『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 5

今回は江森氏の『秋篠宮さま』より、第五章の宮様の肉声をご招待したいと思います。

第五章 外国との交流

<大学の時、私が主宰する形で自然文化研究会というサークルを作りました。顧問には、高校でお世話になった学習院女子大学教授の高橋新太郎さんと原島春雄さん(元学習院大学教授)にお願いしました。それからあと私の個人的に知り合いだった人たちに声をかけてタイに行きました。初めてのタイでした。
昔、王朝のあったスコータイという場所がありますけれども、そこで知事が主催する、遺跡の仲のバンケットがありました。その時、『飲み物は?』と聞かれて、『ウイスキーを下さい』と頼みました。そしたら≪メコン≫(タイのウイスキー)のソーダ割りが出てきました。赤木先生(赤木攻大阪外大教授・自然文化研究会の顧問を務めるなど宮さまと親しい)が『あ、これがメコンや』と言われた。飲んだらとても飲みやすかった。初めは、≪メコン≫というのはまずいお酒だという話しか聞いていませんでした。ところが、飲んだらすごくおいしいので、それでしっかり好きになってしまいました。これが≪メコン≫との出会いです。
自然文化研究会の普段の集まりというのはありません。会員たちの学校がみんなバラバラですから、春と夏に親睦旅行をやるぐらいです。タイを選んだのは、今まで行ったことがなく、また、興味がありましたから。私の希望でした> P127~128


秋篠宮様とタイの初めての関わりについて述べられています。秋篠宮様とタイのつながりは、あの自然文化研究会サークルから始まったようですね。この時から既に、秋篠宮様のお取り巻きの一人である赤木攻教授がしっかり関わっていたとは…。

<アユッタヤーの手前にあるバーンパインという昔の離宮に行きました。そこにはかなり大きなお堀がありまして、魚が泳いでいるのです。よく見ましたらテッポウウオでした。口から水鉄砲のように水を発射して、空中の虫を射落として食べる魚です。
歩いているうちに橋があって、そのそばでパンを売っていました。魚のエサだと言うのですね。三、四斤もある大きな塊です。ちぎってあげようとしたら、そのまま投げ込めと言われた。そこで大きな塊を放り投げたら、下からなにか出てきてひとのみにパクッと食べてしまったんです。東南アジアにはこんなすごい魚がいるのかと感心しました。それからタイに興味を持って仕事をするようになりました> P130


秋篠宮様、またここでも「タイに行くこと」を「仕事」と言い切ってしまっていますね。秋篠宮様の研究旅行はいつも私的旅行扱いであり、「仕事」などという理由で公的扱いされたことなど一度もないはずです。そもそも、秋篠宮様がクリントン大統領の晩餐会よりもタイ行きを優先したことが批判された理由も「晩餐会は一国のVIPをお迎えする公務であるのに対し、タイ行きはあくまでも私的な研究旅行だったから」ということが主でした。しかし、秋篠宮様ご自身の中では、研究は私的活動ではなく「仕事」なのですね。
そういえば秋篠宮様は幼い頃の眞子様や佳子様を連れて動物園に行くことすら「私にとってはある意味では仕事のようなもの」と言ってましたっけ(秋篠宮様の肉声編3をご参照ください)。
秋篠宮様は今も昔も、ご自分の“趣味”の範疇で動いていることを「これは仕事だ」と言って忙しくしているフリをなさるのがポリシーなのでしょうか。今後、秋篠宮様の「公務」を検討していくに辺り、秋篠宮様のこういう考え方(あくまでも「仕事」と言い切る)はかなり参考になると思われます。もちろん、あまり良い意味ではなくて。

(近藤典生博士との思い出について)
<伊豆のシャボテン公園などを作られましたが、普通の方と発想が違います。例えば、ある植物を植えると、同じ生態系の鳥やチョウを一緒に放し飼いにしたりとか、見ていてとても楽しくなります。
先生との一番の思い出は、インドネシアのニワトリ調査のときにコモドオオトカゲに乗ったことです。先生が『大丈夫だから乗りなさい』と言われたから乗りましたが、オオトカゲはとてもやわらない感触でした。でも、このオオトカゲは、私が降りて、また放飼場に放されたとたんにエサのニワトリだったかアヒルをバリバリと食べていました。乗った時に襲われなくて良かったとホッとしました。
先生から教えられたことで思い出すのは、名誉博士号はもらおうと思えばいつでももらえるだろう。やはり自分で論文を仕上げて博士号を取りなさいということ。それから現地に行って自分の目で動物や植物がどのような暮らしをしているのかを確かめなさいといわれたことです> P135~136


近藤典生博士は、財団法人進化生物学研究所理事長・東京農大名誉教授であった人です。タネなしスイカなど品種改良の分野で活躍し、秋篠宮様と一緒になる機会も多かったとのことですが、1997年1月に亡くなられたとのこと。秋篠宮様の例の博士号の授与式会場にも顔を出したようですが、この頃から体調がすぐれず公の場に現れたのはこれが最後であったとのことです。
近藤博士は、上記博士号云々の発言からも推測できる通り、秋篠宮様の博士号論文「ニワトリの起源の分子系統学的解析」の共同研究者の一人として名前を連ねています(当ブログ「ハリボテ博士号その5」をご参照ください)。
その共同研究者の一人が秋篠宮様に「自分で論文を仕上げて博士号を取りなさい」とアドバイスしたとのことですが、彼は共同研究者として秋篠宮様にどれくらいの協力を行ったのでしょうか。
しかしこうして改めて見ると、秋篠宮様の博士号取得にはその道の権威が多くついていたということが分かります。秋篠宮様お一人だけでは決して書くことのできない論文だったのではないでしょうか?
それにしても「オオトカゲがエサのニワトリだったかアヒルをバリバリ食べた」って…仮にもニワトリの専門家(笑)なのに、ニワトリとアヒルの区別もついていないんですか?とちょっと思ってしまいました。まあ、一瞬でエサを食べてしまったので見分けがつかなかったのかもしれないと解釈しておきますか(笑)。

<例えば、ここ(秋篠宮家)にタイのシリキット王妃から電話がかかってくることもあります。また、私からタイに行く前に、分からないことがある時など、逆に王妃にお電話を入れて教えていただくこともあります。王妃からのお電話の場合は、前もって、在日タイ大使館の秘書あたりが、私にこの時間なら自宅にいるかどうかの確認が入ります。
また、私から電話をかける場合は、同様に王妃がおられるかどうかわかりませんので、それでおられるかどうか、ご都合を聞いたうえで電話を入れます> P138


シリキット王妃は、昨年亡くなったプミポン前国王(ラーマ9世)の妃です。秋篠宮様がシリキット王妃と「直電」するような間柄であることは知りませんでした。プミポン前国王と秋篠宮様との間柄はどうだったのかは不明です。

<タイに限らず、外国の王室との今のような素晴らしい関係がずっと続けばいいと思います。次の世代ですが、例えば、ベルギーですと、今のフィリップ皇太子が、兄と同じ年です。オランダの皇太子は、むしろ私に近いです。私より二つぐらいお若いのではないでしょうか。スペインの皇太子も、私よりお若いです。ルクセンブルクは、少し上ですけれど、そんなに、年齢的には違いません。ですから、今後も皇室と外国の王室との良好な関係が続くことを願っています> P141

宮様の上記肉声ですが、一瞬ご自身が世界の王族と懇意にしていると言っているように見えますが、実は「あそこの王族は私と年齢が近い」ということを話してるだけですね。王族の年齢は調べれば分かることですが、ほかに具体的な懇意エピソードはないのか?と思ってしまいます。むしろ年齢しか話すことがない点が、かえって秋篠宮様と世界の王族との関係の希薄さを物語っているように見えてしまうのです。

<私は、公式、非公式の訪問にかかわらずたいていメモ帳をポケットに入れて持ち歩いていて、カッコ悪いとは思いますが、面白いなと思ったり、新しい情報が得られた時とかに取り出してメモすることにしています。もともとは学生のころによく写真を撮っていたので、あとで写真を整理する時に間違えないように、その時の状況などを書き込むために持ち歩くようになったのです。
ニワトリの調査の時などは、大体、夜の間にそれを整理します。夕食でレストランに行く前とか、帰ってきてすぐにします。公式訪問の時は、あまり厚いものは持ち歩けないので、小さいものをポケットにしのばせておいて、部屋に戻ってから別のノートなりパソコンに浄書します。あとで調べ物をする時に楽ですから> P146


まあ、何に関してもメモをとる習慣を付けること自体は良いことだと思います。
秋篠宮様がカメラや写真好きだということは割と良く耳にするエピソードですが、その割には私は秋篠宮様の写真の作品を見たことがないように思います。皇太子殿下は宮内庁の文化祭で風景の写真作品をよく展示されていますが、弟君はそういう話をあまり聞きません。

(第五章終わり)
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