女性のデリケートな問題に土足で踏み込んだ秋篠宮様

今回は、以前ご紹介しようと思いできなかった記事である週刊文春1998年7月16日号をご紹介したいと思います。
これまで何回かに分けて江森氏の『秋篠宮さま』における宮様の肉声を取り上げてきましたが、それに対して“意外な方”が少し苦言を呈するような態度をとられたとのことです。
その“意外な方”とは…。

紀宮が秋篠宮の“肉声本”に「お言葉がすぎるのでは」 

発売から10日、広がる波紋・・・

秋篠宮殿下の“本音”が満載されていると話題の新刊本『秋篠宮さま』(江森敬治著・毎日新聞社刊)。知られざるエピソードが数多く紹介されているが、それだけに反響も大きい。なかでも、自分の結婚問題に触れられた紀宮さまが、首を傾げているというのである…。

温厚な紀宮さまが、その本に目を通した途端に、ムッとした顔をされたそうです。あまりの内容に驚いて、複雑なお気持ちになったのでしょう」(皇室関係者)
“サーヤ”の愛称で親しまれているプリンセス、あの紀宮さまが眉をひそめた?

コトの発端となったのは、六月二十九日に毎日新聞社から発売された『秋篠宮さま』。殿下の「生の声」をまとめた新刊本である。
これまで皇族本といえば、三笠宮寛仁殿下は別として、具体的な親子関係や日常生活に触れたものは、まったくなかった。その新鮮さが受け、初版五万部は完売。発売当日に二万部の増刷を決定した。二十代後半から三十代前半の女性たちの圧倒的な支持を受けているという。
著者の江森敬治氏(41)は、毎日新聞社企画事業部の副部長。京都支局などを経て、東京社会部で宮内庁の取材を担当した。
だが、皇室記者としてはそれほど知られた存在ではなく、「秋篠宮さまの単独インタビューができるなんてどういう人物なんだろうと、記者の間でも話題になりました」(宮内庁担当記者)

江森氏と秋篠宮殿下の出会いは、江森氏の妻が、秋篠宮妃・紀子さまの父親、川嶋辰彦教授の研究室にいたことから始まった。
「先生と教え子という関係で、奥さんが昔から川嶋家に出入りしていたんです。だから、紀子さまとも顔見知りだった。江森氏も川嶋家に出入りするようになり、秋篠宮さまとも家族ぐるみでお付き合いするようになったんです。江森氏はプライベートで外国旅行にも同行して話を聞いていました
(毎日新聞関係者)

本の内容は、殿下の生い立ちから家族の思い出、結婚前後、研究生活まで、エピソードが満載されている。
例えば、秋篠宮殿下はご自身のことをこう語る。
<週刊誌などで私は自由奔放だとか書かれていますけれども、小さいころから兄妹の中ではむしろ静かなほうでした。たとえば私の兄は、学校から帰ってくると、すぐ野球をやったりとか、妹はだれか空いている職員をつかまえてきてドッジボールをやるなど、かなり活動的でした。私は学校から帰ってきても部屋の中にいて、無理やり引っ張り出されないと、外でなにかをするということはなかった。
外で遊ぶときは、大体、ひとり、もしくは妹と一緒に虫を捕ったりヘビを捕まえたりして楽しんでいることが多かったです。
『自由奔放』に見えるのでしょうけれども、そのようなことは、週刊誌あたりが作り上げてきたイメージじゃないかと思います。長男は物静かで、落ち着いている。それに比べて次男は自由で活動的だというイメージは根強いと思います。私は、すごい出不精ですし、シャイなのだと思います>
これまで伝えられてきた秋篠宮殿下のイメージとは、まったくちがう。自分の性格についても、次のように分析している。
<両親からの具体的な影響というものは私を形成しているエレメント(要素)の中に現れているのではないでしょうか。両親のどちらが好きということではありませんが、性格的に私は、パターナル・インヘリタンス(父系遺伝)です。あとの二人はどちらかというとマターナル・インヘリタンス(母系遺伝)ではないでしょうか。なにかのはずみの言動とかが父に似ているところがあります。 だから、父も、私のやりそうなことがなんとなく分かるようです>
江森氏は、この発言を聞いて驚いたという。
<皇太子さまの持つ長男としての堂々とした態度は、まさに陛下の持つ性格そのものであり、長身でスリム、そしてどことなく繊細な宮さまの性格というのは皇后美智子さまから受け継いだとの印象を受けていたからだ>
まさに“意外な事実”のオン・パレード。読むほどに、素顔の天皇家が見えてくる。

だが同時に、大きな波紋も広がった。というのも、微妙な問題にまで殿下が言及しているからだ。
その最たるものが、紀宮さまの結婚について。殿下がどう語ったかというと…。
妹は、少なくとも、上の兄二人よりもしっかりしている。両親も妹が結婚したら、困るのではないかと思います。両方の気持ちが両親にはあるのではないでしょうか。手元に置いておきたいという気持ちと、早く結婚させたい気持ちと
いうまでもなく、紀宮さまは“お年頃”を迎えている。四月十八日に29歳となり、女性誌が結婚報道を繰り広げている。お相手は表千家の若宗匠、千芳紀氏(28)か、旧伯爵家の血を引く坊城俊成氏(36)か、と…。

◆“サーヤ”ならではの優しさ

そのためか、本を読んだ紀宮さまが、少々ムッとされたというのである。
紀宮さまの知人が語る。
「ミーヤ(知人はサーヤとは呼ばない)は、『そんなに急いで結婚しなくてもいいやという気持ちと、このまま私が両親のもとにいると、結局は両親を悲しませることになってしまうという気持ちと、どちらも正直なもの。複雑よね』というようなことも話していました。
天皇皇后両陛下に、あらたまって自分が結婚したほうがいいかと聞くのも照れてしまうし、また、それを聞くのも怖いのでしょう。そんな揺れる気持ちでいたときに、宮さまが天皇皇后両陛下のお気持ちを活字にされたので、ちょっと驚かれたのではないでしょうか
もちろん、秋篠宮殿下と紀宮さまの仲が悪いというわけではない。むしろ、紀宮さまは紀子さまととても仲がいいため、結婚されてからのほうが兄妹の距離が狭まった感があるという。
しかし、自分の結婚問題を、ズバリ突かれると動揺してしまう。それが女心というもの。兄妹といえども、触れてほしくないはずである。

だからというわけではないだろうが、紀宮さまは秋篠宮殿下の「本音」にも首を傾げたという。それは皇族の生活についてのくだりである。
<どこへ行くにも、下見をしたりとか必ず何人かついてきたりとか、それはやはり窮屈に思ったこともあります。そういう生活を、あなたやってごらんなさいと言われたら、十人中十人が窮屈だと思うでしょう。私も同じ人間ですから、そういうふうに思ったこともあります>
<今度、生まれてくるとしたらなにに生まれたいか、ですか? 生まれてくるとしたら、動物がいいな。人間ではなくて・・・。例えば?ヒツジがいいかもしれない。ヒツジになってひねもすのんびりと草をはんで。ヒツジに生まれてきたら、なんとなく楽しいのではないかという気がいたします>

皇室関係者によれば、紀宮さまはあくまで笑いながら、「ちょっとお言葉がすぎるのでは」と漏らしたという。
「言葉は聴く人によって受け取り方がちがうものです。秋篠宮さまが生活を窮屈に思ったこともあると語ったり、ユーモアでヒツジがいいかもしれないと言ったりしたことが、大袈裟にとられても困ってしまいますよね」
紀宮さまとすれば、兄の思い切った発言を心配したのであろう。動物をこよなく愛する“サーヤ”ならではの優しさである。

もっとも、秋篠宮殿下がこれほど踏み込んだ発言をしたのには理由がある。殿下はこの本を通じて、ある事実を伝えたかったというのだ。
秋篠宮殿下が訴えたい思い…ズバリそれは、宮内庁に対する批判である。
宮内庁関係者が証言する。
「もともと、秋篠宮さまは、昭和天皇の喪中に婚約されたり、ご結婚相手も旧華族などという肩書きだけにとらわれなかったり、自由な言動が多かった。それを許す空気が藤森昭一長官時代の宮内庁にはあった。つまり、開かれた皇室にしていこうと。
ところが、九六年一月に現在の鎌倉節長官になってから、それが一変してしまったんです。昔の閉じた皇室に逆戻りしてしまった。体面を気にして、何をするにも『陛下のため』という大義名分を持ち出し、マスコミに批判されると『どうせ宮内庁が悪者になればすむ』と、いじける。秋篠宮さまは、それでいいのだろうかという思いを抱いているんです」

◆宮内庁はもっと気配りが必要

秋篠宮殿下と宮内庁の間に亀裂が生じたのは、九六年四月のことだった。殿下のタイでのナマズ調査旅行の日程と、クリントン大統領の宮中晩餐会の日程が重なった。秋篠宮殿下は晩餐会を欠席。これが批判を受けた。
しかも、その理由について、「タイの親しい女性に会いにいくのでは」と、一部マスコミに書き立てられた。
だが、欠席にはある事情があった。一度は阪神・淡路大震災でキャンセルしたタイ訪問だっただけに、予定は変更できなかった。宮内庁はそうした敬意を知っていたにもかかわらず、「日程の変更は影響も大きく、意思を尊重し、熟慮の上、不本意ながら決めた」とだけ説明した。
秋篠宮殿下は、「これは、おかしい。事前に宮内庁長官に相談したが、問題なしとの返事だった」と、怒り心頭に発したという。
だからこそ、殿下は本の中でこう指摘する。
<私は宮内庁が皇族の希望を制限しているとは思わないが、もっと気配りが必要だ。例えば、会社や学校だと顧客らや学生のニーズというものを考えてどうして売り上げを伸ばすのかなどと考える。宮内庁職員も皇族や国民のニーズにどのように応えていくか、そのあたりをもっと考えてもらいたい>

秋篠宮殿下の思いに対して、宮内庁はどう考えているのか。小誌の取材に、鎌倉長官はこう答えた。
「本は読ませていただきました。宮様のお考えについては、私どもが日ごろお仕えして感じている以外のことを知るよすがとなりました。参考にさせていただきたいと考えております。
時代の流れとともに国民の意識も、皇族の皆さまの意識もお変わりになります。また、お年の方とお若い方とでは考え方も違うこともありましょう。皇族と宮内庁といえども、時代を越えて不動なものなどありません。いろいろな意見をくみ上げながら努力していきたいと思います」
紀宮さまも心配した秋篠宮殿下“肉声本”の波紋は、どう広がっていくのだろうか。

(記事終わり)

これまでご紹介した宮様の肉声と重複する箇所も多く恐縮です。上記記事自体も、内容はそれほど面白いものではないと思います。
ただ、サーヤという意外な方の視点から取り上げているので少々新鮮には感じます。
いくら妹とはいえ、微妙なお年頃になっていたサーヤの結婚問題について軽々しく意見を言った秋篠宮様は、やはり兄としても一人の人間としても男性としても、あまりにもデリカシーが無さすぎると呆れました。そしてそれを活字にした江森氏も、秋篠宮様と同類のように思えます。秋篠宮様ご自身は20台前半という若さで庶民の女性(=紀子妃)とサッサと結婚したがために、「皇太子」や「天皇家の内親王」というお立場上、なかなか容易に結婚を実現できなかったお兄様(徳仁様)や妹(サーヤ)のお気持ちにはとにかく無頓着であったように見えてしまいます。
秋篠宮様のように早い段階で容易に結婚に踏み切れた人は、往々にして結婚しない・できない、色々と慎重になってしまう人々に対して上から目線になりがちです。
サーヤが黒田さんと結婚するまで世間から「結婚はまだか?相手がいるのかいないのか?」のような感じでずっと見られていたことは同じ女性として気の毒な一面があったと思います。晩婚が珍しくなくなった時代とはいえ、精神的になかなかきついものがあったと想像します。こういう気持ちは、早々に結婚した秋篠宮様には理解できないのではないでしょうか。

サーヤが黒田さんと結婚する頃、東宮ご夫妻にだけ今までの御礼を言わずに冷淡な態度をとっていたことに憤る人々も多いでしょうし、私もあのサーヤの態度は心底残念だと感じています。また、サーヤが降嫁後も頻繁に御所に足を運び、黒田家よりも実家との交流を優先させているように見える所も好意的には見られません(両陛下とサーヤがお互いに「親離れ・子離れ」できていないように見えてしまいます)。しかし、すでに降嫁して民間人となった女性に関して、ここで必要以上に叩くことは本筋から外れると思うのでこの辺りで止めておきます。

鎌倉長官の箇所についてですが、私はどのみちこの人には全く良い印象を抱いていないため(雅子様を海外に行かせなかった元凶のような人だった)、長官も秋篠宮様もどっちもどっち、目●鼻●としか思えないですね。

ところで『秋篠宮さま』は当時の若い女性に比較的支持された本と文春は書いていますが、私はこの本について全く記憶がありませんし、どこでそんなに話題になっていたのか想像もつきません。この本は当時本当にそこまで人気があり話題になったのでしょうか?瞬間最大風速がすごかっただけで、人気も話題も大して持続せずにすぐに尻すぼみとなって消えていった本というイメージなら湧いてくるのですが…。
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