秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その11~噂の真相によるより詳細な記事②

引き続き、「噂の真相」 1998年9月号の 『秋篠宮告白本でわかった皇室と宮内庁“暗闘の構図” 』を引用させていただきます。

(記事続き)
実をいうと、このタイ愛人報道の情報源は他でもない、宮内庁内部だったのである。前出の宮内庁関係者が語る。
「今だから明かせるんですが、宮内庁の複数の職員が『週刊新潮』に情報を流していたんです。彼らはオクではなくオモテの人物で、宮内庁内部では具体的な名前も判明しています。名前はいえませんが、課長補佐クラスの人物も含まれています。『週刊新潮』に殿下と紀子妃が近所に聞こえるような声で大喧嘩をしていたというクダリがありましたが、あれだって、秋篠宮邸に隣接して宮内庁の職員住宅があるからわかることなんです」

そういえば、一連の報道に対する宮内庁の対応は不可解きわまりないものだった。まず騒動のキッカケとなった宮中晩餐会の件。秋篠宮欠席の理由をマスコミに追及された際、宮内庁は「意思を尊重し、熟慮の上、不本意ながら決めた」と暗に秋篠宮のわがままであることをほのめかす発表をしている。
愛人問題でも同様だ。『週刊新潮』がはじめてタイの愛人の存在を書いたのは96年4月だが、宮内庁はその後、2ヶ月もの間、何の抗議もしていないのだ。
こうして見ると、一連の秋篠宮批判報道に何らかの形で宮内庁の意思が働いていたのは間違いないだろう。そして、秋篠宮はこうした宮内庁の不可解な動きを知って、今回の単行本出版を決意した、そういうことのようだ。実際、秋篠宮は同書の中でもタイ愛人問題に触れ、こう断じている。

<(宮内庁が)報道発表の時に、変な発表をしてしまった。それが問題が大きくなったきっかけだと思われる>
 
前出の宮内庁関係者もこう語る。
「愛人報道の直後、秋篠宮殿下は江森さんら取り巻きの方々に宮内庁に反論したいと相談され、最初、『週刊ポスト』に『匿名の側近が代弁する秋篠宮の肉声反論』という記事を掲載したんです。その流れの中で、単行本も作ろうということになった。最初はもっと早く出す予定が慎重に表現をチェックしたりしているうちに、ここまでずれこんだということのようです」

ある宮内庁OBは苦り切った表情でこういう。
「宮内庁は秋篠宮殿下にはずっと手を焼いてきましたからね。とにかくわがままで、皇族としての自覚がまったくない。宮内庁の困りものなんですよ、殿下は」
たしかに秋篠宮のこれまでの行状は、皇族というイメージからは程遠いものだった。
学生時代はまったく勉強せず、成績はほとんど最下位。若いときから髭をたくわえ、ブランドものを身につけ、外車を乗り回す。一方、皇族の責務といわれる宮中儀式などはおざなりで、ブレスレットをつけて儀式に出席し、顰蹙を買ったこともある。

きわめつきは、紀子妃との結婚をめぐる経緯だろう。兄の皇太子がまだ 結婚していなかったこと、昭和天皇の喪が明けていない事情もあって、周囲から猛反対を受けるのだが、秋篠宮は「結婚を認めてくれないなら、皇族をやめる」とダダをこねて強行してしまったのである。
また「女好き」「プレイボーイ」を物語るエピソードにも事欠かない。
「独身時代、学友に『恋人は7人いる』と豪語した」「テニスサークルを作って、お気にいりの女子学生を次々に入れさせていた」「結婚後も学習院出身の女性と付き合っていた」等々・・・。

 (引用ここまで)

やはり予想通り、宮内庁は宮内庁で秋篠宮様の行状に長年手を焼いており、不満をため込みウンザリした気持ちでいたということが見えてきました。
もちろん、本来は自分らが守るべき皇族について、宮内庁職員がマスコミにあれこれ情報を流すことは正しいこととは思えません。今の時代でも、東宮ご一家が宮内庁からの悪意のリークによって理不尽に苦しめられてきていることを思うと、宮内庁のやり方が良いと言うことはできません。
本来であれば年配のベテランの側近が一言、「宮様、それはやってはなりませんよ」と毅然と注意するのが一番良いのでしょうが、秋篠宮様が素直に言うことを聞かないか、あるいは秋篠宮様とそこまで信頼関係を結んでいる職員が皆無だったのかもしれません。
そして上記記事でも述べられている通り、宮内庁は最初は「秋篠宮様批判記事」を完全にスルーしていたのです。しかし、例の「川嶋辰彦教授が御所に怒鳴り込みに訪れた」という新潮記事が出てようやく宮内庁は重い腰を上げて、新潮社に抗議をしました。宮内庁は秋篠宮様のためには動く気はなかったけれども、なぜか川嶋家のためには動いたのです。
しかし、この「宮内庁は川嶋教授の記事が出て初めて執拗な抗議行動に出た」という理由を、詳細に検討したメディアは見当たりませんでした。

一方、秋篠宮様は秋篠宮様で、江森氏の本の中でさんざん宮内庁に対する不満を述べているにもかかわらず「自分のバッシング記事の時には全然動いてくれなかったくせに、なぜ川嶋教授の記事が出て初めて抗議に出たんだよ」という肝心の部分での不満は一切述べていないようなのです。

この辺りは本当に不自然で謎が多いとしか言いようがないのですが、この頃から秋篠宮様は、川嶋辰彦氏を疎ましく思うよりは自分の味方に付けた方が何かと便宜があるという判断をしたような印象を受けるのです。
川嶋辰彦氏のツテをたどって江森氏に本を書かせたことに始まり、あらゆる場面で川嶋氏とタッグを組んでいこうという考えになっていったように見えてしまうのです。
川嶋氏も川嶋氏で、娘の紀子妃の今後の皇室内での立場を考えると、皇族である娘婿を敵視するよりは自分の都合の良いように“利用”していくことが得策だと考えたのではないでしょうか。

例の「火のない所に煙が立った」会見の後、秋篠宮様はお身内とお誕生日祝いをしたそうですが、そのお祝いの席にちゃっかり川嶋夫妻も参加していたということは以前ご紹介した文春記事に掲載されていました。↓

(1996年12月12日号文春記事より)
>ご会見の様子がテレビや新聞で報じられた11月30日の夜、御所では殿下の誕生日を祝う食事会が開かれた。
「秋篠宮ご夫妻に眞子さま、佳子さまを囲んで、天皇陛下と皇太子殿下のご夫妻、紀宮さま、加えて川嶋教授ご夫妻。記者会見のことなど話題にのぼらず、お子さまの成長ぶりなどに遅くまで話が弾んだようです」(宮内庁関係者)


おそらくこの「火のない所~」会見にも川嶋教授の思惑が絡んでいたのではないでしょうか。
「まあ、愛人疑惑の件はこれでさっぱり忘れて、
今 後 も 一 つ よ ろ し く 頼 み ま す よ 」

という川嶋教授の声が聞こえてきそうな感じがしませんか。そして秋篠宮様も、川嶋氏の持つ色々な「コネクション」を利用していこうという思惑が生まれ、それによって宮内庁も黙らせ、この辺りから秋篠宮家と川嶋家は一蓮托生になったように思うのです。

次回、「噂の真相」の記事の最終部分をご紹介いたします。
以前にご紹介したウワシン記事の「後日談」とも言うべき、興味深い内容が掲載されています。
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