秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その10~噂の真相によるより詳細な記事①

『秋篠宮さま』という宮様の肉声本について、あの「噂の真相」も記事にしていました。前回ご紹介した週刊現代に比べて長めの内容となっております。この「噂の真相」の記事を何回かに分けてご紹介させていただきたいと思います。

※今回、本当は違う雑誌記事をご紹介する予定でしたが、その雑誌記事の一部が欠けていたため、多少順序を変えて違う雑誌記事をご紹介することになりました。
今回掲載できなかった記事については、完全版を準備でき次第当ブログでご紹介したいと思います。何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。


噂の真相 1998年9月号
『秋篠宮告白本でわかった皇室と宮内庁“暗闘の構図” 』


▼宮内庁も寝耳に水の秋篠宮告白本

雅子妃懐妊の兆しもなければ、紀宮の結婚話も具体化しない。もはや、女性週刊誌に話題を提供する力さえなくしてしまったかに見える最近の皇室。だが、この「殿下」だけは例外のようだ。

2年前、タイ愛人問題で世間を騒がせたばかりの秋篠宮が、今度は単行本出版で話題を集めている。
6月29日、毎日新聞社から出版された『秋篠宮さま』は発売以降、増刷に増刷を重ね、1週間で10万部を突破。週刊誌やテレビもこぞってこの話題を取り上げた。
それも当然だろう。この単行本、表向きは同社の元宮内庁担当記者・江森敬治による秋篠宮論という体裁をとっているが、実際は秋篠宮自身の肉声が満載されている一種の「告白本」というべき内容なのである。

<私は昭和天皇というのが、別の世界にいる人のようなとらえ方をして おりました。自分でそうしていたのかもしれないですけれども同じ家族という感じでは、接してなかったです>

<学生時代に両親から『勉強しなさい』とよくいわれましたけど・・・ (笑う)。勉強が大嫌いでしたから>

<結婚してから何人かの友人に、ビヘービア(行動)が少しよくなった と言われます。 お行儀というか、主にアルコールの話です。家内は、 私の酒とたばこを大変、心配しております>

他にも小さい頃、現天皇に怒られて池に放り込まれた体験、紀宮をいじめていたという話、さらには学生時代、ベ平連のイデオローグだった故・ 鶴見良行教授と親交があったなど、興味深いエピソードが秋篠宮の口から 直接、次々と語られているのだ。そして皇族という自分自身の立場については、こんな感想まで登場するのだ。

<どこへ行くにも、下見をしたりとか必ず何人かついてきたりとか、それはやはり窮屈に思ったこともあります。そういう生活を、あなたやってごらんなさいと言われたら、十人中十人が窮屈だと思うでしょう>

しかし、この単行本がマスコミを仰天させたのはこうした微笑ましいエピソードや心境の吐露ということだけが理由ではなかった。同書の後半、秋篠宮はこんな発言をしていたのである。

<私の小さいころでも、内舎人とか侍従の接し方が、必ずしも適切ではない場合もあった。本人たちは一生懸命にやっていても、他人の子と接するわけで、どこかに感覚のズレみたいなものが出てくる。ことなかれということも、あったと思う>

<私は宮内庁が皇族の希望を制限しているとは思わないが、もっと気配りが必要だ。例えば、会社や学校だと顧客らや学生のニーズというものを考えてどうして売り上げを伸ばすのかなどと考える。宮内庁職員も皇族や国民のニーズにどのように答えていくか、そのあたりをもっと考えてもらいたい>

天皇家の一員がここまで露骨に、身内であるはずの宮内庁に不満をぶつけたというのは前代未聞ではないだろうか。
もちろん、秋篠宮は新聞記者の誘導尋問に乗せられてこんな勇ましい発言をしたわけではない。
版元の毎日新聞関係者が語る。
「著者の江森はたしかに宮内庁を担当していたことがありますが、スクープを狙うようなやり手記者ではないし、今は社会部からもはずされている存在。秋篠宮とは個人的な友人なんです。なんでも夫人が紀子妃の父親である川嶋(辰彦)教授の教え子だった縁で、秋篠宮と家族ぐるみの付き合いをしているらしい。今回の出版ももともとは秋篠宮自身が言い出したことであり、江森は秋篠宮に頼まれて書いたというのが真相です

(記事引用ここまで)

『秋篠宮様』を書いた江森敬治氏ですが、改めて申し上げる通り、紀子妃の実父である川嶋辰彦氏の教え子の夫ということで完全に秋篠宮ご夫妻寄りの人物です。上記記事では「秋篠宮様から出版を言い出した」とまで言及しており、秋篠宮様としては、ご自分の素行の件について雑誌に色々と書かれてしまったことがとにかく悔しかったのでしょう。懇意の人物を使ってご自分擁護のような本を出版させたということがますますハッキリしてきました。

昭和帝を「別の世界の人」とか「同じ家族という感じではなかった」と発言されたこと自体は、それだけ昭和帝が偉大で畏怖すべきご存在だったという解釈もできるように思います。しかし、秋篠宮家支持派が盛んに言っている「秋篠宮様は皇太子殿下より昭和帝に可愛がられていた!」という主張も、説得力がなくなりますね。秋篠宮様が本当に昭和帝から可愛がられていたら、祖父である昭和帝との距離もそこまで離れていると感じたこともなかったはずです。

「勉強が嫌いだった」という発言、週刊現代も取り上げていましたが、この辺は正直でいいのではないでしょうか。ただ、このように「勉強嫌い」と自らおっしゃっていた方が、ご自分をまるで研究者のように見せ、ハリボテ博士号を取得するために色々な手を使ったというのはどういう意図があるのでしょうか。「自分は勉強や学問に向いていないので学位など不要です」という態度の方がよほど好感度が上がったのに、この方はこういうズレた一貫性のない行動をとるのでどうしても不信感が拭えないのです。

「ベ平連のイデオローグだった故・ 鶴見良行教授と親交があった」とありますが、この点について『秋篠宮さま』から少し補足をさせていただきたいと思います。

>『水滸伝』がお好きだった宮さまだが、最近は、鶴見良行さんの本が好きなのだそうだ。『ナマコの眼』の著者の鶴見さんだ。
>鶴見さんについて、若干説明を加えておきたい。鶴見さんはベトナム反戦運動「ベ平連」活動に従事。アジア太平洋資料センターの設立と運営などに尽力した。特に、フィールドに密着してアジア、日本をとらえなおす研究に功績を残した。『ナマコの眼』や『バナナと日本人』などの著作で知られ、一九九四年十二月に死去した。
>宮さまは鶴見さんのアジアの大地を駆け巡る行動力と事実に即し民衆の視点から歴史や社会現象をとらえなおす学問の姿勢に魅了されたらしい。
>鶴見さんとの出会いは、一九八八年。当時、非常勤で学習院大学で中国語を教えていた原島春雄さん(故人)に宮さまが「鶴見さんにお会いしたい」と頼まれたという。原島さんは直接、鶴見さんとは面識がなかったようだが、なんとか連絡をつけてくれた。それで目白の飲み屋で一緒に酒を飲みながらいろいろな話をしたという。
>その時には、学習院女子短大教授(現、学習院女子大学教授)の高橋新太郎さんや東京水産大学教授(現、同大学名誉教授)の多紀保彦さんらも一緒だったという。
同じころ紀子さまも上智大学で鶴見さんの講義を数回、受けられたという。

秋篠宮様がどういう交友関係を持とうと、当時は「陛下の次男坊だし…」ということであまり関心は持たれていなかったかもしれません。秋篠宮様は、アジアなどを自分の足で歩き、自分の目で色々なものに接して確かめていく鶴見氏のライフワークのあり方が羨ましかったのかもしれません。秋篠宮様は皇族の中でもかなり自由気ままに過ごされているように見えますが、それでもまだご自分の置かれた環境に不満で「鶴見氏のようにもっと自由にあちこち動き回れたら…」という憧れがあったのでしょうか。
この方は、やはり皇籍離脱して民間人となった方が向いていたのでは?と思わずにはいられません。
秋篠宮様から何度も「皇族やめてやる」「皇籍離脱したい」という発言があった時、周囲は反対せずに「どうぞどうぞ」と背中を押して上げた方が良かったと改めて思うのです。
しかし、多紀保彦氏はここにも名前が出てきていますね。さすがお取り巻きという感じです。
紀子妃が上智大学で鶴見氏の講義を受けたことがあるという件ですが、まあ他大学の人が聴講生として講義を聞くことは別に構わないと思いますが、こういう情報を目にしてしまうと、鶴見氏のこともどうやら紀子妃の方が先に知っており秋篠宮様に「こんな人がいる」と紹介した?と思いたくなりますね。秋篠宮様は何だかんだいって、紀子妃や川嶋家の影響を色濃く受けていると思わずにはいられません。

しかし、鶴見氏の生き方に憧れたり、窮屈な生活を嫌がったり、秋篠宮様は本当に過剰警備というものがお嫌いな方なのでしょうね。次代「皇嗣」などという扱いになって警備が厚くなることは、秋篠宮様は本音では嫌がっていると想像します(警備を厚くしてもらいたいと思っているのはおそらく紀子妃の方)。

そして週刊現代でも触れた通り、秋篠宮様による宮内庁批判ともとれる件について「噂の真相」も触れています。
次回ページを改めて引用させて頂きたいと思います。
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