秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その7~あくまでも抗った新潮、宮内庁サイドに迎合した文春④

今回も引き続き、
1996年12月12日号 週刊文春 「紀子さま同席で語られた秋篠宮『タイの愛人』問題」 前代未聞「火のない所に煙」会見
の後半部分を引用させていただきます。

◆お心を痛められた紀子さま

宮内庁は半年の間、執拗に訂正を求め続けた。しかもその働きかけは、最初が総務課長と報道室長から編集長へ、二度目が次長から副社長へ、さらに長官から常務へ、と次第にレベルを上げているのだ。しかし新潮社側は一貫して、「訂正はしない」。
誕生日会見が行われたのは、そんなやり取りの直後だったのである。
「殿下には、記者クラブから事前に提出される質問のどれに答え、どれに答えないかという最終決定権があります。女性問題については、この機会に自らの言葉で話しておきたいというお気持ちが強かったのでしょう。皇族方がご自分のお言葉で話される機会はお誕生日会見しかないので、記事が出てから半年後になってしまったのは仕方ないこと。
一方、宮内庁には、自らの抗議ではラチが明かないため、殿下のお言葉を借りようという狙いがあった。
日頃、“宮内庁の広報”とまで揶揄される記者クラブにも、『この件だけは聞いておかなければ、どう批判されるかわからない』というプライドが働いた。
三者の思惑がうまく噛みあって、あのやり取りが実現したのだと思います」(元宮内庁担当記者)

今回、宮内庁記者クラブから出された質問は、四つあった。
まず、今年一年で印象に残ったことは何か。
二番目は、眞子さま佳子さまお二人の内親王の教育について。この問いには主に、紀子さまがお答えになった。
四番目は、国立総合研究大学院大学から博士号を受けられたことについて。
問題の質問は、三番目である。晩餐会欠席に批判が出たこと、宮内庁が抗議している一部週刊誌の報道や、今後の公務と私用の兼ね合いをどう考えるか、お尋ねしたものだった。
殿下はまず、晩餐会欠席の件について、説明された。天皇陛下や宮内庁の了解をとっていたこと。一年延期した上、タイ政府を始め、多くの人たちが半年以上前から準備していたという事情があったこと。公務と私用の兼ね合いについては、
「公務を優先させるべき」
とした上で、
「宮中行事は、全皇族の日程を考慮して決められてはいません。皇族全体を対象としたものと、特定の皇族に限定して行われる行事がぶつかった場合、後者を優先させるほうがいいのではないかと思います」
とお答えになった。そのあとで『週刊新潮』の記事に触れ、
「宮中晩餐を欠席してタイに行ったことの是非についての記事であれば、議論は大切だと思います」
と述べられて、
「女性問題は根も葉もないこと」
と続けられたのだ。紀子さまはその間、お隣で小さく頷いておられた。
「一連の報道でお心を痛められたのは、むしろ紀子さまではないでしょうか。不仲とまで書かれたわけですから。会見のお姿も、少し窶(やつ)れられたような印象を受けました」
と、川嶋家の知人は言う。
ご会見の様子がテレビや新聞で報じられた11月30日の夜、御所では殿下の誕生日を祝う食事会が開かれた。
「秋篠宮ご夫妻に眞子さま、佳子さまを囲んで、天皇陛下と皇太子殿下のご夫妻、紀宮さま、加えて川嶋教授ご夫妻。記者会見のことなど話題にのぼらず、お子さまの成長ぶりなどに遅くまで話が弾んだようです」(宮内庁関係者)

◆愛人と目された女性も困惑

とはいえ、問題の女性が実在するのかしないのか、やはり気になるところではある。『週刊新潮』側はもちろん、
「報じた内容は間違いない」(松田編集長)
という立場。
これに対し多紀名誉教授(前出)は「ありえない」と断言する。
「お相手と目されている女性は、半分は私の教え子のような研究者です。夫のある身ですし、彼女もとても困っているんです」
4月のタイ行きに同行した、別の研究者の証言。
「あのころ宮さまと、『きちんと文書で反論しようか』と話し合いもしました。しかしそれをやれば、かえって騒ぎが大きくなると考えて、やめたんです。
結果として、今回ご自分の言葉で話されたことは正解でしたね」
会見の評判は概ね良好だ。
宮内庁関係者の話。
「20分の予定の会見が、40分に延びました。和やかな雰囲気でしたが、あそこまで踏み込んでしっかりしたお答えがあるとは、記者たちも考えていなかったようですよ」
皇室評論家の岸田英夫氏は、こう感想を述べる。
「美智子皇后や雅子妃のように記者の質問に文書で答えるのではなく、記者たちを前にご自分の考えを述べられたのはとてもよかった。出版社に対しての直接の抗議であり、しっかり対応できない宮内庁への批判にもなっていました」
当の『週刊新潮』松田編集長も、殿下がご自分の言葉でお話になった点には意義を認める。
「ほとんどの役所が情報公開を進めている中、宮内庁だけが時代の流れに逆らっている。殿下ご本人があのようにお話になるのはこれまでんかったことで、国民の知る権利を満たすし、歓迎すべきことです」
紆余曲折あるにせよ、今度の騒ぎが「開かれた皇室」に向かう動きのひとつだとすれば、国民にとっては喜ぶべき傾向に違いない。
来たる9日は、皇太子妃・雅子さまのお誕生日。こうした流れを受けてかどうか、どうやらご成婚以来初めての単独会見が実現しそうな運びとなった。皇室の歴史からいえば、これまた異例中の異例だそうである。


(記事終わり)

文春の記事全体を一読してみると、自分たちの記事にプライドを持って最後まで抵抗していた新潮に比べると、宮内庁にはチクリと言えても、秋篠宮様・川嶋家サイドには完全に迎合した印象が拭えません。あの「火のない所に煙」会見を「好評だった」と称してしまう辺り、文春は詰めが甘いと言わざるをえません。

文春はせめて「秋篠宮様単独の愛人疑惑報道がなされた時」ではなく、「川嶋教授の御所訪問が取り上げられた途端」になぜか抗議行動に移った宮内庁の不自然な態度に疑問を呈することくらいはしてもよかったと思います。どう考えても、川嶋教授の件が出てきた途端に半年にわたって担当者のクラス(レベル)を上げながら執拗に抗議と訂正要求を続けた宮内庁の態度は、おかしすぎますから。これは宮内庁が誰か(どこか)から執拗にけしかけられて、新潮が謝罪・訂正をするまで抗議を続けるように命令されたからとしか思えないのです。まるで宮内庁の背後に圧力団体がいるような印象を受けてしまいます。

秋篠宮様ご本人も「前から機会があれば自分の言葉で反論したい」と述べていらっしゃったようなので、お誕生日会見を使ってご自分の言いたいことを通すことができて、さぞご満足だったのではないでしょうか。そして前から薄々分かってはいましたが、皇族のお誕生日会見では「記者クラブから事前に提出される質問のどれに答え、どれに答えないかという最終的な決定権がある」とのこと。昨年の秋篠宮様のお誕生日会見で紀子妃と悠仁様の乗られた車が追突事故を起こした件について完全にスルーされていたことは記憶に新しいですが、「あの事故のことは一切しゃべらないし質問もさせない」という決定権を秋篠宮様(と紀子妃)がお持ちでいらっしゃったということですね。自分たちの方が加害者側になったということを蒸し返されるのがそんなに不都合だったというのでしょうか。どうせなら紀子妃自らが夫の誕生日会見で「私たちにもっと警備がついていれば、あの追突事故は防げたと思います。私たちにもっと警備を増やしていただけると有り難いのですが」と正直に話せばよかったのに、と思います。でもそれは国民からの反発が予想されるからできなかったんですね。

話はそれましたが、秋篠宮様は「愛人」の件については事実無根だと反論しています。しかし、そのほかの批判要素については、自分に不都合なことなのかスルーしたままというのが気になります。
秋篠宮様が批判されていたことは、何も愛人疑惑のことだけではありません。

大使館員を煙に巻いて、スケジュールを突然変更して勝手に気ままに行動してしまうこと。
社会見学と称してソープランドに行ってしまったこと。
珍しいナマズなどの生き物を持ち帰ると言ってきかないこと。
タイにはいつもお気に入りの取り巻き連中(民間人)を引き連れていること。


これらも秋篠宮様を批判する要素として雑誌に挙げられていましたが、これらについては秋篠宮様も記者もスルーなのは卑怯という感じがします。

それに、愛人として噂された相手は、文春が挙げていた女性(同じ研究所の既婚女性)だけではありません。秋篠宮様や文春が明確に否定しているのはその研究者の女性についてだけですが、「ほかにも噂になっている女性は複数いた」という証言が挙がっていることについては、秋篠宮様はうまくスルーしているように見えてしまうのです。

当ブログでも以前取り上げさせていただいた「噂の真相 1996年7月号」は、3人の女性を挙げていました。
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-4.html

一人目:タイ外務省の東アジア課につとめる女性
二人目:タイ前国王(プミポン)の末娘であるチュラポン王女
三人目:カセサート大学付属水産研究所の女性研究員


秋篠宮様や文春が否定している女性研究員と、噂の真相が挙げていた三人目の女性研究員が同一人物であるかどうかは定かではありませんが、秋篠宮様は一人目と二人目の噂についてはスルーしているように思うのです。
噂の真相は特に二人目の王女の一件を問題視し、「これが事実であるなら外交問題に発展しかねないような大スキャンダル」「チュラポン王女は秋篠宮ご夫妻の結婚式にも強引に出席を要求してきた」と書いています。
皇族の結婚式には海外からの来賓は呼ばないという方針であったにもかかわらず、チュラポン王女が秋篠宮ご夫妻の結婚式のために来日をごり押しし、式にも無理やり出席したという一件は事実のようですが「なぜそこまでのことが例外的に許されたのか」ということの理由は、未だに判明していません。

しかし残念なことに秋篠宮様ご本人が愛人の一件を会見で否定・反論したことが転機となり、「秋篠宮様の愛人疑惑の件はこれ以上取り上げることができなくなった」という風潮がマスコミに漂うことになったのでしょう。
後で当ブログでも取り上げる予定ですが、宝島本社と文藝春秋社長宅に銃弾が撃ち込まれた事件(1993年)のようなことを再びされては困る、という恐怖もあったでしょうね。

そして秋篠宮様の逆襲は、この会見だけにとどまることはありませんでした。
その後(1998年)、秋篠宮様の肉声を詰め込んだ『秋篠宮さま』(毎日新聞社)という一冊の本が出版されることになりました。

次回以降、この『秋篠宮さま』の件を取り上げていきたいと思います。
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