そういうお立場の違いをとことん無視するのが「保阪流」なのでしょうかね。

>弟は5歳違いの兄をよく観察していた。こんな証言もある。「まだ秋篠宮が10代のとき、浩宮がイギリスに留学すると聞いて、『イギリス?心配だなあ。兄は変わって来ちゃうんじゃないか。兄には5人くらい男の子を作ってもらわないと心配だ』と言っていたそうです。その後、浩宮の結婚が遅れたことを考えると、いわば予言が当たったわけで、端倪すべからざる人間洞察です」(宮内庁担当記者)若き秋篠宮が皇統の運命を心配し、「弟宮」としてのプレッシャーを十分に感じていたことは間違いないようだ。


ただの兄宮に対する悪口・軽口を「皇統の運命を心配した鋭い発言!」とアゲアゲする保阪氏…。皇太子殿下のご結婚についてあまりにも失礼極まりないです。「自分は早く結婚できた」ことだけが自慢の秋篠宮様の目には、慎重にお相手を選んで雅子様という素晴らしい女性を選ばれた皇太子殿下がどう映ったのでしょうか。本音では悔しかったのではないかと予想します。

>「かつては、浩宮といえば『真面目で山登りやテニスを愛する好青年』、一方、礼宮は『やんちゃで、サングラスに口髭、腕にはブレスレットをじゃらじゃらさせた遊び人』といった、どちらかというと自由過ぎるイメージでした。そのイメージが一変したのが、皇太子の『人格否定発言』でした」青年期から二人を見てきた皇室関係者は、こう認めている。

秋篠宮様のイメージは昔も今も別に変わっていませんけど。

>『秋篠宮は大人になった、皇室の一員としての自覚が表に出てきた』と評価がぐっと上がりました。
皇統継承という皇室最大の問題を解決したのですから、秋篠宮殿下の存在感は否応なしに大きくなった。両陛下も、皇太子殿下との亀裂が大きくなるのと反比例するように、秋篠宮殿下をいっそう頼りにするようになったのです」(皇室関係者)


悠仁様という男子が出来てすっかり増長してしまっただけだし、東宮ご一家に対しマウントを取っているだけにしか見えませんがね。こういう方を頼りにしなければいけないほど、皇室も宮内庁も落ちぶれたのだなと感じます。

>前侍従長でもある渡辺允・宮内庁侍従職御用掛は、「私が宮内庁に来てから13年ちょっとですが、明らかに秋篠宮殿下は大きく成長されました。若い頃に比べて思慮深くなられたし、視野が広くなられた。・・・


本当に思慮深くなったのならあの時期に東宮ご一家を批判したり、わざわざ男子を作ったりなどしないと思いますが。

>ある宮内庁関係者は、秋篠宮の細やかな心配りを紹介してくれた。「ふだん世話になっている宮務官や女官などを招いて、ねぎらう会があるのですが、秋篠宮殿下は40年前に辞めた元女官まで声をかける。同窓会のようなもので、OB、OGたちは楽しみにしているそうです。一方、東宮ではこうした話は聞いたことがありませんね。職員数も違うし、皇太子という立場もある、加えて雅子妃のお身体のこともありますから、むずかしいでしょうが」


一方で「秋篠宮家は職員を全く大事にしないパワハラ・ブラック宮家だ」という証言が複数挙がっているのは何故なんでしょうね?秋篠宮家と職員の間に本当の信頼関係などあるのでしょうか。ねぎらいの会に来るのは、今の皇室事情を知らない、旧き良き時代の皇室しか知らない人だけだったりしないのでしょうか。

>興味深いのは、近年の秋篠宮の活動をみていくと、天皇・皇后の志を継承しようとする姿勢が見て取れることだ。その最大のテーマが「戦争」である。

>当日は、沖縄学の第一人者、外間守善法政大名誉教授が出席していた。紀子妃は学習院大時代、外間教授のゼミに特に志願して加わったこともあり、再会を喜んだという。「外間先生の妹さんは対馬丸の犠牲者なので、紀子妃には格別の思いがあったのではないでしょうか」(対馬丸記念会の高良政勝氏)

この保阪氏の記事には、いつも同じ顔触れの「秋篠宮家のお取り巻き」が何人か出てきています。まず、この外間教授がそうです。江森氏が記した『秋篠宮さま』にも登場しています。

>皇太子夫妻は8月15日に静養中の那須でテニスや花火を楽しんだことが報じられ、さまざまな波紋を呼んだ。

皇太子ご一家が静養先で黙祷を捧げていなかったという証拠はないですし、静養の合間にご家族で戦争と平和のお話をしたかもしれませんよね。それに花火は元々死者の鎮魂の意味もあったはずです。まるで皇太子ご一家が何も考えていないと決めつけるようなことは許し難いです。

>赤木攻氏は、「この四つの日(広島の原爆の日、長崎の原爆の日、終戦の日、沖縄戦が終結した日)には、(秋篠宮)殿下はたとえ海外にいても必ず黙とうを行っています。一昨年、殿下と眞子さんが一緒にマダガスカルに行かれたのも8月でした。このことでは同行している私も、いつも頭が下がる思いがする」と証言する。

はい、また秋篠宮様のお取り巻きの一人である赤木氏が出てきました。私的海外旅行のマダガスカルで黙祷を捧げたことがOKなら、東宮ご一家も同じことを行っているかもしれませんね。というか、「四つの日」に国内で静養をするのはNGで、海外に私的旅行に出るのはいいんですかね?保阪氏の基準ですと。

>平成16年、皇太子の44歳の誕生日会見で、戦争と関連した質問がなされた。昭和天皇が終戦の御前会議を開いたのが44歳だったが、皇太子自身が同じ年齢になったことについての感慨を、と問われたのである。それに対する皇太子の答えは、「昭和天皇は本当にいろいろご苦労もおありだったと思いますし、本当にその激動の時代を生きられたと思います。(略)その当時の世界の情勢、そして日本の情勢というものを考えますと、今私が置かれている状況とは本当に比べものにならない。ある意味で今そういう時代ではないことが一つ幸せなことであるわけですけれども、そういう意味で本当に昭和天皇がご苦労されたということを私もよく身にしみて感じますし、今改めてこの44歳でそういうことをなさっておられたという事実にやはり深い感慨を覚えます」というものだった。あたりさわりのない言葉だが、私には皇太子の言からは明治―大正―昭和―平成という時間の流れに自らも連なるという感覚が伝わってこないように思える。

だから皇太子殿下のお立場からはあまり深く突っ込んだ発言はできないと何度言わせれば…・もし仮に皇太子殿下が昭和帝のことを饒舌にお話になったら、それはそれで「殿下に昭和帝のご苦労の何が分かるというのだ」と批判されたかもしれません。もう、殿下を批判できれば理由は何でもいいんですよ、こういう連中は。

>秋篠宮には幾つかの肩書があるが、その一つが「御寺泉涌寺を護る会総裁」だ。(中略)三笠宮のあとを受けて、秋篠宮が総裁に就任したのは平成8年だった。(中略)数年前には秋篠宮ご夫妻とともに、眞子さま、佳子さまもご報告にお見えになりました。このとき殿下はお二人をご案内されていました。御座所の庭には普段、管理の都合上、立ち入り禁止の札が立っています。うっかりそのままにしていた立て札を、殿下は茶目っ気たっぷりにパタンと倒してお庭へ降りて、陵墓に向かって眞子さま、佳子さまに熱心にご説明されておりました。・・・


三笠宮様のお立場を引き継いだだけですね。それにしても「立ち入り禁止」の札を嫌味ったらしく倒す秋篠宮様は、やはり幼いというか何というか…。

>「ナマズの殿下」の愛称で知られる秋篠宮だが、現在の主な研究課題は、家禽の起源、すなわちニワトリがいつから野生から人間と共生するようになったかというルーツを探っているのだという。この研究により、平成8年には、国立総合研究大学院大学から理学博士号が授与された。「国立総合研究大学院大学の論文審査は非常に厳しく、レベルが高い。宮様だから、ということではなく、研究者としての実力を評価されたわけです」(生物学研究者)


この博士号の怪しさは既に当ブログでも検証済みです。当時のマスコミも「怪しい」「ヘン」という評価でした。

>秋篠宮にナマズの研究を指導し、共同研究も発表している多紀保彦・自然環境ケンキュウセンター理事長は、「学会やシンポジウムなどでも、視野は広いし、アイデアも豊富。殿下のリーダーシップに負うところは非常に大きい」と語る。

はい、3人目の「秋篠宮様のお取り巻き」である多紀氏の登場です。

>前出の赤木攻・大阪外大元学長は昭和60(1985)年に秋篠宮が学友とともにタイを訪れたとき、大使館から案内役を任じられた。「最初に出会った頃は、ごく普通の大学生という印象でした。それが、結婚されて、父となってという、この15年ほどで非常に大きく成長された。そこには、研究者として自立できるだけの能力を備えた、ということが大変にプラスに働いていると思います。責任ある仕事もこなし、自信もついて、地に足の着いたバランスのいい判断ができるようになった」

お取り巻きの赤木氏、再び登場です。

>立場上、孤独であることを強いられる天皇にとって、学問の世界は知的な興味の追求にとどまらず、深いところで孤独への慰めであり救いになっていたのではないだろうか。その点、皇太子にそうした場所が見当たらないことが気にかかる。登山やマラソン(赤坂御用地の中を一カ月に100キロ以上も走ったと自ら会見で述べている)では孤独は深まるばかりだろう。もっともそうした孤独を愛する、孤独に強くなることが、皇太子の性格というべきかもしれない。あるいは、皇太子は自らの天皇像をその点に求めているとも考えられる。

保阪氏は、皇太子殿下が水(運河)の研究を長年続けられて、世界的にも評価されている事実を知らないのでしょうか?自分の無知を棚に上げて「殿下にはそういう居場所がない」とは何たる恥ずかしさ。こういう「知ってて当たり前」のことすら知らずに偉そうに評論するのが秋篠宮派の特徴でもありますね。

>かつて秋篠宮は一部の週刊誌に「タイに愛人がいる」と報じられたことがある。当時、タイへの研究に同行していた前出の多紀氏は、「全くの事実無根ですよ。だいたい報道された女性は、タイの水産局につとめていた私の教え子です」と一笑にふした。

>そのパノム・ソスクさんに、秋篠宮の思い出を聞いた。「当時、秋篠宮殿下はまだ20代、真面目でおとなしく、魚類に興味を持ち始めた学生のようでした。(中略)研究所での殿下は、本当に若い普通の男性という印象でした。休憩時間にはコーヒーを飲んだりたばこを吸ったりしてリラックスし、日本語でジョークを言っては多紀先生など周りの方々を笑わせていました。私は日本語がわからないので、内容まではわかりませんでしたが。・・・」


秋篠宮様の愛人疑惑ですが、この女性以外にも別の女性があと2人ほど“候補”に挙がっていました。それも当ブログで過去に検証しております。あくまでも否定されているのはこの女性一人だけですね。

>タイに訪問するたびに秋篠宮が必ず尋ねるのは、プミポン国王である。(中略)「日程では拝謁の時間が、10分とか15分となっているのですが、殿下はなかなか戻ってこない。タイ王室の担当者に様子を尋ねると、『国王が人払いをして、殿下と二人だけでお話をしているのでわかりません』というのです。こんなことはきわめて異例だと。一時間以上になることもあります」(前出・赤木氏)

この一件を「秋篠宮様はタイ前国王から可愛がられていた」と捉える人もいるかもしれませんが、通常、15分程度しかかけない拝謁を、秋篠宮様の時だけ人払いして一時間以上も話し込むということは、秋篠宮様が何か前国王に無茶を要求していたからでは?という捉え方もできるかと思います。前国王が喜んで秋篠宮様を迎えていたという証拠にはならず、むしろ秋篠宮様の方が前国王の都合も考えずいつまでも居座って迷惑をかけていたと見ることも可能です。現に、秋篠宮ご夫妻はタイ前国王の葬儀の参列で、あまり良い席を与えられていませんでした(ご夫妻の目の前に衝立のようなものが置かれて祭壇が見えにくい感じにされていた)。

>現在、秋篠宮は依然として皇位継承順位第2位の存在である。秩父宮、高松宮と決定的に違うのは、兄である皇太子に男子がいないということだ。皇太子が即位すれば、次の天皇候補として備えなければならない。と同時に、その下の世代で唯一、皇位継承権を有する悠仁親王の父親でもある。悠仁親王は、近代皇室ではじめて皇太子を父に持たない天皇ということになる。

この箇所が、当該記事のタイトルである「秋篠宮が天皇になる日」につながると言えるでしょうか。しかし、たとえ男子が生まれようがなんだろうが、秋篠宮様の立場が秩父宮様や高松宮様と大きく異なるとは思えません。この保阪氏の考え方はおかしいです。

>「現在、秋篠宮家には悠仁さまに3人つける形で人員を増やしていますが、秋篠宮家は宮家のなかで飛びぬけて活動量が多い。それを事務官2人で回すのは無理だと思います。一方、東宮派愛子さまに養育係が3、4人もついている。これは浩宮、礼宮、紀宮のご兄妹のときよりも多い。また学習院の先生を養育係にした。いわば先生を使用人にしてしまったのです。また小学校に上がった今でも、幼稚園教育のエキスパートがそのままついている。これも変則的です。秋篠宮家には養育係などいません。紀子妃がGパンで悠仁さまを追っかけまわしています」(宮内庁関係者)

だからこれも東宮家と秋篠宮家のお立場や格の違いから来るものなので当然のことでしょう。敬宮様の養育係にケチを付けていますが、悠仁様にも人員が増えているのは事実ですし、また、本来は皇族をお守りしなければならない立場の学習院職員の娘が、よりによって皇族に近づいて結婚を迫ることの方がよほどおかしいのではないですか?あ、川島辰彦教授とその娘の紀子妃のことですよ。

>秋篠宮自身の公務などからも、天皇・皇后にならうという姿勢が強く感じられる、と指摘するむきもある。「たとえば昨年9月には、警察庁刑事局長からのご進講がありました。天皇の場合、警察庁長官が治安問題などについてご進講することもありますが、秋篠宮に、というのは異例のことです。・・・」(皇室担当記者)

>ほかに、平成19~20年で秋篠宮が受けたご進講から、目立ったところを挙げてみると、財務省主計局長、総務省自治行政局長、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長、文部科学省初等中等教育局長・高等教育局長、農林水産省農村振興局長、資源エネルギー庁長官などといった要職が並んでいる。

私はこの箇所に少し怖さを感じました。秋篠宮ご夫妻はこうやってキャリア官僚を次々に呼び出して、一体何をしようと企んでいるのでしょうか?まるで政治(行政)に首を突っ込みたがって何かをコントロールしようとしているように見えます。どこかの雑誌記事で「秋篠宮ご夫妻は霞が関の人事にも詳しい」と書かれたこともあるようですが(これはまだソースを用意できておりません)、皇族が官僚に何の用事があると言うのでしょうか。これは見過ごせないことですね。

>平成19年に紀子妃が動物の絵本『ちきゅうの なかまたち』を翻訳したのも、「万事、皇后をお手本にしている紀子妃らしい」(宮内庁担当記者)と評する声も聞かれる。


「紀子妃が手本にすべきは華子様であって美智子様ではない」と、誰か注意してください。おかしいでしょうこんなの。

>昨年12月の会見で、羽毛田長官は天皇の「ご憂慮」の筆頭として、「ここ何年かにわたり、ご自身のお立場から常にお心を離れることのない将来にわたる皇統の問題」を挙げた。この皇室最大の問題について、渡辺前侍従長は次のように天皇の心中を推測する。「皇統にかんして、その時々で形こそ変わりますが、この十数年間、陛下はずっとわれわれの想像を絶するほどに悩んでこられました。愛子内親王が生まれられるまでは、次の次の世代の継承者がおられないという悩みがありました。そして愛子さまがお生まれになりましたが、現在の皇室典範では、やはり継承者不在の状況は変わらなかった。そこで小泉内閣が典範の改正を検討すると、非常に強い反対が出て、国内で議論が激しく分かれてしまったのです。国民統合の象徴である陛下にとってみれば、皇室をめぐり、国論が激しく分かれることは深いご心痛のもととなりました。そこへ悠仁親王がお生まれになった。大変結構なことでしたが、悠仁さまの代になると、皇族が他にいなくなってしまうといい問題が依然として残っているのです。秋篠宮家の眞子さま、佳子さま、そして愛子さま、あと三笠宮家の女王さまなど、いまの法律では結婚されると皇室を離れてしまう。とても陛下が皇統の将来に安心される状況にはなっていないのです」


私に言わせれば、陛下のご心痛とやらは「自業自得」としか言いようがありませんね。自ら愛子様の女帝案を潰して、次男坊一家に男子を作らせておきながら今になって「皇族が少なくなってしまう」なんて、そんなこと知るか!!と言いたい気持ちです。悠仁様で行くと決めた以上、男系男子承継で行くと決めた以上、心痛なんておっしゃってないで皇室が消える覚悟を決めてください。呆れて物が言えませんよ。あと、国民の意見が二分されている状況は全く変わっていません!むしろ悠仁様が誕生してから、国民の意見の分断は余計にひどくなったとしか思えませんよ。あのまま「愛子天皇」で行った方がずっとずっと良かったのに。

>冒頭でもみてきたように、現在、天皇・皇后と皇太子・雅子妃の間には、深刻なコミュニケーション不全があり、もはや隠しようもない状態にまで立ち至っている。そのなかで、二男である秋篠宮の役割はますます重要なものになっている。

まあ、保阪氏が「秋篠宮様の役割は重要になる!」と思っているのなら別にいいんじゃありませんか?秋篠宮家のゴタゴタが表に出てきた今も同じことが果たして言えますか?

>私には、天皇・皇后が皇太子・雅子妃に求めていることは、まさに秋篠宮が実践しているようなコミュニケーションの回路を開くことではないか、と思われる。(中略)そうしなければ、誤解・曲解がメディアの力も借りて急速に肥大し、手がつけられないものになってしまう危険性がある。秋篠宮の近年の言動はそれを防止するために、兄宮にメッセージを発していると、私には思える。

「曲解・誤解するのはメディアが悪いんじゃない、皇室(東宮家)が悪いんだ!」ですか。まあ、これが大半の思い上がったマスコミの言い分なのかもしれませんね。「自分たちは悪くない!」と。国民はそういうメディアはバッサリ切り捨てるだけですよ。また、秋篠宮様の思い上がった勝手な言動が皇室の混乱を招いているのではありませんか!

>秋篠宮には天皇となる可能性があり、息子である悠仁親王を次代の天皇として育てなければならないという重大な役割を担っている


自分で好きで男子(悠仁様)を作ったのだから、そりゃ一人の子どもを育てる責任が親の秋篠宮ご夫妻にあるのは当たり前ですよね。そんなことで同情を求めないでいただきたい。
(以上)

次回以降は、この保阪氏の論文に関する記事をもう少しご紹介したいと思います。

「秋篠宮摂政論」に対する、高森明勅氏の反論

10月29日・30日は、絢子様と守谷慧氏の素晴らしい結婚式がありました。お二人には心からおめでとうございますと申し上げたいです。そして同時に、お二人の完璧な結婚をそばで見ることになった眞子様や秋篠宮ご夫妻の心境やいかに…?と意地悪な目線になってしまうのです。

さて眞子様の件はひとまず置いておくとして、当ブログでは「皇太子殿下は早期退位して悠仁様に皇位を譲れ」、「秋篠宮摂政論」というふざけた思考が跋扈していた時期があったことをご紹介させていただきましたが、それに対して高森明勅氏が真っ向から反論してくれました。当該記事は、陛下の生前退位が実現される運びとなってしまった現在においても一読する価値があると思われます。今回はその記事をご紹介したいと思います。

Will 2013年9月号

「秋篠宮摂政論」を駁す 雅子妃「不適格」報道の不敬


高森明勅(神道学者)

◆次代の皇室を巡る暴論

近頃、次代の皇室のあり方をめぐって、不敬な暴論がにわかに浮かび上がっている。皇太子妃雅子殿下のご療養が長期化していることを理由として、皇室典範で定められている皇太子殿下の即位を事実上、阻止しようとするものだ。
その嚆矢は、おそらく宗教学者、山折哲雄氏の「皇太子殿下、ご退位なさいませ」(『新潮45』3月号)だろう。
その趣旨は、当人が別の雑誌で、次のように語っている。「雅子妃がご病気になり、十年治療しても治らない。宮中祭祀も含めて、公の職務を果たすこともままならない。…こうした状況の中、このまま皇太子が天皇に即位することは、ご本人のためにもならないし、国のためにもならないのではないか。そこで、『ご家族三人京都で過ごすという人生もありますよ』という選択肢を提示した」と(『文藝春秋』6月号)。
この論は当然、大きな反響を呼んだ。普通に考えても、皇太子殿下はご公務に精励され、皇室の祭祀については皇族方のなかでも最もご熱心にお取り組みになっておられる。それなのに、妃殿下のご療養を理由に即位を阻もうなどとは、言語道断の本末転倒ぶりだ。しかも、妃殿下のご快癒があり得ないものと、頭から決めつけているのもどうかしている。
だが、山折氏の論は所詮、歴史上の見通しも国家的な大局観もなく、制度論の詰めも一切欠いた、一個人の「感想」を述べたに過ぎない。聞き捨てならないが、私人の無責任な放言の域を出ていない。だから私は、それほど目くじらを立てるつもりはなかった。

ところが『週刊新潮』6月20日号に、山折論の方向性をさらに徹底させた「選択肢」が、天皇陛下や皇族方のご同意も得て現実化しつつあるかのような記事が載った。
「『雅子妃』不適格で『悠仁親王』即位への道」との記事
だが、このタイトルからして異常だ。いやしくも現にご療養中の皇太子妃たる方に対し、「不適格」呼ばわりとは。しかも、仮に万々が一「不適格」であっても、それは尊厳なる皇位の継承順位とは何のかかわりもないし、またかかわりがあってはならないことだ。
この記事の問題点は、皇位の継承という国家の一大事に関し、あろうことか、天皇陛下や皇族方も巻き込む形で、荒唐無稽の大嘘が平然と並べられていることだ。すでに内閣官房と宮内庁が連名で「まったくの事実無根」として文書で抗議し、訂正を求めるという異例の措置をとっている。
しかし、『週刊新潮』サイドはいまのところ、訂正に応じる気配はない。それどころか、次の6月27日号で再び「『雅子妃』不適格云々」の記事を掲載。宮内庁から再度、文書による抗議を受けている。
さらに時を同じくして『週刊ポスト』6月28日号でも、皇太子殿下の即位を形骸化させる「秋篠宮摂政」論を紹介する記事が掲載された。
こうなると、もはやこれらの暴論を黙って見過ごすわけにはいかない。それらの問題点とデタラメぶりを以下、摘発しよう。

◆曲芸のようなプラン

まず、『週刊新潮』6月20日号の問題記事の主な情報提供者はすべて匿名で、「官邸関係者」「警察庁幹部」「宮内庁幹部」の三者。注目すべきは、官邸と宮内庁の「極秘裏」のやり取りとされるものを、なぜか「警察庁幹部」が詳細に把握している話になっていること。
これは、官邸でも宮内庁でも警察庁出身者がしかるべきポストについている事実と無関係だろうか。もしその線で繋がっているとすれば、「官邸関係者」や「宮内庁幹部」を特定することは、さほど困難ではあるまい。
だがそれはともかく、これら三者のなかでも「宮内庁幹部」の発言はとりわけ酷い。彼は雅子妃殿下のご療養が長引いていることに関し、こんなヨタ話を披露している。
「皇后陛下はすでに、周囲には『皇太子妃には将来、皇后の仕事はつとまらないでしょう』と漏らされています」と。
そのほか、皇后陛下をダシにして皇太子妃殿下を攻撃するような卑劣な発言を繰り返している。
話はすべて「周囲には」「近しい人に」などとなっているので、この人物が直接、知り得た情報ではない。どこかで小耳に挟んだ真偽不明の噂話を、皇室をお支えすべき宮内庁の幹部たる者が週刊誌の記者を前にして、匿名でとくとくと語る心根の卑しさはどうだ。唾棄すべき下劣さではないか。
しかも、それらがすべて真っ赤な嘘だったことが判明した。それも、宮内庁の風岡典之長官が皇后陛下ご本人のお言葉をほぼそのままご紹介するに近い形での、異例の極めて厳格な否定によってである。
「皇后陛下は、皇太子妃殿下が傷ついておられるのではないかと大変心配なさっている。記事にあるようなことはなかったことを、必要であればお伝えしたいというご意向をお持ちだとうかがっている」と。
皇后陛下に「大変心配」をおかけし、皇太子妃殿下を「傷つ」ける、許し難い振る舞いだ。このような人物を税金で、しかも宮内庁の幹部としていつまでも養い続ける必要があるのか。
だが同記事中、最も問題とすべきなのは、「官邸関係者」「警察庁幹部」「宮内庁幹部」の三者揃い踏みで語っている「極秘」のある「遠大な『プラン』」だ。これこそ、山折論の“究極版”とも評し得るものだろう。即ち―
「現行の皇室典範を改正し、天皇の退位すなわち譲位を可能とする。さらには皇位継承権のある皇族が即位を辞退することも認める。そんな案が動いています」(さる政府関係者)
「(宮内庁が官邸に示したプランは―引用者)…皇太子さまには比較的早い段階で退位し、皇位を次の方に譲っていただく。譲位のお相手は、現在、継承順位第二位の秋篠宮さまではなく、そのご長男の悠仁新王だというのです」(警察庁幹部)
「(秋篠宮殿下に即位を辞退していただくのは―引用者)兄が健在なのに、弟が継承すると、兄宮がダメを出された観が強い。しかも、弟宮が皇位を簒奪したような負のイメージがつきまとい、生々しすぎる。…それは避けたいとのことでした」(警察庁幹部)
「(このプランは―引用者)宮内庁が勝手に判断して、官邸に相談できる案件ではありません。すべて天皇・皇后両陛下の思し召し。すでに天皇・皇太子・秋篠宮の三者による頂上会談でも話し合われ、納得されている話なのです」(宮内庁幹部)―と。
何ともアクロバットのような皇位継承ではないか。それが「頂上会談でも話し合われ、納得されている」だと。馬鹿も休み休み言え。まったくあり得ないことだ。内閣官房と宮内庁が揃って否定するのも当然で、それは次のような事情があるからだ。

◆世襲と自由意志は調和せず

この「極秘」プランなるものは、皇位の継承に“退位”とか“即位辞退”などの「自由意思」を認めるのが基本方針となっている。だがそれは、皇位継承の根拠をもっぱら血縁のみに限定する皇室典範の大原則を、根本から覆すことを意味する。もし、皇位の継承に自由意思の介在を認めたらどうなるか。じつは現行典範の制定にあたり、すでにこの点は十分、議論されている。
典範の準備にあたった政府の臨時法制調査会第一部会では、何人かのメンバーから自由意思による「退位」を制度として認める意見が出された(法制局A事務官、宮沢俊義氏、杉村章三郎氏ら)。しかし、それらはすべて否定し去られている。この間の事情については、宮内省文書課長で法制局参事官と臨時法制調査会第一部会幹事も兼任した高尾亮一氏がまとめた「皇室典範の制定経過」という報告書に、以下のように書かれている。
「仮りに退位の自由をいかなる形式にせよ認めることとすれば、相対的に不就任の自由も認めなければ首尾一貫したものと言い難い。…血統による継承において不就任の自由を規定したならば、その確認のために空位又は不安定なる摂位(代理による即位―引用者)という事実の起るのを防止できず、万一継承者のすべてが就位を拒否するという事態に至るならば、天皇という制度は存立の基礎を揺り動かされることになるのである。世襲による就位は自由意思の介入と調和しがたいものなのであろう」と。
こうした事情を、当事者である天皇陛下はじめ皇族方がご存知でないはずがない。だから「さる宮内庁の幹部」が語る「思し召し」も「頂上会談」でのご「納得」も、100%嘘と断定できる。この点が嘘なら、「宮内庁が勝手に判断して、官邸に相談できる案件ではありません」と言うとおり、プランの存在そのものが雲散霧消するほかない。
そもそも皇位継承に自由意思の介在を認めるなら、悠仁新王殿下ご自身が即位を辞退されることも当然、自由ということになる。
「遠大な『プラン』」を触れて回る官邸―警察―宮内庁関係者は、その点も考慮しているのか。あるいは、退位された皇太子殿下が天皇としての責任を解除される一方、太上天皇として大きな影響力は保持されることになる―という可能性も織り込んだプランなのか、どうか。

児戯に類する話をこれら三者が大真面目に語り、それを記者が真剣にメモしている場面を想像すると、思わず吹き出したくなる。だが、こうしたヨタ話を流布させて、本当は何を目論んでいるのか。そちらのほうが気になる。
と言うのは、同じタイミングで『週刊ポスト』に「秋篠宮摂政」論なる暴論が掲げられたからだ。皇位継承のラインから事実上、皇太子殿下を外そうとしているという点では、先の『主週刊新潮』の記事とも奇妙に一致する。記事のタイトルは、「宮内庁内でも議論噴出!『秋篠宮を摂政に』は是か非か」。一見、両論併記的なスタンスに見える。しかし実際は、摂政の設置がいかに重大事であるかをまったく弁えない、極めて悪質な記事だ。

◆摂政設置「二つの要件」

この記事でも、匿名の「宮内庁関係者」が登場。この人物はこんなことを語る。
「実は宮内庁内部や一部の宮家関係者などの間で、将来、両殿下が天皇皇后になられた際、雅子妃の公務負担を軽減するため、秋篠宮殿下に摂政に就任していただくべきだとする意見が出ているのです」と。
この人物は、自分が何を喋っているのか分かっているのだろうか。「雅子妃の公務負担を軽減する」ことと「秋篠宮殿下に摂政に就任していただく」こととの間には、直接に何の関係もない。言うまでもなく、摂政は天皇の「代行」者。だから、天皇は一切の「公務負担」を免除されることになる。だが、皇后はもちろん皇后のままだ。よって、その「公務負担」に大きな変化はない。
むしろ、ご病弱な大正天皇に摂政が立てられた時(皇太子・裕仁親王が摂政に就任)などは、貞明皇后のご負担はより増大したと見るべきだ。しかも、場合によっては皇后ご自身が摂政に就任する可能性もゼロではない(皇室典範第十七条)ことを、この「宮内庁関係者」は知らないのか。

この「宮内庁関係者」に限らず、この記事全体を通して、キーワードである「摂政」の何たるかが分からないで、議論が空転している気配が濃厚だ。念のため、あらかじめ「摂政」の概念規定について簡単に説明しておく。
まず、歴史上の概念としては「天皇にかわり万機を統摂する職で…文字通り天皇を代行」する立場だ(森田悌氏「摂関政治」『日本古代史研究事典』)。近代においては、大日本帝国憲法第十七条第二項に「摂政ハ天皇ノ名ニ於テ大権ヲ行フ」と規定。より詳しくは、「摂政ハ…大政及ビ皇室ノ内事皆天皇ニ代リ之ヲ総攬ス」(『皇室典範義解』)とされた。
現在の憲法ではどうか。第五条に「…摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ」とある。憲法上、天皇は「国事に関する行為のみを行」う(第四条第一項)とされているのだから、摂政はそれを丸ごと代行することになる。
このように、摂政が立てられるということは、そのまま天皇に天皇としての当事者能力がないことを意味するにほとんど等しい。だから皇室典範では、摂政設置に僅かでも恣意的な判断や政治的意図が混入しないように、厳格な基準を設けている。第十六条の規定がそれだ。
「1 天皇が成年に達しないときは、摂政を置く。
2 天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室典範の議により、摂政を置く」
摂政が天皇のほぼ100%の「代行」者である以上、右の条件を逸脱した摂政の設置を画策することは、皇族であれ国民であれ、事実上、皇位の簒奪を図る行為として断じて誤りないであろう。つまり、「謀反」を企てるに等しい。
以上のことを前提として、『週刊ポスト』の記事を点検してみよう。

◆「摂政」論の愚劣さ

記事中、皇室典範の設置要件から逸脱した摂政の設置を、公然と唱えている人物がいる。その代表的存在が、「皇室に詳しい」とされる高崎経済大学教授の八木秀次氏だ。彼は「秋篠宮摂政」論に対し、「いま考えられる最も現実的な選択肢だ」と、もろ手を挙げて賛成している。そのうえで、こんなことを述べる。
「雅子妃が療養を続けたまま皇太子殿下が天皇に即位された時、ご夫妻が十分に天皇皇后としてお務めできるだろうか、という懸念が国民から出てくるのは当然です。そのとき、秋篠宮殿下が摂政としてサポートできれば、状況はずいぶん改善されるのではないか」と。
不思議な発言である。摂政はもちろん皇后の「代行」者ではなく、「サポート」役でもない。それで一体、何がどう「改善される」のだろうか。
一方、もし摂政が立てば、天皇ご本人にはなずべき「お務め」はなくなってしまう。ご健康でご公務への意欲に富む天皇に何もすべきことがなくなって「状況はずいぶん改善される」とは、どういうことなのか。
それに加えて、「ご夫妻が十分に天皇皇后としてお務めできるだろうか」というのも、皇太子・同妃両殿下に対し、“上から目線”で勤務評定しているかのような、ずいぶん不遜な言い方ではあるまいか。
八木氏はさらに、外国へのご訪問について、こんな発言もしている。
「(天皇の―引用者)代わりに秋篠宮ご夫妻がご訪問したとしても、一宮家の立場だと格が下がってしまう。しかし、摂政宮とその妃という立場なら重みが生まれ、相手国の受け止め方も変わってくるはずです」と。
ひょっとして、八木氏は本当に摂政の何たるかを知らないのか。それとも、わざと知らないフリをしているのか。いずれにしても、摂政というのは、外国をご訪問される皇族の「格」を上げるために軽々しく設けてよいものではもちろんない。「重み」をつけたいなら、天皇。皇后両陛下の「ご名代」としてお出ましになればよいだけの話だ。
逆に、ご健康な天皇がおられるのに摂政が訪れたたら、迎えたほうは日本でクーデターでも起こったのかと疑いかねないだろう。それに何より、皇太子殿下が即位された暁には、秋篠宮殿下は、いまの皇室典範の規定のままなら皇位継承順位は第一位に繰り上がり、歴史上の用語で言えば「皇太弟」として、皇太子に匹敵する「重み」をすでに帯びておられるはずだ。
記事のなかには、匿名の「外務省関係者」の発言も出てくる。「昨年8月のロンドン五輪の時のように、被災地への慰問と海外訪問が重なるような時に、もし摂政がいれば、公務を国事行為として代行できる。…現実的に天皇をサポートしやすくなる」と。
この人物も、摂政を「サポート」役と勘違いしている。しかも、「被災地への慰問」も「海外訪問」も公的行為とされるもので、決して憲法に定める国事行為ではない。そのことは、摂政を設置しても何の変更もあろうはずがない。にもかかわらず、「もし摂政がいれば、公務を国事行為として代行できる」とは何のことか。どうやらこの「外務省関係者」は、憲法を読んだことがないらしい。
記事中、「秋篠宮摂政」論に反対しているのは、皇室ジャーナリストの山下晋司氏と國學院大學大学院名誉教授の大原康男氏。山下氏は、「摂政を置く事由という皇室典範の中でも非常に重要な規定を簡単に変えていいものか大いに疑問です」と述べる。大原氏も、「そもそも天皇に心身の故障がないのに、摂政を置くのは制度上の目的に反します」と一蹴した。どちらも正論だ。

◆極めて重いテーマ

摂政の設置の意味をストレートに示すのは、皇室典範の条文に「皇室会議の議により、摂政を置く」とあることだ。これは、天皇になり代わって天皇の「お務め」を丸ごと代行する摂政は、天皇ご自身のご意思に一切かかわりなく、もっぱら「皇室会議の議」のみによって設置されるとの規定だ。
天皇が海外にお出ましになる時などの国事行為の「委任」については、憲法に「天皇は…委任することができる」(第4条第2項)とあって、内閣の助言と承認を必要としながらも、あくまで「天皇の意思によって委任される」(昭和39年4月23日、参議院内閣委員会での宇佐美毅宮内庁長官の答弁)建前であるのとはまったく異なる。これはなぜか。
それは、「天皇に意思、能力が…ない場合に」摂政が置かれるからである(前出宇佐美答弁)。「摂政が置かれる場合は、天皇の意思能力にかかわりのあるような事態、天皇が委任されるというようなことの発意といいますか、そういう意思がない場合」。つまり、「天皇に意思能力があう場合の代行」が「国事行為の臨時代行に関する法律」にもとづく国事行為の「委任」であるのに対し、摂政の設置というのは、天皇ご本人に「意思能力が欠ける場合の代行」なのだ(昭和39年3月19日、衆議院内閣委員会での高辻正巳内閣法制局次長の答弁)。したがって、「皇室会議の議」によるほかないのは当然であろう。
それだけに、摂政の設置は慎重のうえにも慎重を期さなければならないし、設置の要件をいささかでも緩和することがあってはならない。
摂政の設置についていまの典範は、明治の典範の規定をほぼそのまま踏襲している。その意味で、典範下で摂政を立てた唯一の前例として、畏れ多いことながら大正天皇のケースを振り返っておくことも無意味ではなかろう。
大正天皇のご病状は、何らかの原因により脳細胞の崩壊が進行する変成疾患と考えられている(篠田達郎氏『歴代天皇のカルテ』)。原因については、「幼時の脳膜炎と天皇就任後の心労」とされる(古川隆久氏『大正天皇』)。
大正天皇は大正7年の年末頃から体調の悪化が始まり、同9年7月には、首相の原敬が自分の日記に「御病気ニ付テハ拝謁ノ度ゴト只々感泣ノ外ナク」(同月24日)と書くまでに悪化していた。
ついに同10年11月25日、皇族会議と枢密院で皇太子・裕仁親王(のちの昭和天皇)の摂政就任が議決される。摂政設置の詔書の天皇のご署名は裕仁親王が代筆し、摂政としての親王ご自身の署名も付された。
これに先立って、松方正義内大臣と牧野伸顕宮内大臣が天皇に面会し、摂政の設置の必要性と手続きについて説明した時、ただ「アーアー」とお答えになるばかりで、「恐れながら両人より言上の意味は御会得遊ばされざりし」有り様だったという(『牧野伸顕日記』)。
それでも、摂政の設置に伴って正親町実正侍従長が天皇の印判を持ち去ろうとすると、「一度は之を拒ませられ」、その後に拝謁した内山小二郎侍従武官長に「先程侍従長は此処に在りし印を持ち去れり」と訴えられたようだ」(『侍従武官日記』)。
まことに痛ましい限りだ。だが我々が直視すべきは、摂政の設置というのは、こうした局面に立ち至って初めて検討課題とすることが許される極めて重いテーマだということである。「秋篠宮摂政」論など、率直に申し上げて烏滸の沙汰と言うべきだろう。

◆ご病気の原因

以上、どのような意図や背景があるのか十分、見極めることはできないが、皇太子殿下の即位を事実上、阻もうとしているとしか考えにくい二つの「暴論」の問題点を明らかにした。
これらに共通した“根っこ”の部分に、皇太子妃雅子殿下のご療養の長期化という事実があることはもちろんだ。両陛下のご心配はもとより、国民の心にもそれが暗い影を投げかけていることは否定できない。しかし、その長期化の大きな原因の一つは、週刊誌などによる根も葉もない誹謗中傷報道だろう。
いちいち紹介する余白はないが、たとえば平成16年には敬宮殿下が自閉症ではないかと騒がれたことがある。もちろん、まったく事実無根だったが、当時、『週刊新潮』は「雅子さまだけではない『愛子さまも危ない!』という閉ざされた宮内庁への『危惧』」(6月24日号)という記事を載せた。
また同18年には、雅子妃殿下の「離婚」説が取り沙汰されている。その発端となったのは『週刊新潮』(1月5・12日号)のデタラメ記事だった。こうした悪意あるバッシング報道が波状的に襲いかかってくれば、メンタル面のご病気によい影響を与えるわけがないだろう。
おそらく妃殿下のご病気は、(1)側室不在の条件下で皇統を継ぐ男児出産への重圧、(2)「宮内庁関係者」による不確かな情報のリーク、(3)メディアによる悪意ある報道の繰り返し、などが複合してご発病になり、ご快癒が遅れているのであろう。
5年あまりにわたって東宮大夫を務めた野村一成氏は「身近にお仕え申し上げた者として」、妃殿下が国民からのご公務の依頼に対し「何とかお受けできないかと前向きな形でご検討が進められ」ながら、医師のご助言などによって「多くの場合、お受けできないということになりますが、そのこと自体を一番残念に思っていらっしゃるのは妃殿下ご自身だと思う」と述べている(6月9日のNHK「ご成婚20年 皇太子さま雅子さま」)。
よく批判される「ドタキャン」にしても、端っからお断りになれば済むのに、国民からの依頼に「何とか」応えようとしてギリギリまで努力された結果、という側面にも公平に目を注ぐ必要がある。いずれにせよ、「雅子妃の生涯が『不幸』で終われば(今後、男性皇族の―引用者)配偶者を見つけるのはラクダが針の穴を通るより難しくなる」(鳴門真彦氏)んpはたしかだろう。
だがそれはともあれ、皇位の継承という一大事は、国家の理義において、雅子妃のご療養とは何のかかわりもない遥かに高次の問題である。そこを混同したところから、本稿で取り上げた暴論が生まれている。この点は、くれぐれも感情的に混同してはならない。

◆高貴なる自己犠牲

かつて昭和から平成に移る頃、今上陛下と先帝を並べて、“頼りない”とか“威厳が足りない”などと勝手な不平を並べ立てる国民が一部にいた。いまから顧みると、何と愚かなことかと誰しも思うはずだ。その、人々に今上陛下の真価がまだよく見えていなかったご即位直後の頃に、こんな文章を書いた人がいた。
「新帝(今上陛下―引用者)は先帝陛下(昭和天皇―引用者)の御心をよくご理解なさつてゐるやうに思はれる。一部の者には新帝に不満をもつ者もをるやうだが、それならもし新帝が無限の責任を負ふやうな立場につくのは嫌だとおほせられたらどうするのか。
新帝は学習院に育ち、自由というものについても、陣営の楽しみがどのやうなものかも知つていらつしやる。それなのに自分のたつた一度の生涯を犠牲にして、最も不自由な地位である皇位に就いて下さつた。自分は公の為に生まれたのだといふことをお認めいただけたのだ。それだけでもう涙が出るほど有難いことではないか。爾余は問ふに足りぬ事である」(葦津珍彦氏「悲史の帝」『文藝春秋臨時増刊号「大いなる昭和」』平成3年)
皇位の継承について「制度」上、自由意思の介在を認めることはできない。しかし「事実」のレベルでは、即位の辞退を押し留めることは誰にもできない。天皇陛下ははっきりと「公の為に」とのご覚悟をもって、「無限の責任を負ふ」「最も不自由な」第125代の皇位にお即きになった。そのことは、陛下の次のお言葉(平成6年6月4日の文書回答))に鮮明に表現されている。
「日本国憲法には、皇位は世襲のものであり、また、天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であると定められています。私は、この運命を受け入れ、象徴としての望ましい在り方を常に求めていくよう努めています。したがって、皇位以外の人生や皇位にあっては享受できない自由は望んでいません」
かくも高貴かつ峻厳なる自己犠牲の精神によってこそ、わが国の公共の秩序を根底で支える皇位の盤石さは、見事に保たれ得るのである。まさに、「涙が出るほど有難いことではないか」。
省みると、我々は皇室に「求める」気持ちばかり強く、その恩恵に「報いる」という発想がほとんどないのではあるまいか。妃殿下のご快癒の一日も早からんことを祈り上げるとともに、皇室の弥栄を支える国民の覚悟をしっかりと固めたい。
(終わり)


上記記事に関しては私の方で改めて検証を加えるまでもないと思いますが、高森氏が基本的に「皇族無謬派」に立っていることは多少留意しなければならないでしょう。つまり、一連の「皇太子殿下排除論」の背後には両陛下と秋篠宮ご夫妻自身がいらっしゃる…という可能性については敢えて考えない・触れないという姿勢であるという意味です。
その点で、高森氏と我々の考え方には多少の齟齬が生じているとは思いますが、あまりにも馬鹿げた「秋篠宮摂政論」などに対して反論してくれた言論人がいるという点は、記録に残しておいて良いと思います。

高森氏は、陛下の生前退位ご希望報道の後、下記のような良記事を書いています。

気品あふれる「愛子さま」天皇になれば日本が救われる(週刊FLASH 2016年9月26日号)
社会・政治 2016.10.04


(以下、高森氏の意見部分を抜粋)
天皇直系である愛子さまが皇太子になるのが本来の姿と指摘するのは、皇室研究者の高森明勅氏だ。

「誰それが(天皇に)ふさわしいというような属人的な議論をしているわけではない」と前置きしたうえで、こう語る。

「天皇の次はもちろん皇太子。皇太子の子をお世継ぎにするのが、神武天皇以来の直系優先の伝統です。愛子さまが天皇になられるのが、日本の伝統にのっとり、安定した皇位継承を確保するための、唯一の正解なんです」

そもそも、天皇家の長い歴史には10代8人の女性天皇が存在した。

「しかも、すべてが男系ではありません。第43代元明天皇から第44代元正天皇への継承は『母から娘』へ皇位が移っており、当時の律令の規定に照らして『女系継承』※といえるのです。
もともと、日本では男系・女系の両方が機能する『双系』がベースにあるんです」(高森氏)

(中略)
高森氏は菅官房長官の発言にこそ注目すべきだという。

「菅さんは同時に『安定的な皇位継承の維持も考えていく必要がある』として、じつは明確には女性天皇を否定していないのです。二階さんは老練な政治家ですから、観測気球を上げて、安倍さんが傷つかないようにしながら、瀬踏みしたのではないでしょうか」


愛子さまには、愛される天皇の素質が間違いなくある。

※元正天皇は父方を通じて男系の皇統にもつながっているが、「当時の律令では、『女帝の子』は男系ではなく女系で位置づけるべきと明文化していたことから、この場合は女系天皇と理解する」というのが高森氏の主張です。

(以上)

しかし一方で、高森氏は最初にご紹介したWillの記事の中では、

>秋篠宮殿下は、いまの皇室典範の規定のままなら皇位継承順位は第一位に繰り上がり、歴史上の用語で言えば「皇太弟」として、皇太子に匹敵する「重み」をすでに帯びておられるはずだ

とも述べており、あくまでも典範改正がなされないままなら秋篠宮様が皇太子に準じる立場になることは否定できない、といった考えのようです。

高森氏のWill記事は、天皇の生前(自由)退位の危険性などにも言及していますが、まさに今、この危険性が現実味を帯びることになってしまったわけです。だからこそ、高森氏が指摘している問題は現時点でも注視すべきことと思うのです。

それにしても、こんなに皇太子殿下のお立場をないがしろにし、秋篠宮様を摂政にすべきというおかしな議論が展開されてきた後に、まさか陛下ご自身に対し「生前退位よりも皇太子殿下に摂政になっていただいてはいかがか?」という案が保守層から出されてしまったことは、皮肉としか言いようがありませんね。皇太子殿下が摂政になることを陛下があれだけ拒絶し、あくまでも生前退位(両陛下の言によれば“譲位”)にこだわりを見せられたのは、この辺りにも理由がありそうだと個人的には思います。
sidetitleプロフィールsidetitle

キリアキ管理人

Author:キリアキ管理人
今上陛下の生前退位に伴い、国民の理解や同意が得られないまま「秋篠宮様を“皇嗣”(継承順位1位の皇族)として皇太子に準じる扱いにし、支給される皇族費もこれまでの3倍に増やす」ということも一緒に勝手に決められてしまいました。
この問題に危機感を持ち「あらゆる方面から見ても秋篠宮様は皇嗣にふさわしくない方である」ということを、過去の雑誌記事の引用(原則全文)により検証することを目的としたブログです。2020年に予定されている「秋篠宮立皇嗣の礼」に一石を投じたいです。

sidetitle最新記事sidetitle
sidetitle最新コメントsidetitle
sidetitle月別アーカイブsidetitle
sidetitleカテゴリsidetitle
sidetitle検索フォームsidetitle
sidetitleRSSリンクの表示sidetitle
sidetitleリンクsidetitle
sidetitleブロとも申請フォームsidetitle

この人とブロともになる

sidetitleQRコードsidetitle
QR