当主不在の“ブラック宮家” その6~通訳女性まで“犠牲者”に…

ブログ更新が滞ってしまい大変恐縮です。
今回は、週刊文春2013年8月8日号の記事をご紹介したいと思います。多少長めの記事ですがご容赦くださいませ。

秋篠宮紀子さま 「氷の微笑み」の裏側
「日本語にもなっていない!」6月東欧ご訪問の際、厳しい叱責に通訳女性は泣きだしてしまったという。悠仁さまの教育に心を砕く筆頭宮家の緊張と焦燥。


淑やかな所作、一語一語に心を込める喋り方、そして止ん事無い雰囲気を醸し出すあの微笑。だが、一部の職員だけが知り、畏怖するというその素顔からは、将来の“天皇の母堂”としての覚悟が伝わってくる。精力的に公務を続けられる46歳、筆頭宮妃のプリンセスの現在。

青碧に輝く湖に浮かぶ小島。そこには白い塔が印象的な小さな教会がある。その鐘楼にある鐘を鳴らせば、誰でも願い事が叶うという“希望の鐘”。その澄んだ鐘の音に、紀子さまは何を願われたのか―。
ヨーロッパの屋根、アルプス山脈南端を有する人口約二百万人の東欧の小国・スロベニア。その日、秋篠宮ご夫妻は公務のため、彼の国の代表的景勝地ブレッド湖を訪れられていた。山に囲まれた箱庭のような美しい景観の、ハプスブルク家ゆかりのリゾートである。
「6月19日から30日、秋篠宮ご夫妻は中東欧三カ国を公式訪問されました。旧ユーゴスラビアのクロアチアとスロベニア、旧チェコスロバキアから分離したスロバキアは、昨年から今年にかけて日本との国交樹立20周年を迎えます。秋篠宮ご夫妻は12日間で三カ国をめぐるという過密なスケジュールで、記念演奏会や舞踏公演、大統領との晩餐会などに出席されたのです」(宮内庁担当記者)
その現地での最終日、6月29日は秋篠宮ご夫妻にとって、23回目の結婚記念日でもあった。日本では6月9日の皇太子ご夫妻の結婚20周年ばかりが注目されていたが、弟宮ご夫妻は海外公務先でその日を迎えられていたのである。
ブレッド湖の湖面を見下ろしながら、秋篠宮ご夫妻は、お二人だけのランチを楽しまれた。四つ星の「ホテル・トリグラウ・ブレッド」の中にある、「レストラン1906」のフロアマネージャー、ソニア氏が話す。
お店をご一行で貸切りにし、さらにご夫妻のテーブルを間仕切りで囲って、小一時間ほどではありましたが、お二人での時間を過ごしていただきました。日本のプリンスは『ムフロン』という羊の原種にニョッキを添えたもの、プリンセスは『ズラトーチータ』という鱒キャビアを添えたグリルを召し上がりました。全三品のコースでしたが、とても楽しそうにお食事をなさっていましたよ」
中東欧は近年、日本人にも人気の観光地となっている。ユーゴスラビア紛争から十年程が経ち、戦争からの復興も進んでいる。宮崎アニメ『天空の城ラピュタ』のモチーフとも言われている古城など、風光明媚な土地も数多い。
だが、この秋篠宮ご夫妻の海外ご訪問に、宮内記者会常駐の報道14社のうち、1社さえも日本から同行した社はなかった。
「皇太子のスペインご訪問直後であったことや、滞在期間が長く予算がかかるためです。ただ、報道陣が日本から大挙して現地に押し掛けた雅子妃のオランダご訪問に比べると、その注目度は格段に低いと言わざるを得ません」
(前出・宮内庁担当記者)

◆怒気をはらんだご叱声の迫力

また同じころ、日本では雅子さまが山梨ご訪問を前日の夜にキャンセル。小誌でも報じたように、一部のキー局では、雅子さまの久々の国内公務を生中継しようという動きもあり、県庁への取材は殺到したが、結局全てはご破算に。この“ドタキャン騒動”は大きく報じられ、秋篠宮ご夫妻の海外ご訪問はますます目立たなくなってしまった。
中東欧ご訪問に同行した現地関係者が話す。
「ご夫妻はその間も、一日3、4カ所の訪問先を巡り、ほぼ三日に一回は都市を移動されていました。それぞれの土地の気温差が大きいためか、さすがにご滞在の最後はお疲れの様子でした。朝9時前から夜中の23時までスケジュールがぎっしり詰まっている日もあったのです。特に妃殿下は、各国の大統領とお会いになる際は、お着物をお召しになっていましたし、準備にもお時間がかかったことでしょう」
中東欧ご訪問の随員は、わずか十数名。おそらく現在の雅子さまには難しいと思われるハードスケジュールを、秋篠宮ご夫妻は少ないスタッフでこなされた。
だが、のどかな中東欧の景観とは裏腹に、現場は緊迫した空気に包まれることもしばしばだった。紀子さまが随員に対し、苛立ちの感情をお隠しにならず、ときにはそれを周囲にぶつけられる場面も度々あったという。そして、その怒気をはらんだご叱声の迫力に落涙する者もいたというのだ。
それは滞在中盤、6月25日のことだった。
ご夫妻はスロバキアのタトラ国立公園にある植物園を訪問された。3.2ヘクタールの広大な敷地を誇る植物園では、270種以上のタトラ地方固有の植物を観察することができる。
同行した大使館関係者が打ち明ける。
「20度ほどの清々しい高原の空気のなか、植物園のスタッフは両殿下にそれら固有種の説明をしました。一時間ほどの行程も終わり、スロバキア側のスタッフが皆引き上げたあとのことです。紀子さまはとたんに、表情を一変させました。そして通訳の女性に向かって、『あなたが訳した植物の名前って、日本語にもなっていないし、なんだかよく分からない!』。そう語気を荒げ叱責したのです。
思わず耳を疑いました。それまでの穏やかな笑顔からは全く想像できないご表情で。現場は凍りつきました。かわいそうに、通訳の子は外務省の研修を終えたばかりの若い女性だったのですが、涙を流していたそうです」

小誌では駐スロバキア大使館に国際電話をかけ、通訳女性本人に事の顛末を問い質したが、かぼそい声で「そんなことはありません」と繰り返すばかり。秋篠宮ご夫妻はスロバキア側の担当者と直接、英語でやり取りしたと説明した。
だが、要人通訳の経験を持つ元外務省関係者は通訳の心中を察し説明する。
「たとえ担当した要人から叱責を受けたとしても、通訳は口外するわけにはいきません。それが皇族方なら尚のことです。それでなくても、通訳はぞんざいに扱われるのが常。会議の席次表なども『通訳』とだけ書かれ、個人名が記されていないなど日常茶飯事。『オイ』とか『キミ』としか呼ばれず、石ころのように扱う要人だっている。私は何百人と通訳をしてきましたが、お礼を言われたことは皆無でした」

◆「あの微笑みは“仮面”なのです」

ただし、同僚から聞いたある話が忘れられないという。それは欧州某国の大使館に勤務していた、三十代の若い専門職員の話だ。
「あるとき、彼は来日したその国の大統領夫人について、美智子皇后との通訳を務めることになった。しかし、極度の緊張と、知識豊かな二人の多岐にわたる話題に付いていくのが精いっぱいで、ある単語を訳し間違えてしまった。すると、美智子さまはその者だけに聞こえるような小さな声で、そっと訂正されたそうです。そのお優しさと語学力に、その者は驚嘆し、しかもその際に名前で呼びかけてくださったということに、すっかり感激していました」
今回の紀子さまのお振る舞いは、美智子さまとは対照的だったといえるかも知れない。かつて宮家に勤めたある職員が話す。
実はこれまでも度々、紀子さまの外でお見せになるのとは違うお顔を拝見したことがあります。私も初めは驚きました。ご会見などでの優美なお話の仕方や立ち居振る舞いを拝見していて、私もみなさんと同様、紀子さまにはゆったりとした、どこかスローモーな印象を持っていたのです。しかし、あの微笑みはいわば“仮面”なのです。仮面を外した宮家の中での素顔は全く違います。
その昔、『あなた自己中ね!』と女子職員を強い口調で説教されたこともありましたが、そんなのは序の口。具体的にはとても言えませんが、その人の至らない部分を酷い言葉に喩えてお叱りになることもありました。今ではあの冷たい微笑みに畏怖の念を感じます

勤務先としての秋篠宮家は宮内庁職員の間では、“ご難場”と呼ばれ恐れられているが、その理由に挙げられるのが、紀子さまの厳格なご性格だという。
元宮内庁職員も、当時を振り返りこう話す。
「あるとき秋篠宮家の中で、事務職員でない技官のポストに空きが出たことがありました。外部から応募がありましたが、当時私は採用してもよいものか、非常に迷いました。なぜなら、秋篠宮家のご内情について、前任者からよく相談を受けていたからです。
前任者は紀子さまに本来の仕事以外の雑務を頼まれたり、激しく非難されたことで精神的に参っていた。新任の方は地元での商売をたたみ、家族で東京に越してくると言っていたので余計に心配でした。『宮家に勤めれば箔がつくから』とご本人が強くおっしゃるのでお越しいただきましたが、結局その方は定年まで数年を残して宮家から下がってしまわれた

そして、紀子さまの職員へのご対応が一層厳しくなったのは、悠仁さまがお生まれになってからの、この数年だという。
宮内庁関係者が話す。
「秋篠宮家は五つの宮家の筆頭格とはいえ、東宮とは規模にかなりの差があります。それが将来の天皇である悠仁さまがお生まれになっても大して変わっていない。そこに紀子さまは気を揉んでいらっしゃるのでしょう。東宮職には50名の職員がいるのに、秋篠宮家には併任3名を含めて19名しかいません。悠仁さまご誕生の頃と比べても7名しか増えていない。雅子さまがほとんどご公務をなさらない中で、活発にご公務をこなされ、しかもご家族の人数も多いのに、です。将来の天皇である悠仁さまをお育てするのに適した体制とは言えない」
7月22日、英国王室では王位継承順位三位のジョージ王子が誕生したが、
「本来ならウィリアム王子ご一家と秋篠宮ご一家、ともに皇位継承順位二位と三位を抱くご家族に変わりはない。悠仁さまとジョージ王子は7歳差で、同世代でもある。20年、30年先の世界の王室外交を担うという意味においては、共に重要なカウンターパートであることを再認識すべきでしょう」(同前)
しかし実際には、悠仁さまに皇位が継承されるまで、その具体的なシミュレーションがしっかりと定まっているわけでもない。皇位継承問題が叫ばれて久しいにもかかわらず、主導すべき政治家は永田町の論理から脱することができず、議論が進む気配すらない。
例えば、皇太子が即位した場合、秋篠宮や悠仁さまがどうなるのかさえ明確ではないのだ。
京都産業大学の所功名誉教授が解説する。
「現行の皇室典範では、八条に『皇嗣たる皇子を皇太子という』とあるだけなので皇太子が天皇になった場合、皇子でない弟の秋篠宮が皇太子になるか否か、解釈が分かれています。本来なら『皇太弟』という表現を設けて明確にすべきなのです。ただ、その際、長女の愛子さまと甥の悠仁さまの立場はどうなるのか、まだはっきりしません。
仮に秋篠宮が皇太子となれば内廷皇族になり、それまでの本家と分家が一体化するのか、また眞子さま・佳子さまが一般男性と結婚したら秋篠宮は無くなってしまうのか、宮内庁も政府も議論を尽くしていないようです。そもそも今のところ悠仁さまは三代後の天皇になられる可能性が高いのに、筆頭宮家の一親王という扱いのままでいいのか。9月にはもう7歳になられるから、早急に十分な対策をとれるよう、法改正もする必要があります」

◆悠仁さま時代への“地ならし”

最近では、紀子さまのご意向を汲み取ってか、秋篠宮家では一部、宮家の“格”を上回るような好待遇へ舵が切られている。
「昨年8月の私的なベトナムご旅行以降、秋篠宮殿下は三回、海外を訪問されていますが、全てに東大の医師を同行させているのです。これまで、両陛下や東宮のように侍医がいない秋篠宮家では、訪問先の大使館付きの医師が医療を担当するのが原則でした」(ベテラン宮内庁担当記者)
また、公務に同行する宮内庁御用掛や内閣府事務官にはキャリア官僚が多く採用されている。今回の中東欧ご訪問にも同行した、内閣府事務官の谷みどり氏は経産省と併任でアメリカへの留学経験もあり、語学に堪能。御用掛の板倉敏和氏も旧自治省出身で、消防庁長官や長野県副知事などの華々しい経歴を持つ。
「随行医やキャリア官僚といった“ブレーン”を取り揃えるという秋篠宮家の新たな人事の方針は、悠仁さまが今後、成年皇族となられ、公務をなさる時代を見据えての“地ならし”ではないでしょうか。典範改正はすぐには行われないでしょうが、少しでも悠仁さまに資する体制を作ろうと必死なのです。
たしかにこれまでの秋篠宮家には“控えめの論理”が存在しました。特に兄宮である東宮に対し、上回って目立ってはいけない、控えめな存在でいるべきだというのが、行動原理だった。
しかし、雅子さまの公務復帰の見通しが一向に立たない現在、皇太子に準ずるような仕事をするようになってきているのは事実です。08年6月の岩手・宮城内陸地震の際、被災地にいの一番に乗り込んだのは、秋篠宮ご夫妻でした。たまたま秋篠宮殿下に『海フェスタいわて』の記念式典出席の公務があったということもありますが、皇太子ご夫妻は最後まで被災地にいらっしゃらなかった。その頃から従来の宮家とは異なる“第二東宮家”とも言えるお立場を意識していらっしゃるように思える。
それは将来の天皇の母である紀子さまのご自覚の顕れだと拝察します」(同前)

冒頭の6月29日のご結婚記念日、スロベニア料理を召し上がった秋篠宮ご夫妻は、その後、手漕ぎの乗り合いボートに乗って、湖の中ほどに浮かぶ小島(ブレッド島)に向かわれた。
その島のシンボルである8世紀に造られた小さな教会には、尼僧の悲恋の逸話とともに受け継がれた伝説の“希望の鐘”がある。
「両殿下は願いが叶うという鐘の紐をお引きになり、鳴らしておられましたよ。何をお願いされたのでしょうね?1976年、皇太子時代の天皇陛下もいらしたことがありましたが、『もう一人子供が授かりますように』と願いをかけられたそうです」(ホスト役を務めたブレッド市長のヤニス・ファイファー氏)
質素な環境にありながら、ご公務に、子育てにと奔走される紀子さまにとって、つかの間の安らぎの時間だったのかもしれない。

(記事終わり)

正直なところ、長い記事の割にはあまり面白くないといいますか、所々に東宮家(雅子様)に対するチクチクとした嫌味や、唐突な美智子皇后賛美などが挿入されていて、読んでいて不愉快な部分がいくつもあると感じます。
そしてこういう秋篠宮家ブラック実態を暴く記事は、最後はたいてい秋篠宮家(紀子妃)擁護で〆ていることが多いですね。紀子妃の職員いじめとも言うべき態度を「秋篠宮家は皇位継承者が二人もいるのに~」とか、「秋篠宮家は東宮家に比べて~」とか、常にそういう擁護に結論を持っていこうとする記事の姿勢は何とかならないのかと思うのです。

何度も言いますが、たとえ秋篠宮家に男子が生まれようと、皇位継承者が複数いようとも、公務と言われる活動を多くしようとも、秋篠宮家はただの筆頭宮家のままなのです。それが皇室の序列というものです。
職員数が少ないのも、予算が少ないのも、ただの宮家であるため現状では仕方ないのです。
それは東宮家のせいでもなければ職員のせいでもありません。


上記記事、色々とツッコミ所は満載なのですが、まともに解説を入れていくのも馬鹿馬鹿しい気がします。
まず、秋篠宮ご夫妻の海外行きにマスコミが同行しなかったのは、そこまで予算をかけてまで取材する価値がないと単純に思われただけではないでしょうか?文春記事は「東宮家ばかりに注目が集まるのがいけない」のような論調で書かれていますが、それは東宮家のせいでも何でもありません。秋篠宮ご夫妻にマスコミや国民の関心を引き付ける魅力がないのが最大の原因でしょう。それにしても大手マスコミさえも取材同行費用が出せないほど、秋篠宮ご夫妻の海外行きには莫大な税金が使われているのですね。
通訳女性が紀子妃から怒鳴られた理由もあまりにも理不尽といいますか、日本にない外国の植物を「分かりやすい日本語」に直すことは、植物の専門家ではない通訳にとっても難しい課題であったでしょう。通訳女性は自分の出来る範囲で何とか通訳したのでしょうが、無理が生じてしまったのは仕方ないような気がします。
そして通訳一般に関わる問題点を読んで、元外交官で通訳を行ってきた雅子様も、同じような理不尽な目に遭われてきたのだろうかと考えました。

そして上記記事でも「紀子妃はオモテとウラの顔が全然違う」という実態を暴露されています。私は割と早い段階(川嶋紀子さん時代)から紀子妃の本性のようなものを何となく感じ取っていたので(強かそうとか下心がありそう的な)、紀子妃が公の場では笑顔を見せ裏では常にイライラ恫喝するような方だと聞いても、「ああそういう感じがする」という感想であり意外な感じはしませんでした。
それにしても気になるのが、「具体的には言えないが、職員の至らない部分を酷い言葉に喩えて叱ることがある」という部分です。放送禁止用語?差別用語?みたいなものを使って職員を罵倒するということでしょうか。一体どれくらい酷いのか、想像もつきません。これが皇族のやることでしょうか。

そして案の定「悠仁様がいらっしゃるのに」という論調で、秋篠宮家の待遇が良くないことに対する擁護的記事が続いていきます。上記記事では「永田町(国会や政府)が秋篠宮様や悠仁様の待遇について法改正する動きをなかなか見せない」ということが書かれていますが、この当時は政府はまだ何もしようとしてなかったようですね。2013年当時は安倍政権(男系男子固執派)が誕生していましたが、ほかに手をつけるべき事項がたくさんあり典範や皇室に関することは“後回し”になっていたとしても仕方がなかったと思います。

今上陛下の生前退位(譲位)法案は、なぜか国民の深い議論もないままに秋篠宮様の待遇を大幅に改善してしまうという結論が採用されてしまいました(皇嗣扱いと予算激増、職員数大幅増員など)。上記文春記事は、秋篠宮家の待遇を宮家の立場を超えて良くしてしまうということが、この頃から少しずつ行われていたことに触れていますが、それだけでは飽き足らず、今上陛下の生前退位のドサクサに紛れて秋篠宮様の待遇を東宮並みにしてしまおうという横暴な手段に出ました。
手始めに山下晋司氏や所功氏などの子飼いの人物を使って「皇太弟」などという単語をちらつかせながら「秋篠宮家は男子もいるし皇位継承者も複数いるのに、東宮家と比べてこんなに待遇が悪いんですよ」というアピールを何回にも分けて行い、続いてNHKの橋口記者も使って今上陛下の生前退位に関する情報をリークし世間を巻き込み、まんまとご自分たちの待遇改善のための法案を通してしまったという印象しかありません。


ほかにも、上記記事は「秋篠宮家には控えめの論理がある」とか寝言を言っていますが、一体どこが「控えめ」だと言うのでしょうか。本当に控えめな方々は、こんなに頻繁に他人の口を使って「予算増やせ職員増やせ東宮家と同等かそれ以上の待遇にしろ」なんて言いませんよ。私は秋篠宮家に「控えめ」とか「遠慮」などというものを感じたことは一切ありません。逆に、どこら辺が「控えめ」だったのかその具体例を挙げてほしいものです。

また、秋篠宮様に東大の医師が同行するようになったという部分ですが、秋篠宮様ご自身にもしかして何か深刻な病状があるのでは?と思ってしまいました。しかし「東大」の医師だの、「キャリア官僚」だの、そういう形式に秋篠宮家がこだわっていることにどこか滑稽さを覚えました。

そして08年の岩手・宮城地震でまず被災地に行かれたのが秋篠宮ご夫妻であったことを必要以上に褒めていますが、たまたま「海フェスタいわて」という公務に秋篠宮ご夫妻が出席していたからこそ、一番最初に被災地に行けただけのことですよね。これでは東宮ご夫妻よりも先に現地に行けるのは当然ではないですか?
またこの地震で東宮ご夫妻が最後まで被災地に行かれなかったことを上記記事は責めていますが、実は両陛下もこの地震では被災地訪問をなさっていないようです。この時両陛下は全国植樹祭で秋田に行かれていたようですが、その際にスケジュールを一部変更し、陛下がお見舞いのお言葉を述べられ岩手県・宮城県にお見舞金を送ったというお話はありますが、被災地に行かれたという情報はありません。
そもそも、東宮ご夫妻は同じ内廷皇族として天皇家として、両陛下を差し置いて勝手な単独行動をとることができません。両陛下が被災地に行かれなかったのであれば東宮ご夫妻は当然先に被災地に行くことはできません。秋篠宮ご夫妻が被災地に行かれたのは「たまたま公務先で起きた災害だったから」という異例の状態であったからにすぎません。
文春はこういう慣例や事情も知らずに無責任なことを書いているのです。

“カウンターパート”だの“第二東宮家”だの奇妙ワードはもう笑うしかありません。真面目に取り上げなくていいでしょう(笑)。
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