『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 6

今回は江森氏の『秋篠宮さま』より、第六章に挙げられた宮様の肉声について触れたいと思います。
「火のない所に煙が立った」会見をはじめ、秋篠宮様の“恨み節”とも言える肉声です。

第六章 報道不信

<公務と私用のことについてお話させていただきますと、公用と私用が重なってしまった場合に、どちらを優先させるかといえば、これはもう間違いなく公務を優先させるべきです。ただ、宮中行事など、先日私がアメリカ大統領の時に欠席してタイに行った場合というのは、どうしてそういうことが起こったかといいますと、元々はタイに昨年の四月に行くことを予定しておりました。しかし、昨年は阪神・淡路大震災など大きな被害がりましたので、キャンセルいたしました。そして、本年の四月に行くということをタイの政府に話をしたわけです。ですから、かなり以前に決まっていたわけです。タイ国政府農業・共同組合省の招待で行ったわけです。農業・協同組合省をはじめ、北部タイのチエンラーイという県がありますが、そこの方たち、その他多くの方が半年以上前から準備をしてくださっていたわけです。そういう経緯があって、タイに行ったわけです。父にその旨を話して了解を取りましたし、宮内庁にも打診をいたしました。タイに行くことについての異論は全くありませんでした。
宮中での行事、宮中晩さんとか、園遊会などが比較的ショートノーティスでこちらの方に伝えられてきます。それは全皇族の日程を考慮してその日を決めているわけではないわけです。従って、宮中行事と、それ以外の行事がぶつかるということは、不可避だと私は思っております。昭和の時代からですけれども、そのようなことで欠席をされてる皇族の例というのは少なからずあります。
例えば皇族全体を対象にしたものと特定の皇族に限定した行事がぶつかってしまった場合には、個人的な意見では後者を優先させる方がいいのではないかなと思っております。
私も週刊誌の記事を読みました。私の根も葉もないその女性問題についていろいろ話が広がっていってしまったわけです。そういうことは全くないことですし、火のないところに煙が立ったというか、非常に想像力豊かな人がそういう記事を書いたのだと思いますけれども、完全に事実と異なる報道がなされたということについては、不満をもっています> P156~158


<東京サミットの宮中晩さん会にも皇族はあまり出ていなかった。普段でも欠席が多いのに問題にならず、アメリカ大統領の時に一気に問題になるのはなぜなのか。私が考えるには、言い分はいろいろあると思うが、アメリカというのは大国で、日本にとって大事な国であり、その大統領の歓迎会を欠席するのはどういうことだという話になるのだろう。
ただ、天皇主催の宮中晩さん会というのは、大きい国であっても小さい国であっても、みんな平等に行うべきだ。国賓が来られても、例えばアメリカの大統領や大きい国の大統領だと大きく記事を出すが、小さい国だと小さな記事になる。国賓というのは、大きい国であっても、小さい国であっても、同等にこちらとしても接するべきだと思う> P158~159


当ブログで既に取り上げたことのある内容ですが、今一度ここに再掲させていただきたく思います。
秋篠宮様は「タイの政府の招待を受け、国家レベルでの接待準備も行われている以上、自分のタイ行きはただの私的活動にとどまらないものだ」とおっしゃりたいのかもしれません。しかし、本来は私的活動にすぎないことに、相手国の政府を絡ませて国家レベルの行事にしてしまうことに問題性はないのか?と疑問を感じます。私的なものと公的なものの境目がなくなってしまうというか、どこかで歯止めをもうけないといけないのではないか?というモヤモヤした思いが拭えません。
秋篠宮様は「ほかの皇族は晩餐会に出てせいぜいアメリカとの絆を深める努力をすればいいが、自分はタイの方を大切にする」と考え、ご自分が日本とタイとの懸け橋的役割をしているつもりでありその自負もあるのかもしれません。しかし、秋篠宮様がタイと懇意にすることで、具体的に日本とタイの間にどのような協力関係が生まれ、双方にどのようなメリットが生まれたのか、いまいち見えてこないことも多いです。

そして秋篠宮様は女性関連の噂を「事実ではない」と反論していますが、何度も言うように、宮様は女性問題以外のことについては何も反論できていないのです。過去に社会見学と称してソープランドに顔を出したこと、いつも同じ「お取り巻き」を海外にまで引き連れてボディガード的なことをさせていること、現地で急に予定を変更して大使館員などを慌てさせたこと、珍しい生物を日本に持ち帰りたいと言ってきかないこと、あまり歓迎されていない現地の男性案内人(ソムチャイ氏)をいつも呼び付けていること、などについては一切触れずにスルーしています。週刊誌が取り上げた問題は、なにも女性問題だけではありません。
1996年~1998年当時の秋篠宮様の悪い噂はどうも「女性関連」のことに終始しがちですが、それ以前に「全体的にいつも素行がよろしくない」という観点で広く問題にしなければいけないと考えます。

<宮内庁が発表した内容に『熟慮の末、宮内庁としては不本意ながらうんぬん』というのを出している。しかし、これはおかしい。
私は、事前に宮内庁長官に相談したが、問題なしとの返事だった。私がタイに行くことに対しては異論がなかった。その時、長官に、例えば同じようなケースが今後、起こり得るかもしれないが、その場合に外国とか事前に決まっている日程をやめてまでも、どうしても宮中の行事に出なければいけないのかと尋ねたら、『そんな必要はない』と言われた。
宮内庁はそういう考え方をしているのに、報道発表の時に、変な発表をしてしまった。それが問題が大きくなったきっかけだと思われる> P160

<タイに行くのと、宮中晩さん会がどちらが大事かという議論というのは、新聞や雑誌などで大いにやったほうがいいと思います。ただ、そこから派生して、まったくありもしない女性問題みたいなものを捏造してしまった。しかも、川嶋が御所に行ったというのは、九五年九月以降ない。川嶋も宮内庁長官に手紙を書いて、それを記者会にも見せてもいいということで発表しています。
にもかかわらず、週刊誌の方は自分たちはウラを取っている。絶対に間違いない。有力な情報がある。事実は平行線をたどるから、これ以上はしないという。だけれどもまったくないことを書くというのは、むしろその雑誌の質を落とすことにもなるのではないかな> P163~164


これも何度も言いますが、宮内庁が週刊誌(新潮)に対して初めて重い腰を上げて反論したのは「川嶋辰彦氏の御所訪問後、今上陛下が体調不良でご静養された」という記事を新潮が書いてからです。それまでは、複数の雑誌がどれだけ秋篠宮様の批判記事を書いても、宮内庁は何も行動を起こしていませんでした。それが唯一、川嶋氏のことについて触れた新潮だけが執拗に宮内庁から謝罪と訂正を求める抗議を受けることになってしまったのです。まず最初に川嶋氏に関する記事の訂正要求ありきで、「ついでだからこれまでの秋篠宮様関連の記事についても抗議しておこうか」という感じに見えてしまうのです。
そもそもこの『秋篠宮さま』自体が、川嶋氏の教え子の夫である江森氏によって書かれているのです。
秋篠宮様ご自身も色々反論したいことがあったでしょうが、「本当に反論したかった人物」は一体誰だったのでしょうね。

<付き合いのある方とそうでない方ですと受け止め方がまったく違います。ダイアナさんとお会いしたと申しますか同じ場所にたまたま居合わせたというのは二、三回。お葬儀などの機会です。短いあいさつを交わしたのは八六年にチャールズ皇太子とダイアナさんが来日した際に、当時の東宮御所を訪問された時ですが、お目にかかって言葉を交わしたのはこの時だけです。チャールズ皇太子ご夫妻はもっぱら両親と話しておりましたし、私はそばでそれを聞いておりました。妻はダイアナさんと話したことはないと思います。ですから亡くなったことがテレビで流れたと聞いた時も、お気の毒だとは思いましたが、その事実を確認したということだけでした> P164~165

この発言だけで、秋篠宮様の冷酷さ・無感情さが手に取るようにわかり、ゾッとしてしまいます。
ダイアナ妃の美しさと華やかさと存在感は、ダイアナ妃来日当時子供だった私でもよく覚えています。事故死したと知った時は衝撃が走りました。おそらく世界中の多くの人が同じような思いでいたでしょう。たとえチャールズ王太子がカミラ夫人を後妻に迎えたとしても、私の中では今でもダイアナ妃の存在の方が勝っているくらいです。
ダイアナ妃と当然会ったこともない、話もしたこともない、ただ遠くから見つめることしかできなかった私ですらダイアナ妃の死去はショックが大きかったのに、実際にダイアナ妃と接したことのある秋篠宮様のこの冷淡さは一体何なのか?と不気味に感じます。

上記秋篠宮様の発言に関して、『秋篠宮さま』の中で宮内庁関係者がこう述べています。

「英国の皇太子妃でない方の御葬儀に皇太子ご夫妻が出席されるのはおかしいですし、それと皇太子さまが特別、ダイアナさんと親しかったわけではなかったようです。秋篠宮さまもほとんど付き合いがなかったと聞いております」

いや、この言い分はおかしいでしょう??
「皇太子様だってダイアナ妃と親しいわけではない」と、皇太子殿下を巻き込むこと自体卑怯すぎますし、それで秋篠宮様の冷酷さを擁護しないでほしいと憤りを感じます。
ダイアナ妃と直接会ったことがない人間すら悲しみと衝撃を感じたのに、「親しかったかそうでないか」が関係してくるのですか?
親しくなかったから悲しみを感じなくてよいというのか?
人の死を悼む気持ちは、その人と親しかったかそうでないかで決まるものなのか?

「だってオレダイアナさんと親しくなかったし、亡くなったことは事実として受け止めるだけだわ~」という秋篠宮様の理屈も、
「だって今はダイアナさんは英国の妃じゃないし、葬儀に皇族行かせなくていいでしょ」という宮内庁関係者の理屈も、
どちらも私は理解できません。

ちなみにダイアナ妃の長男のウィリアム王子が2015年に来日した際、ウィリアム王子は両陛下と皇太子ご夫妻とは懇談していますが、秋篠宮ご一家にはまったく接触していませんでした。もし、ウィリアム王子が上記秋篠宮様の肉声を知ってしまったら、どんな気持ちになるでしょうね。「愛する母の死を何とも思わない、お悔やみの一言も言えないような男となんて会いたくない」と思って当然ではないでしょうか。

『秋篠宮さま』において、このダイアナ妃に関する宮様の肉声は「かなりヤバイ部類」に入ると断言します。
秋篠宮様の人間性が疑われるコメントだとつくづく思います。
「報道不信」というより「秋篠宮様不信」ですよ。


(第六章終わり)
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