「秋篠宮眞子」に「宮さま」??眞子様婚約会見の奇妙さ

9月3日は北朝鮮の核実験など深刻な問題が起きましたが、ほぼ予定通り眞子様と小室さんの婚約会見が執り行われました。まずはお二人とも婚約おめでとうございます。

下記URLにその婚約会見の全文が2回にわたって掲載されています(産経新聞)。

http://www.sankei.com/life/news/170903/lif1709030037-n1.html(上)
http://www.sankei.com/life/news/170903/lif1709030046-n1.html(下)

上記会見の中で、いくつか気になった箇所があるのですが、最も「これはちょっと…」と感じたのは
小室さんが眞子様を何回も「宮さま」と呼んでいたことです。

宮さまと同様に、心の中に大事にとどめたく存じます
宮さまはイギリスへ、私はアメリカへ1年間留学し
>私から宮さまに『将来結婚しましょう』というように申し上げました
宮さまとたびたびお会いするようになりましてから
>思わず宮さまにお電話をいたしました
宮さまにお電話をおかけしています
宮さまにお幸せになっていただけるよう努めるように
宮さまはそれらのことを感じさせない配慮を常に私にしてくださり

と、これだけ「宮さま」を連発してしまっています。

「宮さま」という字を見ればわかるように、これはあくまでも「〇〇宮」という御称号や宮号をお持ちの皇族方をお呼びする際に使われるのが本来の正しいあり方です。
秋篠宮家の中で「宮さま」とは、秋篠「宮」という宮号を持たれる眞子様のお父様だけです。
眞子様の場合「秋篠宮」は苗字でもなんでもないので、ただ「眞子様」とお呼びするか、「眞子内親王殿下」とお呼びするのが正しいと思います。
それなのに小室さんはあろうことか眞子様を「宮さま」と呼んでしまったのです。

小室さんは眞子様との会見に臨む前、何回も打ち合わせをしてきたと報じられていました。
もし小室さんが眞子様を「宮さま」と呼んだのなら、本当は眞子様ご本人やご両親である秋篠宮ご夫妻、宮内庁職員などが「宮さまは間違いなので、眞子(様)にしてください」と訂正しなければならなかったと思うのです。

ところが。驚くべきことに、ご両親である秋篠宮ご夫妻自身が、ご自分たちの長女のことを「秋篠宮眞子」と呼んでいたことが判明しています。
上記会見の中にも

>両親が『秋篠宮眞子の父です』『母です』と自己紹介をしていた

と眞子様がお話になっていますし、
宮内庁HPに秋篠宮ご夫妻からのメッセージが掲載されていますが、その中身はこのようになっていました。

http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/03/gokekkon/konyaku-gokansou.html

眞子内親王殿下のご婚約内定関係
文仁親王同妃両殿下御感想

本日、天皇陛下のご裁可をいただき,私たちの長女,秋篠宮眞子と小室圭さんとの婚約が内定いたしました。
小室さんと娘は,約5年の歳月をかけて,双方の気持ちを確認しながら結婚に向けての話を進めてきました。内定までの5年は,私たちの時よりも長い期間になり,二人の意思を確認するのには十分な時間であったことと思います。私たちは,その二人の意思を喜んで尊重いたしました。
本日は,あくまで婚約が内定したことの発表であり,今後いくつかの行事を経て結婚ということになります。私たち家族は,その日を迎えることを楽しみにしております。


これは、長年皇族をなさってる方々にしては相当「お粗末」としか言いようがない誤りではないかと思いました。
普通に「私たちの長女、眞子と小室さんとの婚約が…」で良かったのに、なぜわざわざ「秋篠宮眞子」という呼び方をしたのか理解に苦しみます。

これはあくまで私の想像ですが…秋篠宮ご夫妻は悠仁様ご誕生後、事あるごとに東宮ご一家に張り合い、自分たちを東宮家と同格かそれ以上の待遇にしてほしいという要望を言い続けてきました。それは当ブログでも検証した通りです。
東宮家の一人子である敬宮愛子内親王殿下は、天皇家のお子にしか授けられない御称号=敬宮をお持ちでいらっしゃいます。その一方で眞子様・佳子様・悠仁様は天皇家のお子ではないので、御称号はありません。そして「秋篠宮」は独立して生計を営むことになった礼宮に授けられた宮号であり、紀子妃はもちろん、眞子様もほかのお子様も、「秋篠宮」を名乗ることは本来はできないのです。
「〇〇宮」という御称号はまさに「天皇家のお子」にだけ授けられるものであるので、この御称号があるかないかで皇室の序列や身分が一目瞭然になるのです。

昭和の時代は天皇家のお子様方はきちんと浩宮様・礼宮様・紀宮様という御称号で呼ばれていました。
しかし敬宮愛子様はどういう理由か、マスコミも宮内庁も「敬宮様」とお呼びしたことはほとんどなく「愛子様」で通してしまっています。
敬宮様と眞子・佳子・悠仁様を同格扱いにしたい“誰か”の狙いをどうしても感じてしまうのです。

秋篠宮ご夫妻が「秋篠宮眞子」呼びを公に向けてコメントしてしまったのも、小室さんに「宮さま」呼びを通させてしまったのも、御称号も宮号も持たない眞子様にも「そういうものがある」という誤解を与え、眞子様も「宮さま」なのだ!という誤った認識を一部の国民に植え付けようという魂胆があったのではないか?と推測するのです。
現に少なくない国民が「眞子様を宮さまと呼ぶことの何がいけないのか?」とか「秋篠宮眞子でもいいんじゃないの?」のような勘違いをしてしまっているようなのです。
秋篠宮家の狙いは、まさにそこにあります。
「宮さま呼びは間違い」「秋篠宮眞子呼びも間違い」という一部の国民からの正しい指摘など無視して、皇室について詳しくない人々に誤った認識を植え付けることが主眼だったのだろうと予想するのです。


もちろん、眞子様が学校生活や社会人生活を送る上で「秋篠宮眞子」という呼び方を便宜上使わざるをえない場面はあったでしょう。
(小室さんは学習院出身ではないので眞子様を「宮さま」と呼んだことはないと思われます。週刊誌では「まあちゃん」と呼んでいると書かれていたように思います)
しかし、公に向けた場で「秋篠宮眞子」「宮さま」と呼ぶことは明らかにおかしいですし、あまりにもけじめが無さすぎで驚愕しています。
敬宮愛子様が天皇家のお子のおしるしである御称号を持たれ、真に「宮さま」と呼ばれることが相当悔しかったとは言え、「ウチの眞子も同じようにしてあげる」という発想はあまりにも滑稽で失笑ものです。
本当に秋篠宮ご夫妻は愚かだなという印象がますます強くなりました。

余談ですが、婚約会見では小室さんは

>奥野総合法律事務所・外国法共同事業にて正規職員として働いている傍ら

と自分を称していましたが、わざわざ「正規職員」という文言を入れなければならなかったほど「非正規のバイト君」と揶揄されていたことを気にしていたんだろうか、と感じました。事務所が気遣って小室さんを正規扱いにしてくれたのでしょうか…

いずれにせよ、私は眞子様と小室さんは、今後の若い夫婦の良いモデルになってほしいと感じています。
眞子様も専業主婦でなくバリバリ働けばいいし、料理が得意そうな小室さんが家事をやってもいいでしょう。家事と育児と仕事を二人でうまく分担する理想の夫婦像をどうか作り上げていってほしいと願います。
くれぐれも女性宮家や税金をあてにするのは無しということで。

当主不在の“ブラック宮家” その11~「私は皇后になる人よ!」

今回は「紀子妃の増長ここに極まれり」と言いたくなるような記事をご紹介したいと思います。秋篠宮家のパワハラ・ブラック体質は、すべてこの紀子妃の不遜な態度・増長・おそれを知らなさすぎる図太い神経から来ているものだということがわかる内容になっています。

テーミス 2015年9月号

皇太子家への対抗心か 秋篠宮紀子さま「仰天ご発言」が広げる波紋
悠仁さまへの教育について助言されたとき「私はこれから皇后になる人よ」と


◆皇后陛下に「強いストレス」が

猛暑日が続いていた終戦記念日の8月15日、日本武道館で行われた全国戦没者追悼式は、天皇・皇后両陛下にとっても特別な日になった。
戦後70年に出す「安倍談話」の内容が一時、過去の「村山談話」などを踏襲しない安倍色の強いものになるといわれていたためだが、8月14日に発表された談話にとりあえずは安堵されたといわれる。だが、式典ではハプニングが起きていた。
戦没者追悼式では、正午の時報とともに参列者が1分間の黙祷を捧げ、その後、天皇がお言葉を述べられる。しかし、天皇はその手順を間違われたのだ。黙祷の前にポケットから原稿を取り出され、お言葉を読み始められた。黙祷という司会者の声で、結局は何事もなかったかのように式典は進んだ。美智子さまも天皇の手順間違いに気付かれることはなかった。

実は美智子さまにも、数年前から体調に異変が起きていた。宮内庁が公表する「公表事項」に「皇后陛下のご体調について」という項目が毎回のように登場することになった。
「先月(08年1月)後半にめまいなどのご症状があり、これらをお身体からの『警告』と考えるべきであるとし、定期検査にて精査を行うと公表したところです」(08年2月)
11年には頸椎症性神経根症による痛みや痺れがひどくなり、いくつかの行事をお取り止めになられた。昨年5月も、左肩から左腕にかけての痛みが強くなって、予定されていた行事を中止された。
そして今年は6月末頃から胸痛の症状が見られ、徐々にその頻度が増してこられたため、7月」24日に24時間心電図(ホルスター心電図)検査を受けられた。その後、8月9日に東京大学医学部附属病院で冠動脈造影CT検査を受けられ、「心筋虚血が疑われる」(皇室医務主管)ことがわかった。検査の結果、冠動脈1本に2か所、もう1本に1か所、狭窄が確認されたのだ。
「心身に強いストレスをお与えすることがないような配慮が望まれます」(皇室医務主管)という。
心筋虚血の症状が8月15日の直前に見られたことなどから、天皇・皇后両陛下がなされてきた戦没者慰霊の今後のことや、先の大戦に対する安倍談話の内容などに関連づけて「ストレス」の原因とする週刊誌などの記事が多く見られた。たしかにそういう面があるかもしれないが、美智子さまのご心痛の原因はそれだけではなさそうだ。日本の皇室の将来について、ご自身で確固たる信念を持たれないことからくる恐れではないか。

◆「いまは時代が違いますから」

このところ、秋篠宮紀子さまとその周辺の言動が波紋を広げている。
最近、秋篠宮家関係者が話したとして週刊誌などに盛んに出てくるのが、職員の数や「皇族費」(秋篠宮家などの家計費)の話、「秋篠宮家の活躍ぶりに比して、使えるお金が少なすぎるのではないか」といった指摘である。現在、秋篠宮家の皇族費は年間6710万円(一方、天皇・皇后両陛下と皇太子ご一家5人の「内定費」は3億2400万円)だ。
秋篠宮家には皇位継承順位第2位(秋篠宮殿下)と第3位(悠仁さま)の2人がおられるのに、どうにかならないかというのが、紀子さまの思いといわれる。悠仁さまの教育についても、ご夫妻は東大進学を目指していると報じられたことがあった。
お2人の知人は週刊誌に
「ご夫妻の周囲には東大出身者が多く、紀子さまは大学進学の情報収集にも努めておられる」と語っていた。
それと同時に囁かれているのが、紀子さまのお言葉のキツさである。
紀子さまがある女性職員に「あなた自己中ね!」と説教されたのが話題になったことがあったが、その当時、「そんなのはまだ序の口だ」と秋篠宮家関係者が週刊誌に語っていた。職員が数年前、複数辞めたケースもあった。
しかし、そのキツいお言葉は職員に対してだけではない。相手がどんな立場の人であれ、紀子さまはときどき、にわかには信じられないようなお言葉を吐かれる。
秋篠宮家の次女、佳子さまが学習院大学からICUに移られ、5月、新1年生が参加する一泊二日の合宿にタンクトップにジーンズ姿で現れ、周囲を驚かせた。彼女には“ファン”がついており、お化粧法、髪型、服装などが細かくチェックされる。このときのファッションは、たちまちネットにあふれた。
そのころ、ある会合で美智子さまは紀子さまにこう注意されたという。
「少し控えめに…」
「国民の皆さんに不快な感情を与える恐れのないように」
ところが、紀子さまは
「もう時代が違いますから」
と返されたという。
別の機会に、周囲から悠仁さまの教育について助言されたとき、紀子さまは
「私はこれから皇后になる人です。みなさんにどうこういわれる筋合いはありません」
とピシャリ。
「みなさん、平民に…」
ともいわれたともいう。
皇室ジャーナリストが語る。
「私も聞いて驚いた。権力を持たない天皇・皇后両陛下の地位をまるであるかの如く扱い、しかも一般の人と分けてご自分を特別視されている。このお言葉は他にこう受け取られる恐れがある。皇太子殿下が天皇になられても、皇后の雅子さまには大変かもしれない。そのときは摂政宮を設けて秋篠宮に就いてもらう。要するに皇位継承順位を無視する意図のある発言とも受けとられかねない

◆民間の方が皇室に入ってから

雅子さまがある会合に出られて、久し振りに笑顔を見せられていたとき、紀子さまが雅子さまの前で
「私はご病気ではありませんよ」
といわれたこともあった。ライバル意識といえばそれまでだが、雅子さまからその後、しばらく笑顔が消えた。

紀子さまは以前、周りから指摘されると、「わかりました、そのようにいたします」
と応じておられた。それがこの数年で変わられた。嫌なことをいわれると、すぐ横を向き、「舌打ち」されるようになった。
兄宮をさしおいて礼宮さまが先に結婚されることになったとき、両陛下は相当悩まれ、結論がなかなか出なかった。そのとき、礼宮さまが
「一緒になれないなら皇籍を離れてもいい」
と言い出されたが、結局、両陛下も承諾されたといわれる。

さらに天皇陛下は、美智子さまが皇室に入られて苦労された姿を見られているだけに、紀子さまの苦労を特に心配されていたともいわれる。
天皇陛下は、その紀子さまについては一言もおっしゃっていない。
「それは結局、民間から皇室入りした美智子皇后、皇太子妃雅子さまへの批判に結びつく恐れがあり、ひいてはご自分のことに跳ね返ってくるからだ」(前出、皇室ジャーナリスト)
美智子さまのストレスは、この解決しようのないところから発しているようだ。

(記事終わり)

上記記事はパワハラ・ブラックという視点よりは、美智子様のストレスと体調不良の原因が紀子妃にある、と言いたい記事ですね。しかし私に言わせれば、紀子妃を増長させたのは彼女を調子付かせた両陛下にも責任がおありになるとしか思いません。
両陛下と秋篠宮家は、悠仁様がお生まれになってからしばらくはずっと「蜜月」状態でした。静養もいつも一緒(東宮家は疎外するくせに)、悠仁さまにだけ高価なプレゼントを贈る、悠仁様だけ和舟遊びに参加させる、秋篠宮ご夫妻にばかり公務を割り振るなど、とにかく傍で見ていても両陛下が秋篠宮家ばかりに目をかけた結果が今の惨状だと思うのです。
しかしその蜜月もどういうわけか終焉を迎えつつあり、あれだけ「美智子様がお手本です!」と言い続けてきた紀子妃が美智子様に逆らったり盾突くようになったようですね。その根本原因は一体何なのでしょうか?

それにしても「紀子妃の暴言三連発」

★「私は皇后になる人よ!」
★「あなたたちは平民でしょ?(私はあなたたちとは違うのよ)」
★「私は(雅子様のように)ゴビョーキではありませ~んw」


は下品で偉そうなだけでなく、紀子妃の頭の悪さがにじみ出ているように思えます。それだけでなく、

★「チッ」と舌打ちまでする

恐ろしい不良ズベ公(古い…)宮妃です。本当にどういう育ちをすればこんな女になれるのでしょうね。
上記テーミスの記事は深く検討を加えなくても、上の★4つを羅列するだけですごい破壊力があります。
(「使えるカネが少ない!もっとカネ寄こせ!」アピールも蒸し返されています)

しかしこのまま典範が改正されなければ、秋篠宮様が天皇になり、それと同時に紀子妃が皇后になる余地が残ってしまうのが現状です。国民はそんなこと絶対に認めたくないですが、少なくともごく少数の男系男子支持者と紀子妃ご自身は、すっかり“その気”になっているようです。ここまで思い込みが激しく増長が止まらない宮妃を、一体誰がどうやって制止するのでしょうか。
やはり紀子妃をここまでのさばらせてしまった現両陛下に何とかしていただきたいと思ってしまうのです。
くれぐれも新天皇皇后両陛下にその「後始末」を押し付けるのは絶対にやめてほしいです。

「東宮家に配慮・遠慮はしません!」身分も序列も無視の不遜な秋篠宮家~眞子様の会見日問題

眞子様と小室さんの婚約会見が9月3日に行われることが決定しました。しかし、その会見の日程を巡って見過ごすことのできない問題が発生することになりました。
9月2日から3日は、皇太子ご夫妻が奈良へ公務に行かれることとなっています。「第32回国民文化祭・なら2017及び第17回全国障害者芸術・文化祭なら大会」へのご臨席であり、これは八大行啓のひとつに数えられる重要公務の位置づけとなっています。
ところが、眞子様と小室さんはあろうことか、東宮ご夫妻の重要公務と同じ日に自分たちの婚約会見をぶつけてきたのです。その問題性を指摘する記事も挙げられています。
今回は急きょ予定を変更して、「いかに秋篠宮家が東宮家に対し遠慮や配慮をしていないか」の証拠を記録するために、当該記事を取り上げさせていただくことにします。※今後も不定期に、序列を無視した秋篠宮家の過去の不遜な態度について当ブログでも記録していきたいと考えております。

女性セブン2017年9月7日号
眞子さま婚約内定会見、雅子さまの重要公務と日程重なり波紋


秋篠宮さま(51才)と眞子さま(25才)は、8月23日までハンガリー・ブダペストに足を運ばれた。2007年のマダガスカル、2010年のラオス以来3度目の父娘旅行だった。
「表向きは、眞子さまは民族博物館を、秋篠宮さまは家畜の飼育施設などそれぞれの研究分野を視察されるためというのが今回の私的旅行の目的でした。ですが、実際の所は父娘2人の“最後の思い出作り”といった側面も大きかったようです。
秋篠宮さまは18日にご出発。眞子さまは公務の関係で1日遅れの合流となりました。民族博物館では、眞子さまは展示物などをスマホで撮影されながら熱心にご覧になっていました。当初、その施設は眞子さまの合流前に秋篠宮さまがお1人でお出かけになる予定でしたが、英国留学中に博物館学を学ばれた眞子さまのたっての希望もあり、合流後の訪問に予定が組み直されたそうです」(皇室記者)

旅行に先立って、8月17日、宮内庁は眞子さまと小室圭さん(25才)の婚約内定会見を「9月3日」に行うことを発表した。会見は当初7月8日の予定だったが、九州北部を襲った豪雨被害のため約2か月延期された。
「9月3日になったのは、両陛下と秋篠宮ご夫妻のご予定や、9月12日の佳子さまの英国留学へのご出発前という事情を考慮したからだそうです」(皇室ジャーナリスト)

だが「9月3日」は、皇太子さまと雅子さまが重要な公務で奈良を訪れる予定の日にあたる。
雅子さまは、9月2、3日に奈良県で行われる「国民文化祭」に、皇太子さまとご一緒に臨席される方向で調整が進められている。
国民文化祭は『皇太子の八大行啓』の1つに数えられるもので、大変重要な公務に位置づけられています。雅子さまは7月に1泊2日で秋田県へお出ましになりましたが、4月のマレーシア訪問や6月に石川県で行われた『みどりの愛護』のつどいへの臨席、同月のデンマーク訪問といった“宿泊を伴う公務”を立て続けに見送られてきただけに、大変注目が集まっています」(前出・皇室記者)

前出の皇室ジャーナリストはこう話す。
「眞子さまの伯父である皇太子さまは、婚約内定の手続きには直接的には関係しません。会見が皇太子さまをはじめとした他の皇族方の公務と重なってはいけないという決まりもありませんから、形式的には問題はないのです。一方で、メディアや国民の関心の集まる雅子さまのお出ましとあっても、一生に一度の慶事ですから、ニュースなどでの扱いは必然眞子さまの婚約会見のほうが大きくなるわけです。まさにそれが問題で、皇太子ご夫妻の重要な公務の日に眞子さまの婚約会見が重なったことに、“皇太子ご夫妻をないがしろにしているのではないか”という声が噴出しているのです」(前出・皇室ジャーナリスト)

(記事ここまで)

上記記事冒頭のハンガリー旅行についても、「親子最後の思い出作り旅行」だの「眞子様の“ご希望”でスケジュールが組み直された」だの、ただの一宮家にしては随分甘く手厚い配慮がなされており、モヤモヤした気分になります。いくら私的旅行で費用の出所はお手元金の皇族費からといっても、この皇族費だって元々は税金で成り立っているのです。そして私的旅行なのに「研究」だの「視察」だのと「ただの遊びじゃありませんよ」アピールをしている所がかえって不愉快に感じます。

そして話は眞子様と小室さんの婚約会見に移りますが、豪雨災害のために会見を延期したこと自体は賢明な判断だったと思います。
しかし問題なのは日程を延期して別の日にするにしても、「両陛下」と「秋篠宮家」の事情は考慮しているのに、東宮家の事情については一切考慮していないことなのです。
両陛下への配慮は正しいとしても、眞子様は次にご自分の家族(ご両親や妹の留学など)について配慮し、秋篠宮家よりはるかに序列が上の東宮ご一家には一切配慮を見せていません。
いつもは東宮ご一家に関しネガティブな記事ばかり書いている女性セブンが、今回は極めて珍しく眞子様と小室さん、そして二人に助言や注意をしている素振りを見せない秋篠宮ご夫妻に対し厳しい視点で記事を書いているのです。これはよほどのことだと感じます。

実は当初、眞子様の婚約会見は11月まで延期されるかもしれないということも予想されてました。
週刊ポスト2017年8月18・25日号にそれに関する記事が掲載されたこともあります。以下引用いたします。

眞子さまの婚約会見 11月まで大幅延期の可能性も

プリンセスの結婚に、いくつもの壁が立ちはだかるのは物語の話とは限らない。7月8日に予定されていた秋篠宮家の長女・眞子内親王(25)と小室圭さん(25)の婚約内定会見が、直前に発生した九州北部豪雨の影響で延期。2人が公の場に初めて揃う会見は、11月までズレ込む可能性が取り沙汰されている。皇室ジャーナリストが言う。
「婚約会見といっても、芸能人のそれとは全く違う。会見当日は天皇陛下が結婚を許可する『裁可』をされ、宮内庁長官による内定発表、そして会見という順序となる。準備を含めてやることが多いのです。しかし、8月は原爆の日や全国戦没者追悼式などに両陛下が出席されるなどご多忙。9月は佳子さまの留学、紀子さま、悠仁さまのお誕生日、秋篠宮ご夫妻は9月下旬から10月上旬まで南米へ……と予定が詰まっている

会見延期には別の理由もあるといわれる。
「一連の小室さんのプライベートに関する報道のなかで、宮内庁側も知らない情報があったそうです。宮内庁サイドが“再調査”に乗り出したことも、会見の大幅延期に関係があると囁かれています。
最近、小室さんは毎週のように秋篠宮邸を訪れ、皇族の夫に相応しい人物になるための“教育”を受けているようです。小室さんは社会経験に乏しくまだ若い。眞子さまのフィアンセとして相応しい振る舞いを身につける時間を確保するためにも、会見は先延ばししたいというのが宮内庁側の考えかもしれません」(同前)
会見の日程について宮内庁は、「まだ決まっておりません」(総務課報道室)というのみだった。次に小室さんが国民の前に現われる頃、「海の王子」ではなく本物の“プリンス”に近づいているか。

(記事ここまで)

上記ポストの記事では10月の予定についてまで触れています。ポストは触れていませんが、10月20日には美智子様のお誕生日もあります。秋篠宮様のお誕生日は11月30日なので、当初は美智子様のお誕生日と秋篠宮様のお誕生日の中間くらいの時期をだいたい予定していたように思えます。
(なお上記ポスト記事も、東宮ご夫妻の奈良行啓については一切触れていませんね。)
しかし、眞子様のお相手である小室さんについての不穏な情報が徐々に出てくるにつれ、「会見を早くしすぎてもいけないが、逆にズルズル長期間延期にすることも望ましいことではない」という判断がされたように見えてしまいます。
※現在小室さんは秋篠宮家に通って何時間にもわたって会見の打ち合わせを行っているようです。記者からの質問も受け付けない、あらかじめ想定されたことしか言わない・答えない、極めてつまらなく形式的な会見となることは間違いなさそうです。

だからといって、なぜよりによって東宮ご夫妻の重要な行啓の日程に会見をかぶせるようなことをしたのか。どんな理由があろうとこの非礼・無礼は許されませんし、あまりにも不遜としか言いようがありません。マスコミや国民からの注目云々の話ではなく、両陛下に対し行われている配慮・考慮を、なぜ同じように東宮ご夫妻にはしない・できないのか?という疑問は当然湧いてくるものです。

この一件だけを見ても、秋篠宮家は「もう東宮家には配慮・遠慮はいたしません!」という、故意犯のごとく強い意志を感じてなりません。おそらく“わざと”やっているのだと思われます。
婚約会見では「なぜこの日を会見に選んだのか?」という質問すらNGになるでしょうし、もし聞かれたとしても東宮ご夫妻に関しては一切触れないと思います。

9月3日、東宮ご夫妻の行啓に関する報道が極端に減らされ、眞子様の婚約会見(入念な下準備と打ち合わせにより行われるつまらないもの)報道に大幅に時間を割くことは容易に想像できます。が、多くの国民がそのような意図的な報道体制に振り回されることなく、ほかの重大なニュース(北朝鮮関連など国際情勢)や東宮ご夫妻の行啓ニュースの方にしっかり目を配ることが大切になると考えます。

当主不在の“ブラック宮家” その10~おもてなし精神ゼロ宮妃

自分でももうそろそろいい加減にしろと言いたくなるような秋篠宮妃のパワハラ・ブラック体質記事ですが、もうしばらくおつきあいくださいませ。
今回は雅子様と紀子妃を比較した内容の記事ですが、雅子様と敬宮愛子様の素敵エピソードも読める内容となっています。記事の年代が多少前後してしまっておりますがご容赦ください。

週刊文春2011年8月25日号
紀子さまの憂鬱、雅子さまのハツラツ
宮内庁職員が「秋篠宮家には異動したくない」。なぜ境遇に変化が…


「昨夏、週刊誌に悠仁さまのグラビアが掲載された際、紀子さまが皇宮警察に対して、『将来の天皇に何かあったらどうするのですか』と遺憾の意を伝えられ、所轄署も注意を受けました。お茶の水女子大学附属幼稚園の周辺は警備が厳重になり、通りがかりの主婦が遠くから見ているだけでも、両脇に警官が立ち、名前や住所を職務質問するほどです」(警察関係者)

紀子さまを支える側近の筆頭格ともいえる侍女長が退任した一件で、にわかに注目された秋篠宮家(週刊新潮8月11・18日号)。震災の影響で、3月に予定されていた悠仁さまの取材の機会はキャンセルになり、いまだに“皇族の七五三”と言われる「着袴の儀」の予定も決まっていない。
そういった事情もあるのか、宮内庁関係者から「紀子さまが、以前にもまして一つ一つのことに気を揉んでおられる」という声が洩れ聞こえてくる。
かつて秋篠宮付だった元職員はこう証言する。
「秋篠宮両殿下はとても気のつく方々ですから、ご要望も多いのです。例えば、過去の妃殿下は台所に立つということはほとんどなかったのですが、紀子妃殿下は御料牧場などから届けられた肉や卵の鮮度をご確認なさって『お願いしていたものと違います』と仰ったり、ご家族の誕生日の際に、招待する方の順番や、その際の手順に不手際があると後からご意見を述べられる。我々が良かれと思ってやったことが裏目に出てしまい、行き違いが生じることがあるのです
皇宮警察にも戸惑いの色があるという。前出・警察関係者はこう話す。
「(冒頭のように)悠仁さまのご通園時の警備体制については、とくに紀子さまの強いご憂慮が伝わってきます。最近では皇宮警察官が紀子妃殿下にお声をかけていただけず、自分に落ち度があるのではと考えてしまうことがあるそうです
また公務に関するご説明で秋篠宮家にうかがったことがあるという、ある中央省庁官僚は、
われわれ役人が宮邸にうかがうとき、各宮家ではこちらが恐縮してしまうほど丁寧にご対応くださいます。さすが『皇室のおもてなし』というか、たとえば、ご説明など仕事が一段落すると、まるで合図されているかのような絶妙の間でお茶とお菓子が出てくる。日本茶と和菓子だったり、紅茶と洋菓子だったり。ただ、秋篠宮家では、お茶をいただいた記憶がありません。もちろん些細なことなのですが…」

こういったことから垣間見える秋篠宮家のご様子について、皇室ジャーナリストはこう解説する。
問題はスタッフの規模が急激に大きくなり、人員のバランスが崩れていることなのです。侍女長の件もそういった環境の激変のなかで起きている。十年以上務めた調理師も退任しています。悠仁さまがお生まれになってから、看護師を増員するなど、職員が9名から15名に増えていますが、経験の無い新人も配置され、『秋篠宮家に新人を配属して大丈夫なのか』と関係者から声が上がったほどです
この規模拡大は、将来の天皇である悠仁さまのご成育環境を整えるため、一気に進められた。風岡典之宮内庁長官も国会答弁で「保育、看護に全力を挙げて取り組んでいきたい」と述べているが、悠仁さまがお生まれになった後には、秋篠宮家にご不便がないよう、施設の一部も改修されている。
「例えば那須御用邸では、本邸に両陛下、別邸に皇太子殿下というように序列に従い、宿泊する場所が分かれています。秋篠宮家は木造2階建ての供奉員(ぐぶいん)宿泊所にご宿泊ですが、建物も老朽化しているため数年前に改修しました。御料牧場内でも、天皇、皇太子は貴賓館にご宿泊ですが、秋篠宮さまはそこから300メートル先の外交団施設を改修され、ご宿泊されています。外交団接待が目的の場所ですが、宿泊されるのは秋篠宮ご一家だけです」(宮内庁関係者)
東宮には3人の家族に約50人の職員がいるのに対し、秋篠宮家は増えても5人の家族に15人しかおらず、予算や護衛の数にも大きな差がある。両殿下は、その中で皇位継承順位三位の悠仁さまを育てなければならない。

◆安堵を語られた雅子さま

それらの負担が、さらに職員のプレッシャーになってしまっているのか、
「宮内庁職員や皇宮警察の中に、『配属されるなら、秋篠宮家よりも東宮家のほうがいい』と洩らす人間が増えているのも事実です」(別の宮内庁関係者)
この夏、秋篠宮ご一家は両陛下とご静養先の軽井沢で合流されることが検討されている。前出・宮内庁関係者も「少しの間でも、ゆっくりお過ごし頂きたい」と願っているという。
一方、皇太子ご一家は被災地ご訪問が一段落し、愛子さまも夏休みを満喫されている。
「被災地への配慮から、今年は夏祭りの代わりに、お友達を招いて『子ども会』がありました。例年はジンギスカンや焼き鳥などの屋台や、ヨーヨー釣りなどのお楽しみもあるのですが、今年は室内での催しだったので、愛子さまはお友達とリズムに合わせて踊るゲームをなさっていました」(東宮職関係者)
子ども会は午後6時から催され、ケーキや焼きトウモロコシなども振る舞われた。雅子さまもお元気なご様子だったという。
被災地をお見舞いされた際、妃殿下は職員に『私が行って涙を流して喜んで下さる方がいるのですね』と安堵と、喜びを語られたそうです。8月11日、那須ご静養で東京駅を発つ雅子さまのご様子は、被災地をお見舞いされる際と比較して、とてもリラックスされてお元気そうでした」(前出・皇室ジャーナリスト)
元気の源は愛子さまの成績表をご覧になったせいもあるかもしれない。
いくつかの科目では五段階評価で一番良い『5』を取られたそうです。一クラス約30人のうち、相対評価のため各科目で5を取れるのは8人前後。日頃の雅子さまのご教育の成果でしょう」(学習院関係者)
愛子さまは終業式後、週末は2週連続で皇太子お付き添いのもと、ミュージカルやクラシックを鑑賞された。ご静養へ出発される当日の午前中は、学習院女子大学で希望者が参加する「イングリッシュ・セミナー」にご参加されていた。
愛子さまの学年では20人弱しか参加していない、かなり少人数制のセミナーで、おもに雅子さまがご一緒されていました。愛子さまは学習院女子大学のネイティブの先生と日本人の先生に英会話などを習ったそうです」(同前)
東宮ご一家は9月1日まで那須でご静養される。

(記事終わり)

相変わらず秋篠宮家に同情・擁護するようなおかしな箇所もありますが、記事が東宮ご一家の良いお話でしめられていて良いと思いました。夏休み中もお勉強を真面目になさっている努力家の敬宮愛子様、そして敬宮様の学業やご成長に常に寄り添い、被災者からも涙を流すほど歓迎される皇太子妃殿下雅子様。紀子妃のイライラ、ギスギスした日常とは実に対照的で好印象ですね。私はまだ皇太子ご一家に直にお会いできたことはありませんが、もし皇太子ご一家にお会いできたらおそらく私も涙を我慢することができなくなると思います。皇太子ご一家には“癒しのお力”があると感じるのです。

一方、紀子妃は秋篠宮邸に客人があっても、絶対にお茶やお菓子でおもてなしをしないとのこと。これは皇族・妃というより、一人の人間として「今までこの方はどういう生き方をしてきたのか?」と疑いたくなるような問題だと思います。客人をもてなすということは「お金がある・ない」ではなく、人間性に関わることです。
おそらく紀子妃(もちろんこれは当主の秋篠宮様の責任でもある)は、「どうして皇族の私たちがただの民間人(庶民)にお茶なんか出してやらないといけないわけ?皇族なんだから下々の人間なんて適当にあしらってさっさと帰せばいいのよ」と思ってるような感じに見えます。あるいは、川嶋家に客人をもてなすという習慣がまったくなかった可能性もあります。
いずれにせよ、秋篠宮様はどうしてこのような育ちの悪い女性を妃に迎えてしまったのか…と、今でも腹立たしくなります。

そして上記記事には、これまでのブラック宮家記事と多少の齟齬を感じざるをえない内容が書かれています。それは
「悠仁様が生まれてから、秋篠宮家のスタッフの規模が急激に大きくなっている」
「悠仁様が生まれてから、秋篠宮家のために色々な施設が改修されている」

という部分です。
紀子妃は常に東宮家とご自分たちを比較して、予算が足りないだの職員が少ないだの不平不満を述べられていました。ところが実際は2011年の時点(あるいはそれよりもっと前から)で、「悠仁様の存在」を理由にして職員数も大幅に増え、秋篠宮家が利用する施設も色々と改修されていたのです。
ここまで気を遣われていながら、なお紀子妃は飽き足らず「もっと予算を増やせ」「東宮家と同じようにしろ」「新人なんかじゃダメだからベテランのキャリアを派遣しろ」などとゴネてきたということになります。
いくら筆頭とはいえただの宮家がここまで気を遣われた例は過去にないでしょう。

何度も申し上げますが、いくら次代で秋篠宮様を「皇嗣」扱いにして職員を増やしても、秋篠宮家に行きたがる人は誰もいないのです(上記記事にも「東宮家に行きたい、秋篠宮家は嫌だ」と思う職員が多いと書かれています)。
このような状況は宮内庁が一番よくわかっているはずなのに、どうやって職員を増やして秋篠宮家に派遣するつもりでしょうか。
それこそ無理やり、有無を言わさず、一定の期間を設けて交代で「罰ゲーム」を受けにいくような感じで?
一般的な宮内庁職員に行き先の選択の自由がないのは致し方ないことでしょうが、これではパワハラ・ブラック状態は改善されないような気がします。
人数が増えれば、嫌なこと・苦痛なことを大勢でシェアできて一人一人の負担が軽くなるかもしれないと甘く見ているようにも思えます。紀子妃の人間性、当主である秋篠宮様の無責任さに大きな原因がある以上、事はそう単純に運ばないだろうと予想します。

しかし紀子妃がご長男のことを「ショウライノテンノウ」と言い放つところは、何度見ても傲慢過ぎて不愉快になります。
秋篠宮様と悠仁様の皇位継承権はあくまでも暫定のものにすぎず、典範改正があればいつでも、天皇直系で東宮家長子の敬宮愛子様よりも順位が下がることを甘受しなければならない不確定な地位にすぎません。

物議かもす秋篠宮の「告白」―いなくなったお目付役―(月刊誌『選択』より)

今回は、月刊誌『選択』1998年9月号から、江森氏の『秋篠宮さま』に関する記事をご紹介したいと思います。

この「選択」という月刊誌は現在でも販売されていますが、書店では入手できず郵送方式をとっているらしく、経済、政治、国際、社会・文化という4つのジャンルの記事を掲載しており「マスコミ界を横断する組織によって作られている」とのこと。
詳細は公式HPで確認できます。
https://www.sentaku.co.jp/

その「選択」ですが、『秋篠宮さま』に関してはちょっと辛辣な内容の記事を書いています。
秋篠宮様の言動に限らず、平成皇室の現状にも深く関わる問題点を提起しています。

物議かもす秋篠宮の「告白」―いなくなったお目付役―

毎日新聞の元宮内庁担当記者が書いた『秋篠宮さま』という本が売れている。宮と友人関係にある記者が、彼の素顔を多くの人に知ってもらいたいと、思い立ったという。しかし、手法はこれまでの「皇室もの」と同工異曲であり、週刊誌などで報道された“秋篠宮バッシング”への反論と思われる部分もある。私たちは秋篠宮も含めた皇族が、何を考え、どのように行動し、社会にどう貢献しているのかをあまり知らない。この本からも、それはあまり浮かんでこないが、国民と皇族の理想的な関係はどうあるべきか、考えてみる必要はある。
著者の江森啓治氏は京都支局などを経て、3年間本社社会部で宮内庁を担当、現在企画事業部副部長。妻が学習院女子高等科在学中から秋篠宮妃の友人で、16年間、親しくしているという。筆者は妻と京都で初めて宮夫妻に会い、個人的な交遊を重ねている。本は6月の発売以来、毎日新聞の出版物としては、近来にないベストセラーになっている。
執筆の動機について江森氏は、1996年春、タイに秋篠宮の愛人がいるという根も葉もない記事が週刊誌に出た、その年の夏、自分の方から「殿下の本当の姿を本に書かせて下さい、そのためには殿下の肉声を引用させていただくことが、ぜひとも必要です、とお願いした」という。そして宮から「江森さんの考え通りに進めて下さい」と了解を得た。
「こちらからお願いしたのであって、殿下に頼まれて書いた、と一部でいわれているようなことは、全くの誤りです」

(中略―主に秋篠宮様のこれまでの半生と博士号取得の件など客観的事実について)

こういう立派な業績があるにはあるのだが、秋篠宮といえば、ヒゲやブレスレット、サングラスなど皇族らしからぬスタイルなどで目立つ存在である。特に近年、昭和天皇の喪中に婚約を発表したり、タイに愛人がいるなどと週刊誌を賑わした。江森氏が「頼まれて書いたのではない」と強調するのも、こうしたことが背景にあるからだ。本の内容を少し紹介しよう。

(中略―過去にご紹介した肉声など)

宮から受ける印象は、自由奔放で、活発、やんちゃというのが普通だ。卓球やテニスが上手で、特に中等科時代には東京都の中学生で、テニスランキング10位に入った。しかし本当はシャイで、引っ込み思案。両親からはもう少し社交的になった方がいいと注意されているという。
その両親、天皇夫妻だが、公務の傍ら教育熱心であるなどと書かれている。

(中略―過去にご紹介した肉声など)

普通の家庭でもよくある、デキの悪い子供を持った親の悪戦苦闘ぶりがうかがえる。

(中略―昭和帝に関する記述)

秋篠宮の婚約発表は唐突だった。昭和天皇の喪中であり、本人は留学中、つまり学生の身分で、兄の皇太子もまだ結婚していないのに、急がなくてもよい―などの批判があり、両親を強引に口解き落とした、などといわれた。しかし実は「両親が温かく見守り」、服喪中の9月12日の皇室会議で婚約は正式に整った。批判に対し本書では、高円宮も兄の桂宮より先に結婚したし、貞明皇后崩御から2カ月足らずで昭和天皇の四女順宮(よりのみや=池田厚子)の婚約が発表されたこともある、と説明している。

(中略―過去にご紹介した宮様の言い訳や肉声など)

◆皇室本と同工異曲の「弁明の書」か

(中略―クリントン大統領晩餐会欠席、愛人疑惑の報道、タイ行きに異論はなかったという反論、火のない所に煙が立った会見など、一連の事実の流れについて)

秋篠宮報道について、本書は「弁明の書」ととってほしくないというのが、江森氏の一貫した態度である。
「私はいわゆるお学友のような、ベタベタの取り巻きではない。取り巻きの末席程度だ」と本人の弁。妃が妻との知り合いといっても、あくまで自分は新聞記者であり、ありのままの姿を書きたく、“よいしょ”する考えはなかった、と語る。
確かにベタベタ感はない。しかし江森氏は殿下の「肉声」については、書いた私より書かれた殿下(皇室)への影響が計り知れない。だから殿下に念入りに見ていただいた、と言っている。さらに「最終的に殿下のご判断にお任せしたところもある、影響力の大きさを考えれば殿下のご了解を得ず、私の独断で書き飛ばすことはできなかった」と語る。
「夫婦仲の問題にしろ、紀子さまのご実家の川嶋家から、仲が悪いという話は結婚以来、一度も聞こえてこない」とあるが、95年の記者会見で、結婚して5年になるが、夫婦げんかはしますか、という質問が出た。本書にはないので紹介しよう。

秋篠宮 ないといったらウソになるというのではなくて、本当によくあることなんですが…。どうなんでしょうね。
妃 意見交換ということでは大切に。
宮 私もかなり自分勝手なあれとか、その時の気分で怒ってみたりすることがよくある人ですね。それで、さて、その後はどうなるんでしょうか。ですけれども、あなた謝りますね(笑)。
妃 基本的にはやはり間違った考えを持っている方とか…
宮 私、謝らないことが多いから。
妃 人間ですので感情的なこともございますのでしょうが…。

◆皇族が汗して働く姿が見えない

私たちの多くは、秋篠宮も含めて皇族がどんなことをしているか、ほとんど知らない。男性週刊誌では皇族のゴシップ、先年批判された競輪や競艇の宮杯への謝礼金問題などが取り上げられ、テレビや女性週刊誌での話題は、育児や出産、妃のファッション…。
皇后が結婚して“ミッチーブーム”がおきたとき、社会学者は「大衆天皇制」の時代になった、と評した。現在、女性誌などでの皇族の扱いは、大型タレントといったところだ。“秋篠宮本”は同工異曲と書いたが、私たちは宮の日常や研究、親子関係、さらに「弁明」とも取られるような話ではなく、国民とともに汗して働いている姿を読みたいのである。
例えば大地震など大規模災害があったとき、天皇、皇后や皇太子が慰問する前に、若い皇族が長靴にジャンパー姿で救援に駆け付けるとか、干潟やゴミ焼却場で環境問題に関心を寄せたり、植樹祭や育樹祭ばかりでなく山林の下草を若者と一緒に刈るなど、もっとドロ臭い、汗の匂いのするような行動を期待したいのである。海外青年協力隊とともに外国で途上国に貢献するようなことは、不可能なのだろうか。
宮内記者会には、各皇族の「週間御動予定表」というのが配られる。スポーツ大会や福祉施設の視察、開会式でのお言葉、各種大会、コンサートから美術展まで、それに外国訪問もときには入る。しかし、共通しているのは、いずれも整備され、間違いのないようにセットされた式典や施設見学が多い。
こうしたケースで本当の国民の訴えや悩みに共感を覚えることができるのだろうか。これらの出席の諾否は、皇族がどの程度関与できるのか、選択の余地はあるのか。

各皇族はいろんな団体の名誉総裁を引き受けている。「日本ビリヤード協会」(寛仁親王)の総裁などもあるが、これなどどういう社会的意義があるのだろうか。総裁就任に当たって基準はあるのだろうか。限られた範囲の名誉職ばかりに就いていることが、皇族の姿を見えにくくしているのではないか。
こうした問題は、皇族自身で解決できることばかりでもあるまい。また、古くて新しいテーマという気がする。

戦前の皇族は一定の年齢に達すると、軍務が待っていた。「皇族身位令」(1910年)第一七条には、皇太子、皇太孫は「満十年」、親王、王は「満十八年」に達したとき「陸軍及海軍ノ武官ニ任ス」と規定があった。高松宮は海軍に入ったが、自分では戦闘にしたかった。1937(昭和12)年8月22日の「日記」の上覧に、次のような書き込みがある。
「赤子国民ヲ死地ニオキ、国民ノ危険ヲ坐視スルハ皇族トシテ、皇軍ナル如何ナル見地ヨリモ不可」
さらに9月26日、軍令部長伏見宮博恭王の長男博義王が「迫撃砲にて微傷をうけらる。結構な出来事なり。午後、陸上にて(王は駆逐艦勤務だった)弾片を局部麻酔にて取出されたる由…これで皇族も戦死傷者の中に算へられる帖面ヅラとなり、よろし」とある。皇族も積極的に危険な前線に出て行きたいという気持が綴られている。しかし、宮内省や軍部と意見の相違があって皇族が危険な勤務につくことは、中々実現しなかった。
現在の皇族も積極的に社会に出たい、とする気持はあるのであろう。若いころの寛仁親王は、服装や発言などからひんしゅくをかったが、現在は愛知や宮城の福祉事業などでは、大きな力になっている。そうした例はあるにせよ、官僚機構のしがらみなどから、高松宮の軍務のように皇族の活動が制限されているとしたら、由々しき問題である。
かつては天皇や皇族に対し、出すぎたことがあったときなど、意見を言う重臣や内大臣がいた。牧野伸顕は1921(大正10)年宮内大臣、25年から10年間、内大臣として昭和天皇に仕えたが、当時いわれていたのが天皇と母君(貞明皇后)の関係が、常にぎくしゃくしていたことだった。
牧野は意見に違いがあるのは仕方のないことだ、「新古を調和し秩序的に進歩するこそ適当の筋道なり」、と天皇に語り、皇室内部で新旧両世代がバラバラでは「御徳に影響する」と諭した。天皇はよく分かった、と「首肯」された(『牧野伸顕日記』)。

◆宮内庁長官は「下僕」ではない

皇族を監督する制度もあった。1910年、宮内省官制が改正され、宗秩(そうちつ)寮は「皇族ニ関スル事項」も掌することになった。総裁は歴代大物が起用されている。昭和に入ってからは内大臣を務めた木戸幸一、宮内次官白根松介、外交官武者小路公共、宮内大臣松平慶民、式部官長松平康昌が、前任は宗秩寮総裁を務めた。
旧福井藩主松平春嶽の五男慶民は、学習院からオックスフォードに留学、帰国後すぐ宮内省に入ったが、貞明皇后の反対を押し切って昭和天皇の欧州巡遊(1921年)推進のために、元老の間を走り回り、実現にこぎつけた。皇族の目に余る言動については、口頭や手紙で遠慮なく諫めた。
戦後天皇制の確立に大きな役割を果たした元宮内庁長官宇佐美毅は、陛下もいろいろなことをおっしゃるが、私もどんどん申し上げるんだ、とよく漏らしていたという。侍従長入江相政も、言うべきことは言ったようだ。
もし、皇族が宮内庁の意向を無視したような言動があった場合、宮内庁長官はどの程度まで意見するのだろうか。牧野や木戸などのように皇室の将来を見据えて天皇や皇族に皇室の在るべき姿を説いた「忠臣」のいない現在、宮内庁長官の責任は大きい。決して長官は天皇や皇族の「下僕」ではないのだから。

昭和天皇は寛仁親王が皇族離脱発言をしたとき、皇族の在り方を次のように述べている。
「皇室の伝統としては、国民とともに歩むということですから、皇族としても立派に国民の皇室に対する期待を、どんなものであるか十分把握して国民の期待に沿うよう努力してほしい」
旧皇室典範三十五条には、「皇族ハ天皇之ヲ監督ス」とあるが、それを踏まえた発言だったのだろうか。いずれにしても皇位継承第二位の皇族が、週刊誌の話題になるのは好ましいことではない。(敬語敬称略)

(記事終わり)

江森氏は一貫して『秋篠宮さま』は弁明の書ではない、と主張しているとのことです。しかし、江森氏がそういう言い訳に終始しなければならなかったほど、読者や国民は「これは宮様の弁明の書にすぎない」という解釈をしたのではないかと思われます。江森氏は「これは自分から宮様に持ちかけた話」であり宮様はそれに承諾しただけとも言っていますが、そもそも秋篠宮様がご自分に関する報道に不満を持ちいつか釈明したいと考えていらしたこともいくつかの雑誌記事に書かれています。宮様の不満をそばで見ていた「お取り巻き」の一人であった江森氏が「じゃあこういう本を出しましょうよ」と言い、宮様が「ああそうしてくれ」という判断を下したのであれば、江森氏が宮様を思って一方的にやったこととは言えないように思います。秋篠宮様が「いや、そういうことは皇族として恥ずかしいことだからやめてほしい」と言えば、江森氏もさすがに引っ込んだはずですから。
江森氏は「宮様や皇室への影響を考えると私の独断で書くことはできなかった、だから最終的には秋篠宮様の判断にお任せした」とも言っていますが、「書かない」という選択肢はなかったのか?とも思ってしまいます。そんなに皇室や宮様への影響を心配するなら、最初からこんな本書かなければいいと思うのです。
江森氏は、一見秋篠宮様のことを心配し思いやりながらも、自分に責任がかかることからは避けたがっているように見えてしまいます。「宮様に頼まれて書いたわけではない」と言いながら「最終的な判断は宮様にお任せした」という部分にそれを感じます。

そして、江森氏と秋篠宮様、互いのコネを利用して一冊の弁明書を出版したはいいものの、『選択』からは「これでは皇族の本当の姿が見えてこない」とズバッと切られてしまっています。
秋篠宮様ご自身は泥や汗にまみれて一生懸命研究やってるよ!と主張できていると思ったのでしょうが、実際はそのような「生身の一生懸命な皇族(宮様)の姿は捉えることができなかった、ということですね。
『選択』の上記主張は、平成皇室の現状にも大いに当てはまると私は思うのです。
秋篠宮ご夫妻や両陛下は、「我々は公務を一生懸命やっています、国民と変わらないのです」ということを必死に訴えようとしていますが、それが国民に伝わっているとは言い難いのではないでしょうか?
『選択』も述べている通り、皇族は「整備され、間違いのないようにセットされた」場所にしか行くことはありませんし、一般国民のように平日毎日勤務して満員電車に揺られ、低賃金に喘ぎ、残業や長時間労働に苦しみ、ヘトヘトになって帰宅する…という日常を送るわけではありません。いつもきれいな服を着て、いつも車で楽に移動し、わずかな時間その場にいて適当に相槌を打ちコメントを述べただけで謝礼金をたっぷりもらえ、嫌な上司に叱られることもなくいつも頭を下げられる側であるのです。
秋篠宮ご一家は「我々も国民と同じように働いている(公務している)」というアピールが鼻につきますが、上記に挙げた点だけで既に「国民とは全然違う」のです。彼らに一般国民の労働の苦しみがわかるはずがありません。
『選択』の皮肉がこもった記事は、現在の皇族のそういう「偽善アピール」にもつながることだと思います。

更に『選択』は、「昔の皇室にはきちんと意見を言えるお目付け役がいたが、平成の皇室からはそういう存在がいなくなった」ということも嘆いています。
一説では、今の天皇皇后両陛下が、ご自分たちの「イエスマン」しか周囲に置かなくなり、ご自分たちに意見を呈しよう者がいれば(それがきわめてまっとうな意見であっても)容赦なく切り捨ててきた…というお話もあるそうですが、ここでは詳細は省きます。
仮にそういう「お目付け役の切り捨て」「イエスマンで周囲を固める」ことが平成になって常態化しているのだとしたら、皇族の独善化が止まらないのは当然かもしれません。
秋篠宮様は江森氏の本を読んでもわかる通り、いつも「父が~母が~両陛下が~」を繰り返しており「親にべったり」な印象を受けます。紀子妃も昔から今までずっと美智子様をお手本にしてきたと言われています。
そういう方々が、ご自分たちに意見しようとする職員に聞く耳を持つとは思えません。おそらく両陛下を真似て、ご自分たちも周囲をイエスマンで固めたいと思っているのではないでしょうか。
イエスマンたちが両陛下や秋篠宮家にヘコヘコしてうまく立ち回っている一方で、秋篠宮家のやり方についていけないような職員は当ブログの「当主不在のブラック宮家」シリーズでもご紹介の通り、パワハラに遭って夜逃げ同然で逃げるか、心身を病むまで働かされてボロボロにされるか―になっていくのでしょう。実に恐ろしいことです。
平成の宮内庁も秋篠宮様には不満を抱いていても、両陛下がバックにいるので強く出られない。それでますます秋篠宮ご夫妻が調子に乗る…という悪循環が、現在でもまさに続いているのではないかと予想します。

余談ですが、江森氏は秋篠宮ご夫妻の婚約について「高円宮殿下だって兄の桂宮殿下よりも先に結婚したし、池田厚子さんも貞明皇后崩御から2カ月で婚約しているではないか」と反論しているようですね。
桂宮殿下は「自分は結婚はしない」という強いお考えを持っており(ご自分の皇族としての地位や障害のある身体なので妃となる女性に迷惑をかけたくないという切ない思いから)、この件は弟君の高円宮殿下も承知していて兄弟間で納得の上でそういうことになったのであろうし、池田厚子さんの場合は「皇后」の崩御でありまた結婚により皇室を出てしまわれる方だったので、一概に秋篠宮様と比較することはできないように思います。秋篠宮様は昭和帝の孫であり、今上陛下の次男でした。そしてご自分は池田厚子さんのように皇室を出ていく身ではなく、逆に皇室に残れて新しく妃を迎えることのできる立場の方。そして皇太子殿下はそのお立場上、桂宮殿下のように「私は結婚しません」という選択肢が許されない方でした。
高円宮殿下、池田厚子さん、秋篠宮様、このお三方を比較して一番非難されるべきは、やはり「天皇」崩御の喪中に婚約をした秋篠宮様であることに変わりはないとしか言いようがありません。
こういう「言い訳」を書き連ねていてもなお江森氏と宮様は「これは弁明の書ではない!」と言うのでしょうか。呆れますね。


江森氏の『秋篠宮さま』については、次回、宮様の肉声以外の文章に取り上げる価値が見つかれば少し触れる予定ですが、それを区切りとしてひとまずシリーズを終了させたいと思います。
次回以降は秋篠宮家のパワハラ・ブラック記事をもうしばらく続けるとともに、9月3日の眞子様・小室圭さんの婚約会見を踏まえて、眞子様のお母様の親族についての記事をいくつかご紹介させていただく予定でおります。
現在、小室さんの出自や親族について批判が多く挙がっているようですが、眞子様のお母様も負けてはいません(笑)。

当主不在の“ブラック宮家” その9~ブラック飲食店も真っ青の秋篠宮家料理人の現状

今回ご紹介する週刊文春2015年7月9日号は、「秋篠宮家=ブラック職場」ということをいっそう強く際立たせることになった、有名な記事です。これほどハッキリと「ブラック」と言及されてしまった皇族(宮家)はほかにいらっしゃいません。

「秋篠宮家の料理番」の告白 「一言で申し上げるならブラックバイト…」
魔の金曜日、椅子だけの待機室、厨房に響く紀子さまの叱責


≪私も仲良く「可」にいたします。いろいろな可能性を秘めている「可」ということで≫
結婚25年を迎えられた紀子さまは妻、親としてご自身をこう評された。このお言葉を、「落第」のレッテルを貼られて去った、宮家の料理番はどう見たのか。宮家の深層リポート!

宮内庁大膳寮の初代司厨長・秋山徳蔵の生涯を描いたドラマ「天皇の料理番」(TBS系)が好評だ。外国の賓客に振る舞われた彼の豪華絢爛な宮中料理は、国の威信を示す重要なものであり、大正天皇、昭和天皇の覚えもめでたかった。“天皇の料理番”は、西洋に追い着いた戦後日本の象徴として料理人以上の栄誉である“称号”となった。
だが、将来の天皇を擁する“秋篠宮家の料理番”の実態はまるで違う。かつて秋篠宮家の料理番として務めた元職員はこう話す。
「私などは、臣下として、『可』さえも頂けなかったと思います」
可とはなにか―。
6月29日、秋篠宮ご夫妻はご成婚から25年の「銀婚」を迎えられた。当日には文書でご感想を発表されたが、事前に内容を見た記者たちは面食らった。
「A49枚綴りで、異例の“対談形式”でまとめられたペーパーが出てきたのです。25年間を振り返り、仲睦まじいご様子のやり取りが続いています。これはお二人が交互にパソコンで文章を打ち込み、“交換日記”のようにまとめられたそうです。秋篠宮さまのご発案と伺っています」(宮内庁担当記者)
可はその最後に出てくる。文書の締め括りに、秋篠宮ご夫妻が、親・夫婦として、お互いの自己評価を述べ合っているのだ。
<文仁 本来であれば、第三者、まったくの第三者というわけにもいかないので、私以外の家族に委ねなくてはいけないのでしょうが、それをするにはまず自らを振り返ることが必要です。とはいうものの、あなたと子どもたちから私の評価を聞くことは、今までの自分の行いを考えると少し怖い気もするので、今回はあくまで自己点検・評価でいきましょう。
きとんとした項目立てをして、優・良・可・不可で客観的に点検および評価をしたわけではありませんが、漠然としたメルクマールからすると、私の場合には限りなくボーダーラインに近い「可」といったところでしょうか
紀子 私も仲良く「可」にいたします。いろいろな可能性を秘めている「可」ということでいかがでしょうか>

前出の秋篠宮家の料理番はこれを読み、自嘲の笑みを浮かべながら話すのだ。
「おそらく私などは『落第』だと思いますよ。ただ、宮仕えを一言で申し上げるなら、ブラックバイトのようなものですよ。口幅ったいことを申し上げるようですが、一流の料理人が務める場所じゃない。厨房に一人きりのことも多く、牛丼屋じゃないが、まさに“ワンオペ”状態なのです。
正直言って、この文書は“オモテの歩み”を書いたに過ぎません。この25年の間、オクでは実に多くの職員が宮家を去りました。単なる人事異動ではなく、心身のバランスを崩すケースも多々あったのです」

秋篠宮家は、職員の間で“ご難場”とも称される過酷な職場だ。宮家の実情をよく知る秋篠宮家関係者はこんな話をする。
「お傍で仕える料理人や侍女に妃殿下から直接お叱りの声が飛ぶのは日常茶飯事です。紀子さまが無言のまま“人差し指一本”で支持されることもある。現在、秋篠宮家の職員の定員は18名、他部署との併任職員が3名いますが、ご一家五人をお世話するには小さな所帯で、一人当たりの負担が大きい上に両殿下と職員の距離が近いのです。皆、ダイレクトな仰せに精神的に参っているのです

◆職員を“強烈な比喩”で叱責

とりわけ料理番は、過酷なポストだと言われている。定年まで勤め上げた料理番が未だかつていないというのが、その証左だという。
「秋篠宮家の料理人は宮内庁大膳課の職員ではなく、宮家の技官として雇われている職員です。大膳課は天皇皇后両陛下や東宮ご一家のお食事、宮殿で行われる晩餐会などの料理を担当します。ある秋篠宮家の料理人から内々に相談を受けたことがありますが、『大膳とは待遇が全く違うんです』と洩らしていました」(宮内庁関係者)
25年前、宮家創設時のスタッフは計10名だったが、料理番の体制は現在でもほとんど変わりがない。あまりに人手が足りず、てんてこ舞いで一週間が過ぎ、“魔の金曜日”が訪れる。
「土日に召し上がる食事の準備をして、侍女らに調理方法など段取りの申し送りをするのです。当日の食事の用意も同時並行。金曜日の厨房は戦場でした」(例の秋篠宮家関係者)
2000年3月、秋篠宮ご一家は新婚当初の旧鷹司邸から、現在の宮邸へと引っ越された。鉄筋コンクリート造り二階建てで、一階には八畳ほどの広さの厨房があり、それと隣接する事務室には侍女長や侍女が詰めていたという。
「仕込みの作業をしていると、隣の事務室から紀子さまが『今後は気をつけてください!』などとお叱りになる声が聞こえてくるんです。『次は自分の番かな』と思うと恐ろしかった。厨房まで紀子さまがいらっしゃることもあるからです。紀子さまに『ちょっと』と声を掛けられると心臓がギューッと締め付けられるようでした。私の目を見て、味付けや私の至らない点を注意されることもありました。タイ料理や韓国料理がお好みで、パクチーやレモングラス、バイマックルーなどを業者に頼んだり、コリアンタウンまで出向いて材料を購入しては見よう見真似で作りました」(前出・元秋篠宮付職員)
厨房を離れて一息いれる場所は、椅子しかない“待機室”だった。
「事務官の作業着などを置くロッカールームですが、パイプ椅子が無造作に何脚かあるだけで、机がないんです。暗くて、冬は寒い。宮様方の昼食を出したら、自分は膝の上に買ってきた軽食を置いて、食べていましたよ。いつ雑用で呼ばれるのか分からないので、休憩と言っても、宮邸の外に出られないのです。庭の手入れから犬の散歩までやりましたね」(同前)
突然休日に呼び出されたこともあったという。
「『こういう献上品があったから、手当てしてくれる?』と自宅に電話がかかってきたことがあります。そういった場合は休みでも急いで駆けつけます。基本的に『あるものでやってください』と言われるので、献上品を生かさなければ回らないのですが、毎回同じものをお出しするわけにもいかないし、限度がありますよ」(同前)

紀子さまが女子職員に「あなた、自己中ね!」と強い口調でお説教されたことが、かつて庁内で話題になったが、
「恐れながら、『自己中』くらいは序の口だと思います。紀子さまは、職員の至らない部分を、強烈な比喩を使ってお叱りになることもある。恐ろしくてとても言えませんよ。ある料理人はショックが大きすぎて、抑鬱状態となり、『宮家を下がりたい』と言い出し、まったく料理とは無関係の部署へ異動しました。その後、庁内の閑職を転々としていましたが、定年前に病気でお亡くなりに…
普段から紀子さまは職員にあだ名を付けられるのですが、そのあだ名は秋篠宮ご一家の間でも呼び交わされています。詳しくは言えませんが、大の大人がモノに喩えられるというのは、決して気分が良いものではないと思いますよ」(前出・秋篠宮家関係者)
近年、秋篠宮家の料理番をもっとも多く務めたのは男性技官のA氏だ。だが、このベテラン職員も2012年4月で退職している。

◆ある技官は本誌取材に顔面蒼白

「料理番が定着せず、内々に『本庁の大膳課から一人回してほしい』という要望もありましたが、大膳課は断った。誰も手を上げなかったのです。民間の調理師会でも“ご難場”の噂は浸透しているため、紹介できる人間がいなかった。そこで、秋篠宮さまと縁の深い沖縄の重鎮を介して、沖縄の調理師学校から送られたのがA氏だった。
A氏は沖縄での仕事を辞めて、家族も一緒に上京してきました。A氏を受け入れる際、宮内庁サイドは『まずは単身赴任から始めては?』と提案したそうですが、『大丈夫です』と張り切っていた。A氏のご両親も空港で見送る際、『宮家に差し上げるつもりです』と言っていたそうです。宮家での勤務に情熱を燃やしていたのだと思います。ところがいつの日からか出勤してこなくなり…。定年までしばらく間がありましたが、最終的に自己都合で退職したのです」(別の宮内庁関係者)
本誌記者はA氏の現在の職場を訪ねた。小柄で細身のA氏は、秋篠宮家の話題を出すなり、ぎょろりと大きな眼を見開いて、「例の件ですか」と怯えるような表情を浮かべた後、こちらを見据えてこう言った。
「もう昔の話なので。何も話すことはありません。思い出すこともありません」
A氏は顔面蒼白である。
そして踵を返し、職場の奥に入っていった。その後も記者は職場前で待っていたが、同僚に聞くと、「あの後、何も言わずに帰っていった」という。

現在はA氏の後任として、女性の技官が秋篠宮家の厨房を切り盛りしている。長年レストランで懐石料理を担当していた人物だという。
悠仁さまを抱く秋篠宮家は、“事実上の内廷皇族”と言える。だが、法律上は一宮家であり、人手不足・予算不足のしわ寄せが職員に及んでいるのだ。
「秋篠宮家に支払われる皇族費は年間6710万円です。この中から食事や掃除洗濯など身の回りのお世話をする私的な職員の人件費、洋服代や教育費のやり繰りをしなければなりません。肉や牛乳など御料牧場の生産品については、両陛下や東宮ご一家は無償ですが、宮家は全額負担でその余剰品を譲り受ける形です。光熱費は半分を負担します。内廷皇族と野実質的な格差は歴然なのです」(皇室ジャーナリスト・山下晋司氏)
秋篠宮家は、職員の増員について、「じぶんたちのことで、なるべく増やしたくない」と固辞されているという。さりとて、実務にあたる職員が悲鳴をあげている現実に、宮内庁は目を向け、充実した組織作りに取り組むことが急務ではないか。

(記事終わり)

例によって山下晋司氏が代り映えのしない秋篠宮家擁護のコメントを出していますが、「もう何度目だ山下」という感じですね。秋篠宮家がどういう待遇であろうと、立場の弱い職員に対しパワハラをしていい理由にはなりません。ましてやそれが皇族なら、下々の職員は本当に逃げ場がなくなってしまいます。

さて、今回の記事も紀子妃の増長した酷い態度のオンパレードですが、同時に紀子妃の下品な人間性というものもあぶり出しています。
特に「強烈な比喩を使って職員を叱責する」とか「大の大人にモノで喩えるあだ名を付けて呼ぶ」とか、具体的にどういうことなのか、想像もできません。詳細を記事にできないとなると、放送禁止用語・差別用語で叱ったりあだ名を付けたりするのか?という予測ができますが…こういうことを平気で口にする皇族っていったい何なのでしょうか。紀子妃の出自が良くないとはいえ、民間人・庶民でも「口にしていいことと悪いこと」の区別は付けます。そういう抑えもきかずに見境なく罵詈雑言を口にしてしまうあたり、紀子妃は育ちが良くないんだなということがわかってしまいます。
それにしても「指一本で無言で指示を出す」紀子妃、考えただけで不気味で怖いものがあります。

また、秋篠宮家は特に食事の支度に関して難しい問題があるとのことですが、まだ幼い悠仁様はともかく、大の大人が4人もいる家庭なのに誰一人自分で料理をしない方たちばかりなんですね…としか思えないですね。新しく秋篠宮邸を作るにあたり、当時としては最新型のシステムキッチンまで作らせたという情報も聞いたことがありますが、宝の持ち腐れですね。東宮御所は美智子様のご希望で当時としてはモダンなミニキッチンを作らせたそうですが、今の時代では当然古く使い勝手の悪いものを、雅子様はリフォームを許されないままそのキッチンで料理をなさっているとのことです。
おそらく秋篠宮家は5人とも行動もスケジュールもバラバラでしょうし、そのような中で5人の行動に合わせてそれぞれ食事の準備をしなければならないのは大変な労力だと思います。「それが料理人の仕事」と言ってしまえばそれまでですが、材料や料理の中身などに細かい注文を付けられ文句も多いだろう状況では、料理人たちの神経はすり減って当然でしょう。
小室さんとの結婚を決めた眞子様が民間人になる準備として料理を作る練習をすれば良い経験になるかもしれません。

三笠宮家などはお子様方が自立される前はもっと大所帯でしたが、それでもここまで職員が疲弊したという話は聞いたことがありません。職員の苦悩・疲弊とご家族の人数は、あまり相関関係はないように思います。よほど秋篠宮家特有のおかしな問題があるのだとしか思えないです。

秋篠宮様が皇嗣とやらの扱いになる場合、料理人の配置は一体どうなるのでしょうか。東宮と同格として扱い、大膳課から派遣されるようになる?しかし上記記事では「大膳課も誰も秋篠宮家に行きたがらなかった(手を挙げなかった)」と書かれてしまっており、要するに秋篠宮様の待遇をいくら東宮と同格にしようと「誰も秋篠宮家には行きたくない」という現実は変えられないように思います。それに大膳課だけでなく、民間の調理師会にも秋篠宮家の酷さが伝わっているのもある意味驚きで、民間から料理人を派遣することも困難になっているという現状もあるようですが、一体どうするというのでしょう。それでも命令・職務で行かなければならないということになるのでしょうか。この辺り、職員がどういう動きを見せるのか、興味があります。

しかし上記文春記事の最後に出てくる「秋篠宮家は職員増員を固辞されている」という箇所ですが、私はこれは真っ赤なウソだと思っています。紀子妃が「どうして私たちにはこんなに予算が少ないのでしょう」と不満を漏らしているということはほかの記事で暴露されていますから、職員が少ないことも当然不満の対象になっているはずです。秋篠宮家(特に紀子妃)は、ご自分たちの予算や規模を東宮家と同等かそれ以上にしてほしいという積年の本音を抱いています。「予算は増やしてほしいが職員はそのままの人数でいい」など思うのは逆に不自然だと感じます。

女性のデリケートな問題に土足で踏み込んだ秋篠宮様

今回は、以前ご紹介しようと思いできなかった記事である週刊文春1998年7月16日号をご紹介したいと思います。
これまで何回かに分けて江森氏の『秋篠宮さま』における宮様の肉声を取り上げてきましたが、それに対して“意外な方”が少し苦言を呈するような態度をとられたとのことです。
その“意外な方”とは…。

紀宮が秋篠宮の“肉声本”に「お言葉がすぎるのでは」 

発売から10日、広がる波紋・・・

秋篠宮殿下の“本音”が満載されていると話題の新刊本『秋篠宮さま』(江森敬治著・毎日新聞社刊)。知られざるエピソードが数多く紹介されているが、それだけに反響も大きい。なかでも、自分の結婚問題に触れられた紀宮さまが、首を傾げているというのである…。

温厚な紀宮さまが、その本に目を通した途端に、ムッとした顔をされたそうです。あまりの内容に驚いて、複雑なお気持ちになったのでしょう」(皇室関係者)
“サーヤ”の愛称で親しまれているプリンセス、あの紀宮さまが眉をひそめた?

コトの発端となったのは、六月二十九日に毎日新聞社から発売された『秋篠宮さま』。殿下の「生の声」をまとめた新刊本である。
これまで皇族本といえば、三笠宮寛仁殿下は別として、具体的な親子関係や日常生活に触れたものは、まったくなかった。その新鮮さが受け、初版五万部は完売。発売当日に二万部の増刷を決定した。二十代後半から三十代前半の女性たちの圧倒的な支持を受けているという。
著者の江森敬治氏(41)は、毎日新聞社企画事業部の副部長。京都支局などを経て、東京社会部で宮内庁の取材を担当した。
だが、皇室記者としてはそれほど知られた存在ではなく、「秋篠宮さまの単独インタビューができるなんてどういう人物なんだろうと、記者の間でも話題になりました」(宮内庁担当記者)

江森氏と秋篠宮殿下の出会いは、江森氏の妻が、秋篠宮妃・紀子さまの父親、川嶋辰彦教授の研究室にいたことから始まった。
「先生と教え子という関係で、奥さんが昔から川嶋家に出入りしていたんです。だから、紀子さまとも顔見知りだった。江森氏も川嶋家に出入りするようになり、秋篠宮さまとも家族ぐるみでお付き合いするようになったんです。江森氏はプライベートで外国旅行にも同行して話を聞いていました
(毎日新聞関係者)

本の内容は、殿下の生い立ちから家族の思い出、結婚前後、研究生活まで、エピソードが満載されている。
例えば、秋篠宮殿下はご自身のことをこう語る。
<週刊誌などで私は自由奔放だとか書かれていますけれども、小さいころから兄妹の中ではむしろ静かなほうでした。たとえば私の兄は、学校から帰ってくると、すぐ野球をやったりとか、妹はだれか空いている職員をつかまえてきてドッジボールをやるなど、かなり活動的でした。私は学校から帰ってきても部屋の中にいて、無理やり引っ張り出されないと、外でなにかをするということはなかった。
外で遊ぶときは、大体、ひとり、もしくは妹と一緒に虫を捕ったりヘビを捕まえたりして楽しんでいることが多かったです。
『自由奔放』に見えるのでしょうけれども、そのようなことは、週刊誌あたりが作り上げてきたイメージじゃないかと思います。長男は物静かで、落ち着いている。それに比べて次男は自由で活動的だというイメージは根強いと思います。私は、すごい出不精ですし、シャイなのだと思います>
これまで伝えられてきた秋篠宮殿下のイメージとは、まったくちがう。自分の性格についても、次のように分析している。
<両親からの具体的な影響というものは私を形成しているエレメント(要素)の中に現れているのではないでしょうか。両親のどちらが好きということではありませんが、性格的に私は、パターナル・インヘリタンス(父系遺伝)です。あとの二人はどちらかというとマターナル・インヘリタンス(母系遺伝)ではないでしょうか。なにかのはずみの言動とかが父に似ているところがあります。 だから、父も、私のやりそうなことがなんとなく分かるようです>
江森氏は、この発言を聞いて驚いたという。
<皇太子さまの持つ長男としての堂々とした態度は、まさに陛下の持つ性格そのものであり、長身でスリム、そしてどことなく繊細な宮さまの性格というのは皇后美智子さまから受け継いだとの印象を受けていたからだ>
まさに“意外な事実”のオン・パレード。読むほどに、素顔の天皇家が見えてくる。

だが同時に、大きな波紋も広がった。というのも、微妙な問題にまで殿下が言及しているからだ。
その最たるものが、紀宮さまの結婚について。殿下がどう語ったかというと…。
妹は、少なくとも、上の兄二人よりもしっかりしている。両親も妹が結婚したら、困るのではないかと思います。両方の気持ちが両親にはあるのではないでしょうか。手元に置いておきたいという気持ちと、早く結婚させたい気持ちと
いうまでもなく、紀宮さまは“お年頃”を迎えている。四月十八日に29歳となり、女性誌が結婚報道を繰り広げている。お相手は表千家の若宗匠、千芳紀氏(28)か、旧伯爵家の血を引く坊城俊成氏(36)か、と…。

◆“サーヤ”ならではの優しさ

そのためか、本を読んだ紀宮さまが、少々ムッとされたというのである。
紀宮さまの知人が語る。
「ミーヤ(知人はサーヤとは呼ばない)は、『そんなに急いで結婚しなくてもいいやという気持ちと、このまま私が両親のもとにいると、結局は両親を悲しませることになってしまうという気持ちと、どちらも正直なもの。複雑よね』というようなことも話していました。
天皇皇后両陛下に、あらたまって自分が結婚したほうがいいかと聞くのも照れてしまうし、また、それを聞くのも怖いのでしょう。そんな揺れる気持ちでいたときに、宮さまが天皇皇后両陛下のお気持ちを活字にされたので、ちょっと驚かれたのではないでしょうか
もちろん、秋篠宮殿下と紀宮さまの仲が悪いというわけではない。むしろ、紀宮さまは紀子さまととても仲がいいため、結婚されてからのほうが兄妹の距離が狭まった感があるという。
しかし、自分の結婚問題を、ズバリ突かれると動揺してしまう。それが女心というもの。兄妹といえども、触れてほしくないはずである。

だからというわけではないだろうが、紀宮さまは秋篠宮殿下の「本音」にも首を傾げたという。それは皇族の生活についてのくだりである。
<どこへ行くにも、下見をしたりとか必ず何人かついてきたりとか、それはやはり窮屈に思ったこともあります。そういう生活を、あなたやってごらんなさいと言われたら、十人中十人が窮屈だと思うでしょう。私も同じ人間ですから、そういうふうに思ったこともあります>
<今度、生まれてくるとしたらなにに生まれたいか、ですか? 生まれてくるとしたら、動物がいいな。人間ではなくて・・・。例えば?ヒツジがいいかもしれない。ヒツジになってひねもすのんびりと草をはんで。ヒツジに生まれてきたら、なんとなく楽しいのではないかという気がいたします>

皇室関係者によれば、紀宮さまはあくまで笑いながら、「ちょっとお言葉がすぎるのでは」と漏らしたという。
「言葉は聴く人によって受け取り方がちがうものです。秋篠宮さまが生活を窮屈に思ったこともあると語ったり、ユーモアでヒツジがいいかもしれないと言ったりしたことが、大袈裟にとられても困ってしまいますよね」
紀宮さまとすれば、兄の思い切った発言を心配したのであろう。動物をこよなく愛する“サーヤ”ならではの優しさである。

もっとも、秋篠宮殿下がこれほど踏み込んだ発言をしたのには理由がある。殿下はこの本を通じて、ある事実を伝えたかったというのだ。
秋篠宮殿下が訴えたい思い…ズバリそれは、宮内庁に対する批判である。
宮内庁関係者が証言する。
「もともと、秋篠宮さまは、昭和天皇の喪中に婚約されたり、ご結婚相手も旧華族などという肩書きだけにとらわれなかったり、自由な言動が多かった。それを許す空気が藤森昭一長官時代の宮内庁にはあった。つまり、開かれた皇室にしていこうと。
ところが、九六年一月に現在の鎌倉節長官になってから、それが一変してしまったんです。昔の閉じた皇室に逆戻りしてしまった。体面を気にして、何をするにも『陛下のため』という大義名分を持ち出し、マスコミに批判されると『どうせ宮内庁が悪者になればすむ』と、いじける。秋篠宮さまは、それでいいのだろうかという思いを抱いているんです」

◆宮内庁はもっと気配りが必要

秋篠宮殿下と宮内庁の間に亀裂が生じたのは、九六年四月のことだった。殿下のタイでのナマズ調査旅行の日程と、クリントン大統領の宮中晩餐会の日程が重なった。秋篠宮殿下は晩餐会を欠席。これが批判を受けた。
しかも、その理由について、「タイの親しい女性に会いにいくのでは」と、一部マスコミに書き立てられた。
だが、欠席にはある事情があった。一度は阪神・淡路大震災でキャンセルしたタイ訪問だっただけに、予定は変更できなかった。宮内庁はそうした敬意を知っていたにもかかわらず、「日程の変更は影響も大きく、意思を尊重し、熟慮の上、不本意ながら決めた」とだけ説明した。
秋篠宮殿下は、「これは、おかしい。事前に宮内庁長官に相談したが、問題なしとの返事だった」と、怒り心頭に発したという。
だからこそ、殿下は本の中でこう指摘する。
<私は宮内庁が皇族の希望を制限しているとは思わないが、もっと気配りが必要だ。例えば、会社や学校だと顧客らや学生のニーズというものを考えてどうして売り上げを伸ばすのかなどと考える。宮内庁職員も皇族や国民のニーズにどのように応えていくか、そのあたりをもっと考えてもらいたい>

秋篠宮殿下の思いに対して、宮内庁はどう考えているのか。小誌の取材に、鎌倉長官はこう答えた。
「本は読ませていただきました。宮様のお考えについては、私どもが日ごろお仕えして感じている以外のことを知るよすがとなりました。参考にさせていただきたいと考えております。
時代の流れとともに国民の意識も、皇族の皆さまの意識もお変わりになります。また、お年の方とお若い方とでは考え方も違うこともありましょう。皇族と宮内庁といえども、時代を越えて不動なものなどありません。いろいろな意見をくみ上げながら努力していきたいと思います」
紀宮さまも心配した秋篠宮殿下“肉声本”の波紋は、どう広がっていくのだろうか。

(記事終わり)

これまでご紹介した宮様の肉声と重複する箇所も多く恐縮です。上記記事自体も、内容はそれほど面白いものではないと思います。
ただ、サーヤという意外な方の視点から取り上げているので少々新鮮には感じます。
いくら妹とはいえ、微妙なお年頃になっていたサーヤの結婚問題について軽々しく意見を言った秋篠宮様は、やはり兄としても一人の人間としても男性としても、あまりにもデリカシーが無さすぎると呆れました。そしてそれを活字にした江森氏も、秋篠宮様と同類のように思えます。秋篠宮様ご自身は20台前半という若さで庶民の女性(=紀子妃)とサッサと結婚したがために、「皇太子」や「天皇家の内親王」というお立場上、なかなか容易に結婚を実現できなかったお兄様(徳仁様)や妹(サーヤ)のお気持ちにはとにかく無頓着であったように見えてしまいます。
秋篠宮様のように早い段階で容易に結婚に踏み切れた人は、往々にして結婚しない・できない、色々と慎重になってしまう人々に対して上から目線になりがちです。
サーヤが黒田さんと結婚するまで世間から「結婚はまだか?相手がいるのかいないのか?」のような感じでずっと見られていたことは同じ女性として気の毒な一面があったと思います。晩婚が珍しくなくなった時代とはいえ、精神的になかなかきついものがあったと想像します。こういう気持ちは、早々に結婚した秋篠宮様には理解できないのではないでしょうか。

サーヤが黒田さんと結婚する頃、東宮ご夫妻にだけ今までの御礼を言わずに冷淡な態度をとっていたことに憤る人々も多いでしょうし、私もあのサーヤの態度は心底残念だと感じています。また、サーヤが降嫁後も頻繁に御所に足を運び、黒田家よりも実家との交流を優先させているように見える所も好意的には見られません(両陛下とサーヤがお互いに「親離れ・子離れ」できていないように見えてしまいます)。しかし、すでに降嫁して民間人となった女性に関して、ここで必要以上に叩くことは本筋から外れると思うのでこの辺りで止めておきます。

鎌倉長官の箇所についてですが、私はどのみちこの人には全く良い印象を抱いていないため(雅子様を海外に行かせなかった元凶のような人だった)、長官も秋篠宮様もどっちもどっち、目●鼻●としか思えないですね。

ところで『秋篠宮さま』は当時の若い女性に比較的支持された本と文春は書いていますが、私はこの本について全く記憶がありませんし、どこでそんなに話題になっていたのか想像もつきません。この本は当時本当にそこまで人気があり話題になったのでしょうか?瞬間最大風速がすごかっただけで、人気も話題も大して持続せずにすぐに尻すぼみとなって消えていった本というイメージなら湧いてくるのですが…。
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