公の場で格上の東宮ご夫妻を批判した尊大な秋篠宮様~週刊新潮記事

2004年の秋篠宮ご夫妻の会見につき、当時の週刊新潮も記事にしていました。
今回はその記事をご紹介したいと思います。

☆参考までに
平成16年の皇室のご会見を振り返る~皇太子殿下のご会見編
平成16年の皇室のご会見を振り返る~秋篠宮ご夫妻の会見編

週刊新潮 2004年12月9日号
特集「皇太子ご夫妻」を批判された「秋篠宮」発言の大波紋


「5月の発言について,私も少なからず驚いたわけですけれども,陛下も非常に驚かれたと聞いております。(中略)少なくとも記者会見という場所において発言する前に,せめて陛下とその内容について話をして,その上での話であるべきではなかったかと思っております。そこのところは私としては残念に思います」

雅子妃殿下が静養されてから1年が経とうとしている。そんな中、遂に身内から皇太子ご夫妻に対する批判が飛び出した。「残念に思います」―。秋篠宮殿下の誕生日会見。物議を醸した皇太子殿下の「人格否定」会見について、秋篠宮殿下がこう話された時、その場にいた記者達は思わず顔を見合わせた。この発言が目下、大波紋を投げかけているのだ。

皇室にまたもや激震が走っている。11月30日の報道でご承知の通り、39歳の誕生日を迎えた秋篠宮殿下が記者会見に応じられた。そこで今年5月、皇太子殿下が「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」と話されたことについて、前記のように発言。このご批判が関係者に与えた衝撃は凄まじかった。
ここまで言われるのか、と正直、驚いた。これまで秋篠宮さまの誕生日会見は2、3段の小さな扱いでしたが、今回は大きくせざるを得ませんでした。“人格否定”会見を行った皇太子殿下と今もなお静養を続けられる雅子妃殿下に対し、初めて皇室の中から、公式の場で、異を唱える声が出たのですから、当然です」(全国紙社会部デスク)
皇太子殿下への発言はこれだけではなかった。その発言の全容を紹介する前に、まずこの誕生日会見のシステムについて説明しておこう。30日のお誕生日に備え、今回、内々に記者会見が行われたのは11月25日。赤坂御用地内の秋篠宮邸に各メディアの宮内庁担当記者らが集まった。
今年は事前に5つの質問がペーパーにまとめられ、2週間ほど前に宮内庁を通じて秋篠宮殿下に渡されていた。これをもとに殿下が記者達に答えられる形になる。また、これとは別にその場で関連質問が3つ行われ、これには殿下がアドリブで答えられた。5つの質問の概要は次の通り。
① <来年ご結婚15年を迎えられます。振り返っての感想をお聞かせください>
② <皇太子妃殿下は長期静養中で、5月の皇太子殿下の発言をきっかけに、皇室を巡る様々な報道がなされました。一連のことをどのように受け止められたか。皇太子殿下は「東宮御所での生活の成り立ちに伴う苦労があったと思う」と述べられましたが、両殿下はそうした経験がおありでしょうか>
③ (略)
④ <お子様の眞子さま、佳子さまのご成長ぶりについて、お聞かせください>
⑤ <この1年を振り返り、ご公務など、印象に残ったことをお聞かせください>
実はこの会見でメディア側が一番聞きたかったのは、紀宮さまのご婚約内定についてである。なにしろ、お相手の黒田慶樹さん(39)は秋篠宮殿下の学習院初等科からのご学友。お2人の間をとりもつ愛のキューピッド役を果たしたのが殿下だったからだ。
そこで記者達は関連質問でこれを訪ね、紀宮さまと黒田さんがどういうお付き合いで親睦を深められたのか、答を引き出そうとした。が、その前に、予期せぬハプニングが起こったわけだ。
「居合わせた記者達は皆、内心、“アチャー、仰ってしまわれたよ”と当惑したんです。思わず顔を見合わせる者もいました」
と、語るのは取材にあたった宮内庁担当記者。
「補足すると、最初に天皇陛下とのコミュニケーションの大切さを話されたんです。昨年の会見でも、“陛下を支えるために、円滑な意思疎通が重要である”旨、お話になられています。で、これを受け、皇太子殿下の方も今年2月の誕生日会見で、“当然のことです”と賛意を示された。それを前提に、秋篠宮殿下は“ならば、陛下とまず話をするべきなのに、どうして記者会見でいきなりあんなことを言い出したのか”と、苦言を呈したのです」

◆「自分のための公務」を否定

秋篠宮殿下の発言は次のように続いた。
(中略)
皇太子殿下の真意を探るべく、直接、問いただされた事実を明かされたのである。しかも、その答を披露される際の口調は明らかに否定的なトーンだった。
秋篠宮殿下の皇太子殿下に対する苦言はこれだけにとどまらなかった。後の関連質問の中で、記者が、
「皇太子さまが今後、宮内庁と共に、次代と共に変わる公務の在り方について考えていきたいと仰っている。雅子妃殿下のご病状の回復のために、皇室全体としてどういうような方向性が望ましのか、お聞かせください」
と尋ねた。すると、殿下は熟考したうえで、次のように述べられたのだ。
(中略)
明らかに、「皇室外交に取り組みたかったのに、あまり海外に出してもらえなかった」とご不満を抱かれ、それも体調不良の原因の一つとされた雅子妃殿下を意識された内容なのである。
先の担当記者が言う。
「会見は50分ほどだったのですが、最後に雅子妃殿下へのあてこすりで、ダメを押した感じです。弟宮が兄宮夫妻をたしなめたわけで、正直言って“大変なことになったな”という思いで引き揚げてきました

今回の発言を皇室評論家の松崎敏弥氏はこう見る。
「11月6日、両陛下は“被災者と直に触れ合いたい”と言われ、新潟県中越地震の被災地を見舞われました。ところが、その前日に皇太子ご一家の方は栃木の御料牧場にご静養に出かけている。療養目的とはいえ、何もこの時期に行かなくても、と冷めた目で見る国民もいたかもしれない。“兄貴は何を考えているんだろう”という思いが秋篠宮殿下にはあったのでしょう」
この問題で、両陛下や他の皇族と皇太子ご一家の溝が深まるのではないかと危惧するのは、皇室ジャーナリストの河原敏明氏である。
このようなご発言は、皇室では近年にない異例のことです。基本的には、皇室において、肉親同士を批判することはエチケットとして、いけないことと受け止められているからです。今や皇室の中で雅子さまの味方は皇太子1人だけ。お気の毒ですが、これで皇太子と雅子さまはますます孤立した格好になりますね」

◆両陛下の思いを代弁!?

もっとも秋篠宮殿下のご意見は天皇皇后両陛下の意を汲んで、その思いを代弁したものと見る向きもある。なぜなら、秋篠宮殿下ご自身が会見で、「陛下とのコミュニケーションが大切」と主張されているからだ。当然、今回も事前に両陛下と相談したうえで話されたものと受け止めるのが普通である。それゆえ、巷では「陛下はもはや親として、ご自身で皇太子殿下をご指導することもできない状況なのか」といった心配や、「両陛下が公の場で直接、発言されると影響力が大きすぎる。だから、両陛下のうちでもとりわけ美智子皇后が現状を憂慮され、秋篠宮殿下に代弁させたのでは」という穿った見方まで飛び出し、波紋を呼んでいる状況なのである。
「質問を受け取って、時間がありましたから、秋篠宮さまは事前に両陛下に相談はされています。しかし、両陛下は実際に皇太子ご夫妻への批判発言を行うことには反対されている筈」
と、分析するのは宮内庁関係者。
「ようやく、皇太子殿下の“人格否定”発言が沈静化し、紀宮さまの慶事もニュースになった時ですから、問題をぶり返すようなことは言わずとも良いと考えるのは当然です。が、秋篠宮さまが公式にご発言できる機会は、年に一度のこの誕生日会見しかない。事後の影響を熟知され、覚悟の上で、国民に話されたのです。5月の皇太子殿下の会見以降、国民の世論は宮内庁ばかりか両陛下に対する批判も含まれるようになったから、秋篠宮さまとしては両陛下を擁護するお気持ちもあった。国民の中で沸き起こっている皇太子ご夫妻への過剰な同情論を軌道修正するために、本来の皇室のあるべき姿をお話になりたかったのだと思います」

それもこれも裏を返せば、宮内庁が全く機能を果たしていないせいだろう。天皇陛下のクラスメイトで、共同通信社社友の橋本明氏はこう語る。
「皇太子は結婚した途端、親との間が疎遠になり、関係が断絶してしまった。これを弟としても、苦々しく思われていたのでしょう」
開かれた皇室は、一般家庭と同じように、ついに親子の断絶や家庭崩壊の危機まで露呈してしまったということなのか。この秋篠宮殿下のご発言を機に、ご兄弟の間でも新たな確執が生じる危険性すらある。
ちなみに、“かくも長き不在”が続いている雅子妃殿下の公務復帰は未だにそのメドさえたっておらず、早くても来年春から夏にかけてと見られている。戦後、最大の危機を迎えている日本の皇室にとって、何よりの特効薬は、やはり一日も早く雅子妃殿下が公務復帰されることしかないようだ。

(記事終わり)

上記記事についても突っ込みたい部分はたくさんあるのですが…ひとまず、当時の記事を一通りご紹介してから色々なことに言及したいと思います。

公の場で格上の東宮ご夫妻を批判した尊大な秋篠宮様~週刊現代記事②

前回に引き続き、週刊現代の記事の後半をご紹介したいと思います。

(参考までに)
平成16年の皇室のご会見を振り返る~皇太子殿下のご会見編
平成16年の皇室のご会見を振り返る~秋篠宮ご夫妻の会見編

週刊現代2004年12月18日号
内幕スクープ 秋篠宮「兄・皇太子への不満」
皇太子の発言を批判した衝撃会見のウラに天皇一家の危機


(記事続き)
◆紀子妃が好かれる理由

秋篠宮発言を、「皇太子に対する不満」の表れと解説するむきもある。
たとえば、英国のタイムズ紙は、秋篠宮発言を<日本の皇族の確執が噴出>と大きく報じた。
同紙は、「秋篠宮が兄の皇太子を公の場で批判するのは異例だ」と指摘し、観測筋の解釈として、「皇室の中枢で深刻な対立があることをうかがわせる」と伝えた。

また、今回の秋篠宮の発言で、皇太子と雅子妃が皇室のなかでいかに孤立しているかが明らかになったとの見方も紹介している。さらに、
「(秋篠宮には)待遇面での不満はあると思います。たとえば警備上の理由で、東宮殿下(皇太子)が一般道を移動するときは信号はすべて青になります(立場上、同行する人員が多く、公務が多いため)。
一方、秋篠宮さまが移動する場合は一般車と同じで信号が赤なら停まらないければならないことが多い。そのような些細なことでも、歴然とした待遇の違いが、不満の遠因となっている可能性はあるかもしれません」(宮内庁関係者)
ちなみに、皇太子を支える東宮の職員は約70人。一方、秋篠宮を担当する宮内庁職員は、わずか6~7人。立場の違いは、ここでも明らかだ。

皇室ジャーナリストの河原敏明氏もこう言う。
「皇太子さまの5月の発言が大きな話題になったので、秋篠宮さまも刺激されて、ちょっと自分も言っておいたほうがいいな、ぐらいの軽い気持ちで自分をアピールされたのかもしれません。秋篠宮さまは子どものころからヤンチャな方で、大学生になるとヒゲを生やしたり、ロングヘア―にしたりしました。誰に何を言われてもわれ関せずで、思ったこともすぐ口に出して言われるタイプですから」
秋篠宮の奔放ぶりは、よく知られている。
元宮内庁嘱託カメラマンの中山俊明氏はこう語る。
「秋篠宮さまのご結婚直前のことですが、那須の御用邸で(天皇)陛下の取材をしていたとき、秋篠宮さまが甚平姿で通り過ぎたことがありました。われわれと変わらない生活をしているのだな、と思ったことが印象的でした」
秋篠宮は、これまで「浩宮が天皇になるのはいいが、自分にその可能性がなくなったときには皇籍を離脱したい」という発言が報道されたり(宮内庁サイドでは全面否定)、「タイに親しい女性がいる」という記事が報じられたことがある(同前)。
これら報道の事実関係は別として、秋篠宮の奔放な言動は、これまで何度も世間を騒がせてきた。


マイペースの秋篠宮に対し、熟慮を重ねて発言する慎重な皇太子。兄弟の性格がまるで違うことに加え、妃殿下のキャラクターの違いも、両家のイメージの違いに影響しているという声もある。
「紀子さまは、両陛下に対する気配りが大変お上手なのです。天皇陛下がまだ皇太子だった時代から行われている東宮主催の『法曹テニス』と呼ばれるテニス大会があります。この大会は、法曹関係者をお呼びして、毎年行なわれているもので、東宮(皇太子)に加え、天皇皇后両陛下、秋篠宮さまも参加されます。
参加者の着替えは、東宮御所のなかで行なわれることが通例でした。しかし、今年は雅子さまがご病気のため、両陛下が気をお遣いになって秋篠宮邸で着替えをすることになったのです。
紀子さまは、両陛下がいらっしゃるということで、率先して準備を進め、自ら草むしりをしてお迎えしたのです。このようなお話は、自然と両陛下の耳にも伝わるでしょう。一方、雅子さまはこうした気遣いが非常に苦手な方なのです」(前出・宮内庁関係者)
余談ながら、紀子妃の草むしりは、大変暑い日だったため、わずか10分程度で止めて、後は他人に任せてしまったという。
秋篠宮の記者会見では、秋篠宮から発言を促された紀子妃が、発言せずにコソコソそっと秋篠に耳打ちするシーンがテレビで放映された。
「あのとき、紀子さまの発言は誰にも聞こえませんでしたが、『これを言わないと』という雰囲気で『規模が…』とおっしゃったようです。
それを聴いた秋篠宮さまは、(これまで皇太子に対する批判めいたことを言ったが)東宮御所と自分のところではまるで規模が違うし、自分たちにはわからないご苦労もあるのでしょうと皇太子ご夫妻をフォローしました。
これは紀子さまの見事な機転でした。ああいうシーンを見て、われわれは『紀子さまは、しっかりと秋篠宮さまを支えていらっしゃる』と感じるのです」(前出・宮内庁関係者)

一方の雅子妃。02年にオーストラリア、ニュージーランドの訪問直前の記者会見で、このような発言をした。
「(外国訪問が)私の生活の一部になっていましたことから(中略)正直申しまして私自身その状況(6年間外国訪問がなかった)に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます」
この唐突な発言を新聞報道で知った天皇皇后は、心底驚き、皇太子夫妻の心中を案じていたという。このとき、天皇の心中を察した側近たちが、慌てて記者会見全文を取り寄せたというエピソードも漏れ伝わってきている。

◆英国王室の二の舞になるのか

皇太子は、皇室で「孤立」を深めているのではないか、という指摘もある。
天皇の学習院時代の「ご学友」で、元共同通信記者・橋本明氏はこう語る。
「皇太子殿下は過去10年間、天皇陛下との間が疎遠になってしまったのです」
それは、なぜか。
「皇太子は天皇から面会を打診されても、なかなか御所には行かないんです。愛子さまと両陛下があまり会っていないということは、以前から指摘されてきたことですが、雅子妃も、積極的にコミュニケーションを図ろうとしていない模様です。一方、秋篠宮夫妻は、ことあるごとに御所に佳子さまや眞子さまを連れて行っています。佳子さま、眞子さまは紀宮ともすごく親しいんです。また、秋篠宮夫妻は皇后の養蚕用の桑を取りに行くなどの世話もしているし、天皇御手植えの稲などの収穫の手伝いにも行く。皇太子一家はそういうことに積極的ではないようです」(前出・全国紙宮内庁担当記者)
皇室評論家の稲生雅亮氏は、こう語る。
雅子妃のご病気が一進一退を繰り返されるなかでの、今回の秋篠宮さまの発言は、病気の回復にはまったく逆効果でしょう。ただ、秋篠宮さまがお感じになられたことは、われわれも感じていたことです。皇太子殿下は、なぜ事前に側近や陛下に相談しなかったのか。それが残念です」
雅子妃とは東大法学部時代の友人で、国際ジャーナリスト・拓殖大客員教授の工藤雪枝氏はこう語る。
「一連の皇室報道を見ていると、英国王室で起きた争いが思い起こされます。かつて、チャールズ皇太子とダイアナ妃は、マスメディアを利用して自分たちの主張をアピールしていました。彼らは、直接対話することなく、メディアを通じて間接的に論争していたのです。その結果、英国王室は国民からの信頼を低下させてしまいました。今後、日本の皇室が国民からの尊敬や信頼を失うことになるのではないかと心配しています」
12月23日、天皇は71回目の誕生日を迎える。そのとき天皇はどのような言葉を発するのか、注目していきたい。
(記事終わり)


正直な所、秋篠宮様の会見問題については、どこから突っ込んでいいやら…と頭を抱えてしまいたくなります。
この問題を目にする度に言葉にできない不愉快さやモヤモヤした感情が湧き起こってしまうのです。

2004年の秋篠宮様会見に触れた記事は週刊現代以外にも何誌か存在し、それらも今後順番にご紹介していく予定でおります。
2004年の件に関しては雑誌ごとにその都度個人的な感想を述べるよりも、雑誌や会見の内容を一通りすべてご紹介してから、まとめて批評を加えるという形式の方がいいように考えました。

秋篠宮ご夫妻、宮内庁、両陛下など、それぞれに対し言いたいこと・思うことがあり、少し自分の考えを整理する時間が必要になりそうです。

公の場で格上の東宮ご夫妻を批判した尊大な秋篠宮様~週刊現代記事①

前回、2004年当時の皇太子殿下と、秋篠宮ご夫妻の会見の文章の一部を抜粋させていただきました。

平成16年の皇室のご会見を振り返る~皇太子殿下のご会見編
平成16年の皇室のご会見を振り返る~秋篠宮ご夫妻の会見編

この会見の内容を巡り、当時の雑誌も「波紋を呼んだ」という記事を書いています。
まず今回ご紹介するのは、週刊現代2004年12月18日号の記事の前半です。
東宮ご一家応援派としては怒りと悲しみを感じますが、同時に秋篠宮ご夫妻の本性や人間性もあぶり出しています。

内幕スクープ 秋篠宮「兄・皇太子への不満」
皇太子の発言を批判した衝撃会見のウラに天皇一家の危機


皇室が揺れている。幼少の頃、「聡明で利かん気」と評された秋篠宮が、今年の誕生日の記者会見で率直に「皇族のあり方」について語った。その内容は、兄・皇太子に対する批判と受け止められ、大きな波紋を呼んでいる。真意はどこにあるのか。本誌の取材で、皇太子の孤立、雅子妃の病状、そして、天皇皇后の心労が浮かび上がった。

◆5月の記者会見は「残念!」

「あれほど痛烈な皇太子批判をした秋篠宮が、皇太子とどのような対面をするのか」
関係者たちが注目するなか、秋篠宮の39回目の誕生日を祝う夕食会が開かれた。
秋篠宮が記者会見で皇太子に苦言を呈したとの衝撃報道があった11月30日の夕方6時30分、雅子妃を除く天皇一家が秋篠宮邸に集まった。天皇、皇后、皇太子、秋篠宮夫妻、紀宮の6人である。
ところが、夕食会は、紀宮と婚約相手の黒田慶樹氏を祝福する話題で盛り上がり、この日、報道された秋篠宮の衝撃発言に関する話題はほとんど出なかったという。
しかし、わだかまりがなかった、ということではなさそうだ。
本来、紀宮の婚約を祝う夕食会は、もっと早い時期に開催されるはずだった。しかし、新潟県中越地震の被災者を心から心配される天皇皇后の意向で、この「婚約を祝う夕食会」は延期されていた。そのため、秋篠宮の誕生日を祝う夕食会が、紀宮の婚約が報道されて以降、初めて天皇一家が一堂に顔を合わす機会になったという。
しかし、なごやかに談笑する天皇一家のなかに、雅子妃の姿はなかった。亡くなった祖母の喪服のためというのが欠席の理由だが、ひょっとしたら、服喪でなくても雅子妃には参加する意志はなかったのかもしれない。
「夜の外出時には、愛子さまの保育係を手配しなければなりません。しかし、雅子さまは服喪される前の時点でも、この保育係の手配をされていた形跡がありません。」(宮内庁幹部)
秋篠宮が皇太子に対する痛烈批判と受け取られかねない苦言を呈したにもかかわらず、それに関する話題が出ず、そもそも苦言の背景となった雅子妃は欠席―。外部からは容易にうかがい知れない天皇家のかかえる問題が、垣間見えた瞬間だった。

秋篠宮が紀子妃とともにビデオ収録の記者会見に臨んだのは、報道が解禁される5日前、11月25日のことだった。
秋篠宮は、皇太子が5月の会見で事前に天皇に相談することなく「雅子のキャリアや人格を否定する動きがあった」と発言したことに触れ、
「私も少なからず驚いたわけですけれども、(天皇)陛下も非常に驚かれたというふうに聞いております」
「あくまで個人のことですが、『自分のための公務は作らない』ということ。したいことはいろいろあるわけですけれども、イコール公務かどうかは別です」

などと述べた。これらの発言は、皇太子に対する苦言と受け止められただけでなく、「皇室外交に取り組むため、海外に行きたい」と希望する雅子妃のことも意識した発言と見られている。

◆「なぜ、陛下に相談できなかったのか」

5月の皇太子の記者会見がいかに衝撃的だったか。ここで少し振り返っておこう。
5月10日に開かれた皇太子の記者会見は、ヨーロッパ諸国訪問を前にして、その抱負を聞くためのものだった。
「皇族に対する記者会見は、数日前に事前収録しておくことが通例です。しかし、出発直前まで雅子妃が同行するのか決まらなかったため、皇室の記者会見としては異例の当日収録・当日報道になったのです」(全国紙宮内庁担当記者)
結局、雅子妃は体調不良のため、この外国訪問には同行できなかった。雅子妃の動向を希望していた皇太子は、かなり残念がっていたという。
今回、秋篠宮が会見で、
「(皇太子発言は)せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったかと思っております。そこのところは残念に思います」
と語っているように、天皇は皇太子の発言内容を事前に相談されることはなかった。
秋篠宮の発言から推測すれば、皇太子の発言内容はともかく、天皇は、事前の相談がなかったことを最も残念に思っていたのかもしれない。

一方、秋篠宮発言は、一般国民にとっては衝撃的な内容だったが、皇室としては、かなりゆったりとした気持ちで受け止めた模様だ。
「秋篠宮殿下の会見の模様を収めたビデオのコピーは、その日のうちに侍従を介して天皇皇后両陛下に届けられています。ビデオをご覧になって陛下は苦笑されていたそうです」(前出・宮内庁幹部)
宮内庁内部では、今回の秋篠宮発言を「よくおっしゃってくれた」と評価する声が圧倒的だという。
「5月の皇太子発言については、内容が宮内庁への批判だったため、皇太子の側近でさえ支持する者は少なかったのです。そのため、今回の秋篠宮の発言については『自分たちの気持ちを代弁してくれたと』いう思いが宮内庁職員たちのなかにはあるようです。また東宮(皇太子の御所)のなかでも、雅子妃の病状に対して、理解のある声は少ないようです」(前出・全国紙宮内庁担当記者)
余談ながら、天皇の記者会見は、文書を用意して、それを諳(そら)んじて話している。その文書は、固有名詞などの誤りがあってはいけないので、宮内庁が事前に確認をしているという。皇太子は、自分で文書を用意して、それを読み上げるスタイルが多い。秋篠宮は、事前に話す概要を頭に入れておくだけで、文書を用意する事はほとんどない。 雅子妃は文書を持たずに会見するが、発言を速記すると、そのままきれいな文章になるという。

(後半に続く)

平成16年の皇室のご会見を振り返る~秋篠宮ご夫妻の会見編

次に同じ平成16年のお誕生日会見に際し、秋篠宮ご夫妻は下記のような発言をなさっています。
以下、引用させていただきます。

平成16年秋篠宮様お誕生日会見文

(引用開始)
・・・また,確か私は昨年の会見で皆さんから陛下をどのように支えていくかということを聞かれました。それに対して私は,コミュニケーションの大切さということを申しました。円滑な意思疎通が重要であるということですね。それを受けて,皇太子殿下の2月の記者会見の時の,皆さんから皇太子殿下への質問の中に,秋篠宮が陛下との円滑な意思疎通が大切だということを話していたけれども,という内容の質問があったと記憶しております。それに対しては,コミュニケーションをよく図るということは当然のことであるという答えであったと思います。そのことから考えますと先ほど質問がありました5月の発言について,私も少なからず驚いたわけですけれども,陛下も非常に驚かれたと聞いております。私の感想としましては,先ほどお話しましたようなことがあるのでしたら,少なくとも記者会見という場所において発言する前に,せめて陛下とその内容について話をして,その上での話であるべきではなかったかと思っております。そこのところは私としては残念に思います。
もう一つありましたね。東宮御所での生活の成り立ちに伴う苦労ですね,これは私はどういう意味なのか理解できないところがありまして,前に皇太子殿下本人に尋ねたことがありました。東宮御所の成り立ちに伴う様々な苦労とは,皇太子妃になって,つまり皇室に嫁ぐとふだんの生活においていろいろな人がその周りで働いている,近くで生活している空間においてもいろいろな人が周りにいる,そういう人たちに対する気配りというか,配慮ということであったり,なかなか容易に外出することが難しい,そういうことだそうであります。そういうことを前提として私たちにそのような苦労があったかというと,主に私というよりも家内に関係するのかなと思います。確かに東宮御所という大きい組織に比べれば,私の所はかなり周りにいる人たちの数も少ないので比べるというのは非常に無理があると思いますけれど,それを踏まえた上でどうでしょうね。
(引用終わり)

秋篠宮様の上記発言を受けて、紀子妃は直後に下記のように発言しています。

(引用開始)
結婚してからの生活は,新しく出会う務めや初めて経験する慣習などが多くございました。どのように務めを果たしたらよいか,至らない点をどのように改めたらよいかなど,不安や戸惑いなどもございましたが,その都度人々に支えられ,試行錯誤をしながら経験を積み,一つ一つを務めてまいりました。
両陛下は私たちの考えていることや感じていることを静かにお聞きくださり,私たちの務めや娘たちの成長を温かく見守ってくださいましたことに大変ありがたく思っております。また,宮様が私の考えや気持ち,おかれている状況を的確にとらえて導いてくださったことは生活する上で大きな支えとなりました。

(引用終わり)

そして更にその後、秋篠宮様は湯浅長官の「第三子」発言を受けて次のように言われています。

(引用開始)
昨年,湯浅長官が3人目の子供を強く希望したいということを発言いたしました。その会見後しばらくして長官が私の所に来ました。それについての説明をしに来たわけなんですけれども,その話を聞き,またその時の記録を見ますと,私が昨年の記者会見で3人目の子供について聞かれ,一昨年の会見でそれについてはよく相談しながらと答え,昨年はその前の年の状況と変わらないと答えたということがあって,それを受けての記者から長官へその気持ち,つまり秋篠宮の気持ちに変わりはないかという質問だったと私は解釈しております。
そのことに対して,長官が皇室の繁栄とそれから,これは意外と報道されているところでは抜けているというか,知られていないように思うのですけれども,秋篠宮一家の繁栄を考えた上で3人目を強く希望したい,ということを話しております。宮内庁長官の自分の立場としてということですね。そのような質問があれば宮内庁長官という立場として,それについて話をするのであればそのように言わざるを得ないのではないかと,私はそのように感じております。
(引用終わり)


そして秋篠宮様は会見の最後の方で、公務について次のような発言をしています。

(引用開始)
直接的な答えにならないかもしれません。また,その公務とはどういうものかということも,なかなか難しいことだと思います。私たち皇族は,公的ないろいろな仕事をしていくのは当然なことであると思うのですけれども,あくまでも私個人としては,自分のための公務は作らない。つまり自分がしたいことはいろいろあるわけですけれども,それが公務かどうかはまた別ですね。私は公務というものはかなり受け身的なものではないかなと。こういう行事があるから出席してほしいという依頼を受けて,それでこちらもそれが非常に意義のあることであればそれを受けてその務めをする。私自身はそういうふうに考えて今までずっと来ています。それでよろしいですか。
(引用終わり)


この平成16年の会見を巡り、当時の雑誌も記事にしています。次回、それらをご紹介させていただきます。

平成16年の皇室のご会見を振り返る~皇太子殿下のご会見編

前回申し上げました通り、当ブログでは2004年(平成16年)に起きた「ある出来事」をしばらく取り上げることにいたしました。
この出来事に関する雑誌記事をご紹介する前提として、まず同年に行われた皇太子殿下のご会見と、秋篠宮ご夫妻のご会見の文章を掲載させていただきます。
この会見文には特に私からの解説などは入れず、文章だけをそのまま引用させていただくことにします。
そして雑誌記事を紹介する際にこの会見のURLにすぐに飛べるように設定させていただきたいと思います。

まず、2004年に行われた皇太子殿下のご会見とは「デンマーク・ポルトガル・スペインご訪問に際し(平成16年)」5月に行われた会見のことであり、皇太子殿下が決意を秘めて「雅子様の人格が否定されている」と発言されたものとして知られています。

デンマーク・ポルトガル・スペインご訪問に際し(平成16年)行われた会見

改めてその箇所を引用いたします。

(引用開始)
雅子の長野県での静養のための滞在は,幸い多くの方々のご協力を得て,静かな中で過ごすことができました。この場をお借りして,協力してくださった皆さんに雅子と共に心からお礼を申し上げます。雅子からも皆さんにくれぐれもよろしくと申しておりました。
長野県での滞在は,とても有益なものではあったと思いますが,まだ,雅子には依然として体調に波がある状態です。誕生日の会見の折にもお話しましたが,雅子にはこの10年,自分を一生懸命,皇室の環境に適応させようと思いつつ努力してきましたが,私が見るところ,そのことで疲れ切ってしまっているように見えます。それまでの雅子のキャリアや,そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。
最近は公務を休ませていただき,以前,公務と育児を両立させようとして苦労していたころには子供にしてあげられなかったようなことを,最近はしてあげることに,そういったことを励みに日々を過ごしております。そういう意味で,少しずつ自信を取り戻しつつあるようにも見えますけれども,公務復帰に当たって必要な本来の充実した気力と体力を取り戻すためには,今後,いろいろな方策や工夫が必要であると思われ,公務復帰までには,当初考えられていたよりは多く時間が掛かるかもしれません。・・・

(引用終わり)

当ブログの今後の予定について

いつも当ブログをご覧いただきまして誠にありがとうございます。

さて、当ブログではこれまで過去の雑誌記事を中心に、秋篠宮様や紀子妃の実態を暴く記事を書かせていただいてきましたが、今後も秋篠宮家に関する疑問を追求するにあたり、どうしても避けて通れない年代が2つあります。

それは「2004年」と「2006年」です。

2004年前後といえば、敬宮愛子様があどけなく可愛らしい2~3歳というお年だった一方で、雅子様のご病状が一番重かった時期でもあります。
そして皇太子殿下が雅子様をお守りするために一つの決意を込めて「ある行動」に出られた年でもありました。

そして2006年といえば、秋篠宮家に第三子=悠仁様がお生まれになった年でもあります。

2004年~2006年頃の雑誌記事は東宮家に対する無理解とバッシングが一番ひどかった時期でもあり、秋篠宮家に対する理不尽な“称賛”の蔓延りが始まった時期でもあるので、東宮応援派の一人としては振り返っていくことに抵抗があるといいますか、精神的に辛いことも多いと感じるのが正直な気持ちです。

しかし冒頭でも述べたように、秋篠宮家への疑惑を追及する当ブログとしても「避けて通れない」時代でもあります。
今後、何回かに分けて「2004年」に起きたことと、「2006年」を境に起きたことに関する雑誌記事をいくつかご紹介していきたいと思います。
内容が重いだけにブログ記述の歩みも遅くなるかもしれませんが何卒ご容赦くださいませ。

もしかしたらたまに「箸休め」として、これまでシリーズとしてお送りしてきた以下のテーマについての記事もちょこちょこ挟んで書けたらいいなと考えております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

〇秋篠宮様の人となり
〇秋篠宮家パワハラ・ブラック関連
〇東宮家には一切遠慮しない秋篠宮家
〇秋篠宮ご夫妻の結婚問題と紀子妃の親族について など

番外編:加計学園問題と皇室の闇 その2

5月30日、当ブログでは「番外編」として、加計学園と皇室の関わりについて書かせていただきました。

★番外編:加計学園問題と皇室の闇

その後、加計問題についてまた新たな疑問点が見つかりましたので、こちらに記録させていただきたいと思います。
森友・加計問題については、「大義なき解散」の一件や野党のあまりのグダグダな展開と分裂などで有耶無耶にされつつありますが、この問題はまだ終わったわけではありませんしこのままスルーされてしまうのはどうしても納得いきません。
しかし、加計問題に関しては皇室も関わってしまっていることが分かった以上、これ以上の深い追及はされない可能性が高いです。

今回新たに判明したことは、加計グループの学校である「千葉科学大学」の教員の中に、なんと黒田清子さん(紀宮様)と婚約の噂があった坊城俊成氏がいるという事実です。
千葉科学大学HPにも坊城氏の画像が掲載されています。

千葉科学大学 坊上氏

坊城氏は清子さんと結婚するという噂が出たこともあり、彼自身も一時期マスコミで話題になったことがあります。しかし坊城氏は「寝耳に水でございます」と言ってその後別の女性と結婚することになりました。
清子さんは坊城氏に好意を寄せていたのかもしれず、公開の場で振られて失恋してしまった経緯を考えると清子さんもかなりお気の毒な状況であったとは思います。

坊城氏は1981年から宮中で行われる歌会始の所役を約30年、講師(こうじ)を23回務めており、今でも皇室との縁がなくなったわけではありません。
清子さんの夫にはならなくても皇室とゆかりのある人である坊城氏が、よりによって加計グループの大学の教員に名前を連ねているという事実は一体どう解釈すればいいのでしょうか。
どういうツテで坊城氏まで加計グループに関わることになったのか…
もはや、加計グループというもの自体がそういう「上流(上級)社会」の人々と深く関わるような性質の、コネクションだけで成り立っているものなのかもしれません。

安倍総理の“オトモダチ”や美智子様の親族、秋篠宮様ご自身、清子さんのお婿さん候補と言われたこともある坊城氏…加計問題には、「これ以上深く追及されることはない」と言われる環境がまさに整っていると言えてしまうのです。

“モリカケ”問題ばかりを追求してきた野党に対しては「ほかの議題が進まない、いつまでそればかり追求しているんだ、政治の停滞しか招いていない」という意見もあるようですが、「モリカケ問題については国から真摯な説明が何もない、疑惑は解明されていない」という声が大半の世論調査結果も出ていました。もちろん私も納得するはずがありません。

加計疑惑、前回ご紹介したWWFJ不祥事と同じような結果になるのでしょうか。
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