『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 2

今回は江森氏著『秋篠宮さま』の第二章より、宮様の肉声を拾い上げていきたいと思います。

第二章 家族の思い出

<三歳くらいの時、両親が公務で出掛け、寂しくて泣いた思い出があります。
両親が留守の時は、侍従とかが世話をしてくれましたが、やはり肉親とはいろいろな点で違いました。学校の父兄参観日には母が都合がよくて来られる時は、必ず参観に来てくれました。都合が悪い場合は、侍従なり内舎人(うどねり:天皇家の男子皇族の世話をする男性職員)が学校に来ましたが、やはり母が来てくれたらと思いました。でも、しようがないとあきらめていました> P39

授業参観は「親に来てほしい」派の子供と「親に来てもらわなくてもよい」派の子供がいると思いますが、秋篠宮様は前者のタイプの子だったのですね。皇太子殿下はこういう時も「寂しい」とはおっしゃらなかったんだろうなと想像します。「親に来てほしかった」という甘えたことが言えるのも、帝王教育を受けなかった次男坊の“特権”であったかもしれません。

(博士号をとったときにこの話を公表しなかった件で)<これはまったく私的なことだから、分かったら分かった時でよい> P45

秋篠宮様がニワトリの研究で博士号を取得したことは当ブログでもご紹介しておりますが、皇族の立場を利用してその世界の第一人者たちを呼び、彼らの多大なる協力を得て論文を書いた(ことにした)ことを、単に大っぴらにできなかっただけの話では?と思ってしまいます。

<小学校高学年ぐらいになった時に、中学だったかもしれないが、数学で分からない問題を、父が一緒に解いてくれたこともあった。私はある時期、数学は全然できなかったから、そうすると父がやって来て、『この問題を解きなさい』と。『じゃあ、これは』と、随分、熱心に教えてくれた。兄や妹はそういうことはなかったのではないか。私がいちばん、デキが悪かったからでしょう。また、母も算数などを私に教える時に必ず図を書きながら説明してくれたことが今も印象に残っている。また、母とはよく音読も一緒にした。短い詩や和歌、平家物語などもずいぶん読んだ。意味とか解釈とかはほとんどせず、ただ読むだけなのでとても楽しかった> P51

「自分はデキが悪かった」ということを自覚していただけマシだったとも言えます。が、そのような「算数・数学苦手」な人が、自然科学分野で博士号を取得できてしまうものなんですね(笑)。不思議ですね。

<学生時代に両親から『勉強しなさい』とよくいわれましたけれど…(笑う)。勉強が大嫌いでしたから。結局、上から押し付けられて何かやることが、例えば、先生から宿題をやってきなさいとか、試験をするからしっかりと勉強をしなさいとか言われることがいやだったのでしょう。もっとも中国語で『勉強』と書けば無理強いするという意味ですから、勉強が嫌いというのは当然ともいえますね> P54

「他人から何か言われることが嫌い」「上から押し付けられるのが嫌い」という秋篠宮様の態度は、勉強に限らずあらゆる場面で出てくるのだろうと想像できます。だから皇太子になる教育も受けられなかったし、今でも誰かの言うことを素直に聞くことができない方なのでしょう。こんな方が、自分より身分の低い下々の民間人の言うことに耳を傾けるはずがありません。

<いちばん成績が悪かったのは中学生くらいだった> P56

<まあー、要領がよかったんでしょうね(笑う)。私は、試験の前でもほとんど勉強しないですから> P56

江森氏によると、秋篠宮様は普段は大体成績は下の方だったが、進学するときなど大切な時だけ成績が良くなる特徴があったとのことです。学習院高等科から学習院大学に内部推薦で進む際も、推薦試験の時だけ急に成績がよくなったとか…。江森氏は「秋篠宮様は集中的に勉強する生徒だった」と評価していますが、宮様ご自身が「試験の前でも勉強しなかった」と言っているのです。節目節目の時だけ成績が良くなるって何か怪しくありませんか?「秋篠宮様は学生時代の成績が最下位に近かったので、秋篠宮様と同学年の生徒からは一人も落第者を出せなかった」という逸話も聞いたことがありますが、真相やいかに…

<高校生のころ、翌日の英語の試験の前にこういうことがありました。日本文を英文に直す和文英訳というのがありますね。私は字があまりうまくないものですから、和文があって英文をその下に書くと読めなくなります。そこでタイプを覚えようと思い立ちました。これがグッドアイデアだと。そうしたら、タイプの方に凝ってしまった。一時間もガチャガチャとたたくとキーを覚えてしまった。そうなると楽しくなってしまって試験勉強は二の次になってしまいました> P57

はい、ここでも秋篠宮様は「試験勉強は二の次になった」と述べています。タイプに限らず、この方は一つのことに熱中しやすいが、同時に冷めやすい一面もありそうだなという印象です。

<私の両親は、孫たちに会うことを本当に楽しみにしており、また子供たちも、私の両親に会うことをとても楽しみにしています。ですから、もっと両親と私の子供たちが会う機会を多くしたいと思います。九七年も私たちがネパール、ブータンを外遊した際に、二回くらい、子供たちが御所に行って遊びました。御所に行くことをとても楽しみにしていて、玄関を入ると、いつも二人で駆け出して行きます。そして母や妹と、時がたつのを忘れるかのように遊んでいます> P59

眞子様や佳子様は、幼い頃両陛下(とサーヤ)のいる御所によく遊びに行かれていたようですね。97年頃というと、雅子様がお世継ぎご懐妊のことでかなり苦悩されていた時期だったはずです。そのような時に、兄を差し置いて先に結婚してしまった次男夫婦の間に生まれた子供たちが頻繁に祖父母のいる御所に遊びに行く様子を見て、雅子様はどのようなお気持ちになられたでしょうか。懐妊・出産のプレッシャーは、次男夫婦と東宮ご夫妻では重みが違うのです。

<両親に感謝することは、私の好きなことをずっとやらせてくれたということです。子供が何かをやりたいと言っても、それを否定する親もいると思う。
両親はそういうことはなく、とにかく、私の好きな分野をずっと歩かせてくれた。そのことに大変、感謝している> P60


このように秋篠宮様は、幼い頃から「好きなことを十分にやらせてもらえた」環境にいたのです。だから我慢とか忍耐とかそういうものとは縁がない方なのだと思います。50年以上、自由に好きなことをやれてきた方が、次代で簡単に皇嗣扱いになるなんて国民を随分馬鹿にした話ではありませんか。
秋篠宮様が好きなことをずっとやれてきた環境にいる間、皇太子殿下は己を律して生きてこられたのです。


<『ヒオウギアヤメ』という家内の印をなんで印としたのかというと、昭和天皇が、どういう関係にあるのか、『ナスヒオウギアヤメ』の由来や起源を知りたいという話を、家族で会食している時に食卓でされました。
昭和天皇が、なにかよい方法はないかと、私に聞かれた。それでは、私が進化生物学研究所の近藤典生理事長(故人)に相談してみましょうということで、そのプロジェクトが始まりました。
中間報告が進化研からくると、そのたびに私が昭和天皇に報告していました。私がイギリスに行っている間は、私の父がかわりに報告していたと思います。八七年の終わりか八八年の初めから、昭和天皇の具合が悪化するまでずっと続けられました。でも、最終結論は出てなかったと思います。
私もその『ヒオウギアヤメ』のことをよく知らなかったのですけれど、そういうことで昭和天皇が最後に興味を持たれたことの手伝いをした。それでやっぱり自分にとって大変な記念でしたから、家内の印が『ヒオウギアヤメ』になったのです。これは、私が両親と話をしたことによるものです(印は天皇陛下が決めて、お与えになる)> P61~62


紀子妃のお印を決めるにあたり昭和帝と秋篠宮様のエピソードが絡んでいたと知り、秋篠宮ご夫妻のあまりの厚顔無恥さに驚愕しました。秋篠宮ご夫妻が昭和帝の喪中に婚約会見を行い、喪中にも関わらずニタニタと下品な笑みを浮かべていたことを少なくない国民がはっきりと覚えています。昭和帝を一番愚弄していたのは秋篠宮ご夫妻だと思うのに、よく「自分にとって大変な記念でしたから、家内の印が『ヒオウギアヤメ』になった」なんてことが言えるものだと憤慨しています。私の中では、この肉声は『秋篠宮さま』の中ではワーストを争うほど不愉快な内容のものだと感じております。

<昭和天皇からの影響は、生物のことに関してはまったくないと思う。皇族のあり方とか、皇室の伝統とかの話も、あまりしたことがない。大分、前のことなのでよく覚えていないが、私たちが学校の話をしたりとか、普段の生活の話をしたりということが多かったように思う。どちらかというと昭和天皇は聞き役だった。
ご自分の学校時代の話をされることも、たまにはあったように記憶している。それと、印象に残っていることとして、吹上御所から、帰る前に、昭和天皇が、『ヒガンバナがきれに咲いているから、それを見に行こうか』というので、昭和天皇もこちらの帰る道筋の途中まで行かれて、一緒にヒガンバナを見たこと、そして吹上御所の庭を散歩中に、シメジが生えているからというので案内して下さったことがあった。
昭和天皇は、私たちにはとてもやさしかった。兄妹の中で、だれがいちばんかわいがられたというのは、わからないが、私は怒られたということは一度もなかった> P63~64


昭和帝が全てのお孫様に対してお優しい方だったということは事実だと思います。秋篠宮シンパは「昭和帝に一番可愛がられていたのは秋篠宮様だ!」と主張しているようですが、当の秋篠宮様ご自身が「誰が一番かわいがられたというのはわからない」と言っているようなのですが…

<いちばん印象に残っているのは、ピーッと鳴った時でした(心臓が停止された時)。最後にお話をしたのは、八八年の十一月でしょうか。十二月の時にはもう話ができなかったですから。あいさつをして『いかがですか』みたいなことをたずねました。日によってはご容体に違いがあったような記憶もあるのです。
結局、私にとっては祖父に当たるわけですよね。ただ、私は昭和天皇というのが、別の世界にいる人のようなとらえ方をしておりました。自分でそうしていたのかもしれないですけれども同じ家族という感じでは、接してなかったです。これは皇居という掘に囲まれた地理的要因が大きかったかもしれない> P64~65

「これは皇居という掘に囲まれた地理的要因が大きかったかもしれない」?え、そういうことではないような気がするのですが…

(戦前・戦中・戦後を経験された昭和帝のご苦労等について聞かれて)<とにかく私なんか、幸せな時代に育っていますから、随分、違うと思います。
ご苦労話を、昭和天皇から直接、聞くという機会はなかったです。そういう話をあえて昭和天皇はされなかったのかもしれません。こちらから聞けばなにかあったかもしれないですが、むしろ、私は父からそういう話を聞いたことがありました> P66

昭和帝は、戦争中の日本の国家元首・統帥として、真の意味で苦しい時代を生き抜かれた方だと思います。だからこそ、戦争に関しては逆に口が重くなったという事情が考えられると思います。それだけ重い事柄を背負われてきた方なので、孫にも容易にお話することができなかったのではないでしょうか。
一方で今上陛下は、まるで「自分の父(昭和帝)がやってきたこと、本当に申し訳ありません、息子の私が代わって皆さんに頭を下げます、平和こそ第一です」のような態度で「祈り・巡礼」を強調してきています。が、今上陛下はお立場上、戦争中でもかなり恵まれた生活を送られていたというお話も聞きますけど。

<どういう皇族を目指すかというのは、記者会見の時も、よく出てくる質問だと思いますが、皇族の一番上は、天皇です。皇族には天皇をサポートするという役目が不可欠で、それがかなり大きい位置を占めてくると思います。それプラス、いろいろな依頼事とかがあり、それらの仕事をする。皇族の立場としていえば、今はそういうことだという気がします。
もう32(歳)なのですけれど、例えば、これから十年ぐらいたってくると、また違う視野が出てくるのではないかと思います。自分の役目として、あるサブジェクト(題目)みたいなものが出てくるかもしれない。それはそれでまたいいのではないかと思います。自分なりの特色というものを出せたらいいな、と思います。
ただ、もうすこし時間がたってからの方がいいでしょう。今はまだ時期が早すぎますよ。あと十年、もう少しでしょうか。それと、いろいろな機会を通じて自分の意見なり、考えを率直に述べていこうかと思っています。これは大事なことではないでしょうか> P67~68


皆様、秋篠宮様の上記の肉声をよーーーーーーーく覚えておいた方がいいと思います。宮様ご自身が「天皇をサポートする」とおっしゃっているのです。果たして、このお言葉を次代でもきちんと心に留めたお振る舞いをなさるのか、お兄様が次期天皇陛下になられた時も臣下として新天皇をサポートしていく気概があるのか、国民としてよく見ておきましょう!
そして秋篠宮様は、皇族として言いたいことを率直に述べていくつもりであるともおっしゃっています。宮様は、今では何を言っても誰からも咎められることのない存在になってしまいましたが、けっこうとんでもないことを繰り返し述べています。宮様のご発言のこともいつか当ブログで検証したいと考えています。

現に日本に皇室というものが存在しているということは、やはり日本国民の支持があるからこそ続いているのだと思われます。そのようなことから考えますと日本国国民が皇室に対してどのようなことを考えているか、また、どのような皇室というものを期待しているのか、ということをやはり常に念頭に置いて、そして私たちの役割、仕事、務め、いろいろな言い方があるでしょうが、それを果たしていく必要があるのではないかと思います。やはり時代というのは少しずつでも変わっていっているわけですね。その中における皇室はその時代に即した姿というものが必要なのではないかと思っています> P69

はい、上記肉声もよーーーーーく覚えておきましょう。次代の新天皇陛下の、時代に即した新しいなさり方を秋篠宮様が臣下としてきちんとサポートするのか否か、よく見ておいた方がいいでしょう。
それにしても秋篠宮様の口から「皇室は国民の支持があるからこそ続いている」という発言が出ていたとは驚きました。果たして宮様は、平成皇室のやり方が日本国民の支持を得ていると本気で思っているのでしょうか?

<宮中祭祀を大切にしていきたいと思っている。拝礼の時も心の持ち方が大事であると考える。私はいつもご先祖に話し掛けるつもりでお辞儀をしている> P71

秋篠宮様が祭祀を大切にしているなどということは初めて聞きました。ちなみに秋篠宮様はただの一宮家当主にすぎないため、内廷皇族(天皇皇后+東宮家)のような厳格な祭祀は行いません。次代でも内廷皇族とはならないようなので、継承権1位をキープし莫大な予算を組んでもらいながら、厳格な祭祀は行わなくてよいし、祭祀にかかる経費も負担しなくてよいという歪みが生じるおそれがあります。

<どこへ行くにも、下見をしたりとか必ず何人かついてきたりとか、それはやはり窮屈に思ったこともあります。そういう生活を、あなたやってごらんなさいと言われたら、十人中十人が窮屈だと思うでしょう。私も同じ人間ですから、そういうふうに思ったこともあります。
ただ、今はそんなには感じなくなりました。というのは、私自身が出無精で、外に行くタイプではないので、その問題はかなり解消されます。
今度、生まれてくるとしたらなにに生まれたいか、ですか?生まれてくるとしたら、動物がいいな。人間でなくて…例えば?ヒツジがいいかもしれない。ヒツジになってひねもすのんびりと草をはんで。ヒツジに生まれてきたら、なんとなく楽しいのではないかという気がいたします。自分を動物に例えてみたら、なりたいのはヒツジですが。やっぱり巳年ですから、毒ヘビあたりかもしれないですね> P72~73

この箇所は、当ブログでもご紹介した週刊現代1998年7月18日号の冒頭にも引用されていました。とにかく「窮屈が嫌、不自由が嫌、もっと自由気ままにのんびりさせてくれ」という秋篠宮様の我儘がよく分かる肉声だと感じます。

(第二章終わり)
プロフィール

キリアキ管理人

Author:キリアキ管理人
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR