あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~誰もが「紀子妃のお腹の子は男子」と噂していた

これまでは紀子妃の懐妊とリーク、NHK速報の経緯に焦点を当てた記事をご紹介してきましたが、次の段階として、「秋篠宮ご夫妻の第三子は“男子”である」ということが早い段階から知られており、噂になっていたということに焦点を当てた記事を順次ご紹介していきたいと思います。
意外なことに、紀子妃の出産前からかなり多くの雑誌が「第三子は男児だろう」という方向性で記事を書いていました。発行時期が早い順に、その趣旨の記事をご紹介していきます。

まずは「週刊新潮2006年4月11日号」です。

[特集]なぜか囁かれ始めた
紀子さま「男児ご出産」説


紀子さまが「男児」を出産される―。4月下旬、そんな情報が囁かれ始めた。9月に出産予定のお子様の性別が、5カ月検診で判明したというのである。事実ならまことに喜ばしいが、その根拠はいったい何なのか。皇室典範の改正議論を一発で吹き飛ばした紀子さまのご懐妊。なぜこの時期に「男児説」が流布されているのだろうか。

紀子さま(39)が出産されるのは「男児」―。
そんな情報が、4月下旬、永田町を流れ始めた。
紀子さまご懐妊を最初に報じたのは、2月7日、NHKのスクープである。
秋篠宮ご自身が、まだ紀子さまから、“報告”を受けていない段階での報道だった。
直後にご懐妊の兆候があることを認めた宮内庁は2月24日、正式に、
「紀子さまは妊娠3カ月目で経過は順調。出産は9月下旬の予定」
と、発表した。
以来、2カ月。胎児は、すでに5カ月を迎えたことになる。
「紀子さまの主治医は、愛育病院の中林正雄院長です。紀子さまは、次女の佳子さまご出産の際に主治医だった中林医師に、つわりの段階から相談されており、そのまま中林氏が医師団のチーフとなり、ご出産まで担当されることになっています。ご出産は宮内庁病院になりますが、事実上、愛育病院スタッフによるものとなります」(宮内庁関係者)
東京・港区南麻布にある愛育病院は、皇室からの御下賜金をもとにつくられた「恩賜財団母子愛育会」によって運営されている。これまでも皇族のご出産に度々、利用されている歴史と伝統を有する病院である。
紀子さまは、この病院を特に気に入られており、今回もそのスタッフに全幅の信頼を寄せ、出産をお任せになる方針なのである。

だが、ここへ来て永田町や霞が関、そしてマスコミになぜか、
「お子さまはどうやら“男児”らしい」
という情報が流布され、
女性誌がこれを記事にするという話が乱れ飛んだのだ。
皇室ジャーナリストの松崎敏弥氏も“男児説”を聞いた一人だ。
「紀子さまが男児を出産されるというのは、宮内庁関係者から漏れてきました」
と、こういう。
「ご懐妊の時、羽毛田信吾長官が事前に男女の発表はしない、と言っていましたし、皇室典範の改正問題にかかわってくる問題でもあるし、男女の情報は封印されています。秋篠宮ご夫妻も、“事前に(男女の性別を)知らせる必要はない”とおっしゃっているので、宮内庁は情報漏れにピリピリしている。しかし、さすがに5カ月検診が過ぎ、ご夫妻が知らなくても、医師自身にはわかるわけです。私が、(情報を受けて)宮内庁病院の関係者に“男の子らしいね”と話を振ったら、“それは表には出ない話になっていますけどね”という反応でした。少なくとも、私は男児で間違いない、と思っています」
だが、妊娠5カ月の段階で、果たして男女に性別は本当にわかるものだろうか。
産婦人科医の星合尚氏(星合産婦人科病院院長)によると、
妊娠5か月近くになるとほぼ確実に性別はわかりますよ。超音波検査で胎児の性器を見るやり方が一般的ですが、性器が骨と重なっている場合などの難しいケースもあるものの、熟練の医師ならほぼ間違いなくわかります。腸管の原始的な格好が男女で違っていて、それで見るという方法なら、妊娠3か月段階の超音波検査でわかるという医師もいます。羊水を注射針で抜いて検査する方法もありますが、若干の危険性を伴うので、今回の場合は考えられないと思います」
しかし、ご夫妻が、
「性別は知りたくない」
との希望を持っている
のに、なぜそんな情報が囁かれているのだろうか。

◆忍従の末に…

皇室全般の医事を統括している宮内庁の金澤一郎医務主管は、流布されているこの情報にお怒りだ。
ご両親が(性別を)自分たちには知らせるな、とおっしゃっているのです。それを他人が知ることなど許されないことです」
そう前置きして、こう語るのである。
「私は(担当医に)私にも知らせるな、と言ってあります。両殿下がそうおっしゃっているのですから、私も両殿下と同じ気持ちですよ。性別を知る可能性があるのは、二人か三人のお医者様だけです。その方たちも、知ろうとして知るのではなく、やむを得ず知ってしまう人たちです。誰かが今の段階で男の子か女の子か言っているのだとしたら、それは当てずっぽうで言っているだけのことです。誰が何を言おうとわかるはずがないのです」
だが、紀子さまのご懐妊は、周知のように皇室典範改正という大問題を、一瞬にして鎮静化させた経緯がある。男系で存続してきた“万世一系”の日本の皇室。それが「第一子優先」という女系天皇容認に道を開く皇室典範の改正には、
「2000年つづいた皇室のあり方を、わずか1年の議論で根本から引っくり返すのか」
という非難が巻き起こり賛否両論が入り乱れる中、官邸主導で一気に法案成立が模索されたものである。
お生まれになるのが男児か否かによって、その議論が
再燃する可能性が秘められているのは事実なのである。
「男児ご出産の情報が流れているのは承知していますが、それはまわりの期待の現れに過ぎません」
というのは、ある皇室ジャーナリストである。
「男の子が生まれれば、今ある有識者会議の報告書に基づいた改正案の内容を変える可能性があるわけで、それを期待している人たちがいることも事実ですからね。しかし、天皇皇后両陛下がご心配されているのは、そういう政治的な勢力にご懐妊が利用されることです。ご自分ではお立場上、何も発言できないのに、ご懐妊が都合よく政治に利用されていく。陛下はそのことを懸念されているのです

しかし、一方で、今回のご懐妊は、男の子を産むことが現典範の上で自分たちの義務であるのだとお考えになった「結果」であることは想像に難くない。
秋篠宮殿下は奔放な振る舞いで何かと世間の批判を受ける一方で、兄である皇太子に何かにつけて“遠慮”を余儀なくされてきた経緯があります。結婚に際しても、兄より早いのはいかがなものか、との声もあったし、皇太子が雅子さまとご結婚されて以後は、(眞子さま、佳子さまに続く)男児出産は雅子さまのプレッシャーになるから、という理由で遠慮され、愛子さまが生まれて以降もそれは続きました。親しい友人に“3人目はまだか?”と聞かれ、“止められているんだ”と答えたこともあるほどです。そんな忍従の生活を強いられたご夫妻に対して、平成15年12月に当時の湯浅利夫宮内庁長官が“皇室の繁栄を考えると(秋篠宮ご夫妻には)3人目を強く希望したい”と会見で語りました。以降、秋篠宮殿下は、逆に皇族としての男児を産む義務というものを強く感じられたのだと思います」(宮内庁関係者)
そんな紆余曲折があるだけに「男児出産説」が、余計に期待をもって流布されているわけである。

◆皇太子ご夫妻の「真意」

皇室評論家の河原敏明氏がいう。
「秋篠宮殿下は、皇室の伝統を守っていこうというお気持ちが強いのです。国家のため、またご自身のためにも、男の子が欲しかったのだと思います。民間であれば、養子をとって家を続けていくこともできますが、皇室には養子制度がありません。秋篠宮家を一代で終わらせないためにもなんとしても殿下は男の子が欲しいと思っていたはずです。第三子が男児であるなら、皇室典範改正がない限り、皇位を継承するわけですから、それは国家のためでもある。そういう思いだったのではないでしょうか」
実は政界にも、この“男児説”を歓迎する向きは少なくない。
政治評論家の有馬晴海氏によれば、
「紀子さまが懐妊されなければ、今頃、皇室典範改正で国会が紛糾していたのは確かです。小泉首相は典範改正を“政局”にしたかった。そこであわよくば続投を目論んでいたのです。来年の参院選に勝って、衆院と共に3分の2の議席を確保できれば憲法改正の発議ができ、歴史に名を残せるわけです。小泉首相にとっては、いま逆に“女児確定”となれば、レームダックに陥った政権の求心力を高めるために典範改正を再び持ち出し、“政局”にすることも可能なのです。だからこそ、反対勢力にとっては、“男児説”が流布されなければならないのです」
永田町の思惑からも、男児説でなければならない理由が存在したわけである。
だが、そんな思惑とは関係なく、男児誕生を誰よりも待ち望まれているのは、誰あろう皇太子ご夫妻、という意外な見方がある。
「皇太子ご夫妻は紀子さまご懐妊を喜んでおられます。それは、お二人が愛子さまを天皇にしたいとは思われていないからなのです」
とは、さる宮内庁OBだ。
「平成14年12月、雅子さまは会見で、“母親として愛子には幸せな人生を歩んで欲しいというのが心からの願いです”とおっしゃられた。また皇太子殿下は今年の誕生日の会見で“親として色々な思いがあります”と語られている。自分たちも苦労しているのだから、将来、愛子さまに自由な立場で幸せになって欲しい、というお気持ちが滲み出ていました。愛子さまが生まれて2年後に雅子さまが静養に入られ、その後、人格否定発言、と進んでいく中で、雅子さまは次第に元気をなくされていきました。それが、2月に紀子さまご懐妊が明らかになって以降、雅子さまはお元気を取り戻されてきた。今回、男児出産を何より望まれておられるのは、実は皇太子ご夫妻なのです」
妊娠5カ月段階で期待をもって流布される「男児ご出産説」。その裏には、さまざまな思いが交錯しているのである。
(記事終わり)


一読して私が感じたことは
「これは何だろう?マスコミも政界も皇室関係者も、そして皇族方も、みんな盛大なる茶番でも演じているのか?」
ということでした。

上記新潮記事に登場してコメントを出している人々は「あくまでも第三子の性別は、一部の医師しか知らないはずだ」という前提で話をしています。
しかし、この「前提」自体が私には嘘っぱちにしか思えないのです。

2006年2月に紀子妃が第三子を妊娠したという一報を聞いた時、私はすぐに「ああ、どういう手段を使ったのかは分からないけど、おそらく“男児”が生まれるように仕込んだんだろうな」「ああ、実際にこの方たち、本当に(男児作成を)“やってしまった”んだ…」ということを考えました。同時に、「雅子様がお気の毒だ。雅子様のお気持ちを考えるといたたまれない」とも感じました。
非常に下世話な勘繰りとお𠮟りを受けそうですが、それが当時の私の率直な感想でしたから、そこは正直に申し上げておきます。
といいますか、おそらく私と同じ感想を抱いた国民は少なくなかったのではないでしょうか?

あの当時、小泉総理が典範改正で「直系長子(第一子)が皇位継承者になる」ということを目指していたことは多くの国民が当然のように知っていることでした。
またその前にも、湯浅長官(当時)による「皇室の繁栄のために秋篠宮ご夫妻に第三子をお願いしたい」という国民の前での堂々たるセクハラ会見も知っていましたし、秋篠宮ご夫妻が揃って平成18年の歌会始で「こふのとり」という文言を入れたお歌を詠んでいる(ちなみにこの年の歌会始のお題は「笑み」であって「こふのとり」ではありません)ことからも、多くの国民が「秋篠宮ご夫妻は意図的に“男児”を作ったのではないか」と直感で思ったのではないでしょうか?

そういう状況の中で、マスコミや政治家、皇室関係者が「え?性別?さー詳しいことは分からないけど、もしかしたら男児じゃないのかなー(棒)。でも本当のところは実際に診ている医師しか知りえないよねー(棒)」としらばっくれたり、秋篠宮ご夫妻が「第三子の性別は知りたくありません!知らせないでください!(棒)」と言っている有様を見ていると、「この人たち、とんだ茶番劇を演じてるな。本当は色々と裏にある真実を知っているくせに、本当に白々しい」としか思えないのです。

そして上記新潮記事でも、相変わらず「秋篠宮ご夫妻が東宮ご夫妻に“遠慮”をして第三子を今まで作れなかった」という内容が書かれています。
当ブログでも既に何度もお伝えしていることですが、秋篠宮ご夫妻は佳子様がお生まれになった後くらいから、既に夫婦仲はうまくいっていませんでした。近所に聞こえるくらいの大きな声で夫婦喧嘩をしているとか、秋篠宮ご夫妻がろくに口も利かずにそれぞれ別行動をとっていることなども記事に書かれています。ですから秋篠宮ご夫妻に第三子ができなかったのは「東宮ご夫妻に遠慮していたから」ではなく、「単に夫婦仲が冷え切っていたから」にほかなりません。
秋篠宮様が「兄貴たちに“遠慮”して子ども作れないんだよ~」と言ったということが事実なら、とんでもなく嫌味で性格の悪いお方だな、としか思いません。3人目の子がなかなかできなかったのは単に貴方の不誠実が原因で夫婦仲が冷え切ってたからでしょうが!(しかしそれは隠蔽したいので「東宮ご夫妻に遠慮していた」という“シナリオ”が作られたとしか思えません)
その上、「皇室の未来のために自分は男子を作る覚悟ができている」と言わんばかりの態度。こういう方がなぜ一部からもてはやされるのかが理解できません。
第三子を作れなかった原因まで東宮ご夫妻に押し付け、その上さらに「兄貴たちは男系男子の伝統を守ろうとしなかったけど、自分たちはちゃんとそこまで考えて“覚悟”を決めて第三子を作ったんだぞ!」と言わんばかりの態度に腸が煮えくり返ります。
しかし秋篠宮ご夫妻がこういう態度をあからさまにすることで、こちらも「やっぱり狙って“男子”を作ったんじゃん」という反論もできてしまうわけですが。

また、「秋篠宮ご夫妻に第三子ができて喜んでいるのは意外にも東宮ご夫妻。東宮ご夫妻は愛子様を天皇にしたがっていないから」というのも、とんでもない憶測記事でしかありません。
東宮ご夫妻が大切な我が子である敬宮様の幸せを願うのは、親として当たり前のことだと思うのです。しかしそれを「東宮ご夫妻は愛子様を天皇にする気はない(したくない)」という憶測の言質に利用することは許しがたいことですし、「東宮ご夫妻だってお喜びなのだから、秋篠宮夫妻がとやかく言われる筋合いはない」という言い訳に使われることも腹立たしいです。
東宮ご夫妻は、秋篠宮ご夫妻の第三子に関しては、明確なコメントを何も出されていません。それなのに外野が「ああだろうこうだろう」と勝手に皇太子ご夫妻のお気持ちを推測するのはおかしなことではありませんか。

また、上記記事の

>天皇皇后両陛下がご心配されているのは、そういう政治的な勢力にご懐妊が利用されることです。ご自分ではお立場上、何も発言できないのに、ご懐妊が都合よく政治に利用されていく。陛下はそのことを懸念されているのです

という部分も、何をおっしゃっているんだか!という感じですね。
紀子妃の第三子懐妊までの過程を見て、これは両陛下も一枚噛んだ上で、秋篠宮ご夫妻に「男子=継承者」を作ることを求めていた、ということは分かり切っていることです。ご自分たちが紀子妃の懐妊を政治利用してきたのに、今更「政治利用されるのは心外」とはどの口が言うか、と思うのです。両陛下や秋篠宮ご夫妻は「あくまでも国会が勝手に典範改正審議を止めただけであり、自分たちは何も要求していない」という感じで白を切っているのでしょうが、かなり早い段階での懐妊リークとNHK速報の一連の過程を見て、「自分たちは何も知りません」は通るはずがないのです。

とにかく、紀子妃懐妊までの経緯とリーク・速報、閣僚からの典範改正異議の動きなど、これまでの一連の過程があまりにも怪しすぎ国民からも疑いの目を向けられていたので、「秋篠宮ご夫妻も両陛下も周囲も、第三子の性別を知らないフリをしていないとまずい」という状況だったことだけはヒシヒシと伝わってきますね。本当に噴飯ものの茶番劇です。

ところで上記記事における、「当時の小泉総理が、憲法改正の発議が可能になる議席確保を目指していた」という部分ですが、この姿勢は今の総理である安倍氏に強く当てはまるような気がします。安倍総理は小泉元総理が成し遂げられなかった「憲法改正」を自分が行い、自分こそが「歴史に名を残す総理」になりたいのだと感じます。
しかし、安倍総理は小泉元総理の元で官房長官をしていた当時、紀子妃の第三子妊娠の件を受けてすぐさま典範改正議論を積極的に凍結させたメンバーの一人でもありました。安倍氏の「紀子妃のお腹の中の子の皇位を奪うのか!」はかなり有名なセリフとなりました。そのセリフで誰もが「え?やはり紀子妃のお腹の子は男子なの?何で今の段階でそれが分かるの?」という疑問を抱いたわけです。
(※なお、男女双系承継になれば、紀子妃のお腹の子は男女関係なく継承権を“奪われる”ということにはなりません。ただ、敬宮愛子様より継承順位が下になるというだけです。)

そして今になって、「将来の皇室は悠仁様お一人になってしまう!早急に眞子様と佳子様に女性宮家を作って悠仁様をサポートさせ、皇室の人数を維持しないと!」と大騒ぎしているアホな人たち。
そうなることは悠仁様が生まれる前に早々に典範改正審議をストップさせ、悠仁様ご誕生後も審議を再開させなかった時点で見えていたでしょう?

え?まさか何も考えていなかったとか?

「男系男子による皇位継承こそ伝統!」という嘘っぱちで男児を誕生させたことで、皇室は繁栄するどころか、滅亡の道をたどることになったのですよ。
今になって大騒ぎするのは馬鹿のやることです。
「男系男子でいく」と決めた以上、悠仁様お一人で皇室を支えていけばよろしいのですよ。
そういう末路を男系男子固執派は望んでいたんじゃないんですか?

西部邁氏は秋篠宮ご夫妻の「喪中婚約」に苦言を呈し、女帝・女系天皇にも賛同していた

今日は少し予定を変更して、先日自死を遂げた西部邁氏の過去の発言について取り上げてみたいと思います。
過去の雑誌記事や資料を整理している中でたまたま見つけたものでした。

西部邁氏は保守派の評論家として活躍していた人であり、以前から周囲に「そろそろ死ぬつもりだ」と告げていた上での入水自殺だったので、驚いた人も多いのではないでしょうか。

その西部邁氏ですが、なんと礼宮と川嶋紀子さんの婚約について苦言を呈していた事実がありました。
その内容を抜粋したいと思います。

「The Bigman」 1990年9月号より

あの婚約発表された時は、まだ昭和天皇の喪中でしょう。
今や日本社会のマナーもだいぶ崩れましたが、それでもよほどの事情が無い限りおじいさんの一周忌までは慶事を避けるでしょう。

なんといっても憲法で「象徴」って書かれているわけで、ということは日本の伝統を護る義務があるんだと思うんですね、ロイヤルファミリーは。

それを今度自ら破ったわけです。

(引用ここまで)


「The Bigman」という雑誌は現在はおそらく休刊(廃刊?)になっていると思われますので、詳細は残念ながら不明な点が多いです。
短いコメントではありますが、西部氏は保守の立場から、やはりあの秋篠宮ご夫妻の喪中婚約はひときわ許しがたいと感じたものがあったのでしょう。
西部氏も嘆くように、秋篠宮ご夫妻は日本国民が大切にしてきた「伝統」を自ら壊してしまった張本人たちなのです。それなのに「男系男子の継承という“伝統”を守るのは自分たち!」と言わんばかりに東宮ご夫妻を差し置いてお世継ぎを作ろうとした態度は、誠に何の冗談かと言いたくなります。その上さらに「皇室の伝統」にはないはずの皇嗣待遇だの立皇嗣の礼だのは辞退しないという矛盾。秋篠宮家のように一部の皇族は、「伝統のもの」と「伝統でないもの」を、その時の都合によって使い分けるという狡猾な手段を用いているわけです。

なお西部氏は別の機会に、女性天皇・女系天皇に賛成している内容のコメントも残しています。
弘兼憲史氏との共著である「本日の雑談<9>」からの引用です。

直系で男がいないのなら、端っこの傍系から男を持ってきても、不都合極まるでしょうから、女帝としてもかまわないと思うんです。

それに、その女子がお婿さんを迎えて、そこで生まれた男子でも女子でも、天皇にするというのも一向にかまわない。


僕はこう言いたいです。皇室から「日の丸」に至るまで取り払ったとき、自分たちは何を欲するかということを、深刻な思考実験としてやってみる必要がありはしないか、と。

フランス革命でマリー・アントワネットとルイ16世が殺された夜、パリがシーンと静まりかえったと言うんです。それまではみんな興奮してたわけですけど、王様夫婦の首をギロチンでちょん切ったあとに、自分たちは何をしたのだろうって呆然としてパリが深閑と静まりかえった。日本人はそういうことを経験してない。そろそろ何か深刻なことを経験してみないと、おのれらの罪深さを感じられないのではないか、という気がします。
(引用ここまで)


私は西部氏がここまで明確に女帝にも女系天皇にも賛成していたことをつい最近知り、驚いています。
ご病気を抱えていたとはいえ、まさに新しい次代を迎え、敬宮愛子様と秋篠宮様の皇統問題で揉めている中、もっと意見が聞きたかったように思います。
西部氏の目には、平成皇室のゴタゴタがどのように映っていたのでしょうか。
自ら死を選ばれたことは非常に残念なことでした。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~紀子妃懐妊劇の裏にあった皇太子ご夫妻の苦悩③

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~紀子妃懐妊劇の裏にあった皇太子ご夫妻の苦悩② より続きです)

週刊文春2006年2月23日号より

◆皇太子が夜お一人で秋篠宮邸へ

折しも帯状疱疹でお倒れになったばかりの雅子さまは、この発言に大きなショックを受けられたという。
だが、この「第三子発言」には前段があった。その一年前、雅子さまが宮内庁上層部に危機感を抱かせるようなご発言をなさっていたのだ。2002年12月、ニュージーランド・オーストラリアご訪問直前の記者会見で、雅子さまはこうおっしゃっている。

<やはり国民の皆さんの期待というものが、いろいろな形での期待があって、その中には子供という期待もございましたし、他方、仕事の面で外国訪問なども国際親善ということでの期待というものもございまして、そういう中で、今自分は何に重点を置いてというか、何が一番大事なんだろうかということは、随分考えることが必要だったように思います>

湯浅長官は雅子さまのこのご発言に驚愕したという。
「『何が一番大事なんだろうか』という言葉を聞いて、湯浅長官は『妃殿下はまだおわかりになっていない』と危機感を募らせたのです。お立場上、何よりお世継ぎのことを考えなくてはいけないのに、まだ外国訪問にこだわっていらっしゃる、と真っ青になっていたと聞きました。お世継ぎこそ天皇皇后のご意思であり、外国訪問など二の次だというのが上層部の考え方だったのです」(皇室関係者)

皇太子ご夫妻と天皇ご一家の間には次第に距離ができるようになっていた。皇太子ご夫妻が御所から足が遠のきがちになる一方で、天皇皇后と秋篠宮ご夫妻とのご交流は顕著になる。
元宮内庁関係者がご両家の違いをこう話す。
「秋篠宮さまも紀子さまも御所によくお食事にいらして、何でも両陛下にご相談になります。皇后陛下は大変リーダーシップがおありになる方ですから、ご相談があれば親身になられますし、頼りにされるのがうれしいご様子でした。秋篠宮さまは昔からお話好きで、皇后さまにべったりだったのを心配されたほどでしたから、紀子さまもお話の輪に入りやすかったのでしょう。秋篠宮ご夫妻は両陛下にかわいがられています。
それに対して、皇太子ご夫妻はもともとあまり外出されず、けして社交的なほうではありません。東宮御所でもお籠りがちでお二人でいらっしゃるのがお好き。たいがいのことはお二人で解決なさるご夫妻ですから、御所を訪れる機会も少なくなっていったのです」
皇太子と秋篠宮はもともとは大変仲の良いご兄弟としてよく知られていた。ところが皇太子がご結婚されてから、秋篠宮ご夫妻とお過ごしになる機会がめっきり減ってしまわれたという。
「雅子さまは外国育ちということですが、意外にシャイでどなたとも打ち解けるタイプではありません。秋篠宮さま、それに紀宮さまとはちょっと性格がお合いにならなかったようですね。
皇太子さまはご交流が途絶えがちになってしまった秋篠宮ご夫妻にお気を使われて、夜のお散歩の途中にお一人で秋篠宮邸にお寄りになり、お酒などのお届け物をされたこともあったといいます」(学習院関係者)

昨年から今年にかけて、天皇ご一家の行事で皇太子ご夫妻の“遅刻”や“欠席”が相次いだ。
9月11日、紀子さまのお誕生日の夕食会にご夫妻が45分遅刻。
12月9日、雅子さまご自身のお誕生日の夕食会も突然の中止。
12月23日、天皇のお誕生日の夕食会に雅子さまが2時間47分の中座。
1月5日、天皇皇后との夕食会を雅子さまが欠席。

「両陛下と秋篠宮ご夫妻、黒田夫妻の親密さがどんどん深まるばかりで、皇太子ご夫妻がますます孤立していくように見えるのが心配でした」(皇室関係者)
雅子さまが皇室という環境に適応されていないご様子は、ご欠席が続いている宮中祭祀にも見て取ることができる。ご結婚当初はご熱心に取り組まれていらしたが、いつしか遠のくようになった。雅子さまのご欠席は(綴じ目で不鮮明)気になるずっと前から目立つようになっていました。すでに何年もお休みですから、東宮の女官や女嬬もお式の段取りがわからなくなっているのではないかと、皇后さまもご心配されているそうです」(元東宮職)

ご成婚時、雅子さまは大きな期待を持って迎えられた。その雅子さまがこれほど苦しまれるとは、誰に想像できただろう。
お世継ぎをめぐって、この12年間、天皇ご一家には様々なドラマがあった。紀子さまのご懐妊はこうしたドラマの最終章となるのだろうか。
(記事終わり)


文春記事の最後の部分は、まあいつものように「両陛下と懇意にしている秋篠宮家、両陛下と疎遠になっている東宮家」というワンパターンの対比で占められています。何度もいいますが、私が東宮ご一家のお立場だったら、やはり両陛下とは距離を置きたいと思ってしまうでしょう。そして弟一家があまりにもいつも両陛下にベッタリなので、かえってこちらが遠慮してしまいたくなります。

独立している家庭が、何でもかんでも両親に相談しなければいけないものなのでしょうか。両陛下は自分たちを頼ってくれる秋篠宮家を気に入られ贔屓にしたいのかもしれませんが、大の大人同士が毎度毎度べったりしているというのもかなり違和感があります。むしろ東宮ご夫妻のようになるべくご自分たちで物事を解決し、両陛下(両親)を頼らないようにする、という方が正常だと考えます。
ここまで両陛下と秋篠宮家の「ベッタリ」が行き過ぎると、「意図的に東宮家をハブってるでしょ?」という不愉快さが残るだけです。東宮家への同情が高まるばかりであり、両陛下と秋篠宮家の印象が良くなるということは絶対にありません。

それにしても、秋篠宮様は幼少の頃から少しマザコン傾向があるのですね。美智子様が長期間留守になされば泣きわめき、授業参観にいらっしゃらなければ寂しいと口にし、そして大人になった今でも両親(両陛下)にベッタリ…
こういう所にも、秋篠宮様が帝王学を受けてこなかった弊害が露呈されているような気がします。
皇太子殿下は両陛下に甘えることも許されず、いつも静かにじっと耐えていらっしゃる方でした。
だからこそ余計に「両陛下と疎遠で孤立している東宮家」という論調が腹立たしいのです。

しかも普通は目下の者が目上の方に気を遣うべきなのに、皇太子殿下の方が弟にお気遣いされて、お土産を持たれて秋篠宮邸に行かれるという有様。「兄貴のところとは交流がないんだよね~」とほざいている弟こそが、手土産を持って東宮御所におうかがいすればいいだろうと思うのです。しかしおそらく、秋篠宮ご夫妻の方はそういうことはなさらないのでしょう。
秋篠宮ご夫妻のこういう不遜な態度が本当に不愉快極まりないのです。

上記文春記事は、まるで秋篠宮ご夫妻の方が社交的であり、東宮ご夫妻はあまり社交的でないという偏った報道をしていますが、実際は逆だと断言できます。東宮ご夫妻は両陛下など頼りにしなくても、ご自分たちだけで物事を解決なさる聡明な方々。そして海外ロイヤルとの交流もきちんと持たれており、どちらも昔からご友人がとても多いことはよく知られていることです。
一方秋篠宮ご夫妻は、海外ロイヤルと言えばせいぜいタイ王室としか懇意でなく、欧州王室と仲が良いというお話は一切聞いたことがありません。秋篠宮様のお取り巻きはいつも同じメンツ、秋篠宮ご夫妻をアゲアゲ称賛するのもいつも決まった“自称ジャーナリスト”。両陛下以外の皇族ともほとんど交流がなく、むしろ内弁慶だという印象しかありません。紀子妃に至っては、学生の頃から同性の学友がいたという話は聞いたことがなく、いつも男子学生とばかり一緒にいたというイメージです。
しかしこういう文春のような偏向報道の内容をそのまま信じてしまう人々も少なくないのでしょうか。

湯浅長官の発言については、あまりにも雅子様に失礼すぎ、コメントする気力も起きません。
しかしやはり「お世継ぎ優先のため雅子様を海外には行かせない」というのは、両陛下=宮内庁上層部の考えだったということの確認にはなるでしょう。

そして記事最後の〆の部分に、文春冒頭で触れられていた雅子様の「中座」の件が再び出ていますが…
「2時間47分の中座」!一体なんでそこまで細かく時間を測っていたのでしょうか。
「2時間以上」とか「3時間弱」という表現ならまだ分かるのですが、「2時間47分」という異様に細かい時間、わざわざ誰かが意図的に中座時間を図って記録していた!?としか言いようがないほど、気味悪さを感じてしまいます。
こういう陰湿・陰険なことをやられたら、雅子様でなくても誰でもメンタルを壊されますよ。
こんな気持ち悪いことをされても、なお「両陛下との集まりには出ろ!」と言われるのは辛すぎますね。

なお、雅子様は療養で祭祀をお出来にならなかった時期がありましたが、体調を回復されて久しぶりに祭祀に出られることになった際も、お式の段取りをきちんと完璧に覚えていらして何も心配することはなかったという後日談があります。
こういうことももっと大々的に報じてほしいものです。

次回からは、紀子妃のお腹の「第三子」は“男子”ではないのか?ということが囁かれ始めたという内容の雑誌記事を順次ご紹介していきたいと思います。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~紀子妃懐妊劇の裏にあった皇太子ご夫妻の苦悩②

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~紀子妃懐妊劇の裏にあった皇太子ご夫妻の苦悩① より続きです)

週刊文春2006年2月23日号より

◆天皇のお言葉に雅子さまが…

紀子さまのご懐妊が12年ぶりになったことについては様々な憶測がなされているが、秋篠宮ご夫妻が「遠慮」された背景には、知られざるドラマもあった。
「佳子さまがお生まれになってからご懐妊がなかったのは、おそらくあの“バッシング”の影響でしょう」(学習院関係者)
紀子さまが皇室内で厳しいバッシングに遭われたのは、佳子さまをご懐妊になった直後のことだ。
「紀子さまが佳子さまを身籠られたのは94年。皇太子と雅子様のご成婚の翌年のことでした。世間では皇太子ご夫妻にいつお世継ぎができるかと、たいへん期待のあった頃です。ところが、ご懐妊されたのは紀子さま。その直後から皇室内のどこからともなく、『あちらに遠慮なく二人目をおつくりになるなんて。もし坊ちゃんだったらどうするおつもりかしら』という声が上がったのです。それが秋篠宮家にも伝わり、紀子さまは悩みに悩まれたようです」(同前)
紀子さまは苦しい心の内を美智子さまに打ち明けられ、美智子さまは紀子さまを励まされ、庇い続けられたという。後年、美智子さまは親しい人物にこう打ち明けられている。
「普通は次の子が欲しいだろうに、紀子にはかわいそうなことをしました。でも何とか立ち直ってくれた」
紀子さまを襲ったバッシングはほどなく皇族たちの耳にも入る。一昨年亡くなられた高松宮妃喜久子さまも憂慮されていたお一人だ。
「何を遠慮することがあるのかしら。どんどんおつくりになったらよろしいじゃない」
喜久子さまは秋篠宮にこんなお言葉をかけられてお励ましになったという。
秋篠宮家に親しい関係者はこう話す。
「秋篠宮ご夫妻がお子様を欲しがっていたのは事実です。でもそれは天皇家のお世継ぎということではなく、宮家の存続のためでした。男子がいなければ、秋篠宮家もご自分の代だけで断絶することになりますからね。でも厳しいバッシングがあったので、遠慮されたのでしょう。佳子さまは『私は一番下だから、弟か妹が欲しい』とよくおっしゃっていました。今回のタイミングより早くご懐妊されていたら、やはり『出しゃばりすぎ』と批判されていたのかもしれません」

皇太子ご夫妻のご成婚から12年半。天皇家の「お世継ぎ」問題ほど、天皇皇后と皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻を悩ませ、苦しめ続けた問題はなかった。実はこの「お世継ぎ問題」こそ、雅子さまの「皇室不適応」の核心なのだ。
「お世継ぎ」をめぐって天皇皇后と皇太子ご夫妻の間に見解の相違が存在することが顕在化したのはご成婚から3年目のことだった。
皇太子ご夫妻は94年、中東など歴訪されているが、そのご帰国後の95年、天皇のお言葉に雅子さまが直接異を唱えられたことがあった。
その日、天皇は雅子さまにこう語りかけられたと伝えられている。
「国民みんなが待っているからね」
すると、雅子さまは色をなしてこうご返事をされた。
「私の友達にそんなことを言う人は一人もいません」

あまりのおっしゃりように、周囲は唖然としてしまったという。
当時の事情を知る皇室関係者が振り返る。
「側近たちの間からも、お世継ぎをお待ちしている(綴じ目で文章不鮮明)、という話題が出るようになっていました。
天皇陛下のことですから、もちろん配慮あるおっしゃり方だったはずなのですが、雅子さまは感情的な物言いをされてしまったといいます。陛下は反論された経験などないでしょうから、さぞ驚かれたことでしょう。
この一件があったので、一昨年の皇太子さまの『人格否定発言』にあった『雅子の人格を否定するような動き』とは、天皇陛下のことを指したのではないかと皇居周辺で受け止められたのです
天皇家にとって「お世継ぎ」は最重要の課題であった(綴じ目が不鮮明)天皇とは異なっています。
元宮内庁関係者が明かす。
「天皇皇后が『お世継ぎ』を望まれるご意思は強く、いわば『デューティ(義務)』だとお考えでした。ところが皇太子ご夫妻は『子どものことは自分たちで考える』というお考えだった。
その後も天皇皇后は、皇太子ご夫妻が4年間も子宝に恵まれないことについて何の対策もお取りになっていないことをお知りになって、さすがにご心配が募られたようです。そこで、宮内庁御用掛で皇后さまの掛かりつけ医であった産婦人科医の坂元正一氏にいろいろとご相談されました。しかし坂元さんは皇后のご信頼が厚いため、皇太子ご夫妻から警戒されてしまったそうです。坂元さんは『自分のことを両陛下の側の人間だと思われるらしく、敬遠されてしまう』と嘆いていた。両陛下にご報告するにも、材料がなく困っていたみたいです」
そこで坂元御用掛の代わりに東宮侍医長が皇太子ご夫妻におうかがいを立てることになったのだという。97年頃のことだ。
「東宮侍医長は温厚な人だったので苦慮したようですが、失礼なことは承知の上で『基礎体温表を出していただけないでしょうか』とお願いに上がったのです。それが皇太子ご夫妻のご不興を買ってしまった。『他人が口をはさむものではない』と厳しいご返事をいただいたと聞きました。その後、東宮侍医長は遠ざけられ、雅子さまへのお目通りは一切許されなくなり、連絡はメモのやり取りだけに限定されたそうです。彼はまもなく東宮御所を去ることになりました」(同前)
東宮家の皇子待望は皇族方がご懸念されるところでもあった。秋篠宮を励ました高松宮妃喜久子さまが、皇太子のことを元気づけられる場面もあったという。
「高輪の高松宮邸に皇太子さまをお招きになって、妃殿下らしい率直な物言いでお話をなさったそうです。
『ぐずぐずなさらないで、さっさとお作りになったほうがよろしいですよ』
そうおっしゃって、ご自分がご存知のお医者さんを紹介するからとか、高齢出産は大変だからなどとおっしゃって、専門的な資料をまとめてお見せしたのだそうです」(元宮内庁関係者)

ちょうどその頃、秋篠宮家では別のご心配が持ち上がっていた。
「もし東宮に子どもがお生まれにならなければ、眞子がお世継ぎにならざるをえないのではないか。そうなると紀子がかわいそうだ」
秋篠宮が眞子さまの将来について、こんなご懸念を漏らされたことがあったという。
まだ女帝容認の議論が出る前だったが、もしもの時には眞子さまが皇太子になるという、秋篠宮家にとっては思いも寄らぬ事態になることも予想された。

天皇皇后と皇太子ご夫妻のお世継ぎに対する考え方は「180度違った」(元側近)ままだったが、2001年12月になって、皇太子ご夫妻にようやくご待望のお子さま、愛子さまがお生まれになった。
ご出産から4カ月後の会見で、雅子さまは「生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました」と涙ぐまれながらお話しになられているが、涙の背景には、天皇皇后との間で数年続いた重苦しいほどの葛藤があったのである。
天皇皇后が男子のお世継ぎをお望みであったかどうかはわからない。だが側近たちの中には、天皇皇后のご意向はやはり男子のお世継ぎにあると汲みとる者が後を絶たなかったため、雅子さまの苦悩はその後も続くことになる。
愛子さまがお生まれになってから2年後の2003年12月、宮内庁の湯浅利夫長官(当時)が定例会見で行った「第三子発言」もその一例だと見られている。
「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室に繁栄を考えると、三人目を強く希望したい」
これほど踏み込んだ発言をした長官は過去に例がない。皇室関係者の多くは、
「あれだけの発言を長官一人の判断でできるはずがない。天皇皇后のご意思を受け止めた上でのことにちがいない」と見ていた。

(記事中段部分。残りの記事は次回ご紹介します)

長い記事のため、分断する形でのご紹介になってしまい申し訳ありません。
上記文春記事の引用部分は、両陛下サイドと東宮ご夫妻サイドで、お世継ぎに関してかなり深刻なやり取りがあったことがうかがわれます。
記事ははっきりしたことは書いていませんが、東宮ご夫妻の警戒ぶりを見ると、もしかしたら両陛下は「単なる不妊治療や高齢出産対策」を東宮ご夫妻に勧めたというだけではなく、「男子を作るように」ということを直接的・間接的に東宮ご夫妻に促していたのではないかと推察してしまうのです。
陛下が雅子様に対し「国民みんなが待っているからね」というお言葉をかけられたようですが、雅子様の毅然としたお返事を見るにつけ、「国民は女子ではなく男子を期待しているのだよ」ということを言外に匂わせていたのではないかと思ってしまうのです。しかし、この一件がもしかしたら陛下が雅子様を邪険にするきっかけになった可能性もあります。「陛下は誰からも反論された経験がない」とのことなので、このたった一回のことでも陛下は根に持たれたのかもしれません。
もし、ただの高齢出産への心配や不妊治療の方法だけのアドバイスであれば、東宮ご夫妻は素直に耳を傾けていたのではないかと思うのです。上記記事は高松宮妃喜久子様についても触れていますが、喜久子様のようにざっくばらんに「(男子も女子も関係なく)どんどんお子様をお作りになればよろしいのよ!」という感じで明るく言われたら、むしろ皇太子ご夫妻は安心できたと思うのです。現に、皇太子殿下は喜久子様のアドバイスには警戒なさっていません。
喜久子様は、江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の孫にあたる方であり、非常に“粋”でさっぱりした方であったといいます。喜久子様は敬宮愛子様がお生まれになった時もお喜びになり、「婦人公論平成14年2月号」において「女性天皇の皇位継承も日本の歴史から見て不自然ではない」いう趣旨の手記をお寄せになっています。
喜久子様はこうして「女性天皇でもよろしいじゃないの!」ということもはっきりおっしゃってくださる方だったので、皇太子ご夫妻も警戒などする必要がなかったのだと思われます。

喜久子様は秋篠宮ご夫妻にも「子どもが欲しければ作ればいいじゃないの」という感じでざっくばらんにお声をかけていたようですが、これは秋篠宮ご夫妻に対する純粋な思いやりやお気遣いという解釈もできますし、「東宮ご夫妻に遠慮?そんな白々しい態度はおよしなさいな、悲劇のヒロインぶってないでほしけりゃ第三子でも第四子でもお作りになればいいじゃないの、東宮ご夫妻のせいにするんじゃありませんよ!」ということを匂わせていたとも解釈でき、面白いですね。

上記文春記事も触れているように、秋篠宮ご夫妻は、東宮ご夫妻のご成婚直後に第二子(佳子様)をお作りになっています。この時雅子様は公務先で「皇太子妃殿下がご懐妊された」と勘違いされてしまい、「私ではないのです」と何度も否定するはめになったと聞いたことがあります。秋篠宮ご夫妻が「何でまたこんな時に第二子なんて…」と批判されたのも、雅子様が「自分ではない」ということを否定して回らざるをえなかったお姿をお気の毒に感じた人々が多かったということの表れでしょう。

秋篠宮ご夫妻が、偶然にもこの時にたまたま佳子様を授かってしまっただけなのに、周囲から批判を受けたのであれば多少は気の毒だったと思います。しかしその一方で、周囲からそれだけ批判の的になるほど、秋篠宮ご夫妻の「子作りへの執念」(?)のようなものがかなり強く見えていたということも考えられます。おめでたい話でそこまで批判を受けるとはどういうことなのか?と考えてしまうのです。
いずれにせよ、秋篠宮ご夫妻はこの時の周囲からの批判をかなり根に持っていたのでしょうね。
だから事あるごとに「我々はいつも東宮ご夫妻に遠慮してきた!遠慮!遠慮!」と言い続けているのでしょう。

それにしても…両陛下のご意思はあくまでも「お世継ぎは男系男子に限る」というお考えであることは、これまで当ブログでも検証した通りですが、秋篠宮様が「このまま東宮家に子どもができなければ眞子が天皇になってしまう」と発言されたのは、一体何だったのかという疑問があります。
東宮家に子どもが生まれなければ、両陛下の「初孫」の眞子様が天皇にならざるをえない。
そういう考え方なら、東宮家に待望の内親王殿下=敬宮様がお生まれになったので、敬宮様が天皇になればよい。
秋篠宮的に考えると、それが一番自然になるはずです。
しかしどういうわけか、敬宮様がお生まれになったとたん、「やはり女帝ではだめだ」とは、一体どういうことなのか。
敬宮様ご誕生の前は「眞子様がもしかしたら天皇に?」という「女帝でもOK」という緩い雰囲気があったのに、敬宮様ご誕生の後に、「女帝ではだめだ!男系男子を作れ!」という論調に変わるとは、一貫性がなさすぎやしませんか?

こういう一貫性のなさも、東宮ご夫妻が苦悩された一因になっているように思うのです。

せっかく当時の小泉総理が典範改正をして女帝・女系天皇誕生の道筋をつけてくれるはずだったのに、まさかの皇室=両陛下から「NO!」を突き付けられることになるとは…。
これでは雅子様が長年お心を病まれたのも無理はないと、国民の一人として悲しくなります。

次回は、文春記事の最後の部分をご紹介いたします。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~紀子妃懐妊劇の裏にあった皇太子ご夫妻の苦悩①

今回ご紹介する記事は、週刊文春2006年2月23日号、懐妊速報のあった2月7日当日の両陛下などの具体的なご様子や、紀子妃第三子懐妊の陰でずっと苦しんでおられた東宮ご夫妻のお姿について書かれたものです。
雑誌の綴じ目で文章が判別しない箇所が多々ありますが、何卒ご容赦くださいませ。

総力21ページ大特集 紀子さまご懐妊宮中「奥」全情報
二人のプリンセスお世継ぎをめぐる12年
ご懐妊直前 紀子さまが雅子さまの前で流した涙


■二人目を産んでバッシングを受けた紀子さま
■天皇の「ご期待」に反論された雅子さま
■紀子さまを庇い続けた美智子さま
■ご懐妊は天皇「待ちぼうけ」事件の直後


秋篠宮家が第三子ご出産の計画をスタートされたのは昨年秋だったという。そのとき、第二(綴じ目で不鮮明)初めて明かされる雅子さまと紀子さまの真実。

今回のご懐妊の一報を聞いたある皇室関係者は、紀子さまが昨年末の天皇誕生日に涙をお流しになった一件を思い浮かべたという。
その日、天皇ご一家は「お祝い御前」を中座された雅子さまをお待ちになったまま、緊張した夜をお過ごしになっていた。
「あの日は夕方6時半からご一家と黒田夫妻がお揃いで、天皇陛下の72歳のお誕生日をお祝いするご予定でした。ところが愛子さまがむずがられて、雅子さまが一緒に東宮御所に戻られてしまった。すぐお戻りになる予定だったので、お箸もつけずに待たれていたのですが、東宮御所から何の連絡もないまま時間が過ぎていった。御所から連絡を入れても東宮職の返事が曖昧で、状況がよくわからなかったそうです。結局、雅子さまがご不在のまま御夕餐は始まりました。天皇陛下もさすがにご不快の様子で、せっかくのお祝いのお席も雰囲気がすっかり冷めてしまわれたといいます」(皇室関係者)
御夕餐を終えられた後、雅子さまのご到着をお待ちになっているところへ、ようやくお戻りになると連絡が入ったのだという。
「両陛下はじっとお待ちでしたが、すでに二時間以上が過ぎていました。連絡が入った後、皇后さまは長い御廊下を歩いて玄関までお迎えに出られたそうです。そこで15分ほどお待ちになったのですが、なかなかお車がご到着にならないので、皇后さまは御食道にお戻りになられました。
しかし、ご一家が揃って席についたままお待ちになっていては雅子さまも気まずいだろうと、紀子さまと黒田清子さんがそろって御廊下に出てお迎えすることにしたといいます。御廊下から一緒にお話をしながら入れば、お気楽だろうと気配りされたのです。それなのに、戻られた雅子さまは『どうも』と軽く会釈をされただけで席に着かれてしまわれたといいます。
その場の状況を目の当たりにされて、紀子さまは思わず泣き出されてしまった。この日のお祝い御前はとりわけ重い意味があったからでしょう。天皇陛下がご病気の中でお誕生日をお迎えになる意味は非常に大きいですし、秋篠宮ご夫妻が縁結びをされた黒田夫妻が初めて出席するお祝い御前でもあったからです。紀子さまのお気持ちには格別のものがおありだったと思います」(同前)

紀子さまのご妊娠はそれからまもなくのことだ。
秋篠宮ご夫妻の「第三子」計画がスタートしたのは昨年の秋頃だと言われている。
紀子さまの掛かりつけである愛育病院の関係者がその内幕を明かす。
「『次の子を考えています』と内々にご相談があったのが秋頃でした。ただ、ご相談があったからといって、何か特別なことをしたわけではありません。大事にしましょう、自然なかたちでお生まれになるのを待ちましょうとお話ししました。
佳子さまのご誕生から11年もお子さんがお出来にならなかったのは、きっとご夫妻が我慢されていたからでしょうね。紀子さまの年齢も39歳。次の子をお考えになるならギリギリのところですから、ご夫妻で決断されたのでしょう」

ご夫妻が歌会始に発表されるために「こふのとり」の和歌を宮内庁に提出されたのは12月初旬のこと。すでにご妊娠の計画が始まっていた頃だから、きっと第三子を願うご夫妻のお気持ちが籠められていたにちがいない。
年が明けて、紀子さまが妊娠検査薬で陽性反応を確認されたのが一月下旬。超音波で胎児を確認できるのは妊娠6週目以降のため、約二週間後に宮邸で検査をお受けになることが決まった。
そして2月7日、
超音波検査を担当したのは愛育病院院長の中林正雄氏。検査の結果は中林氏から宮内庁長官の羽毛田信吾氏と皇室医務主管の金澤一郎氏に即刻伝えられ、その内容をNHKがスクープした。
小泉純一郎首相以下、誰もがこのニュースに驚いたが、皇室にご慶事の兆候がなかったわけではなかった。
「葉山のお取り止めは、御所で報告をお待ちになりたいという両陛下のご希望だったのでしょう。長官や皇室医務主管が連絡を受けるということは、両陛下が吉報をお待ちだったということです」(宮内庁関係者)
「葉山」とは2月6日から10日まで予定されていた葉山御用邸での天皇皇后のご静養のことだ。実は、5日日曜日の夕方、マスコミ各社の宮内庁担当記者の元に緊急のファックスが送られていたのである。
「葉山御用邸行幸啓のお取り止めについて」と題された書面には、皇后が、<昨年10月末ごろから時折やや強いめまいをお感じになることがあり、先日の定期検診の結果では大きな問題はなかったが、御案じしつつ御様子をお見守りしてきた>とあり、大事をとって葉山行幸啓の御予定を取り止め、御所で療養されることを伝えていた。
一部の宮内庁関係者はご静養取り止めの一報を聞いて皇后のご病状を案じたが、皇居で過ごされる皇后のご様子は意外にも大変お元気でいらしたという。
報道のあった7日はたまたま黒田清子さんが御所にいらしていました。お昼をご一緒されたあと、天皇がご公務で宮殿に向かわれる際、三人で外出され、その後、皇居の中をゆっくりお二人で散策されたようです。午後3時頃には清子さんとお茶をされています。とてもお元気そうだったと聞きました。火曜日に超音波検査があることは当然、ご存知でしたでしょうから、記者が取材に来る葉山を避けられたのではないでしょうか」(宮内庁担当記者)

(記事前半ここまで。続きは次回以降ご紹介します)



上記文春記事はまず冒頭で、陛下のお誕生日のお祝い御前で雅子様が「中座」した件を書いています。この件に関しては別の雑誌記事が詳細を書いていたと記憶していますが、秋篠宮ご夫妻の行状について検討を加える当ブログの主旨から若干外れるので、今のところその記事をことさら取り上げる予定はありません。
この雅子様の中座の件は、雅子様や皇太子殿下、東宮職などの「東宮家側」の言い分がまったく載せられず、「待ちぼうけを食わされた」と主張している側(両陛下、秋篠宮ご夫妻、黒田夫妻)の一方的な行動や言い分しか書かれていないので公平性が保てず、「これは雅子様の方が悪いよね」とはとても言い切れないものです。
しかも大の大人たちが嫌味たらしくじっと二時間以上も待ち、わざわざ「長い廊下を歩いて雅子様を出迎えようとしたんですよ?!」と書かせ、一見雅子様を気遣っているように見えて、実は何とも言えない意地の悪い雰囲気を醸し出していると感じてしまうのです。雅子様が“どうも”としか言葉を発することができなかったのは、そういう意地悪な雰囲気をビシビシ感じられ、「この方たちは私一人のことで一体何をなさりたいのだろうか」というような気分になってしまわれたのではないかと思うのです。もちろん、雅子様が実際に“どうも”とおっしゃたかどうかも定かでないのですが。

上記文春記事で一番不自然だと感じたのは、皇太子殿下のご様子がまったく書かれていないという点です。雅子様のお戻りを全員で待っている間、皇太子殿下がどのような感じでお過ごしになっていたのか文春は詳細を明らかにしていません。
そして紀子妃がいきなり泣き出したのも、傍から見れば「何であなたが泣くの?」という感じでポカーンとしてしまいます。これ見よがしに「陛下がおかわいそう!」アピールをわざわざしたようにしか見えません。
(そういえばこの件の詳細を報じた別の雑誌記事で、この宴席の後紀子妃が「もう(東宮家に)遠慮はしない」と寝室で一人涙した、と書かれていたと記憶していますが、「その“寝室の一人涙”をどうして記者が知ってるんだよ?」というツッコミが入っていたのが可笑しくて笑ってしまいます。「記者が寝室のベッドの下にでも潜んでいたのかw」とも言われていました

このように、東宮ご夫妻、特に雅子様は何とも形容しがたい「意地の悪い」雰囲気にずっと苦しめられてきたのだと思います。両陛下も秋篠宮ご夫妻も育児の経験があるはずなのに、敬宮様のおむずがりや雅子様の行動に対して何も思いやりがないことに驚いています。「あの年頃の子どもにはよくあることですよ」という雰囲気も感じられない。
これでは雅子様が孤独を感じ、お心を病まれてしまうのも理解できるというものです。

さて、上記文春は紀子妃の懐妊速報があった2月7日の両陛下や清子さんのご様子の詳細について触れています。
その前に、紀子妃がご自身で妊娠検査薬を使って陽性反応を確認したのが、1月下旬であることが判明しました。
すると、前回検討した時系列の通り、やはり紀子妃の陽性反応があってすぐに「典範改正慎重論」が大きくなったという時間の流れは正しいということになります。

1月下旬(24日前後?) 紀子妃、妊娠検査薬を使い陽性反応を確認する→約2週間後の2月7日に検診が決まる
2月3日 閣僚から急に「典範改正慎重論」が噴き出す(谷垣氏も女帝女系賛成という意見を覆すまでになる)
2月7日 紀子妃、検診を受ける→NHKで懐妊速報


これでますます「紀子妃の陽性反応の事実を陰で把握している人は多かった。それでは一体だれがその事実を知らせたのか?」という疑念が深まることになりました。陽性反応を直接、真っ先に確認できる方といえば…もう言うまでもないですね。

2月7日当時、両陛下がいきなり葉山静養を中止にしたこと、静養中止の理由は表向きは美智子様の体調不良だったのにその美智子様がお元気でいらしたということ、そして清子さんがわざわざ御所に遊びにいらしていたということなどから、両陛下が紀子妃の第三子懐妊をことのほか喜び心待ちにしている様子がわかりますね。
眞子様、佳子様、敬宮様の時は両陛下はここまであからさまな行動はとらなかったと思います。
これで「紀子妃が妊娠した第三子は“男子”だったし、両陛下もそれをうすうす知っていた」という疑いが頭をもたげます。

本当は両陛下は紀子妃の「男子懐妊の可能性」を知り、静養を中止してまでウキウキしながら御所で待機していたのに、わざわざ「美智子様の不調により静養を中止」という見え透いた嘘をつくことが許せないのです。
これは氷山の一角で、皇室が本当は「噓つき」であることが、この第三子懐妊・出産の件で分かってしまったのでした。
正直に「実は〇〇でした、だから〇〇しました」と言えばいいのに、「いや違うんです!そうじゃないんです!」という言い訳をしながら嘘をつくのが本当に不愉快で仕方ありません。国民を馬鹿にするなと言いたいです。

次回は、東宮ご夫妻が「お世継ぎ」懐妊を巡って苦悩の中にいらしたということが分かる、記事の後半部分をご紹介したいと思います。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~NHK懐妊速報直前の「改正慎重論」が意味すること

ある東宮応援派の方が、紀子妃の第三子懐妊リーク問題に関して、非常に興味深い新聞記事をご紹介してくださいました。心から御礼を申し上げます。
2月7日のNHK懐妊速報直前の2006年2月3日付毎日新聞の記事です。
一読して、「これは一体何を意味するのだろうか」と訝しく感じ、当ブログでも是非取り上げさせていただきたいと思いました。

<皇室典範改正案>外相と財務相が慎重論 反対派が勢い?

小泉純一郎首相が今国会での成立を目指す皇室典範改正案をめぐり、「ポスト小泉」と目される麻生太郎外相と谷垣禎一財務相ら複数の閣僚が3日午前の記者会見で、相次いで慎重論を唱えた。女性・女系天皇を容認する同案に閣僚から公然と慎重論が出たのは初めてで、自民党内の反対・慎重派が勢いづきそうだ。

麻生氏は「通常国会でしゃにむにやらなければいけない法案だろうか」と指摘。そのうえで「皇太子殿下(が天皇)になられて、皇孫殿下が天皇になられるまで何十年先ではないか。もう少しいろんな方々の意見をまとめ、議論をいろいろすることも必要だ」と述べ、さらに時間をかけて議論すべきだとの考えを表明した。

また、谷垣氏は「天皇の地位というのは日本国民統合の象徴だから、今国会であろうとなかろうと、じっくり議論して、すんなり決まるように運ぶのが望ましい」と述べ、意見対立が残ったままでの改正に慎重な姿勢を示した。谷垣氏は1月17日の会見で「女系天皇を決断すべきではないか」と改正案に賛成の意向を表明しただけに、慎重論に方向転換したとみられる。

さらに、中馬弘毅行革担当相は「まだ雅子さまも、紀子さまだって男の子を懐妊される可能性が十分あるのに、なぜ急ぐんだという慎重論がどの派閥にも出ている」、杉浦正健法相は「(政府の)改正案だと、何代か民間人が入ってくると天皇家の家系から(万世一系が)外れちゃうということもあり得る。検討すべき点は多々あるという印象だ」と慎重論に言及した。

◇議論してから提出…安倍、武部両氏 
閣内から慎重論が相次いだことについて、安倍晋三官房長官は3日の会見で「改正案が持つ重みをそれぞれが十分に認識しているのだろう」としたうえで「慎重な方々も改正案の性格を考え、政局ということで考えている方はいないと思う」と述べた。3月10日の予算非関連法案の提出期限に合わせて提出するかどうかは、「与党での議論を経て了承を得られれば提出したい」と語った。
自民党の武部勤幹事長も会見で「政府としてしっかりした対応をしてほしい。慎重にこの問題について議論が行われることが大事」と述べ、政府内の足並みの乱れに懸念を示した。
(記事終わり)



懐妊リーク問題に関する時系列を改めて整理すると、

1月末~2月初頭 紀子妃、妊娠検査薬の陽性反応を確認する
2月3日 上記毎日新聞記事のような「典範改正慎重派」が急に勢いづき、公然と慎重論が唱えられるようになる
2月7日午前 紀子妃の検診開始、NHKが宮内庁周辺をうろつき紀子妃の検診について探りを入れてくる
2月7日午後2時8分頃 NHKに紀子妃懐妊速報が流れる
2月7日午後2時13分頃 小泉総理が秘書官のメモで紀子妃の懐妊を知り驚愕
2月7日午後5時過ぎ 小泉総理、宮内庁から正式に紀子妃懐妊の報告を受ける
2月7日午後9時頃 宮内庁の羽毛田長官が会見で紀子妃第三子懐妊について発表
2月8日午前 小泉総理、衆院予算委員会で典範改正慎重論に転じ大きくトーンダウン


紀子妃が妊娠検査薬で陽性反応が出た時期とほぼ同じ~直後というこの時期に、なぜ急に「改正慎重論」が勢いづき、相次いでこのような意見が公然と出てくるようになったのでしょうか。私は上記「時系列」が決して偶然のものとは思えないのです。
特に谷垣氏のように元々女帝・女系天皇支持であったのに急に典範改正慎重論に転じた人物もいたという事実から、何やら背後に不穏な空気があったということを匂わせています。

これは私の想像に過ぎませんが…もしかしたら「紀子妃が第三子=男子を懐妊した可能性が高い」という情報は、NHKだけでなく一部の議員たちにも知られていたのではないでしょうか。
特に男系男子維持派(改正慎重派)の議員を中心に「紀子妃が妊娠検査薬で陽性反応が出たらしい」という情報が共有されていたのではないかという気味悪さを感じるのです。中馬弘毅行革担当相の「紀子妃も男子を懐妊される可能性がある」という唐突な意見からもそれがうかがえます。
議員らにこの情報を流したのが、医師団なのか、宮内庁の人間なのか、NHKなのか、紀子妃なのか、それは何とも言えません。しかし、一部議員らが早々に紀子妃の陽性反応を知ったからこそ公然と「改正慎重論」を唱えることができ、また女帝・女系支持から急に改正慎重派に転じた者も出てきたとも考えられます。
以前は漠然と「懐妊リークがあったのは速報が流れた2月7日当日」という見方をしていましたが、当時の記事を検証すればするほど、2月7日以前のもっと早い段階=紀子妃の陽性反応が出た時から既に「リーク」があったのだという疑惑が強まりました。
このネットワークのあり方には何とも言えない気持ち悪さを覚えるのです。一体いつから形成されていたネットワークなのでしょうか…?

当時総理大臣であり典範改正推進派(女帝・女系支持派)であった小泉氏だけが「蚊帳の外」に置かれた感じに見えます。
しかしその小泉氏も、懐妊速報があった日の翌日午前に早々に改正断念を匂わせる態度を見せており、改めてこの懐妊リーク・速報の破壊力のすさまじさを感じてしまいました。

それにしても、上記毎日新聞の谷垣氏の意見である
「天皇の地位というのは日本国民統合の象徴だから、今国会であろうとなかろうと、じっくり議論して、すんなり決まるように運ぶのが望ましい」
という内容と、「意見対立が残ったままでの改正の問題点」は、まさに現在問題になっている「秋篠宮様を皇嗣に(立皇嗣礼もやる方向で)」ということにも当てはまると思うのです。

国民の大半は今でも過半数が「女帝・女系天皇賛成」という考えを持っています(それは各種世論調査でも明らかになっている事実です)。そういう中で現安倍政権は「次の次の天皇は敬宮愛子様か、秋篠宮様か」という議論をまったくすることなく、「秋篠宮様が継承順位1位であることを国内外に広く知らせる必要がある」と述べ、秋篠宮様に「皇嗣」という謎の呼称を授け、更には「立太子の礼」を拡大解釈して「立皇嗣の礼」などという前代未聞の儀式を行おうとしています。
立皇嗣の礼は憲法上の天皇の国事行為である「儀式を行うこと」に含まれるか否か、合憲か違憲か、という議論すらまったく行われていないのに宮内庁と政府だけで勝手にどんどん話を進めてしまい、国民からの反対意見に耳を貸さない現状は本当に危険としか言いようがありません。
まさに「敬宮様と秋篠宮様、どちらが天皇にふさわしいか」「男系男子でいくべきか、女帝女系でいくべきか」という意見対立が残っている状態で生前退位特例法に関する問題点がごり押しされているのに、なぜ異議がほとんど出てこないのか。仮にそういう異議があちこちから出ていたとしても、何らかの圧力があって言論封鎖されているのか。

この問題は、単に「秋篠宮様の人柄が信用できないから天皇にしたくない」という感情だけの問題ではなく、まさに日本国の立憲民主主義の土台が危うくなっているという問題なのです。
この国はもう「議論の余地」というものさえ奪われてしまっているのです。
国民が「おかしい」と思って声を上げても、聞き入れられない。逆に「お前は反日・国賊だ」と非難される。
私たちのような「女帝・女系天皇賛成派」も、同じように過去に何度も「お前らは反日・逆賊だ」と罵られてきました。
日本を愛し、世界に誇れる国にしたいからこそ、敬宮愛子様が天皇に即位して輝かれる日本にしたいだけなのに。
「反日・国賊・逆賊!」と言われるのは心外としか言いようがありません。


真に日本国の民主主義が危機にさらされていることを憂えているのに、批判されてしまうのが今の日本なのです。
むしろ女帝・女系反対の男系男子カルト連中こそが、日本と皇室を危機に陥れているようにしか思えません。
この問題は、日頃皇室に関心のない人々にこそ、外から客観的な目で冷静に見つめてほしいと願っています。

あまりにも白々しい「秋篠宮ご夫妻第3子」をめぐる茶番劇~懐妊リーク騒動、イギリスのThe Timesにも記事にされる

今回は、紀子妃の第三子懐妊リークの件が、イギリスの保守系高級紙「The Times」にも記事にされてしまった件を取り上げたいと思います。
ネット上の有志の人が和訳してくれたものを見つけましたので、ご紹介したいと思います。

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日本の政治と世界最古の王家は、天皇の次男の妻が妊娠6週間というニュースによって、昨日混乱に投げ込まれた。

紀子妃の妊娠の余りに早いリークは、徳仁皇太子の4歳になる娘・愛子内親王が男子後継者不在の中で天皇の座を継げるように皇室典範を変える、という小泉純一郎総理大臣による計画を破滅させる為に描かれたように見えた。

日本は今、紀子妃の赤ん坊が後継者危機を終焉させるであろう男の子かどうか知るまでの数ヶ月、サスペンスを耐えなければならない。

しかし女の子であれば、小泉氏は自分は9月に退任すると言っているので、愛子内親王が18世紀以来日本初の女性天皇になる事を許す為の戦いが、擁護者なくして再開する事となるだろう。

このリークは日本中に驚愕を生じ、この絶妙のタイミングに関しては疑惑がある。
紀子妃の妊娠の噂は彼女の夫・秋篠宮のスタッフから出てきたかもしれない、と多くの人々は考えている。アナリスト達は、この影響は赤ん坊が生まれるまで、皇室典範改正協議全般をしずめる、と語る。

しかし、国営放送局のNHKへのリークは、紀子妃に彼女の夫にこの知らせを確認する電話をするチャンスがある前に起こったかもしれない、とメディアは伝えた。
紀子妃が昨日超音波スキャンを行った東京の病院から出てきた、と示唆しているかもしれない。

どちらにせよ、後継危機への総理大臣の解決策に対して烈火の如く拒否を唱えていた、増大し喧しい政治家と学者のグループにとって、このリークはうまく機能している。

戦いは数年間迫り続けており、紀子妃(39歳)と秋篠宮(40歳)へのプレッシャーは巨大になっただろう。
秋篠宮にとって、未来の天皇の父親となる事は、皇室の執務の急増と態度にも変化の可能性が要求されるだろう。

若い時のロマンスやパーティー疑惑は、依然としてゴシップ雑誌の大好物だ。
この夫婦は5月頃にまだ生まれぬ赤ん坊の性別を知るだろうが、その段階で明かす事は皇室のタブーを破る事になる。
 
徳仁皇太子は男子後継者を作ってはおらず、妻の雅子妃の体調不良は彼がそうする可能性をますます低くしている。

秋篠宮と紀子妃は佳子(11歳)と眞子(14歳)と2人の娘がおり、昨日まで二人の子供を もうける日々はもう終わっている、と考えられていた。

女性の子孫が天皇になる事を禁ずる1947年の皇室典範の、小泉氏の提案している改正の運命は、現在わからなくなっている。

続く世論調査は改正への支持が圧倒的に高い事を示しており、これを押し通す事は最後の遺産になるだろう、と内閣の情報筋は言っている。

しかし紀子妃の妊娠は、この計画を不確かにした。

アナリスト達は、小泉氏が提案している改正案を通すのに成功し、この子供が男の子だと判明すれば、世間は、古い法律の下で正当な後継者か、同国が大変な愛着を持つ子供である愛子内親王か、どちらを選択するかを任される事になる、と述べた。

小泉氏は今国会で自分が法案通過を押し通すのを急いでいる事を弁護した。
これは「自分がいつか天皇の座を継ぐのだ、という認識を以って」愛子皇女が教育される為には必要だ、と彼は語った。

しかし彼の異論を巻き起こす法案は既に閣内でも激しい反感を引き起こしており、外相と蔵相からは人前での批判も引き出した。

伝統主義者達は男児が生まれなかった場合の多くの提案を持ってはいないが、作る時間は幾らかある。中には、とんでもない歴史の再現で、徳仁殿下に妾を紹介して男児が生まれるまで繁殖を奨励する、と提案した者もいる。
・・・
(終わり)
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「The Times」は1785年創刊の世界最古の新聞であると言われています。当然世界中に読者が多く、この紀子妃懐妊騒動の一件や皇室が抱える問題について、世界中の多くの人々が知ることになってしまったのです。
残念ながら上記和訳記事の日付や元の原文が手元にないため、上記記事の信憑性を検討することはできません。しかし、私はとりあえずこの記事を和訳しネットに上げてくださった有志の人を信じたいと思います。

驚くことに「The Times」も、NHKがあまりにも早い懐妊速報を流したこと、その裏に誰かしらからの「リーク」があったことを指摘しています。上記記事はリークの犯人が秋篠宮家のスタッフや「東京の病院=愛育病院」である可能性を示唆していますが、やはり「The Times」ですら紀子妃が“犯人”である可能性については書けなかったのか、それとも最初から「懐妊した本人が(流産の可能性もあるのに)自らリークするわけない」「皇族ともあろう方がテレビ局と通じてるなんてあり得ない」とでも思ったのか、踏み込んだ内容は期待できませんでした。

しかしそれでも「The Times」のような海外高級紙が、
●「あまりにも早く絶妙なタイミング」と揶揄された速報の一件、
●その速報を行ったのが“国営(公共)放送”であるNHKであったということ、
●このリークが典範改正審議を鎮め、改正反対派の人々にとってはうまく機能しているという点、
●日本の国民の大半は女帝支持であり敬宮愛子様への愛着も大きいということ、
●当時の小泉首相が敬宮様への教育(帝王学)の必要性について言及している点、
●男系男子派が「徳仁皇太子殿下に側室を」という話もした、という恥ずかしいことまで、

淡々と、そしてコンパクトに記事にした影響は、小さくなかったのではないかと考えます。

そして見逃せないのが、上記記事がサラッと書いている一文
「若い時のロマンスやパーティー疑惑」
という箇所です。
これは文脈から秋篠宮(ご夫妻)のことを書いていると思われます。

上記「The Times」の和訳をしてくださった人の補足によると、
>〇リフ〇ナパーティとの指摘あり。
>「馬鹿子息、令嬢の集まりに警察が踏み込んだら、煙モクモクのパーティ中。秋篠宮(礼宮)様と当時まだガールフレンドだった〇子さんもいて、逮捕することもできず拘留したら、すぐに宮内庁のおえらいさんが引き取りにきて事件をもみ消したらしい。
>そこには秋篠宮様の学友の〇〇氏も参加していた?という噂あり」

とのこと。

結婚前の秋篠宮ご夫妻の〇リフ〇ナパーティの件についてはチラッとしか噂を聞いたことがないので確証は持てませんし、日本で行われたのかイギリス(海外)で行われたのかも不明ですが、もしこれが事実だとしたらどこまで腐ったバカップルなんだろう、こんなバカップルに皇統がいくなんて絶対に許せないという感情がますます湧き起こります。
このパーティの一件だけでなく、もし秋篠宮ご夫妻が昔も今も皇族という地位をいいことに、国内外のあちこちで色々な失態をしでかしもみ消しを繰り返していたと想像すると、日本の国益を損ねているとしか思えないのです。
こういう情報は海外王室の方々も当然把握しているだろうし、仮に秋篠宮様が皇嗣という呼称を得たとしてもその評価は一朝一夕で変わるものではないでしょう。

とにかく紀子妃の不自然な懐妊とリーク・速報のタイミングの件は、海外からも疑惑の目で見られていたということです。
そして実際に誕生したのが男子(悠仁様)であれば、その疑惑は確信へと繋がらざるを得ないでしょう。

次回は、ある東宮応援派の方が教えてくださった日本の新聞記事を元に、更に懐妊リークの疑惑に迫りたいと思います。
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