『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 2

今回は江森氏著『秋篠宮さま』の第二章より、宮様の肉声を拾い上げていきたいと思います。

第二章 家族の思い出

<三歳くらいの時、両親が公務で出掛け、寂しくて泣いた思い出があります。
両親が留守の時は、侍従とかが世話をしてくれましたが、やはり肉親とはいろいろな点で違いました。学校の父兄参観日には母が都合がよくて来られる時は、必ず参観に来てくれました。都合が悪い場合は、侍従なり内舎人(うどねり:天皇家の男子皇族の世話をする男性職員)が学校に来ましたが、やはり母が来てくれたらと思いました。でも、しようがないとあきらめていました> P39

授業参観は「親に来てほしい」派の子供と「親に来てもらわなくてもよい」派の子供がいると思いますが、秋篠宮様は前者のタイプの子だったのですね。皇太子殿下はこういう時も「寂しい」とはおっしゃらなかったんだろうなと想像します。「親に来てほしかった」という甘えたことが言えるのも、帝王教育を受けなかった次男坊の“特権”であったかもしれません。

(博士号をとったときにこの話を公表しなかった件で)<これはまったく私的なことだから、分かったら分かった時でよい> P45

秋篠宮様がニワトリの研究で博士号を取得したことは当ブログでもご紹介しておりますが、皇族の立場を利用してその世界の第一人者たちを呼び、彼らの多大なる協力を得て論文を書いた(ことにした)ことを、単に大っぴらにできなかっただけの話では?と思ってしまいます。

<小学校高学年ぐらいになった時に、中学だったかもしれないが、数学で分からない問題を、父が一緒に解いてくれたこともあった。私はある時期、数学は全然できなかったから、そうすると父がやって来て、『この問題を解きなさい』と。『じゃあ、これは』と、随分、熱心に教えてくれた。兄や妹はそういうことはなかったのではないか。私がいちばん、デキが悪かったからでしょう。また、母も算数などを私に教える時に必ず図を書きながら説明してくれたことが今も印象に残っている。また、母とはよく音読も一緒にした。短い詩や和歌、平家物語などもずいぶん読んだ。意味とか解釈とかはほとんどせず、ただ読むだけなのでとても楽しかった> P51

「自分はデキが悪かった」ということを自覚していただけマシだったとも言えます。が、そのような「算数・数学苦手」な人が、自然科学分野で博士号を取得できてしまうものなんですね(笑)。不思議ですね。

<学生時代に両親から『勉強しなさい』とよくいわれましたけれど…(笑う)。勉強が大嫌いでしたから。結局、上から押し付けられて何かやることが、例えば、先生から宿題をやってきなさいとか、試験をするからしっかりと勉強をしなさいとか言われることがいやだったのでしょう。もっとも中国語で『勉強』と書けば無理強いするという意味ですから、勉強が嫌いというのは当然ともいえますね> P54

「他人から何か言われることが嫌い」「上から押し付けられるのが嫌い」という秋篠宮様の態度は、勉強に限らずあらゆる場面で出てくるのだろうと想像できます。だから皇太子になる教育も受けられなかったし、今でも誰かの言うことを素直に聞くことができない方なのでしょう。こんな方が、自分より身分の低い下々の民間人の言うことに耳を傾けるはずがありません。

<いちばん成績が悪かったのは中学生くらいだった> P56

<まあー、要領がよかったんでしょうね(笑う)。私は、試験の前でもほとんど勉強しないですから> P56

江森氏によると、秋篠宮様は普段は大体成績は下の方だったが、進学するときなど大切な時だけ成績が良くなる特徴があったとのことです。学習院高等科から学習院大学に内部推薦で進む際も、推薦試験の時だけ急に成績がよくなったとか…。江森氏は「秋篠宮様は集中的に勉強する生徒だった」と評価していますが、宮様ご自身が「試験の前でも勉強しなかった」と言っているのです。節目節目の時だけ成績が良くなるって何か怪しくありませんか?「秋篠宮様は学生時代の成績が最下位に近かったので、秋篠宮様と同学年の生徒からは一人も落第者を出せなかった」という逸話も聞いたことがありますが、真相やいかに…

<高校生のころ、翌日の英語の試験の前にこういうことがありました。日本文を英文に直す和文英訳というのがありますね。私は字があまりうまくないものですから、和文があって英文をその下に書くと読めなくなります。そこでタイプを覚えようと思い立ちました。これがグッドアイデアだと。そうしたら、タイプの方に凝ってしまった。一時間もガチャガチャとたたくとキーを覚えてしまった。そうなると楽しくなってしまって試験勉強は二の次になってしまいました> P57

はい、ここでも秋篠宮様は「試験勉強は二の次になった」と述べています。タイプに限らず、この方は一つのことに熱中しやすいが、同時に冷めやすい一面もありそうだなという印象です。

<私の両親は、孫たちに会うことを本当に楽しみにしており、また子供たちも、私の両親に会うことをとても楽しみにしています。ですから、もっと両親と私の子供たちが会う機会を多くしたいと思います。九七年も私たちがネパール、ブータンを外遊した際に、二回くらい、子供たちが御所に行って遊びました。御所に行くことをとても楽しみにしていて、玄関を入ると、いつも二人で駆け出して行きます。そして母や妹と、時がたつのを忘れるかのように遊んでいます> P59

眞子様や佳子様は、幼い頃両陛下(とサーヤ)のいる御所によく遊びに行かれていたようですね。97年頃というと、雅子様がお世継ぎご懐妊のことでかなり苦悩されていた時期だったはずです。そのような時に、兄を差し置いて先に結婚してしまった次男夫婦の間に生まれた子供たちが頻繁に祖父母のいる御所に遊びに行く様子を見て、雅子様はどのようなお気持ちになられたでしょうか。懐妊・出産のプレッシャーは、次男夫婦と東宮ご夫妻では重みが違うのです。

<両親に感謝することは、私の好きなことをずっとやらせてくれたということです。子供が何かをやりたいと言っても、それを否定する親もいると思う。
両親はそういうことはなく、とにかく、私の好きな分野をずっと歩かせてくれた。そのことに大変、感謝している> P60


このように秋篠宮様は、幼い頃から「好きなことを十分にやらせてもらえた」環境にいたのです。だから我慢とか忍耐とかそういうものとは縁がない方なのだと思います。50年以上、自由に好きなことをやれてきた方が、次代で簡単に皇嗣扱いになるなんて国民を随分馬鹿にした話ではありませんか。
秋篠宮様が好きなことをずっとやれてきた環境にいる間、皇太子殿下は己を律して生きてこられたのです。


<『ヒオウギアヤメ』という家内の印をなんで印としたのかというと、昭和天皇が、どういう関係にあるのか、『ナスヒオウギアヤメ』の由来や起源を知りたいという話を、家族で会食している時に食卓でされました。
昭和天皇が、なにかよい方法はないかと、私に聞かれた。それでは、私が進化生物学研究所の近藤典生理事長(故人)に相談してみましょうということで、そのプロジェクトが始まりました。
中間報告が進化研からくると、そのたびに私が昭和天皇に報告していました。私がイギリスに行っている間は、私の父がかわりに報告していたと思います。八七年の終わりか八八年の初めから、昭和天皇の具合が悪化するまでずっと続けられました。でも、最終結論は出てなかったと思います。
私もその『ヒオウギアヤメ』のことをよく知らなかったのですけれど、そういうことで昭和天皇が最後に興味を持たれたことの手伝いをした。それでやっぱり自分にとって大変な記念でしたから、家内の印が『ヒオウギアヤメ』になったのです。これは、私が両親と話をしたことによるものです(印は天皇陛下が決めて、お与えになる)> P61~62


紀子妃のお印を決めるにあたり昭和帝と秋篠宮様のエピソードが絡んでいたと知り、秋篠宮ご夫妻のあまりの厚顔無恥さに驚愕しました。秋篠宮ご夫妻が昭和帝の喪中に婚約会見を行い、喪中にも関わらずニタニタと下品な笑みを浮かべていたことを少なくない国民がはっきりと覚えています。昭和帝を一番愚弄していたのは秋篠宮ご夫妻だと思うのに、よく「自分にとって大変な記念でしたから、家内の印が『ヒオウギアヤメ』になった」なんてことが言えるものだと憤慨しています。私の中では、この肉声は『秋篠宮さま』の中ではワーストを争うほど不愉快な内容のものだと感じております。

<昭和天皇からの影響は、生物のことに関してはまったくないと思う。皇族のあり方とか、皇室の伝統とかの話も、あまりしたことがない。大分、前のことなのでよく覚えていないが、私たちが学校の話をしたりとか、普段の生活の話をしたりということが多かったように思う。どちらかというと昭和天皇は聞き役だった。
ご自分の学校時代の話をされることも、たまにはあったように記憶している。それと、印象に残っていることとして、吹上御所から、帰る前に、昭和天皇が、『ヒガンバナがきれに咲いているから、それを見に行こうか』というので、昭和天皇もこちらの帰る道筋の途中まで行かれて、一緒にヒガンバナを見たこと、そして吹上御所の庭を散歩中に、シメジが生えているからというので案内して下さったことがあった。
昭和天皇は、私たちにはとてもやさしかった。兄妹の中で、だれがいちばんかわいがられたというのは、わからないが、私は怒られたということは一度もなかった> P63~64


昭和帝が全てのお孫様に対してお優しい方だったということは事実だと思います。秋篠宮シンパは「昭和帝に一番可愛がられていたのは秋篠宮様だ!」と主張しているようですが、当の秋篠宮様ご自身が「誰が一番かわいがられたというのはわからない」と言っているようなのですが…

<いちばん印象に残っているのは、ピーッと鳴った時でした(心臓が停止された時)。最後にお話をしたのは、八八年の十一月でしょうか。十二月の時にはもう話ができなかったですから。あいさつをして『いかがですか』みたいなことをたずねました。日によってはご容体に違いがあったような記憶もあるのです。
結局、私にとっては祖父に当たるわけですよね。ただ、私は昭和天皇というのが、別の世界にいる人のようなとらえ方をしておりました。自分でそうしていたのかもしれないですけれども同じ家族という感じでは、接してなかったです。これは皇居という掘に囲まれた地理的要因が大きかったかもしれない> P64~65

「これは皇居という掘に囲まれた地理的要因が大きかったかもしれない」?え、そういうことではないような気がするのですが…

(戦前・戦中・戦後を経験された昭和帝のご苦労等について聞かれて)<とにかく私なんか、幸せな時代に育っていますから、随分、違うと思います。
ご苦労話を、昭和天皇から直接、聞くという機会はなかったです。そういう話をあえて昭和天皇はされなかったのかもしれません。こちらから聞けばなにかあったかもしれないですが、むしろ、私は父からそういう話を聞いたことがありました> P66

昭和帝は、戦争中の日本の国家元首・統帥として、真の意味で苦しい時代を生き抜かれた方だと思います。だからこそ、戦争に関しては逆に口が重くなったという事情が考えられると思います。それだけ重い事柄を背負われてきた方なので、孫にも容易にお話することができなかったのではないでしょうか。
一方で今上陛下は、まるで「自分の父(昭和帝)がやってきたこと、本当に申し訳ありません、息子の私が代わって皆さんに頭を下げます、平和こそ第一です」のような態度で「祈り・巡礼」を強調してきています。が、今上陛下はお立場上、戦争中でもかなり恵まれた生活を送られていたというお話も聞きますけど。

<どういう皇族を目指すかというのは、記者会見の時も、よく出てくる質問だと思いますが、皇族の一番上は、天皇です。皇族には天皇をサポートするという役目が不可欠で、それがかなり大きい位置を占めてくると思います。それプラス、いろいろな依頼事とかがあり、それらの仕事をする。皇族の立場としていえば、今はそういうことだという気がします。
もう32(歳)なのですけれど、例えば、これから十年ぐらいたってくると、また違う視野が出てくるのではないかと思います。自分の役目として、あるサブジェクト(題目)みたいなものが出てくるかもしれない。それはそれでまたいいのではないかと思います。自分なりの特色というものを出せたらいいな、と思います。
ただ、もうすこし時間がたってからの方がいいでしょう。今はまだ時期が早すぎますよ。あと十年、もう少しでしょうか。それと、いろいろな機会を通じて自分の意見なり、考えを率直に述べていこうかと思っています。これは大事なことではないでしょうか> P67~68


皆様、秋篠宮様の上記の肉声をよーーーーーーーく覚えておいた方がいいと思います。宮様ご自身が「天皇をサポートする」とおっしゃっているのです。果たして、このお言葉を次代でもきちんと心に留めたお振る舞いをなさるのか、お兄様が次期天皇陛下になられた時も臣下として新天皇をサポートしていく気概があるのか、国民としてよく見ておきましょう!
そして秋篠宮様は、皇族として言いたいことを率直に述べていくつもりであるともおっしゃっています。宮様は、今では何を言っても誰からも咎められることのない存在になってしまいましたが、けっこうとんでもないことを繰り返し述べています。宮様のご発言のこともいつか当ブログで検証したいと考えています。

現に日本に皇室というものが存在しているということは、やはり日本国民の支持があるからこそ続いているのだと思われます。そのようなことから考えますと日本国国民が皇室に対してどのようなことを考えているか、また、どのような皇室というものを期待しているのか、ということをやはり常に念頭に置いて、そして私たちの役割、仕事、務め、いろいろな言い方があるでしょうが、それを果たしていく必要があるのではないかと思います。やはり時代というのは少しずつでも変わっていっているわけですね。その中における皇室はその時代に即した姿というものが必要なのではないかと思っています> P69

はい、上記肉声もよーーーーーく覚えておきましょう。次代の新天皇陛下の、時代に即した新しいなさり方を秋篠宮様が臣下としてきちんとサポートするのか否か、よく見ておいた方がいいでしょう。
それにしても秋篠宮様の口から「皇室は国民の支持があるからこそ続いている」という発言が出ていたとは驚きました。果たして宮様は、平成皇室のやり方が日本国民の支持を得ていると本気で思っているのでしょうか?

<宮中祭祀を大切にしていきたいと思っている。拝礼の時も心の持ち方が大事であると考える。私はいつもご先祖に話し掛けるつもりでお辞儀をしている> P71

秋篠宮様が祭祀を大切にしているなどということは初めて聞きました。ちなみに秋篠宮様はただの一宮家当主にすぎないため、内廷皇族(天皇皇后+東宮家)のような厳格な祭祀は行いません。次代でも内廷皇族とはならないようなので、継承権1位をキープし莫大な予算を組んでもらいながら、厳格な祭祀は行わなくてよいし、祭祀にかかる経費も負担しなくてよいという歪みが生じるおそれがあります。

<どこへ行くにも、下見をしたりとか必ず何人かついてきたりとか、それはやはり窮屈に思ったこともあります。そういう生活を、あなたやってごらんなさいと言われたら、十人中十人が窮屈だと思うでしょう。私も同じ人間ですから、そういうふうに思ったこともあります。
ただ、今はそんなには感じなくなりました。というのは、私自身が出無精で、外に行くタイプではないので、その問題はかなり解消されます。
今度、生まれてくるとしたらなにに生まれたいか、ですか?生まれてくるとしたら、動物がいいな。人間でなくて…例えば?ヒツジがいいかもしれない。ヒツジになってひねもすのんびりと草をはんで。ヒツジに生まれてきたら、なんとなく楽しいのではないかという気がいたします。自分を動物に例えてみたら、なりたいのはヒツジですが。やっぱり巳年ですから、毒ヘビあたりかもしれないですね> P72~73

この箇所は、当ブログでもご紹介した週刊現代1998年7月18日号の冒頭にも引用されていました。とにかく「窮屈が嫌、不自由が嫌、もっと自由気ままにのんびりさせてくれ」という秋篠宮様の我儘がよく分かる肉声だと感じます。

(第二章終わり)

当主不在の“ブラック宮家” その2~女官に続いて料理人まで…

今日は「パワハラ・ブラック宮家」編として、週刊現代2007年10月20日号の記事を抜粋してご紹介いたします。
当該記事は、雅楽で有名な東儀家の13代目雅季氏の夫人、真由美氏が2007年9月に詐欺容疑で逮捕されたことに関する記事です。罪の詳細は省きますが、東儀夫人は“現代のお公家さま”という感じで金銭感覚が極めてルーズであり、あちこちから借金しては踏み倒しているということを繰り返していたようです。詐欺罪もそのルーズな金銭感覚の一環として行われたもののようです。
この東儀真由美氏の口から語られたエピソードの中に秋篠宮家に関する興味深い内容が含まれていたので、該当部分のみ抜粋いたします。

「詐欺で逮捕」宮内庁楽部・名家13代目夫人が漏らしていた「天皇家の秘密」

(引用開始)
カネにだらしない夫人は口元の締まりも悪いようで、“最高機密”のはずの天皇家の内情を、惜しげもなく話しまくるという。夫人が周囲に漏らしていたエピソードを集約すると、
「天皇陛下が亡くなる瞬間って、楽部はつきっきりで演奏しなければいけなかったの。大喪の礼の前(昭和天皇の崩御までの数カ月間)、ウチの旦那は何日もつきっきりで大変だったんだから。そもそも、ウチの旦那のお父さんは、昭和天皇に楽器を教えたくらいの人だしね。
秋篠宮殿下ってホント、お酒が好き。天皇ご一家はみなさん召し上がるけど、あの人は特別ね。それと、紀子さま。あの人、自分が好きな料理を作らなかったっていう程度の理由で料理人をクビにしたの。あの人の子どもに近所の犬が寄っていったことがあったけど、そのとき子どもが 『 イヤだ 』 って言ったら、その犬、いつのまにか“消えた”のよ。本当にワガママな人だけど、男の子も産んで公務もちゃんとこなすから、美智子さまも邪険に出来ないだけよ。雅子さまの子どもじゃなく、紀子さまの男の子が(皇位を)継ぐなんて“ガセ”よ。だって宮内庁は女帝を推してるんだから」

(引用ここまで)

「宮内庁が女帝推し」ということの真偽はともかく(もしこれが事実なら敬宮愛子内親王殿下はもっと大事にされているはずなのにそうではないので、真由美氏の言うことは信じがたいですが)、秋篠宮家に関する発言は「さもありなん」という感じです。
紀子妃が皇室に入ったばかりの頃、紀子妃を気遣ってサーヤ(黒田清子さん)の気心が知れた女官をわざわざ紀子妃付きの女官にしたのに、紀子妃がその女官とウマが合わず結局女官が辞めることになり、サーヤがショックを受けたというエピソードも過去に残されているくらいですから(詳細は当ブログの下記記事をご参照ください)、「料理人クビ」ということもありうると思ってしまいます。

参考までに:
http://princeakishino.blog.fc2.com/blog-entry-30.html
礼宮様と川嶋紀子さんの婚約 その9~よくこんな女性が皇室に入れたものですね


この数年後、2011年くらいからしばらくの間、秋篠宮家から次々に職員が離れていくという深刻な事態についての雑誌記事が大量に出てくることになりました。詐欺罪をはたらいた東儀真由美氏の言うことに信憑性はないというご意見も当然あるかと思いますがこうも立て続けに職員が離れていくことが続くと、やはり秋篠宮家には「職員が居づらくなる要因」が何かしらあるという疑惑が出てくるのです。

そして秋篠宮家の子どもたちが嫌がった犬が「消えた」というのも、怖い話ですね。問答無用で処分されてしまったということであれば酷い話だと思います。秋篠宮家は「一家揃って動物好き」をアピールすることが多いですが、本当に動物を可愛がっているとは思えない話も多いのです。

次回からは、怒涛のようなブラック宮家の実態記事が続きます。
主に紀子妃中心の内容になると思いますが、「当主の秋篠宮様はどこ行った?」と思いながらお読みください。
1996年頃は色々な意味で話題になっていたのに、現在は当主のくせに存在感皆無になってしまった秋篠宮様です。

『秋篠宮さま』の中身~秋篠宮様の肉声編 1

前回お知らせした通り、しばらくは「秋篠宮家のパワハラ・ブラック問題」と、江森敬治氏の『秋篠宮さま』の中身の検証(?)をなるべく交互に行っていきたいと考えております。
まず『秋篠宮さま』の第一章目から順に、宮様の肉声を拾っていきたいと思います。

第一章 生い立ち

●<週刊誌などで私は自由奔放だとか書かれていますけれども、小さいころから兄妹の中ではむしろ静かなほうでした。たとえば私の兄は、学校から帰ってくると、すぐ野球をやったりとか、妹はだれか空いている職員をつかまえてきてドッジボールをやるなど、かなり活動的でした。私は学校から帰ってきても部屋の中にいて、無理やり引っ張り出されないと、外でなにかをするということはなかった。
外で遊ぶときは、大体、ひとり、もしくは妹と一緒に虫を捕ったりヘビを捕まえたりして楽しんでいることが多かったです。
『自由奔放』に見えるのでしょうけれども、そのようなことは、週刊誌あたりが作り上げてきたイメージじゃないかと思います。長男は物静かで、落ち着いている。それに比べて次男は自由で活動的だというイメージは根強いと思います。私は、すごい出不精ですし、シャイなのだと思います> P13


うーん…秋篠宮様はご自身をこう評していますが、テーブルの下にもぐって床に転がったり、目を見開いたりして「道化」っぽい行動が多かった宮様の幼い頃の写真を見ると、シャイとか物静かというイメージはやはり湧きにくいですね(笑)。しかし、出無精・インドア派というのは実はそうかもしれないという感じが何となくわかります。が、生き物が絡むと途端にアクティブになるということでしょうか。

幼い頃の皇太子殿下(左)と秋篠宮様(右)
秋篠宮様の幼いころ(右)。皇太子殿下の凛々しさと比べると…

お行儀の悪い秋篠宮様
テーブルの下にもぐって床に転がるお行儀の悪い秋篠宮様

ベロ出しアキシノ
まあ、幼い頃はこれはこれでかわいい(?)一面かもしれませんが…


●<パティ・ページや江利チエミの音楽をよく聴き、周囲から『おじん臭い』と言われます> P14

●<自分の性格ですか?自分で説明するのは難しいです。両親には、もう少し社交的になったほうがいいと言われます。私が、いちばん、得意でないのが社交でしょう。いわゆるバンケットやパーティみたいなものです。初対面の方といきなりパッと会話が始まるほうではないですから、先方からしゃべってくれるほうが有り難いです> P17~18

秋篠宮様は実は社交が苦手、ということは、宮様の様子を見ていると何となく伝わってきます。しかし、今後は「皇嗣」扱いとなる予定であり、皇太子殿下と同等の社交の機会を持つつもりであれば、いつまでも「社交が苦手・向こうから声をかけてくれないと困る」で押し通すのは、やはりおかしいのではないでしょうか。今までは「ただの宮家当主」としてそこまで積極的にならなくても甘く見てもらえたかもしれませんが、「継承権1位」や「皇嗣扱い」という立場を譲らない気であれば、ご自分の苦手なことにも積極的になってもらわないと国内外要人とのコミュニケーションが成立しません。この辺りの姿勢で、秋篠宮様が真に「皇嗣」としてふさわしいかどうか見えてくるかもしれませんが、厳しいようですが人間の性質はそう簡単に変わるものではありません。

●<本当に高いところがダメなのです。兄や妹は、平気です。特に兄は高いところが好きで、江森さんが、お分かりになるかどうか、いまの東宮御所の前の駐車場(その前は天皇陛下のご一家が暮らしていたが、宮内記者が御所を訪ねる時は、必ずここに車を止めた)、ちょうどその真正面ぐらいに煙突があるのをお分かりになりますか?あれの上まで登りました。確か、兄が小学校のころだったと思いますけれど…。そういうのが好きですね、兄は。山にも登りますでしょう> P18

秋篠宮様の運動神経についてですが、イメージほど「良い」というわけではなさそうですね。その点、皇太子殿下は優しく穏やかなお人柄をお持ちでありながら、実は運動神経は良いですし、体を動かすこともお好きですね。

●<本当に、イギリスにいた時は、窮屈な感じがしましたね> P20

●(警察官に)<別のテーブルで食べてください> P20

江森氏によると、秋篠宮様がイギリス留学の最中、常に一人の警官が宮様のそばにピタッと張り付いていたとのこと。食事の時も同じテーブルに警官が座ったため、別の席に移動するようにお願いしたのだとか。「人にいつも見られることをあまり好まない」と秋篠宮様はお考えだそうで…。
皇太子殿下もイギリス留学されていましたが、警備に対してご不満を述べたことなど一度もなかったと思います。「真の意味の皇嗣として育てられた本物のクラウンプリンスはやはりお覚悟が違う」と感じるのです。

●(英国の感想)<食べ物とかも良い印象はうすい。冬場だと、朝から雲がどんよりと垂れこめていて、地面はいつもジトジトしていました。良い印象といえば、私は、博物館に所属していましたので、朝から晩まで仕事ができましたから、その意味では本当に良かったと思います> P20~21

全体的に、イギリス留学にはあまり良い思い出がなかったようですね、秋篠宮様…。

●<妹が小さいころ、兄と二人で、泣かせたことがあります。ちっちゃい子って、本当に泣くとかわいいのですよ。妹を泣かせておいて、ごめん、ごめんというと『よろしいのよ』と妹が答える。一つ覚えみたいなところがあって、それを聞きたいがために兄と一緒に妹にいたずらをしました。ほんとうに悪いお兄さんでした。
なにかをとったこともあったかもしれない。おもちゃかどうか覚えていないけれども。
赤坂御用地の中で、一緒に虫捕りに出かけたりもしました。この前、妹と話したのですが、妹にいわせると、私と一緒に虫捕りに行くのは、恐怖だったといっていました。どうしてかというと、虫を捕り損なうと私にたたかれる(笑う)。それで怖かったみたいです> P21~22

秋篠宮様がずるいというか卑怯だと感じるのは、「妹(サーヤ)を泣かせたりいじめたりしたのは自分だけじゃないぞ、兄貴もやってたんだぞ」と、わざわざ皇太子殿下を巻き添えにしようとするこういう言動です。それに、虫が捕れないとサーヤをたたいて憂さを晴らすって、怖くありませんか?秋篠宮様は生き物関係となると、色々な意味で言動がアグレッシブになることがちょっと不気味というか、少し尋常ではないものを感じてしまうのです。

●<妹は、少なくとも、上の兄二人よりもしっかりしている。両親も妹が結婚したら、困るのではないかと思います。両方の気持ちが両親にはあるのではないでしょうか。手元に置いておきたいという気持ちと、早く結婚させたい気持ちと> P23

また皇太子殿下を巻き添えにしていますね。皇太子殿下は十分しっかりなさってます。

●<父は、夏、海に行った時に、とにかく泳げるようにだけはしておきなさいといっていろいろと教えてくれた。川や海に遊びに行って落ちた時などに、泳げないと生命が危ない。それで浜名湖や自宅のプールで泳ぎの練習をした。かなり徹底していて、それに比べると私は、自分の子供たちにそのようなことをしておらず反省している> P25

この時代の東宮御所は、きちんとプールが使えたんですよね。だから皇太子殿下も秋篠宮様もサーヤも、自宅=東宮御所で泳ぎの練習ができました。しかし、現在は東宮御所のプールは使えない状態のままになっていると聞きました。だから敬宮愛子様は、自宅のプールで泳ぎの練習がしたくてもできず、昭和の皇太子ご一家に比べると随分冷遇されていてお気の毒になります。プール改修に費用がかかるので皇太子ご夫妻が相当遠慮なさっていると思うのです(東宮御所のミニキッチンすら美智子皇后の反対にあってリフォームが許されないとのこと、プールなら尚更でしょう)。しかし、敬宮愛子様はそのような冷遇にもめげずに遠泳などもきちんとこなしてきました。

●(鶴見良行氏の件)<がんの手術をされて、そのあと、一時、回復されていたようですけれども、急に亡くなられたので驚きました。『ナマコの眼』のほかは、私の好きなのは『アジアの歩きかた』。あの方は、自分で歩いて確かめられたことをお書きになりました。それを、さらにすごい量の本、文献、資料を調べられ補われました。そういう姿勢が、私はとても好きでした> P29

●<ある仕事をするという時に、生物学的にだけ、それを調べる人もいれば、それの文化というか、民俗学的なことばかり調べる人もいる。私が思うにそのどちらかひとつというのは少し偏りがあり、両方の接点というものが、今から考えるとなにかを理解する上で非常に大事なのだ、ということを鶴見さんは言いたかったのではないだろうか> P32

●<鶴見良行さんと私が知り合いだと聞いて、びっくりされる人もいると聞きます。ただ、良行さんは、付き合う時にご自身の思想とか自分の皇室に対する考えをひとまず置いて個人としての私と話をしてくださいました。そして私と共通するアジアのことや仕事の進め方などを話されました。皇族と距離を置くということは全然、感じられなかった。それこそ私の周囲の研究者にしても、皆同じような考えだと思います> P34

鶴見氏の考えは分かりませんが(そこまで秋篠宮様を取り巻いていたという印象もないですし)、秋篠宮様のほかの「お取り巻き」たちは、皇族と距離を置くどころか、むしろ積極的に近づいて宮様と親しくなって、おいしい思いをしたいという人たちばかりに見えてしまいます。多紀保彦氏しかり、赤木攻氏しかり、そしてこの本を書いている江森敬治氏しかり。
純粋に秋篠宮様のお人柄に惹かれて親しくしているならいいですが、常に海外行きなどに同行して常に一緒にいる様子を見てしまうと、何かほかに目的があるのでは?と勘繰りたくなるのです。

(第一章終わり)

当主不在の“ブラック宮家” その1~秋篠宮家担当の皇宮警察の相次ぐ自死

秋篠宮家のパワハラ問題について、まずは週刊新潮2005月8月11・18日合併号の記事からご紹介したいと思います。
いきなり重いタイトルのもので恐縮ですが、なるべく時系列に沿って記事をご紹介した方が、秋篠宮家に潜む問題がずっと以前から続いているということがお分かりになるかと思いました。

「皇宮警察」また出た自殺者は「秋篠宮」担当

皇室の守護を目的とする皇宮警察。その本部に所属していた警視(58)が7月15日、自ら命を絶った。実はこの人、秋篠宮家の護衛を担当する侍衛官だったという。
昨年夏にも自殺者か出たというが、一体、皇宮警察で何か起きているのか。
亡くなったのは、護衛部の侍衛官、加藤達夫氏(仮名)だ。侍衛官とは、護衛部長の直轄で皇室警護の現地指揮をとるのが主な仕事。皇宮警察本部にはたった3人しかいない。天皇皇后両陛下、皇太子ご一家、秋篠宮家の下に各一人ずつ配置され、加藤氏は秋篠宮家を担当していた。お出かけの際には必ず身辺の警護にあたっていたというから、秋篠宮ご夫妻もさぞやお心を痛めていらっしゃるに違いない。
むろん、スキャンダルを極度に嫌う皇宮警察だけに、内部でも厳しい箝口令が敷かれているという。
皇宮警察の広報も、「自宅近くに車を止め、その中で縊死していました。原因については、全くわかりません」と言うだけだ。だが、
「昨年8月にも加藤の後輩が、首を吊って自殺しているんです」
と明かすのは、皇宮警察関係者のA氏だ。
「加藤氏と一緒に秋篠宮家の護衛にあたるのが、護衛部の護衛3課。自殺したのは、3課の高山弘(当時47)=仮名=という側衛官です。高山は、眞子さまや佳子さまをよく学習院に送り迎えしており、紀子さまの大のお気に入りだった。加藤は高山を直接の部下のように面倒を見ていました
もっとも、高山氏は私生活ではかなりいい加減だったという。
「大の女好きで、生活がハデでね。一千万単位の借金を作り、それか原因で白殺したんです。高山は私に“加藤さんに借金の保証人になってもらっている”と言っていた。もしかすると加藤は、高山の残した借金の返済を迫られていたのかもしれません」(同)
秋篠宮家担当の護衛官がたて続けに自殺するとは、尋常ではない。

皇宮警察関係者のB氏はこんな話をする。
「加藤さんを含め、護衛3課の3~4人が監察から調べられていました。少なくとも、加藤さんは7月11日に監察に呼ぱれています。
その直後、加藤さんは樵悴しきっていたといいますからね、金に関することで何らかの不正があったのではないでしようか」
やはり、監察に呼ばれたことと自殺には、何らかの因果関係がありそうだ。
そこで、皇宮警察の広報(前出)に間くと、
「11日に加藤氏は監察に呼ばれていません。監察としては、随時、様々な案件について調査を行っております。調査の過程で何らかのコメントをするのは、適当でないと考えます」と、微妙な言い方をする。

しかし、B氏はさらにこう話した。
「加藤さんが亡くなった前後に、護衛3課で監察に調べられていた警視が辞意を伝えています。表に出せないようなヤバイ話があるのは確実ですよ。これじゃ、秋篠宮家担当の護衛体制はガタガタじゃないですか。関いたロが塞がらない」
最後に、残された加藤氏の妻は涙ながらに語った。
「何故、こんなことになってしまったのか。理由もさっぱりわからず、それだけに残念でなりません。主人が監察に呼ぱれたことは聞いていましたが、内容については知りません。でも、そんなに弱い人ではないと思っていたのですが……」
皇宮警察がこんな体たらくでは、皇室も心もとない限りだろう。

(記事終わり)

上記記事は、あくまでも二人の皇宮警察は借金問題が原因で自殺をした、という方向で書かれてはいます。しかしその一方で、「表に出せないようなヤバイ話もある」という感じで、記事に書けないような恐ろしい噂もあるということも匂わせています。
遺族は「自殺の理由はさっぱり分からない」と答えており、遺族にも知らされていないような闇があるのではないかと思われます。
遺書はなかったのか、遺書は見つかったがその内容が明らかにされていないだけなのか、分からないこともあります。
ここまでくると「死人に口なし」で、本当は借金以外の理由があったのではないかと?という見方もできます。
そもそも警察の先輩後輩同士で、借金の保証人になるということがありうるのでしょうか?
仮にそういうことがあったとしても、なぜ二人とも死を選ぶしかなかったのか?


秋篠宮家担当になっていた皇宮警察が立て続けに二人も自殺を選ぶということ自体、非常に怖いものを感じます。
秋篠宮家という存在自体、何か関係しているのか、それともただの偶然か…
もちろん、上記記事だけでは「パワハラが関係している」と決め付けることはできませんが、言葉にできない不気味さを感じます。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その12~噂の真相によるより詳細な記事③

本日は「噂の真相」 1998年9月号『秋篠宮告白本でわかった皇室と宮内庁“暗闘の構図” 』の最終部分を引用させていただきます。

(記事続き)
今回の単行本の中で秋篠宮はタイ愛人問題を<捏造>と完全否定しているが、実をいうとこれもけっして無根拠な噂ではない。
前出の宮内庁OBがこう話す。
「本の中で、夜は研究仲間とホテルで懇談しているだけでそんな時間はないとあったが、この『研究仲間』というのが問題なんです。秋篠宮殿下はタイに行く際、ナマズ研究の師である多紀保彦・東京水産大学教授、タイ政治の専門家である赤木攻・大阪外大教授、それから今回の本の著者である江森氏ら個人的な取り巻きを必ずといっていいほど連れて行くんだが、朝から晩まで彼らが殿下を囲い込んで、大使館や宮内庁関係者から遠ざけてしまうんです。彼らが協力すれば、ホテルに女性を連れ込むことなど いとも簡単ですよ

しかも、秋篠宮はもうひとり、宮内庁にとって招かれざる人物をタイ旅行に必ず同行させている。
その人物とは、ソムチャイ・コシタポンというタイ人男性。
「コシタポン氏は殿下がはじめてタイを訪れて以来、ずっと現地ガイドとしてすべてのタイ旅行に同行しています。もちろん宮内庁やタイ政府が雇っているわけではなく、むしろ宮内庁は彼の存在に困っているんですが、殿下が勝手に呼んでしまうんです。殿下のプライベートでのスケジュールはすべて彼が仕切っていて、お忍びで色々な所に連れていったり、色々な人間に会わせているらしい。彼はタイの警察にも顔が利く地元ではかなりのヤリ手ですから・・・」(前出・宮内庁OB)
実際、89年の訪問で秋篠宮が一時的に行方不明になるという騒ぎがあったが、これもコシタポンが地元の警察に警備を依頼して、いわゆる「売春窟」に案内していたという事実が判明している。

▼引き払われていた隠しマンション

実は秋篠宮が紀子妃と結婚してから2、3年後、タイの女性が日本にやってきて、隠しマンションで密会しているという噂が流れたことがあった。しかも取材してみると、秋篠宮の姿が頻繁に目撃されているマンションがあったのだ。
この部屋は、渋谷区東1丁目にあるバブル絶頂期に建てられた「P」というマンションの1511号室。部屋の前には「アジア魚類研究会」という小さな表札がかかっていたが、いついっても人気はない。
だが、住民に 聞いてみるとこんな答えが帰ってきた。
「秋篠宮様の姿はたまにお見かけしますよ。それに秋篠宮様が来ると、SPの人が廊下に立っているのですぐわかります」
そしてこの部屋の借り主を調べてみると、なんと秋篠宮の側近であり、パノム博士の恩師でもある多紀教授だったのである。
しかも不可解なことに、本誌がこの事実を96年7月号で報じた少し後、この部屋は跡形もなく引き払われてしまっていた。

(記事終わり)

上記記事では詳細な実名や肩書まで出ていて、秋篠宮様がいつもだいたい同じ「お取り巻き」や「お仲間」を引き連れて好き勝手に行動している様子が改めてよく分かるというものです。例のソムチャイ氏も再登場ですが、この人物は宮内庁などからは良く思われていなかったとも書かれていますね。まあ、彼が一人で勝手に秋篠宮様のスケジュールを管理してしまうので当然ですが。

しかし、秋篠宮様は色々とフリーダムな方なのでそれにつけ入れられ「秋篠宮様は腐っても皇族だし、仲間に入れば色々とおこぼれに預かれそうだ」と民間人に利用されているだけにしか見えませんね。秋篠宮様ご本人は「自分は頼れるアニキ分」を気取っているつもりでも、取り巻き連中はそうは思っていないでしょう。
仮に秋篠宮様が皇族をやめた(皇籍離脱した)場合、ただの一般人となった“文仁さん”にどれくらいのお取り巻き連中が付いてくるでしょうか。

そして驚いたのが「噂の真相1996年号」で取り沙汰されていた「例のマンション」が、あの記事が出た後に引き払われていたこと。そして今回の記事ではそのマンションの名義が「多紀保彦教授」であることが暴露されています(前回の記事では名前は伏せられていた)。
「ここは秋篠宮様が愛人と密会しているマンションではないか?」という疑惑が出た途端に引き払うとは、分かりやすすぎではありませんか。本当に「アジア魚類研究会」のための部屋なら引き払う必要などないはずですし、堂々と「魚類研究」を続ければ良かったではありませんか。
この部屋で秋篠宮様と会っていた女性は、果たして誰だったのでしょうね。
タイの研究員か、それとも例の王女か、それともまだ表に出ていない別の第三者か…

秋篠宮様とタイの関係性ですが、平成28年8月にもテロが無ければタイに私的旅行(目的は明らかにされていません)に行く予定であったことを考えると、秋篠宮様とタイの関係はまだ続いているようです。表向きは「研究」となっていますが、それなら堂々と渡航目的を「研究」と言えばいいはず。なぜ目的を伏せる必要があるのでしょうか。

自分に都合の良いことを語りたい時は饒舌になるくせに、不都合なことには沈黙を決めたりごまかしたり、そこに触れるなといわんばかりの態度になる。秋篠宮ご一家にはそういう印象しかありません。

なお、1996年当時に生じた「秋篠宮様愛人疑惑」を2年後に蒸し返した形になるこの「噂の真相」記事ですが、この記事について宮内庁が抗議したという形跡はないような気がします。
新潮にはあれだけ執拗に謝罪と訂正を求めた宮内庁だったのに。
「川嶋教授の件に触れていなければ別に抗議しないよ」というのが、やはり宮内庁の本音だったということでしょうか?

皇室の中にあるパワハラ問題

豊田真由子議員の、秘書に対する暴言・脅迫問題が報じられましたが、豊田議員は以前から態度が尊大で言動も常軌を逸しており、秘書が次々に交代してきた(5年で100人!)という事情もあったようですね。そして豊田議員をかばうつもりだったのか、河村建夫元官房長官が「あんな男の議員はいっぱいいる」という失言をしてしまったとか。もしそれが事実なら、そのパワハラ議員の名前を全員出すべきだと思うのです。そして議員につく秘書など立場の弱い人々はボイスレコーダー必須という時代になるのでしょうか。自分の身は自分で守らなければならない厳しい世界、豊田議員の秘書の行動は勇気があり間違ったことはしていないと思うのです。

議員のパワハラ・暴言事件を耳にして、こういうブログを書いている立場として、私はまず秋篠宮家におけるパワハラ問題を思い出してしまいました。
特に紀子妃の態度に問題が多いのだとか。それに関する雑誌記事も多く、パワハラ内容も記事によって微妙な違いがあり、興味深く感じたものです。
「秋篠宮家に潜むパワハラ問題」についても、秋篠宮家の問題をあぶり出すためにいつかは当ブログでも記事を書いていく予定でおりましたが、豊田議員の件を踏まえて若干予定を前倒しにし、秋篠宮家のブラック体質をつまびらかにしていきたいと考えております。

江森氏の『秋篠宮さま』に関する内容と同時並行で(交互に記事を書いて)進めていく予定を考えています。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

秋篠宮様の“逆襲”、宮内庁と週刊誌の攻防戦 その11~噂の真相によるより詳細な記事②

引き続き、「噂の真相」 1998年9月号の 『秋篠宮告白本でわかった皇室と宮内庁“暗闘の構図” 』を引用させていただきます。

(記事続き)
実をいうと、このタイ愛人報道の情報源は他でもない、宮内庁内部だったのである。前出の宮内庁関係者が語る。
「今だから明かせるんですが、宮内庁の複数の職員が『週刊新潮』に情報を流していたんです。彼らはオクではなくオモテの人物で、宮内庁内部では具体的な名前も判明しています。名前はいえませんが、課長補佐クラスの人物も含まれています。『週刊新潮』に殿下と紀子妃が近所に聞こえるような声で大喧嘩をしていたというクダリがありましたが、あれだって、秋篠宮邸に隣接して宮内庁の職員住宅があるからわかることなんです」

そういえば、一連の報道に対する宮内庁の対応は不可解きわまりないものだった。まず騒動のキッカケとなった宮中晩餐会の件。秋篠宮欠席の理由をマスコミに追及された際、宮内庁は「意思を尊重し、熟慮の上、不本意ながら決めた」と暗に秋篠宮のわがままであることをほのめかす発表をしている。
愛人問題でも同様だ。『週刊新潮』がはじめてタイの愛人の存在を書いたのは96年4月だが、宮内庁はその後、2ヶ月もの間、何の抗議もしていないのだ。
こうして見ると、一連の秋篠宮批判報道に何らかの形で宮内庁の意思が働いていたのは間違いないだろう。そして、秋篠宮はこうした宮内庁の不可解な動きを知って、今回の単行本出版を決意した、そういうことのようだ。実際、秋篠宮は同書の中でもタイ愛人問題に触れ、こう断じている。

<(宮内庁が)報道発表の時に、変な発表をしてしまった。それが問題が大きくなったきっかけだと思われる>
 
前出の宮内庁関係者もこう語る。
「愛人報道の直後、秋篠宮殿下は江森さんら取り巻きの方々に宮内庁に反論したいと相談され、最初、『週刊ポスト』に『匿名の側近が代弁する秋篠宮の肉声反論』という記事を掲載したんです。その流れの中で、単行本も作ろうということになった。最初はもっと早く出す予定が慎重に表現をチェックしたりしているうちに、ここまでずれこんだということのようです」

ある宮内庁OBは苦り切った表情でこういう。
「宮内庁は秋篠宮殿下にはずっと手を焼いてきましたからね。とにかくわがままで、皇族としての自覚がまったくない。宮内庁の困りものなんですよ、殿下は」
たしかに秋篠宮のこれまでの行状は、皇族というイメージからは程遠いものだった。
学生時代はまったく勉強せず、成績はほとんど最下位。若いときから髭をたくわえ、ブランドものを身につけ、外車を乗り回す。一方、皇族の責務といわれる宮中儀式などはおざなりで、ブレスレットをつけて儀式に出席し、顰蹙を買ったこともある。

きわめつきは、紀子妃との結婚をめぐる経緯だろう。兄の皇太子がまだ 結婚していなかったこと、昭和天皇の喪が明けていない事情もあって、周囲から猛反対を受けるのだが、秋篠宮は「結婚を認めてくれないなら、皇族をやめる」とダダをこねて強行してしまったのである。
また「女好き」「プレイボーイ」を物語るエピソードにも事欠かない。
「独身時代、学友に『恋人は7人いる』と豪語した」「テニスサークルを作って、お気にいりの女子学生を次々に入れさせていた」「結婚後も学習院出身の女性と付き合っていた」等々・・・。

 (引用ここまで)

やはり予想通り、宮内庁は宮内庁で秋篠宮様の行状に長年手を焼いており、不満をため込みウンザリした気持ちでいたということが見えてきました。
もちろん、本来は自分らが守るべき皇族について、宮内庁職員がマスコミにあれこれ情報を流すことは正しいこととは思えません。今の時代でも、東宮ご一家が宮内庁からの悪意のリークによって理不尽に苦しめられてきていることを思うと、宮内庁のやり方が良いと言うことはできません。
本来であれば年配のベテランの側近が一言、「宮様、それはやってはなりませんよ」と毅然と注意するのが一番良いのでしょうが、秋篠宮様が素直に言うことを聞かないか、あるいは秋篠宮様とそこまで信頼関係を結んでいる職員が皆無だったのかもしれません。
そして上記記事でも述べられている通り、宮内庁は最初は「秋篠宮様批判記事」を完全にスルーしていたのです。しかし、例の「川嶋辰彦教授が御所に怒鳴り込みに訪れた」という新潮記事が出てようやく宮内庁は重い腰を上げて、新潮社に抗議をしました。宮内庁は秋篠宮様のためには動く気はなかったけれども、なぜか川嶋家のためには動いたのです。
しかし、この「宮内庁は川嶋教授の記事が出て初めて執拗な抗議行動に出た」という理由を、詳細に検討したメディアは見当たりませんでした。

一方、秋篠宮様は秋篠宮様で、江森氏の本の中でさんざん宮内庁に対する不満を述べているにもかかわらず「自分のバッシング記事の時には全然動いてくれなかったくせに、なぜ川嶋教授の記事が出て初めて抗議に出たんだよ」という肝心の部分での不満は一切述べていないようなのです。

この辺りは本当に不自然で謎が多いとしか言いようがないのですが、この頃から秋篠宮様は、川嶋辰彦氏を疎ましく思うよりは自分の味方に付けた方が何かと便宜があるという判断をしたような印象を受けるのです。
川嶋辰彦氏のツテをたどって江森氏に本を書かせたことに始まり、あらゆる場面で川嶋氏とタッグを組んでいこうという考えになっていったように見えてしまうのです。
川嶋氏も川嶋氏で、娘の紀子妃の今後の皇室内での立場を考えると、皇族である娘婿を敵視するよりは自分の都合の良いように“利用”していくことが得策だと考えたのではないでしょうか。

例の「火のない所に煙が立った」会見の後、秋篠宮様はお身内とお誕生日祝いをしたそうですが、そのお祝いの席にちゃっかり川嶋夫妻も参加していたということは以前ご紹介した文春記事に掲載されていました。↓

(1996年12月12日号文春記事より)
>ご会見の様子がテレビや新聞で報じられた11月30日の夜、御所では殿下の誕生日を祝う食事会が開かれた。
「秋篠宮ご夫妻に眞子さま、佳子さまを囲んで、天皇陛下と皇太子殿下のご夫妻、紀宮さま、加えて川嶋教授ご夫妻。記者会見のことなど話題にのぼらず、お子さまの成長ぶりなどに遅くまで話が弾んだようです」(宮内庁関係者)


おそらくこの「火のない所~」会見にも川嶋教授の思惑が絡んでいたのではないでしょうか。
「まあ、愛人疑惑の件はこれでさっぱり忘れて、
今 後 も 一 つ よ ろ し く 頼 み ま す よ 」

という川嶋教授の声が聞こえてきそうな感じがしませんか。そして秋篠宮様も、川嶋氏の持つ色々な「コネクション」を利用していこうという思惑が生まれ、それによって宮内庁も黙らせ、この辺りから秋篠宮家と川嶋家は一蓮托生になったように思うのです。

次回、「噂の真相」の記事の最終部分をご紹介いたします。
以前にご紹介したウワシン記事の「後日談」とも言うべき、興味深い内容が掲載されています。
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